第4部第8章、マスメディア報道の裏側~無意識の誤解からテロによる言論封殺まで~

 (最新見直し2012.04.14日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「第1部第2、解放50年式典が分裂した背景」を転載しておく。

 2012.04.13日 れんだいこ拝



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『アウシュヴィッツの争点』
ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために
(63)
第4部 マスメディア報道の裏側
第8章:テロも辞さないシオニスト・ネットワークとの対決 1/5

『週ポ』Bashing反撃)

シオニスト・テロ・ネットワークの「歴史見直し研究所」襲撃

 以下の文章のほとんどは、『マルコ』廃刊事件以前に仕上げていたものである。むしろ、そのままの方が意味があると思うので、あえて手を加えない。
 さて、最後に予測しておかなければならないのは、本書のテーマである「ホロコースト」の見直し論が、今後、日本国内で遭遇するであろう障害、妨害である。
 その予測の材料として、まずは国際的な歴史的事実を紹介しよう。
 さきに紹介したNHK放映の『ユダヤ人虐殺を否定する人々』では、カリフォルニアにある「歴史の見直し研究所」(IHR)を「ナチズム擁護派の一つの拠点」として位置づけていた。だが、この研究所の活動内容は、その名のとおりの「歴史の見直し」であって、決して「ホロコースト」の見直しだけを目的にしているわけではない。案内のパンフレットも手元にあるが、刊行図書の案内を見ると、日本軍が真珠湾を攻撃するにいたる経過の研究など、非常に多彩である。決して一定の政党や思想団体に従属する組織ではない。だから、協力する学者や文化人の思想傾向もはばひろいようだ。
 しかも、IHRについては、先の映像作品がまったくふれようとしなかった重要な事実がある。IHRの事務所に爆弾をなげこむ焼き打ちなどの白昼テロ行為が、再三にわたっておこなわれていたのだ。いやがらせの街頭デモなどの前後の状況から判断すると、犯人はあきらかに、いわゆるユダヤ人のシオニスト過激派である可能性がたかい。
 IHRは一九七八年に設立されたが、すぐにシオニスト組織のしつような攻撃の対象となった。
 IHR発行の「特別報告」、『シオニスト・テロ・ネットワーク』によると、いやがらせの街頭デモにはじまる公然として攻撃が、まずあった。さまざまな非合法の攻撃手段のなかでは、車の破壊などは序の口で、タイヤに穴をあけられたのが二二回、数えきれないほどの事務所や夜間の自宅へのいやがらせ電話、事務所への銃撃、放火、三度の爆弾なげこみなどがあった。事務所への攻撃の方法は、火炎ビンから爆弾まで、次第に強力な攻撃となり、一九八四年には、貴重な資料がすべて灰になった。そのさいの損害は金額にして四〇万ドル(約四億円)に達した。
 しかし、これらの襲撃についてメディアはこぞって何らの報道をもしようとせず、警察当局は犯人捜査の努力を放棄した。これが世界中に「民主主義」を押し売りしているアメリカの、本国における言論の自由の現実なのである。
『シオニスト・テロ・ネットワーク』にもでてくるが、もっとも戦闘的なシオニストの組織に「ユダヤ防衛連盟」(JDL)がある。JDLの危険な実態を徹底的に暴露した『ユダヤを剥ぐ/武装テロ組織JDLの内幕』の著者、ロバート・I・フリードマンは、アメリカ国籍のユダヤ人で反シオニストのジャーナリストである。

暗殺、放火、爆弾なげこみの背後にはイスラエル政府機関?

