2013. 3.11日、三陸巨大震災2周年れんだいこコメント |
更新日/2016.03.11日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、三陸巨大震災1周年に当たり、思うことを書き綴っておく。 2012.03.11日 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評№1122 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 3月11日 |
三陸巨大震災2周年れんだいこコメント 本稿の前に「学んで為になる学問と却ってアホウになる学問の識別考」を書き上げた。今日は三陸巨大震災2周年に当るので、以下、「三陸巨大震災1周年れんだいこコメント」の続編として記す。 (ronpyo/tetugakunote/gakusyabakaco.htm) (jissen/tasukeaito/seimei/2012.11.11seimei.htm) れんだいこがこの時期に何故「学んで為になる学問と却ってアホウになる学問の識別考」に関心を持ったのか。これを愚考するのに三陸巨大震災、福島原発事故対応に対する呆れ故ではなかろうか。今日で丁度二年を経過したことになるが、被災対応は史上例を見ないお粗末さなのではないのか。予算は既に充分に計上されている。人員も揃っており投入されている。にも拘わらず当局の打つ手打つ手が急所を外している。これはワザとそうしているのではなかろうかとさえ思う。 何でこうなるのか。れんだいこが見出すのはネオシオニズム学の悪影響である。我々は学んで少しも役立たぬような学問ばかりを仕込まれてきたのではなかろうか。それによりネオシオニズム奥の院の指令に唯々諾々する作風を身につけ過ぎているのではないのか。今日では政治にせよ経済にせよ専門の学者に舵取りさせてもうまく行かないのが相場になってしまっている。 しかしこれは考えたらオカシイことである。まともな学問をしていれば、素人よりも数段なるほどの舵取りするのが当たり前のことだろうに。囲碁の例で考えてみよう。プロがアマチュアより拙い手を打つなどと云うことがあり得るだろうか。頭脳がそういう按配だから政府が諮問委員会を幾つも設けて学者の知恵に期待しても決まって役立たずの結果になっている。そこで新たな委員会を設けるのだが結論は同じで要するに問題を先送りにしたに過ぎない。オカシナことではなかろうか。 三陸巨大震災対応につき今思いだしても不自然なことが多過ぎる。例えば、初動における被災民救援の遅れがイカガワシイ。がれき処理の異常な遅れが信じられない。海の者を山へ連れて行く発想、防波堤を山より高くする発想なぞはナンセンスの際みである。原発対応できぬさなかの原発続投表明なぞは狂気である。復興予算を組んだものの現地に使わず競って流用している痴態はモラルハザードを通り越している。これらが目ぼしいところだが個々の事例を挙げればキリがない。総てが逆対応であり真剣さがない。 そもそも復興は難しいものではない。必要なところを手当てすれば良い訳だからむしろ分かり易いと云うべきだろう。原爆が投下され廃墟となった広島の復興を見れば良い。時の政策者がまともな頭脳を持っていたのであろう、まずはメインコースの百メートル道路を中心に市街化整備が進められた。区画整理事業が始まり青写真通りの再生が進んだものと思われる。災害は、時の被災者には気の毒だが災い転じて福となすような力強い復興が始まるのが普通である。そういう特需景気が起るのが普通である。れんだいこの云う「我が日本の古き学問」に従えば必ず見事に再生するし再生してきた。 しかるに、三陸巨大震災、福島原発事故対応の場合、金も人も注ぎ込み掛け声だけはするが復興をワザと遅らせ、するにしても経済効果にわざわざ結びつかないよう仕掛けした対策を講じており、結局のところ予算のムダ使いばかりしている気がする。関東大震災、阪神大震災に比しても余りにもお粗末な対応が目立つ。この背後の事情にネオシオニズム学の悪影響を見て取るべきではなかろうか。これにより、人民大衆レベルでは「我が日本の古き学問」に従い絆を大事に助け合っているのに上の方の責任者は示し合わせて逆漕ぎばかりしているように見える。日本がネオシオニズムに捕捉される度合いに応じて万事に於いてお粗末になりつつあるように見える。 そういう事情によってとしか考えられないのだが、震災当初危惧されたように被災民の棄民化が進みつつある。それにしても菅政権下の被災民対応は犯罪的だった。被災民の移動にせよ居続けにせよ不可抗力では済まされない誤誘導が目立つ。これの検証もされていない。全権限を官邸に集中させた挙句のお粗末さであるから質が悪い。 原発廃炉対応の難しさ、原発後遺症はこれから本格的に露呈しそうである。その費用も天文学的になりそうである。災害復興計画のグランドデザインをまだ聞かない。提起されているのは既に述べたように逆漕ぎ政策ばかりである。そんなものが遅れても構わないが、れんだいこから見てまずまずの案が先延ばしされ続けている。災害当初は許されても二年も経過してこの調子となると批判の段階ではない弾劾の段階に突入していよう。 当事者能力を喪失している我が日本の政治を見るのは辛すぎる。民主党政権下の対応はデタラメだった。そういうこともあり自民党安倍政権が誕生したのだが、安倍政権が急いでいるのはTPP交渉であり消費税増税であり憲法改正である。軍事防衛予算は伸びている。他方で「復興の加速化」を云うには云うが口先だけの御題目でしかない。これは後継の政権でも同じだろう。この言が本当にそうだと判明した瞬間、被災民はこぞって政府との一揆的談判に入るべきだろう。そろそろ我慢の限界域を迎えつつあるのではなかろうか。ネオシオニズム学に汚染された者を退かせ、「我が日本の古き学問」で頭脳形成した叡智人を登用することでしか難局を打開できないのではなかろうか。これが云いたかった。 2013.3.11日 れんだいこ拝 jinsei/ |
(私論.私見)