2012. 3.11日、三陸巨大震災1周年れんだいこコメント |
更新日/2016.03.11日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、三陸巨大震災1周年に当たり、思うことを書き綴っておく。 2012.03.11日 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評№1021 投稿者:れんだいこ 投稿日:2012年 3月11日 |
【三陸巨大震災1周年れんだいこコメント】 今日は、2011年3月11日午後2時46分発生の三陸巨大震災1周日である。この日に当たり思うことを書き綴っておく。 最初に云いたいことは、この震災が自然災害にせよ人工地震にせよ初動に於ける不審が多過ぎることである。巷間、一部で人工地震が囁かれているが門外漢のれんだいこには物理科学的意味での詮索ができない。そういう訳で人工地震説に拘ることは止すが、人工災害と読めば容易に解ける不審が数々あることは事実である。 まず本件の災害情報の不自然な伝達が詮索されねばならない。こたびのような巨大津波の情報キャッチは逸早く伝達されねばならないところ意図的故意に伏せられ、あたかも通常程度の津波的に情報が伝えられている奇怪さが確認できる。ここに不自然さはなかったのだろうか。これにより多くの人命が意図的故意に失われたのではなかろうか。更に云えば、福島原発に於ける津波堤防の無対策ぶりも訝られねばならない。こたびのような高津波は予見できなかったと云うのは誤魔化しであり、正しくは対策を意図的故意に怠っていたと評するべきだろう。誰が何の為にと云う詮索になるが、そういう陰謀が存在していたと読みたい。なぜなら原発地域には超高の津波対策が講ぜられるのが自然であるからである。福島原発には自然でない堤防対策サボタージュが認められる。 次に、大震災発生、福島原発被災直後の対応が解せない。思い返そう。自衛隊十万人態勢、予備役招集の鳴りもの入りの動員となったが、従来の総務省指揮下の応援ではない。寧ろ自衛隊が主導し、総務省は逆に何もしえなかったと云う体制下で救援活動となった発事例ではなかろうか。費用も相当かかっている筈である。ならば、これは誰が指揮したのか。当時の総務相はこの奇怪さを明らかにせねばならない。片山善博が任に当たっていたが責任重大な任務放棄ではなかったか。 その自衛隊の為した救援方面の働きは一応良しとしておこう。問題は他方で治安維持的な観点からの交通網規制をしていたことである。高速道路を交通遮断した為に救援物資が届けられなかった奇怪さが伝えられたが、それは明らかに意図的故意の過剰規制であった。被災民に対する灯油、ガソリンの供給規制も思い出させられる。優先的に割り当てさせられるべきところ僅か5リットル何がしかの制限が課せられ、これにより自主的非難ができなくなった。そういう規制が何の為に必要であったのか、誰が指揮したのか、その責任を問わねばならない。 震災直後から始まる用意周到な関東地方一体の停電規制も想起される。それは家庭用、業務用のみならず電車も止められる交通混乱を招くものであったが、何の為に必要だったのか。その後解除され今日に至っているが、かの時期に本当に必要な措置であったのか大いなる不審が残る。公共広告機構なる事業体の子宮がん検診を始めとする異常なコマーシャルを乱発したのも奇怪である。相当な費用を費やしたと思われるが、かの大混乱時期の宣伝としては異様である。この広告を誰が何の為に流したのか、これも詮索されねばならない。 ひとまず以上のことを云っておきたかった。初動からして解せない数々の変調さを見せた三陸巨大震災はその後の対応においても変調さのオンパレードである。小泉政治以来の官邸主導が如何なく発揮されたが、官邸が為したことで有益なことは何一つない。民間レベル、自治体レベルでは大いに奮闘努力し貢献しているが、官邸主導政治の為したことは正確な情報に対する隠蔽による悪行政ばかりであった。 特に福島原発対策の面で顕著になるが、実際のメルトダウンを誤魔化し大丈夫発言で被災民を釘づけにし続けた枝野官房長官のウソ云い続けが記憶に新しい。この御仁は今、経済産業相として日本のエネルギー政策、東電処理の方針を決める最高責任者の地位にある。こういうことが許されるのだろうか。本来であれば、大混乱が予想されようとも被災民を一刻も早くより遠くへ非難させねばならなかったところ10キロ、20キロ圏外辺りでの釘づけを逆指揮した。これを指揮した菅―枝野―時の閣僚責任者は犯罪者であり歴史法廷で罰せられてしかるべきであろう。 れんだいこは早くより全国各地温泉地旅館への避難を推奨した。民間的動きで一部実現したが、本来であれば政府の音頭指揮により国家を挙げて誘導すべきであったと思われる。政府が為したことは随分遅れての仮設住宅の建設であったが、温泉地避難との併用こそが望まれた政策であったと今も思う。費用的、ポランティア支援的にも効率が良かったと思われる。その仮設住宅建設も地元の建設業者が排除され大手建設業社数社に割り当てられている。その請負金額が適正なのかどうか、利権的にも詮索されねばならないのではなかろうか。 今日明らかなことは、官邸主導、それによる政府系の各種審議会の議事録不在である。慌ただしい中でのこと故に仕方なかった論では済まされない。国家の最重要権力機関内での会議の議事録不在は犯罪であり、この一事でも責任者は厳罰されるべきだろう。