吉田調書考その1

 (最新見直し2014.05.26日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「吉田調書考」をものしておく。

 2014.05.26日 れんだいこ拝


 ★阿修羅♪ > 原発・フッ素38 」の赤かぶ氏の2014.5.23日付投稿「吉田調書の本当に恐ろしい隠れた部分~核ミサイルで日本消滅の危機だった!(wantonのブログ)」。

 吉田調書の本当に恐ろしい隠れた部分~核ミサイルで日本消滅の危機だった!
 http://ameblo.jp/64152966/entry-11858988959.html
 2014-05-23 20:15:27 wantonのブログ

 「吉田調書」

 第1章 原発は誰が止めるか
 http://www.asahi.com/special/yoshida_report/1-2.html

 概要

 ◆福島第一の原発所員、命令違反し撤退 吉田調書で判明 5月20日 朝日新聞

 東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。


■所員9割、震災4日後に福島第二へ


 吉田調書や東電の内部資料によると、15日午前6時15分ごろ、吉田氏が指揮をとる第一原発免震重要棟2階の緊急時対策室に重大な報告が届いた。2号機方向から衝撃音がし、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったというものだ。2号機の格納容器が破壊され、所員約720人が大量被曝(ひばく)するかもしれないという危機感に現場は包まれた。 とはいえ、緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していなかった。この時点で格納容器は破損していないと吉田氏は判断した。 午前6時42分、吉田氏は前夜に想定した「第二原発への撤退」ではなく、「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」を社内のテレビ会議で命令した。「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」 。待機場所は「南側でも北側でも線量が落ち着いているところ」と調書には記録されている。安全を確認次第、現場に戻って事故対応を続けると決断したのだ。 東電が12年に開示したテレビ会議の録画には、緊急時対策室で吉田氏の命令を聞く大勢の所員が映り、幹部社員の姿もあった。しかし、東電はこの場面を「録音していなかった」としており、吉田氏の命令内容はこれまで知ることができなかった。 吉田氏の証言によると、所員の誰かが免震重要棟の前に用意されていたバスの運転手に「第二原発に行け」と指示し、午前7時ごろに出発したという。自家用車で移動した所員もいた。道路は震災で傷んでいた上、第二原発に出入りする際は防護服やマスクを着脱しなければならず、第一原発へ戻るにも時間がかかった。9割の所員がすぐに戻れない場所にいたのだ。 その中には事故対応を指揮するはずのGM(グループマネジャー)と呼ばれる部課長級の社員もいた。過酷事故発生時に原子炉の運転や制御を支援するGMらの役割を定めた東電の内規に違反する可能性がある。 吉田氏は政府事故調の聴取でこう語っている。

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◆「吉田調書」 朝日新聞

 プロローグ

 朝日新聞は、東日本大震災発生時の東京電力福島第一原子力発電所所長、吉田昌郎氏が政府事故調の調べに対して答えた「聴取結果書」を入手した。レベル7の大災害を起こした福島第一原発の最高責任者であり、事故収束作業の指揮官であった吉田氏の唯一無二の公式な調書である。吉田氏は事故について報道機関にほとんど語らないまま2013年7月に死去した。調書も非公開とされ、政府内にひっそり埋もれていた。


 28時間、400ページ


 吉田調書は全7編で構成されている。総文字数はおよそ50万字。A4判で四百数十ページに上る分量になる。吉田氏への聴き取りは13回中11回が福島第一原発から南へ20km離れたサッカー施設 J-VILLAGE JFAアカデミーのミーティングルームで、残る2回が吉田氏の仕事場である福島第一原発免震重要棟でおこなわれた。 政府事故調は772人から計1479時間にわたって聴き取りをおこなった。吉田調書はその一環で作成された。対象1人当たりの平均聴取時間は2時間弱。吉田氏への聴取時間は28時間あまりで、あの瞬間、どう行動し、何を考えていたかまで聴き取った。畑村洋太郎・政府事故調委員長は、ほかに吉田氏の公式の調書がないことから「貴重な歴史的資料」と呼んだ。


 怒り、苦悩、分別

 吉田調書の特徴は「吉田氏の言いっぱなしになっていない」点にある。政府事故調は聴き取りを始めるにあたり、「後々の人たちがこの経験を生かすことができるような、そういう知識をつくりたいと思って、それを目標にしてやろうとしています」、「責任追及とか、そういうことは目的にしていません」と趣旨説明をした。だが、聴取は決して生ぬるいものではなかった。それは吉田氏への聴取が政府事故調事務局に出向した検事主導でおこなわれたからである。調書は微妙な言い回しも細かく書き起こされている。一方、吉田氏のほうも、聴き取りに真剣に応じている様子が調書の文面からうかがえる。調書には、吉田氏が「ここだけは一番思い出したくない」と苦しい胸の内を明かすように話す場面がある。震災当時の社長の清水正孝氏を「あの人」と呼んだり、菅直人氏や原子力安全委員長の班目春樹氏を「おっさん」呼ばわりしたりして、怒りをぶちまけながら話をする場面もある。全編を通して感情を包み隠さず答えていることから、全体として本音で語っていると感じられる。吉田氏は、事実と心情や思いとは分けて話そうと努めている。また、事故発生時の認識と、その後に得た情報を加味した自身の考えは分けて話すよう努める様子もうかがえる。


 未曽有の多重災害

 福島原発事故は、複数の原発が同時にやられるという人類が経験したことがない多重災害だった。最初に、注水が止まっているのを見逃された1号機が大地震発生の翌日の12日午後に水素爆発。続いて3号機が注水に失敗し14日午前に爆発。その影響で2号機が格納容器の圧力を抑えられない事態に陥り、15日に今回の事故で最高濃度の放射性物質を陸上部にまき散らした。 同日は4号機も爆発。核燃料プールの水が抜けることが懸念された。もしそうなっていればさらに多くの放射性物質がまき散らされるところだった。

 過ちは生かされたか

 政府事故調の最終報告の欠点は、原発の暴走を止めるのは人であり、原発被害から住民を救うのも人であるのに、当時のそれぞれの組織の長、首相、経済産業大臣、原子力安全・保安院長、原子力安全委員会委員長、東電社長、そして福島第一原発の所長の行動・判断を一つひとつ検証しなかったことだ。 772人もの関係者から聴き取りをおこなったのに、「個人の責任を追及しない」との方針を掲げたため、事故の本質に深く切りこめなかった。政府や電力会社がいま、再稼働に向け、防潮堤のかさ上げやフィルターベントの取り付けなど設備の増強に走るのは、政府事故調が分析・検証を現象面にとどめたからと言っても過言でない。 未曽有の原子力事故に立ち向かった人間の声は、歴史に刻まなければならない。歴史は人類共通の財産である。第1回の聴取の際、政府事故調は「お話しいただいた言葉がほぼそのままの形で公にされる可能性があるということをお含みいただいて、それでこのヒアリングに応じていただきたいと思います」と説明した。吉田氏は「結構でございます」と即答したことをここに記す。(宮崎知己) <引用終わり>

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 ある記事のコメントより

 福島第一原発の東電職員の9割が、吉田所長の命令を無視して10キロ先の福島第二原発まで逃げてしまっていたことが明らかになりました。しかしテレビなどでは一言もこの事は報道されません。 東電の職員が非難する事は、事故が起きている当時にも東電が原発からの避難を菅総理に了解を求めた事実がありましたが、菅総理の一喝で拒否された。もし東電の職員がほとんど避難してしまえば原発はどうなっていたか分からない。原子炉の核燃料は解け落ちてしまって、プールに保管されていた核燃料は膨大であり、放置されていたら大爆発を起こして東日本は人が住めないほどになっていたかもしれない。最終的には、自衛隊と消防庁の消防部隊員が決死的作業で放水して燃料プールに水を注いで最悪の事態は回避できた。原子炉そのものの安全対策はいろいろなされていても、核燃料保管プールが原子炉に隣接していることは非常に危険だ。プールから水が蒸発してしまえば核燃料は暴走を始めて爆発して大気中に放射能が大放出されてしまう。<引用終わり>
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管理人
色々と検索していると、大手サイトの記事が削除されているようなので、サイト保護の為、敢て、関連記事のリンクはしないでおきます。以前から、ずっと気になっていた事があります。以下の記事より引用します。日本人の殆どが、311地震津波と福島第一原発爆発が 全て人為的なものと知らないことに驚かされた
 http://ameblo.jp/64152966/entry-11346567056.html
以下 ↓


311地震津波と直後に起きた福島第一原発放射能汚染の現場に、菅直人元首相は決死の覚悟で駆けつける。事故発生から間もなく、彼は原子力委員会や東電上層部から「今後被害がさらに拡大した場合、関東地区住民3,000万人を環境難民として避難させる必要がある」との進言を受けていた。しかし、駆けつけてみると、そこには居るはずの無い東電部外者が現場に居て「原発被害拡大の危険性は回避された」と知らされたという。自らの被爆死を恐れず「関東地区住民3,000万人が環境難民となる大惨事」を止め、日本を救った英雄達。菅直人元首相は「神様が介入して原発事故の被害を最小限に止めてくれたのかと思った」 と素直に感想を述べている。<引用終わり>
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 東電部外者って、一体どこの組織のどんな人達だったのでしょう? この事実が、何故、明らかにされないのか? 東電が原発からの避難を菅総理に了解を求めた事実がありましたが、菅総理の一喝で拒否された。吉田所長と残りの一割の部下達は、緊急時に、最後まで踏みとどまった。居るはずの無い東電部外者が現場に=日本を救った英雄達。☆管総理☆吉田所長と一部の部下達☆謎の東電部外者 以上の3者のどれが欠けても、日本はお陀仏だった。福島原発から東電社員が、全員退避した場合、最悪のシナリオが検討されていました。つまり、福島第一原発への核攻撃です。


 2011年3月19日
 福島原発への核攻撃まで検討するなんて絶対許されない!
 http://ameblo.jp/64152966/entry-10834705319.html


<一部抜粋>


 ヒラリークリントン国務長官は『日本の情報は信用ならない』とし、独自の判断基準で動くことを明らかにしており、米国議会・マスコミでは地震への『同情』から『反日感情』に変わりつつあります。即ち、放射能汚染の実態を隠し、救助に向かった米軍兵士が被爆し、さらには今日、明日にも放射能が西海岸に到達するとの予想で西海岸でパニックが起こり始めていることに対して、アメリカは一斉に怒りだしているのです。あるアメリカ高官は『日本人が起こした事故で事実を政府が隠蔽し、それで日本人が死のうが後遺症に苦しもうが勝手だが、アメリカやその他の国民を巻き添えにすることだけは許さない。』としており、反日感情が急激に高まってきています。アメリカの情報部の判断では福島原発は既に臨界に達しており、いつ核爆発を起こしても不思議ではないとの判断に達しており、既に主要アメリカ人は日本から脱出するか、大阪に避難しており、いつでも関空から脱出出来る体制になっていると言われています。更に、クリントン国務長官の怒り以上に、『息子』と形容するアメリカ人兵士達が放射能汚染にあったゲーツ国防長官の怒りの方がすごいと言われており、米軍は既に『日本人救出』から『米国人救出』に主要任務が変わっていると言われており、そのために旗艦であるブルーリッヂを含む13隻の軍艦を日本近海に展開するようにしています。一部では破滅的汚染が世界中に広まる前に福島原発を複数の原爆で攻撃して破壊するべきという意見も複数国の間で検討されたとも言われており、もしこれが実行されれば東京を始め関東圏は一瞬にして焼け野原になります。アメリカ大使が東京を離れた後、東京が消滅するかも知れません。今でも津波災害では胸がつまる光景が流されていますが、原子炉を核攻撃されれば、そのあとの凄惨さは津波被害と比べようがありません。
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 4号機の核燃料だけで、北半球が大変な事になると云われているのに、1~6号機の核暴走を止められなかったら、北半球はおろか、地球規模で壊滅的被害を蒙るとの判断から、福島原発を爆破して核燃料をあたり一面に散らす考えだったようです。東日本はおろか、日本は事実上、消滅します。核汚染されて誰も住めなくなった島とだけ地図に記載されるような恐ろしい現実が、我々の目前にあった訳です。この事実を日本国民のほとんどの人は知りません。ただ、テレビのバカ番組を見ながら笑っていただけでした。そして、政治指導者たちは、何事も無かったかのように、更に、原発を狂ったように推進しようとしています。それどころか、海外に原発を売って商売しています。その海外の原発に事故が起こった場合、その補償は、全て日本持ちというおまけまで付いている始末です。もはや、狂人集団としか形容出来ない。いや、狂人の域さえ飛び越えています。狂人原発カルト・お金大好き教の信者が、日本を支配している訳です。正直、もう終わっているんじゃないの・・・この国。沈没しようとしているタイタニックの船内で、尚も、博打を必死にやっているのと何も変わらない。直ちには影響はありませんと、枝野は言ったが、直ちには沈みません、と言い換えることも出来ます。しかし、ゆっくり沈んでいます。多少、時間がかかるだけの話。それでもまだ、お金と利権にトチ狂っている大バカ集団。本当に、狂っているとしか言いようがありません。

コメント
06. 2014年5月24日 09:01:48 : G0Un5AvPec
 日経記事が残っています。当時、どのように報道されたか、思い出してみましょう。

9割避難は、ある意図の下に行われた。避難の間、米軍が出動して、4号機で、何らかの作業を行っていた。騙されるな。吉田調書は、あるシナリオに沿って証言されたもので、ほとんどはフィクションだ。

> 東京電力、福島原発4号機「自衛隊と米軍が消火活動」  2011/3/15 11:14
 
 東京電力は15日、屋根部分を損傷した福島第1原子力発電所4号機に関して、午前9時38分に建屋の4階部分から出火が確認されたと発表した。現在、自衛隊と米軍が消火活動にあたっている。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFL15095_V10C11A3000000/

08. 茶色のうさぎ 2014年5月24日 14:59:42 : qtmOTsgWNIsK2 : breSzBhSh6

 4号機の15日の夜、建家に、ライト、の明かりをビデオで見た覚えがあります。つまり、4号機が目標で、ロックオン、されたんでねーーの?
10. 2014年5月24日 23:55:15 : sB8f6NM3jA

