1994の8月15日から20日まで、NHKのラジオ第一放送の朝5時45分から放送された「人生読本」(
再放送) で作家の早坂暁氏が水野広徳という人を取り上げた。水野広徳という人は海軍の軍人であったが、第1次大戦が終わったあと、職務で欧州に大戦後の状況調査に出掛け、その状況があまりに悲惨なことに衝撃を受け、それ以来反戦を強く主張するようになり、そのために海軍にいられなくなり、退役し、そのあと、ペンで反戦の主張を展開した。
しかし、水野広徳が執筆した論文は発禁につぐ発禁で遂に沈黙を余儀なくされた。水野広徳は日記の中でしか反戦を主張できなくなったが、その日記の中で水野広徳は1939年のソ連によるポーランド侵略について、これではソ連は社会主義国とは言えない、資本主義国と同じであると書いていると早坂氏は述べている。このように当時すでにソ連は社会主義国とは言えないと考えた人がいたのである。本来なら、社会主義の原則について最も敏感な社会主義者こそ、真先にソ連の侵略を糾弾し、ソ連を社会主義国ではないと断じなければならなかった筈である。しかるに、ソ連は社会主義国とは言えないとすでに喝破した人がいた一方で、宮本議長は「スターリン時代のソ連を賛美する論文を書いていた」のである(1991年9月14日「朝日新聞」のインタビュー記事)
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日本共産党は、20回大会(1994年)でソ連は社会主義国ではなかったということを認めたが、日本共産党はソ連が社会主義国ではないということが分かるまで50数年近くを要したのである(ソ連がポーランドを侵略した1939年から1994年の日本共産党の20回大会まで)。日本共産党の認識がいかに非科学的かここにきわまれりというべきである。
日本共産党は規約において「科学的社会主義を理論的基礎」とする旨うたっているが、ソ連が社会主義国でなかったことを50年以上にわたって分からなかったということは「科学的社会主義の理論」がなんの役にも立たない無力な理論であったことを示している。 この認識の誤りは、単に日本共産党は非科学的であったというだけでは済まされない。 最近になって、他人事のように、ソ連が「社会主義社会でないことはもちろん、それへの移行の過程にある過渡期の社会でもありえないことはまったく明白」(「前衛」日本共産党第20回大会特集)というだけで済ますのは余りに無責任である。なぜなら、日本共産党は政治評論家の集まりではなく、政治を実践する組織なので、もし政権を取った時、誤った認識を持っていれば、その誤りが実施されるからである。
日本共産党の現在の綱領の原型は1961年に制定された。その中で次のように述べられている。「社会主義世界体制は人類社会発展の決定的要因になりつつある。世界史の発展方向として帝国主義の滅亡と社会主義の勝利は不可避である」、「ソ連を先頭とする社会主義陣営、全世界の共産主義者、すべての人民大衆が人類の進歩のために行っている闘争をあくまで支持する」。 その後これらの文言が少しずつ改正され、最第17回大会(1985年)で、これらの文言が綱領から完全に姿を消した。そして、先述のようにソ連が「社会主義社会でないことはもちろん、それへの移行の過程にある過渡期の社会でもありえないことはまったく明白」ということになったのである。
これが認識の誤りであったというだけでは済まされないのは先述のように日本共産党は評論家の集まりではなく政治団体だからである。自由と民主主義を抑圧していた「ソ連を先頭とする社会主義陣営をあくまで支持していた」のであるから、日本共産党が日本で政権を取っていたら、日本でも同じように自由と民主主義が抑圧され、本質的には、ソ連と同じような暗黒社会が日本に現出したことは明らかである。そのことは1968年に日本共産党がチェコスロバキア共産党が無条件の「表現の自由」、「出版の自由」、「集会・結社の自由」を宣言した「行動綱領」を激しく攻撃したことからも明らかである。
「日本共産党は党名を変えるべきではないか」という声が広く聞かれるが、それに対して日本共産党は「党名を変えるのは過去に大きな誤りを犯した党だけであり、日本共産党は過去に大きな誤りを犯していないので党名を変える必要ない」と主張している。
日本共産党の第20回党大会(1994年)における「日本共産党綱領の一部改定についての報告」の中で不破委員長は「全章にわたる改定なのに、なぜ一部改定なのかという質問が出されている」と述べている。
日本共産党は現在の綱領の原型である1961年綱領からこの第20回党大会までに、少しずつ内容を改定し、遂に第20回党大会で「全章にわたって改定」した。とりわけ、「社会主義世界体制は人類社会発展の決定的要因になりつつある。世界史の発展方向として帝国主義の滅亡と社会主義の勝利は不可避である」、「ソ連を先頭とする社会主義陣営、全世界の共産主義者、すべての人民大衆が人類の進歩のために行っている闘争をあくまで支持する」と規定した部分が綱領から削除され、1976年に発表された「自由と民主主義の宣言」の中からソ連をはじめとする自称社会主義国が「社会・政治生活における人民大衆の積極的参加という民主主義の根源的な発展の分野でも、(中略)大局的に偉大な歴史的成果をおさめたことは明白である」という部分が削除されたことは、綱領が本質的に新しい綱領に変わったというに等しいのである。
日本共産党が旧ソ連をはじめとする自称社会主義国を50数年近くにわたって社会主義国として認めていたことは、日本共産党が日本で政権を取っていれば、そのような社会主義が日本でも行われた可能性があるという点で巨大な誤りを犯していたことになる。
