2015、2016、2017、2018、2019年平和宣言

 更新日/2017(平成29).8.6日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここに「2015、2016、2017、2018、2019年の広島、長崎平和宣言」を収録しておくことにする。

 2007.8.7日 れんだいこ拝


【2015.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】

 私たちの故郷(ふるさと)には、温かい家族の暮らし、人情あふれる地域の絆、季節を彩る祭り、歴史に育まれた伝統文化や建物、子どもたちが遊ぶ川辺などがありました。1945年8月6日午前8時15分、その全てが一発の原子爆弾で破壊されました。きのこ雲の下には、抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、焼け崩れた建物。幾万という人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでにかけがえのない14万もの命が奪われ、その中には朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜なども含まれていました。

 辛うじて生き延びた人々も人生を大きく歪(ゆが)められ、深刻な心身の後遺症や差別・偏見に苦しめられてきました。生きるために盗みと喧嘩(けんか)を繰り返した子どもたち、幼くして原爆孤児となり今も一人で暮らす男性、被爆が分かり離婚させられた女性など−−苦しみは続いたのです。

 「広島をまどうてくれ!」これは、故郷や家族、そして身も心も元通りにしてほしいという被爆者の悲痛な叫びです。

 広島県物産陳列館として開館し100年、被爆から70年。歴史の証人として、今も広島を見つめ続ける原爆ドームを前に、皆さんと共に、改めて原爆被害の実相を受け止め、被爆者の思いを噛(か)みしめてみたいと思います。

 しかし、世界には、いまだに1万5000発を超える核兵器が存在し、核保有国等の為政者は、自国中心的な考えに陥ったまま、核による威嚇にこだわる言動を繰り返しています。また、核戦争や核爆発に至りかねない数多くの事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。

 核兵器が存在する限り、いつ誰が被爆者になるか分かりません。ひとたび発生した被害は国境を越え無差別に広がります。世界中の皆さん、被爆者の言葉とヒロシマの心をしっかり受け止め、自らの問題として真剣に考えてください。

 当時16歳の女性は「家族、友人、隣人などの和を膨らませ、大きな和に育てていくことが世界平和につながる。思いやり、やさしさ、連帯。理屈ではなく体で感じなければならない」と訴えます。当時12歳の男性は「戦争は大人も子どもも同じ悲惨を味わう。思いやり、いたわり、他人や自分を愛することが平和の原点だ」と強調します。

 辛(つら)く悲しい境遇の中で思い悩み、「憎しみ」や「拒絶」を乗り越え、紡ぎ出した悲痛なメッセージです。その心には、人類の未来を見据えた「人類愛」と「寛容」があります。

 人間は、国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、同じ地球に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるのです。私たちは「共に生きる」ために、「非人道の極み」、「絶対悪」である核兵器の廃絶を目指さなければなりません。そのための行動を始めるのは今です。既に若い人々による署名や投稿、行進など様々(さまざま)な取り組みも始まっています。共に大きなうねりを創りましょう。

 被爆70年という節目の今年、被爆者の平均年齢は80歳を超えました。広島市は、被爆の実相を守り、世界中に広め、次世代に伝えるための取り組みを強化するとともに、加盟都市が6700を超えた平和首長会議の会長として、2020年までの核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けた世界的な流れを加速させるために、強い決意を持って全力で取り組みます。

 今、各国の為政者に求められているのは、「人類愛」と「寛容」を基にした国民の幸福追求ではないでしょうか。為政者が顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。

 来年、日本の伊勢志摩で開催される主要国首脳会議、それに先立つ広島での外相会合は、核兵器廃絶に向けたメッセージを発信する絶好の機会です。オバマ大統領をはじめとする各国の為政者の皆さん、被爆地を訪れて、被爆者の思いを直接聴き、被爆の実相に触れてください。核兵器禁止条約を含む法的枠組みの議論を始めなければならないという確信につながるはずです。

 日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役として、議論の開始を主導するよう期待するとともに、広島を議論と発信の場とすることを提案します。また、高齢となった被爆者をはじめ、今この時も放射線の影響に苦しんでいる多くの人々の苦悩に寄り添い、支援策を充実すること、とりわけ「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

 私たちは、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、被爆者をはじめ先人が、これまで核兵器廃絶と広島の復興に生涯をかけ尽くしてきたことに感謝します。そして、世界の人々に対し、決意を新たに、共に核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすよう訴えます。

 平成27年(2015年)8月6日 広島市長 松井 一実

 HIROSHIMA -- August 6, 2015

In our town, we had the warmth of family life, the deep human bonds of community, festivals heralding each season, traditional culture and buildings passed down through history, as well as riversides where children played. At 8:15 a.m., August 6, 1945, all of that was destroyed by a single atomic bomb. Below the mushroom cloud, a charred mother and child embraced, countless corpses floated in rivers, and buildings burned to the ground. Tens of thousands were burned in those flames. By year's end, 140,000 irreplaceable lives had been taken, that number including Koreans, Chinese, Southeast Asians, and American prisoners of war.

Those who managed to survive, their lives grotesquely distorted, were left to suffer serious physical and emotional aftereffects compounded by discrimination and prejudice. Children stole or fought routinely to survive. A young boy rendered an A-bomb orphan still lives alone; a wife was divorced when her exposure was discovered. The suffering continues.

