原水禁運動分裂経過に対する赤旗論文の詐術考

 (最新見直し2013.10.25日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 2002.9.8日付け赤旗に「原水爆禁止運動に偏見を持ち込む『朝日』の特異な立場」なる批判記事が掲載された。現下日共党中央の悪質論理が随所に出ているのでこれを検討する。もしこのような記事が何食わぬ顔で罷り通るなら、歴史は有って無きが如くとなり、真剣に学ぶ者は学ぶほど脳患いされてしまうだろう。そこで急遽れんだいこが、頼まれもせぬがお助けマンとして切り刻んで見ることにする。

 他にも、1995
赤旗評論特集版「原水爆禁止運動は『分裂』の歴史か」で詐術を用いている。以下、これを検証する。

 2002.9.10日 れんだいこ拝


【「朝日新聞本田記者執筆『分裂続く原水禁・原水協』記事」】
 2005年現在、「原水禁運動分裂経過に対する赤旗論文の詐術」に対して、「お笑い日本共産党」氏がお笑い日本共産党のHP原水禁と原水協の分裂と、共産党の歪んだ報道で検証している。ここで、「2002.9.2日付け朝日新聞11面記事の本田記者執筆『分裂続く原水禁・原水協』を紹介している。これを転載する。
 「えっ。もう一つの世界大会?それは何?」原水爆禁止日本国民会議(原水禁、旧総評系)などの大会に仏領ポリネシアから招かれた核実験被害者エチエンヌ・テフムさん(34)は驚いた。運動分裂の経緯などを説明すると、「僕の住んでいる島は人口100人。別れて喧嘩なんかしていたら核実験反対もできない」。「先進地」日本の反核運動を学びたいと思っていたテフムさんは戸惑いを隠さなかった。

 今年の世界大会は「テロ撲滅」を理由に、「先制核攻撃」まで示唆する米国への非難一色に塗り込められたといえる。原水禁系大会に招かれた米国最大の平和団体ピース・アクションのケビン・マーチン代表は、「米政府は第2第3のヒロシマ、ナガサキを作ろうとしていると指摘した。昨年の9.11同時多発テロで弟を失ったリタ・ラサーさんも、原水爆禁止日本協議会(原水協、共産党系)などの世界大会で、「ブッシュ大統領はアフガンの人々を殺す理由に弟の死を利用している」と自国の政府を厳しく批判した。

 太平洋の旧植民地などで核実験を繰り返した米、英、仏政府は、動員兵士や住民の被害を長い間否定し、情報を隠してきた。が、原水禁や原水協の現地調査による被害者掘り起こしや今大会の証言で、その実態がようやく浮かび上がった。禁、協ともに核兵器が実験・開発の段階からヒバクシャを生み出すことを世論に訴え、核保有国を包囲していく考えだ。

 それだけに、運動が分裂していることは、海外の活動家や一般市民に運動への距離感をもたらし、反核の力を削いでいると言わざるをえない。長崎では昨年から高校生たちが核兵器廃絶を求める「一万人署名運動」に取り組んでいる。代表は今夏「高校生平和大使」として国連欧州本部を訪れ、目標を大幅に上回る4万人の署名簿を提出した。昨夏の平和大使の一人、堤千佐子さんは、「日本の運動は組合や政党で色分けされ、特別な人がやっていると思っていた。そう思われている限り、普通の人々にはなかなか広がらないのでは」と心配する。

 広島大会では原水協系が参加者7千人、原水禁系が3500人、海外代表は原水協系が24カ国68人、原水禁系が9カ国17人。この数字は、そのまま両者の動員力、財政力の差を反映している。両団体にこれだけの差がついたのは、主張の「中身」とはあまり関係がない。旧総評系労組を基盤にした原水禁は、主要労組の弱体化や相次ぐ脱退で先細ってきた。

 しかし、「社会主義国も含め、いかなる国の核実験にも反対」と訴え、「核に平和利用などない」と脱原発を打ち出してきたその主張は、欧米の反核運動の主流が反原発を強める中で、「正統性」を高めた。反核平和運動が主として左翼運動として展開されてきた日本では、社会党‐社民党の衰退が、相対的に共産党による原水禁運動への影響力を強めた。

 「共産党首長のいる○○町からやってきました」登壇した発言者が冒頭、こうしたあいさつを繰り返す原水協系大会に、共産党支持者以外の人が参加するのにはかなりの勇気がいるだろう。反核運動は共産党だけのものではない。運動をさらに広げようとするなら、党はまず一歩下がることを考えるべきではないか。海外代表をこれだけ呼べる実績を積んできた原水協にはそれができるはずだ。2年後には第5福竜丸の水爆被爆50周年、原水禁運動半世紀の節目が迫る。禁・協の組織統一は無理でも、まずい一日程度の共闘は目指せるだろう。それもできなくて、核保有国に廃絶を迫れるだろうか。
(私論.私見) 「朝日新聞本田記者記事」について
 「朝日新聞本田記者記事」が、日本原水禁運動における原水協と原水禁の分裂事態をジャーナルし、「運動が分裂していることは、海外の活動家や一般市民に運動への距離感をもたらし、反核の力を削いでいると言わざるをえない」、「反核運動は共産党だけのものではない。運動をさらに広げようとするなら、党はまず一歩下がることを考えるべきではないか。海外代表をこれだけ呼べる実績を積んできた原水協にはそれができるはずだ。2年後には第5福竜丸の水爆被爆50周年、原水禁運動半世紀の節目が迫る。禁・協の組織統一は無理でも、まずい一日程度の共闘は目指せるだろう。それもできなくて、核保有国に廃絶を迫れるだろうか」とコメントしたことは極めて適切である。

 しかし、このコメントが日共に批判されていくことになる。以下、その口ぶりを解析する。

 2002.9.10日 れんだいこ拝

【赤旗見解「原水爆禁止運動に偏見を持ち込む『朝日』の特異な立場」の詐術考】

 日共党中央は、2002.9.8日付け赤旗に「原水爆禁止運動に偏見を持ち込む『朝日』の特異な立場」なる批判記事を掲載した。その見解は次の通り。

 「朝日新聞」(二日付)が、「分裂続く原水禁・原水協 反核運動結集なるか」(社会部・本田雅和、北川学)と題する記事を掲載しました。この記事は、原水爆禁止運動と世界大会についてゆがめて報じるだけでなく、日本共産党を名指しして非難する異常なものです。

