東電勝俣元会長と東電OL殺人事件被害者・W泰子を結ぶ点と線考その1

 更新日/2017(平成29).6.5日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、東電OL殺人事件及び東電勝俣元会長と東電OL殺人事件被害者・W泰子を結ぶ点と線について確認しておく。「東電OL殺人事件の被害者は反原発の為消された?」、「東京電力OL殺人事件:"殺人事件の真犯人は決して捕まらない"!? なぜか?」、「2002/01/19 東電OL殺人事件の背景」、「2002/01/27 東電OL・泰子」、「アラーキーの課外授業」その他を参照する。

 2012.06.08日 れんだいこ拝


【東電勝俣元会長と東電OL殺人事件被害者・W泰子を結ぶ点と線考その1】
 既に「文系頭脳の原発批判論その2、東電会長・勝俣恒久の恥部考」で若干の考察をしたが、その後の情報を補足しておく。まず「文系頭脳の原発批判論その2、東電会長・勝俣恒久の恥部考」を確認しておく。次のように記している。
 東電会長の勝俣恒久(かつまたつねひさ )に対する不審を書きつけておく。この御仁は、1997(平成9).3.19日に発生した東電OL殺人事件に妙に絡んでいる気がしてならない。事件発生当時の被害者W泰子(39歳)の直属の上司が当時、取締役企画部長の勝俣であった。W泰子は慶応大学経済学部卒の才媛であり、東京電力入社後、異例の昇進続きのエリートコースを歩み女性初の総合管理職に就任していたと聞く。企画部経済調査室副長が最後の肩書である。そのW泰子が夜な夜な徘徊し渋谷区円山のラブホテル街をシマとする売春婦になっていたと云う。

 ここに尋常でないものを嗅ぎ取るべきではなかろうか。彼女をそのような身にせしめた背景事情を探らねばならないと思う。上司の勝俣との対立を説く記事が出ているがヤラセ記事の可能性がある。仮に彼女が晩年時の局面で対立し始めていたとしても、それまでの異例の出世の秘密を探るべきであろう。何かあるとするのが自然ではなかろうか。

 勝俣はその後もトントン拍子に出世している。1998年6月に常務取締役、1999年6月に取締役副社長、2002年10月、原発データ改竄事件で引責辞任した南直哉の後任として東京電力の第10代社長に就任。2006年末、第二次データ改竄事件を引き起こし、事故隠し工作に手腕を振う。2008年2月、柏崎刈羽原子力発電所のトラブル、28年ぶりの赤字決算の責任を取り引責辞任する。代表権を保持したまま会長就任と云う履歴を見せている。東大経済学部卒の東電花形の企画部出身であることからすれば、この出世に異常はないのかもしれないが、W泰子が売春婦に化したこととの繫がりの点と線を詮索せずんば気が済まない。

 東京東電OL殺人事件の容疑者としてネパール人男性ゴビンダが逮捕され現在も収監されている。ゴビンダは、W泰子との性的関係は認めているものの殺人を強く否定している。終始冤罪であると訴え、獄中から東京高裁に再審を請求している。

 れんだいこが注目するのは法廷でのゴビンダ証言である。それによると、W泰子が金儲けで買春していたのではない様子を明らかにしている。こうなると、東電勤務中のトントン拍子の出世過程に何らかの秘密が隠されているのではなかろうか。具体的には判明しようもないが、自らを売春婦化せしめるに至る性事情が隠されているような気がしてならない。

 そういう意味で、ゴビンダ裁判は、冤罪究明と同時にW泰子の売春婦化までの経緯をも究明せねばならないと考える。当然、勝俣はW泰子の性事情に関する知る限りの証言をする為に証言台に立たねばなるまい。ゴビンダ裁判はこう云う風に裁判を構成するべきであろうが司法は取り組むだろうか。聞くところによると、勝俣にW泰子の一件を質すのはタブーだと云う。ならば余計に証言台に起たせねばならないと考える。白なら堂々と弁明すれば良いだけのことではなかろうか。

 もとへ。こういうことを記すのは、三陸巨大震災、中でも福島原発事故に際して見せた菅政権、原子力安全保安院、東電責任者に揃いも揃って人間資質的な意味でのお粗末さを見て取ることができるからである。異常性を訝るからである。勝俣を挙げたのは一例に過ぎない。

 保安院の広報として枝野並に登場し饒舌した西山英彦審議官然りである。経済産業省の女性職員とのスキャンダルを週刊誌に報じられ失脚したが、原発事故対応、被災民救済にてんやわんやの頃の裏で進行していた密会であることを考えると尋常な神経ではなかろう。

 原発推進派連中は揃いも揃って元々がトンデモな奇形人間たちであり、そういう連中によって原発が運用されているのではないかと訝るべきではなかろうか。安全でもクリーンでもない否最も危険でダーティーな原発を、その虚構を知りながら平気で安全喧伝し、行政的に推進してきた連中であり、己の立身出世と財力と権力の為に何をしでかすか分からない連中なのではなかろうか。こういう御仁に説教とか改心を願う方が無理であり、放逐と厳粛な裁判こそが相応しい。