 元々、原発事故自体が、核テロだった訳で、この程度じゃダメだ、この機に日本を破壊してしまえ、ということだった訳か、なるほどね。

内部告発!(元アメリカ国家安全保障局) 『311大震災はアメリカとイスラエルの裏権力が核兵器を使った!』

https://www.youtube.com/watch?v=ZCEmFIMrRVE

311東日本大震災は、HAARPと海底原子爆弾攻撃か? .

https://www.youtube.com/watch?v=-Gryc3fv9UI

311―これでも自然災害ですか?.mp4

https://www.youtube.com/watch?v=aa5FASmGrlw

311同時多発テロ アメノウズメ塾 放射能 地震 東日本

https://www.youtube.com/watch?v=TGPbIHbiIbE

地下深部掘削船「ちきゅう」関係者の「人工地震」発言箇所切抜き

https://www.youtube.com/watch?v=8Gn-m_oETQ4

五連続地震と海底破壊

https://www.youtube.com/watch?v=sEtPhoxR2NE

15. 夏も爽席 2014年5月25日 05:31:36 : YlJzBCjjO2yEw : GHT1Q3fEH7
>4号機の核燃料だけで、北半球が大変な事になると云われているのに、1~6号機の核暴走を止められなかったら、北半球はおろか、地球規模で壊滅的被害を蒙るとの判断から、福島原発を爆破して核燃料をあたり一面に散らす考えだったようです。 日米安保の実態ってこんなもんがホンネなんだろてめえらが押しつけた原発だろ責任は貴様らにもあるんだそういえば9条も押しつけて説もあるなこっちは大事にしとくのが得策だろうな
16. 2014年5月25日 07:43:54 : Fs820IFiwU
原発放射能被害に関連しての質問。安倍政権や翼賛野党は、競うように解釈改憲での〈戦争容認」を急いでおり、トレンドとしては、いずれ日本のタカ派の希望とうりどこかの国との戦争に突入する可能性が高いと予測しています。尖閣諸島問題で「平和外交」の鳩山元総理を「国賊として逮捕処刑〉せよと「正論」や「SAPIO]が当時書きました。これは大手タカ派メデイア「産経、読売」を含むタカ派は「遠交近攻策の「ヒツトラー方式の外交戦略」は別として、相手と話し合う平和外交は拒否し、戦争を支持していることを示したものです。戦争となれば当然相手から反撃を受ける恐れがあります。全国50余基の原発を相手ミサイルの攻撃からどういう方法でデフエンスしてくれるのだろうか?と心配です。「何か条約で原発は人道的立ち場から攻撃しないという100%の保証はできているのでしょうか?」もし攻撃されたら放射能汚染で生活できなくなるので、その辺教えてほしい。
19. 2014年5月25日 14:07:10 : jyY6RFMYT6
4号機プールに注水できたのは高層ビル用のコンクリート用のものであった。日本にはないということで、中国が貸してくれた。ということは東日本を救ったのは中国ということになる。
20. 2014年5月25日 14:11:15 : jyY6RFMYT6
中国においても被害の映像は連日ニュースや特番で流されて,我々邦人はもちろんのこと多くの中国人も心を痛めていた。地震発生から数日経った頃,原発の一部は「空炊き」状態で緊急に「冷やす」ことが求められており,ヘリで上空から散水したり消防車から放水するなどの策が講じられていた。実は,中国・三一重工では72 m の高さまで生コンクリートを圧送できる機械を作っている。「我が社の機械ならピンポイントで原子炉に注水できるのではないか」と何人かが思った。いち早く行動に出たのは日本法人(三一日本㈱)の営業担当者である。彼は東京電力㈱本社を3 月18 日の朝訪問し機械の説明を行った。するとその日の午後,「機械を購入したい」との意向が示されたので,彼はその旨中国の本社に伝えた。関連部品を含めると約1億円の費用を要することになるが,会長は「直ちに無償提供しよう。時間と闘え!」と即決を下した。この鶴の一声で現場は大発奮した。幸い工場には62 m の機械の在庫が1 台あったので,その日の内に日本向けに改造し送水テストを行い,翌日には工場関係者と地元メディアの声援に送られて出発した。52 t の巨大な自走式機械は湖南省の工場から上海までの陸路1,000 km あまりを運転手たちが交代で一昼夜かけてノンストップでひた走った。通関に1 日。船は22 日に出港,2 日後に大阪港に陸揚げされた。一方この頃,東京電力本社では,東京電力・日本赤十字社・三一日本の間で寄贈式が執り行われた。
25. 2014年5月25日 22:40:25 : 5rSxQD2bJ2

 再放送されないNHKの番組の要旨・・・

 チェルノブイリ事故時、IAEAの連中がやってきて、子供の甲状腺がん以外の全てを、隠蔽して公言してはならない・・・と脅しました。ウクライナの国立病院長が、顔出しで、証言してます。独協医大・北海道大学の准教授の木村さんが、NHKとともにここへ行き、保存してた当事のカルテをウクライナ政府から貸し受け、持ち帰って翻訳し、全てを暴露します・・・といった番組。しかし、半年たっても、何も暴露されない。国際的な原子力ムラのIAEAやICRPの圧力があったんだろう・・・ 福祉各地400箇所で、Csと同量のU・Pu・Am・Te・Sr・・・などなど、凄い事になってるNHK特集番組も、二度と放送されない。ニューヨークタイムズが、893が原発作業員を人材派遣してる・・・記事を書く2年以上前に、NHKのAtoZで、顔出し(ぼかし)893の手配師まで登場して、東電の闇を暴いたのも、二度と、再放送されないどころか、「追跡AtoZ」は、消えてしまった。いい番組も少なくなかったNHK。BBCやKBSのように、腐った政権とは、しっかり対峙してほしいですね・・・モミモミや百田や長谷川が居なくなるまで、職員には戦ってほしいものです・・・~

29. 2014年5月26日 06:14:25 : NZKWGoCgkw
「あるアメリカ高官は『日本人が起こした事故で事実を政府が隠蔽し、それで日本人が死のうが後遺症に苦しもうが勝手だが、アメリカやその他の国民を巻き添えにすることだけは許さない。』としており、反日感情が急激に高まってきています。」 えーと、ここ笑うところ? マグナBSP、GMの責任について全く触れないのが糞だね。あるアメリカ高官って誰だよ。日本で反米感情が高まっているから、アメリカが怒っていてので奴隷である日本人をびびらせるためにこんな文章を書いているのか? だいたい、ウワベだけの発言ばかりのアメリカの支配層は米国民を奴隷としてしか見ていないのに、米国民の安全や生命を守るわけがない。>28. 良識ある世論の一人 お前、何者だ。随分、トチ狂っているな。日本人ではないな。
30. 2014年5月26日 07:33:12 : n59LJmimYE
ミサイルってそこまで突拍子もない話かな自分はあのころ、再臨界という恐ろしい事態になる前に、自衛隊にミサイルでボロボロになった原子炉と燃料プールを吹き飛ばさせて、細かいかけらになれば、再臨界やらメルトダウンは防げるんじゃないかと思っていたなぁ。そのかわり時間をかけてコンクリートと鉛を山盛りにして拡散を防がなければならないけど。公開されてる音声にも東電幹部の電話会議で「米軍に(核?)ミサイルで吹き飛ばしてもらうのもあるけど、下に色々ややこしい(?)ものがあるので…」とかいうのを覚えてるけどな。正確に覚えてる人がいればよろしく。
31. けろりん 2014年5月26日 08:18:03 : xfW5FN1G6ouU2 : vEyFyyxyRF

参考/『 一億総・カルト時代 』に突入・・・WWW


飛鳥   
アメリカは今、日本でどういう奇形児が生まれているかを全部サーチしていて、そのデータは日本の一般市民には流されることなく、日本政府とアメリカにだけ流されるようになっている。アメリカはそういう貴重なデータを欲しがっているんです。彼らにすれば近代の大都市が被爆するのはめったにないチャンスであり、貴重なサンプルだからね。それが欲しいから東京オリンピックも全面的に支援するし、(放射能は)何も問題ないよとお墨付きを与えているわけ。本当のことを言うと都民が逃げ出しちゃうからね。



山口   
黄色人種は放射能の害を受けにくいという話がありますね。
 白人だともっと致命的な影響を受けるとか、福島規模の事故だと白人ならもっと死んでいるはずで、それなのに日本人が死なないのはおかしいと言われているとか。



飛鳥   
ただ日本は隠蔽体質があるから、本当の数字が出て来ないということもあるね。



山口   
そうですね、特定秘密保護法案によってさらに分からなくなる。



飛鳥   
特定秘密保護法はアメリカのために作ったんですよ。
 以前、自民党は防衛庁を防衛省に格上げして予算の枠を増やしましたね。その次に検察庁を検察省に格上げする予定だったんだけど、その前に衆議院選挙で霞ヶ関改革を掲げた民主党に負けた。ところが今回、アメリカの入れ知恵で 選挙操作 をやったおかげで自民党政権が復活して、これから自民党は100パーセント勝ち続ける。つまり何から何まで選挙から何から全部操作できるから、何をやっても勝つ。


   
だから石破幹事長が、国会前の反原発デモをテロとみなす的な発言をしても解任されないし、麻生副総理がナチスに学ぼうと発言しても大丈夫なわけ。衆参両院で多数を占めたからね。これは戦前・戦中よりもひどくて最悪の状況。

   

これから検察庁が検察省になるとどうなるか?
  これまでは予算が足りなくて企業のみを精査していたのが、これからは国民1人ひとりをチェックするようになる。そのための住基ネットワークなんです。私はこれを作った人間を知っていて、彼から直接聞きました。つまり 住基ネットワーク というのは、単に住民票をやり取りするだけのキャパじゃないという。個人がどこへ行ったか、何を買ったかというデータなんかを放り込んでもなお余りがある。

 
  
つまりこれによって最終的に、国民総背番号制 と連動させて国民を容易に管理できるようになるわけです。要は「特高警察」の復活なんです。戦前に戻したいんです、自民党のジジイたちは。特にN(元首相)がそれを求めているという。「 昔はよかった。右向け右、と言えばみんな右を向いた 」と。だからヤツは昔へ戻せと言っているそうで、自民党は絶対これをやりますよ。そしてアメリカが全面的にこれを利用する。



山口   
そうなると自民党も世界統一支配に組み込まれていくしかない。



飛鳥   
でも昔はアメリカに対して抵抗する人がたくさんいたんだ。
田中角栄もそうだったけどやられたし、中川昭一もそうだった。
アメリカに楯突く人間は潰される。



山口   
ホテルで首吊りというのも本当に多いですよね。



飛鳥   
そうそう、ホテルに泊まっている時点で自殺する可能性はないからね。



山口   
わざわざ自殺するためにホテルに泊まるかという話ですよ。そういうこともあって最近は有名人は、「私は自殺しません宣言」をしている人が多いですね。



飛鳥   
しないと危ない。それでそのやり方も必ず、ドアの取っ手に何かを引っ掛けての首吊りですよ。



山口   
そんな死に方があるかという話ですよ。刺されても痛くない針をCIAが開発したというのは、ニュースにもなっていましたからね。そういうのを使って殺した後、タオルかひもを使った首吊りに偽装する。



飛鳥   
アメリカはそういう技術には非常に長(た)けていますよ。たとえば、手の平に収まるくらいの小さい装置があって、これを敏太郎さんの後ろに回って作動させると、それだけで人格を変えることができる。つまり電磁波が脳に働きかけて一時的に人格を変えるわけだ。アメリカの実験映像では、大学のキャンパス内を歩いている現役の教授に、NSAの人間が近付いて装置を作動させ、耳元で「おまえはホームレスだ」とささやくと、とたんに人格が変わって物乞いをし始めるんです。わずか1秒でこんなに変わる。



山口   
実験映像があるんですね。



飛鳥   
私が持っています。
この装置を使えば、アメリカに対して都合の悪いことを言うNHKのアナウンサーがいれば、近付いてその人物を操作して痴漢をさせることもできる。「 お前は痴漢だ 」とささやけばいいわけで、ありえない人がその小さな装置だけで人格が一時的に変わってそれをやっちゃう。そうやって痴漢をやらせて、一気に潰して追い出してしまう。



山口   
ジョン・レノンが殺されたときも、犯人のマーク・チャップマンには、「 『ライ麦畑でつかまえて』を読むとジョン・レノンを殺す 」という暗示がかけられていたんでしたね。



飛鳥   
よく催眠術で殺人を犯させることはできないと言ってるけど、実際にはあり得るんです。それについては弾の入っていない拳銃を使った実験をやっていて、殺人暗示をかけられた被験者が実際に発砲することがわかっています。そして又元へ戻す。そのままなら単におかしくなった人ということだけど、元へ戻すと本人も「 魔がさして痴漢してしまいました 」となって、それでアウトなんです。そういうことだからスノーデンのような曝露する人間はなかなか出て来ない。



山口   
そういえば通信傍受施設のエシュロンについて、石原慎太郎さんが国会で質問してましたね。「三沢基地にエシュロンというものがあるが、これは我が国として放っておいていいのか?」と。小野寺防衛大臣の答えは、「それがエシュロンだとは確認していない」と。



飛鳥   
それで官房長官が、「 私ども日本は同盟国なので盗聴されるわけがない 」とも言ってたけど、バカだね~。後になってアメリカが日本で情報収集していることが、スノーデンの曝露でバレたよね。バカなのか確信犯的な国賊なのか、どちらにしても話にならないよ。こういう人間が日本を治めているのかと思うとゾッとするね。




『激ヤバ情報 曝露します』 飛鳥昭雄・山口敏太郎著 文芸社

32. 2014年5月26日 08:18:24 : jDUea84PZI
私は、月刊誌の手のひらサイズの雑誌に掲載された記事を読みましたが、吉田所長は情が深いので、多くの人はいらないので、家に帰したと、書かれていました、それが、ほとんどが帰ってしまったのかはわかりませんが。そして少し離れたところの、所長は(名前はわかりません)誰も、出ないように鍵を閉めろと言ったそうです。こちらの所長は非常時に備えたと言われていますが、その時は非情に映ったと思います。

