飄(つむじ風)転載9

 (最新見直し2014.08.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 1985年8月12日、羽田発大坂(伊丹)行き日本航空インターナショナルのボーイング747型(ジャンボジェット、機体記号JA8119)機のJAL123便が墜落し、505人の乗客と15人の乗員合わせて524人(他、赤ちゃん1名)が死亡すると云う大惨事が発生している。問題はこの事故が事件の臭いがすることにある。この事件には不可解なことが有り過ぎる。幾人かの識者が既に言及しているが未だ真相は明らかにされていないと考える。これを仮に「1985日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故事件」と命名する。長年気になっていた事件であるが今漸く着手する。

 2010.8.16日 れんだいこ拝


 JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(15)2011-01-06

 平成23年正月、新年明けましておめでとうございます。新年の最初の記事として、久しぶりに「そしてミサイルは発射された」シリーズの記事を掲載します。前回の記事から随分と時間が空いてしまったこと、そしてだいぶ複雑になってきた本シリーズについて、全体理解のため、最新の4記事について要点と流れをまとめてみました。

そしてミサイルは発射された(11)
 北米防空宇宙軍(NORAD)の戦闘機 F-106 によるファルコンミサイル発射と第3エンジン被弾の可能性

そしてミサイルは発射された(12)
  米軍地上部隊の予想投入規模と不発核弾頭現地残存の可能性

そしてミサイルは発射された(13)
 米国国家安全保障局(NSA)の戦略偵察機 U-2 の墜落と米国の思惑

そしてミサイルは発射された(14)
 旧ソ連空軍機MIG-25の墜落とそれを回収しにきたソビエト空挺部隊降下の可能性

 これまで何度も書いてきましたが、123便が墜落する直前・直後に、米軍、旧ソ連軍、そして自衛隊による、空と地上における激しい軍事衝突が発生した可能性があります。また、上記の戦闘規模から見て、実際に使用されたかどうかは別にして、核弾頭または、放射性物質を含むそれらの破片が現地に散乱している可能性を指摘してきました。多くの読者が、それだけの戦闘が発生して、どうして事故現場の狭い範囲にしかその痕跡が見られないのか、疑問に思っていることかと思います。それについては、調査している我々ですら、最初は腑に落ちない思いを抱いていました。

 ■広範囲に及ぶ散乱範囲

 これまでの報道の内容からすると、事故の発生地点は、機種が衝突したとされる、いわゆる「御巣鷹の尾根」とその周囲の沢、または、123便の主翼が木を切り倒してできたとされる、手前の尾根の「U字溝」くらいまでの狭い範囲だったかと思います。しかし、そしてミサイルは発射された(14)で、指摘したように、武器装備の断片が事故中心点から数キロ離れた地点でも発見されていること、また前回神々の落涙(1)の記事に記したように、長野県側の南相木ダム付近で今でも自然レベル以上の放射線が観測されているなどの事実から、軍機破片などが散乱しているいわゆる「戦闘エリア」は墜落現場から数キロ圏内に広がっていることが、調査によりはっきりしてきました。どうやら、「御巣鷹の尾根を中心に一定範囲に散乱した123便の機体破片」という事故調査報告書の示す内容、そしてそれに沿ってなされた報道そのものが、軍事衝突の事実を隠蔽するための、公共機関とマスコミによる国家的印象操作であった可能性が非常に高いと思われます。


 写真(Photo)1:
  秩父(埼玉県)側にも山が削られ奇妙な植林が行われている場所がある。秩父の山は断崖が多く、高度な岩登りの技術がないと中々近付けない。真相究明のため現段階で最も調査が求められる場所です。

 ■運ばれた主翼?
 写真(Photo)2-1:墜落翌日(1985.8.13)の御巣鷹の尾根  

 写真(Photo)2-2:上記赤枠の拡大図

 写真2は事故翌日の8月13日に現地に入ったプロカメラマンから最近になって入手した写真です。似たような写真はこれまでネット上などで紹介されていましたが、他に比べて極めて鮮明に撮れており、位置関係もわかりやすいので改めて検証する価値があります。この写真を本ブログ記事、闇夜に蠢く物(4)で現場到着民間人第1号として貴重な証言を頂いたM氏に改めて見ていただいたところ驚くべき証言を得ることができました。「前に私が証言した時に、ジャンボの機体の話はしてませんでしたよね?私がこの写真の木が無くなっている辺りを登って反対側の谷の方に向かったのは間違いありません。でも、その時にこんなもの(主翼破片)は見ていません。こんな大きな物が残っていたら絶対に見ているし、覚えているはずです」。御巣鷹の尾根に残された主翼破片については、以前から多くの疑いが指摘されています。その主たる疑惑の要諦はだいたい次のようなものです。「事故調査報告書では123便はこの尾根に激しく衝突して谷を滑り落ちたことになっているのに、何故か尾根に残された主翼の周りに立木が残っている。本当は上空から落下したのではないか?」。私も、これまでの調査の経緯から、ミサイル命中による空中爆発、そして上空からの機体落下の可能性が最も高いと考えていました。この尾根に残った主翼破片の写真はその説を裏付ける一つの傍証として捉えておりましたが、まさか主翼破片がここに後から運搬されていたとは予想もしていませんでした。それなら周りの立木がきれいに残っているのも頷けるというものです。

 ■主翼偽装の理由は何か?

 主翼破片が御巣鷹の尾根に運ばれていた!?これが事実だとすると様々な憶測が生まれます。その一番の関心はやはり偽装の理由ということになります。単純に考えるなら、国民に対して"事故"と説明する以上、どうしてもどこかを墜落地点にしなければならなかった。その印象操作に、「JAL」のロゴが記された主翼破片を焼け焦げた尾根の頂近くに置いておけばその効果は抜群のはず・・・ちょっと待ってください、元々123便の機体が落ちていなかったとしたら御巣鷹の尾根がどうして焼け焦げていたのでしょう? もちろん、墜落地点偽装の一環として木を切り倒したり、焼け跡をわざわざ作った可能性も考えられます。これを仮に「1.墜落地点偽装説」とします。しか し、その一方で、これまでのS氏の調査によると、この尾根一帯では多くのミサイル破片や軍機破片が見つかっており(*1)、この焦げ跡は元々123便以外 の航空機(軍機)の墜落や戦闘行動によって作られた可能性が高いとも言えます。よって「どこかを墜落地点に」という能動的な理由でなく、軍事行動によって残された大きな傷跡を隠蔽するために、止むを得ずこの地点を墜落地点に仕立てるしかなかったとも考えられます。これを仮に「2.軍事衝突痕隠蔽説」とします。そして、事故調査報告書や当時の報道によると、この尾根の頂付近が最も損傷の激しい遺体(写真3)があった場所と報告されています。報告書やマスコミ報道 はもはや信用に値しませんが、遺体については収容状況が衆目の下にあったこと、また、この尾根から手前のスゲノ沢にかけて、M氏自身が多くの遺体、および 生存者に遭遇しているという証言があります。123便の主要機体がどこにどう落ちたかは不明だとしても、この一帯に多くの乗客乗員が放り出されたのは間違いなさそうです。すると、尾根付近に放り出された遺体が激しく損傷した理由は何だったのか? 一つには、123便を撃墜した兵器の特性によるもの、そして、 考えたくもないことですが、二つ目は墜落後に火炎放射機等で焼き払われた可能性も強く疑われます。またはその両方で、兵器の特性をわからなくするために敢えて火炎放射機で焼き払ったとも考えられます(*2)。