 シオニスト過激派の活動を正確に認識するためには、イスラエル建国を推進したシオニストが、政治集団であると同時に、世界に比類のない強力なテロリスト集団でもあったという、厳然たる歴史的事実を、あらためて確認する必要がある。
 名前が知れわたっているテロリストのなかには、なんと、首相にまで成り上がったメナヘム・ベギン、イツハック・シャミルらがいる。かれらのテロの対象は、パレスチナ地方のアラブ人だけではなかった。イギリス当局は、アラブ側の抗議にしぶしぶこたえる形で、委任統治下にあったパレスチナへのユダヤ人の移住を制限したりしていた。だから、シオニストのテロ集団は、イギリス当局にたいして何度もテロ攻撃をおこなっていた。攻撃の口実は、ユダヤ人に「ナショナル・ホーム」を約束した一九一七年の「バルフォア書簡」の早期実現要求であった。「イギリスが約束を裏切っている」からテロは当然だというのが、かれらの論理だった。
「バルフォア書簡」を「バルフォア宣言」などと表現して、いかにもイギリスが公式の約束をしたように論ずる学会の習慣がある。だがこれはあくまでも、植民相のバルフォアが金融財閥の当主、ロスチャイルドにだした非公式の「手紙」にすぎないのである。
 公式の国家間条約でさえ、議会で批准されなければ発効しないのが国際常識である。しかも、イギリスがパレスチナを支配していたのは、国際連盟の委任統治という名目によってだった。その名目からしても、国際連盟の承認もなしに勝手な処理がゆるされるべきではない。ましてや、アラブ人などの現地の住民の立場からすれば、イギリスにはなんらの権利もないのである。それなのに、アラブ人にもイギリス人にもテロ攻撃をくわえて、強引にパレスチナ分割決議をうばいとったシオニストとユダヤ系財閥と、それをバックアップしたアメリカの行為は、決してゆるされてよいものではない。
 かれらのテロによる何十人ものイギリス人犠牲者のトップクラスには、イギリス本国の植民相、モイン卿がいた。かれは殺される直前に、「ユダヤ人の天国としてはマダガスカルが適当」と口走っていた。ヒトラー時代のマダガスカル案には沈黙をまもったシオニストが、情勢がかわると、おなじ案を口にしただけで暗殺という手段にうったえるようになったのである。さきに紹介した元首相のイツハック・シャミルは、モイン卿の暗殺を実行した「シュテルン部隊」の最高指揮官だった。
 イスラエル建国を可能にした必須条件、パレスチナ分割決議をうばいとるさいにもテロが決定的な役割をはたした。アラブ諸国の強い反対の意思表明を前にして、アメリカのトルーマン大統領もイスラエルの建国に反対する。シオニスト世界機構議長のヴァイツマンも、ほとんどあきらめかけていた。ラカーは、『ユダヤ人問題とシオニズムの歴史』のなかで、その間の事情をつぎのようにしるしている。
「エルサレムでは、協議が割れていた。ワイズマンは、シオニスト小評議会の会合で、ユダヤ人国家を要求したことはおそらく間違いであったと述べた。
『我々はいつも無理押ししようとしている』
 しかし優位を占めたのは行動主義者だった。一九四六年六月一六日には、またハガナの大規模な行動があり、九つの橋が爆破され(ヨルダン河に架かるアレンビー橋も含まれた)、ハイファの鉄道作業所が被害を受けた。イギリス人は六月二九日、パレスチナのシオニスト執行部の構成員や、その他多くの著名人の逮捕を命令することにより報復した。ユダヤ機関事務所は閉鎖され、公的な建物や入植地は捜索を受けた。
 イギリスとシオニストの関係は、イルグン[シオニストの軍事組織]がエルサレムのキング・デーヴィッド・ホテルを爆破した時、最も低調なものになろうとしていた。この爆破により、イギリス人、ユダヤ人、アラブ人合わせてほぼ一〇〇人の人命が失われた」
 さきに紹介した元首相のメナヘム・ベギン、イツハック・シャミルらは、この引用文中の「イルグン」のメンバーだった。テロによって「国盗り」を果たし、テロリストを首相にいただくイスラエルにとって、テロはもはや、国益を守るための宿命の観さえある。
 一九七八年には、「ホロコースト」見直し論者で『六〇〇万人は本当に死んだか』を普及していたフランス人の歴史学者、フランソワ・デュプラが暗殺された。フランスの代表的な保守系新聞『ル・モンド』などでも何度か報道された事件である。デュプラが運転していた車が爆弾でふっとび、本人は死に、同乗していた彼の妻も両足をうしなった。直後に、ユダヤ人のアウシュヴィッツ関係組織、「記念コマンド」と「ユダヤ人革命グループ」が、みずからの犯行だとなのりをあげた。
 IHRが設立されたのは、デュプラが暗殺された年の一九七八年である。『シオニスト・テロ・ネットワーク』では、デュプラ暗殺事件の技術的背景をつぎのように分析している。
「この襲撃はいかにも洗練されており、どこかの政府機関が関与していないと考えるのは困難である」
「どこかの政府機関」といえば、当時すでに建国三〇年をへていたイスラエルの必殺情報機関、「モサド」以外にはありえない。
『シオニスト・テロ・ネットワーク』の「フランソワ・デュプラ殺害事件」のつぎの項目は、「イスラエル・コネクション」である。この項目では、元モサド機関員の著書を引用しながら、イスラエルが各国の「ユダヤ人防衛グループ」に武器を供給し、自国内で軍事訓練をほどこしていた状況などを解説している。

(64)「イスラエル大使館サイドの反論」の背後にいたアメリカ大使

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『アウシュヴィッツの争点』
ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために
(64)
第4部 マスメディア報道の裏側
第8章:テロも辞さないシオニスト・ネットワークとの対決 2/5

『週ポ』Bashing反撃)

