2020、2021、2022、2023、2024年平和宣言 |
更新日/2017(平成29).8.6日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここに「2020、2021、2022、2023、2024年の広島、長崎平和宣言」を収録しておくことにする。「」、「」。 2007.8.7日 れんだいこ拝 |
【2020(令和2)年平和宣言】 |
1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、「75年間は草木も生えぬ」と言われました。しかし広島は今、復興を遂げて、世界中から多くの人々が訪れる平和を象徴する都市になっています。今、私たちは、新型コロナウイルスという人類に対する新たな脅威に立ち向かい、〓(もが)いていますが、この脅威は、悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられるのではないでしょうか。およそ100年前に流行したスペイン風邪は、第一次世界大戦中で敵対する国家間での「連帯」が叶(かな)わなかったため、数千万人の犠牲者を出し、世界中を恐怖に陥(おとしい)れました。その後、国家主義の台頭もあって、第二次世界大戦へと突入し、原爆投下へと繋(つな)がりました。こうした過去の苦い経験を決して繰り返してはなりません。そのために、私たち市民社会は、自国第一主義に拠(よ)ることなく、「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません。 原爆投下の翌日、「橋の上にはズラリと負傷した人や既に息の絶えている多くの被災者が横たわっていた。大半が火傷で、皮膚が垂れ下がっていた。『水をくれ、水をくれ』と多くの人が水を求めていた」という惨状を体験し、「自分のこと、あるいは自国のことばかり考えるから争いになるのです」という当時13歳であった男性の訴え。 昨年11月、被爆地を訪れ、「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です」と発信されたローマ教皇の力強いメッセージ。そして、国連難民高等弁務官として、難民対策に情熱を注がれた緒方貞子氏の「大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はありえない。世界はつながっているのだから」という実体験からの言葉。これらの言葉は、人類の脅威に対しては、悲惨な過去を繰り返さないように「連帯」して立ち向かうべきであることを示唆しています。 今の広島があるのは、私たちの先人が互いを思いやり、「連帯」して苦難に立ち向かった成果です。実際、平和記念資料館を訪れた海外の方々から「自分たちのこととして悲劇について学んだ」、「人類の未来のための教訓だ」という声も寄せられる中、これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます。 ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核拡散防止条約)と、3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、その動向が不透明となっています。世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。その上で、NPT再検討会議において、NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、建設的対話を「継続」し、核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。 日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。 本日、被爆75周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。 |
「2020.8.9長崎市長()の平和宣言全文」。 |
【2021(令和3)年平和宣言】 |
「2021.8.6広島市長(松井一実)の平和宣言」。 |
76年前の今日、我が故郷は、一発の原子爆弾によって一瞬で焦土と化し、罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死をもたらしただけでなく、辛うじて生き延びた人々も、放射線障害や健康不安、さらには生活苦など、その生涯に渡って心身に深い傷を残しました。被爆後に女の子を生んだ被爆者は、「原爆の恐ろしさが分かってくると、その影響を思い、我が身よりも子どもへの思いがいっぱいで、悩み、心の苦しみへと変わっていく。娘の将来のことを考えると、一層苦しみが増し、夜も眠れない日が続いた」と語ります。 「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」、これは思い出したくもない辛く悲惨な体験をした被爆者が、放射線を浴びた自身の身体の今後や子どもの将来のことを考えざるを得ず、不安や葛藤、苦悩から逃れられなくなった挙句(あげく)に発した願いの言葉です。被爆者は、自らの体験を語り、核兵器の恐ろしさや非人道性を伝えるとともに、他人を思いやる気持ちを持って、平和への願いを発信してきました。こうした被爆者の願いや行動が、75年という歳月を経て、ついに国際社会を動かし、今年1月22日、核兵器禁止条約の発効という形で結実しました。これからは、各国為政者がこの条約を支持し、それに基づき、核の脅威のない持続可能な社会の実現を目指すべきではないでしょうか。 今、新型コロナウイルスが世界中に蔓延(まんえん)し、人類への脅威となっており、世界各国は、それを早期に終息させる方向で一致し、対策を講じています。その世界各国が、戦争に勝利するために開発され、人類に凄惨(せいさん)な結末をもたらす脅威となってしまった核兵器を、一致協力して廃絶できないはずはありません。持続可能な社会の実現のためには、人々を無差別に殺害する核兵器との共存はあり得ず、完全なる撤廃に向けて人類の英知 を結集する必要があります。 核兵器廃絶の道のりは決して平坦(へいたん)ではありませんが、被爆者の願いを引き継いだ若者が行動し始めていることは未来に向けた希望の光です。あの日、地獄を見たと語る被爆者は、「たとえ小さなことからでも、一人一人が平和のためにできることを行い、かけがえのない平和を守り続けてもらいたい。」と、未来を担う若者に願いを託します。これからの若い人にお願いしたいことは、身の回りの大切な人が豊かで健やかな人生を送るためには、核兵器はあってはならないという信念を持ち、それをしっかりと発信し続けることです。 若い人を中心とするこうした行動は、必ずや各国の為政者に核抑止政策の転換を決意させるための原動力になることを忘れてはいけません。被爆から3年後の広島を訪れ、復興を目指す市民を勇気づけたヘレン・ケラーさんは、「一人でできることは多くないが、皆一緒にやれば多くのことを成し遂げられる。」という言葉で、個々の力の結集が、世界を動かす原動力となり得ることを示しています。為政者を選ぶ側の市民社会に平和を享受するための共通の価値観が生まれ、人間の暴力性を象徴する核兵器はいらないという声が市民社会の総意となれば、核のない世界に向けての歩みは確実なものになっていきます。被爆地広島は、引き続き、被爆の実相を「守り」、国境を越えて「広め」、次世代に「伝える」ための活動を不断に行い、世界の165か国・地域の8000を超える平和首長会議の加盟都市と共に、世界中で平和への思いを共有するための文化、「平和文化」を振興し、為政者の政策転換を促す環境づくりを進めていきます。 