政治処方医学会創設のお知らせ

 (最新見直し2009.5.26日)

Re::れんだいこのカンテラ時評574 れんだいこ 2009/05/26
 【政治処方医学会創設のお知らせ】

 2009.5.19日、稀代の異能思想家・太田龍・氏が逝去した。れんだいこは丁度この頃より長患いがあり今も微熱が続いているが、寝床での寒気の中で政治処方医学界の着想を閃かせた。太田龍氏の逝去とは一見何の脈絡もなかったが、元気が回復するに応じて、ふさわしい弔い方だと思った。太田龍氏のめぐるめく思想遍歴は、「代々続いた漢方医の家系」という頭脳が為せる技であったと思えるからである。

 医業は、病体を検診し、病巣を探り、適した処方を生むことでもって一仕事とする。問われ責められるかは別にして常に結果責任を負っている。太田龍氏の思想遍歴は、この結果責任を常に引き受けるところから始まる苦闘の履歴であり、積み木崩しのような否定の否定の長旅であった。最後に確立したのは、ネオシオニズムの世界席捲という病魔に対する思想闘争史観であった。この地平に辿り着くことにより遂に階級闘争史観を相対化し得た。あちこちで幾つかの脱線もしているが、これが氏の史観を貫ぬく紅い縦の線である。

 れんだいこはこの観点を引継ぎ、これをベースにしながら、その長所をより広く発展応用せしめようと思う。その為に、日頃より政治における結果責任を問い、処方箋まで導き出す鍛錬の場を創ろうと思う。そういう学界の必要を感じた。これを、たすけあい党の外郭団体とする。党員諸友に諮っていないが承諾願う。学会誌も発行したいが、これは誰かからの手のさしのべを期待する。

 既成の政治学は翻訳学、文献学、解釈学、御用学、批判学の域内に止まっている。学問に問われているのは本来、処方学であり、それゆえの実用学でなければ不十分というべきではなかろうか。即ち学問のエートスは実務に通用する処方の呈示にこそある。しかして実務は現状追認から始まるものでもない。

 時に机上の処方箋が間違うこともあるゆえ、あるいは甲論、乙論、丙論の議論百出により判断に迷うこともあるのが常であるゆえ、選択した施策の効用につき不断普段に結果検証し、より適合的な処方箋へと改め続けて行かなければならない。学問をかく位置づけ、かく参画させるのが本来のものであり、今日び流行の御用学、批判学なぞは食わせ物でしかない。それは腐敗であり、この腐敗には権威とか名誉とか蔵金が似合う。それは、広き道であるが、よそ道というべきではなかろうか。

 というようなことから、政治処方医学会を着想した。かく述べたような精神と手法により学会が運用されることにより、これまでの政治学が格段とレベルアップすることは間違いない。問題は、我々の側に、こういう脳筋が備わっているかどうかであろう。時の政府の施策を一律に賛辞し抜いたり、万年批判し抜いて正義顔得意然とする者には近寄り難い学界となろうが、学問が学問となる水準に立つ為には、当局との緊張、批判における責任という八方対峙の地平に立たないと態を為さないだろうと思う。

 今のところ思いついただけなので、これ以上のメッセージを持っていない。しかし、構えとしては、これで十分だろうと思う。具体的な方策はこれから考える。とはいえ、言を自ら違えることになろうから次のことを約束しておく。れんだいこの今後の時事評論は極力処方箋レベルのものへと持ち上げる。医業における検診段階、探査段階にあっては診断を正しくし、それはやがて一級的な見立てに絞り込み、処方箋呈示へと繋げるものとする。処方箋に間違いがあった場合の責任は明朗に自己批判する。その繰り返しとなる。言論に自由がある限りかく闘う。任に堪えられなくなった場合には下野する。

 或る期間、これを実践しておれば次第に御意の士が列を為すとしたものだろう。そうならなかったとしても、れんだいこのせいではなかろう。れんだいこはかく自負する。という訳で、新たに政治処方医学会が出航する。

 2009.5.26日 れんだいこ拝




(私論.私見)