モルデカイ・モーゼ(著)久保田 政男 (翻訳) 「日本人に謝りたい」

 更新日/2021(平成31→5.1栄和/令和3).11.13日




【モルデカイ・モーゼ(著)久保田 政男 (翻訳) 「日本人に謝りたい」(日新報道、1979年初版)】
 モルデカイ・モーゼ(著)久保田 政男 (翻訳) 「日本人に謝りたい」(日新報道、1979年初版)。「日本人に謝りたい~ あるユダヤ長老の懺悔(ざんげ) ~──ユダヤ長老が明かす戦後病理の原像──」でサイトアップされている。@
日本人に謝りたい~ あるユダヤ長老の懺悔(ざんげ)~
第1章
戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
第2章
二元論的思考法~典型的なユダヤ的思考パターン~
第3章
日本人の知らない東京裁判の本質
第4章
日本国憲法はワイマール憲法の丸写し
第5章
共産主義はユダヤ人が作った
第6章
GHQのニューディーラーの戦後処理計画の秘密

 モルデカイ・モーゼ 略歴

 1907年、ウクライナのオデッサ生まれ。父親は哲学者で革命家。ロシア革命では指導的役割を果たした。レーニン没後ソ連におけるユダヤ権力の将来に見切りをつけた父親と共にワイマール体制下のドイツへ亡命。父親は美濃部達吉博士に「天皇機関説」を説いたゲオルグ・イエリネックと親しかったようである。ベルリン大学で政治学、哲学を専攻後、国際連盟労働局で極東問題を担当。独ソ不可侵条約が結ばれると、その本質がユダヤ勢力の抑圧にあることを看破し、ハルビンを経て上海に亡命。「サッスーン財閥」の顧問となり、日本の国体、神道、軍事力の研究に従事。1941年、米国へ亡命。ルーズベルト等のニューディール派のブレーントラストとして活躍。1943年頃から対日戦後処理の立案にも参画。戦後十数回来日。

 久保田 政男 略歴

 「日本が好きなだけなんだよ」(http://koramu2.blog59.fc2.com/)その他参照、引用、転載。

 参考サイト
 http://blog.goo.ne.jp/photon1122/e/ab0219f4e63570a6d1ca16a4e00010d6

 (ヘブライの館2)
 http://inri.client.jp/hexagon/floorA0F/_floorA0F.html
 ↓
 (4階 東欧ユダヤ研究室)
 http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F/_floorA4F.html
 ↓
 (アメリカのユダヤ人)
 http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/_floorA4F_hc.html


 第1章 戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
 戦後すでに30数年を経た今日、日本人は真の日本歴史を構築してきたという実感を全然感じない、とよくおっしゃる。私にはその意味がよく分るような気がするのである。それの意味するところは、経済の驚異的高度成長に反比例する精神面の退化現象とこの二者にみる跛行性のことではないだろうか。戦後は虚妄だといわれて久しい。私がここで考えることは、何よりもこの跛行性の原像を日本人はまだつかんでいないのではないかということである。この病理のルーツが分からないと、治療法も発見できないのは至極当然であろう。日本をこよなく愛する私としては、この問題を解明して日本人が真の日本歴史を生き生きと構築できるよう側面から及ばずながらお助けしなければならないという強い義務感、責任感におそわれるのである。

 何故か。それはこれら病巣のルーツがほとんど誤れるユダヤ的思考の所産であるからに他ならないからである。我々は信じ難いほど頭が悪かったのだ。もともと、我々が犯した誤ちはごく単純そのものの誤ちだったのだ。しかるに、この小さな誤ちの及ぼした影響は想像以上に大きかった。それは、戦前まで日本が世界に冠絶した類い稀れなものとして誇っていた数々のものを破壊してしまう結果となったのであった。このことを知るに及んで、我々の心は痛むのである。しかも、その日本が戦前もっていた類い稀れな長所というものが我々ユダヤ民族の理想の具現化されたものでもあったことを知り、ますます我々の苦悩は倍加されるのである。

 我々ユダヤ民族は、西洋人にない高尚な理想を常に頭に画いていたのである。しかし日本の皆様もご存知のように、ユダヤ民族は永い永い迫害の悲しい歴史の中ではこれら理想を具現化する余裕など全くなく、ただどうして生命の安全を全うするかということに心血を注ぐのが精いっぱいであった。第二次大戦終結までは我々の解放のための闘いは絶えず続いていたのであり、そのような理想を追求する余裕は残念ながらなかったのであった。

 しかるに第二次大戦後、日本が占領政策の結果、大幅に改革された結果初めて、戦前の日本に我々の理想とするものが多々実在したことを発見したのであった。これは我々にとって大きな驚きであった。最近、日本でいろいろ比較文化論的にユダヤ人と日本人を対比した論調が出回っているようであるが、それらはいずれも軽桃浮薄なものばかりのようである。もっとも、それらは若い同胞やユダヤ人の仮面をかぶった日本人の書いたものであるから、その程度のレベルにとどまっているのもむしろ当然かも知れない。

 たとえば、イザヤ・ベンダサン(山本七平)氏もその一人かも知れない。彼は、日本の戦後史の非連続性を嘆くかの如きポーズをとり、日本人の小善人的な性質をくすぐり、日本の病理は指摘しつつも、我々の犯した過誤に頬被りしようとしている。しかし、日本の戦後史は、我々ユダヤ人が過去の過ちを真摯な態度で告白しなければ解明できない性質のものなのである。

 私は、今後末永く日本人と親しく友好関係を保たせていただきたいと心から願うものとして、日本の戦後の歴史的非連続性、いいかえれば何故戦前の理想的な数々の長所が失われたのか、そのために真の日本歴史の構築を阻まれている日本人の深い苦悩からの脱出をお助けするために、これら病巣のルーツを解明する作業を進めたいと思うのである。それはまた同時に将来我々ユダヤ民族の理想を追求するときにも再び大きな助けとなるであろうと信ずるからである。

 ハーマン・カーンの『21世紀は日本の世紀』、最近のエズラ・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などは哀心よりの親日的な論調であることは日本の皆様もご理解願えると思う。しかし私にいわせれば、これらの前にどうしてもしておかなければならない大切なことがあるのである。それをとばして今後の日ユ親善はあり得ないと思うのである。もしユダヤ人が最も大切なことに頬被りしたままで日ユ親善を求めるなら、それは間違いなく失敗に終わるであろう。
 
 私は今後の末永き日ユ親善のためこの筆をとったのである。この拙稿がささやかな日ユ親善の礎となれば望外の喜びである。

 ■ユダヤ人こそ日本人から学ばねばならない

 日本における近ごろのユダヤブームの特徴は、比較文化論的にユダヤ人と日本人を二元論的思考で対置し、大抵の場合、ユダヤ人は頭がいい民族である、日本人も学んだらどうか、というパターンのようである。そこでは、ユダヤ人がさも自慢げに、タルムードその他の宝典から都合のいいものを抜き出して得意然として高説をぶつ、というパターンが多いようである。これに対して日本人は、お説ごもっともと謹しんで拝聴しているが如くである。この光景を見ていると、ユダヤ人が先生であり日本人は常に生徒ということのようである。また同時に、文化的、歴史的、思考的、感覚的特徴を二元論的に対置して比較するほとんどのケースは、ユダヤ的なものを主役としているようである。

 私から見た場合、日本にいる若いユダヤ人が以上のようなことで得意然となっているのであれば、わがユダヤ民族の将来も決して明るいものではないという気がする。と同時に、黙って拝聴している日本人の謙虚深さにむしろ敬意を表さなければならないと思う。私は、逆に、ユダヤ人こそ日本人から真に多くのものを学びとらねばならないのだということを、若いユダヤ人に教える義務があると信ずるものである。◆

 日本にいていろいろと著作その他で活躍しているユダヤ人は、戦後の日本しか知らないのである。しかし、真の日本の世界に冠たる長所は、残念ながら戦後の日本にはもはやないのである。ということは、戦前までの日本には存在したということである。この事実を全く知らずに若いユダヤ人達は、日本でさも得意顔で日本のウイークポイントと思われることを槍玉にあげて優越感に浸っている。私が悲しむのは、これら若い世代のユダヤ人達が自分達ユダヤ人の理想とするものが何であるかさえ知らないということだ。そのような状態であるから、彼らは自分達ユダヤ人の真の理想とするものが戦前の日本にあったということなど全く知る由もない。日本人が黙って君たち若いユダヤ人の能書きを拝聴している理由がわかったことであろう。全く問題にしていないのである。反論するにも値しないということだ。

 ただ例外は、日本にしばらくいたことのあるラビのマーヴィン・トケイヤーであろう。彼は『日本人は死んだ』という本を著わし、それは日本でベストセラーになったものであるが、この中でトケイヤーはユダヤ人の真に理想とするものが戦前の日本には多々あったとし、それが戦後全く失われてしまったのを非常に悔んでいるのである。一人よがりの狭量をふり回して、あたかも日本人にものを教えてやってるんだと妄信して得意然としている同胞の若者の多いなかで、このトケイヤー君はさすがラビだけあって急所を突いている。こういう同胞を私は誇りに思う。

 日本でいろいろ能書きをたれている同胞の若い連中の恥知らずの愚行に対してユダヤ人として一言弁護させてもらえるなら、彼らは例えばタルムードの内容についてもすべてを知らない。彼らが日本で書きまくっているユダヤ的思考法、タルムードの宝石などなどで彼らがあまりにも多くのミスを気がつかずに過ごしていることには、実は我々長老にその責任のすべてがあるといってよいかもしれない。

 戦後生まれのユダヤ人は、タルムードの思想といってもその最も肝要な部分を教えられていない。それはタブーとされているからである。彼らはしたがって、真のユダヤの理想というもの──それは恐らく人類の理想でもあるだろうが──を全く教えられていないのである。

 このような同胞の若者が、日本に戦前あったすばらしいものを感知するわけがない。尊敬する日本の皆さん、私はユダヤ人の長老として、これら若僧の犯している恥知らずな次元の低い誤りをお詫びすると同時に、我々ユダヤ人が犯したところの大きな誤り、第二次大戦終結直後の日本人の精神的空白につけ込んで我々が持ち込んだところの諸々の誤れる思想について、その過誤の原因および内容的非論理性、反真理性について詳しく分析し、それが如何に日本人にとって有害なものであるかということを実証してみたいと思う。

 勿論、この問題からみると、同胞の若僧どもの無知からくる誤りなどはものの数ではないのだが。これによって一日も早く、尊敬する日本人が戦前あった世界に燦たる民族的長所を復活させて頂きたいのである。何故ならば、それが即ち我々ユダヤ人の理想でもあるのだから。

 ●天皇制は古代からユダヤ民族の理想だった

 日本民族のもつ最大の財産は天皇制である。これは全く世界に類例のない偉大なものであり、人類の理想とするものである。かつてユダヤ人の大思想家でフランス革命に大きな思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、かの有名な『社会契約論』で次の如きことをいっている。「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。したがって自分は止むを得ず民主主義を選ぶのである」。ここでいう君民共治というのは、君主が決して国民大衆に対して搾取者の位置にあることなく、したがって国民大衆も君主から搾取されることのない政治体制のことである。

 ところがここで驚いたのは、日本人にこの話をするとみな不思議そうな顔でキョトンとする。私は最初その意味が全くわからなかった。しかし、だんだんその意味がわかってきた。日本の天皇制にはそのような搾取者と被搾取者の関係が存在しない、ということを私が知らされたからである。今度は私の方が驚かされた。

 日本人のためにちょっと説明しておくと、欧州でも、また最近追放されたイランの王室でも、君主はみな国民大衆に対しては搾取者の地位にあるものである。したがって、亡命するときは財産を持って高飛びする。これが常識である。だが、日本人の知っている限り、このようなことは君主制というものの概念の中には全く存在しないのである。

 しかるに、ユダヤ人ルソーの思想は搾取、被搾取の関係にない君主制を求めているわけである。これは確かに理想である。しかし残念ながら、ルソーはそのようなものが実在できるはずもないからやむを得ず、民主主義を選ぶというものである。私がルソーの時代に生きていたならば、ルソーにこういったであろう。「直ちに書きかけの社会契約論など破り捨て、速やかに東洋の偉大な君主国へ馳せ参ぜよ」と。

 ここで非常に重要なことをルソーはいっているのである。今日本で絶対の善玉の神として一切の批判をタブー化されている民主主義というものは、ルソーによれば君民共治の代替物にすぎないということである。私が日本人を最高に尊敬するようになったのも、この天皇制というものの比類ない本質を知ったからである。

 日本では戦前、比類なき国体という言葉があった。またポツダム宣言受諾の際にも、この国体の護持という点が一番問題になったのである。これは真に賢明なことであった。この日本の天皇制はユダヤ思想の理想であったことはルソーの言葉でもわかるが、他にもあるユダヤ人の言った言葉に次のようなものがある。

 「わがユダヤの王は、目に見えない護衛だけで守られる。われらの王は威厳にみちてその権力を行使するのは人民の幸福のためにだけであり、決して王自身や王朝一族のためにこれを用うることはない。かくして王への尊敬と威厳はいやが上にも高まり、人民に崇拝され敬愛されるのである。そのため王は神格化されるだろうが、それはひとえに王の権威が人民に安らぎと幸福を保証するコーディネーターの役を果たすからに他ならない」。断っておくが、これは日本の天皇制の描写ではない。ユダヤ民族の理想の表現なのである。これを見てもおわかりと思うが、ユダヤ人はルソーのいった如く、国民との利害関係をもたない君主が理想なのである。

 私が日本の天皇制の本質を知ったときの驚きが如何なるものであったかは、推して知られたい。地球上にユダヤ民族の理想が実在したのである。一般のヨーロッパ人は、とてもこのようなすばらしいものを創ることはできないであろう。我々ユダヤ民族も残念ながら未だ創ってはいないのであるが、しかしそれがすばらしい理想であるということを知っているだけでも日本人に近く、ヨーロッパ人よりも優れていることを日本人に認めていただければ無上の光栄である。

 一般にユダヤ人が天皇制の類い稀な点を発見したのは、戦後の天皇とマッカーサーの会見の時であった。かといって、ユダヤ人全部が知ったわけではない。今日本で勝手気ままにペンを走らせている若僧たちはもとより、こんなところまで知っているわけではない。それではユダヤ人が初めて天皇制の類い稀れな世界に燦たる本質、我々ユダヤ民族の理想である要素を完全に我々に教えてくれた、天皇とマッカーサーの会見の時の様子を述べてみよう。
 ●世界に類例のない君民共治

 天皇が開口一番、自分の事はどうなってもいいから国民を救ってほしいと切り出した時、マッカーサーは驚天せんばかりであった。この席にルソーが同席していなかったのが真に残念であるが、西洋の君主というものはそれこそマルクスのいう支配者、搾取者である。一般大衆は被支配者、被搾取者に甘んじなければならない。

 西洋の君主は、大衆から収奪した莫大な財産をもっている。戦後GHQが天皇の資産16億円と発表した時、日本人はキョトンとしていた。つまり、GHQは西洋の君主並みに日本の天皇も収奪した財産をもっているはずであると考えたから、それを直ちに国民の前にみせつけたわけであろう。ところがこれを聞かされた日本人は一様に、そういう感覚の持主もいるのかと内心驚いたということである。しかし西洋の常識としてはこれは奇異でもなんでもなく、至極当然なことだったのである。

 かような西洋の君主は、いざ革命、戦争、政変などのあった場合は、直ちに自己の生命の保証と財産の保全を求めて亡命などを計るのを常とする。したがって、マッカーサーも最初天星が訪問の希望を述べた時、非常にきびしい顔をしていたという。いってみればそれは当然のことであろう。日本の天皇もいよいよ生命の保証と財産の保全のためどこか適当な亡命先の斡旋を懇願に来るのであろうとマッカーサーが考えたのも、無理からぬ話であろう。

 しかるに前述の如く、天皇は開口一番、自己の生命や財産の保証ではなく、国民の財産や生命の保証を求めたのであった。国民を質入れして自己の保身を計る西洋の君主とは逆に、自己を質入れして国民の救済を求めたということである。マッカーサーたるもの、すべからくルソーに対して自分が味わった感激を報告すべきであろう。

 戦後の占領改革にも拘らず天皇制が存続できたことは、私の最も喜びとするところである。これはひとえに当時GHQを牛耳っていたニューディール派、つまりユダヤ勢力が天皇制に自己の民族の理想を見出したからに他ならないのである。日本国憲法は後で詳しく述べる如くユダヤ人がユダヤ思想に基づいて作った作品であるが、その憲法の冒頭に天皇の項を設けたのはこのためである。
 ●なぜ欧州では君主を輸入したのか----万世一系の天皇との違い

 万世一系の天皇を頂く日本人は幸せである。この万世一系の天皇は、如何なる意味をもつとお考えであろうか。この点では、ユダヤ人が借越ながら日本人に少々参考になる意見をお聴かせできるかも知れない。日本人からすると、万世一系の天皇といってもピンとこないかも知れない。他にどんな天皇があるのか、と反問されるであろう。だから日本人は幸せだと思うのである。何故か。ヨーロッパの王朝というものはみな混血王朝である。歴史上、しょっちゅう外国から国王や王女を輸入した。

 しかも王朝の権力が強くなればなるほど、外国からますます輸入するようになる。何故か。王朝の権力を弱める必要からである。国内から昇格させようとすると当然争いが起こり、国内が乱れるのでまずい。その点、外国からの輸入君主は当りさわりが少なくしかも飾りものなので、最も有効な方法ということになる。こんな話をすると、日本人は全くお話にならんと思われるかもしれない。まさにそうなのである。私が万世一系の天皇をもつ日本人は最高に幸せですといった意味が、これでお分かり頂けたことと思う。

 しかし、では何故に王朝の権力が国民がいぶかるほど強くなるのか。また、王朝の権力が強くなることはどうして悪いことなのか、と疑問をお持ちのことと思う。ここでもう一度、われらの大思想家ジャン・ジャック・ルソーの言葉を思い出して頂ければ幸いである。ルソーは「我もし随意に祖国を選べといわれれば君主と国民との間に利害関係の対立のない国を選ぶ。しかし現実にそのような国があろうはずもないから、止むを得ずその代替物として民主主義国を選ぶ」といっている。

 ここにすべてが盛られている。ヨーロッパの王朝では常に君主と国民の利害が対立している。然るに、日本の天皇制には決して利害関係の対立などない。仁徳天皇の「民のかまどに立つ煙」の故事を引き合いに出すまでもなく、また前述の天皇とマッカーサーの会見時の模様を説明するまでもなく、利害関係の対立は全くないのである。これこそ、君民共治の完壁な見本である。

 このような天皇制では、常に天皇と国民の間には強固な理性的バランスがとれているのである。人間精神の最も高尚なものが両者を結んでいるのである。そこには物質的欲得など、みじんも入り込むすきはない。なんとすばらしいことであろうか。このような国で、なんの必要があって天皇を外国のものと取り替える必要があろうか。

 ユダヤ人はルソーの言を待つまでもなく、長年このような君主制を夢に描いてきたのである。しかし祖国を持たないわがユダヤ人は、王を頂くこともできなかったのである。わずかにユダヤ教を「携帯祖国」としてもち、これによって民族の連帯と発展を推し進めてきたのである。キリスト教国では、このような高尚な理想をもった国は永遠に現われないであろうと思う。その点から見ても、ユダヤ人は日本人には及ばないが、一般西洋人よりは優れた民族であると日本人に認めていただければ、甚だ光栄である。

 ●ユダヤ人の教条主義的誤り──戦前の天皇制攻撃

 これから本論として述べる如く、我々は戦後の占領改革において大きな過誤を犯したのであるが、ただ一つの喜びは、天皇制の偉大さを認識でき、それを憲法の冒頭で存続させることができたことである。だがここで日本人に謝らなければならないのは、戦前において我々の認識不足から、天皇制を最大限に攻撃し、なんとかこれを打倒しようと努力してきたのも我々ユダヤ人である、ということなのである。全く穴があれば入りたい気持ちである。フランス革命でフランスの君主制を打倒したのが、我々の最初の大事業であった。つづいて、ヨーロッパの主な君主制を打倒することが至上任務となるのである。

 何故そうなるのかということは、マルクス主義の国家論をお考え頂ければ十分と思う。マルクス主義というものは別章で詳しく述べる如く、ユダヤ人が自己の民族的解放事業のための道具として編み出した虚構論理なのである。マルクス主義の国家論はご存知のように、国家とは破壊、転覆すべきものであるということを根本原理としているものである。国家というものがあるためにユダヤ人は過去幾千年、迫害、虐殺をくり返されていたものである。自己をこのような悲惨な境遇から救うためには、国家というものを転覆することが唯一の方法であったのだ。

 つまり、それによりユダヤ人が権力と財産──後にこれは生産手段という社会科学的用語にかえられたが──を奪取することによってのみ解放されるということである。これがマルクス主義の根本原理なのであるが、この国家の破壊という大事業の前に最も邪魔になるのが君主制という制度であったのだ。そのため特に、君主制の打倒ということが最大の目的となったわけである。

 今世紀に入ってからは、第一次大戦時に、ヨーロッパの主な三つの王冠、ドイツ、ロシア、オーストリア=ハンガリーにおける君主制の打倒に成功したのであった。さて後に残された有力な君主制は、東洋の一角に燦然と輝く日本の天皇制だったのだ。ユダヤ人は、これの打倒に全精力を注ぐことになったわけである。ただここで、日本人は一つの疑問をおもちになることと思う。ヨーロッパでは各国でユダヤ人が王制のもとに苦しんでいたのであるからこれらを打倒するのはわかるが、では何故にユダヤ人のいない日本で天皇制を打倒しなければならないのかという疑問であろう。ユダヤ人の単純な教条主義的思考なのか、君主制と名のつくものはすべて敵であるとする単純な発想からくる誤ちなのか。答は否である。このことは日本人はいまだほとんどご存知ないだろうが、ユダヤ人には天皇制を打倒する理由があったのである。それについては別章で述べる機会があると思うので、今は触れないでおこう。

