事件の真相考その1、事故の不可解検証、事件の検証

 (最新見直し2010.08.18日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「事件の真相考その1、事故の不可解検証、事件の検証」をしておく。


【「事件の真相考その1、事故の不可解検証、事件の検証」考】
 「タイタニック号(検証編)」は次のように記している。
 2.タイタニック号には様々な謎がつきまとう

 以上のようにタイタニック号は多数の犠牲者を出し、 幕を閉じた。 しかし、タイタニック号沈没の影には様々な謎がつきまとっている。 ここではその主なものを紹介したい。

 タイタニック号の真の所有者「J・Pモーガン」
 J・Pモーガンはタイタニック号の真の所有者である。 それは、ホワイトスター社が既に彼の子会社として 吸収されていたからである。 当初、彼はタイタニック号に乗る予定であったが、 急遽中止し、船には乗り込んでいない。 彼の知人ら55人も同様に直前にキャンセルしている。 まるでタイタニック号沈没のシナリオを知っていたかのように…

 消えた「双眼鏡」の謎
 実はタイタニック号には双眼鏡が無くなるという事態が起こっていた。 もし、事故の際、双眼鏡があれば氷山を回避できたはずだったが…

 無視された氷山警告
 タイタニック号は航海途中、数回の「氷山警告」 を他の船から受信していた。 しかし、乗船していたホワイトスター社の社長「J・ブルース・イズメイ」 はその警告を開示せずに隠していた。 彼は事故後、生存者706人のうちの一人となる…

 スミス船長の不可解な行動
 タイタニック号の航海上の責任者である船長「スミス」は 事故後不可解な行動を取っている。 それは、特別階級の人々に挨拶に出かけたことだ。 スミス船長はタイタニック号沈没に関する重要な鍵を持っていた と思われるが、船長自身は船に残ることを決心した。

 救助活動に関する謎
 タイタニック号は事故後、遭難信号を発信した。 信号は多くの船が受信に成功していた。 しかし、実際に向かうことを決めたのは四隻で、 救助活動を行ったのは1隻だけであった。 実は、救助活動を行ったカルパチア号 より早く到着できる船も存在していたのだ。
 3.タイタニック号沈没の真相

 多数の犠牲とともに、 多数の謎を残したタイタニック号の沈没の真相には 一体何が隠されているのだろうか。 実は、タイタニック号は出航前に数回、船内で火災を起こしている。 また、先ほど紹介したように船から双眼鏡が消えていたことも 不審な点である。 最初に紹介した「タイタニック号の軌跡」という 内容は生存者からの話からによるものであるが、 見張り役の二人はホワイトスター社に買収されていたという説も挙がっている。 実際には、30分前には氷山発見の報告をブリッジに 対して行っていたというのだ。 しかし、これについては真相を確かめるすべはなかった。それは、見張り役が自殺してしまったからだ。また、事故当時、数回の氷山警告に対して、 行った行動は、 速度を遅くするどころか、最速の速度で航行していたことも 大きな謎である。これには北大西洋の最速記録を作りたかったという説もあるが、もともとタイタニック号は豪華客船ということに重点を置いており、設計上、速度を重視していた作りではなかった。事故後、ホワイトスター社は多額の保険金を受け取ることになるが、 この保険金に関する話として、 もともとタイタニック号は沈没させる計画であったという 説が浮上し、注目を浴びた。当時、タイタニック号には姉妹船として内装・食器類までもが全く同じオリンピック号という船が存在した。しかし、オリンピック号は事故を起こし、修復したものの、 耐久性能は格段に下がっていた。そこで、経営不振を考えた会社は外観が全く同じタイタニック号とオリンピック号をすり替えたというのだ。これは容易なことで、船名の部分の塗装を変更をするだけで済む作業であった。仮に、これが事実ならば以下のようになる。 「タイタニック号の塗装を変更し、オリンピック号と称し、逆に事故を起こしたオリンピック号をタイタニック号とした。そして、経営不振のため、保険金を手に入れるためにタイタニック号(オリンピック号)を氷山に衝突させた。この際に、タイタニック号の真の所有者「J・Pモーガン」 は子会社であるホワイトスター社の表向きの社長「J・ブルース・イズメイ」 をタイタニック号(オリンピック号)に乗船させ、事故をさせるように仕向けた(J・ブルース・イズメイは救助された)、 また、その際に氷山を発見されると 計画が失敗する恐れがあるために双眼鏡を隠し (または、見張り役を買収し)、 また、真のタイタニック号の所有者「J・Pモーガン」 は自分の身の安全を考え、 急遽キャンセルした。 この際に、同時に知人など55人もキャンセルした」 というシナリオが出来上がる。 もし、これが事実ならば、単なる大きな事故ではなく、 保険金目当ての無差別大量殺人である。