【吉田調書考】
 2014.5.20日、朝日新聞デジタルの「福島第一の原発所員、命令違反し撤退 吉田調書で判明」を参照する。東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)がある。これによると、東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。

 吉田調書や東電の内部資料によると、15日午前6時15分ごろ、吉田氏が指揮をとる第一原発免震重要棟2階の緊急時対策室に重大な報告が届いた。2号機方向から衝撃音がし、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったというものだ。2号機の格納容器が破壊され、所員約720人が大量被曝(ひばく)するかもしれないという危機感に現場は包まれた。とはいえ、緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していなかった。この時点で格納容器は破損していないと吉田氏は判断した。午前6時42分、吉田氏は前夜に想定した「第二原発への撤退」ではなく、「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」を社内のテレビ会議で命令した。「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」。待機場所は「南側でも北側でも線量が落ち着いているところ」と調書には記録されている。安全を確認次第、現場に戻って事故対応を続けると決断したのだ。東電が12年に開示したテレビ会議の録画には、緊急時対策室で吉田氏の命令を聞く大勢の所員が映り、幹部社員の姿もあった。しかし、東電はこの場面を「録音していなかった」としており、吉田氏の命令内容はこれまで知ることができなかった。吉田氏の証言によると、所員の誰かが免震重要棟の前に用意されていたバスの運転手に「第二原発に行け」と指示し、午前7時ごろに出発したという。自家用車で移動した所員もいた。道路は震災で傷んでいた上、第二原発に出入りする際は防護服やマスクを着脱しなければならず、第一原発へ戻るにも時間がかかった。9割の所員がすぐに戻れない場所にいたのだ。その中には事故対応を指揮するはずのGM(グループマネジャー)と呼ばれる部課長級の社員もいた。過酷事故発生時に原子炉の運転や制御を支援するGMらの役割を定めた東電の内規に違反する可能性がある。吉田氏は政府事故調の聴取でこう語っている。(中略) 吉田調書は、第一原発所長だった吉田氏が第1回聴取で「お話しいただいた言葉はほぼそのままの形で公にされる可能性がある」と通告され、「結構でございます」と即答したことを明らかにしている。これによると吉田氏は自らの発言が公になることを覚悟していたことになる。 2011年3月14日午後6時28分、吉田氏は免震重要棟の緊急時対策室にある円卓の自席で、2号機への注水に使っていた消防車が燃料切れで動かなくなったという報告を聞いた。原子炉の圧力がやっと下がり、冷却水が入れられるようになった矢先のトラブル。原子炉格納容器が壊れる恐れがあり、吉田氏は「1秒1秒胸が締め付けられるような感じ」と聴取で振り返っている。廊下に出て誰もいないことを確認し、PHSの番号を押した。「9109……」。一番つながりやすかった東電本店経由でかける方法だ。本店の頭越しにかけた電話の先は、細野豪志首相補佐官だった。「炉心が溶けてチャイナシンドロームになる」。チャイナシンドロームとは高温で溶けてどろどろになった核燃料が鋼鉄製の格納容器に穴を開けることで、全てを溶かして地球の裏側へ進む架空の事故を題材にした映画の題名が由来だ。吉田氏は続けた。「水が入るか入らないか賭けるしかないですけども、やります。ただ、関係ない人は退避させる必要があると私は考えています」。「1号、3号と水がなくなる。同じようなプラントが三つでき、すさまじい惨事ですよ」。

 プロローグ

 朝日新聞は、東日本大震災発生時の東京電力福島第一原子力発電所所長、吉田昌郎氏が政府事故調の調べに対して答えた「聴取結果書」を入手した。レベル7の大災害を起こした福島第一原発の最高責任者であり、事故収束作業の指揮官であった吉田氏の唯一無二の公式な調書である。吉田氏は事故について報道機関にほとんど語らないまま2013年7月に死去した。調書も非公開とされ、政府内にひっそり埋もれていた。 吉田調書は全7編で構成されている。総文字数はおよそ50万字。A4判で四百数十ページに上る分量になる。吉田氏への聴き取りは13回中11回が福島第一原発から南へ20km離れたサッカー施設 J-VILLAGE JFAアカデミーのミーティングルームで、残る2回が吉田氏の仕事場である福島第一原発免震重要棟でおこなわれた。 政府事故調は772人から計1479時間にわたって聴き取りをおこなった。吉田調書はその一環で作成された。対象1人当たりの平均聴取時間は2時間弱。吉田氏への聴取時間は28時間あまりで、あの瞬間、どう行動し、何を考えていたかまで聴き取った。畑村洋太郎・政府事故調委員長は、ほかに吉田氏の公式の調書がないことから「貴重な歴史的資料」と呼んだ。

 吉田調書の特徴は「吉田氏の言いっぱなしになっていない」点にある。政府事故調は聴き取りを始めるにあたり、「後々の人たちがこの経験を生かすことができるような、そういう知識をつくりたいと思って、それを目標にしてやろうとしています」「責任追及とか、そういうことは目的にしていません」と趣旨説明をした。だが、聴取は決して生ぬるいものではなかった。それは吉田氏への聴取が政府事故調事務局に出向した検事主導でおこなわれたからである。調書は微妙な言い回しも細かく書き起こされている。

 一方、吉田氏のほうも、聴き取りに真剣に応じている様子が調書の文面からうかがえる。調書には、吉田氏が「ここだけは一番思い出したくない」と苦しい胸の内を明かすように話す場面がある。震災当時の社長の清水正孝氏を「あの人」と呼んだり、菅直人氏や原子力安全委員長の班目春樹氏を「おっさん」呼ばわりしたりして、怒りをぶちまけながら話をする場面もある。全編を通して感情を包み隠さず答えていることから、全体として本音で語っていると感じられる。吉田氏は、事実と心情や思いとは分けて話そうと努めている。また、事故発生時の認識と、その後に得た情報を加味した自身の考えは分けて話すよう努める様子もうかがえる。

 未曽有の多重災害

 福島原発事故は、複数の原発が同時にやられるという人類が経験したことがない多重災害だった。最初に、注水が止まっているのを見逃された1号機が大地震発生の翌日の12日午後に水素爆発。続いて3号機が注水に失敗し14日午前に爆発。その影響で2号機が格納容器の圧力を抑えられない事態に陥り、15日に今回の事故で最高濃度の放射性物質を陸上部にまき散らした。同日は4号機も爆発。核燃料プールの水が抜けることが懸念された。もしそうなっていればさらに多くの放射性物質がまき散らされるところだった。

 過ちは生かされたか

 政府事故調の最終報告の欠点は、原発の暴走を止めるのは人であり、原発被害から住民を救うのも人であるのに、当時のそれぞれの組織の長、首相、経済産業大臣、原子力安全・保安院長、原子力安全委員会委員長、東電社長、そして福島第一原発の所長の行動・判断を一つひとつ検証しなかったことだ。772人もの関係者から聴き取りをおこなったのに、「個人の責任を追及しない」との方針を掲げたため、事故の本質に深く切りこめなかった。政府や電力会社がいま、再稼働に向け、防潮堤のかさ上げやフィルターベントの取り付けなど設備の増強に走るのは、政府事故調が分析・検証を現象面にとどめたからと言っても過言でない。

 未曽有の原子力事故に立ち向かった人間の声は、歴史に刻まなければならない。歴史は人類共通の財産である。第1回の聴取の際、政府事故調は「お話しいただいた言葉がほぼそのままの形で公にされる可能性があるということをお含みいただいて、それでこのヒアリングに応じていただきたいと思います」と説明した。吉田氏は「結構でございます」と即答したことをここに記す。(宮崎知己)

 全9回で報告

 朝日新聞デジタルでは20日から、今回入手した調書を分析・検証した特集企画「吉田調書 福島第一原発事故、吉田昌郎所長の語ったもの」を配信していきます。政府事故調が吉田氏から聴取しながら報告書ではほとんど言及しなかった「人の行動、判断」の部分に焦点をあて、「原発は誰が止めるか」「住民は避難できるか」「ヒトが止められるか」を考えます。調書の分析・検証にあたっては、東電テレビ会議録、時系列表、および別途入手した東電の内部資料を読み込み、各方面を取材しました。20日付の朝日新聞朝刊では、吉田調書でわかった新事実を報道する予定です。

  「★阿修羅♪ > 原発・フッ素38 」の 赤かぶ 氏の2014.5.22日付け投稿「誰も助けに来なかった 吉田調書、所長が「恨み」吐露(朝日新聞)」を転載する。
 誰も助けに来なかった 吉田調書、所長が「恨み」吐露
http://www.asahi.com/articles/ASG5Q427XG5QUEHF00X.html
 2014年5月22日12時31分 朝日新聞朝日新聞デジタルは特集「吉田調書」第1章3節「誰も助けに来なかった」を配信しました。調書に残された言葉や、福島第一原発3号機の爆発の直後に東電本店に投げかけた言葉などから、「原発は誰が止めるか」を考えます。URLは次の通り。http://www.asahi.com/special/yoshida_report/1-3.html

 東日本大震災発生3日後の2011年3月14日午前11時01分、福島第一原発の3号機が爆発した。分厚いコンクリート製の建屋を真上に高々と吹き飛ばしたところを無人テレビカメラに捉えられ、ただちに放映された、あの爆発だ。

 ――― 水が欲しいときっとなるだろうから、そうだったら、何はともあれ外との間のパイプラインをつくってしまえという指示をどこかで出したのかなと思っていたんですが、パイプラインを何でもいいからつくってくれと、そんなことまでは頭が動かないのか、それとも、言っても先ほどのように。

 吉田「それはわからないです。私はこの中にいましたので、外からどういう動きをしていたかはちっともわからないんで、結果として何もしてくれなかったということしかわからない。途中で何かしてくれようとしていたのかどうか、一切わかりません」。

 ――― わかりました。私はそこまででいいです。

 吉田「逆に被害妄想になっているんですよ。結果として誰も助けに来なかったではないかということなんです。すみません。自分の感情を言っておきますけれども、本店にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているのにもかかわらず、実質的な、効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから」。

 ――― それは誠にそうだ。結果として誰も助けに来てくれなかった。

 吉田「後でまたお話が出ますが、消防隊とか、レスキューだとか、いらっしゃったんですけれども、これはあまり効果がなかったということだけは付け加えておきます」。

 3月12日午後の1号機の爆発に続き、日本史上2度目の原発の爆発も、ここ福島第一原発で起きてしまった。外で作業にあたっていた人が怪我をした。当時、原子炉への注水は、3号機の海側にある逆洗弁ピットというくぼみにたまった海水を、消防車で汲み上げておこなっていた。その屋外作業に大勢がかかわっていた。また、自衛隊がちょうど給水車で原子炉に入れる水を補給しにきていた。作業をしていた6人は被曝し、何人かは怪我もした。福島第一原発では所長の吉田昌郎以下、所員の落ち込みようは激しかった。吉田はサイト、すなわち発電所のみんなの声を代弁し、午後0時41分、テレビ会議システムを使って、声を詰まらせて東電本店に次のように訴えた。「こんな時になんなんだけども、やっぱり、この……、この二つ爆発があってですね、非常にサイトもこう、かなりショックっていうか、まあ、いろんな状態あってですね」。社長の清水正孝の答えは、次のようなものだった。「あの、職員のみなさま、大変、大変な思いで対応していただいていると思います。それで、確かに要員の問題があるんで、継続につき検討してますが、可能な範囲で対処方針、対処しますので、なんとか、今しばらくはちょっと頑張っていただく」。東電本店はヒトだけでなくモノの面でも福島第一原発を孤立させていた。福島第一原発では、いまや原子炉の冷却の主軸である消防車のポンプを回すための軽油も、中央制御室の計器を動かすのに必要な電気を発電するためのガソリンも、ベントなどの弁を開けるのに必要なバッテリーも足りなかった。所員はこれらの必要物資を、10km離れた福島第二原発、20km南のスポーツ施設Jヴィレッジ、場合によっては50km南の福島県いわき市の小名浜コールセンターまで取りに行っていた。東電本店は福島第一原発まで運ぶよう運送業者に委託するのだが、3月12日に1号機が爆発し、避難指示の区域が拡大してくると、トラックがその手前までしか運んでくれなくなったのだ。トラック業者だけでない。福島第一原発は、同じ東電の福島第二原発からガソリン入りのドラム缶をもらうときも、中間地点にあるコンビニエンスストア、通称「三角屋のローソン」や、ホームセンター「ダイユーエイト」の駐車場にそれぞれが運搬車で乗り付けて、引き渡してもらっていた。福島第二原発としては、福島第一原発に直接行ってしまうと、運搬車が放射性物質に汚染され、除染しないと乗って帰れなくなるからだった。

 ――― この注水の作業なんかについては、消防車の運転操作なんかの委託をしていた、日本原子力防御システムですかね、そういうところだとか、南明興産というところですね、こういうところも協力していただいている? 吉田「最初は協力してくれる」。――― 途中からは。吉田「線量が出てから」。――― 線量が上がり過ぎて、その人たちの作業はできなくなったと。それ以降は、東電の。 吉田「自衛で」。――― その自衛消防隊の方だけでやっていたんですか。吉田「はい。何人か奇特な方がいて、手伝ってくれたようなことは聞いているんですけれども」。――― それは。吉田「南明さんとかですね。ほとんど会社としては退避されたような形で、個人的に手伝ってといったらおかしいんですけれども、そういうことは聞いております」 (中略)。――― 3月16日以降とかは、がれきの整理などのために、例えば、がれき撤去のための作業用の車両みたいなもの、ブルドーザーなり何なり、そういうものは届いていたんですか。吉田「バックホーが数台もともとこちらにあったのと、間組さんがどこかから持ってきてくれて、主として最初のころは間組なんです。土木に聞いてもらえばわかりますけれども、間組さんが線量の高い中、必死でがれき撤去のお仕事をしてくれていたんです」。――― これは何で間組なんですか。 吉田「たまたま、私もよくわかりません。そのときは線量が高いんですけれども、間組が来てくれたんです」。――― この辺周辺の撤去などの作業をしてくれたんですか。吉田「それもやりましたし、6号への道が途中で陥没したりしていたんです。その修理だとか、インフラの整備を最初に嫌がらずに来てくれたのは間組です。なぜ間組に代わったかというのは知らない。結果として間組がやっているという状況だったので、たぶんいろいろお話をして、一番やろうという話をしてくださったんだと思います」。

