「アンチ・ロスチャイルド・アライアンス資料室『通産省・国売り物語』」その2

 (最新見直し2009.8.29日)

 「アンチ・ロスチャイルド・アライアンス資料室」の「通産省・国売り物語」を転載しておく。その2として、5〜9までを採り上げる。


 通産省・国売り物語(4)馬借

 押し売り延長

 この間、海部政権では安倍氏を担ごうという海部降ろしが吹き荒れます。2月に決まった日米首脳会談によって、首相の「アメリカとの調整役」の役回りが与えられ、海部降ろしを押さえ込む構図が演出されました。政権内部でそれを演出したのが、小沢一郎氏でした。自民政権の都合によって「日米関係の堅持」が日本政府の最重要課題となり、そのために何を犠牲にしても・・・という「体制内の合意」が、国民の知らない所で形成されていきました。

 海部総理のアメリカ訪問の時などは、総理が空港に着くと、待ち構えていたアメリカ政府関係者によって、通訳も含めた随行員から引き離され、拉致同然に連れ去られて謎の会談を強要され、内容不明の密約を結ばされたのだそうです。実際にアメリカが相手にしたのは竹下氏で、海部訪米の後には「竹藪会談」が控えていました。

 半導体協定は、スーパー301条の頃から「協定延長」が問題になっていました。それを逃れるため・・・と称して通産省は、誰が見ても不可能だと解る「翌年までの20%達成」を「可能」だと言い張りました。それが出来ないのは日本がまだ閉鎖的だから・・・と、事実を全く無視そうしたアメリカの言い張りをうわべでは否定しながらも、通産省は「要求に答えるために、さらに努力を」と企業に強制し、実質的にアメリカの不当な言い分を肯定したのです。

 そうした日本側の軟弱を見込んで、アメリカはさらに高いハードルを課すべく、製品カバー率が低く、「達成率」を4%も引き下げるESTS統計の使用を要求しました。そして通米連合は民間日本に対して、分野ごとの押し売りを行って、通信機器分野を標的に、秋には押し売りシンポジウムを開いています。

 その間、構造協議の財政垂れ流し要求は、ズルズルと「上積み」を要求され続けました。GNP比で10%などという途方もない要求を突き付け、「GNP比が嫌ならさらに50兆の増額を」と結局455兆にも肥大化した税金無駄遣いの「公約」が、日本の財政を無残に踏み潰していくのです。

 露骨なアメリカの結果主義的黒字減らし要求に対して、ようやく学会の理性が働いたのが「黒字有用論」でした。これに我が儘な結果主義を否定されたアメリカは猛反発し、棚橋氏の盟友である通産省の児玉氏も同調発言を出し、自民党政府によって否定されてしまいますが、この黒字有用論の正しさは、やがて細川・クリントン交渉の際に日米の権威と良心ある経済学者達が連名でクリントンの管理貿易要求を批判した公開書簡で、はっきりと認められています。曰く「日本の黒字は、日本の貯蓄が国内投資を上回っていることを表しており、今日緊急に資本を必要としている多くの国々に対して資金を提供していることに他ならない。米国が自国の資金需要も満たせず、他国の需要はなおさら満たせない状況である時に、日本の黒字が有害であるという印象を米国自身がつくり出すことは、あまりにも近視眼的である」。

 また、アメリカのニスカネンCATO所長は88年8/29の日経で、半導体協定に対する日本の妥協が管理貿易論に力を与え、スーパー301条成立をも促し、ウルグアイラウンドの見通しすら弱めたと批判しています。そして半導体協定を91年の期限切れで解消させる事こそ日米の利益であると指摘し、対米屈伏の害毒を警告しています。

 しかし、そうした正論は、アメリカへの奉仕を事とした通産・マスコミにとっては結局は「見たくない」代物だったのです。半導体協定によって日本企業は、アメリカ企業に製品開発の手の内を差し出して、一方的に相手のビジネスに奉仕するための「デザイン・イン」を強制されました。そんな不公平な代物をマスコミは、あたかも理想的日米協力であるかのように持ち上げ、関係は良好だなどと糊塗しました。「20%が達成されるかどうかで、協定は廃止か延長か決まる(日刊工業10/17)」などと、露骨にアメリカのペースへと世論の雰囲気の誘導が図られました。

 そうしたメッキが剥がれ、本格的に協定延長の圧力が始まったのは10月4日頃からです。SIAは日本に対して、表向きの協定の機能だった「価格拘束」の要求を取りやめ、押し売りに専念することで、半導体協定の被害者だったアメリカのコンピュータ業界団体を味方につけました。彼等は協同でブッシュに協定延長を要求する書簡を送り、日本に圧力をかけます。もちろん電子工業会は協定延長に反対を表明しました。通産省も表向きは「シェア論は避けるべき」とは言いましたが、結局は協定廃止は眼中に無く、あたかもこの押し売り数値目標回避にアメリカが同意してくれるかのような、どう考えても非現実的な認識を見せつけたのです。

 11月には関連企業が集まって、アメリカ半導体メーカーのために必要情報を検索するデータベース会社設立、日立は必要な半導体を「売ってもらう」ために、極秘機密だった最先端製品の基盤を公開展示します。こうした、アメリカが「市場開放」と強称する「美味しい上げ膳据え膳」があるのは、20%押し売りの協定あってこそ・・・。SIAの11末年次報告の押し売り協定延長要請で「協定が失効すれば日本はそれを止めてしまう」と、まさに「利権のための脅し」である事を公認していました。

 翌91年1月25日、日米協議でアメリカが新協定・・・つまり延長を正式に要求しました。通産省は「マーケットアクセスの努力」つまり押し売り受け入れ指導の甘受を表明し、「だから新協定はいらない」と突っ撥ねると思いきや、協定延命について「話し合う用意がある」などと、あっさりと延命協議に応じてしまいます。

 2月14日に始まった延長協議で、アメリカは早くも「シェア明示」を要求。一応、拒否のそぶりを示しながら、ずるずる引きずられていく通産省・・・という図式は結局は出来レースの予定の成り行きだったのですが、その、あまりのふがいなさに対する、高まる国民の不満に、さすがにマスコミもアメリカの要求を正当化することは困難になっていきました。これを黙らせるための格好の脅しが「湾岸戦争における対日不信」だったのです。

 中・韓の振りかざす歴史カードで自衛隊を派遣できない日本に「血を流さない卑怯者」などと言いがかりをつけ、アメリカ好戦文化の勝手な情緒を振りかざしての無理難題。その一方で、実は「海上保安庁の巡視船なら」という日本政府の検討を嗅ぎつけたアメリカのマスコミが「軍艦を出そうとしている」などと嘘を報じて中・韓を煽り、日本の足を引っ張る有り様でした。

 そうした不公正な言動は「日本の行動を危惧した」と称する「アジア諸国」の外交官も同じでした。彼等はカークパトリック氏に「日本は軍事協力を拒否すべきだ」と主張しながら、それを脅しめいた言葉で日本に要求した張本人を目の前に「日本に要求すべきでない」とは言わなかったのです。

 平和志向の日本人の心を踏みつけたアメリカに対する、日本人の高まる怒りをマスコミは「アメリカの気持ちも理解しろ」と擁護に務めるのに懸命でした。そして「通商摩擦への波及が心配だ。アメリカを宥めるためには通商協定で譲歩を」と。同時にカークパトリックなどのアメリカ外交当局もまた、湾岸軍事的対日横暴感情に沸き立つ「アメリカ世論」を噛ませ犬に、日本の貿易面での譲歩を要求しました(サンサーラ92年5月)。「アメリカ政府は国民感情をコントロールできない」などと、自分達が煽っておいて、しらじらしいと言うしかありません。

 そうした脅しを日本のマスコミで代弁する「対日戦友」の古森義久氏が、92年夏では大統領選挙という「権力者の都合」で対日非難が減ったりしている状況をリポートしているのだから、皮肉と言うべきでしょう。そして議会では「対日課徴金」と称する一律20%の差別的関税、スーパー301条復活案、在日米軍全額負担強要案・・・等々の脅迫的法案の数々。それを根拠に「アメリカは日本に失望した」だのと古森義久氏などの隷米ジャーナリストは、アメリカの感情論を突き付けて日本の理性を侵食していきます。

 日米政府・マスコミの連携による日本人恐喝作戦。実に見事な連携プレーと言う他はありません。この時、アメリカはイラクへの反撃計画の中で、事前の情報で一方的な勝利の確信しながら、それを隠蔽して、いかにも難航しそうな発表で不安を煽りました。それはアメリカ国民への対日横暴感情の高揚のために、そして日本国民に対する心理的締めつけのために、絶大な威力を発揮しました。そうやってせしめた巨額な負担という日本の犠牲を足蹴に、横暴に日本を罵倒し、そのくせ罵った対象である筈の「お金」を取り立てる事にに関しては、意地汚く「遅い・少ない」「確実に納めろ」と・・・。挙げ句が莫大に剰った戦費を懐に入れ、ドル高によって負担金が目減りしたからと、戦費余剰の事実がばれたにも関わらず五億ドルもの追加を要求する。

 こうしたアメリカの「戦争主導者」としての立場に胡座をかいた「味方に対する仕打ち」への不満は、日本のマスコミによって巧妙に「反戦感情」へと転嫁され、「血を流すことに対する批判」によって気分を紛らわされてしまいました。アメリカによる武力行使に異議を唱える人はいても、日本に対する「血を流せ」という要求を正面から批判はしませんでした。そうした「反戦意識」に賛成するアメリカ人もまた、自国人の日本に対する横暴をたしなめようとしませんでした。「交戦権を復活させるな」と説教を垂れたダグラススミス氏のように、それを要求するアメリカを批判することも、アメリカ人として反省することもせずに、無茶な圧力を浴びせられた日本に「平和憲法を守れ」とお門違いの要求するばかりな無意味な論説がまかり通り、不公正への怒りは煙に巻かれるばかりでした。不当なアメリカの対日横暴は批判する人なく正当化され、日本人の鬱血する怒りに加えて、経済摩擦での不当な譲歩要求に対する政府のなし崩しの譲歩に、我慢の限界に達した中から彷彿と興ってきたのが、つまりは反米感情だったのです。

 そうしたユーザーとしての日本人の要求に対応せざるを得ないのもまた、「権力の道具」としてのマスコミの限界でした。それまで散々危機を煽って「アメリカの反日に対応して要求を呑め」と迫った彼等も、アメリカ批判を求める読者への対応に迫られて、必然的に取り上げざるを得ませんでしたが、それでも「嫌米感情」などという造語で、あたかも「感情的に嫌い」なだけであるかのようにイメージ化し、本質である論理的対日罪悪の存在を糊塗しようという目論見は忘れませんでした。

 そして、隷米的な傾向の強いマスコミ人は、その当然の抗米意識を「マスコミがつくりあげた反米感情の蜃気楼」「正体見たり枯れ尾花」などと、必死で粉飾に務めました。「アメリカでは議会以外に反日感情は少ない。それをマスコミが大袈裟に言い立てて、日本人の危機感を煽ったんだ」と。

