一二三の教え

「一二三の教え歌の理」考

 昔からの数え歌の「ひふみよいむなやこと」を解析する。思いのほか深い哲理を思うからである。いずれも知って損の無い否むしろその理法に耳を傾けるべきと思うからである。

 2004.12.24日 れんだいこ拝


【「一二三の理」】

【「一の理」】
 「一」は始まり、全てがこれわり生ず。

 「一がちゃんと支えられている時、世の中は平和で全ての人類は幸福だ。一を支えるためには三本の脚が大切で、その長さは同じでなければ、傾いたり、ひつくり返ってしまう。その三本の脚とは、政治、経済、宗教だ。この三本の脚が揃ってしつかりしていさえすれば国は栄える」(天台座主・山田恵諦師の言葉)。





【「九の理」】
 実践的弁証法
 窮鼠猫を噛む(諺)。窮すれば通ず。窮通の理。艱難汝を玉に成す。窮すれば、即ち乱するものは、小人である。達人は窮しても通ず。生を必して戦うものは死し、死を必して戦うものは生く。背水の陣。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。活路。血路。捨て身。体当たり戦法。貧すれば貪(鈍)す。弱り目に祟り目。九死一生。百尺竿頭に立つ。七転び八起き。「死なんと戦えば生きるもの也。生きんと戦えば、死ぬるものなり」。背水の陣。大死一番。
 窮寇は迫るなかれ。死地に陥れて、而してのち生行く。死地には即ち戦え(孫子の兵法)。

 窮の語彙は、穴の中に身を入れ、屈して弓なりになっている様。弓は弾力を意味する。窮力は弾力である。窮は、究に通ずる。究とは、穴の中に身を窮して九となるを究と云う。窮中の究は、穴の中の九、穴の中の九は、糾合力究明力である。窮身は、一転して通身になり揚棄される。窮通しようと欲するものは、窮に向って弓を射ることが肝要である。窮に向って大いに弓を射るは、窮を射破る所以、窮を夷(たい)らげる所以である。夷は、大いに弓を射るの義である。(夷の字を分解すれば、大弓である)

 人は気力、迫力、弾力が無ければならぬ。屈するが為に屈するのではなく、伸びるために屈する。空気が然り。空気を圧縮すれば驚くべき力を発する。圧縮するは窮迫せしめるのである。

 九が通じて十(トオ)になる。十は十全の意である。身はミ、三である。三々五々、ばらばらの力が窮して九(キュウ)となる。三々が九は、糾合であり、求心である。山河





(私論.私見)