国際軍需工業関係 |
(最新見直し2015.4.05日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
「」の「」他を参照する。 2015.1.25日 れんだいこ拝 |
若宮卯之助「驚くべき暴露」
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【ドイツの再軍備問題-自由主義の根源的国際秘密結社を暴く】 | |
宇都宮希洋「ドイツの再軍備問題-自由主義の根源的国際秘密結社を暴く」
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【欧州国家を操る軍需工業資本の魔手/桜沢如一(ゆきかず)】 |
一、殺人工業インターの主とその犠牲 1914年-大戦の始まる頃。欧州各国に濛々たる煤煙を吐いて天日を暗くしている重工業、武器製造工場(殺人工業)は何れも相提携し、深く相互の利益の為にガッチリ手を組んでいる。各国重工業の株主重役は殆ど共通である。一例を挙げれば、仏領アルゼリアのウエンザ製鉄所である(所在地コンスタンチーヌ)。この仏領土大製鉄会社の重なる株主は世界各国に籍を有して居るが、その中で最も著名なる者は左の如きものであった。 ウエンザ仏国製鉄会社大株主 シユナイダー兵器工場(仏国)、ユーゼーヌ、シユナイダー(右社長)(同)、ゲルセンキルヘン(ドイツ)、クルップ兵器工場(ドイツ)、ジョン・コケリル(ベルギー)、シャチヨン・コンマントりー(仏国)、ゲスト・キーン社(英国)、チヤーレス・カメル(英国)、コンセツト製鉄会社(同)、カイゼル皇帝(ドイツ)、モリス・ゼニー(仏国)、ロォ(英国)、アルマン伯爵(仏国)、アントワーヌ・ルイ・サンジロン(同)、アベル・カルボネル(同)。 右は無数にある例の一つに過ぎない。もっと面白い例もたくさんある。例えば、マロツク鉱山合同会社である。この合同会社には仏国のシユナイダー(兵器工場王)とドイツのクルップ・チセン(兵器工場王)が並んで重役席に座っている。ホーエイ・ユナイデッド・スチール・カンパニーと云う有名な世界兵器工場トラストの重役の顔ぶれは余りによく知られているけれども、序に挙げておけば、総裁アルバート・ヴイカース(英国最大の兵器工場ヴイカース社長)、取締役会には左の如き英、米、独、仏の兵器工場重役の顔が並んでいる。英-アームストロング、ヴイカース・マキシム、カンメル、ゼ・ブラウン。独-クルップ、ヂリンゲン。仏-シユナイダー、シャチヨン・コンマントリイ、伊-テル二、米-ベスレヘム・スチール。 しかしこれは単に重工業会社ばかり。兵器工場系ばかりに見られる現象ではないことをも付け加えておかねばならぬ。それは銀行界財界に於いても同様なものである。例えばパリのパリ合同銀行である。これは人も知るコミテ・ザ・フオルジユ(仏国重工業トラスト)の機関銀行であるが、ソフイヤのバルカン銀行、ブカレストのルーマニヤ商業銀行、オーストリヤのウイネル銀行、ベルギーのアントワープ銀行、さては日仏銀行等数十の国際大銀行の親銀行であり、それぞれの重役会は種々なる国籍を有する人々で充たされている。(そんな訳で欧米各国の大銀行重役は云わば親戚関係のような密接な関係を持っており、その大銀行家達はそれぞれの国の政府と充分に連絡があるから、戦争や政変の犠牲になることは断じてなかった。その例は無数にあるし、犠牲になる代わり、欧州大戦を却って逆に利用して大いにしかも驚嘆すべき巨額の富を儲けた者がたくさんある) しかるに簡単な一般人は、大戦が起こればかくの如く各国に於いてもつれた資本網はたちまち破られ、各国の国家統制によって現代資本主義はたちまち滅するに違いあるまい、と考えていたものである。