国際軍需工業関係

 (最新見直し2015.4.05日)

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 2015.1.25日 れんだいこ拝


 若宮卯之助「驚くべき暴露
 美濃部機関説の排撃を呼び物として、その4月号を、またたく間に売りきったと云われておる雑誌『維新』は、その5月号にも、一風変わった、或る意味に於いて大いに警笛をは発っせしめる一文が現れておる。即ち、宇都宮希洋氏の『ドイツの再軍備問題-自由主義の根源、国際秘密結社を発(あば)く』ずそれだ。

 ナチスの台頭以来、ドイツは大ぴらに軍備を充実して居る。この事実は、今やむしろ余りにも平凡なものとなって居る。このドイツ問題が、今や全世界の問題となって居ること、別してその宿敵フランスにとって、最大関情の一件となって居ることも、また現に特別の指称を待たないことだ。ところで、井戸から火が出たような話し、このドイツ軍備の充実の裏に、フランス国資本家の大々的援助があると云うことは、普通の日本人として、到底受け取り得ないに拘らず、その全(まった)く事実であることを、事細かに立証したのが宇都宮氏の一文である。

 ドイツとフランス国とは、天生の仇同士だ。その天生の意味は、2千年前のシーザーのガロア戦記を読むときに、特にその感慨を深めるのだ。その戦記の発端に云う、この二種族は、互いに言語と慣習と性格とを全く異にして居る。彼らは暇さえあれば、喧嘩をしたり、戦争をしたりするだけである。宇宙の歴史に於いて、2千年は、僅かに弾指(だんし)であり、転瞬(てんしゅん)である。人間の経験においては、治乱興衰の過程の幾重々である。いわゆる野蛮、いわゆる未開、いわゆる文明、モダン。要するにこの2千年の波乱であるのだ。この2千年の経験に於いて、独仏民族の性格が、全く犬と猿とであるということは、その宿敵関係の決定的であることを証するものだ。

 ドイツとフランスとは、歴史的、事実的、表面的にはかくの如きものである。かくの如き区ものに拘らず、現に仏国の資本家が、事実上、ヒットラーを助けて、盛んにドイツの軍備を充実させるとは、如何にしてそのことが可能となるのであるか。簡略に云えば、欧州の武器製造業者の間には、国境がないからだ。一種の国際秘密網を張り廻した強大な勢力が、各国政府を完全に裏から支配して居るからだ。

 宇都宮氏は云う。資本主義の軍器製造業者は、軍縮会議を背後から操ったのだ。その国際性と秘密結社とを利用して、ユダヤ人であり、且つヴイカス・アームストロングの大株主であると云う例のサイモンと、同じくユダヤ人のヘンダソンを始め、各国代表を背後から操縦した。もちろん、仏国代表の如きは、この資本主義王朝の薬籠中のものだから、軍縮などの成立する理由がなく、いわゆる安全保障と、いわゆる国際警備との実行不能の防壁から、一歩も近寄せないのであると。

 また曰く、----平和の時には奸計を以ってその蓄積を巻き上げられ、軍備の拡張に際しては増税せられ、いざ戦争とならば、生命の提供を強制せられ、勝利の結果を得たるの場合にも、極度の国民的負債は全く免れないのだ。---国民多数の慷慨悲憤はもとより事実である。そんなものの如きはこの殺人工業の夜叉、金融資本の全能から見れば、ゴマメの歯軋(ぎし)りに当らないのだ。これは独り仏国のみのことではない。物質文明の西洋の裏面に君臨する三大王朝は、仏国のフイメリーと、米国のクーン・ロープと、英国のモンタギュ・ノーマン(英蘭銀行総裁)とだ。彼らは同じくユダヤ人であり、同じく秘密結社の再興指揮者であると。------この宇都宮氏の一文は、直接、次の論文について、その驚くべき内容をことごとくされたいものである。(「日本」昭和10年4月26日)

【ドイツの再軍備問題-自由主義の根源的国際秘密結社を暴く】
 宇都宮希洋「ドイツの再軍備問題-自由主義の根源的国際秘密結社を暴く
 序言

 果然ドイツは再軍備宣言の爆弾を放った。外電は騒然として欧州外交の狂想曲を放送し欧州不安の深刻性を地球を半周して極東にまで伝えて居る。この狂想曲を一貫して前奏、発展過程に又は来たらんとする終曲に於いて繰り返し繰り返し低く或いは高く視聴者の琴線に訴える主題は何? 戦争の恐怖、そして軍備強化の叫びではないか。しかし諸君、欧州から放送される外交消息をよくよく玩味してみたまえ、国家の必須的要求は誇大なジェスチャーで力説するが、案外覚悟の腹がないと思われないか。生命を賭けてもの要求ならば身振りたくさんの宣伝より少しは我々にもピンと来る何物かがなければならない。戦争の危険は放送されて居るが戦争は嫌だ、戦争にはならぬと云う結論は一体どういうことだ。

 舶来や国産色とりどりの戦争来るの宣伝で一番に震え戦(おのの)いて居る欧州国家群の哀れなる国民の結局要求されるのは軍備競争の重荷ではないか。欧州大戦の惨禍に懲りて骨の髄まで戦争を忌避せんとする欧州国民の心情は彼らの身になって見なければ、戦争成金熱の味しか知らぬ日本人には到底分からないことだ。中でも、一番堪(こた)えたのは仏国民だが、戦争来るに備えてインテリ、壮年、予備軍人などの中には前から旅券を用意し動員の気配がすれば直ぐ海外に逃げ出工夫さえして居る極端な手合いもあるくらいだ。

 愛国心? それは大戦中そして大戦後暫くの間はこれらインテリの間にも確かにあった。しかしながら今日彼らの一部は仏国政府の舞台裏の陰惨なることや、舞台監督の厳格なる拘束と訓練とが政府閣僚と云う役者は全く操り人形で、これらによって国民の前に演ぜられる芝居によって彼らの愛するフランス人の国家は最早や消滅したことを余りにもまざまざと見せ付けられたからだ。筆者はこれらを信ぜしむるにたる、しかも国際的大新聞、大通信社によっては宣伝されぬ多数のいわゆる特ダネをもって居る。がしかし日本国民が悟り得るには余りに今日まで先入主となって居る欧州観否世界観が幅を利かして居るから筆者は唯(ただ)選ばれたる小部分の慧眼達識の士のみが、之から世界に発展する事実を通してのみ了解するに過ぎないこと考えて居る。

 しかしながら大新聞代通信社以外の単行本や屑籠の内に投げ込まれた通信の中にはその片鱗を示すものがないではない。又真相には触れきらぬが察知せられる様なものもある。読者は今回の機関説問題でも日本の大新聞と称せられるねのが案外国民的関心や熾烈なる運動を時代遅れの呉下の旧阿蒙然たる自由主義的観点から真相を記載せぬものがあるのを知られたであろう。これと同様なものに「仏国王党の活躍」がある。

 フランス革命

 仏国王党の王政復古運動を説く前に話しはどうしてもその決起の因を為す仏国革命の真相に行く。日本人のいわゆるインテリは、フランス人はあくまで仏国革命のスローガン自由、平等、四海兄弟が民衆によって始めに叫ばれ、従って革命は止むにやまれぬ全国民の要求であり「カーライル」等が憧れた如く美(うつく)しき自由への戦いであったと考えられて居るが、これらはソビエットの共産主義礼賛宣伝と、実際国民生活の実相とを比較して感ぜられる幻滅悲哀の実相と同様なものであ。

 仏国革命が真に国民の為の運動ならば何故に四海兄弟のスローガンに反して「九月虐殺」と呼ばれる同胞を無造作に屠殺し、その数夥(おびただ)しく、処刑に手が回らない結果、殺人機械「ギロチン」の発明迄促すに至ったのであろうか。革命により真に仏国民の獲得し得たものは何か。フランスの愛国学者が嘆く如くそれは空しき自由平等四海兄弟のモットーの前衛たるの名だけでなかったか。欧州一の雄国フランス王国は地上から消滅し英独両国の台頭をもたらし、華やかなりし世界文化の中枢たりしフランス王朝は消滅し、ベルサイユ宮殿は賎民の土足にかけられ、質朴なる農民、派手なパリ市民の敬愛の的であったルイ16世は陰謀と暴力によって断頭台上に消えた。仏国国民は果たしてかくの如き行動に堪え得る残虐野蛮の性格の持主であろうか。革命派の宣伝の跋扈はソビエト国内の事情と同一であるが、真に当時の国民の心情を窺うに足る私信や文書、小新聞、冊子、フランス旅行記等を研究し、「フランス革命」なる書によって英国のし価を高から締めたネスト・ウェブスター女史の説くところを見れば、釈然吾人の心胸を衝(う)つものがある。(この書の中にはなお多数のフランス人の同様な書物を網羅し要領よく抜粋して居るから日本人には最も分かり易い良書として特に紹介した次第である)