 それはまさに「事実」だったのでしょう。日本叩きを際限なく増幅したマスコミの行動に対して、覆い隠せない疑念の声に対して、彼等はとんでもない詐欺的世論誘導を試みたのです。強引に批判の矛先を「アメリカ利益代弁者」から逸らし、「日本の権力者がその歪んだ見方を国民に押しつけ、ある方向に誘導しようとしているのではないか」「非常に巧妙に仕組まれた罠のような気がする」と、逆にアメリカを擁護する方向へとねじ曲げたのです。

 マスコミ報道の世論操作の「アメリカの日本叩きの激しさへの恐怖」を誇張したの作意性の「アメリカの要求を呑ませよう」という意図に眼を瞑れば、それはまさに一片の事実を引用したものと言っていいでしょう。ひたすら「日本叩き」に恐れ譲っていた80年代には黙認され、押さえきれなくなって吹き出した90年代にようやく出てきたその指摘は、それ自体が作為的なベクテルを持たされた論理によって語られる傾向が続きます。その作意性が、まるで反米感情を煽る事を目的としたであったかのような、本末転倒したごまかし。ましてやアメリカでの、手前勝手な論理による激しい反日報道・・・、東芝叩きや半導体押売正当化報道などの数々・・・、ついには「日本を弁護することは学者生命にとってのダメージ」と見なされるに至るまでの世論操作が「抑制の利いたもの」であったかのように強弁し、アメリカを「日本の世論操作による指弾の被害者」のように見せかけようという、東洋経済の鈴木健二氏の詐欺的論説には疑問を抱かざるを得ません。

 ビジネスウィークのように日本経済潰しを画策して反日世論を煽る事を目的とした、誘導尋問のような世論調査を指摘しつつ、それを真に受けた日本のマスコミを非難することで「アメリカ無実論」を主張するのであれば、本末転倒と言う他はない。そうした不良アメリカ報道機関の暗躍をこそ非難すべきではないのか。

 通産省は、いまだ継続中の半導体制裁を「交渉の中で終わらせる」などと国民を煙に巻いて、交渉を継続させました。協定が消滅すれば、そんなものは継続する根拠を失うという程度の事実は、多くの識者が指摘する常識・・・であったにも関わらず、です。彼等は「外国製半導体商社懇談会」なるものをでっち上げ、「グレーマーケット」問題で散々叩いた半導体商社を味方につけて、民間メーカーの血を吸わせました。いくらでも内製できるものを無理矢理止めさせて、高かろう悪かろうを「アメリカ製だから」で買わせるボロい商売でしたから、その会長の高山成雄氏は「協定存続は自然の流れ」「寛大な気持ちを」などと通産隷米路線を擁護するわけです。未だに日本企業の一方的な犠牲によるアメリカ企業の利益を「共存共栄」「相互依存」などと持ち上げる日本のマスコミの姿勢は相変わらずでした。

 その一方でSIA会長のコリガンは「新たな制裁」を主張して、協定延長を嫌がる日本世論を脅します。3月に入るとUSTRのウィリアムズ次長が「協定と制裁は別」と発言し、シェア未達成でも制裁はしないという甘い期待を匂わせます。勿論、そんなものは20%を明記した新協定への抵抗を逸らすための出任せであることは明白で、「達成しなければ、それは日本側の努力が足りない証拠だから、その努力不足に対して制裁するのだ」という強弁で、制裁の論理は頑迷に放さない不誠実な姿勢を維持し続けていたのです。

 マスコミは協定が事実上決着して手遅れになるまで、「協定と制裁は別」というまやかしに対する追求をさぼり続けました。ウォールストリートジャーナルが、これを「半導体カルテル」と呼んで「延長すべきでない」と忠告したのは、決着寸前の5月20日でした。それは本当のアメリカの良識がどう見ているかを示すものでしたが、これでは現実には「アリバイ工作」以上の意味を持ちません。

 うやむやのうちに協定延長方針が既成事実になり、「とにかく20%の明示を」を要求するアメリカに対して、通産省は4月前半頃まで抵抗の素振りを示しました。そして海部・ブッシュ会談で譲歩を要求された・・・として、政治談合という筋書きで4月23日から半導体協議が始まりました。こうして、後に棚橋氏の系列として知られることになる牧野機情局長が「制裁の根拠にしない」という前提で20%明示の受け入れで基本合意に達しました。

 もちろん、協定破棄の望みを絶たれた国民は怒りました。けれども協議は「シェア統計の取り方」という手続き問題に方向を移して、これに「抵抗の素振り」を示すことで、僅かな「相手の譲歩の望み」でせめてもの歓心を繋いで注意を逸らすという、使い古された手で国民は煙に巻かれたのです。

 6月4日、ついに決着。ようやくマスコミは20%明示に対する産業界の懸念を伝えます。通産省は「日米協調の証し」などと自画自賛しましたが、その中身は「その達成は保証しない」としつつも20%の目標を明示し、しかもそれに向けた「日本ユーザーの努力」すら明言しており、「来年末には再燃する」「対日制裁の余地を残す」と、誰もが将来の悪夢のような災厄を確信していました。もちろんアメリカ側では、その果実への期待に奮えるSIAが「20%が明記されたことは大きな前進」と、外圧利益に溢れる涎を拭いました。

 この6月、棚橋氏は通産次官に登り詰めます。その基で一層の押売指導の強化が図られます。対象企業は5倍に増やされ、アンケートでは1割が「内外問わず購入」から「摩擦を考慮して購入」へと乗り換えました。「摩擦」という市場外要因が経済原則を踏みつけ引きずる惨状を、マスコミは嬉々として報じました。日立などはグループ各社に外国製購入を2年で3倍に拡大したとして、お手本のように持ち上げられたのです。

 電子業界や自動車など様々な業界、17の団体に通産省が強要した「ビジネスグローバルパートナーシップ推進行動計画」では、対日輸出拡大やアメリカ企業対日進出の手伝いのために加盟企業の「行動計画」が謳われ、押売受け入れシステムを定着させていきました。12月には対象企業を増やすとともに輸入拡大目標を上積みし、外資に対する免税や低利融資、事業支援のための会社設立などの手厚い保護をばらまきます。こうした官僚統制こそが、押売要求の大前提であるにも関わらず、統制強化は「押売を拒否できない日本の負い目(英エコノミスト5/18)」と宣伝されます。それはいかに日本に関する「情報」が狂っていたかの証に他なりません。

 隷米派マスコミの「アメリカに逆らうな。反米の雰囲気を警戒しているぞ」という世論操作宣伝とは裏腹に、アメリカを甘やかす海部日本に対して、奢り昂ぶるアメリカ中に「たかる対象」として舐め切った態度が広まっていきました。夏の海部訪米に対するアメリカ記者団の第一声は「海部さん、小切手は持ってきたの?」。派閥の支えの無い弱小政権だからアメリカに逆らえないんだ・・・という、虚しい言い訳を背景に、11月に成立した宮沢政権は、しかし国民の期待に全く答えなかったのです。

 ジョブ・ジョブ・ジョブ

 翌92年はまさに押売で明けました。1月7日にブッシュ大統領が来日。いくつもの分野で露骨な押し売り協定を要求しました。主要分野は自動車・紙・板ガラス。特に執着したのが自動車分野でした。ブッシュは、反日の闘士アイアコッカを初めとした業界人を率いて交渉に臨み、「ジョブ・ジョブ・ジョブ」と叫んで市場原理も何もかなぐり捨てた成果が、自動車4万7千台、自動車部品190億ドルの購入の約束。半導体摩擦で味をしめたアメリカの、広範な分野に渡る本格的な押し売り拡大が始まったのです。

 こうした横暴に対して通産省は、僅かの日程の協議で何の抵抗も無く、押し売りを受け入れました。自動車工業会で棚橋氏は「アメリカが本気になって交渉に臨んで」「自動車企業は通産省の圧力に泣きの涙で要求を受け入れた」という、余りに情けない言い訳。この日本企業の犠牲に対して、マスコミは何と言ったか・・・。東洋経済の日暮良一氏曰く「行政指導を巧みに使った官民協力で米国側の圧力を水際でかわした」「売れなければ(日本の)メーカーが損をかぶるまでのこと」・・・。

 アイアコッカのクライスラーは前年から経営危機に悩み、三菱自動車による支援が取り沙汰されていましたが、あまりに規模の違う取り合わせに尻込みした三菱に代わって救済役を期待されたトヨタでしたが、この傲慢なクライスラーの企業文化。どう考えても明るい先行きなど描ける筈が無い。消極的なトヨタに対して、東洋経済の91年5月4日の記事に曰く「(アメリカ人を喜ばせるという)国益のために」メリットの無いクライスラー救済を行わないトヨタはエゴイストだ、日本国民として危惧を持つ・・・なんて事が、大真面目に書いてある。とんでもない話だ。

 さらに「アメリカメーカーが苦しい時だから、儲けるのを控えろ」なんて言ってるのです。日本企業が苦しい今、派手に稼いでいるアメリカ企業に同じ事を言ったらどうなるか。もし本当にトヨタが救済買収したらどうなったか。「アメリカの魂を買った」と排斥された多くの日本企業の先例が、既に累々だった時期ですよ、これは。

 そういう理不尽を「国益のために」そしてアメリカ人の身勝手な感情のために、リスクを冒して経済活動している企業に、犠牲になれとマスコミは言った。そして日本企業は犠牲になった。そしてアメリカは肥え太ったのです。「国のために」と言って企業を縛って損失を強い、日本経済を傷つけたのは、PKOやドル投資強制で金融機関に強いた大蔵官僚だけではない。不合理な対米奉仕をメーカーに要求したマスコミもまた同罪です。

 このアイアコッカは、経営危機のクライスラーを立て直した国民的英雄として祭り上げられていました。こんなもの、実際にはアメリカ政府の支援と対日外圧による「自主規制」による価格吊り上げの賜物に過ぎないのに。こんな政治力利用の姑息な手段が「闘魂の経営」ですから、開いた口が塞がりません。表面上犠牲になるのが日本企業であるなら「立派な経営努力」と見なされて賞賛されるのがアメリカ世論というものです。そして本業そっちのけで売名行為に血道を上げ、巨額のお手盛りサラリーで私腹を肥やした挙げ句の危機再来。「夢よもう一度」と再び対日外圧を頼もうという、まったく性根の腐った輩です。

 限界に来た国民の怒りと、「圧力をかければ屈すると、日本をばかにする」という識者の警告に対して、まだマスコミは「選挙を控えた共和党を守るために」という理屈で「アメリカを助けるために言いなりになれ」と無茶苦茶な説教を垂れ続けました。「アメリカの保護主義を押さえるメリットがある」と。では「助けられたアメリカ」は感謝したのか?保護主義は押さえられたのか?とんでもない。助けられて感謝すれば、「恩を売られた」ことになる。そんな状況をアメリカは絶対に認めない。アメリカのマスコミは「日本から屈辱を受けた」と、逆に反日を煽ったのです。