 写真(Photo)3:写真誌「フォーカス」に掲載された激しく損傷した遺体写真

 もう、口を濁して発言する段階は過ぎたと思います。M氏の証言や発見された軍用の薬壜、そして航空機事故史上最も激しい損傷と言われた遺体群。もはや生存者が後から殺されているのは明らかです。まるで「生存者(真実の目撃者)は一人も残してはならない」という思考が通低にあるかのようです。そして、そのコンテキストから推測すれば、御巣鷹の尾根の焦げ跡は、そこにある乗客乗員、戦闘に参加した関係各国兵士を、生死の見境なく火炎放射機で焼き殺した痕跡と見なすことはけして不自然なことではありません。この恐ろしい説を「3.生存者焼殺説」として提示します。以上、1.墜落地点偽装説、2.軍事衝突痕隠蔽説、3.生存者焼殺説、の3説を主翼偽装の理由として考察しました。しかし、現実はどれが正解というものでなく、おそらく全ての説、あるいはまだ気がついていない別の理由が複雑に絡まっているものと想像されます。とにもかくにも、主翼偽装が強く疑われた現在、123便やその他の軍事衝突が必ずしも御巣鷹の尾根を中心とした狭いエリアに限定されることは無くなったと言えそうです(*3)。

*1 軍機破片の収集地点: これまでは当局の調査妨害を避けるため、破片収集地点の公表は控えていました。今回ここに初めて読者にお知らせするものです。

*2 兵器の特性を隠蔽:M氏はこの辺りの状況を「焼け焦げて煤けていた」と表現しています。仮に核兵器が使われた場合、煤がでるような燃焼は考えにくいことで あり、後から火炎で焼いたと考えるのが最も自然です。主翼内部には燃料タンクが備わっており、ここで火炎が発生したとする言い訳には丁度いい物証とも言え ます。

*3 狭いエリアに限定されない:主翼偽装についてはM氏の記憶、それも「見た」のではなく「見ていない」という弱い記憶に頼った推察であり、証言としての強度 はそれほど高くないことは予めお断りしておきます。本記事の主旨としては、仮に主翼偽装がなかったとしても、1. 主翼は上空から落下したものであり御巣鷹の尾根が墜落現場と断定しきれるものではないこと、2.破片の落下範囲が一般の予想を超えて広範囲であること、ま た、3.同場所の遺体が燃料の燃焼によるものとは思えないほど激しく損傷しているという点であることを強調しておきます。遺体の検証については、改めて紙 面を割きたいと思います。

* * *
 この記事を書いていて、新年の最初の記事として果たして相応しいかどうか悩みました。しかし数百名もの命を奪った惨劇について書いている以上、残酷な事実 を正視せずに何かを語ることも不可能です。願わくは、来年にはもうこの辛い仕事が終わっていること。多くの日本人の良心が真実に目覚め、長く不幸な状況に あるこの国を、再び力ある良識の国に生まれ変わらせてくださることを、今は信じるのみです。

 ET CUM VENERIT ILLE ARGUET MUNDUM DE PECCATO ET DE IUSTITIA ET DE IUDICIO
 その方(弁護者)が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。

============= FOR ENGLISH NATIVE READERS =============

Thank you for reading "Nihon no Kuroi Kiri (Black Mist in Japan)" blog. The followings are the information to help you understand the articles. I hope I can present you English summaries as possible as I can.


1. What is The Crash Incident of JAL123 ?

On August 12, 1985, Japan Airline Flight Number 123 (Boeing 747 Jet plane), took off Haneda airport (Tokyo) to Itami airport (Osaka) at 18:12 with 524 staff and passengers. It is officially reported that it encounterd wall burst and lost its control above the ocean. The report also says that it started straying over the lands of Japan for about 30 minutes and finally fell into Osutaka mountaneous area a couple of minutes before 7:00 pm. Only 4 lives of the passengers were saved after more than half a day had passed after the crash.


2. What does my blog claim for about JAL123 Incident ?

The answer is TRUTH. There are too many irrational, in another word "doubtfull" explanations in Japanese official report, for example, is it possible that wall burst can occur and blow up all the 747 control lines so easily which was highly fail-safe designed? Why did it take such a long time (half a day) to start saving lives ? Why were so many particles which are not of JAL123 found in the crash point?  I, the blogger named MIROKU, appeal to the readers all over the world that JAL123 crash case is NOT ACCIDENT. It was possibly shot down by a nuclear weapon and most of passengers survived were killed after the crash. To seek the answer what really caused the crash and why Japanese government hides the truth of the incident is very the purpose of this blog.


3. The Summary of This Article

The Photo 2 pictured by a professional photographer as of Aug 13, 1985, shows that the main wing of JAL123 was left on the top of mountain. Mr. M (anonymous) who reached the crash area very early in the morning, however, insists that he didn't see such a big piece when he climbed up on the same place. It is very likely that the big piece of wing was carried ( by helicopter ?) there to lead people to think it could be the right place where JAL123 crashed. The Photo 3 shows heavily burned dead body found around the carried-wing-suspicious place. It is also possible that survivors were burned by fire gun (to kill any eyewitnesses?) and the wing was carried there to excuse why those bodies were burned so hard, since the wing contains fuel tanks inside.

=====================================================
 2010-12-13、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!58

 本家ブログ『(新)日本の黒い霧』さんの情報。衝撃の報告である!!多分、闇資金復興計画?あるいは、闇資金隠蔽工事の可能性?! 第58弾

 これも、『この世・あの世を知る』ブログさんが、南相木ダムについては、現地調査をしている。何故か? ここは、あの『ピカッ』が在った場所だからである。

 <「この世・あの世を知る」ブログより>

 詳しくは、「この世・あの世を知る」ブログに行って、考察されることをお奨めする。

 この場所で、何か途轍もない出来事が有ったのである。それは物質の変容を起こす出来事である。とすれば、核関連の出来事が想像される。かなり広範囲に物質変容が有った。それを隠蔽するために、南相木ダムは造られたのだ。多くの人々が、かの『ピカッ』を目撃した。しかし、語られる事は少ない。それは理由があるのだ。その理由をこの記事は物語っている。目撃談を封ずることは理由がある。しかし、目撃談を封じても、物証は残る。そこで南相木ダムは必要になったのではないか。ダムが必要なのではなく、物証を封ずるための工事が必要だったのである?! まあ、これは推理である。

簡単に言うと、これは焼けた石の層である。
一瞬にして、この厚さの岩が焼けて炭のようになったのだ。多少火薬の臭いがするがおそらく硫黄の成分が強いのであろう。これが何を意味しているのかはお分かりだろう。何万年も前にこの一帯は、おそらく一瞬にして猛烈な高温に覆われたと言う事だ。この異常な焼け方は通常の火事などではない。それこそ核関連の威力とみられる。もしこの地層がかなりの広範囲に存在するとしたら、文明が滅びた可能性がある。少なくともこの辺りで核ミサイルが炸裂していた可能性が非常に高い。そしてこの事が123便事故と無関係ではない。》