 ●美濃部達吉の「天皇機関説」はユダヤ人が吹き込んだ

 さて、日本の天皇制打倒のための最大の攻勢はゲオルグ・イエリネックによって始められたのである。彼はワイマール時代ドイツの法学界を牛耳っていたユダヤ人である。 マルクスの時代は、国家の破壊は階級闘争という虚構論理によるものを主力としていた。しかし今世紀に入ってからは、マルクス式にいえば、上部構造よりの破壊を考えついたのである。つまり、法理論により国家機能を弱体化させることである。特に君主制を骨抜きにする作戦である。このために利用されたのが美濃部達吉である。イエリネックは美濃部達吉に巧妙に天皇制破壊、弱体化の戦術を授けたのである。その前に、イエリネックの学説の真髄をご紹介しておこう。これは戦後の占領改革で行なわれた「国家」という言葉を「社会」という言葉に変えられたことについての日本人の疑問に答を与えるものでもある。

 ●何故「国家」が「社会」にかえられたのか

 イエリネックは超観念論的思考の所産として、国家の存在を否定しようと試みる。国家は感覚的に認識するをあたわず、その制度や活動においてのみ認識できるものであるとする。そして国家の最終的客観的要素は作用となって現われる人間の間の一定の社会関係の総和であり、より精確にいえば、人と人の関係に現われる一定の作用の同時または継時の存在であり、これのみが国家の証明できる最終の事実であるとする。

 イエリネックの狙いとするところは、「国家」という観念を去勢し、それに代わって「社会」という観念を導入するにある。戦後日本では、しばしばこの「国家」という観念が「社会」という観念に代えられたということが議論されている。そのへんの疑問に答を与えるのが、このイエリネックである。

 イエリネックは、したがって先輩のオットー・フォン・ギールケのいう有機体説も否定しようとする。つまりギールケにあっては、国家は実際に存在するものであるから「有機体」を考えるべきであると主張するのであるが、イエリネックは「有機体」が人間の認識の如何にかかわらず存在すると考えるのは実証的研究の地盤を去ることを意味し、真理に代えるに詩をもってするようなものと極論している。これはまごう方なき観念論であり、マルクスの国家否定論と対照的である。しかし、同じユダヤ人であるマルクスとイエリネックの国家否定論は軌を一にするものであり、ユダヤ民族の大目的に奉仕する論理であることを認識する必要があろう。イエリネックの役割は「上部構造」より国家の解体へ向かうことであった。つまり、法理論を活用することである。この目的のために利用されたのが、美濃部達吉である。例の「天皇機関説」がそれである。

 ところが、イエリネックの深遠な狙いはその協力者、美濃部達吉の無知により、かなりあいまいなものにされてしまった。それというのは、この「天皇機関説」の受け取り方がイエリネックの当初の思惑をかなりズレてしまったのである。美濃部は、イエリネックの Organ というドイツ語を単純に「機関」と訳してしまった。日本語の「機関」という言葉は、マルクス主義者の受け取り方を除いては、イエリネックの当初の狙いを十分反映できない言葉である。一般には、天皇即国家であったのを、天皇は国家の一機関にすぎないというふうに天皇を格下げしたものであると考えられるようになった。これは、日本語のもつ「機関」という意味からすれば、むしろ当然かも知れない。

 ドイツのユダヤ人の間ではドイツ語の Organ は、抑圧、搾取のための「道具」、「手段」を意味する。しかし、普通の日本語訳からすれば「機関」ということになろう。ただ「機関」となると、Organ のユダヤ的意味を完全に伝達しないきらいがあるということである。もし美濃部がもう少しユダヤ的思考に通じていたら、ノーベル賞(ユダヤ機関が設置運営している)でももらったかもしれない。イエリネックは、さぞ不満であったことだろう。彼の狙いは、あくまで天皇を抑圧、搾取するものと形容したかったのである。

 ユダヤ人のいう Organ は具体的にいうと、支配階級が被支配階級を抑圧、搾取する手段、道具という意味である。美濃部が「機関」と短絡思考でやってしまったお蔭で、かなり意味あいの異なるものとなってしまった。天皇は国民を抑圧する手段であるとする宣伝は、かなりぼかされた。

 君民共治は、日本の天皇と国民の間にのみ存する理想的政治形態である。これがある限り、日本の共産主義化は困難と判断したユダヤ勢力は、「天皇制」を絶対悪として宣伝し始めたのである。戦前はコミンテルンを通じて大々的に「天皇制」打倒のキャンペーンをした。コミンテルンの日本出張所として誕生した日本共産党に「天皇制」打倒を至上命令として実践させた。今日に至るも日本共産党が「天皇制」打倒、「天皇制」絶対悪論を振り回しているのは、そのためなのである。

 以上のように我々は戦前天皇制の打倒を至高目的としていたのであるが、戦後天皇制が類例のない偉大なものであることを初めて知るに及んで、天皇制の存続を図ったわけである。この時には天皇制廃止論者が周りに多く、大変苦労したものである。ここでの我々の努力を評価して頂ければ光栄である。戦後史の解説書などでしばしばいわれている天皇制存続の理由、「占領政策のため利用する目的で存続させた」といったことが如何に認識不足かということをお分かり頂けると信ずる。日本共産党はいまだに天皇制を絶対悪と信じている。国会の開会式に天皇が臨席される時に共産党議員が欠席するのは、その現われといってよいだろう。

 ●日本共産党は誤れるユダヤ思想のエピゴーネン

 日本共産党は、コミンテルンの日本出張所として誕生したものである。コミンテルンの目的の一つには日本の天皇制打倒があった。コミンテルンはスターリンの独裁が強化されるまでは、国際的なユダヤ勢力により動かされていたものである。日本共産党はユダヤ勢力が「残置謀者」として残したものであり、完全なるエピゴーネン(亜流、継承者)である。

 このエピゴーネンは、すでにユダヤ人の意志とは全くかけはなれた思考により行動しており、我々としては全く邪魔な存在なのである。もともと共産主義というものは、ユダヤ人が創った虚構論理である。したがって、今日でも日本共産党が日本の社会で害毒を流していることに対して我々ユダヤ人は心を痛めている。さらに、日本共産党の誕生に我々が責任あるというだけでなく、戦前、日本の支配勢力により行動を抑止されていた日本共産党を戦後陽のあたる場所へ出すのを助け、さらに赤だるまが火を吹く如く大躍進させたのもニューディール派、すなわち、ユダヤ勢力である。

 ●八紘一宇の大思想──称賛された満州の近代化

 戦前の日本には、八紘一宇という大精神があった。これは神道のこれまた類い稀な偉大な思想に基づくものである。西洋の宗教の如き排他性をもたない、傑出した思想であるといえよう。この点を証拠づけるものは、西洋列強の東洋侵略と日本の満州国建設のコントラストであろう。西洋列強の東洋諸国支配は搾取、収奪、奴隷化に他ならなかった。英国が印度支配のため最初に打った手は、既存の教育関係を絶滅し、諸民族を相争わせ、言語の複雑化を計ることであった。オランダのインドネシア支配も同様であった。そこには何ら建設的なものはなく、ただ自己のための搾取があるのみであった。

 しかるに、日本の満州国建設大事業はこれとは対照的であった。五族協和を唱い諸民族平等の関係を育て、その投資は建設的なものであった。当時欧米でも識者は、人口3000万の満州国は十年後には人口1億を有する大近代工業国家として極東の一角にその勇姿を現わすであろうと、称賛と期待をもって見守っていたものであった。他のアジア諸国で、欧米列強によって近代的工業国家に育てあげられた国が一国でもあっただろうか。満州の近代化の成果は、現代に至るも中国の工業の心臓部である点をみても分かることである。これを可能にしたのは、八紘一宇の大思想のしからしむるものである。

 ●すばらしかった戦前の家族制度

 さて次に、我々ユダヤ人の理想のお手本となるべきものに日本が戦前誇った家族制度があった。面白い話を一つ紹介しよう。かつて「国際連盟」の労働部長であったユダヤ人、アルベール・トーマが日本の労働事情調査のため来日した。「国際連盟」といっても、教科書的歴史観しか教えられていない日本人にはその本質を知る人は少ないようだが、これはユダヤの世界政府ともいうべきものである。第一次大戦の結果、金融支配力に自信をつけたユダヤ人は政治面へも進出をはかり、その結果つくられたものが「国際連盟」なのである。この連盟の指導者は、日本人の杉村陽太郎氏を除いて他は皆ユダヤ人だったのである。

 この他、「国際労働局」というのがやはりジュネーブにあったが、これは「国際連盟」の一局の如く考えられるふしがあるが、さにあらず、全然独立した機関で実際の規模は「国際連盟」よりはるかに大きいものであった。私もここで極東問題を担当していたのであるが、これも勿論、ユダヤ人の機関であった。何故ユダヤ人が労働問題にかくも力を入れるのかということは、マルクス主義の階級闘争史観をご存知の方はお分かりいただけると思うが、かつてユダヤ人は非ユダヤ人の協力者を集めるためマルクス主義の階級闘争史観を宣伝したのであり、その結果エピゴーネン(亜流、継承者)としての各国共産党を生んだのである。一方、ユダヤ人自身としてもユダヤ民族の解放を非ユダヤ人の協力者にのみ任しておくわけにはいかないのは勿論である。当然、ユダヤ人自身でも自己の解放運動を進めていた。国際連盟はその機関の一つとご理解願いたい。したがって、「国際労働局」の方がむしろ規模が大きいという点も納得されることと思う。

 話がちょっととんだが、面白い話というのは、アルベール・トーマが来日し、日本へ階級闘争の激化工作をしようとしたとき、その前に立ちはだかったのが、日本の強固な家族制度だったのだ。

 アルベール・トーマは、「日本では家族制度が強固なため階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である。何故ならば、労働者は失業しても労働運動などする必要はない。家族が暖かく迎え入れてくれるからである。この家族制度をなんとかしない限り、日本へ階級闘争を持ち込むことは難しい」といっているのである。アインシュタインもまた来日した時、日光の金谷ホテルからドイツのユダヤ機関へ手紙を書いているが、その中に日本の家族制度の立派さを書いているのである。

 かくの如く、日本の家族制度はこれまた類い稀な存在であったのだ。戦前の日本の家族制度にはとても及ばないが、現在世界中で一番この家族制度というものを強固に有しているのは我々ユダヤ人社会であろうと思う。この点、我々は常にそれを誇りとしている。

 ここでまた日本人にお詫びしなければならないのであるが、この日本のすばらしい家族制度を破壊したのは我々ユダヤ人なのである。具体的には、占領改革の時ニューディール派が行なったものである。前述のアルベール・トーマの件でもお分かりと思うが、ユダヤ人がマルクス主義的変革を実行するためには、家族制度は国内の君主制といわれる如く邪魔な存在だったのだ。家族制度が「小さな君主制」としてユダヤ民族のマルクス主義的変革事業の邪魔になるということは、なにも今日昨日の問題ではなかったのである。〈中略〉

 さて現在のユダヤ人社会では、戦前の日本にあったようなすばらしいものではないにせよ、家族制度というものは固持されている。恐らく世界一のものではなかろうか。親と子は、多くの場合同居している。これは決して住宅難のせいではないのである。子は、年老いた親の面倒をよくみるのである。特に親孝行という言葉はもっていないが、将来できるかも知れない。また、親類づきあいも密である。安息日にはたいてい、どこかの親類と家庭で交わるのを普通とする。我々は戦前の日本の家族制度を見習いたいのである。

 ユダヤ人は、福祉ということはあまり考えない。これは家族制度のアンチテーゼだからである。福祉とはただ食わせるだけといえるかも知れない。老人ホームに例をとると、そこでの老人に保証されているのは餓死しないということだけである。生き甲斐というものは何も保証されていない。然るに家族制度の枠内の老人は子の成長、孫の成長を楽しむという生き甲斐をもつことができる。どちらがいいかは、議論の外であろう。

 日本では戦後、ニューディール派の改革で姦通罪というものが外されてしまった。これも家庭の不和を増長させる重大な要素であると考えられ、家族制度の破壊を狙ったのものであると私は考える。ユダヤ人の社会では、現在でも姦通ということはまずあり得ないのである。十戒において厳に禁ぜられているからである。

 外国の例を見ると、やはりロシア革命後の婦人国有化政策を上げねばなるまい。レーニンは「家庭は利己主義の砦である」といって、婦人を全部社会へ出してしまった。現在のソ連で依然として女性が男性と同じ肉体労働までしているのは、その名残なのである。別章で説明するが、日本人の皆様には驚きかも知れないが、レーニンはユダヤ人なのである。女性の社会への進出というとなにか進んだ制度の如く感じるかも知れないが、家族制度という観点から見た場合、これもやはり崩壊へ導く要因であるようである。このへんのところは日本国憲法の内容と密接な関係があるので、そちらでまた述べることにする。 

 ●義理人情は世界に類なき美徳

 次に我々ユダヤ人が是非学びたいと思うことに、日本の戦前にあった義理人情という美徳がある。武士の国日本では、他民族では絶対にもちえない繊細な心の機微というものがあった。本能的な西洋人には想像もつかない深遠な人間性の発露である。私は、この義理人情が究極点として天皇制に到達するものと考えている。

 私の大好きなものの一つに大相撲があるが、ときどき「こんちわ相撲」ということを聞かされる。これを八百長相撲と表現する人もある。しかし私は、この表現は正しくないと思う。「貸し借り相撲」ともいわれる。この言葉はどちらともとれる言葉だが、「八百長」よりはましだと思う。つまるところ、日本の大相撲のそれは根本において義理人情から発しているものだという点を理解するまでに、私は相当の日月を要したのである。

 武士道的義理人情から発したものであったため、戦前ではこの「こんちわ相撲」のことは角界以外には決して知られていなかったものである。つまり、マスコミの好餌となる材料ではなかったわけである。義理人情から出た結果なら、戦前の日本人なら決してそれを追及せず、そっとしておいてやる雅量をもっていたと思われる。しかるに戦後、特に義理人情がほとんど失われた今日では、単純に汚い八百長と同次元に考えられることのほうが多いようである。

 ユダヤ人の社会には、日本ほどの義理人情というものは存在しない。しかし、同胞相助け合うという精神では日本の義理人情には及ばないものの、ある程度のものはもっている。少なくとも、欧米人よりは優れたものをもっていると思う。ユダヤ人はよく「感動の民族」だといわれる。これはビジネスにおいてもそうである。ふだんがめついと思われているユダヤ人でも、ちょっとした「感動」により時には利害を忘却したのではないかと思われるようなことがある。

 決して恩に着せるわけではないが、この点に関する格好の例として我々ユダヤ人が自慢できるものがある。それは日露戦争の時、クーン・ローブ商会のヤコブ・シフが高橋是清と会って外債を引き受けたことである。

 日本の勝利を予想した者がだれ一人いなかった日露戦争で、日本へ戦費の調達を考慮する者があろうはずもなかった。英国など日英同盟の関係から知らん顔はしにくいと思われるが、例によって全く打算的な態度であった。

 ヤコブ・シフは、高橋是清と会っているうちに、いうにいわれぬ感動に陥ったのである。勿論シフには、ユダヤ人を迫害しているツァーを倒したいという考えも強く作用していたことは事実である。しかしそれにしても、必敗と予想されていた日本へ計算高いといわれるユダヤ人が何故に金を貸すのか。常識ではあり得ないことである。そこには、日本の義理人情に匹敵するユダヤ人の「涙」があったことを是非ご理解頂きたいと思うのである。現在でも日本人とユダヤ人との商取引においてこのような「感動」の商法が行なわれている実例は、しばしば見受ける。ユダヤ人はこの「感動」をさらに高めて、日本の戦前の義理人情にまで高めたいと思っている。よろしくご指導願えれば幸甚の極みである。

 次にユダヤ人がすばらしいと思うものに、戦前の武士道精神がある。ラビのトケイヤー君も『日本人は死んだ』の中で「軍国主義のすべてが悪いとは思わない」という意味のことを書いているが、戦前の軍人精神というものは人間性の発露として至高のものであったと思う。個人の利害を忘却して全体のために奉仕するということに対するあれほどの完全さは、他民族には決して見られないものである。特攻隊員がその最たるものであることは、いうまでもない。また、日露戦争以来、日本の陸海軍はいたるところで武士道精神を発揮してきたことは世界中から尊敬されている。

 ●「男は度胸、女は愛嬌」は男女の天分を表わすもの

 その他では、戦前の日本人には「男は度胸」「女は愛嬌」という言葉があった。これは皆様も欧文に翻訳する時困った経験をお持ちであろうと思う。この「度胸」「愛嬌」に相当する欧米語が見当たらないからである。しかしこれは当然のことである。何故なら、この両者は欧米人の男女とももち合わせていないのであるから。

 これは全くすばらしいものであると思う。男女の天分の顕著な発露であり、人間を最も個性的に飾るものとして、例のないパーソナリティである。男の「度胸」という点で、戦争中、「アメリカ兵は白兵戦になると赤ん坊のように声を上げて泣きだすのだ」と聞かされた銃後の日本人は、キョトンとして信じられないといった表情だったのだ。まさかいくらなんでも、兵隊たるもの、戦地で泣き出すなんて大げさな話だろうと考えたのである。これは、当時の日本人なら無理からぬ話である。然るにである、これは全くの事実なのである。つまり、アメリカ兵には「男の度胸」というものが備わっていない。「女の愛嬌」の問題にしても、戦前外遊した人々は欧米の女性に愛嬌がないという点を指摘していたものである。これは無論、今日でも変わらない。戦後の若い世代の日本人には、もはやこんなことを感ずる余地はないようである。この両者を戦後完全に失ってしまったからである。

 これら多くの戦前の日本人がもっていた世界に類い稀な美点、長所は、我々ユダヤ人の理想を具現化したものであったのだ。しかるに第二次大戦の終結を機として、これらが完全に失われてしまったのである。真に残念というほかない。

 今回私がどうしても本稿の筆をとろうと決意したのは、これら類い稀な人類の財産ともいうべき長所を喪失せしめた責任が実は我々ユダヤ人にあるということを率直に認め、深くお詫びすると同時に、我々の犯した過ちがいかなる思考、動機から惹起されたものかという点を詳しくご説明させて頂いて、一日も早くこれら美点を復活させて頂きたいと思ったからである。何度も繰り返す如く、これらは我々ユダヤ人の理想でもある。これらを積極的に自己の理想といえるのは日本人の他にはユダヤ人しかありえない、とはっきりいえると思う。どうか、尊敬する日本のみなさま、これから私が解き明かすことをじっくりと検討され、戦後の病巣、社会的混乱、経済と精神衛生面の跛行性の原因をよくお考えいただきたいのである。

 ●西欧追随は文化の退化をもたらす

 ただここでちょっとと申し述べておかなければならないのは、これら戦前の日本にあった類い稀な美点が戦後100%失われたということではない、ということである。それはどういうことかというと、日本の社会の内部では、つまり日本人の間ではこれら美点が失われているのを認めなければならないが、日本人が外人に対するときはまた別の話だということである。つまり、国際的には日本人の美点は存分に生かされているということである。比較文化論的に考察するに、日本人は西洋人一般よりも理性的にはるかに優れているといえよう。今まで述べた戦前の美点もつまるところ、日本人が理性的に西洋人をはるかに凌駕しているということに他ならない。この点で西洋人が日本人に追いつくには数世紀、いや数十世紀、あるいは永遠に追いつくことができないのかも知れない。こういう相手とつき合う場合、否応なしにこの地球上で生存するためには付き合わなければならないが、このことがどういう結果になるかということである。

 日本人は「国際性」という場合、100%西洋のペースに日本人が適応することというふうに考えているようであるが、これは人類の文化の退歩を招くことであり、断じてそうあってはならない。これは全く逆立ちしている。西洋人こそ日本人に適応させなければならない。何故なら日本人の理性の方がはるかに西洋人のそれより進んでいるのであるから。ところが、西洋人は未だそんなことなど全く理解していない。はばかりながら、我々ユダヤ人はそのへんをおぼろげながら理解できると自負している。この点でも、ユダヤ人が一般西洋人より進歩した民族であると認めていただければ無上の光栄なのである。この点が逆になったため、大東亜戦争は起こったのである。日本はなんとか戦争を避けようと、全くの善意から必要以上の譲歩をした。ところが相手は、その譲歩を全く単純に弱さの現われとしか取ることができなかった。この理性的なものの差は、数世紀やそこらで埋まるものではないと私は考える。残念ながら、現在の人類の理性の水準では、西洋人側の単純極まりない思考法が表通りを大手を振って歩いているのである。これでは人類の進歩はあり得ない。〈中略〉

 ●ユダヤ人は日本人を理解できる唯一の外国人

 我々ユダヤ人は、この逆説をひっくり返すために最大限の努力をする覚悟である。例えば、東西のかけ橋になるとか……。その他、個人的交際においても日本人は対外人となると古来の伝統的美徳を完全に発揮している。しかしそれに対して一般外人は、これを全く理解する能力がないといわねばならない。このため、日本人はどれだけ損をしていることか。私は、このようなことがいつまでも続くことを耐え忍ぶことはできない。手前勝手なようだが、ユダヤ人はこの日本人の特性をある程度理解でき、したがってそれなりのお返しを日本人にできる唯一の外人であると自負している。

 私は結論として、当分の間日本人は外人に対して美徳を与えることは差し控えて、外人以上の低次元の感情的、非理性的、本能的な態度でもって外人に接するべきではないかと考える。そのような美徳は何もわからない外人にタダで与えるより、日本人のコミュニティの中で一日も早く復活させるべきではなかろうか。私はそう考えるのだが、しかし現実には日本人はなかなかそういうふうに割り切れないということも十分知っている。割り切れないということが、またしても日本人の理性的高尚さの証左であろう。どこをどうつついても、西洋人は日本人には頭が上がらないのである。