 日本辺りで論ぜらるる旧来の仏国革命論は文豪カーライルの文学者的情熱を利用した革命派の宣伝に乗ぜられ、その文学的威力に打たれた結果が多分にある。ウェブスター女史がその英語国民に及ぼせる影響の多大で真相を誤らしめた罪の大なるを之に帰して居るのは注意すべきであろう。仏国革命の真相の詳細については他の機会に譲るが、唯どうしても一言しておく必要がある点は、第一に、仏国国民の標語「自由、平等、四海兄弟」は仏国のフランマソン(英語のフリーメソン)秘密結社フランス大東社で革命のスローガンたるべきことを決議されたものであること。第二、大東社はドイツのイルミナティ秘密結社研究のため訪独し、之に加盟しその指導精神及び戦術を会得し帰仏した民衆扇動の天才的革命家ミラボーをして、マソンの常套手段である直接運動をやらせる外郭団体ジャコビンクラブの指揮に当たらしめたこと。(その証拠には大東社とジャコビンクラブは同一建物内にあった) 

 第三、仏国マソンは独り自力だけに頼らず仏国の栄華と覇権の簒奪を畢生の願望とするプロシヤのフレデリック大王や、米国が英国から独立したのは仏国の為だと恨んで何とかして仏国の力を弱めようとして居た英国宰相ピット等の外国勢力と、又マソンが帝王国家の組織及び国民的団結を破る常套手段として物色する獅子身中の虫として選んだのはルイ16世の従兄(いとこ)であるがまじめな王とは性格的に相容れぬ淫蕩無頼にして且つ密かに王位簒奪の機会を窺っていたオルレアン公ルイ・フィリップ・ヨセフ(1714-1793)をめぐる一党、オルレア二ストであった。事実、公はマソン結社に加入し表面上の頭首に担がれて居ったこと、又実際正史にも今日のラルース辞典にも彼が国民議会で王の死刑投票に加わったことを明記して居ること、なお仏国マソンの機関紙アカシアの1901年第65号に憲法制定国民大会会員中に多数の結社員があったこと、この結社員がこの大会に当りブルトンクラブ(ジャコビンの前身)、憲法協会、ジャコビンクラブを創設したことを明記して居る等の実証がある。

 なお注意すべきは、オルレアン公はマソン結社の大棟梁になることに成功し、且つこの一党は悉くマソンに加盟したが、マソンは之を王朝転覆の一道具として居ったことに過ぎざる証拠に一時は「平等なフィリップ」ともてはやされ民衆に人気があった彼も又ルイ16世処刑の十ヵ月後に態よく革命政府の手で処刑されてしまったことである。これは又、虚栄や金力や権力に憧れてマソン結社を利用せんとして加入する朝野の名士も用がなくなり、又は都合が悪くなれば反対党に売られて手際よく抹殺されてしまう一適例で、信念なき自由、個人主義者の当然墜ち込むマソン地獄の実相を示すものである。哀れむべき公は度々渡英しプリンス・オブ・ウエールス一派(英王に反逆陰謀を企図す)の助力を仰ぎ、公の公債に応募せしめ、之が運動資金に苦面したほどマソンに対して尽くしていたものである。マソンはフレデリック大王の仏国撹乱の特使フォンデルゴルツ駐仏大使と策応し大王の金を絞り上げていた。

 第四に、恐怖革命の直接行動は雇われたマルセイユ方面からの無頼漢でパリ市民ではないことである。即ち前記の諸陰謀団はパリ市民が暴力直接行動に適しないのを見て、1789年4月頃から「人相の悪いぼろ服を着、外国なまりで話す気味の悪い群れをパリ市民は見出して不思議に思った」と当時の幾多の文書(マダム・ウイジエール・ブリユン、ブイユ氏等の)に記されたマルセイユ辺りにごろついて居る不良海員、脱獄者、亡命イタリア人、ギャング団等数千人を南仏で雇い入れ、パリに入れいわゆる恐怖時代の惨劇の下手人としたことである。1792年6月、500人のマルセイユ人のパリ進軍を歌ったのが今日のフランス国家であるが、これより先に既に多数が入市して居った訳である。宣伝もこれまで成功すれば大したものである。

 仏国王党の王政復古運動

 そこで話しを後に戻し、仏国王党の王政復古運動に取り掛かる。さすがに自由第一を標榜する国だけあって仏国には共和代議政体、デモクラシー反対を公然と宣言して居る幾多の政治団体があるが、その雄なるものはこの王党ラクション・フランセーズである。元来はドレフェース事件当時フランス祖国連盟の先鋭分子が連盟の煮え切らない態度に発奮し1898年4月結成したもので、その最初のプログラムには王政復古を目標とする明瞭(はっき)りした条項はなかったが、政治理論学者英雄哲人シャルルモラスの感化によって1901年にはルイ・フィリップ1世の嫡男たるパリ伯爵(ルイ・フィリップ・アルベール、1838-1894)を戴く王政復古運動を宣言するに至った。そのナチスの突撃隊に比すべきものにカムロデユ・ロアなる青年団があり(制服嫌いのフランス人だから目立たぬ) これらが昨年2月6日のパリ大騒擾の中枢分子で市民の血を湧かし機関紙ラクション・フランセーズは一日に50万部の記録破りをやったほどである。

 仏国王党のマソン撃滅運動

 今日、仏国王党が必死になって党の各機関の全力を挙げてやって居るのは実にマソン撃滅運動でこれは随分思い切った行動をとって居る。かのパリ騒擾の直接動機であるスタヴイスキー事件は実にショータン前首相及びその義弟検事総長プレツサール等のマソン団の陰謀なりと機関紙上に一々フランマソン・ショータンと呼び連日攻撃を加え、遂にその内閣倒壊に至らしめ、代わった首相ダラヂイエー、内相フロー、空相コソト、外相ポールボンクールも又マソン団の一味だ。彼らの証拠隠滅行為やクーデターによる極左党独裁政府企図陰謀、2月6日、在郷軍人団を先頭とする愛国青年党、国民同盟の愛国示威行進に対し発砲を命じた罪等を暴露して筆剣舌弾の猛撃を浴びせ遂にこの内閣も又瓦解せしめた。一方マソンの議会代表たる急進社会党は、或いは全国労働連盟全国共産連盟を結合させ、官製のゼネストをやったり、社会党と議会その他に共同戦線を結成し、王党を共和政府覆滅の怨敵として防戦怠りなく王党の演説会に共産党員の殴り込みをやらせたり、カムロ、デユ、ロアとピストルの討合、流血の闘争をやらかして婉然ナチス制覇前の左右の争闘を彷彿せしめて居る。後者も負けずにフランスの各地でピクニックを兼た野外大演説会やら家庭宣伝効果百%のお医者さん党員の大晩餐演説会をやり国家を食い物にするマソン結社の名士を泥棒ギャング団一味として猛撃を加えて居る。前検事総長、セーヌ県知事やシヨタン、プレツサール等を見れば、キヤムロデユ・ロアは自動車で追跡しパリ中にを人殺し人殺しと連呼するなどの行動に出で検束を喰ったりして居る。

 パリ独立派新聞の呼応

 勿論この情勢に導かしめたのは王党如何に孤軍奮闘すると雖も国民を動かす言論戦に勝ちを得ることは不可能である。即ちマソン攻撃にはレコー・ド・パリ・レデバも果敢なる筆陣を張り、ショータン、ダラディエ両政府の事件を廻る陰謀に対しては朝刊紙ではジユールナルコーチヂアン、ラミドプープル、ルフイガロ、夕刊紙ではレデバ、ラリバルテ(以上がアンデパンダン派新聞の主なるもの)等の攻城砲級の猛攻撃に加え、果敢なる奇襲で直に敵の牙城マソンに突撃を試みたリーブル、パロールを初め幾多の週刊月刊又は単行本が続出し、前者の如きは街頭進出売りをやって市民の正義心を刺激したからであった。注意すべきはラクミヨンフランセーズ紙やリーブルパロールの街頭売りを暴力を以って妨害するのは決まって共産党分子で常に流血騒ぎがあることだ。世界の自由主義新聞がナチスドイツのみが言論圧迫の直接行動があるように報導して居るが、言論尊重の元祖フランスで左翼が言論圧迫をやって居るのを報導せぬのは看板の偽りある一例とすべきである。以上の前置きは、甚だ長くなってしまったが何分今迄の世界観を或る点では覆して居るのだから読者の信を得るには最小限このくらいは必要だからである。

 ドイツの秘密軍備

 ナチスの武装は誰がしたか、今日この問題は既に多数の公刊書や新聞で論ぜられて居るから今更説くには余り陳腐である。一言にして結論を云えば、資金を提供したのはドイツの重工業業連で初めはテイツセンが巨頭であったが、ナチスが相当勢力を得る見込みがついた時には世界の兵器会社や国際武器業者の良き投資目標となった。と云っても目先の小利を争うようなものではなく日本辺りでは想像もできない遠大な目標と大掛かりな機構によるものである。