核軍縮議論の停滞により、核兵器を巡る世界情勢が混迷の様相を呈する中で、各国の為政者に強く求めたいことがあります。それは、他国を脅すのではなく思いやり、長期的な友好関係を作り上げることが、自国の利益につながるという人類の経験を理解し、核により相手を威嚇し、自分を守る発想から、対話を通じた信頼関係をもとに安全を保障し合う発想へと転換するということです。そのためにも、被爆地を訪れ、被爆の実相を深く理解していただいた上で、核兵器不拡散条約に義務づけられた核軍縮を誠実に履行するとともに、核兵器禁止条約を有効に機能させるための議論に加わっていただきたい。 日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい。また、平均年齢が84歳近くとなった被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により、生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、黒い雨体験者を早急に救済するとともに、被爆者支援策の更なる充実を強く求めます。 本日、被爆76周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と手を取り合い、共に力を尽くすことを誓います。 |
「2021.8.9長崎市長()の平和宣言」。 |
【2022(令和4)年平和宣言】 |
「2022.8.6広島市長(松井一實)原爆忌:平和宣言」。 |
母は私の憧れで、優しく大切に育ててくれました。そう語る、当時、16歳の女性は、母の心尽くしのお弁当を持って家を出たあの日の朝が、最後の別れになるとは、思いもしませんでした。77年前の夏、何の前触れもなく、人類に向けて初めての核兵器が投下され、炸裂したのがあの日の朝です。広島駅付近にいた女性は、凄まじい光と共にドーンという爆風に背中から吹き飛ばされ意識を失いました。意識が戻り、まだ火がくすぶる市内を母を捜してさまよい歩く中で目にしたのは、真っ黒に焦げたおびただしい数の遺体。その中には、立ったままで牛の首にしがみついて黒焦げになった遺体や、潮の満ち引きでぷかぷか移動しながら浮いている遺体もあり、あの日の朝に日常が一変した光景を地獄絵図だったと振り返ります。 ロシアによるウクライナ侵攻では、国民の生命と財産を守る為政者が国民を戦争の道具として使い、他国の罪のない市民の命や日常を奪っています。そして、世界中で、核兵器による抑止力なくして平和は維持できないという考えが勢いを増しています。これらは、これまでの戦争体験から、核兵器のない平和な世界の実現を目指すこととした人類の決意に背くことではないでしょうか。武力によらずに平和を維持する理想を追求することを放棄し、現状やむなしとすることは、人類の存続を危うくすることにほかなりません。過ちをこれ以上繰り返してはなりません。とりわけ、為政者に核のボタンを預けるということは、1945年8月6日の地獄絵図の再現を許すことであり、人類を核の脅威にさらし続けるものです。一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはなりません。 また、他者を威嚇し、その存在をも否定するという行動をしてまで自分中心の考えを貫くことが許されてよいのでしょうか。私たちは、今改めて、『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべきです。 今年初めに、核兵器保有5か国は「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」「NPT(核兵器不拡散条約)の義務を果たしていく」という声明を発表しました。それにもかかわらず、それを着実に履行しようとしないばかりか、核兵器を使う可能性を示唆した国があります。なぜなのでしょうか。今、核保有国がとるべき行動は、核兵器のない世界を夢物語にすることなく、その実現に向け、国家間に信頼の橋を架け、一歩を踏み出すことであるはずです。核保有国の為政者は、こうした行動を決意するためにも、是非とも被爆地を訪れ、核兵器を使用した際の結末を直視すべきです。そして、国民の生命と財産を守るためには、核兵器を無くすこと以外に根本的な解決策は見いだせないことを確信していただきたい。とりわけ、来年、ここ広島で開催されるG7サミットに出席する為政者には、このことを強く期待します。 広島は、被爆者の平和への願いを原点に、また、核兵器廃絶に生涯を捧げられた坪井直氏の「ネバーギブアップ」の精神を受け継ぎ、核兵器廃絶の道のりがどんなに険しいとしても、その実現を目指し続けます。 世界で8,200の平和都市のネットワークへと発展した平和首長会議は、今年、第10回総会を広島で開催します。総会では、市民一人一人が「幸せに暮らすためには、戦争や武力紛争がなく、また、生命を危険にさらす社会的な差別がないことが大切である」という思いを共有する市民社会の実現を目指します。その上で、平和を願う加盟都市との連携を強化し、あらゆる暴力を否定する「平和文化」を振興します。平和首長会議は、為政者が核抑止力に依存することなく、対話を通じた外交政策を目指すことを後押しします。 今年6月に開催された核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、ロシアの侵攻がある中、核兵器の脅威を断固として拒否する宣言が行われました。また、核兵器に依存している国がオブザーバー参加する中で、核兵器禁止条約がNPTに貢献し、補完するものであることも強調されました。日本政府には、こうしたことを踏まえ、まずはNPT再検討会議での橋渡し役を果たすとともに、次回の締約国会議に是非とも参加し、一刻も早く締約国となり、核兵器廃絶に向けた動きを後押しすることを強く求めます。 また、平均年齢が84歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、生活面で様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、被爆者支援策を充実することを強く求めます。 本日、被爆77周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。 |
「2022.8.9長崎市長(田上富久)平和宣言」 (長崎市平和祈念式典) |
核兵器廃絶を目指す原水爆禁止世界大会が初めて長崎で開かれたのは1956年。このまちに15 万人もの死傷者をもたらした原子爆弾の投下から11年後のことです。被爆者の渡辺千恵子さんが会場に入ると、カメラマンたちが一斉にフラッシュを焚きました。学徒動員先の工場で16歳の時に被爆し、崩れ落ちた鉄骨の下敷きになって以来、下半身不随の渡辺さんがお母さんに抱きかかえられて入ってきたからです。すると、会場から「写真に撮るのはやめろ!」、「見世物じゃないぞ!」という声が発せられ、その場は騒然となりま
した。その後、演壇に上がった渡辺さんは、澄んだ声でこう言いました。 「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」。核保有国のリーダーの皆さん。この言葉に込められた魂の叫びが聴こえますか。「どんなことがあっても、核兵器を使ってはならない!」と全身全霊で訴える叫びが。
