第2部第3章、冷戦構造のはざまで~米ソ賛成、アラブ総反対のパレスチナ分割決議の背景~

 (最新見直し2012.04.14日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「第1部第2、解放50年式典が分裂した背景」を転載しておく。

 2012.04.13日 れんだいこ拝



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『アウシュヴィッツの争点』
ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために
(27)
第2部 冷戦構造のはざまで
~~米ソ賛成、アラブ総反対のパレスチナ分割決議の背景~~

『週ポ』Bashing反撃)

[Webの註:第2部の「はしがき」に当たる部分]

 『ショア』(ヘブライ語で「絶滅」)という上映時間九時間半の、まさに超々超大作のフランス映画をやっとのことで全部、一九九五年三月二三日に見おえた。最初の試写会は招待券をもらったのだが、その後の上映会も入場料は無料だった。「『ショア』公開に向けての有志の会」作成の「参考資料」によると、日本語版の製作費はすべてフランス側の組織が負担している。それだけの費用を掛けても日本人に見せたいと願っている組織、または人々の存在を意識しないわけにはいかなかった。
 内容は、「生き証人」の証言を重視したというよりも、ほとんどそれだけ。「ユダヤ人の強制移住、収容、絶滅作戦の全容を、記録映像や資料に頼らず、ひたすら関係者の証言だけを通して明らかにするため、十一年の歳月を費やして製作された」という解説である。最後は見直し部分もふくめて二日掛りの連日映画観賞だったが、短い休憩をはさんで五時間づつの苦行である。目はもとよりのこと、尻と腰まで痛くなって、後遺症が四、五日つづいた。
 おなじ「参考資料」によると、監督のクロード・ランズマンは『現代』誌の編集長だが、映画づくりをはじめた理由は「イスラエルの存続支持」の主張にあった。この映画は、「反植民地闘争を共に闘った仲間が硬直した言辞と態度に立てこもり、アルジェリアの独立を支持した上でイスラエルの存続を支持することが可能だということを頑として理解しようとしないのに対する、ランズマンの反論でもあった」というのだ。
「アルジェリアの独立支持」、すなわちアラブの歴史的領域への西欧の侵略行為反対と、「イスラエルの存続支持」、すなわちおなじくアラブの歴史的領域への西欧のバックアップによるユダヤ人の侵略行為賛成とを、ひとりの人間の頭のなかで両立させるのはむずかしい。そのためには、「ホロコースト」という「まったく独特の歴史的悲劇」を根拠にして、「イスラエルだけは歴史的な例外である」と主張しなければならないのである。
 わたしは事前に、『ショア』についてのフォーリソンの論評記事(『歴史見直しジャーナル』88春、以下「論評」)を読みはじめたが、一ページの半分だけで中断していた。なぜかというと、むしろ最初は自分の目だけで直接たしかめてみたいと思ったからである。観賞中に疑問点をチェックしておいてから、再び「論評」に目を通した。
「論評」の批判は強烈である。最初に読んだ半ページにもすでに、「一九四三年のワルシャワ・ゲットー蜂起の指導者、メレク・エデルマンが、“退屈”、“面白くない”、“失敗作”(ルモンド85・11・2)」と批評しているとか、この映画に賞を与えたフランスのユダヤ教財団の事務総長が「絶望の果てに」、この映画を見るように「人に奨励したり、嘆願したりするのは中止する(ハモレ86・6)」と宣言したとかいう活字報道記事が採録されていた。
 つぎの半ページでフォーリソンは、この映画が写しだしたのはランズマンの製作意図とはまったく逆に、「ガス室」については「なんらの証拠もなく、証人もいない」という事実の証明なのだと断言している。
