原水爆兵器登場の歴史的意味

 れんだいこは、「戦後民主主義考」「戦後冷戦体制とは」の「核兵器登場の史的意味考」で次のように記した。

 第二次世界大戦後の世界の対立構図は、「米ソを両頭目とする冷戦対立」となった。この構図は戦後直後より始まり、1991.12月、ソ連邦が崩壊するまで続いた。片方の頭目ソ連邦の崩壊は世界情勢の危機を深めたり、新戦争を特段には引き起こさなかった。このことと第二次世界大戦後以来2001年現在まで50年余にわたって同様の規模以上での戦争が引き起こされていないことを考えると、第二次世界大戦世界は世界的規模での最終戦争であった観が深い。この歴史眼を養わなければ、今後の展望も見えてこないのではなかろうか。

 もはや世界戦争は起らない。絶対とは云わないが、そういう蓋然性が高い。その要因は奈辺にあるのか。私は米国で逸早く達成された原子爆弾の製造成功を最大の要因に挙げたい。核兵器と云われるこの新兵器の威力は、我が国の広島、長崎に投下された実例で遺憾なく確認された。その後ソ連でも製造に成功した。以降、米ソ両超大国による核兵器の保有が世界破滅戦争を現実的に予期させることにより、それまでの戦争形式を根本的に変えたのではなかろうか。この歴史眼を養わなければ、今後の展望も見えてこないのではなかろうか。

 最終兵器としての核兵器の登場が戦争形式を根本的に変えたということを正当に認識しなければ、以降の歴史構図が読めないのではなかろうか。米ソ超大国はその後の度重なる実験で核兵器の性能を更に向上させていった。皮肉なことに、その破壊力の向上を達成すればするほど現実の使用を困難にさせ、戦争抑止の作用を強めていくことになった。つまり、爆弾としての最終兵器たる核兵器の発明が世界戦争抑止の最大の道具となった、このことの持つ世界史的意義が案外と無視されているように思われる。思えば、フルシチョフの「平和共存と平和的移行」政策の観点は、この世界史の質的転換を見据えての卓見であったのではなかろうか。

 1950年の朝鮮動乱、1960年代のベトナム戦争、その他の大戦争下にあっても、結局のところ核兵器は使用されずに今日まで至っている。れんだいこに云わせれば、何かしら第二次世界大戦以前と以降の『戦争の質が変わった』のであり、戦後の戦争は字義通りの意味での戦争らしくなくなった観がする。もっとも最近ではミニ核兵器ないし同種兵器の開発が進められつつあり、特殊地域使用の現実性が増しつつあるからして抑止の面の効用にのみ着目する訳にも行かなくなりつつある。

 「戦争の質が変わった」ことについてその他の要因として考えられることは、人類が数多の戦争経験から深く学び、敗戦国も戦勝国も二度と悲惨な戦争を起こさないと深く決意せしめ、それぞれ各国内部に平和持続意思が確立されたことにあると思われる。第二次世界大戦後、民族解放闘争と云われる諸国家の独立が嵐のように進んだが、その最大のベトナム戦争であれ人民大衆により選出される正統政府を争う形で推移しており、勝利した側が敗者の民族ジェノサイドに向かったそれではない。

 こうした認識から外れるものがあるとすれば、パレスチナでのイスラエルによる対アラブ戦争であろう。アラブ勢力の抵抗闘争が封ぜられない限り、危機が深まれば深まるほどイスラエルによるアラブ諸国家ジェノサイドがあり得そうである。予断は許されない。

 最近の戦術核兵器の開発は、「実践不使用規制」制限を受けている核兵器の実践適用化である。その効果がアフガン戦争、イラク戦争で試されている。それは限りない悪知恵の世界への誘引であり、反戦平和運動にはこれを促す勢力との徹底対決が求められている。

 それはともかくとして、こうして第二次世界大戦後の世界の対立構図は「米ソを両頭目とする冷戦対立」の時代となった。このことが何を意味するのか、ここを読み取らなければ歴史が見えてこない。恐らく社会の質が変わったと認識すべきではなかろうか、かく観点を据えて、以下その解読に向かう。れんだいこ史観の本領である。
 「原水禁運動の歴史と教訓 」は、前書きで次のように記している。

 1945年8月、アメリカが広島・長崎に原爆を投下してから、人類はこれまでに体験したことのない全く新しい時代に入った。つまり”核の時代”に入ったのである。

 人類は核エネルギーという”第二の火”を灯した結果、逆にその恐るべき危機の前におののかなくてはならなくなった。原爆は驚くべき爆発力をもつとともに、爆発に際して放出する放射性物質からの被害ももたらす。この放射線こそ、各種ガンやその他晩発の被害をもたらし、今日にいたるまでなおヒロシマ、ナガサキの原爆被害者を苦しめているのである。