 二つの原則を守って広げてきた共感

 「朝日」記事の趣旨は、“日本の原水禁運動は分裂したままであり、いまこそ運動の構造改革と力の結集が必要だ、運動を広げるためにも共産党はまず一歩下がることを考えるべきではないか”、というものです。この記事は、原水協系が海外代表などの動員力でも、財政力でも、原水禁系をはるかに上回っている事実は認めていますが、その要因については、「(両者の)主張の『中身』とは余り関係がない」と問題をそらせています。

 原水協は、結成以来、一貫して、核兵器廃絶を緊急の課題として正面にかかげ、一致点で共同するという二つの原理、原則を守ってきました。社会党、総評の特定の見解を世界大会に押し付けようとしたのが原水禁でしたが、二つの原理、原則は原水協によって守り抜かれました。原水協が中心となったことしの原水爆禁止世界大会には、核廃絶を求める八つの国の元首(首相)からのメッセージが寄せられ、四つの国の政府代表が参加しました。

 メッセージを寄せた国は、マレーシア、ベトナム、ラオス、バングラデシュ、南アフリカ、ニュージーランド、スウェーデン、タイ。政府代表の参加は、エジプトの外務次官、マレーシアの軍縮大使、バングラデシュ、南アフリカの大使館関係者でした。

 ここにしめされた国際政治の舞台の多彩な顔ぶれが、世界大会で、平和団体、NGOとともに議論し、核廃絶のために協力することの重要性を確認したことは、原水爆禁止運動の新たな発展段階を具体的にしめすものです。原水爆禁止世界大会が、こうした内外の人々の共感と信頼をかちえた大本には、さきにみた二つの原理、原則を守ってきたこと、これにもとづいて地道な活動を繰り広げてきたことがあることはきわめて明白です。

 確かに、運動が分裂していることに多くの国民は心を痛めており、原水爆禁止運動の統一は、国民的な課題です。一九九九年、原水協は原水爆禁止の国民的運動の発展と統一へ向け、「核兵器のない二十一世紀のための国民的な対話・交流・共同を」とのよびかけを発表し、原水禁をふくむ諸団体、個人に提起しました。しかし、原水禁は、この対話・交流・共同のよびかけには答えず、対話さえも拒んでいます。この間の彼らの大会では野党からのメッセージが紹介されてきましたが、日本共産党だけには要請してこないことにも、そのセクト的態度が示されています。「朝日」は、今回と同じ記者自身が、二年前にはこうした事実を無視できず、「原水協は二年前から、何回か原水禁側に共同行動を呼びかけている。だが、原水禁側は『激しい排斥と攻撃を加えたのはどちらか』と過去にこだわる」(二〇〇〇年八月九日付)と報じていたことを忘れたのでしょうか。

 取材と称して特異なオルグ

 今回のような記事を書くうえで、「朝日」記者が、特異な「取材活動」をしてきたことは、海外代表のなかでも、かなり知られた話です。「朝日」記者は、たとえば昨年、原水協が中心となった世界大会に参加した海外代表に「この大会の背後には共産党がいる」などと、まったく事実をゆがめて吹き込んだうえで、あれこれの言質を引き出そうとしました。「大会は共産党色が強すぎる」という声が出るように、偏見を吹き込み、オルグしているようなものです。「朝日」記者のこうしたやり方による記事は、事実に目をふさぐ、まさに自作自演の報道といわなければなりません。もちろん、「朝日」記者が個人としてどのような考えを持とうと自由です。しかし、いやしくも新聞記者として取材し、記事を書こうとするなら、色眼鏡でなく、公平な目でみることが、最低限の責任です。(I・S)


 (注)原水協とは、原水爆禁止日本協議会の略称。一九五五年の第一回原水爆禁止世界大会の直後に結成されました。原水禁とは、原水爆禁止日本国民会議の略称。社会党、総評の特定の見解が受け入れられなかったからとして一緒にやってきた世界大会から分裂し、一九六五年に結成されました。

(私論.私見) 「朝日新聞本田記者記事」に対する日共の反論について
 上述の2002.9.8日付け赤旗「原水爆禁止運動に偏見を持ち込む『朝日』の特異な立場」にソウダソウダその通りと相槌打つよう飼い馴らされているのが日共党員ないし支持者である。日本原水禁運動史を知る者には噴飯ものなのだが、史実を知らされていないから、こういう言論詐欺に手玉に取られてしまうことになる。

 2002.9.10日 れんだいこ拝

火河渡氏の[JCP−Watch!]掲示板での批判
 これに対し、火河渡氏が[JCP−Watch!]掲示板で次のように批判している。
 原水禁運動に関する歴史の偽造

 日共のホームページに次のような記事が掲載されている。

 原水爆禁止運動に偏見を持ち込む「朝日」の特異な立場
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-09-08/08_0402.html

 この記事によれば、「原水協は、結成以来、一貫して、核兵器廃絶を緊急の課題として正面にかかげ、一致点で共同するという二つの原理、原則を守ってきました。」のだそうである。ところが、周知のように日共の上田耕一郎は、1961年のソ連の核実験再会をうけて次のように言っていたのである。「極度に侵略的な戦略を完成しようとするアメリカの核実験にたいして、ソ連が防衛のための核実験をおこなうことは当然であり、世界大戦の勃発を阻止するための不可欠の措置にほかならない。」(1962年10月号の日共中央機関紙『前衛』より のち上田耕一郎『マルクス主義と平和運動』所収)

 そもそも、ソ連の核実験を「当然」とした上田耕一郎だが、核実験を「当然」というからには実験に使われる核兵器の存在が「当然」の前提となるばずである。このように、日共は核兵器を前提とし、ソ連の核実験を断固として擁護していたのである。こうした路線を受けて、当時の原水協の中でソ連の核実験に反対すべきことを訴えた人々を、警官隊をも動員して原水協から排除したのが原水協を牛耳る日共幹部どもであった。このことは、大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』冒頭部にも記述されており、日共の行為は「僕は違和感の棘のはえた衝撃をうける」と評されている。この薄汚い過去を隠蔽したうえで、「原水協は、結成以来、一貫して、核兵器廃絶を緊急の課題として正面にかかげ、一致点で共同するという二つの原理、原則を守ってきました。」などと言っているのである。こういう正真正銘の嘘を平然と言える精神構造そのものが不信を高める原因になっていることに日共官僚は気づかないのか。

 さらに冒頭にかかげた日共の記事は次のように言う。「原水協とは、原水爆禁止日本協議会の略称。一九五五年の第一回原水爆禁止世界大会の直後に結成されました。原水禁とは、原水爆禁止日本国民会議の略称。社会党、総評の特定の見解が受け入れられなかったからとして一緒にやってきた世界大会から分裂し、一九六五年に結成されました。」

 ここでは、日共は自分たちがソ連の核実験を支持したという事実を完全に隠蔽している。また、ソ連核実験がなされる直前、1961年の8月6日に原水協が「いかなる国であろうと、最初に核実験を再会した国は平和と人類の敵である」と高らかに宣言していたという事実をも隠蔽し、これに依拠した社会党、総評の見解を「特定の見解」などと称している点が極めて薄汚いものである。社会党・総評の見解は、原水協の宣言に則ったものであって何ら「特定の見解」ではないのである。日共による歴史の偽造に抗して、ソ連核実験を支持した原水協の薄汚い歴史的犯罪をともに暴露・弾劾しよう!すべての良心的党員・支持者の諸氏は、いまこそ日共・原水協から訣別しよう!