ところが事実は全くこの予想に反していた。大戦によって即ち、左の如き犠牲、12,996,571人の生命、16,257,000人の負傷者、5,669,000人の不具者、2,100,000,000,000フランの不動産破壊、4,650,000,000,000フランの直接戦費。によって、実現されたところは資本主義王朝の荘厳、金権の確立であった。 二、ドイツとニッケル マルヌ大戦の失敗後、独国はシユリフエン計画の失敗を認め、従って戦争が長引くものと見て取った。英国のドイツ封鎖政策はドイツの没落を早めるだろう。否完全にそれが実行されたら、ドイツは数ケ月を出でずして全く敗れていたに違いない。実際ドイツは戦争を継続するに要する材料の資源は非常に苦しい。ニッケル、鉛、鉄、石炭、銅、食糧、その他何かにつけて海外よりの輸入に待つものが非常に多い。これを完全に防止すれば、ドイツ軍如何に勇猛なりと雖も、全く兵器弾薬の飢饉に陥り、数ケ月を出でずして降伏の外はなかったものである。誰が大戦5カ年間これを供給したか、その供給者こそ悲惨な大戦の真の責任者ではあるまいか。その責任を問わないで我々はその供給者を尋ねよう。 ドイツは従来その大工業の原料をほとんど海外に仰いでいる。大戦後5カ年間の必要な軍需工業材料も多量に海外から供給されていた。その海外供給者が中立国ばかりでなく交戦国、それも正しく当面の敵である英、仏両国であったと云うことは、我々日本人にはちゅっと信じられない。ドイツの不可欠軍需品ニッケルはほとんど全部仏領又はカナダのものである。 しかし事実は事実である。軍需工業の材料原料ばかりでなく資金もまた敵国から供給されていたと云えば、益々我々日本人は信じることができない。しかし実際大戦中に、オーストりヤ、ウインナ市で英国、仏国、白国、米国等の銀行代表の会議が何回も開かれている。欧米各国の実情、その社会内部構造を知らない日本人はほとんど想像することも理解することもできないような奇怪極まる裏面暗黒界が欧米の至るところにある。敵前に僅かな間違いをした兵士下仕官等が用捨もなく残酷に銃殺を行われ、その郷里の市役所の表門に「銃殺された不届き者」として大きな広告をされるのに、現在敵国に軍需工業原料品や材料品を提供し、その上資金まで提供する非国民は罰せられることもなく、却って黄金に埋められるような身分になって行く。 ここで、我々はそんなことが可能である西洋国家社会の内部構造を研究し、その地底構造を探ることは後日に譲り、今はその研究探求の材料を整理することで満足しよう。先ず対敵通商問題の第一の親玉は有名な仏国ニッケル会社である。(日本もその古いお得意である) そのニッケルの重役席に世界兵器工場の怪物サー・バジル・ザハロフがいる。 仏国に於けるニッケル社攻撃は議会に於ける上院議員ゴ-ダン・ド・ヴイレーヌの左の如き演説にその火の手を上げた。「1914年10月1日、ノルウェー、ハルスンド港属一ノルウェー三橋汽船が、ニューカレド二ヤから、ドイツ・ハンブルクへ向けクルツプ(兵器工場)用ニッケル2500トンを積載して走っていた。その代金の半額は積み出し以前に支払い済みになっていた。この船は仏国海岸で仏国軍艦ジユプチ・トウアール号に見つけられブレスト軍港へ引かれ、海軍裁判所は適法なる戦時捕獲を認めた。ところが、パリ海軍省から電報が来る。『そのノルウェー船を直ぐに保釈すべし』。ブレスト海軍裁判所はその電命を拒絶する。と直ちに海軍大臣から始めと同じような電命が来る。こんな交渉がかれこれ十日も続いて、10月10日になると、問題の汽船は静かにその航路を辿ってハンブルクの方へ走っていた。