 4.不思議なエピソード

 実はタイタニック号には幾つかの不思議なエピソード(逸話)が 存在する。その中でも特に不思議といわれている一つが 「ミイラ」と関係したエピソードだろう。 盗掘者達がエジプトのピラミッドからミイラを掘り出し、 その最中に多数の盗掘者がもがき苦しみながら死んでいった。 記述として「ピラミッドの墓荒らしには神が裁きを下すだろう」 といわれている通り、多数の盗掘者たちは「私は神の裁きで呪われたのだ」 と叫びながら命を落としていったといわれている。 その後、その ミイラの所有者となった者は次々に原因不明の死に至り、 最終的には大英博物館が引き取ることになった。 大英博物館の館長は呪いを信じておらず、まさか誰一人として 死ぬ者はいないと考えていた。 そんな最中、館長にある緊急の連絡が入った。 それは移送していた船が沈没したという連絡だった。 館長は「絶対沈まない船だと言ったじゃないか…」 とつぶやいたという。 そう、この「絶対沈まない船」というのが今回扱ったタイタニック号 だったのだ。そのため一部では、日頃から冷静沈着とされていた 「タイタニック号の艦長は呪いにより取り乱していた」と噂されるようになった。 そのミイラは海に沈んだタイタニック号から引き上げられ、 現在、大英博物館に収められている…


 タイタニック沈没の裏」。
 この世の出来事には何でも裏があるといっても過言ではりません。1997年、レオナルド・ディカプリオが主演を努めた「タイタニック」という映画があります。 この映画は1912年に実際に起きたタイタニック号の沈没事故をもとに、貧しい青年と上流階級の娘の悲恋を描いた映画です。 実はこのタイタニック号の沈没事故の裏でも、世界財閥が関係していたことをご存じでしょうか? タイタニック号の沈没事故は実は仕組まれていたのです。北大西洋航路でタイタニック号が沈没したのが1912年4月15日。 乗客乗員を併せて1513名死亡、695名が生き残ったとされている世界で最も大きな海難事故として知られています。タイタニック号は当時では最新鋭の技術を駆使して作られており、室内は高級ホテル並みの施設がありました。 大きさは全長268メートル、最大幅28.2メートル、総トン数46,328トンという、とてつもない巨大さを誇る船でした。 その巨大さから「絶対に沈まない船」と言われていました。 ところが、なぜか処女航海で簡単に沈没してしまったのです。 今回はその謎に迫ってみましょう。  

1912年 4月14日 13時:

タイタニック号は処女航海に出ました。2200名を超える乗客を乗せて英国サザンプトン港を出港したのです。 

22時55分:

タイタニック号の近くにいたリーランド汽船カリフォルニアン号がタイタニック号に氷山警告を出しました。しかしタイタニック号はちょうどその時、レール岬と交信中だったため、氷山警告に対して「うるさい、黙れ!」と言ったのです。 

23時30分:

カリフォルニアン号の通信士が無線機の電源を切り床につきました。 

23時40分:

タイタニック号が氷山に激突。日付は変わり 4月15日 0時15分:タイタニック号は世界で初めてSOS信号を発信。しかしカリフォルニアン号は無線機の電源を切っていたので受信できませんでした。カルフォルニアン号は受信できませんでしたが、カナダ船のマウント・テンプル号がSOS信号を受信しタイタニック号へ向かいました。 

0時25分:

マウント・テンプル号の船長が氷山を恐れ、タイタニック号に向かうのを中止。この時、船の照明を全て消して他船に気づかれないようにしました。その頃、タイタニック号は2回目のSOS信号を発信。キューナード汽船カルパシア号が受信し、全速力でタイタニック号へ向かいました。 

0時45分:

タイタニック号の四等航海士ボックスフォールが8発の信号弾を打ち上げましたが、カリフォルニアン号、マウント・テンプル号は無視。 

2時20分:

タイタニック号は船体が真っ二つに折れ沈没。この時、船体の中央部分には物凄い圧力がかかり、その圧力はタイタニックが耐えられる限度の1.5倍だったと言われています。船尾からは大勢の乗客が落下。これはビルの25階の高さから飛び降りるのと同じです。乗客たちは物凄い恐怖だったに違いありません。しかもその時の海の温度は氷点下2度。命が助かる程度の高さから海に落下した人でも、そう長くは海の中に浸かってはいられない温度です。死者1513名。救助ボートで脱出した人はカルパシア号により救助されました。そして今もタイタニック号は大西洋に眠っているのです。この悲惨な沈没事故が実は計画されていたというのだから驚きです。タイタニック号沈没事故にはいくつもの謎やおかしな点があるのです。

  • 船主のJ・ブルース・イズメイは船長に「速度を上げろ」と何度も繰り返していた。
  • 双眼鏡がなくなっていた為、氷山の発見が遅れた。
  • 実は4月14日13時42分、タイタニック号はバルティック号から氷山警告を受信していた。
  • 船長から氷山警告を渡されたイズメイはそれをポケットに突っ込んで隠した。
  • 船長が氷山警告のことを思い出し、イズメイから返してもらったのは19時15分。船員に伝えるのが大幅に遅れた。
  • タイタニック号には、姉妹船のオリンピック号が存在していた。外観や内装はほぼ同じ船であった。(窓の数、スクリュー番号などは違う)
  • 姉妹船であるオリンピック号はタイタニック号の就航2ヶ月前に軍艦ホークと接触事故を起こしていた。その為、耐久性能が下がって保険が掛けられなかった。
  • タイタニック号の船主であるホワイト・スター・ライン社は二隻を造船したことにより資金繰りが悪化して経営難に陥っていた。
  • 「絶対に沈まない船」と豪語していたのにも関わらず、タイタニック号には何故か多額の保険金が掛けられていた。それは、アメリカの保険会社だけで500万ドル(現在の価値で150億円)これにイギリスの保険を併せると200万ポンド(300~390億円以上)という不自然なほど高額なものだった。

 軍艦 ホーク

 そこで同社は酷似しているタイタニック号とオリンピック号をすり替え、保険金を騙し取ろうと考えたのです。すり替えは至って簡単で船名を上書きするだけでした。事故までの筋書きは下記の通りです。

事故でダメージを受けた傷もののオリンピック号をタイタニック号として就航させる。
     ↓
無茶な高速航行をさせ、氷山と衝突させ、沈没させる。
     ↓
保険会社から莫大な保険金が入ることでホワイト・スター・ライン社は、会社が持ち直すだけでなく大いに潤う事が出来る。
     ↓
傷もののオリンピック号(実はタイタニック号)は、沈没させることで、深い海底に処分できる。
また、それと同時に無傷のタイタニック号が、オリンピック号として残る。

 つまり、タイタニック号の沈没事故は保険金を手に入れるために行われた、ホワイト・スター・ライン社の自作自演だったのです。タイタニック号の実質的なオーナーはJ・P・モルガンです。ホワイト・スター・ライン社の社長J・ブルース・イズメイは船主としてタイタニック号(実はオリンピック号)に乗船・・・ 船が沈没するように仕向けたというわけです。