「イスラエル大使館サイドの反論」の背後にいたアメリカ大使

 さて、そこで日本国内を見わたすと、すでに本書の準備中、隔週誌の『サピオ』(94・7・14)に異様な記事があらわれていた。
「本誌記事に対するイスラエル大使館サイドの反論/『「クリントン失脚の日」(4月14日号)ほかサピオ記事のおぞましき“反ユダヤ的暗示”について」と題するものである。執筆者のマイク・ジェイコブスの肩書きは、「『ロンドン・ジューイッシュクロニクル』『エルサレム・ポスト』特派員」になっている。
 ジェイコブスの批判は、つぎのような部分に要約されている。
「サピオの4月14日付記事は、日本と海外社会で憤激を買った。アメリカのモンデール大使の言葉に、それが端的に表明されている。著者の藤井昇氏は、ユダヤ人がアメリカ政府の高級職から排除されたので、シオニスト達がクリントン大統領にメディア・ウォーを仕掛けているとして、シオニストを非難した。その記事に対して、大使は『異様なうえ、途方もない間違いである。反ユダヤ的暗示がまことにおぞましい。』と批判したのであった」
 ところで、この記事より一〇年前にアメリカ大統領選挙になのりをあげていた「モンデール」について、「著者の藤井昇氏」は『世界経済大予言』のなかでこう書いていた。
「これは、その場に居合わせた私たちの友人に聞いた話ですが、モンデール氏は、毎日四時になると、かならずユダヤ人のある超大物弁護士のところへ電話を入れるそうです。中東問題でシオニスト・ロビーに嫌われないようにするにはどうすればいいかを相談するそうです。(中略)彼のスピーチ・ライターは全部、ユダヤ人です。(中略)モンデール氏の取り巻きの経済政策面の一人は、ロバート・ライシュ(ユダヤ人)です」
 藤井昇は、アメリカのハーバード大学国際問題研究所員をへて、ニューヨークに本拠をおくシンク・タンク、ケンブリッジ・フォーキャスト・グループの代表をしている。現地耳情報の強みをいかして、日米関係の政治経済予測記事を書きつづける異色のジャーナリストだ。
『サピオ』は、反論記事をのせた経過について、「イスラエル大使館より本誌編集部に対し抗議がありました。(中略)イスラエルとの話し合いの結果、大使館側の推すジャーナリスト、マイク・ジェイコブス氏に反論の執筆を依頼しました」としるしている。
 イスラエル大使館は、わたしが三〇年近く在籍した日本テレビ放送網■の社屋の窓から見える位置にある。
 パレスチナ関係の運動が襲撃の対象にするという噂がたえず、いつも警察官が見張っていたので、その建物の存在は、否応なしに目についた。しかし、普通の中流どころの住宅並みの規模だから、何人ものメディア監視スタッフがいるとは思えない。隔週誌の『サピオ』まで監視する余力があるはずはない。これはきっと「アメリカのモンデール大使の言葉」の方が先行していたにちがいないと直感した。アメリカ大使館は、かなり前から日本のメディアの報道を系統的に監視し、ときには直接の干渉までしてきたのだ。
 関係者にあたってみると、案の定、そんな感じの返事がもどってきた。

アメリカのマスコミへのユダヤ(シオニスト)勢力の強い影響

 ジェイコブスの反論の内容は、いたっておそまつである。つぎの部分などは、モンデール大使の言葉を借用すれば、「途方もない間違い」である。
「『アメリカのマスコミが、ユダヤ(シオニスト)勢力に強く影響されていることは周知の通り』とする主旨は、著者の意図的な或は無知に起因するミスリード例である」
「アメリカのマスコミ」、または国際的大手メディアにたいする「ユダヤ(シオニスト)勢力」の支配については、すでにわたし自身も、拙著『湾岸報道に偽りあり』と『電波メディアの神話』のなかで若干紹介したところである。出典の資料は数おおいが、『尻尾(ルビ:ユダヤ)が犬(ルビ:アメリカ)を振り回す』の著者、グレース・ハルセルなどは、ジョンソン元大統領のスピーチ・ライターを三年間つとめたこともあるホワイト・ハウス通の著名なジャーナリストである。ジェイコブスは、自分のセリフに自信があるのなら、まず最初に、ハルセルなどのアメリカの著名なジャーナリストたちに訂正をもとめてみて、それに成功したのちに、あらためて日本のメディアに注文をつけるべきだ。
 巻末に関係資料を紹介するが、『アメリカのユダヤ人/ある民族の肖像』などは「“数奇な民族”の誇り高いオデッセイ」などという宣伝文句つきの本である。この本では「学術とメディアのエリートたち」の項目に、まるまる二一ページも割いている。
 一応、右の資料などから主要な事実だけをあげておこう。
『ニューヨーク・タイムズ』の社主、ザルツバーガーはユダヤ人で、幹部の大半もユダヤ人だ。『ワシントン・ポスト』の創立者、故ユージーン・メイヤーもユダヤ人だったし、現会長のキャサリン・グレアムはかれの娘で、幹部でユダヤ人でないのはたった一人だけだ。日本なら日本経済新聞にあたる『ウォール・ストリート・ジャーナル』の場合、オーナー会長兼社長、ウォーレン・H・フィリップスなどは「親イスラエル」の姿勢を明確にしめすユダヤ人で、湾岸戦争のさいにはもっとも強硬な主戦論をはった。かかげた目標は「バグダッド占領、マッカーサー方式の占領行政実施」だった。
 電波メディアの場合はもっと明確だ。ラディオ時代にRCA(ラディオ・コーポレーション・オブ・アメリカ)を創立し、NBCネットワークをきずいたデイヴィッド・サーノフは、ロシアから移民の子としてわたってきたユダヤ人だ。ABC創立の中心となったレナード・ゴールドスタインも、CBS創立の中心となったウィリアム・S・ペイリーも、ともにユダヤ人だ。
 ただし一九八六年には、三大ネットワークのすべてが新経営者にのっとられた。CBSの新経営者、ラリー・ティッシュはイスラエル支持のユダヤ人だったが、NBCを親会社ごと買収したGEの会長、ジャック・ウェルチと、ABCを買収して傘下にくわえたメディア会社、キャピタル・シティズの会長、トム・マーフィーの両者は、ユダヤ人ではない。三大ネットワークを追いこす勢いのCNNを一部門とするターナー放送システムのオーナー会長、テッド・ターナーも、やはりユダヤ人ではない。だから、電波メディアについては、WASP(ホワイト・アングロ=サクソン・プロテスタント)のまきかえしという解釈が成立するのかもしれない。しかし、どのメディア系列にもユダヤ人の有力スタッフがおおいのは「周知の通り」である。
「イスラエル大使館サイド」のジェイコブスの文章の図々しさには、『サピオ』編集部関係者も苦笑いするばかりだった。だが、このジェイコブスの反論記事にたいする藤井側の再反論の企画は、いまだ実現していない。『サピオ』側は、別に再反論を拒絶しているわけではなくてタイミングの問題だというのだが、いささか気になることがある。それは、関係者のすべてが、つぎに紹介する日本経済新聞のユダヤ本広告掲載拒否にいたる経過を、かなりくわしく知っていたということだ。