 東日本大震災発生当日の2011年3月11日午後9時44分、新潟県にある東電柏崎刈羽原発を1台の化学消防車が福島に向けて出発した。消防関係の業務を東電から請け負っている南明興産という会社の社員3人が乗っていた。交流電源をすべて失った福島第一原発で、原子炉を緊急に冷やすポンプがすべて使えない状態になっていた。吉田らが代わりに思いついたのは、消防車を使って外から原子炉に注水する方法だった。過酷事故時の対応を定めたアクシデント・マネジメント・ガイドには書かれていない世界初の試みだ。ところが、福島第一原発の消防車3台のうち、使えるのは1台だけだった。1台は津波にやられ、もう1台は構内道路がやられて1~4号機に近づけないところにあった。消防車を操れる人間はもともとごく少数。それもそのはず、東電の社員は誰も消防車を運転したことがない。ホースを消火栓につないだり、ホースとホースをつなぐなどの消防車周りの作業もしたことがない。南明隊は到着するやいなや、あちこちにかり出された。

 ――「実質的な、効果的なレスキューが何もない」。福島第一原発では、消防車から原子炉への注水の経路がめまぐるしく変わった。防火水槽やタンクの淡水を入れていたかと思うと、次は逆洗弁ピットというくぼみにたまった海水を入れる。その次は海の水を直接汲み上げて入れる。そのたびに消防車を動かし、ホースをつなぎ変えた。南明隊は途中、東電の要請で部隊増強を図った。消防車周りの仕事はたいてい屋外作業となる。そのため、常に高い値の放射線にさらされたし、1号機や3号機が爆発した時はがれきの雨に打たれた。吉田も気遣ってはいたが、なにせ彼らの代わりができる人間が東電にいなかった。一方、がれきの撤去作業では、一部のゼネコンが一肌脱いだ。福島第一原発では15日以降、各号機の核燃料プールの冷却が大きな課題になっていた。特殊な消防車で地上から放水することが考え出されたが、がれきが、各号機へ消防車が近づくことを拒んでいた。がれきは、1、3、4号機の相次ぐ爆発で発生したもので、がれき自体が高い値の放射線を発していた。それを人と重機を投入して片付けた。これもまた高い値の放射線量のもとでやってのけた。

 ――― こういう爆発があって、例えば3月13日とか14日というのは、保安院の方というのはどうなんですか。吉田「よく覚えていないんですけれども、事象が起こったときは、保安院の方もみんな逃げて来て、免震重要棟に入られたんです。それから即、オフサイトセンターができたので、オフサイトセンターに全部出ていった。私の記憶がなかったので、先ほどDVD議事録を見ていたら、武藤が途中で大熊にあったときのオフサイトセンターから保安検査官をこちらに送り込むという話はあったんです。結局あれは14日だったんですけれども、来られなかったんです」。 ――― 来なかったんですか。 吉田「はい。私は記憶がないんだけれども、今みたいに24時間駐在で来られるようになったのは、もうちょっと後だと思います」。――― 保安院の方が来られると、例えば情報を得ようと思ったら緊対室に来ますね。 吉田「はい」。  ――― そのときというのは、所長に何かあいさつなりというのは、向こうからするんですか。そのまま本部の円卓の辺りにいるんですか。 吉田「我々別に保安検査官を拒絶するつもりもないし、来られるようなときに来られればよくて、彼らは保安院の制服を着ていらっしゃいますから、いらっしゃるということで、ごく普通に会議の中に入ってもらえばいい、という形で対応しています」。 ―― それは円卓に保安院用の席があるんですか。 吉田「もともとはなかったんです。そんな話があって、保安院の人に座っていてもらえという話をしたんです」。 ――― それはいつごろですか。 吉田「最初に武藤から電話があって、保安院さんが来るという話のときに、短期間で1回来られたかも知れないんです。14日ごろにね。そんな記憶もあるんです。ちょこっといらっしゃった。オフサイトセンターが福島に引き揚げるとなったときに、みんな福島に引き揚げられて、結局、16日、17日ぐらいまで、自衛隊や消防がピュッピュやっているときはいなかったような気がするんです」。 ――― サイト内に来られたとすれば、例えば保安院の事務所の方にずっといるわけではないんですか。 吉田「住むところは免震棟しかないわけですから、事務所には行きようがないんです。線量もあるし、被曝もあるしね」。


 各原発には、原子力安全・保安院、今なら原子力規制庁に所属する原子力保安検査官が、常駐する制度になっている。東日本大地震発生時、福島第一原発内にも当然いて、地震後一時、免震重要棟に入っていた。だが、しばらくして南西5kmのところに福島オフサイトセンターが立ち上がると、そこへ移動した。2日後の3月13日午前6時48分、そのころオフサイトセンターに詰めていた東電原子力担当副社長の武藤栄が、吉田に、保安検査官が福島第一原発に戻ると連絡してきた。「保安院の保安検査官が、そちらに4名常駐をしますと。12時間交替で1時間ごとに原子炉水などプラントデータを、報告をするということになります」。 吉田は即座に「保安検査官対応!」と受け入れ態勢を整えるよう部下に指示した。保安検査官はその後しばらくしてやって来たが、3月14日夕方、2号機の状況が急激に悪化するとまたオフサイトセンターに帰ったとみられる。そして、15日朝、オフサイトセンターが原発から60km離れた福島市へ撤収すると、いっしょに行ってしまった。

 ――「みんな福島に引き揚げられて」。


 一方、原発から5km離れたところにあるそのオフサイトセンターだが、原発事故があったら、10以上の省庁から40人超が集まり、原発や周辺自治体と連携して、情報を収集・発信する拠点になると定められていた。甲状腺がんを防ぐ安定ヨウ素剤の配布指示でも大きな役割を担っていた。 それなのに、今回の事故では半数強しか来なかった。班が七つ立ち上がり、それぞれが班長の指揮のもと作業にあたることになっていたのだが、班長が3月末近くまで来ない班もあった。 最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる唯一の組織である電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。 これが多くの震災関連死の人を出し、今もなお13万人以上に避難生活を強いている福島原発事故の収束作業の実相だ。

7. 2014年5月23日 08:55:57 : nJF6kGWndY

 事実を公開することは重要だな

 http://www.asahi.com/special/yoshida_report/
「吉田調書」
• プロローグ
• 第 1 章
• 第 2 章
• 第 3 章
• エピローグ

 プロローグ

 朝日新聞は、東日本大震災発生時の東京電力福島第一原子力発電所所長、吉田昌郎氏が政府事故調の調べに対して答えた「聴取結果書」を入手した。レベル7の大災害を起こした福島第一原発の最高責任者であり、事故収束作業の指揮官であった吉田氏の唯一無二の公式な調書である。吉田氏は事故について報道機関にほとんど語らないまま2013年7月に死去した。調書も非公開とされ、政府内にひっそり埋もれていた。

 28時間、400ページ

 吉田調書は全7編で構成されている。総文字数はおよそ50万字。A4判で四百数十ページに上る分量になる。吉田氏への聴き取りは13回中11回が福島第一原発から南へ20km離れたサッカー施設 J-VILLAGE JFAアカデミーのミーティングルームで、残る2回が吉田氏の仕事場である福島第一原発免震重要棟でおこなわれた。政府事故調は772人から計1479時間にわたって聴き取りをおこなった。吉田調書はその一環で作成された。対象1人当たりの平均聴取時間は2時間弱。吉田氏への聴取時間は28時間あまりで、あの瞬間、どう行動し、何を考えていたかまで聴き取った。畑村洋太郎・政府事故調委員長は、ほかに吉田氏の公式の調書がないことから「貴重な歴史的資料」と呼んだ。

 怒り、苦悩、分別

 吉田調書の特徴は「吉田氏の言いっぱなしになっていない」点にある。政府事故調は聴き取りを始めるにあたり、「後々の人たちがこの経験を生かすことができるような、そういう知識をつくりたいと思って、それを目標にしてやろうとしています」「責任追及とか、そういうことは目的にしていません」と趣旨説明をした。だが、聴取は決して生ぬるいものではなかった。それは吉田氏への聴取が政府事故調事務局に出向した検事主導でおこなわれたからである。調書は微妙な言い回しも細かく書き起こされている。 一方、吉田氏のほうも、聴き取りに真剣に応じている様子が調書の文面からうかがえる。調書には、吉田氏が「ここだけは一番思い出したくない」と苦しい胸の内を明かすように話す場面がある。震災当時の社長の清水正孝氏を「あの人」と呼んだり、菅直人氏や原子力安全委員長の班目春樹氏を「おっさん」呼ばわりしたりして、怒りをぶちまけながら話をする場面もある。全編を通して感情を包み隠さず答えていることから、全体として本音で語っていると感じられる。吉田氏は、事実と心情や思いとは分けて話そうと努めている。また、事故発生時の認識と、その後に得た情報を加味した自身の考えは分けて話すよう努める様子もうかがえる。

 未曽有の多重災害

 福島原発事故は、複数の原発が同時にやられるという人類が経験したことがない多重災害だった。最初に、注水が止まっているのを見逃された1号機が大地震発生の翌日の12日午後に水素爆発。続いて3号機が注水に失敗し14日午前に爆発。その影響で2号機が格納容器の圧力を抑えられない事態に陥り、15日に今回の事故で最高濃度の放射性物質を陸上部分にまき散らした。同日は4号機も爆発。核燃料プールの水が抜けることが懸念された。もしそうなっていればさらに多くの放射性物質がまき散らされるところだった。

 3号機が爆発したときのやりとり。東電テレビ会議の音声から
 
 過ちは生かされたか

 政府事故調の最終報告の欠点は、原発の暴走を止めるのは人であり、原発被害から住民を救うのも人であるのに、当時のそれぞれの組織の長、首相、経済産業大臣、原子力安全・保安院長、原子力安全委員会委員長、東電社長、そして福島第一原発の所長の行動・判断を一つひとつ検証しなかったことだ。772人もの関係者から聴き取りをおこなったのに、「個人の責任を追及しない」との方針を掲げたため、事故の本質に深く切りこめなかった。政府や電力会社がいま、再稼働に向け、防潮堤のかさ上げやフィルターベントの取り付けなど設備の増強に走るのは、政府事故調が分析・検証を現象面にとどめたからと言っても過言でない。 未曽有の原子力事故に立ち向かった人間の声は、歴史に刻まなければならない。歴史は人類共通の財産である。第1回の聴取の際、政府事故調は「お話しいただいた言葉がほぼそのままの形で公にされる可能性があるということをお含みいただいて、それでこのヒアリングに応じていただきたいと思います」と説明した。吉田氏は「結構でございます」と即答したことをここに記す。(宮崎知己)

 全9回で報告
 朝日新聞デジタルでは20日から、今回入手した調書を分析・検証した特集企画「吉田調書 福島第一原発事故、吉田昌郎所長の語ったもの」を配信していきます。政府事故調が吉田氏から聴取しながら報告書ではほとんど言及しなかった「人の行動、判断」の部分に焦点をあて、「原発は誰が止めるか」「住民は避難できるか」「ヒトが止められるか」を考えます。調書の分析・検証にあたっては、東電テレビ会議録、時系列表、および別途入手した東電の内部資料を読み込み、各方面を取材しました。朝日新聞では、吉田調書でわかった新事実を報道します。

 プロローグ

 第1章 原発は誰が止めるか
• 1. フクシマ・フィフティーの真相「非常事態だと私は判断して、一回退避しろと」
• 2. ここだけは思い出したくない「チャイナシンドローム…ああいう状況になってしまう」
• 3. 誰も助けに来なかった「ものすごい恨みつらみが残っていますから」

 第2章 住民は避難できるか
• 1. 真水か海水か「あの、もう、水がさ、なくなったからさ」
• 2. 広報などは知りません「プレスをするか、しないか、勝手にやってくれ」

•  暴走する原発を止める責務はいったい誰が負っているのか。その人間はいよいよ原発が破裂しそうになったときは逃げてもよいのか。原発の挙動を知ることができない都道府県知事任せで住民はうまく避難できるのか。そもそも人間に暴走を始めた原発を止める能力はあるのか。事故収束作業における自らの行動、判断を反省も交えて語った福島第一原発の事故時の所長、吉田昌郎。吉田の言葉を知ると、ことの真相を知ろうとせず、大事なことを決めず、再び原発を動かそうとすることがいかに大きな過ちであるかに気付く。

 東日本大震災発生から4日目の2011年3月15日午前6時15分ごろ、東京電力福島第一原発の免震重要棟2階にある緊急時対策室。所長の吉田昌郎が指揮をとる円卓に、現場から二つの重大な報告がほぼ同時に上がってきた。 2号機の「サプチャン」すなわち原子炉の格納容器下部・圧力抑制室の圧力がゼロになったという知らせと、爆発音がしたという話だった。――― 2号機とは限らないんですが、3月15日の6時から6時10分ころ、その前後の話なんですが、このとき、一つは2号機の圧力抑制室の圧力が急激に低下してゼロになる。それから、このころ、何か。吉田「爆発音ですね」。――― 音があったと。これは免震重要棟から聞こえたり、感じたりしましたか。衝撃なり音なりというのを。吉田「免震重要棟には来ていないんです。思い出すと、この日の朝、菅総理が本店に来られるということでテレビ会議を通じて本店とつないでいたんです。我々は免震重要棟の中でテレビ会議を見ながらということでおったら、中操から、あのとき、中操にたまたま行っていたのかよくわからないですけれども、その辺は発電班の班長に聞いてもらった方が、記憶にないんですけれども、要するに、パラメーターがゼロになったという情報と、ぽんという音がしたという情報が入ってきたんですね。免震重要棟の本部席に」。「私がまず思ったのは、そのときはまだドライウェル圧力はあったんです。ドライウェル圧力が残っていたから、普通で考えますと、ドライウェル圧力がまだ残っていて、サプチャンがゼロというのは考えられないんです。ただ、最悪、ドライウェルの圧力が全然信用できないとすると、サプチャンの圧力がゼロになっているということは、格納容器が破壊された可能性があるわけです。ですから保守的に考えて、これは格納容器が破損した可能性があるということで、ぼんという音が何がしかの破壊をされたのかということで、確認は不十分だったんですが、それを前提に非常事態だと私は判断して、これまた退避命令を出して、運転にかかわる人間と保修の主要な人間だけ残して一回退避しろという命令を出した」。