 原発は、社会的良心を持つ新人材によって運用され見直されるべきであると考える。目下のイカガワシイ連中による事後対策は無駄ゼニを天文学的に費消するだけのことであろう。アレバ社を始めとする国際金融資本系にン十兆円かすめ取られるだけのことであろう。且つどんな仕掛けをされるか分からない。こういうことを気にしない連中が経営陣や監督官に就任している。

 こう云う風に思えば、この間、冷や飯を食わされてきた原発警鐘乱打派にして初めて事後処理の任に当たることができるとすべきである。政治は、こういうものを登用する為にするものであり、逆に対応する政治を何と呼べばよいのだろうか。

 ちなみに、事故当日の3.11日、勝俣は中国に居た。マスコミのОB26名を引き連れての7日間の観光旅行中だった。参加者の中に元木昌彦(週刊現代元編集長、現代記事が面白くなくなったのは、こういうことか)、花田紀凱(週刊文春元編集長、マルコポーロ廃刊事件時の編集長、現在Willの編集長、論調が妙にぶれるのも、さもありなんか)、石原萌記(月刊自由発行人、昔からナベツネと気脈通じていると云う)、他に毎日、西日本、信濃毎日、中日新聞社のОBら。

 こういう東電仕立てのツアーは既に10年続いていると云う。日頃公私ともに世話になっている裏舞台が露見したことになる。東電がそうなら他の電力も同じようなことをしているのではなかろうか。官僚の接待批判をする連中のこれが実態であることを確認しておこう。この系の連中がこぞって「小沢どんの政治とカネ問題」に執拗に食いついているのはどういう訳か。相当の恥知らず者とみなすべきではなかろうか。

【東電勝俣元会長と東電OL殺人事件被害者・W泰子を結ぶ点と線考その1の補足】
 以下、これに補足しておく。

 被害者・渡邉泰子(享年39歳)の父親の渡邊達雄は山梨県出自で、旧制東京高校から東京帝大第二工学部入学。1949年、卒業して東電に入社。超大容量の高圧送電線を東京の地下に埋設するビッグプロジェクトを成功させ期待の星となる。1975年、工務部全体を統括する工務部副部長に就任する。「高圧の地中送電線を東京都内に引く責任者を務めてからは反原発に転じ」、
地震の地盤への影響についても詳しく論じ始めた。社内で原発の危険性を説くようになり、副部長の役職からたった1年で降格させられる。この年、ガンを発症する。1977年7月、在職中に急死(享年52歳)。
 被害者・渡邉泰子(享年39歳)は、渡邉達雄の長女として1957(昭和32)年6月7日出生。慶応義塾女子高等学校、慶応義塾大学経済学部を卒業後、1980(昭和55).4月、他界した父の跡を継ぐ形で東京電力に就職。総合職の同期入社は約200人、女性は8名。彼女が死に至った日の時点での在籍者は1名、管理職まで昇進した者も1名、つまり彼女一人しかいなかったことになる。東電本社で企画部調査課に所属。国の財政や税制及びその運用等が電気事業に与える影響をテーマにした研究を行い、そのレポートは賞を得るほど高い評価を得ていたとの伝。その後、父親の遺志を受け継ぎ「原発の危険性を指摘」する 報告書を作成の伝。他方で、28歳の頃(1986年)、拒食症に陥り入院したことがあるとの伝。1989(平成元)年頃からクラブホステスのアルバイトを始め、1991年頃から渋谷界隈で売春をするようになったとの伝あり。
 1993(平成5)年、東電初の女性総合職として企画部経済調査室副長に昇進。企画部経済調査室は東電の花形部署で、この頃の仕事は政界・官界との折衝に忙しく「通産大臣の渡辺美智雄ら政界との連絡役も務めた」との伝がある。この時点で既に売春婦をしていた伝もあり、この辺りの経緯が胡散臭いことになる。当時の直属の上司が取締役企画部長・勝俣恒久(現東電会長)。勝俣と渡邉泰子は直属の上司と部下の関係だった。「渡邉泰子と勝俣の関係」を問う情報もあるが、いずれもネット文は読み取り不能の措置がされている。

 1996.6月、勝俣恒久が取締役企画部長に就任。企画部管理課長には藤原万喜夫(事故当時副社長)。こうなると、「東電OL殺人事件」とするよりも「東電女性管理職殺人事件」と命名する方が正しい。
 1997.2.10日、神戸連続児童殺傷事件小学生がハンマーで殴られる。3.11日、東海再処理工場における火災爆発事故。3.16日、神戸連続児童殺傷事件小4を金槌でなぐって逃走。
 1997.3.19日午後5時半頃、「東電OL殺人事件」発生。東京都渋谷区円山(まるやま)町の木造2階建てのアパート「喜寿荘」の1階101号室の空き部屋で死体で発見された。死体検視の結果、死因は絞殺で犯行時間は3月8日の夜から9日未明とされた。界隈で 売春婦をしていたと報告されている。遺族や東電社員といった彼女の身近にいた人の証言が一切なく、箝口令が敷かれている気配が濃厚である。渡邊泰子が最後に会ったのは大平明で、手帳にも電話番号があった。警察の捜査を何度も受けたが、証言があってアリバイが成立。大平は、事件の直後、東京電力を退社して大正製薬に入社。現在は、関連会社の大正富山医薬品の副社長。犯人としてネパール人のゴビンダが逮捕されたが否認し続けている。
 上司の勝俣部長は、事件の翌年の1998年6月に常務取締役に出世する。以降、トントン拍子で1999年6月に取締役副社長、2002.10.15日、原発データ改竄事件で引責辞任した南直哉の後任として東京電力の第10代社長に就任。
 勝俣が社長就任直後の10.25日、石井紘基民主党国会議員が刺殺される。石井氏はMOX燃料を再濃縮して北朝鮮の核兵器にするスキャンダルをつかんで殺されたとの伝がある。
 2006年末、第二次データ改竄事件を引き起こし、事故隠し工作に手腕を振う。2008年2月、柏崎刈羽原子力発電所のトラブル、28年ぶりの赤字決算の責任を取り引責辞任する。代表権を保持したまま会長就任と云う履歴を見せている。
 「阿修羅★阿修羅♪ > エネルギー2」のtaked4700氏の2009.10.20日付け投稿「佐藤栄佐久前福島県知事の裁判と二つの事件、日本のエネルギー政策を左右する影
 (

