2009.3.8検察の小沢潰し国策捜査を糾弾せよ |
(最新見直し2009.3.8日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
我が党は、「2009.3.4小沢第一秘書逮捕」に続く検察の不当国策捜査を糾弾し、以下の声明を発する。 2009.3.8日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評547 | れんだいこ | 2009/03/08 |
【たすけあい党声明「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件」考】 「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件」に端を発して、早くも小沢辞めろ論が跋扈している。れんだいこがたすけあい党を代表して声明しておく。 この事件は明らかに国策捜査である。小沢民主党代表の国策捜査批判は当然の反論であり、我々はこの反論観点を支持する必要がある。民主党内部から小沢代表に対する「云い過ぎ」批判の声が聞かれるがお粗末限りない。断然、新政権の芽を潰させないとする観点から一手一つになって検察批判に向かうべきである。我々は、ロッキード事件以来ぶりがつき日常茶飯となった「検察の政治主義性捜査」に批判の声を挙げるべきである。 検察が正義ぶるなら、このところの国民的政治関心である「かんぽ元国有施設の不正払い下げ事件」の究明に向かうべきであろうに、何ゆえこれに向かわず黒にするには相当無理がある選挙資金規制法違反容疑で逆対応的「小沢潰し」に向かっているのか。これを訝らねばなるまい。この疑問を解くには、ある歴史観が必要である。この歴史観がなければ、いつもの世論誘導に乗せられてしまう。ロッキード事件の時は酷かった。今から考えると全てが無茶な角栄潰しであった。 その歴史観とは、日本のみならずであろうが現代世界の政財官学報司の六者機関を牛耳る真の支配者として影の政府となっている国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの暗躍をトレースする手法を云う。この観点から政治事象を読み取れば、戦争も革命もクーデターも、こたびの「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件」も裏事情が容易に透けて見えて来るから不思議だ。 2009年は、イスラエルのガザ攻撃で幕開けした。国際金融資本帝国主義ネオシオニズムがパレスチナに於ける大イスラエル計画構想アジェンダの下に執拗に策動し続けていることが判明する。彼らにとっては、国際金融危機も織り込み済みのことかも知れない。ただひたすらに狂気の世界支配に向かい続けていることが分かる。れんだいこは、現代パリサイ派の悪行とみなしている。 その彼らは今、養豚政策で太らせた戦後日本を便宜に利用しようとしている。一つは国富の収奪であり、いろんな名目をつけては支援金、協賛金を収奪している。この政策の還で、民族系優良企業の外資化、「埋蔵金」の濡れ手にあわ式詐取が進行している。国営企業の相次ぐ民営化もこの流れで捉えれば良い。もう一つは、一刻も早い自衛隊の参戦化である。日本をアジア、アラブと闘わせるシナリオが進行中である。自衛隊は既に日米合同軍事訓練を年々積み重ねており、いつでも参戦できるようスタンバイされつつある。憲法改正はこの流れで捉えれば良い。若年層の派遣社員化も自衛隊員予備軍づくりとして政策的に生み出されている可能性がある。 もとへ。その彼らの日本政界を御する戦略から見て邪魔な存在がある。れんだいこの見立てるところ、日本戦後政治史上のハト派である。現在に於いては既にかって存在した保守主流としてのハト派は居ない。吉田茂−池田隼人−(佐藤栄作)−田中角栄−大平正芳−鈴木善幸系譜の政治イデオロギー及びその政策は久しく地下に潜っている。現在残っているのはねじれハト派でしかない。ネオシオニストは、この勢力による昨今の自公政権打倒の動きを警戒している。それゆえ、ねじれハト派でしかなくても陰に陽に機会を見つけては最後的掃討に目を光らせている。 この間、対極的に勢力を増長してきたのは福田、中曽根系のタカ派である。この戦後タカ派は、戦前の皇国史観に基く右派系タカ派ではない。現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義の御用聞きを専らにする売国奴系タカ派である。これに忠勤すればするほど名宰相の称号が与えられる。逆の場合には暗愚とののしられる。この仕掛けを思えば、中曽根、小泉が名宰相とされている秘密が分かろう。定見の無いマスコミはワシントン情報を基準にする癖があり、これに従って今も御用提灯している。