ドイツのテレビ局 ZDFが制作した番組の動画です。『フクシマのうそ』(30分)。大変お待たせいたしました。読者の皆さんから、是非この動画を取り上げて欲しいとのメッセージをたくさん頂いていました。遅くなってしまいごめんなさい。もう、既にご覧になった方が多いでしょうから、まだという方の為に短くまとめてみました。これなら、普段ネットを見ない方にも見せてあげる事ができると思います。興味を持たれたら、是非動画の方をご覧になって下さい。
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3月11日に起こった事は、これから日本が遭遇することの前兆かも知れない。そして、その危険性を知る為には、まず過去を理解する必要がある。名嘉幸照(なかゆきてる)氏は原子力のエンジニア会社の社長で、福島第一と第二で働き、彼の部下と共に何年も前から原発の安全性における重大な欠陥について注意を喚起してきた。しかし、誰も耳を貸そうとしなかった。
名嘉社長『私の話を聞いてくれた人はほんのわずかな有識者だけで、その人たちの言うことなど誰も本気にしなかった。日本には、強い影響力を持つある集団が存在する。「原子力ムラ」だ。彼らの哲学は、経済性優先。この「原子力ムラ」は東電、政府、そして大学の学者たちからなる。重要な決定は彼らがすべて下している』。
菅直人元首相とのインタビューで、彼は唖然とするような内容を次々に語った。首相の彼にさえ事実を知らせなかったネットワークが存在することを。マスメディアでは彼に対する嘘がばらまかれ、辞任に追い込まれた。「原子力ムラ」に対抗しようとしたからである。
菅元首相『最大の問題点は、3月11日が起こるずっと前にしておかなければいけないことがあったのに、何もしなかったことだ。原発事故を起こした引き金は津波だったかもしれないが、当然しておくべき対策をしなかったことが問題。この過失は責任者にある。つまり、必要であったことをしなかった責任』。
原発事故の原因は地震と津波ではなかったのか? 「原子力ムラ」の足跡を辿っていくと、嘘や仲間意識によって固められた犯罪的エネルギーに満ちた網の目に遭遇する。私たちはサンフランシスコで、日系三世のケイ・スガオカ氏に話を聞いた。彼は、長年原子炉のメンテナンスの仕事で福島に何度も来ており、かなり深刻なミスや事故を東電が隠ぺいする現場に遭遇した。福島の第1号原子炉は、70年代初めにアメリカのジェネラルエレクトリック社が建設し、それ以来アメリカのエンジニアが点検を行ってきたが、福島原発には何度も問題が起こっていた。
スガオカ氏『亀裂を発見した後、彼らが私に言いたかったことは単純だ。つまり「黙れ」と。「何も話すな、黙ってろ」というわけだ』。
問題があるなど許されない、日本の原発に問題など想定されていないのだ。アメリカのエンジニア、スガオカ氏にさえもそれを変えようとすることは許されなかった。
スガオカ氏『1989年に、蒸気乾燥機についてビデオ点検をしていて、そこで今まで見たこともないほど大きい亀裂を発見した。さらに、原子炉を点検している同僚の目がみるみる大きくなったかと思うと、彼がこう言った。「蒸気乾燥機の向きが正反対に取り付けられているぞ!!」と。』。
元々、この原発の中心部材には重大な欠陥があったのだ。スガオカ氏は点検の主任だったので、正しく点検を行い処理をする責任があったのだが東電は、彼の報告が気に入らなかった。
スガオカ氏『私たちは点検で亀裂を発見したが、東電は私たちにビデオのその部分を消すよう注文してきた。報告書も書くな、と言う。私はサインしかさせてもらえなかった。私が報告書を書けば、180度反対に付けられている蒸気乾燥機のことも報告する事は分かっていたのだ。こうして報告書は改ざんされた』。
スガオカ氏は仕事を失うのを怖れて、10年間黙秘した。だが、GE社に解雇されて初めて彼は沈黙を破り、日本の担当官庁に告発した。ところが不思議なことに、告発後何年間もなにも起こらなかった。日本の原発監督官庁はそれをもみ消そうとしたのだ。2001年になってやっと、スガオカ氏は「同志」を見つけた。それも日本の福島で。
18年間福島県知事を務めた佐藤栄佐久氏は、当時日本の与党だった保守的な自民党に所属していた。佐藤氏は古典的政治家で、皇太子夫妻の旅に随行したこともある。始めは彼も、原発は住民になんの危険ももたらさないと確信していたのだが、その信頼は徐々になくなっていった。