 アメリカとはこんな横暴な国なのかと、多くの識者が知り合いのアメリカ人に言ったそうです。そしたら何と言われたか。「無茶は解ってるけど、日本は受け入れたじゃないか」と。

 露骨な日本叩きが横行しながら、「輸出でアメリカの労働者を苦しめるな。アメリカで売るものはアメリカで作れ」と、政治要因でアメリカ進出を余儀なくされた日系企業は「バイアメリカン」の差別を突き付けられました。こうした反日による嫌がらせに、投資も回収出来ないまま次々に撤退し、多くの日本企業が大きな痛手を受けたのです。

 この時期、日本では、盛田氏と新日鉄の永野氏との論争がありました。「経済競争で外国に遠慮すべき」と、盛田氏の露骨な外圧擁護は「そのためには時短だ、ゆとりだ」と、まさに「自らの競争力を削げ」という逆立ちした論理で、現在に至る日本産業弱体化の素地を盛り上げたのです。

 半導体では、2月にアメリカ側の努力不足が表面化します。SIAがシェアアップの即効薬と称して、日本電子工業会に製品リストを送りつけて「これを優先的に購入しろ」と・・・。顧客のニーズを無視したこのリストの、あまりの粗末さに電子工業会は「こんなのでシェアが上がると思ってるのか」と激怒する始末でした。3月頃になるとSIAは「シェアが伸びない」として大統領に対日圧力を要求する中間報告を出し、対日制裁の脅しを盛り上げます。

 通産省は、際限の無い押し売り指導に、いよいよ業界の不満を押さえ切れなくなっていました。それをアメリカに直接押さえてもらおうと、業界ごとの日米対話を打ち出します。実際、深まる不況に対米サービスの余力も乏しくなってきたのです。4月末の輸入拡大要請会議も不調に終わり、4月30日に日経新聞の設定したインタビューで、SIAのプロカッシーニが制裁要請方針を表明し、露骨な脅しをかけました。「20%は約束ではなく、制裁の根拠にならない」という明文化された通産省の逃げ道は、誰もが知っていたアメリカの「言い張り体質」によって完全に吹き飛びました。誰もが予想し、通産省だけが目を背けていた「20%達成困難=制裁」が、いよいよ現実のものになったのです。

 そうしたアメリカの態度を批判しつつ、マスコミの態度は相変わらず「摩擦を回避せよ」と言い続けました。こうした日本側「指導層」の降伏姿勢と連携するように、アメリカ政府高官による「シェア拡大が無ければ制裁復活だ」という脅し。これを背景に通産省は25日、電子業界首脳にシェア拡大のための「一層の努力」を要求しましたが、我慢の限界に来ていた企業がいったいどんな反応をしたのか、直後の27日には両国の業界を引き込んだ協議が始まりました。

 企業に対して直接アメリカ当局から脅しをかけ、それを通産省が傍観する。USTRは「半導体協定実施状況に対する調査を開始」と称し、「日本側は努力していない。やっぱり制裁だ」という事実無視の結論を出す構えをちらつかせて8月1日を期限に締め上げるのです。「通産省は裏方に回り、業界を矢面に立たす作戦に出た(エコノミスト92−6/23)」。

 こうして日本企業は「緊急特別措置」なるものを約束させられます。全ての半導体調達のアメリカ企業への事前通達が義務づけられ、高かろうが悪かろうが、自主的な選択は不可能になります。もちろん、そうした日本企業が血を流す手続きとは無関係に、「20%達成状況の監視を続ける」とSIAは傘下企業ごとの受注実績をモニターして、増えなければ圧力をかける・・・という、露骨極まる押し売りに対して、日本側は「黙認」・・・・。おりから始まったバブル崩壊・・・需要の激減の中で、普通の商売で達成は到底不可能というのが、最初から観測筋の常識でした。しかし無理にでもアメリカ企業からの購入量は増やせ・・・と。

 この成り行きの全てをアメリカは、アメリカにとって「今後の通商政策のモデル」であり、数値目標による押し売りの正当性を日本が理解した・・・のだと公言しました。通産省は、そういう相手に迎合したのです。それはまさに日本全体をヤクザに売り渡す行為以外の何物でもありません。

 全ては予定のうちでした。僅か一週間後にはUSTRは「シェアが伸びていない」と制裁をちらつかせ初め、マスコミも「期待を抱かせた以上、出来ませんでしたでは通らない」などと、その尻馬に乗って民間企業を責めます。アメリカの「制裁しない」事の約束破りを責めるでもなく、誰も信じないアメリカの誠意という甘い幻想を振り撒いた通産省を責めるでもなく、ひたすらアメリカの要求実現に努力せよと、押し売りへの全面降伏を勧告し続けます。その果てに何があるのかを知りながら・・・

 7月のアンケート調査ではアメリカ企業の対応に、相変わらず「納期が遅い」「仕様ニーズへの対応不足」との不満が渦巻きました。アメリカメーカーの努力不足が浮き彫りになりました。日本の景気が悪化する一方で、アメリカの景気の回復。それによって、アメリカ側メーカーが、日本ユーザー後回しで対応していたのです。

 シェア達成が絶望的との見方が定着し、民間では通産省に対する「理不尽な要求に立ち向かえ」「アメリカメーカーの要求に屈するな」と、悲痛な叫びがこだまするばかり。ひたすら制裁の脅しで応じるアメリカと、それに応じて「全力で順守する」などと尻尾を振るばかりの通産省。日本のメーカーが、自社製半導体を犠牲にしてのアメリカ製購入で、第二四半期のアメリカ製シェアが向上します。このユーザーの犠牲を「日米の努力の結果」と自画自賛する外国系半導体ユーザー協会。

 しかし後半になってから、急速に悪化する日本の景気で、20%未達成は確実になりました。その最後の手段として第四四半期、日本のユーザーによる大量の「前倒し発注(日刊工業93−3/23日)」が行われます。東洋経済の93年4月10日では、前倒し発注の事実とともに「数字はつくるものだ」と言い放った関係者の発言が紹介されました。翌年になって初めてそうした事実が明かされるのですが・・・日本側にとっては、アメリカ企業が「日本企業が使う半導体を作らない」からこその20%達成不可能だった訳ですから、まさに「使いもしないものをドブに捨てるために買わされた」のです。

 こうした企業行動が、6月の協定以来、日本企業の半導体取引をモニターしていたSIAを満足させ、「未達成でも制裁はしない」との発言も出ます。勿論、彼等が制裁を放棄するつもりの無いことは、間もなく明らかになるのですが、結局、等が求めていたのはまさにこれだった訳です。こんなものは、最早、市場でも何でもありません。

 高まる国内の怒りに、通産省も抵抗のポーズを示さざるを得なくなった結果、この年から出てきたのが「不公正貿易白書」でした。アメリカを始めとする各国の不公正通商政策を、中立的なガットの基準で評価するもので、アメリカこそ最大の不公正国である事実を実証し、学会から大きな評価を得、欧米の開き直りとは裏腹にガットの権威向上にも寄与しました。

 しかし、結局は誰もが知っている現実を表にしたものでしかなく、しかも、これを現実の通商交渉で突き付けるような「実利面」での活用は、全くなされなかったのです。従って、国民はこれによって大いに留飲を下げましたが、結局は留飲を下げただけだったのです。

 この年の後半、宮沢政権を支える竹下派が分裂します。小沢・金丸氏は元々「アメリカあっての日本」などと放言する、自他共に認める隷米派でした。しかし金丸氏がスキャンダルで議員辞職し、小沢氏の勢力が後退すると、代わる黒幕として出てきたのが、棚橋氏最大の盟友である梶山氏でした。かつての首相官房豪遊グループ以来の子分である森通産大臣とともに、その政治力のバックとして、棚橋次官の権勢は飛ぶ鳥落とす勢いでした。そうした元で行われたのが、この半導体王国に引導を渡した強制購入だった訳です。

 通産省・国売り物語(5)馬借

 外圧の犬、クリントン

 93年に入ってクリントン政権が誕生します。「今まで反日を唱えた民主党も、責任を得ておとなしくなる」・・・。一体、どこからそんな甘い期待が出てきたのでしょうか。「アメリカは変わろうとしている」と、ケネディを引き合いに出してアピールするクリントンの宣伝に乗せられ、マスコミは好意的な反応を示しました。彼の唱える「自らの競争力を高める」努力と称するものを、日本は歓迎しましたが、その裏側で進んでいる、日本を生け贄にした邪悪な意図に、多くの日本人が目を背けていました。彼等の言う「自ら努力する」という事が、日本を叩いて押し売りする事と逆であるかのような、「アメリカの理性」なる空証文を、まだ信じるナイーブな日本人が多く居たのです。彼等の期待と信頼は完全に裏切られました。

 冷静に考えれば、この通商日本叩きを表向き主導しているのが労働組合の勢力で、「職場確保のために」という名目で「リベラリズム運動」なるものと連動していました。それをあたかも「理性」を代表するものであるかのように思い込んでいる人達には、民主党権力者や組合リーダーの不透明な人脈など、目を向けたくもなかったのでしょう。

 「アメリカに職場を確保するため」と困難を押しきって進出した日系工場に対する執拗な嫌がらせ、そして逆にアメリカ資本家の利益を擁護する対日進出の優遇を要求する、民主党反日権力者の言い分は、露骨な資本家の利益の代弁である事は見え見えであったにも関わらず・・・。そんな論理矛盾はアメリカにとって「外国を血祭りに上げる」局面においては朝飯前であるという事実から、多くの日本人は眼を逸らされていたのです。

 見え透いた羊頭看板で「弱者擁護」のイメージを張りぼてに塗った排日運動のために、日本や日本企業を強引に悪者に仕立て上げる国粋的詐術の道具として激化していったものが、歴史カード利用の(国家予算の半分を約束した巨額賠償でとうの昔に決着のついた)戦後賠償やり直し要求の扇動であり、(鯨を食べる日本人は人食い人種と同じだという人種差別的感情暴論にまみれた)反捕鯨に代表される環境ネタ利用の日本叩きでしょう。

 特に歴史カードは、日本においても「ソ連崩壊」で行き場の無くなった左派にとっての、貴重な発言ツールでした。アジアで当たり前に企業活動することを「相手の恨みを忘れた無責任なニッポン人」などと暴言するのを「進歩的」だの「良識」だのと鼓吹する佐高真のような愚か者や、さらにはナチスに劣らぬ暗黒国家北朝鮮とタイアップした、怪し過ぎる「慰安婦体験談」を振りかざして「日本はナチス以下」などと、笑うしかない暴言を吐く外道ども・・・。北米ではNAFTAが成立し、孤立感を深めるアジアが日本のリーダーシップに期待するのに対して、日本に対する歴史的偏見を煽ることで、アジア自立の希望を妨害するという筋書きは、まさにアメリカの世界支配戦略に絶大に貢献した事は間違いありません。

 環境問題においても、捕鯨だけではない。クロマグロ規制では、7割もの漁獲シェアで「資源減少」の真犯人である「金持ちのクルーザーによる釣り遊び」(エコノミスト92−4/14)のロビー活動によって、日本の生業漁民を規制しようという、CITES提訴の非合理。日本を吊るし上げる輩の正体が豪遊金満集団なのですから、「貧しい者に味方する市民運動」が聞いて呆れます。

