2010.1.1たすけあい党新年声明 |
Re::れんだいこのカンテラ時評638 | れんだいこ | 2010/01/02 |
【2010.1.1たすけあい党新年声明】
2010年、単に新年と云うばかりでなく、新しい時代の潮流の息吹を伝える新時代元年の年が明けました。皆様、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。 (個人的なことではございますが、昨年末にメール操作の誤りか過去3年分の交信記録が消えてしまいました。その為、あの方この方に年賀メールを出せておりません。本声明をもって、賀正挨拶とさせていただきます) 昨年は遂にと云うべきが、衆院選で戦後史の与党政治を司どってきた自民党政権が壊滅的打撃を受け、民主党に政権を明け渡しました。これにより自公政権から民・国・社政権への転換が為されました。民・国・社政権の政権運営は3カ月を経過しておりますが、選挙前の数々の公約実現に未だモタモタしております。日本人民大衆はヤキモキしておりますが、今しばらく様子を見守ることになりそうです。 この間、検察の突撃隊たる東京地検が民・国・社政権中枢の鳩山首相、小沢幹事長に対する執拗な国策捜査を開始しております。政治と云う子供の喧嘩に大人たる検察が介入し、民・国・社政権壊滅に一役買っている感があります。三権分立制が、よりによって法の番人たる司法の側から攻撃されると云う異常事態に陥っております。不快ではありますが却ってロッキード事件以来の検察の政治主義ぶりが露わになって、それも良いかなと受け止めております。いずれまもなく東京地検の異常なハシャギを指示している背後の勢力、その奥の院の動きが見えてくることになるでせう。この連中を成敗しない限り日本の再生はあり得ないと思われます。 2010年は、新時代の動きと反動のそれが交差しつつ揺れ動いて行くことになると思います。思えば、2010年は、1945.8.15の大東亜戦争の敗北降伏より65年目に当たります。歴史哲学の世界に65年周期説があります。それによると、歴史は65年単位で新しい革袋を生みだしているということです。平家物語の一節に「奢る平氏は久しからず」とある通りです。この説に従えば、丁度2010年が戦後から数えて65年目の節目になります。れんだいこは、この説を受容し、2010年を新時代元年と認識しております。 この新時代を捉える際の留意点について述べておきます。従来、日本左翼運動は、その標榜するところの革命的観点から既存の体制を否定するところから論を起こしがちになる傾向があります。戦後秩序をブルジョア的なそれとして否定し、右派は体制修繕運動、構造改革路線へ向かいました。左派は体制転覆、プロレタリア革命を呪文のごとく唱えて権力と武闘して参りました。その結果の現状は、今あるがままの皮肉な情勢でしかありません。こうなるとどこが間違っていたか総括すべきです。方法論ではなく原理論的なレベルで歴史を掴み損ねていたと受け止めるべきです。 れんだいこは、別の観点を打ち出したいと思います。日本は、太古の昔から今日に至るまで、世界史上稀なる「なんだかんだ云っても割合と良い社会、国」であった。他国との相対的な比較に於いてですが、ますかく認識する必要があるように考えております。更に云えば、戦後日本は、大東亜戦争の敗戦を通じて、歴史の僥倖か必然かは定かではありませんが結果的に、戦後憲法秩序に体現されたプレ社会主義的体制を獲得していたと窺うべきです。ソ連邦の解体後もマルクス主義の魅力が踏みとどまり得たのは、「実はソ連邦、中国、東欧等々の社会主義は社会主義ではなかった。戦後日本が具現したものこそ社会主義であった」とする知見によってです。戦後日本はそれほど魅力的な社会だったと考えるべきです。その「割合と良い社会、国」が次第に、中曽根−小泉政権以来は急速に破壊されつつある、故に闘わねばならないと考えております。この時代に、中曽根−小泉政権的構造改革路線と親和するような動きを見せた日本左翼運動内の党派、自称インテリ左派が居たとすれば論外として放逐、自己批判を迫らねばならないと考えております。 我々が今闘う基点は、日本が悠久の歴史を通じて培ってきた共生共存の思想、仕組み、共同体の護持です。故に、この基盤を壊す者たち、制度、手法と対決せねばなりません。このことをしっかりと踏まえなければなりません。日本が悠久の歴史を通じて培ってきた共生共存の思想、仕組み、共同体の擁護と発展を目指すのが是の流れであり、これを壊す流れを邪と分別すべきです。