スペイン風邪考

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).4.9日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「スペイン風邪考」をものしておく。

 2011.03.21日 れんだいこ拝


 2020.4.28日、「《新型コロナ》茨城県内襲った「スペイン風邪」 100年前の教訓生かせ」。

 感染拡大が続く新型コロナウイルスに比較される感染症絡みの危機が大正時代、ちょうど100年前にあった。「スペイン風邪」と呼ばれるインフルエンザの世界的大流行だ。茨城県内でも1万人近い死者を出したとされる。過去の茨城新聞の記事や公的な資料を基に、当時の様子と今につながる教訓を探った。

 ■多数の死者

 厚生労働省の前身に当たる内務省衛生局が1922年に刊行した報告書「流行性感冒」や県統計に基づくと、県内のスペイン風邪は大きく2回のピークがあったと推量できる。 18年秋から翌19年春が前期の流行だ。18年11月8日付のいはらき(茨城新聞の旧題号)は「罹病(りびょう)千人に達す」「益(ますま)す激烈」との見出しで、各地の学校で病気がはびこり休校に入る動きがあると伝える。県統計によると、小学生年代の死者も珍しくなかった。 同11日付紙面によると、水戸地裁検事局(現在の水戸地検)の検事正も病に冒された。翌19年4月29日付紙面も、水戸地裁の裁判官の死亡記事を掲載する。 内務省報告書によると、最初の流行は19年の春と夏の境目ごろにいったん下火になる。20年1月ごろから4月ごろが後期の流行に相当する。前期より患者の死亡率が高まったのが特徴だ。 20年1月24日付紙面には、福島県平町(現いわき市)で、肺炎を併発した男性が苦しみに耐えきれず割腹自殺したと紹介する。 翌2月13日付の記事は、前期に大流行があった牛渡(うしわた)村(現かすみがうら市)で患者が1人しか発生していないと指摘。集団で免疫を獲得したためとみられる。

 ■予防の知恵

 当局は予防を繰り返し訴えた。民間では今に通じる知恵が働く。 19年2月6日付の紙面には、知事が出した布令が載る。マスクの使用や人混みの回避を呼び掛ける内容だ。このほか、水戸市では予防策をまとめた冊子を児童に配り家庭に届けた。現在の筑西警察署では、署長を含む全署員がマスクを着用し模範を示した。 内務省報告書は本県の対応を「予防上至大の効果あり」「(マスク着用が)著しく増加せり」と評価した。 20年1月28日付の紙面には、マスクの材料販売に関する広告が載った。自作の工夫が当時からあったことがうかがえる。 ワクチンの予防接種も奨励された。しかし、病原体のウイルスとは別物の菌で作られたため、効果は明確でない。当時はウイルスが可視化できず、科学的な限界があったようだ。

 ■自粛限定的

 イベントや興行の自粛は限定的だ。内務省報告書は「多衆の集合は最も危険」とした。しかし葬儀や慶事を除き、集会の中止や延期はほとんどなかったと記す。 18年11月22日付の紙面は、現在の那珂市にある神社仏閣の祭礼とそれに合わせた臨時列車の運行で「戦場の如(ごと)き大混雑」が駅に生じたと報じた。 偕楽園で開かれる水戸の梅まつりも健在だった。19年2月5日付の記事は、取り沙汰されていた特別列車の運行中止方針を巡り「世界風邪よりも恐ろしい風」と見出しを付け、反対の論陣を張った。運行は継続された。19年3月20日付の紙面によると、観光客ら9千人で水戸駅が「押すな押すな」のにぎわいとなった。 流行期と前後して、第1次世界大戦の休戦やシベリア出兵、普通選挙実現を求める普選運動などがあり、スペイン風邪が紙面に占める比重は決して大きいとは言えなかった。(鈴木剛史)

 ■第二波への備え不可欠

 内務省報告書の復刊に携わった国立病院機構仙台医療センターの西村秀一ウイルスセンター長の話 新型コロナウイルスの懸念は流行の第二波だ。スペイン・インフルエンザの第二波では患者の死亡率が高まるなどし、以前に流行を経験しなかった地域で被害が大きくなったところがある。今のうちに医療の体制や計画を準備しておくことが必要だ。当時の流行下で行政が推進した予防の基本は間違っていない。できることは今も大して変わらない。混雑を避けたり、人にうつさないようマスクを正しく着用したりと、要点を押さえた対策をしてほしい。過度に恐れず、ワクチンができるまでしのごう。 ★スペイン風邪(スペイン・インフルエンザ) スペイン発の情報が名前の由来で、詳しい出現地は不明。風邪ではなく、病原体は「H1N1型」のインフルエンザウイルスだった。1918~20年、世界的に大流行し、2000万~4500万人が死亡したと推計される。内務省(当時)は、国内で18~21年までに3回の流行があったとみて、約2380万5000人の患者と約39万人の死者が出たと算出。本県の死者数は約7620人としている。


 2021.1.14日、「【スペインかぜ】の正体は米国発のインフルエンザ! ナゼこんな名称に?」。

新型コロナウイルスが猛威を振るい、何かと窮屈な生活を強いられている全世界。

すっかりそちらへ気持ちを奪われておりますが、忘れてならないウイルスがインフエンザです。

みなさまは予防接種を受けられましたか?