 皆目見当が付かなかった、日航機123便事件が、薄紙を剥がすように、明らかになる。これは人間の愚かな行為が、天によって暴露されつつあるのだ。投稿者は、その片棒を担いでいるに過ぎない。転載元のブログ主や、幾人かは知らないが、丁寧に追求されている御仁が居る。その真摯さに打たれて拡散しているに過ぎない。

 伊豆での鶴丸への攻撃は日の丸への攻撃、
 御巣鷹でのエンジンへの攻撃は菊の紋への攻撃ではないでしょうか。エンジンに攻撃して中性子爆弾で止めを刺したかたちですがこのエンジンに攻撃という意味あいですが、菊の紋章への攻撃という意味に私は理解しています。エンジン自体、もですが、事故報告書180ページ写真のエンジンの左側 にあるかたちが菊の紋章に見えて仕方がありません。 123便は日本への、日本人への攻撃であり天皇陛下への脅しであるという意味において私は怒りがこみ上げてくるわけであり膨大な写真集を作成する原動力となったものであります。日本国民は天皇陛下への尊敬の念が足りないのではないだろうか。 天皇陛下は日本の父なのであり皇后様は日本の母なのでありこの念を大事にしていかねばであり天皇陛下を象徴としながら日々是精進する日本人本来の精神をないがしろにする動きは断じて許すことができない。 そもそも防衛庁を防衛省にするのだったら宮内庁を宮内省にするほうが優先順位が高い。123便は菊の紋章の地で日本人の血が流された看過できない事件である。我々は上野村への敬意も忘れてはならない。→続きを読む【転載終了】

 何事も真実が大切だ。隠し事の裏には何かがある。大抵は良からぬ事が多い。良いことをするのに秘密で事を行うことは、ほとんどない。私欲があり、私益がある。貪欲なもの程、秘密は多くなる。そうしたものだ。今まで、余りにも多くのことが秘密裏に行われてきた。あたかもそれが公益に資するかのように詭弁で取り繕ってきたが、それはウソだ。大抵は魂胆があるから、秘密にするのだ。悪党は、概して秘密を好む。これは世の一般だ。例外はない。だから、秘密を暴露することは、善を広めることに繋がる。これは一つの確信である。そう言う意味で、いろいろ言われているが、ウィークリークスは路線としては正しい。ディスインフォーメーション(情報攪乱)であれ、何であれ、情報が真正なものであれば、それは一定の価値がある。ちょっと、話が逸れてしまった。失敬!

 JAL123便墜落事故-真相を追う-神々の落涙(1)2010-12-12

 前回、「蘇る亡霊(10)」 で宗教的な話題にあまりにも偏り過ぎたので、今回はもう少し現実的な話題を取り扱います。軍事面の考察を中心とした「蘇る亡霊」シリーズと差別化するた め、タイトルも「神々の落涙」としました。日航機事件に関わった人々の心の弱さ、悲しさを象徴する言葉を選んだつもりです。このシリーズで取り扱うトピッ クは、もしかしたら、一般の人までを傷付けてしまうかもしれません。当分の間、「封印」を心に決めていましたが、本ブログの開設、軍機破片実物の展示をし てからかなりの時間を経過した現在でも事実隠蔽が解かれていないこと、放射性物質による汚染がもはや放置できないレベルであるとの判断から、意を決して公 開することにしました。もしかしたら、私は恨まれるかもしれません。しかし、日航機事件で一番の被害者、最も悲痛な思いを味わったのは、命を落とした乗客乗員とその遺族であり、 私がどんな責めをを負うことになってもそれに及ぶ苦しみはないでしょう。また、私の記事に苦痛を感じる人々がいたとしても、遺族・被害者のそれと比べて、 果たして如何ほどのものでしょうか? 能書きはそれ位にして、本テーマの最初のトピックとして、123便墜落現場の南側、長野県南相木村で見た不思議な光景について報告します。

 ■「食い詰め者」の村と呼ばれた寒村、南相木村(みなみあいきむら)

 のっけから、ひどい物言いで申し訳ないのですが、「食い詰め者」とは同地域の人が本当に言ってた言葉です。25年前の事故当日、墜落現場はここでないかと、北相木村と並んで報道陣が押し寄せて有名になった村です。同村に隣接する長野県川上村や南牧村などは、レタスなど良質の高原野菜の大規模栽培で有名で、年収が億に届く豪農も珍しくありません。しかし、山間の南相 木村は、開墾できる農地や水田は非常に少なく、冬の最低気温がマイナス20℃に届くこともある極寒地帯です。畢竟、農業による収入は周辺町村に比べるまで もなく、勤めによる収入こそが村民の主な拠り所だったと言います。30年程前の南相木を知る人は、「極寒の真冬でも障子1枚で外と隔てるような貧相な家ばかりだった」と言います(多少誇張はあると思いますが)。

 南相木村データ (http://www.minamiaiki.jp/)
 世帯数:  455
 人口 :1,155

 ■南相木村に訪れた新築ラッシュ

 昔の南相木村を知っている人が、最近の村の様子を見たらきっと驚くことでしょう。貧相な家しかないと思っていたのに、大きくて新しい家があちらこちらに立 ち並んでいるのですから。私が視察した時の実感でもそうなのですが、一緒に現地へ赴いたプロの住宅建設関係者に聞いても築年数5年前後の新しい家が非常に 多いと言います。その住建関係者に、新しい住宅の建設費がいくらになるか値段を査定してもらいました。この時は写真による査定なので、正確な値段というより、だいたいの数 字と考えてください。なお、査定の数値に内装費等は含まれていません。あまり趣味のいいことでないのはわかっていますが、この査定作業こそが、この村が隠 している大きな謎を露呈することになるのです。査定額を出すに当たって、南相木村特有の条件が存在することをご理解ください。その条件とは、冬場の気温がマイナス20℃に達するため、表土の凍結深度を 1m20cm程度は見なければならないこと。つまり、1m以上の深さまで基礎を打たないと大きな家は建てられないという自然環境による制約があるというこ とです。そのため、平地ではそんなに高価とは思えない住宅でも、基礎工事費が跳ね上がるため、南相木村ではどうしても1~2千万円は建設費が嵩んでしまうのです。その点も加味し、南相木村の築浅物件の査定結果を以下掲載します。

 写真1:3千万円くらい、ただし、高級な木製サッシを使っているので、内装にはかなりお金をかけているだろう

 写真2:奥行きがよくわからない、見えてるところだけで7千万円くらいか
 
 写真3:右の家は安そうに見えるが、3階建て(ロフトルーム)が作られているので5千万円くらい。左の家は贅沢な2重サッシでやはり4~5千万円くらい。

 写真4:都会の住宅地のような新築住宅群。これはそんなに高くない。1件、2~3千万円くらい

 写真5:2階に出入り口、1階に下りる側溝部分の施工状態で値段は大きく膨らむ。そんなにお金をかけてないとして4千万円くらい

 写真6:これはお金がかかっている。建坪は広く、屋根は瓦の下に銅板を葺いている。楽に1億2千万円以上。家格に見合う家具を新調していたなら、総額は1億5千万円に達するだろう。