(私論.私見) 「火河渡氏の[JCP−Watch!]掲示板での批判」について

 これに対するれんだいこ見解は次の通り。 

 この火河渡氏の見解は基本的に全て正解であろう。もう少し突っ込んで欲しいところは、「こういう正真正銘の嘘を平然と言える精神構造そのものが不信を高める原因になっていることに日共官僚は気づかないのか」と批判するのではなく、意図的に詭弁を弄する精神構造そのものの分析に向かって貰いたいということである。宮顕―不破の「薄汚い過去」は尋常ではない。「すべての良心的党員・支持者の諸氏は、いまこそ日共・原水協から訣別しよう!」ではなく、宮顕―不破系の日共指導部の由来と作用について「暴露・弾劾しよう」を徹底すべきではないのか。この観点以外に付け加えるところはない。

 2002.9.10日 れんだいこ拝

【碓井堅一郎氏の赤旗論文批判】

 碓井堅一郎氏のサイトの「共産党は反核運動分裂に無縁か」で貴重な次の指摘が為されている。1995年赤旗評論特集版「原水爆禁止運動は『分裂』の歴史か」を次のように批判している。

 1995年「赤旗」評論特集版「原水爆禁止運動は『分裂』の歴史か」(以下「赤旗」)は次のように述べている。

 「たとえば、中国新聞5月28日付の記事は『日本原水協に強い影響力を与えていた共産党系と社会党系の路線の違い』が1960年代初めの『いかなる国の核実験にも反対』問題で『決定的に』なり、1963年の第9回世界大会ではさらに部分的核実験停止条約が『新たな対立の火だね』となって運動が『分裂』したと描いている。『分裂』の原因は、日本共産党と社会党との路線のちがいにあって、結局、『どっちもどっち』という主張であるが、どちらが統一の立場を守り運動の発展に力をつくしてきたか、どちらが分裂の立場にたって妨害してきたか、つぎにみてみよう」と述べ、社会党が分裂の張本人であったと述べている。 

 しかし、上記の中国新聞の記事は正確であり、反核運動が分裂の歴史をたどった原因を作ったのはまさに『どっちもどっち』だった。日本共産党が「いかなる国の核実験にも反対」に反対したのは、中ソの核政策は防衛的なものであり、余儀なくされたものであるというのがその理由であった。つまり、米国などの核実験は侵略目的のためであるが、中ソの核実験はそれに対する防衛的なものだから、中ソの核実験に反対するのは正しくないということである。そのために日本共産党は「いかなる国の核実験にも反対」することに強く反対したために、中国新聞のいうように1960年代初めに反核運動の分裂が「決定的に」なったのである。

 現在、日本共産党は中ソの核政策は防衛的なものではなくなったとの理由で「いかなる国の核実験にも反対」しているが、当時、中ソの核政策は防衛的で余儀なくされたものという日本共産党の認識は正しかったのか。

 上記の「赤旗」の記事は、日本共産党の政策が「いかなる国の核実験にも反対」に変わった理由について次のようにのべている。「1960年代後半に旧ソ連のチェコスロバキア侵略や中ソ国境での双方の武力衝突などの事態があいつぎ中ソの核政策が防衛的なものではなくなったためである」。

 しかし、ソ連が侵略国になったのは1968年にチェコスロバキアを侵略したのが最初ではない。ソ連はすでに1939年にポーランドを侵略し、同年フィンランドから同国の領土の一部を奪い、1940年にはバルト諸国をソ連領に編入した。そして第2次大戦後日本から千島を奪った。1956年にはハンガリーに侵略した。したがって、ソ連は1968年のチェコスロバキアスロバキア侵略から侵略を始めたのではなく、それよりも30年前から数々の侵略を行っていたまぎれもない侵略国だった。

 したがって、1960年代初めに日本共産党が、ソ連の核政策が防衛的なものであり余儀なくされたものと主張して「いかなる核実験にも反対」に反対したのは間違っていた。 したがって、日本共産党が、1960年代初めに「いかなる核実験にも反対」に反対していなかったら、部分核停問題をごり押しした社会党に「分裂者」の汚名が着せられることはあっても、少なくとも日本共産党にかぎっては「分裂者」の汚名を着せられることにはならなかった。

 日本共産党は「いかなる核実験にも反対」に反対したことについて、いさぎよく自己批判すべきである。

 続いて、「共産党は党名を変更すべきである」という題名で、次のように述べている。 

 1994の8月15日から20日まで、NHKのラジオ第一放送の朝5時45分から放送された「人生読本」( 再放送) で作家の早坂暁氏が水野広徳という人を取り上げた。水野広徳という人は海軍の軍人であったが、第1次大戦が終わったあと、職務で欧州に大戦後の状況調査に出掛け、その状況があまりに悲惨なことに衝撃を受け、それ以来反戦を強く主張するようになり、そのために海軍にいられなくなり、退役し、そのあと、ペンで反戦の主張を展開した。

 しかし、水野広徳が執筆した論文は発禁につぐ発禁で遂に沈黙を余儀なくされた。水野広徳は日記の中でしか反戦を主張できなくなったが、その日記の中で水野広徳は1939年のソ連によるポーランド侵略について、これではソ連は社会主義国とは言えない、資本主義国と同じであると書いていると早坂氏は述べている。このように当時すでにソ連は社会主義国とは言えないと考えた人がいたのである。本来なら、社会主義の原則について最も敏感な社会主義者こそ、真先にソ連の侵略を糾弾し、ソ連を社会主義国ではないと断じなければならなかった筈である。しかるに、ソ連は社会主義国とは言えないとすでに喝破した人がいた一方で、宮本議長は「スターリン時代のソ連を賛美する論文を書いていた」のである(1991年9月14日「朝日新聞」のインタビュー記事)