日本経済新聞のユダヤ本広告掲載を撃った「ナチ・ハンター」

 日経の書籍広告にたいして国際的な抗議行動を展開したのは、「ナチ・ハンター」を自称する「サイモン・ウィゼンタール・センター」(以下、SWC)である。
 同センターの抗議運動の対象となったのは、一九九三年七月二七日付けの日本経済新聞の第五面、ページ下の全五段にのった大型書籍広告である。広告主は「第一企画出版」で、書籍は「☆ユダヤ支配の議定書(プログラム)☆《衝撃ヤコブ・モルガンの三部作》」と銘打った『最後の強敵/日本を撃て』、同『続』、『続々』の三冊に、『ロスチャイルド家1990年の予言書/悪魔(ルシファー)最後の陰謀(プログラム)』で、あわせて四冊である。「三部作」の部分の真中には、つぎのような宣伝文句がある。
「ロスチャイルド家を核にユダヤ財閥はヨーロッパ、アメリカ、ロシアを支配し、いよいよ日本征服に乗り出した」
 右肩にはつぎのような、いかにも日経新聞の読者むけらしい宣伝文句がある。
「ユダヤを知らずして株価が読める訳がない!」
 これらの書籍は、いわゆる「おどろおどろ」の反ユダヤ財閥本の典型だから、わたしの好みではないし、いささかも推奨するつもりはない。だが、この書籍広告に抗議する「サイモン・ウィゼンタール・センター」の側にも、非常にあやしげな気配があるのだ。
 翌一九九四年の『ニュウズウィーク』(94・5・25)には、「アジアで広がる反ユダヤ主義」という題で、「アメリカのユダヤ人人権擁護団体『サイモン・ウィゼンタール・センター』」の日本での活動についての、つぎのような記事がのっていた。
「東京では今、同センターの後援でホロコースト(ユダヤ人大虐殺)への理解を深めてもらうための展示会『勇気の証言/アンネ・フランクとホロコースト展』が開かれている(東京都庁の交流展示ホールで五月二〇日まで)」
 この活動の目的について同記事では、「アジアで高まる根拠なき反ユダヤ感情に歯止めをかけたいユダヤ人団体の努力の一端なのだ」としている。
 サイモン・ウィゼンタールについてはすでに若干ふれたが、オーストリアうまれのユダヤ人である。かれは、クリストファーセンの『アウシュヴィッツの嘘』の出版にさいしても、ドイツの弁護士会宛てに、序文をよせた弁護士、マンフレッド・レーダーの行為が同会の倫理規定に違反するのではないかとせまって、「調査」をもとめた。これにたいするレーダー自身の返答の最後には、つぎのような痛烈な皮肉がしるされていた。
「われわれドイツの弁護士は、ユダヤ人によってであろうとだれによってであろうと、またはいかなる方法によってであろうと、検閲や支配をゆるしません。あなたこそ、われわれの周囲をかぎまわる前に、あなたがゲシュタポの手先だったというポーランドの新聞がおこなった告発にたいして答えるほうが先決ではないだろうかと、ご忠告もうしあげます。そうでないと、貴方の病的な“反ドイツ主義的”行動は、“泥棒をつかまえろ”[とさけんで自分が逃げる泥棒の手口をさすドイツ語の慣用句]のたぐいとしか見えないでしょう」
 日経の広告にたいする抗議行動を報道した唯一の大手日本紙、産経新聞は、サイモン・ウィゼンタール・センターを「ホロコースト(大虐殺)の教訓を正しく伝える活動などを世界規模で続ける」組織だと紹介している。
 だが、イスラエル人のなかからさえ、「ホロコースト」が繁盛する商売であると同時に一種の新興宗教になっていることにたいして、批判的な声があがっている。
 ウィーバーが執筆したリーフレット『ホロコースト/双方の言い分を聞こう』によると、有名な新聞人のヤコボ・ティマーマンは、その著書『最も長い戦い』のなかで、おおくのイスラエル人が「アメリカでホロコーストがユダヤ人の世俗的宗教になっている状態を恥じている」とし、「ショアほどの商売はない」というイスラエル人の皮肉なジョークを紹介している。
 ヘブライ語では「ホロコースト」のことを「ショア」ともいう。これはあきらかに大当たりのブロードウェイ・ショウで、映画化もされ、日本語訳では意訳で「素敵な」を加えて『ショーほど素敵な商売はない』となっていた題名の「ショー」を、「ショア」ともじったジョークである。英語ではこの種のもじりを「一語いれかえ(ワン・ワード・チェンジ)」という。だから、「ショアほど素敵な商売はない」と訳してもいいだろう。
 ウィーバーはこのほかにも、一四ページの論文、「サイモン・ウィゼンタール/いかさま“ナチ・ハンター”」(『歴史見直しジャーナル』89/90冬)などで、ウィゼンタールの経歴詐称ぶりや業績のあやしさを、さらにくわしく追及している。本書では、それらの資料を巻末で紹介すると同時に、右の論文を要約した同名のリーフレットから、もっともきびしいユダヤ人社会の足元からの、つぎのような批判のみを訳出しておく。
「イスラエルのヤド・ヴァシェム・ホロコースト・センターの館長の言によれば、サイモン・ウィゼンタールとその名をいただくロサンゼルスのセンターは、ホロコーストを『商業化』し、『俗悪化』している。この非難は一九八八年一二月、イスラエルの日刊紙『ハアレツ』で報道された。ブルックリンの週刊『ユダヤ・プレス』はこの非難をつぎのように論評した。
『ウィゼンタール・センターがホロコーストを商業化していると考えて、ヤド・ヴァシェムが立腹していることは、ずっと前から世間周知の事実だったが、今度の攻撃は、これまでにないもっとも公然たるものである』
 ヤド・ヴァシェム館長の言によれば、ロサンゼルスのセンターはウィゼンタールの名前の使用料として、彼に年間七万五〇〇〇ドル(約七五〇万円)を支払っている。『ユダヤ人はさまざまな下品なことをする』と、その[ヤド・ヴァシェム館長]報告はさらにつけ加える。『しかし、ウィゼンタール・センターは、その極致までやり尽くした。人の心を傷つけるような微妙な問題を、資金稼ぎのために阿片のように用いた。……』というのだ」
 わたしは、一九九五年二月二日の文芸春秋とSWCの共同記者会見の席上、以上のようなサイモン・ウィゼンタールとSWCに関する資料の存在を簡略に指摘したうえで、つぎのように質問した。
「わたしにはは現在、これらの情報の原資料まで確認する手段はないが、もしもこれらの情報が事実でないとすれば、サイモン・ウィゼンタール個人もしくはサイモン・ウィゼンタール・センターは、名誉毀損などでこれらの文章の執筆者を訴えておられるか、それとも、ミニコミは相手にせずに大手メディアだけを押さえておけばいいというお考えなのか」
 この質問に対して、SWCのクーパー副所長は赤面して身をよじりながらも、回答を避けた。