"Madotekure!" This is the heartbroken cry of hibakusha who want Hiroshima-their hometown, their families, their own minds and bodies-put back the way it was.

One hundred years after opening as the Hiroshima Prefectural Commercial Exhibition Hall and 70 years after the atomic bombing, the A-bomb Dome still watches over Hiroshima. In front of this witness to history, I want us all, once again, to face squarely what the A-bomb did and embrace fully the spirit of the hibakusha.

Meanwhile, our world still bristles with more than 15,000 nuclear weapons, and policymakers in the nuclear-armed states remain trapped in provincial thinking, repeating by word and deed their nuclear intimidation. We now know about the many incidents and accidents that have taken us to the brink of nuclear war or nuclear explosions. Today, we worry as well about nuclear terrorism.

As long as nuclear weapons exist, anyone could become a hibakusha at any time. If that happens, the damage will reach indiscriminately beyond national borders. People of the world, please listen carefully to the words of the hibakusha and, profoundly accepting the spirit of Hiroshima, contemplate the nuclear problem as your own.

A woman who was 16 at the time appeals, "Expanding ever wider the circle of harmony that includes your family, friends, and neighbors links directly to world peace. Empathy, kindness, solidarity -- these are not just intellectual concepts; we have to feel them in our bones." A man who was 12 emphasizes, "War means tragedy for adults and children alike. Empathy, caring, loving others and oneself -- this is where peace comes from."

These heartrending messages, forged in a cauldron of suffering and sorrow, transcend hatred and rejection. Their spirit is generosity and love for humanity; their focus is the future of humankind.

Human beings transcend differences of nationality, race, religion, and language to live out our one-time-only lives on the planet we share. To coexist we must abolish the absolute evil and ultimate inhumanity that is nuclear weapons. Now is the time to start taking action. Young people are already starting petition drives, posting messages, organizing marches and launching a variety of efforts. Let's all work together to build an enormous groundswell.

In this milestone 70th year, the average hibakusha is now over 80 years old. The city of Hiroshima will work even harder to preserve the facts of the bombing, disseminate them to the world, and convey them to coming generations. At the same time, as president of Mayors for Peace, now with more than 6,700 member cities, Hiroshima will act with determination, doing everything in our power to accelerate the international trend toward negotiations for a nuclear weapons convention and abolition of nuclear weapons by 2020.

Is it not the policymakers' proper role to pursue happiness for their own people based on generosity and love of humanity? Policymakers meeting tirelessly to talk -- this is the first step toward nuclear weapons abolition. The next step is to create, through the trust thus won, broadly versatile security systems that do not depend on military might. Working with patience and perseverance to achieve those systems will be vital, and will require that we promote throughout the world the path to true peace revealed by the pacifism of the Japanese Constitution.

The summit meeting to be held in Japan's Ise-Shima next year and the foreign ministers' meeting to be held in Hiroshima prior to that summit are perfect opportunities to deliver a message about the abolition of nuclear weapons. President Obama and other policymakers, please come to the A-bombed cities, hear the hibakusha with your own ears, and encounter the reality of the atomic bombings. Surely, you will be impelled to start discussing a legal framework, including a nuclear weapons convention.

We call on the Japanese government, in its role as bridge between the nuclear- and non-nuclear-weapon states, to guide all states toward these discussions, and we offer Hiroshima as the venue for dialogue and outreach. In addition, we ask that greater compassion for our elderly hibakusha and the many others who now suffer the effects of radiation be expressed through stronger support measures. In particular, we demand expansion of the "black rain areas."

Offering our heartfelt prayers for the peaceful repose of the A-bomb victims, we express as well our gratitude to the hibakusha and all our predecessors who worked so hard throughout their lives to rebuild Hiroshima and abolish nuclear weapons. Finally, we appeal to the people of the world: renew your determination. Let us work together with all our might for the abolition of nuclear weapons and the realization of lasting world peace.

MATSUI Kazumi

Mayor

The City of Hiroshima

 2015(平成27)年/長崎市長の平和宣言全文

 昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟(はいきょ)と化しました。大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。24万人の市民のうち、7万4000人が亡くなり、7万5000人が傷つきました。70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕(むしば)まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを一日たりとも忘れることはできません。

 原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。原子爆弾の凄(すさ)まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛(つら)く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。

 今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。

 若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。

 世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。

 私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。

 今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。

 NPT加盟国の首脳に訴えます。

 今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。

 また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。

 改めて、長崎から呼びかけます。

 オバマ大統領、核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。

 日本政府に訴えます。

 国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。

 この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。

 11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。

 「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔(ま)き続けます。

 また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。

 現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます。

 被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。

 原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧(ささ)げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

 2015年(平成27年)8月9日 長崎市長 田上 富久
 Nagasaki peace declaration on 70th anniversary of atomic bombing

Below is the Peace Declaration issued on Aug. 9, 2015, by Nagasaki Mayor Tomihisa Taue on the 70th anniversary of the atomic bombing of the city.

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At 11:02 a.m., on the 9th August 1945, a single atomic bomb instantly reduced Nagasaki to a ruin.

A vast amount of radiation passed through people's bodies, and the city was struck by heat rays and a blast that defy imagination. Seventy-four thousand of the city's population of 240,000 people were killed. A further 75,000 individuals sustained injuries. It was said that vegetation would not grow for at least 70 years. However, today, 70 years on, this hill in Urakami, which was once a ruin, is now enveloped in greenery. Nevertheless, those hibakusha, atomic bomb survivors, whose bodies were eaten away by radiation, and who continue to suffer from the aftereffects, can never forget that day.