 日本共産党は、20回大会(1994年)でソ連は社会主義国ではなかったということを認めたが、日本共産党はソ連が社会主義国ではないということが分かるまで50数年近くを要したのである(ソ連がポーランドを侵略した1939年から1994年の日本共産党の20回大会まで)。日本共産党の認識がいかに非科学的かここにきわまれりというべきである。

 日本共産党は規約において「科学的社会主義を理論的基礎」とする旨うたっているが、ソ連が社会主義国でなかったことを50年以上にわたって分からなかったということは「科学的社会主義の理論」がなんの役にも立たない無力な理論であったことを示している。 この認識の誤りは、単に日本共産党は非科学的であったというだけでは済まされない。 最近になって、他人事のように、ソ連が「社会主義社会でないことはもちろん、それへの移行の過程にある過渡期の社会でもありえないことはまったく明白」(「前衛」日本共産党第20回大会特集)というだけで済ますのは余りに無責任である。なぜなら、日本共産党は政治評論家の集まりではなく、政治を実践する組織なので、もし政権を取った時、誤った認識を持っていれば、その誤りが実施されるからである。

 日本共産党の現在の綱領の原型は1961年に制定された。その中で次のように述べられている。「社会主義世界体制は人類社会発展の決定的要因になりつつある。世界史の発展方向として帝国主義の滅亡と社会主義の勝利は不可避である」、「ソ連を先頭とする社会主義陣営、全世界の共産主義者、すべての人民大衆が人類の進歩のために行っている闘争をあくまで支持する」。 その後これらの文言が少しずつ改正され、最第17回大会(1985年)で、これらの文言が綱領から完全に姿を消した。そして、先述のようにソ連が「社会主義社会でないことはもちろん、それへの移行の過程にある過渡期の社会でもありえないことはまったく明白」ということになったのである。

 これが認識の誤りであったというだけでは済まされないのは先述のように日本共産党は評論家の集まりではなく政治団体だからである。自由と民主主義を抑圧していた「ソ連を先頭とする社会主義陣営をあくまで支持していた」のであるから、日本共産党が日本で政権を取っていたら、日本でも同じように自由と民主主義が抑圧され、本質的には、ソ連と同じような暗黒社会が日本に現出したことは明らかである。そのことは1968年に日本共産党がチェコスロバキア共産党が無条件の「表現の自由」、「出版の自由」、「集会・結社の自由」を宣言した「行動綱領」を激しく攻撃したことからも明らかである。

 「日本共産党は党名を変えるべきではないか」という声が広く聞かれるが、それに対して日本共産党は「党名を変えるのは過去に大きな誤りを犯した党だけであり、日本共産党は過去に大きな誤りを犯していないので党名を変える必要ない」と主張している。

 日本共産党の第20回党大会(1994年)における「日本共産党綱領の一部改定についての報告」の中で不破委員長は「全章にわたる改定なのに、なぜ一部改定なのかという質問が出されている」と述べている。

 日本共産党は現在の綱領の原型である1961年綱領からこの第20回党大会までに、少しずつ内容を改定し、遂に第20回党大会で「全章にわたって改定」した。とりわけ、「社会主義世界体制は人類社会発展の決定的要因になりつつある。世界史の発展方向として帝国主義の滅亡と社会主義の勝利は不可避である」、「ソ連を先頭とする社会主義陣営、全世界の共産主義者、すべての人民大衆が人類の進歩のために行っている闘争をあくまで支持する」と規定した部分が綱領から削除され、1976年に発表された「自由と民主主義の宣言」の中からソ連をはじめとする自称社会主義国が「社会・政治生活における人民大衆の積極的参加という民主主義の根源的な発展の分野でも、(中略)大局的に偉大な歴史的成果をおさめたことは明白である」という部分が削除されたことは、綱領が本質的に新しい綱領に変わったというに等しいのである。

 日本共産党が旧ソ連をはじめとする自称社会主義国を50数年近くにわたって社会主義国として認めていたことは、日本共産党が日本で政権を取っていれば、そのような社会主義が日本でも行われた可能性があるという点で巨大な誤りを犯していたことになる。

 第2次大戦が終わったあとの混乱期に日本共産党が政権を取る可能性があった。1947年2月1日に全官公庁労働組合共同闘争委員会を中心とした全国的規模のいわゆる「2.1ゼネスト」が計画されたが、この時期に日本共産党は政権を取る可能性があった。もしこの時期に日本共産党が政権を取っていれば、ソ連式の社会主義が行われたことは間違いない。日本はソ連と違ってかなり高度に資本主義が発達していたので、ソ連式の社会主義にはならなかったと日本共産党は主張するかもしれない。しかし、この時期に相次いで社会主義国に移行した東独、チェコ、ポーランドなどかなり資本主義が発達していた国でも例外なく、その社会主義はソ連式社会主義であった。したがって、日本だけはソ連式社会主義にはならなかったと主張しても説得力はない。そのことは、先述のように1968年に日本共産党がチェコスロバキア共産党による「表現の自由」、「出版の自由」、「集会・結社の自由」を宣言した「行動綱領」を激しく攻撃したことからも明らかである。このような攻撃は反革命勢力を力で弾圧することを原則とする「プロレタリア独裁」の原則に基づくものだった。したがって、日本共産党が戦後に政権を取り、日本がソ連式社会主義国になっていれば、1989年末から1990年にかけて相次いで崩壊した東独、チェコ、ポーランドの共産党政権と同じように日本においてもこのような「プロレタリア独裁」に基づく共産党政権が崩壊したであろうことは想像にかたくない。

 日本共産党は党名を変える党は過去に大きな過ちを犯した党だと主張している。日本共産党は1976年に「自由と民主主義の宣言」を発表して、実質的に「プロレタリア独裁」を放棄することによってソ連式社会主主義から決別するまでは大きな過ちを犯していたことになる。日本共産党は1976年にソ連式社会主義から自由と民主主義を容認した社会主義に転換した。このことは日本共産党が別の党に生まれ変わったのに等しい。

  共産党と社会民主主義政党とを分ける分水嶺は「プロレタリア独裁」を掲げるか否かで決められた。レーニンが「国家と革命」の中で「階級闘争の承認をプロレタリア独裁の承認までひろげる人だけがマルクス主義者」であると主張したからだ。しかし、日本共産党は「自由と民主主義の宣言」を行うことによって、暴力革命と反革命勢力に対する物理的力による弾圧を原則とする「プロレタリア独裁」を放棄して、共産党から社会民主主義政党に転換した。したがって、ビンの中味が別物に変わったのに、ビンのラベルをそのままにしておくのは正しくない。本来なら、「プロレタリア独裁」を事実上放棄した時点で党名を社会民主主義政党に相応しい名称に変えるべきであった。

