戦争は誰が何のために起こすのか〜日本編

 (最新見直し2007.10.15日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 
 2007.10.15日 れんだいこ拝


戦争は誰が何のために起こすのか〜日本編〜@ 09:47Add Star

「教えられなかった戦争」シリーズの高岩仁監督著『戦争案内―映画製作現場、アジアからの報告』より抜粋・引用です。

日本経済発展を支えた侵略戦争

明治維新以前、江戸時代には、士農工商という厳しい階級差別がありました。大商人といえども、社会的には低い地位に押さえられていました。それが明治維新によって、封建制の束縛から解放され、企業家たちは活発な企業活動を開始します。そして日本経済資本主義的に急成長します。その中で三井物産などは江戸時代から中国などにある程度進出していましたが、基本的には日本国内での活動でした。ですから明治になって二〜三〇年も経つと、商品を造っても国内投資ではさばけなくなってくるし、新たな投資の場も国内だけでは限りがあって、経済成長が横這い状態になってきました。


伊藤博文と海外侵略

日本経済の発展が行き詰っているその頃、海外視察から帰ってきた伊藤博文が、全国遊説したときの原稿が国会図書館に残されています。その演題は『世界の進歩と日本国民の自覚』です。その要旨は、「今や世界各国は商工業の競争を世界に行なっており、そして最近の戦争は、単に領土を広げたり、国の名誉のためではなく、商工業の利益を世界的に拡充したり、その拡充を妨害されるのを防ぐために起こしている。日本も国内の団結を固め、世界の列強と争って商工業の発展をすることを、日本の基本方針としなければならない。そのためには軍備を拡張して、商工業を中国朝鮮、或いは東南アジアにまで発展させなければならない。」という内容です。

要するに日本経済発展のためには、戦争をして中国朝鮮東南アジア植民地にし、資源と労働力を独占的な市場を獲得しなければならないという事をいっています。この方針のとおり、日本明治維新以後着々と軍備を増強して1894年の日清戦争以来、1904年日露戦争1914年第一次世界大戦と、10年置きに戦争をしています。そしてその戦争の度に台湾朝鮮満州と次々に植民地を獲得し、それをバネに経済成長しています。

日本資本主義社会の土台を築いたといわれる伊藤博文は、もともと貿易業を営んでいました。それが明治維新直後に、貿易業を三井に任せて自分は政治に専念しています。以後三井との二人三脚ぶりは随所に見られます。

1905年伊藤博文は、第二次日韓条約を結んで、朝鮮日本保護国にしてしまいます。そして自ら統監となって朝鮮の完全支配を始めますが、1909年朝鮮独立運動の義士安重根によってハルピンで射殺されました。


軍備増強と国会議員買収

日本最初の侵略戦争ともいうべき日清戦争前後の時代、資料として面白いというかあきれた資料が残っています。伊藤博文の演説にもあるように、侵略戦争のために軍備増強を達成するためには、増税しなければなりません。その時点の首相は、山県有朋です。山県内閣は、国会増税案を何度も上程するのですが、否決されます。そこで山県は、反対派の国会議員を買収するために、議員の歳費を一挙に五倍に引き上げた上に、有力議員に直接買収資金を多額与えて、増税案を成立させました。その買収資金を提供したのは天皇でした。当時のお金で98万円です。今のお金にしたら恐らく100億円以上のお金でしょう。当時1000円で都心に一軒家が買えた時代ですから。このことが今私たちにわかるのは、このいきさつをみていた西園寺公望の日記が国会図書館に残されていて、その中に書かれていたからです。その中には「首相の山県は、国会議員買収のため天皇から受け取った資金を、どうも一部自分の懐にいれているようだ」と書いています。現在の自民党幹部と同じですね。

しかし、天皇が何故こんな大金を出したのか、日清戦争天皇がどれだけ儲けたかを見ればよく分かります。日本は国家予算をふんだんに使って軍備を大増強して、日清戦争に勝ちました。日本は、清国から賠償を三億五千万円取ります。そのうち二千万円は天皇がもらっています。当時国家予算が一億そこそこの時代ですから、国家予算の20%に値する金を、天皇は受け取っています。そして、日清戦争に勝った日本は、台湾植民地にしてしまいますが、その台湾の最大の産業の製糖業は三井物産が独占的に経営します。天皇はその台湾製糖の第二位の株主になっています。台湾製糖の株の配当は10年後に12%、20年後には100%になっています。しかも日清戦争に勝って、清国から国家予算の三倍の巨額の賠償金を分捕って、これが日本資本主義経済発展の土台を築くことになったといわれています。これだけを見ても、侵略戦争植民地獲得がいかに資本家にとって儲けにつながるかが分かります。