ここまで述べれば、「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件」の裏事情が透けて見えて来たであろう。 この問題で確認せねばならないもう一つの視点を提供しておく。一般論になるが、我々はそろそろ「政治とカネ」の基準目線を確立しておくべきではなかろうか。政治家には、私腹を肥やす場合と党ないしは派閥を維持する場合と政策実現の為の三方の理由からカネが掛かる。これをどう容認し規制すべきか、この基準を確立せねばならないのではなかろうか。 一見、共産党的個人のみ献金論が正義のように思える。しかし、何事にも物事には良い面と悪しき面の両面が不即不離にある。「共産党的個人のみ献金論」は、政治家を常に金欠状態に追いやり、党中央の言いなりロボット党議員にしてしまうと云うデメリットがある。政治のダイナミズムの見地からすれば、決して正論ではない。他方、献金を野放図にすると、議員が巨額献金先の言いなりロボット族議員にしてしまうと云うデメリットがある。つまり、「政治に於ける政治とカネ問題」はジレンマにあるということを知っておく必要がある。 これについて思うのに、こたび小沢代表が弁明した際の論法は傾聴に値するものがあった。曰く、政治資金をいただくのに個人からも企業からも業界からも可であり、但しいずれも政治資金帳簿に記載し公開する義務がある。議員は選挙の洗礼を受ける身であり、選挙民は議員の政策と活動と献金リストを判断しつつ投票することで政治に於けるチェックアンドバランスが担保されている云々。企業献金に基く特定受注活動が露骨に行われていたとしたなら政治責任が問われるべきであるが、そういう事実はない云々。 思うに、これは卓越した見解ではなかろうか。政治の現実を踏まえた良識的叡慮を語っているのではなかろうか。マスコミと自称知識人は条件反射的に政治に纏わるカネを批判合唱する癖があるが、いくら正義ぶってもぶてばぶつほど現実から遊離するのではなかろうか。こういう小正義派が跋扈し過ぎており、その分本音の話ができないのではなかろうか。 これをたすけあい党の例で考える。我が党はこうしたいと思う。個人献金も企業献金も業界献金も、くれるところから全部貰いたい。企業献金に基く特定受注活動も、それが社会公益的に役立つことであれば遠慮なくさせて貰う。口利き料として謝礼が為されるなら全部貰い政治献金帳簿に漏れなく記帳する。但し、献金受け取りの上限額を決めておきたい。個人は自由、企業献金は1千万円以内、業界献金は1億円以内としておきたい。選挙等で必要な際に借りることができるようにもしたい。党議員の場合には、個人は毎月1万円以内、企業献金は1千万円以内、業界献金も1千万円以内としたい。パーティー券は、党の場合にも議員の場合にも常識の範囲としたい。これらはすべて帳簿付けせねばならない。 かく思っている。これで何らやましいことはないと思っている。政治家は政治が本業であり、本業で精査批評されるべきであり、下半身やカネ目の問題でスキャンダル化されるには及ばないと考えている。現代政治批評はここが逆転しており、政治家が政治で判断されず、スキャンダルで失脚させられてばかりいる。これでは政治家が育たず、結果的に良い政治が行えなくなるのも自明であろう。相撲取りは土俵で、歌手は歌で判断されるべきであり、政治家も同じことであろう。 もう一つ、「2009.3.4小沢第一秘書逮捕事件」の臭い面を確認しておく。仮に政治利権が悪いとして、利権は大きく見て公共事業利権と軍需利権に分かれていることを知らねばならない。ハト派が前者に食いつき、タカ派が後者に群がる傾向が認められる。興味深いことは、検察司法が槍玉に挙げるのは専ら公共事業利権の方である。中曽根−小泉系譜の軍需利権は叩けばホコリが出るであろうが、検察は向かわない。先の防衛次官の不正追求も不自然な形で沙汰止みにされてしまった。この選別特捜は何を意味するのか。れんだいこが繰り返すまでもあるまい。 結論。アメリカではオバマ革命によりチェンジが始まろうとしているが、それが上手く行くかどうかは別としてアメリカではブッシュ的戦争政策からの転換が始まっているこの折に、日本は手薄になる米軍の後釜の役割を引き受けさせられようとしている気配がある。日本は相変わらずブッシュ的戦争政策に追随していることになる。その為に日本版チェンジを画する頭目の小沢が邪魔になっており、こたび司直の手で潰されようとしている事態として受け止める必要があるように思う。検察の正義と云っても、この程度のものでしかなかろう。検察の正義を提灯する者が揃って馬鹿顔しているのも辻褄が合っていよう。 2009.3.8日 れんだいこ拝 |
「阿修羅♪ > 政治・選挙60」の忍・氏の2009.3.19日付け投稿『政治献金は本当に「悪」?(反戦な家づくり)』」を転載する。
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(私論.私見)