これを論証するのは別の機会に譲りますが、世界史上に於ける日本の位置づけをかく確認すべきです。この認識に至らない自称インテリばかりを輩出しておりますが、根本のところが分かっていない無知蒙昧な輩でしかありません。 それもその筈で巷に溢れているのは邪道テキストばかりであり、それ故に下手に学問すると学んで余計にバカになります。そういうバカな自称インテリが大量生産され、その一部がマスコミの寵児となって日ごとに我々を説教し続けております。現代日本を牛耳っている政財官学報司の六者機関の上層部は、こういう連中ばかりで占められております。そういう日本になってしまった訳です。我々はまず、この構図を打破せねばなりません。その為に各戦線に於いて有益な学問テキストを創出しなければなりません。その見分けをどうすべきか。これを簡単に申せば、我々の脳のシワを増すような学問に営為せよ、脳を骨粗鬆するような学問を唾棄せよ、云い伝えされてきているところの年齢に応じた季節感のある寿命の費やし方を工夫せよ、規制強化による生きた屍的生活化への謀りごとと闘え云々と云うことになります。この観点から、各自が営為努力すれば宜しかろうと云うことになります。 れんだいこは、階級闘争論を拝戴致しません。ああいうものの見方は思想の通過点として反面教師的に学ぶべきです。学ばないより学ぶ方が良いのですが、学んで咀嚼すべきです。生硬な階級闘争論は、害にはなっても役に立ちません。もっとも、学ばずして排撃するばかりの手合いに対しては、階級闘争論の値打ちを語り反駁したいとも考えております。しかしながら、階級闘争論はそのままでは使えない、もっと練らねばならないと考えております。生産管理、職場管理の思想を打ち出し磨くべきです。労農階級は歴史の主人公足る能力を身につけ、その大道へ歩を進めるべきです。 もとへ。2010年は、民・国・社政権が切り拓く地平の成果を継承し、これを更に強固なものへとすべしと考えております。第一次内閣として鳩山政権が登場しましたが、左右連衡のやじろべえ的性格を持っております。我々は、この政権の左バネとして位置し扶翼し、右派的動きに対する警戒を強めねばなりません。これを代表するのは、目下のところ前原国交相、北沢防衛相、中井国家公安委員長、続く岡田外務相ラインです。他にもいるのでせうが動きが見えておりません。このラインは、自公のシオニスタン政治と何ら変わるところがなく、否むしろもっと露骨に現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義の下僕としてエージェント化しております。この連中が、かく働くであろうことを承知していながら登用した鳩山首相の胡散くさいところです。 我々は、「外治より内治優先、軍需費より公共事業優先、軍事産業ではなく平和環境産業の育成、中小零細企業まで活性化する経済成長政策による税収の自然増、国民の生活と諸権利擁護、消費税の利率アップどころか悪税の廃止、公務員の天下りに伴う高給制度の廃止、国際友好親善協調政策への取り組み」等々を掲げて、これと真っ向から敵対するシオニスタン政治と闘わねばなりません。思い描くべきは、戦後日本の国土復興から高度経済成長時代の在りし日の日本の姿です。軍事予算はGNPの1%枠に閉じ込められ、消費税などなく、雇用・年金・医療制度が確立していました。必要な公共事業が次々と着手され社会資本基盤が整備され続けました。あの頃の日本は、世界史上のお手本的な善政であったように思います。これを論証するのは別の機会に譲りますが、かの時代の日本をかく確認すべきです。その時代のコンピューター付きブルドーザーが角栄であったのは云われる通りです。れんだいこが角栄を信奉する所以です。 その時代は、ロッキード事件勃発、続く1980年代初頭の中曽根政権の登場とともに壊されました。「あれから40年」、日本はかくも惨めな国に転じてしまいました。国債の累積債務は天文学的です。遂に国庫収入が新規国債発行額を下回ると云う異常事態に陥ってしまいました。一体、誰がこんな時代を呼び水したのか、憤りなしには認められません。とはいえもはやあれこれ云ってもキリがありません。後悔よりもこれからが大事です。2010年は、失われた日本の値打ちを認め、再興すべき新時代の元年とすべきです。れんだいことたすけあい党は不惜身命、歴史に身を預けたいと思います。本年も熱い支持と御カンパよろしくお願い申し上げます。 2010.1.2日 たすけあい党首れんだいこ拝 |
(私論.私見)