ソ連の原水爆兵器開発史考 |
以下、「『原爆ホロコースト』の実態」、「ホロコーストの舞台裏」を参照する。
【米国の原爆製造設計図がソ連に売られる】 | ||||||
現在は引退してモスクワに住むスドプラトフ氏は、大戦当時はソ連の欧州・北米担当情報網の責任者でスターリンによるトロツキーの暗殺計画も担当した大物スパイとして知られる。そのスドプラトフ氏が、1994年、「特殊任務──望まれない証人の回顧録」を上宰し、タイム誌が英語版で抄録した。その中で、ソ連の原水爆兵器開発秘密が暴露されている。次のような爆弾証言となっている。日本でも邦題「KGB衝撃の秘密工作」(ほるぷ出版)として出版されている。
こうなると、戦後の冷戦による核抑止力による平和が、実はこれら科学者たちが“演出”したものだったことになる。広瀬隆・氏は、次のように指摘している。
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【「ケンブリッジ・サークル」考】 | ||
「ケンブリッジ・サークル」とは、イギリスを震撼させた「ソ連の二重スパイ組織」のことで、ケンブリッジ出身の4人のダブル・スパイ、キム・フィルビー、アンソニー・ブラント、ガイ・バージェス、ドナルド・マクレーンがメンバーだったことで知られている。
特にキム・フィルビーは、冷戦時代にスパイ界の「キング」と呼ばれていた。また、1979年11月、サッチャー首相は、公的にアンソニー・ブラントを「反逆者」と発言し、ナイトの称号を剥奪した。
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1946年12月25日の16時、ソ連が最初につくった原子炉 F-1(物理原子炉)が初臨界を達成する。アメリカより早く… この原子炉は当時ボイラーと呼ばれ、原子炉は半地下式で原子炉熱出力は
24kWtだったと記録されている。遅れをとったアメリカは、1951年に、世界初の原子力エネルギーを使った発電へ成功する。
1955年、アメリカは、国連で 米アイゼンハワー大統領の「原子力の平和利用(atoms for peace)」と国際原子力機関IAEAの設立を提案する。一方で、西側同盟各国に原子力についての情報(効果や利用法)を教える方針を立てる。 |
(私論.私見)