The atomic bomb was born of war, and was used in war.

The conviction that nuclear weapons must not exist, and that we must never go to war again, was deeply and powerfully engraved upon the hearts of the hibakusha, who know firsthand the fearsome destructive force of atomic bombs. The peaceful ideology of the Constitution of Japan was born from these painful and harsh experiences, and from reflection upon the war. Since the war, our country has walked the path of a peaceful nation. For the sake of Nagasaki, and for the sake of all of Japan, we must never change the peaceful principle that we renounce war.

Most of our population is now made up of the post-war generation. The memories of war are fast fading from our society. We must not forget the atomic bomb experiences of those in Nagasaki and Hiroshima. Neither should we forget the air raids which destroyed Tokyo and many other cities, the Battle of Okinawa, nor the many people of Asia who suffered because of this tragic war. Now, 70 years on, it is vital that we continue to pass on those memories.

I ask that those of you who experienced the atomic bomb and the war in Japan and across the globe speak of your experiences, and not allow those memories to fade.

To the young generation, I ask that you do not push wartime experiences aside saying that they are stories of the past. Understand that the wartime generation tell you their stories because what they speak of could, in the future, happen to you as well. Therefore, please inherit their wish for peace. Please imagine what you would do in such circumstances, and ask yourself "What can I do for the sake of peace?" You, the young generation, have the power to transcend national borders and create new relationships.

The greatest power to realize a world without war and without nuclear weapons lies inside each and every one of us. Listen to stories of the war, sign petitions for nuclear abolition, and visit atomic bomb exhibitions. Together, these individual actions can create a much larger power. In Nagasaki, the younger generation, which includes second and third generation hibakusha, are inheriting the wish for peace and are taking action. Our individual strengths are the greatest power in realizing a world without war and without nuclear weapons. The power of civil society is the power to move governments, and to move the world.

In May of this year, the "Review Conference of the Parties to the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons (NPT)" ended without the adoption of a Final Document. However, the efforts of those countries which are attempting to ban nuclear weapons made possible a draft Final Document which incorporated steps towards nuclear disarmament.

I ask the following of the heads of the NPT member states.

Please do not let this Review Conference have been a waste. Please continue your efforts to debate a legal framework, such as a "Nuclear Weapons Convention (NWC)," at every opportunity, including at the General Assembly of the United Nations.

Many countries at the Review Conference were in agreement that it is important to visit the atomic-bombed cities of Nagasaki and Hiroshima.

Once again, I make a call from Nagasaki.

I address President Obama, heads of state, including the heads of the nuclear weapon states, and all the people of the world. Please come to Nagasaki and Hiroshima, and see for yourself exactly what happened under those mushroom clouds 70 years ago. Please understand and accept the message of the hibakusha, who are still doing their best to pass on their experiences, not simply as "victims," but as "members of the human race."

I appeal to the Government of Japan.

Please explore national security measures which do not rely on nuclear deterrence. The establishment of a "Northeast Asia Nuclear-Weapon-Free Zone (NEA-NWFZ)," as advocated by researchers in America, Japan, Korea, China, and many other countries, would make this possible. Fix your sights on the future, and please consider a conversion from a "nuclear umbrella" to a "non-nuclear umbrella."

This summer, Nagasaki held the "International Youth Peace Forum," where young people from 128 different countries and regions considered and discussed peace.

In November, Nagasaki will host the "Pugwash International Conference" for the first time. At this Conference, which was inspired by Albert Einstein, who understood the terror of nuclear weapons, scientists from all over the world will gather, discuss the problem of nuclear weapons, and convey a message of peace from Nagasaki to the world.

"Peace from Nagasaki." We shall continue to sow the seeds of peace as we treasure these words.

Furthermore, four years on from the Great East Japan Earthquake, Nagasaki continues to support the people of Fukushima who are suffering due to the accident at the nuclear power plant.

The Diet is currently deliberating a bill which will determine how our country guarantees its security. There is widespread unease and concern that the oath which was engraved onto our hearts 70 years ago and the peaceful ideology of the Constitution of Japan are now wavering. I urge the Government and the Diet to listen to these voices of unease and concern, concentrate their wisdom, and conduct careful and sincere deliberations.

This year, the average age of the hibakusha has now passed 80. I strongly request that the Government of Japan fulfill its responsibility of providing substantial care that conforms to the actual needs of the hibakusha, and increase the extent of the area acknowledged as being exposed to the atomic bomb while those who were there are still alive.

We, the people of Nagasaki, offer our most heartfelt condolences to those who lost their lives to the atomic bomb. We hereby declare that together with the citizens of Hiroshima, we shall continue to use all our strength to achieve a world without nuclear weapons, and the realization of peace.