今年1月、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有5か国首脳は「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」という共同声明を世界に発信しました。しかし、その翌月にはロシアがウクライナに侵攻。核兵器による威嚇を行い、世界に戦慄を走らせま した。この出来事は、核兵器の使用が“杞憂”ではなく“今ここにある危機”であることを世界に示しました。世界に核兵器がある限り、人間の誤った判断や、機械の誤作動、テロ行為な どによって核兵器が使われてしまうリスクに、私たち人類は常に直面しているという現実を 突き付けたのです。核兵器によって国を守ろうという考え方の下で、核兵器に依存する国が増え、世界はますます危険になっています。持っていても使われることはないだろうというのは、幻想であり期待に過ぎません。「存在する限りは使われる」。核兵器をなくすことが、地球と人類の未来 を守るための唯一の現実的な道だということを、今こそ私たちは認識しなければなりません。 今年、核兵器をなくすための2つの重要な会議が続きます。6月にウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、条約に反対の立場のオブザーバー国も含めた率直で冷静な議論が行われ、核兵器のない世界実現への強い意志を示すウィーン宣言と具体的な行動計画が採択されました。また、核兵器禁止条約と核不拡散条約(NPT)は互いに補完するものと明確に再確認されました。そして今、ニューヨークの国連本部では、NPT再検討会議が開かれています。この50年 余り、NPTは、核兵器を持つ国が増えることを防ぎ、核軍縮を進める条約として、大きな期待と役割を担ってきました。しかし条約や会議で決めたことが実行されず、NPT体制そ のものへの信頼が大きく揺らいでいます。核保有国はこの条約によって特別な責任を負っています。ウクライナを巡る対立を乗り越えて、NPTの中で約束してきたことを再確認し、核軍縮の具体的プロセスを示すことを求 めます。 日本政府と国会議員に訴えます。「戦争をしない」と決意した憲法を持つ国として、国際社会の中で、平時からの平和外交 を展開するリーダーシップを発揮してください。非核三原則を持つ国として、「核共有」など核への依存を強める方向ではなく、「北東アジ ア非核兵器地帯」構想のように核に頼らない方向へ進む議論をこそ、先導してください。そして唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に署名、批准し、核兵器のない世界を実 現する推進力となることを求めます。 世界の皆さん。戦争の現実がテレビやソーシャルメディアを通じて、毎日、目に耳に入っ てきます。戦火の下で、多くの人の日常が、いのちが奪われています。広島で、長崎で原子 爆弾が使われたのも、戦争があったからでした。戦争はいつも私たち市民社会に暮らす人間 を苦しめます。だからこそ、私たち自らが「戦争はダメだ」と声を上げることが大事です。 私たちの市民社会は、戦争の温床にも、平和の礎にもなり得ます。不信感を広め、恐怖心 をあおり、暴力で解決しようとする“戦争の文化”ではなく、信頼を広め、他者を尊重し、話し合いで解決しようとする“平和の文化”を、市民社会の中にたゆむことなく根づかせて いきましょう。高校生平和大使たちの合言葉「微力だけど無力じゃない」を、平和を求める 私たち一人ひとりの合言葉にしていきましょう。 長崎は、若い世代とも力を合わせて、“平和の文化”を育む活動に挑戦していきます。 被爆者の平均年齢は84歳を超えました。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と被爆 体験者の救済を急ぐよう求めます。原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。長崎は広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島とつながり、平和を築く力になろうとする世界の人々との連帯を広げながら、「長崎を最後の被爆地に」の思いのもと、核兵器廃 絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。 |
【2023(令和5)年平和宣言】 |
「2023.8.6広島市長(松井一實)原爆忌:平和宣言」。 |
78年前の原爆投下の日を、まるで生き地獄のようだったと振り返る当時8歳の被爆者は、「核兵器を保持する国の指導者たちは、広島、長崎の地を訪ね、自らの目で、耳で、被爆の実相を知る努力をしていただきたい。あの日、熱線で灼(や)かれ、瞬時に失われた命、誰からも看取られず、やけどや放射能症で苦しみながら失われていった命。こうして失われた数え切れない多数の人々の命の重さを、この地で感じてもらいたい。」と訴えています。 本年5月のG7広島サミットで各国首脳が平和記念資料館の視察や被爆者との対話を経て記帳された芳名録は、こうした被爆者の願いが各国首脳の心に届いていることの証しになると思います。また、慰霊碑を参拝された各国首脳に私から直接お伝えした碑文に込められた思い、すなわち、過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和を祈念する「ヒロシマの心」は、皆さんの心に深く刻まれているものと思います。こうした中、G7で初めて「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」が独立の文書としてまとめられ、全ての者にとっての安全が損なわれない形での核兵器のない世界の実現が究極の目標であることが再確認されました。それとともに、各国は、核兵器が存在する限りにおいて、それを防衛目的に役立てるべきであるとの前提で安全保障政策をとっているとの考えが示されました。 しかし、核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか。市民社会においては、一人一人が、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」というメッセージに込められた人類愛や寛容の精神を共有するとともに、個人の尊厳や安全が損なわれない平和な世界の実現に向け、為政者に核抑止論から脱却を促すことがますます重要になっています。 かつて祖国インドの独立を達成するための活動において非暴力を貫いたガンジーは、「非暴力は人間に与えられた最大の武器であり、人間が発明した最強の武器よりも強い力を持つ」との言葉を残しています。また、国連総会では、平和に焦点を当てた国連文書として「平和の文化に関する行動計画」が採択されています。今、起こっている戦争を一刻も早く終結させるためには、世界中の為政者が、こうした言葉や行動計画を踏まえて行動するとともに、私たちもそれに呼応して立ち上がる必要があります。 そのため、例えば、私たちが日常生活の中で言葉や国籍、信条や性別を超えて感動を分かち合える音楽や美術、スポーツなどに接し、あるいは参加して「夢や希望がある」といった気持ちになれるような社会環境を整えることが重要となります。皆さん、そうした社会環境を整えるために、世界中に「平和文化」を根付かせる取組を広めていきましょう。そうすれば、市民の支持を必要とする為政者は、必ずや市民と共に平和な世界に向けて行動するようになると確信しています。 広島市は、世界166か国・地域の8,200を超える平和首長会議の加盟都市と共に、市民レベルでの交流を通して「平和文化」を世界中に広めます。そして、平和を願う私たちの総意が為政者の心に届き、武力によらず平和を維持する国際社会が実現する環境を作ることを目指しています。また、被爆者の平和への思いを世界中の若者に知ってもらい、国境を越えて広め、次世代に引き継げるようにするために、被爆の実相に関する本市の取組をさらに拡充していきます。 各国の為政者には、G7広島サミットに訪れた各国首脳に続き、広島を訪れ、平和への思いを発信していただきたい。その上で、市民社会が求める理想の実現に向け、核による威嚇を直ちに停止し、対話を通じた信頼関係に基づく安全保障体制の構築に向けて一歩を踏み出すことを強く求めます。 日本政府には、被爆者を始めとする平和を願う国民の思いをしっかりと受け止め、核保有国と非核保有国との間で現に生じている分断を解消する橋渡し役を果たしていただきたい。そして、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となり、核兵器廃絶に向けた議論の共通基盤の形成に尽力するために、まずは本年11月に開催される第2回締約国会議にオブザーバー参加していただきたい。また、平均年齢が85歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、生活面で様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、被爆者支援策を充実することを強く求めます。 本日、被爆78周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。 |