「論評」はまだ七ページつづいている。映画全体の批判については、わたし自身の感想もふくめて別の機会に論じたいが、特徴的な点だけを紹介しておこう。
 あるのは現在の風景と現在の言葉と、だれの目にも戦後に作られたことが明らかな「虐殺」を記念するモニュメントの映像の繰り返しだけだった。フォーリソンによれば、資金提供者の筆頭はイスラエル首相だったメナヘム・ベギンだったし、怪しげな「告白」をする元ドイツ親衛隊員たちは「三〇〇〇ドイツ・マルク」で雇われていた。
 トレブリンカ収容所の「理髪室兼ガス室(?)」で収容者の髪を刈ったという「生き証人」のアブラハム・ボンバは、その部屋の広さを「四メートル四方」だという。日本間なら一〇畳弱になる。ところが、このボンバの「証言」は活字(映画と同名の『ショア』)にもなっているが、この一〇畳弱の狭い部屋に、理髪師が一六、七人いて、ベンチがある。そこへ六〇から七〇人の裸の女性と数が不明の子供たちがはいってきて、さらにまた八分後には、前の客がでていかないのに、また七〇から八〇人の裸の女性と数が不明の子供たちがはいってくるのである。子供の数を別にしても、最低一四六から最高一六六人が一〇畳弱の部屋にはいったことになる。しかも、そのすべての客の髪の毛を刈り取る所要時間は一〇分だというのだ。
 フォーリソンは、この引退してイスラエルに住む元理髪師、ボンバの証言内容を「すべて純粋なナンセンス」と断定する。ボンバ自身については、トレブリンカのことを書いた本のページ数をしるして、その記述に「霊感をえた神話マニア」である可能性が非常にたかいと主張する。物語の内容が似ているのであろう。「論評」の最後にフォーリソンは、この映画のような「ショア・ビジネス」への若いイスラエル人の拒否反応を「公式神話の拒絶」の表われとして評価している。なぜなら、「平和と和解の実現のためには」、これまでのような「神話」の押しつけとは「ちがう行動が要求されている」のだからである。
 本来は活字メディアの編集者だったランズマンが映画による「ホロコースト」描写に力をいれるにいたった理由について、フォーリソンは、一九八二年六月二六日から七月二日にかけてソルボンヌで開かれ、ランズマンも参加していた「有名な自由討論」の場でのできごとを指摘している。そこでの討議でランズマンをふくむ絶滅論者たちは、いわゆるユダヤ人絶滅計画については、なんらの命令書も予算もなく[ここまではすでに争いのない事実の確認にしかすぎないが]、さらにフォーリソンの表現によれば、「ガス室」の写真もなく、「ガス室」として見学者が案内されてきた部屋はすべて「いんちきのまがいもの」だったという「残酷な事実に直面」してしまったのである。
 フォーリソンは、ランズマンが『ショア』を製作した動機についての、その後の情報を、つぎのように要約している。
「聞くところによると、いかなる証拠も記録もないことに気づいたことが、情緒的なフィルムといくつかの“証言”のモンタージュによって、見直し論者に応酬しようというランズマンの決意を強めたのだそうである」
 以上のようなフォーリソンの情報分析と批判が当たっているならば、『ショア』ほど政治的な背景と目的を背負わされた映画は、世にもまれだといわなければならない。
 だが、ひるがえって考えなおすと、ランズマンだけではなく「イスラエルの存続支持」の絶滅論者たちが一様に「ホロコースト」を特別のものとして位置づけようとするのは、もしかしたら本末転倒の作業なのではないだろうか。歴史的因果関係は逆なのではないだろうか。つまり、イスラエルという人造国家の建設計画の方が、特別の、およそ異例のことだったことにこそ、歴史のゆがみの決定的な契機をもとめるべきなのではないだろうか。しかも、このもうひとつの狂気の計画は、世間周知の狂気の独裁者、ヒトラーの登場よりもはるかに以前から進行していたものなのだ。
 以下、第2部では、よりおおきな歴史の流れのなかに「ホロコースト」物語を位置づけなおしてみたい。