一体これはどうしたことだ。ニューカレド二ヤのニッケル鉱山は勿論仏国パリにその本社を有するニッケル会社のものである。ハンブルクは敵国ドイツ第一の商業港である。例え、ノルウェー船であるとは云え明らかに敵国ドイツへ自国の軍需品を2500トン持って行く船である。それが一応は地方海軍鎮守府の手に捕獲されているのに、海軍大臣がその保釈を命じたのである」。 一体、これは何を意味しているか。ゴ-ダン・ド・ヴイレーヌの言葉を聞こう。「この時以来如何なる船舶が兵器軍需品を満載して仏国海軍の眼前を堂々とドイツへ向かって航行してもそれがドイツの国旗を掲げていない限り、仏国海軍は指を咥えて見送る外はなかった。勿論、海軍はその後もほとんど毎日のようにノルウェーやロシアやその他の国旗を掲げたドイツ船で軍需品を輸送するのを見つけたのであるが、唯の1回もこれを積下させることはできなかったのである。勿論海軍軍法会議はそのつど海軍大臣に抗議はしたが全く無効であった」。 大戦中多くのドイツ汽船はノルウエー船になり済ましていたものである。そのげん側と船尾の船名を塗り替えさえすれば、ドイツ船員はノルウエー船員と一見大差がないし、その上その中にはノルウェー人も少なくはなかった。この上院議員はその攻撃の手を強める。「しかしその少し後に、正確に申せば大戦第一年末の12月4日に英国海軍は英仏海峡でロシアの国旗を掲揚する一汽船を臨検してそれから同じくニューカレド二ヤからハンブルクへ向けたクルツプ工場行きニッケル2775トンを載せていると判明すると、ロンドン海軍軍法会議はその捕獲没収を適当なりと認めた」。「英仏海峡を隔てて国法はかくも違っているものであるか!」。 「さらに驚くべき例がある。1914年9月、汽船エルドス号が(アントワープ、ネト工場向け)ヌメア(ニューカレド二ヤ)工業会社積み出しニッケル鉱を満載して航行中、英海軍によって英国フアルマウス港に抑留された。それで、ヌメア工業会社はそのニッケル鉱を、精錬後グラスゴー(英国)に返送すると云う条件つきで、ノルウェーへ送る許可を要求した。英国海軍は仏国政府に之を相談した。相談を浮けた仏国政府はその要求に反対をした。そこで勿論、ヌメア工業会社はそのエルドス号の積荷を原価以下の競売値段で英国にあるニッケル会社の工場へ譲り渡さなければならなかった」。 三、ニッケルとロスチャイルド銀行 以上の言葉は一寸(ちょっと)一般日本人には分からないかも知れぬ。それはこう云う訳である。このヌメア工業会社は、ニッケル会社の唯一の強競争者であること、ニッケル会社はロスチャイルド銀行を背景にもっており、事実ニッケル会社が単にニューカレド二ヤの大部分ばかりでなくカナダ領のニッケル鉱をまで手に入れているのは全くロスチャイルド銀行のお陰であり、ロスチャイルド銀行はユダヤ仏国資本主義王朝を作る一員であり、仏国政府はその王朝の奴隷であることを無理にも理解しなくてはならない。 ゴ-ダン・ド・ヴイレーヌは続ける。「ニューカレド二ヤに於けるニッケル会社の独裁振りと強欲非道が如何なるものであるかと云うことを示す例は無数にあるが、私はその唯一つを挙げておきたい。それはシヨウヴオ及びヴエルジエ両氏の対ニッケル係争である。その判決は1916年8月2日に下されたが、係争費用は一切ニッケル会社の負担になりながら、シヨウヴオ及びヴエルジエ氏は会社の信用をさげたと云う理由で60万フランを会社に支払うことを命じられた。ここをよく諸君にお聞き取り願いたい。ニッケル会社は大戦以前からかのぺナコイヤ会社(ボレオ鉛と銅を占有する会社)と同様にドイツをこの軍需品の最大顧客として、年年歳歳ドンドンドイツへ売り込んでいた。