岩手県普代村の奇跡 3000人の村の堤防があの津波をはね返した
http://gendai.net/articles/view/syakai/129740
2011年3月31日 掲載 :日刊ゲンダイ
岩手・三陸海岸の北部にある普代(ふだい)村は、「死者ゼロ、住宅の被害もなし」だった。高さ15.5メートル、全長130メートルの東北一の「防潮堤と水門」が村を救った。村の北側には、同じ高さの水門(全長200メートル)があるが、こちらも川を勢いよく上ってきた津波をほぼはね返し、小学校を守ったという。漁業が盛んな人口約3000人の村。これに対して、普代村の隣、田野畑村(人口約4000人)の高さ8メートルの防潮堤2ケ所とも津波を抑えられず、死者・行方不明者40人、全半壊533戸の被害が出ている。
普代村は1896年の明治三陸大津波で1010人の死者・行方不明者が出た。1933年の津波でも約600人が死傷しました。戦後、和村幸徳村長が『2度あることは3度あってはいかん』と県にひたすらお願いし、防潮堤建設の運びとなった。1970年に約6000万円(当時)をかけて造った。水門は35億円(同)で84年に完成した。高額費用に対し批判の声も挙がっていた。今、命の恩人となった故・和村村長の墓に線香を供える人が絶えないという。