 仏国参謀本部第二部と云えば頗(すこぶ)る大仕掛けなスパイ操縦の諜報局であるが、この仕官で大戦中在独スパイの長をしたピエール・デグランジユの著「武器商人の奉仕」にもこれらの一斑を明示して居る。曰く「ドイツは今では武装をしようと思えば大して苦労しなくとも即時百万人分の武装即ち小銃、機銃大砲、飛行機、タンク等しかも最新式のものを手渡し得る国際武器資本家の幾多の群れが現存して居る。彼らは商売ご繁盛以外は何も考えて居らない輩だ。勿論これらの武器は一国政府に秘密に製造することは不可能で皆な官許のもののみが許されるが裏面には武器商人の手で自由に輸出せられる。

 例えばドイツの最古の信用ある資本家が納得できる支払い方法を提議さえすれば、フランスの世界に有名な野砲であり山砲をも兼ねるクルゾー会社製最新式1932年75ミリ砲一式を1万500米ドルで、砲弾を一発15米ドルで買い入れられる。勿論クルゾーのマークはチエツコのスコダ会社のマークに変えられてしまう。このスコダは仏国シユナイダー会社が動かして居る。(筆者註、株の5割6分を持つことは周知の事実)。武器密輸入が行われて居る確証の一つは国際連盟の調査統計を見ても1925年度世界各国武器輸出の総額は4千8百万ドルで、輸入総計は2千7百万ドルであるから差し引き2千百万ドル(即ち総額の半分ばかり)が途中で行方不明となって居ることである。(註、勿論この総数は各国が報告したものだけであるから、実際は更に多額なことは当たり前だ)。即ち輸入国が隠匿したか、密輸入したので「争製造の秘密は忽ち暴かれた道化役者となる」と。これだけでも裏面に国際的な大仕掛けなからくりが現存して居ることが想像できる。

 武器製造会社の資本は敵味方共通

 この事実も今日色々の方面から暴露され、もはやユダヤ人が財産隠匿手段として発明した株式会社なる匿名組合位の機構では今日世間を誤魔化すことは不可能となった。昨年来やって居る米国上院軍需工業商会のナイ委員長はドル万能、享楽第一の米国には珍しき熱血漢であらゆる圧迫や誘惑を排して、代議士連中が休暇を取る殺人的炎熱下の暑中に躍起となって同委員会の目的即ち世界を来るべき戦禍より救う為に軍需工業家が執拗に平和運動を阻みつつある事実を暴露するに努め、既に英国の最大武器会社ヴイツカース・アームストロングの事実上の、しかして隠れたる支配人サー・バジル・ザハロフと米国武器会社との切っても切れぬ因縁があることを暴露した。

 ザハロフとは何者か

 ギリシャ生まれの美男ユダヤ人詐欺、破獄、殺人の前科を以って英国に逃亡、英国の間諜となり、且つ英国大兵器工場ノルデンフエルドの出張員でギリシャに帰り、バルカン戦争で神出鬼没の大活躍をやったのが、彼が国際経済史上のナポレオン的不世出の位置を占める第一歩であった。しかして彼の驚くべき成功の謎を解く鍵は彼が国際的活躍に欠くべからざる要素マソン結社員で且つユダヤ人であったこと、英国のインテリジェンス・サービスに籍を置いて居ったことであると西洋では認められて居る(数百種の単行本がある)、その他の詳細のことは日本でも世界兵器工場物語や「戦争を商う人」(中央公論2月号)に出て居る。但し後者に「ザハロフは86歳の衰残の身をモンテカルロに淋しく送って居る」と云うのは大間違いである。日本に未だ知られざるその一端を云えば、ナイ委員長が暴いた通り兵国の造船及び兵器の大工場エレクトリックボート会社総裁シエアラー、同副総裁スペーヤとは密接な販売協定特許譲渡等の関係があり、又ヒツラー・ライヒ軍、突撃隊等の武器を供給するベルリン・ベルグマン重役コスター海軍大尉、英国ヴイツカース・アームストロング(元来二会社に別れて居たものをザハロフが合同させたもの)重役サー・チヤールス・クレエヴァンやみしえる・クレマンソー(仏国の猛虎クレマンソーの一子)も総ては彼の股肱の臣として「殺人工業インターナショナル」と「欧州資本主義王朝」(何れも後段で説く)の栄光の為に彼の命に従って最大限度の活躍をして居り、欧州各国の代表者、大公使にしていやしくも「マルセイユ」に上陸するもので、先ず第一にモンテカルロのサー・バジル・ザハロフま公領地に参勤せざるは少ないと云われて居ることである。彼ザハロフは大戦後、仏国の名将さえ獲得至難なる最高勲位を容易に取得し、セーヌ銀行を買い取って仏国に於ける彼の殺人工業の機関銀行と為し、遂にフランス銀行重役の椅子さえ占める(1918年)に至った。同銀行は絶対に外人の重役を認めない定款ある故に議会でルイ・マラン代議士(現無人所大臣でユダヤマソン嫌いであることも我が国では知られていない)の攻撃あるや、大蔵大臣クロツをして「バジル・ザハロフ氏は仏国人であります」と答弁させるほど隠れた勢力の所有者である。大戦に乗じて英国重工業からのみで300億の巨利を獲得したと云われて居る。英国海軍の生命とも云われるローヤル・ダッチ石油トラストは今日彼の手中にある(末尾註参照)。彼の名は恐らく読者のほとんど全部が知れるところである故に一例として少しく説明したに過ぎない。

 第三インターナショナルよりも殺人インターの方が役者が上手

 ザハロフの資本の関係して居る武器会社の名を挙げてみると、前記米国以外に大戦前に於いてマキシム機銃会社をヴイツカースと合わせたヴイカースマキシム会社、仏のホチキス機銃会社、彼が合同させた英のヴイツカース・アームストロング(ビアードモアーも含む)会社、仏のユダヤ大富豪ロチルド(ロスチャイルド一家の一つ)との合弁ル・ニッケル会社及びホワイトヘッド会社、露国に於いては有名なプチロフ武器会社を独のクルップ、仏のクルゾー会社と合資で設立させた。即ちザハロフ一人でも武器会社の資本関係には敵味方はなきこと、武器製造家と大資本家との境界は紙一重であることが分かる。

 ところが上には上があって彼以上の大物がまだ背後に控えて居る。即ち仏国銀行の重役は仏国資本主義王朝の最も獰猛なる表現と云われて居るが、彼らの上に居る独裁者は即ちオラス・フイナリー(ユダヤ人)と呼ぶ怪物である。彼らは仏国の経済的生命の最重要機関重工業、石油、運輸、電力、保険等の代表者だ。彼は又パリ・ペイパ銀行の総裁であるが、この銀行こそ仏国最大の事業銀行で地球上の大銀行は総て密接な関係を有して居る。即ち、

 1、中欧諸国銀行(在プラーグの商工銀行、在ブカレストのクレディー・ルーメン信用銀行、在バルソヴィーの信用銀行、在ブタレストの手形割引交換銀行を管制す)。2、フランコポーランド。3、ハンガリー信用銀行。4、シレジー銀行。5、フランコセルビア銀行。6、オットマン銀行。7、ブルガリー銀行。8、マルモロツシユ銀行(ルーマニア)。9、ブルガリア商業銀行。10、サロ二カ銀行。11仏西銀行(フランセーズ・エスパギヨル)。12、対露商工資本会社。13、インドシナ銀行。14、マダカスカル銀行。15、モロッコ国立銀行。16、フランスカナダ銀行(クレディー・フォン・シエー・フランス・カナダイアン)。17、メキシコ国立銀行。18、対米仏伊銀行(フランセース・エ・イタリアン・プール・アメリック)。19、日仏銀行。20、仏支商工銀行。(後者の二銀行は他人様のことではなく我々の関心を要するところ、彼らの背後に無関心では頗る不安を感ぜしめる)。

 以上は、親銀行のみを掲げたに過ぎない。フイナリーの主宰するパリ-・エ・デ・ペイ・パ銀行の1886年より1914年までの国外投資額は140億フランに上り、これらから15ないし20%の手数料を取って居る。これらはリーブル・パロール誌にジヨルジユ・ヴイルボー氏の記述せるところによるものであるが、この結論に「この世界勢力も仏国の利益にならないで皆な国際ユダヤ資本主義の貢物たるに過ぎない」と悲痛な告白をして居る。

 仏国資本主義王朝の片鱗

 フイナリーは即資本主義王朝に君臨せる大王であるが、彼が両腕と頼む最高の国務大臣、左大臣、右大臣はド・ヴァンデル(フランス銀行重役)及びテオドル・ローラン(同上)である。しかして又その陸海軍大臣とも云うべき者はシユナイデル兵器会社長、欧州財政工業同盟総裁、リオン銀行総裁、クレデイ・リオネ総裁、パリリヨンマルセイユ鉄道総裁たるシユナデルである。(他の閣僚は紙数の制限上、ここでは省略)。表面のフランス政府は彼らの指揮に踊って居る人形故に頗る頻繁にその時の都合で変えられるが、陰のこの王朝閣僚は不易である。