第3章:発言処罰法という「新たな野蛮」の裏の裏の背景
(28)「権威に弱い独マスコミ」と、ドイツという国の真相

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『アウシュヴィッツの争点』
ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために
(28)
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~~米ソ賛成、アラブ総反対のパレスチナ分割決議の背景~~
第3章:発言処罰法という「新たな野蛮」の裏の裏の背景 
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「権威に弱い独マスコミ」と、ドイツという国の真相

 一九九四年の春、東西統一後のドイツでは、「アウシュヴィッツの嘘」発言処罰法案が議会に上程され、秋の九月二三日に成立した。この問題をめぐる状況をまず検証してみたいのだが、その前に、ドイツという国そのものと、ドイツの大手メディアまたはマスコミについて、おおくの日本人がいだいていると思われる誤解をといておく必要がある。
「権威に弱い独マスコミ」(日経94・8・22)という「ボン=走尾正敏」発の「海外記者リポート」には、政権党への露骨な提灯持ちを演ずる「公共放送」、「政府・与党の広報機関と見まごうばかりの」「活字メディア」、「中央官庁」による報道操作などなど、予想以上の実情がしるされている。まぜっかえすようで悪いが、当の日本経済新聞などの大手紙が日本で率先しておこなっている以上の癒着関係が、ドイツでもさらに露骨に展開されているのだ。つぎのような最後のしめの一節も、わさびがきいている。
「率直な印象を言わせてもらえば、おかみとか権威に弱く、宣伝に乗りやすいとされるドイツ人の体質は、第三帝国やそれ以前の時代とあまり変わっていないようなのだ。世論は時に、上からつくられもする。政治家側の攻勢の前に、この国のジャーナリズムは少々押されぎみという感じだ」
 そんなドイツから日本に最近きたドイツ人医師の話によると、「ホロコースト」物語のおかしさに気づいている知識人はドイツにも非常におおいようだ。だが、日本人が思っている以上に、ドイツの社会には言論の自由がない。なぜかというと、最近までつづいていた東西ドイツの政治的対立の中で、西側では共産主義思想が、東側では自由主義思想が、それぞれ極端におさえこまれてきたのである。
 ドイツの言論状況をまとめた資料は発見できなかったが、『比較憲法入門』という本では主要大国の憲法理念を比較検討している。日本の憲法にあたるドイツの基本法については、つぎのような特徴を指摘している。
「基本法は政党の結成の自由を保障すると同時に、(中略)『政党のうちで、その目的またはその党員の行動からして、自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し、またはドイツ連邦共和国の存立を危うくすることをめざすもの』について、連邦憲法裁判所によって違憲と判断される可能性を認めている(21条2項)。違憲と判断された政党は解散され、代替組織を作ることが禁止され、財産は没収される」
 実際に「禁止」と「財産没収」の対象となったのは、社会主義ライヒ党(52年判決)およびドイツ共産党(56年判決)である。
『第二の罪』(87年に原著出版)によると、ドイツの「刑法典第一九四条第二項」では、「ドイツ占領下のヨーロッパのユダヤ人の絶滅にたいして疑念を抱く者」には「二年以下の自由刑を科すとしている」という。このような言論の「不自由」状況がゆがみにゆがんで、現在、ネオナチなどのウルトラ民族主義の爆発的台頭をまねき、さらに深刻な社会問題をうみだしているのだ。
 もうひとつの例だが、「過去に目を閉ざすものは現在にも盲目になる」という、元西ドイツ大統領のヴァイツゼッカーが終戦四十周年の一九八五年におこなった演説のくだりは、日本でいささか過剰ぎみの感激をこめて語られている。だが、ドイツ特派員だった五島昭は、「ワイツゼッカー演説の評価」(毎日94・8・14)と題する「論説ノート」で、ワイツゼッカー自身のナチスドイツ軍兵士としての前歴への批判や、「戦後も、ヒトラー政権の外務次官の地位にあった父親の戦争責任裁判で弁護団助手をつとめた経緯があることなどから、同氏の演説の価値を疑問視する声は一部に根強くある」などという事実を紹介している。
 その一方で、ヴァイツゼッカー演説を日本に紹介した朝日新聞記者の永井清彦自身が、著書『ヴァイツゼッカー演説の精神』のなかで、つぎのような興味深い事実を紹介している。
「ドイツのイスラエルへの態度について、シオニストではないあるユダヤ人哲学者は『イスラエルに名指しされるたびにドイツ人がひれ伏してしまう傾向』と指摘した」
 永井はさらに、ユダヤ人とイスラエル国家にたいする補償の基本となった「イスラエル協定締結交渉の、裏側の事実関係に目を向ける。同時並行で、「マーシャル・プラン」などによる対外債務処理の交渉がおこなわれていたのだが、……
「イスラエルとの交渉と並行してロンドンで進行していた対外債務問題の交渉団長であるヘルマン・J・アプス(のちの連邦銀行総裁)に宛てた、一九五二年四月八日付けのアデナウアー[当時のドイツ首相]書簡」には、つぎの字句があった。
「ユダヤ人の、少なくとも有力者を宥めることに成功したら、対立が続いていく場合よりも、より大がかりな援助を期待しうるものと思う」
 アデナウアーと対照される日本の元首相、吉田茂も、アメリカとの関係では「おめかけ外交」という批評がしきりだった。ときには「ひれ伏す」のも、芸の内なのである。
 そんなことだから、日本という国にたいすると同様にドイツという国にたいしても、ぜひとも眉にツバをつけて観察の目をむけてほしいのである。
 ドイツの戦争責任を考えるうえでとくに望みたいのは、パレスチナ問題についての根本的な問いなおしである。ドイツでは、戦争責任の反省と、イスラエル建国支持や湾岸戦争でのアメリカの同盟軍への参加とが、いったいどういう脈絡でつながっているのだろうか。有名なロンメルの戦車軍団がアラブの領域をふみあらしたのは、まぎれもない歴史的事実なのだから。
 永井清彦は、その点にも目を向けている。永井は、東京裁判の裁判官だったオランダのレーリンク博士のつぎのような発言を引用している。「日本の戦争犯罪追及は不十分ではないか」という趣旨の『朝日ジャーナル』(83・6・10)編集部の質問にたいしての回答の一部である。
「ドイツでも通例の戦争犯罪については必ずしも、きちんと対応していない。やっているのは『人道に対する罪』、つまりユダヤ人を中心とする非戦闘員虐殺の責任追及だ」