佐藤元知事『福島県の原発で働く情報提供者から約20通ファックスが届き、その中にはスガオカ氏の告発も入っていた。経産省は、その内部告発の内容を確かめずにこれら密告者の名を東電に明かした。そこからわかったことは、信じられない事だった。東電は、報告書を改ざんしていたのだ。それで私は新聞に記事を寄せた。「こんなことでは、この先必ず大事故が起きる」と。』
そのため、官僚たちも動かないわけにはいかず、17基の原発が一時停止に追い込まれた。調査委員会は、東電が何十年も前から重大な事故を隠ぺいし、安全点検報告でデータを改ざんしてきたことを明らかにした。それどころか、福島では30年も臨界事故を隠してきたという。社長・幹部は辞任に追い込まれ、社員は懲戒を受けたが、皆新しいポストをもらい、誰も起訴されなかった。最も責任のあった勝俣恒久氏は代表取締役に任命された。彼らは佐藤氏に報告書の改ざんに対し謝罪したが、佐藤氏は安心できず、原発が次々に建設されることを懸念した。ついに佐藤氏は、日本の原発政策の中での「暗黙のルール」を犯してしまったのだ。その報復は2004年から始まった。
佐藤元知事『12月に不正な土地取引の疑いがあるという記事が新聞に載った。この記事を書いたのは本来は原発政策担当の記者だ。この疑惑は、完全にでっち上げだった。弟が逮捕され、首相官邸担当の検察官で森本という名の検事が「遅かれ早かれ、お前の兄の知事を抹殺してやる」と言った。事態は更に進み、県庁で働く200人の職員に圧力がかかり始めた。少し私の悪口を言うだけでいいから、と。とうとう2、3人、圧力に耐え切れずに自殺をする者さえ出てしまった。私の下で働いていた部長は、いまだ意識不明のままだ』。
同僚や友人を守るため、佐藤氏は辞任した。裁判で彼の無罪は確定されるが、沈黙を破ろうとした「邪魔者」はこうして消される事となった。(もっと詳しく知りたい方はこちらの動画をご覧下さい。)
http://m.youtube.com/watch?v=fBjiLaVOsI4
http://m.youtube.com/watch?v=iDJOZ3YTK3c
これが、日本の社会を牛耳る巨大な集団の報復だった。彼らこそが、日本で「原子力ムラ」と呼ばれる集団である。
菅元首相『ここ10~20年の間、ことに原子力の危険を訴える人間に対するあらゆる形での圧力が非常に増えている。大学の研究者が、原発には危険が伴うなどと言おうものなら出世のチャンスは絶対に回って来ない。政治家はあらゆる援助を電力会社などから受けている。しかし、彼らが原発の危険性などを問題にすれば、そうした援助はすぐに受けられなくなる。反対に、原発を推進すれば、多額の献金が入る。それは文化に関しても同じで、スポーツやマスコミもだ。このように細かく網の目が張りめぐらされていて、原発に対する批判が全くなされない環境が作り上げられていた。だから、原子力ムラというのは決して限られた世界のことではなく、国全体にはびこる問題なのだ。誰もが、この原子力ムラに閉じ込められているのだ』。
東電から献金を受け取っている100人以上の議員に菅首相は立ち向かった。その中には元首相もいる。やはり彼と同じ政党所属だ。ネットワークは思う以上に大きい。多くの官僚は定年退職すると、電事業関連の会社に天下りする。石原武夫氏、増田実氏、川崎弘氏、白川進氏。
1962年以来、東電の副社長のポストは原発の監査を行うエネルギー庁のトップ官僚の指定席だ。東電副社長だった加納時男氏は当時与党だった自民党に入党し12年間、日本のエネルギー政策を担当してからまた東電に戻った。河野太郎氏の家族は代々政治家で、彼の父も外相を務めた。彼は、第二次世界大戦後、日本を約60年間に渡り支配した自民党に所属している。原発を長年政策として推進してきたのは自民党である。
河野議員『誰も、日本で原発事故など起こるはずがない、と言い続けてきた。だから、万が一のことがあったらどうすべきか、などという準備も一切してこなかった。それだけでなく、原発を立地する地方の行政にも危険に対する情報をなにひとつ与えてこなかった。いつでも、「お前たちは何も心配しなくていい、万が一のことなど起こるはずがないのだから」と。彼らはずっとこの幻想をばらまき、事実を歪曲してきた。そして今やっと、すべて嘘だったことを認めざるを得なくなったのだ』。
2011年3月11日、この雰囲気が崩壊した。日本がこれまでに遭遇したことのない大惨事が起きたのだ。しかし、地震はその後の恐怖の引き金に過ぎなかった。福島第一原発にも津波が押し寄せた。ここの防波堤は6メートルしかなかったのだ。