 この傾向は、クリントン民主党政権の登場とともに、どんどん露骨になっていきます。リンダチャベスやアイリスチャンを持ち上げての日本叩きで、インチキな猟奇写真をちりばめて下半身利用の反理性的排日を浸透させたアイリスチャンに対して、日本の駐米大使がテレビ討論を挑みます。ところが呆れたことに、多くのアメリカ人は「アイリスが若い美人で斉藤駐米大使が中年のオヤジ」などという、あまりにも情けない理由で、アイリス側に軍配を上げたのです。

 そして外交面でも中国との「戦略的パートナーシップ」と称して甘やかし、日本に孤立感を迫るような愚かなクリントンの行動は、中国の増長を招いて、多くの識者から「最悪の外交政策」の烙印を捺されます。それが2000年選挙の民主党敗退の大きな要因となった事は記憶に新しい所ですが、一方の市民団体・アカデミズムにおいては「日本罪人視」「日本企業狙い撃ち集団訴訟」の暗黒環境がふてぶてしく居座り、その不当を指摘すると「日本の肩を持った」と言われて学者生命が危なくなる・・・とまで言われる知的抑圧状態が続いています。

 さて、クリントン政権発足において、押し売り推進派の大量入閣は早くも経済外交面での醜い正体を現しました。まともに日本に関する知識のある人は姿を消した事は、多くの知米派を危惧させました。まさに「最初からまともに日本と交渉する気が無かった」のです。そして押し売り推進・脅しの信奉者の大量入閣。圧巻はローラタイソン大統領特別顧問。彼女の著作「誰か誰を叩いているのか」は、半導体協定による不当な利益を「成功例」として持ち上げ、さらなる押し売り圧力を鼓吹するという、とんでもない代物として、心ある人の警戒の的になりました。

 従来の押し売り貿易の建て前が主張する「赤字解消のため輸出を増やしたい」と言う建て前とは裏腹の、付加価値の多いハイテク製品じゃなきゃ嫌だ・・・という我が儘政策の鼓吹が、所謂彼女が主張する「戦略的管理貿易」です。それは日本に対する彼等の「米市場を閉鎖しているではないか」という最大の口実に泥を塗る如く、農業のようなものは意味が無い。半導体やコンピュータを輸出させろとゴネまくりました。

 政府による産業政策を「日本やアジア諸国もやってるじゃないか」と正当化した・・・と言うのですが、マスコミの解説で技術・開発支援を真似るのだ・・・と、あたかも自助努力を指向しているかの如く糊塗されていましたが、現実のその指向は押売貿易以外の何物でもありません。これでは「一生懸命働いた人」を見習うと言って、一生懸命泥棒するようなものです。「利益になることは良いことだ」と言って、強盗を正当化するようなものです。こんなものを日本のマスコミは「等身大の通商理論」などと、あたかもまともな政策であるかのように持ち上げ、下手をすると「輸入制限よりましだ」みたいに本末転倒な解説で日本人を騙しました。

 実はこの、「付加価値の大きい儲かる分野」の美味しいとこ取り指向は、タイソン氏の独創でも何でもない、そもそもアメリカ企業の通商行動においての、いつもの「我が儘な悪い癖」に過ぎないのです。半導体でも付加価値の高いMPUやASICは手を出しても、安い家電用マイコンには見向きもしない。なかなか20%に達しなかったのは、そのためです。建設市場でも泥臭い施工には手を出さずに、設計や通信施設など美味しい所だけつまみ食いする。それが、利益率は高くても、全体の規模の小さい売り上げしか出さず、黒字額を稼げない。そんなものを「無理矢理に均衡させろ」などと、日本に一方的に出血を強いる・・・。この理不尽こそが貿易摩擦の本質なのです。

 こうした政策が、ガットの自由貿易体制を危機に陥れるであろうことを、多くの人が警戒しました。それに対してのアメリカの理屈は「これは冷戦体制のためにアメリカが被害を甘受したものだ。その被害を返してもらうのだ」。とんでもない話です。ガット体制は、アメリカだけが輸入自由化する訳じゃない。客観的な基準の元で、多くの国に自由化を促すものです。

 日本もガットによって、多くの分野で自由化を迫られ、実行し、多くの輸入品を受け入れてきました。にも関わらず「自分だけが」などと被害者意識を持って「利益を返せ」など、盗人猛々しいとはよく言ったものです。最初から自由貿易の公正を害するつもりなのですから、通商戦争の危険どころの話じゃない。それを「各国が懸命に回避するだろう」と、危険なチキンゲームを仕掛けたのですから。他国の犠牲に甘えて攻撃に走る肚づもり・・・。そこまでアメリカを甘やかせたのは、他ならぬ日本の隷米政府と、それを動かしてきた通産官僚です。

 そしてその外道政策・・・、半導体摩擦に味をしめた特定分野別押売貿易の全産業への拡大は、クリントン政権に全面的に採用され、貿易黒字という「結果」そのものに因縁をつけて日本を一方的に攻撃する、あからさまな結果主義を振りかざして露骨な圧力で迫ったのです。

 そうした自国政府の悪行に、結局のところ、アメリカ世論は「迎合」したのです。それまでまがりなりにも存在していた「アメリカにも悪い所はある」という良識論は、全く影をひそめたといいます。それどころか、アイアコッカなどはNAFTAに対する反対派を説得するためにと称して「日本やEUにとって悪いことは、アメリカにとって良いことだ」と公言しました。口先では日本と「友人として話し合う」などと、見え透いた、日本のマスコミだけが相手にするおべんちゃらを吹き、全体の雰囲気は「日本を潰してやる」というあからさまな悪意に満ちたものでした。

 ところが、それに対して日本政府は・・・。スーパー301条の復活に際して、渡辺外務大臣に対して「黒字がけしからん」との結果主義を振りかざして脅すアメリカ。その渡辺氏は「相手国の不公正に対するものだ」などという、脳みその存在を疑わせるような受け売りコメントを発表して、日本国民を落胆させました。

 通産省は毎度のごとく、業界団体を使った押し売り受け入れ工作を続け、「保護主義回避を話し合う」との触れ込みで2月14日に日米財界人会議が行われ、半導体・自動車など29分野を標的に特別委員会の設置が決まります。もちろん保護主義回避どころか、押し売り貿易という最悪の保護主義に奉仕するための委員会です。

 3月に入るとすぐ、SIAは再び制裁をちらつかせて、月末に予定されている92年第四四半期のデータの公表を控えて「20%未達成の場合は」と脅してきました。取引状況をモニターしていたSIAですから、当然、日本企業による無理なドブ捨て出血発注によって当面の数字が確保される見通しは立っていた筈でした。

 もちろん通産省もそれを知っていて、マスコミ向けには「達成は無理だが、通産省がなんとか守ってやるから業界も協力しろ」と、押し売り受け入れ推進のネタにしたのです。彼等の真意は3月20日、20%達成が公表される頃に明らかになりました。曰く「93年平均で20%の実現を」・・・。あまりに酷い弄ばれ方に激怒する日本企業に、さすがの通産省も宥める言葉がありませんでした。

 相変わらずのアメリカ企業によるキャンセルで、欲しい製品が入ってこない状況に棚橋氏は「大きな金額じゃないんだから、問題無い」などと嘯きます。冗談じゃない!半導体が予定通り入ってこないということは、それを組み込む予定だった電子製品が完成しない・出荷できないという事です。いくつもの半導体を組み込む製品が、他の半導体は調達して組み込んでるのに、アメリカ企業から買った部品が無ければそれは高価なゴミと化します。日本企業の損失はキャンセルされた金額の数十倍になり、当然、その製品を受注した顧客企業にも多大な迷惑をかけ、失墜した信用はお金では換算出来ないものになります。それを「大きな金額じゃないんだから、問題無い」などとアメリカ企業を擁護した棚橋氏に、多くの人が愛想を尽かしました。

 4月半ばの日米首脳会議で、アメリカが分野別の輸入目標設定を要求したことで、国民の怒りはごまかしきれないまでに膨れ上がりました。棚橋氏なども「数値目標は受け入れられない」と公式には発言せざるを得ませんでした。「アメリカの言いなりに押売受け入れ指導を続けて目標を実現させてしまったから、つけ上がらせたんだ」という事実がようやく認識され、アメリカの管理貿易の波及を恐れるアジア諸国はアメリカを批判して日本を支持。OECDでもアメリカの結果主義は批判されます。

 しかし、自民党政府部内ではまだ「外圧ウェルカム」でした。会談に先立ってワシントンポスト記者と会見した宮澤総理は平然と「外圧で自らを変えるのが日本のやり方だ」などと公言し、記事にされてしまうという体たらく。しかもその発言が、記事の印刷前にその筋に流れて、ローラタイソンの部下等が書いた「和解できる差異」と題する対日押し売り外交の台本に、押し売り正当化の論拠として引用されてしまうという失態を演じます。

 首脳会談では、アメリカが押し売り要求を突き付ける場として「構造協議の後を受ける」と称して「包括協議」という枠組みに同意してしまいます。そして「輸入目標は作らない」という日本側の前提をアメリカ側は平気で無視していくのです。まさにこの会議は通産省の最後にして最大の甘い密の源でした。景気刺激策を要求するサマーズ財務長官の威光をバックに、大蔵省との激しい折衝で毟り取った、その目玉こそ、棚橋氏の最大の功績と言われた「新社会資本」でした。

 特に教育用パソコンの大量購入が「アメリカに多くの利益をもたらす」として、その実現に大きなプレッシャーをかけました。そしてこの教育パソコンこそ、彼が孫・盛田氏と組んでトロン教育パソコンが潰されたことによって、独占の雄マイクロソフトなどに多くの利益をもたらす事になった曰く付きの分野であり、そもそもトロンが、国内外に対してオープンな仕様であるにも関わらず、スーパー301条の標的にされ、これこそ外圧の不公正さ・非論理性の見本として多くの人に非難されたのです。

 もしこの時期に大量導入が実現していたら、僅か2年後、ウィンドゥズ95によって大量に発生する廃棄教育パソコンの山に膨大な追加を成していたであろう事を考えると、身の毛がよだちます。民間需要の廃棄パソコンによるゴミ問題と無駄遣いは、深刻な社会問題になっていったのは、誰もが知る周知の事実なのですから。

 この時、マスコミは「アメリカは日本の要求通り、財政赤字退治を始めた。だから日本もアメリカの要求を受けて黒字を減らせ」と、無茶なアメリカの論理を代弁します。とんでもない話で、アメリカの黒字退治はアメリカ自身のためであり、その歪みに苦しむアメリカ自身の自助努力を求めたに過ぎない。アメリカの一方的な輸出利益のために日本が財政垂れ流しで破産に向かって邁進することを、同列として要求するなど、筋違いも甚だしいではありませんか。