「 ( |
「突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ、道路に叩きつけられました。背中に手を当てると、着ていた物は何もなく、ヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。3年7か月の病院生活、その内の1年9か月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨の間から心臓の動いているのが見えます」。 これは16歳で被爆し、背中に真っ赤な大火傷を負った谷口稜曄(すみてる)さんが語った体験です。 1945年8月9日午前11時2分、長崎の上空で炸裂した1発の原子爆弾により、その年のうちに7万4千人の命が奪われました。生き延びた被爆者も、数年後、数十年後に白血病やがんなどを発症し、放射線の影響による苦しみや不安を今なお抱えています。 谷口さんは6年前にこの世を去りましたが、生前、まさに今の世界を予見したかのような次の言葉を遺しました。 「過去の苦しみなど忘れ去られつつあるようにみえます。私はその忘却を恐れます。忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます」。 長期化するウクライナ侵攻の中で、ロシアは核兵器による威嚇を続けています。他の核保有国でも核兵器への依存を強める動きや、核戦力を増強する動きが加速し、核戦争の危機が一段と高まっています。今、私たちに何が必要なのでしょうか。「78年前に原子雲の下で人間に何が起こったのか」という原点に立ち返り、「今、核戦争が始まったら、地球に、人類にどんなことが起きるのか」という根源的な問いに向き合うべきです。 今年5月のG7広島サミットでは、参加各国リーダーがそろって広島平和記念資料館を訪れ、被爆者と面会し、被爆の実相を知ることの重要性を自らの行動で世界に示しました。また、このサミットの成果文書である「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」では、「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」ということが再確認されました。しかし、この広島ビジョンは、核兵器を持つことで自国の安全を守るという「核抑止」を前提としています。核抑止の危うさはロシアだけではありません。核抑止に依存していては、核兵器のない世界を実現することはできません。私たちの安全を本当に守るためには、地球上から核兵器をなくすしかないのです。核保有国と核の傘の下にいる国のリーダーに訴えます。 今こそ、核抑止への依存からの脱却を勇気を持って決断すべきです。人間を中心に据えた安全保障の考えのもと、対決ではなく対話によって核兵器廃絶への道を着実に歩むよう求めます。 日本政府と国会議員に訴えます。 唯一の戦争被爆国の行動を世界が見つめています。核兵器廃絶への決意を明確に示すために、核兵器禁止条約の第2回締約国会議にオブザーバー参加し、一日も早く条約に署名・批准してください。そして、憲法の平和の理念を堅持するとともに、朝鮮半島の非核化、北東アジア非核兵器地帯構想など、この地域の軍縮と緊張緩和に向けた外交努力を求めます。 地球に生きるすべての皆さん、一度立ち止まって、考えてみてください。 被爆者は、思い出すのも辛い自らの被爆体験を語ることで、核兵器がいかに非人道的な兵器であるのかを世界に訴え続けてきました。この訴えこそが、78年間、核兵器を使わせなかった「抑止力」となってきたのではないでしょうか。その被爆者の平均年齢は、今年85歳を超えました。被爆者がいなくなる時代を迎えようとしている中、この本当の意味での「抑止力」をこれからも持ち続けられるか、そして核兵器を廃絶できるかは、私たち一人ひとりの行動にかかっています。被爆地を訪れ、核兵器による結末を自分の目で見て、感じてください。そして、世界中で語り継ぐべき人類共通の遺産ともいえる被爆者の体験に耳を傾けてください。 被爆の実相を知ることが、核兵器のない世界への出発点であり、世界を変えていく原動力にもなり得るのです。 私は、両親ともに被爆者である被爆二世です。「長崎を最後の被爆地に」するため、私を含めた次の世代が被爆者の思いをしっかりと受け継ぎ、平和のバトンを未来につないでいきます。 日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と一日も早い被爆体験者の救済を強く求めます。 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げるとともに、長崎は、広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島をはじめ、平和を希求するすべての人々と連帯し、「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。 |
【2024(令和6)年平和宣言】 |
「2024.8.6広島市長(松井一實)の平和宣言」。
|
皆さん、自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか。ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエル・パレスチナ情勢の悪化により、罪もない多くの人々の命や日常生活が奪われています。こうした世界情勢は、国家間の疑心暗鬼をますます深め、世論において、国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考えが強まっていないでしょうか。こうした状況の中で市民社会の安全・安心を保つことができますか。不可能ではないでしょうか。 平和記念資料館を通して望む原爆死没者慰霊碑、そこで祈りを捧げる人々の視線の先にある原爆ドーム、これらを南北の軸線上に配置したここ平和記念公園は、施行から今日で75年を迎える広島平和記念都市建設法を基に、広島市民を始めとする平和を願う多くの人々によって創られ、犠牲者を慰霊し、平和を思い、語り合い、誓い合う場となっています。 戦後、我が国が平和憲法をないがしろにし、軍備の増強に注力していたとしたら、現在の平和都市広島は実現していなかったのです。この地に立てば、平和を愛する世界中の人々の公正と信義を信頼し、再び戦争の惨禍が起こることのないようにするという先人の決意を感じることができるはずです。 また、そうした決意の下でヒロシマの心を発信し続けた被爆者がいました。「私たちは、いまこそ、過去の憎しみを乗り越え、人種、国境の別なく連帯し、不信を信頼へ、憎悪を和解へ、分裂を融和へと、歴史の潮流を転換させなければなりません。」