 写真7:奥の家は瓦屋根にお金がかかる入母屋作り。ざっと見ても1億かかっている。手前の家は建坪がはっきりしないが、大きいと見れば7~8千万円くらいか。

 写真8:大きな建坪、切妻の家。7~8千万円。

以上、都会のサラリーマンが羨むようなお金のかけっぷりです。また、ローンで家を買ったことのある方ならよくおわかりでしょうが、図6~8のような40平米を超えた建坪の家には住宅金融公庫の住宅ローンはおりません。通常は現金で建築費を用意する必要があります。

 ■高級築浅住宅が建て並ぶ和田地区

 以上のような住宅が、南相木村全域で見られるかというとそうでもありません。最も頻度が高く見られるのは、南相木の中でも「和田」地区と呼ばれる村の中心 を流れる川の下流域の辺りです。一方、川の上流域である「三河(または三川)」地区は、今でも上記の証言にも出てくるような貧相な家(失礼)を見かける地域です。
図1:和田地区と三河地区。Google Map に南相木ダムが表示されない理由は?南相木ダムの東、山向こう側が123便の墜落現場とされている御巣鷹の尾根。墜落現場に非常に近い

 和田地区と三河地区の違いはどこから生じるのか?近隣町村出身者の証言では、和田地区には地元建設会社の「(株)腹黒組(仮称*1)」に勤めている住人が 多く、一方、三河地区の住人にはどちらかというと腹黒組とライバル関係にある企業への勤め人が多いとのことです。先にも触れたように、農業生産能力に限界 がある南相木村では、役所や建設会社など地元企業の被雇用者となることが生きる道なのです。

  写真9:腹黒組(仮称)の本社

 その腹黒組が会社を大きく成長させ、金銭的にも豊になる大事業が1990年代半ばにスタートしました。このブログでも何度か取り上げた「神流川発電所」の 建設事業です。この事業の関連施設として南相木村に「南相木ダム」が建設されたのは以前に触れたことがあるかと思います。この事業は2005年に1号ター ビンの稼動をもって運用が開始されました。腹黒組が事業のどの部分を担当し、どれ程の収益を得たのかはまだ調べていませんが、現在は南相木ダムのメンテナ ンス業務を受注していることから、地元企業として相当部分に関わっていたことが予想されます。

 写真10:南相木ダム。山を削った痕が今でも残る。長時間の停留は厳禁(理由本文)

*1 腹黒組:品のない仮称ですみません。しかし、本当にそう呼ぶ地元の方もいるので、これを採用しました。

 ■ダム景気で説明できない豪華住宅

 ダム建設が決まり、事業主体の東京電力や電源開発(現電源開発株式会社)から一定の保障を受け、地元企業がダム建設関連工事を受注したとなれば、村全体と して景気が良くなるのはわからない話ではありません。それなりの保障、税収があったことは、南相木村の近年建てられた立派な庁舎(見積建設費、3~4億円 くらい)を見るとよくわかります。

  写真11:南相木村庁舎。建設費3~4億くらいか。人口千人程度の過疎村にしては立派だ

 しかし、高々下請けの地元建設会社の被雇用者が、あれだけ豪華な住宅を建てるだけの現金を、賞与や退職金、ましてや給与で受け取っているというのは、どう 考えても不自然です。税金のことだけ考慮しても、1億の現金を手元に残すなら、2、3億円貰っていないと辻褄が合いません。また、最近建てられたばかりの 家は、数10件規模で点在してますので、多くの従業員にそれが支払われていることが想像されます。被雇用者にしてそれですから、会社の収益となれば莫大な ものとなるでしょう。ダム工事の下請け受注程度でそんなことが可能なのでしょうか?それとも、何か別のとてつもなく大きな事業に参入できたのでしょうか? 「ダムの建設保障費なのでは?」という疑問に対しては、南相木ダムの建設でダムの底に沈んだ集落は無く、移転保障などの発生はあり得ないと答えられます。 そもそも、このダムは川のかなり上流域で、少なくとも7~8個程度の山を削って作られています。通常は深い谷を堰き止めるなど、地形をうまく利用するのが ダム建設の定石ですが、南相木に関してはわざわざ山を丸ごと取り除くなど、極めてコストのかかる非効率な建設手法を選択しています。南相木ダムの建設目的に関する疑惑は本記事の直接のテーマではないので、次回以降に取り上げます。

 ■豪華住宅の資金源は何か?

 遠方のため、現地に張り付いての調査は中々困難です。そこで、現地に近い本ブログの読者に調査協力のお願いがあります。

 ・まず、この記事が事実かどうか、南相木村の和田地区をその目で確認してください
 ・法務局の佐久支局で和田地区の住宅の評価額および抵当権が設定されている場合は
  抵当権者の名義を確認してください。
  http://houmukyoku.moj.go.jp/nagano/table/shikyokutou/all/saku.html
 ・「(株)腹黒組(仮称)」の実名は現地へ赴けばわかります。この会社の過去10年の
  収支報告と実態(資産・所有建造物)との整合性を確認してください。

 また、オンブズマン活動の経験がある方は、南相木村の歳入、特に補助金や固定資産税の内訳、施設・建造物など実態と比べた場合の整合性について過去10年に遡って確認してみてください。資産評価額および税収額と実体との乖離が確認できた場合、例えば評価額が不当に低く設定されているような場合、闇資金の流入が はっきりと確認できるはずです。もしもそのような不正が事実だと判明すれば、東京電力、電源開発(現電源開発株式会社)、地元村役場、地元企業だけでな く、国税庁(財務省)・総務省を巻き込んだ国家・企業ぐるみの不正が露見するはずです。また、これら築浅高級住宅を一覧すれば数10億円に上る資金が短い 期間に動いているのは明らかであり、これの出元が闇資金ならば、外に秘密が漏れないよう限られた銀行が幹事となり、密かに資金マネジメントを行っているの は確実です。抵当権者を調べることは、闇の銀行を突き止める重要証拠となるでしょう。調査に当たっては、私たちがそうされたように、地元暴力団を使った妨害が予想されます。必ず2人以上で行動し、携帯電話ですぐに外部と連絡が付くよう、安 全の確保を万全にしてください。また、上流のダム付近には長時間停留しないでください。上流部はほぼ確実に放射能汚染されています(測定値など関連情報は 近日公開します)。

 ■闇の政治家は誰か

 お役所、企業、暴力団、地元住民と出てくれば、最後に残された役者は、政治家ということになります。南相木村は、現民主党最高顧問「羽田孜(はたつと む)」氏の選出地域です。たいへん失礼ながら、以前より、能力的資質に著しく欠けると思われる羽田氏が、新進党時代に総理大臣に選出されたことへ疑問を感 じていました。しかし、南相木村闇資金疑惑(および日航機事件)と何か絡んでいるとなれば、その必然性も理解できます。しかも、総理大臣への就任はちょう ど神流川発電所の計画が始まった頃と同じ1994年(事業決定は1995年)です。以上、疑惑の矛先である羽田氏については、日航機事件に絡む他の政治家たちと同列にこのブログで取り上げることにします。

 以上、闇資金の具体的な調査はこれからの課題ですが、仮に不正な資金が南相木村に流入したとしたなら、その目的は何だったのか?実はそれが一番の問題なの です。推論を許していただけるなら、その目的は「証拠隠し」、「口封じ」以外に考えられません。私たちの調査への批判として、よく「目撃証言が出ていな い」というのがありますが、もしも、その「目撃証言」が金で買われていたならば、証言が出てこないのも頷けていただけるのではないでしょうか? 日本人の良心が金で買われている。私は、この国の神々が泣いているように感じて止みません。