 この不当な言いがかりに対する反発を「偏狭なナショナリズム」などと決めつけて「世界史的大問題」などという訳の解らない持ち上げ方で財政垂れ流しを説く飯沼良祐氏、管理貿易論への日本側の批判を「アメリカが受け入れない」などという論理外的理由で一蹴し、アメリカ政府の強盗経済学を「新経済理論」などと持ち上げて「理解を示せ」などと強弁する川島睦保氏(東洋経済東洋経済93年6月5日)。愚論を垂れ流す隷米マスコミの弊害は完全に「まともな庶民」の感覚から遊離したのです。

 5月12日、通産省は相変わらずの「輸入拡大要請会議」で、アメリカの要求を受け入れるべく企業に圧力をかけ、マスコミは「輸入努力は保護主義を牽制する」などという通産省の言い訳を鵜呑みにしました。しかし最早、企業は冷ややかな反応しか示さず、逆に政府の努力を要求します。「アメリカをつけ上がらせてはいけないという、腐るほどの教訓から、あなた方は何を学んだのか」と・・・

 6月のOECDで、アメリカの結果主義的ごり押し言動は最悪の状況を呈しました。「米国の成長の期待外れ」も「欧州の不況」も全て日本のせい・・・などという馬鹿げた責任転嫁を強弁し、朝日新聞は「我が国は厳しく受け止めたい」などと馬鹿げた降伏論を垂れ流しました。客観的に見ても欧州は、期待のドイツが冷戦終結で東ドイツを飲み込んだ後遺症に苦しみ、アメリカの「期待外れ」は日本を犠牲に好調期に入った上での「もっともっと」的な贅沢に過ぎないのを、まさに自虐朝日の真骨頂と言う他はありません。これを分析したフィナンシャルタイムズは、日本はアメリカ側での責任逃れのスケープゴートにされているのだ・・・というものでした。そしてさらに同紙は主張するのです。「日本がより平穏な生活を望むのなら」文句を言わずに言いなりになれと・・・(絶句)

 こうして6月、日本経済をズタズタにした棚橋氏は、2年の次官任期を終えて退任します。7月、アメリカの主張する「ベンチマーク方式」と称する半導体押し売り方式に、毎度のように形だけの抵抗の姿勢を示す通産省ですが、アメリカ側は「制裁に直結するものでない」などというおためごかしで騙そうとします。半導体で散々騙された古い手口で、民間を騙せないのは明らかなのに。

 そして首脳会談で宮澤総理は、アメリカが要求する「フレームワーク」なる実質的な押し売り協定の枠組みに同意したのです。それは既に内閣不信任まで決まっていた宮澤総理の、あまりにも迷惑な置き土産でした。そこでは「日本の大幅な黒字削減」がうたわれ、合意後にアメリカ側が一方的に「黒字幅をGDP2%に削減するという意味だ。それが公約された」と宣言します。市場分野別の「客観基準」なるものも謳われ、「約束」と取られて制裁される可能性を受け入れた、まさに「結果主義」地獄が丸ごと日本を飲み込む体制・・・それは梶山支配下にある宮沢総理の「強い意向」だったと言われています。

 「大人」への遠い道のり

 そして総選挙で、アメリカの言いなりだった自民党政権に国民は「NO」を下しました。梶山自民党が大敗し、小沢氏が実質的に率いる新進党と、細川氏の日本新党が躍進したのです。細川政権の誕生です。アメリカは「政権交代による細川総理の改革路線」に対する支持を表明し、あたかも日本の改革の味方であるかのような素振りを示しましたが、実際には、細川氏の背後にいる小沢氏に対する期待であった事は、見え見えでした。「官僚を押さえ込んででも」通商紛争解決・・・つまり対米妥協に働く政治家として「アメリカでの評価は高い」のだという報道が、それを裏付けていました。しかしその後、実際の交渉は終始、細川首相のリーダーシップによって行われた事が、アメリカの期待を覆すことになったのです。

 さらに、従来の押売推進の「合意」に対して、民間からの突き上げで、通産省と外務省の一部に省内対立が始まったことは、アメリカを慌てさせました。「押し売り合意は受け入れられない」という高官発言にベンツェン財務長官が反発し、カッター次席代表は「管理貿易批判を相手にせず」と突っ張り、別の高官は押売批判を「官僚の利権の問題」と見苦しいすり替えを行いました。

 曰く「輸入拡大(押売受容)の場合は通産省が民間企業に出向いて輸入促進を懇願しなければならず、通産省のメンツは丸潰れとなる」・・・。民間取引への不当な行政介入がメンツが丸潰れなのは、役所が民間に不当な不利益を強制するのだから、当然です。それを拒むのは「利権の問題」でしょうか?「不当な行為は止めろ」という民間の声に従う事こそ、公僕たる者の正道なのではないのですか?

 包括協議は自動車分野や電気通信分野などで9月・10月と続き、「G7諸国並みの外国製シェア」と露骨な押し売り基準設定要求が突き付けられました。「統一市場である筈のEU加盟諸国の外国製として、域内から買った物を含めた数値を基準にするのはおかしい」「アメリカの航空機をG7並みに引き上げろと言えるか」と、次々に疑問が噴出し、アメリカ国内でも、38人の正統派経済学者が3人の日本人学者とともに包括協議を批判クリントン・細川宛ての協同公開書簡が出ることで、押し売り圧力を正当化する「黒字悪者論」の間違いは誰の目にも明らかになったのです。

 その年末、5年間の交渉を費やしたウルグアイラウンドがついに最終合意しました。農業での譲歩を逃れたEUや言い掛かりアンチダンピングの自由を残したアメリカを相手に、米市場などで最大の譲歩を行ったのが日本でしたが、これで多国間交渉の場が大きく広がったことは、自由貿易に大きな力となりました。

 翌年、1月から始まった協議に、両者全く譲る気配は無く、議論は堂々巡りを続けます。これ以上の押売を世論が許す筈もなく、「数値目標で制裁はしない」というバレバレの嘘と「アメリカは規制緩和における細川首相の同盟者」などという口先だけの見え透いたおためごかしを乱発しますが、そんなものを信じる人があろう筈もなく、決裂は誰の目にも明らかになりました。

 マスコミは「アメリカも最後には押し売りを諦めるだろう」と、楽観論を出しますが、それまで散々甘やかされたアメリカが「押し売り断念」など考えられる筈もなく、「交渉は1インチも進まない」と苛立ちを示し、日本側の押売拒否姿勢を「官僚が規制緩和と自由化に抵抗」などと無茶苦茶な強弁で荒れる始末。最後には「合意したものだけ発表しよう」との細川氏の提案を、あくまで押売数値の押しつけに固執して言下に拒否するアメリカ側。

 「昨年7月に合意したじゃないか。日本に裏切られた」と被害者意識を振りかざしていたと言います。甘やかされ続け、日本の譲歩に「中毒症状」を起こしていたアメリカの、言わば禁断症状とも言うべき状態だったのです。2月11日、ついに協議は決裂し、国民は快哉を叫びます。細川総理の「大人の関係」をうたい上げたこの言葉は、まさに邪悪と強欲が初めて喫した後退の瞬間でした。

 アメリカは直ちに、言いなりにならなかった日本に「報復」を始めます。1ヶ月間は日本側担当者が電話しても応対しないという態度に出る一方で、急激な円つり上げ発言と、期限切れのスーパー301条の復活案も提出されました。さらに、移動電話に関わる合意違反と称して、専門家に聞いても「どこが違反なのか誰も解らない」強弁により、対日制裁を表明。移動通信に関するモトローラの押売姿勢は日本側に「数値目標拒否」の正しさを教えたなどと嘯いたのだそうです。そのあまりに悪質な押し売り内容は、「政商ガルビン」の悪名を轟かせるに余りあるものでした。

 売り切り解禁を控えて値下がり寸前の端末の大量購入と中継施設を、数を指定してUSTRの名をちらつかせた脅迫書簡。「制裁を避ける心からの努力」だの「危機を乗り切る最後の手段」だのと、吐き気のするようなおためごかし。89年にアメリカに屈伏して、IDOに介入したくせに・・・と。それはあたかも、レイプされた女性に対して「いまさら抵抗して処女ぶるな。諦めて股を開け」・・・と言っているに等しいのです。

 日本側は結局は屈伏し、国民を失望させました。それをなさしめたのは結局、郵政族首領の金丸氏の後継者であり、89年にも圧力平伏を演出した前科のある、細川政権下では権力の絶頂にあった小沢氏の力によるものでした。そしてモトローラ社にとっては、政治利権に頼りきって普及寸前のデジタル式に乗り遅れ、苦境にある「焦り」から出たのだと言われていますが、それだけに被害に遭ったIDOの被害は甚大でした。IDOは既存NTT方式の中継施設とともに巨額の二重投資を強要され、多額の負債を作って利益を上回る利息を支払うという、まさに破綻の淵に追い込まれ、トヨタなどに支援を仰ぐ破目になりました。

 マスコミ・エコノミスト界の国内従米派は、ひたすら責任を「官僚の頑迷さ」に帰してアメリカ批判のごまかしを図りました。信じ難いことに、「数値目標は結果主義と違う」などという嘘のバレ切った神学論争を垂れ流したのです。半導体協定延長で、あれだけ「目標じゃない。制裁理由にしない」と明文化しておきながら、強引に制裁をちらつかせての押し売りで日本企業に大損害を与えた。そうするに違いないと皆が知っていたのを、腹に一物の通産官僚がアメリカと組んで国民を騙した。それを日本国民が忘れたとでも思えるのか・・・。

 「何故、信じてくれないのか」などとほざくアメリカ側の言い分の垂れ流し。一体どの面下げての抗弁か。誰が信じると思うか。そんな勝手な言い分を垂れ流して恥じる事もなく、「アメリカは客観基準と市場シェア目標が本当に違うことを説得的に示すことに失敗」・・・。こんな見え透いた嘘の鵜呑みを前提に報道するマスコミとは、一体何なのか・・・

 東洋経済94年3月5日の森田実氏の記事では、押売強要への抵抗に対して「裏話での真相」と称して、細川総理が頭が悪かっただの減税案に不満だっただの、日本側のNOは官僚主導だのと問題をすり替えのオンパレード。「大衆はけんかが大好き」などと民衆蔑視にすら狂奔して、「日本が開き直る姿勢を取れば影響は安保に及ぶ」だのアメリカは「日本を叩きのめした上で譲歩を勝ち取る」だろうなどと脅すことで、対立を恐れる日本大衆のおとなしさに乗じてここまで事態を悪化させたマスコミの責任に対して、まさに「開き直った」のです。

 そして「世代交代」が原因だと、不公正を拒否した細川氏を「戦争オッケー」な世代故だなどと過去の悲劇の影をちらつかせる汚過ぎる心理的圧力を振りかざし、あの悪夢のような市場破壊をもたらした屈伏を垂れ流した旧世代の政治家や官僚を「何が何でも交渉をまとめ」るために「合意可能な対案を出して切り抜け」たであろう・・などと、一体、本気で言っているのだろうか。

