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松宮一彦 |
アナウンサー |
首吊り |
45歳 |
1999年9月27日 |
元TBSアナウンサー。『ザ・ベストテン』の“追っかけマン”で有名。 |
江藤淳 |
文芸評論家 |
自刃/手首 |
66歳 |
1999年7月21日 |
遺書には「形骸を断ず」と。 |
青木達之 |
ミュージシャン |
鉄道 |
32歳 |
1999年5月2日 |
東京スカパラダイスオーケストラのドラマ―。小田急電鉄豪徳寺駅西約70メートルから飛び込む。 |
桂枝雀 |
落語家 |
首吊り |
59歳 |
1999年4月19日 |
自宅で首を吊り搬送されたが、回復することなく1カ月後に死去。 |
西岡恭蔵 |
ミュージシャン |
首吊り |
50歳 |
1999年4月3日 |
フォークグループのザ・ディランの元メンバー |
南条あや |
ネットアイドル、フリーライター |
薬物過剰摂取 |
18歳 |
1999年3月30日 |
向精神薬の大量服用によって意識不明となり病院に搬送されるが死亡。明確な自殺の意思があったかどうか不明。死後『卒業式まで死にません』という本が出版された。 |
沖田浩之 |
俳優、元アイドル |
首吊り |
36歳 |
1999年3月27日 |
テレビドラマ『3年B組金八先生』(第2シリーズ)の生徒役で人気を集め、1981年に歌手デビュー、その後は俳優として活躍。置鮎家(本名)では浩之だけでなく彼の祖父や父・兄も自殺で死去している。父は1996年9月に71歳で首吊り、兄は2002年4月に43歳でやはり首を吊っている[69]。 |
草壁竜次 |
ドクター・キリコ事件の主犯 |
青酸カリ |
27歳 |
1998年12月15日 |
1998年12月に起こったドクター・キリコ事件の主犯。「草壁竜次」は事件以前に自殺掲示板で使用されていたハンドルネーム。 |
三輪田勝利 |
元プロ野球選手 |
飛び降り |
53歳 |
1998年11月27日 |
オリックス編成部長在職中の1998年、ドラフト会議後の沖縄水産高校の新垣渚選手との獲得交渉が紛糾。これを球団上層部が激しく指弾し、その結果三輪田は投身自殺を遂げた。イチローを担当したスカウトとして知られる。 |
田中融二 |
翻訳家 |
排ガス |
73歳* |
1998年5月12日 |
癌で闘病中、親友内田庶に予告の上小樽で自殺。 |
ねこぢる |
漫画家 |
首吊り |
31歳 |
1998年5月10日 |
東京都町田市の自宅で縊死。その数日前に急逝したX JAPANのhideの後を追ったのではないか、との憶測報道が流れたが、夫の山野一は本人がXのファンではなく、別のジャンルの音楽を好んでいたことを理由にこれを真っ向から否定している。
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小林正明 |
実業家 |
首吊り |
51歳 |
1998年2月25日 |
カー用品量販店スポット社長。第57回日本ダービーを制覇したアイネスフウジンの馬主。 |
新井将敬 |
政治家、現職衆院議員 |
首吊り |
50歳 |
1998年2月19日 |
日興証券スキャンダルの渦中、衆院議運委員会で逮捕許諾請求が可決された直後に自殺。 |
宮崎邦次 |
銀行家 |
首吊り |
67歳 |
1997年6月29日 |
元第一勧銀頭取、総会屋利益供与事件への対応中に縊死。 |
可愛かずみ |
女優 |
飛び降り |
32歳 |
1997年5月9日 |
にっかつロマンポルノの専属女優を経て、テレビドラマやバラエティ番組などで活躍。かつての交際相手だった川崎憲次郎(当時プロ野球選手)の自宅マンションから飛び降り。 |
長谷有洋 |
声優、俳優 |
飛び降り |
31歳 |
1996年7月30日 |
声優はせさん治の長男 |
若泉敬 |
国際政治学者 |
青酸カリ |
66歳 |
1996年7月27日 |
1960年代後半の沖縄返還交渉において、当時の佐藤栄作首相の密使として重要な役割を果たしたとされる人物。 |
TOTTSUAN |
ミュージシャン |
鉄道 |
29歳 |
1995年6月22日 |
ハードコア・パンクバンドS.O.Bのメンバーでありバンド創始者。 |
堀口綾子 |
アイドル |
首吊り |
22歳 |
1995年4月19日 |
アイドルグループみるくの元メンバー。 |
松崎龍夫 |
政治家、元市長 |
首吊り |
68歳 |
1994年12月19日 |
1994年12月6日、北茨城市長在職時に不動産会社から現金1,000万円を受け取った容疑で逮捕された。同年12月18日、東京拘置所の部屋で首つり。翌19日に死亡した[70]。 |
波谷守之 |
ヤクザ |
拳銃 |
64歳 |
1994年11月2日 |
|
桑田妙子 |
ピアニスト |
首吊り |
49歳* |
1994年7月14日 |
1974年に夫パトリック・クロムランクと共にデュオ・クロムランクを結成し、クラシックの演奏家として幅広く活動していたが、夫婦関係のもつれから夫が自宅で首吊り自殺し、妙子も後を追った[71]。 |
開高道子 |
随筆家 |
鉄道 |
41歳 |
1994年6月22日 |
作家開高健の娘。健の急逝から5年後、東海道本線茅ケ崎駅(神奈川県茅ヶ崎市)付近の踏切から飛び込む。 |
大和田夏希 |
漫画家 |
|
41歳 |
1994年2月20日 |
『タフネス大地』『虹色town』などの作者。小林まこと・小野新二と親しく、小林まことの自伝作品『青春少年マガジン1978〜1983』には、大和田・小野・小林の最後の交流が描かれている。 |
