2012.11.11たすけあい党声明「我々はどこに向かうべきか」

れんだいこのカンテラ時評№1070  投稿者:れんだいこ  投稿日:2012年11月11日
 【2012.11.11たすけあい党声明「我々はどこに向かうべきか」】

 今年も既に11月になり2012年も残すところ1ケ月半、月日の早いことに驚かされる。11.11日、無性にたすけあい党声明を出したくなったので発表する。

 2011.3.11日の三陸巨大震災、それに伴う福島原発事故の発生。この衝撃が衝撃とならぬままだらだらと経緯しているように見える。福島原発事故に対応できない深刻さが続いている筈なのに被災民及び関連の者を除いて関心が薄くさせられている。復興の槌音も聞こえてこない。福島原発事故を奇貨として脱兎のごとく原発政策から逃げ出し新エネルギー政策へ転換する絶好機会とすべきところ、敢えて意図的故意にぐずぐずしている。しかも原発対策費としての国民負担がエンドレスに厖大化し続けている。

 これは一体何なんだろう。政治がまともでないのは明らかである。加えるとすれば、タイタニックの最後の宴に興じさせられている側にも責任があろう。我々は今断固としてタイタニックから逃げだすべきときである。ここら辺りで、「我々はどこに向かうべきか」を真剣に考えてみる必要がありそうである。

 ここに来て野田政権の衆院解散策動が本格化しつつある。これは何によるのか。奥の院の強権指令発動によるものとしか考えられない。奥の院がかねがね2009衆院選の結果としての300議席を越える民主党議席を邪魔にしているのは事実であるが、それは昔の理由である。この衝動は、小沢派が党内に居残り影響力を行使していた時期に対応する解散策動であった。今、小沢派は民主党を脱党し国民生活第一党を結成している。この時点での解散策動の狙いは自ずと軸足が移動していると考えるべきだろう。

 自公の解散要求なぞ真の理由ではない。そういう理由でなら既に何度かあり得た筈である。自公の解散要求は2009衆院選以来の衝動であって今に始まったものではない。故に、野田政権の目下の衆院解散策動の理由にはならない。しかして残る理由は、国民生活第一党の順調な党的発展を阻止する為のものとしか考えられない。こう考えることによって辻褄が合う。

 かくて奥の院の強権指令による衆院解散が目論まれているのであるが、民主党内には解散反対抵抗勢力が存在する。彼らは、解散によって自らの議席だけでなく党そのものが解体することを予見している。故に、現下の民主党勢力温存こそ大事の観点から解散反対に動く。しかしながら奥の院の衆院解散号令には勝てない。故に年内解散があり得ると云うことになる。解散理由はただ一点、小沢派の国民生活第一党の芽を潰すことにある。しかしながら、こんな理由で解散することが許されるべきことだろうか。

 この仮説に疑問を持つ者を以下の文で説き伏せることにする。一体、奥の院は小沢派の国民生活第一党を何故に執拗に排撃するのか。この問いに対する回答こそ現下政治の抗争軸を解明するキーがある。これを説明すれば、それは国民生活第一党が戦後日本の自由自主自律的歩みを体現する最後の橋頭保的政党になっているからである。この党の進捗によってコントロールができにくい日本になることを警戒して双葉のうちに芽を摘むべし、これが奥の院の衆院解散指令理由となっていると読むべしであろう。このことを逆に云えば、自公政権、民主党三代政権ほど御用聞き政治はなかった、ないと云うことでもある。その反作用として国民生活第一党が生み出されたのであるが、こういう場合に彼らが常用するのはいつでも外科的手術である。そういう知恵しか持たないのが奥の院の伝統的手法である。

 思えば、奥の院の小沢どんバッシングは2009衆院選前から始まっている。来る衆院選の結果、自公政権から民主党政権へ移行することが必至と見定め、何としてでも当時の小沢代表を引き摺り下ろし、懐柔し易い鳩山を代表の座に座らせた。これが小沢秘書収賄事件から始まる小沢バッシングの政治的背景である。

 このシナリオに乗り小沢秘書収賄の現場証拠を捏造してまではしゃいだのが日本共産党であった。それは田中角栄を葬ったロッキード事件の際のはしゃぎぶりと全く同じである。日本共産党がこのように使われていることを改めて確認し弾劾せねばなるまい。この党がいつからどのように変質したのか。これを論考することは興味深いが未だ趣味者界隈の域に止まっている。いずれ不破の目の黒いうちにやらねばなるまい。明日の11.12日、4年有余に及ぶ不毛な小沢どん訴追裁判の最終判決が下される。「司法の正義」を凝視確認せねばなるまい。