 王朝とドイツ兵器及び重工業との因縁

 ドイツとの人的、又は資本的にどんな交渉を持って居るかと調べると、正直な大和民族には不可解にして頗る奇怪千万なことだろけである。

 一、第一に右大臣ド・ヴァンデルはフランス銀行重役でド・ヴァンデル兵器会社社長だが、(彼の従兄フオン・ヴァンデルはドイツの国会議員で彼自身も大戦前プロシア国議院に席を有し名もフオン・ヴアンデルとドイツ呼びであった)、ローレン地方にある彼の兵器大工場は独仏両軍争奪の中心であったが、一発の砲弾も見舞われず独軍占領中は独軍に、仏軍占領中は仏軍に兵器を提供して居った。

 二、王朝の財政大臣デユシユマンは同じフランス銀行の重役だが、注意すべきは次の大戦には仏国の興廃はこの工場に係ると云われて居るキュールマン爆薬毒ガス大工場の総裁だが、資本は英、独、仏、スイスのインターであることだ。更に独仏殺人工業の切っても切れない関係はフイナリー王の手が延びて居るドイツ最大の化学工業トラスト(インテルセエン、ゲマイシャフト・フアルベン・インダストリー・アクション・ゲセルシャフト)で、これは昨年ジャン・デユプレンが世界を制服せんとする13大化学工場としての警戒の絶叫を挙げたものである。英のインペリアルケミカル、米のデユポンド・ネムール、仏のキュールマンの如きは到底このドイツ化学工業トラストの足下にも寄り付けない。(資本70億以上、キュールマンは3億2千万フラン)。このトラストは1925年12月5日の大合同から生まれたものであるが、外に彼の有名なるダイナマイト・ノーベル社やスペレングラストフの如き爆薬会社をも包容して居る。フアルベンインダストリーA・Gの社長は若きカルル・ボツシユであり、彼はラインメタルやノーブルやスプレングストフ等の重工業兵器会社の重役をも兼ねて居る。このドイツの兵器工場を打って一丸としたフアルベンインダストリーA・Gのは英、米、仏、スイスの兵器爆薬化学工場と密接な共同計算を持って居るが、最も案外なのは仏のキュールマンがフアルベンインダストリーと親族関係を結んで居ることである。即ち1927年、キュールマンがは左の如き資本家によって増資された。○、ヂロン・リード・エンド・カンパニー(米、社主ユダヤ系大資本家)、○、メンデルゾーン・エンド・カンパニー(独、同右)、○、シユワツエリツシユ・クレヂタンスタールト(スイス、独系著名銀行)。即ち欧米最大化学毒ガス爆薬工場は完全に打って一丸となってしまった。

 三、王朝の軍部大臣シユナイダー、彼については今日余りにも有名であるから主として対独姦計のみにすると、元々彼の祖先はドイツからやって来た鍛冶屋だが、今日では世界最大の兵器会社で仏国海陸空軍主要兵器製造をほとんど独占して居るばかりでなく、(この点で、我が大和民族は陸海軍の厳然たる政治上の独立、軍器製造の主要なるところはほとんど軍部の所管であることを誇ってよろしい)、欧州南米諸小国兵器会社をも掌中のものとして居るが、王朝の大背景を控えて居る故に今日では仏国の朱社でなく、朱社の仏国とまで云われて居る。中欧最大の兵器会社スコダを資本的にも管理上にも占領したがヒットラー突撃隊に武器を供給したのはこのスコダを通してであった。何故か、答えは簡単明瞭だ。

 軍縮では殺人インターは没落する

 そこで資本主義王朝は軍縮会議を背後から操った。その国際性とマソン秘密結社を利用しサイモン(ヴイカース・アームストロングの大株主と云われる)、ヘンダーソン(ユダヤ人)を初め各国代表を背後から操縦した。勿論仏国政府代表の如きハ王朝の掌中のものであるから、軍縮などは問題にしないのは当り前で安全保障とか国際警察軍とか実行不可能の防壁から一歩も近寄せない。しかし軍縮打破は消極策で更に有効なのは相手を武装させることだ。ヒットラーにどしどし軍資金や兵器を供給するのは商店の広告費と同様だ。独裁者と成り上がらせれば、この実行はなお面倒がなくなる。一方、王朝の新聞言論大臣としてフイナリーの殊寵(しゆちょう)を忝(かたじけの)うして居るハバス通信社長ギミエー(ユダヤ人)があり、又文部大臣としてはハシエット大出版会社長フーレエがあり、言論機関を動員すれば軍拡輿論を作ることは思いのままである。試みに重工業閥の金の息吹(いぶき)がかかって居る大新聞を挙げればタン、デバ、パリーソワール、パリミディ、コーチジアン等があり、なおラクションフランセーズはシユナイダーを通して金が出て居って軍拡宣伝に関する限り有効に利用されて居る。

 これらの新聞が従来ドイツの秘密軍備拡充や、軍備こそ一国の安全保障なりとの猛烈なる宣伝をやって居るのは衆知の事実だ。従ってヒットラーが「一国の安全保障が軍備だとすればドイツのみ軍備をせぬのはそもそも不合理であり不平等で、平和を保障するベルサイユ条約の根本精神に反するものだ」と叫び出し、どしどし軍拡をやったのは極めて順調に事が運んで居るのである。世界的経済恐慌の最中に於いてこれ以上シユナイデル及びその一党を満足させるものはなかった。軍需工業のボロい儲けに至っては米国上院ナイ委員長の調査でデユボンド系が戦争中8億6千万ドル余りの投資を増加し22割から63割の帳面上利益を挙げ、これ以外の利益を更にゼネラルモータースに投資して居ることを明らかにしたのでも分かる。(甚だしきは30割の配当をなせるものあり)

 勿論仏国議員の中にもシユナイデルに属するスコダ大工場の取締役達がヒットラーの軍資提供者の大株主であることてを議会に問題にした者があるが、こんな人は直ぐ追われてしまって居る。現在ヒットラーのドイツが欧州不安の震源地である裏面にはシュナイデルの活動があることを我らは見逃してはならぬ

 我々日本人にはこれは奇怪なる行動であるが、仏国資本主義王朝では却ってヒットラー支援によってフランス労働者に仕事を与えたと云う偉大な功労に価した。それで彼は仏国最高の道徳府、政治倫理学院理事と云う名誉を与えられたが、(我らには戦争殺人の最大動力たる爆薬の発明者が平和の為ノーベル賞を設定したと同様の苦笑を禁じえないエピソードとして映る)、その上王朝の殊遇は彼に与えるに物質的に数億フランの賞金とも云うべき緊急軍備35億フランの支出を議会で可決(昨年6月)せしめた。

 この王朝の下にある最も憐れなのは軍人と云う階級で、人格を認めて居られない将棋の駒か、砲弾くらいの存在である。今日彼らの一部はこれに気づいて居る故にインテリの予備軍人は何時でも海外に逃げ出されるように旅券を懐中して居ってもこれを咎める方が無理であろう。我らはここに皇国体の尊厳と原則上政争に厳として局外者たるを得る皇軍に感謝すべき理由を見出す。往時は自由労働者、自由生産者、自由勤労者であった農夫も、中流階級も今日に於いては彼らの労力や生産を買い入れる王朝の独裁する諸会社の割の悪い使用人に過ぎない。要するに社会全体は大戦後急に奴隷化制度を確立された。

 憐れなる自由主義共和国民の負える十字架

 最近12年間、仏国資本主義王朝の下に行われた大疑獄事件は15件、72億フランに上り、この大金は結局凡て罪なき国民の労力の結晶蓄財から巻き上げられたが、これよりも更に大きい金額が過去8年間国民から掠(かす)められて居る。即ち貨幣法のインフレ及びデフレによる価値交換制度の大撹乱であった。この大仕掛けな略奪の張本人はドバンデル及びフイナリーの二人で、前者はパリユニオン銀行を、後者はパリペイパ銀行を本拠とし、前者はデフレ、後者はインフレにより銀行、議会、政府、新聞を戦場として、時としては対立し、時には協同し、8年間貨幣制度の確立を困難ならしめ経済制度を解体崩壊せしめ国民の貯材を巻き上げた。(しからば彼らがこの猛威を振い得る切り札は何か。曰くフイナリー以下王朝貴族閣僚はマソンの最高指揮者であることだ)

 我らは知る。憐れなるこれらの国民の惨苦を。平和時には奸計で蓄財を巻き上げられ、軍備拡張で増税され、戦争になれば生命を奪わるるの恐怖と、よし勝利を得るも国民的大負債は免れない。しかも彼らの血肉を以って肥大し世界の富をあらゆる方法で彼らの一手に迅速に掻き集めつつある殺人工業金融資本家のオールマイティーの前には個人的悲憤慷慨はゴマメの歯軋りにも当らない。これは独り仏国のみのことではない、西欧物質文明の地底王国の空に君臨する三大王朝は仏のフイナリーの外、米のクーンローブ、英のモンターギユノルマン(英蘭銀行総裁)である。(これらはユダヤ人であり、且つマソンの最高指揮者である)