 イズメイ

 イズメイが「速度を上げろ」と言ったり、氷山警告を隠したのは、氷山に船を激突させるためです。双眼鏡がなかったのは、彼が隠していたからです。オーナーのJ・P・モルガンは、自分の身の安全を考え、乗船をキャンセル。この時、モルガンの知人ら50人以上が同時にキャンセルしてるのです。こうして、タイタニック号(実はオリンピック号)は、保険金を騙し取るために、意図的に沈没させられ、罪のない多くの人の命が奪われたのです。出航時のタイタニック号の写真と完成直後のタイタニック号では、舷側の窓の数が異なることが確認されていて、また事故後のオリンピック号(実はタイタニック号)の船名に修正が加えられていることも確認されています。

 修正前の文字は「TITANIC」となっていたようです。次の2隻の船の写真を見て、その違いがおわかりでしょうか? タイタニック号だが実際はオリンピック号 オリンピック号だが実際はタイタニック号 今も海底で眠っている船が、タイタニック号なのかオリンピック号なのか、3つのプロペラに刻まれている識別番号を調べればわかるというのですが・・・

 なぜか英国と米国は、きちんとした調査もせず、沈没から90年以上経過した後に、タイタニック号保護法を2004年に制定しました。「文化的価値のある遺産を守るため」・・・という建前ですが事実上の調査を禁止しているというわけです。なぜならタイタニック沈没事故は実際は保険金詐欺事件だからです。

 おかしな点はまだあります。オリンピック号は軍艦との接触事故以外にも事故を起こしていて、沈没前(実際に沈没したのはオリンピック号)にも二度に渡る大事故を起こしていたのです。その時の船長を務めていたのがスミス船長で、タイタニック号(実際はオリンピック号)が沈没した時の船長もスミス船長です。2度も大事故を起こしている船長を、おろし立ての新船の船長に任命するでしょうか? 普通はあり得ないですよね。

 スミス船長

 しかもホワイト・スター・ライン社はタイタニック沈没から、わずか2週間後という異例の早さで保険金を受け取っています。その後、姉妹船のオリンピック号(実はタイタニック号)は、23年間に渡り北大西洋航路で無事に営業を行ったのです。実質的なオーナーJPモルガンこと、ジョン・ピアポント・モルガン(1837年4月17日~1913年3月31日)は、米国の5大財閥の1つであるモルガン財閥の創始者です。彼は主に投資家、銀行家などの金融業を行っていました。彼を後ろから支援していたのが英国の世界財閥、ロスチャイルド一族だったのです。ロスチャイルド一族は、他にもジェイコブ・シフを支援し、米国に巨大なモルガン財閥とシフ財閥を形成。その後、彼らから支援されて巨大財閥を形成したのが、ロックフェラー一族の創始者J・Dロックフェラーなのです。以上のようにタイタニックの事故でも背後には黒幕がいたというわけです。このように、いつも黒幕は権力者であり連中のような勢力が世の中を支配し動かしているのです。そしてその犠牲になるのは、いつも一般市民だということを忘れてはなりません。


 2012/12/6「タイタニック号とオリンピック号について教えてください。 かなり昔の話しです...」。
 タイタニック号とオリンピック号について教えてください。

 かなり昔の話しですが、とある番組で(史実に基づいて掘り下げた、知られざる説を紹介する番組)、タイタニック号が造られた時に、全く同じ構造の双子船があり、それはオリンピック号と名付けられ、タイタニック号より先に処女航海に出た。しかし、途中で船体を破損してドッグに戻ってきたが、船会社は修理代を惜しんで航海中の事故で沈没させてしまおうと目論んだ。そこで、近々処女航海予定だったタイタニック号に目を付け、オリンピック号をタイタニック号として再出航させ、破損していた船は簡単に沈没した。本来のタイタニック号は、修理されたオリンピック号とした。…という内容だったと思います。裏付けとして、タイタニック号に乗船予定だった招待客の株主や、大金持ちの上流貴族などが直前になってキャンセルしたこと。船員達が、船会社の人ではなく急遽雇われた人達だったこと。などなどを当時の資料をもとに、説明していました。当時はその内容に驚いて、そんな事もあるんだ~と思っていましたが、今になると本当にそんな恐ろしい事が、出来たのか?と思うようになりました。どなたかご存じの方は教えてください。よろしくお願い致します。
 ベストアンサーに選ばれた回答  yngcs208さん 2012/12/709:49:47