Tomihisa Taue, Mayor of Nagasaki

August 9, 2015


【2016.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】
 2016(平成28)年/広島市長の平和宣言

 1945年8月6日午前8時15分。澄みきった青空を切り裂き、かつて人類が経験したことのない「絶対悪」が広島に放たれ、一瞬のうちに街を焼き尽くしました。朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜などを含め、子どもからお年寄りまで罪もない人々を殺りくし、その年の暮れまでに14万もの尊い命を奪いました。

 辛うじて生き延びた人々も、放射線の障害に苦しみ、就職や結婚の差別に遭(あ)い、心身に負った深い傷は今なお 消えることがありません。破壊し尽くされた広島は美しく平和な街として生まれ変わりましたが、あの日、「絶対悪」に奪い去られた川辺の景色や暮らし、歴史と共に育まれた伝統文化は、二度と戻ることはないのです。

 当時17歳の男性は「真っ黒の焼死体が道路を塞(ふさ)ぎ、異臭が鼻を衝(つ)き、見渡す限り火の海の広島は生き地獄でした。」と語ります。当時18歳の女性は「私は血だらけになり、周りには背中の皮膚が足まで垂れ下がった人や、水を求めて泣き叫ぶ人がいました。」と振り返ります。

 あれから71年、依然として世界には、あの惨禍をもたらした原子爆弾の威力をはるかに上回り、地球そのものを破壊しかねない1万5千発を超える核兵器が存在します。核戦争や核爆発に至りかねない数多くの事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。

 私たちは、この現実を前にしたとき、生き地獄だと語った男性の「これからの世界人類は、命を尊び平和で幸福な人生を送るため、皆で助け合っていきましょう。」という呼び掛け、そして、血だらけになった女性の「与えられた命を全うするため、次の世代の人々は、皆で核兵器はいらないと叫んでください。」との訴えを受け止め、更なる行動を起こさなければなりません。そして、多様な価値観を認め合いながら、「共に生きる」世界を目指し努力を重ねなければなりません。

 今年5月、原爆投下国の現職大統領として初めて広島を訪問したオバマ大統領は、「私自身の国と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない。」と訴えました。それは、被爆者の「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という心からの叫びを受け止め、今なお 存在し続ける核兵器の廃絶に立ち向かう「情熱」を、米国をはじめ世界の人々に示すものでした。そして、あの 「絶対悪」を許さないというヒロシマの思いがオバマ大統領に届いたことの証しでした。

 今こそ、私たちは、非人道性の極みである「絶対悪」をこの世から消し去る道筋をつけるためにヒロシマの思いを基に、「情熱」を持って「連帯」し、行動を起こすべきではないでしょうか。今年、G7の外相が初めて広島に集い、核兵器を持つ国、持たない国という立場を超えて世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛け、包括的核実験禁止条約の早期発効や核不拡散条約に基づく核軍縮交渉義務を果たすことを求める宣言を発表しました。これは、正に「連帯」に向けた一歩です。

 為政者には、こうした「連帯」をより強固なものとし、信頼と対話による安全保障の仕組みづくりに、「情熱」を持って臨んでもらわなければなりません。そのため、各国の為政者に、改めて被爆地を訪問するよう要請します。その訪問は、オバマ大統領が広島で示したように、必ずや、被爆の実相を心に刻み、被爆者の痛みや悲しみを共有した上での決意表明につながるものと確信しています。

 被爆者の平均年齢は80歳を超え、自らの体験を生の声で語る時間は少なくなっています。未来に向けて被爆者の思いや言葉を伝え、広めていくには、若い世代の皆さんの力も必要です。世界の7千を超える都市で構成する平和首長会議は、世界の各地域では20を超えるリーダー都市が、また、世界規模では広島・長崎が中心となって、若者の交流を促進します。そして、若い世代が核兵器廃絶に立ち向かうための思いを共有し、具体的な行動を開始できるようにしていきます。

 この広島の地で「核兵器のない世界を必ず実現する」との決意を表明した安倍首相には、オバマ大統領と共に リーダーシップを発揮することを期待します。核兵器のない世界は、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する世界でもあり、その実現を確実なものとするためには核兵器禁止の法的枠組みが不可欠となります。また、日本政府には、平均年齢が80歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

 私たちは、本日、思いを新たに、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、被爆地長崎と手を携え、世界の人々と共に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

平成28年(2016年)8月6日 広島市長 松井 一実
 2016(平成28)年/長崎市長の平和宣言

 核兵器は人間を壊す残酷な兵器です。1945 年8月9日午前 11 時2分、米軍機が投下し た一発の原子爆弾上空でさく裂した瞬間、長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかりました。あとには黒焦げの亡骸、全身が焼けただれた人、 内臓が飛び出した人、無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、長崎は地獄と化しまた。

 原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、 そのために引き起こされる病気や障害は、辛うじて生き残った人ちを今も苦しめています。核兵器は人間を壊し続ける残酷な兵器なのです。今年5月、アメリカの現職大統領として初めて、オバマ大統領が被爆地・広島を訪問しました。大統領は、その行動によって自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを世界に示しました。核兵器保有国をはじめとする各国のリーダ-の皆さん、そして世界中の皆さん。長崎や広島に来てください。原子雲の下で人間に何が起きたのかを知ってください。事実を知ること、それこそが核兵器のない未来を考えるスタートラインです。

 今年、ジュネーブの国連欧州本部で、核軍縮交渉を前進させる法的な枠組みについて話 し合う会議が開かれています。法的な議論を行う場ができたことは、大きな前進です。しかし、まもなく結果がまとめられるこの会議に、核兵器保有国は出席していません。そして、会議の中では、核兵器の抑止力に依存する国々と、禁兵器禁止の交渉開始を主張する国々との対立が続いています。このままでは、核兵器廃絶へ道筋を示すことができないまま、会議が閉会してしまいます。核兵器保有国のリーダ-の皆さん、今からでも遅くはありません。こ会議に出席し、議論に参加してください。