 1997年の3月8日、東電OL殺人事件が起こっている。こちらは、東京電力の上級女子社員が売春客に殺されたという事件だ。東電という一流企業のそれも上級社員が何年間にも渡って売春をしてい、時には売春客を拾う路上で放尿までしていたとして、マスコミで大騒ぎになった事件だ。しかし、この事件には、大きな矛盾がいくつもある。もっとも大きな矛盾は、なぜ被害女性が売春をしていたのかというものだ。39歳で年収が1000万円以上あり、金銭的に困っていたとは思えない。また、自分が書いた経済リポートが賞を受けるなど、仕事上でも十分にその才能が認められていたはずなのだ。また、もし売春が事実だとしても、事件は殺人事件でありその被害者なのだから、たとえ刑事裁判の公判ではそのことを言わざるを得なくても、報道についてはそのことを伏せるという配慮がされてもよかったし、東京電力が大企業であることから、自社のスキャンダルを報道させないという圧力をマスコミにかけることもできたはずだ。更に、被害者は自分が東京電力の上級社員で経済レポートなどを書いている再三再四売春客に語っていたとされる。それならば、なぜ、そういったうわさが東電本社に伝わらなかったのか、または、週刊誌にネタとして売られなかったのか?更に、事件が起こってからマスコミが大騒ぎすることに対し、被害者の母親が、「娘がそういうことをしていたことを自分は知らなかった。殺人事件の被害者なのだから静かにしてほしい」という趣旨の手紙をマスコミに送っているのだ。しかし、刑事裁判の場で警察は、被害者が自宅に帰らなかったため、母親が捜索願を出しに来て、「娘は売春をしているのでその関係で事件に巻き込まれたのかもしれない」と言ったと証言しているのだ。しかし、自らも東京の一流私大を出て、東大出の東京電力の管理職にまでなった夫を持っていた母親が、娘に東京電力社員ありながら売春をさせるだろうか、少なくとも何年間もそういった状態を続けることを許すだろうか?更に、刑事裁判の場で証言した売春客はすべて本名や顔を隠しての証言だった。つまり、本当にそれらの証言が正しいものかどうかの検証は一般人にはできないのだ。また、彼女が売春によって稼いだはずのかなりの金額の金についてもうわさを除いてきちんとした検証はまったくされていないのだ。

 更に、東電OL殺人事件の犯人であるとされるネパール人は、犯行を否認している。実際、第一審では無罪判決を受けているのだ。殺人事件自体の経過でさえ、さまざまな矛盾点があり、事件後12年を経た現在でも冤罪事件であると言う主張がされている。つまり、東電OL殺人事件も、売春と言う実態があったとは到底思えず、一種の作られた事件であるはずだ。(以上の記述は佐野真一著「東電OL殺人事件」、「東電OL症候群」と言う新潮文庫の本から。以降も、東電OL殺人事件について記述は、この2冊の本から。)


【東電勝俣元会長と東電OL殺人事件被害者・W泰子を結ぶ点と線考その2】
 昭和55(1980)年5月5日、朝日新聞「声」欄掲載 渡邉泰子
 理性を失った米国民の判断

 アメリカの無謀な人質救出作戦に、全世界があぜんとする中、当のアメリカ国民の中には、この強攻策を是認している人が多いという。そこには、国際法上から、また、成功の可能性から、作戦自体は愚挙とはみなさないという考え方があるともいわれる。だが、行為の原因の正当性を主張することは、今回のように、その影響が極めて重要な場合、妥当であるとは考えられない。少なくとも、今世紀のプラグマティズム(pragmatism:事象に即して具体的に考える立場。観念の意味と真理性は、それを行動に移した結果の有効性いかんによって明らかにされるとする。主としてアメリカで唱えられ、パース・ジェームズ・デューイがその代表者。実用主義=広辞苑)の母体であるアメリカで、こうした議論がなされているということは、判断が、いまや感情的なものになっていることを示すものではないだろうか。

