第2章、ユダヤと世界戦争その1 |
(れんだいこのショートメッセージ) |
愛宕北山氏は章を改め、「ユダヤ主義による世界戦争の実態」の解析に向う。当時の情勢分析をそのままに伝えており、そういう意味でも貴重な実録である。 2006.1.17日 れんだいこ拝 |
U ユダヤと世界戦争 |
本第二部は、ユダヤの人類殲滅戦としての世界戦争を今次の世界戦争を中心として検討したものである。従ってそれはその世界戦争の一部としての支那事変に関する論稿をも含み、全体としては時日の古いものより後に配列されている。時局の進展にも拘らず、これらの諸篇に一貫するものが現在にもなお妥当することを筆者は確信している。これらの諸篇によって総力戦の本家がユダヤであり、而してそれがその四千年の歴史の当初から実行されて来ていることを、我々は自覚し得るであらう。最後の小篇も今後の我々に何ものかを示唆すると思われるので採録した。 |
一、ユダヤの人間還元 |
・ユダヤ問題研究根本原則十箇条・・ | ||||||||||||||||||||||||||
|
二、大東亞戦勃発後の世界情勢 |
一 | |
某閣僚は先般の中央協力会議に於て、米英は今年中(昭和17年)を期して反撃に出でんとする気配を示していると説き、またその後の閣議に於ては、米国最近の中間選挙の結果としてルーズヴェルト政権の地盤に搖ぎを生ずることはないと述べたが、前の発言は今年も11月に入った今としては既に多少の見当外れの感を與えぬでもないが、緒戦の勝利の爲にややもすれば弛緩し勝ちな人心を引緊めるためには、かかる発言も必要であったと考えられるし、殊にソロモン海戦以後の南方の状況をも考慮する時には、それはあながち見当外れとも言い得ない事情もあったのであろう。 これに反してその第二の発言は全く肯綮に中ったものであって、ユダヤ宣伝機関の一つであるギャラップ輿論研究所の宣伝調査の発表に一喜一憂することの愚を知っている者には、その輿論調査なるものが伝える所が如何であろうとも、某閣僚の指摘する如き事情の生ずることは前以って予想されたのである。それ故に、もしその報告に「予想通りに」という如き言明があってならば、そのユダヤ祕密力に及ぼす威力は誠に大なるものがあったと想像せられる。 ルーズヴェルト三選の時のギャラップ輿論研究所を先頭とするユダヤ機関の巧妙な掛引に一喜一憂せしめられた愚かな経験にも懲りずに、今なおこの方向より伝えられる報道をそのまま伝えるわが国報道機関の無批判性にも驚かざるを得ないが、しかし思想戦の掛け声の喧しいにも拘らず、責任ある指導的地位の者が今なお適宜の時に敵の急所を突くことを忘れているかの如くに見えるのは、その理由が奈辺にあるかは知る由もないとしても、とにかく大東亞戦完遂途上の我が国の前途になお相当大なる難関が世人の想像だにもせざる方面に潛在しおることを感ぜしめないではおかぬのである。吾人のしばしば説き来った如くに、みづから戦線に出る勇気はなくまた現在では最早その必要をも認めない・・古来もまた然りであったが・・ユダヤは、世界に張り巡らしたる通信社宣伝機関を用いて自己の支配下にある連合国は勿論のこと、中立国のみならず敵性国をも巧みに自己の影響下に置く手段を心得えているからである。 しかし、時代の怪奇性はいよいよ複雜となって来て、昨今わが国の報道機関さえ外電記事のうちにしばしばユダヤの名を見せることがあるが、それすらも却ってユダヤ方面の策謀の結果であると見做さるべき場合・・多くはこの電報の系統によって弁別し得るが・・のあることを否定し得ないのである。我が国に於て、日支事変以来、特に大東亞戦以来、赤化主義者が東亞新秩序を論じ、民族問題を論ずるのみか、団体論までに手を出して、時局の先頭に立ちつつある場合がかなり見られるが、それと怪奇性を等しくするかの如くに、今やユダヤは自己の名の覆い難いのを知るに至ったものか、その名を隱見せしめつつ適当の方策を講じつつあるかに見えるのである。 例えば本年11月9日の某大新聞の第一頁の記事の如きもその一種と見做され得よう。即ちユダヤとアングロサクソンとの不一致を殊更に強調することは、アングロサクソンのみを敵視する我が国朝野をたぶらかすには最勝の方便なのである。ルーズヴェルトのユダヤ血統が真実であるとすれば、世人の眼を欺くためには或いは機会を見て彼を第一線より退けることが既にユダヤ指導層で決定されているのかも知れない。ルーズヴェルトによって事態が現在の所まで進められて来たのであるから、一面に於ては彼のユダヤ的使命は達成されたとも見得るからである。利用価値が消失する時に容赦なくその傀儡的人物を捨て去る・・殺害その他の「清算」手段によって・・ことは、これユダヤの常套手段であることを我々は銘記しなくてはならない。 従って我々は、米議会に於ける少数の「孤立派」の勝利などに有頂天になる愚を避けねばならぬ。この場合にも我々は、ユダヤの両建戦術の巧妙さを忘れてはならない。我々の常に主張し来った如くに、嘘を吐くにも算盤玉をはじく術を心得ているユダヤは、世界の趨勢を打診しまた敵性国の内部情勢を察知する為には、世界及び敵性国の幾割が真実を認識する能力を有するかを前以って計算し、その上にて嘘の宣伝をぬるのである。この間の事情に通曉しない限り、ユダヤ的否定原理の支配的地位に就いている現代に於ては、歴史の運行さえも把握は困難であると考えられる。勿論ユダヤのこの動向に徴することによって世界情勢の全部が把握され得るとは言い得ないであろうが、しかしその正常な認識なき施策は、政治・経済・学身の方面は勿論のこと、軍事の方面に至る迄も迂濶の譏を免れることはできないであろう。殊に現代の如き急激なる過渡の時代に於ては、その指導的階級と呼ばれるインテリ層こそもユダヤ性に富み、その感情・思索・志向に於てユダヤ化されて来ているから、この点の考慮は特に重要なのである。 |
|
二 | |