藤田五郎 |
作家 |
窒息自殺 |
62歳 |
1993年12月13日 |
映画『仁義の墓場』の原作者。ビニール袋による窒息自殺。 |
西村潔 |
映画監督 |
入水 |
61歳 |
1993年11月17日 |
TVドラマでは『西部警察』『探偵物語』『ザ・ハングマン』などにも監督・演出として参加している。 |
野村秋介 |
右翼活動家 |
拳銃 |
58歳 |
1993年10月20日 |
政治団体「風の会」代表。週刊朝日に掲載された山藤章二の風刺イラストで「風の会」を「虱(シラミ)の会」と揶揄されたことで発行元の朝日新聞社(東京本社)に抗議、同社の社屋内で拳銃自殺。 |
小島義雄 |
元陸上選手 |
排ガス |
61歳 |
1993年3月3日 |
1952年ヘルシンキオリンピックと1956年メルボルンオリンピックにハンマー投げ日本代表として出場。かつてのハンマー投げ日本記録保持者。 |
山田花子 |
漫画家 |
飛び降り |
24歳 |
1992年5月24日 |
15歳で漫画家デビューし早くに頭角を現すものの、中学時代から人間関係のトラブルを抱えており、精神的に不安定だった。 |
名尾良孝 |
政治家、現職参院議員 |
飛び降り |
74歳 |
1991年5月6日 |
議員宿舎から飛び降り自殺 |
多田雄幸 |
ヨットマン |
首吊り |
60歳 |
1991年3月8日 |
第3回BOCチャレンジ(英語版)(世界一周レース)の途中、途中棄権したシドニーのホテルにて客死。 |
伏見扇太郎 |
俳優 |
|
55歳? |
1991年? |
かつての東映時代劇のスター。死去年については1991年との説があるが詳細不明。 |
水木襄 |
俳優、歌手 |
|
53歳 |
1991年 |
東映のスター。『忍者部隊月光』『魔人ハンター ミツルギ』『特別機動捜査隊』『緊急指令10-4・10-10』などに出演。引退後はスナックなどを経営。 |
山内豊徳 |
官僚(環境庁) |
首吊り |
53歳 |
1990年12月5日 |
環境庁企画調整局の現職局長。関連:水俣病訴訟[72][73] |
佐藤泰志 |
作家 |
首吊り |
41歳 |
1990年10月10日 |
|
渡辺博之 |
元プロ野球選手 |
心中/首吊り |
69歳 |
1990年10月2日 |
妻と共に首吊り |
河合義隆 |
映画監督、演出家 |
首吊り |
43歳 |
1990年4月30日 |
不倫関係にあった女優荻野目慶子(当時25歳)の自宅にて首吊り |
長岡弘芳 |
評論家、詩人 |
首吊り |
57歳 |
1989年8月14日 |
青木伊平 |
政治家秘書 |
首吊り |
58歳 |
1989年4月26日 |
時の首相・竹下登の秘書。リクルート事件により竹下が退陣表明した翌日、自宅にて手首を切った上首吊り。 |
小松原茂雄 |
文学者(英文学者) |
鉄道 |
60歳 |
1988年11月30日 |
元東京大学教養学部教授、ディケンズの研究者。五反田駅にて飛び込み。 |
仲谷義明 |
政治家、元知事 |
首吊り |
63歳 |
1988年11月18日 |
元愛知県知事。知事を引退した5年後に自殺。 |
有馬啓 |
生物学者 |
飛び降り |
60歳 |
1988年8月23日 |
東京大学名誉教授。元国際微生物学会連合会長。日本学士院賞等受賞。文京区小石川の自宅マンションから飛び降り。 |
古谷真吾 |
阪神タイガース球団代表 |
飛び降り |
56歳 |
1988年7月19日 |
球団代表就任により多忙となり、バースの退団騒動と掛布雅之の引退騒動によるマスコミ対応で心労を重ね、東京都内のホテルで飛び降り自殺。 |
石沢英太郎 |
作家 |
首吊り |
72歳 |
1988年6月16日 |
|
田宮虎彦 |
作家 |
飛び降り |
76歳 |
1988年4月9日 |
|
宮城宗典 |
ミュージシャン |
飛び降り |
23歳 |
1988年3月29日 |
ロカビリーグループヒルビリー・バップスのボーカル |
中島伊津子 |
ファッションデザイナー |
首吊り |
36歳 |
1988年3月14日 |
ファッションブランドニコルのデザイナー |
雨宮第二 |
|
ガス |
37歳 |
1987年12月11日 |
ヨガ行者ダンテス・ダイジとしての著書『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』が、オウム真理教の教義に影響を与えたとされる[74]。睡眠薬服用の上ガス自殺。 |
佐藤助雄 |
彫刻家 |
鉄道 |
68歳 |
1987年10月19日 |
元日本彫刻会委員長。日本芸術院賞、文部大臣賞等受賞。 |
三国玲子 |
歌人 |
飛び降り |
63歳 |
1987年8月5日 |
|
万場世志冶 |
右翼活動家 |
自刃/切腹 |
22歳 |
1986年12月20日 |
昭和天皇御在位60年奉祝運動を終えた2日後、割腹の上頸動脈を左右から切って自決。 |
日高富明 |
ミュージシャン |
飛び降り |
36歳 |
1986年9月20日 |
フォークグループガロの元メンバー |
岡田有希子 |
アイドル |
飛び降り |
18歳 |
1986年4月8日 |
アイドルとしての人気絶頂期にサンミュージック事務所屋上から投身。飛び降りた瞬間をマネージャーが目撃し、当時の様子を写真週刊誌『Emma』特集号に語っている。マスメディアで連日大きく報道されたことから、後に「ユッコ・シンドローム」と呼ばれる後追い自殺が多発し、大きな社会問題となった(いわゆるウェルテル効果)。 |