戦争は誰が何のために起こすのか〜日本編〜A 07:32Add Star

引き続き高岩仁監督著『戦争案内―映画製作現場、アジアからの報告』より抜粋・引用です。

三井物産満州事変

ここで一つ三井物産の企業活動と軍部との関係を表す実例をご紹介しておきましょう。

日露戦争後、日本満州を獲得して、三井物産が大きく業績を発展させた一つの部門は大豆でした。“満州”は、世界的な大豆の産地でした。それを三井物産がほとんど独占的に買い占め、その油からマーガリンを造ってヨーロッパ諸国に輸出し、油粕は国内で肥料として売ることで大いに儲かっていました。

しかし1920年代になると、三井の大豆の取扱高が伸び悩んでいます。この時期の三井物産の支店長会議の議事録が残っています。それには、「満州の軍閥張作霖大豆の買い付けに手を出し始めたので困った」という趣旨のことが書かれています。そのうえ張作霖は、日本植民地支配の動脈のように利用していた満州鉄道に平行した独自の鉄道を計画して、着工を始めたのです。この鉄道が付設されてしまうと、日本植民地経営には大きな打撃になります。鉄道工事が始まったその直後、張作霖は、関東軍によって列車ごと爆殺されてしまいました。これが1928年です。その翌1929年度の三井物産大豆の取引高は倍近くに跳ね上がっています。

このような極端な数字は、ほかの要素も重なってのことかも知れませんが、日本の歴史書には、この張作霖関東軍による爆殺事件は、只単に関東軍の仕業であるとしか出ていません。その後殺された張作霖の息子、張学良が父親の遺志を継いで事業を始めようとしたとき、1931年日本軍満州事変を起こし、次いで中国本土へと戦線を拡大し、1932年には満州国を建国しています。

<中略>

次に経済学者から提供していただいた資料にもとづいて、日本の資本が第一次世界大戦でどれ程の利益をあげたか報告します。

大戦中の武器輸出の総額は二億九千万円。武器の主なもの、銃が93660梃。野砲弾丸410万発。駆逐艦12隻。戦艦2隻。

大戦中の対ヨーロッパ投資総額、約七億七千万円。

第一次世界大戦日本経済発展】

   戦争開始時 戦争終結時
株価 100 246
輸出 5億9100万円 20億9800万円
輸入 5億9500万円 21億7300万円
利潤率 15.2% 57.8%
払込資本 24億5100万円 85億5100万円
三井物産 3.96万円 36.46万円
取扱高 4億5200万円 21億300万円

しかし、戦争をきっかけにして、鰻登りに発展した日本の企業の影で、日露戦争で日露双方合計23万人の人命が失われ、第一次世界大戦では、参戦した国の軍人802万人、民間人664万人の命が奪われたことを、そして日本に支配された台湾朝鮮中国の民衆に筆舌に尽くし難い苦難の歴史を忘れてはならないと思います。

ウィリアム・G・カーは1900年前後のイルミナティのメンバーとして三井財閥の名前を挙げています。

伊藤博文そして三井財閥ロスチャイルドとの関係については『明治維新の背後に見え隠れするロスチャイルドの影』『日銀とロスチャイルドの関係』をご参照ください。

戦争は誰が何のために起こすのか〜日本編〜B 07:03Add Star

引き続き高岩仁監督著『戦争案内―映画製作現場、アジアからの報告』より抜粋・引用です。

天皇家は世界一の大資本家であった

天皇に関する具体的な資料は、なかなか手に入りませんので、あまり詳しいことは報告できませんが、今私たちが手にしている資料の中だけでも大事なことがありますので報告します。明治天皇日清戦争に勝って、賠償金から二千万円を手に入れたこと。そして植民地にした台湾の最大の産業、台湾製糖の第二位の株主になって、20年後には100%の配当を手に入れていたことは前にお伝えしました。二度目の侵略戦争日露戦争植民地にした朝鮮に、植民地支配の動脈のように施設した、京釜鉄道の上位株主は次のとおりです。

【京釜鉄道上位株主1903年2月現在)】

氏名 持ち株数 備考
日本皇室 5000
朝鮮皇室 2000
岩崎久弥 1000 三菱財閥
三井高保 1000 三井財閥
渋沢栄一 1000 第一銀行
大和田荘一 1000 大和銀行
朝鮮皇室 1000
住友吉左衛門 864 住友財閥
阿部くに 509 明治生命
阿部長蔵 500 子爵

また天皇が保有していた主な株は次のとおりです。

天皇家の保有株数(1905年)】

会社名 株数
日本銀行 65650
日本興行銀行 5000
横浜正金銀行 60400
北海道拓殖銀行 67
日本鉄道 27422
北海道鉄道 1000
岩越鉄道 2000
京都鉄道 3000
京釜鉄道 5000
北海道炭鉱鉄道 27690
日本汽船 80550
湘南汽船 4400
帝国ホテル 4400
合計 286329

