原水禁、原水協の分裂世界大会をいつまで許すのか

 更新日/2024(平成31.5.1栄和改元/栄和6).9.7日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「原水禁、原水協の分裂世界大会をいつまで許すのか」を問う。

 2003.10.7日、2004.8.16日再編集 れんだいこ拝


【日本原水禁運動分裂考1】
 日本原水禁運動も又日共宮顕―不破派の陰謀的手法により支離滅裂にされた。原水協と原水禁の「下からの合同」が幾度も試みられ、何とかして構築せんと努力が重ねられたが、その都度破壊された。これが原水禁運動の史実であり、未だにその後遺症に悩まされつづけている。かく観点を据えるのが正しい。

 原水禁運動も然りだが、日共宮顕―不破派の策動に乗ぜられ手玉に取られるなどの事態は関係者の名折れでしかなかろう。大衆団体の政党に対する一定の自律性を担保する為にも、今からでも遅くない日本原水禁運動も共同戦線化すべきである。分裂の固定化は宜しくない。それは権力側の常套手段であって、そのシナリオ裡にあることを意味しよう。

 2003.10.7日、2004.8.16日再編集 れんだいこ拝

【日本原水禁運動分裂考2】
 まだ未整理であるが、2002.9.8日付け赤旗記事の批判を兼ねているので、鮮度が落ちないうちに表へ出しておくことにする。原水禁運動もそうだが、なかなか腑に落ちる史実情報が手に入らない。何を探そうとしているのかというと、例により宮顕の悪事を露にする為である。知るにつけ、原水禁運動もその宮顕放射能被害をモロ浴びていることが分かる。

 原水禁運動を廻る宮顕―不破系日共の指導の悪質さは比類ないものがある。「戦前リンチ事件」と一緒で、クロをシロと言いくるめて恥じない。今日において過去の言説と行状を180度転換させていながら、しかるに理路整然首尾一貫してきたと言い逃れ胸を張っている。ごく普通に考えて、周囲の情勢が変化したのであるから不明を詫びれば済むものを、かようなペテン言辞で堂々と居直る。常軌を逸したこの性癖を我々はどう評すべきだろうか。

 少なくとも、真実を知らして居らない強みでどうにでも言い逃れできるとでも思っている。あるいは又得意の詐術で煙巻き出来るとでも思っているのだろうか。それにしてもひどい。明白なるこのウソがなぜ問題にされないのだろう、そのことも問題だ。

 何のことか分からない者にはっきりさせておくとこういうことだ。「如何なる国の核実験にも反対する」のか「アメ帝の核実験こそ元凶として優先的に反対する」のかを廻って原水禁運動が常に揺すぶられ、結果的に「如何なる国の核実験にも反対」する社会党系が原水協から分裂し、新たに原水禁を創った。今日、日共は、「如何なる国の核実験にも反対」の立場に路線転換しているが、自己批判抜きにそれを為しえるほどやわな経過ではなかった。

 2002.9.8日付け赤旗の「原水爆禁止運動に偏見を持ち込む『朝日』の特異な立場」記事は、このことに触れず巧妙に次のように言い換えている。
 「原水協は、結成以来、一貫して、核兵器廃絶を緊急の課題として正面にかかげ、一致点で共同するという二つの原理、原則を守ってきました。社会党、総評の特定の見解を世界大会に押し付けようとしたのが原水禁でしたが、二つの原理、原則は原水協によって守り抜かれました」。

 これは悪質なペテン論理であろう。「社会党、総評の特定の見解を世界大会に押し付けようとしたのが原水禁」であれば、「宮顕系日共の特定の見解を世界大会に押し付けようとしたのが原水協」だったのではないのか。それも、「アメ帝の核実験こそ元凶として優先的に反対」としてソ連・中国の核実験に対しては「反対するのに反対」という立場を饒舌してきたのではなかったのか。それを思えば、この党中央はなぜ素直に自己批判できないのだろう。なぜ、「恥じの上塗りに次ぐ上塗り」で事情を知らない者を誑(たぶら)かそうとするのだろう。

 日共は、原水協と原水禁に対して次のような物言いをしている。
 「(注)原水協とは、原水爆禁止日本協議会の略称。1955年の第一回原水爆禁止世界大会の直後に結成されました。原水禁とは、原水爆禁止日本国民会議の略称。社会党、総評の特定の見解が受け入れられなかったからとして一緒にやってきた世界大会から分裂し、1965年に結成されました」。

 これが公党の責任ある物言いだとしたら、あきれ果ててしまう。かような解説は、噴飯ものの我田引水でしかなかろう。それにしても、原水禁がよくも許しているものだ。

 日共は、朝日新聞記者に次のようにも説教している。
 「もちろん、『朝日』記者が個人としてどのような考えを持とうと自由です。しかし、いやしくも新聞記者として取材し、記事を書こうとするなら、色眼鏡でなく、公平な目でみることが、最低限の責任です」(I・S)。

 れんだいこは、こう平然と書ける神経が信じられない。「色眼鏡でなく、公平な目でみることが、最低限の責任」とは、貴公が噛み締めることであろうが、よく云うわ。

 ペテン論理を振り回し詭弁の上塗り記事を書く者が決まって、他社の記者に対して「色眼鏡でなく、公平な目でみることが、最低限の責任」などと説教する。説教強盗の類であるが、公党の態度としてどこまで許せるだろうか。丁度、新日和見事件の時にも同様の言辞が為されており、色眼鏡屋がいっぱしの眼鏡論をぶっている、殆ど病気の世界と云えよう。

 ところで、先に「真実を知らして居らない強み」と書いたが、大方の者はそこまで意図的ではなかろうと受け取るだろう。しかしれんだいこは指摘しておかねばならない。現下党中央の指揮するところ共通して「歴史を知らせない」癖がある。例えば、共産党の「党史論」はあるにはあるが何の役にも立たない方向で偽造されている。本来ならインターネット空間に「党の歩み」を詳述しておくべきである。これを為すのに何の不都合があろう。しかしながら、サイト「日本共産党」を覗いて見れば分かるように極めておざなりな概略しか記していない。これが偶然である訳がない。

 他にも、この原水協史も然り、部落解放運動史も然り、日中友好運動史も然り、プロレタリア文学運動史も然り、宮顕―不破系日共の関与するところ共通して大幅に省略され過ぎている。要するに愚民教育を敷いているということだ。お陰で脳粗鬆(そしょう)症が進行し、今や左派的議論を為そうにもあまりにも低レベルな遣り取りしかできないことになっている。それこそ彼らの狙いだったのだろう。この言を疑うナカレ。

 2002.9.10日、2008.11.11日再編集 れんだいこ拝

【日本原水禁運動分裂考3】
 2004年の原水禁世界大会も分裂のままに終始した。関係者はこれを常態にしてはいけない。これまで何度も共同が試みられその都度失敗した。そろそろ正邪を明らかにして必要な自己批判を求め再度共同大会へ向けて力強い発進をすべきではなかろうか。この経験の雛形が他の大衆運動の分裂事態の軌道修正に資することになるだろう。そういう意味で、原水禁運動の分裂はひとり原水禁運動だけのものではない、環の中にあると云えよう。

 その原水禁世界大会が2005年も共同できなかった。「戦後60年」を画するこの年に於いて。これは政治の不作為ではなかろうか。ではなぜ? こう問う視点が欲しい。

 2004.8.17日、2005.10.9日再編集 れんだいこ拝




(私論.私見)