長年医薬品業界で研究開発に関わってきたサーシャ・ラティポワは公開された文書の分析から、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」の接種計画はオバマ政権の時代にアメリカの国防総省が始めたことが判明したとしているが、これはロシア軍の主張と一致している。
ロシア軍は昨年2月24日から巡航ミサイルなどでウクライナの軍事基地や生物化学兵器の研究開発施設などを攻撃、機密文書を回収しているが、その中には生物化学兵器に関する約2000文書が含まれていた。その分析を行った結果、アメリカはウクライナで「万能生物兵器」を研究していたことが判明したとしている。
回収文書の分析を指揮してきたロシア軍のイゴール・キリロフ中将によると、ウクライナにはアメリカのDTRA(国防脅威削減局)が管理する研究施設が約30カ所あり、生物兵器の研究開発を行っていた。ロシア国防省が発表したスライドによると、アメリカの民主党を病原体研究の思想的な支柱とし、その思想を実体化させる役割を負っているのが国防総省やCDCを含むアメリカの政府機関だ。
キリロフも指摘しているように、アメリカはウクライナだけでなく敵国、つまりロシアや中国の周辺にそうした研究施設を建設してきた。生物兵器の研究開発だけでなく、生物兵器による攻撃を準備している疑いが濃厚だ。ビジネスやアカデミーの世界を中心にアメリカの私的権力に侵食されている中国の場合、国の内部にもそうした施設が存在する。
19世紀からアングロ・サクソン系の国が大陸を侵略する拠点として利用してきた日本の場合、mRNA技術を使った製品を製造する工場が南相馬で建設されている。この製品を生物兵器とみなす人も少なくない。
日本では1930年代から生物化学兵器の研究が行われている。1933年には軍医学校が東京帝国大学や京都帝国大学の医学部と共同で生物化学兵器の研究開発を開始、正確なデータを得るため、生体実験が中国で組織的に実施されている。犠牲になったのは主に中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人。こうした人びとを日本軍は「マルタ」と呼んだ。
生体実験を実施するため、軍の内部に特別な部隊が占領地である中国で編成される。当初は加茂部隊や東郷部隊と呼ばれたが、1941年からは第731部隊と呼ばれている。第731部隊の隊長は1936年から42年、そして45年3月から敗戦までが石井四郎、その間、42年から45年2月までを北野政次が務めた。
1945年8月には関東軍司令官の山田乙三大将の名前で部隊に関連した建物は破壊され、貴重な資料や菌株は運び出された。捕虜の多くは食事に混ぜた青酸カリで毒殺される。事態に気づいて食事をとならなかった捕虜は射殺され、死体は本館の中庭で焼かれ、穴の中に埋められたという。
石井たち第731部隊の幹部は大半が日本へ逃げ帰るが、日本の生物化学兵器に関する情報はアメリカ軍も入手していた。1946年に入ると石井たちアメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けることになるが、厳しいものではなく、資料はアメリカ側へ引き渡された。
尋問の過程でGHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と石井は親しくなり、隊の幹部たちはアメリカの保護を受けるようになる。日本が提供した資料や研究員はドイツから提供された知識と同じように、アメリカにおける生物化学兵器開発の基盤になった。
アメリカでは1943年にUSBWL(陸軍生物兵器研究所)がキャンプ・デトリック(後のフォート・デトリック)で建設され、生物化学兵器の研究開発が始まるが、本格化するのは第2次世界大戦後のことだと言われている。ドイツや日本の研究資料や研究者を押さえてからだ。