 国民は黙って居るか

 勿論欧米人の大多数民衆は、今日自由個人主義のアヘン中毒が全身に廻ってしまった。物質文明享楽と云う毒煙を毒と知りつつも、強制的に病院に収容する以外、自分で止める能力がなくなっている。がしかし気概のない人間ばかりでもなく、殊に青年や歴戦在郷軍人団の如きは、しっかりした指導団体さえできれば、あながち絶望とは云えない。昨年、2月6日のパリ騒擾はその一例だが、議会及び政府はやはり資本主義王朝の占領するところ、金力の支配するところとなって居るから現状では如何とも為し難い状態だ。資本主義王朝やマソン結社について、紙面の制限上、充分説明できなかったのは遺憾であるが、要するに強力なる陸海軍も、最新式の空軍も、最も強力なる軍隊も西洋にあっては、今日事実上資本主義王朝の一クグツ以上の何者でもなくなった。

 従って平和、正義、人道等と云う文句は、都合の良い時の表看板であることは、我ら皇国民の銘記すべへきところで、彼らに対し警戒の我が武装を緩めれば、忽ち乗ぜられて取り返しのつかないことになるのは明らかである。況や世界の言論機関支配して居る彼らの得意とする各種の、反日、反軍、反戦、軍民離間宣伝の攻勢によって我が国民の非常時意識や結束を離間せしめ、一方表面強大なる軍備による恫喝を以って、弱気の我が自由主義者共を挙揚し、あわよくば日本を一歩一歩後退せしめ、結局戦わずして勝つ奥の手もある。この手は皇国民の精神力と皇軍の威力を知っている彼らには当然考え出すところで、従って先ず反軍宣伝が彼らの第一攻撃目標であることは今日までの実例がこれを証明して居る。

 なお彼ら資本主義王朝の戦闘形式は、主として金権の争覇であって、武力制服の如きは最も割の悪い中世期時代の思想と考えられて居る。即ち欧州の覇道帝国の如く、その大成には多大の人命と時日を犠牲に供しながら、物質的に実際生活に於いては頗る多くの困難と不安定を嘗(な)めて、多くは結局没落してしまった。しかるに資本主義王者は、日夜享楽の宴を張りながら、あるいはインフレによって堅実なる各国民長日月の労力の結晶たる富を容易に、最も大規模に奪取し、あるいは現金埋蔵、現金輸送、金塊輸送によって或る国家の貨幣価値を暴落せしめ、忽ちその国家を破産するまで、国富を搾取する。(遠くはルーブル、マルク、フラン、ポンド、近くはドルの如く) 換言すれば、世界恐慌を長引かせつつあるものは彼らである。過去20年の恐慌にも拘らず、益々彼らが繁盛を極めつつある事実はこれを証明する。しかし過去20年ないし30年は云わば欧米資本主義王朝世界経済独裁の基礎工事時代であったので、将来彼らの活躍は一層有効となるべく我らの一層の奮起を要するものとなるであろう。

 彼らの国境を無視する資本主義インターに対し、国家を防御せんとする指導階級の士は、この世界独裁経済学を理解せねばならない。しかもかくの如き経済学は講談経済や雑誌経済学者「白き手」の社会改造論者には凡そ縁の遠いものである。彼らは単(ひとえ)にできてしまった現象を遥かにその背後から観察し分析し、法則を発見し、新学説を樹立して行くに過ぎないからだ。世界経済独裁に対抗せんとするものは、彼らの人的連絡系統、根本政策、伝統精神及び権謀術数等の裏を読み取って、先手を打つものでなくてはならない。例えば、金本位制の如き彼らの単なる方便の一手を不変不動の金科玉条、不可侵の鉄則の如く考えるようでは覚束ない。あるいは銀本位を採用して日満銀本位ブロックを樹立したり、あるいは更に進んで全く新しき価値交換制を創作したりする位の頭がなくては、彼らの独裁を一蹴することは愚か防止することもできまい。

 邪は正に克たず

 しかしながら吾人は確言する。邪は遂に正に克たず、物質文明は遂に精神文明に終局に於いて克服されるべきを。我ら皇国民は自彊(じきょう)已まず、正を踏んで恐れず、皇道の真意義を世界に教えれば、欧米又ナイ委員長の如き正義の士なきにあらず、東方の光を仰いで彼ら自ら団結し、資本主義王朝の独裁を破り、インチキ軍縮等の愚を再びせず、真に四海平和の理想に向かって共に進む日の来るべきは、天地の大道に従う自然の勢いだろう。しかしこれは何よりも我ら自ら皇道精神を体得し、実践、躬行し前途の多艱多難を予期し挙国一致勇往邁進し、彼らに乗ぜられないことが肝要である。

 (註)ザハロフによって支配されるローヤルダッチ石油会社はエチオピア侵略者たるイタリアに対する制裁を英国政府が主張した際に、この社長が反対した為に石油だけは自由に売ったる。ー昭和10年4月執筆-

【欧州国家を操る軍需工業資本の魔手/桜沢如一(ゆきかず)】
 一、殺人工業インターの主とその犠牲

 1914年-大戦の始まる頃。欧州各国に濛々たる煤煙を吐いて天日を暗くしている重工業、武器製造工場(殺人工業)は何れも相提携し、深く相互の利益の為にガッチリ手を組んでいる。各国重工業の株主重役は殆ど共通である。一例を挙げれば、仏領アルゼリアのウエンザ製鉄所である(所在地コンスタンチーヌ)。この仏領土大製鉄会社の重なる株主は世界各国に籍を有して居るが、その中で最も著名なる者は左の如きものであった。

 ウエンザ仏国製鉄会社大株主
 シユナイダー兵器工場(仏国)、ユーゼーヌ、シユナイダー(右社長)(同)、ゲルセンキルヘン(ドイツ)、クルップ兵器工場(ドイツ)、ジョン・コケリル(ベルギー)、シャチヨン・コンマントりー(仏国)、ゲスト・キーン社(英国)、チヤーレス・カメル(英国)、コンセツト製鉄会社(同)、カイゼル皇帝(ドイツ)、モリス・ゼニー(仏国)、ロォ(英国)、アルマン伯爵(仏国)、アントワーヌ・ルイ・サンジロン(同)、アベル・カルボネル(同)。

 右は無数にある例の一つに過ぎない。もっと面白い例もたくさんある。例えば、マロツク鉱山合同会社である。この合同会社には仏国のシユナイダー(兵器工場王)とドイツのクルップ・チセン(兵器工場王)が並んで重役席に座っている。ホーエイ・ユナイデッド・スチール・カンパニーと云う有名な世界兵器工場トラストの重役の顔ぶれは余りによく知られているけれども、序に挙げておけば、総裁アルバート・ヴイカース(英国最大の兵器工場ヴイカース社長)、取締役会には左の如き英、米、独、仏の兵器工場重役の顔が並んでいる。英-アームストロング、ヴイカース・マキシム、カンメル、ゼ・ブラウン。独-クルップ、ヂリンゲン。仏-シユナイダー、シャチヨン・コンマントリイ、伊-テル二、米-ベスレヘム・スチール。

 しかしこれは単に重工業会社ばかり。兵器工場系ばかりに見られる現象ではないことをも付け加えておかねばならぬ。それは銀行界財界に於いても同様なものである。例えばパリのパリ合同銀行である。これは人も知るコミテ・ザ・フオルジユ(仏国重工業トラスト)の機関銀行であるが、ソフイヤのバルカン銀行、ブカレストのルーマニヤ商業銀行、オーストリヤのウイネル銀行、ベルギーのアントワープ銀行、さては日仏銀行等数十の国際大銀行の親銀行であり、それぞれの重役会は種々なる国籍を有する人々で充たされている。(そんな訳で欧米各国の大銀行重役は云わば親戚関係のような密接な関係を持っており、その大銀行家達はそれぞれの国の政府と充分に連絡があるから、戦争や政変の犠牲になることは断じてなかった。その例は無数にあるし、犠牲になる代わり、欧州大戦を却って逆に利用して大いにしかも驚嘆すべき巨額の富を儲けた者がたくさんある) 

 しかるに簡単な一般人は、大戦が起こればかくの如く各国に於いてもつれた資本網はたちまち破られ、各国の国家統制によって現代資本主義はたちまち滅するに違いあるまい、と考えていたものである。ところが事実は全くこの予想に反していた。大戦によって即ち、左の如き犠牲、12,996,571人の生命、16,257,000人の負傷者、5,669,000人の不具者、2,100,000,000,000フランの不動産破壊、4,650,000,000,000フランの直接戦費。によって、実現されたところは資本主義王朝の荘厳、金権の確立であった。

