新型コロナウイルスによる肺炎が2019年12月に中国湖北省武漢市で発生し、短期間で世界に広がった。12月末、武漢中心病院南京路分院救急科のアイ・フェン(艾芬)医師はいち早くその危険性を察知し、大学の同期の医師に警告し、それが医師のチャット・グループで共有された。ところが、当局から「デマを流した」など前代未聞の厳しい譴責を受けた。他に警鐘を鳴らした8名の医師は、警察から「社会秩序を乱す」と訓戒や事情聴取を受けた。これは日本とは比べものにならないほど重大な意味をもっている。そして、新型コロナウイルスに関する情報は封じられ、感染が爆発的に拡大した。中国当局が国家呼吸器疾患臨床医学研究センターの鐘南山主任を通してヒトからヒトへの感染を発表したのは、翌年1月20日であった。
医師の告発を巡る「民」と「官」の攻防
その後、風向きが変わり、3月5日、中国政府は李文亮医師を新型肺炎の抑制に模範的な役割を果たしたと表彰した。だがやはり感染に関する情報は厳重に統制され、党に都合がよい状況しか報道されていない。
3月10日にアイ医師へのインタビューが中国共産党系人民出版社傘下の月刊誌『人物』に掲載された。この記事で、アイ医師は凄まじい現場とともに痛恨の心情を吐露し、党の批判などお構いなしに「おれ様はあちこち言ってやるぞ」と、警鐘を鳴らせばよかったと語る。ところが、アイ医師の記事が掲載された雑誌『人物』は、発売後すぐに回収され、インターネット掲載の記事も2時間後に削除され、転載も禁じられた。だが、「おれ様はあちこち言ってやるぞ」というアイ医師の告発は大きな反響を呼んでいた。SNSなどで転送され続け、当局がそれを次々に削除するという「民」と「官」の攻防が繰り広げられた(「おれ様」は流行語になった)。
アイ・フェン医師は消息不明に
「民」は日本語や英語など外国語、絵文字、甲骨文字、金石文字、モールス信号、点字、QRコードなど100以上の表現方法を駆使して、アイ医師の記事を発信した。その発信は軽い意味ではなく、厳重な言論統制に対する工夫を凝らしたレジスタンスである。かつてないほどの「民」の不信や憤激が込められている。「文藝春秋」5月号に掲載した「武漢・中国人女性医師の手記」という記事は、「民」が復活させたアイ医師の告発記事を日本語訳したものである。このような「官」と「民」のせめぎ合いが続く中、3月29日、オーストラリアのテレビ局「ナイン・ネットワーク」が、アイ医師は消息不明と報道した。
突然SNSに投稿された動画には……
彼女は勇気を奮って党の恥部を語ったので拘束されたのではないかと、ネットユーザーは不安に思った。すると、4月13日、突然、アイ医師は30秒ほどの動画を微博(ウェイボー)で公開した。「みなさん、こんにちは。今は2020年4月13日午後2時半です。今日は天気がよく、日が燦々と降り注いでいます。みなさんが私のことを気にかけてくださり、とても感謝します。今、私はいつもどおり勤務しています。わが武漢中心病院南京路分院救急科の入口で、この動画を撮っています。みなさん安心してください。私は大丈夫です」。
アイ・フェン医師
これについて、短時間で約1500の書き込み、1457の転送がなされた。多くは「ホッとしました。無事に定年退職まで勤めて」などだったが、以下のような声もあった。「先生(アイ医師)を譴責した者が免職されないから、私たちは1日だって安心できない」、「先生の安否が気になります。今、極左の風が強くて、文革によく似ている。『愛国賊』が多すぎる」、「また上目づかいした。その回数と目つきを見ると、私には分かる。君は君だけれど、語ったことは君の本心ではない」、「カメラのレンズを見ていなくて、原稿を読みあげているようだ」、「どうも不自然だ。誰かが監視している。本当に本人の投稿だろうか? 是非、これからも時々投稿してください。もし処罰されたら、『おれ様』はめちゃくちゃあちこち言ってやるぞ」。
中国当局には“SARSでの前例”がある