(65) 広告担当幹部に「ユダヤ民族の真の価値の学習」を提案したSWC

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ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために
(65)
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第8章:テロも辞さないシオニスト・ネットワークとの対決 3/5

『週ポ』Bashing反撃)

広告担当幹部に「ユダヤ民族の真の価値の学習」を提案したSWC

 話を広告の問題にもどすと、サイモン・ウィゼンタール・センターは、日本経済新聞社宛てにファックスで抗議文をおくり、謝罪をもとめると同時に、その抗議の内容をアメリカと日本での記者会見で同時発表した。
 日本で報道したのは産経新聞だけだったようだが、わたしの手元には日本経済新聞社で事情を聞いたさいにもらった各種英字紙の記事コピーがある。通信社のAPが世界中にながしたA4判で二ページにわたる長文の通信全文。『ロサンゼルス・タイムズ』の約百行分の記事。以下の記事は若干みじくなるが、『インター・ナショナル・ヘラルド・トリビューン』、『アジアン・ウォールストリート・ジャーナル』、日本製の英字紙では『ジャパン・タイムズ』、『アサヒ・イヴニング・ニュース』といったところである。日経側は、世界中でさわがれたという受けとめかたをしている。
 日本語による唯一の大手紙報道、産経新聞(93・7・31)の記事は、「ワシントン三十日=古森義久」発である。その一部を紹介しよう。
「抗議したのはユダヤ系米人の権利を守り、ホロコースト(大虐殺)の教訓を正しく伝える活動などを世界規模で続ける『サイモン・ウィゼンソ(ママ)ール・センター』。(中略)書簡はこの広告掲載にはユダヤ人として『衝撃と怒り』を果てしなく感じたとして、日本経済新聞社側がユダヤ人への謝罪を紙面で表明することと、広告担当幹部が『ユダヤ民族の真の価値』について学習することを要求している」
 この記事を発信者のワシントン支局長、古森義久には、湾岸戦争のさい、意図的と思わざるをえない誤報をいくつかながした前科がある。停戦直後には、「見通しを誤ったニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストは紙上で謝罪した」と称して、日本の「湾岸戦争評論家よ、丸坊主になれ!」(週刊文春91・3・14)とまで息まいた。だが、アメリカの両紙のどこにも、わびの一言もなかった。だから、今回もわたしは、この記事の裏づけに念をいれたのだが、今回は一応、誤報ではなかった。「広告担当幹部が『ユダヤ民族の真の価値』について学習することを要求している」という部分は、サイモン・ウィゼンタール・センターのラビ(教師)、アブラハム・クーパーが日経宛てに直接だした手紙の内容の一部とほぼ一致している。「ほぼ」というのは、「要求」とある部分の原文は「サジェスト」なので、おだやか、またはインギン無礼に「ご提案」と訳すほうが適切だからである。