そして仏国に提供されたニッケルの量は完全にドイツに報告されていた。ニッケル会社はドンドン売り込む以上にストックをドイツのその支店に仕込んだのである。その支社とは、ウエストフアりヤのイザローン工場である。ところが表面この工場はニッケルの副産物染料の工場であり、そこに余りに巨大なストックを蔵することは一般人の疑いを招く恐れもあるので、ニッケル社は以前からフランクフォルトのメタルゲゼルシャフトと手を組み、会社の工場へストックを入れていたのである。(メタルゲゼルシャフトは知る人ぞ知る有名な軍需工場会社である) しかるに、(ここをよくご記憶に止められたい) このメタルゲゼルシャフトの最大株主とは誰あろう、カイゼル皇帝彼自身であったのはすでに周知の事実である。そして、仏国ニッケル社の大戦直前までの株主名簿には立派にクルツプ、ドリンゲンの二大兵器工場、メタルゲゼルシャフト等の名が出ている。かくの如く、1910年より1914年に至る間にニッケル会社はドイツ最大の兵器工場クルツプ、ドリンゲンの諸工場や、各地のニッケル精錬工場、さては自社の染料工場、あるいはメタルゲゼルシャフト兵器工場に莫大なるニッケルのストックを詰め込んだのである。 諸君、その量はいかほどとご想像になるか? 実に仏国ニッケル会社は1910年から1914年までの間に少なくとも純ニッケル2万トン以上を得るに足りる鉱石をドイツへ提供している。しかるにドイツの一ヵ年ニッケル消費量は3千トン以上には出なかったのである。(即ち約7ヵ年分の消費に相当するストックを有していた訳である) この4年間、ニッケル会社の諸工場はニッケルを精錬するばかりで、その製品を1回も売っていないと云う奇怪な事実がある。しかもこの事実は1916年7月16日付け私宛の陸軍大臣の書簡が証明している。その書簡を読み上げるならば、(前略)大戦勃発時、ニッケル会社はニッケルがドイツの必須不可欠品であると云う事実を指摘し、直ちにこれを戦時禁制品とすべきことを政府に要求致し候。しかるに事実は全くこれに反し、同社はあらゆる方法を利用し敵国ドイツのニッケル・ストクツを増加することに全力を尽し申し候。同社のニッケル輸送船は続々としてハンブルグへ航行し、時として海軍に抑留されんか忽ちかのヂユプチ・トウアール号の時の如く、ブレスト海軍軍法会議を支配する海軍大臣を容易に動かす大御所を出動させ、難なく保釈せしめ申し候(後略)」。 四、ニッケルの大々的密輸出 かくて、無数のドイツエランド号が自由自在に航海を続けた理由は了解される。ベランジエー氏は1915年2月18日の論文で、政府がニューカレド二ヤのニッケル輸出禁止を漸く1914年12月21日になって発表したと云う事実に全く驚嘆している。しかしそれよりも驚くべくことがある。それはその翌年即ち1915年のヌメア港のみのニッケルカワ(45%)輸出が4,606,834キロに上っている事実である。この輸出が全く何の抗議も受けず、カナダによって強制的にされた条約(即ち、米国向けニッケルは米国自身及びその同盟国の為の使用に限る)にも拘らず行われたのである。 この中、英国及び仏国仕向け、2,007,407キロは理解できるとしても、北米仕向け2,599,427キロは全く不可解である。何となれば北米合衆国は既に数年来ニューカレドニヤのニッケル供給は受けていなかったし、カナダのニッケル算出は北米の使用量の3倍に達していたのである。故にこの2,599,427キロのニッケルは全く売国者の商取引であると断定することができる。 また、1915年ニューカレドニヤのニッケル算出が3,400トンであると云う公報は一体如何なる事実を隠しているか。ニューカレドニヤ過去10カ年間の平均産出額は7500トンである。