 これほどの害悪をもたらした極秘裏の押し売り提案が日本にとって「合意可能な対案」だなどと本気で言っているのだとしたら、それこそ思考力を疑う。それとも彼は、経済の正道を守るためにNOと言うべきことを勧めた日米40人の経済学の権威をも「幼稚」だと強弁するのだろうか?翌月にはなんと、「政権交代で官に対抗できる政の力が消えた」などと、あれだけ日本に害毒を流し続けた自民党政権の永続化を主張したのです。

 愚かな高橋正武氏も、アメリカ有力政治家の反日強弁を垂れ流し、「クリントンの体質を理解して日米間の病気を直せ」と称して、まさに病気を悪化させるべく汚い言葉で「屈伏拒否」をこき下ろしました。エコノミスト誌でも3月19日号で「黒字は日本の病」などと、ネタの割れた黒字悪玉論を振りかざし、3月1日号では小西昭之氏が「数字恐怖症」などという陳腐な台詞でアメリカのおためごかしを宣伝する最低の暴論で、その嘘を突き放した崖際の正気を「強迫観念」だ「自己睡眠」だと喚き散らしました。田村紀雄氏などは「日本のマスコミのステレオタイプ」だと称して、ようやく無視できなくなった、押し売りに対する国民の怒りを反映した新聞の対米批判を攻撃するという、逆立ちしたキャンペーンを張って、読者の失笑を買いました。

 クリントンの押し売りが「消費者の利益」だなどと本気で言っているのか?その新聞が構造協議の時に「アメリカが消費者の味方」だなどという騙され論を垂れ流したのを忘れたのか?「アメリカの報道はは多様だ」などと主張しているに至っては正気を疑います。クリントン政権発足時の反日一色状態を忘れたというのか?彼のようなのを「ニワトリ頭」と言うのでしょう。

 外務官僚の岡崎久彦も「押し売りを拒否してもマクロで合意する筈だった」などという交渉経過から見ても全くの大嘘にしがみつき続け、「減税額が六兆円だから駄目で七兆円なら」などという説得力の欠片も無い惰論を書き散らします。「英エコノミスト」など世界中が正しい判断と認めた「押し売り拒否」に対して「怒りが肚に」などと・・・、自分達隷米官僚に対してこそ、多くの国民の怒り肚に据えかねているのだという事実に対して、自覚の欠片も無い能天気ぶりには、さすが伏魔殿の有力者と、呆れる他はありません。

 結局、ここまで話をこじらせたのが、その官僚が散々アメリカに屈伏し続けた結果であるにも関わらず、彼等の言い分はその屈伏を続けろと言っているのに等しいのです。官僚がアメリカへの屈伏を拒否したのが、その罪過に対する反省であるなら、それこそが大いに評価すべきものを、「アメリカと決裂したのが大変だ」と、まるでそれまでの害毒官僚の言い分と同じ論理を繰り返したマスコミの愚かしさは、毎度のことながら最低な醜態と言う他はありません。

 日本でマスコミが屈伏要求の馬鹿騒ぎを続けている間に、外国では冷静なアメリカ批判が渦巻きました。イギリスエコノミスト94年3月12日では、規制緩和に逆行する「現代の砲艦外交」としてクリントンを非難。アメリカ国内でも「圧力をかけても何も得られなかったじゃないか」というクリントン批判が彷彿として起こりました。さらに、対日圧力を狙って仕掛けた円吊り上げでしたが、4月になると、ドルはマルクに対しても下落を始め、アメリカからの資金の流出はアメリカ経済を締め上げ始めたのです。5月にはついにドル買い支えの協調介入に踏み切らざるを得なくなり、対日報復は頓挫したのです。

 結局、細川政権は「アメリカの犬」として政界を生きた小沢氏によって、足を抄われました。交渉破綻直前の2月初旬、官僚と小沢氏によって強引にまとめられた「国民福祉税」で一気に細川批判が増幅。4月に細川退陣・新進党から羽田内閣成立。奇妙なことに、その国民福祉税を演出した張本人である小沢氏は、逆に立場を強化したのです。しかし羽田体制も6月には倒れ、自民党・社会党が組んだ村山内閣が発足しました。

 その後も結局、包括協議は続けられました。秋ごろに板ガラスで部分合意する一方で、モトローラから押売功労者を引き抜いて「柳の下のドジョウ」を狙ったコダックのフィルム押し売りや、日本の規制緩和で「第三分野」の独占が脅かされるのを恐れたAIGの保険摩擦など、ますますアメリカは「規制緩和の妨害者」としての正体を露わにしていきました。

 そして96年、あくまで自動車押し売りに固執するアメリカ。またも円の吊り上げで80円突破とともに、5月についに対日制裁を発表。直ちに日本は発足したてのWTOに提訴します。アメリカは「日本の非関税障壁を訴えてやる」などと強がりますが、日本の勝訴は確実。脱退さえほのめかして揺さぶりをかけます。しかしもはや欧州もアメリカの横暴を完全に見放していました。OECDでアメリカの一方的措置を牽制する声明を盛り込み、それをアメリカが前代未聞の拒否権発動で潰すという醜態でしのぎます。

 マスコミは「100%の勝ちは危険」などと、この後に及んでまだ対米譲歩を主張しましたが、実態経済でガタガタの日本のどこにそんな余裕があったのか・・・。終いにはアメリカは「安保見直し」まで持ち出して日本を脅します。それも相手が、社会党政権として安保容認への転換で揺れる村山政権だというのですから、甘えという他はありません。

 そうやって要求したのが、あの屈辱的な「思いやり」みかじめ料負担の「増額」で、それが満たされないからと、日本の意思を大前提とした「負担」をアメリカ議会で決定するという前代未聞の珍事をやってのけます。それを「満場一致で決めたのだから日本は従え」などと要求する古森氏の相変わらずの逆立ち論議もまた、読者の失笑を上塗りしました。

 結局、こうした逆立ち論議の元である「安保ただ乗り論」が如何に愚かで虚しい被害者妄想であったかは、四ヶ月後の沖縄幼女強姦事件で、激怒する日本中が「米軍出て行け」のブーイングで沸き立つ中、大慌てで居座り工作に奔走するアメリカの醜態が、如実に示したのです。

 包括協議は結局、6月28日の制裁期限ぎりぎりで妥協しました。日本メーカーがアメリカ製品の「購入拡大計画」なるものを出し、アメリカは勝手に数値目標を設置して「成果を計測」するという、結局は押し売りの色彩を色濃く残した代物でした。あまりに見苦しい押売利権への執着は、日本人のアメリカ離れを一層掻き立てていきます。

 96年、カンターUSTR代表は、協定の成果を監視する部局」を設置し、新たな従来の利権協定を振りかざす事で、甘い蜜にしがみつこうと足掻きます。日本では橋本内閣が成立し、再び半導体協定の期限切れが近づきました。既に半導体では、アメリカ企業が世界シェアで日本を押さえ込んだ状態にもかかわらず、数値目標のさらなる延長を要求し続け、日本人の怒りは高まります。

 橋本首相の主導の元で期限を割り込んだ8月2日に交渉は妥結。20%のシェア協定は消滅しましたが、「半導体会議」なるものを残し、アメリカ側はシェア調査を続け、圧力の受け皿だった「半導体ユーザー協議会」も生き残りました。圧力をかける体制は、まだ死んではいないのです。その後、フィルム摩擦はWTOに持ち込まれ、アメリカは完敗。外圧拒否の正しさを完膚なきまでに証明しました。それでもアメリカは押し売り固執を止めず、残る自動車・保険の不平等協定が廃止されたのは、ようやく99年になってからです。

 通産省・国売り物語(6)馬借2002/02/2200:06

 通産省分裂

 曲がりなりにも通産省が「押し売り拒否」の姿勢を示すようになった「大人の関係」の交渉のあたりからです、その変化が起こる直前、通産省で起こった大事件が「内藤局長罷免事件」でした。そのきっかけは93年の与党分裂・細川政権誕生で、棚橋氏と癒着していた自民党中枢が、彼と密接な梶山勢力と小沢系グループに分かれ、対立を深める中で、小沢グループに属する熊谷通産大臣や「四人組」と呼ばれる一部反棚橋派の官僚による棚橋氏に対する告発攻撃が行われたのです。

 批判されたのが、その選挙で政界進出した棚橋氏の長男に対する不透明な箔漬け人事でした。棚橋氏とともに、その後継者として次期次官就任が確実視されていた内藤正久氏が槍玉に上がり、棚橋氏は一時的に埼玉大学に逼塞し、内藤氏は熊谷通産大臣によって辞任を迫られます。省内では官僚の世界を守る「人事の独立性」を侵害されたとして、内藤氏に対する同情論が広がり、この事件を追った高杉良・佐高信氏も、徹底して内藤氏を持ち上げました。高杉氏の小説では棚橋泰文氏の「特進」は実質的昇進にはならないとして、四人組の「言いがかり」を強調していました。しかし実際は「七年飛び」とも言われる大幅な昇進であり、かなり露骨な意図があったことが伺われます。

 佐高氏は言います。「内藤氏は百年に1人の得難い人材」「国民にとってあらまほしき政策を行う人」と。実際、官僚の間での人気はかなりのものがあったようです。お歳暮も送り返すという内藤氏の私生活での生真面目さと、棚橋氏の部下として、溢れる利権をもたらした功績、特に巨額の予算をもたらした「新社会資本」の立案は、官僚達にとって絶賛の的だったそうですが、果たしてこの巨額支出が日本にとって本当にプラスの意味を持つかどうかは、現在の巨額累積赤字が雄弁に物語る筈です。

 しかし、この事件で棚橋氏の影響力が一時的に逼塞した事で、省内の流れは大きく変わったのです。さらなる延長を要求するアメリカに対して、細川首相の元で断固延長拒否。翌年2月の交渉決裂・・・、所謂「大人の関係」の宣言。

 その後、村山内閣登場・自民党の与党への復権とともに内藤氏は名誉回復し、棚橋氏も石油公団総裁へ大型天下りにありつく段取りが出来上がります。しかし、泉井疑惑の浮上とともに、再び泉井被告から長男の選挙資金を受け取ったとして批判され、石油公団総裁の話も流れます。その後も四人組勢力の絡んだ権力抗争の中で、反棚橋派は排除されていきました。そして棚橋氏は、今なお隠然たる権力を握り、最近も某石油会社が彼を重役に迎えたのは、彼の権力を期待しての事というのは常識です。

 佐高氏が言うには、通産省には「国内派」と「資源派」が存在し、規制によって国内企業の保護を主張する統制派と、規制緩和を主張する資源派の対立に由来したと主張しています。しかし実際には、四人組の背後にいたとされる児玉幸治氏は元々棚橋氏の盟友であり、四人組の1人である細川恒氏も資源派です。

 内藤氏は、70年代に通産を掌握した「資源派」の創始者である両角氏の直系で、エチレン不況の時にカルテル作りを主導した縁で、石油業界に絶大な影響力を持ったといいます。ジェトロのニューヨーク支局にいた時代にアメリカの民主党議員(半導体摩擦の拡大に大きな役割を果たした)との太いパイプを持ち、日米摩擦の舞台裏で暗躍したのは有名だそうです。それがどういう暗躍だったかは解りませんが、彼の通産内部での絶大な支持を考えると、例えば、「外圧受け入れ」に向けての省内説得に当るとしたら、そうした人物こそ最適任と言えるでしょう。