天皇家の保有株数(1942年)】

会社名 株数
日本銀行 211528
日本興行銀行 22725
横浜正金銀行 224912
北海道拓殖銀行 3000
日本勧業銀行 12750
第十五銀行 3055
第一銀行 5000
三井銀行 4500
三菱銀行 4500
住友銀行 3000
三菱信託 5000
北海道炭鉱鉄道 159776
日本汽船 161000
大阪商船 12825
台湾銀行 15132
朝鮮銀行 2600
南満州鉄道 37500
東洋拓殖 50000
台湾製糖 39600
東京電気 23842
東京瓦斯 62068
帝国ホテル 14700
合計 993103

天皇が大量の株を保有していた企業は、ほとんど日本が行なう侵略戦争に関わっている企業や戦争の結果獲得した植民地支配関連企業です。つまり天皇は、日本侵略戦争をして、植民地を拡大すれば着実に巨大な利益が得られる仕組みになっていました。

そして次の表をご覧ください。

【御資財本現在高】

慶応3年 102268万円
明治8年度始 510572円
明治9年度始 583519円
明治10年度始 805982円
明治11年度始 1072663円
明治12年度始 1085423円
明治13年度始 1218385円
明治14年度始 1320173円
明治15年度始 1442345円
明治16年度始 1710182円
明治17年度始 1927665円
明治17年度末 4374935円

 (日銀・正金株編入)

明治18年度末 4505967円
明治年19度末 5157230円
明治年20度末 7885841円

 (日本郵船株編入)

明治年21度末 9189268円
明治年22度末 9747517円

天皇家は封建時代の末期、慶応三年全資産の現金評価金額がわずか10万2268円でした。この頃天皇家では、出入りの豆腐屋さんに「今日の支払いはちょっと待って下さい」と言ったことがあるほど貧乏していたという話が、京都には伝わっています。ところが明治になって、日本資本主義的発展を始めてからは、表にみられるように、鰻登りに資産が増え続けています。最初の頃は、当時の権力者、伊藤博文たちが、天皇に力をつけて、その力を利用して、日本資本主義的に発展させようと考え、『金は力なり』と言って、明治維新のときに地方の大名から取り上げた、国の資産を次々に天皇家資産にした結果のようです。それも憲法が制定され、国会が開設されてからでは、やりにくくならからと、国会開設以前に駆け込むように行なっています。

そして日本が、アジアに侵略を開始してからは、雪だるま式資産を増やして、経済学者の報告では、1917年ロシア革命ロシア皇帝が倒されてからは、天皇が世界一の大富豪になったとのことです。

その挙句の果てが次に紹介する、1945年日本敗戦時に米軍が調査して発表した数字です。日本の国土面積の10%を天皇家が所有していました。経済学者の試算によると天皇家の全財産の現金評価額は、当時のお金で660億円だったそうです。

1945年当時の皇室財産資産

種別 数量 評価額 備考
土地 1352210町歩 362293953円 平均1反歩26円70銭に当たる
木材 561519千石 592865000円 1石につき約1円に当たる
建物 約150000坪 299296657円 坪当たり約2000円
現金    24788387円   
有価証券   311871503円 購入及び出資金額による
合計    1590615599円   

天皇家資産は、戦後、GHQによって財産税33億4268万円が課税され、そのほとんどは物納されたそうです。

その後、天皇家に残された金融資産は1500万円。この1500万円が、昭和天皇が亡くなった時には、20億円にも膨らんでいました。

この謎については改めて触れますが、天皇家経済顧問として投資のアドバイスをしていたのは、元経団連会長の石坂泰三氏や元三菱銀行頭取加藤武男氏、元日銀総裁の森永貞一氏だったそうです。

ちなみに、『天皇家の財布』(森暢平著)によれば、2003年度の皇室関連予算は272億8105万4000円。このうち宮内庁関連予算は184億4490万5000円で、これは「宮内庁費」と「皇室費」とに分類され、さらに「皇室費」は、宮廷費(天皇家の公務のため費用)、皇族費(皇族のサラリー)、内廷費(天皇家のサラリー)の三つに分類されています。

宮廷費(宮殿の補修、皇居庭園整備など土木・建設費、国賓を招く宮中晩餐会著名人らを招く園遊会、国民体育大会や全国植樹祭への地方訪問等)は、63億6193万3000円。

皇族費(秋篠宮常陸宮高松宮三笠宮、寛仁親王桂宮高円宮の七家で計18人)は2億9768万円。

内廷費が天皇家天皇、美智子、皇太子、雅子、愛子、紀宮の六人)で3億2400万円。ただし、これには税金等がかからないし、生活費税金から出るので、実質的には約6億円相当ということですが、使途は侍従人件費等でほとんど固定されていて、実際に自由に使えるお金は、一人あたり推定500万円程度らしいです。





(私論.私見)