これは、全身焼けただれた母親のそばで、皮膚がむけて赤身が出ている赤ん坊、内臓が破裂して地面に出ている死体…生き地獄さながらの光景を目の当たりにした当時14歳の男性の平和への願いです。 1989年、民主化に向けた市民運動の高まりによって、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊しました。かつてゴルバチョフ元大統領は、「われわれには平和が必要であり、軍備競争を停止し、核の恐怖を止め、核兵器を根絶し、地域紛争の政治的解決を執拗に追求する」という決意を表明し、レーガン元大統領との対話を行うことで共に冷戦を終結に導き、米ソ間の戦略兵器削減条約の締結を実現しました。このことは、為政者が断固とした決意で対話をするならば、危機的な状況を打破できることを示しています。 皆さん、混迷を極めている世界情勢をただ悲観するのではなく、こうした先人たちと同様に決意し、希望を胸に心を一つにして行動を起こしましょう。そうすれば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことができるはずです。必ずできます。 争いを生み出す疑心暗鬼を消し去るために、今こそ市民社会が起こすべき行動は、他者を思いやる気持ちを持って交流し対話することで「信頼の輪」を育み、日常生活の中で実感できる「安心の輪」を、国境を越えて広めていくことです。そこで重要になるのは、音楽や美術、スポーツなどを通じた交流によって他者の経験や価値観を共有し、共感し合うことです。こうした活動を通じて「平和文化」を共有できる世界を創っていきましょう。特に次代を担う若い世代の皆さんには、広島を訪れ、この地で感じたことを心に留め、幅広い年代の人たちと「友好の輪」を創り、今自分たちにできることは何かを考え、共に行動し、「希望の輪」を広げていただきたい。広島市は、世界166か国・地域の8,400を超える平和首長会議の加盟都市と共に、市民社会の行動を後押しし、平和意識の醸成に一層取り組んでいきます。 昨年度、平和記念資料館には世界中から過去最多となる約198万人の人が訪れました。これは、かつてないほど、被爆地広島への関心、平和への意識が高まっていることの証しとも言えます。世界の為政者には、広島を訪れ、そうした市民社会の思いを共有していただきたい。そして、被爆の実相を深く理解し、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」という平和への願いを受け止め、核兵器廃絶へのゆるぎない決意を、この地から発信していただきたい。 NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議が過去2回続けて最終文書を採択できなかったことは、各国の核兵器を巡る考え方に大きな隔たりがあるという厳しい現実を突き付けています。同条約を国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として重視する日本政府には、各国が立場を超えて建設的な対話を重ね、信頼関係を築くことができるよう強いリーダーシップを発揮していただきたい。さらに、核兵器のない世界の実現に向けた現実的な取組として、まずは来年3月に開催される核兵器禁止条約の第3回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となっていただきたい。また、平均年齢が85歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めます。 本日、被爆79周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、改めて被爆者の懸命な努力を受け止め、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。皆さん、希望を胸に、広島と共に明日の平和への一歩を踏み出しましょう。 |
The City of Hiroshima PEACE DECLARATION August 6, 2024 |
Citizens of the world, what do you think? Are more powerful nuclear forces
necessary for national security? What about arms races, competing to maintain
superiority over other nations? Russia’s protracted invasion of Ukraine
and the worsening situation between Israel and Palestine are claiming the
lives of countless innocent people, shattering normal life. It seems to
me that these global tragedies are deepening distrust and fear among nations,
reinforcing the public assumption that, to solve international problems,
we have to rely on military force, which we should be rejecting. Given
such circumstances, how can nations offer safety and security to their
people? Is that not impossible?
Through the pillars under the Peace Memorial Museum, we can see the Cenotaph for the A-bomb Victims. Anyone praying at the Cenotaph can look straight through it to the Atomic Bomb Dome. Peace Memorial Park, with these structures on its north-south axis, was built in accordance with the Hiroshima Peace Memorial City Construction Law, enacted seventy-five years ago today. Built by the people of Hiroshima and many other seekers of peace, it has become a place to memorialize the victims and to think, talk, and make promises to each other about peace.
If, after the war, Japan had abandoned our Peace Constitution and focused on rebuilding our military, the city of peace Hiroshima is today would not exist. Standing here, we can all feel our
predecessors’ determination to eliminate the scourge of war, trusting in the justice and faith of peace-loving people around the world.