遠藤康子 |
アイドル |
飛び降り |
17歳 |
1986年3月30日 |
レコードデビュー直前、交友関係の清算を(特に恋人と別れるように)指示され悩んでいたとされる。 |
鈴木いづみ |
作家 |
首吊り |
36歳 |
1986年2月17日 |
|
大友柳太朗 |
俳優 |
飛び降り |
73歳 |
1985年9月27日 |
|
鴨居玲 |
画家 |
ガス |
57歳 |
1985年9月7日 |
|
宇野功人 |
官僚(大蔵) |
飛び降り |
|
1985年6月12日 |
大蔵省本省庁舎の屋上から飛び降り |
若山セツ子 |
女優 |
首吊り |
55歳 |
1985年5月9日 |
躁鬱症状による奇行の末一度入院、一旦退院するが、姉と母を亡くしたあと再入院し、入院先で首吊り。 |
金鶴泳 |
作家 |
ガス |
46歳 |
1985年1月4日 |
|
ちばあきお |
漫画家 |
首吊り |
41歳 |
1984年9月13日 |
漫画家ちばてつやの実弟。アニメにもなった野球漫画『キャプテン』『プレイボール』の作者。 |
宇南山宏 |
俳優 |
心中/鉄道 |
48歳 |
1984年6月16日 |
|
中山三吉 |
芸人 |
首吊り |
47歳* |
1984年6月3日 |
|
山藤浩三 |
競輪選手 |
心中/一家心中 |
39歳 |
1984年5月 |
1964年東京オリンピック日本代表選手 |
依田郁子 |
元陸上選手 |
首吊り |
45歳 |
1983年10月14日 |
1964年東京オリンピック日本代表選手 |
沖雅也 |
俳優 |
飛び降り |
31歳 |
1983年6月28日 |
テレビドラマ『太陽にほえろ!』のスコッチ刑事役や『俺たちは天使だ!』のキャップ役で知られた。京王プラザホテルの最上階から養父の日景忠男に宛てた遺書を残して投身自殺。 |
松本幸男 |
政治家、現職衆院議員 |
首吊り |
56歳 |
1983年1月28日 |
社会党衆議院議員。前年にも入院中に自殺未遂[75]。 |
杉原正 |
官僚(警察庁) |
首吊り |
51歳 |
1982年11月12日 |
大阪府警察で現職警察官多数が懲戒処分された大阪府警賭博ゲーム機汚職事件が自分の警察本部長在任中に起きていたことに対する引責 |
江夏美好 |
作家 |
首吊り |
59歳 |
1982年7月17日 |
|
秋元近史 |
TVディレクター |
飛び降り |
49歳 |
1982年4月 |
バラエティ番組『シャボン玉ホリデー』のディレクター |
山本弘 |
画家 |
首吊り |
51歳 |
1981年7月15日 |
|
春風亭一柳 |
落語家 |
飛び降り |
45歳 |
1981年7月9日 |
師匠・三遊亭圓生の死、落語協会分裂騒動の暴露本出版がきっかけで精神を病み、自宅の団地屋上から飛び降り自殺。 |
中田軍治 |
芸人 |
飛び降り |
41歳 |
1979年10月25日 |
漫才コンビWヤングのメンバー |
山岸章二 |
編集者、写真評論家 |
首吊り |
50歳* |
1979年7月20日 |
|
影山正治 |
右翼活動家、歌人 |
散弾銃 |
68歳 |
1979年5月25日 |
割腹の上、散弾銃により自決。 |
大下弘 |
元プロ野球選手 |
睡眠薬 |
56歳 |
1979年5月23日 |
青バットの大下として絶大的な人気を誇ったプロ野球選手。本塁打王、首位打者を3度獲得。 |
江口榛一 |
詩人、作家 |
首吊り |
65歳 |
1979年4月18日 |
|
対馬忠行 |
マルクス主義思想家 |
入水 |
77歳 |
1979年4月11日 |
播磨灘を航行中のフェリーから入水 |
田宮二郎 |
俳優 |
猟銃 |
43歳 |
1978年12月28日 |
テレビドラマ『白い巨塔』の財前五郎役やクイズ番組『クイズタイムショック』の初代司会などで知られた。 |
畠山麦 |
俳優 |
首吊り |
34歳 |
1978年7月13日 |
『秘密戦隊ゴレンジャー』のキレンジャー |
関良一 |
文学者(日本文学) |
|
60歳 |
1978年3月10日 |
|
富所正一 |
ミュージシャン |
入水 |
25歳 |
1977年3月20日 |
新潟県三条市の三条大橋から信濃川に投身。 |
竹沢弥七 |
義太夫節三味線方
人間国宝 |
入水 |
66歳 |
1976年10月24日 |
|
日高敏彦 |
新左翼活動家 |
首吊り |
31歳 |
1976年10月2日 |
日本赤軍メンバー。1975年8月に発生したクアラルンプール事件の実行犯。事件の翌年ヨルダンで拘束され、取り調べ中に獄中自殺。 |
村上知行 |
翻訳家 |
自刃/頸部 |
77歳 |
1976年3月23日 |
中国および中国文学の研究者で、三国志・水滸伝・西遊記など四大奇書の現代語訳で知られた[76]。自宅にて鉛筆削り用の小型ナイフで自刃[77]。 |
小堀保三郎 |
実業家
自動車技術者 |
心中/ガス |
76歳 |
1975年8月30日 |
エアバッグの発明者。研究開発に私財を投じ特許も取得したが、発明当初はすぐに実用化されるに至らず、借金苦・生活苦から妻と共にガス心中した(エアバッグの実用化は1980年代で、普及は1990年代中盤以降である)。 |
岡真史 |
作家高史明の子息 |
飛び降り |
12歳 |
1975年7月17日 |
遺稿集として詩集『ぼくは12歳』が出版され、NHKでドラマ化された。 |
保倉幸恵 |
女優、モデル |
鉄道 |
22歳 |
1975年7月8日 |
|
齋藤和 |
新左翼活動家 |