今次世界大戦の性格は、ユダヤ問題を研究する者の立場より見るならば、ユダヤ人の人類殲減戦である。ユダヤ人がその旧約聖書の日以来一日として忘れることのなかった日が遂に到来したのである。少なくともユダヤ人の主観から見ればそう感ぜられ考えられているらしく見える。而してその第一の根拠は、今次大戦の世界的規模への進展が、エホバの年1941(昭和16)年であったことである。勿論今次大戦は、なお第四幕、第五幕を殘していると考えられるが、それが既に頂点としての第三幕に到達したことは否定し得ないことであらう。エホバ信仰に厚い狂信家としてのユダヤには、大東亞戦が昨年中に勃発したことはエホバの庇護の印として感激の的となっているであろう。而してその後の戦況の経過は、恐らくユダヤのその信仰を益々強化しつつあるものと考えられる。
と書いたし、また某英国紙もその頃この戦は「ユダヤの聖戦」であることを主張したが、その聖戦が「エホバの年」に本格的な世界戦へと進展したのであり、しかもその後の情勢がユダヤの希望通りに向いつつあるのであるから、今やユダヤが如何に滿々たる自信のうちに生きているかは推測に難くないのである。(約百五十字略)【原文のママ】
|
|
三 | |
以上で現大戦の性格とユダヤの動向の大略は明らかになったと考えるので、以下に於ては各交戦国の場合につき考察を加えることにしよう。
とラヴァル首相は言っている。首相に向ってユダヤ擁護を要請するこれらの三つは、第一に加特力教であり、第二は米英系キリスト教徒であり、第三は注目すべきことにも米国の外交官であるが、これらすべてがユダヤ支配下にあることは今更縷説の要もないと思はれる。しかしこの点に於ける正当なる認識に於ても欠如するわが国に於ては、フィリッピン等に於ける施政に思わぬ暗影を生ずることを覚悟すべきであろう。新旧キリスト教のユダヤ支配の現状については今は説明の暇はないが、米国外交官のユダヤ性についてはその大使の十人以上、その公使の五人以上がユダヤ人であることによっても明瞭であらう。例えば前駐日大使グルーの如きも恐らく例外ではないらしく、在留中はロータリークラブ員達の讚歎の的となり、帰国しては戦争熱の煽動に狂奔していることによってもそれは証されるのである。 |
|
四 | |
緒戦の敗戦が米英ユダヤを狂奔せしめつつあることには既に論及した通りであるが、この際に我々日本人として特に反省すべき一大屈辱事件のあることに論及しておきたい。それが何處まで政府当事者によって自覚されているかは筆者に尚不明であるが、日本が道義国であり、武士道国である限りに於ては、次の一屈辱事件は決して闇に葬り去らるべきものではないであろう。皇国の栄誉を傷つけることこれにまさるものはないと考えられるからである。
|
|
五 | |
かくて問題はソ連であるが、ハルビンのユダヤ雜誌「ユダヤ生活」が誇らかに述べている如くに、「ユダヤ教はソ連の国教である」のであるから、このソ連が米国と並んでユダヤの二大牙城たることは言う迄もないことである。否、ソ連こそは、独ソ不可侵條約の頃に於て多少の変調はあったとはいえ、昔も今も全くのユダヤ国であって、ユダヤの地位の確立せる点では、現在の米と雖もなおソ連には及ばないと言い得るであらう。 |
|
六 | |
我々は既に国内の親ユ主義者について多少記述して、それが主としてユダヤ問題に対する認識不足に出来することにも論及し、ひいてその唯物論的志向が必要にかくならしめることをも暗示したのであった。現時局下として最も警戒すべき今一つの傾向は、同じく一面に於ては日本主義を標榜し、国体論を口にしながらも、結局唯物論の魅力圈内に彷徨する狂信日蓮宗の一群である。この外にも財界その他に親ユ主義が存在しており、特に表面的には解消したロータリー・インターナショナルの如き有力なるものもあるが、しかしここでは或る意味に於て現代の指導層に属するか、あるいは責任ある指導者層に直接の影響力を持ち、従って重大なる根本国策にも関係すべき憂のあ髀鼾のみを挙げるのである。(以下約百字略)【原文のママ】
|
三、今次世界戦争の性格 |
一 |
それがこの形に於てこの時期に來ることを阻止せんとして少数の憂国の士が声を嗄らして叫び続けて来たにも拘らず、遂に来るべきものが来たのである。或る世界的なる祕密力の計画通りに、それが久しく予定していた年に予定の世界大戦が予定の方向に向って進行しつつある。しかしそれは、恐らくは少なくとも二度は防止し得たと考えられるし、またそれが結局世界史的必然であるとしても、少なくともその時期の点ではかの祕密力の予定通りに運ぶことを阻止され得たと考えられる。しかし我々は、いまここにそれを詳述している暇はない。また徒らに死屍に鞭つにも忍びないにも拘らず、なお多少意のあるところを述べてみたいと思うのは、なお来るべき日にも、現在の状勢のままにて進むならば、同じ過誤を繰返し、また同じ無意義の戸惑いを繰返すことを恐れざるを得ないからに外ならない。
既に我々によって幾度か指摘されたように、エホバの数15を形成する今年1941年こそは、かの祕密力にとってはその世界制霸の年である。もしこの年を逸するならば、1950年迄は機会がないのである。勿論1941年に失敗すれば1950年を待つであろうが、しかしこの年を無爲に終ることは、祕密力としては、旧約聖書申命記28章にエホバによって示されて居る通りに、祕密力そのものがエホバによって亡ぼされる事になるかも知れないのてある。有史以来エホバのこの命に恐れ戦き続けて来たかの祕密力は、最近事毎に自己の計画の齟齬するのを見て、これはエホバの罰が下りつつあるのではないかとの恐怖に捉われたるものの如く、今年を期して今や懸命に自己をエホバの罰より救わんとしつつあるのである。 かく言うとき、かかる迷信深い祕密力かいまだに地上に存在することを恐らく人は疑わざるを得ないであろうが、これは旧約聖書とタルムードを活眼を以て読む者には一点の疑をさしはさむ余地のない事実である。しからば我々はこの祕密力の努力をいま何と命名すべきであらうか。これに対して最も明瞭なる表現を用いるとすれは、ユダヤの人類他民族殲減戦と云うべきであろう。