アイ医師が投稿した動画に対し、このような危惧や疑念が出るのは、前例があるためである。17年前、重症急性呼吸器症候群(SARS)の感染が拡大したとき、やはり中国当局は情報を統制し、事実を過小に伝えた。当時、人民解放軍301病院の蒋彦永医師は、SARSの深刻さを告発した書簡を中央テレビ(CCTV)や香港フェニックステレビに送った。だが報道されないため、蒋医師は海外のメディアにも書簡を送った。すると、ようやく広く知られ、国際社会の批判が高まり、保健相や北京市長が更迭された。すると突然、蒋医師の消息が途絶え、蒋医師の名前はあらゆる公式記録から削除された。安否を気づかう声が各方面から出ると、当局は「蒋医師の現在の仕事、生活、学術活動などはいかなる制約も受けていない。全ての国民は法のもとで言論の自由を享受しており、蒋医師も当然例外ではない」と説明した。だが、蒋医師と親しい余傑氏によると、厳しい監視下で生活していたという。
中国における言論の現実を表す写真
筆者の手許に1枚の写真がある(2006年1月、北京市内)。これはSARS事件の3年後、蒋医師らが厳重な監視をかいくぐってようやく会えた時の貴重な記録写真である。だが、ここにいる人たちに、その後の再会はない。この写真は中国における言論の現実の縮図である。蒋培坤・丁子霖夫妻は愛息を天安門事件で失ったが、他の遺族とともに「天安門の母」というグループをつくり、真相究明や犠牲者の名誉回復を求め、そのため監視生活を余儀なくされた(蒋培坤は2015年に逝去)。
劉暁波は2008年の「08憲章」の中心的起草者で、日本でも『天安門事件から「08憲章」へ 中国民主化のための闘いと希望』という著書を出しているが、国家政権転覆煽動罪により投獄された。2010年に獄中でノーベル平和賞を受賞したが、授賞式には彼だけでなく、妻の劉霞さえ出られなかった。そして2017年に事実上の獄死を遂げた(『劉暁波伝』集広舎に詳しい)。また、劉霞は軟禁生活の果てに、2018年、ドイツに事実上亡命した。
軍病院における死刑囚の腎臓摘出・売買を告発
余傑夫妻も監視生活を強いられ、2012年、アメリカに事実上亡命した。そして蒋医師は、2015年、香港のメディアに軍の病院における死刑囚の腎臓の摘出・売買や天安門事件におけるダムダム弾による虐殺について告発。天安門事件の真相究明と犠牲者の名誉回復を求める書簡を習近平主席に送った。しかし、公の場では沈黙を強いられている。
劉暁波が残した“当局の情報隠蔽”のポイント
劉暁波は、SARSが流行した当時、蒋医師に呼応して中国当局の情報統制を鋭く分析し、批判した。それは今回の新型コロナウイルス惨禍を考える上でも大いに参考になる。劉暁波は「SARS―天災が人災に変わる―」において「一党独裁は平然と自国の民の命を粗末にすると同時に他国の民の命をも粗末にする」と指摘した。さらに彼は、中国当局によるこのような情報の隠蔽はシステム化されていると論じ、以下の8項をあげた。
(1)災禍が発生したとき、その報道は、メディアのトップではなく、国内ニュースの片隅で行われる。
(2)最高指導者が重視され、党と政府の配慮、救援、対処を最優先に報道する。
(3)全てのメディアは口裏を合わせ、最高レベルの審査を経た情報しか公表しない。
(4)あの手この手で真相を隠蔽する。どうしてもできなくなると、肝心なことは避けて、二次的なことを取りあげる。
(5)災禍の悲惨で深刻な現場について、撮影や追跡調査は禁止される。
(6)望ましいこと、めでたい成果を大々的に報道する。社会の不安やパニックを弱めるためとされる。
(7)事実の調査や論証は密室で検討され、調査結果は選択され、さらには不正な操作で歪曲される。
(8)関係者への処罰、その程度は、上層部との関係の親疎による。
そして、劉暁波は「真実の歴史、その記憶がなければ、明るい未来はない」と結ぶ。
このような前例と政治的背景があるからこそ、現在、アイ医師の安否を気づかう人が多いのである。この問題は根深い。中国数千年の歴史において連綿と繰り返された「文字獄」が今もなお進行中であり、「民」によるアイ医師への気づかいは、決して考えすぎではないのだ。
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