菅元首相『元々は、原発は35mの高さに建てられる予定だった。しかし標高10mの位置で掘削整地をし、そこに原発を建設した。低いところの方が、冷却に必要な海水をくみ上げやすいという理由で。東電がはっきり、この方が「経済的に効率が高い」と書いている。法律ではどの原発も非常用電源センターを用意することが義務付けられている。福島第一原発ではこれが原発から5キロ離れたところにある。これは津波の後、1分と機能しなかった。それは職員が地震があったために、そこにすぐたどりつけなかったからだ。それで電源は失われたままになってしまった。こうして送電に必要な器具はすべて作動せず、本当の非常時に非常用電源は何の機能も果たさなかった。法律では、原発事故と地震が同時に起こるということすら想定していなかったのだ』。
当時、菅首相は、原発で起こりつつある非常事態をほとんど知らされていなかった。彼は、テレビの報道で初めて福島第一原発で爆発があったことを知ったのだ。
菅元首相『東電からは、その事故の報道があって1時間以上経っても何が原因で、どういう爆発があったのかという説明さえもなかった。あの状況では確かに詳しく究明することは難しかったのかもしれないが、それでも東電は状況を判断し、それを説明しなければならなかったはずだ。しかし、彼らは十分にその努力を行わなかった』。
2011年3月15日、災害から4日経ってもまだ東電と保安院は、事故の危険を過小評価し続けていた。しかし、東電は菅首相に内密で会い、事もあろうに職員を福島第一原発から撤退させてもいいかと打診した。今、撤退させなければ、全員死ぬことになる、というのだ。
菅元首相『私はまず東電の社長に「撤退はぜったい認められない」と伝えた。誰もいなくなればメルトダウンが起き、膨大な量の放射能が大気に出てしまう。そうなれば広大な土地が住めない状態になってしまうからだ』。
当時、菅首相は初めから東電を信用できず、自分の目で確かめるためヘリコプターで視察した。しかし、首相である彼にも当時伝えられていなかったことは、福島の3つの原子炉ですでにメルトダウンが起きていたということだ。それも災害の起きた3月11日の夜に。
菅元首相『東電の報告にも、東電を監査していた保安院の報告にも、燃料棒が損傷しているとか、メルトダウンに至ったなどということは一言も書かれていなかった。3月15日には、「そのような状況にはまだ至っていない」という報告が上がっていた』。
世界中であらゆる専門家が予想していたメルトダウンの事実を東電が認めるまで、なぜ2か月も要したのか?ハーノ記者「原子炉1号機、2号機そして3号機でメルトダウンになったことを、東電はいつ知ったのか?」。
東電・松本氏『目で見るわけにはいかないが、上がってきたデータをもとに事態を推定し、燃料棒が溶けおそらく圧力容器の底に溜まっているだろうという認識に達したのは5月の初めだった』。
膨大なデータに身を隠そうとする態度は今日も変わらない。東電は、毎日行う記者会見でこれらのデータを見せながら、事態を完全に掌握していると言い続けている。しかしこれらのデータの中には、本当に責任者たちは何をしているかわかっているのかと、疑いたくなるような情報がある。たとえばスポークスマンはついでのことのように放射能で汚染された冷却水が「消えてしまった」と説明した。
理由は、原発施設ではびこる雑草でホースが穴だらけになっているという。ハーノ記者「放射能で汚染された水を運ぶホースが、雑草で穴が開くような材料でできているのか?」。
東電・松本氏『草地に配管するのは私たちも初めてのことだが、穴があくなどのことについては知見が不十分だった』。
しかし原発の廃墟をさらに危険にしているのは雑草だけではない。原発廃墟の福島第一から7キロのところにある富岡町に向かった。既にゴーストタウンになっていた。住民は、個人的なものをとりに行くためだけに短時間だけ帰ることが許されている。中嘉社長は、地震に見舞われた状態のまま放り出された会社を見せてくれた。
名嘉社長『この木造の建物はとても快適だった。とても静かで、夏は涼しく、冬は暖かかった。
私たちは皆ここで幸せに暮らしていた』。
80人の原発専門のエンジニアが彼のもとで働いており、災害直後も事故をできるだけ早く収束しようと努力している。名嘉氏と彼の社員は、原発廃墟で今本当になにが起きているのか知っている。
名嘉社長『私たちの最大の不安は、近い将来、廃墟の原発で働いてくれる専門家がいなくなってしまうことである。あそこで働く者は誰でも、大量の放射能を浴びている。どこから充分な数の専門家を集めればいいか、わからない』。