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『アウシュヴィッツの嘘』の内容をなぜ正確に報道しないのか

 さて、そんな言論状況のドイツでは、「アウシュヴィッツの嘘」などの「発言」を最高三年の禁固で処罰する刑法改正案が、一九九四年の五月二十日に下院で賛成多数をえて可決され、上院では「最高五年の禁固刑」に強化されるという事態になった。
 なお、「アウシュヴィッツの嘘」というのは本来、元ドイツ軍の中尉、ティエス・クリストファーセンが一九七三年に発表した短い回想録の題名である。わたしの手元にはその本の全文英語訳がある。
 クリストファーセンは一九四四年の一月から一二月までアウシュヴィッツに勤務していた。かれは、自分自身の経験から、「ガス室」の存在を完全に否定している。回想録の終わりでは、「なぜ関係者のみなが長い間、沈黙をまもっていたか」という疑問にたいして六項目のこたえをしるしているが、そのなかにはつぎのような切実な問題がふくまれている。
「発言は無視されつづけた」
「真実を語ることは社会からの追放をまねき、財政的な自殺行為にひとしい」
「子どもたちは無事に育てあげなければならない」
「妻は六五歳になると年金の受給資格が生ずるが、自分の身におきたことで、その支給が保留されないことをのぞむ」
 クリストファーセンがおそれたような社会的圧迫は、その後もつづいている。
 回想録『アウシュヴィッツの嘘』にたいしては、ポルノ出版などの「有害図書」を禁ずる青少年保護法が適用されて、ドイツの一般書店では発売禁止となっており、本人は刑事罰をさけるために隣国のデンマークにすんでいる。序言をよせた弁護士も、「民主主義侮辱罪」で有罪を宣告されて亡命中で、国際警察にも追われているという。
 本来ならば、メディアにもとめられている機能の第一は、『アウシュヴィッツの嘘』の内容を正確に報道し、世論の判断をあおぐことであると思うが、どうだろうか。「発売禁止」のこの本は、どうやら昔の「発禁本」の典型だった『共産党宣言』のように、禁じられているがゆえに逆に、ひそかな読者をふやしつづけているらしいのだ。わたしが持っているのは一九七九年版の英語訳だが、その内表紙には、「五カ国語で一〇万部以上が普及!」としるされている。
 なお、『アウシュヴィッツの嘘』の内容は、まったく政治色のないものである。クリストファーセン自身も、ヒトラーに忠誠を誓う親衛隊員などではなかった。中尉の位はあるが、前線で負傷して慢性瘻管という症状になり、軍務に耐えられなくなったため、アウシュヴィッツでは収容所の管理には責任のない農場の研究者として、天然のインドゴムの成分をつくるコック・サギスという草の栽培に当たっていたのである。弁護士のレーダーは序文のなかで、クリストファーセンのこの立場を「中立」と表現している。

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裁判官の解任までおきた「ホロコースト」否定の「民衆扇動罪」