 「1F」すなわち福島第一原発では、2号機の暴走を抑えようと懸命の努力が続けられていた。2号機は前日14日昼以降、状態が急激に悪くなっていた。特に原子炉格納容器の圧力上昇への対応は急を要していた。なんとか「ベント」という格納容器の中の気体を外に放出する操作をやって、破裂をふせぎたい。さらに、圧力容器の圧力を下げたうえで消防車を使って炉に水を注ぎ込み、核燃料を冷やしたい。15日午前1時すぎ、ベントがうまくいって、原子炉への注水もできたようだという知らせがきた。だが、およそ2時間後の午前3時12分にはこれを打ち消すような知らせが現場から上がってきた。「炉への注水はできてないと推測している」。1、2号機の中央制御室「中操」で運転員を束ねる当直長からだった。炉に水が入らない状態が続くと、中の核燃料が、自ら発する高熱でどろどろになって溶け落ちる。さらに手をこまねいていると、原子炉圧力容器の鋼鉄製の壁を、続いて格納容器のやはり鋼鉄製の分厚い壁を突き破り、我々の生活環境に出てきてしまう。――「保守的に考えて、これは格納容器が破損した可能性がある」。そんな懸念が持ち上がる状況のもとに飛び込んできた圧力ゼロと爆発音という二つの重大報告。これらが、2号機の格納容器が破壊されたのではないかという話に結びつけられるのは当然の成りゆきだった。格納容器が破れると、目と鼻の先にいる福島第一原発の所員720人の大量被曝はさけられない。「2F」すなわち福島第二原発へ行こうという話が飛び出した。午前6時21分、まず各号機の中央制御室につめている運転員に、免震重要棟に避難するようにとの命令が出た。少しでも被曝の量を減らすためだ。22分には所員全員に活性炭入りのチャコールマスクの着用が命じられた。空気中に漂う放射性物質を口や鼻から吸い込まないようにするためだ。27分、退避の際の手続きの説明がスピーカーで始まった。 ここで、現場から2号機の格納容器の破壊を否定するデータがもたらされた。吉田がいる免震重要棟の緊急時対策室内の放射線量が、毎時15~20マイクロシーベルトとあまり上昇していないことだった。吉田「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰って来てくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」。――― そうなんですか。そうすると、所長の頭の中では、1F周辺の線量の低いところで、例えば、バスならバスの中で。吉田「いま、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して」。――― 最初にGMクラスを呼び戻しますね。それから、徐々に人は帰ってくるわけですけれども、それはこちらの方から、だれとだれ、悪いけれども、戻ってくれと。吉田「線量レベルが高くなりましたけれども、著しくあれしているわけではないんで、作業できる人間だとか、バックアップできる人間は各班で戻してくれという形は班長に」。午前6時30分、吉田はテレビ会議システムのマイクに向かって告げた。「いったん退避してからパラメーターを確認する」。各種計器の数値を見たいというのだ。
 続いて32分、社長の清水正孝が「最低限の人間を除き退避すること」と命じた。清水は、つい1時間ほど前に東電本店に乗り込んできた首相の菅直人に、「撤退したら東電はつぶれる」とやり込められたばかりだ。33分、吉田は清水の命令を受け、緊急時対策室にいる各班長に対し、この場に残す人間を指名するよう求めた。34分、緊急時対策室内の放射線量について「変化がない」とのアナウンスがあった。格納容器上部、ドライウェルの圧力が残っているということは、格納容器が壊れたことと明らかに矛盾する。それよりなにより、緊急時対策室の放射線量がまったく上がっていないことをどう評価するか……。吉田は午前6時42分に命令を下した。「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後、本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」。格納容器破壊は起きていないだろうが、念のため現場の放射線量を測ってみる。安全が確認されるまで、最低限残す所員以外は福島第一原発の構内の放射線量が低いエリアで待つ。安全が確認され次第戻って作業を再開するように。これが吉田の決断であり、命令だった。

 放射線量が測られた。免震重要棟周辺で午前7時14分時点で毎時5ミリシーベルトだった。まだ3号機が爆発する前の3月13日午後2時すぎと同程度だった。吉田の近場への退避命令は、的確な指示だったことになる。ところがそのころ、免震重要棟の前に用意されていたバスに乗り込んだ650人は、吉田の命令に反して、福島第一原発近辺の放射線量の低いところではなく、10km南の福島第二原発を目指していた。その中にはGMクラス、すなわち部課長級の幹部社員の一部も入っていた。一部とはいえ、GMまでもが福島第二原発に行ってしまったことには吉田も驚いた。吉田「20~30分たってから、4号機から帰ってきた人間がいて、4号機ぼろぼろですという話で、何だそれはというんで、写真を撮りに行かせたら、ぼこぼこになっていたわけです。当直長は誰だったか、斎藤君か、斎藤当直長が最初に帰って来て、どうなのと聞いたら、爆風がありましたと。その爆風は3、4号機のサービス建屋に入ったときかどうか、そんな話をして、爆風を感じて、彼は入っていくか、出ていくかだったか、帰りに見たら、4号機がぐずぐずになっていて、富田と斎藤が同じだったかどうか、私は覚えていないんだけれども、富田と斎藤から後で話を聞いたら、ぼんと爆風を感じた時間と、2号機のサプチャンのゼロの時間がたまたま同じぐらいなので、どちらか判断できないというのが私がそのときに思った話で。だけれども、2号機はサプチャンがゼロになっているわけですから、これはかなり危ない。ブレークしているとすると放射能が出てくるし、かなり危険な状態になるから、避難できる人は極力退避させておけという判断で退避させた」。

 福島第二原発への所員の大量離脱について、東電はこれまで、事故対応に必要な人間は残し事故対応を継続することは大前提だったと、計画通りの行動だったと受け取られる説明をしてきた。外国メディアは残った数十人を「フクシマ・フィフティー」、すなわち福島第一原発に最後まで残った50人の英雄たち、と褒めたたえた。しかし、吉田自身も含め69人が福島第一原発にとどまったのは、所員らが所長の命令に反して福島第二原発に行ってしまった結果に過ぎない。所長が統率をとれず、要員が幹部社員も含めて一気に9割もいなくなった福島第一原発では、対応が難しい課題が次々と噴出した。まず、爆発は、2号機でなく、無警戒の4号機で起きていたことがわかった。定期検査中で、核燃料が原子炉内でなく燃料プールに入っている4号機の爆発は、原発の仕組みを知る世界の人を驚かせた。燃料プールは圧力容器や格納容器のような鋼鉄製の容器に守られておらず、仮に核燃料が自らの熱で溶けるようなことがあれば、放射性物質をそのまま直に生活環境にまき散らすからだ。しかも燃料プールには膨大な量の核燃料があった。後になって、4号機の燃料プールの核燃料は溶けておらず、爆発の原因は3号機から流入した水素と疑われることになるが、午前9時39分には火災の発生が確認され、米軍から回してもらった消防車で消そうとするなど騒ぎとなった。――「注水だとか、最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした」。2号機もおとなしくしていなかった。午前8時25分、2号機の原子炉建屋から白煙が上がっているのが確認された。45分には湯気が見られた。午前9時45分には原子炉建屋の壁についている開放状態のブローアウトパネルから大量の白い湯気が出ているのが確認された。午前10時51分には原子炉建屋で大量のもやもやが確認され、原子炉建屋の放射線量は150~300ミリシーベルトと報告された。白いもや、湯気、白煙は、1号機と3号機が爆発する少し前に見られたことから、東電は原子炉格納容器内の気体が漏れ出す兆候として最も警戒していた事象だ。福島第一原発の西側正門付近で測った放射線量の時系列をたどると、爆発音が聞こえた午前6時台は73.2~583.7マイクロシーベルトだった。それが所員の9割が福島第二原発に行ってしまった午前7時台に234.7~1390マイクロシーベルトに上昇した。4号機が爆発していたことがわかり、騒然としていた午前8時31分に8217マイクロシーベルト、そして午前9時ちょうど、今回の事故で最高値となる1万1930マイクロシーベルトを観測している。

 吉田は部下が福島第二原発に行く方が正しいと思ったことに一定の理解を示すが、放射線量の推移、2号機の白煙やゆげの出現状況とを重ね合わせると、所員が大挙して所長の命令に反して福島第二原発に撤退し、ほとんど作業という作業ができなかったときに、福島第一原発に本当の危機的事象が起きた可能性がある。28時間以上にわたり吉田を聴取した政府事故調すなわち政府が、このような時間帯に命令違反の離脱行動があったのを知りながら、報告書でまったく言及していないのは不可解だ。東電によると、福島第二原発に退いた所員が戻ってくるのはお昼ごろになってからだという。吉田を含む69人が逃げなかったというのは事実だとして、4基同時の多重災害にその69人でどこまできちんと対応できたのだろうか。政府事故調も東電もほとんど情報を出さないため不明だ。この日、2011年3月15日は、福島第一原発の北西、福島県浪江町、飯舘村方向に今回の事故で陸上部分としては最高濃度となる放射性物質をまき散らし、多くの避難民を生んだ日なのにである。(文中敬称略)
第1章2節「ここだけは思い出したくない」に続く
 
 東日本大震災発生3日後の2011年3月14日午後6時。福島第一原発2号機は、重大な危機にさらされていた。1号機、3号機でも手こずった原子炉格納容器のベントが、2号機では本当にどうやってもできなかった。原子炉の中心部である圧力容器の水蒸気を逃がす「SR弁」を人為的に開けて、圧力が下がったところで消防車で注水し原子炉を冷やす試みも、なかなかうまくいかなかった。―― この後ぐらいに、要するに、SR弁がなかなか開かないというところから、夜に行くぐらいのころ、本店も含めてなのかどうかはともかく、実際の退避は2Fの方に行っていますけれども、退避なども検討しなければいけないのではないかみたいな話というのは出ていた? 吉田「出ています、というか、これは、あまりに大きい話になりますし、そこでうちの本店から言ってきたわけではなくて、円卓で言いますと、円卓がありますけれども、廊下にも協力企業だとかがいて、完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。ここで何回目かに死んだと、ここで本当に死んだと思ったんです」。「これで2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出ていってしまう。そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。チェルノブイリ級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう。そうすると、1号、3号の注水も停止しないといけない。これも遅かれ早かれこんな状態になる」。

 2号機ではいったん13日に、格納容器から排気塔につながるベントライン上の弁を二つとも開け、いつでもベントできる状態にしていたのだが、14日午前11時1分の3号機の爆発で、うち一つが閉じて、開かなくなってしまった。午後4時15分に原子力安全委員会委員長の班目春樹から直接電話があり、ベントができないなら原子炉圧力容器のSR弁をすぐに開けろと言われた。が、これも作業を始めてから1時間たったが開かなかった。ベントの弁と同様、平素は簡単な操作で開くのだが、125ボルトの直流電源を供給するバッテリーが上がってしまったのか、うんともすんとも言わなかった。福島第一原発では、所員の自家用車からはずしてきたり、福島県内のカー用品店で買ってきたりして、12ボルトの自動車用バッテリーをかき集めていた。東電本店や、新潟県の柏崎刈羽原発などほかの発電所からも送ってもらった。それらを10個直列につないで120ボルトのバッテリーにして装着してみたがうまくいかない。――「ここで何回目かに死んだと、ここで本当に死んだと」。10個では電圧が定格より5ボルト足りないからと11個つなぎにすれば良いのではないか、いや、これは電圧でなく電流が足りないから120ボルトのバッテリーをもう1セットつくり、2セットを並列つなぎにしたほうがいいのではないか、と試行錯誤を繰り返したがなかなか開かなかった。このままSR弁が開かないと圧力容器内の圧力は高止まりし、消防車の低いポンプ圧力では、いつまでたっても炉に水を注ぎ込むことができない。早く水を入れて冷やさないと、炉はますます高温高圧になる。水が蒸発して水位が下がり、核燃料が水面から顔をのぞかせることになる。核燃料は水からむき出しになると、そこから2時間で自らが発する高熱で溶け落ちる。いわゆるメルトダウンだ。さらに2時間で圧力容器の壁を溶かして穴を開けてしまう。メルトスルーと呼ばれる事態だ。

 2号機の状況をめぐるやりとり

 吉田が口にした「チャイナシンドローム」とは、アメリカの原発がメルトスルーし、高温でどろどろになった核燃料が格納容器をも突き破り、接するものを次々と溶かしながら、重力により地球の中心に向かい、さらに突き進んでちょうど地球の裏側の中国に到達するという仮想の話を主題にした、ジェーン・フォンダ主演の米映画の名前だ。そこまでの惨事となるかどうかはともかく、打つ手がない以上、2号機はメルトスルーに向かっていく。格納容器が破られれば、プルトニウム、ウラニウム、アメリシウムなど猛毒の放射性物質が、生活環境に大量にばらまかれる。その際には膨大な量の放射線が所員を一気に大量被曝させるであろう。吉田は、となると、1号機と3号機も原子炉の冷却作業ができなくなり、3機ともメルトスルーするという恐ろしい事態が起きてしまうと思い、ある行動に出た。

