生物兵器に転用可能な装置を無許可で輸出したとして逮捕され、後に起訴が取り消された機械製造会社「大川原化工機」(横浜市)の幹部らが、違法な捜査を受けたとして国と東京都に賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしている。幹部らは長期間身柄を拘束され、うち1人は被告人の立場のまま病死。16日に訴訟の原告として本人尋問に臨む同社の大川原正明社長(74)は「無実を法廷で明らかにしたい」と話す。(滝口亜希)
【時系列で見る】大川原化工機を巡る経過
■突然の家宅捜索
大川原化工機が外為法違反容疑で警視庁公安部の家宅捜索を受けたのは、平成30年10月3日。「まさに青天の霹靂(へきれき)」(大川原さん)だった。
同社は、液体を粉末に加工する「噴霧乾燥機」で国内トップシェアを誇る。噴霧乾燥機は食品や医薬品、電池材料などの製造に使われるが、生物兵器に転用されるおそれがあるとして、一部は輸出規制の対象となっており、製品輸出にあたり必要な経済産業省への許可申請をしなかったとの疑いがかけられた。
ただ、大川原さんには問題とされた製品について「輸出規制には抵触していない」との確信があった。誤解を解こうと1年以上に及んだ任意捜査に全面的に協力し、製品図面なども提供。同社関係者への聴取は延べ291回に上った。
だが、公安部は令和2年3月、大川原さんと顧問の相嶋静夫さん、取締役の島田順司さん(70)を同容疑で逮捕。その後、東京地検が起訴した。
■「勝つしかない」
「罪を認めれば会社はつぶれてしまう。社員も後ろ指を指され続けることになる」。大川原さんら3人は逮捕後に容疑を否認すると、弁護士とも相談し黙秘を貫いた。
「なんとしても(刑事)裁判に勝つしかない」という一心だったが、保釈請求は退けられ続け、大川原さんと島田さんが保釈されたのは3年2月。身柄拘束は332日間に及んだ。
一方、相嶋さんは勾留中に体調を崩し、弁護側が保釈を請求したが、検察側は「証拠隠滅の恐れがある」と反対。逮捕から8カ月近くたち、ようやく検査と治療のために勾留執行停止が認められたが、約3カ月後に72歳で亡くなった。大川原さんらが保釈されてからわずか2日後だった。大川原さんは弁護士から訃報を聞いたが、保釈中は関係者との接触が禁じられており、「お通夜にも行けなかった」という。
そんな中、3年7月に地検が突然、起訴を取り消した。「装置が規制対象外だった可能性を排除できない」という理由だった。「なんとか事件が解決できたよ」。大川原さんは、相嶋さんの墓前に報告した。
地裁は3年12月、大川原さんら3人に計1130万円の刑事補償の支払いを決定。「無罪判決を受けるべき十分な理由がある」とも言及したが、いまも捜査当局からの謝罪はない。
「いわば警察が作り上げた事件だった」と大川原さん。「否認・黙秘したことで長期に拘束された」と日本の司法制度にも疑問を投げかけ、「無実を認めてもらい、名誉を回復したい」と力を込めた。
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噴霧乾燥機は平成25年から輸出規制対象となった。経済産業省の省令で定められた3つの要件をすべて満たした装置は、輸出時に経産相の許可を得る必要がある。大川原化工機のケースでは、この要件のうち「殺菌」性能を製品が備えているかどうかが争点だった。
省令は、輸出規制の対象となる要件の一つを「内部の滅菌または殺菌ができるもの」と定めている。装置内に残った菌を殺すことができれば、装置を生物兵器製造に活用できてしまうためだ。ただ、「殺菌」がどんな状態を指すのか、明確な定義はない。
警視庁は、大川原化工機の同型製品を使った実験結果から「内部を90度以上で2時間保てば、大腸菌が殺菌できる」と判断し、立件に踏み切った。
これに対し、同社側は一貫して「製品に殺菌性能はない」として、社員らが72回もの実験を実施。240度の熱風を送り込んでも製品内部には温度が十分上がりきらない部分が生じることを裏付け、起訴取り消しにつながったとみられる。
同社の技術開発を長年担っていた相嶋さんは生前、経産省の担当者に「この規定ではすべての噴霧乾燥機が規制対象になりかねない」と、懸念を示していたという。大川原さんは「あいまいな規定は恣意(しい)的に運用されるリスクがある。規制するのであれば、経産省はきちんと関係者に説明すべきだ」と話している。