 さて、すでに「年金の保留」「青少年保護法」「民主主義侮辱罪」などがでてきたが、このあとにも「民衆扇動罪」がでてくる。それらの法律または法的措置がすでに発動されていながら、さらにあたらしく、「発言しただけで処罰する法律」を制定しようとするのは、いったいなぜなのだろうか。
 民主主義後進国の日本でさえ不敬罪を廃止した現在、まことに異例である。だからこそニュースになっている。発言内容のいかんにかかわらず言論の自由にふれるはずだが、日本の大手新聞の簡単な報道では、その裏側どころか経過さえほとんどわからない。
 表面的な大手報道だけを追うと、同改正案の上程にさきだって四月にドイツ連邦基本法裁判所が、「ユダヤ人虐殺はなかった」などと主張するのは「基本法(日本の憲法に相当)が保障する言論の自由にはあたらず公共の場では禁止できる」との判断をくだしている。「ネオナチ」とよばれるウルトラ民族派の極右政党、ドイツ国家民主党がおこした裁判への最終判決だ。同党は、一九九一年にひらこうとした集会の許可にあたってミュンヘン市当局がつけた「ユダヤ人を侮辱しない」という条件を、「言論の自由に反する」としてうったえていた。
 朝日新聞(94・5・2)の記事では、集会の講師に予定されていたイギリスの歴史家、デイヴィッド・アーヴィングの主張を、「ヒトラーはユダヤ人虐殺に関与してこなかった」というカッコいりの要約で紹介している。
 ただし連邦基本法裁判所の判断は、同じ事件について連邦通常裁判所が三月に「虐殺の否定自体は犯罪とはならない」とした判決を、さらにくつがえしたものである。つまり、発言の禁止は、ドイツ国内でも法律家の一致した見解ではなかったわけだ。
 さらに二ヵ月後には、「ユダヤ人虐殺否定説に理解示した裁判官二人を解任/独の地裁」(朝日94・8・16夕)という記事があらわれた。同時発行で、ほぼおなじ分量の毎日新聞(94・8・16夕)の記事と一長一短、微妙にことなる部分があるので、両者を比較しながら実情を判読してみる。
「解任」された「裁判官二人」とは、ミュラー判事とオルレット判事のことで、原因となった事件は、さきの訴訟をおこしたとおなじドイツ国家民主党のデュッケル党首が一九九一年末におこなった発言にたいする「民衆扇動罪」の刑事訴訟である。つまり、ドイツ国家民主党はみずから行政をうったえるのと並行して、受け身で刑事事件をも争っていたのである。
 ドイツ・マンハイム地裁の刑事部で六月下旬に判決がでた同事件の「差し戻し審」で、ミュラー判事は裁判長となり、オルレット判事は判決文の起草を担当した。六月下旬の判決の主旨は朝日記事によると、「執行猶予付き禁固一年の原判決を維持した」である。毎日記事では「差し戻し審」と「原判決維持」がぬけている。これでは、すでに一度、地裁判決がでていて、それが上級審で「差し戻し」となったという経過を読みとりようがない。事実は、逆転につぐ逆転なのであり、またまた上級審で争いがつづくのだ。
 朝日記事の「民衆扇動」発言要約は、「『アウシュヴィッツのガス室でユダヤ人を大量に虐殺したというのは技術的に不可能なことだった』として、ホロコーストの事実を否定した」となっている。毎日記事では、「『アウシュヴィッツのユダヤ人収容所にガス室はなかった』と公言」である。文法的にこだわると朝日記事では、「アウシュヴィッツのガス室」の存在を肯定しつつ、しかし、「技術的に不可能」と主張しているかのようにも読みとれる。こちらは毎日記事の「ガス室はなかった」という要約のほうがあたっており、朝日記事のほうが長いわりには不正確である。
 二人の裁判官の「解任」理由は朝日記事によれと、「ネオナチ指導者への判決でその動機に理解を示していた」からである。どういう「理解」かというと、毎日記事によれば、つぎのようである。
「戦後半世紀たつ今もなお、ドイツはホロコーストを理由に、ユダヤ人の政治的、道徳的、金銭的要求にさらされており、被告はこれに対するドイツ民族の抵抗力を強化しようとした」
 なお、以上のようなドイツの刑法改正にいたる経過が、のちにのべるカナダのツンデル裁判の最高裁勝利判決以後のことであることにも、注目する必要があるのではないだろうか。

第4章:イスラエル・コネクションの歴史的構造
(31) パレスチナ分割決議を強行採決した国連「東西対立」のはざま





(私論.私見)