CLARITATEM AB HOMINIBUS NON ACCIPIO. SED COGNOVI VOS QUIA DILECTIONEM DEI NON HABETIS IN VOBIS
わたしは人からの誉を受けることはしない。しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がないことを知っている。
 2010-12-11、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!57。

 本家ブログ『(新)日本の黒い霧』さんの情報。謎のペリコプター編隊飛行の暗号!!。果たして、クーデター計画はあるのか?そして、その意味するものとは何か?! 第57弾。

 奇しくも、『この世・あの世を知る』ブログさんが、彼の臼井宇宙空間研究所の巨大パラボラアンテナを載せておられる。実に巨大である。

 <「この世・あの世を知る」ブログより>

 はたして、クーデター計画なるものがあるのか、ないのか? 情報を収斂させていくと、あると考えざるを得ない。実行は可能か、否かは分からない。しかし、その勢力と計画は存在する。これがこれまでに結論である。これが良いことか、良くないことかは、誰が考えても分かるであろう。クーデターとは、軍事革命である。当然のことながら、民主主義を踏みにじるものだ。そして、それは過酷で、無慈悲なものだ。いかなる理由があれ、許されるものではない。

 ましてや、この中核組織が、日航機123便事件に関与しているとしたら、尚更のことだ。かつて、2.26事件があった。5.15事件もあったもあった。世界的には9.11事件も言わば、ネオコン一派の実質上、クーデター事件の様なものだ。その後に何が起こったか? 戦争である。いずこも同じ成り行きを見せる。おそらく、日本の深奥には、核兵器も核ミサイルも、あるいはそれ以上の何かも温存していると考えられる。しかし、それは表には出せない。面に出したくてうずうずしている連中が居るとしたら、それはクーデター以外にない。そう言う構図が浮かび上がる。それをアメリカが容認するだろうか? 普通に考えて、容認しはしないだろう。それなのに、そこに海兵隊のヘリがサインを出すのだろうか? そこは全く解せない話ではある。まあ、そこまでの飛躍は、さておいて、これまで観てきた闇の軍事組織は、無慈悲で過酷である。人間性の欠片も感じられない。おそらくは、闇の闇たる所以がそこにある。警戒すべき兆候である。いずれにしても、奇しくも日航機123便事件の暴露は、その双極にあると考えられる。少なくとも、投稿者はその立場である。立場と言っても、別にイデオロギーで言うのではない。暴露を通じて、真相を追うと自ずから見えてくるものがある。何が起こり、どうなったのか。そして、それはどういう意図が働き、その意図は誰が何のために企てられたのか。又、その結果は、容認出来る内容か否かである。到底、容認出来る内容ではない。悪意に満ちている。人間として、欠片も感じられない蛮行が見受けられる。それだけだ。断固、糾弾し、警戒を怠るべきではない。
JAL123便墜落事故-真相を追う-蘇る亡霊(10)2010-12-08

 本日は12月8日、日米開戦からちょうど69年となります。その日にふさわしいかどうかはわかりませんが、前回の記事でお約束通り江戸川上空に現れた米海兵隊機の編隊飛行が示すサインについて、解説を加えたいと思います。

 ■10月17日の編隊飛行が意味するもの

 図1:10月17日の編隊構成

 この編隊が示す数字の列は、5、6、6、3、7となります。そして、サインの意味は次のように解釈されます。「新しい時代に入った、やがて世界は完成に向かう」。この解釈を導くには、キリスト教学、および西洋占星術の知識が必要となります。それについて一から説明すると膨大な説明となってしまうので、それはまたいつか日を改めて書かせていただくか、もしくはセミナー会場など口頭での説明とさせていただきます。相手が西洋の軍隊ということもありますが、少なくともこ のメッセージがクリスチャンである私、そして、同じくクリスチャンである国際軍事評論家のB氏に読まれることを強く意識したものであることは間違いないでしょう。

 ■「新しい時代」とは何か

 「新しい」という言葉から、何やら良いことの訪れを予兆しているようですが、このメッセージを送ってきたのが軍隊であることに注意が必要です。現在の政治 情勢を見ればわかるように、きな臭くなってきた尖閣・朝鮮半島情勢と中国の台頭、世界的な景気低迷などこれまでに比べ世界情勢は混迷の度を深めているとい えます。海兵隊機が示した「新しい時代」とはおそらく「戦乱の時代」のことであり、それを東京の上空で示したということは、日本もその流れから免れること はできないという意味に受け取れます。同時に、日航機調査チームにそれを示してきたということは、これまでこのブログで取り上げた何かに関連していることを示唆しているはずです。私が考え付く のは、ズバリ、私自身がこれまで「国営テロ集団」と呼んだ謎の軍事組織、あるいは池田昌昭氏が唱える「黒幕的組織」による国内での武装蜂起の可能性です。 そして、彼らが武装蜂起、あるいは自衛隊内のシンパを取り込んだ武力クーデターを実行した場合、国民の支持を取り付ける当たって最大の障害となるのが、 「日航機事件」になります。123便を撃墜したのが誰なのかという問題は別として、彼らが必死に真相を隠そうとしてきたことは、これまでの記事で示したよ うに明らかです。ここで興味深い考察が生まれます。日航機事件では米軍も多大な被害を受けていることは明らかなのに、なぜこの真実をこれまで公にしなかったのか? 対日本戦略の一面もあると思いますが、今になってこのように米海兵隊機がわざわざ知らせにくるということは、それ以外の理由もあると考えた方が自然です。おそらく、米国政府・米国軍内に大きな亀裂が生じているのでしょう。実は、これを裏付ける現象が10月24日に埼玉県朝霞市で行われた自衛隊観閲式で、日米安保50周年記念として行事に加えられた米軍の祝賀飛行にはっきりと現れています。観閲式当日、江戸川上空に現れた米海兵隊のあれだけ(38機+8機)の軍用ヘリコプターが、1機たりとも会場には姿を現しませんでした。飛んできたのは、在日米陸軍、空軍のわずかな航空機のみ。この不可解な事実については、自衛隊観閲式詳説として別にとりあげます。「新しい時代」、それは日本、米国、そして関連各国を巻き込んだ世界的な内乱の時代の始まりのことかもしれません。それは、聖書で例えるなら、「黙示録」の時代の始まりと言えるのではないでしょうか。

 ■完成された世界とは何か?