戦争勃発と共にその産出額が増加するとも、減少するが如きハ断じて有り得ない。仮に7,500トンであったとしても、その差4100トンの行方は如何に? 1915年5月に漸くニッケルは、戦時禁制品とされた。しかしドイツのニッケル輸入は困難にはなったが、決して不可能にはならなかったのである。(ああ、敵将に塩を供給した日本の聖雄のように西洋人も敵国に軍需品を供給する?) アメリカン・メタル・カンパ二イはフランクフォルトのメタルゲゼルシャフトの代理店であり、子会社であり、何人の要求にも応じてドンドンニッケルを輸出していた。中立国やその他の国の旗を挙げてハンブルクへ航海する船の上では夜シャンパンが抜かれたものである。もうこれは今日周知の事実であるが、ドイツエランド号は何れも、毎航海400トンのフランス純ニッケルを本国へ持って帰ったのである。 私は付け加えておく。もしニッケル会社が自らニッケルを米国へ直接に輸送したことを否定する場合には、インターナショナル・ニッケル会社、アメリカン・メタル会社はメルトンやメタルゲゼルシャフトと同一系統会社であり、仏国ニッケル会社即ちロスチャイルド家とは切っても切れぬ密接な同族関係にある事実をも否定するかを問いたい、と思うのである。ロスチャイルド家のニューカレドニヤに於ける全権全能は今更諜々するまでもなく周知の如くである。ロスチャイルド家の活躍はニッケル会社設立の始めから公然の秘密になっている。ロスチャイルド家はヒギンソン家からニューカレドニヤのニッケル鉱山を買収した。その当時の奇怪な事情も公然の秘密になっている。ヒギンソン家は今日没落に瀕している。 事実、ニッケル会社とロスチャイルド銀行とは一にして二ではない。しかして結論はともかく、この社のクルツプ及びドイツに対する密接、切っても切れぬ関係はその社の重役及び社員の名簿と役員とを一見すれば如何なる門外漢にも容易に了解される。この点に関してはシヨオヴオ氏(ニューカレドニヤ、ヌメア裁判所書記)の報告を引用するのが最も便利であろう。氏は結論に曰く、 「同所の社員は、スターリング(1900年に入嶋せる技師。クルツプ社代表。ドイツ将校。チオの積み替え主任。ウアンガイの監督、チオ工場の設立者。かってシレジア興業会社の創立者たり。3月、急に出発したるもの)、ロックマン(技師、ドイツ将校)、職工長及び工夫頭全部ドイツ人なり。仏英艦隊はカレド二ヤの海岸にドイツ艦隊の接近することを禁じたるが、余は1914年10月11日付けをもってチオ・ニッケル会社の化学技師、ドイツ人スイス人ワイゲルの秘密工作を摘発したり。しかるに同嶋総督はこれに対し何らの処置をとらず、殊に秘密に本嶋内に右ワイグルが設置し無線発受所に対しても、これを放任せり」。 |
五、ニューカレド二ヤ島民の苦悶 数日前、 |
七、反軍非戦思想の根源 従来戦争に参加したことのない者は、戦争を次のように考えていた。-戦争とは人と人との戦いだ。敵を攻撃したり、自分を防御したりすることはできる。ところが大間違いだ! 何しろ人力以上の天を裂き地を崩す一種の不可抗力がその暴威をほしいままに振り廻しているのである。全くこんなところでは人間が如何に悲壮な決死的態度を取っても、全くタンクに敵対する蟷螂(かまきり)のような惨めなむしろ滑稽な無力なものである。現代戦争に於いては、人間は自分を防御すると云うことが絶対にできない。それは燃ゆる皮の大暴風雨だ。降りかかる熱火灼鉄を避けるところがない。それは大きな猛烈な地震だ。逃げることができない。大地が揺れ且つ裂けるのである。 こんな戦争の第一線に投げ込まれると、西洋人はその独特な個人主義をしみじみと痛感するらしい。