 ●麻雀の「ツキ」を理解できるのはユダヤ人だけ

 外人は麻雀は分からんだろうと日本人は思われるかも知れないが、どうしてどうして、さにあらずである。我々ユダヤ人は麻雀が大好きなのである。在米ユダヤ人で麻雀のことを知らない者はない、といっていいだろう。また、アメリカに雀狂が意外に多いのを発見して驚かれる日本人が多いが、彼らはまずユダヤ人だと思って間違いはない。もともとは、上海のユダヤ人グループがアメリカへ広めたのがことのおこりである。私も上海時代におぼえたのであるが、日本でいま一般的に行なわれているルールの中で、ユダヤ人が創った役が2つあるのをご存知だろうか。「七対子」と「緑一色」がそれである。三枚一組を原則とする麻雀の本質からすれば、二枚一組の七対子は中国古来の役でないことはすぐ分かるであろう。また役満の緑一色も役満としての本来的意義はない。大三元にしろ四喜和にしろ、それぞれ三元牌全部とか風神全部といったヴァイタルな意義がある。ユダヤ人が創った緑一色にはそのような意義はない。いわば風流役とでもいったらいいだろうか。いずれにせよ、これらが日本ですんなり受け入れられて人気役になっているのははなはだ嬉しいことである。

 西洋人が麻雀を理解できないのは「ツキ」というものを理解できないことにつきる。だが、ユダヤ人は「ツキ」を理解できるのである。「ツキ」にこそ麻雀の面白さは集約されているのである。理屈で麻雀を考えるほど、ユダヤ人は野暮ではないのである。また、よくいわれる「引きが強い」というのも分るのである。技術的に秀れた者、つまり強い者ほど「引き」も強いようである。これを理屈で説明しろといっている間は、西洋人は決して日本人というものを理解できないであろう。これは決して論理の飛躍ではない。その証拠には日本の戦前の良さを理解できるユダヤ人は麻雀の面白さも十分分かるではないか。


 第2章:二元論的思考法──典型的なユダヤ的思考パターン

 ●なぜか語られない二元論的思考パターン

 最近、若い同胞が一人前の顔をして能書きをたらたらたれているようである。その大部分は、ユダヤ的思考法をすべからく日本人たるもの学べ、といったもののようである。私はこの恥知らずな若い同胞のことを考えると、全く穴があれば入りたい心境である。彼らは日本についてあまりにも無知であるのみならず、ユダヤ思想のなんたるかについても全く教育されていないのである。だからこそ、かくの如き恥さらしが平気でできるのであろうが。彼らが決して触れないものに、二元論的思考パターンというものがある。

この思考法を知らないなら、もはやユダヤ人とも呼べないだろう。そのくらい大切な思考法が、これから述べる二元論的思考パターンなのである。現在、日本に限らないが、我々のあらゆる面における思考パターンの典型として支配的要素となっているのが、この二元論的思考法なのである。

直接、間接を問わず、この思考パターンはユダヤ教の思想から来たものであるということを知っていただきたいのである。

現在まで日本人は日常のあらゆる面でこの二元論にはまっているのであるが、残念なことに、ほとんどそれを意識していないのではないかと思われてならない。

ユダヤ人の思考法で最も基本的なものに、二元論と呼ばれるものがある。論理学的には二値論理といわれるものである。ユダヤ人は両建て主義ということが多いようである。

この二元論というのは、絶対に相容れない両極端の対応物を設定することから始まる。しかも宗教民族らしく、この二元論は多くの場合、倫理的要素が混入されているのである。したがってこの二元論は、善悪二元論、時によっては明暗二元論など、いろいろいわれよう。〈中略〉

 ● ○×式思考法はユダヤ人が作った

 戦後、教育界に最初に持ち込まれたものに、○×式思考法がある。この思考法も見て分る通り、二元論の典型的なものである。これを最初に社会に持ち込んだのはルーズベルト政府、つまり、ニューディーラーである。1941年、アメリカが第二次世界大戦に突入した結果、国家総動員ともいうべき戦時体制に飛び込んだのをチャンスに、ルーズベルトはまず教育界というより一般産業界に持ち込んだのであった。

 産業界では、戦時体制生産のため労働力の飛躍的増強が要求された。そこで大量の労働者、技術者の募集が始まった。その際これら労働者、技術者その他の採用試験には従来の如き主観に基づく要素の多い問題形式では間尺に合わない。採点作業のスピード化のため、思い切った客観法に基づく採点方法が焦眉の急であるというのが、この○×式を持ち出す時の理由づけであった。

 教育界へ本格的に持ち込まれたのは、日本が最初である。戦後の日本の教育界にとっては、アメリカの産業界の緊急動員体制時の如き採点のスピード化といったことは、理由にはならないはずである。そこでつけた理屈が、主観主義の排除ということであった。つまり、科学的、客観的ということである。

 しかし、その裏に創造的能力を奪うという大きな問題点を含んでいることは、何故か表面には出なかった。この点は、最近のアメリカ教育界で大問題になりつつある。アメリカの教育界でも、この○×式試験が大手を振ってまかり通っているのである。

 日本でも戦後一時期、大学受験生に進学適性検査、通称進適といわれるものを実施していたが、現在のアメリカでは「全米共通進学適性試験」=SATといわれるものが1947年から実施されている。この○×式を標準化テストと称している。そして全米共通という標準性と比較の単純性、能力の客観的評価の正確性に秀でていると理由づけられている。

 これに対してこの○×式に批判的な人々は、創造的才能をもつ者に不利だと急所をついている。5つの答の中から選ぶとすれば確率はすでに5分の1であり、目をつぶってやっても5問に1問は当たる。これを科学的というのだろうか。さらに問題は、設定された答の中からしか答を出せないことである。そこに設定されたものが全てと考えることは創造的才能をもつものにとってはこの上ないつらいことである。

 また、これだけの手段で人間本来の才能、判断力、リーダーシップ、組織力、表現力、意志の強靭性などが正確にはじき出されると信じることができようか。 ルーズベルト政府が第二次大戦中、この○×式を採用した時、ニューディーラーの真の目的は創造力を奪うことであるという声が強かったことが思い出される。もし何らかの目的をもって意識的に広められたのだとしたら、これは恐ろしいことではないだろうか。日本においては、戦後の思想界に支配的に君臨したマルクス主義の影響もあり、この思考パターンにすっかりとりこにされてしまっているというのが現状であろう。GHQを支配していたニューディーラーはいろいろな二元論的思考を戦後の日本へ植え付けたのであるが、教育界へ持ち込まれたこの○×式思考法により育てられた現在の中堅クラス以下の多くは社会、政治、経済その他あらゆる面でこの○×式教育を忠実に反映した思考法により諸現象を分析することにすっかり慣れているようである。「保守」か「革新」か、「大企業」か「国民大衆」か、「戦争」か「平和」か、「経済成長」か「社会福祉」かなど、二元論花ざかりである。これらを持ち出しているのが共産党、社会党といったマルクス主義を絶対的な世界観、あるいはそれに類する思考をする政党であるからには当然というべきかも知れない。何故なら、後で説明する如く、マルクス主義は二元論から成り立っている虚構論理なのである。この○×式思考法なくしては、「革新」政党たるもの、今日まで生きのびることは不可能であったかも知れない。〈後略〉


 第3章:日本人の知らない東京裁判の本質

 ●「大東亜戦争」と「太平洋戦争」

 日本の首相は、国会などで共産党、社会党から大東亜戦争責任論を質されると、おおむね、「後世の史家の判断にゆだねられるべきもの」という意味の答弁をするのを常としているようである。これは日本の一般ジャーナリズムの東京裁判の宣伝をほとんど鵜呑みにして、日本が戦争責任の火の粉をかぶるのが当然であるといわんばかりの軽挙からみれば、主体性のある態度といわねばならない。

 ここで一つ是非注意しておきたいことは、「太平洋戦争」という言葉である。日本には本来この「太平洋戦争」という言葉は存在しない。これは勿論、戦後占領軍がそれこそ押し付けたものである。戦後、いろいろな方面から大東亜戦争に関する歴史書が出ているが、その中に「太平洋戦争」という言葉で語っているものが如何に多いことか。これではその歴史書はアメリカ側の立場に立って全て書かれたものと考えられて致し方ないのであるが、著者達はそれで満足なのであろうか。問題はそれだけではすまない。日本の歴史には「太平洋戦争」という戦争はないのである。あったのは「大東亜戦争」である。よく考えてみる必要がありはしないか。これは明らかに歴史の偽造に他ならない。「日中戦争」然りである。あるのは「支那事変」である。戦後史の跛行性という点で戦後日本は真の日本歴史の構築を放棄したのではないかとしばしば指摘されるのであるが、これでは戦後からではなく昭和16年の時点からすでに、日本歴史の真の構築を放棄していたことになりはしないか。占領中そういう呼び名を強制されていたのは止むを得ぬかも知れないが、今日に至るも依然としてそれから脱脚できないのはどういうわけか。これは、ジャーナリズムが依然として「太平洋戦争」という言葉を使用していることに関係ないことである。日本人自身の問題である。憲法とは違って、改正の手続の問題もない。ただ正しい歴史観の認識の問題のみである。〈中略〉

 ●ゲッベルスは戦後日本の予言者だったのか

 ドイツのゲッベルス宣伝相は、ドイツ国民に与える警告として次のような内容の文書を1934年に公布している。「それは、非常に強大な超国家的勢力が、文明の破壊にもつながる心理戦、神経戦を挑んできている。これに対してドイツ国民は十分警戒せねばならない。この心理戦、神経戦の目的とするところは、人間の純度を落とすことにより現存する国家を内部からむしばんでいこうとするものである」

 ゲッベルス宣伝相が挙げたこの超国家的勢力の狙いとする心理戦、神経戦とは次の如き大要である。

「人間獣化計画」

愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視、3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)、無気力・無信念、義理人情抹殺、俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定

 以上の19項目をつぶさに検討してみた場合、戦後の日本の病巣といわれるものにあてはまらないものがただの一つでもあるだろうか。否、何一つないのを発見されて驚かれるであろう。ゲッベルス宣伝相は、戦後の日本に対する予言者だったのであろうか。

 戦後生まれの人たちにはピントこないかも知れないが、これらは正常な人間の頭で判断すれば人類の文明の破壊につながるものであることは一目瞭然である。人間の純度を落とし、本能性に回帰させようというものである。ゲッベルス宣伝相が警告を発した第二次大戦前の時点でどれだけの人がこれを真に人類の文明への挑戦として脅威的に受けとったかは分らない。しかし第二次大戦が終わってみると、日本へはこれら一連の風潮が忍者の如く忍び寄って完全ともいえるほどに定着してしまっていたのである。これらを戦後日本へ持ち込んだのは一体何者なのか。また、これらがこれほど完全ともいえる状態で日本に定着したのは何故か。

 話を戻してみよう。精神衛生面の虚無性が何故に経済の高度成長をバックアップするのかという疑問も前述の19項目をみると直ちに理解されると思う。これらが日本人の間に巣喰ってしまうと、楽しみはただ「カネ」ということにならざるを得ないであろう。つまり、すべてを「カネ」のために、という思想が強烈なものにならざるを得ないのである。いわゆるエコノミックアニマルの徹底ぶりである。ここにエコノミックアニマルと、「アニマル」なる語が使われているのは、ゲッベルス宣伝相の警告にあった「人間獣化」と一致していて面白い。エコノミックアニマルという言葉は、パキスタンのプット外相(のち大統領)が言った言葉だが、急所を突いていると思う。高度成長のほとぼりもさめた今日、日本人が真剣に取り組まなければならないのは、この精神衛生面の虚無性である。志ある人々は皆、日本はこのままでいいのかと憂えている。

 何故、前述のゲッベルス宣伝相の警告にあるような思潮が今日の日本に定着してしまったのか。また一体誰が巧妙に持ち込んだのか。持ち込んだ時期は終戦後のどさくさにまぎれてのことであるのは誰にでもわかることだが……。

 さらに、忠実な残置諜者とでもいうべき、これら病巣をタブーとして固持、培養している勢力は何か。その勢力とこれを持ち込んだ勢力との関係は如何。今日の日本にとって最も大切なことはこれらを解明することではあるまいか。さらに、これらの病巣の残置諜者たる勢力が金科玉条としている日本国憲法の作者は誰か。この日本国憲法の隠された狙いとは如何なるものか。そのルーツは。これらの諸問題にメスを入れることは今日の日本にとって焦眉の急といわねばならない。

 これらの病巣のコーディネーターの役割をしているのが日本国憲法であることは何ら疑いを入れない。しかしもう少し考えてみると、この日本国憲法を持ち込み残置諜者を利用してタブーの網を張り、信仰という宗教的呪縛性でもって、あたかも千古不磨の大典の如く日本国憲法を最大限に活用している勢力は一体何なのか。さらに、この日本国憲法を最大限に利用するため準備行動として東京裁判という予行演習を演じていることも見逃せないことである。

 ●東京裁判は単なる復讐に非ず

 東京裁判は、日本の戦後史の始まりである。今日までのこの東京裁判に関する分析、評価は、残念ながら、初歩的な感性的認識の域を一歩も出ていないようである。現在まで一般に考えられているのは「復讐の儀式」と形容されるものの類いである。これはインドのパール博士の意見等を踏み台にしたものであろう。一面の真理を突いたものであることは確かである。〈中略〉

 「復讐の儀式」という説をとる場合、説明として出されるのが植民地を失った帝国主義国の復讐ということであるようだ。確かに、シンガポールの敗軍の将パーシバル中将がフィリピンでの山下将軍の裁判の席へ招かれている。これこそ、真に復讐以外の何物でもなかろう。パーシバルは、フィリピン戦線の山下将軍とはなんの関係もなかったのであるから、このような点を見せつけられると、なるほど「復讐の儀式」説も分かるというものである。だがしかし考えてみると、帝国主義の植民地喪失の復讐といった場合、主役のアメリカは当てはまらない。アメリカは植民地を何ら失っていないからである。なお、フィリピンはルーズベルト政府の時代から安上り支配のためには名目上の独立を与えた方が得策として独立を認める予定になっていたものである。

 ●なぜ満州事変以後が侵略戦争なのか

 さて、この東京裁判の結論で非常に奇妙なことが一つある。裁判の本質にメスを入れる前にこの点を明確にしておくことは重要である。この裁判の結論は、満州事変以後を「日本帝国主義」の「侵略戦争」であるとしている。林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」に面白いことが出ている。それは、ある共産党員が日露戦争を侵略戦争と規定すべきかどうか迷っているという意味のことである。これは彼の主体性のなさを物語る格好の証左であるが、また非常に重大なる問題提起でもある。何故、満州事変以後が侵略戦争で、日露戦争、シベリア出兵、第一次大戦は「日本帝国主義」の「侵略戦争」ではないのか。これは奇妙なことではないか。その理由はハッキリしている。これら満州事変以前の戦争が米英仏等の利害と衝突しないからである。否、むしろ利害が一致していたのである。日露戦争は「英露戦争」とも欧米では呼ばれているぐらいである。帝政ロシアの南下政策に脅威を感じた英国は、帝政ロシアの南下を防ぐものとして日露戦争を歓迎していたものである。日英同盟を結んだのも、その意味で考えればよい。

 またシベリア出兵こそ、その意味では日本を攻撃するのに最も好都合な材料かも知れないが、これも侵略戦争という刻印を押しづらい。何故か。アメリカも出兵しているからである。第一次大戦はどうか。これはもう地中海まで日本海軍はイギリスのためにお付き合いしているのであるから、文句のいいようがない。結局、これらの戦争に関して日本を悪玉に仕立てようと試みると、欧米列強自身も火の粉をかぶることになりそうである。上を向いてツバをはくことになる。一方、満州事変、支那事変、大東亜戦争は議論の余地なく、米英仏等と利害関係が対立するものである。これを徹底的にとっちめない法はない、ということである。

 今、米英仏などと国家単位で述べたが、この稿の目的とする超国家的勢力を主役とする歴史観からするとやはりこの大勢力との利害の衝突、利害の一致の問題が、前述の国家単位の歴史観とピタリと重なるのである。この点、どちらから説明しても同じである。しかし後に述べるように、超国家的勢力を主役とした歴史観の方がより正確な史実の分析が可能であるということである。

 この超国家的勢力は近世史を事実上動かしてきたものであるが、日露戦争においても日露両方へ資金援助をしているのである。この勢力が得意とする両建て主義である。別名、釘抜き戦術ともいわれる。つまり、釘抜きのごとく両方からはさむという意味である。この勢力は、日露戦争を大歓迎していたのである。その理由は、ツァーの打倒を至上目的としていたことにある。これでは、いくらなんでも日露戦争における日本を侵略者とはいえないであろう。

 さて次なるシベリア出兵問題は、大変複雑である。これは従来の教科書的歴史観にとらわれていては、何がなんだかさっぱりわからないであろう。まずロシア革命といわれる事件であるが、これをプロレタリア革命などといっていたのではお話にならない。これは当時の欧米の新聞論調が皆「ロシア・クーデター」と呼んでいる如く、欧米の新聞のほとんどはこの大勢力の支配下にあるのであるが、単に首がすげかえられただけである。ツァーからこの大勢力ヘ。したがって、日本がシベリアへ出兵したということは共産主義革命を叩きつぶすためということにはならない。これら大勢力に対する挑戦ということになるはずである。そうとあれば、東京裁判の主役たるこの大勢力の怒りを買い侵略戦争というレッテルを張られること必定と思いきや、事実はさにあらずというのが実情である。では何故このようなことになるのか。それはアメリカも参加していたことに原因がある。アメリカのウィルソン大統領は日本が出兵を宣言するや、その翌日に早くもアメリカの出兵を宣言しているのである。中立主義、孤立主義の風潮の強い当時のアメリカが何故直接ほとんど利害関係のないシベリアへ出兵したのか。利害関係があるというのなら話は全く別であるが、事実アメリカはカムチャッカの割譲を熱心に希望していたのであるが、それはさておき、アメリカの参加の真の目的はボルシェヴィキの援助なのである。

 重複をかえりみず説明すれば、このアメリカ遠征軍には奇妙なことに英語の話せない米兵が多数いたのである。これらの米兵、実はポーランド出身のユダヤ人なのである。つまり、隣にあってたえず自分達の脅威であったツァーを打倒したのであるからこれを永続させねばならない。つまり、ボルシェヴィキを援助しなければならない。それがポーランドのユダヤ人が米軍に参加した理由である。とにもかくにもアメリカ自身はるばる兵を出しているのであるから、日本を侵略者と呼ぶことはさすがに気がひけるのであろう。以上で、満州事変以後を日本の「侵略戦争」と呼ぶ理由をお分かりいただけたと思う。

 ●階級闘争史観の持ち込み

 さて、このへんから東京裁判の本質にメスを入れることとしよう。この東京裁判は日本の戦後史の始まりというにふさわしく、非常に深い意味をもっている。戦後日本の価値感覚その他が戦前と180度の転換をみせたといわれるが、その原点はこの東京裁判にある。

 マルクス主義階級闘争史観というものが観念的には大正時代から移入され、日本国内のインテリの間でいろいろ論議されてきたものである。しかし、これらは現実の問題としては何ら国民に影響を及ぼすものではなかった。しかるに、東京裁判によって持ち込まれたマルクス主義の階級闘争史観は、この裁判に続く日本国憲法の持ち込みによって日本国民の価値観を180度転換させるまでの大きな影響を及ぼすことになった。東京裁判の本質はマルクス主義の唯物史観における「階級闘争論」の持ち込みにこそある。この二元論の持ち込みにより、以後、日本の内部は収拾のつかないような内戦状態に陥ることになったのである。

 もともとこれを持ち込んだ勢力の目的とするところは、唯物史観にある如く国家を内部闘争により破壊、転覆させることにあるのであるから、当然の帰結であるといえよう。東京裁判は先ずそのような思考パターンを植えつける目的に利用されたものであり、それに続く日本国憲法の持ち込みにより階級闘争史観という二値論理に市民権を与えてしまったということができるであろう。

 それでは、東京裁判によって演出された二元論的思考の植え込み、階級闘争史観の設定の現実を見てみよう。その方法は、日本国民を二極分化させることから始まる。即ち、マルクス主義の階級闘争史観は、すべての歴史は支配階級と被支配階級の間における階級闘争の歴史であると主張するものであるのはご承知の通りであるが、この論法を持ち込むのである。

 ●善悪二元論の持ち込み

 今度の戦争は日本の支配階級、「天皇制軍国主義者」の起こしたものであり、被支配階級である大多数の日本国民に責任はない、否、むしろ被害者である、一握りの天皇制軍国主義者にだまされていたのである、とする二極分化論である。この論法はかつて北京を訪れた日本の各層の人々に故周恩来首相が常に口にしていた論法と同じであることからも、これがマルクス主義の階級闘争史観であるということはご理解頂けると思う。

 この勢力はマルクス主義を自己の目的のため手段、道具として利用する勢力である。日本の戦後支配の出発点において早速、自己が創造したマルクス主義という虚構仮設を持ち込んだのであった。これは実に有効な手段、道具として役立ったのである。

 その第一は、自己の戦争責任の免責である。(本格的な戦争責任論は稿をあらためる予定である)自己が火の粉をかぶる前に、その責任を日本の「支配階級」、すなわち「天皇制軍国主義者」に転嫁することに成功している。しかも、以後自分達に追及の手がのびることのないよう、一般日本国民に対しては一見寛大とも錯覚させる被害者意識を植えつけることが可能なわけである。

 つまり前述した故周恩来首相のたびたびの言の如く、責任はあげて「天皇制軍国主義者」にある、日本国民に責任はない、否むしろ日本国民は被害者である、とする論法である。こういわれると、日本国民は戦争責任者の追及はすでに終わったと錯覚する。それというのも、日本国民自身が免責されているのであるから、この論法は耳ざわりのいいことこの上ない。かくて、日本国民は以後すっかり戦争責任は一握りの「天皇制軍国主義者」にあるとの論を植えつけられ、真の責任者の追及を放棄したのである。