 吉田「そうなると、結局、ここから退避しないといけない。たくさん被害者が出てしまう。もちろん、放射能は、今の状態より、現段階よりも広範囲、高濃度で、まき散らす部分もありますけれども、まず、ここにいる人間が、ここというのは免震重要棟の近くにいる人間の命にかかわると思っていましたから、それについて、免震重要棟のあそこで言っていますと、みんなに恐怖感与えますから、電話で武藤に言ったのかな。一つは、こんな状態で、非常に危ないと。操作する人間だとか、復旧の人間は必要ミニマムで置いておくけれども、それらについては退避を考えた方がいいんではないかという話はした記憶があります」。「その状況については、細野さんに、退避するのかどうかは別にして、要するに、2号機については危機的状態だと。これで水が入らないと大変なことになってしまうという話はして、その場合は、現場の人間はミニマムにして退避ということを言ったと思います。それは電話で言いました。ここで言うと、たくさん聞いている人間がいますから、恐怖を呼びますから、わきに出て、電話でそんなことをやった記憶があります。ここは私が一番思い出したくないところです。はっきり言って」。ここで吉田がとった行動は、東電の首脳と、官邸にいる首相補佐官細野豪志に直接、2号機の惨状を伝え、所員の引き揚げを考える時期がきていると意見することだった。テレビ会議システムを使うと、緊急時対策室にいる所員全員に聞かれるので、廊下に出て、携帯電話で密かに報告した。退避命令に関しては、実は吉田は今回の福島原発事故の収束作業中、何度か発している。爆発や放射線被曝から所員を守らなければいけないと考えたときだ。例えば3月14日朝に3号機の格納容器の圧力が急激に上昇したとき、吉田はテレビ会議システムを使って、「何もできなくなっちゃうんですけども、現場の作業員、うちの社員、一回こちらに退避させてよろしいですか」と了解を求めたうえで、退避命令を出している。それが、今回の局面では、携帯電話で東電本店と官邸にこっそり伝えた。吉田の不安は極限にあったと言っていい。――― それに対して、おふた方、武藤さんなり、本店側の人間に対して電話したときの向こうの反応はどうでした? 吉田「別にどうということではなくて、そういう状況かということなんです。それでOKだとか、そうではないとかいう話ではないんですけれども、私は、そういう危険があるよと、わかったと、そういう感じなんですね。私の行動としては、廊下にいた協力企業の方のところに行きまして、みんな、よくわからないでぼーっと見るなりしていますから、この人たちを巻き込むわけにいかないと思って、一生懸命やってきましたけれども、非常に大変な状況になってきて、みなさん、帰ってくださいと。退避とは言わないです。帰ってくださいと。帰っていただければというお話をして、あとはこっちに戻って来て、こっちも声なかったですよ。その時点で。あとは待つだけですから。水が入るかどうか、賭けみたいなものですから。それだけやったら、あとはほとんど発言しないで、寝ていました。寝ていたというか、茫然自失ですよね」。――― それは、SR弁がなかなか開かないとか。吉田「開いたんです。開いたんですが、なかなか圧が下がらないところから、SR弁を開けるところはまだ操作ですから、何やっているんだ、どうなっているんだとなるんですけれども、SR弁が開いたにもかかわらず、圧が落ちない。そら、見たことかと。結局、サプチャンのほうが高いですからね。落ちないんではないかと。落ちないで、燃料がどんどん水位が下がっていっているなと」。「もう一つは、あまり時間がなかったものですから、ポンプが、消防車の燃料がなくなって、水を入れるというタイミングのときに、炉圧が下がったときに水が入らないと。そこでもまたがくっと来て、入れに行けという話をしていまして、これでもう私はだめだと思ったんですよ。私はここが一番死に時というかですね」。

 午後6時、2号機のSR弁がようやく開き、しばらくして炉の圧力が下がり始めた。これで消防車による注水が可能になると所員は安堵の雰囲気に包まれた。が、喜びは束の間だった。午後6時28分、こともあろうに、消防車が燃料切れを起こして注水できていないとの報告が入った。SR弁が1時間半の格闘の末にようやく開き、炉が減圧し始めたのに、これでは燃料の軽油を補給するまで炉に水は一滴も入らない。所内には「最後これかい、って感じだなあ」との声が飛んだ。おまけに軽油を消防車への補給のため運ぼうとした小型タンクローリーがパンクで動けないとの情報も入った。緊迫の度合いを深めた福島第一原発で吉田は、官邸と東電本店に2号機の状況を報告した後、下請けの協力会社の人たちに福島第一原発から離れるよう勧め始めた。―「寝ていたというか、茫然自失ですよね」。東電本店も、福島第一原発の所員を福島第二原発に移動する手配を開始した。所員の数の確認をおこない、一度にバスで全員運べるかの計算も始めた。午後7時40分、「東電のバスはですね、マイクロが20人乗りが2台、中型が1台、30人乗り」「そのほかに構内のバスが7台ありますが、運転手は何人いるか、ちょっといま確認中です」と報告された。東電本店は、福島第二原発での受け入れ態勢づくりと、吉田が指揮を執る福島第一原発の緊急時対策室を、福島第二原発に移す作業も始めた。午後8時17分、福島第二原発の所長、増田尚宏は次のように知らせてきた。「2Fのほうは、えっと、1Fからの避難者のけが人は正門の脇のビジターズホールで全部受け入れます。そして、それ以外の方は全部、体育館に案内します」。「緊対を我々の2Fの4プラント緊対と、えっと、1Fから来た方が使える旧の緊対と、緊対を二つに分けて用意しておきますんで、そこだけ、本店側は、その両方の使い分けをしてください」。しかし、東電は結局、3月14日夜は福島第二原発行きを実行しなかった。社長の清水正孝は午後8時20分に「あのう、現時点でまだ最終避難を決定しているわけではないということをまず確認してください。えー、それでいま、あのう、しかるべきところと確認作業を進めております」と発言している。その、しかるべきところとの調整がつかなかったのだ。

 最終避難について話す清水正孝社長

 危機に立ち向かって原発事故を抑え込む、原子力災害抑止隊と呼べるような組織は存在しない。自衛隊は、国の平和と安全に重要な影響を与える事態や大規模な災害に対し、迅速かつ的確に対処し得るような即応態勢を維持、向上させているというが、関連機関との連携が前提で、自分たちは原発を制御する技術や知識を持っていない。原子炉を制御して事故を収束にもっていける者は、電力会社員以外にはいない。だが、福島第一原発が起きる前も今も、彼らの行動をしばる規定はない。しばることの是非が声高に議論されたこともない。

 第1章3節「誰も助けに来なかった」に続く


 東日本大震災発生3日後の2011年3月14日午前11時01分、福島第一原発の3号機が爆発した。分厚いコンクリート製の建屋を真上に高々と吹き飛ばしたところを無人テレビカメラに捉えられ、ただちに放映された、あの爆発だ。――― 水が欲しいときっとなるだろうから、そうだったら、何はともあれ外との間のパイプラインをつくってしまえという指示をどこかで出したのかなと思っていたんですが、パイプラインを何でもいいからつくってくれと、そんなことまでは頭が動かないのか、それとも、言っても先ほどのように。吉田「それはわからないです。私はこの中にいましたので、外からどういう動きをしていたかはちっともわからないんで、結果として何もしてくれなかったということしかわからない。途中で何かしてくれようとしていたのかどうか、一切わかりません」。――― わかりました。私はそこまででいいです。吉田「逆に被害妄想になっているんですよ。結果として誰も助けに来なかったではないかということなんです。すみません。自分の感情を言っておきますけれども、本店にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているのにもかかわらず、実質的な、効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから」。――― それは誠にそうだ。結果として誰も助けに来てくれなかった。吉田「後でまたお話が出ますが、消防隊とか、レスキューだとか、いらっしゃったんですけれども、これはあまり効果がなかったということだけは付け加えておきます」。

 3月12日午後の1号機の爆発に続き、日本史上2度目の原発の爆発も、ここ福島第一原発で起きてしまった。外で作業にあたっていた人が怪我をした。当時、原子炉への注水は、3号機の海側にある逆洗弁ピットというくぼみにたまった海水を、消防車で汲み上げておこなっていた。その屋外作業に大勢がかかわっていた。また、自衛隊がちょうど給水車で原子炉に入れる水を補給しにきていた。作業をしていた6人は被曝し、何人かは怪我もした。福島第一原発では所長の吉田昌郎以下、所員の落ち込みようは激しかった。吉田はサイト、すなわち発電所のみんなの声を代弁し、午後0時41分、テレビ会議システムを使って、声を詰まらせて東電本店に次のように訴えた。「こんな時になんなんだけども、やっぱり、この……、この二つ爆発があってですね、非常にサイトもこう、かなりショックっていうか、まあ、いろんな状態あってですね」。社長の清水正孝の答えは、次のようなものだった。「あの、職員のみなさま、大変、大変な思いで対応していただいていると思います。それで、確かに要員の問題があるんで、継続につき検討してますが、可能な範囲で対処方針、対処しますので、なんとか、今しばらくはちょっと頑張っていただく」。東電本店はヒトだけでなくモノの面でも福島第一原発を孤立させていた。福島第一原発では、いまや原子炉の冷却の主軸である消防車のポンプを回すための軽油も、中央制御室の計器を動かすのに必要な電気を発電するためのガソリンも、ベントなどの弁を開けるのに必要なバッテリーも足りなかった。所員はこれらの必要物資を、10km離れた福島第二原発、20km南のスポーツ施設Jヴィレッジ、場合によっては50km南の福島県いわき市の小名浜コールセンターまで取りに行っていた。東電本店は福島第一原発まで運ぶよう運送業者に委託するのだが、3月12日に1号機が爆発し、避難指示の区域が拡大してくると、トラックがその手前までしか運んでくれなくなったのだ。トラック業者だけでない。福島第一原発は、同じ東電の福島第二原発からガソリン入りのドラム缶をもらうときも、中間地点にあるコンビニエンスストア、通称「三角屋のローソン」や、ホームセンター「ダイユーエイト」の駐車場にそれぞれが運搬車で乗り付けて、引き渡してもらっていた。福島第二原発としては、福島第一原発に直接行ってしまうと、運搬車が放射性物質に汚染され、除染しないと乗って帰れなくなるからだった。

――― この注水の作業なんかについては、消防車の運転操作なんかの委託をしていた、日本原子力防御システムですかね、そういうところだとか、南明興産というところですね、こういうところも協力していただいている? 吉田「最初は協力してくれる」。――― 途中からは。吉田「線量が出てから」。――― 線量が上がり過ぎて、その人たちの作業はできなくなったと。それ以降は、東電の。吉田「自衛で」。――― その自衛消防隊の方だけでやっていたんですか。吉田「はい。何人か奇特な方がいて、手伝ってくれたようなことは聞いているんですけれども」。――― それは。吉田「南明さんとかですね。ほとんど会社としては退避されたような形で、個人的に手伝ってといったらおかしいんですけれども、そういうことは聞いております」 (中略)。――― 3月16日以降とかは、がれきの整理などのために、例えば、がれき撤去のための作業用の車両みたいなもの、ブルドーザーなり何なり、そういうものは届いていたんですか。吉田「バックホーが数台もともとこちらにあったのと、間組さんがどこかから持ってきてくれて、主として最初のころは間組なんです。土木に聞いてもらえばわかりますけれども、間組さんが線量の高い中、必死でがれき撤去のお仕事をしてくれていたんです」。――― これは何で間組なんですか。吉田「たまたま、私もよくわかりません。そのときは線量が高いんですけれども、間組が来てくれたんです」。――― この辺周辺の撤去などの作業をしてくれたんですか。吉田「それもやりましたし、6号への道が途中で陥没したりしていたんです。その修理だとか、インフラの整備を最初に嫌がらずに来てくれたのは間組です。なぜ間組に代わったかというのは知らない。結果として間組がやっているという状況だったので、たぶんいろいろお話をして、一番やろうという話をしてくださったんだと思います」。

 「どあほ」と叫ぶ吉田昌郎所長

 東日本大震災発生当日の2011年3月11日午後9時44分、新潟県にある東電柏崎刈羽原発を1台の化学消防車が福島に向けて出発した。消防関係の業務を東電から請け負っている南明興産という会社の社員3人が乗っていた。交流電源をすべて失った福島第一原発で、原子炉を緊急に冷やすポンプがすべて使えない状態になっていた。吉田らが代わりに思いついたのは、消防車を使って外から原子炉に注水する方法だった。過酷事故時の対応を定めたアクシデント・マネジメント・ガイドには書かれていない世界初の試みだ。ところが、福島第一原発の消防車3台のうち、使えるのは1台だけだった。1台は津波にやられ、もう1台は構内道路がやられて1~4号機に近づけないところにあった。消防車を操れる人間はもともとごく少数。それもそのはず、東電の社員は誰も消防車を運転したことがない。ホースを消火栓につないだり、ホースとホースをつなぐなどの消防車周りの作業もしたことがない。南明隊は到着するやいなや、あちこちにかり出された。――「実質的な、効果的なレスキューが何もない」。福島第一原発では、消防車から原子炉への注水の経路がめまぐるしく変わった。防火水槽やタンクの淡水を入れていたかと思うと、次は逆洗弁ピットというくぼみにたまった海水を入れる。その次は海の水を直接汲み上げて入れる。そのたびに消防車を動かし、ホースをつなぎ変えた。南明隊は途中、東電の要請で部隊増強を図った。消防車周りの仕事はたいてい屋外作業となる。そのため、常に高い値の放射線にさらされたし、1号機や3号機が爆発した時はがれきの雨に打たれた。吉田も気遣ってはいたが、なにせ彼らの代わりができる人間が東電にいなかった。一方、がれきの撤去作業では、一部のゼネコンが一肌脱いだ。福島第一原発では15日以降、各号機の核燃料プールの冷却が大きな課題になっていた。特殊な消防車で地上から放水することが考え出されたが、がれきが、各号機へ消防車が近づくことを拒んでいた。がれきは、1、3、4号機の相次ぐ爆発で発生したもので、がれき自体が高い値の放射線を発していた。それを人と重機を投入して片付けた。これもまた高い値の放射線量のもとでやってのけた。