しかし、まだ被爆していない原発の専門家を集めなければ、事故を収束するのは不可能だ。例えこれから40年間、充分な専門家を集められたとしても、日本も世界も変えてしまうことになるかもしれない一つの問題が残る。ハーノ記者「いま原発は安全なのか?」。
名嘉社長『そう東電と政府は言っているが、働いている職員はそんなことは思っていない。とても危険な状態。私が一番心配しているのは4号機だ。この建屋は地震でかなり損傷しているだけでなく、この4階にある使用済み燃料プールには、約1300の使用済み燃料が冷却されている。その上の階には新しい燃料棒が保管されていて、非常に重い機械類が置いてある。何もかもとても重いのだ。もう一度大地震が来れば、建屋は崩壊してしまうだろう。そういうことになれば、また新たな臨界が起こる』。
このような臨界が青空の下で起これば、日本にとって致命的なものとなるだろう。放射能はすぐに致死量に達し、原発サイトで働くことは不可能となる。そうすれば高い確率で1、2、3、
5、 6号機もすべてが抑制できなくなり、まさにこの世の終わりとなる。2月に東大地震研が地震予知を発表したが、それによれば75%の確率で4年以内に首都を直下型地震が襲うと予測されている。ハーノ記者「このような地震があった場合に原発が壊滅する確率はどのくらいか?」。
地震学者 島村英紀教授『確率はとても高い。計測している地震揺れ速度が、これまでの予測よりずっと速まってきているからだ。私たちはここ数年、1000以上の特別測定器を配置して調査してきたが、想像以上に地震波が強まり、速度も増していることがわかった』。
これは日本の建築物にとって大変な意味を持つだけでなく、原発にとっても重大な問題となることを島村氏は説明する。
島村教授『将来、加速度300~450ガルの地震が来ることを想定している。万が一として600ガルまでを想定しているが、この大きさに耐えられる設計は原子炉の格納容器だけで、原発のほかの構造はそれだけの耐震設計がなされていない。しかし私たちの調査では、最近の地震の加速度がなんと4000ガルまで達したことがわかっている。想定されている値よりはるかに高いのだ』。
ハーノ記者「電気会社は、それを知って増強をしなかったのか?」。
島村教授『今のところ何もしていない。不十分であることは確かだ。これだけの地震に耐えられるだけの設計はほとんど不可能だろう』。
原発から60キロ離れた福島県災害対策本部では東電、保安院、福島県庁が共同で日々、原発の地獄の炎を冷却する闘いに当たっている。どうやって今後、これだけ損傷している原発を大地震から守るつもりなのか?
東電・白井氏『4号機の使用済み燃料プールには、おびただしい量の使用済み燃料が入っている。これをすべて安全に保つためには、燃料プールの増強が必要だ。燃料プールのある階の真下に、新しい梁をつけた』。
ハーノ記者「原発はほとんど破壊されているが、原発が健在だった1年前ですら大地震に耐えられなかった構造で、どうやって次の地震に備えられるのか?」。
東電・白井氏『我々は耐震調査を4号機に限らず全体で行った。その結果、問題ないという判断が出ている』。
ハーノ記者「だが、地震学者たちは4000ガルまでの地震加速度が測定されていて、これだけの地震に耐えられるだけの原発構造はないと言っている。半壊状態の福島の原発の真下でそのような地震が来ても、全壊することはないと、なぜ確信がもてるのか?」。
東電・白井氏『その4000ガルという計算は別の調査ではないのか?それに関しては、私は何とも言えない』。
ハーノ記者「原発を日本で稼動させるだけの心構えが、東電にはあるのか?」。(長い沈黙)東電・白井氏『それは答えるのが難しい。。。』。
名嘉社長『これが、やってきたことの結果だ。この結果を、人類はちゃんと知るべきだ。一緒に未来の政策をつくっていくことができるように』。
<まとめ終わり> ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
国をあげて、脱原発に舵を切ったドイツだからこそ、このような真摯な番組が作れるのでしょう。菅さんが、まだ首相を続けていてくれたなら、もっと早く日本も変われていたかも知れません。でも、これが私たちに与えられた宿題なのでしょう。「原子力ムラ」に対抗するには数で勝負です。大勢の人が、この真実を知る事ができますように。 |