欧州諸国と云っても、結局はシナ全体くらいの大きさで、各国国民は共通であるし、各国国王はしばしば共通のもので、親類であったり、兄弟従兄弟であったりして国民とは国籍が違っている場合も少なくはない。こんな訳で西洋人は日本人の如き没個人主義的国家観念を持っていなかったし、また今も持ち合わせてはいない。西洋の国家は一種の株式会社組織であり、国民は小株主、国王は大株主であるのだ。小株主は大株主の食い物になると云うのが原則である。カイゼルはメタルゲゼルシャフトやウエンザ製鋼所の大株主であり、英国皇室はヴイカース・アームストロングの大株主であり、サー・ジョン・サイモン外相でも会社の株を10,000株以上持っており、チェンバレンは12,400株以上を持っている。仏国大統領や歴代首相はフランス銀行やスエズ運河やその他重大な会社の重役会に籍を二重三重に置いている。 こんな訳であるから、西洋人は戦場に臨んでも、敵に対して誠に不倶戴天の仇敵と云うような感じを持つことができず、むしろ人間的な相互互見の感情で、彼らも我々の如く大資本家、大株主の為に矢面に立たせられている同類だと思い互いに敵愾心は持たない。欧州大戦に於いて、実際彼らは勇気を欠いていたのではないが、敵愾心を欠いていた。で只機会の如く闘わされた。将棋の駒の如く無造作に殺されることが役目であった。 彼らは内地で、戦争に臨んだことのない人々が考えるように最後の一兵まで戦う。と云うような考えは全く持っていなかった。戦争が長引くにつれ、彼らの目前の敵に対する感情は親しみ深くなり、日曜には敵の塹壕とミカンやボンボンや花束を投げ交わしたりするようになっていた。それに反し、内地の主戦論者、戦争継続論者、楽観論者、戦争に参加せざる軍人、殊に憲兵に対する彼らの感情は甚だ荒涼たるものになっていた。憲兵が兵士の群れに襲撃されて暗殺されることは度々あった。「ラテン文明を擁護する為に」と云うような美しい言葉は泥まみれの塹壕生活の兵卒には一向に熱を与えないし、殊にブルターニュ地方の兵士やアルゼリヤ兵等にはしかめ面をさせるばかりであった。「戦争を撲滅する戦争」、「デル・デ・デル」即ち「最後の戦争」と云うようなモットーも同様全く反響を起さなかった。 「自由」とか「権利」とか「文明」とか云う概念はまだ多少頭の底に残っていても、目の前に210ミリ砲弾で人間が木っ端微塵になる光景を見たり、背後に憲兵のモーゼル30発ピストルを感じたり「燃ゆる液体」がメラメラと接吻を不意に空から投げつけたりするところでは全く空虚な概念、死んだ観念のようにその魅力を失っていた。しかし戦争が長引くに従って兵卒は人間の適応性の大きさを驚嘆すべき程度に示していた。彼らは多くの日本人の如き愛国心を持っていない。仏国史上に於いて現れた唯一の愛国者はジャンヌ・ダルクである。仏国に於いては彼女の前に愛国者なく、彼女の後に愛国者なしである。 フランスは漸くアンリ4世(17世紀)から国家の体裁を有したような国だ。ドイツ帝フレデリック3世は英国帝エドワード7世の義兄であつたし、ウイリヤム皇帝は英帝ジョージ5世の従兄だ。この英王のチユードル家からはその上英王、オランダ大統領、スペイン王、スコットランド王等々が出ている。その外、仏国王でスペイン王の娘を迎えたり、初めはドイツの帝王で後にはオーストリア王になった者や色々様々な各国王室間の結婚があり、その結婚に続いて各国相続争いが起り、親子兄弟親族の間で猛烈な戦争が演じられた。それが或いは百年戦役となり、バラ戦争となり、スペイン役となり、その他無数の戦争の原因となった。戦争の原因は国民の間になくて、王室の間にあった。王室が戦争の張本人で国民はその利益の為に生命を徴発されたものだ。こんな国家の起源成立であるから、戦争が長引くにつれ、兵士が益々戦争を嫌悪するに至ったのは当然である。もし彼らが5年間勇敢に戦った原因を求めるなれば、それは唯々彼らの自尊心と自衛心の発露によるのみである。 |