青酸カリ |
27歳 |
1975年5月19日 |
東アジア反日武装戦線「大地の牙」メンバー。部隊の事実上のリーダーとして連続企業爆破事件に関与したとされる。逮捕直後、隠し持っていた青酸カリで取り調べ中に自殺。 |
富永美沙子 |
女優 |
心中/排ガス |
41歳 |
1975年5月2日** |
支笏湖畔にて排ガス心中、5月2日に遺体発見[78][79]。 |
中村英子 |
女優 |
ガス |
24歳 |
1975年3月30日 |
|
村上一郎 |
文芸評論家 |
自刃/頸部 |
54歳 |
1975年3月29日 |
三島事件から5年後の自刃。 |
杉山登志 |
CMディレクター |
首吊り |
37歳 |
1973年12月12日 |
|
大場啓仁 |
文学者(英米文学) |
心中/一家心中 |
38歳 |
1973年9月6日 |
立教大学助教授。殺人を犯し、自首の直前に家族を巻き込んで自殺。 |
小林美代子 |
作家 |
睡眠薬 |
56歳 |
1973年8月18日 |
|
和田鶴一 |
政治家、元参院議員 |
ガス |
61歳 |
1973年6月1日 |
|
大辻伺郎 |
俳優 |
首吊り |
38歳 |
1973年5月21日 |
ホテルオークラ東京本館の客室にて自殺。晩年は趣味への投資で抱えた多額の借金で悩んでおり、自殺前日には交通事故を起こして事故相手から暴行を受けていた。 |
松本錦四郎 |
俳優 |
ガス |
39歳 |
1973年1月20日 |
|
森恒夫 |
新左翼活動家 |
首吊り |
28歳 |
1973年1月1日 |
連合赤軍委員長。山岳ベース事件の首謀者。東京拘置所にて獄中自殺。 |
弓削太郎 |
映画監督 |
首吊り |
51歳* |
1973年5月20日** |
1972年に行方不明となり、1973年5月20日にミイラ化した状態で発見された。 |
瀬越憲作 |
囲碁棋士 |
|
83歳 |
1972年7月27日 |
|
川端康成 |
作家 |
ガス |
72歳 |
1972年4月16日 |
ノーベル文学賞受賞者。逗子マリーナマンション407号室でガス自殺。 |
剣持勇 |
インテリアデザイナー |
ガス |
59歳 |
1971年6月3日 |
|
森田必勝 |
右翼活動家 |
自刃/切腹 |
25歳 |
1970年11月25日 |
楯の会メンバー。三島由紀夫と共に自刃(三島事件)。 |
三島由紀夫 |
作家 |
自刃/切腹 |
45歳 |
1970年11月25日 |
市ヶ谷駐屯地にて自衛隊決起を呼び掛ける演説をしたのち割腹(三島事件)。 |
山村政明 |
学生 |
焼身 |
25歳 |
1970年10月6日 |
日本に帰化した在日2世。早稲田大学大隈講堂前で焼身。遺稿集『いのち燃えつきるとも』[80] |
半田義之 |
作家 |
|
59歳 |
1970年8月2日 |
芥川賞作家(1939年受賞) |
河津憲太郎 |
元水泳選手 |
焼身 |
55歳 |
1970年3月24日 |
1932年ロサンゼルスオリンピック男子100M背泳ぎの銅メダリスト |
太田八重子 |
ヌードモデル |
入水 |
25歳 |
1969年12月10日 |
シンナーを用いた窒息自殺という説もある。 |
高野悦子 |
学生 |
鉄道 |
20歳 |
1969年6月24日 |
死後に出版された遺稿集『二十歳の原点』がベストセラーになる |
江藤小三郎 |
右翼活動家、陸上自衛官 |
焼身 |
23歳 |
1969年2月11日 |
江藤新平の曾孫。「覚醒書」を遺し国会議事堂前で焼身。その1年9カ月後に楯の会事件で自決する三島由紀夫に影響を与えたといわれる。
|
円谷幸吉 |
マラソン選手 |
自刃/頸部 |
27歳 |
1968年1月9日 |
1964年東京オリンピック男子マラソン銅メダリスト。「父上様 母上様 三日とろゝ美味しうございました」で始まる遺書を記している。 |
浅草四郎 |
芸人 |
首吊り |
40歳? |
1968年 |
病院で入院中に自殺。 |
由比忠之進 |
反戦運動家、エスペランティスト |
焼身 |
73歳 |
1967年11月12日 |
ベトナム戦争に賛同する日本政界への抗議として、首相官邸前で焼身自殺。由比の自殺は1963年6月のティック・クアン・ドック師の焼身を範としている。ドック師の焼身はその写真と共に広く報道され、アメリカではアリス・ハーズ(1965年3月)ら8人が、フランスではフランシーヌ・ルコント(1969年3月)が、ドック師や由比と同じく抗議の焼身を遂げている。 |
丸井太郎 |
俳優 |
ガス |
31歳 |
1967年9月6日 |
|
安平鹿一 |
政治家、元衆院議員 |
|
65歳 |
1967年1月17日 |
日本社会党の元衆議院議員。1960年に病気で政界を退いたあと自宅療養していたが、1967年1月17日に自宅で死亡しているところを発見された。検死の結果、自殺と判明した。 |
谷晃 |
俳優、演出家 |
首吊り |
55歳 |
1966年8月11日 |
|
市川團蔵 |
歌舞伎役者 |
入水 |
84歳 |
1966年6月4日 |
|
柳家きん平 |
落語家 |
鉄道 |
44歳 |
1966年4月24日 |
|
清村耕次 |
俳優 |
首吊り |
40歳 |
1966年2月1日 |
|
小泉軍治 |
柔道家 |
窒息自殺 |
69歳 |
1965年4月15日 |
柔道をイギリスに紹介し「イギリス柔道の父」と呼ばれた人物。 |
奥浩平 |
学生 |
睡眠薬 |
21歳 |
1965年3月6日 |
学生運動活動家。死後、遺稿集『青春の墓標』が出版された。 |