  効果の有用性のみをもって、真理の価値を判断するという、プラグマティズムの思想的基礎が、正しいか否かは議論の余地がある。だが、抽象的論議をする場合は別としても、効果の有用性が価値として評価されるなら、それは、アメリカが最もよく理解しているはずである。 それにもかかわらず、各国に対して、今回の作戦を批判する資格はないというアメリカ国民は、もはや、いらだちから理性的判断を失っている、としかいえないのではないか。 日本や西欧諸国が、これを戦争行為と決めつけるのは避けるとしても、軽々しく、「人道的見地から、心情的には理解できる」という態度をとってよいかどうかは疑問である。

 「原子力業界の不思議な事件・福島便槽内変死事件」は次のように記している。
 「東京電力にまつわる数々の不審死があるらしい。さもありなん、東電社長だった清水は、「悪魔主義者」だったわけだからナ。黒魔術の儀式を実際に行っているという話である。メーソンですナ。ちなみに、メーソンやら洗脳が深くなると、「目が飛ぶ」(目はロンパリになる)と言われている」。
 「片山議員が、あのモサド/CIAの呼び声高いデーブ・スペクターのプロダクションに所属するというのも実に興味深い。片山議員は、シオニストNWOアメリカ側のエージェントということになるからである。片山議員と橋下市長と石原都知事の、スペクターを通じての三極関係も興味深い。まあ、こういった連中を通じて、新しい政党、それもシオニスト寄りの政党を生み出し、北朝鮮系列の政治家を抗争させようということだろうが、そういう意図が見え隠れするからである。まあ、私の個人的な推測であるが、おそらくデーブ・スペクターの本当の仕事とは、日本の表と裏との間の本当の支配構造を暴くこと、そしてそれを本国に報告することにあったのだろう。そして、次の仕事として、そろそろ北朝鮮をどう扱うか、という問題に関して、現実に作戦を施し始めたということではないかと感じる。

 そんなわけで、我々一般人は全く分からないが、電通やNHKが米政権(米外務省)によってコントロールされているのはすでに自明だが、いわゆる「芸能界」や「政治経済界」にどれだけ北朝鮮と韓国の側に立つ在日外国人たちが入り込んでいるのかは、それなりに観察していかないと分からないわけである。在日外国人は、ある年齢になって、韓国籍にするか北朝鮮籍にするか迷うと言われているように、どちらへも組みする事が可能である。ここに日本の問題のもっとも根本的な不明瞭さの原因があるのである。韓国系であれば、統一教会、清和会、自民党というような流れ、小泉純一郎のような朝鮮系列の在日政治家を見ることになるが、一方、北朝鮮系であれば、創価学会、公明党、民主党というような流れ、前原誠司のような朝鮮系列の在日政治家を見る事になる。(しかし、実際には、本当はどっちがどっちかはまったく分からないのである。)
」。

 「イルミナティートップ100の「悪魔主義儀式」:次は何をお見舞いしましょうか?」は次のように記している。
 イルミナティーのトップ100人の銀行家たちが、悪魔の子供を生け贄にする悪魔儀式をキンボール・チェロキー城で行うという話。いずれにせよ、イルミナティーの「悪魔主義儀式集会」は、その年以降の(我々の立場や価値観からすれば)悪魔的に悪い出来事の数々の成就を祈願して行われるものである。連中は、巨大なフクロウの下で、女性や子供を生け贄にして、その血をすすり、乾杯するらしい。

 かつてまじめで実に社交的で好人物であったという、ハーバード大学のヘンリー・キッシンジャー博士もこの手の儀式に参加し、それから全く人が変わってしまったという逸話がある。儀式に参加してすぐに、最愛の妻と離婚。それからは家族とも疎遠となり、政治の世界にどっぷり浸かって行く。そして、この世界に「東西冷戦構造時代」を作り出し、「力の均衡(パワー・オブ・バランス)」の概念で分裂支配するということに奔走したのである。この辺の事情は、暗殺されたミルトン・クーパー講演に詳しい。

 要するに、この悪魔主義儀式はそれほどまでに参加者の人格を変えるのである。一説では、アル・ゴアもこういうものに参加し、それ以来、生き血の中毒者になってしまい、恐怖に怯えた子供の生き血を飲まずにはいられなくなったのだとデービッド・アイクはどこかに書いていたことを記憶している。これは、「アドレナリン中毒」というものである。恐怖に怯えた人間の血液中にはアドレナリンが分泌される。だから、恐怖に怯えた子供の生き血を飲むとアドレナリンが摂取できるらしい。そうなると、アドレナリンによって非常に元気になるため、それの中毒になるということである。実は、これがバンパイア伝説や吸血鬼の起源となったものなのである。要するに、昔からこういう連中は、欧米の貴族に本当に存在したのである。だから、そこからヒントを得て架空の話、フィクションのような体裁をとる形で、本当のことを伝達しているのである。逆に、この儀式のために、犠牲となる子供たちが出て来るわけである。ディズニーランドの誕生も実はそれが目的であったという逸話があるのである。遊園地に来る子供は必ず迷子が出る。そういう迷子から人さらいがさらっていく。そして、地下組織の悪魔儀式で生け贄になる。だから、遊園地ではけっして子供から目を離すな、というのである
」。