 ――― こういう爆発があって、例えば3月13日とか14日というのは、保安院の方というのはどうなんですか。吉田「よく覚えていないんですけれども、事象が起こったときは、保安院の方もみんな逃げて来て、免震重要棟に入られたんです。それから即、オフサイトセンターができたので、オフサイトセンターに全部出ていった。私の記憶がなかったので、先ほどDVD議事録を見ていたら、武藤が途中で大熊にあったときのオフサイトセンターから保安検査官をこちらに送り込むという話はあったんです。結局あれは14日だったんですけれども、来られなかったんです」。――― 来なかったんですか。吉田「はい。私は記憶がないんだけれども、今みたいに24時間駐在で来られるようになったのは、もうちょっと後だと思います」。――― 保安院の方が来られると、例えば情報を得ようと思ったら緊対室に来ますね。吉田「はい」。――― そのときというのは、所長に何かあいさつなりというのは、向こうからするんですか。そのまま本部の円卓の辺りにいるんですか。吉田「我々別に保安検査官を拒絶するつもりもないし、来られるようなときに来られればよくて、彼らは保安院の制服を着ていらっしゃいますから、いらっしゃるということで、ごく普通に会議の中に入ってもらえばいい、という形で対応しています」。――― それは円卓に保安院用の席があるんですか。吉田「もともとはなかったんです。そんな話があって、保安院の人に座っていてもらえという話をしたんです」。――― それはいつごろですか。吉田「最初に武藤から電話があって、保安院さんが来るという話のときに、短期間で1回来られたかも知れないんです。14日ごろにね。そんな記憶もあるんです。ちょこっといらっしゃった。オフサイトセンターが福島に引き揚げるとなったときに、みんな福島に引き揚げられて、結局、16日、17日ぐらいまで、自衛隊や消防がピュッピュやっているときはいなかったような気がするんです」。――― サイト内に来られたとすれば、例えば保安院の事務所の方にずっといるわけではないんですか。吉田「住むところは免震棟しかないわけですから、事務所には行きようがないんです。線量もあるし、被曝もあるしね」。

 各原発には、原子力安全・保安院、今なら原子力規制庁に所属する原子力保安検査官が、常駐する制度になっている。 東日本大地震発生時、福島第一原発内にも当然いて、地震後一時、免震重要棟に入っていた。だが、しばらくして南西5kmのところに福島オフサイトセンターが立ち上がると、そこへ移動した。2日後の3月13日午前6時48分、そのころオフサイトセンターに詰めていた東電原子力担当副社長の武藤栄が、吉田に、保安検査官が福島第一原発に戻ると連絡してきた。 「保安院の保安検査官が、そちらに4名常駐をしますと。12時間交替で1時間ごとに原子炉水などプラントデータを、報告をするということになります」。吉田は即座に「保安検査官対応!」と受け入れ態勢を整えるよう部下に指示した。保安検査官はその後しばらくしてやって来たが、3月14日夕方、2号機の状況が急激に悪化するとまたオフサイトセンターに帰ったとみられる。そして、15日朝、オフサイトセンターが原発から60km離れた福島市へ撤収すると、いっしょに行ってしまった。――「みんな福島に引き揚げられて」。一方、原発から5km離れたところにあるそのオフサイトセンターだが、原発事故があったら、10以上の省庁から40人超が集まり、原発や周辺自治体と連携して、情報を収集・発信する拠点になると定められていた。甲状腺がんを防ぐ安定ヨウ素剤の配布指示でも大きな役割を担っていた。それなのに、今回の事故では半数強しか来なかった。班が七つ立ち上がり、それぞれが班長の指揮のもと作業にあたることになっていたのだが、班長が3月末近くまで来ない班もあった。最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる唯一の組織である電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。これが多くの震災関連死の人を出し、今もなお13万人以上に避難生活を強いている福島原発事故の収束作業の実相だ。

 第2章1節「真水か海水か」に続く


 ★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評14 」の初心に帰るお天道様に恥じない生き方氏の2014.5.25日付投稿「さすがは吉田所長「吉田調書」を悪用されることにあらかじめ釘を刺す、聞いてるか?朝日よ!」。
 非公表求める元所長の上申書公開
 引用 NHK 5月23日 18時23分
 政府は、東京電力福島第一原子力発電所の事故で、現場で指揮に当たった吉田昌郎元所長が、政府の事故調査・検証委員会に対して応じた聴取結果を公表しないよう求めた上申書を公開しました。東京電力福島第一原子力発電所の事故で、政府の事故調査・検証委員会は、平成23年5月以降、現場で指揮に当たった吉田昌郎元所長を含む772人に対して事故当時の状況などを聴取しましたが、政府は非公開を前提に協力を得たものだとして、聴取結果を公表していません。しかし、吉田氏の聴取結果とされる内容が一部で報じられたことから、公表を求める声が出ていました。こうしたなか、政府は、吉田氏が政府の事故調査・検証委員会に対して応じた聴取結果を公表しないよう求めて、おととし5月に政府に提出した上申書を内閣官房のホームページに公開しました。吉田氏の上申書は、政府の事故調査・検証委員会に宛てたもので、聴取の結果を、国会の事故調査委員会に提出することは認めるものの、「国会事故調が内部で調査のために用いるかぎりにおいて開示を承諾するものであり、第三者に向けて公表されることは望みません」として、厳格な管理を求めています。その理由について、吉田氏は「自分の記憶に基づいて率直に事実関係を申し上げたが、時間の経過に伴う記憶の薄れ、記憶の混同などによって、事実を誤認してお話している部分もあるのではないかと思う。そのため、申し上げた内容のすべてがあたかも事実であったかのようにして一人歩きしないだろうか、ほかの資料やお話ときちんと照らし合わせたうえで取り扱っていただいたのだろうかといった危惧も抱いている。これらの私の危惧を払拭(ふっしょく)していただけるよう、格別の配慮をしていただきたいと思っております」としています。公開した理由について、菅官房長官は午後の記者会見で「会見で何回か申し上げたが、なかなか吉田氏の意図が伝わっていなかったので、上申書を全体として公開してもご迷惑をかけないだろうという判断をさせていただいた」と述べました。
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 上申書 吉田昌郎
 引用
吉田調書

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 非公表を求める理由

 その1、感情的になって、勝俣や清水や官邸や保安院や経産省や御用学者の悪口を言ったから。その2、自分の記憶に基づいて率直に事実関係を申し上げたが、時間の経過に伴う記憶の薄れ、記憶の混同などによって、事実を誤認してお話している部分もあるのではないかと思う。そのため、申し上げた内容のすべてがあたかも事実であったかのようにして一人歩きしないだろうか、ほかの資料やお話ときちんと照らし合わせたうえで取り扱っていただいたのだろうかといった危惧も抱いている。その3、ひとたび第三者に漏洩したら、その影響は極めて大きく、自分の記憶違いやカン違いがあたかも事実と思われてしまう危険がある。

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 以上により、すでに朝日が2号機ドライベントを実は3号機でドライベントの危険があったが、それは行われずに、「大量被曝」はなかった。(だからみなさん、鼻血もなかった、甲状腺ガンもなかった、なにもないから、再稼動だ)と朝日は読売の反物質となって国民を逆洗脳していく。国民は読売と朝日に挟まれて、あたまが劣化ウラン状態となって、思考を失っていく。「吉田調書」がすでにそういう風に事実とは違う方向に悪用されだしている。吉田所長の危惧が現実化している。「東電テレビ会議」を全編公開すれば、リアルタイムですべての真実がわかるはずだ。全マスコミはそれを要求すべきなのだ。

 テレビ会議録画映像
 「原発事故で被曝者は3度だまされる」にならないように、注意しよう!!!


 さすがは吉田所長「吉田調書」を悪用されることにあらかじめ釘を刺す、聞いてるか?朝日よ! 原発はいますぐ廃止せよ
 http://pfx225.blog46.fc2.com/blog-entry-2238.html


 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK165」の赤かぶ氏の2014.5.25日付投稿「いわゆる「吉田調書」を暴露した真犯人は、彼らだろう!(wantonのブログ)」。

 いわゆる「吉田調書」を暴露した真犯人は、彼らだろう!
 http://ameblo.jp/64152966/entry-11860317344.html
 2014-05-25 11:39:18 wantonのブログ


 ネットゲリラさんのサイトより 2014年5月23日

 吉田調書で官邸が激怒
 http://my.shadowcity.jp/2014/05/post-4875.html

<一部転載>

 東電がみんな逃げ出して50人しか残らなかった、と暴露した「吉田調書」なんだが、「誰が流した?」と官邸が怒り狂って犯人探しに躍起になっているというんだが、「機密保護法施行後なら逮捕」なんていう声も出ていて、結局、機密保護法が「政府に都合の悪い情報流したら捕まえるぞ」というのが本質なのが明白ですねw まぁ、いくら被害が出ても、大本営発表では「我軍の損害は軽微ナリ」です。大本営に逆らう非国民は逮捕です。つうか、原発差し止めの判決出ちゃったから、裁判長を逮捕しなきゃw  福島第一原発事故のさなか、現場で何がおこったのかは謎だったが、この本を読んで、「まさに死ぬ寸前だったのか」と絶句した。すべて実名での証言をもとにしており、吉田所長が語った作品としては後にも先にもこれが最後だろう。あの時、日本は、「北海道」「(人の住めない)東北関東」「西日本」に三分割されるところだったという。背筋が寒くなるが、あの状況で現場にいた人間には、それが現実的なものとして見えていたはずだ。しかも確実に自分は死ぬ。「自分と一緒に死んでくれる人間の顔を思い浮かべる」覚悟があった彼らでなければ、あの原発事故はあそこで終わらなかっただろう。特に後半部分は涙がとまらなかった。原発作業員と家族・知人の思いに落涙しながらページをめくった。<転載終わり>

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 管理人

 昔、世間を賑わせた面白い話題がありました。将棋界の不倫を暴露したスクープでしたが、中原名人と女流棋士のやり取りを本人の林葉直子さんがテレビにリークして、かなりの注目を集めました。いゆわる、中原名人の・・・「今から、そちらの部屋に行きますよ。突撃ー!!!」ってやつです。恐らく、林葉さんは、師匠だった米長元名人に相談したのでしょう。林葉さんは、女流棋士になる前は米長さんの内弟子でしたから。ところが、その米長さんが、それをマスコミにリークしたという訳。これは、米長さんの子分であった直近の棋士の方から、直接、私が聞いた話なのでまず間違いないと思います。将来、米長さんが、将棋連盟の会長になるには、花のある人気棋士の中原さんは、目の上のコブだったらしいです。その為の、「次の一手」を放ったということです。しかし、その話を聞いた時には随分驚きました。だってそうでしょう。中原名人と米長さんは、大の親友として知られていた訳ですから。この件の当時の中心人物だった林葉直子さんも今は、肝硬変末期の症状だと御本人が打ち明けておられます。どうか、ご自愛下さいますように・・・


 さて、本題に戻ります。いわゆる「吉田調書」を暴露した真犯人も、自民党の中の身近にいる政治家が本命視されます。吉田調書に近づける人間は、限られて来る訳でして。無論、当の本人の政治家が直接やることはありません。系列の事務方の人間か、官僚の誰かにやらせたと考えられます。自民党といえども決して一枚岩ではありません。一体どういった種類の人間かというと、朝日新聞にスクープされたという点に大きなヒントがありそうです。朝日新聞といえば、憲法9条を護る立場に立っています。自民党の中にも、その立場の政治家は結構いる訳です。タカ派に対抗しているハト派と称される政治家ですね。その中の大物が、今回の「吉田調書」の仕掛け人だと私は考えています。個人的には、およその目星はついています。しかし、その名前は出す訳にはいきません。ここ最近も、ハト派の自民党議員、元議員の方々が、新聞紙上において、大きな懸念を表明する記事が続々と続いています。私は、記事の題名に真犯人と書きましたが、安倍政権側にとっての真犯人という意味で使いました。しかし、我々心ある国民にとっては、英雄と称えても良いと思います。決して、世に出て来なかったものを表に出してくれた功績は大変大きいと、皆さんも思っておられるはずです。今現在においては、この「吉田調書」を詳細に分析したり検証することも大変重要ですが、しかし、寧ろ、より多くの国民に拡散してまず知ってもらうことが一番大切だと、私は考えています。


 ここ最近の安倍総理の暴走ぶりには、目に余るものがあります。特定秘密保護法の制定、解釈改憲による独裁、集団的自衛権の法整備、~戦争への道を暴走機関車のごとく突っ走っています。その暴走機関車に誰かがブレーキをかけねば大変なことになる。我々、国民だけではなく、同じ自民党議員の中にも相当危機感を持っている方々がおられるのは当然ともいえます。亡霊のごとく甦った「吉田調書」は、安倍政権を倒すまでには到らないが、一定程度の打撃を与えるものにはなるでしょう。


 安倍晋三の強さの本当の秘密は、戦後からの戦争屋カルトの源流の直系にあたる人物だからです。かつて、天下の御意見番と称された、元衆院議員で警察庁長官でもあった後藤田正晴さんの側近に語ったとされる言葉の本当の意味が、今になって、嫌というほど実感として受け止められるようになりました。 「安倍晋三だけは、絶対に総理にしてはいけない!」。「吉田調書」が、世に出て来た意味も大変大きなものがありますが、その背景も知らなければ、「吉田調書」の本当の意味を知ることには決してならないと考え、記事にすることを決めました。今、大切なことは、とにかくこの「吉田調書」をなるべく多くの国民に拡散することです。知らないことは、大変な惨禍を生む最大の原因の一つとなりましょう。分析や検証は、個々ですれば良いのではないでしょうか。最後に、今回の一件はうやむやに終わると思います。或いは、とかげの尻尾きりに終わる公算が大です。本丸まで徹底追究しようとすると、報復として、その他の秘密まで暴露されて報復される可能性が高いからです。やったら、やられるのが、この世界の掟。恐らく、静かに幕を閉じることでしょう。 軍艦マーチが鳴り響く日は、そう遠くない。