 二、ドイツとニッケル

 マルヌ大戦の失敗後、独国はシユリフエン計画の失敗を認め、従って戦争が長引くものと見て取った。英国のドイツ封鎖政策はドイツの没落を早めるだろう。否完全にそれが実行されたら、ドイツは数ケ月を出でずして全く敗れていたに違いない。実際ドイツは戦争を継続するに要する材料の資源は非常に苦しい。ニッケル、鉛、鉄、石炭、銅、食糧、その他何かにつけて海外よりの輸入に待つものが非常に多い。これを完全に防止すれば、ドイツ軍如何に勇猛なりと雖も、全く兵器弾薬の飢饉に陥り、数ケ月を出でずして降伏の外はなかったものである。誰が大戦5カ年間これを供給したか、その供給者こそ悲惨な大戦の真の責任者ではあるまいか。その責任を問わないで我々はその供給者を尋ねよう。

 ドイツは従来その大工業の原料をほとんど海外に仰いでいる。大戦後5カ年間の必要な軍需工業材料も多量に海外から供給されていた。その海外供給者が中立国ばかりでなく交戦国、それも正しく当面の敵である英、仏両国であったと云うことは、我々日本人にはちゅっと信じられない。ドイツの不可欠軍需品ニッケルはほとんど全部仏領又はカナダのものである。

 しかし事実は事実である。軍需工業の材料原料ばかりでなく資金もまた敵国から供給されていたと云えば、益々我々日本人は信じることができない。しかし実際大戦中に、オーストりヤ、ウインナ市で英国、仏国、白国、米国等の銀行代表の会議が何回も開かれている。欧米各国の実情、その社会内部構造を知らない日本人はほとんど想像することも理解することもできないような奇怪極まる裏面暗黒界が欧米の至るところにある。敵前に僅かな間違いをした兵士下仕官等が用捨もなく残酷に銃殺を行われ、その郷里の市役所の表門に「銃殺された不届き者」として大きな広告をされるのに、現在敵国に軍需工業原料品や材料品を提供し、その上資金まで提供する非国民は罰せられることもなく、却って黄金に埋められるような身分になって行く。

 ここで、我々はそんなことが可能である西洋国家社会の内部構造を研究し、その地底構造を探ることは後日に譲り、今はその研究探求の材料を整理することで満足しよう。先ず対敵通商問題の第一の親玉は有名な仏国ニッケル会社である。(日本もその古いお得意である) そのニッケルの重役席に世界兵器工場の怪物サー・バジル・ザハロフがいる。

 仏国に於けるニッケル社攻撃は議会に於ける上院議員ゴ-ダン・ド・ヴイレーヌの左の如き演説にその火の手を上げた。「1914年10月1日、ノルウェー、ハルスンド港属一ノルウェー三橋汽船が、ニューカレド二ヤから、ドイツ・ハンブルクへ向けクルツプ(兵器工場)用ニッケル2500トンを積載して走っていた。その代金の半額は積み出し以前に支払い済みになっていた。この船は仏国海岸で仏国軍艦ジユプチ・トウアール号に見つけられブレスト軍港へ引かれ、海軍裁判所は適法なる戦時捕獲を認めた。ところが、パリ海軍省から電報が来る。『そのノルウェー船を直ぐに保釈すべし』。ブレスト海軍裁判所はその電命を拒絶する。と直ちに海軍大臣から始めと同じような電命が来る。こんな交渉がかれこれ十日も続いて、10月10日になると、問題の汽船は静かにその航路を辿ってハンブルクの方へ走っていた。一体これはどうしたことだ。ニューカレド二ヤのニッケル鉱山は勿論仏国パリにその本社を有するニッケル会社のものである。ハンブルクは敵国ドイツ第一の商業港である。例え、ノルウェー船であるとは云え明らかに敵国ドイツへ自国の軍需品を2500トン持って行く船である。それが一応は地方海軍鎮守府の手に捕獲されているのに、海軍大臣がその保釈を命じたのである」。

 一体、これは何を意味しているか。ゴ-ダン・ド・ヴイレーヌの言葉を聞こう。「この時以来如何なる船舶が兵器軍需品を満載して仏国海軍の眼前を堂々とドイツへ向かって航行してもそれがドイツの国旗を掲げていない限り、仏国海軍は指を咥えて見送る外はなかった。勿論、海軍はその後もほとんど毎日のようにノルウェーやロシアやその他の国旗を掲げたドイツ船で軍需品を輸送するのを見つけたのであるが、唯の1回もこれを積下させることはできなかったのである。勿論海軍軍法会議はそのつど海軍大臣に抗議はしたが全く無効であった」。

 大戦中多くのドイツ汽船はノルウエー船になり済ましていたものである。そのげん側と船尾の船名を塗り替えさえすれば、ドイツ船員はノルウエー船員と一見大差がないし、その上その中にはノルウェー人も少なくはなかった。この上院議員はその攻撃の手を強める。「しかしその少し後に、正確に申せば大戦第一年末の12月4日に英国海軍は英仏海峡でロシアの国旗を掲揚する一汽船を臨検してそれから同じくニューカレド二ヤからハンブルクへ向けたクルツプ工場行きニッケル2775トンを載せていると判明すると、ロンドン海軍軍法会議はその捕獲没収を適当なりと認めた」。「英仏海峡を隔てて国法はかくも違っているものであるか!」。

 「さらに驚くべき例がある。1914年9月、汽船エルドス号が(アントワープ、ネト工場向け)ヌメア(ニューカレド二ヤ)工業会社積み出しニッケル鉱を満載して航行中、英海軍によって英国フアルマウス港に抑留された。それで、ヌメア工業会社はそのニッケル鉱を、精錬後グラスゴー(英国)に返送すると云う条件つきで、ノルウェーへ送る許可を要求した。英国海軍は仏国政府に之を相談した。相談を浮けた仏国政府はその要求に反対をした。そこで勿論、ヌメア工業会社はそのエルドス号の積荷を原価以下の競売値段で英国にあるニッケル会社の工場へ譲り渡さなければならなかった」。

 三、ニッケルとロスチャイルド銀行

 以上の言葉は一寸(ちょっと)一般日本人には分からないかも知れぬ。それはこう云う訳である。このヌメア工業会社は、ニッケル会社の唯一の強競争者であること、ニッケル会社はロスチャイルド銀行を背景にもっており、事実ニッケル会社が単にニューカレド二ヤの大部分ばかりでなくカナダ領のニッケル鉱をまで手に入れているのは全くロスチャイルド銀行のお陰であり、ロスチャイルド銀行はユダヤ仏国資本主義王朝を作る一員であり、仏国政府はその王朝の奴隷であることを無理にも理解しなくてはならない。

 ゴ-ダン・ド・ヴイレーヌは続ける。「ニューカレド二ヤに於けるニッケル会社の独裁振りと強欲非道が如何なるものであるかと云うことを示す例は無数にあるが、私はその唯一つを挙げておきたい。それはシヨウヴオ及びヴエルジエ両氏の対ニッケル係争である。その判決は1916年8月2日に下されたが、係争費用は一切ニッケル会社の負担になりながら、シヨウヴオ及びヴエルジエ氏は会社の信用をさげたと云う理由で60万フランを会社に支払うことを命じられた。ここをよく諸君にお聞き取り願いたい。ニッケル会社は大戦以前からかのぺナコイヤ会社(ボレオ鉛と銅を占有する会社)と同様にドイツをこの軍需品の最大顧客として、年年歳歳ドンドンドイツへ売り込んでいた。そして仏国に提供されたニッケルの量は完全にドイツに報告されていた。ニッケル会社はドンドン売り込む以上にストックをドイツのその支店に仕込んだのである。その支社とは、ウエストフアりヤのイザローン工場である。ところが表面この工場はニッケルの副産物染料の工場であり、そこに余りに巨大なストックを蔵することは一般人の疑いを招く恐れもあるので、ニッケル社は以前からフランクフォルトのメタルゲゼルシャフトと手を組み、会社の工場へストックを入れていたのである。(メタルゲゼルシャフトは知る人ぞ知る有名な軍需工場会社である)

 しかるに、(ここをよくご記憶に止められたい) このメタルゲゼルシャフトの最大株主とは誰あろう、カイゼル皇帝彼自身であったのはすでに周知の事実である。そして、仏国ニッケル社の大戦直前までの株主名簿には立派にクルツプ、ドリンゲンの二大兵器工場、メタルゲゼルシャフト等の名が出ている。かくの如く、1910年より1914年に至る間にニッケル会社はドイツ最大の兵器工場クルツプ、ドリンゲンの諸工場や、各地のニッケル精錬工場、さては自社の染料工場、あるいはメタルゲゼルシャフト兵器工場に莫大なるニッケルのストックを詰め込んだのである。