【れんだいこの事件考】
 「東電OL殺人事件被害者・W泰子」の売春癖につき、どこまでが本当なのか。まずここから精査されねばならない。死人に口なしを良いことに死してなお辱める痴態を被せ辱めるのがネオシオニスト特有の常套手段であることを思えば。ゴビンダは冤罪ではあろうが、犯人としてではなく事件の絡みに於いて気に掛かることがある。ゴビンダが冤罪だとしたら、何故に本事件の容疑者として登場したのかせしめられたのか。生前のW泰子との関係証言を精査せねばならないが、どこまでが本当でウソなのか。

【「プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件」】
 「プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その1」(2012/06/19)を転載しておく。
 東電OL事件の被害者である渡邉泰子さんは、事件現場で発見された時、ツーピースの中にブラウスを着て、ベージュのコートを羽織っていた。下着とストッキングも身に着けた状態だった。現場でレイプされ殺害されたのではない。「本件死体の頭部、顔面部等に打撲傷、擦過傷があるほか、下顎底部から前頸部及び左右胸鎖乳突筋部にわたる範囲に頸部圧迫痕が認められ、頸部軟部組織出血・甲状腺出血を伴っており、かなり強い力で頸部を圧迫したものと思われる」。検死報告では、渡邉泰子さんは首を絞められ、一瞬のうちに死に至らしめられたことを想像させる。口が開いたショルダーバッグの取っ手は、金具部分が40kgの負荷をもって千切られていた。

 プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その2 ショルダーバッグの取っ手は40kg程度の荷重で千切られていた

 ショルダーバッグの中には財布、コンドーム、そして、手帳が入っていた。犯人は渡邉泰子さんの手帳に手を加え、内容を改竄したのではないか。そう疑うのも、彼女の髪の毛に絡まるように、ボールペンが発見されているからだ。この手帳こそ、渡邉泰子さんを街娼たらしめた根拠の一つであり、一審判決でも「本件手帳には、日付欄に当該日の被害者の売春の相手名が記載され、その右側に売春料金が併記されるなどしている。」と触れている。東電本社企画部経済調査室副長であった渡邉泰子さんは通産省と東電を結ぶパイプ役だった。経済的なエネルギー政策を政府に進言するシンクタンクのような部署の管理職だった彼女の手帳には、接待の予定がびっしり書かれていただろう。
犯人は手帳の内容を街娼の記録のように書き換え、未使用のコンドームを入れた。死後も街娼として貶められるように現場に細工を施し、渋谷区円山町のボロアパートの空き部屋に死体を放置した。このように考えるのは邪推だろうか。

 とにかく、渡邉泰子さんのことは死後もスキャンダラスに報じられた。

 東電OL殺人事件
 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/touden.htm

 昼のエリート・キャリアウーマンには全く別の夜の顔があった。それを知ったマスコミが放っておくわけがなく、泰子のプライバシーは滅茶苦茶にされた。マスコミは円山町周辺の取材をして、泰子が通りかかった男に声をかけているところや男と腕を組んで歩いている姿を目撃したという話を書いた。東電の管理職である泰子が金目当てで売春しているとは考えられないと、スポーツ新聞や週刊誌はいろんな憶測記事を書き、ある週刊誌は全裸写真まで掲載した。泰子の母親は耐え切れず警察に抗議した。東京法務局は、行過ぎた内容は人権侵害に当たるとして再発防止の異例の勧告を行った。その後、少しは沈静化したようだった。
---------------------抜粋

 彼女の体内から精液が検出され、死の直前に性交渉があった。現場の部屋のトイレから使用済みのコンドームが発見された。円山町の街頭に立つ渡邉泰子さんの姿が目撃されている。だから捜査側は『被害者は街娼として客を捕り、事件現場のアパート一室が空き部屋になっていることに目を付けて利用していたに違いない』というストーリーを見立てた。結果として
渡邉泰子さんの死後の尊厳は無茶苦茶に貶められた。本当に無茶苦茶である。なぜ、渡邉泰子さんは死後も貶められなければならなかったのか。そもそも、渡邉泰子さんは本当に円山町で客を引く街娼だったのだろうか。

 渡邉泰子さんは平成三年頃から円山町で客を取っていたという。しかし、ここに疑問がある。渡邉泰子さんは杉並区西永福在住であり、井の頭線を利用して本社(千代田区内幸町)に通勤していた。企画部経済調査室副長という立場を考えてみても、東電渋谷支社に立ち寄ることもあっただろう。東電渋谷支社は東京電力館の隣にある。渋谷と原宿の中間辺りに位置するファイアーストリートの一角だ。事件現場と目撃情報、東京電力渋谷支社などを地図にプロットしたのが以下である。

東京都渋谷区円山町16-8 - Google マップ 35.657067 139.694542   Google マップ

 東電渋谷支社は井の頭線渋谷駅から距離にして1キロ弱ぐらいだ。徒歩で10分の距離だが、タクシーを利用することもあったろうし、彼女の肩書きを考えれば渋谷支社側が迎えを寄越す可能性もある。東電渋谷支社にタクシーで向かう場合、道玄坂に出れば簡単に捕まえることができるが、一車線の道路で終日混雑し、脇にそれると複雑に一方通行が絡み合っていることからUターンに適していない。必然的に道玄坂を渡った向こう側で車を待つことになる。そこが道玄坂、少し南に下れば円山町と呼ばれる界隈である。円山町での目撃証言というのは、実に東電渋谷支社に向かおうとする車待ちの彼女を見かけただけに過ぎないのではないか。街娼として客引きをしていたかどうかはともかくとしても、目撃情報ぐらいはあって当然だろう。渡邉泰子さんは本当に円山町で客を取っていたのだろうか。それとも、彼女の主張もろとも永遠に葬り去ろうとして徹底的に貶められているのか。彼女は誰を敵に回したのであろうか。
渡邉泰子さんは結果として死後も徹底的に貶められた。犯人(を雇った組織)はメディアを使い、円山町の街娼としての虚像を作り上げた。東電に務める傍ら、夜は円山町の街頭で客を取り、奇行を繰り返していた、それはそれは、発案者の品格すら疑うストーリーである。

