【党中央の出版妨害事件】 |
更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).4.3日
これより前は、【理論的対立の検証(6)原水禁と原水協の共同闘争の破壊考に記す。
(れんだいこのショートメッセージ) | |||||||
創価学会ー公明党の「出版妨害事件」は世の注目を大いに浴び、衆議院に初登壇した不破の舌鋒が光ったことで知られている。れんだいこは、「戦後政治史研究1970年」の項で取り上げている。いずれ、サイト化しようと思う。問題は、「創価学会による出版妨害事件」を鋭く追及した日共の側に同様の「出版妨害事件」が存在したらどういうことになるのかということにある。案外知られていないが、これから検証する「党中央の出版妨害事件」はより悪質さを見せている。以下、これを見ておくことにする。 日共系支持派は、「創価学会による出版妨害事件」を問うなら、「党中央の出版妨害事件」をも問うべきである。人を責めるのに急で、自らを省みるのに緩だとしたら、誰も相手にしなくなるだろう。
2005.3.31日再編集 れんだいこ拝 |
【党中央の出版妨害事件1、事件発生】 | |
「84年原水協事件」はこれだけでは終わらなかった。引き続き次のようなゴタゴタ事件を起していくことになる。「84年原水協事件」の経過を明らかにした「原水協で何がおこったか、吉田嘉清が語る」が緊急出版されようとしたが、党中央はこれに対し、なりふり構わぬ出版差し止め強権活動を展開する。これを見れば、「1969年創価学会の出版妨害事件」に対する党中央の批判運動が如何に党利党略的な政治主義運動であったかが判明する。 もう一つ、この過程で演ぜられた宮顕の統治手法が、如何に治安維持法的警察手法であるかも判明するであろう。このことは、宮顕の氏素性を表している、と見るのがれんだいこ史観である。こういうところを見過ごして良いわけがなかろう。 |
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1984(昭和59).8.9日、日中出版社が「原水協で何がおこったか、吉田嘉清が語る」を緊急出版した。宮顕―金子党中央は、その出版を阻止しようと、様々な出版妨害活動を展開した。創価学会の言論・出版妨害事件とまったく同じ性質の出版妨害を、日本共産党が行なったことになる。しかしその工作は、妨害事実を日中出版社柳瀬宣久社長がマスコミに公表したことにより、失敗した。この経過を見ておく。
ところが、原稿ゲラがいち早く党中央に知られるところとなり、8.2日午後4時頃、日本中国友好協会の専従役員2名が事務所に訪れ、「出版差し止め」の要求をしてきた。明らかな「言論・出版妨害事件」の発生であった。党中央は今日に至るも、これを「当然の指導」といいきっている。党中央はこの時、「創価学会による出版妨害事件」を鋭く追及してきた己の過去をどのように振り返っていたのだろうか。何ら恥ずることなく「当然の指導と称して出版差し止めの挙」に出たのだろうか。知る由もないが気にかかる点である。 |
【党中央の出版妨害事件2、党中央の得手勝手な論法】 | ||
この「言論・出版妨害事件」の発生が「図書新聞」(8.25日号)や「週刊文春」(8.30日号)に取り上げられることになった。
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この「日共の出版差し止め論法」を注視せよ。考えてみよう。「出版の自由」をこのように論旨展開させて恥じない左翼党があり得て良いだろうか。これは紛うことなき権力理論であり、しかも反動的な「党員飼い殺し理論」であり、奴隷強要論である。党と日中出版との問題は、党生活、党内規律、結社の自由の問題としてはあり得る。それは個別吟味されねばならない面もあるにはある。だがしかし、「出版の自由」を「結社の自由」論で否定するなどは問題のすり替えでありデタラメであろう。 1・党員は自らの自由意志で入党している。2・政党には内部自律権がある。3・党員は、党生活において党内規律と規則で制限される、という三段論法を臆面もなく展開しているが、これは党中央が党員を煮て食おうが焼いて食おうが自在理論に帰着し、ここには民主主義精神のひとかけらもない。まさに悪徳権力論でしなかろう。 