コメント
 06. 2014年5月25日 23:48:09 : lInEUHTzJY
 「安倍晋三だけは、絶対に総理にしてはいけない!」といった人物が他にいましたよ。一期目の総理になる前、週刊誌で暴露していた。その人は、安倍の叔父に当たる人物で興銀の頭取を務めた西村という方だったと思う。(週刊誌は朝日と思っていたが、検索の結果、今では気持ち悪くて触りもしない週刊現代と思われます。・・・そのころはいい仕事をしていたようで・・その内容は、身内なのに相当厳しくて未熟とか経験不足とかではなくて、周りにいるうす汚い連中と手を切れといった内容でした。その組織の名は出ていませんでした。その話には後日談があって、2回目の取材の朝、病院であの世行きとなられました。たしかに高齢の方でしたが、取材の日の朝とは・・・・恐ろしい組織です。みなさん調べてみてください。安倍の本性がはっきりと語られています。必見、デス。
 07. 2014年5月26日 08:20:53 : oMi33HwyYg
 06さん、その週刊現代の記事が見つかりました。「彼は人は良いんだ。」という事は、小沢氏や亀井氏も言っておられましたね。でもそれは「だから取り巻きに流されやすい。」という事でもあるわけですね。叔父とは逆に耳障りの良い事をいう人ばかり集めている、ということなのでしょう。「晋ちゃんは人がいい。人がいいから、他人に利用されやすい。まだ若いから苦労が足りない。力のある秘書がいない。晋ちゃんを本当に支えてくれる人間が周りに見当たらない。だから、耳障りのいい話しか下から上がってこないんだろう。」と叔父の西村は心配する。「晋三が若いから、格好がいいから、人を集められるからと周りに囃し立てられて自民党総裁選に出るのだとしたら、それは大きな間違いだ。若さや格好良さだけで総裁を選んではならない。・・・今、晋三は他の総裁候補を圧倒し、40%前後の支持率を得ている。が、私の見たところ、そのうちの半分は晋三の人気に集まっているだけなんだ。」。親身に甥の行く末を案じる叔父は事態を冷静に見ている。大したバックもなく興銀のトップにまで登りつめた人物だけに世の習いをよく知っている。彼は常々、部下に「耳障りのいい話は上げるな、悪い話だけを上げてくれ」と言っていたという。そして、最近、晋三へあてた手紙で次のように書いたという。
「偏狭なナショナリストと離れろ。・・・『リメンバー・パール・ハーバー』の精神が生きている米国でも靖国神社は軍国主義の社(やしろ)と捉えられている。国家を誤らせる偏狭なナショナリストとは、一線を画すべきじゃないか。」
 http://blog.goo.ne.jp/fuku555siba/e/458b0f31c04e6fb3a5a77a7e960316a8

 「★阿修羅♪ > 原発・フッ素38 」の赤かぶ氏の2014.5.27日付投稿「海水注入止めたのは官邸の誰? 吉田氏「記憶が欠落」(朝日新聞)
 海水注入止めたのは官邸の誰? 吉田氏「記憶が欠落」
 http://www.asahi.com/articles/ASG5T7QVZG5TUUPI004.html?iref=comtop_6_03
 2014年5月27日05時41分 朝日新聞

 2011年3月13日、東京電力福島第一原発の吉田昌郎(まさお)所長は首相官邸から電話を受け、原子炉を傷める3号機への海水注入を断念して淡水に変更した。電話の相手は誰だったのか。東電が12年に開示した社内テレビ会議録で判明しなかった事実について、吉田氏は政府事故調査・検証委員会の聴取でも「記憶が欠落している」と答え、その人物の名を口にしていなかった。 海水注入を巡っては、吉田氏が12日夜、官邸にいた東電の武黒一郎フェローからの中止要請を無視して1号機で継続したことが知られているが、実は13日未明にも3号機を舞台に「海水か淡水か」を巡る論争が繰り広げられていた。  吉田調書などによると、3号機は原子炉の水位が下がり、核燃料がむき出しになる危機を迎えていた。午前5時42分に淡水の入ったタンクがすべて空だという報告があり、吉田氏は海水注入を決断した。 「緊急です、緊急です、緊急割り込み!」。午前6時43分、官邸に詰めていた東電社員から電話が入った。吉田氏がこの時、原子炉を傷める海水注入は極力避け、真水や濾過(ろか)水を使用するよう要請されたことはテレビ会議録で判明している。 吉田氏は12日夜と異なり、この13日朝はあっさりと要請を受け入れた。吉田氏はのちの聴取で、電話の主が「官邸の誰か」に代わったことを明かしたうえでこう語っている。 「私は海水もやむを得ずというのが腹にずっとありますから、最初から海水だろうと、当初言っていたと思います。その後に官邸から電話があって、何とかしろという話があったんで、頑張れるだけ水を手配しながらやりましょうと」 。ところが、質問が電話の相手に及ぶと、吉田氏の歯切れは悪くなった。 「ここは申し訳ないけれども、私の記憶はまったく欠落していたので(中略)、本当に誰と電話したかも完全に欠落しているんです。ですから、そこは可能性だけの話しかない」 。吉田氏は電話の相手の可能性として、当時官邸にいた東電と原子力安全・保安院の幹部の名を挙げたが、断定はしなかった。真相は今もはっきりしない。テレビ会議録によると、吉田氏が淡水を注入することを決めた後の午前9時13分、福島オフサイトセンターに詰めていた東電の武藤栄副社長も「もう海水を考えないといけないんじゃないの。これ官邸とご相談ですか」と淡水注入に疑問を呈した。吉田氏はそれでも淡水注入を続けた。 吉田氏は使える淡水をかき集めようとしたが、うまくいかなかった。そして午後0時18分。吉田氏はついに「あの、もう、水がさ、なくなったからさ」と海水注入への切り替えを指示した。 吉田氏は10分程度で切り替えが終わると思っていたが、実際に海水注入が始まったのは午後1時11分。この間、1時間近く3号機には水が入らず、原子炉はますます過熱した。深刻な事態を招く発端となった「官邸からの電話の相手」は今も謎のままだ。(木村英昭)

 ■3号機への海水注入を巡る3月13日の動き

 午前6時43分。「官邸の誰か」が淡水注入を求める。吉田所長は受諾。午前9時13分。武藤副社長が海水注入への切り替えを進言。吉田所長は淡水注入を継続。午後0時18分。吉田所長が海水への切り替えを決断。午後1時11分。吉田所長が海水注入開始を報告。


 「★阿修羅♪ > 原発・フッ素38 」の赤かぶ氏の2014.5.27日付投稿「絶望の吉田所長が感謝した 原発事故直後の「間組」の矜持(日刊ゲンダイ)」。
 絶望の吉田所長が感謝した 原発事故直後の「間組」の矜持
 http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/150497
 2014年5月27日 日刊ゲンダイ

 必死のがれき撤去(東京電力提供、右は吉田元所長)

  朝日新聞デジタルが順次公開している「吉田調書」。その中身は、衝撃の一言に尽きる。当時、福島第1原発の最高責任者であり、昨年7月に他界した吉田昌郎氏(享年58)が政府事故調査・検証委員会の聴取に答えた約50万字の肉声だ。9割の所員が事故直後に逃げ出し、付近住民に内緒でドライベントの作業準備を始めていたといった、吉田氏の驚きの証言が詰まっている。 その吉田氏が「ものすごい恨みつらみ」と本音をぶちまけたのが、誰も救助や応援に来てくれなかったと語ったくだりだ。 そのやりとりを一部抜粋してみよう。「本店(東京電力本社)にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているのにもかかわらず、実質的な効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから」 。
――結果として誰も助けに来てくれなかった?  「消防隊とか、レスキューだとかいらっしゃったんですけれども、これはあまり効果がなかった」 。――(原子力安全)保安院はどうなんですか? 「オフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点)が(60キロ離れた)福島(市)に引き揚げるとなったとき、みんな福島に引き揚げられて。結局、16日、17日ぐらいまで、自衛隊や消防がピュッピュやっているときはいなかったような気がする」。現場にいるべきはずの保安院の担当官まで逃げ出していた。まさしく四面楚歌(そか)で、吉田氏の絶望が見てとれる。そんな中、特筆すべき吉田氏の発言もあった。がれきの撤去作業のために駆けつけてくれた“ある会社”の存在だ。 「バックホー(油圧ショベル)が数台、もともとこちらにあったのと、間組さんがどこからか持ってきてくれて、主として最初のころは間組なんです。土木に聞いてもらえばわかりますけど、間組さんが(放射)線量の高い中、必死でがれき撤去のお仕事をしてくれていたんです」、「6号への道が途中で陥没したりしていたんです。その修理だとか、インフラの整備を最初に嫌がらずに来てくれたのは間組です」。実は、間組(現・安藤ハザマ)は震災直後に社内有志を募り、パワーショベルやトレーラーの運転士ら7人の社員を現地に送っている。選ばれたのは、すべて50代のベテランのみ。「健康被害が心配」(間組関係者)ということで若い社員の派遣は見送られたという。 7人のおじさんは、退避する車の流れに逆行して福島に到着し、15日から作業を始めた。企業事情に詳しいIMSアセットマネジメントの清水秀和氏がこう言う。 「間組には〈現場から逃げ出さない〉という社内風土がある。171人の犠牲者を出しながら完成させた黒四ダムの施工者も間組です。福島原発と同社は縁もゆかりもない。それでも現場に駆けつけた。彼らは“土方の矜持(きょうじ)”と言うはずです」 。誰も知らなかったが、現場にはこんなドラマがあったのだ。


 「★阿修羅♪ > 原発・フッ素38」の赤かぶ 氏の2014.5.26日付投稿「菅直人の海水注入中断指示はデマだった事が確定に!調書で吉田所長が完全否定!デマを広げた安倍晋三・・・」。
 菅直人の海水注入中断指示はデマだった事が確定に!調書で吉田所長が完全否定!デマを広げた安倍晋三・・・
 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2657.html
 2014/05/26 Mon. 22:03:33 真実を探すブログ

 福島原発事故後に「菅直人前首相が海水注入の中断指示をした」という情報が流れましたが、これがデマだったことが改めて確定したのでご紹介します。

 福島原発事故直後に原子炉の損傷を早めるとして、官邸の関係者を名乗る人間から「原子炉に海水ではなく淡水を注入しろ」というような指示が吉田元所長にありましたが、朝日新聞社が公開した最新の吉田調書によると、吉田氏はこの指示を下した人間について「内閣官房長官の枝野幸男、そして首相の菅直人は違う」と説明し、菅元首相らの関与を完全否定しました。現首相の安倍晋三氏らが事故直後に「菅直人首相が福島原発の海水注入中断指示をした」というような情報を流していましたが、これが完全にデマだったということになります。前々から国会事故調査委員会も「菅直人首相はそんな指示をしていない」と否定しており、当ブログでもこの件は1年前に記事で取り上げました。デマの内容もかなり悪質なので、安倍首相は会見を開いて菅直人氏に正式な謝罪をするべきだと私は思います。*菅直人氏は安倍晋三氏を提訴する予定。

 ☆朝日 吉田調書 第二章
 URL http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/2-1m.html?iref=yoshida_report2-1
 
 一方、原子力安全委員会委員長の班目春樹、内閣官房長官の枝野幸男、そして首相の菅直人は、違うとはっきり説明した。結局、吉田は、誰だったか思い出せないということで通した。が、とにかく吉田は、官邸にいたある人物から、3号機の廃炉を避けるため、海水注入ではなく淡水を入れろと言われ、応諾した。

 ☆3号機注水「淡水を」 吉田所長、官邸からの指示に従う
 URL http://www.asahi.com/articles/ASG5T7WGJG5TUEHF00G.html

 朝日新聞デジタルは特集「吉田調書」の第2章1節「真水か海水か」を配信しました。1号機への海水注水を続行した福島第一原発の吉田昌郎所長は、3号機については、廃炉を避けるため極力淡水を使えという官邸のある者の指示を受け入れていました。

コメント
02. 2014年5月27日 00:28:18 : BVdT8HvwzA
で、官邸の誰だったのよ。当時の官邸で、総理、官房長官の頭越しに現地に直接指示できる人は???
03. taked4700 2014年5月27日 00:58:12 : 9XFNe/BiX575U : xxl5Gz5D0E
あまり今回の吉田調書の内容を真に受けない方がいいと思います。今回は誰かからリークされたものであり、その真実性を検証するすべはありません。それに、そもそも、安倍首相は一時情報として「菅直人前首相が海水注入の中断指示をした」と情報発信したわけではありません。当然、その筋の情報源があり、そこからの話をもとに安倍首相はそういった情報発信をしたわけです。 それから、そもそも、3号機に海水を使うなということを考える人は官邸にはいないのではないでしょうか。政府関係者なら3号機の設備の心配をするよりは3号機の爆発を心配するはずで、政権内部にそういった指示をした人がいたとは思えません。 ところで、今回の吉田調書のリークは面白いですね。機密保護法適用の話が出てきていません。
05. 2014年5月27日 05:52:08 : lU8IVWM5cg
ま~た始まったw。朝日はこれが狙いか?

>東京電力が2011年3月14日、福島第一原発3号機で高濃度の放射性物質を人為的に外気に放出するドライベントの準備を進めていたことが分かった。国はこの時、混乱を避けるため3号機の危機を報道機関に知らせない「情報統制」をしており、多数の住民が何も知らないまま大量被曝(ひばく)する恐れがあった。当時の吉田昌郎(まさお)所長(13年死去)が政府事故調査・検証委員会の聴取に答えた「吉田調書」で明らかになった。

この国ってのは誰を指してるんだよ? 調書は、本来なら民主党政権の失点で溢れている筈なんだ。当然だろ?いつ起こったことだよ。ところがそれを自民党が出したくない。この滑稽さに反吐が出るが民主党と自民党は利益を共有しているということでもある。俺にはそのことも重要だ。もしそんなことは些細なことという奴がいるなら、徹底的に叩いてやる

07. 2014年5月27日 07:10:52 : cUchBPexSM
 吉田「だから、たぶん、武黒から。指示という意味では。だと思う。だから、可能性として、武黒が一点と、そのわきで安井さんか誰かがそれに関しておっしゃった可能性も否定できない」 。官邸の人間ではなく官邸に詰めていた人間ということで、これは当たり前ではないのか。廃炉にしたくない(また直して使うつもり)ための指示とすれば、それは東電の経営に関わる者以外ありえない。首相の菅が真水にこだわる理由はどこにもない。福島行き、ベント、海水の注入中止など、菅叩きは全て東電の犯罪行為を誤魔化すための陰謀だったことがわかる。

>>03
そう言い逃れるために官邸は内容が原本と同一であることを確認せず公開も拒否しているわけだ。東電にとっても政権にとっても致命的な内容を含むからだ。誰がリークしたのか、よく調べてみるといい。誰であれそれは安倍政権を倒す必要を認めている者だ。





(私論.私見)