伊集院浩 |
新聞記者、プロレス解説者 |
自刃/切腹 |
55歳 |
1963年2月20日 |
元毎日新聞記者。 |
小川菊松 |
実業家 |
猟銃 |
75歳* |
1962年7月3日 |
誠文堂新光社創業者・社長。 |
永利勇吉 |
元プロ野球選手 |
鉄道 |
41歳 |
1962年6月27日 |
|
岸上大作 |
歌人 |
首吊り |
21歳 |
1960年12月5日 |
|
山口二矢 |
右翼テロリスト |
首吊り |
17歳 |
1960年11月2日 |
浅沼稲次郎暗殺事件の実行犯。東京少年鑑別所にて首吊り。 |
浮世亭夢若 |
芸人 |
睡眠薬 |
45歳 |
1960年10月5日 |
漫才コンビ・松鶴家光晴・浮世亭夢若のメンバー。一部関係者が自殺を否定している。 |
名取春仙 |
画家、浮世絵師 |
服毒 |
74歳 |
1960年3月30日 |
青山にある高徳寺の先祖の墓前にて妻と共に服毒[81] |
火野葦平 |
作家 |
睡眠薬 |
53歳 |
1960年1月24日 |
当初は病死と思われたが、後に自殺の経緯を記したノートが発見される。13回忌で公表された。 |
竹脇昌作 |
アナウンサー |
首吊り |
49歳 |
1959年11月9日 |
元NHKアナウンサー。俳優竹脇無我の父。 |
谷山豊 |
数学者 |
ガス |
31歳 |
1958年11月17日 |
|
坂本睦子 |
|
睡眠薬 |
44歳 |
1958年4月15日 |
大岡昇平の小説『花影』のモデル。戦前文壇のミューズ。長く大岡と愛人関係にあったが、別離の1年後に自殺。 |
久保栄 |
劇作家、演出家 |
首吊り |
57歳 |
1958年3月15日 |
|
愛新覚羅慧生 |
学生 |
心中/拳銃 |
19歳 |
1957年12月10日 |
愛新覚羅溥儀の姪。同級生男性と情死。※ただし異説もあり。天城山心中事件参照。 |
楠木繁夫 |
歌手 |
首吊り |
51歳 |
1956年12月14日 |
流行歌歌手。戦前の歌謡界をリードした歌手の一人。 |
石川力夫 |
ヤクザ |
飛び降り |
30歳 |
1956年2月2日 |
藤田五郎の小説『仁義の墓場』のモデル。服役中に自殺。 |
服部達 |
文芸評論家 |
凍死 |
33歳 |
1956年1月1日 |
睡眠薬服用のうえ真冬の八ヶ岳に分け入り凍死。遺体は半年のあいだ発見されなかった。 |
守安祥太郎 |
ピアニスト |
鉄道 |
31歳 |
1955年9月28日 |
|
加藤道夫 |
劇作家 |
首吊り |
35歳 |
1953年12月22日 |
女優・加藤治子の最初の夫(未亡人となった治子は後に俳優の高橋昌也と再婚したが、高橋とは1973年に離婚した)。 |
久坂葉子 |
作家 |
鉄道 |
21歳 |
1952年12月31日 |
|
原民喜 |
作家 |
鉄道 |
45歳 |
1951年3月13日 |
|
原田慶吉 |
法学者 |
首吊り |
47歳 |
1950年9月1日 |
東京大学法学部教授。ローマ法学者。 |
木村荘太 |
作家、翻訳家 |
首吊り |
61歳 |
1950年4月15日 |
成田山公園にて縊死。4月16日朝、自殺死体が発見された[82] |
菅季治 |
哲学者 |
鉄道 |
32歳 |
1950年4月6日 |
徳田要請問題で追及され、証人喚問の翌日に自殺。 |
山崎晃嗣 |
会社社長 |
青酸カリ |
26歳 |
1949年11月24日 |
光クラブ社長。光クラブ事件で自殺。 |
田中英光 |
作家 |
自刃/手首 |
36歳 |
1949年11月3日 |
太宰治の墓前で睡眠薬服用の上手首を切って自殺 |
東浦庄治 |
政治家、現職参院議員 |
首吊り |
51歳 |
1949年9月2日 |
緑風会所属、東大講師、農業共済保険協会会長。[83] |
長沢延子 |
詩人 |
服毒 |
17歳 |
1949年6月1日 |
1946年に入水を遂げた原口統三に強い影響を受けたとされる。遺稿集『友よ私が死んだからとて』 |
高木正得 |
華族、元貴族院議員、昆虫学者 |
首吊り |
54歳 |
1948年11月1日** |
1948年7月8日、青酸カリを携えて遺書を残し失踪。その4カ月後、奥多摩の山中で白骨となって発見された。 |
太宰治 |
作家 |
心中/入水 |
38歳 |
1948年6月13日 |
山崎富栄と共に玉川上水へ入水。富栄による無理心中説あり。 |
山上光治 |
ヤクザ |
拳銃 |
25歳* |
1948年3月23日 |
映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』のモデル。 |
清水澄 |
法学者、最後の枢密院議長 |
入水 |
78歳 |
1947年9月25日 |
新憲法施行に際し、「幽界より国体を護持し今上陛下の御在位を見守らんと欲する」がゆえに自決した。明治憲法に殉じたとも言われる。遺言の全文と詳細は清水澄を参照。 |
安達二十三 |
軍人、陸軍中将 |
自刃/切腹 |
57歳 |
1947年9月10日 |
ニューギニア方面司令官。終戦後、すべての部下が解放されるのを待って自決。のちに作家山田風太郎は、その著書の中で、安達の身の処し方を極めて肯定的に評価している。 |
原口統三 |
学生、詩人 |
入水 |
19歳 |
1946年10月25日 |
『二十歳のエチュード』の作者 |
草場辰巳 |
軍人、陸軍中将 |
青酸カリ |
58歳 |
1946年9月17日 |
山崎豊子の小説『不毛地帯』に登場する秋津中将(秋津紀武)のモデルといわれる。 |
安藤利吉 |
軍人、陸軍大将 |