「反ユダヤ主義」批判は妥当か、五年前に来日して実態調査

 日経は、問題の全五段広告掲載の二週間後、『英文日経』と通称される『ニッケイ・ウィークリー』(93・8・9)の論説欄の最下段に、縦二四センチ、横一九センチの「手紙」という二重線のかこみをもうけ、実質的な謝罪文を発表した。大見出しは「反ユダヤ主義と広告」である。すでに紹介したサイモン・ウィゼンタール・センターのラビ(教師)、アブラハム・クーパー名による抗議のほかに、「日本ユダヤ人協会」などからの抗議の手紙を三通のせ、それにこたえるかたちの『英文日経』副編集長(国際第二部次長)勝又美智雄の名による文章で経過を釈明し、「日経が今後、反ユダヤ主義に対して今まで以上に気を配ることを改めて確認します」とむすんでいた。
 ひるがえると産経新聞の記事にも、「島正紀・日本経済新聞広告整理部長の話」という事件直後のみじかい談話記事がそえられていた。「日本経済新聞では、出版物の広告については、表現、出版の自由を尊重し、そのまま掲載することを原則にしている」という態度表明だった。
 つづけて、「第一企画出版社長の話」という、つぎのようなみじかい談話記事もあった。
「著作の内容は、ある特殊な大財閥の計画について書いたもので、ユダヤ人全体に対する批判ではない。今のところ抗議はない」
 たしかに第一企画出版の本は、いわゆる「おどろおどろ」型である。わたしの好みではない。しかし、ロスチャイルド財閥の死の商人としての歴史は、日本人にもくわしく知ってもらう必要がある。
 藤井昇の著書『日本経済が封鎖される日』からの再引用になるが、ユダヤ人ジャーナリストのレニー・ブレナーは『現在のアメリカのユダヤ人』という近著で、「ユダヤ人は世界の人口の三パーセント以内だが、百万長者の四人に一人はユダヤ人である」と書いているそうだ。「財閥」やら「百万長者」やらについての情報は、もっともっとくわしく報道されるべきだ。その意味では、今後もおおいに「表現、出版の自由を尊重」してもらう必要がある。その日本経済新聞の「原則」が、なぜ、たった二週間で一変したのだろうか。
 日経幹部や関係者の話を総合すると、「不買運動」を恐れたという可能性が高い。わたしの手元には、SWCの「予約購読部(ニューヨーク)」の責任者が八月二日づけで英文日経社長あてにだした手紙のコピーがある。手紙の主旨についてはみずから、「予約購読のキャンセル」と「迅速な予納金の日割り計算によるはらいもどし」をもとめるものとしているが、その理由として、問題の広告が「ナチス・ドイツの殺人的政策にみちびくもの」とし、日経に「ジャーナリズムの義務」を問いかけている。この文句は、クーパー名による公式の抗議よりもてきびしい。
 わたしの手元にある「予約購読キャンセル」の手紙のコピーは、たったの一通分である。だが、ほかならぬ日経が事件の約五年前にのせていた記事(88・6・21)によると、SWCは、「ニューヨーク、ワシントンなど北米五カ所に支部を持ち会員が三十六万人いる」。アメリカのユダヤ人が金融界に強い支配力を持っていることは、これも「周知の通り」の事実であり、その国際的な金融界こそが『英文日経』にとっての最大の客層である。たったの一通でも、三六万人の組織の代表からの手紙だから、これは相当におどしのきく一通だったのではないのだろうか。
 しかも、日経の編集部サイドでこの問題を担当し、署名いりで実質的な謝罪文を書いた国際第二部次長の勝又美智雄は、すでに一部を紹介した約五年前の[ロサンゼルス二十日=勝又記者]発の記事(88・6・21)の執筆者でもあった。つまり、相手の組織力と対日戦略をいちばん良く知っていたわけである。記事の大見出しは「反ユダヤ本はブームだが悪意・反感は少ない」なのだが、サブタイトルのほうが重要である。「米ユダヤ教教師、来日し実態調査」なのだ。

(66)「経済大国日本の国際世論への影響」を重視し「交流」を予定

WEB雑誌『憎まれ愚痴』
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『アウシュヴィッツの争点』
ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために
(66)
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第8章:テロも辞さないシオニスト・ネットワークとの対決 4/5

『週ポ』Bashing反撃)