 東電OL殺人事件東京地裁無罪判決
 http://tamutamu2011.kuronowish.com/toudennolmuzaihannketu.htm

 (三) 本件死体は、身長169センチメートル、体重44キログラムであり、頭部を東側、下肢を西側に向け、仰向けの状態で、顔面をやや横に向け、上肢は両手を広げた状態であり、下肢は両足をそろえて閉じた状態であった。着衣は、ブラウスの上にツーピース、その上にベージュ色のトレンチコートを着用していたほか、パンティストッキング、ブラスリップ、パンティーを着用していた。
 (四) 本件死体頭部左側には、頭毛に接してショルダーバッグ(黒色皮製、開口部がキンチャク式のもの、以下「本件ショルダーバッグ」という。)が開口部分を上にした状態で置かれており、その中には、V名義の会社発行の勤務証、現金473円が入っている2つ折り財布(以下「本件財布」という。)、現金60円、包装されて未使用の状態のコンドーム28個等が入っていた。なお、後述のとおり、本件ショルダーバッグの取っ手の部分は千切れていた。また、本件死体頭部付近には、容器入リサラダ2個在中の青色ビニール製手提げ袋や、おでん等の食品類等在中の黒色布製手提げ袋も置かれていた。

 二 被害者の身上及びその失踪状況

 1 遺留されていた前記勤務証等により、直ちに被害者はVであることが判明した。被害者は、東京都杉並区に暮らしており、大学卒業後の昭和55年4月に会社に入社し、前記井の頭線等を利用して会社に通勤しており、平成9年3月当時は、各種論文を作成するなどの業務に従事していた。また、被害者は、右会社勤務の傍ら、平成3年ころからは、勤務終了後に、東京都渋谷区円山町界隈の街頭に立って客を誘って売春をしたり、なじみの常連客と待ち合わせて、渋谷付近のホテルで売春をするようになったほか、平成8年6月ころからは、東京都品川区西五反田のSMクラブに在籍し、勤務先の休日である土日及び祭日の午後零時30分ころから午後5時30分ころまで稼動し、その後は渋谷区円山町界隈で深夜まで売春婦をしていた。

 2 被害者の失踪等(犯行時刻の特定)
 (一) 3月8日の被害者の行動
 (1) 被害者は、土曜日であった3月8日の午後零時30分ころ、百貨店の食品売場において購入したサラダ等を携行して、前記五反田のSMクラブに出勤したが、客がつかなかったため、午後5時30分ころ、同店を出た。その後の行動は明確ではないが、午後7時ころ、常連客の甲野と約束したJR渋谷駅ハチ公口前で落ちあい、渋谷区円山町のコンビニエンスストア「セブンイレブン渋谷円山町店」に立ち寄っておでんを購入し、午後7時13分ころから午後10時16分ころまで、甲野とともに付近のホテル「プリンス」に滞在して売春行為に及び、道玄坂派出所前の交差点で甲野と別れた。その後、被害者は、午後10時30分すぎころ、渋谷区円山町の青果店前で売春の客引きのため佇立しているところを目撃されたり、同町萩原ビル前付近の道玄坂において4、5人の男に売春目的で声をかけるなどしているのを目撃されたりしていた。~中略~

 (二) 翌9日からの失踪
 被害者は、帰宅時間は遅かったものの、それまで無断外泊したことは一度もなかったところ、3月8日に家を出てからは帰宅することもなく、連絡も取れない状態に陥り、翌9日に出勤予定の前記五反田のSMクラブヘも姿を現さず、月曜日である3月10日には勤務先も無断で欠勤してしまった。

 三 被害者の所持金の紛失
 1 被害者は、甲野と別れる際、同人から、売春代金3万5000円を受領したことが認められるが、甲野の供述によると、被害者に対して1万円札4枚を手渡したところ、被害者からお釣りとして千円札5枚が返されたので受け取ったというのであり、しかも、甲野は、その1万円札4枚を被害者が本件財布の中に入れるのを直接現認していたというのである。
 2 被害者は、1万円札4枚を甲野から受け取った後に101号室へ移動していることになるが、その間に、被害者が右現金を費消してしまったことをうかがわせる形跡は皆無である上、本件の犯人とされる者以外の第三者が101号室内に立ち入って右現金を奪ったということも考えられない状況にあった。
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 渡邉泰子さんは、3月8日当日の正午ごろ、渋谷の百貨店の食品売場において2つのサラダを購入した。彼女は、サラダ2つを購入した直後に拉致されたか、あるいは殺害されたはずだ。というのも、「 また、本件死体頭部付近には、容器入リサラダ2個在中の青色ビニール製手提げ袋や、おでん等の食品類等在中の黒色布製手提げ袋も置かれていた 」。2つのサラダは手をつけられずに彼女の遺体の傍らにあった。サラダは買って直ぐに食べるものだ。他方で目撃者の証言によれば、彼女が最終的に目撃されたのは3月8日夜22時30分頃。サラダを買ってから10時間以上が経過しているのだ。甲野や目撃者の証言が事実であれば、渡邉泰子さんは夜22時半までサラダ2つを持ち歩いていたことになり、生鮮品であるサラダを10時間も食べずに持ち歩くことなんて有りうるかという話になる。サラダは誰かと一緒に食べるために二個買ったのだろう。渡邉泰子さんは、誰かの元へと向かったはずであり、その道中に拉致されたとも考えうる。