 もとへ。日本政治にも他国同様にこのように奥の院支配が貫徹しているのであるが、彼らは、この日本をどのように料理しようとしているのだろうか。ここでは短期的なものは問わない。長期的に日本をどう料理しようとしているのだろうかと問うことにする。一つの仮説は、日本人を僻地に追い込み、都市部を奥の院派が住むと云う棲み分けの日本にしようとしているのだろうか。例えて言えば、現下の日本人が縄文原住民と見なされ、日本史上かって行なわれたアイヌ人排撃のように次第に僻地へと追い払い、その後に奥の院派外国人が居座る。インディアンが追い払われたアメリカ建国史がこれである。この間を調整する人種として弥生人が生まれ、お膳立てする。こういう日本に誘われようとしている可能性がある。この説によれば、日本を支配する政財官学報司警軍の八者機関上層部は売国弥生人として自己形成しようとしていることになる。

 もう一つの仮説は日本人ジェノサイドである。目下の原発政策の動きを見れば、既に日本各地に50基以上敷設されており、予見される水資源汚染、土壌汚染が進行すれば日本の今後は到底、人が住めなくなることが明らかである。さしもの世界に誇る山紫水明の豊葦原の瑞穂の国も生物が住めない荒野にされる恐れが強い。原発をこのように捉える見方はまだ少ないが、原発では後から気付くのは遅すぎる。その異常な悪魔科学性に気付くべきである。仮に導入時に予見できなかったことは免責されるにせよ、今日の時点でなお気付かないのは国民レベルならいざ知らず政治家レベルでは有責である。それを何たることか現時点でも原発続投の旗を振り続けるなら、これは死刑をもってしても償えない。かく認識するべきである。

 原発の危険性はまだある。原発基地を軍事的に攻撃されたらどうなるか、これについて原発推進派は誰もまともに答えられない。更にある。まさかとは思うが、奥の院側から見て日本がコントロールできない国になった場合、用意周到に仕掛けられた起爆装置が開弁される仕掛けがあるのではなかろうか。

 奥の院が対日処方箋を棲み分けで行くのかジェノサイドで行くのか最終判断はしていないと思われるが、どちらにしても至極迷惑なシナリオであろう。こういうシナリオが杞憂に過ぎないのであれば、それに越したことはない。安堵できる訳であるから本望であるが疑念が消えない。問題は、自公民派が頼りとしている国際金融資本はこれぐらいのシナリオを平気で描く人種であると云うことである。そういう危険な人種の懐に日本を人身御供させようとしているのが自公民派の政治であり、これほど危険愚昧なものはない。れんだいこが自公民派政治を断固として拒否する理由であるが誰か共認せんか。

 れんだいこのこの危惧を一笑に付す者に次のことを問いかけて見たい。将来の日本がどのように扱われるのかは別として今現に進行中の日本をどう考えるべきか。凡そ政治がまともならあり得ない方向にばかり誘導されているのではないのか。次にのべるようなことは決して偶然ではなかろう。

 まず経済の失速が異常である。日本はバブル経済の破綻以降、ずるずると長期不況に誘われており一度として景気回復していない。バブル経済は1986(昭和61).12月から1991(平成3).2月までの51ケ月間に及ぶ狂乱経済であった。これも怪しげなものであったが、ここでは問わない。問いたいことは、その1991年以降、一度として好景気の循環に入っていない不自然さである。それは好不況が循環する経済法則に反している。これは意図的故意の政策によってもたらされているのではないのか。政治力によって経済失速させるような措置のみ施策されている現実があるのではなかろうか、これをどう考えるのか。

 三陸巨大震災後の復興の遅れが象徴しており、それは意図的故意のものではないのか。なるほど予算は注ぎ込まれているが将来の経済成長に役立たない方向と方法に傾注している感がある。民主党政権下で予算の仕分けが為されたが、同様な観点から為されたと思った方が良かろう。その予算もハゲタカとビラ二アとネズミが食っているのは衆知の通りである。がれき処理が未だに進まず、仮に進んだとしてもわざわざ途方もない金額になるように細工した上で冗費している。除染費用も然りで見せかけの気休めに大金を費やし、それもキリがない。海の者を山に連れて行く復興計画然り、海が見えなくなる高さまで防波堤を築く高さ競争計画等々、全てが悪い冗談としか思えない施策のみ講じられている。しかして現地復興に役立つグランドデザインは生み出されず小手先対応に終始している。これは意図的故意のものなのではなかろうか。