 マルクス主義というものは、これを手段として有効に利用するものと、逆にこれに利用されるものとの二者があるのである。前者が後述するニューディーラーであり、後者が日本共産党である。 ニューディーラーは実に巧妙に階級闘争史観を駆使し自己の戦争責任の免責に成功したかに見えた。果たしてそううまく事が運ぶものであろうか。ここに、この勢力の予想だにしなかった事態が起こるのである。この勢力の駆使するのは正真正銘のマルクス主義の唯物史観に基づく階級闘争史観である。その証拠をあげてみよう。それは日本共産党が戦前から主張していた講座派史観とピタリと一致することである。もともとこの勢力こそ、マルクスに変革のための虚構ハイポセシスの構築を依頼した張本人なのである。

 ●講座派史観と一致──日共が飛びつく

 さて、この勢力が東京裁判へ持ち込んだマルクス主義の階級闘争史観が戦前からの日本共産党の講座派史観とピタリと一致するということから、当然のことながら日本共産党がこの東京裁判の結論にとびついて来たわけである。 日本共産党の講座派史観からすれば、よくぞ我々のやるべきことを代行してくれたといいたいところであろう。かくて、GHQの前で赤旗を振り、「万歳」を叫ぶことになる。ところが、前述の勢力は日本共産党という協力者が現われたためそれに足を引っぱられ、東京裁判でまんまと成功したかに見えた自己の戦争責任の免責を危うくされる破目に陥るのである。

 この勢力の構築した虚構仮設を自己絶対化することをその存在理由としている日本共産党は、忠実に戦争責任を「天皇制軍国主義者」であると主張している。ところが日本共産党が世界観と仰ぐ唯物史観によると、戦争の要因はその社会体制の中に存する経済的要因により起こると説く。資本主義体制では必然的な戦争要因を内蔵している。しかし社会主義、共産主義体制に転化するとその必然的戦争要因は完全に除去されると説いている。しかも、その資本主義体制から社会主義、共産主義体制への転化は歴史的必然性であるという。その歴史的必然性を具現化する唯一の前衛が日本共産党であると一貫して主張している。

 日本共産党が前衛としての本来的な責任を果たし日本を資本主義体制から社会主義体制へ、歴史的必然性という有難い要因の応援も得て転化させていれば、戦争の要因は完全に除表されていたはずである。極論すれば、開戦の責任は一にかかって、日本共産党の無力と東京裁判を演出した勢力の側の怠慢という論理も成り立つのである。

 マルクス主義は協力者を募るためにこの勢力が発注したものであったが、ロシア革命の時の如くうまく協力者としてのみ働いてくれるものが現われれば万万歳だろうが、時には飼い犬に手をかまれる結果となることもあることを知らなくてはならない。

 もう一度整理すると、日本共産党が東京裁判の結論に両手を挙げて賛意を表したために、唯物史観の論理上から「天皇制軍国主義者」が戦争の全責任という彼らの狙いは揺らいできた。このことは、東京裁判そのものに対しても打撃であろう。少なくとも、日本共産党の講座派史観と全く同じ論法を東京裁判に持ち込んだこの勢力は、今日、自己も無関係とはいっておれまい。

 さて、それでは東京裁判を通じて日本へ持ち込まれたマルクス主義の階級闘争史観は日本の戦後史へどのような影響を及ぼしたかをつぶさに見てみることにしよう。

 ●深い後遺症

 東京裁判の論法はすでにたとえ戦争責任については逆転されたとしても、深堪なる影響を日本の戦後史に与えてしまっている。まず第一に、日本の社会へ階級闘争を持ち込んだことである。これは、続く日本国憲法へ実体法のカテゴリーに属す条項を挿入することによって、確固たるものとして定着させられてしまっている。この階級闘争もさることながら、より大きい病巣は宗教性の呪縛であろう。前述の東京裁判式の論法は、善玉・悪玉論理をはぐくむことになる。戦争責任はあげて一握りの支配階級たる天皇制軍国主義者にある、大部分の国民はむしろその被害者であるとする論法は、先ず第一に戦争責任者を国外に求めることを忘れさせる効果をもつ。また、これにより旧敵国がいかにも雅量のあるものわかりのいい寛大な存在に映り、以後の占領政策をやりやすくする効果をもつ。

 しかしこれらよりも大切なことは、支配階級というものは常に悪玉であるとする思潮が生じることである。それに対して自分達は被害者、すなわち善玉なのだと信じ込ませる作用をもつ。ここにユダヤ教的善玉・悪玉の二値論理が持ち込まれることとなる。こうして、悪玉、すなわち「天皇制軍国主義者」に「支配」された戦前の日本はすべて悪であるとする観念が生じる。逆に自分達を被害者=善玉と規定してくれたアメリカ占領軍の以後の政策をすべて善と感じるであろう。

 さらに、支配階級というものは常に悪玉であると教え込まれると、戦後の政権担当政党も支配階級の代弁者であるから当然悪玉である。故に、これにことごとく反対することは善玉の崇高な使命であると信じ込まされることになる。今日みる如く政権担当政府のやることには何でも反対する思潮は、このようにして東京裁判を通して巧妙に持ち込まれたのである。そうして、これらを確固不動のものにするため日本国憲法を作成し、その残置諜者として日本共産党を利用することになるのである。次なるものはいよいよ日本国憲法ということになるわけである。

 ●なぜ満州事変以後が侵略戦争なのか

 さて、この東京裁判の結論で非常に奇妙なことが一つある。裁判の本質にメスを入れる前にこの点を明確にしておくことは重要である。この裁判の結論は、満州事変以後を「日本帝国主義」の「侵略戦争」であるとしている。林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」に面白いことが出ている。それは、ある共産党員が日露戦争を侵略戦争と規定すべきかどうか迷っているという意味のことである。これは彼の主体性のなさを物語る格好の証左であるが、また非常に重大なる問題提起でもある。何故、満州事変以後が侵略戦争で、日露戦争、シベリア出兵、第一次大戦は「日本帝国主義」の「侵略戦争」ではないのか。これは奇妙なことではないか。

 その理由はハッキリしている。これら満州事変以前の戦争が米英仏等の利害と衝突しないからである。否、むしろ利害が一致していたのである。日露戦争は「英露戦争」とも欧米では呼ばれているぐらいである。帝政ロシアの南下政策に脅威を感じた英国は、帝政ロシアの南下を防ぐものとして日露戦争を歓迎していたものである。日英同盟を結んだのも、その意味で考えればよい。

 またシベリア出兵こそ、その意味では日本を攻撃するのに最も好都合な材料かも知れないが、これも侵略戦争という刻印を押しづらい。何故か。アメリカも出兵しているからである。第一次大戦はどうか。これはもう地中海まで日本海軍はイギリスのためにお付き合いしているのであるから、文句のいいようがない。

 結局、これらの戦争に関して日本を悪玉に仕立てようと試みると、欧米列強自身も火の粉をかぶることになりそうである。上を向いてツバをはくことになる。一方、満州事変、支那事変、大東亜戦争は議論の余地なく、米英仏等と利害関係が対立するものである。これを徹底的にとっちめない法はない、ということである[中略]以上で、満州事変以後を日本の「侵略戦争」と呼ぶ理由をお分かりいただけたと思う。【引用終わり】


 第4章:日本国憲法はワイマール憲法の丸写し

 ●日本国憲法の作者はユダヤ人である

 ユダヤ人の一人として将来の日ユ関係のためにも、是非とも日本人の皆様の前に白日の下にさらしておかなければならない日本国憲法の本質についてご説明申し上げたいと思う。

 日本国憲法の評価について、日本国中は真っ二つに割れているようである。一方は、この憲法は占領軍の押しつけたものであり日本の実情になじまないという主張のようであり、もう一方は、これを絶対善として何がなんでも一指だに触れさせじと固持しているようである。私の見るところ、両者ともこの憲法の隠された深奥部にある本質を見抜いていないように思われる。前者の考えは一面の真理ではあるが、決して十分ではない。後者は論理的思考を欠く信仰の所産としかいいようがない。日本人はいまだ、この憲法の本質がユダヤ的思考の所産であることを全くご存知ないように思われる。これは不幸なことである。この憲法の本質を知るには、ユダヤ問題をもたない日本人にはあまりに距離がありすぎるのかも知れない。これはどうしてもユダヤ人が本質解明の道案内をしなければ、日本人は永遠にこの憲法のもつ強烈な宗教的呪縛力の桎梏のもとにあえぐことになるかも知れない。一ユダヤ人として、そうとあらば、このまま放置しておくにはあまりにも重大な責任を負わされているような気がする。何故なら、この憲法の作者はユダヤ人であり、そこに貫かれているものは第二次大戦終結時ではすでに極めて時代錯誤的なユダヤ思想だったのだ。いや、単に時代錯誤にとどまらないかも知れない。そこにもっと致命的な我々ユダヤ人の犯した誤ちがあったのだった。今日日本人の皆様がこの憲法に潜む矛盾から逃れる道は、この憲法の奥に秘められた本質をできるだけ早くつかむため、先ずそのルーツを白日の下に曝すことであろうと思う。私はこの憲法を一言で表現するなら、「往来で道を尋ねられた時、故意に反対の方向を教えるもの」といいたい。

 ●なぜ現代日本はワイマール体制末期のドイツと似ているか

 日本では最近とみに識者の間で、今日の日本はワイマール体制末期のドイツに酷似しているのではないか、といわれているようである。これは真に興味深いことであると思う。この原因は、ワイマール憲法と日本国憲法の類似性にあると思う。というより、日本国憲法はワイマール憲法の丸写し──しかもかなりずさん──であるといった方が正確であろう。ワイマール体制の支柱となったワイマール憲法は、ご存知の通り、ユダヤ人で内相も務めたフーゴ・プロイス以下3名のユダヤ人によって作られたものである。また日本国憲法はこれもご存知の通り、ユダヤ人ケーディスを中心としたGHQのニューディーラーによってわずか「2週間」という短日時に作られたものである。 

 さてドイツの場合、例の如く国籍別に全てを割り切って、エーベルトやプロイスもドイツ人、ヒトラーもゲッベルスもドイツ人といった感覚では真相は全くわからないであろう。このワイマール憲法が生まれたのも、2年前のロシア革命と軌を一にするものであり、前世紀のフランス革命から始まるユダヤ民族の反撃戦の一環であるという認識なくしては、本質の解明は不可能であろう。後進的なロシアでは暴力革命という手段に訴えて成功した。しかし資本主義が発達し代議制度も発達していたドイツでは、そうはいかなかった。しかしあらゆる努力の結果、とにもかくにもワイマール共和国というユダヤ政権を樹立したのは1%に満たないユダヤ人である。この体制を維持するため早速、憲法の作成にかかったのである。したがってその憲法の本質とするところは、いままでドイツ国内において差別されていたユダヤ人に対して彼らの権利を大幅に獲得させるものでなければならないはずである。また同時に、政府の要人のほとんどをユダヤ人で占めているワイマール体制というものをユダヤ革命政府として今後とも維持していかなければならないと考えたのは当然である。以上の目的のためユダヤ人が作成したのがこのワイマール憲法である。しかし、このワイマール憲法の作者ユダヤ人プロイス以下のユダヤ賢哲達は、教条主義に陥っていたといわねばならない。ワイマール憲法の最大の目的はユダヤ人にとって自己の中世以来の差別を撤廃し、平等権を確立することであった。この点は、以下に見る如く全てにわたって成功している。プロイスはそのへんまでで止めておけばよかったのである。とにもかくにも、ドイツ国民と平等な権利を獲得したのだから。

 しかしプロイスは、ここでちょっと色気を出した。それは、ユダヤ民族の反撃戦のプログラムの要蹄ともいうべき要素の指示するところを盛り込んでしまったのである。それは簡単にいえば、19世紀のプログラムであるマルクス主義から一歩飛躍した闘争方針の要蹄を指示するものといえよう。その一歩飛躍した闘争方針というのは、マルクス主義が経済的闘争の道具であるのに対して、これは神経戦、心理戦を主とした闘争の道具とするものといえよう。簡単にいうと、「人間の純度」を落とすことを狙いとしたものである。人間を闘争本能まるだしの動物的なものに回帰させるのを目的とするものであり、それにより既存の国家を内部から崩壊させようとするものである。それに対しては後にゲッベルス宣伝相がドイツ国民に警告する文書を公布している。この計画の手段となるのが、フランス革命の時用いた「自由」「平等」である。「自由」「平等」のスローガンは、またもや役に立つことになったのである。

 ただし、今回はフランス革命当時の如き、素朴に「自由が欲しい」、「平等が欲しい」といったものではない。この違いは、18世紀の未成熟社会と20世紀のドイツの如き成熟社会との差によって生じる。成熟社会における「自由」「平等」は調和を崩し、国内を収束のつかない混乱に導くものである。さらに「自由」と「平等」の2つの概念の非両立性によりその矛盾、混乱は幾何級数的に増大する。

 我々ユダヤ人は「自由」「平等」という言葉の裏にかくも恐ろしき毒素を含んでいたことをはっきり知らなかったのである。全く頭が悪いといわれても仕方がない。プロイスは、これをワイマール憲法に盛り込んでしまったのであった。これはまさしく、教条主義的態度であったといえよう。ワイマール体制というのは、すでに自分達ユダヤ人がとにもかくにもレーテ(権力)を握っているのである。自分達が直接君臨している国家では、敵(非ユダヤ人)に国家を突き上げる「自由」「平等」を吹き込むことは、上を向いてツバするが如き自己撞着であるはずである。つまり、自分達の政府の下で「自由」「平等」をかざして突き上げが起こっては、困るのは当然ではないか。しかるに、プロイスはこれを盛り込んでしまった。これは信じ難いほど頭が悪いといわねばならないだろう。さて問題は、これに対するドイツ国民の反応である。

 ●ワイマール憲法がナチズムを生む

 このワイマール憲法に対する闘争として起こったのが、他ならぬナチズムである。本来なら、ドイツ国民は内部分裂によって、その突き上げでワイマール政府を倒すことになるはずである。しかるに、ドイツ国民の反応はそれとは正反対に、完全無比な国民的統合の精神によってそのワイマール体制を倒したのである。 

 何故こうなったのか。賢明なドイツ国民は、真理に背くものを看破する能力をもっていたということである。「自由」と「平等」は非両立性をもつ概念である。その点をドイツ国民が見抜いた結果起こったのが、ナチズムなのである。有斐閣発行の六法全書には日本国憲法の前頁にアメリカ独立宣言の一部が載せられており、これをフィルターにして日本国憲法を考えよといわぬばかりである。あるいは編者達も、感性的認識ながら日本国憲法のルーツを感づいているのかも知れない。しかし、漠然とした認識では本質を極めることは困難かと思われる。18世紀の大西洋革命(アメリカの独立とフランス革命を合わせたもの)の時代の「自由」「平等」の相反するスローガンが基本概念として日本国憲法の真理にそむく本質の根源を見究める上で大なる力となることはもちろんだが、直接的にはワイマール憲法にメスを入れることが不可欠と思われる。しかるに、このワイマール憲法に関する研究は日本では非常に少なく、また日本国憲法との比較研究が全くといっていいくらいお目にかかれないのは、一体どうしたことだろうか。それにはやはり理由があるようである。

 ●ワイマール憲法は国際的にタブーである

 ワイマール憲法そのものが国際的にタブーとなっていることである。口でこそワイマール憲法というものは決して珍しい言葉ではないかも知れないが、現実にその内容に関してはタブーの網が張られていることに存外気がつかないものである。他章でも述べる如く、フランクリン・ルーズベルトは、ユダヤの世界では今日絶対のタブーとなっている。したがって、ルーズベルトに関するあたりさわりのない評はいろいろ出ているが、その本質をうがったものは皆無に近いといえよう。このため、第二次大戦の真因はだいぶ混乱させられているのだ。では何故、ワイマール憲法はユダヤ人にとって都合が悪いのであろうか。それはその本質を徹底的に掘り下げれば分かることであるが、そこに発見されるものはナチズム台頭の必然性である。何故ナチズムが発生したのか。今日までナチズムに関する著書はあまたあるが、真因を突きとめたものはないようである。大抵の場合、例の「集団発狂伝説」といわれる類いのものである。しかし、このワイマール憲法を深く掘り下げるときそこに発見されるのは、自然の摂理にそむくものを内包しているということである。ひるがえって、日本国憲法のルーツを探るためにも、このワイマール憲法の本質にメスを入れることが焦眉の急となってくるわけである。

 このワイマール憲法というものは、一口でいえば、中世以来、言語に絶する苦難の道を歩まされた在独ユダヤ人の血の出るような最低限の要求を実現させたものといえよう。問題がそれだけなら、それはそれとして結構であるというべきかも知れない。しかし、実は、それだけではすまないものである。ここにこそ問題が秘められているといえよう。この点については逐次詳述するが、日本国憲法も重要な部分はこれと全く軌を一にするものなのである。
ワイマール憲法は表面に出すことをタブーとされ、日本国憲法は改訂を唱えることをタブーとされている。真に皮肉なパラドックスである。何故このような逆説が生じるのか。その理由は、ドイツ国民はワイマール憲法をまたたくまにその虚構性を発見して引きずり下ろしたが、日本国民はいまだその虚構性を発見できずその呪縛の中で呻吟していることにあるといえよう。ユダヤは、ワイマール憲法に関してはいま述べた如く内容を吟味する余地を与えず、「最も民主的な憲法」というふうに盛んに言葉の上だけの宣伝をしているのである。それがさらに日本では尾ひれをつけられて「平和憲法」というふうにまで拡大されている。例えば国家公務員試験にこんなのがある。例の○×式解答を求めるもので、「日本国憲法は、ワイマール憲法の平和主義を含めた基本原理を全て継承した現代資本主義憲法である」というのがある。こういう問題に答えさせられる受験生こそいい迷惑と思うが、それはそれとして、ワイマール憲法を「平和憲法」とするのは一体何の根拠からか。恐らくは日本国憲法との類似性を質する問題を作成する者のことであるから、短絡に日本国憲法が「平和憲法」といわれるぐらいだから類似性の強いワイマール憲法もそうであろうといった程度の認識から発したものと思うが、いずれにせよ「平和憲法」とまで拡大評価されてはさすがの我々も少々くすぐったいのである。

 話は少し横道へそれたが、ワイマール憲法を「民主的」と宣伝する我々であるが、憲法の中身には「民主的」という言葉は一語も出てこない。これは日本国憲法についても同様である。考えてみれば大変奇妙なことではないか。実はこの点にこそ、今日的意味の「民主主義」という絶対の善玉の神を意味する言葉の本質を見出すことができるのである。
今日いわれている「民主主義」とは何ら実質的概念を伴うものではない。絶対に相容れることのない2つの概念、「自由」と「平等」に相関関係をもたせる必要からユダヤ人が考えついたものにすぎない。非両立性をもつ「自由」「平等」をバラバラに宣伝したのでは効果が薄い。したがって、この矛盾する両概念を並行して同時に追求させてこそ真の効果を期待できると考えたものである。つまり「民主主義」の役割は相矛盾する両概念のコーディネーターということである。さて、これからは日本国憲法のそっくり母体となっているワイマール憲法の内容を具体的に拾い上げて、日本国憲法のそれと対比しながら、如何に日本国憲法がワイマール憲法をベタ写ししたものであるかということをご説明したいと思う。

 ●マルクスは「すべてを疑え」といった

 マルクス主義についてもそうだが、この日本国憲法についても、すべてを疑ってかからないと永久に迷宮入りになるだろう。左翼陣営はマルクス主義の宗教的呪縛力でがんじがらめにされているのであるから別であるが、醒めた正しい考えをもった人々まで、この日本国憲法に関してはそこに何か動かし難い真理が蔵されているかの如く錯覚しているように私には見受けられる。の原因を私は考えてみた。そして発見した結論は、この憲法の中に「理想」を具現化した要素が多分に混入されているということである。誤解してもらっては困るが、ここでいう「理想」とは「現実的でない」という意味である。この「理想」が日本人の判断を狂わせているのだと思う。この「理想」とは夢にすぎないものであるが、しかし終戦直後の精神的虚妄状態にあった日本人に、この夢にすぎないものまでがかえって感謝されたのかも知れない。しかし、これは本質的には大衆デマゴギーなのである。大衆心理を考えると、この「理想」が「非現実的」なものであってもこれを批判することはできないのだろう。またそうさせているのが「民主主義」というものの悪弊であろうと思う。あるいは日本の良識ある人々でさえも自らこれを理想的なもの、最も高尚なものと知らず知らずに信じ込んでしまったのだろうか。私がここで言いたいのは、何よりも先ず日本人はこの憲法を疑ってかからなければならないということである。従来まで見てきた角度を捨て、逆の角度からこれをもう一度観察することである。〈中略〉

 ■日本の戦後占領体制はユダヤ人の君臨しないワイマール体制

 ワイマール憲法と日本国憲法は、そのイデオロギー性については全くといっていいほど同じものである。しかるにただ一点、ワイマール憲法下のドイツと日本国憲法下の戦後日本とでは根本的に異なる点がある。それは、ワイマール憲法下のドイツは直接ユダヤ勢力が君臨するものであったということである。日本にはユダヤ人は存在しない。ワイマール体制というのは、少数民族たるユダヤ人が権力を初めて握った時代であるということである。一方、戦後日本では一時期占領軍(これを事実上支配していたのはユダヤ勢力──もっとはっきりいえばニューディール派)というものがオールマイティであったが、これは日本国内に永久に存在する勢力ではない、いわば国際的ユダヤ勢力である。占領が終われば、引き上げざるを得ない。そこにケーディス以下の焦慮があったわけである。だが現実には自分達は引き揚げても、己のエピゴーネン(亜流、継承者)を養成して残していった。それが日本共産党である。このエピゴーネンは真に忠実に主人のために働き、戦後30余年たった今日でもケーディスの心配を吹き飛ばすかの如く日本国憲法には一指だに触れさせていないのである。〈中略〉

 ●階級闘争の持ち込み

 第28条「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」これも、この憲法を作成したユダヤグループの最大の目的とするものの1つである。このような実体法に属するものを憲法に組み入れるのは常識外であり、法学の素人のすることである。ルーズベルトの若手ブレーンの一人であった作者ケーディスは、ルーズベルト政府の下で労働問題をある程度研究していた。ジュー・ディールと皮肉られたニュー・ディール政策は一口にいえば共産主義化政策に他ならないが、ルーズベルトは1933年5月12日に「農業調整法」を作った。これはインフレ政策の本質を暴露したものであった。その他、「産業復興法」を作っている。これは同業間の自由競争を排除せんとする目的のものであり、政府が産業統制に合法的に乗り出そうとするものに他ならない。さらに重大な点は、最低賃金を規定し、労働者の団体交渉権を強引に認めることにしたのである。 