渋谷区円山町 - Google マップ

 事件現場が円山町というのも象徴的だ。円山町はかの宰相大平正芳が愛人と密会を交わした場所だ。大平正芳が愛人に産ませた子が、大平明だという。大平明は、事件当時、渡邉泰子さんの直属の上司だった人物で、彼女と恋愛していたと目されるキーマンである。福岡一家四人殺害事件の犯人が家の表札を持ち帰ったように、仕事を完了した証拠として持ち去った定期入れを暗殺者は依頼主に仕事完了の証明として手渡したのかもしれない。そして、3月12日、彼女の定期入れは巣鴨5丁目で発見される。大平正芳の誕生日も3月12日だ。象徴的な符号を見せる。

 誠天調書: 何故に渡邊泰子は消されたのか?死後も徹底的に貶められたのか?だって、彼女はタイミングによっては政治的な爆弾となる恐れがあったからね。
 http://mkt5126.seesaa.net/article/216024133.html

 http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200904250004/ リンク切れ

 東電時代、彼女と同じ職場に勤務していた大平明に会ったときにも感じた。元総理の大平正芳の三男の大平明は現在、大正製薬の副社長となっているが、慶応の経済学部を卒業した昭和四十四(一九六九)年に東電入りし、一時期、彼女の勤務する企両部経済調査課(現・企両部経済調査室)で、上司として一緒に机を並べた。捜査当局が押収した彼女の手帳のなかには、「客」と、それ以外の人物をあわせ、大平ほか十五名の名前と電話番号が書かれていたといわれている。私が大平に会ったのも、その点について本人から直接確認をとるためだった。大正製薬の一室で会った大平はソフトな物腰ながら、この点に関しては真っ向から否定した。

 「彼女の手帳には、私の名前も携帯電話の電話番号も載っておりません。私が噂になっていることを心配した私の友人が、捜査当局に連絡をとって問題の手帳を人を介してみてもらった。その結果、私の名前も電話番号もなかったと連絡がありました。ですから間違いありません。もちろんこの件で警察の事情聴取を受けたこともありません」。 註・証拠品がみれるというのは、それ相応の組織に属し、それ相応の特権の持ち主である。そのような組織は、そんなには多くない。

 その後の取材で、警察が押収した泰子の九六年度の手帳にはアドレス帳も含めて、大平明の名前は載っていなかったことが判明した。しかし警察が押収した泰子の手帳は九六年度のもの一冊ではないので、これだけをもって泰子の手帳に大平明の名前がなかったとは言い切れない。

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 東電OL事件が発生した1997年当時、通産省(現経産省)と東電を結ぶ窓口であった渡邉泰子さんは、通産省内を二分する、原子力エネルギーへの依存を深めていこうとする側と、バックエンド問題で行き詰っていた原子力エネルギーから脱却し、太陽光発電や地熱発電を促進しようとする側の潰し合いを間近で見ていたのであろう。それは、無論、日本のエネルギー政策の分水嶺にあった。結果として地熱発電への補助は打ち切られ、原発依存を深めていくことになった。地熱発電は温泉の延長線上にあり、世界有数の温泉国として知られる日本で有効利用しない手立てはない。なのに、環境省(国交省)は国立公園法を縦にボーリング調査すら行わせようとしなかった。今日に至るまで地熱発電には消極的である。それはなぜか。通産省内の、かつての内紛時に徹底的に潰されたからだ。現在は大正製薬の社長である大平明が事件に関わっているかどうかは知る由もない。ただ、C○Aにお友達がいるようなので、事件の真相を知っている可能性はあるだろう。

 余談であるが、もう一人、怪しいと睨んでいる人物がいる。その人物は東電OBで、渡邉泰子さんの三年先輩であった。原燃に出向しMOX燃料の促進に深い関わりを持ち、安全審査での通産省とのパイプ役だった男だ。ゴビンダさん釈放の日に、全く事件のことに触れないので、一言ぶつけてみた。
Twitter - jhatajinan- @1955Toru 初めまして-

 残念ながら、返事はまだ来ていない。

(私論.私見)

 この論考の是の部分は、渡邉泰子の死因が情交死ではなく何者かに殺害され、「死後も街娼として貶められるように現場に細工を施し、渋谷区円山町のボロアパートの空き部屋に死体を放置した」と推理してところことである。更に「渡邉泰子さんは結果として死後も徹底的に貶められた。犯人(を雇った組織)はメディアを使い、円山町の街娼としての虚像を作り上げた。東電に務める傍ら、夜は円山町の街頭で客を取り、奇行を繰り返していた、それはそれは、発案者の品格すら疑うストーリーである」と述べ、街娼説にも疑問を投じていることである。れんだいこは、この観点を支持する。