 国連、各政府及び国会、NGOを含む市民社会に訴えます。核兵器廃絶向けて、法的な議論を行う場を決して絶やしてはなりません。今年秋の国連総会で、核兵器のない世界の実現に向けた法的な枠組みに関する協議と交渉の場を設けてください。そして、人類社会の一員として、解決策を見出す努力を続けください。

 核兵器保有国では 、より高性能の核兵器に置き換える計画が進行中です。このままでは核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの「英知」結集してください。日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では抑止力に依存する立場をとっています。 この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである「北東アジ非核兵器地帯」創設を検討してください。核兵器の非人道性をよく知る唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という人類のひとつの「英知」をを行動に移すリーダシップ発揮してください。

 核兵器の歴史は、不信感の歴史です。国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が開発されてきました。世界には未だに1万5千発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。市民社会の一員である私たち一人ひとりにも、できることがあります。国を越えて人と交わることで、言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、身近に信頼を生み出すことです。オバマ大統領を温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。市民社会の行動は、一つひとつは小さく見えても、国同士の信頼関係を築くための、強くかけがえのない礎となります。

 被爆から71 年がたち、被爆者の平均年齢は80 歳を越えました。世界が「被爆者のいない時代」を迎える日が少しずつ近づいています。戦争、そして戦争が生んだ被爆の体験をどう受け継いでいくかが、今、問われています。若い世代の皆さん、あなたたちが当たり前と感じる日常、例えば、お母さんの優しい手、お父さんの温かいまなざし、友だちとの会話、好きな人の笑顔…。そのすべてを奪い去ってしまうのが戦争です。戦争体験、被爆者の体験に、ぜひ一度耳を傾けてみてください。つらい経験を語ることは苦しいことです。それでも語ってくれるのは、未来の人たちを守りたいからだということを知ってください。長崎では、被爆者に代わって子どもや孫の世代が体験を語り伝える活動が始まっています。焼け残った城山小学校の校舎などを国の史跡として後世に残す活動も進んでいます。若い世代の皆さん、未来のために、過去に向き合う一歩を踏み出してみませんか。福島での原発事故から5年が経過しました。長崎は、放射能による苦しみを体験したまちとして、福島を応援し続けます。日本政府には、今なお原爆の後遺症に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、被爆地域の拡大をはじめとする被爆体験者の一日も早い救済を強く求めます。原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、世界の人々とともに、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くすことをここに宣言します。

 2016 年(平成28 年)8月9日 長崎市長 田上 富久

【2017.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】
 2017(平成29)年/広島市長の平和宣言

 皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。鋭い閃光がピカーッと走り、凄まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍(しかばね)。その間をぬって、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ裸同然で剝(は)がれた皮膚を垂らし、燃え広がる炎の中を水を求めてさまよう。目の前の川は死体で覆われ、河原は火傷(やけど)した半裸の人で足の踏み場もない。正に地獄です。「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました。

 このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄(ほの)めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨(むご)たらしい目に遭(あ)うのは、あなたかもしれません。

 それ故、皆さんには是非とも、被爆者の声を聞いてもらいたいと思います。15歳だった被爆者は、「地獄図の中で亡くなっていった知人、友人のことを偲(しの)ぶと、今でも耐えられない気持ちになります。」と言います。そして、「一人一人が生かされていることの有難さを感じ、慈愛の心、尊敬の念を抱いて周りに接していくことが世界平和実現への一歩ではないでしょうか。」と私たちに問い掛けます。

 また、17歳だった被爆者は、「地球が破滅しないよう、核保有国の指導者たちは、核抑止という概念にとらわれず、一刻も早く原水爆を廃絶し、後世の人たちにかけがえのない地球を残すよう誠心誠意努力してほしい。」と語っています。

 皆さん、このような被爆者の体験に根差した「良心」への問い掛けと為政者に対する「誠実」な対応への要請を我々のものとし、世界の人々に広げ、そして次の世代に受け渡していこうではありませんか。

 為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です。

 市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。

 今や世界中からの訪問者が年間170万人を超える平和記念公園ですが、これからもできるだけ多くの人々が訪れ、被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい。特に、若い人たちには、広島を訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。広島は、世界の人々がそのための交流をし、行動を始める場であり続けます。

 その広島が会長都市となって世界の7,400を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。

今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させなければなりません。

 特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。また、平均年齢が81歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を一層充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

 私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。  

 平成29年(2017年)8月6日 広島市長 松井 一實

 2017(平成29)年/長崎市長の平和宣言

 「ノーモア ヒバクシャ」。この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。しかし、これはゴールではありません。今も世界には、1万5千発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活(い)かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。日本政府に訴えます。核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関(かか)わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。あの日、原爆の凄(すさ)まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原(やけのはら)となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然(ぼうぜん)と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨(むざん)に狂わせたのです。