 これらのルーズベルト政府の共産主義的政策は1935年頃から徐々に馬脚を現わし、景気回復を幻想と化し、独占の強化、資本対立の激化、労働不安の拡大とアメリカ資本主義を根底から崩しつつあった。さすがにたまりかねた連邦最高裁は蛮勇を振るい、1935年5月、ついに憲法違反の判決を下したのであった。ルーズベルトもこれ以上の共産主義的政策を続行するのを断念せざるを得なかったのであった。ルーズベルトはこれら国家的破滅を推進したのにもかかわらず、次の選挙では労働界の大きな助力を得ることになった。このことは、ルーズベルトが本質において共産主義者であったことの証左として一般に考えられていることである。ケーディスは若手法律ブレーンとしてこれらの問題にかかわってきたのであった。このケーディスが、日本国憲法にこの階級闘争を持ち込んだのである。

 ●ユダヤ的思考の所産は明治憲法にも

 なお、大日本帝国憲法においても、第25条から第29条まで、「住所の不可侵」「信書の秘密の不可侵」「財産権の不可侵」「信教の自由」「言論著作印行集会及結社の自由」という項があり、なにも日本国憲法に限らずこのような被圧迫民族の基本権と類似する項目があるではないかと問われるかも知れないが、それは大日本帝国憲法を起草した伊藤博文、井上毅がドイツのユダヤ法学者の影響を受けているためであり、ルーツは同じものである。当時ドイツの法学界はユダヤ人法学者が牛耳っていた。

 次は伊藤博文の文である。「現時の国法においては、君主は国家の上に位せず、国家の中に位し、君主は国家の統御者にあらずして国家の機関となれり。君主は国家の機関にして国家のために活動すべしとの思想は、すでにフリードリッヒ大王の有名なる『君主は人民を支配するところの専制君主に非ず、国家の最高機関なり』との語において発表せられたり」

 すでに美濃部達吉の「天皇機関説」の萌芽を見ることができる。他には井上毅もプロイセン憲法の研究者としてつとに有名であり、当時のドイツにおける憲法学者が皆ユダヤ人であったことを考え合わせる時、思い半ばに過ぐるものがあろう。何故ユダヤ人が特にドイツにおいてこの憲法問題に熱心であったかというに、これが国家を内部から転覆させるマルクス主義国家論への捷径であることを知っていたからに他ならない。

 伊藤博文から美濃部達吉に至るまで愛用した「機関」という言葉は、ドイツのユダヤ人の間では、マルクスももちろんこの Organ という言葉が大好きだったのであるが、階級闘争における「支配者」が「被支配者」を「抑圧」「搾取」する「手段」「道具」という意味で専ら使われていたのである。恐らく伊藤博文も美濃部達吉もこのユダヤ人の真意は知る由もないのではないか。ドイツはあくまでドイツであり、その中で絶対相容れない、中間というものの存在する余地のない民族闘争が繰り広げられていたとは、夢にもご存知なかったのであろう。

天皇主権説学派の穂積八束は、ドイツ滞在中ずっとラバントについていた。このラバントは当時のドイツ法学界、とくに憲法研究者の中でも珍しくユダヤ人ではなかった。帰国後、伊藤博文、井上毅らと違って、ユダヤ的機関説学派を攻撃したのもそのためであった。伊藤博文が憲法研究のため会った人物は、ドイツのルードルフ・グナイストとオーストリアのローレンツ・フォン・シュタインであった。いずれもユダヤ系であった。ただここで一つ非常に残念なことは、伊藤博文が帰朝後提出した復命書が公表されていないことであり、これは明治憲法研究上の一大遺漏を生ぜしめている。


 第5章:共産主義はユダヤ人が作った

 ●日本共産党を育てたのは我々の最大の誤りだった

 ユダヤ人が日本人に謝らなければならない最大の問題は、戦後日本共産党を育て残置諜者として残していったことである。これは具体的にはニューディーラーが全て行なったことである。共産主義者群から成っていたニューディーラーは社会主義革命こそ行なわなかったが、戦前の日本にあった類い稀な長所をすべて破壊したのである。それ以上に大きな誤りは、残置諜者として日本共産党を育て、残したことである。我々が戦後改革によって犯した誤りも、この残置諜者=日本共産党なかりせば、もうとっくに賢明な日本人は本来の日本民族に蘇生したであろう。東京裁判、日本国憲法、その他の戦後改革による悪弊も、この病理をタブーにして一指だに触れさせじとする日本共産党なかりせば、とっくに払拭されたであろう。東京裁判の場合は、これにニューディーラーが持ち込んだ論理が戦前からの日本共産党の講座派史観と一致することにより日本共産党をとらえたのであるが、日本国憲法の場合は、教科書的マルクス・レーニン主義しか知らない日本共産党を捉えるべき要素はほとんどない。あるとすれば、第28条の勤労者の団結権の保障ぐらいのものである。あとはすべてマルクス・レーニン主義の教科書からは出てこないものである。

 では何故に、それにもかかわらず日本共産党はこれほどまでに日本国憲法を溺愛するのか、不思議に思われるであろう。その答えはユダヤ教の宗教的呪縛力なのである。いきなりこういっても日本の皆様にはピンとこないだろうということは私にもよく分かる。いや何よりも、日本共産党自身が全く意識していない。一般の戦後改革、例えば国家意識、民族意識の去勢にしても、果たして日本共産党がどの程度この意味を知っているだろうか。恐らく、プロレタリア国際主義という教科書にある線からこれを考えているのであろう。しかしそれでは、わかっているとはいい難い。マルクス主義の国家論までくればまあまあであろう。つまり、国家を破壊するには愛国心の如きものが最大の障害物になるわけである。もし日本共産党がこの辺まで分かっていたというなら、次はどうだろう。家族制度は国家転覆のやはり大きな障害物なのである。憲法にある自由、平等、男女同権等はすべてこの目的に添ったものであるが、日本共産党はそこまで知っていて日本国憲法を死守しているのだろうか。私にはそうは思えない。とすれば、日本共産党が日本国憲法改訂をタブーとして死守する根拠は、マルクス・レーニン主義からは導き出せないだろう。ではこれはどう説明すればいいのか。それはユダヤ教の呪縛力としか説明できないようである。擬似宗教性といわれるものである。〈中略〉

 ●マルクス主義は「ユダヤ民族解放」のための虚構理論だった

 戦後の日本の混乱に最大の責任があるのはマルクス主義である。マルクス主義の害毒といった場合、普通は表面に現われたもの、例えば安保騒動の如きものとしか捉えず、日本共産党の民主連合政府綱領を見て、革命というマルクス主義の現実的脅威はなくなったと考えるかも知れない。だが、問題はそんな生易しいものではない。というのは、マルクス主義とは単なる「革命理論」ではないということである。マルクス主義の戦後における影響の最たるものは、この稿でとり上げる戦後の病理、虚妄性、日本歴史の真の構築を阻む跛行性をつくり出したということにあるといわねばならない。これらを具体的にいうと、国家・民族意識、愛国心の去勢、道徳観の失墜、拝金主義の培養、家族制度の崩壊、その他、戦前の日本が世界に誇った冠絶した長所を失墜せしめたことにあろう。マルクス主義はこの病理の精神的支柱となっているのである。これは根拠のないことではない。何故ならば、日本共産党は戦前の日本の長所をすべて「絶対悪」として否定するものである。そして、日本共産党はマルクス主義を唯一絶対の世界観として信奉する政党である。戦後の病理のすべてがマルクス主義と密接な関係があることはわかったが、これらはただ単に散在していただけではこれほどの影響を及ぼせたかどうか疑わしい。それにはやはりこれらをひとまとめにパックして、しかも日本国民に強制する力をもった何物かがなければならない。それがアメリカ占領軍中のニューディール派であり、その所産である日本国憲法とその擁護者としての日本共産党なのである。

 ●マルクス主義成立過程の種明かし

 さて、これほどまでに多大の影響を戦後日本に及ぼしたマルクス主義とは一体、如何なるものなのか。日本のみなさんは、虚構論理というものを信じられるだろうか。それは一見学問体系の如き体裁を整えているが、事実は真っ赤な虚構論理であるというものである。世界には、大変手の込んだ虚構論理というものが存在するのである。それがマルクス主義なのである。そういう仮設を設定するには、2つの前提が要求されるであろう。1つは一体誰が、もう1つは何の目的でそんなものを構築したのか。この2つの前提に答えなければ、そのような仮設は持ち出せないであろう。しかるにそれの答は、私にいわせれば、すこぶる簡単に出せるのである。ユダヤ民族が自己の解放事業のために、というのがその答である。

 だが、恐らく日本は世界で一番このことを理解しにくい国ではないだろうか。というのは、日本は世界最高水準のマルクス主義研究を誇っている国だからである。これは逆説である。戦前の日本資本主義論争の如きものは他の国にはない。「資本論」の研究も日本が世界一であろう。つまり虚構論理を真理と勘ちがいしている最たる国が日本であるということである。これは日本にユダヤ問題が存在しないということとも関係がある。

 では何故ユダヤ民族が虚構論理を構築したかについて述べよう。ユダヤ民族の苦しい悲しい迫害の歴史については今さら説明の要はないと思う。この歴史的苦難から逃れるには逆転劇しかありえない。この逆転劇はユダヤ人だけの力では困難である。どうしても多数の非ユダヤ人の協力者を募らねばならない。フランス革命はその第一弾であったが、これで西欧のユダヤ人はかなり解放されたのである。しかるに、中東欧のユダヤ人は依然として中世と変わらぬ存在であった。そのため19世紀に入って第二弾の反撃プログラムを考えることになった。それが虚構論理の構築により歴史を自己の思う方向へ流すという雄大なロマンであった。これがマルクス主義である。フランス革命の第一弾では、有名な「自由」「平等」「博愛」のスローガンで非ユダヤ人の不満分子をうまく利用したのであった。19世紀はそれを一歩進めたわけである。だが、虚構論理を構築してもそれを真理、科学として信じ込ませることは並み大抵ではない。しかるにユダヤ人は宗教民族である。ここで宗教的呪縛力を最大限に活用した。

 ●資本・共産両建て主義とは何か

 さてこれが20世紀に入ると、戦争という手段が19世紀的な革命という手段以上に有効なものと考えられるようになった。これがレーニン主義である。と同時に、神経戦、心理戦ともいうべき革命、戦争の如き組織性を必要としない手段も考えついた。近世史はこの我々の逆転プログラムによって創られたものである。教科書的な歴史観では何も分からないだろう。これらを要約して我々は両建て主義と呼んでいる。

 革命による変革を共産主義──マルクス──共産党宣言、戦争による変革を資本主義──レーニン──帝国主義論、マルクス・レーニン主義とはこのようなユダヤ民族解放の「手段」「道具」にすぎないのである。これを歴史の発展法則として売り込んだのは、勿論ユダヤ人である。そのため近世史は今日見る如く救い難い混乱に陥ってしまった。典型的な訓話学者の上田耕一郎氏や不破哲三氏にはにわかに信じ難いことであろう。

 第一期のプログラム、フランス革命における変革の手段は、感性的なスローガンだけであった。「自由」「平等」「博愛」である。このスローガンを日本国憲法の骨子として持ち込んだのも我々ユダヤ人である。弱者解放のためのスローガンが高度な理性的国家日本へ持ち込まれると予想だにしなかった混乱を引きおこすことに、我々は気がつかなかった。それでは第二期の反撃プログラムであるマルクス主義の成立過程について種明かししよう。マルクス主義はマルクスが構築した論理であるからマルクス主義と呼ばれている、とこう解釈するのが当り前と考えられているようである。しかし現実には、マルクスにかくかくしかじかの虚構論理の構築を依頼した注文主がいるのである。この注文主がマルクスに送った手紙、発注書ともいうべきものが第二次大戦前に世に出たのである。これは日本でも知られているようである。ただ、これがマルクス主義の源流であるとは全く理解されていないようである。次に紹介するのが、発注者のユダヤ人バリニッシュ・レヴィーのマルクスに宛てた手紙の一部である。

 ●虚構仮説構築の依頼書

 「メシアは団結せるユダヤそれ自身である。宇宙の支配は他人種の統一に、各個独立主義の城壁たる国境及び君主国の廃止と、ユダヤ人に対し随所に市民的権利を認むる世界共和国の建設によって保たれるであろう。全然同一種族でかつ全く同一の伝統的陶冶をうけているイスラエルの子孫、しかも特殊国家を形成していないイスラエルの子孫は、爾後地球の全表面に拡がりこの新しい人類社会の組織の裡に到るところ何らの抵抗なく指導要因となるであろう。殊に彼らの中のある学者の賢実なる指導を労働大衆に課するに至ったならば尚更のことである。

 世界共和国を建設したならば、国家の統治権は無産者の勝利によって何らの努力を要せずしてイスラエル人の手に移る。ここにおいて私有権は到るところ公共財産を管理するユダヤ人の支配によって廃止せらるるに至るべく、かくてメシアの時代の到来せる時、ユダヤ人は全世界の人民の財産をその鍵の下に掌握すべしというユダヤ伝統の約束は実現せらるるものと信ずる」。

 この手紙の意味するところを概略すると、自己のメシア思想の実現には先ず、非ユダヤ人、つまりキリスト教社会の現状維持の砦である国家を転覆する必要がある。しかもその国家転覆の最大の障害は君主制である。これを実現して人類社会に新秩序を建設する。つまりユダヤ王国による逆転劇である。これだけで十分とも考えられるはずだが、さらにもう一つの考えが附随しているのである。それはユダヤ民族固有の唯物思想である。既存の秩序を転覆すれば協力者たるプロレタリアートによりなんなく全財産がユダヤのもとに転がり込んでくるであろうという。しかも、そのことはユダヤ民族の伝統的約束であるということである。

 ●「メシア思想」と「タルムード」がマルクス主義の源流

 さて、ここにはユダヤ的思考の最も大切な2つの要素が含まれている。1つは、メシア思想の基本パターンである。選民たるユダヤ民族が、異教徒との葛藤に勝利を収め、至福千年王国を建設するという終末論である。これが唯物史観の原型である。選民とはプロレタリアートであり、異教徒がブルジョアジーである。これこそユダヤ的思考法の二元論の原型である。これに宗教的倫理観が加味されるので、善悪二元論と呼ばれるわけである。ロシアから亡命した哲学者ベルジャーエフはすでに、マルクス主義は出発点において黙示録的性格を有すると分析していたのであった。

 また、日本では鈴木成高氏がその著書『歴史的国家の理念』において、「唯物史観はその最後の帰結においてプロレタリア独裁を想定し、歴史の弁証法的発展を止揚することによって、一種のエスカトロギー終末論に陥っているといわなければならないのである。発展的力学の論理はそこにおいて停止し、階級対立の消滅、国家の解消とともに歴史もまた終止する。それは、ユダヤ的終末観とその外形において極めて酷似するものがあることを思わせる。すなわち、プロレタリアートは神の選民に該当し、ブルジョアは異邦人に該当する。歴史はエホバの代わりに、同じく人間意志と能力を超越した、経済的必然によって支配されるのである」と述べ、かなり克明に本質を突いている。日本では恐らく唯一人の仮設論者であろう。

 《 ユダヤ・キリスト教とマルクス主義史観の基本構造 》

 上の図を見れば、ユダヤ・キリスト教(いわゆるヘブライズム)とマルクス主義の歴史観が、その基本構想において、いかに同じものであるかが、お分かり頂けよう。マルクス主義とヘブライズムがいかに同じ土壌に立ち、同じ延長線上にあるかは賢明な有識者がしばしば指摘しているところである。
 

 さて、もう一つの要素たるものは、ユダヤの民法ともいわれるタルムードの思想である。これはユダヤ人たるもの、生まれてから死ぬまで信念としているものである。タルムードは5、6世紀ごろ完成された実に膨大な法であるが、また日本では戦後いろいろのユダヤ人、日本人によって紹介されているようであるが、不思議なことに、何故かこの最も肝心なところが紹介されていないようである。肝心なところというのは、「シュルハンアルクノショッツェンハミツバッド第348条」である。すなわち「非ユダヤ人の所有する財産は本来ユダヤ人に属するものなれど一時彼らに預けてあるだけである。故に何らの遠慮もなくこれら財産をユダヤ人の手に収むるも可なり」とするものである。これの意味するところは大別して2つある。1つは、「一時預けてあるものであるから、何時なん時でも代償を払わずに取り返して然るべきものである」ということであり、もう1つはユダヤ人の財産は故なく非ユダヤ人に奪われたものである」ということになる。前者がレヴィーのマルクスヘの手紙の骨子となっているものである。つまり、私有財産の奪取という思想はここから来ているのである。さらにもう1つの後者の解釈はマルクスの大作「資本論」の根本思想をなしているものなのである。つまり、「ユダヤ人の財産は故なく非ユダヤ人に奪われたものである」からかの有名な剰余価値説が生まれているわけであり、「搾取」とマルクスが強調するものである。

 ●宗教的呪縛力こそマルクス主義の本質

 短絡的なマルクス主義の論理的飛躍は、本来なら日本のインテリ層が見ぬけないはずはないと思う。しかるに何故、そのような論理的飛躍があるにも拘らず、これだけの信者を集められるのかという問題である。これは宗教的呪縛力としか説明できない性質のものである。マルクス主義の真の素顔は宗教ということである。日本共産党の態度を見ればこのことはすぐわかると思う。科学といいながら、実際は決して経験科学の実証を受け入れようとしない態度がしばしば見受けられよう。

 さてここで、共産主義者のいう、科学的社会主義の「科学」という形容詞がどこから出たかということである。以上説明した如きマルクス主義が何故「科学」といわれるのか、この答もこの際明らかにしておこう。これは、レヴィーらの熱烈な民族主義グループが宣伝のため吹聴したものである。唯物史観のいう「社会の必然的な発展法則」ということを強調するためである。人間の意識から独立した物質的、客観的条件により歴史は動かされる。しかも一定の法則に従って一定の方向性をもって動くと、これを弁証法的唯物論を社会へ応用した唯物史観であると宣伝しているわけである。虚構の大きさ故に、かえって多くの人々は自己陶酔に陥るのであろう。アカデミックな真摯な態度と宗教的呪縛力の奇妙な混合といえよう。

 以上のようなことから、日本で行なわれているマルクス主義論争は不毛の論争といわねばならない。もっとも、日本のインテリ層は恐らくマルクス主義の成立過程をご存知なかったのだろうから、無理もないことかも知れない。完全な虚構論理であれば、共産主義の矛盾を衝くのは易しい。虚構を現実に無理にあてはめようとするのであるから、すべてその矛盾は露見する。だが、それでもなお現在もマルクス主義が生き続けるのかということを解明しなければならないだろう。もっとも、このような虚構論理を科学と誤認させるだけの根拠はあるにはある。それは「絶対的貧困化」という仮設である。物質的、経済的にこれより悪くなることはないところまで行きつけば、社会は根本的に変革されるという仮説は説得力があろう。複雑なメカニズムをもつ人間社会である。設備や機械の如く古くなったからそっくりとりかえるというわけにはいかない。しかしそれでも、絶対的貧困化の必然性を説けば人間社会の変革に対しても説得力をもとう。このマルクスの考えは、ものの見事に図に当たったのである。

 《 ユダヤ・キリスト教とマルクス主義の相似性 》

 上の表を見て頂ければ、マルクス主義がいかに宗教的なものかがお分かり頂けよう。有神論か唯物論かの違いを除けば、明らかに一神教的思想(ユダヤ的世界観)のコピーに過ぎないことが分かる。しかもその唯物論は、有神論のもつ“矛盾”と“限界”に対する反動として出てきた一つのイデオロギーであり、キリスト教が効力を失った時代の「代替宗教」(擬似宗教)に過ぎない。つまり一言で述べるなら、マルクス主義とは、19世紀のヨーロッパを時代背景にした、特定地域における、一時的に発生した宗教であるといえる。

 イギリスの有名な世界的歴史学者であるアーノルド・トインビー博士は、「マルクス主義はキリスト教の亜流だ」と言ったが、中世の「神」の力が喪失していく時代に、ヨーロッパ人は次なる「福音」として、マルクス・共産主義を受け入れ、マルクスの「理想郷=共産制社会の実現」という“予言”を信じたのである。

 ●唯物史観に従えば共産党は「賃下げ」運動をすべきだ

 共産主義者は、何かというとすぐ「マルクスはこういっている」とマルクスやレーニンの原典から答を出すといわれている。訓話学的アプローチの好きな彼らがその深みにはまることになるのは当然であろう。自分の頭で考えていない。自分の頭で考えていれば訓話学的態度に陥ることはない。しかし彼らがもう少し注意深いアプローチをとっていれば、「共産党宣言」「経済学批判」「資本論」というマルクスの原典の発表順序に気をとめるであろう。結論が先に出されその説明が後に続くということは仮説ではないのか。また日常の「闘争」においては、もし唯物史観に真に忠実ならば、絶対的貧困化へ向かってこそ革命のチャンスは生まれるのであるから、「賃下げ」運動をしなければならないはずである。しかし日本共産党はかつて「賃下げ」を掲げたことは一度もないようである。こんな簡単な矛盾にどうして気がつかないのか。答があるとすれば、善玉・悪玉論のしからしめるところとしかいいようがない。