 日本共産党は綱領において「プロレタリア独裁」を「労働者階級の権力の確立」という「プロレタリア独裁」と同じ意味の言葉に変えただけで、「プロレタリア独裁」の原則は放棄していないと強弁するかも知れないが、「自由と民主主義」を認めれば、暴力革命や反革命勢力に対する弾圧はできなくなるのであるから、この主張は通らない。日本共産党が「労働者階級の権力の確立」という言葉を残しているのは、日本共産党は「プロレタリア独裁」を放棄したから、もう共産党ではなくなったという批判を受けたときの言い訳に「労働者階級の権力の確立」という文言を掲げているだけであろう。例によって日本共産党の常套手段である姑息かつ狡猾なごまかしにすぎない。そもそも、「労働者階級の権力の確立」をわざわざうたわなくても、国民から選ばれて政権を獲得すれば、憲法上、当然に権力は確立される。そのことは、現在、自民党が政権を獲得することによって「権力を確立」していることを見れば明らかである。

 なお、最近、共産党は「国民が主人公」であることを強調しているが、これは「労働者階級の権力の確立」という考え方とは矛盾する。なぜなら、「国民が主人公」という場合、この国民には労働者階級の敵対者である資本家階級も含まれているので、「労働者階級の権力の確立」が行われると、この権力からは、主人公の一部である資本家階級が排除されることになるからである。したがって、「国民が主人公」であるとするなら、綱領から「労働者階級の権力の確立」という文言を削除すべきである。

 先述のように共産党はソ連が社会主義国でなかったということを最近までわからなかった。これは共産党が理論的基礎とし、共産党のいのちともいうべき「科学的社会主義」の理論が無力であったことを示している。なぜなら、「科学的社会主義」の理論が科学的で正しい理論であるなら、この理論をものさしにしてソ連その他の自称社会主義国を評価すれば、容易にこれらの国が社会主義国でないことが分かった筈だからである。しかし、最近にいたるまで、日本共産党はこれらの国が社会主義国ではないことが分からなかった。そのことは「科学的社会主義」の理論が無力であったことを示している。

 日本共産党が自称社会主義国を最近にいたるまで社会主義国ではないことが分からなかったことは大きな誤りの一つである。上記に加えて、他の項目でも日本共産党がこれまでいくつも大きな誤りを犯していることを指摘した。日本共産党は党名を変えるべきである。

 最近、共産党は過去において大きな誤りを犯していることを認識するにいたったのか、党名を変更しない理由を、過去に大きな誤りを犯していないという理由から、共産党という名称は共産党が目指している終局的な理想社会をきざんだ名前だからという理由に変更しているようである(2002年5月20日の「しんぶん赤旗」)。

 共産党が過去に誤りを犯したことを認めたのであれば一歩前進したと言えるが、従来の主張を変える理由についてなんの説明もなくなしくずしに変えるという共産党の悪しき体質は相変わらずである。

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(私論.私見)
 これに対するれんだいこ見解は次の通り。

【原水禁運動分裂経過に対するれんだいこの論評】
 れんだいこは、2005.3.12日、「原水禁運動分裂問題」に対して次のように論評している。「左往来人生学院」投稿文を転載しておく。
Re:れんだいこのカンテラ時評その26 れんだいこ 2005/03/12
 【「本田記者考」】

 本田記者の全体像は分からないが、本田記者の秀逸記事を指摘しておこうと思う。れんだいこのサイトに目を通しているうちに偶然「原水禁運動分裂経過に対する赤旗論文の詐術考」に行き当たり、「2002.9.8日付け赤旗の原水爆禁止運動に偏見を持ち込む『朝日』の特異な立場」論文で批判されている朝日新聞記事の筆者が「社会部・本田雅和、北川学」であることを思い出した。件(くだん)の記事は、赤旗論文の批判にも拘わらず、朝日新聞記事の方に正当性があり、その指摘が「スッキリさわやか」である点で、れんだいこが格別評価しているものである。これを確認しておく。れんだいこは、「朝日新聞記事」の原文を知らないので、赤旗論文の記述に従い推理していくことになる。

 2002.9.2日付の朝日新聞記事「分裂続く原水禁・原水協 反核運動結集なるか」(社会部・本田雅和、北川学)は、「日本の原水禁運動は分裂したままであり、いまこそ運動の構造改革と力の結集が必要だ、運動を広げるためにも共産党はまず一歩下がることを考えるべきではないか」と意見している。これに対して、赤旗は、「この記事は、原水爆禁止運動と世界大会についてゆがめて報じるだけでなく、日本共産党を名指しして非難する異常なものです」と批判している。

 どこが史実歪曲で、異常批判なのかというと曰く、概要「原水協運動において一貫して正しかったのは日共系原水協であるのにそこを評価せず、原水禁運動との野合的共同集会を呼びかけているのがけしからん」という論調となっている。では、日共系原水協運動のどこが正しかったのかというと、「核兵器廃絶を緊急の課題として正面にかかげ、一致点で共同するという二つの原理、原則を守ってきた」のが原水協である、と云う。 更に、概要「対話・交流・共同のよびかけには答えず、対話さえも拒んでいるのが原水禁であり、セクト的対応に終始している」、と云う。

 興味深いことは、2000.8.9日付朝日記事が、「今回と同じ記者自身が、二年前にはこうした事実を無視できず、「原水協は二年前から、何回か原水禁側に共同行動を呼びかけている。だが、原水禁側は『激しい排斥と攻撃を加えたのはどちらか』と過去にこだわる」と報じているのを逆手に取り、原水禁のセクト的対応については朝日新聞記事が認めていることではないか、とレトリックしていることである。結論として、「朝日記者のこうしたやり方による記事は、事実に目をふさぐ、まさに自作自演の報道といわなければなりません。もちろん、朝日記者が個人としてどのような考えを持とうと自由です。しかし、いやしくも新聞記者として取材し、記事を書こうとするなら、色眼鏡でなく、公平な目でみることが、最低限の責任です。(I・S) 」と書き付けている。

 事情の疎いものは、例によって赤旗論文の詐術に乗せられてしまう。あたかも知らさないからこういう芸当ができるとして平素より愚民教育している観がある。れんだいこが赤旗論文のウソを暴き、本田雅和、北川学記者の見識の秀逸さを称えてみたい。