 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2017年(平成29年)8月9日 長崎市長 田上富久


【2018.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】
 核保有の誘惑、断ち切るために

 73年前、今日と同じ月曜日の朝。広島には真夏の太陽が照りつけ、いつも通りの1日が始まろうとしていました。皆さん、あなたや大切な家族がそこにいたらと想像しながら聞いてください。8時15分、目もくらむ一瞬の閃光(せんこう)。セ氏100万度を超える火の玉からの強烈な放射線と熱線、そして猛烈な爆風。立ち昇ったきのこ雲の下で何の罪もない多くの命が奪われ、街は破壊し尽くされました。「熱いよう! 痛いよう!」。つぶれた家の下から母親に助けを求め叫ぶ子どもの声。「水を、水を下さい!」。息絶え絶えのうめき声、うなり声。人が焦げる臭気の中、赤い肉をむき出しにして亡霊のごとくさまよう人々。随所で降った黒い雨。脳裏に焼きついた地獄絵図と放射線障害は、生き延びた被爆者の心身をむしばみ続け、今なお苦悩の根源となっています。

 世界にいまだ1万4000発を超える核兵器がある中、意図的であれ偶発的であれ、核兵器がさく裂したあの日の広島の姿を再現させ、人々を苦難に陥れる可能性が高まっています。

 被爆者の訴えは、核兵器の恐ろしさを熟知し、それを手にしたいという誘惑を断ち切るための警鐘です。年々被爆者の数が減少する中、その声に耳を傾けることが一層重要になっています。20歳だった被爆者は「核兵器が使われたなら、生あるもの全て死滅し、美しい地球は廃虚と化すでしょう。世界の指導者は被爆地に集い、その惨状に触れ、核兵器廃絶に向かう道筋だけでもつけてもらいたい。核廃絶ができるような万物の霊長たる人間であってほしい」と訴え、命を大切にし、地球の破局を避けるため、為政者に対し「理性」と洞察力を持って核兵器廃絶に向かうよう求めています。

 昨年、核兵器禁止条約の成立に貢献したICANがノーベル平和賞を受賞し、被爆者の思いが世界に広まりつつあります。その一方で、今世界では自国第一主義が台頭し、核兵器の近代化が進められるなど、各国間に東西冷戦期の緊張関係が再現しかねない状況にあります。

 同じく20歳だった別の被爆者は訴えます。「あのような惨事が二度と世界に起こらないことを願う。過去の事だとして忘却や風化させてしまうことがあっては絶対にならない。人類の英知を傾けることで地球が平和に満ちた場所となることを切に願う」。人類は歴史を忘れ、あるいは直視することをやめたとき、再び重大な過ちを犯してしまいます。だからこそ私たちは「ヒロシマ」を「継続」して語り伝えなければなりません。核兵器の廃絶に向けた取り組みが、各国の為政者の「理性」に基づく行動によって「継続」するようにしなければなりません。

 核抑止や核の傘という考え方は、核兵器の破壊力を誇示し、相手国に恐怖を与えることによって世界の秩序を維持しようとするものであり、長期にわたる世界の安全を保障するには、極めて不安定で危険極まりないものです。為政者は、このことを心に刻んだ上で、NPT(核拡散防止条約)に義務付けられた核軍縮を誠実に履行し、さらに、核兵器禁止条約を核兵器のない世界への一里塚とするための取り組みを進めていただきたい。

 私たち市民社会は、朝鮮半島の緊張緩和が今後も対話によって平和裏に進むことを心から希望しています。為政者が勇気を持って行動するために、市民社会は多様性を尊重しながら互いに信頼関係を醸成し、核兵器の廃絶を人類共通の価値観にしていかなければなりません。世界の7600を超える都市で構成する平和首長会議は、そのための環境づくりに力を注ぎます。

 日本政府には、核兵器禁止条約の発効に向けた流れの中で、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現するためにも、国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、その役割を果たしていただきたい。また、平均年齢が82歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

 本日、私たちは思いを新たに、原爆犠牲者のみ霊に衷心より哀悼の誠をささげ、被爆地長崎、そして世界の人々と共に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

 平成30年(2018年)8月6日  広島市長 松井一実

 73年前の今日、8月9日午前11時2分。真夏の空に炸裂(さくれつ)した一発の原子爆弾により、長崎の街は無残な姿に変わり果てました。人も動物も草も木も、生きとし生けるものすべてが焼き尽くされ、廃虚と化した街にはおびただしい数の死体が散乱し、川には水を求めて力尽きたたくさんの死体が浮き沈みしながら河口にまで達しました。15万人が死傷し、なんとか生き延びた人々も心と体に深い傷を負い、今も放射線の後障害に苦しみ続けています。

 原爆は、人間が人間らしく生きる尊厳を容赦なく奪い去る残酷な兵器なのです。

 1946年、創設されたばかりの国際連合は、核兵器など大量破壊兵器の廃絶を国連総会決議第1号としました。同じ年に公布された日本国憲法は、平和主義を揺るぎない柱の一つに据えました。広島・長崎が体験した原爆の惨禍とそれをもたらした戦争を、二度と繰り返さないという強い決意を示し、その実現を未来に託したのです。

 昨年、この決意を実現しようと訴え続けた国々と被爆者をはじめとする多くの人々の努力が実り、国連で核兵器禁止条約が採択されました。そして、条約の採択に大きな貢献をした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。この二つの出来事は、地球上の多くの人々が、核兵器のない世界の実現を求め続けている証(あかし)です。

 しかし、第2次世界大戦終結から73年がたった今も、世界には1万4450発の核弾頭が存在しています。しかも、核兵器は必要だと平然と主張し、核兵器を使って軍事力を強化しようとする動きが再び強まっていることに、被爆地は強い懸念を持っています。