 佐高氏が「改革派として経済統制に拘る勢力から排除された」かの如き希望の星として持ち上げましたが、こうした見方がいかに偏ったものであるかは、彼が棚橋氏の元で行った全国・全産業的な輸入品購買促進政策こそ、「経済統制を目的とした圧力迎合」の意図を持った半導体押し売り摩擦の延長に過ぎない事実を見れば明らかではないでしょうか。事実、佐原氏が内藤罷免事件を詳しく取り上げた「新日本官僚白書」には、もう一人の当事者である棚橋氏の存在が全く無視されているのです。

 つまるところ、「内藤事件」は、通産省を支配した外圧迎合派の内ゲバに過ぎないのです。四人組の背後に存在するもう一人の影として、内田元享氏という人物がいました。通産省内に根強い人脈を張るOBで、「わざ」という企業を経営して省内人脈を利用して地熱開発などで堅固な利権を握り、その資金力で四人組の運動を動かしていたのだそうです。

 彼はそのために、建築摩擦で(レーガン政権との癒着で)悪名高いベクテル社の代理人を務め、他にも多様なアメリカ企業の対日進出をコンサルティングしていた・・・と言いますから、まさに「資源派(国際派)」の影の大物として、外圧迎合運動にも大きな役割を果たした事は間違いありません。内田氏は四人組事件の余波の続く96年12月に病死しましたが、そのその影の人脈は、それにまつわるスキャンダルが表に出れば通産省は完全に崩壊すると言われるほど、激しいものでした。そしてその思想的には「産業を盛んにして輸出で稼ぐ時代は終わった」と、住宅産業に手を出したように、佐原氏が絶賛した内藤氏の主張などは、要するに内田氏の受け売りなのです。言わば彼も棚橋氏などの盟友だったのです。

 結局、通産省で内藤事件後、目が覚めたように外圧への抵抗を始め、20世紀の残り数年をかけて、押し売り協定を一応終わらせたのは、四人組でも棚橋派でもない人達だったのです。佐原氏によれば、四人組事件後の省内抗争の主役は徹底追放派対融和派でした。そして、後の日米摩擦、たとえば96年の自動車協議などでも省内の主流が外圧拒否を主張する中で、少なからぬ勢力が妥協を主張したとのことで、その妥協派こそ、棚橋氏直系グループ・・・つまり対四人組強硬派である事は間違い無いでしょう。

 そして、四人組の勢力が完全に駆逐された現在、折角消滅した「包括経済協議」が、事もあろうに通産省内から言い出して復活したのです。勿論、外圧反対派は「押し売り」の復活を強く警戒していますが、アメリカ側はこれを足掛かりに「夢よもう一度」と、自動車などでの協議の枠組みを強引に割り込ませ、押し売り再発の危険は次第に強まりつつあるのが現状です。

 通産省と言えば、プレストウィッツ氏などが「ノートリアスMITI」と称して、通産省はあたかも「対米抵抗勢力拠点」であるかのようにイメージ付けられてきました。そこから「官僚統制VS輸入促進」という公式が誘導され、あたかも輸入=自由化であるかのような論調がまかり通ったのは、全く彼等「リビジョニスト」達の宣伝に乗せられた訳です。何しろ実態は、裏で通産官僚と組んだアメリカ企業利権の利益によって、最悪の市場統制が行われたのですから。

 実際、リビジョニスト達の通産省攻撃は、通産省資源派が国内派を押さえるために、絶好の題目だった筈です。資源派は、石油危機を切っ掛けに台頭した集団で、日本を資源危機から守るための戦略が必要だ・・・という題目で、規制の強い石油業界への影響力を武器に、75年に資源エネルギー庁が出来た頃から、通産省の主導権を握っていったのです。

 しかし、アメリカのオイルメジャーが圧倒的に強い現実を前に、アメリカ追従をもっぱらとするようになったのは自然の成り行きでした。そして「産業保護のための通産省から、総合的な国家戦略の立案に軸を移すための機構改革」という題目を掲げ、国内産業を重視する人達を排除する権力抗争マシーンとして、日本の産業政策を蝕むようになっていったのです。

 元々、官僚の「裏で外圧と手を組む」は、実際には多くの人が指摘する所でした。ところが、その意図について「国内の頑固な保護論者を押さえるためだ」などという、あたかも自由化を促進する正義の味方であるかのような宣伝がなされていたのです。それが実は全く逆であった事実が明らかになった今、外圧を肯定して通産省の利権拡大と産業支配を正当化した論者は、厳に反省すべきでしょう。

 外圧の口実

 日米摩擦の深刻化、即ち対日外圧の横暴化を正当化する言い訳として、アメリカ側関係者がよく口にする言い分は、こうです。「日本が今までの交渉で、自主的な譲歩をさぼり続けたので、アメリカの我慢が限界に来たのだ」これが実に不思議な論理である事は、一読すればお解りかと思います。

交渉とは、「奪った領土を返す」ような論理的義務の実現ならいざ知らず、通称交渉のような双方の主権に基づく話では、双方が譲歩を出し合い、その交渉結果が「自国にとってもにとって有益」だという認識でこそ、妥協が成立するものです。19世紀のような脅しがまかり通る時代ならいざ知らず、対等な外交関係の中で、一方的な譲歩を要求されるような交渉に、誰が進んで言いなりになりますか?ましてや相手が「譲歩しない」事をもって被害者意識を募らせ、復讐心を燃やすなど言語道断です。

そして、彼らは露骨な脅しをかけて、日本側の妥協を引き出すと、「摩擦が起こって危機的状態になったから、日本が譲歩したのだ」ということで、その「譲歩」は自分が「勝ち取ったもの」であるから、譲った相手に対しての感謝は無い・さらなる譲歩はさらに自分達の実力で勝ち取るのだ・・・と。まさに幼児的な我が儘の発想というしかありませんでした。

こうした被害者意識と強盗の論理の複合体を形成していったのが、プレストウィッツを初めとする「リビジョニスト」でした。噴飯にも彼は、あたかも日本が「アメリカのお人良しさ」なるものをカモり続けた悪人であるかのように主張するために、何を言ったか。アメリカが「自由貿易」の体裁を繕いつつ貿易障壁を張り巡らすために日本が一方的に犠牲を払う、あの屈辱的な「輸出自主規制」すらも、「狡猾な日本にしてやられた」などと被害者意識の対象に組み込んだのです。輸出規制なら、アメリカに払う関税を節約できるという理由で・・・。まさに、全ての点でアメリカが得をし日本が損をする図式で無い限り「公正」ではない・・・という、救いの無い国家主義的ガリガリ亡者と言う他はありません。

そもそも、彼等はあのような被害者意識を振りかざすほど、自国の市場を開放してきたのでしょうか?

アメリカが自分で主張するほど開放的な市場ではないことは、アメリカの良心的経済学者であるバグワディ氏の「アメリカ貿易は公正か」に、完膚無きまでに暴露されています。連発する根拠のいいかげんな「反ダンピング関税」や日本などに強制した「自主輸出規制」を待つまでもなく、日本では70年代に姿を消した工業製品の輸入規制がいくつも残っている点など・・・。

呆れたことに、この「自主規制」と称するものに関して、アメリカ人は言うのです。「イタリアやフランスと同様、日本に対して輸入の数量規制をしてもおかしくなかったのに、アメリカはそれをせず、日本の自主規制に任せた。すなわち、世界各地との取引において、アメリカはいかに無防備で馬鹿正直か(ボイス90−5)」・・・。この自主規制が、アメリカから強制されたものである事は誰でも知ってる事です。それを「無防備」だの「日本に任せた」だの「度量」だのと被害者意識を垂れ流して、日本に「感謝」を要求する・・・。こんなものを肯定してしまう西尾幹二や松本健一氏とは、いったい・・・

実は、本当に外国製半導体を排除していたのがアメリカ自身である事は、有名な事実なのです。アメリカの半導体商社が外国企業との輸入契約をまとめると、それを破棄させるようアメリカの半導体メーカーが圧力をかけるのだそうです。かつて日本のメーカーがそれで販路開拓に散々苦労したのだそうですが、88年頃ですら韓国メーカーからの輸入に対してやっていると、ニューヨークタイムズで報道されています。こうした有名な事実が、何故日米交渉で問題にされなかったのかと、佐々木隆雄氏の著書「アメリカの通商政策」でいぶかっていますが、通産省とアメリカとの馴れ合いという事実が解ってしまえば、最早それは謎でも何でもなかったという事なのでしょう。

結局、アメリカが「自由貿易のリーダー」などというのは、アメリカ企業の利益を反映した宣伝が生み出した幻想に過ぎなかったのです。アメリカが実際にやっている事は、要するに「自国輸出産業」の利益のために他国に「自由化(と称するもの)」を要求しているだけに過ぎないのです。それで「相互主義」などと言って、相手国からの輸入を締め出すのだから、これでは率先して輸入を閉ざすのが自由貿易のリーダーか・・・と言わざるを得ないでしょう。「アメリカが率先して自国を解放した」と称して「だから日本も率先して市場開放して、自由貿易のリーダーたれ」と言われて、日本は世界一関税の低い国になりました。それで自由貿易のリーダーと呼ばれるようになったか?

現実には、相手の言い分をホイホイ真に受けるナイーブさに、図に乗った彼等によって「目に見えない非関税障壁」などという言いがかりをつけられて、「日本人が日本語でビジネスするのが、英語しか使わないアメリカ人には障壁だ」だの「道路が狭いのは大型車しか作らないアメリカ企業には障壁だ」だの、とんでもない言いがかりを宣伝されて、ますます不当な「障壁国」のレッテルを貼られただけなのです。「自由貿易のリーダー」などというのは、宣伝が作り出す幻想の中にしか存在しないのが現状です。

では次に、日本は彼等があのような被害者意識を振りかざすほど、市場閉鎖的だったのでしょうか?