 原爆の出現は、世界の政治も大きく変えてしまった。その破壊力を戦争に使用とすれば、もはや二国間の戦争を前提とする政治は非現実的となってきた。世界的戦争、国際的な大型戦争が各国の戦略の中心に据えられてくる。しかも核兵器を生産し、常備しようとすれば、厖大な軍事予算と巨大な兵器の研究・生産の体系をつくらなくてはならない。

 大国と中小国との差が核兵器中心の軍備では、はっきりしてくる。このために、社会主義体制と資本主義体制はそれぞれ軍事同盟・ブロックを結んで自国の”防衛”を考えようとするにいたる。

 核兵器はこのような世界政治の変動をもたらしたばかりでなく、各国における国内の政治も変えた。核兵器の破壊力は戦闘員と非戦闘員を区別しないし、人類に対して全面的な被害をもたらしかねない。このために逆に核戦争を阻止しようという動きは、革新派や労働者だけではなく、科学者や技術者のなかからも、婦人や青年の間からも、一般市民からも生じてくる。

 つまり、イデオロギーの相違や政治的信念の違いといったものを超えた“超党派”的人類的な反原爆の運動が発生する基盤ができたのであった。この点こそ、これまでの平和運動と原水爆禁止運動の根本的違いであり、核兵器反対という一点で人類が結びつけられ、連帯する条件が生まれたことを意味する。



【戦後における戦争とは】
 実際には、アメリカに続いてその後ソ連、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタンが次々と核保有国となっていった。2002年11月現在、イラク、北朝鮮の核保有が問題にされつつある。問題にはされていないが、イスラエルの核保有も噂されている。

 この現象に対して、上述の「核兵器が世界史を変えた」観点をどう調整すべきだろうか。れんだいこは思う。核保有国家は軍事的バランスオブパワー戦略に基づき核保有に踏み出したが、核保有国の先制的な核保有のもたらした功罪を冷静に分析し、今後の主流となるや否やを判断すべきでは無かろうか。「今後の主流となる」のであれば、「核兵器は世界史を変えなかった」ことを証すると思われる。逆に、核保有国が廃棄していく事態が生まれるならば、やはり「核兵器が世界史を変えた」ということになるであろう。

 では、どちらが趨勢的になるであろうか。れんだいこは、「先制核保有国の核廃棄」が実現すると見る。唯一、米帝は攻撃的な戦略を取り続けそうではあるが。その理由は、実践に使用し難いという面と米帝の如く戦術核研究の膨大な費用を負担し得る国家は他に出そうに無いからである。思えば、ソ連解体の背景には過大な軍事費の負担問題があった。軍拡競争に巻き込まれ経済発展に遅れをとり、硬直化した「社会主義」的官僚制ではにっちもさっちも行かなくなった。取りあえず体制を壊してしまう意外に再生が難しいところまで追い込まれた。このことを深く思案する必要があろう。

 なぜ、「先制核保有国の核廃棄」が実現するのか。それは、長期化すればするほど核施設の維持管理が出来なくなり、同時に地震のような天災、施設破壊ゲリラ攻撃に遭う局面を考えると俗にペイしなさ過ぎるからである。軍事的バランスオブパワー戦略に基づく核保有はその代価が異常に高くつくことがいやがうえにも知らされると思われるからである。

 この理屈は、平和利用的な原子力発電にも適用される。先進諸国は競って石炭から石油へ転換したように石油から原子力利用へと向かったが、核廃棄物の最終処理能力を獲得しないままに「目先の利益」へ誘導されたことが判明しつつある。最終的にソロバン勘定すれば意外に高くつくのが原子力利用なのではなかろうか。

 それを思えば、我が国が唯一の被爆体験国という事情もあって「非核三原則」を確立したことは歴史的な僥倖であったと云えるのでは無かろうか。にもかかわらず独占事業体としての電力会社が原子力発電所建設に熱中してきたが、西欧諸国は脱原子力時代に入りつつあることを思えば、我が国も早急に代替的エネルギー政策にギア・チェンジせねばならないのでは無かろうか。

 れんだいこは「戦後冷戦体制とは」で分析しようとしているが、戦後世界は専ら経済戦争へとシフト替えしているのでは無かろうか。その意味を考えるとき、核保有はアナクロ的なのでは無かろうか。今や、各国にとって肝要な政策は、国民的資源の培養とそれに伴う市場の整備であり、これに遅れをとる国々は搾取され、多国籍企業を通じて支配される。この渦の中で戦争が始まっているのであり、軍人が軍人足らんとして覇を競う時代は終わったというのがやはり戦後の意味なのではなかろうか。

 2002.11.3日 れんだいこ拝




(私論.私見)