Expressing that determination, one hibakusha continually communicated the spirit of Hiroshima. “Now is the time to turn the tide of history, to get beyond the hatreds of the past, uniting beyond differences of race and nationality to turn distrust into trust, hatred into reconciliation, and conflict into harmony.” This uplifting sentiment was written by a man who, as a 14-year-old boy, saw scenes from a living hell— a baby with skin peeled down to red flesh next to its mother burned from head to toe, and a corpse with its guts strewn out on the dirt.
In 1989, a massive people’s movement for democracy brought down the Berlin Wall, the predominant symbol of the Cold War. President Gorbachev expressed humanity’s collective need for peace and his determination to stop the arms race, end nuclear terror, eradicate nuclear weapons, and relentlessly pursue political solutions to regional conflicts. He and President Reagan worked together through dialogue to bring the Cold War to an end, which led to the United States and the Soviet Union concluding the Strategic Arms Reduction Treaty. They demonstrated that policymakers can overcome even critical situations through resolute commitment to dialogue.
In 1989, a massive people’s movement for democracy brought down the Berlin Wall, the predominant symbol of the Cold War. President Gorbachev expressed humanity’s collective need for peace and his determination to stop the arms race, end nuclear terror, eradicate nuclear weapons, and relentlessly pursue political solutions to regional conflicts. He and President Reagan worked together through dialogue to bring the Cold War to an end, which led to the United States and the Soviet Union concluding the Strategic Arms Reduction Treaty. They demonstrated that policymakers can overcome even critical situations through resolute commitment to dialogue.
To extinguish the suspicion and doubt that create conflicts, civil society must foster a circle of trust through exchange and dialogue with consideration for others. We must spread beyond national borders the sense of safety we feel in our daily lives. The crucial step here is to share and empathize with the experiences and values of others through music, art, sports, and other interactions. Through such exchange, let us create a world in which we all share the Culture of Peace. In particular, I call on our youth, who will lead future generations, to visit Hiroshima and, taking to heart what they experience here, create a circle of friendship with people of all ages. I hope they will ponder what they can do now, and act together to expand their circle of hope. The city of Hiroshima, working with Mayors for Peace, which now has more than 8,400 member cities in 166 countries and regions, will actively support community endeavors to raise peace consciousness.
Last fiscal year, approximately 1.98 million people from around the world visited the Hiroshima Peace Memorial Museum. This record number is evidence of unprecedented interest in the atomic-bombed city and a rise in peace consciousness. My hope is that all world leaders will visit Hiroshima, experience the will of civil society, gain a deeper understanding of the atomic bombing, and hold in their hearts the hibakusha plea, “No one should ever suffer as we have.” Then, while they are here, I hope they will, with iron resolve, issue a compelling call for the abolition of nuclear weapons.