 単純に考えれば、戦乱の世を過ぎ、やがて恒久的に平和な世界に到達すると考えられます。聖書的に言えばキリスト再臨後に建設される「千年王国」ということ になりますが、具体的にそれがどのような体制で、どのように世界が統治されるのか皆目検討がつきません。しかし、わからないながらも、私なりに出した結論 があります。その結論については説明を省略し、私からのサインとしてその象徴を示すのみとします。極めて宗教的な意味があることだけは付け加えておきま しょう。

 図2:ご存知アルファロメオのエンブレム 図3:10月24日(観閲式当日)に箱根の九頭龍神社にてR氏が撮影

* * *

 他の飛行編隊の解説は次回以降とさせていただきます。

 FECIT ERGO MOSES SERPENTEM AENEUM ET POSUIT PRO SIGNO QUEM CUM PERCUSSI ASPICERENT SANABANTUR
 モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。

 2010-11-29、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!56

 本家ブログ『(新)日本の黒い霧』さんの情報。池田昌昭氏の新刊が出版されたようだ!!まだ、読んではいない...。まずは先にその書評から、ご覧あれ!! 第56弾。

 見てきたような講釈は出来ないから、転載ブログにお任せするとして、別な角度から論じることとしよう。はたして、日航機123便を撃墜したのは自衛隊か米軍か? との解答は、証拠と推定事実だけでは明らかになるのは難しい。仮に確定事実であっても、事実は真相の断片に過ぎない。断片を繋ぎ合わせて真相が浮かび上がるかというと、絶対と言うわけにはいかない。真相が明らかになってこそ真実が見えてくるのである。逆に真実は真相を明らかにしなければならないが、事実からだけでは真相が明らかになるとは限らない。そこに真相解明の難しさがある。そこには、叡智が必要である。叡智とは、物事の真実在の理性的、悟性的認識と辞書にはあるが、要するに勘の高級な様なものだろう。それなくして、とうてい真相に迫ることは難しい。一種のお告げみたいなものかも知れない。それが悟性的認識という意味だろう。その意味で、123さんの存在は大きい。彼の言説は、最初、投稿者にも全く以て理解不能であった。しかし、何故か魂の奥からの叫びを感じた。叡智は魂の奥から出でるものだと想われる。最初は判然とはしなかったが、この本家『(新)日本の黒い霧ブログ』の情報出所は、多く123さんに依るものであることが分かる。多分、sさんは123さんの事であろう。その闇の軍部組織であるが、これはいずれにしても存在する。だが、今、見極めが定かではない。見極めというのは、勿論、真相の洞察範囲内のことではあるが、別のかなり信憑性の高い情報ももたらされている。ソースは明らかに出来ないが、符合する。

  投稿者の信頼出来る情報筋から『その一団はクーデターを起こせる規模が存在するとのことです。この点に関する事実についての深奥は我々には語ってくれませんが、この事実を“取材”するというのであれば、命がけになると思います。』という、言質を頂いた。意味深である。如かし、全容を把握するには、今暫く時間がかかるだろう。確信が持てたら、順次、考察していくつもりである。

 AL123便墜落事故-真相を追う-書評:池田昌昭著「鎮魂 JAL123便」、2010-11-26

 「御巣鷹ファイル」シリーズなど、123便事故関係の真相究明書籍で有名な池田昌昭氏による最新刊「鎮魂 JAL123便」が、今月15日初版で発売されました。今回は出版社なしの完全なる自費出版のようで、一般書店での入手は困難かもしれません。幸い、同書 籍を入手できたので、簡単な書評をここに記述させていただいます。

 写真1:池田昌昭著「鎮魂 JAL123便」
  ========================(11/28追記)======================
  同書は以下の連絡先へFAX、または注文メールで購入可能です

  うつのみや柿木畠本店 (http://www.utsunomiya.co.jp/)

  FAX:076-234-8131
  Mail:honten@utsunomiya.co.jp
  本店「山田店長」様宛てとお書きください。

  価格:1,890円(書籍)+600円(着払い料金) 全国発送可
  ===========================================================

 ■池田氏が主張する123便の事故原因(Aパート)

 まず、123便の墜落に至ったテクニカルな論証として、池田氏が主張する内容を箇条書きにて以下に掲載します。

 A1. 遠隔操縦による御巣鷹山近辺への誘導
 A2. 気象兵器による天候操作
 A3. 核兵器の使用
    (1)相模湾上空での中性子爆薬の使用
    (2)焼津沖上空での中性子爆薬の使用
    (3)墜落現場における中性子爆薬の使用(2回)
 A4. 日本はすでに核配備されている

 ■池田氏が主張する123便の事故原因(Bパート)

次に、Aパートで記載した攻撃を123便に遂行した理由・動機について、池田氏は次のように結論付けます。

 B1. 日本社会に巣食う黒幕的組織の存在
    (1)日本の再軍政化を指向する官産軍複合体
    (2)日本の再軍政化を指向する日米複合体
    (3)日本の再軍政化を指向する海陸空自衛隊合同体
 B2. 新兵器(中性子爆薬他)の実験および日本の軍事力の誇示
 B3. 報道管制など将来のクーデター実行に必要な予行訓練

 ■「(新)日本の黒い霧」管理者の基本的見解

 同書の中には、本ブログを参考にした旨の記述、また、本ブログでも証言をご紹介した、現場一番乗りの民間人、M氏の再取材内容も含まれています。これまで の著作の中で、池田氏は絶えず日本の軍政化グループの存在可能性をご指摘され続けていたいました。本ブログを立ち上げた当初、私自身、「それは言い過ぎな のでは・・」と思っていましたが、これまでの記事で取り上げたように、大規模で組織的な激しい取材妨害を受けてきた現在、基本的に池田氏が主張する「黒幕 的組織」が日本の政官財界、軍・ヤクザ組織まで浸透していることは認めざるを得ないと思われます。ただし、詳細においてはかなりの部分で本ブログの主張と異なる点があります。真相は未だもって闇の中ですから、どちらが正しいのかと強弁することに意味はありません。ここでは、違いは違いとして現在の見解をお知らせしておきたいと思います。

 ■米軍の立場は何であったのか?

 同書の中でに「米軍犯人説の矛盾」という一節があります。記述によると、(1)米軍は横田基地に123便の着陸許可を出し、(2)日本政府に対し乗客の救 助要請を出した、のだから、日本の組織的犯行に加わっていないという論拠のようであります。しかし、それだとB1(2)でご指摘されている日米複合体の存 在と矛盾が生じると思います。そもそも、(1)の着陸許可は捏造が疑われているフライトレコーダーからの類推でありますし、(2)の救助要請についても、事故から10年後に突然マスコ ミに登場したアントヌッチ証言を根拠にしたものであり、このような事実が本当にあったかどうか信憑性の確認がとれない限り、根拠として使用するのは控える べきだと私は考えます。そして、池田氏があえて避けてるようにみえるのが、墜落現場周辺から発見された、数々の米軍機の破片です。本ブログを読まれているにもかかわらず、これら にあまり触れられていないのが気になります。また、忘れてならないのが、旧ソ連軍機、旧ソ連地上部隊の残骸、また航空自衛隊機の破片です。米国機に限らず、これら証拠品の存在を無視して結論を導くのは、まだ早いのではないかと思います。

 ■必然性がない軍事力誇示説

 池田氏のB2、B3説に共通する「軍事力の誇示・訓練」に至っては、私はかなり懐疑的な見解をお伝えするしかありません。本ブログでは、123便の積荷と 思われる軍用化学物質(4フッ化ホウ素)が現場に大量に残されていることをお伝えしました。一般旅客機を標的に軍事訓練を行ったとするなら、積荷となった 軍事物資に何の意味があったのでしょうか?軍事物資を回収する訓練も合わせて行ったとでもいうのでしょうか?だとしたらば、未だに現場に放置されている理 由は何なのでしょうか?また、若い自衛隊員と思しき集団が、登山者や山林の整備事業を装い、残留放射性物質の危険に晒されながら、墜落から25年を過ぎた 現在まで破片の回収を行い続けているのはどう説明したらよいのでしょうか? 遠隔操作や核爆薬の実験を行うなら海上を長距離飛行する国際線を狙うべきでしょうし、目撃者の多い地上での撃墜で報道管制能力をテストしたかったというな ら、もしもそれができなかった場合の首謀者側のリスクは多大なものになります。報道管制をやり切れる絶対の確信はどこから得られたのでしょうか?以上の推 理からも軍事力誇示説を主張するには、まだまだ状況証拠の段階で無理が多いと言わざるをえません。