 核兵器を持つ国々と核の傘に依存している国々のリーダーに訴えます。国連総会決議第1号で核兵器の廃絶を目標とした決意を忘れないでください。そして50年前に核不拡散条約(NPT)で交わした「核軍縮に誠実に取り組む」という世界との約束を果たしてください。人類がもう一度被爆者を生む過ちを犯してしまう前に、核兵器に頼らない安全保障政策に転換することを強く求めます。

 そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めてください。

 日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない立場をとっています。それに対して今、300を超える地方議会が条約の署名と批准を求める声を上げています。日

本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます。

 今、朝鮮半島では非核化と平和に向けた新しい動きが生まれつつあります。南北首脳による「板門店宣言」や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、日本と朝鮮半島全体を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の実現に向けた努力を求めます。

 長崎の核兵器廃絶運動を長年牽引(けんいん)してきた二人の被爆者が、昨年、相次いで亡くなりました。その一人の土山秀夫さんは、核兵器に頼ろうとする国々のリーダーに対し、こう述べています。「あなた方が核兵器を所有し、またこれから保有しようとすることは、何の自慢にもならない。それどころか恥ずべき人道に対する犯罪の加担者となりかねないことを知るべきである」。もう一人の被爆者、谷口稜曄さんはこう述べました。「核兵器と人類は共存できないのです。こんな苦しみは、もう私たちだけでたくさんです。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません」

 二人は、戦争や被爆の体験がない人たちが道を間違えてしまうことを強く心配していました。二人がいなくなった今、改めて「戦争をしない」という日本国憲法に込められた思いを次世代に引き継がなければならないと思います。

 平和な世界の実現に向けて、私たち一人ひとりに出来ることはたくさんあります。

 被爆地を訪れ、核兵器の怖さと歴史を知ることはその一つです。自分のまちの戦争体験を聴くことも大切なことです。体験は共有できなくても、平和への思いは共有できます。

 長崎で生まれた核兵器廃絶一万人署名活動は、高校生たちの発案で始まりました。若い世代の発想と行動力は新しい活動を生み出す力を持っています。

 折り鶴を折って被爆地に送り続けている人もいます。文化や風習の異なる国の人たちと交流することで、相互理解を深めることも平和につながります。自分の好きな音楽やスポーツを通して平和への思いを表現することもできます。市民社会こそ平和を生む基盤です。「戦争の文化」ではなく「平和の文化」を、市民社会の力で世界中に広げていきましょう。

 東日本大震災の原発事故から7年が経過した今も、放射線の影響は福島の皆さんを苦しめ続けています。長崎は、復興に向け努力されている福島の皆さんを引き続き応援していきます。

 被爆者の平均年齢は82歳を超えました。日本政府には、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、今も被爆者と認定されていない「被爆体験者」の一日も早い救済を求めます。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界と恒久平和の実現のため、世界の皆さんとともに力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2018年(平成30年)8月9日 長崎市長 田上富久


【2019.8.6広島原爆忌:平和宣言(全文) 】
 松井一実市長の平和宣言の全文は次の通り。

 今世界では自国第一主義が台頭し、国家間の排他的、対立的な動きが緊張関係を高め、核兵器廃絶への動きも停滞しています。このような世界情勢を、皆さんはどう受け止めますか。二度の世界大戦を経験した私たちの先輩が、決して戦争を起こさない理想の世界を目指し、国際的な協調体制の構築を誓ったことを、私たちはいま一度思い出し、人類の存続に向け、理想の世界を目指す必要があるのではないでしょうか。

 特に、次代を担う戦争を知らない若い人にこのことを訴えたい。そして、そのためにも一九四五年八月六日を体験した被爆者の声を聴いてほしいのです。

 当時五歳だった女性は、こんな歌を詠んでいます。

 「おかっぱの頭(づ)から流るる血しぶきに 妹抱(いだ)きて母は阿修羅(あしゅら)に」

 また、「男女の区別さえできない人々が、衣類は焼けただれて裸同然。髪の毛も無く、目玉は飛び出て、唇も耳も引きちぎられたような人、顔面の皮膚も垂れ下がり、全身、血まみれの人、人」という惨状を十八歳で体験した男性は、「絶対にあのようなことを後世の人たちに体験させてはならない。私たちのこの苦痛は、もう私たちだけでよい」と訴えています。

 生き延びたものの心身に深刻な傷を負い続ける被爆者のこうした訴えが皆さんに届いていますか。

 「一人の人間の力は小さく弱くても、一人一人が平和を望むことで、戦争を起こそうとする力を食い止めることができると信じています」という当時十五歳だった女性の信条を単なる願いに終わらせてよいのでしょうか。

 世界に目を向けると、一人の力は小さくても、多くの人の力が結集すれば願いが実現するという事例がたくさんあります。インドの独立は、その事例の一つであり、独立に貢献したガンジーはつらく厳しい体験を経て、こんな言葉を残しています。

 「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、真の民主的精神の成長を妨げるものです」

 現状に背を向けることなく、平和で持続可能な世界を実現していくためには、私たち一人一人が立場や主張の違いを互いに乗り越え、理想を目指し共に努力するという「寛容」の心を持たなければなりません。そのためには、未来を担う若い人たちが、原爆や戦争を単なる過去の出来事と捉えず、また、被爆者や平和な世界を目指す人たちの声や努力を自らのものとして、たゆむことなく前進していくことが重要となります。