 ●唯物論、観念論における二者択一を強制

 しかし最も根本的な問題は、二元論により唯物論と観念論の二者択一を強制されることである。マルクス主義の教科書はこの点から入門させるようにしているのを常とする。結果として唯物論を否応なしに選択させられ、これをすべての土台として考えさせられる。しかも二極分化を強制する。つまり、如何なる時でも中間というものの存在を認めない。元来、哲学的には唯物論と観念論は二者択一云々の問題ではない。原点においてすでに二元論的思考に陥っているわけである。当然の帰結として唯物論絶対優先ということに導かれる。その結果、社会的存在が意識を決定するというテーゼをつくる。したがって、戦争も革命も物質的、経済的要因によってのみ引き起こされるものであるという絶対論に導かれる。これがマルクス主義の最も肝要な点であることである。原点からしてこの調子だから、以後経験科学の実証など考えたくもなくなるのであろう。また、こういう盲目的な二者択一を強制できるのは宗教的呪縛力以外にはありえないということも真理であろう。

 ●「帝国主義論」はユダヤ民族主義者レーニンの煽戦理論

 次に、レーニン主義について述べよう。日本の皆様をまた驚かすことになるかも知れないが、レーニンはユダヤ人であり熱烈なユダヤ民族主義者であった。この点はマルクスに劣らないだろう。血統的には父系が蒙古族のカルムイック人であり、母系がユダヤ人である。クループスカヤ夫人は純粋のユダヤ人であった。

 教科書的マルクス主義では、レーニン主義とはマルクス主義を資本主義の最高段階、帝国主義の時代に適用、発展させたものということになっている。建前論からいえばそうともいえるだろう。しかし本質論はそんなことでは到底理解できないだろう。レーニンというと、革命家と誰もが考えるだろう。しかし実際は、煽戦家というべきであろう。レーニンといえば「帝国主義論」である。あの「帝国主義論」というのは、本人も認めている如く、ホブソンの「帝国主義」の盗作とでもいうべきものであると思われている。しかし問題はそんなところにあるのではない。全文の中のただ一行、「帝国主義諸国間の戦争は不可避である」という点に注目しさえすればよい。レーニンが「帝国主義論」を書いた目的はただこの一点にあるのである。その目的は、戦争というものがユダヤ民族の解放事業に最も有効な手段であるということにつきる。19世紀のマルクスの持ち出した内部抗争による国家の転覆という手段よりも、ずっと手っ取り早い手段が戦争なのである。戦争で国家が疲弊したどさくさが一番の変革、解放事業のチャンスであるということである。日本の戦後改革もこのパターンである。

 さてここで、レーニンが熱烈なユダヤ民族主義者であるということの証左として次をご覧頂きたい。普通マルクス主義者諸君は注目していないものばかりだが、ユダヤ問題を論じる時のレーニンの口調は想像以上に激しいものがある。
1913年8月18日付の『セーベルナヤ・プラウダ』紙上でレーニンは、ロシアではユダヤ人学校の民族別化を推進しようとしているとして、これに非難を加えている。大意つぎの如くである。

 「ロシアにおけるロシア民族は全体の43%を占めるにすぎないのに、自分らロシア民族にあらゆる特権を与えようと努力している。そしてロシア在住の他民族、いわゆるタタール人に対してますます彼らの権利をきりつめ、分離政策を推し進め、相互に反目させるような政策をとりつつある。その最も極端な現われが、ユダヤ人学校の民族別化政策である。この内容は、私立、官立をとわず、すべての学校でユダヤ人に門戸を完全に閉ざそうとしており、そのためユダヤ人中学生の数を百分率で制限しようとしている。ヨーロッパでは中世にだけ存在したこのような差別政策を今頃から始めようとしている」

 普通、非ユダヤ人が、ユダヤ人の差別をこのように熱心に反対、批判することは例がない。ユダヤ人でなければできるものではない。『イスクラ』の1903年2月15日号の中で、ユダヤ人労働者総同盟、通称「ブンド」を非難する主張で、「ユダヤ人プロレタリアートに独自の政党が必要か」と題して論じられているものがあるが。この論文の中でレーニンは、シオニズムを猛烈に攻撃しているのである。シオニズムとはハンガリー生まれのジャーナリスト、テオドル・ヘルツル博士がドレフュス事件を見るにつけユダヤ人は結局自分のナショナルホームを建設しなければならないと決心し、祖先の地、シオンの丘、パレスチナへ帰ろうとする運動である。つまり現在のイスラエルがこのシオニズム運動の結晶であるのはいうまでもない。

 ではユダヤ人レーニンは何故、この理想的なシオニズム運動を攻撃するのか。ユダヤ人の運動にはもう1つあったのである。それはマルクスの唱える革命、レーニン自身の唱える戦争、この2本を組み合わせて両建て主義というのだが、この線からのユダヤ人の理想の実現という線があったのである。今流にいえば、前者をハト派、後者をタカ派というべきか。レーニン自身は勿論、レーニン主義という如く後者のタカ派路線の要である。ヘルツル博士の唱えるナショナルホーム建設運動の如きは白昼夢にすぎないだろう。建前論のマルクス・レーニン主義を論ずるのであれば、なにもシオニズム運動の如きユダヤ人だけの運動に論及する必要は毛頭ないはずである。思わず本音が出たというところであろうが、これもユダヤ人でなければ絶対に出てこない点であろう。このブンド攻撃の論文を通じて言えることは、明らかに内輪のケンカといった感じがプンプンしていることである。これが建前論としてのマルクス主義を論じるレーニンと同一人物かと思わせるほどの同族意識まるだしの口調が貫いているということである。

 ●日本人の知らない「ロシア革命」の実像

 次に、ロシア革命をプロレタリア革命と建前論に終始するものは、今日では日本共産党以外ほとんどなくなったが、ロシア革命の本質について簡単に触れておくことにする。日本ではほとんど知られていないが、当時欧米の新聞論調はロシア革命とはいわず、「ロシア・クーデター」と呼んでいるのである。つまり、クーデターは革命とちがって首がすげかえられただけのものである。ユダヤ権力がツァー権力にとって代わったものという意味である。それはフランス革命に次ぐユダヤ人の反撃プログラムの第二弾だったのだ。 

 このロシア革命は予言されていたといえよう。1913年10月、ウィーンで発行されていたユダヤ機関誌『ハンマー』第274号に次のような記事がある。「ツァーはキエフにおいてユダヤ人に対する徹底的な撲滅政策を決議した。運命はこの大闘争の結果にかかっている。ただしそれはユダヤ人の運命ではない。何故ならユダヤ人は負けることがないからである。それはただツァーの運命にすぎないというだけのことである。ツァーの勝利はその終焉の発端にすぎない。逃れる道はないことを知るべきである。このことをよくのみ込んでおけ。我々はキエフにおいて、全世界に向かってわれらに侮辱をあたえるものを容赦しないことを示そう。もしユダヤ人が今までにロシアに革命を起す事実を隠す政策をとっていたのならキエフ事件におけるツァーの態度が判った今日、その政策は捨てるべきである。この事件の結果がどうであろうと、ツァーに対しては容赦しない。それが我々ユダヤ人の決心である」

 これは自信にあふれた予言である。このような状勢に対しては警戒論も勿論出ている。その一例として、駐露オランダ公使ウーデンディクは英国外相バルフォアに対して次の如き報告を送っている。「ボルシェヴィキに対しては、すみやかに弾圧を加えねばならない。このままだと全世界にその毒牙は広がるだろう。ボルシェヴィキは国家をもたないユダヤ人に鼓吹されている。その目的はユダヤ人の利益のために現状の変革を狙っているのである。この危険を救うのは列強の共同行動のみである」これに対して親ユダヤ主義者、英国首相ロイド・ジョージとアメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンが強固に反対したことはいうまでもない。
 
 1920年ニューヨークのロシア人の亡命団体である「ユニティ・オブ・ロシア」はソ連の支配者達の人名録を出版しているが、それによると当時のソ連政府の各委員会に占めるユダヤ人の数及びパーセンテージは次の如くである。
 

 次に英紙『モーニング・ポスト』の発表したソ連の高級委員の中のユダヤ人についての本名と偽名(ロシア名)のリストを示す。

◆レーニン (ウリヤーノフ)
◆トロツキー (ブロンシュタイン)
◆メシュコフスキー (ゴールドバーグ)
◆カーメネフ (ローゼンフェルト)
◆ジノビエフ (アプヘルバウム)

◆ラジェヌキイ (クラッシュマン)
◆ステクロフ (ナハムケス)
◆ラデック (ゾーベルソン)
◆ダーセフ (ドラプキン)

◆スハノフ (ギンメル)
◆ゴーレフ (ゴールドマン)
◆マルトフ (ゼデルバウム)
◆ボグダノフ (シルバースタイン)
◆リトヴィノフ (フィンケルスタイン)

 これらの状況証拠をみてもわかる通り、ロシア政変というものはユダヤ人の解放運動だったのだ。今世紀に入っての革命運動というものは、ユダヤ人の苦しめられていた国々で起きているのである。ロシア然り、ドイツ然りである。フランス革命の結果、ある程度の自由をユダヤ人が獲得したフランスその他西欧、ユダヤ人に寛大だったスカンジナビア諸国、ユダヤ人を経済的刺激要因などに巧みに利用する術を心得ていたアングロサクソン諸国などにおいては革命運動がほとんど起こっていないのである。もしこれが社会の発展法則云々ということなら、均等に起こって然るべきはずではないか。

 ●アメリカはソ連の助産婦といわれるのは何故か

 ロシア政変の成功はアメリカの援助に負うところが真に大きいのである。第二次大戦後の米ソ関係しかしらない人は驚かれるだろう。もっとものことかもしれない。現在のアメリカとウィルソン時代からルーズベルト時代までのアメリカは根本的に違うといえるかも知れない。一言でいえば、当時のアメリカはユダヤ勢力が非常に強かったのである。ジュー・エス・エイといわれたものである。日本では隷猶国といっていたそうだが。ユダヤ人ではないが親ユダヤ主義者のウィルソンが、ロシア政変には非常な努力を惜しまなかったのであった。財界の巨頭クーン・ローブ商会のヤコブ・シフは、トロツキーらを通じて当時の金で1200万ドルという巨費を出している。シフが日露戦争の時日本に貸したのも目的は同じである。

 またアメリカ政府は個々の革命家にも便宜を与えたのである。ツァーの弾圧の激しかった当時、ロシアでのユダヤ人革命家はいろいろと行動を制限されていたのは当然である。そこでアメリカ政府はこれらロシアのユダヤ人革命家を一旦アメリカに入国させ、アメリカの市民権を与えて再びロシアへ送り返すという手の込んだことをしでかしたのであった。これらアメリカ市民権をもったユダヤ人革命家は、当時国際関係において弱かったツアーのロシアでは治外法権をもったものの如くふるまえたのであった。これと同じようなことはまだ他にもある。

 ●米軍のシベリア出兵の真の意味

 日本がシベリア出兵を決議した翌日、ウィルソンは米軍の派遣を発表している。これはボルシェヴィキ、つまりユダヤ権力の擁護が真の狙いだったのだ。それともう1つは、日本の極東地域での伸長を妨害することであった。これはユダヤ民族がナショナルホーム建設候補地として満州を狙っていたことに対する側面援助に他ならない。ビロビジャンにユダヤ人入植地をつくったのも、マクロに考えれば満州へのユダヤ人進出に対する橋頭堡であり、ミクロに考えればアメリカとの接点をつくることであった。 

 この米軍には奇妙な米兵が半分以上いた。英語を話せない米兵である。何故か。彼らはポーランド出身のユダヤ人だったのである。彼らもまたいったんアメリカへ入国し、アメリカ市民権をもらい、米軍の服を着てシベリアへ馳せ参じたのである。この意味でも、アメリカはまさにソ連の助産婦といえよう。ロシア革命がこのような外的協力によって成されたものであることはお分かりいただけたと思うが、内的には、先ほどのレヴィーのマルクスへの虚構仮設の発注書にある通り実行されたものであることは、普通のマルクス主義の建前論に基づいた教科書でも分かる通りである。〈中略〉

 ●唯物史観はユダヤ神話から

 マルクスの夢は学者になることであった。そのようなマルクスのことである、単なる予言者では決して満足できなかっただろう。注文によって先ず『共産党宣言』の虚構ハイポセシスを構築したが、この単純な仮設でも満足できない。そこで『経済学批判』を書くのであるが、その第一の目的は現状の変革をより有機的に信じ込ませることである。現状、つまり資本主義たるものを共産主義に変革せよと使嗾(しそう)するだけでは充分な説得力あるものとはいえないと考えたわけである。そのためには資本主義を固定したもの、静止したものと考えられてはまずい。これを流動的なもの、必然的に変わる流れの中の一時期であると説くことが有効である。そのために考えたのが「社会発展段階説」なるものである。原始共産社会→古代奴隷制社会→封建社会→資本主義社会→共産主義社会というものである。『資本論』で用いている言葉でいえば“変態”ということになる。

 これはユダヤ神話のパターンである。最初に調和を保った神代の時代があり、これが異教徒により崩されたが最後にまた調和の保たれた自己だけの時代に至るというものである。これをマルクスは、原始共産制社会と最後の共産主義社会の間に3つの階級闘争のある社会を挟んで「社会科学」として売り出したものである。これだと資本主義社会は階級闘争の渦中にある一段階として映り、流動的に映る。したがって、変革は必然と説得しやすい。

 ここでちょっとインターについて触れておこう。このインターナショナルというのはユダヤ人の横の連帯のことであり、日本語でいう「国際」という観念とは根本的に異なる。ユダヤ人は国家を持たなかったのであるから、インターナショナルあるのみである。国家をもった民族がいう「国際」とは次元がちがうのである。ただし、マルクス主義の建前論を盲信する人々は、「プロレタリア国際主義」という虚構を信じてユダヤ人と同様に国家を否定して階級間の横の串刺しの方が国家より優先すると考えている。これが虚妄であることは中ソ対立、中越戦争を見れば明白なことである。

 ●プロレタリアとは“子孫しか財産のない者”の意

 国際ユダヤ勢力は今世紀に入ってからも、得意の両建て主義の一方の雄として「プロレタリアート」なる階級を創造し、国家を内部から崩壊させるため階級闘争なるものを使嗾してきた。それはラテン語の Proles=子孫という意味の言葉から出ているものであり、その意味するところは、子孫しか財産のない者、つまり古い言葉でいうところの「無産者」である。また別の意味では、子孫を生産する以外に能のないもの、つまり「無産者」は何も生産しないものという意味にもユダヤ人は考えているのである。つまり、この用語にはユダヤ人の侮蔑的意味がこめられているのである。

 ●資本論の源流もタルムード

 「共産党宣言」「経済学批判」と予言的虚構仮設を書いてきたマルクスではあったが、本来学者志望のマルクスがこれに満足するはずもなかったことはむしろ当然というべきであろう。大英博物館へ通う生活を始めたマルクスについて、極貧状態の中で『資本論』の執筆を続けたという神話が従来一般的であった。最近では、マルクスが女中に子供を宿し、エンゲルスがそれを認知していたという事実が明るみに出てきた。これなど「神話」を信じ込んでいた人には信じられないことだろう。何故、極貧状態の中で生活しているものが女中など雇えるのか、という疑問が先ず出るであろう。だが、マルクスの実像はユダヤの組織から巨額の資金を得ていたのである。マルクスがロンドン時代に住んだソーホーにある住居は現代流にいえば都心の高級マンションともいうべきものである。ソーホー地区は19世紀時代は現在のそれとちがって高級住宅地であった。マルクスは、このような恵まれた環境の中でゆうゆうと民族の至上目的のため虚構仮設の創作にかかっていたのであった。ここでマルクスが創作した『資本論』は日本では「経済学体系」の中へ組み込まれているようである。マルクス主義という怪物もこの『資本論』がなかったら、怪物たる威力を発揮することはなかったかもしれない。「共産党宣言」や「経済学批判」では、学問体系としてまじめに考えるわけにはいかないであろう。しかるにこの『資本論』が一見学問風の装いを身につけているため、マルクス主義というものがこれほど大きな影響を世界史に与えることになったといえよう。

 しかし、この『資本論』は個々の部分に学究的態度の反映が見出されることを否定はしないが、悲しいかな、全体を流れる思想はマルクス主義全体の場合と同じく、メシア思想とタルムードの思想に他ならない。総論反対、各論賛成とでもいおうか。やはりこれも、予言者といわなければならないようである。日本では『資本論』の研究レベルは他国と比べてケタ外れに高いといわれる。『資本論』研究ということになれば、この「予言者」の発想の源流、構築作業の過程、目的などの解明に焦点を当てなければならないと思うのだが、何故か「経済学」に対する訓話学的態度しか日本では見られない。マルクスが一連の予言者のけじめとして、また多少とも自己の学者としての欲求を満たさんがために余生を打ち込んだのがこの『資本論』であるが、マルクス主義と同じく「始めに結論ありき」という類いである。結論がアプリオリに出されてしまっている。アプリオリに出された結論とは「革命」である。したがって、これも帰納的手法では迷宮入りするしかないのであって、演繹的に分解する必要がある。〈中略〉

 ●「搾取」の意味と語源

 マルクス主義構築の原点となったのがタルムードの思想にあるといったが、『資本論』においても同じである。再三繰り返し引用して恐縮であるが、「非ユダヤ人の財産は一時彼らに預けてあるものである」──結論は今いったように「革命」であるが、原点はやはりここから始まる。『資本論』の中でも有名なかの剰余価値の法則というのがこれである。マルクスはこれを「搾取」と呼んでいると一般にはいわれているようだが、マルクスの頭にはこの「搾取」の方が先にあったのである。前述のタルムードの思想をよく考えてみると「本来自分達に属する筈の財産が理不尽にも現在は他人の手にある」。この考えが「搾取」という言葉の原像である。

 Ausbeutung というドイツ語がある。普通これは日本で「搾取」といわれている言葉である。このAusbeutung という言葉は、中世においてユダヤ人に投げつけられた言葉であった。中世においてはユダヤ人に許された唯一の正業は高利貸しであった。高利貸しという特殊な職業からして、その商法はそれも特殊なものにならざるを得なかった。その特殊なユダヤ人の商法を非ユダヤ人は Ausbeutung といったのである。強烈な民族主義者であるマルクスがこの不名誉な言葉をいつかは非ユダヤ人に投げ返してやりたいと秘かに思っていたとしても、なんら不思議はないであろう。マルクスの考えでは、本来自分達に属するものを故なく奪われているのであるからそれを取り返すのは当り前である。しかるに高利貸しの如き微々たる収奪でもさっそく「搾取」という言葉を投げられている。これは割に合わない、と考えるのは自然であろう。

 以上のことが、マルクスに『資本論』を書かせようと決意させた最大の動機であると考えられる。先ず最初に、故なく奪われている我らの財産を具体的に説明しようとするところから『資本論』は始まるわけである。つまり、タルムードの思想を「論理的な衣」を着せることから始まるわけである。それが剰余価値の法則であるが、これは論理的に考えても人間社会にあてはめるべきものではなく、蟻社会か蜜蜂社会にででもあてはめるべきものである。理性をもった人間社会ではこのようにはならない。これは唯物史観についても同じである。しかしマルクスにとっては、もともと論理性などどうでもいいことであった。この剰余価値論の構築には、マルクス主義の構築の時と同じく2つのユダヤ思想が合体されてその源流となっている。まず二極分化論を立てることである。そのため、メシア思想の黙示録、「選民」対「異教徒」の葛藤によるエスカトロギー(終末論)という図式である。要するに「労働者」これはメシア思想の「選民」、つまりユダヤ民族に相当させるものにすぎないのだが、労働者、即ちユダヤ民族が理不尽に財産を奪われているということ、したがって手段を選ばずこれをとり返すのは当然であるという「論理性」の衣でもって信じ込ませれば目的は達するわけである。さて以前ではこのことを証明する如何なる材料も見出せなかったので、マルクスも枕を高くしてハイゲートパークに眠ることができたかも知れないが、昨今ではそうもいかなくなったようである。資本論は唯物史観の肉付けの役を与えられたものである。したがって、唯物史観と同じく絶対的貧困化が如何にして必然性をもつものかということを説明するのを目的としていることは当然である。

 マルクスはタルムードの前述の思想とメシア思想の黙示録のパターンを実にうまく結びつけたものだと感心する。だが、発想の原点は非常に卓抜なものであるが、結論、つまり絶対的貧困化と革命に至る途中の過程には妙案はなかったものと見える。生産力と生産関係の矛盾というのがマルクスがそのプロセスで用いた仮設である。
生産関係というのはメシア思想の二値論理による二極分化でブルジョアジーとプロレタリアートの葛藤ということでうまく設定できたが(少なくともマルクスなどはそう思っていることだろう)、生産力というのは非常に苦しくはないか。この生産力というのは膨脹した生産力というふうに設定されている。つまり、豊かな生産力である。そうであれば、マルクスは「資本主義」体制で、いいかえれば「市場経済」体制で生産力が飛躍的に増大するということを認めていたことになる。「経済学」に足をつつ込んだマルクスなら、それは認識していてもおかしくないであろう。市場経済原則を崩し自由競争を原則とした生産体制を止場した「共産主義」体制では、したがって生産力が落ちることぐらい、とうの昔に分かっていたのであろう。しかしマルクスは、建前論としては、「共産主義」経済体制で無限に豊かになるという暗示をかけなければならなかった。もともと「資本主義」というものはマルクスが仮設として創造したもので、実在するものではない。自由競争生産体制が唯一の経済体制である。封建制社会とて原則は同じであり、次元の異なるものではあり得ない。「資本主義」は否定のための否定材料として設定されたものにすぎない。共産主義の引立て役として登場させられたものにすぎない。ここでよくもっともらしく論議される資本主義と社会主義、あるいは共産主義との収斂説は架空のものとならざるを得ない。中国の鄧小平の推進する近代化を一方の収斂現象と見、他方スエーデンあたりの福祉国家を資本主義からの収斂現象のサンプルと考えるが如きは意味をなさないことになる。