これを我々は在来ユダヤの世界制霸運動とか、世界征略戦とか言って来ているのであるが、最近の緊迫した状勢に於ては、今次のユダヤの計画せる世界大戦はその人類殲減戦の名をもって呼ぶとき最もその正当な呼称となるのである。従って今なお近視眼者流の言う如き欧州戦争と独立した独ソ戦争はないし、また欧州戦争又は独ソ戦争と独立した日支事変もないのであって、これらはその勃発の当時より、既に我々の指摘して来た通りに、一個の世界戦争の部分的事件である、今一度別の表現を用うるならば、かの1941年を目指すユダヤの世界殲減戦中の一幕又は一場なのである。 かくて現在の世界には、多少とも世界の真の情勢と世界史の必然的運行とに理解を有する者にとっては、かの「複雜怪奇」などという漢語の成句に相応する現象はないのである。また世界史的な事件の起る毎に戸惑いして、敵も味方も見分け難くなり、世界情勢の変転極まりなきことのみを強調するのは、誠に無定見、無節操、無道義の井蛙の見の持主であるに過ぎない。田に耕す匹夫と雖も、日本人なる限りは、現在では今少しく世界情勢に通じ、いわゆる腹もできているのである。実に現在の世界には、あるいは複雜さはあっても、「怪奇」なるものはないのである。怪奇ならぬものを怪奇とすることこそ怪奇であって、ここにこそ現代日本の行詰りの総原因がある。 しかしこれらの点については、我々の在来の主張に理解のある読者にはこれ以上の説明なくして明らかであると考えられるので、ここに本節の冒頭に論及した回顧に移ろうと思う。かって我々は日支事件が日ユ事件なることを既に事変後一年にして明らかにしたのであるが、その中で既に防共協定が防ユ協定であることを自覚しない限り、それか空念仏に終るべきことに論及しておいたのである。次には同じ観点より既に13年秋に日独伊の軍事同盟を要請したのであったが、近世日本史上の最大〇〇の歴史の一つとしての××××××より約半年先行するのである。今にして思えば、かの時かの××軍事同盟の件が内外の不可思議なる力の活躍によって流産しなかったとすれば、換言すれば防共協定が防ユであることを責任ある地位の者が自覚したならば、従って防共協定が単に対コミンテルン又は対ソのものでないことを自覚するだけの明識を持っていたとすれば、いわゆる欧州戦争はかの時期には起ることはなかったであろうし、また独ソ不可侵条約も勿論あり得なかったのである。 しかし一度独ソ不可侵條約となり、欧州戦となった以上は、もし防共協定で防ユ協定であることに徹していたとすれば、その場合に取るべき策は寸刻も不明となる筈はなかったのである。不可思議なる力の策謀にひきずられた事こそ「怪奇」なのである。この点を暗示しようとして、我々はかって「複雜怪奇と不介入」なる短文を草し、その中に於て、当時に於てかの祕密力の正体が認識されたとすれば、そしてまた日独共同しての真剣の努力が重ねられたとしたならば、恐らくは戦わずしてソ連を改造し、ソ連をしてロシヤ人のロシヤたらしめ、そこに政権を独占するユダヤをして不戦敗に終らし得たかもしれないことに論及したのであった。しかしこの点の日独了解は成立せず、ユダヤ祕密力の英米を使嗾しての画策は、遂にソ連内部に於ても一時搖ぎを示したユダヤ勢力をして勢力を回復せしめ、ここに独ソ戦争となったのである。換言すれば独ソ不可侵条約は全体主義ドイツの共産主義ロシヤに対する思想戦の不戦勝であり、日本の援助によって確立さるべき運命のものであったのである。 かく論じて来る時、現在の世界に於てわが国の一挙手一投足が如何に重大な意義を持つかが明瞭であらう。しかしながら、惜しむらくは、その我が国に現在の世界を動かしているユダヤ祕密(その機關としてフリ−メイソン祕密結社等を含むことは言うまでもない)に対する認識が欠けている為に、枢軸側による世界新秩序の建設は、その途上の大事件毎に最後の瞬間に於てユダヤ祕密力の為に側道へ外れさせられてしまうのである。既にユダヤとしてはかって我々が「世界大戦へと駆り立てるもの」に於て触れた通り、今次世界大戦は幾多の点に於て失敗に帰している。そしてそれが特に独伊に於けるユダヤ認識の結果であることは言うまでもないことである。この理由によって、我々は「前世界大戦に於ける敗戦ドイツの場合」なる短文を物して、我々の時代に処する參考としたのである。 |
二 |
前述の通り、今はただ回顧のみに耽るべき時ではない。今は将来を見るべき時である。しかしながら我々は、永遠の平和とか世界最終戦論などという如き偽装唯物論を弄している程に呑氣ではないし、またかかる空言を弄することによってかの祕密力に意識的にも無意識的にも協力するほどにユダヤ化してもいない。我々はいま我々の足下に迫っている世界の現在の情勢について、我々が今まで見続けて来た観点よりの展望を展開しなくてはならないのである。未来を説くことが総て空想であると称せらるるならば、我々は空想の名も甘んじて受けるであろう。しかし生ける生は未来を含まぬものはないのである。政治も軍略も、生ける人間の世界のことはすべて然りである。
|
四、世界大戦へと駆り立てるもの |
一 |
日支事変の当初以来少数の憂国の士が声を嗄らして、日支事変とは本質的に見て日ユ事変であることを強調し、以て朝野の正当な認識を要求して来たにも拘らず、永年のユダヤの宣伝とユダヤ的教養に災せられた朝野の自由主義者達は殆どその警告に耳を貸そうとしないばかりか、却ってそれをナチスドイツの模倣であるかの如くにさえ見做して、自己のユダヤ性を反省することを肯んじないのである。これは我が国に於けるユダヤ戦術の成功の証左であって、英米を除く欧州が既に次第にユダヤ支配を脱しつつあるにも拘らず、ユダヤ独裁下にある英米の宣伝下にある我が国の自由主義インテリ層は、今なお独伊が第一次世界大戦の前後にあったのと同じ状態に彷徨している。而してユダヤ問題の認識に関する日本朝野のこの落伍は、ユダヤにとっては最も好都合の状況であって、第二次世界大戦の危機の原因も正にこの点にあると言っても、さまで言い過ぎではないのである。それ故に我々は先づこの一小論の冒頭に当って、多くの場合に故意的であるかに見える日本朝野のユダヤ問題に關する認識不足の一例を拾って考えて見ることにしよう。