本当に存在しないのか、菅政権全体のデタラメの言動ぶりが明らかになるのを恐れて隠蔽しているのか今も分からない。 フランス系原発会社アルバがサルコジ大統領の肝煎りで来日したが、彼らが何を対策し、どう貢献し、その後幾らの費用を請求しているのか。数兆円の費用請求が囁かれたが、その後何の音沙汰もない。この真偽もせねばならない。首相官邸上層階に米側要人が陣取り、日本政府を指揮し続けていたことも暴露されたが、その要人は誰で、どういう資格で、何人で、官邸と何をどう打ちあわせ指揮していたのか、これも明らかにされねばならない。この情報そのものがウソなのかどうか真偽をはっきりさせねばならない。 そういうブザマな官邸政治が如何なく発揮されたのが実際である。菅首相の被災地視察の是非、東電乗り込みの武勇伝も精査されねばならない。これも議事録不在であろうが、菅首相の執った発言、行動が精査されねばならない。東電逃げ出し論の実際の内容も確認されねばならない。この間、原発事故対策に自身の生命の危険を顧みずのサムライ50の活躍も特記されねばならない。消防隊の活躍も光る。これも特記されねばならない。当然全国各地からのポランティアの貢献も光る。 さて、今現在何が問題なのか。一つはゴミ処理の不手際がある。本来であれば、野焼きを認めて全体量の半減化を為すべきところ通常の法規制限を厳格適用し続け、ゴミ処理の片付け、移転は為されたものの全体量が少しも減少していない。即ち莫大な費用負担のみが続いていると云う奇怪さにある。これは原発事故による放射能汚染の除染対策も然りである。もはやある意味で自然循環に任さねばならぬ割り切りが必要なところ天文学的な費用を投入し続けている。 今後の福島原発対策も一向に明らかでない。原発を封印するのか修理して再稼働させるのか、東電を国有化して乗り切るのか現下の民営化のまま救済を図るのか、今後の補償問題をどうするのか、今後のエネルギー政策をどうするのか、これらの観点の一切が不明なまま税金が投入し続けられている。福島原発のみならず全国各地の原発の今後の在り方を廻っても政治が指針をだしていないことによる混乱が続いている。原発維持派の論拠は電力不足論であり、ならば代替エネルギー、それも新エコエネ科学技術による転換が無理なのかどうか議論を尽くさねばならぬところおざなりにされている。 こたび程の大きな三陸巨大震災は本来であれば復興景気が表れるのが自然な経済現象であるところ皆目そういう動きにならない。これは政治の逆走によってそうなっているとしか考えられない。事故直後、震災復興に廻す為と云う名目で建築資材の出荷が止められ大混乱したが、これも市場経済を無視している。この命令を誰が指揮したのか、その責任者は誰なのか、これも明らかにされていない。そういう不自然さが付きまとっているのが三陸巨大震災対応である。 以上、思いつくままに述べたがまだまだある。被災現地では建築制限が課せられ復興の妨げになっている。これが区画整理事業等の都市計画による一時制限であるならともかく意図的故意の復興の妨げ政策の感がある。なぜなら復興計画青写真の作成が余りにも遅すぎるからである。故にこう窺う以外になかろう。行政されているのは漁民の山の手への移動誘導である。これも馬鹿げてよう。羹に懲りてなまず吹くの例えの愚策でしかなく、海の民は海の側で暮らすのが良いのは当たり前のことであろうに。必要なことは今後の災害時用の避難道路の整備と正確迅速な情報伝達策定だろう。海の民を山へ移動させるのを処方箋とするほど愚昧なものはない。 阪神大震災の場合、時の村山政権は災発生3日後に小里貞利震災担当相を責任者に立て全権限を与えた。小里震災担当相は、戦後行政における日本の総合開発計画を策定してきた建設省のドンにして田中角栄の懐刀の官僚プレーンの一人である元国土次官・下河辺淳氏を登用し成功裏に復興させた。これに比して三陸巨大震災の場合にはどう対応したのか。松本龍復なる者が震災担当相になり失笑を買ったのが記憶に残っている。ここでも逆走が確認できる。これは偶然なのか、意図的故意の悪政治なのではないのか、こう問いたい。 要するに万事においてデタラメである。デタラメと紛らわしい班目春樹(まだらめ はるき)が内閣府原子力安全委員会委員長(第8代)、防衛大学校長の五百旗頭真を「復興構想会議」の議長に据えたが最初の会議で発したのが「弔い合戦と増税論」と云う天然ボケを登用している。他にも原子力行政推進派のバカヅラがテレビに一斉登場し愚昧な専門的知識を弄んでいた不愉快な記憶が残る。 省庁再編行政改革と云いながら新官庁を作り続け会議に次ぐ会議をしているが議事録もない会議の為の会議を重ねている。この無駄ガネも合わせれば結構な金額になろう。もうこれぐらいで良いだろう。全てがバカバカし過ぎる。このバカバカしい政治が唯一しゃかりきになったのか陸山会事件を捏造しての小沢バッシングである。もうこうなるとあほらしい。 最後に。こたびの災害を奇貨として東北人は絆を保った。これは古来よりの日高見国の培っている歴史的伝統であり如何なく発揮されている。東北人のこの気質が今後の日本再生の力になりますよう頑張れ負けるなとエールしたい。今こそ助け合い共和国の創造に向けて邁進しよう。 2012.3.11日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)