服毒 |
62歳 |
1946年6月19日 |
|
蓑田胸喜 |
右翼思想家、慶大教授 |
首吊り |
52歳 |
1946年1月30日 |
戦中右翼の理論的指導者の一人だったが、終戦後に自殺。発狂による横死との説もある。 |
近衛文麿 |
政治家、元首相 |
青酸カリ |
54歳 |
1945年12月16日 |
|
納見敏郎 |
軍人、陸軍中将 |
服毒 |
51歳 |
1945年12月13日 |
|
本庄繁 |
軍人、陸軍大将 |
自刃/切腹 |
79歳 |
1945年11月30日 |
終戦時すでに現役を退いていたが、GHQからの戦犯指定を受け、陸軍大学校の理事長室にて割腹。 |
吉本貞一 |
軍人、陸軍大将 |
自刃/切腹 |
58歳 |
1945年9月14日 |
|
橋田邦彦 |
医学者、元文部大臣 |
青酸カリ |
63歳 |
1945年9月14日 |
第2次・第3次近衛内閣・東條内閣で文部大臣 |
小泉親彦 |
軍人、陸軍軍医総監 |
自刃/切腹 |
61歳 |
1945年9月13日 |
第3次近衛内閣・東條内閣で厚生大臣 |
杉山元 |
軍人、陸軍大将 |
拳銃 |
65歳 |
1945年9月12日 |
大戦期の指導部で陸軍大臣、参謀総長など要職を歴任。夫自決の報を聞いた妻啓子も後を追って自決した。 |
三浦襄 |
実業家 |
拳銃 |
57歳 |
1945年9月7日 |
大東亜戦争の大義を信じインドネシアの独立のために活動した実業家。日本の敗戦によってバリ島の人々との約束を果たせなくなったため、彼らに詫び、「日本人皆の責任を負って」自決した。 |
倉場富三郎 |
実業家、水産学者 |
首吊り |
74歳 |
1945年8月26日 |
トーマス・グラバーの息子 |
田中静壱 |
軍人、陸軍大将 |
拳銃 |
57歳 |
1945年8月24日 |
|
甘粕正彦 |
軍人、満映理事長、元陸軍憲兵大尉 |
青酸カリ |
54歳 |
1945年8月20日 |
|
蓮田善明 |
文芸評論家、軍人 |
拳銃 |
41歳 |
1945年8月19日 |
三島由紀夫の思想形成に大きな影響を与えた人物 |
晴気誠 |
軍人、陸軍少佐、大本営参謀 |
自刃/切腹 |
32歳 |
1945年8月17日 |
|
大西瀧治郎 |
軍人、海軍中将 |
自刃/切腹 |
54歳 |
1945年8月16日 |
特攻の父と呼ばれた軍人。手当てを拒否し、介錯を付けずに割腹、15時間余り苦しんで死んだという。 |
寺本熊市 |
軍人、陸軍中将 |
自刃/切腹 |
56歳 |
1945年8月15日 |
|
阿南惟幾 |
軍人、陸軍大将 |
自刃/切腹 |
58歳 |
1945年8月15日 |
鈴木貫太郎内閣で陸軍大臣だった時に終戦を迎え、自決。内閣制度発足以来、現職閣僚として自殺した最初の人物となった(2人目はその62年後の松岡利勝)。 |
古賀秀正 |
軍人、陸軍少佐 |
自刃/切腹 |
26歳 |
1945年8月15日 |
玉音放送直前に発生したクーデター未遂事件(宮城事件)の首謀者の一人。割腹の上、口内に拳銃を用いた。 |
椎崎二郎 |
軍人、陸軍中佐 |
自刃/切腹 |
33歳 |
1945年8月15日 |
玉音放送直前に発生したクーデター未遂事件(宮城事件)の首謀者の一人。畑中健二と共に皇居前で自決。割腹の上、頭部に拳銃を用いた。 |
畑中健二 |
軍人、陸軍少佐 |
拳銃 |
33歳 |
1945年8月15日 |
玉音放送直前に発生したクーデター未遂事件(宮城事件)の首謀者の一人。椎崎二郎と共に皇居前で自決。 |
布井良助 |
テニス選手 |
拳銃 |
36歳 |
1945年7月21日 |
出征先のビルマで自殺。 |
牛島満 |
軍人、陸軍中将 |
自刃/切腹 |
57歳 |
1945年6月23日 |
沖縄守備軍司令官。参謀長長勇中将らと共に自決、これをもって沖縄戦は終結した。 |
大田実 |
軍人、海軍少将 |
拳銃 |
54歳 |
1945年6月13日 |
沖縄戦の指揮官の一人で、根拠地隊司令官。自決直前の打電には「沖縄県民かく戦へり 県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と。全文と現代語訳は大田実#海軍次官宛の電報参照。 |
水上源蔵 |
軍人、陸軍少将 |
拳銃 |
55歳 |
1944年8月4日 |
ミイトキーナの戦いにおいて、残存将兵らの命を救うため、玉砕命令に背いて撤退命令を発する。部下らの脱出を見届けた後、ひとり陣地に留まり、命令違反の責任を取って拳銃自決した[84][85][86]。 |
中野正剛 |
右翼政治家 |
自刃/切腹 |
57歳 |
1943年10月26日 |
ジャーナリスト出身の右翼運動家、政治家。東方会総裁。 |
木村庄助 |
|
睡眠薬 |
22歳 |
1943年5月13日 |
太宰治『パンドラの匣』のモデルとなった日記の筆者。 |
菅源三郎 |
船長 |
自刃/切腹 |
60歳 |
1942年5月20日 |
1942年5月17日に発生した長崎丸沈没事故において船長として責任を取って自殺。 |
関屋敏子 |
声楽家、作曲家 |
睡眠薬 |
37歳 |
1941年11月23日 |
|
西川吉之助 |
教育者 |
|
67歳* |
1940年7月18日 |
ろう教育において口話法教育の普及を推進した教育者。病苦により自殺。 |
林忠次郎 |
臼井霊気療法師範 |
自刃/切腹 |
62歳* |
1940年5月11日 |