それは、最近の我が国の読書界を賑わしているフランス系ユダヤ人モーロアの「フランス敗れたり」の場合である。出版社も訳者も金儲けの仕事であろうから深く咎めないとしても、その著の推薦者が、そのユダヤ的教養のためにユダヤの宣伝にのみ敏感なインテリ階級の者であるばかりでなく、最近その性格を諸方面より疑われているいわゆる新体制派の重要なるポストにある者等であるに至っては、日本的日本人は決して默視していることはできないのである。幾千年来、裏切・嘘・搾取・殺戮をエホバの神命として実行し来ったユダヤは、このモーロアの場合にもフランスの真の敗因を隱蔽して、浮薄にしてセンチメンタルな自由主義インテリ層の理解に適する如き事情のみ拾い上げ、その点のみを強調して自己の罪業を抹殺し去ろうとしている。それ故にその所説は、事実の点では嘘でない要素を含んでいるにもせよ、最も根幹的な事実を抹殺している点から言えば、全体としてはこれより大きな嘘はないのである。 しからばこの場合に何が隱蔽され抹殺されているかと言うに、フランスの敗因の最大なるものがユダヤの専横に対するフランス人の反感であり、ユダヤの指令下にあるフリ−メイソン祕密結社の社会的独裁に依るフランス人心の委縮であったという事実である。その他混血による民族的素質の低下等の原因も加わっていたであろうが、何と言っても最大の敗因は上述の二つなのであって、ユダヤの専横の事実は、財界に於けるロスチャイルド一家を始めとするユダヤ独裁のことは論外とするにしても、なほ人民戦線政府首相ブルム、永年の植民相マンデル、前文相ジャン・ゼーの悪業のみを数えても充分明瞭であらう。 ブルムの如きは、百万長者でありながらも社会党を率いることによって純フランス人を搾取することを企てて来たばかりでなく、フランス人を性的に腐敗させる為には我が国に於ても発禁となった「幸福論」をさえ書いたのであるし、マンデルは、その植民相時代にフランスの植民地を実質上のユダヤ植民地とし、日支事変下の我々としては未だ記憶に新たな仏印経由の重慶援助を敢行したばかりか、敗北フランスの最後のレーノー内閣にあっては内相の地位に据って、愛国フランス人を無数に投獄又は虐殺することによってフランスがユダヤ独裁を逃れて独伊に呼応しようとするのを防ごうとしたのである。ジャン・ゼーは教育のユダヤ化に依ってフランスを永久に骨拔きにしてユダヤ独裁の基礎を固めんとしたのであるが、そのフランス国旗を嘲罵し呪詛した詩に依ってフランス愛国陣営の憤激を買っていたのてある。 なお、敗因の第二の原因として数えられた祕密結社に関しては、その歴史乃至性格に関しては今は敍述する紙面を持たないが、それがユダヤの世界政策の機関であることは現在では世界の常識であるから、ここにはそのフランスに於ける代表者の名を多少挙げることで滿足しよう。即ち多少過去に溯るならば、ポアンカレー、ブリアン等の大統領又は首相があり、近来ではショータン、ザロー、ダラジエ、レーノー等何れもそうでないものはないのである。大臣級に至っては、ユダヤ人に非ずんば祕密結社員であったというのであるから、今更名を挙げる暇はない。かくて欧亜黒色混血の異民族ユダヤの独裁下にあったフランス人は、欧州民族であるドイツ軍を敵とは見ず、むしろ解放者として迎えたい衝動に驅られたのであって、この心理的の動きを知る事なしには、如何に装備の点では劣弱であったとは言え、幾十万の軍隊がかくも容易にドイツの軍門に降るということは不可能でなくてはならぬ。殊にこの後ペタン政府が国内改革の第一として先づユダヤ人を公的地位から退け、フリ−メイソン祕密結社を断乎として解散し、昨年11月以来その暴露的展覧会をパリに開いて喝采を博しているのみか、前述のブルム、マンデル、レーノー、グラジエのみならず、精神分析ユダヤ人フロイド、ドイツ系逃亡ユダヤ人ステファン・ツヴァイク、エミル・ルードヴィヒ、19世紀に溯ってはハイネに到る迄を発禁にしている事情も、上述のフランス人の心理を実証しているのである。そして之をドイツの強要であると言うのは、ユダヤ崇拜が不治の病となった盲目者流のみの場合である。 勿論かく言っても、我々は敗戦の罪の全部をユダヤと祕密結社とに帰する者ではないのであって、フランス朝野が久しくユダヤのかかる專制を許し続けていた無気力さに大きな不満を感ずるのであるか、しかし幾千年に亙って裏切・嘘・搾取・殺戮を神命として来たユダヤの巧妙なる侵略戦術を想う時、深き同情を感じないでは居られぬのである。殊にモーロアの著作の如きわが国の朝野に無批判に読まれていることを顧みる時、敗北フランスの思想界が我々に取っても単に外国のそれであるとは感ぜられないのである。 ユダヤ人にとっては、その在籍国そのものが自己に利を齎らし、従ってまた自己の世界支配の完成に役立つ場合には、それを愛する如く裝うのであるが、その見込の失われる場合には、昨日までの表面上の祖国をも今日は敵国として少しも良心に痛みを感しないないのが常であって、敗戦を待つ迄もなく「祖国」フランスを捨てて米国に逃避した「フランス軍人」モーロアの行動も、決して例外ではないのである。これは最近に於て英国系上海ユダヤ人の多くが、英本国の敗色を見て逸早く米国に国籍を移しつつあるのと揆を同じくしている。それ故にもしわが国の朝野にして真に欧州新秩序の目指す独伊との同盟に忠実であろうと欲するのであるならば、モーロアの如き者の著作に対しては必ず充分の批判を以て臨まなくてはならない。然るに殘念ながら日本に於けるユダヤ認識は、敗戰フランスに於けるインテリ層のそれと同一程度であり、前世界大戦に於ける敗戰ドイツのインテリ層のそれとも同一傾向であって、事変下数年の今になってもなお日本の対支出兵の全部を××主義とする東亞連盟論乃至国境抹殺の悪平等主義の東亞共同体論の如き祕密結社的敗戦主義乃至ユダヤ的超国家主義が横行する余地のある事さえ、丁度敗戦仏独の当時と同一の樣相を示しているのである。 |