第2次大戦が終わったあとの混乱期に日本共産党が政権を取る可能性があった。1947年2月1日に全官公庁労働組合共同闘争委員会を中心とした全国的規模のいわゆる「2.1ゼネスト」が計画されたが、この時期に日本共産党は政権を取る可能性があった。もしこの時期に日本共産党が政権を取っていれば、ソ連式の社会主義が行われたことは間違いない。日本はソ連と違ってかなり高度に資本主義が発達していたので、ソ連式の社会主義にはならなかったと日本共産党は主張するかもしれない。しかし、この時期に相次いで社会主義国に移行した東独、チェコ、ポーランドなどかなり資本主義が発達していた国でも例外なく、その社会主義はソ連式社会主義であった。したがって、日本だけはソ連式社会主義にはならなかったと主張しても説得力はない。そのことは、先述のように1968年に日本共産党がチェコスロバキア共産党による「表現の自由」、「出版の自由」、「集会・結社の自由」を宣言した「行動綱領」を激しく攻撃したことからも明らかである。このような攻撃は反革命勢力を力で弾圧することを原則とする「プロレタリア独裁」の原則に基づくものだった。したがって、日本共産党が戦後に政権を取り、日本がソ連式社会主義国になっていれば、1989年末から1990年にかけて相次いで崩壊した東独、チェコ、ポーランドの共産党政権と同じように日本においてもこのような「プロレタリア独裁」に基づく共産党政権が崩壊したであろうことは想像にかたくない。
日本共産党は党名を変える党は過去に大きな過ちを犯した党だと主張している。日本共産党は1976年に「自由と民主主義の宣言」を発表して、実質的に「プロレタリア独裁」を放棄することによってソ連式社会主主義から決別するまでは大きな過ちを犯していたことになる。日本共産党は1976年にソ連式社会主義から自由と民主主義を容認した社会主義に転換した。このことは日本共産党が別の党に生まれ変わったのに等しい。
共産党と社会民主主義政党とを分ける分水嶺は「プロレタリア独裁」を掲げるか否かで決められた。レーニンが「国家と革命」の中で「階級闘争の承認をプロレタリア独裁の承認までひろげる人だけがマルクス主義者」であると主張したからだ。しかし、日本共産党は「自由と民主主義の宣言」を行うことによって、暴力革命と反革命勢力に対する物理的力による弾圧を原則とする「プロレタリア独裁」を放棄して、共産党から社会民主主義政党に転換した。したがって、ビンの中味が別物に変わったのに、ビンのラベルをそのままにしておくのは正しくない。本来なら、「プロレタリア独裁」を事実上放棄した時点で党名を社会民主主義政党に相応しい名称に変えるべきであった。
日本共産党は綱領において「プロレタリア独裁」を「労働者階級の権力の確立」という「プロレタリア独裁」と同じ意味の言葉に変えただけで、「プロレタリア独裁」の原則は放棄していないと強弁するかも知れないが、「自由と民主主義」を認めれば、暴力革命や反革命勢力に対する弾圧はできなくなるのであるから、この主張は通らない。日本共産党が「労働者階級の権力の確立」という言葉を残しているのは、日本共産党は「プロレタリア独裁」を放棄したから、もう共産党ではなくなったという批判を受けたときの言い訳に「労働者階級の権力の確立」という文言を掲げているだけであろう。例によって日本共産党の常套手段である姑息かつ狡猾なごまかしにすぎない。そもそも、「労働者階級の権力の確立」をわざわざうたわなくても、国民から選ばれて政権を獲得すれば、憲法上、当然に権力は確立される。そのことは、現在、自民党が政権を獲得することによって「権力を確立」していることを見れば明らかである。
なお、最近、共産党は「国民が主人公」であることを強調しているが、これは「労働者階級の権力の確立」という考え方とは矛盾する。なぜなら、「国民が主人公」という場合、この国民には労働者階級の敵対者である資本家階級も含まれているので、「労働者階級の権力の確立」が行われると、この権力からは、主人公の一部である資本家階級が排除されることになるからである。したがって、「国民が主人公」であるとするなら、綱領から「労働者階級の権力の確立」という文言を削除すべきである。
先述のように共産党はソ連が社会主義国でなかったということを最近までわからなかった。これは共産党が理論的基礎とし、共産党のいのちともいうべき「科学的社会主義」の理論が無力であったことを示している。なぜなら、「科学的社会主義」の理論が科学的で正しい理論であるなら、この理論をものさしにしてソ連その他の自称社会主義国を評価すれば、容易にこれらの国が社会主義国でないことが分かった筈だからである。しかし、最近にいたるまで、日本共産党はこれらの国が社会主義国ではないことが分からなかった。そのことは「科学的社会主義」の理論が無力であったことを示している。
日本共産党が自称社会主義国を最近にいたるまで社会主義国ではないことが分からなかったことは大きな誤りの一つである。上記に加えて、他の項目でも日本共産党がこれまでいくつも大きな誤りを犯していることを指摘した。日本共産党は党名を変えるべきである。
最近、共産党は過去において大きな誤りを犯していることを認識するにいたったのか、党名を変更しない理由を、過去に大きな誤りを犯していないという理由から、共産党という名称は共産党が目指している終局的な理想社会をきざんだ名前だからという理由に変更しているようである(2002年5月20日の「しんぶん赤旗」)。
共産党が過去に誤りを犯したことを認めたのであれば一歩前進したと言えるが、従来の主張を変える理由についてなんの説明もなくなしくずしに変えるという共産党の悪しき体質は相変わらずである。
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