 更に解明せねばならないことは死亡殺害日時であるがネット情報には出てこない。こういう場合、不都合なことがあり隠されていることを意味する。これにつき、「★阿修羅♪ > カルト12」のバビル3世氏の2013.10.5日付け投稿「1997年3月11日、動燃再処理施設で爆発事故があった日に、東京電力の女性管理職員が暗殺された。」が次のように述べている。
 被害者は、企画部調査課・副長 渡邉泰子(東電初の女性管理職)当時の直属の上司が、取締役企画部長 勝俣恒久(元東電会長)彼女は、工務部副部長だった父親の遺志を受け継ぎ、「原発の危険性」を指摘する報告書を作成した。彼女は、動燃再処理施設で爆発事故があった1997年の3月11日に殺された。上司の勝俣部長は、翌年「常務取締役」に出世する。父親の渡邊達雄氏は、東電の工務部副部長として将来の役員候補とされていたが、原発の危険性を指摘したために降格させられ、52歳で死亡した。彼も暗殺された疑いがある。黒幕は、軍産複合体原発マフィアであろう。

 この投稿は、死亡殺害日時を「1997年の3月11日」としている。この情報がどこから出ているのか分からないが注目されるべき論点である。要するに彼女の死にはイカガワシ過ぎるものがあることが確認されればよい。彼女が暗殺されたとして、且つその上に彼女の死に対してエゲツナイ愚弄するのは例の連中の常套手段である。表には出てこないが政治的な殺人事件であることはほぼ疑いないと思われる。下手な推理小説読むよりも、現実に起こっている未解明事件を推理する方がよほど推理小説的になろう。いつの日か彼女の怨念が真相解明の蓋を開けさせるかもしれない。

 2013.10.5日 れんだいこ拝

【「東京電力会長の勝俣恒久に逆らうと 何が起きるのか?」】
 「誠天調書」の2011年05月10日「東京電力会長の勝俣恒久に逆らうと 何が起きるのか?」を部分転載しておく。
 http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/785.html
 [(反原発派エリート粛清か?)東京電力OL殺人事件]
 http://gazo2.fbbs.jp/thre/s1_list/15127
【裁判】
・被害者は、売春客に「東京電力の上級社員」「経済レポートなどを書いている」と報道。・何年間も売春をしていた。過去、客を拾う路上で放尿までしていたと報道。 ・メディアは殺人被害者なのに全くスキャンダルに配慮しなかった。 ・刑事裁判の場で証言した売春客はすべて本名や顔を隠しての証言。・ネパール人は当初、犯行を否認。第一審では無罪判決。 ・その後。高裁で無期懲役。最高裁で被告人の上告が棄却され判決が確定。

【被害者の母親】
・被害者の母親が「娘が売春していたことは自分は知らなかった」 。「殺人事件の被害者なのだから静かにしてほしい」という手紙をマスコミに送付。 ・しかし、刑事裁判の場で、警察は、被害者が自宅に帰らなかったため、母親が捜索願を出しに来て「娘は売春をしているのでその関係で事件に巻き込まれたのかもしれない」と言ったと証言している。 ・両親がエリートの家庭で、娘も幹部社員で売春を容認するだろうかという疑問。

【その他】
・売春は自律心を喪失し、何らかの強迫観念に取りつかれ、自暴自棄になった依存症か? ・コンニャクのおでんを頻繁に購入していた?拒食症? ・手帳に売春日記。1992年から97年3月8日まで記載があるとされる。 ・事件の後、酒鬼薔薇事件に世間の目が移り報道されなくなる。

3 : 名無し : 2011/04/01 01:38:15 削除
【その他。一審無罪の理由】
・被害者が被告以外の者とアパートを使用した可能性を完全に否定は出来ない。 ・事件現場のトイレに残されたマイナリ被告の体液について「犯行のあった日よりも以前に残された可能性が高い。なぜトイレにあったのか疑問も残る」 。・「被害者の右肩付近から発見された体毛のうち、1本は被告のものだが、2本がだれのものかは判明していない」。・「被害者の定期券が発見された豊島区巣鴨の民家の敷地についてマイナリ被告の土地カンがなく、合理的な説明ができない」など、検察側の主張にことごとく異論を唱えた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%9B%BBOL%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E
4%BB%B6
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/toudennmuzai.htm
 2011年07月22日、何故に渡邊泰子は消されたのか?死後も徹底的に貶められたのか? だって、彼女は政治的な爆弾となる恐れがあったからね。
 「牛がトラックに入れられる前に前足を曲げて必死に抵抗
 (http://ameblo.jp/59rg7a/entry-10885849256.html) 
 特に松下政経塾の連中(男)はアメリカ留学や視察旅行で接待付けに女を抱かされて全てビデオに撮られてるから、飼育された犬なんです。マジですよ。僕は、かつて、アメリカで仕事していた時に生ビデオ見ましたです。
 http://twitter.com/#!/togoFujita/status/67206036024590337





(私論.私見)