八、「フラテル二ザション」の恐怖 欧州大戦第一線に於ける兵士達が最も恐怖を抱いていたのは、敗軍でもなければ、無益な大集団銃殺でもなかった。それは各軍の指揮者が恐れるところではあったが、兵士達はそれよりも、もっと恐るべきものを知っていた。それが「フラテル二ザション」だ! それは敵味方の軍司令部が妥協し申し合わせて第一線に猛火を注ぎかけることだ。「フラテル二ザション」! 「親交!」 この「フラテル二ザション」こと「親交」とは何を意味するか。恐怖と戦慄に充ちたものである。その定義- 「フラテル二ザション」とは、(一)、敵対する両軍司令部が、欧州の伝統に従い、両軍戦線に猛火を集中する黙契を云うと同時に、(二)、相互が交戦中、始終絶対に司令部を砲撃せざる約束なり」。ここに欧州大戦5カ年間、各軍司令部がほとんど1回も砲撃を受けなかったと云う驚くべき事実の秘密がある。司令部の人々は「戦争の殿様」と呼ばれている。彼らは決して砲弾に見舞われると云う懸念がないのである。この「フラテル二ザション」と云う恐怖を私は兵士の想像の産物だろうと考えていた。実際我々には可笑しくなるような恐怖だ。 ところが最近ドイツ前皇太子の「大戦日記」を一読するに及んでその真実であることを知った訳だ。1915年6月30日、皇太子のステネー司令部が仏軍の飛行機によって攻撃された。あり得べからざることである。欧州の戦争伝習、慣例、黙契を破るものである。だからこの時の皇太子の激怒は天に沖(ちゅう)した。激怒したのも無理ではない。司令部を攻撃すると云うことあり得べからざることである。これは仏軍の新参飛行将校が全く誤って攻撃したのであった。しかし皇太子の激怒は忽ち物凄い仏軍司令部総攻撃となって表現された。彼の日記を見給え。「我々は翌日、仏軍司令部を目がけて最も猛烈な砲火を浴びせた。艦砲38インチさえ使用して見せた。その間、敵は全く殊勝にも沈黙を守っていた。我々は爾後、決して前日の如き伝習を無視せる敵の行動によって静穏を破られることはなくなった」(「大戦日記」179P)。 |
九、議会制度は古き発明なり 我々は既に軍需工場会社が敵国に5カ年間の重要不可欠軍需原料を提供するコントルバンドの事実を確かめ、彼らが如何に莫大なる利益を占めているかを知った。これは言い換えれば仏国軍人が自分の最も愛する、最も頼みにする、そしてその為に命を標的にして死線を彷徨している祖国から敵国に送られた弾丸で殺されると云う立場に置かれていたと云うことである。しかもそれは単にニッケルや鉛ばかりでなく、武器さえ敵国に供給されていた。この事実は余りに長くなるから後日の機会に譲る。 軍需工業に於いて、資本主義王朝は敵味方をただ殺せば良いのである。ここで軍需品の敵国輸送の秘密は、フラテル二ザシヨンの恐怖と共にその正体を暴露されている。何故かなれば、政府がその議会制度と云うカラクリで資本主義に完全に支配されている(その例はニッケル会社ロスチャイルド銀行の堂々たる戦時禁制蹂躙行為に見られる如きものである)以上、その政府の軍隊は資本主義王朝の軍隊であって、その軍隊の首脳部は資本主義王朝の一部分たる重工業殺人工業の「御用」を充たす為に殺人工業の製品をできるだけ多く消費し、破壊する為に最大の努力を払わねばならないのである。ここにフラテル二ザシヨンの使命は示現される。この使命を果たすことによってのみ司令部の名誉と利益は保証されるのである。 |