先ず、大前提として、根拠である統計上の数値に大きなごまかしがあります。「比率で見て、アメリカの赤字の大半は対日赤字が占めている」と、彼等は言います。よく引き合いに出されるこの統計には、とんでもないごまかしがあるのです。例えば、日本はサウジに対して巨額の赤字を抱えています。では「日本の赤字に占める対サウジ赤字」を計算したら、どういう事になるか。比率というのは分母と分子で構成されます。

対米貿易だって黒字の国もあれば対米赤字の国もある。それを調整して残ったのが「アメリカの赤字」です。仮に日本以外にも、いくつかの対米黒字国の分を足せば、軽く100%を遙かに超える筈でしょう。中学生でも解る数式です。こんないいかげんな統計を「不均衡の健全さ」の目安に使おうという許し難い詐欺行為に、いい大人が簡単に引っかかって、国際政治に甚大な被害を与えてきたのだから、全くもって情けない限りというべきでしょう。

また、「他の国とは均衡に向かっているのに、日本は違う」という言い分を振りかざすのも、きちんとしたデータに基づかない詐欺行為です。アメリカがしばしば使う対EU貿易でも、92年以前6年間の対米輸入増加ペースで日本が平均10.1%、EU11.6%と、殆ど違わないのです。これは、元々の貿易規模が違うために、EUの輸入増加が目立つからに過ぎない。日本が「貿易規模が大きい」からといって、アメリカの輸出能力がそれに対応する訳ではないのです。

ボイス90年6号に首藤信彦氏が繊細に明かしたデータによれば、当時盛んに言われた「内外価格差」なるもののは現実には存在しない事が明らかになっています。実際、構造協議の時に行った協同調査で、日本からの輸出品には価格的差は無く、アメリカからの輸入品のみが日本で高かった。アメリカにいる輸出業者が法外な利潤を上乗せするからなのです。また、急速な円高で「輸出時のドル建て契約」に縛られて価格に円高分を上乗せできないとか、日本の正規価格とアメリカのディスカウント店での旧型品の値引き価格を比べるとか、いかさまな数字を「アメリカ擁護」のためにでっち上げていたのが、実態なのです。

こういう客観的なデータを上げると、「売れないのは目に見えない障壁のせい」などという根拠の曖昧な言いがかり。プライドばかり高いアメリカ人が、事実に目を背けて「アメリカ製品は世界一」という迷信です。「車が左側通行なのは、アメリカの左ハンドルに対する障壁」などと・・・。ユーザーの欲しいものを売るという、商売の基本を忘れた発想で、そもそも物が売れる訳がない。

こんなのを相手にするから、肝心の日本企業までが、今では商売の基本を忘れかけているのではないでしょうか。継続的取引があるから売り込めないというのも、間違っています。あ茶問屋の跡継ぎは、知知り合いの同業者に修行に出されて、努力して扱いの小売りの数を倍にしました。取引相手に英語での商談を要求するようなアメリカ人ビジネスマンは、そういう努力をしなかっただけです。単なる「甘え」に過ぎません。

「民間経済主体の自由な契約」をアメリカ製品が売れないからといって貿易障壁だ・・・などと主張することに対しては、当時の浜田宏一氏がエコノミスト90年5月1〜8日号で、情報構造形態と契約形態との関連に関する最新の経済学成果を引用して、整然とその間違いを論証しています。そしてきちんと反論しない政府を批判しています。

「アメリカのビジネスマンの努力が足りない」という当然の反論に対して、押し売り正当化論の巨頭にして財政破壊的垂れ流し要求の旗頭たるリチャード・クー氏が、どんな横暴な言葉を嘯いたか。「日本より美味しい市場はたくさんある。アメリカ人に売りに来て欲しければ、もっと儲けさせろ」・・・冗談じゃない!日本の希望として「売りに来て欲しい」なんて、誰が言ったのでしょうか。アメリカが「売らせろ」と言って圧力をかけたのではないですか?

醜い開き直りと言う他はありません。彼はアメリカの代弁者として、アメリカの経済官僚から野村へと転進し、経済雑誌で盛んに「公共事業の寄生虫」を甘やかす論を説いて、バブル投機の夢を追う無能な金融マンに喜ばれ、「アナリスト人気第一位」にまでもて囃されるという、日本人として実に情けない話です。

アメリカが「日本の閉鎖性を象徴する事件」としてもて囃したものに、91年の展示会でアメリカ米の展示を「不正輸出」として撤去された件があります。アメリカはこれを「僅かなサンプルを、何と狭量な」と大々的に宣伝し、経済反日感情を煽りました。実際には農水省の役人が「法的処置(普通、強制撤去でしょう)」と言ったのを「撤去しなければ逮捕すると言って脅した」などなど嘘の報道で煽り、それに対して日本側からは何の抗議も無し。ひたすら「理解を求めたい」などとヘコヘコする有り様。

「僅かなサンプル」と言いますが、実はこれと全く同じ事をアメリカは日本に対して行ったのです。アモルファス合金の権威である東北大の増岡教授がアメリカ企業からの要請で学術サンプルを送ったところが「アライド社の特許を侵害した不正輸出」として訴えられ、煩雑な訴訟手続きを強要されてボロボロにされた事件は有名です。日本には「何と狭量な」で自分達だと「ルールは厳密に」・・・。これがアメリカのやり方です。

そもそも米の輸入禁止自体、その根拠である「食料安保論」を強力に支援していたのは、他ならぬアメリカ人です。「アメリカを怒らせたら食料を禁輸してやる。飢え死にしたくなければ言う事を聞け」・・・。こういう「輸出国」としての立場を振りかざすような輩に「輸出の自由」を要求する権利が、そもそもあるでしょうか。

アメリカが行った、最も悪質な保護貿易は、為替操作による相手国通貨吊り上げでしょう。「基軸通貨」の地位を悪用し、その地位を任せた「世界」の信頼を裏切っての円高攻撃。クリントン政権は発足当初から「為替を武器にする」と言明していました。そして、押し売り協議で日本が言いなりにならないからと、円高容認の口先介入によって1ドル100円に迫る数値を出したのです。アメリカは頻繁に、通貨を梃子に脅して押売交渉を行い、日本を含めた世界の「ドルユーザー」に破滅的な為替差損を強制しました。投機筋は「基軸通貨管理国」のアメリカ当局の発言に機敏に反応します。そうした地位を利用した、これは最悪の国際経済犯罪です。ガットでも曖昧な表現ながら禁止していた行為です。

熱狂的なアメリカ擁護論者であり管理貿易推進派である杉岡氏すら「円高の起きるメカニズムを欧米の政策当局は仕掛けることができる」と言明し、だからこそ、それを批判すべきなのに「仕掛けを起こさない配慮」・・・つまりこの国際経済犯罪の脅し目的に屈伏せよ・・・などと。日本財政破壊的垂れ流しの宣伝推進者として、寄生的投機屋に人気のあったリチャードクー氏が「結果主義的黒字減らし・押売容認論」を鼓吹するために最大限に吹き散らかしたのも、円高による脅しでした。「貿易黒字だから当然」などという言い訳が通用しない事は明白でしょう。

「経済のファンダメンタルズから見ればむしろ円高の根拠は薄弱」というのが当時からの常識でした。欧州通貨が市場統合にも関わらず、ドイツの東ドイツ吸収効果で弱含みになっている隙をついて、ベンツェン財務長官の円高期待発言が、円の独歩高を演出(エコノミスト93−3/16)したのです。クー氏の身勝手な円吊り上げ正当化論に対しての経済学の世界的意見は「アメリカの近隣窮乏化政策とすら見える円高が、日本人の中で肯定すらされているのは奇妙なことである(ウォールストリートジャーナル93−12/3)」というものです。

こう言うは従米派は「そうは言っても、貿易の不均衡は問題だ」と言うでしょう。しかし、必要なのは投資による還流を含めた、経常収支の全体的な均衡です。ところが、黒字国からのスムーズな資金還流は「円高差損」によって妨害され、あまつさえBIS規制によって大幅な資金回収を迫られた結果が、90年代初頭の経常黒字激増でした。それに加えてドル表示による「見かけ」の巨額化・・・所謂Jカーブ効果が大きかったのです。吉川元忠氏の「マネー敗戦」では、資本輸出国としての地位が金融センターとしての機能を育て、自国通貨に決済機能を付与する・・・というのが、世界経済史の鉄則だと指摘されています。

日銀・大蔵省はそうした変化を怠り、ドル支配下の元に隷属する地位に据え置かれ続ける資本輸出国というグロテスクな状況を生き延びさせたと・・・、そうした官僚の罪を厳しく糾弾していますが、何故そのような事になったのか。アメリカの「日本の金融パワーを押さえる」ための様々な政治工作、その背後の「支配国としての地位の延命」という確固としたアメリカの国家目標を考えれば、「日本の脅威・ドル支配の危機」を排除するために「円の決済機能」を実現させまい・・・というアメリカの圧力があった事は言うまでもない。

そのために、「宮澤構想」など、目障りにものは片っ端から潰したのもアメリカなのですから。この結果として膨大な為替差損が発生しました。87年頃の「日本資産凍結」の噂も、実は、損失を出したアメリカ国債を売却しようという動きを脅すものだったのですが、こうして大蔵省は民間金融機関にドル投資継続を強要するとともに、バブルの発生と破綻を促し、結果として日本経済をズタズタにしたのです。

実は、アメリカが赤字を重ねる本当の原因は「ドル=基軸通貨」というアメリカの特権にこそあるのです。それは、ノーベル経済学になった「流動性のジレンマ」理論が立証しています。

そもそも基軸通貨というのは、世界中が準備通貨として必要とするものです。それを裏付けとして自国通貨を発行する事になります。そして、市場が必要とする通貨量は国内経済規模に見合う量であり、その分だけの通貨を発行できる訳です。つまり、各国が自国経済発展に見合う量の自国通貨を出すために、それだけの外貨準備としてのドルを必要とする・・・という事は、アメリカだけは世界中の経済成長に見合うドルを発行できる。つまりアメリカは、世界経済全体の成長を担保に、膨大な通貨を印刷・垂れ流しする事が可能になる。

日本など、かつて外貨が足りなかった頃は、ちょっと景気が良くなると外貨が不足し、それに対応するために政策で景気を引き締め、企業はバタバタと倒産しました。そういう限界からずっと、アメリカだけは自由だったのです。それによる恩恵がいかに大きかった事か。「米国は国内市場が良すぎて輸出意欲がわかない(住友商事伊藤正氏)」。まさにこの基軸通貨国の特権こそ、アメリカの赤字の源泉であり、それがもたらす「旨み」反作用に過ぎないのです。その責任を日本になすりつける事が、いかに破廉恥な行為であることか・・・・・

だから、貿易赤字が嫌ならドルが基軸通貨を降りるか、せめて他の通貨と、基軸たる役割をシェアリングする事が不可欠なのに、それを提案した行天財務感官に対してリーガン財務長官が色をなして怒り、単独基軸通貨の地位に固執した事実を、アメリカはどう弁解するのでしょうか。問題解決とは、そうした不合理を是正する事ではないのか!

内外価格差だってその多くはドル安の結果であり、そのドル表示での輸出入契約に縛られ、日本の輸出業者に契約後の円高による差損を彼等に強要したのはアメリカ人輸出業者なのです。その被害に遭った日本人業者を「ダンピング」呼ばわり・・・。

それどころか、果ては最近のアメリカの手当たり次第の鉄鋼に対する明らかな言い掛かりダンピング提訴を、隷米論者は何と言ったか・・・「ダンピング規制で対米輸出が減って生産が減れば採算分岐点を割って結果的に採算割れになる。だから結果的に日本はダンピングをした事になる」・・・と。ダンピングとは、価格競争のために、意図して採算割れ輸出することであって、こんなアメリカによる意図的操作で採算割れすることをダンピングなどと言う筈がない。こんな詐欺的論理を平然とまかり通す・・・、何と狂った世界なのでしょうか。





(私論.私見)