二 |
時局便乗の赤色乃至桃色主義者が僞裝して皇道主義又は国体科学等の名の下に横行しているわが国の現状が、上述のユダヤ認識の劣弱さに大いに起因することは、赤色乃至桃色主義の総本山がユダヤであることから推察されるであろうが、なおこのユダヤ認識の不足に由来する驚くべき他の錯覚の例が、これまた現在のわが国の重要識者層にある人に於て見られるに至っては、緊迫せる現下の世界情勢の真只中に東亞乃至世界新秩序に邁進しつつある我が国としては誠に心細い限りであると言われねばならない。 即ち、最近の米国の体日侵略攻勢を衝いてアングロ・サクソン民族のみの野望であるとする如き主張がそれである。これは現在の米国の真の支配者が何者であるかに対する認識不足から来るのであって、討英の場合ならばあるいは表面的にかく主張することも適切であろうが、本来欧州各国人の寄合世帶であり、また多くの黒人のみならず、五百万のユダヤ人をも含有する米国に対しては、たとえアングロ・サクソンが数に於て優勢であるとしても、かの野望をアングロ・サクソンのみに帰することは適切ではないであらう。 殊に今では世界の常識である通りに、デモクラシー国の真の主人はユダヤ人であり、米国もまた例外でないことを知る場合には、かかる言説は由々しき不公正でもあるのである。而してもし万一にもこの場合のかかる言説が単なる認識不足に基くものではなくて、米国に於けるユダヤに節操と信義とを売るものであって、皇国の民としてはこれに過ぎる恥辱はないのてある。 しかもこの後の場合も亦ユダヤの本質に対する無智から来るのであって、この民族幾千年の罪業史が明示している通りに、ユダヤは相手が劣弱であることを見れば、それによって必ず軽蔑と虐待とを増して来るのである。民族神エホバの数15を形成する1914年(1914=15)に第一次世界大戦を惹起せしめて味を占めたユダヤが、同じ数を形成する1941年(1941=15)に何を目論んでいるかを洞察する精神力なしに外交をすることは、子供の火弄り以上に危険である。防共協定が防ユ協定であることを知らなかったが爲にそれを空文化した過去の苦い経験を忘れて、日独伊同盟もまたその真の意味に於ては防ユ同盟である事を知らぬならば、それもまた或は空念仏に終るかも知れないのである。 しからば最近の日米間の危機の真因は何であるかというのに、これまたユダヤの世界支配計画の一翼をなすところのユダヤの東洋攻略策の結果であるに過ぎない。即ちユダヤにとっては、自己の独裁下に置いたと確信した欧州が独伊の台頭によって自己の支配を脱せんかに見える状勢を有利に転回させるか、あるいは少なくとも欧州を喪失する代償として東洋を自己の勢力下に置きたいのである。それ故にこの爲には、フランスに於けると同じくユダヤ的フリ−メイソン結社の勢力を用いて、米国人を戦場へ駆り立てんとし、あるいはかの祕密結社員のみで形成されている重慶政府を援助して、ユダヤとこの結社との年来の予定である第二次世界戦争を勃発させ、以てユダヤの世界支配を完成しようとしているのである。 かくて現在の米国が如何なる程度にユダヤ独裁の下にあるかを述ぶべき順序となったが、紙面の都合で極めて簡単に記述しなくてはならないのは殘念である。先づウォール・ストリートが完全にユダヤ支配下にあり、軍事工業もまた然りであることは、英仏等と同樣であるばかりか、新聞・ラジオ・映画等もまた然りであるが、特に我々の注目に値するのは、祕密結社の高級会員ルーズヴェルトを取り卷く者がユダヤ女を細君とするハル外相を除いては大部分ユダヤ人であることである。これは既にウィルソン大統領時代から然りであって、ジュー・ディールと称せられるニュー・ディールも発案実行共にユダヤの手でなされたのである。ジョンソン将軍によってアメリカの最有力と称せられる高等法院判事フランクフルター、実力上の大統領と称せられるバルーフ、ウォール街ユダヤ人の多くと姻戚関係にあるモーゲンソー財務長官、女労働大臣として各種労働組合の指導者であるパーキンス等の名は、それだけで既に米国のユダヤ支配の実状を語るに足るのである。ルーズヴェルト大統領の親戚の者で、彼の政府に反抗する者は必ず不慮の死を招くこと多くの実例を以て証明している者さえあるのである。ニューヨーク州知事もニューヨーク市長もユダヤ人であることは言うまでもないし、また世界的に強力な権限を有するユダヤ法師ワイズも米国に居住している。以上の米国の実状を知る時、かのユダヤの世界戦争への計画がどうして実現の可能性がないと言い得ようか。 |
三 |
ここに於て我々は急ぎ筆を転じて、今回の欧州戦争の裏面の意義を明らかにし、それもまた日支事件が日ユ事件であるのに照応して、単なる独英・伊英戦争ではなく、結局は独ユ・伊ユ戦争であることを述べて見たいと思う。勿論かく言っても、今回の欧州戦争の意味が独伊対ユダヤの戦争であることで全部尽されるというのではないが、しかし英国の真の主人が、国際ユダヤ人であり、またクロムウェル以来のユダヤとの密接な関係からして血液的にもユダヤ化している英国貴族階級であり、更にまたかの英国を中枢とするところのフリ−メイソン祕密結社であることを知るならば、今回の戦争の意味はこれ以上の説明を俟たないでも明瞭であろう。しかしこれは、ヒットラー総統が口を開く毎に指摘している事実であるが、ユダヤ問題に関する認識のない日本通信員の手にかかる時には、英国の国情のみならずヒットラー総統が特に強調している事までもが多くの場合に不明になってしまっている。 とにかく今回の欧州戦では、独伊の勢力の及ぶ所からはユダヤ勢力は容赦なく退却させられているのであるが、それが独伊の占領区域に於ては、その国人の熱心な支援を受けているので、単に前述の如きフランスの場合のみならず、例えば白耳義或いはルーマニアの場合もまた然りである。