十、軍縮会議の理想は再軍備競争 仏国の兵器製造はド・ワンデル、テオドル・ローラン及びシユナイデルの三社によって支配されている。しかるにド・ワンデルはシユナイデルと共に元来、100%のドイツ人であって、現にド・ワンデルは大戦以前ホン・ワンデルと名もドイツ流に称え、ドイツ議会に籍を持っており、その従弟フォン・ワンデルの顧問官であったし、現にドイツ議会に籍を有する政治家である。テオドル・ローランは、本名をシエガー・カーンと呼ぶユダヤ人であって、その愛国心については更に解説を要しない。ド・ワンデルと云いローラン、シユナイデルと云い何れもドイツのクルツプやチセン・メタルゲゼルシャフトと同じドイツ資本家である。この三大兵器工場王は全世界を独裁するユダヤ、ゲルマノ資本主義王朝の仏国王室オラス・フイナリの股肱の臣である。シナを経済的に滅ぼしたルーズヴエルトの銀買上げ政策も、ルーズヴエルトがその独裁権を獲得したのも、このユダヤ、ゲルマノ資本主義王朝米国王室クーン・ロブの命のままにである。このクーン・ロブこそは我が日本に日露戦争資金30億(それは今日なお残っている)を提供し、高橋是清をして、シツフなるユダヤ人を「会心の友」と呼ばしめたものである。 大戦終了後、資本主義王朝の三王室-即ち英国/英蘭銀行/モンタギユ・ノルマン(ユダヤ人)、仏国/フランス銀行/オラス・フイナリ(ユダヤ人)、米国/ニューヨーク、クーン・ロブ・エンド・カンパ二イ/ポオル・ワンブルグ(ユダヤ人)の三王朝は国際連盟を設立された。その幹部は全てユダヤ人である。又軍縮会議を作った議長ヘンダーソンは有名なユダヤ人である。そこへ参加する欧米各国代表はサー・ジョン・サイモン、バルトウを始め全てユダヤ人でなかったら、資本主義王朝に最も忠勤な抜きん出る人々であったのは周知の事実。その軍縮会議の目的は勿論、彼ら代表の黒幕主人公、地底王国の三ユダヤ王朝の資本家の理想を遠く隔たることはできなかった。従って軍縮会議のお流れであり、各国の再軍備競争であった。 再軍備競争に拍車をかける為に三王室はそれぞれ独特の努力をした。英米王室の拍車のかけ方は、詳述する時間を欠く。ここに仏国資本主義王朝の再軍備熱を起した方法を略述するなれば-、先ず仏国兵器工業に取って、自国の軍備大拡張熱を起するに最も有効な方法はドイツの再軍備である。ここで彼らはヒットラーを拾い上げ、その突撃隊一切の武装を提供し、ヒットラー政権を獲得せしめた。ヒットラーが政権にありつくと、仏国兵器殺人工業は仏国大新聞(タン、デバ、ジュールナル、アクション、フランセーズ等)に太鼓を打たせ、忽ち32億フランの臨時軍備費を可決せしめその軍備を引き受けた。これは去年のこと。 ヒットラーは約束に堅い男である。今年に入るや更に堂々と再軍備宣言をした。仏国兵器工場は注文でホクホクする。そればかりか、その株式は奔騰を続ける。今ここに、本文の結論を述べる代わりに仏国資本主義王朝の繁栄が如何に凄(すさ)まじきものであるかを如実に語る数字を並べて置こう。左に示す20数社は何れも、オラス・フイナリイを頭と頂き、ド・ワンデル・シユナイデル、テオドル・ロランを軍需工業大臣とする仏国地底王国に忠勤を抜きん出るものばかりである。(中略)以上の20余社の株主がこの9週間この株式騰貴のみによって利益した金額は14億フランを突破する。これがみんな、やがて来るべき大「フラテル二ザション」の準備からの利益だ。 「君達は祖国の為に死ぬると思っているが、実は君達は兵器工業繁栄の為に死ぬのだ」(アナトール・フランス)。欧州の風雲はいよいよ急になって来た。西洋資本主義王朝の世界独裁は拍車をかける。我々は西洋資本主義黄金時代の荘厳に臨む訳である。昭和11年11月執筆 |
(私論.私見)