Twice in a row the Nuclear Non-proliferation Treaty (NPT) Review Conference has failed to adopt a final document. These failures have revealed a harsh reality, namely, the enormous differences among countries with respect to nuclear weapons. I hope the Japanese government, which has declared repeatedly that the NPT is the cornerstone of the international nuclear disarmament and non-proliferation regime, will exercise strong leadership, calling all
countries to transcend their positions and engage in constructive dialogue toward a relationship of trust. Furthermore, I request that Japan, as a practical effort toward a nuclear-weapon-free world, participate as an observer at the Third Meeting of States Parties to the Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons to be held in March next year. Subsequently and as soon as possible, Japan must become a party to the treaty. In addition, I demand that the Japanese government strengthen measures of support for the hibakusha, including those living outside Japan. Now that their average age has exceeded 85, the government must accept that they are still suffering the many adverse emotional and physical effects of radiation.
Today, at this Peace Memorial Ceremony marking 79 years since the bombing,
we offer our deepest condolences to the souls of the atomic bomb victims.
Together with Nagasaki and likeminded people around the world, remembering
once again the hibakusha struggle, we pledge to make every effort to abolish
nuclear weapons and light the way toward lasting world peace. Citizens
of the world, let us all, with hope in our hearts, walk with Hiroshima
toward tomorrow’s peace
MATSUI Kazumi
Mayor The City of Hiroshima |
「2024.8.9長崎市長(鈴木史朗)平和宣言」。 |
原爆を作る人々よ! しばし手を休め 眼(め)をとじ給(たま)え 昭和二十年八月九日! あなた方が作った 原爆で 幾万の尊い生命が奪われ 家 財産が一瞬にして無に帰し 平和な家庭が破壊しつくされたのだ 残された者は 無から起(た)ち上がらねばならぬ 血みどろな生活への苦しい道と明日をも知れぬ“原子病”の不安と そして肉親を失った無限の悲しみが いついつまでも尾をひいて行く。これは23歳で被爆し、原爆症と闘いながらも原爆の悲惨さを訴えた長崎の詩人・福田須磨子さんが綴(つづ)った詩です。家族や友人を失った深い悲しみ、体に残された傷跡、長い年月を経ても細胞を蝕(むしば)み続け、様々(さまざま)な病気を引き起こす放射線による影響、被爆者であるが故の差別や生活苦。原爆は被爆直後だけでなく、生涯にわたり被爆者を苦しめています。それでも被爆者は、「世界中の誰にも、二度と同じ体験をさせない」との強い決意で、苦難とともに生き抜いた自らの体験を語り続けているのです。 被爆から79年。私たち人類は、「核兵器を使ってはならない」という人道上の規範を守り抜いてきました。しかし、実際に戦場で使うことを想定した核兵器の開発や配備が進むなど、核戦力の増強は加速しています。 ロシアのウクライナ侵攻に終わりが見えず、中東での武力紛争の拡大が懸念される中、これまで守られてきた重要な規範が失われるかもしれない。私たちはそんな危機的な事態に直面しているのです。 福田さんは詩の最後で、こう呼びかけました。 原爆を作る人々よ! 今こそ ためらうことなく 手の中にある一切を放棄するのだ そこに初めて 真の平和が生まれ 人間は人間として蘇(よみがえ)ることが出来るのだ 核保有国と核の傘の下にいる国の指導者の皆さん。核兵器が存在するが故に、人類への脅威が一段と高まっている現実を直視し、核兵器廃絶に向け大きく舵(かじ)を切るべきです。そのためにも被爆地を訪問し、被爆者の痛みと思いを一人の人間として、あなたの良心で受け止めてください。そしてどんなに険しくても、軍拡や威嚇を選ぶのではなく、対話と外交努力により平和的な解決への道を探ることを求めます。唯一の戦争被爆国である日本の政府は、核兵器のない世界を真摯(しんし)に追求する姿勢を示すべきです。そのためにも一日も早く、核兵器禁止条約に署名・批准することを求めます。そして、憲法の平和の理念を堅持するとともに、北東アジア非核兵器地帯構想など、緊迫度を増すこの地域の緊張緩和と軍縮に向け、リーダーシップを発揮することを求めます。さらには、平均年齢が85歳を超えた被爆者への援護のさらなる充実と、未(いま)だ被爆者として認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請します。世界中の皆さん、私たちは、地球という大きな一つのまちに住む「地球市民」です。 想像してください。今、世界で起こっているような紛争が激化し、核戦争が勃発するとどうなるのでしょうか。人命はもちろんのこと、地球環境にも壊滅的な打撃を与え、人類は存亡の危機に晒(さら)されてしまいます。だからこそ、核兵器廃絶は、国際社会が目指す持続可能な開発目標(SDGs)の前提ともいえる「人類が生き残るための絶対条件」なのです。 ここ長崎でも、核兵器のない世界に向けて、若い世代を中心とした長年の動きがさらに活発になっています。今年5月には、若者版ダボス会議と呼ばれる国際会議「ワン・ヤング・ワールド」の平和をテーマとした分科会が、初めて長崎で開催されました。世界の若い世代が主役となって連帯し、行動する輪が各地で広がっています。それは、持続可能な平和な未来を築くための希望の光です。平和をつくる人々よ! 一人ひとりは微力であっても、無力ではありません。私たち地球市民が声を上げ、力を合わせれば、今の難局を乗り越えることができる。国境や宗教、人種、性別、世代などの違いを超えて知恵を出し合い、つながり合えば、私たちは思い描く未来を実現することができる。長崎は、そう強く信じています。原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の誠を捧(ささ)げます。長崎は、平和をつくる力になろうとする地球市民との連帯のもと、他者を尊重し、信頼を育み、話し合いで解決しようとする「平和の文化」を世界中に広めます。そして、長崎を最後の被爆地にするために、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けてたゆむことなく行動し続けることをここに宣言します。 |
「Nagasaki Peace Declaration」。 |
Rest from your work for a while and close your eyes. It was on August 9, 1945! An atomic bomb that you had made Claimed tens of thousands of precious lives and Brought houses and assets to naught in a flash, Completely devastating loving families. Survivors had to Recover from scratch To follow a tough, long road to bloody lives With deep concern that an “atomic bomb disease” would end their lives any day and Infinite grievance over the loss of their families and relatives Haunting them forever. This is a quote from a poem by Ms. Fukuda Sumako, a poet from Nagasaki who was exposed to the atomic bombing at 23 and devoted the rest of her life to making people aware of the misery brought by the atomic bomb while combatting atomic bomb disease. Since that day, hibakusha, or atomic bomb survivors, have lived with deep sorrow over the loss of their family members and friends, scars left on their body, the serious effect of radiation spoiling cells and causing various symptoms even after many years, and the hardships of discrimination and life due to being hibakusha. Their immense pain and suffering caused by the atomic