かくて既にニーチェが予言した通りに、20世紀の欧州は、全くユダヤの支配に屈するかあるいはユダヤの全部的撤退となるかの大変革期に到達していることが実証されつつあるのである。それ故に近来の米国の抗独狂躁と救英狂態とは、反日狂気とは意味を異にしているのであって、対日の場合にはユダヤの攻勢であるものが、対独伊の場合はユダヤの守勢となっているのである。しかしこれを経済的方面から言うならば、ドイツの金本位制経済組織脱却に対するユダヤの反撃に外ならない。即ちドイツの実行している如き新経済制度が次第に世界に拡大して行く時には、世界の金の7、8割とかを独占しているユダヤにとっては、神命による世界支配の資金として世界から掻き集めたこれらの金もその偉力を失ってしまうことになるので、ここにもユダヤが死力を尽くしてもドイツと争うべき理由があるのである。ここに於て自巳の軍隊を有せず、また自ら剣を取って前線に立つことを喜ばぬユダヤは、前大戦の時の英ユ協定の先例を踏襲して今回もまた英ユ祕密協定を結び、英国を先づ戦線へと駆り立てたのであるが、しかもその英国の形勢日に非なるを見ては、デモクラシー擁護の名の下に今や米国をも戦線へ駆り立てようと画策しているのである。しかし前の世界大戰の苦い経験を持つ米国には、二百数十の反ユ団体があると称せられる如くに、真の米国は参戦を欲しないので、ここにユダヤの代弁者であるルーズヴェルト政府の最近の狂態が生じているのである。 かくて我々はここに於ても英国に於けるユダヤ勢力の実情に関して一言するならば、その財界・言論界・軍事工業界に於けるユダヤ支配が勿論である外に、政治的方面に於ても事情は米国と全く同一であることが判明する。即ち、久しい以前から好戦的煽動政治家として著名であったチャーチル内閣には、ダフ・クーパー、アメリー、ハンキィ、アトリー、シンクレヤ等のユダヤ大臣が居るばかりでなく、ウッドの如くユダヤ祕書を有する者、アレキサンダーの如くユダヤ女を妻とする者、イーデン、グリーンウット、マクドナルドの如くフリ−メイソン祕密結社の幹部もあり、首相始め何らかの経路でユダヤと姻戚關係のない者のないことは、既に前に論及した如くに英国貴族の血液のユダヤ化の結果としては当然であらう。而してユダヤが有するブナイ・ブリスO密結社等の如き無数の国際機関を通じて、この英国はかの米国と連絡しているのである。 ここに於て我々はなお筆を進めて、いま論及したユダヤ系諸国際機関の全機構を明らかにし、世界の全ユダヤが幾千年来の世界支配の夢の実現の為にエホバの年である1941年を期して世界戦争へと世界を駆り立てている実情にも言及すべきであるが、既に與えられた紙数も超過しているので、それの記述は他日を待ちたいと思う。しかし以上の記述によっても、世界戦争へと駆り立てるものが結局に於てユダヤであることは判明したであろう。かくて東西相応じての世界新秩序の建設が、その根幹に於て如何なる方向に向ってなさるべきであるかも判明したであろうが、この際に於ける我々の覚悟と準備は、既に充分であろうか。現在の独伊は、既に大世界大戦の前後に於てユダヤ禍を身を以て体験しているので、ユダヤ祕密結社に関する工作は徹底しているから、意識的には勿論無意識的にも内部からユダヤの世界支配に協力する者はないのであるが、わが日本は果してこの点に於て安心すべき状態にあるであろうか。マルクス主義を始めとするユダヤ系思想に対する対策を怠った結果は、事変後幾年にして未だ国内は思想的に混乱を極めているかに見える。而してこの際になお我々をして絶望せしめないのは、わが国体の偉力が最悪の場合にも我々を破滅から救うであろうと云う希望があるからである。切に有識者の反省と覚悟とを要請する。(16.2.8) |
五、日本とユダヤ |
日支事変が単なる日支事変でないことは世人の常識であって、蒋政権の背後が英米であり、ソ連であり、フランスであるとする考え方は、ほぼ世界の常識となっている。そしてこの事は一応は真実であって、我々もまた決してそれに反対するものではないが、しかし蒋政権の真の背景がこれらの諸国そのものではなくて、これらの諸国に支配的勢力を持っている国際的祕密力であることに思い及ばない時に、日支事変そのものの真相が充分に明らかになり得ないことを我々の主張したいのである。蒋政権を援助しているのは、表面的には英米であり、ソ連であり、フランスであるが、事実に於てもそれはこれらの国に国籍を有しているユダヤ民族に外ならないのである。
ユダヤ民族の信仰によれは、「寄寓人」として逗留する国はやがてエホバの神の協力によってみづからの所有となる、というのである。この信仰は、幾千年かのユダヤの歴史が証する通りに19世紀までは文字通りに「寄寓人」として実現されて来たのであるが、実質上のユダヤ解放革命であったフランス革命以来は、表面的には「寄寓人」たることをやめて、寄寓する国の国籍を獲得しその国となりすましつつ、実行されているのである。また彼らは、
というエホバの言を信じているので、その国籍を有する国に決して同化することはしないのである。かくてユダヤは、国籍上は英国人であり、ソ連人である、米国人であり、フランス人であり、支那人であり、日本人であっても、実質的には飽く迄もユダヤ人としての自覚を有しなから、その世界政策を実行するのである。
|
六、日ユ事変としての日支事変 |
一 | |||