 そして、世界中の為政者は、市民社会が目指す理想に向けて、共に前進しなければなりません。そのためにも被爆地を訪れ、被爆者の声を聴き、平和記念資料館、追悼平和祈念館で犠牲者や遺族一人一人の人生に向き合っていただきたい。

 また、かつて核競争が激化し緊張状態が高まった際に、米ソの両核大国の間で「理性」の発露と対話によって、核軍縮にかじを切った勇気ある先輩がいたということを思い起こしていただきたい。

 今、広島市は、約七千八百の平和首長会議の加盟都市と一緒に、広く市民社会に「ヒロシマの心」を共有してもらうことにより、核廃絶に向かう為政者の行動を後押しする環境づくりに力を入れています。世界中の為政者には、核拡散防止条約第六条に定められている核軍縮の誠実交渉義務を果たすとともに、核兵器のない世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いに応えていただきたい。

 こうした中、日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現にさらに一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい。また、平均年齢が八十二歳を超えた被爆者をはじめ、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面でさまざまな苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

 本日、被爆七十四周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者のみ霊に心から哀悼の誠をささげるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

 令和元年(二〇一九年)八月六日 広島市長 松井一実

 長 崎 平 和 宣 言

 目を閉じて聴いてください。幾千の人の手足がふきとび 腸わたが流れ出て 人の体にうじ虫がわいた 息ある者は肉親をさがしもとめて 死がいを見つけ そして焼いた 人間を焼く煙が立ちのぼり
 罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた ケロイドだけを残してやっと戦争が終わった だけど…… 父も母も もういない 兄も妹ももどってはこない 人は忘れやすく弱いものだから あやまちをくり返す だけど……このことだけは忘れてはならない このことだけはくり返してはならない どんなことがあっても……

 これは、1945年8月9日午前11時2分、17歳の時に原子爆弾により家族を失い、自らも大けがを負った女性がつづった詩です。自分だけではなく、世界の誰にも、二度とこの経験をさせてはならない、という強い思いが、そこにはあります。

 原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。

 今、核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況です。核兵器は役に立つと平然と公言する風潮が再びはびこり始め、アメリカは小型でより使いやすい核兵器の開発を打ち出しました。ロシアは、新型核兵器の開発と配備を表明しました。そのうえ、冷戦時代の軍拡競争を終わらせた中距離核戦力(INF)全廃条約は否定され、戦略核兵器を削減する条約(新START)の継続も危機にひんしています。世界から核兵器をなくそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され、核兵器が使われる危険性が高まっています。

 核兵器がもたらす生き地獄を「繰り返してはならない」という被爆者の必死の思いが世界に届くことはないのでしょうか。そうではありません。国連にも、多くの国の政府や自治体にも、何よりも被爆者をはじめとする市民社会にも、同じ思いを持ち、声を上げている人たちは大勢います。そして、小さな声の集まりである市民社会の力は、これまでにも、世界を動かしてきました。1954年のビキニ環礁での水爆実験を機に世界中に広がった反核運動は、やがて核実験の禁止条約を生み出しました。一昨年の核兵器禁止条約の成立にも市民社会の力が大きな役割を果たしました。私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではないのです。

 世界の市民社会の皆さんに呼びかけます。戦争体験や被爆体験を語り継ぎましょう。戦争が何をもたらしたのかを知ることは、平和をつくる大切な第一歩です。国を超えて人と人との間に信頼関係をつくり続けましょう。小さな信頼を積み重ねることは、国同士の不信感による戦争を防ぐ力にもなります。人の痛みがわかることの大切さを子どもたちに伝え続けましょう。それは子どもたちの心に平和の種を植えることになります。平和のためにできることはたくさんあります。あきらめずに、そして無関心にならずに、地道に「平和の文化」を育て続けましょう。そして、核兵器はいらない、と声を上げましょう。それは、小さな私たち一人ひとりにできる大きな役割だと思います。

 すべての国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れ、原子雲の下で何が起こったのかを見て、聴いて、感じてください。そして、核兵器がいかに非人道的な兵器なのか、心に焼き付けてください。核保有国のリーダーの皆さん。核拡散防止条約(NPT)は、来年、成立からちょうど50年を迎えます。核兵器をなくすことを約束し、その義務を負ったこの条約の意味を、すべての核保有国はもう一度思い出すべきです。特にアメリカとロシアには、核超大国の責任として、核兵器を大幅に削減する具体的道筋を、世界に示すことを求めます。

 日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非核化の動きを捉え、「核の傘」ではなく、「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯の検討を始めてください。そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます。

 被爆者の平均年齢は既に82歳を超えています。日本政府には、高齢化する被爆者のさらなる援護の充実と、今も被爆者と認定されていない被爆体験者の救済を求めます。長崎は、核の被害を体験したまちとして、原発事故から8年が経過した今も放射能汚染の影響で苦しんでいる福島の皆さんを変わらず応援していきます。原子爆弾で亡くなられた方々に心から哀悼の意をささげ、長崎は広島とともに、そして平和を築く力になりたいと思うすべての人たちと力を合わせて、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2019年(令和元年)8月9日 長崎市長 田上富久  






(私論.私見)