bombing were not just of an immediate kind. Instead, hibakusha have experienced them throughout their lifetime. Nevertheless, hibakusha have continued to share their experience of surviving severe hardships with strong determination to ensure that no one in the world will again have the same experience as theirs. For 79 years since the atomic bombing, we humans have conformed to the humanitarian norm of never using a nuclear weapon again. However, nuclear armament is accelerating, as seen by progress in the development and deployment of nuclear weapons in anticipation of their actual use on the battlefield. Amid uncertainty about when the Russian invasion of Ukraine will come to an end and growing concern about the expansion of armed conflicts in the Middle East, we are currently facing a critical situation with the increased likelihood of the disappearance of the important norm that we have conformed to thus far. That poem by Ms. Fukuda ends with the following call: People making atomic bombs! It is time for you to Discard everything in your hands without hesitation. This will be the first step toward genuine peace and Our resuscitation as humans. Leaders of the nuclear states and states under the nuclear umbrella, you must face up to the reality that the very existence of nuclear weapons has posed an increasing threat to humankind, and you must make a brave shift toward the abolition of nuclear weapons. To achieve this, please visit the atomic-bombed cities and listen carefully and conscientiously, as an individual, to hibakusha sharing their pain and thoughts. We also call for your dialogue and diplomatic efforts to explore a path toward peaceful solutions, no matter how difficult the path is, instead of choosing a path toward arms expansion or threats of force. The government of Japan, the only state attacked by atomic bombs in war, must express a serious attitude of pursuing a world without nuclear weapons. As a step toward this, we call for the Japanese government to sign and ratify the Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons as soon as possible. We also call for the Japanese government to firmly uphold the principle of peace embodied in the Constitution of Japan and to demonstrate its leadership in international efforts to ease the heightened tension in Northeast Asia and advance disarmament in the region, such as the Northeast Asia Nuclear-Weapon-Free Zone initiative. Moreover, we strongly request that further enhanced aid be given to hibakusha, whose average age exceeds 85, and that relief measures be adopted as soon as possible for those who were exposed to the atomic bombings but have not yet been officially recognized as hibakusha. Everyone in the world, we are “global citizens” who live in the huge community of Earth. Imagine what would happen if a conflict like those found in the current world escalated to bring about a nuclear war. It would have a devastating impact not only on the lives of people but also on the global environment, imposing a grave threat to the existence of humankind. That is why the abolition of nuclear weapons is an absolute requirement for the survival of humankind, which can be viewed as a prerequisite for the Sustainable Development Goals (SDGs) striven for by the international community. Nagasaki has recently seen increasing vigor of long-term efforts to achieve a world without nuclear weapons, mainly among younger generations. In May of this year, a peace-focused forum supported by One Young World, a global community for young leaders that is dubbed as the “junior Davos,” was held in Nagasaki for the first time. Circles of younger generations around the world working together as leaders have expanded to various regions. They are the light of our hope of building a sustainable and peaceful future. People making peace! Even if each of you has only a little power, you are never powerless. If we as global citizens speak up and work together, we will surely overcome the current difficult situation. If we share our wisdom with each other and partner with each other irrespective of any difference in nationality, religion, race, gender, or generation, we will surely fulfill our future vision. Nagasaki firmly believes so. I would like to express my deepest condolences for the lives claimed by the atomic bombings. Nagasaki will disseminate throughout the world a culture of peace, that is, a culture of respecting others, fostering mutual trust, and striving for solutions through dialogue in collaboration with global citizens who hope to contribute to peace making. I hereby declare that Nagasaki will continue its tireless efforts to abolish nuclear weapons and realize permanent world peace so that Nagasaki remains the last place to suffer an atomic bombing. SUZUKI Shiro Mayor of Nagasaki August 9, 2024 |
(私論.私見)