「経済大国日本の国際世論への影響」を重視し「交流」を予定 

 調査した「教師」は、すでに名のでたアブラハム・クーパーである。
 記事の主要部分を紹介すると、まず、「米国内には日本でユダヤ陰謀説が流行し始めたことに反発する動きが出ており、調査を担当したユダヤ教教師は『日米摩擦の新たな火種になりかねない』と警告している」というのだ。これなどは「日米摩擦」という虎の威をかりた「おどし」ではないだろうか。なお、「ユダヤ教教師」とか「ラビ」というと、いかにも宗教家とか聖職者とかの感じだが、さきにも紹介した武装テロ組織、JDL(ユダヤ防衛同盟)のボス、メイア・カハネも「ラビ」だった。そのうえ、アメリカと二重国籍でイスラエルの国会議員でもあった。カハネは湾岸戦争の実力行使直前に暗殺されたが、その最後の死にかたまでが血なまぐさかった。
 勝又記者が「関係者の話を総合しての印象」をまとめたなかには、つぎのような「憂慮」の声がはいっている。
「欧米のタネ本の焼き直し版が日本でヒットした結果、韓国でも翻訳出版の動きが出始めたり、欧米、中東で反ユダヤ主義者を勢いづかせている」
 クーパーは日本での実態調査を土台にして、つぎのような「予定」を立てていた。
「クーパー師は、近くこうした調査結果をまとめて関係団体、議員らに連絡する。同時に『経済大国日本の国際世論への影響が大きくなっている』ことを重視、今後、米国や日本でユダヤ人問題のシンポジウムを開催したり、日本人をユダヤ人家庭に招くなどの交流を呼びかける」
 国際的な背景としては、当時から急速に展開しはじめていた東西冷戦構造の崩壊現象があった。アラブ・イスラム圏へのソ連の影響力がうすれる状況のもとで、財政と貿易の双子の赤字をかかえるアメリカは、あらたな世界市場支配の計画を模索していた。そのさい、これまでアラブ諸国の団結に打ちこむ分断のクサビの役割をはたしてきたイスラエルが、逆に、のどもとにささった魚の骨となる。アラブ諸国は、イスラエルを支援する国にたいして、いまなお「アラブ・ボイコット」を継続しているのだ。イスラエル、またはシオニスト勢力はこの状況下で、従来はアラブびいきがおおかった日本を、なんとかして自分の方の味方にひきよせようとしている。「おどし」と「交流」、またはアメとムチの対日工作が、クーパーの「反ユダヤ本実態調査」の背景をなしていたのだ。
 日経新聞の「反ユダヤ本」広告が問題になったのは、クーパーの実態調査旅行からかぞえて五年後の一九九三年七月末のことである。
 偶然の一致か、その二カ月ほど前には、読売新聞(93・5・21)の「論点」欄に「外務省中近東アフリカ局審議官」の肩書きの野上義二が登壇していた。論文の見出しは「低俗な『反ユダヤ』観を排す」である。「一時下火となったかに見えた『反ユダヤ』出版物が最近また目につくようになってきた」という書きだしで、このような出版状況が「日本人の無知を証明しているようなもの」と結論づけている。
「ホロコースト」物語についても、つぎのような見解をしめしている。
「ナチによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)は誇張だなどという議論は、エルサレム郊外のホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェム)を訪ねてみればいかにひどい議論であるか一目瞭然(りょうぜん)である。日本は知的に隔絶されたガラパゴス諸島ではないはずである」
 外務省の審議官が新聞紙上で出版物の批判をすること自体にも、いささか疑問があるが、内容も一方的で、おそまつだ。しかも、その掲載紙がタカ派、というよりも「ヤクザをつかったおしうり拡張販売」で世界最大の部数にのしあがり、その勢いを駆って「改憲」のキャンペーンをはっているだけに、いやな感じをうけざるをえなかった。このところの外務省の「海外出兵」に関するタカ派ぶりと呼応するような事態なのだ。
 ところが、その翌年の一九九四年に発行された『ユダヤを知る事典』を見ると、冒頭にこう書かれていた。
「一九八八年、日本の出版事情を憂慮したアメリカ・ユダヤ人委員会は、日本政府に申し入れをした。これを受けて外務省は、同年九月『ユダヤ人問題』と題して、日本書籍出版協会、出版文化国際交流協会を通して、出版界にその要望を伝えた」
 つまり、野上審議官の文章は、決して個人的な作文ではない。また、サイモン・ウィゼンタール・センターのラビ、クーパーの調査報告は、その年のうちに「アメリカ・ユダヤ人委員会」を動かし、日本政府、外務省、出版界へとフィードバックされていたのである。わたしの手元には、外務省が「無署名」で出版界向けにだした文書(一種の怪文書?)と、それにそう要望をのせた日本書籍出版協会の会報のコピーがある。
 さて、本章の以上の記述のほとんどは、『マルコ』廃刊事件以前に準備していたものである。このような日本における当時の事実経過には、同事件の発生を予感させるものがあったとはいえないだろうか。
 わたしは、いわゆる「反ユダヤ本」取り締まりの動きは陽動作戦にしかすぎず、本命のねらいは、野上審議官が不用意にもらしたホロコースト「誇張」論の牽制にあったのではないかと疑っている。いわゆる「おどろおどろ反ユダヤ本」などは、夏のお化けのようなもので、気味は悪いが、いまどきそれほどの社会的影響力はないのではないだろうか。

