ベクテル社考

 (最新見直し2011.03.21日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、様々な特殊兵器を確認しておく。

 2011.03.21日 れんだいこ拝


 ★阿修羅♪ > 原発・フッ素7」の小沢内閣待望論氏の2011.3.21日付け投稿「原子力のベクテル社・世界の真実の姿を求めて!(ロスアラモス研究所の運営、明石海峡大橋のボーリングは同社の仕事だそうです)」を転載しておく。

 http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-547.html
 原子力のベクテル社 誰でも阪神・淡路大震災は天災であると思う。
でも下記のことも事実。明石海峡大橋のボーリング工事を行なっていたのは「ベクテル社」。阪神・淡路大震災の震源地は明石海峡大橋の真下。「ベクテル社」は原子力企業。震源地で過去に大きな地震は全くなかった。ベクテル社はイラクの復興大規模事業を受注。震災後にベクテル社は神戸医療産業都市構想に選定された。

 http://blog.m-ken-net.com/blog.php?ucid=702&p=15
 ベクテル社が神戸医療産業都市構想に選定された。さらにこの構想の中核にGE(ジェネラル・エレクトリック社)が置かれている。さらに今、思えば理解出来なかった神戸空港の開港がどうやらこのベクテルが大いに関係している。
ことに気が付く!!大阪神戸に国際空港が2つもあるはおかしい?がこれで真相がわかる。米国政府はこのベクテル社の圧力で日本に強引に開港をさせたようである。

 http://www.portnet.ne.jp/~nsp-kobe/index.html

 神戸市の「医療産業都市構想」。この構想の調査委託先が、「ベクテル」。神戸市の開発計画とも絡んできているからです。神戸空港はこのままでは失敗します。そこで、ポートアイランド2期工事の中に空港とリンクするような産業を興す必要があるとの意見が出され、神戸市は4年ほど前に、「医療産業都市構想」を打ち出しました。既に先端医療センターや再生医療の研究所もできあがっています。ここに医療産業を誘致し一大医療産業都市を造ろうという構想です。この構想の調査委託先が、「ベクテル」というアメリカ企業です。

 http://d.hatena.ne.jp/peacechoice/20041014

 ベクテル社の日本支社「オーバーシーズ・ベクテル・インコーポレーテッド(株)」

 ●日本での主な建設参加事業:

 青森県六ヶ所村の再処理工場建設、東京湾横断道路の建設、関西新空港の建設、羽田航空ビルの建設、など高額で重大なプロジェクトにおけるベクテル社参入が顕著である。

http://74.125.153.132/search?q=cache:CvKfSgglbagJ:www5.cao.go.jp/access/japan/chans/betten2.html+%E3%82%AA%E3%83%BC%
E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%86%E3%83%AB%E5%AE%9F%E7%B8%BE&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


 2.特例措置対象プロジェクトにおける米国企業の受注実績(主なもの)

 オーバーシーズ・ベクテル実績

 羽田西側旅客ターミナルビル建設工事 日本企業との共同 1989(日本空港ビルディング梶j

 関西国際空港旅客ターミナルビル(南工区)新築工事 日本企業との共同 1991(関西国際空港梶j

 東京湾横断道路川崎人工島東工事 日本企業との共同 1991(東京湾横断道路梶j

 アジア太平洋トレードセンター建設工事(その1) 日本企業との共同 1991(アジア太平洋トレードセンター梶j

 http://www.cjiac.co.jp/kouhou/contents/2001/ptbkeiyaku.html

 中部国際空港旅客ターミナルビル新築工事(その1)

 http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/20051222/

 2005年12月22日 ベクテルとロスアラモス研究所

 米国の“核の中核”であるロスアラモス研究所の運営業務が「ベクテル」に委託されるもよう。ロスアラモス研究所といえば、2000年5月の「大火災」、2003年には「ずさんな核廃棄物管理が発覚」し、2003年12月には機密情報を保存したディスク10枚が行方不明、さらに2004年5月と7月にも機密情報を保存したディスクと2つの外付けハードディスクが紛失していることが発覚した。つまり、この8ヶ月間で発覚しただけでも3度の機密情報が行方不明になっていたのだから、機密情報の漏洩は、不気味なほど常態化していたと判断できる。ロスアラモス研究所では、過去にもHDDやコンピュータ200台以上が紛失する騒ぎが起きている(参考記事)。

 これらの不気味な不祥事が連続して発覚したため、ロスアラモス研究所は、2004年7月16日、研究所の活動停止に踏み切った(追い込まれた)。

 2005年11月30日には、ロスアラモス研究所で、少なくとも300キロの兵器級プルトニウムが行方不明になっている可能性があるとした報告書を米シンクタンク「エネルギー環境調査研究所」が発表した。この量は、核兵器50個分にも相当するという。これは少なく見積もって300キロなので、最悪の場合1000キロを超える可能性もあるらしい。この報告書に対して12月13日、同研究所の当局者は「プルトニウムは行方不明になっていないと確信している」と述べ、盗難や紛失の恐れを否定した。(※参考)。

 [ロスアラモス国立研究所]

 1942年、フランクリン・ルーズベルト大統領による「マンハッタン計画」決定後、「機密保持」「水の確保」などに適しているとして、ニューメキシコ州北部の辺境の山地が選ばれる。当時、33世帯、約200人のヒスパニック系入植者が農業を営んでいたが、1日で強制移住させられた。

 43年には研究所の施設建設が始まり、所長に就任したオッペンハイマー博士もカリフォルニア大学バークリー校から移り住んだ。45年7月16日の人類初の原爆実験は、他の施設で製造したプルトニウム239をロスアラモスへ運んで爆弾に組み立て、特殊車両で同州の実験地「トリニティ・サイト」へ運んで実現した。

 第2次大戦後は、旧ソ連との冷戦下、新たな核開発研究の拠点施設の役割を果たし続ける。冷戦後も既存の核兵器の維持管理とともに、新兵器の開発などに取り組んでいる。管理・運営主体はカリフォルニア大学。科学者ら労働人口は約1万2000人。





(私論.私見)