臼井霊気療法の創始者臼井甕男から霊気療法の施術を伝授されたうちの一人で、霊気療法を西洋社会に紹介した高田ハワヨに施術技術を伝授した人物。戦時下、予備役将校として軍への復帰を求められていたが、戦争への加担を是とせず自決。 |
江口きち |
歌人 |
服毒 |
25歳 |
1938年12月2日 |
兄と共に服毒 |
初代桂ざこば |
落語家 |
|
72歳 |
1938年9月19日 |
|
都井睦雄 |
津山事件の犯人 |
猟銃 |
21歳 |
1938年5月21日 |
前代未聞の大量殺戮事件を起こしたあと、当日に自殺。 |
太田収 |
実業家 |
青酸カリ |
48歳 |
1938年5月28日 |
株式取引に失敗し山一証券社長を辞任したのち自殺。 |
田中弥 |
軍人、陸軍大尉 |
拳銃 |
36歳 |
1936年10月18日 |
|
堤正之 |
軍人、海軍少佐 |
拳銃 |
33歳 |
1936年6月17日 |
遺書を残さず自決したが、二・二六事件に何らかの関わりがあったとされる。 |
牧野信一 |
作家 |
首吊り |
39歳 |
1936年3月24日 |
|
河野寿 |
軍人、陸軍大尉 |
自刃/切腹 |
28歳 |
1936年3月6日 |
二・二六事件で牧野伸顕を襲撃した部隊の指揮官。牧野殺害を果たせず負傷して捕縛され、入院先の病院にて果物ナイフで自刃。 |
野中四郎 |
軍人、陸軍大尉 |
拳銃 |
32歳 |
1936年2月29日 |
二・二六事件で警視庁を襲撃。事件収束の29日、陸相官邸で自決。 |
別所佐吉 |
|
猟銃 |
73歳* |
1935年10月24日 |
千島列島開拓を試みた千島報效義会の会員の一人。報效義会が解散したのちも最後まで占守島に残った。死後、占守島には「別所翁之碑」が建立されている[87]。 |
山田長三郎 |
軍人、陸軍大佐、陸軍兵務課長 |
自刃/切腹 |
48歳 |
1935年10月5日 |
永田鉄山軍務局長殺害事件(相沢事件)において現場におり、上官を見捨てて逃げたと批判される。事件から2カ月後に自宅にて自決。 |
翠川秋子 |
アナウンサー |
心中/入水 |
45歳 |
1935年8月20日 |
日本初の女性アナウンサー。29歳の男性と房総沖にて入水。 |
片多徳郎 |
画家 |
首吊り |
44歳 |
1934年4月28日 |
|
佐藤次郎 |
テニス選手 |
入水 |
26歳 |
1934年4月5日 |
デビスカップ欧州遠征からの帰途、マラッカ海峡にて投身。 |
高倉徳太郎 |
牧師、神学者 |
首吊り |
48歳 |
1934年4月3日 |
植村正久の後継者。牧会に悩み自殺。 |
阪東妻之助 |
俳優 |
入水 |
27歳 |
1933年6月20日 |
初期阪妻プロのスター。交際相手の女給・渡邊あきゑと共に静岡県熱海市の錦ヶ浦海岸で投水心中。 |
高輪芳子 |
歌手 |
ガス |
18歳 |
1932年12月12日 |
交際相手のファッション評論家・中村進治郎の居室で、中村と情死を図ったが、中村は蘇生した。 |
近藤柏次郎 |
ピアニスト |
心中/ガス |
31歳 |
1932年7月13日 |
新橋の芸妓と自宅で心中。 |
勝精 |
華族、実業家 |
心中/睡眠薬 |
43歳 |
1932年7月11日 |
徳川慶喜の十男。妾宅にてカルモチンによる心中。 |
空閑昇 |
軍人、陸軍少佐 |
拳銃 |
44歳 |
1932年3月28日 |
第一次上海事変において中国国民党軍の捕虜となった大隊長。捕虜となったことを恥じ、捕虜交換によって帰還した後、自らの部隊が戦った戦地に戻り割腹の上拳銃自決した[84]。 |
毛利輝夫 |
俳優 |
心中/鉄道 |
23歳 |
1931年3月20日 |
松竹蒲田のスター。『朗かに歩め』などに出演。同所事務員の大町弘子と共に鉄道心中[88]。 |
西ノ海 |
元力士、横綱 |
首吊り |
50歳 |
1931年1月27日 |
|
高根義人 |
法学者 |
首吊り |
62歳 |
1930年7月14日 |
元京都帝国大学教授。京都法政学校(現在の立命館大学の前身)の講師も勤めた。病気を苦に自殺[89]。 |
草刈英治 |
軍人、海軍少佐 |
自刃/切腹 |
38歳 |
1930年5月20日 |
国際水路会議から帰国後、東京へ向かう東海道本線寝台車の車内で割腹[90]。ロンドン海軍軍縮条約を巡る政府上層部の弱腰と統帥権干犯に憤り、財部彪海軍大臣の暗殺を企図したが果たせず、死をもって条約批准に抗議したとも[91]。 |
生田春月 |
詩人 |
入水 |
38歳 |
1930年5月19日 |
神戸を出港し今治を経て別府に向かっていた船から投身[90]。 |
金子みすゞ |
詩人 |
睡眠薬 |
26歳 |
1930年3月10日 |
|
江木欣々 |
芸者 |
首吊り |
53歳 |
1930年2月20日 |
大正三美人の一人 |
佐分利貞男 |
官僚(外交官) |
拳銃 |
50歳 |
1929年11月29日 |
駐華公使。中国情勢が雲行き怪しい時期であり、他殺説も囁かれた。 |
羽太鋭治 |
医師、性科学者 |
睡眠薬 |
52歳* |
1929年8月31日 |
前年に脳溢血に倒れた上、薬の開発と著書を巡るトラブルを抱え込んでいた。カルモチン300錠を飲み2日後に死去[92]。 |
渡辺政之輔 |
労働運動家 |
拳銃 |
29歳 |
1928年10月6日 |
非合法時代の共産党書記長。台湾の基隆市にて官憲に包囲され自決、客死。 |
伊勢ノ濱 |
元力士、大関 |
服毒 |
44歳 |
1928年5月17日 |
大量の酒と猫いらずを飲み自殺 |
和田久太郎 |
福田雅太郎狙撃犯 |
首吊り |
35歳 |
1928年2月20日 |