 まず、原水禁に対し、末尾の「(注)」で、「原水禁とは、原水爆禁止日本国民会議の略称。社会党、総評の特定の見解が受け入れられなかったからとして一緒にやってきた世界大会から分裂し、一九六五年に結成されました」と書き付けているウソの告発から始めたい。原水禁が、「社会党、総評の特定の見解が受け入れられなかったからとして一緒にやってきた世界大会から分裂したのかどうか」。このウソを暴くために、「原水禁運動考」、「理論的対立の検証(4)原水協の分裂考」で解析した。要するに、戦後原水禁運動の反戦平和の願いを、党派的な観点から「資本主義の核は悪い、社会主義の核は良い」とする党派的立場から分裂を持ち込んだのが宮顕系日共であり、その独善主義に閉口して分裂を余儀なくされていったのが原水禁運動であるという構図で見るほうがまだしも正しい。

 ここでは触れられていないが、回りくどい言い方で「如何なる核実験にも反対」の原則的立場を堅持してきたのが原水協である、と受け止めがちな詐術さえしていることである。史実は、社会党系の「いかなる核実験にも反対」に反対してきたのであり、この経過には一大政治ドラマがある。今現在日共が「いかなる核実験にも反対」するのは結構なことであるが、自己批判抜きに転換し得るような生易しいものではない。それを厚顔無恥にやり遂げる宮顕ー不破系日共党中央の詭弁にはあきれ果ててしまう。なお、原水禁運動の分裂事態を悲しみ、原水協、原水禁の双方から何とかして共同集会へ漕ぎつけようと努力する経緯があった。それを壊したのが日共党中央であり、幾度も試みられ幾度も壊してきたのが日共党中央である。この史実も「原水禁運動考」に記した。これらを踏まえれば、赤旗論文執筆者の「色眼鏡でなく、公平な目でみることが、最低限の責任」は手前の方にこそ投げ返される言葉であろうに。

 以上を踏まえて、話しを戻す。2002.9.2日付の朝日新聞記事「分裂続く原水禁・原水協 反核運動結集なるか」(社会部・本田雅和、北川学)の「日本の原水禁運動は分裂したままであり、いまこそ運動の構造改革と力の結集が必要だ、運動を広げるためにも共産党はまず一歩下がることを考えるべきではないか」との意見は、「原水禁運動考」するものなら誰しも辿り着く見解であり、それを本田雅和、北川学記者が書き付けた意義は大きい。れんだいこは、本田記者の卓見記事の一つではないかと評している。もっとも、こたびの「2005NHKと朝日の面子泥試合」の発端記事の評価とは別だ。れんだいこは、本田記者の安上がりの正義が海老沢会長追い落としに上手に利用されたのではないかと推理している。

 2005.3.12日 れんだいこ拝

【「お笑い日本共産党」氏とのやりとり】
 「お笑い日本共産党」氏が、2005.4.4日、「左往来人生学院」に次のような投稿を送信した。
おしえてください。 お笑い日本共産党 2005/04/04
 れんだいこさん、すみません、教えてください。原水禁と原水協ってありますよね。一般には、「共産党がソ連の核実験を肯定したから、運動が分裂して共産党系の原水協が出来た」といわれていますよね。ところが、共産党は、「わが党は一貫して、すべての核兵器に反対してきました」と述べています。

 だから、共産党の公式見解としては、「過去にソ連の核実験を肯定した」という事実はないことになります。また、原水禁と原水協が上のような理由で分裂したなど、口が裂けても認めるはずはないと思います。

 そこで質問なのですが、原水禁の分裂について、共産党としてはどのような公式的な歴史を作っているのでしょうか。多分、「原水禁のわが党に対する不当な介入により・・・」みたいな理由になっていると思うけれど、どうなんでしょうか。よかったら、それについての共産党の声明などの資料を教えていただけないでしょうか。よろPくお願いします。

 れんだいこは、2005.4.4日、「左往来人生学院」に次のような投稿を送信した。
Re:おしえてください。 れんだいこ 2005/04/04
 お笑い日本共産党さんのお尋ねだとしてちわぁ。あちこちで基本的認識がずれているように思います。訂正しておきます。

 原水協と原水禁の関係ですが、原水協が元です。原水協がまずあって、その日共的政治的引き回しに反発して原水禁ができた、というのが史実でせう。だから、「運動が分裂して共産党系の原水協ができた」という訳ではありません。
 
 共産党が、「わが党は一貫して、すべての核兵器に反対してきました」と述べているとしたら、それはウソを付いていることになります。実際には、そのように受け取られやすいような言葉マジックで詐術しており、そうはっきり述べているのかどうかやや疑問です。はっきり述べているものがあればれんだいこも捜しております、教えてください。

> だから、共産党の公式見解としては、「過去にソ連の核実験を肯定した」という事実はないことになります。また、原水禁と原水協が上のような理由で分裂したなど、口が裂けても認めるはずはないと思います。

 問題は、知らしめずで、過去の史実を隠蔽しております。知らさなければどうにでも言い繕いできるからだと思われます。「過去にソ連の核実験を肯定した」という事実はオオアリで、その史実に対して背を向け逆のことを述べているのが日共党中央です。しかしそれにしても、そのような卑怯姑息な言辞を弄している者が我々に倫理だの道徳だの道理だのを説いている。一体連中の頭脳コードはどうなっているのでせう。れんだいこにはその方が気にかかります。原水禁関係の資料についてですが、れんだいこは原水禁運動考をサイトアップしております。あそこに書いていること以上に就いては分かりません。

 全体として問題は次のことにあるように思います。部落解放運動でも日中友好運動でも学生運動でも同様のウソとペテン論法を使っているのに、批判されているほうからの反批判が弱過ぎる。どこか重要な欠陥を突かれているのでそうなっているのかも知れません。結局わけの分からない世界へ誘われ有耶無耶にされてしまっております。この構図を崩さないといけないと思います。

 「お笑い日本共産党」氏が、2005.4.5日、「左往来人生学院」に次のような投稿を送信した。
一貫して核兵器廃絶を求めてきたそうです。 お笑い日本共産党、2005/04/05
 こんにちは。

>共産党が、「わが党は一貫して、すべての核兵器に反対してきました」と述べているとしたら、それはウソを付いていることになります。実際には、そのように受け取られやすいような言葉マジックで詐術しており、そうはっきり述べているのかどうかやや疑問です。はっきり述べているものがあればれんだいこも捜しております、教えてください。

 ちょっと調べてみました。
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-09-08/08_0402.html