 諸君、その量はいかほどとご想像になるか? 実に仏国ニッケル会社は1910年から1914年までの間に少なくとも純ニッケル2万トン以上を得るに足りる鉱石をドイツへ提供している。しかるにドイツの一ヵ年ニッケル消費量は3千トン以上には出なかったのである。(即ち約7ヵ年分の消費に相当するストックを有していた訳である) この4年間、ニッケル会社の諸工場はニッケルを精錬するばかりで、その製品を1回も売っていないと云う奇怪な事実がある。しかもこの事実は1916年7月16日付け私宛の陸軍大臣の書簡が証明している。その書簡を読み上げるならば、(前略)大戦勃発時、ニッケル会社はニッケルがドイツの必須不可欠品であると云う事実を指摘し、直ちにこれを戦時禁制品とすべきことを政府に要求致し候。しかるに事実は全くこれに反し、同社はあらゆる方法を利用し敵国ドイツのニッケル・ストクツを増加することに全力を尽し申し候。同社のニッケル輸送船は続々としてハンブルグへ航行し、時として海軍に抑留されんか忽ちかのヂユプチ・トウアール号の時の如く、ブレスト海軍軍法会議を支配する海軍大臣を容易に動かす大御所を出動させ、難なく保釈せしめ申し候(後略)」。

 四、ニッケルの大々的密輸出

 かくて、無数のドイツエランド号が自由自在に航海を続けた理由は了解される。ベランジエー氏は1915年2月18日の論文で、政府がニューカレド二ヤのニッケル輸出禁止を漸く1914年12月21日になって発表したと云う事実に全く驚嘆している。しかしそれよりも驚くべくことがある。それはその翌年即ち1915年のヌメア港のみのニッケルカワ(45%)輸出が4,606,834キロに上っている事実である。この輸出が全く何の抗議も受けず、カナダによって強制的にされた条約(即ち、米国向けニッケルは米国自身及びその同盟国の為の使用に限る)にも拘らず行われたのである。

 この中、英国及び仏国仕向け、2,007,407キロは理解できるとしても、北米仕向け2,599,427キロは全く不可解である。何となれば北米合衆国は既に数年来ニューカレドニヤのニッケル供給は受けていなかったし、カナダのニッケル算出は北米の使用量の3倍に達していたのである。故にこの2,599,427キロのニッケルは全く売国者の商取引であると断定することができる。

 また、1915年ニューカレドニヤのニッケル算出が3,400トンであると云う公報は一体如何なる事実を隠しているか。ニューカレドニヤ過去10カ年間の平均産出額は7500トンである。戦争勃発と共にその産出額が増加するとも、減少するが如きハ断じて有り得ない。仮に7,500トンであったとしても、その差4100トンの行方は如何に? 1915年5月に漸くニッケルは、戦時禁制品とされた。しかしドイツのニッケル輸入は困難にはなったが、決して不可能にはならなかったのである。(ああ、敵将に塩を供給した日本の聖雄のように西洋人も敵国に軍需品を供給する?)

 アメリカン・メタル・カンパ二イはフランクフォルトのメタルゲゼルシャフトの代理店であり、子会社であり、何人の要求にも応じてドンドンニッケルを輸出していた。中立国やその他の国の旗を挙げてハンブルクへ航海する船の上では夜シャンパンが抜かれたものである。もうこれは今日周知の事実であるが、ドイツエランド号は何れも、毎航海400トンのフランス純ニッケルを本国へ持って帰ったのである。

 私は付け加えておく。もしニッケル会社が自らニッケルを米国へ直接に輸送したことを否定する場合には、インターナショナル・ニッケル会社、アメリカン・メタル会社はメルトンやメタルゲゼルシャフトと同一系統会社であり、仏国ニッケル会社即ちロスチャイルド家とは切っても切れぬ密接な同族関係にある事実をも否定するかを問いたい、と思うのである。ロスチャイルド家のニューカレドニヤに於ける全権全能は今更諜々するまでもなく周知の如くである。ロスチャイルド家の活躍はニッケル会社設立の始めから公然の秘密になっている。ロスチャイルド家はヒギンソン家からニューカレドニヤのニッケル鉱山を買収した。その当時の奇怪な事情も公然の秘密になっている。ヒギンソン家は今日没落に瀕している。

 事実、ニッケル会社とロスチャイルド銀行とは一にして二ではない。しかして結論はともかく、この社のクルツプ及びドイツに対する密接、切っても切れぬ関係はその社の重役及び社員の名簿と役員とを一見すれば如何なる門外漢にも容易に了解される。この点に関してはシヨオヴオ氏(ニューカレドニヤ、ヌメア裁判所書記)の報告を引用するのが最も便利であろう。氏は結論に曰く、

 「同所の社員は、スターリング(1900年に入嶋せる技師。クルツプ社代表。ドイツ将校。チオの積み替え主任。ウアンガイの監督、チオ工場の設立者。かってシレジア興業会社の創立者たり。3月、急に出発したるもの)、ロックマン(技師、ドイツ将校)、職工長及び工夫頭全部ドイツ人なり。仏英艦隊はカレド二ヤの海岸にドイツ艦隊の接近することを禁じたるが、余は1914年10月11日付けをもってチオ・ニッケル会社の化学技師、ドイツ人スイス人ワイゲルの秘密工作を摘発したり。しかるに同嶋総督はこれに対し何らの処置をとらず、殊に秘密に本嶋内に右ワイグルが設置し無線発受所に対しても、これを放任せり」。
 五、ニューカレド二ヤ島民の苦悶

 数日前、
 七、反軍非戦思想の根源

 従来戦争に参加したことのない者は、戦争を次のように考えていた。-戦争とは人と人との戦いだ。敵を攻撃したり、自分を防御したりすることはできる。ところが大間違いだ! 何しろ人力以上の天を裂き地を崩す一種の不可抗力がその暴威をほしいままに振り廻しているのである。全くこんなところでは人間が如何に悲壮な決死的態度を取っても、全くタンクに敵対する蟷螂(かまきり)のような惨めなむしろ滑稽な無力なものである。現代戦争に於いては、人間は自分を防御すると云うことが絶対にできない。それは燃ゆる皮の大暴風雨だ。降りかかる熱火灼鉄を避けるところがない。それは大きな猛烈な地震だ。逃げることができない。大地が揺れ且つ裂けるのである。

 こんな戦争の第一線に投げ込まれると、西洋人はその独特な個人主義をしみじみと痛感するらしい。欧州諸国と云っても、結局はシナ全体くらいの大きさで、各国国民は共通であるし、各国国王はしばしば共通のもので、親類であったり、兄弟従兄弟であったりして国民とは国籍が違っている場合も少なくはない。こんな訳で西洋人は日本人の如き没個人主義的国家観念を持っていなかったし、また今も持ち合わせてはいない。西洋の国家は一種の株式会社組織であり、国民は小株主、国王は大株主であるのだ。小株主は大株主の食い物になると云うのが原則である。カイゼルはメタルゲゼルシャフトやウエンザ製鋼所の大株主であり、英国皇室はヴイカース・アームストロングの大株主であり、サー・ジョン・サイモン外相でも会社の株を10,000株以上持っており、チェンバレンは12,400株以上を持っている。仏国大統領や歴代首相はフランス銀行やスエズ運河やその他重大な会社の重役会に籍を二重三重に置いている。

 こんな訳であるから、西洋人は戦場に臨んでも、敵に対して誠に不倶戴天の仇敵と云うような感じを持つことができず、むしろ人間的な相互互見の感情で、彼らも我々の如く大資本家、大株主の為に矢面に立たせられている同類だと思い互いに敵愾心は持たない。欧州大戦に於いて、実際彼らは勇気を欠いていたのではないが、敵愾心を欠いていた。で只機会の如く闘わされた。将棋の駒の如く無造作に殺されることが役目であった。

 彼らは内地で、戦争に臨んだことのない人々が考えるように最後の一兵まで戦う。と云うような考えは全く持っていなかった。戦争が長引くにつれ、彼らの目前の敵に対する感情は親しみ深くなり、日曜には敵の塹壕とミカンやボンボンや花束を投げ交わしたりするようになっていた。それに反し、内地の主戦論者、戦争継続論者、楽観論者、戦争に参加せざる軍人、殊に憲兵に対する彼らの感情は甚だ荒涼たるものになっていた。憲兵が兵士の群れに襲撃されて暗殺されることは度々あった。「ラテン文明を擁護する為に」と云うような美しい言葉は泥まみれの塹壕生活の兵卒には一向に熱を与えないし、殊にブルターニュ地方の兵士やアルゼリヤ兵等にはしかめ面をさせるばかりであった。「戦争を撲滅する戦争」、「デル・デ・デル」即ち「最後の戦争」と云うようなモットーも同様全く反響を起さなかった。

 「自由」とか「権利」とか「文明」とか云う概念はまだ多少頭の底に残っていても、目の前に210ミリ砲弾で人間が木っ端微塵になる光景を見たり、背後に憲兵のモーゼル30発ピストルを感じたり「燃ゆる液体」がメラメラと接吻を不意に空から投げつけたりするところでは全く空虚な概念、死んだ観念のようにその魅力を失っていた。しかし戦争が長引くに従って兵卒は人間の適応性の大きさを驚嘆すべき程度に示していた。彼らは多くの日本人の如き愛国心を持っていない。仏国史上に於いて現れた唯一の愛国者はジャンヌ・ダルクである。仏国に於いては彼女の前に愛国者なく、彼女の後に愛国者なしである。