 ●資本主義は手段であり、経済体制ではない

 誤まってはならないことは、「資本主義」という言葉である。これは左翼に限らず、多くの人々の間にも一般化されているが如くである。その意味のとり方は共通して、社会科学の用語として、つまり経済体制の一つとして受け取っていることである。こういう思考パターンからは当然のことながら、共産主義、社会主義、あるいは封建主義社会といったものが対応物として対比されるのを常とする。これはとんでもない誤りである。ユダヤ人がこの「資本主義」という言葉を意味するときは、手段、方法として考えているものである。これを非ユダヤ人に宣伝するときは、マルクス主義にある如く社会科学用語として一つのある過渡期の経済体制として売り込んでいるのである。ここから大きな混乱が持ち上ってくるのは当然であろう。ユダヤ人は、資本主義と共産主義を両建て主義といっているのである。これ以外はこの両建て主義の引き立て役にすぎない。封建制社会、古代奴隷制社会、原始共産制社会等いずれもユダヤ人にとってはどうでもいいのである。

 共産主義──マルクス──共産党宣言
 資本主義──レーニン──帝国主義論

 この2つを両建てとして至上目的の達成に向かうということである。

 共産主義は革命という内部からの国家崩壊、権力奪取を目ざすものであり、19世紀にはこれを主武器と考えていたのであった。しかるに、20世紀に入ると「資本主義」が順当に発達し思わぬチャンスを内包するとユダヤ人達は考えるようになったのである。それは“戦争”である。レーニンのいう如く「戦争は革命への最短距離にあるまたとないチャンスである」。かくてレーニンはホブソンの「帝国主義」を丸写しにして外観を装い、自作としては「帝国主義戦争不可避論」ただ一点のかの有名な「帝国主義論」を書き上げたのである。

 これは煽戦のための虚構仮設である。レーニンの用いた方法はマルクスと同じ弁証法的唯物論という虚構であって経済的要因がすべてを決すると強弁することにより、戦争必然論の方向へもっていこうとするわけである。レーニンにとっては、戦争を起こさない資本主義なぞ三文の値打ちもないということである。つまり「資本主義」「帝国主義」というものは革命の捷径たる戦争を起こすための手段、方法にすぎないのである。

 そこで例えば、「市場経済原則」という言葉で表現してはどうか。他にもいろいろあろう。「市場経済体制」「自由競争生産体制」などもあるようだが、いずれにせよ、社会の経済体制というものは自由競争を唯一の原則とするものである。したがって例えば日本でいえば、江戸時代も明治以後も全く同じ経済体制に他ならない。経済メカニズムの複雑性、生産力、技術の差、基幹産業の違いはあれ、江戸時代も明治以降も同じ自由競争を原則とした生産体制である。 自由競争経済体制という変な言葉も、共産主義という疎外形態の経済体制をマルクスが創造したためにその対応物として、また複数の経済体制の一つであるかの如く持ち出されるようになった。自然の摂理として平等というものは決してあり得ない。経済においても自由競争が自然の摂理である。

 ●収斂論のナンセンス

 「資本主義」「社会主義」を経済体制と誤認することから苦心の結果として収斂論というものまで出てきている。資本主義と社会主義が収斂するかの如き幻想を抱くのも虚構論理にはまってしまえばむしろ自然かも知れない。しかしよく考えてみれば、それは「自由と平等の収斂」という珍無類の概念に収斂されることになる。自由と平等は決して両立しない。この点から考えても「資本主義」「社会主義」を経済体制と考えることの誤りは立証できるのではないか。ユダヤ民族は、至上目的のために自己のメシア思想を基調として「共産主義」という架空のものを創造し、そこでは自由競争を原則とした「資本主義」を諸悪の根源たる悪玉に仕上げた宣伝をしたわけである。ディアスポラ以来の筆舌につくしがたい苦難から脱するためには、現状を絶対悪としその対応物として絶対善の架空の未来を設定するという考えは、ごく自然のものである。いわんや、宗教民族であればなおさらといえよう。その現状の絶対悪を「資本主義」と命名したまでである。一方、絶対善の架空の未来を「共産主義」とするわけである。ユダヤ教の呪縛力の大きさを改めて痛感させられるのは、かくの如き単純極まりない神話が近世史にかくも大きな影響を及ぼし人類の歴史を迷路に追いこんだという事実である。現在世界の3分の1を占める国々では、自由競争体制から離脱してしまっている。そして現在のソ連は超軍国主義化政策をいよいよ強化している。〈中略〉

 ●タタール革命は避けられないソ連

 ご存知のようにソ連は半分がロシア人であり、後の半分は60種類以上の多民族から成っている国である。1917年のクーデターで、ユダヤ人はツァーの暴政に終止符を打つのに成功したのであるが、その後力不足のためスターリン1人にユダヤ権力はつぶされてしまった。その原因はいろいろあるが、赤軍を掌握できなかったことが最大の敗因だと思う。何故なら、我々ユダヤ人は軍人としての素質は極めて弱く、それが赤軍掌握を不可能にした原因と思われる。

 スターリン死後は徐々にロシア人の権力が強くなり、今日ではロシア人でなくては指導的ポストにつくことはできないようになっている。ここ十年来、非ロシア人(このことをソ連ではタタールといっている)、つまりタタールは息苦しい空気の中で圧し潰されたようになっている。現指導体制が崩壊した後、如何なる人物が指導権を握るか、これだけは全く予測がつかないが、80年代には経済的な動脈硬化症とも合わせてタタール人の動きは活発化せざるを得ないだろう。ソ連を現在の疎外形態の国家から解放するのは、経済的不満分子ではなく民族的不満分子である。


 第6章:GHQのニューディーラーの戦後処理計画──極左的戦後改革を強行したユダヤの秘密 
 ●日本の戦後史はユダヤ人が演出した

 真に不思議なことであるが、よく考えてみれば論理的に辻褄が合わないことでありながら、その論理的不整合が今まで全く研究されていない問題が日本に存するのではないか。それは、日本共産党が占領当初、アメリカ占領軍を「解放者」であると規定したことである。野坂発言で有名なこの事実と、アメリカが資本主義国であったという事実を如何にして矛盾なく論理的に整合させることが可能なのか。これは戦後史研究上の最大の問題点であるはずなのに、この問題を解明しようという試みは未だなされていないようである。私はここで率直にこれらの日本の戦後史を創ったのがユダヤ人であり、それが実に恥ずかしいほどの我々の無知に基因しているものであることを告白し、我々の「信じ難いほどの頭の悪さ」をお許しいただきたいのである。

 日本人は、その戦後史の顕著な跛行性、経済面の驚異的な高度成長と精神衛生面の硬直化、停滞性、虚妄性に深く悩まされているのではないかと考える。戦前日本にあった世界に冠たる長所、美点はあとかたもなく消され、後に残ったものは欲の皮のつっぱり合い、金、金、金の拝金主義的傾向、国際的にはエコノミック・アニマルぶりのみではなかろうか。現在までのところ確実にいえることは、日本人はいまだこの戦後史の180度転換の真の原因について盲目同然であるということである。

 日本人は大変困難な二元論的思考を強いられているのではないだろうか。つまり、戦前のいいものを消したのが、民主主義といわれる戦後持ち込まれた制度ではないのかという疑問と、民主主義は一点も誤まることのない善玉の神であると盲信させられているところからくるディレンマである。天皇制と民主主義が相容れないアンチテーゼであるということは、案外日本人は理解していないのではないかと思えてならない。日本では「民主主義」は全く聖域に祭り上げられているといってよかろう。戦後30年を経た今日でも、日本では「民主主義」を批判しようものなら、それこそ袋叩きに会うこと受け合いであろう。よしんば民主主義にケチをつけるとしても、それは民主主義の本質に対してではなく、それに対応する側の態度が問題にされる程度である。戦後史の謎を解く鍵はこのへんにあると思われる。民主主義という言葉はギリシア時代にさかのぼるのを常識としているが、今日、日本は、いな世界中で云々されている「民主主義」というものは、実は我々ユダヤ人が創作したものである。戦後の占領改革が始まるや否や、我々ユダヤ人(アメリカと考えていたのでは何もわからなくなることはこのあとで説明する)は、戦前の「天皇陛下万歳」に代わる言葉として「民主主義」「自由」「平等」を日本人の頭に植えつけることに成功したのであった。

 ●「民主主義」は戦後における絶対の善玉

 かくて「民主主義」は絶対の善玉の神として聖域に安置されることになった。しかし、この「民主主義」には奇妙なことがある。例えば、イデオロギー的に絶対に相容れることのないはずの自民党と共産党とが各々この「民主主義」の守護神を買って出ていることである。本来これはおかしいのであるが、絶対の善玉を自己の看板にしない手はないということか。

 ここで考えられることは「民主主義」とは何ら実体を伴わない虚構概念ではなかろうかということである。具体的概念であれば、双方のイデオロギーに奉仕することはありえないのではなかろうか。そのように考えてくると、もう一つ面白い事実を発見する。それは「民主主義」の精神的支柱である「日本国憲法」の中には、「民主主義」という語句が全く発見できないということである。この憲法を形容する時は必ず「民主主義」「民主的」といった言葉で飾られているではないか。このように考えてくると「民主主義」とは何ら実体のない虚構概念かまたは他の虚構論理の目かくし役でも与えられているものなのではなかろうかという疑問が生ずる。いずれにせよ、この奇妙な「民主主義」の本質は是非とも明らかにされなければならないだろう。

 次に解明されなければならないのは、この民主主義の絶対の擁護者を自任するマルクス主義の本質であろう。マルクス主義即革命という単純なものではない。マルクス主義の弊害は空想的な革命運動にあるのではなく、戦後の病巣との関係においてこそ見出されるものである。

 私は、これら民主主義とマルクス主義がいずれもユダヤ的思考の所産であることを告白し、その虚構性と源流を白日の下にさらし、同時に、我々が第二次大戦終結時の日本人の精神的虚脱状態にあった時をとらえ、巧妙に日本人の頭脳、意識の中へインプリントしてしまった過程を明かし、また、それが我々ユダヤ人の浅はかな錯覚によって引きおこされたものであることをご説明させて頂き、お許しをねがいたいと思うのである。

 さてここでも、日本共産党にご登場願わねばならない。これは我々の罪ほろぼしの一環でもある。何故なら、日本共産党は我々のエピゴーネン(亜流、継承者)であるから。アメリカの占領改革とは一体どんな本質をもったものなのか。今日の病理のルーツはこの占領改革にあると考えられる。しからば、この占領改革の本質を解明すれば、自ずとその治療法も発見できるのではないだろうか。さてそのためには、是非とも一つの大前提が必要となる。それは日本共産党を信用するということである。日本共産党の何を信用するのか。それは、マルクス主義への絶対視ということについてである。しからばここで解明されるべき結論は、あのアメリカの占領改革がマルクス主義に基づくものであり、あの改革を行なったニューディーラーがマルクス主義を頂くグループであるか否かを解明すればいいことになる。ニューディーラーがマルクス主義を頂くグループであったということは、彼らがすべてユダヤ人から成っていたという事実からもいえる。別章で説明した如く、マルクス主義はユダヤ民族解放のための虚構ハイポセシスなのであるから、これらユダヤ人グループがマルクス主義を駆使するのは当然すぎるほど当然なのである。日本共産党は戦後間もなく、アメリカ占領軍を解放者と規定し双手を挙げてこれを歓迎した。このことは後にコミンフォルムにより激しく批判されることになったことは、ご存知の通りである。その後、アメリカでマッカーシズムの嵐が吹き荒れる頃、日本でもレッドパージが起こった。この頃より日本共産党はアメリカを「帝国主義者」と呼びはじめ今日に至っている。

 ●日本共産党の教えてくれる“2つのアメリカ”

 ここに、2つのアメリカが存することになる。つまり、今日共産党が規定している「帝国主義」のアメリカと、終戦直後日本共産党が規定した「解放者としてのアメリカ」──これの意味するところは非資本主義的アメリカということである。現実に社会主義化は行なわなかったが、数々の左傾化政策等を行ないその後遺症は今日に至っている。これは絶対に相容れない対立物であるはずである。日本で議論される単に「アメリカの占領改革」といったことでは、その本質を見抜くことは不可能であるということになる。

 このことをもう一つ別の角度から考えてみよう。戦後数年して、アメリカでマッカーシズムといわれる嵐が吹き荒れた。普通「赤狩り」といわれるものである。この時「非米活動調査委員会」というものがつくられた。この非米活動というのは内政、外交両面におけるアメリカの国益に反する政治活動という意味であり、戦時中日本でいわれていた「国賊」「非国民」の類いとは根本的に違うものである。 

 この非米活動というのは具体的にはルーズベルト政府、即ちニューディール派を指すものである。内政においては資本主義国アメリカで明らかに共産主義政策と考えられるような極左政策を行ない、外交、軍事面ではアメリカに何ら利害関係のない対独戦に強引に引きずり込むという過激な政策を行なったニューディール派は、戦後処理においてもヤルタ条約によりソ連を極端に利し、対中国政策でも失敗し、中国大陸を完全に失うことになった。また対日戦後処理においてもこれから問題にする如く極左政策を実行し、日本資本主義の基礎を崩さんばかりの変革を行なった。

 これらは資本主義国アメリカの国益に合致するものとは決していえないものである。アングロサクソン系を中心とするアメリカの支配層は、長い間のユダヤ支配から脱出するため遂に立ち上がったのである。これがマッカーシズムの本質である。いわばアングロサクソン革命である。ここでいうところの「赤狩り」とは「ユダヤ狩り」に他ならない。これにより、ニューディール派は完全に息の根をとめられ、以後「名存実亡」となるのである。以上の点からみても、ユダヤのアメリカとアングロサクソンのアメリカと2つあったといえよう。ユダヤ系のアメリカというものがアメリカの真の国益に関係なく行動するものであったことは疑いのない事実であった。〈中略〉

 ●ニューディーラーの操り人形だったマッカーサー

 典型的な軍人といわれたマッカーサーも、現実にはこのニューディーラーに組みしていた。軍人であるマッカーサーは、政治には弱かった。当時東京のGHQへ送られる諸々の指令は、トルーマン大統領以下閣僚の全く関知しないうちに国務省の秘密グループから発せられていた。政府中枢がもう少し気を配っていたら、このようなことにはならなかったと思われる。この国務省の覆面グループと呼ばれる秘密組織は、つまるところニューディーラーの残党に他ならなかった。トップの目をかすめて送られてくるこれらのニューディーラーの残滓の指令を逐一実行に移していたのが、無知な軍人マッカーサーであった。有名なFEC(極東委員会)230号といわれるニューディーラーから送られた指令は、財閥の解体から始まって独占資本を日本共産党の息のかかった労組などに二足三文で払下げることや、革命行為があっても見て見ぬふりをしろといったロシア革命もどきの極左政策を命令していた。何も分らないマッカーサーは、そのような下部の一部グループから送られた指令を忠実に実行していたのであった。直接手足となってこれを推進したのは「GS」といわれる民政局のホイットニーや、憲法の作者であるチャールズ・ケーディスであった。

 それに対して「G2」といわれるマーカット、ウイロビーのグループは、懸命にこれらニューディーラーの暴走を阻止しようとした。また民間人では、例のグラマン事件で有名になった当時『ニューズウィーク』誌の外報部長であったハリー・カーンも極左化阻止に力を尽くした。〈中略〉

 ここでお気づきのことと思うが、ルーズベルト政府、つまりニューディーラーの日本に対する態度とドイツに対する態度は根本的に相違しているということである。ドイツに対してはユダヤ人の権利に制限を加えたことなどから民族的な憎悪を露骨に現わしているが、日本に対してはそのような感情的なものは見当たらない。我々ユダヤ人は、第二次大戦においてはドイツは我々に対する加害者であると考えているが、日本に対しては我々こそ加害者であり日本は被害者ではないかと考えているのである。〈中略〉

 そのようなことから、戦後処理については日本に対しては民族的敵意をもった政策は最初から考えていなかったのである。むしろ日本人をより自由に、より平等にしてあげたいと考えたのである。我々の苦しい経験からして、日本人にもより自由な生活をしてもらいたいと真に短絡な考え方で戦後改革を行なうことになるのである。しかしそれが大変な誤りであることに我々が気づくのは、戦後改革の悪弊が出てしまってからであった。

 ●ニューディーラーの本質

 日本でも、日本の戦後改革を行なったのがニューディーラーであるということはかなり知られているようである。しかし私の見るところでは、しからばニューディーラーとは一体何か、ニューディーラーの本質となると、その認識ははなはだ心もとないものではないだろうか。ニューディーラー認識の第一歩は、彼らがユダヤ人のグループであるということを知ることであろう。しからば、自ずとその政策のはしばしに現われてくるユダヤ的思考の所産を発見できよう。そうであれば、このグループの政策が自ずと共産主義であることが簡単に理解されよう。事実、マッカーシーの「赤狩り」というのはこのニューディーラーの残滓を一掃することだった。マッカーシズムが吹き荒れた時、日本人はアメリカにも「赤」がいるのかと不思議がっていたが、この赤とはニューディーラーのことに他ならない。ニューディーラーの頭目は、いわずと知れたフランクリン・デラノ・ルーズベルトである。アメリカ人の90%は今でもルーズベルトがユダヤ人であったことを知らないようである。しかし、彼はレッキとしたユダヤ人だったのだ。 

 フランクリン・デラノ・ルーズベルト、良きにつけ悪しきにつけ、日本人には因縁深い名前である。1933年、奇しくもヒトラーが政権をとったその年にアメリカ大統領に当選し、1945年、第二次大戦終結の年に死去するまで、文字通り独裁者としてアメリカに君臨した人物である。このルーズベルトを語る場合、先ず真っ先きに留意すべきことは、このルーズベルトという名前が今日のアメリカでは半ばタブーとなっている事実である。この点は日本ではあまり気づかれていないのではないか。さらに、全米600万のユダヤ系市民の間では完全なタブーであるということである。この事実は全くといっていいぐらい知られていないようである。もともとユダヤ問題など殆ど関心のない日本人である。それもむしろ当然かも知れない。

 ●ルーズベルトはユダヤ人である

 何をさて置いてもハッキリしておかなければならないことは、彼がユダヤ人であるということである。ルーズベルトは、正真正銘のユダヤ人である。このようなユダヤ人を「諜者」 agent といっている。マルクスも改宗後はこの諜者である。この諜者というのは、ユダヤ民族の遠大な計画のため表面上は改宗したことにし、したがってルーズベルトの常に口にする如くクリスチャンになるわけである。しかし本質的には、従前以上の強固なユダヤ教徒になるのを常とした。陸軍中野学校の卒業生が戸籍上死亡したことにして特殊な任務についたのと似ている。ルーズベルトの家系は後述する如くユダヤ系であった。このような名門のユダヤ家系の中から改宗者が出た場合は、諜者となる場合が多い。

 ●ルーズベルトの家系

 ルーズベルトの家系のルーツを調べてみると、祖先は17世紀の末葉、オランダにいたユダヤ人 Claes Martenzan van Rosenvelt である。このローゼンフェルト家の先祖は異教徒審問中、スペインから亡命したユダヤ人の一群に属し、ローゼンカンポと称されていた。その後この一群のユダヤ家は欧州各地に分散している。彼らは、 Rosenberg、Rosenbaum、Rosenbarium、Rosevelt、Rosenbergなどと名乗った。この中のヤコブス・ローズベルトがオランダに定住し、この一家のみが諜者となるためプロテスタントに改宗したといわれる。この一家は1649年、オランダから当時ニューアムステルダムと呼ばれていたニューヨークへ移住している。1682年にクラエス・マルテンザン・ローズベルトはジャネツェ・サミュエルズと結婚している。戦後、布商を営んでいた。また、1935年3月14日の『ニューヨーク・タイムズ』紙上で『デトロイト・ジューイッシュ・クロニクル』紙に掲載されたルーズベルトの書翰を転載しているが、この書翰によると、「自分の先祖は多分ユダヤ家であろう」と記しているという。

 ルーズベルトが全米のユダヤ系市民からモーセの再来として信仰に近い尊敬を集めていたことは、よく知られている。ルーズベルトは1933年大統領に当選するや否や、次に述べるごとく在米ユダヤ系市民から信じられないほどの喜びで迎えられ、また崇拝されているのである。実はよく考えてみると、これはなんとも奇妙な話なのである。何故なら、ルーズベルトは選挙公約でユダヤ系市民の利益になるようなことは何一つ公約していないのである。また、ルーズベルトが今後ユダヤ系市民にどのような政策を行なうかも全く予測などできないはずなのである。しかるに何故に、以下述べる如く祝わなければならないのだろうか。もしルーズベルトがユダヤ人でないとするならば……。 ルーズベルトが当選すると、彼の生みの母ゼームス・ルーズベルト夫人がジューイッシュメタルを贈られ、ニューヨークユダヤ協会の名誉会員に推薦され、その祝賀式典の式上で、ニューヨーク市長ラガーディア(ユダヤ人)は、全ニューヨークユダヤ人の名において金牌を贈与したのである。これに対して母親は金一封を謝礼として贈っている。さらに、シオン組合の前会長ルイス・リプスキーは同夫人はアメリカの躍々たる勇敢なる指導者を生んだとの讃辞を呈し、マイロン・ザルツバーガーは「夫人は単に米国の母として偉大なるのみならず、世界の母として偉大となられることを希望する」と述べている。これに加うるに、メタルの鋳造がある。1933年3月4日に大々的に売り出されたこのメタルは表面にルーズベルトを演出し、裏面にダビデの星がきざまれているものである。ルーズベルトの当選を待ちかねたように、せきを切ったごとくこのようなルーズベルト絶賛がユダヤ系市民から起こったのははたして偶然であろうか。

 ルーズベルトを囲繞するブレーントラストがすべてユダヤ人でありその大部分が同時にマルクス主義者であったことは、日本でもよく知られていることである。
大部分はプライベートなブレーンであるが、見逃せないのは、国務、財務、労働の3つの重要な長官がルーズベルトのグループだったということである。国務長官のコーデル・ハルはユダヤ人ではないが、妻君がクーン・ローブ商会のユダヤ人ヤコブ・シフの親類の出身である。開戦後交換船で帰国した栗栖大使が語ったように、ハルは圧力のため思うように政策がすすめられなかったのであった。野村大使ではとてもそんなハルの本音は聞き出せないだろうが、栗栖大使の腕はさすがである。結局、ハルはがっちりルーズベルトに、いいかえればニューディーラーに組み入れられていたのであった。