 ■可能性の高い核兵器の使用

 中性子爆薬については、池田氏は「放射線強化型超小型水爆」と時々、言い換えて表現しているようです。4回の爆発にはそれぞれ差異があるとのご見解のようですが、簡単のためにA3で示された核兵器を「中性子爆薬=中性子線の放出を強化した水爆」として一括りに解釈します。爆発前の唸るような金属音、閃光の色、きのこ雲など、池田氏本人が現地取材で得た多くの目撃情報から、核兵器が使われた可能性が極めて高いことは、本ブロ グの見解としても同意いたします。相模湾上空での使用についてもその可能性を否定しません。何より、現地調査で協力いただいているS氏が罹った急性放射線 障害、墜落現場付近で真冬でも雪が溶け出す地熱が高いエリアの存在、現場に最初に入ったM氏が10年後に肺癌を罹患したこと、また、伝聞レベルですが、初 期に現地に入った雑誌記者がやはり肺癌で亡くなっているなどの情報、南相木側での比較的高い放射線測定結果など、核兵器の使用、もしくは核弾頭搭載機の墜 落を示唆する状況証拠は比較的揃っています。ただしそれが中性子爆薬であったかどうかは疑問です。同書には中性子爆弾の実験写真が引用として掲載されていましたが、国際軍事評論家のB氏によると、本 当に中性子爆弾が開発されたかどうかは軍事評論家の間でも疑問の声があるとのこと。そもそも、中性子爆薬の開発思想とは爆発力よりも中性子線による生命の 殺害を優先することであり、同書が記述しているように、乗客乗員に脳機能障害を引き起こした(ボイスレコーダに示された乗員の不明瞭な言葉や遺書の字の乱 れが根拠)程度ですむはずがないのです。「中性子線が放出されたのならば、理論上、機内の人間は全員即死のはずです」とB氏は語ります。私は、今の段階であえて中性子爆薬を強調する必要はないと思っています。何かしらの核兵器が使用された、その結論だけでも池田氏の精力的な取材内容が否定されるものでは決してありません。

 ■誰が核兵器を使ったのか?

 A4にあるように、池田氏は日本の核が使われたと断定しています。これまで、本ブログでは、B氏が東海村の動燃施設内で日本製核弾頭の実物を目撃したこと があるとの証言をご紹介しました。その他、私に届く伝聞情報レベルでは、日本の核武装はもはや公然の秘密となっている感があります。しかし、日航機事件に関しては、核攻撃を仕掛けたのが直ちに日本の黒幕的組織と断定するにはまだ論考を重ねる必要があると考えます。これまでお知らせした とおり、123便のエンジンに突き刺さった不発ミサイルは米国軍のものである可能性が高いこと。しかしながら墜落現場周辺には大量のミサイル片、日米ソ連 軍機破片が散乱しており、相当な乱戦が展開したことが予想され、誰が誰を狙ったかを単純に特定するのが難しいと言えます。当時から日本に核兵器が配備されていたのならば、日米ソ全ての軍が核兵器を使用し得る立場にあります。核兵器の使用者(=123便の撃墜主体)に関して は、目撃情報や散乱軍機片の解析からでは限界があり、当時の国際政治・国際軍事の背景、日本の黒幕的組織の実態を解明し、互いの戦略論理を精緻に分析する ことでしか答えを求めることは不可能だと思われます。

 ■疑われる新兵器の投入

 A1の遠隔誘導については、米国産航空機は基本的に遠隔操縦できる仕様になっているという陰謀論的な噂も絶えません。本ブログとしては、「できたかもしれ ない」程度の同意に留めておきます。当時、電子立国と呼ばれた日本の技術水準ならば、軍仕様レベルでそれくらいのことができても不思議ではないからです。またA2の気象兵器の使用については「確証はないが、極めて疑わしい」とだけ答えておきましょう。とはいえ、個人的には1985年以前に竣工された臼田の大パラボラアンテナの機能について強い疑いを抱き、軍機大量撃墜の主犯ではないかと仮説を立てたのは、以前に「蘇る亡霊(5)」で示したとおりです。公式発表されている臼田パラボラの研究内容の一つに「エネルギー伝送」という項目があります。1980年代、発電エネルギーを送電する手段としてマイクロ派に変換し伝送する方式が議論されていたことを今でも覚えています。私も物理学を専攻する者で あり、仲間と「伝送中のマイクロ波内を飛行機が横切ったら、どうなるだろう?」とふざけて議論していたことを覚えています。答えはもちろん「墜落」しかあ りません。これに加え、臼田近辺の事情に詳しいM氏から次のような話を聞いています。「『臼田の大パラボラが動いていると、飛んでるカラスが落ちる』なんてのは、地元では有名な話ですよ」。池田氏が主張し、本ブログも認める「日本の黒幕的組織」の存在。科学振興行政を預かる文部科学省、またその所管であるJAXA(宇宙航空研究開発機構)な ど、軍事技術と直結する研究機関がその黒幕的組織に加担していない保障はありません。もしかしたら日本のHARRP(*1)とも言える技術が、この時、日 本でも完成し、気象操作がすでに実現化していたこともまんざら無いとは言えない気がします(*2)(*3)。

*1:HARRP(ハープ):米国のオーロラー観測設備。陰謀論系の議論の中では、天候操作や、人工地震の発生に使われていると言われている。

*2:・1994年1月17日 カルフォルニア大地震
  ・1995年1月17日 阪神淡路大震災
  日米両 HARRP 攻撃の応酬と捕らえる説もあります。日を改めて解説しますが、被害地の神戸は日航機事件にも関連する重要都市であり、117という数字から御巣鷹で発見されたステルス戦闘機 F-117 との連想も働く。日航機事件が隠された日米戦争ならば、同説もそれなりに説得力があると言えるでしょう。

*3:1983年、平和相互銀行による馬毛島事件は自衛隊の特殊レーダ(OTHレーダー)の建設利権に深く絡む事件でした。OTHはパッシブには長距離観測レーダーの機能を有しますが、アクティブには電子戦の攻撃用途に使うこともできるとのこと(B氏)。日本版 HARRPの可能性を考えるならむしろこちらのOTH。この建設案件は立ち消えになったそうですが、どこかで形を変えて計画が生き残っていたのかもしれません。また、この事件は、当時、政・財・官(軍)が著しく癒着していたことを象徴しています。平和相互銀行は1985年、うやむやのまま住友銀行(現三井住友銀行)に吸収合併されました。 写真2:臼田の大パラボラアンテナ。2階建て管理棟が小さくみえる(管理者撮影)。山の中腹にあるため、アンテナは東の群馬県側にしか向けられない。反射面精度は非常に粗く、これで深宇宙の探査や衛星追跡ができるとは到底思えないのだが・・・