 というわけで、共産党の主張によると、原水協(共産党)は一貫して核兵器の廃絶を求めてきたそうです。でも、共産党はソ連の核兵器は、平和勢力防衛のためにOKと主張していた事実は事実ですから、この一点だけでもそれとは矛盾するように思います。わざわざ「一貫して」という言葉を入れているのも、やけに強気なところがお笑いです。また、やけに強気な割りには、ソ連の核実験を肯定した事実には触れず認めず、社民党などの特定勢力の圧力のせいにして逃げているところも、よく検討して言葉を選んでいるようで、感心しました。

 共産党は、朝日の細かい記事のいくつかを引用して感情論的な反論を試みていますが、ソ連の核兵器肯定記事の引用だけはどうしても出来ないみたいですね。なぜならば、それを引用しては、どのように言葉を尽くしても、申し開きができないからです。一番の根本なのに、触れることさえも出来ないのです。

 党員の中は、「共産党は一貫して核廃絶を求めてきた」と本当に信じている党員も少なからずいるわけですから、ソ連の核を肯定した事実に触れると、少なからず動揺が生まれるでしょう。そこで「ソ連の核実験を肯定したことと、一貫して核兵器の廃絶を求めてきたことは矛盾しません」と無理矢理丸め込もうとしても、かえって不信感が生まれるだけでしょう。というわけで、共産党の苦労の跡が伺える記事でした。

 れんだいこは、2005.4.6日、「左往来人生学院」に次のような投稿を送信した。
Re:日共批判、日本政治批判、無責任体系を凝視せよ れんだいこ、2005/04/06
 お笑い日本共産党さん皆さんちわぁ。

 「宮顕・不破系党中央のマルチ舌問題」はあちこちで確認できます。お笑い日本共産党さん指摘の「わが党は一貫して、すべての核兵器に反対してきました」のウソもその一つに過ぎません。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-09-08/08_0402.html問題については、「れんだいこの原水禁運動考」(gensuikinnundoco.htm)のトップページと「原水禁運動分裂経過に対する赤旗論文の詐術考」(gensuikinnundoco_akahatasajyutuco.htm)で言及しております。

 れんだいこの個人的関心としては、「民主連合政府の呼びかけ変遷の無責任体系考」の方がピタッと来ます。なぜなら、党中央の「70年代の遅くない時期の民主連合政府の樹立」呼びかけを信じていたからです。よしんばそれが実現しなくても良いのです。問題はその際の責任の取り方にあります。

 宮顕・不破・上耕はどう舌を廻したのか。不明を釈明したことは一度も無い。「70年代の遅くない時期」が年限を短く仕切って外れたことを反省し、思い切って「21世紀初頭の早い時期」(正確にはどういったのかこれを機に確認してみます)という具合に先延ばししました。これが連中の責任の取り方というか対応だった訳です。

 しかし、当時ではずっと先であった「21世紀初頭の早い時期」が今やその時節を迎えることになりました。となると、党中央はどう舌を廻し始めたか。それまでのやり方なら「21世紀の遅くない時期」と言い回しを変えるところでせうが、さすがにオオカミ少年の言の類であることを恥じているのでせう、最近はダンマリ戦術に切り替えております。

 問題は、党中央の無責任体系にあります。この間選挙でもジリ貧を深めております。最近の千葉県知事選では選挙総括コメントさえ出しておりません。不都合なことはノーコメント、好都合なことは多弁という方程式を編み出したようです。自称するところの科学的社会主義で分析すればそういうことが可能なようです。

 問題は、これほど無責任な党中央であるのに政府自民党の無責任を追及するお仕事に精出し続けていられることにあります。誰も奇異に感じていないのでせうか。れんだいこには、この国では誰も真面目に政治をやっていないように見えております。

 問題は、政府自民党がハト派主導で何とかうまく切り盛りできていた時代ならそれでも良かったことが、今日のごとくシオニズム傀儡系政治の下でおざなり政治を続けていることにあります。これは決して許されないことです。この国は近々とんでもない事態へ突き落とされるでせう。

 マスコミは今、郵政民営化路線の「骨抜き」を指摘して騒ぎ立てております。この観点に拠れば、郵政民営化は構造改革で是認すべきことなのでせう。それを抵抗勢力が邪魔しているので小泉首相頑張れ、骨抜きを許すなとでも云いたいのでせう。かってのようにはっきり云わなくなりましたが、マスコミメガネは相変わらずこの図式で物言いしているようです。

 しかし、郵政民営化路線に何の正義がありや。国家の重要基幹産業は公営化であるべきなのです。国家主権および独立の指標なのです。国鉄も日銀も電電公社も専売公社も道路公団も郵政も国営であるべきなのです。当局の腐敗是正は、民営化で治癒する必要はありません。それは公営化の下で為すべきことでありできるのです。

 それがなべて民営化幻想で誘導されている。その先に待ちうけているのは国家の主権および独立の物質的根拠の解体です。国際金融資本のハゲタカファンドの好餌にされるだけで、小泉・竹中ラインはその要請を受けて立ち回っているだけです。これが実相でせう。

 左派運動はそれを咎めねばならないところ、同じ穴のムジナの無責任野郎が野党で口先を廻しているだけなので政治が茶番劇になってしまう。これが日本政治のここ数十年間の構図です。世界史の流れで見れば、日本政治は停滞しており淀んでおります。これでは韓国、中国の日進月歩に比べて大きく遅れをとることになるでせう。今まではバカにしてきましたが、バカにされる日がそう遠くない時期に来てると思います。これも歴史の弁証法のひとコマなのかも知れません。

 2005・4・6日 れんだいこ拝
 「お笑い日本共産党」氏が、2005.4.8日、「左往来人生学院」に次のような投稿を送信した。 れんだいこの2005.3.12日投稿文の「れんだいこは、『朝日新聞記事』の原文を知らない」に対し、「お笑い日本共産党」氏が原文を紹介してくださったことになる。
 朝日新聞  お笑い日本共産党  2005/04/08
 こんにちは。れんだいこさんの「原水禁運動考」の中に、赤旗が批判していた2002年9月2日の朝日新聞の記事がないように思えたので、参考までに記事を引用してみます。もし、ご存知ならこめんなさい。この間、新聞を図書館で調べてきました。ちなみに、僕のHPに、原水禁と原水協分裂に対する共産党の嘘についてのコンテンツを追加しましたので、よかったら見てね。

 「えっ。もう一つの世界大会?それは何?」原水爆禁止日本国民会議(原水禁、旧総評系)などの大会に仏領ポリネシアから招かれた核実験被害者エチエンヌ・テフムさん(34)は驚いた。運動分裂の経緯などを説明すると、「僕の住んでいる島は人口100人。別れて喧嘩なんかしていたら核実験反対もできない」。「先進地」日本の反核運動を学びたいと思っていたテフムさんは戸惑いを隠さなかった。