 次の財務長官ヘンリー・モーゲンソーはユダヤ人である。戦後処理をめぐって対独強硬案を出した如く最もユダヤ的なユダヤ人であった。このモーゲンソーは、ルーズベルトの史上最大の赤字作りに最も貢献するわけである。もう一人の労働長官はフランシス・パーキンス女史である。彼女は、労働者に団結権を与え、階級闘争を激化させる要因をつくるのに貢献するのである。ロシア系ユダヤ人である。 

 これらの指導者がユダヤ人であるということは別章で述べた如くであり、共産主義を自己解放のための手段、道具として活用しようと考えるのは何ら不思議ではないはずである。なんの臆面もなく資本主義国アメリカで共産主義化政策を追求していたわけである。これら3人のほかに、私的ブレーンが数多く存在したことは有名である。

 ●ルーズベルトを囲繞するユダヤ人共産主義者群

 ルーズベルトの取り巻き連の中で特に顕著なことは、俗流ラジカルといわれるユダヤ人マルクス主義者群である。その代表格が、ウィーン生まれのフェリックス・フランクフルターである。彼は1882年ウィーンに生まれ、12歳の時渡米しており、1906年、ハーバード大学で法学士号をとり政界入りし、検事総長特別補佐、陸軍省法律顧問等を経て1920年最高裁判事に任命されるまで、ハーバード大学教授であった。

 一見、自由主義者の如き経歴であるが、実は彼は大学で盛んに革命思想を吹き込んでいたのである。特に、ユダヤ人学生を卒業後政府内の枢要な地位に推薦することに努力していた。彼が最高裁判事に任命されるとルーズベルトの許へ多くの国民から抗議が寄せられたのであるが、ルーズベルトはそれらを握りつぶしたのである。当時、9名の最高裁判事の中の2人までをユダヤ人に占めさせたことは、重大な意義があったのである。もう一人の最高裁判事ルイス・ブランダイスも、ルーズベルトの私的アドバイザーである。彼は「全世界シオン賢人会」の会員であった。日本国憲法の事実上の草案作製者で、現在ニューヨークで弁護士をしているケーディスは、これら2人のユダヤ系法曹人の弟子である。

 バーナード・バルークについては説明の要もないほど有名であるが、兵器産業界の大立物であり、第一次大戦にアメリカが参戦したのもこのバルークの力が真に大きいのである。当時は、バルークの許可なしには工場一つ建てられなかったといわれる。第二次大戦中は、原爆の製造に尽力した。彼は「米国のディズレイリ(英国のユダヤ人首相)」と呼ばれており、アメリカのユダヤ人では最大の権力者といえよう。

 バルークは、第一次大戦中は、1917年、アメリカの参戦後間もなく軍需工業院総裁になり、全産業無制限的統括権を振るうことになった。軍需工場のすべてを掌握していたこのバルークは、A・A・ハウスマン銀行の共同経営者になり、1900年、同銀行と手を切って、ウォール街の株式取引所の有力な地位につき、一方では、自己資金で株式売買や株式市場の不正操縦により暴利を稼いでいた。ウィルソン時代には、真の大統領はこのバルークではないかといわれたものである。

 バルークは第一次大戦の煽動に続いて、なんとかアメリカを対独戦へ引きずり込もうと狂奔したのであって、彼の場合、単にドイツのユダヤ人救出だけでなく、戦争による膨大な金権支配力を得ようとしていたのである。「死の商人」とは、彼のためにつくられた言葉かも。第一次大戦後、上院の一委員会が大戦の前史的事態について調査し、バルークを喚問した際、彼は上院議員J・ハリスの質問に答えて次の如く公言してはばからなかった。「最後の決定権は自分にあったので──つまり陸軍と海軍とが所要の軍需品を供給されるか否かは自分次第──鉄道が果たして莫大な輸送に耐えうるか否か、連合国が所要の機関車を米国で手に入れることができるか、それとも、ロシアかフランスで製造させる以外に手がないか否か──それらはすべて自分次第で決まるのだ」。同時にまた、「大戦中、自分以上の権限をもった奴がいたかどうか聞くのは愚である」とも。彼は1938年、南米からの帰途、ドイツはアメリカ侵略を目論んでいる、ドイツ軍のアメリカ侵略は近いとして、対独戦参加の伏線をしいていた。

 レックス・ジー・ダグウェルはコロンビア大学教授であり、マルクス主義経済学者として知られ、ソ連とも近い人物であった。レーモンド・モーレーはコロンビア大学教授であり、ブレーントラストの表面的首魁である。
1933年5月2日、下院議員ハミルトン・フィッシュはルーズベルトのブレーントラスト群の中のレーモンド・モーレー、ダグウェル、モルデカイ・エゼキル、ウィリアム・ブリットの相互連絡について発表している。ダグウェルは、社会主義者スチュアート・チェーズと共産主義者ロバート・ダンと協力して『第2回10年計画下のソ連』を出版したことがあり、これら3人の学者は密接な関係を保っていたのである。ダグウェルの親友である社会主義者のスチュアート・チェーズは『ニュー・ディール』の著者であり、アメリカのソ連化を企図していたのであった。

 ダグウェルは、かつて社会主義者の仲間として訓練されたことがあり、コロンビア大学経済学教授として、また社会党の機関誌「新共和」の寄稿家として活躍していたのである。彼は共産主義化の方向へ進めることに全力をあげており、米国民もロシア人も両者間に性格の相違点は見出せず、したがって米国でもロシア同様の革命が可能であるという意見をもっていた。これすなわちユダヤ革命のことであり、共産主義云々というのは所詮建前論であり、カモフラージュにすぎない。次の問題人物はレーモンド・モーレーである。コロンビア大学に講座をもっており、常にルーズベルトの腰巾着であった。 

 農務長官顧問モルデカイ・エゼキルは、ダグウェルの影武者として農業問題についてはユダヤの計画の代表者であり、米国の農業計画はユダヤの利益のために進められていたのである。戦後日本で農地改革をしたラデジンスキーはポーランド系ユダヤ人であり、彼の弟子で、当時農務省にいたのであった。国務長官補佐となったウィリアム・ブリットについては別に述べるが、彼はまたレーモンド・モーレーの親友であり共産主義者リンカン・ステフェンズの親友でもあり、長らくソ連にありレーニン、チチェリン、リトヴィノフと交渉していた。 

 ブリットは1933年初代駐ソ大使になっているが、彼の腰巾着が共産党員のリンカン・ステフェンズである。彼は1917年のロシア革命の時代にはトロツキーと共にロシアに渡り革命のため画策するところあり、莫大な資金がアメリカ政府から出ていた。アメリカが「ソ連の助産婦」ともいわれるゆえんである。

 ●アメリカ人かユダヤ人か

 これらルーズベルトを囲繞するユダヤ人達がアメリカに忠誠を誓っていたかというと、すべては疑問であろう。第二次大戦勃発後、ルーズベルトは在米日系人を隔離収容所へ入れた。このことに対しては最近、カーター大統領が正式に謝罪したが、ルーズベルトはこれら日系人に対してアメリカヘの忠誠を強引に誓わせようとした。それに対して日系人は、市民権を与えることが先決であると反論した。全く当然の論理である。一方、ルーズベルト・グループのユダヤ人達は、途中移民でも皆市民権を獲得しながら、兵役にはつこうとしなかった。

 ニューディール派の特徴をざっと説明しよう。この一派は、特に外交政策においてアメリカの国益と直接なんの関係もない欧州戦介入のため伝統的な孤立主義、中立主義を侵犯し強引に対独戦にアメリカを引きずり込むという「非米活動」を行なったのである。さらに国内においては、200万ドルという当時としては天文学的数字の赤字をつくってしまったのである。これはルーズベルトの前任の32人の大統領がつくった赤字と同額であるから、驚くほかはない。このケタ外れの赤字をつくる原因となったのは、階級闘争の激化をもたらすところの労働組合に対して団体交渉権を与えたことである。資本主義国において大統領が率先して内部闘争を激化させる政策をとることは信じ難いことである。しかしこれは白昼夢ではない。このことはただこれ自体でも驚くべきことであるが、そんなことぐらいで驚いてもいられない。外でもなく、戦後の日本にそっくり持ち込まれているではないか。しかも国の基本法たる憲法にまで書き込んで。

 ここで2つのことがいえる。1つは、資本主義国といってもかような反資本主義的政策を行なうことがあるということである。いま1つは、したがってアメリカという一国もアメリカという国の本来的利害を離れた政策をとることがあり得るということである。後者の方は単一民族国家である日本では想像もつかないことかも知れない。戦後アングロサクソンのアメリカとしての怒りを爆発させたものがマッカーシズムであるが、この怒りはルーズベルトの国内政策における共産主義化傾向もさることながら、何よりも対独戦介入を強引におしすすめたことが最大の原因である。アメリカには、伝統的な孤立主義、中立主義というものがあった。ルーズベルトにとっては、これが最大の目の上のこぶだったのであった。そのため、自らが行なう政治的工作とは別に、ユダヤ系で占めるジャーナリズムを総動員したのであった。その先頭に立ったのが、なんと今日の日本で平和のチャンピオンの如くたてまつられている『ニューヨーク・タイムズ』紙だったのだ。

 ●煽戦の先頭に立った『ニューヨーク・タイムズ』

 1940年9月27日付の『ニューヨーク・タイムズ』は、ワシントン支局長の言として、「米国が日本に対してとり得る唯一の道は、経済封鎖である」と公言し、人道上肯ぜられない近代工業国家へ資源を絶つ鬼畜行為を米国政府に要求している。12月1日の紙上では「米国政府がいよいよ積極的に日本の東亜新秩序建設に圧力を加えていくだろう。さらにソ連の対支援助も米国の今次の行動により大いに鼓舞されるであろう」と、ソ連の捲き込みも狙っていた。また、9月26日の社説では「支那の抗日戦継続は太平洋における列強としての米国の利益に一致する。従ってこの政策遂行の第一歩は対支借款増加であり、今回の2500万ドル新借款発表は米国政府の動向を示すものとして注目される」と公言している。東亜(極東地域)の禍乱を望む発言であり、「太平洋における列強としての米国」ということは極東の局地戦であるはずの支那事変を世界大戦の規模にまで拡大せんとするものである。

 9月3日付では、「米国は日本と事を構える意志もなければ、事実その理由ももたない。しかし米国としては純然たる利己的理由からいっても日本を現在のまま支那事変に没頭せしめ、さらに援蒋政策を拡大し、重慶をして引続き抗日運動を継続せしめる方が米国の利益となる」として、支那事変の解決を誠心誠意希求する日本をあざ笑っている。マルコポーロ・ブリッヂ(盧溝橋)事件と関係ないのだろうか。

 1938年6月17日付のフランスの新聞『ル・タン』は、『ニューヨーク・タイムズ』紙の社説から次の如きものを引用している。「アメリカがいくら地理的に隔離していようとも、欧州の戦乱から生ずる結果に対して孤立、無影響であることはできない。どんな中立法もアメリカ市民がその諸国民(欧州のこと)に好意をよせることに制肘を加えることはできない。欧州で戦前戦後の如く紛争がつづいている今日では、アメリカの好意と支持とは、そして結局またいっそうの有力な手段とはアメリカ市民のそれと同様の生活様式を守っている国々によせられるのが当然である」

 これは廻りくどい表現だが、つまるところ、欧州のユダヤ人を助けろ、といっているのである。『ル・タン』紙は上の一部を引用した後、次の如くつけ加えている。『ニューヨーク・タイムズ』紙の社説は、さらになお、現在の世界情勢に関するアメリカ市民の感情を次のように表現している。「アメリカ市民は今やもう戦争を招来するようなどんな時局に対しても中立的態度をとり続けることはできない。将来において世界列国の政治的均衡を破るに至るような恐れのある局面に対しても我々は到底傍観者たる立場を守りうるものではない。我々はヨーロッパからかけはなれているにもかかわらず、ヨーロッパ国民(その実、ユダヤ人=著者注)と共同歩調をとらざるをえないのである。これに対して国務長官ハルも賛同的な意見をもらして『自分は新聞にかような言説が表われるのを目にしてアメリカが海外の事態に対してだんだん関心を深めていることの表徴であると見なしたいので、自分もこの点についてはすでにナショナル・プレスクラブで言明しておいた』と述べたそうである」

 『ニューヨーク・タイムズ』紙のこの社説は各国に大きなショックを与え、国際ユダヤ勢力が必ずドイツに対して戦争を挑発するであろうという確信をもたせるに至ったのである。かえりみると、ユダヤ人リバン・ブランが『ル・タン』紙上で、頭からアングロサクソンのアメリカを馬鹿にしてかかり、あらゆる手段に訴えて彼らアングロサクソンの世論をユダヤの戦争政策の方向へ転換させることが必要であると書いたのは1936年11月27日のことであるが、1938年6月17日の前述の『ル・タン』紙には以上の如く、ブランを通じて与えられたユダヤ号令が実行され、実を結んだことが報道されている。すなわち、ユダヤ人は以来1年半の間に、アングロサクソンに対して「諸君達もヨーロッパの情勢に無関心ではいられないのであるぞ」という信念を吹き込むことに成功したのである。アメリカが徐々に欧州の政局へ容喙しだしたのは、ユダヤ勢力の一大勝利であった。ギリシアのフランス語ユダヤ新聞『ランデパンダン』の1938年6月16日号は肉太活字の見出しで、「アメリカの中立はもはや放棄されている」と書き、その下で凱歌もどきの得意たる一文を書いていた。

 ライフ誌の編集長、ユダヤ人のヘンリー・ルースは「アメリカの世紀」という論説で次のようにいっている。
「我々はもう戦争に参加しているのである。我々はアメリカの領土を守るために参加するのではない。我々がこの戦争に加わるのはアメリカを防衛するためといい張ることはできないはずである。それ故我々の直面している問題は生存上の必要に関するものではなく、ほとんどもっぱら自由選択と打算の問題である」

 これに対して当時のドイツの有力誌『ヴェルト・ディーンスト』は1938年7月1日号でこう述べている。「アメリカが現在のような政策を追求する以上、戦争到来はほとんど不可避である。第二次世界大戦を導き出すことに専念しているユダヤ秘密力は、アメリカがこのような介入政策をとり出したことによって一つの素晴らしい背面援護を得たのである。彼らはこれに勢いを得て今後は従来の努力を倍増するだろう。アメリカは果たしてこの世界の文明の破壊の大雪崩に対して最後の一突きを与えようした国々としての永久的汚名に甘んじるつもりであろうか」

 この『ヴェルト・ディーンスト』誌の警告はその後判を捺したように事態の推移により実証されることとなるのである。次に、当時の各国の主要ジャーナリズムの反応を見てみよう。

 ●アメリカ国民の良識の反撃

 ルーズベルトのあくなき対独戦介入への煽動に対して、アメリカ国民も黙ってはいなかった。ニューヨーク州選出の下院議員ハミルトン・フィッシュはルーズベルト政府に対して「大統領なり閣員が今後少しでも外国攻撃の挑発的、ヒステリックな言辞を発したり、世界を焼きつくすような業火を燃え上がらせるような態度に出ることは許されない」と警告を発している。

 また、「アメリカ愛国主義者同盟」の別団体である「アメリカ・クリスチャン・ミリタンツ同盟」もたまりかねて、ルーズベルトに対して次の如き電文を送っている。「われらクリスチャン・ミリタンツの愛国者は貴下が先日シカゴで話した言葉に関し、貴下がある種の黒幕勢力に使嗾(しそう)されて、アメリカを外国との戦争へ追い込むことを辞さないだろうことを心から恐れるものである。『アメリカ愛国主義者同盟』は、貴下が後日事態の認識において欠くところがあったという遁辞を設けないために法律上許されている派遣委員を貴下の下に送り、彼らをして貴下に否定すべからざる証拠資料を示し、世界における戦争が単に大財閥の間で戦われる帝国主義戦争に他ならないというふうに説明しようとしている。この大財閥とはシオニスト運動を代表するロスチャイルド家と国際主義の統率者であるウォーバーグ家とである。アメリカはこの真相を看破している。したがって貴下がこのユダヤ覇権争いのためにアメリカの罪のない壮丁を犠牲にし、アメリカの平和な生活を破壊に陥しめようと欲してもアメリカ自体は断然これを拒否するであろう。故に我々は『米国大戦従軍軍人団』及びその他の憂国諸団体と協同して、我々市民を戦争に巻き込ませるような外国とのどんな同盟に対しても抗議するものである。この国の多年にわたる危機的産業破壊も上述の同じ外部的権勢群によって招致されたものであるが、この現状からしても先ず第一に必要なのはあらゆる強健な男子が家庭にとどまって、自国を共産主義から守ることである」

 ここに述べられていることは、ルーズベルト政府の本質をあますところなく暴露している。ドイツのユダヤ人救済のためアメリカを何が何でも対独戦に引きずり込まねばならぬとするルーズベルトに勇敢に身を挺して抗議しており、また最後の部分でルーズベルト政府が共産主義者の集まりであることにも抗議している。
 

 ●GHQのニューディーラー

 ニューディーラーは事実上、初期のGHQを思うがままに牛耳っていた。マッカーサーもニューディーラーの指令に忠実に動いていたことは事実である。しかし、このニューディーラーの政策は一言でいえば典型的な教条主義であった。マルクス主義の国家論にあまりにも忠実でありすぎたのであった。アメリカでもルーズベルト政府時代に階級闘争の激化を計った事実もある通り、すべてをマルクス主義にのっとって施策していったのであった。日本で先ずやったことは、天皇制とそれに関係ある問題の変更であった。東洋の一角に燦然と輝く日本の国体というものは、それら頭の悪いニューディーラーにとっては打倒目標の最たるものと映ったのであった。第一次大戦の結果、欧州の3つの王冠、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、ロシアは見事蹴落とすことに成功した。残るは日本の国体だけである、と少なくとも彼らは考えたのであった。そのため、彼らは先ず天皇制に附随する問題の改革に力を注いだのである。外濠から埋めていこうというわけである。

 先ず、日本の国体と密接に関係のある教育における去勢作業から始めたのであった。修身、地理、歴史(地理歴史という場合問題とされるのは、事実上、日本の皇国史観のみであった)の授業を禁止する措置をとった。修身とは他国には絶対見られない学科であった。これは君民共治という人類の理想を具現化したものへ導くための基礎的な教育である。ニューディーラーはいまだ、天皇制が君民共治の理想のただ一つの具現化されたものであるということを知らなかった。真に恥ずかしい話である。そのためこの修身科を先ず崩すことから始めたわけである。ついで地理、歴史である。地理の方は歴史と「地歴」というふうに一対に考えられていたので巻き添えをくったものであろう。問題は歴史の方である。皇国史観は君民共治を軸として構築されたものである。ところが無知なニューディーラーは、マルクス主義の国家論を教条主義的に考える以外思考力がなかったのだ。国家破壊の最大障害として天皇制を崩壊させることしか頭になかったのだ。したがって天皇制を基調とする皇国史観を敵視したのであった。

 ●創造力の去勢── ○×式思考法

 教育改革において一般論的な要素として最も重要なことは、○×式思考法を植え込んだことにあろう。この○×式は別章で説明した通り、ルーズベルトが戦時動員のため採用手続の簡略化という名目で一般化させたものである。もともと、ユダヤ的思考法の二元論に他ならない。日本の教育界でも、これを戦後もって来られた時驚いたものであった。なんたる単純思考か。しかし精神的空白状態にあった当時の日本では、しらずしらずのうちに消化されていったのであった。決して「歓喜力行」されたものではない。しかしこの方式は、何よりも創造力を去勢するという欠点をもっているといわなければならない。問題の選択ができない。与えられたものの中からしか答を選べない。問題に提起されたものよりはるかにいい考えがあっても、それを答として選ぶことはできない。これでは創造力は奪われるであろう。さらに、依頼心の強い人間をつくることにもなる。つまり、あまり努力をしないでも何分の一かは正解の確率が潜んでいるわけであるから、思考力も弱り、逆にギャンブル性が強くなろう。

 次に、ニューディーラーは階級闘争の激化につながる労働運動を盛り上げた。ここで是非とも強調しておかなくてはならないのは、憲法に実体法に属する団体交渉権を挿入していることである。国家的意志統一のコーディネーターであるはずの一国の憲法に労働運動の強化を促すような条項を入れるとは、非常識極まるものである。この階級闘争の激化は戦後の日本の経済発展に大きな犠牲となっている。しかしこれらはほんの氷山の一角にすぎず、最も大きな支柱は東京裁判と日本国憲法にあるのである。

 ●おまけ情報(追加情報)

↓このユダヤ人(ラビ・M・トケイヤー)が書いた本でも「GHQとユダヤ人の関係」について詳しく紹介されている。(詳しくはリンク先のページをご覧下さい)

ラビ・M・トケイヤーが語る 「日本・ユダヤ封印の近現代史」

ウクライナ系ユダヤ人は語る 「日本人には申し訳ないことをした」

ヘブライ大学のユダヤ人教授は語る 「戦争中、日本は世界一の民主国であった」






(私論.私見)

1920年ニューヨークのロシア人の亡命団体である「ユニティ・オブ・ロシア」はソ連の支配者達の人名録を出版しているが、それによると当時のソ連政府の各委員会に占めるユダヤ人の数及びパーセンテージは次の如くである。

 

 

次に英紙『モーニング・ポスト』の発表したソ連の高級委員の中のユダヤ人についての本名と偽名(ロシア名)のリストを示す。

◆レーニン (ウリヤーノフ)
◆トロツキー (ブロンシュタイン)
◆メシュコフスキー (ゴールドバーグ)
◆カーメネフ (ローゼンフェルト)
◆ジノビエフ (アプヘルバウム)

◆ラジェヌキイ (クラッシュマン)
◆ステクロフ (ナハムケス)
◆ラデック (ゾーベルソン)
◆ダーセフ (ドラプキン)

◆スハノフ (ギンメル)
◆ゴーレフ (ゴールドマン)
◆マルトフ (ゼデルバウム)
◆ボグダノフ (シルバースタイン)
◆リトヴィノフ (フィンケルスタイン)