 「政治力によって経済失速させるような措置のみ施策されている現実」は、民主党の2009マニュフェストの主要政策の一つであった高速道路無料化法案の消失でも裏付けられる。この政策は景気回復の起爆剤として期待されていたものであった。ところが民主党三代政権は、この政策に限っては断固としてやらせない方向にリードして今日まで経緯している。誰かこれを他の理由で説明できるだろうか。無料化では財源がなくなると云う理由で反対した者に対してはガソリン税の据え置きで論拠を失わせたにも拘わらず断固として実施しない。「近距離2千円、遠距離1万円」と云う次善策で実施する方法もあるところ、結局何もしないままに反故にされて今日に至っている。当時、前原国交相が任についていたが、させない任務を帯びて立ち働いたとしか考えられまい。できない筈がない高速道路無料化を断固としてやらせない政治力の背景にあるものを窺うべきではなかろうか。

 思えば、この間の銀行、証券、損保、生保の統合化の動きも怪しい。結局は外資の軍門に降っただけで日本経済に資するところはない。そうした経済の失速ばかりではない。その他その他の失政が押し寄せており、しかもそれが意図的故意の政策のように思えてならない。医療、年金、教育の荒廃も酷いがここでは指摘するに止める。伝統的な日本食に馴染まない過剰な肉食化、薬や酒や化学飲料、遺伝子組換食品の規制緩和も怪しい。セックス(Sex)、スクリーン(Screen)、スポーツ(Sport)の3S政策然り。これらは庶民の楽しみであり、個々については批判されるべきではなかろうが、対極的に失わせられたのが伝統的な風習であり、政治経済文化への興味であることを思えば由々しき事態ではなかろうか。こうして健康が蝕まれ精神が蝕まれている。所得格差が広がり日本の伝統的な互譲、助け合い精神が毀損させられている。従来の日本社会にはなかったような凶悪変質型の犯罪が増えつつある。人が獣化しつつある。あぁこういうことを書き始めたらキリがない。

 それらが皆な意図的故意に生み出されたものではなかろうかと疑う必要がある。日本人がどんどんスポイルさせられ、原発放射能汚染も含めて日本人と国土が長期的に生体実験されている気がしてならない。要するに、今進行中の政治が意図的故意の悪政なのではなかろうか、このことに気づくべきではなかろうか。日本がン千年に亘って育んできた諸能力に対する意図的故意の暴力的解体壊滅策動が持ち込まれているのではなかろうかと疑いたい訳である。

 我々は、そういう政治をさせる為に選良を雇っているのだろうか。国会議員一人当たり総合で3億円にもなる税金を注ぎ込んでいると云う。これを手にする議員貴族が力及ばずとも日本の為に尽力するのならともかく、良からぬ企みで日本をコントロールし続ける奥の院の雇われとして奉公しているとしたら許されようか。れんだいこには、資性劣悪なる者が引き上げられ権力を握り野蛮な宴をしているようにしか見えない。恐らく1970年代以降、80年代初頭に中曽根政権の登場で始まった。ナベツネ派の権勢絶頂の始発である。こういう政治との決別、これが望まれていると確信して止まない。

 2012年末衆院解散があろうとなかろうと、奥の院の指令通りにうごめいて忠勤する現下の政治に対する怒りなくしては何の意味もない。かくまでモルモット化されつつある日本に対して断固とした拒否の回答を与えずしては日本の歴史に申し訳ない。日本の政財官学報司警軍の八者機関上層部に巣食う国賊を一網打尽にして本国へ送還せねばならない。その為に何をすべきか、これが今問われている政治テーマである。どの課題に対しても抜本的改革が要求されている。既得権益網の一掃なしには何も進まない。今こそ日本の地霊が武者振いして立つ時、これをメッセージしておく。

 2012.11.11日 たすけあい党首れんだいこ拝

 jinsei/


【上記声明文批評】
 「龍玉 Real yogi pure heart」の2012.11.13日付けブログ「幻想を超えて 魂ありき 人間と して 生き残るが為のが次のように評している。感謝申し上げておく。
 添加物 放射能 偽善に麻痺した日本人 僅かなCHEEPな陶酔と報酬に涎を垂らし 家畜人としての欲望という名の幻想に塗れてゾンビとして生き残るのか? それとも誇りある 人間として 生き残るのか・・・・以下に紹介する れんだいこ氏の 言論活動は 筋がある 本物の言論人 批評家の一人だと思う。(以下、「2012.11.11たすけあい党声明「我々はどこに向かうべきか」略)




(私論.私見)