 フランスは漸くアンリ4世(17世紀)から国家の体裁を有したような国だ。ドイツ帝フレデリック3世は英国帝エドワード7世の義兄であつたし、ウイリヤム皇帝は英帝ジョージ5世の従兄だ。この英王のチユードル家からはその上英王、オランダ大統領、スペイン王、スコットランド王等々が出ている。その外、仏国王でスペイン王の娘を迎えたり、初めはドイツの帝王で後にはオーストリア王になった者や色々様々な各国王室間の結婚があり、その結婚に続いて各国相続争いが起り、親子兄弟親族の間で猛烈な戦争が演じられた。それが或いは百年戦役となり、バラ戦争となり、スペイン役となり、その他無数の戦争の原因となった。戦争の原因は国民の間になくて、王室の間にあった。王室が戦争の張本人で国民はその利益の為に生命を徴発されたものだ。こんな国家の起源成立であるから、戦争が長引くにつれ、兵士が益々戦争を嫌悪するに至ったのは当然である。もし彼らが5年間勇敢に戦った原因を求めるなれば、それは唯々彼らの自尊心と自衛心の発露によるのみである。
 八、「フラテル二ザション」の恐怖

 欧州大戦第一線に於ける兵士達が最も恐怖を抱いていたのは、敗軍でもなければ、無益な大集団銃殺でもなかった。それは各軍の指揮者が恐れるところではあったが、兵士達はそれよりも、もっと恐るべきものを知っていた。それが「フラテル二ザション」だ! それは敵味方の軍司令部が妥協し申し合わせて第一線に猛火を注ぎかけることだ。「フラテル二ザション」! 「親交!」 この「フラテル二ザション」こと「親交」とは何を意味するか。恐怖と戦慄に充ちたものである。その定義-

 「フラテル二ザション」とは、(一)、敵対する両軍司令部が、欧州の伝統に従い、両軍戦線に猛火を集中する黙契を云うと同時に、(二)、相互が交戦中、始終絶対に司令部を砲撃せざる約束なり」。ここに欧州大戦5カ年間、各軍司令部がほとんど1回も砲撃を受けなかったと云う驚くべき事実の秘密がある。司令部の人々は「戦争の殿様」と呼ばれている。彼らは決して砲弾に見舞われると云う懸念がないのである。この「フラテル二ザション」と云う恐怖を私は兵士の想像の産物だろうと考えていた。実際我々には可笑しくなるような恐怖だ。

 ところが最近ドイツ前皇太子の「大戦日記」を一読するに及んでその真実であることを知った訳だ。1915年6月30日、皇太子のステネー司令部が仏軍の飛行機によって攻撃された。あり得べからざることである。欧州の戦争伝習、慣例、黙契を破るものである。だからこの時の皇太子の激怒は天に沖(ちゅう)した。激怒したのも無理ではない。司令部を攻撃すると云うことあり得べからざることである。これは仏軍の新参飛行将校が全く誤って攻撃したのであった。しかし皇太子の激怒は忽ち物凄い仏軍司令部総攻撃となって表現された。彼の日記を見給え。「我々は翌日、仏軍司令部を目がけて最も猛烈な砲火を浴びせた。艦砲38インチさえ使用して見せた。その間、敵は全く殊勝にも沈黙を守っていた。我々は爾後、決して前日の如き伝習を無視せる敵の行動によって静穏を破られることはなくなった」(「大戦日記」179P)。
 九、議会制度は古き発明なり

 我々は既に軍需工場会社が敵国に5カ年間の重要不可欠軍需原料を提供するコントルバンドの事実を確かめ、彼らが如何に莫大なる利益を占めているかを知った。これは言い換えれば仏国軍人が自分の最も愛する、最も頼みにする、そしてその為に命を標的にして死線を彷徨している祖国から敵国に送られた弾丸で殺されると云う立場に置かれていたと云うことである。しかもそれは単にニッケルや鉛ばかりでなく、武器さえ敵国に供給されていた。この事実は余りに長くなるから後日の機会に譲る。

 軍需工業に於いて、資本主義王朝は敵味方をただ殺せば良いのである。ここで軍需品の敵国輸送の秘密は、フラテル二ザシヨンの恐怖と共にその正体を暴露されている。何故かなれば、政府がその議会制度と云うカラクリで資本主義に完全に支配されている(その例はニッケル会社ロスチャイルド銀行の堂々たる戦時禁制蹂躙行為に見られる如きものである)以上、その政府の軍隊は資本主義王朝の軍隊であって、その軍隊の首脳部は資本主義王朝の一部分たる重工業殺人工業の「御用」を充たす為に殺人工業の製品をできるだけ多く消費し、破壊する為に最大の努力を払わねばならないのである。ここにフラテル二ザシヨンの使命は示現される。この使命を果たすことによってのみ司令部の名誉と利益は保証されるのである。
 十、軍縮会議の理想は再軍備競争

 仏国の兵器製造はド・ワンデル、テオドル・ローラン及びシユナイデルの三社によって支配されている。しかるにド・ワンデルはシユナイデルと共に元来、100%のドイツ人であって、現にド・ワンデルは大戦以前ホン・ワンデルと名もドイツ流に称え、ドイツ議会に籍を持っており、その従弟フォン・ワンデルの顧問官であったし、現にドイツ議会に籍を有する政治家である。テオドル・ローランは、本名をシエガー・カーンと呼ぶユダヤ人であって、その愛国心については更に解説を要しない。ド・ワンデルと云いローラン、シユナイデルと云い何れもドイツのクルツプやチセン・メタルゲゼルシャフトと同じドイツ資本家である。この三大兵器工場王は全世界を独裁するユダヤ、ゲルマノ資本主義王朝の仏国王室オラス・フイナリの股肱の臣である。シナを経済的に滅ぼしたルーズヴエルトの銀買上げ政策も、ルーズヴエルトがその独裁権を獲得したのも、このユダヤ、ゲルマノ資本主義王朝米国王室クーン・ロブの命のままにである。このクーン・ロブこそは我が日本に日露戦争資金30億(それは今日なお残っている)を提供し、高橋是清をして、シツフなるユダヤ人を「会心の友」と呼ばしめたものである。

 大戦終了後、資本主義王朝の三王室-即ち英国/英蘭銀行/モンタギユ・ノルマン(ユダヤ人)、仏国/フランス銀行/オラス・フイナリ(ユダヤ人)、米国/ニューヨーク、クーン・ロブ・エンド・カンパ二イ/ポオル・ワンブルグ(ユダヤ人)の三王朝は国際連盟を設立された。その幹部は全てユダヤ人である。又軍縮会議を作った議長ヘンダーソンは有名なユダヤ人である。そこへ参加する欧米各国代表はサー・ジョン・サイモン、バルトウを始め全てユダヤ人でなかったら、資本主義王朝に最も忠勤な抜きん出る人々であったのは周知の事実。その軍縮会議の目的は勿論、彼ら代表の黒幕主人公、地底王国の三ユダヤ王朝の資本家の理想を遠く隔たることはできなかった。従って軍縮会議のお流れであり、各国の再軍備競争であった。

 再軍備競争に拍車をかける為に三王室はそれぞれ独特の努力をした。英米王室の拍車のかけ方は、詳述する時間を欠く。ここに仏国資本主義王朝の再軍備熱を起した方法を略述するなれば-、先ず仏国兵器工業に取って、自国の軍備大拡張熱を起するに最も有効な方法はドイツの再軍備である。ここで彼らはヒットラーを拾い上げ、その突撃隊一切の武装を提供し、ヒットラー政権を獲得せしめた。ヒットラーが政権にありつくと、仏国兵器殺人工業は仏国大新聞(タン、デバ、ジュールナル、アクション、フランセーズ等)に太鼓を打たせ、忽ち32億フランの臨時軍備費を可決せしめその軍備を引き受けた。これは去年のこと。

 ヒットラーは約束に堅い男である。今年に入るや更に堂々と再軍備宣言をした。仏国兵器工場は注文でホクホクする。そればかりか、その株式は奔騰を続ける。今ここに、本文の結論を述べる代わりに仏国資本主義王朝の繁栄が如何に凄(すさ)まじきものであるかを如実に語る数字を並べて置こう。左に示す20数社は何れも、オラス・フイナリイを頭と頂き、ド・ワンデル・シユナイデル、テオドル・ロランを軍需工業大臣とする仏国地底王国に忠勤を抜きん出るものばかりである。(中略)以上の20余社の株主がこの9週間この株式騰貴のみによって利益した金額は14億フランを突破する。これがみんな、やがて来るべき大「フラテル二ザション」の準備からの利益だ。

 「君達は祖国の為に死ぬると思っているが、実は君達は兵器工業繁栄の為に死ぬのだ」(アナトール・フランス)。欧州の風雲はいよいよ急になって来た。西洋資本主義王朝の世界独裁は拍車をかける。我々は西洋資本主義黄金時代の荘厳に臨む訳である。昭和11年11月執筆





(私論.私見)