「結社の自由」を「言論、出版、その他の表現の自由」と対立させ、「結社の自由」を優位にたたせるこの党中央の論理は、宮顕仕込みのご都合理論の万展開である。党中央に限りない権力が集中され磐石の態勢下にある中で、この鬼の金棒論理を振り回すとどうなるか。これを世上ではファシスト体制と云う。れんだいこは、ネオシオニズムのご都合主義的強権論法と見なす。 付言すれば、これはれんだいこならでは指摘し得るところであろうが、この論法は宮顕独特の査問論理であることに気づくべきであろう。「戦前党中央委員小畑査問致死事件」の責任を問われた宮顕の公判闘争の論理は、1・党員は自らの自由意志で入党している。2・政党には内部自律権がある。3・党員は、党生活において党内規律と規則で制限される。4・党内査問は政党の自由裁量であり、外部から問題されるに及ばない。5・小畑の死亡は本人の特異体質によってである。6・我々の蘇生努力にも拘わらず蘇生しなかったのは本人の責任である、というものであった。この論法が至るところに適用されていることが分かろう。 柳瀬社長の暴露に対しては、それまでは「党の関知しないところです」なる説明で居直っていた。それが通じなくなると、「あたかも日本共産党が『出版妨害』事件を起こしたかのようにすりかえている」と批判し始めた。他方で、柳瀬社長を「あわれむべき転落者」、「無節操」呼ばわりすることで事実の解明には向わない。どっちが「すりかえ」ているのかは明解であろう。 2007.7.23日 れんだいこ拝 |
【党中央の出版妨害事件3、党中央の生殺与奪強権】 | |
なお、党中央は、党系列の民主書店に対し、日中出版の書籍の取り扱いを止めるよう指示し、「民主的な書店が平和・民主運動を妨害、撹乱するような本を自主的に扱わないのは、当然すぎるほど当然」とも語っていた。赤旗への広告と書評の掲載が禁止され、民主書店を取引先としている党の書籍取扱所「あかつき書店」から、今後一切日中出版の本を扱わない旨が宣告された。党中央はさらに、一般ジャーナリズムの窓口になっている広告代理店にも圧力をかけていた。こうして、党中央は、出版妨害のみならず、日中出版の取次ぎ締め出しという生殺与奪まで関与し始めた。しかし、白黒反対の詭弁を弄し、「党が当然柳瀬に注意したことをとらえて、柳瀬はこれを『出版妨害』と騒ぎ立てて、この本の宣伝に最大限に利用した」とも逆恨みコメントしている。
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【党中央の出版妨害事件4、出版妨害事件の余波】 |
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翌1985(昭和60).2.22日、柳瀬・安藤氏は、除名された。2.24日、赤旗に、「柳瀬宣久の除名処分について」が掲載された。一方的に都合のよい「党規律違反の概要」が書きなぐられていた。
これが、党中央のいつもの反党分子に対する常套話法である。この論法に違和感を覚えない者は基本的に左派運動を理解していないことになろう。れんだいこは逐一反論はしないが、あまりにも酷すぎる話法であることを指摘しておく。 ところで、党中央の妨害を跳ね除けて「原水協で何がおこったか、吉田嘉清が語る」を緊急出版した日中出版社の党員に対する執拗な査問が開始されていった。この経過を見ておく。
こういう言葉を弄びながら、確信的に裏腹のことをやるという宮顕の陰険な性癖に対して、我々は氏をどう評価すべきだろうか。異常性格か、もしそうでなければスパイ特有の三枚舌文言として見ておくべきかと思われる。 |
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創価学会の出版妨害事件と日共の出版妨害事件を比較して云えることは、創価学会のそれは直接的であり露骨であった。それに比して日共のそれは隠微にして卑劣である。どちらがより悪いという問題ではないけれど、そういう違いが透けて見えてくる。いずれにせよ、創価学会の出版妨害事件を問い、日共の出版妨害事件を見ようとしない日共系シンパ層は頭を冷やしたほうが良かろう。ちなみに、似たような日共の出版妨害事件は他にも多々ある。お望みならそれも説いて聞かせようか。 2005.3.31日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)