この厄介なウイルスは昔から人類を苦しめて参りましたが、今回は20世紀の初頭に起きたパンデミック(世界的流行)の【スペインかぜ】を考察してみたいと思います。

第一次世界大戦の米進軍でウイルス拡散

スペイン風邪は1918年~1919年にかけて世界中で大流行したインフエンザのことです。

この時は、実に世界人口の30%にあたる6億人が病に冒され、4000~5000万人が死亡しました。

ヨーロッパと言えばペストを連想される方も多いかもしれませんが、スペイン風邪はそれよりも多くの死者をヨーロッパをはじめとする世界各国で出しました。

実はこのスペイン風邪は1918年3月に米国(デトロイトなど)から始まっております。

それが米軍のヨーロッパ進軍と共に大西洋を渡り、5~6月にヨーロッパで大流行。

進軍とは他でもない第一次世界大戦(1914年~1918年)のことです。

そして同年秋に流行の第2波が始まり、しかも世界中、ほぼ同時に起こる病原性の強いものでした。

我らが日本にも伝播し、1919年春から秋にかけて起きた第3回目の流行が、最も被害が1番大きくなりました。

さて、ここまで一気に説明したところで、『米国発祥なのに何でスペイン風邪?』と思ったアナタ。

それは、何とも政治的というか人為的というか、意外な原因が背景にあったのです。

 

スペイン発症って、それ何て大人の事情かしら

前述のようにスペイン風邪が流行していた当初は第一次世界大戦中です。そのため戦争に参加している国では、情報の検閲が行われていました。

『いまうちの国ではインフエンザで死者多数』

『出兵先でインフエンザ大流行』

こんな情報は士気に大きく関わります。

逆に敵国にとっては有利な情報となるだけです。

そのような状況下、大戦に参加していなかったスペインでは報道が自由だったため、このパンデミックの発信源はスペインということになってしまうのです。

結果『スペイン風邪』と呼ばれるようになったのですね。酷い話ですが。

長期化する戦争に歯止めをかけていた!?

オーストリア皇太子の暗殺事件(サラエボ事件)に端を発した第一次世界大戦ですが、当初の予想に反して戦いは長期化しました。

長期戦による人的・物的被害は大きく経済も疲弊。

1918年に入るとトルコ、オーストリアで革命が発生して帝国が瓦解します。

また、ドイツでも革命が起こり、これを契機に大戦は終結しましたが、第一次世界大戦の戦死者は戦闘員、民間人あわせて約3700万人と言われており、実はこのうちの三分の一はスペイン風邪などの病死です。

スペイン風邪による大量の死者が出たことが終戦を早めたという説があるのも頷けますね。

 

マッサンのヒロイン・エリーも被害に……

世界中で猛威をふるったスペイン風邪ですが、日本もまた例外ではありませんでした。

朝ドラ『マッサン』のヒロイン・エリーも、スペイン風邪にかかるエピソードがありましたね!

日本の内務省統計では日本で約2300万人の患者と約38万人の死亡者が出たと報告されています。

野口シカ(野口英世の母)や劇作家の島村抱月、西郷寅太郎(西郷隆盛の息子で軍人)などの著名人も多数命を落としました。

インフエンザの大流行は20世紀に4回ありました。

今世紀に入っても2009年に新型インフエンザが現れ世界的に流行。不幸中の幸いで、2009年の新型インフエンザの死亡率は高い国でも0.004%程度に留まりました。

これは季節性インフエンザ程度か、それ以下という弱毒性のものであり、現在は季節性インフエンザの1つに分類されています。

ちなみにスペイン風邪の死亡率は2.5%とかなり高い数字です。

インフルエンザに対しては、マスクや手洗いなどでの予防が大切ですし、現在はスペイン風邪の頃にはなかったインフエンザウイルスの増殖を抑える薬(タミフル、イナビル、リレンザなど)も実用化されています。

適切な受診をすることが大切ですね。

今年は、新型コロナウイルスの終息と共に、皆様が無事に冬を乗り越えられることを祈念するばかりです。








(私論.私見)