ユダヤ問題を知る為にユダヤ人を知る必要のあることは言うまでもないことであろう。しかし、そのユダヤ人を知る為には何よりも先づユダヤ教聖典タルムードを知る必要のあることは、ユダヤ問題に多少の興味を持っている人も、なお十分に認識しているとは言い難いようである。現代の如くに宗教心の衰えている時代に於ては、或る民族の宗教聖典は、その民族の特性を知る十分な材料とはなり得ないかも知れない。 しかし皮肉なことには、宗教排撃の急先鋒であるユダヤ人こそは最も宗教的信仰の強烈な民族であって、かの反宗教運動の正体なるものも、その主張の元祖としてのマルクスが最も熱心なユダヤ教徒であった・・表面上には政略的改宗をしていたにも拘らず・・という象徴的な場合が証明して余りあるように、ユダヤ教以外の宗教の排撃に外ならなかったのである。この事は、現在のロシアに於て、ユダヤ教とその教会堂とが革命前と殆ど同樣に保存され助長されている、という驚くべき事実によってもまた証明される。それ故に他の民族の場合はとにかくとするにしても、少なくともユダヤ民族の場合には、その宗教聖典はユダヤ魂の最もよき鏡であるのである。或る民族の特性はその宗教乃至宗教聖典に於て最もよく窺われる、という言葉は、ユダヤ民族の場合には文字通りに妥当するのである。 しかしユダヤ聖典タルムードは、いわゆるトーラの解釈とその再解釈とより成立しているのであるから、ユダヤ民族の真の姿を把握する為には、先づトーラそのものに就かねばならない。そしてトーラとは、旧約聖書の最初の五卷を言うのであって、これがユダヤ教の真の根本聖典なのである。勿論ユダヤ民族を知るためには、トーラとタルムードの外に旧約聖書の殘余の部分及び新約聖書、なお古くはマイモニデスの著作、新しくは「シュルハン・アルフ」(タルムードの抜粋並びに解釈より成る)、更に新しくはいわゆる「シオンの議定書」と称せられる怪文書等をも知ることが絶対的に必要であるが、しかしこれらが総てトーラ乃至タルムードの解釈、抜粋又は延長であることを考えるならば、トーラとタルムードを知ることのみでも大体に於て目的が達せられることがわかるのである。しかし我々は、この小論では、この問題のみを論じようとしているのではないから、ここではトーラ及びタルムードを中心として、最も根本的であると思われる幾つかの点に関し記述し、以下の考察の序論としたいと思う。 そもそも宗教乃至宗教聖典に於て最も重要な点は、その神観と人間観とにあることは言うまでもないであろう。宗教とは、その根本を神と人間との関係の問題に持っているものだからである。それ故に我々は、トーラからはユダヤ人の神観を、タルムードからはその人間観を見ることにしよう。 さて、トーラによれば、ユダヤの神エホバは、一言にして言えばユダヤの民族神であって、例えば新約聖書に於てキリストの説いている如き普遍唯一の宇宙神ではない。従ってその神は、人間的な過誤を犯し、心変りし、不公正であり、復讐心が強く、殘忍であるが、その神が一個の民族神に過ぎないことは、この神がユダヤ民族に世界支配を約している点に特に明瞭に見られるのである。
我々は今はこれ以上にトーラより引用することを避けるであらう。しかし以上のみをもっても言い得ることは、かくの如き神は一個の民族神としても決して高等なる種類のものでないということである。もし我々をして端的に言わしむるならば、エホバとは即ち一種の妖怪乃至悪魔にすぎないのである。而してこの妖怪乃至悪魔は、その殘忍性を発揮して、異邦人の神を排撃し、非ユダヤ人の王を廢止し、異民族のすべてを滅亡せしめようとするのである。
ユダヤ民族から見れば、ユダヤ人のみが人間であって、非ユダヤ人は豚であり、馬であり、動物であり、時としては動物以下のもの(例えば糞尿)であるとさえ言われるのである。従ってユダヤ人と非ユダヤ人との間には人間と人間との間に成立する総ての関係は成立しない、という結論が生れるのも不思議はないであろう。 |
|||
二 | |||
しかしこの小論の目的は、日ユ抗爭としての日支事変であって、ユダヤ民族そのものに関する評論ではない。しかしそれにも拘らず我々が上述の論をなしたのは、日支事変の真の意味を明らかにすることは、ユダヤ民族の本質とその根本意欲とを明らかにする所なしには不可能だからである。防共をその最も神聖なる意義の一つとする日支事変は、しばしばラジオ等に於て報ぜられる通りに国民黨と支那共産党との抗爭が事実であるのみか、深刻でさえあるとすれは、我々としてはその重要目標の幾分かを失うことになるであろう。 |
|||
三 | |||
その一つは、昨昭和12年12月26日から28日にかけて滿洲国ハルピンに於て開催された極東ユダヤ人協会の第一回会議である。この会議に關しては種々の解釈が下されているようであるが、その議長がカウフマンであり、副議長がベルコヴィッチであり、顧問としてザイグレーフが挙げられている所から見て、この会議の決議もまたあらゆる他のユダヤ人会議のものと同じく、その正体が「宣言」でなく「宣伝」であることは、我々の確信する所である。殊にユダヤの幾千年の歴史を知り、またユダヤが東洋に於て英・仏・ロ等の名の下に久しきに亙って何を策謀して来たかを考える時、その「正義日滿支持」の宣言は、窮地に陷った場合に禍を転じて福となさんが為に、ユダヤが非ユダヤの正直さと正義心とを利用してなす常套的詐欺手段以外の何ものでもないことは直ちに判明する。
チェッコの内情を知る者は、この自由がユダヤ人の自由を意味することを直ちに知るであらう。大統領始めとしてユダヤ人が枢要な地位を独占し得ているチェッコこそは、他国に対する憎悪と他民族に対する圧政との模範たる国であって、これはチェッコが極悪非道のソ連と軍事条約を締結しているという一事のみからも、論壇され得ることであるが、そのチェッコを真の自由の国と称するユダヤ民族が東洋に於てのみコミンテルンを「世界の罪悪の根源」と主張することが如何に真実性を持ち得るであらうか。世界大戦の久しき以前にユダヤフリイ・メイスン祕密結社は、独・墺・ロの三帝国を壞滅させ、その中間地帶に一国を作って欧州撹乱の策源地とすることを決議していたことは文献的にも明らかであるが、その策源地として人爲的に生産されたのがチェッコであることを思えば、そのチェッコがユダヤの樂天地であるのは当然であるが、東洋にもまたチェッコを建設しようとするユダヤの策動に対しては、我々はその宣伝のままにそれを受入れることは出来ないのである。
|
|||
四 | |||