無期懲役での服役中に秋田刑務所で首吊り |
水城圭次 |
軍人、海軍大佐 |
自刃/頸部 |
44歳 |
1927年12月26日 |
美保関事件時の軽巡洋艦「神通」艦長。軍法会議判決前日、事故の責任を一身に負い自宅にて自決。 |
芥川龍之介 |
作家 |
睡眠薬 |
35歳 |
1927年7月24日 |
|
池田政佑 |
軍人、陸軍少佐 |
拳銃 |
43歳 |
1926年12月30日 |
大正天皇崩御の5日後に殉死 |
岩淵熊次郎 |
鬼熊事件の犯人 |
自刃/頸部 |
35歳* |
1926年9月30日 |
|
森丑之助 |
人類学者 |
入水 |
49歳 |
1926年7月4日 |
台湾先住民の研究者。台湾博物館主事[93]。関東大震災による研究資料・未刊原稿の焼失を悲観していたとも言われるが確証はないという[94]。 |
久野久 |
ピアニスト |
飛び降り |
40歳* |
1925年4月20日 |
日本初のピアニスト。ウィーンにて客死。事故説あり。 |
清水澄子 |
詩人 |
鉄道 |
15歳 |
1925年1月7日 |
死後、遺稿集『さゝやき』が刊行される。 |
有島武郎 |
作家 |
心中/首吊り |
45歳 |
1923年6月9日 |
不倫関係にあった波多野秋子と共に軽井沢の別荘で首吊り。7月7日に発見される。決行から1カ月経過していたため、2人の遺体には壮絶な量の蛆が湧いていたという。 |
朝日平吾 |
安田善次郎殺害犯 |
自刃/頸部 |
31歳 |
1921年9月28日 |
安田善次郎を刺殺した後、その場で自刃。 |
西川嘉儀 |
西川流舞踊家 |
|
58歳 |
1921年3月21日 |
長女の早い死去や流派争いに悲観し自殺。 |
佐野友三郎 |
図書館学者、教育者 |
首吊り |
56歳 |
1920年5月13日 |
日本における近代図書館の黎明期を支えた人物。 |
松井須磨子 |
女優 |
首吊り |
32歳 |
1919年1月5日 |
島村抱月の後を追い、2カ月後に自殺。 |
岩本栄之助 |
実業家、株式仲買人 |
拳銃 |
39歳 |
1916年10月27日 |
大阪の中之島公会堂を建設した人物 |
高木顕明 |
僧侶、大逆事件被告 |
首吊り |
50歳 |
1914年6月24日 |
無期懲役の服役中に秋田刑務所にて首吊り |
関寛斎 |
医師(蘭方医) |
服毒 |
82歳 |
1912年10月15日 |
|
乃木希典 |
軍人、陸軍大将 |
自刃/切腹 |
62歳 |
1912年9月13日 |
明治天皇の大葬が終わった夜、妻静子と共に殉死。 |
乃木静子 |
軍人乃木希典の妻 |
自刃/胸部 |
52歳 |
1912年9月13日 |
夫と共に殉死。 |
御船千鶴子 |
千里眼騒動の超能力者 |
服毒 |
24歳 |
1911年1月18日 |
重クロム酸カリウムによる服毒自殺 |
得能関四郎 |
剣術家、警察官 |
自刃/咽喉部 |
66歳 |
1908年7月17日 |
直心影流の剣客、大日本武徳会範士。病気を苦にしての自殺といわれる。 |
川上眉山 |
作家 |
自刃/頸部 |
39歳 |
1908年6月15日 |
|
藤村操 |
学生 |
飛び降り |
16歳 |
1903年5月22日 |
華厳滝に投身。大きく報じられ、以来、華厳滝は自殺の名所となった。 |
森川清治郎 |
警察官 |
拳銃 |
42歳* |
1902年4月7日 |
日清戦争直後の台湾に勤務した警察官。任務のかたわら教育の普及・環境衛生の改善に尽力し現地の人々にも慕われたという[95]。新たに定められた漁業税に関し台湾総督府に免減を訴えるも訓戒処分を受け、失意のうちに自決した[95][96]。 |
藤野古白 |
俳人、劇作家 |
拳銃 |
23歳 |
1895年4月12日 |
正岡子規の従弟[97] |
北村透谷 |
詩人 |
首吊り |
25歳 |
1894年5月16日 |
|
加藤直矢 |
治水家 |
自刃 |
42歳 |
1892年2月13日 |
赤川の治水事業に尽力した。竣工の翌年に自刃[98]。 |
畠山勇子 |
|
自刃/頸部 |
25歳 |
1891年5月20日 |
ロシア皇太子ニコライ暗殺未遂事件(大津事件)に際し、多くの国民が大国ロシアの報復を恐れる中、死をもってロシア皇太子に謝罪するために自刃した女性。その行いはその後国家主義者らによって祭り上げられ、憂国の烈女と呼ばれた。 |
唐人お吉 |
芸者 |
入水 |
49歳 |
1891年3月25日 |
|
来島恒喜 |
右翼活動家 |
自刃/咽喉部 |
29歳 |
1889年10月18日 |
政治結社玄洋社社員で、大隈重信外務大臣襲撃事件の実行犯。爆裂弾による暗殺を狙ったが果たせず、その場で自決。大隈は右足切断の重傷を負った。 |
山本竹雲 |
篆刻家 |
入水 |
69歳 |
1888年4月27日 |
京都東山の稚児ヶ池にて入水。茶人としても知られた人物で、入水した池の畔には丁寧にたたまれた羽織と揃えられた下駄、そして茶道具が並べられていた。 |
箱田六輔 |
自由民権運動運動家 |
自刃/切腹 |
37歳 |
1888年1月19日 |
政治結社玄洋社の指導者の一人 |
玉乃世履 |
裁判官、初代大審院長 |
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60歳 |
1886年8月8日 |
その公正な裁きから「明治の大岡」と呼ばれた人物。 |
川上冬崖 |
画家 |
首吊り |
52歳 |
1881年5月3日 |
清国公使館への地図漏洩疑惑(地図密売事件)に巻き込まれ、熱海にて客死。詳細不明。 |