 今年の世界大会は「テロ撲滅」を理由に、「先制核攻撃」まで示唆する米国への非難一色に塗り込められたといえる。原水禁系大会に招かれた米国最大の平和団体ピース・アクションのケビン・マーチン代表は、「米政府は第2第3のヒロシマ、ナガサキを作ろうとしていると指摘した。昨年の9.11同時多発テロで弟を失ったリタ・ラサーさんも、原水爆禁止日本協議会(原水協、共産党系)などの世界大会で、「ブッシュ大統領はアフガンの人々を殺す理由に弟の死を利用している」と自国の政府を厳しく批判した。

 太平洋の旧植民地などで核実験を繰り返した米、英、仏政府は、動員兵士や住民の被害を長い間否定し、情報を隠してきた。が、原水禁や原水協の現地調査による被害者掘り起こしや今大会の証言で、その実態がようやく浮かび上がった。禁、協ともに核兵器が実験・開発の段階からヒバクシャを生み出すことを世論に訴え、核保有国を包囲していく考えだ。

 それだけに、運動が分裂していることは、海外の活動家や一般市民に運動への距離感をもたらし、反核の力を削いでいると言わざるをえない。長崎では昨年から高校生たちが核兵器廃絶を求める「一万人署名運動」に取り組んでいる。代表は今夏「高校生平和大使」として国連欧州本部を訪れ、目標を大幅に上回る4万人の署名簿を提出した。昨夏の平和大使の一人、堤千佐子さんは、「日本の運動は組合や政党で色分けされ、特別な人がやっていると思っていた。そう思われている限り、普通の人々にはなかなか広がらないのでは」と心配する。

 広島大会では原水協系が参加者7千人、原水禁系が3500人、海外代表は原水協系が24カ国68人、原水禁系が9カ国17人。この数字は、そのまま両者の動員力、財政力の差を反映している。両団体にこれだけの差がついたのは、主張の「中身」とはあまり関係がない。旧総評系労組を基盤にした原水禁は、主要労組の弱体化や相次ぐ脱退で先細ってきた。

 しかし、「社会主義国も含め、いかなる国の核実験にも反対」と訴え、「核に平和利用などない」と脱原発を打ち出してきたその主張は、欧米の反核運動の主流が反原発を強める中で、「正統性」を高めた。反核平和運動が主として左翼運動として展開されてきた日本では、社会党‐社民党の衰退が、相対的に共産党による原水禁運動への影響力を強めた。

 「共産党首長のいる○○町からやってきました」登壇した発言者が冒頭、こうしたあいさつを繰り返す原水協系大会に、共産党支持者以外の人が参加するのにはかなりの勇気がいるだろう。反核運動は共産党だけのものではない。運動をさらに広げようとするなら、党はまず一歩下がることを考えるべきではないか。海外代表をこれだけ呼べる実績を積んできた原水協にはそれができるはずだ。2年後には第5福竜丸の水爆被爆50周年、原水禁運動半世紀の節目が迫る。禁・協の組織統一は無理でも、まずい一日程度の共闘は目指せるだろう。それもできなくて、核保有国に廃絶を迫れるだろうか。

 れんだいこは、2005.4.9日、「左往来人生学院」に次のような投稿を送信した。
Re:「原水禁と原水協の分裂と、共産党の歪んだ報道」考 れんだいこ、2005/04/09
 お笑い日本共産党さんちわぁ。「原水禁と原水協の分裂と、共産党の歪んだ報道」(http://www.niji.jp/home/junp/page017.html)読ませていただきました。おっしゃる通りのように思います。

 1962年の「前衛」10月号の「上耕論文」はご指摘のように言い逃れできない歴史文書となっております。日共は、これに対する現在的コメントすることが道理にかなっているでせう。しかし、人には説くが自らは縛られないご都合人種であります故に頬かむりしております。

 その上耕が先だって、憲法改悪反対運動の第一線に立つとか見解表明しておりました。れんだいこに云わせれば、原水禁運動総括、先進国革命論総括、民主連合政権論総括してから人前に出てきてくれやという気持ちになります。不破も含めて当時の著作の見解を表沙汰にしたら、とてもではないが恥ずかしくて穴に入ったきりでてこれないのではと思いますが、みんなも本人も忘れるというのか人が良すぎるというべきかか、相変わらず人気があるんだそうな。

 本田記事に対する赤旗の批判論文は全編詐術です。「原水協は、結成以来、一貫して、核兵器廃絶を緊急の課題として正面にかかげ、一致点で共同するという二つの原理、原則を守ってきました。社会党、総評の特定の見解を世界大会に押し付けようとしたのが原水禁でしたが、二つの原理、原則は原水協によって守り抜かれました」なる見解は、事情を知らない者を誑かすには便利な言葉ですが、知っている者にとっては「なに勝手なことを云ってやがんでえ」という代物でしかありません。

 お笑い日本共産党さんご指摘のように、原水禁のそれが「特定の見解」なら、原水協のそれも「特定の見解」であり、見解というものはいつでも「特定」でせう。それを原水禁のそれは「特定の見解」であり、我々のそれは「正義の見解」などといったら、勝手が良すぎませう。

 しかも、今日では、「原水禁の特定の見解」即ち「如何なる国の核実験にも反対」の方が市民権を得ており、「原水協の特定の見解」即ち「ソ連、中国の核実験擁護、アメ帝の核実験反対」の方は破産しております。日共も遂に見解転換させ、「我々こそが如何なる国之核実験にも反対してきた本家であるぞ」と聞き間違うような詐術を弄しております。

 このご時勢でなお且つ「我々は正しかった、昔も今も」などという弁明が許されるなら、黒いものでも日共党中央が白いと云えば白くなるのか、という問題になります。お笑い日本共産党さんご指摘の「共産党は、ジャーナリズムについて批判をしていますが、自分のことは棚に上げっぱなしです」、はどうも染み付いた陋習のようです。

 れんだいこは、宮顕運動を異筋のそれとして批判しております。徳球運動の方を高く評価しております。しかし、その徳球運動にさえご都合主義論法を見て取ることができます。顧みれば、コミンテルン運動にも、レーニズムにもマルキシズムにも見て取ることができます。

 しかし、それは、マルクス主義の特徴というより、人の世の思想のエエカゲンさを知るべきか、それをマジに信じてしまうと泡を食わせられる、それが不満なら自前の信に足りるものを生み出す以外にないか、あるいは手探りでブリッジ共闘していく姿勢そのものが尊いかも、という風に考えております。

 2005.8.9日 れんだいこ拝




(私論.私見)