上述のユダヤの近親遠攻の兩戦法を考慮する時、日支事変の日本に対するいわゆる世界の輿論の悪化の真因が直ちに判明するであろう。即ちユダヤは、その金力の独裁下にある世界各国の言論通信機関を総動員して、非事実を事実とし、事実を歪曲して、元来正義心に富む非ユダヤ人を煽動しているのである。それ故に日本が正しければ正しい程、強ければ強い程、日本に対する世界の輿論の悪化するのは必然であって、これは日支事変が日ユ事変であることの真相を掴むことによってのみ理解されるのである。
無国籍漂泊ユダヤ人の象徴であるアハスヴェールの幻想としてここに描かれているものは、ユダヤの世界支配の過去及び未来の姿である。即ち既に英米の二国は完全なるユダヤの支配下にあるが、今や巨大なる支那もまたユダヤの指導に入りつつあるというのである。勿論この点に於ては、英米と等しくあるいはより完全にユダヤの支配の下にあるソ連乃びフランスのことが問題とされていないが、これはユダヤ政策を知る者には自明のことであって、ソ連とその半属国としてのフランスがユダヤの世界支配のための片腕であることは、ユダヤとしてはできるだけ表面に出したくないのである。しかし現在の我々に特に興味あるのは、この文が引用した部分の第三節に於て支那を問題としていることであって、この象徴的なアハスヴェールの幻想のうちに我々は、その自誇と確信のために不用意にも早期に漏らされたユダヤの支那支配の計画を見ることができるのである。
|
|||
五 | |||
三民主義の開祖孫逸仙がフリ−メイソン祕密結社員であることは、我が国に於ても、苟もフリ−メイソン結社に関して多少とも知る限りの人に取っては常識である。しかし、今我々に問題であるのは、彼が単にフリ−メイソン祕密結社員であることではなくて、彼が如何なるフリ−メイソン祕密結社に属するかということである。恐らくフリ−メイソン結社に関する研究の諸先輩にとっては既に明白であったと考えられるが、しかし筆者にとって誠に重大な発見であったのは、ドイツのユダヤ問題研究雜誌「世界闘争」がその1935年の9月号に於て、孫逸仙が在上海のブナイ・ブリス祕密結社の高級社員であることを暴露していることである。なお孫逸仙が同時に支那の祕密結社「天地会」の有力会員であったことも、旧墺國首都ヴィーンで発行された国際フリ−メイソン結社百科全書に明記されている。 |
七、前世界大戦に於けるユダヤの策謀とドイツの敗戦 |
一 | |
限られた紙面に於て課題を詳細に論じ得ないことは自明であるから、この小論では在来の歴史書に於ても見られるような表面的な事実の記述を略することにしたい。かくて我々は第一次世界大戦に於ける軍事的情況が大戦の終末に近い頃に於て如何であったかを見ることから始めよう。さて、当時英国の戦時内閣の一員で後にカナダ首相となったロバート・ボーデンによれば、「1918年の春には英国參謀本部はドイツに降伏する意図を持っていた。連合国側には、ドイツが早急に崩壞する見込は全く立たなかったのである。英国はドイツの戦線の背後で何が起っていたかをまだ知らなかった。ドイツに於て社会民主主義者達がフランスの間諜と共謀して、戦線を背後から撹乱しようとしていたこと、またこの祖国への叛逆行爲がフランスから資金の供給を受けていたことを、英国はまだ知らなかった。フランス首相クレマンソーがその間諜の手から、ドイツは秋には革命が起るという確かな情報を得るに至って、パリとロンドンとは再び勇氣を回復した。英国參謀本部はこの時になって降伏の意図を放棄するに至った」というのである。
|
|
二 | |
前述のコペンハーゲン会議が社会民主主義のユダヤ的性格を暗示していることは改めて説明するまでもないであろうが、なおそれが我々の重大関心の的とならざるを得ないのは、その会議の場所がフリイ・メイスン祕密結社の一種であるオッド・フェロー祕密結社の会堂であり、出席者の殆ど全部が、フリイ・メイスン結社員であったことである。換言すれは、社会民主主義は、ユダヤ的であると同時にフリイ・メイスン祕密結社と密接な連絡を持っているのである。これは赤色帝国主義の創始者のマルクス以来の伝統であって、既に1851年には、「デモクラシーとはフリイ・メイスン祕密結社の子供である」と結社員フィッシェルが主張しているのでも判明する。 |
|
三 | |
最後に我々は、ドイツ敗戦の責任者の第三として政治的カトリック、就中イェズイット結社を挙げたいと思う。而してこれもまた事実上ユダヤと関係深く、教祖キリストがユダヤ人であったことや、聖書(特に旧約聖書)がその本質に於てユダヤ民族の世界征服のプログラムであることを除外しても、法王そのものに幾人かのユダヤ人があり、殊にイェズイット結社は既にその第二代目の統領がユダヤであったのである。この国際的団体は、時としてはフリ−メイソン結社と激しい鬪爭をすることもあるが、しかし共同の敵のある時には直ちに共同戦線をしき易く、例えばかの著名な1922年のアーヘン会議の如きはその好例である。従ってプロテスタント国帝政ドイツがその世界政策の障害であることは自明であり、ユダヤの頭目ラーテナウとイェズイット結社の頭目エルツベルゲルとの間にはドイツ分割の協定さえあったと伝えられている。前者のことは前に論及した通りであるが、後者はユダヤ人であり、またフリ−メイソン結社員とイェズイット結社員とを兼ねていたのであった。その彼がフランスとの休戦協定のドイツ委員としてコンビエーヌの森へ赴いたことは、後の講和条約に際してドイツ代表としてヴェルサイユへ赴いた連中が全部ユダヤ人であったのと共に、なかなかに興味深い事柄である。
同じことをラーテルナウは、「皇帝が白馬に跨ってその股肱と共にブランデンブルグの門を通ることがあるとすれば、世界史はその意義を失うであろう」とその作品「皇帝」の中で述べ、ユダヤの世界支配の成就の過程としてのみ世界史には意義のあることを公言している。かくて旧約聖書以来のユダヤの夢は、戦敗国ドイツに於ては実現したのである。否、戦勝国英米仏に於ても事情は同一であって、第一次世界大戦の真の戦勝者はユダヤのみであったと称せられる所以はここにあるのである。
|
(私論.私見)