 その話は一部に真実が入っているから最もらしく聞こえます。「一部の真実」は、オリンピック号が先に完成して事故を起こしたことです。ですが正しいのはそこだけです。「タイタニック」と同じ船は3隻作られました。これは大西洋航路を週一回定期運行するのに、2隻で航路を回転させて1隻を故障や検査時の予備とするという使い方で必要な数だったのです。当時は片道5日程度で運行出来たので、折り返しに2日の余裕があったことになります。そこで「オリンピック」「タイタニック」「ブリタニック」の3隻が同型船として計画されました、この3隻は1隻目がネームシップとなり「オリンピッククラス」と呼ばれました。「オリンピッククラス」3隻は同じ造船所に発注されましたが、ここではこの大きさの船を一度に2隻しか造れません。そこでまず「オリンピック」と「タイタニック」をほぼ同時に着工し、その中で「オリンピック」の工事を優先してこれを早く完成させ、「オリンピック」完成により開いたスペースで「ブリタニック」を造るというスケジュールが組まれました。これによりほぼ同時に着工した「オリンピック」と「タイタニック」ですが、「オリンピック」は半年程度先行して完成しました。ところが「オリンピック」が就航すると、ハード・ソフト面ともに様々な不具合が見つかりました。そこで二番手の「タイタニック」では、その不具合を改善する改良が製造中に施されることになります。それにより、「オリンピック」と「タイタニック」は同型船でありながら、外見や一等客室設備は大きく変わっています。外見で最も目立つのは「プロムナードデッキ」です。「オリンピック」ではプロムナードが船の外側あるので船体側面が現在のマンションのようにベランダ状になっています。「タイタニック」ではこのプロムナードが「雨風が直接当たる」と評判が悪かったため、前半分は覆いを掛けられてベランダは消えました。つまり外見(前半分)が現代の建物で言うマンションとオフィスビルと同じの違いがあり、また前と後ろで構造的にも違うので、並べて置けばその差は素人でも一目瞭然です。これらの改造と、「オリンピック」がスクリューを落下させるという事故を起こしたため、「タイタニック」の完成は数ヶ月遅れました。

 ここまでお読みいただければ、「オリンピック」と「タイタニック」は同型船でありながらその差は歴然としており、船のすり替えなどすれば生存者の証言ですぐに見破られることはご理解いただけると思います。もしすり替え説が本当なら、「タイタニック」は「オリンピック」と形を揃えるために内外にわたって大改造をしたことになります。「タイタニック」が容易に改造できたのは建造途中だからであって、完成した船にあのような改造、しかもせっかく出来上がった物を物に戻すのだから無意味な上に莫大な予算が掛かります。これを考えれば「すり替え」はあり得ないのです。

 余談ですが3番手の「ブリタニック」も素人でも分かるほど外見で見分けが付きます。「タイタニック」事故の教訓を受け、救命ボートの数を増やしたために後部の外見ががらりと変わりました。

 さて、「タイタニック」の謎のうち「一等客の一部が直前にキャンセルした」というのがありますが、ほぼ全てが当人や家族の病気、急な仕事による予定変更、乗り遅れなど、理由がハッキリしています。船員達は「急遽雇われた」といいますが、当時の船員は1航海ごとの契約だから「そういう解釈もできる」ということです。この辺りは様々な関連書物を読んでみると、謎は解けていると理解することはできます。特に様々な面からこの事故をリポートしたダニエル・アレン バトラー著『不沈 タイタニック—悲劇までの全記録』という本がこの辺りに詳しいです。また「オリンピック」と「タイタニック」をすり替えて沈めたところで、客が乗っていて大量の犠牲者が出るのは同じだから船会社としてはその「保険金で得られる額」以上のダメージを受けるので現実的ではありません。さらに言えば、真っ暗で氷山が見えないから氷山を避けられなかったのに、その見えない氷山にわざとぶつけることはそれを避けるよりも困難なことです。陰謀論者はこんな簡単なことが分かっていません。だから、「タイタニック」と「オリンピック」のすり替え説はあり得ないのです。

























(私論.私見)