(67)「日系米兵」物語ではイスラエル制作のテレビ作品が先行

電網木村書店 Web無料公開

『アウシュヴィッツの争点』
ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために
(67)
第4部 マスメディア報道の裏側
第8章:テロも辞さないシオニスト・ネットワークとの対決 5/5

『週ポ』Bashing反撃)

「日系米兵」物語ではイスラエル制作のテレビ作品が先行 

 SWCなどの「関係団体」による「ユダヤ民族の真の価値の学習」の標的は、日経の「広告担当幹部」だけにとどまらない。
 国際政治まで視野にいれた「予定」をたてて、「経済大国ニッポン」を攻略しようという遠大な計画なのだから、それなりのおおがかりな戦略、戦術をあみだすのは当然だ。「学習」の標的は日本人全体である。しかもその方法は、「ホロコースト展」型の一方的な教えこみ「教育」からはじまり、「オダテによわい」日本人をたくみに持ちあげる「交流」の社交的なしかけにまで発展している。こういうと、関係者はまっかになっておこりだすかもしれない。だが、おこる前に慎重に背景の「しかけ」を調べてほしい。
『ザ・スクープ』(94・8・20)の「秘話!封印された日系米兵のナチ収容所解放▽裏で親衛隊員虐殺」を見たときにも、シオニストまたはイスラエル側からの売りこみを感じた。
 ところが、その直後に、NHKの3チャンネル『海外ドキュメンタリー』(94・9・2)でも、「日系アメリカ人部隊・彼らは何のために戦ったか」を放映した。当然、「海外」の作品である。どこの国がどういう目的で「日系アメリカ人部隊」を題材に選んだのだろうかという興味がわく。もしや、と思ってビデオ録画しておいたところ、案の定という以上の収穫があった。題名のあとの字幕に、「制作/ベル・フィルム(イスラエル/1991)」というスーパー文字がはいっていたのだ。
 内容は、当の日系米兵はもちろん、日本人一般がおおいに感動しそうな苦労話になっている。戦地や、日系人収容所などで撮影した当時のフィルムがふんだんにつかわれているから、アメリカ軍当局とアメリカの映画人の協力があったにちがいない。アメリカの映画界にたいするユダヤ人の支配力が強いことも、これまた「周知の通り」である。
 第二次世界大戦の最中に、日・独・伊の三国を相手にして参戦したアメリカでは、日系市民だけを強制収容所に収容した。この問題については、すでにわたしの考えをしるしたので、ここではくりかえさない。
 収容所内から志願で第四四二連隊にはいった日系の若者たちは、ほとんどが白人の指揮官の下で人種差別待遇をうけながら戦った。ドイツ軍に包囲された白人中心のテキサス連隊二〇〇余名を救出した際には、八〇〇余名が死傷するほどの苦戦をしいられた。第四四二連隊はもっともおおくの勲章を獲得した連隊となったが、約二〇カ月のたたかいで約六〇〇名が死に、約九五〇〇名が負傷した。
 生きのこりの元日系米兵は、たんたんと語る。日本語のスーパーはこうだ。
「私たちは使い捨てでした」
 第四四二連隊の一部は、ダッハウ収容所を解放する。もう一人の元兵士は、ボロボロと涙をながして言葉をとぎらせながら、そのときの思い出を語る。
「それを……話すのは、つらすぎます。人間が……、あんな扱いを受けるなんて。だから、話せません。彼らは人間なのに、あんな扱いを……。そして、私は思い出しました。自分の家族が強制収容所に拘留されていることを……」
「強制収容所」という共通の体験には、このように、問わず語りに日系アメリカ人とユダヤ人とをむすびつける効果がある。なお、この作品にもダッハウの「死体の山」がつかわれているが、やはり、死因のほとんどがチフスだったという事実は無視されている。ダッハウの「ガス室」についての誤認報道の訂正はおこなわれていない。数百人のドイツ軍親衛隊員の捕虜をアメリカ兵が虐殺した事実も語られていない。
 作品の最後には、戦後から現在の状況がえがかれる。戦後も日系人にたいする差別はつづくが、祖国日本の経済復興と足なみをあわせて、日系人の地位も向上する。日本人街のにぎわい、太鼓に法被、着物姿の日系女性のおどり……。
 だが、こうした画面構成は、どう考えてもイスラエル人むけではない。日系アメリカ人と日本人一般を意識してつくられたとしか思えない作品である。
 むかし、徳川幕府の時代には、江戸っ子が「生き馬の目を抜く」といわれた。手元の辞書の説明には「すばしこくて利を得るのに抜け目がない」とある。当時の都会人の江戸っ子は田舎者のふところをねらって、いかにもすばしこく立ちまわったのであろう。
 いま、国際社会で日本人は、もっともっと「すばしこくて利を得るのに抜け目がない」相手と、いやおうなしにつきあわなくてはならない立場にある。うっかりして目を抜かれないためには、日頃から相手の正体を見さだめる訓練を積んでおかなくてはならない。
 とくに重要なのは、相手の長期にわたる計画の全体像を一日も早く知ることである。

終章:(68) 核心的真実~または人類史の最後にしてほしい情報操作の本音の真相~





(私論.私見)