 ■黒幕的組織を考える

 日本の黒幕的組織については、本ブログ「蘇る亡霊」シリーズにおける中心テーマです。このテーマを扱うこと自体が非常に危険ですが、池田氏のように取材妨害と闘いながら勇気ある告発をなされる方が居られることは、私にとっても大きな励みです。このような組織を分析するときに、欠かしてはならない大事な視点があります。それは、「組織は一枚岩ではない」という事実、というか、人間社会の現実で す。陰謀論の類で最も陥りやすい間違いは、例えば「米国の陰謀」というように、3億人も人口がいる米国をたった一つの総体としてみなす乱暴な論法です。現 実の社会で、組織が大きくなればなるほど幾つもの派閥が生まれ、中には利害が正反対化し対立が始まるなどというのは、少し世の中で仕事をした人なら誰でも 理解できる例えではないかと思います。その意味で言えば、池田氏の主張するB1(1)~(3)なる複合体の分類は、かなり荒っぽいと言わざるを得ません。「蘇る亡霊」シリーズでは、黒幕的組織 との関連が疑われる自衛隊基地、駐屯地を実名で掲載しましたが、だからといって全ての自衛隊員がその一員だと言ってる訳ではありません。私の目から見て、今も昔も、自衛隊は大きく分裂しています。このような状態を正確に把握分析して、如何に黒幕的組織の解明に結びつけるか、それが本ブログの役割と捕らえています。

 ■最後に

 書評の最後に、池田氏が決定的に言及を避けている事項に少し触れたいと思います。一国の政治・経済が力を得るには、良くも悪くも「軍事力の裏付け」がなく ては話になりません。残念ながらそれが現実です。一国の政治・経済の裏付けに軍事力が必要なら、軍事力を行使するに当たりそれを正当化するものがどうして も一つ必要となります。それは"権威"です。この日本において軍事に権威を与えるもの、それは一つしかあり得ません。日航機事件の解明を最後まで突き詰め ていけば、自ずとその点に触れざるをえない、それは、このブログを読む「黒幕的組織」の関係者にもよく理解していただく必要があるでしょう。
* * *

 先月10月、東京都上空に出現した米国海軍・海兵隊および、陸上自衛隊による編隊飛行の解説は、12月4日に開催されるB氏の定期セミナーで詳細を発表 後、本ブログで再掲載したいと思います。現実に起きた事象を通して、自衛隊・在日米国軍内での対立・協調関係、未遂に終わっただろう東京内戦(クーデター 計画)など、日航機事件と密接に関連する日米軍事・政治の現実をお知らせいたします。

 DIXIT ERGO IESUS AD EUM NISI SIGNA ET PRODIGIA VIDERITIS NON CREDITIS
そこでイエスは彼に言われた、「あなたがたは、しるしと奇跡を見ない限り、決して信じないだろう」
 2010-11-19 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!55

 本家ブログ『(新)日本の黒い霧』さんの情報。隠された戦争の縮図が垣間見られる!!殆どチンプンカンと思われる方も多いであろう.....。荒唐無稽と見える日航機事件の深層がそこにある!! 第55弾。

 尖閣事件と何の関わりがある? 誰もがそう思うであろう。投稿者もその一人であった。少なくとも、この事件に関わることがなければ、そのままであったであろう。しかし、今は少し違う。しかし、私見は別にして、本家の見解に注目したい。恣意行動という事は、何を訴えているというのか。ブログ主もR氏もどういう関係の方かは存じ上げないが、次回の公開が待たれる。一つ気づかなければならない事がある。確かに今、日米中露の関係性が節目を迎えている。そして、朝鮮半島だ。おそらく、朝鮮半島情勢が大きく動く可能性がある。勿論、韓国、北朝鮮の地図を塗り替える変化が起こるだろう。これは勘である。思うに日本の軍事力は、その潜在力に於いて、圧倒しているものが感じられるのだ。だが隠されている。表面から窺うだけでも、テクノロジーにおいて、ハイテク性において、世界に冠たるものが有る以上、日本抜きに今の軍事技術は考えられない。その事を知り尽くしている世界の諜報関係者は、相当に警戒して居ると観て良い。今は日米同盟、世界支配戦略の中で、小さな軍備、大きな経済の小国を甘んじているが、その実、相当日本は世界の最重要軍事国家であることが認識されているのかも知れない。はっきり言って、核兵器保有などは、今はしていないかも知れないが、決断すれば、訳もない話であろうし、実は隠し持っているかも知れない。日航機事件はその事を彷彿させられる状況が垣間見られる。そして、それを隠す裏の軍部が日本はあって、あわよくばクーデターを目論んでいる可能性がある。それが日米安保堅持の真意であろう。勿論、日本側にもそれが在ろうが、米国自身の思惑の一番大きな理由ではなかろうか。ひょっとして、米海兵隊駐留の最大の目的は、今、それが大きいかも知れない。リヴァイアサン【Leviathan】という怪獣が居る。旧約聖書の出てくる怪獣のようだが、どうも日本近海、もしくは日本そのものの中に巣食っている様子が窺える。

 JAL123便墜落事故-真相を追う-蘇る亡霊(9)、2010-11-16

先日、尖閣諸島周辺海域における中国漁船と海上保安庁の巡視船との衝突ビデオがネット上に流出し、大きな社会問題になったことは記憶に新しいところです。 国会等で国の情報管理のあり方が問われるのは当然ですが、それが果たして如何ほどの意味を持つのか?この問題本質が国内及び外国勢力の激しい闘争と利害対 立にあるのはおそらく間違いないことでしょう。今回の記事では、尖閣問題、北方領土へのロシア大統領訪問と密接にリンクする問題を取り上げます。中国・ロシアがある種の意図を持って日本に圧力をかけて きたように、名目上は日本の軍事同盟国である米国も、同じように日本・日本国民に対し強いメッセージを発してきた事実を、おそらく他のどんなメディアに先 駆けて読者の皆様にお知らせすることになります。以下は全て、私および、複数の日航機事故調査協力者(*1)の周囲で起きた、紛れもない事実です。論考は 後にして、まずはそのレポートをお読みください。

*1 調査協力者について
  R氏:江戸川沿いの東京都側に居住。

 ■江戸川上空に現れた飛行編隊

 (1) 10/3(日) EA-6 電子妨害機が江戸川上空に飛来 (R氏)

 図1:編隊構成および飛行経路(*2)

 *2図は模式的なものであり正確な方角、旋回方向を示すものではありません(以下同様)

 写真1:EA-6B EP3-C (Wikipediaから)

 解説:R氏が最初に空の異変に気がついたのが、この事件です。R氏は3機のジェット戦闘機とP3-Cが飛んで来て自宅上空を3回ほど旋回していったと報告 してきましたが、その特徴ある形状から、後にその戦闘機がEA-6であることを確認しました。Wikipedia によると EA-6(正確には EA-6Bであると考えられます)を配備しているのは米国海軍、海兵隊、空軍(海空共同)の125機のみとなっています。国際軍事評論家のB氏によると、 日本の在日米軍に配備の報告は聞いたことがなく、米国本土から飛んで来たと考えるのが自然であろうとのことです。また、随伴していたP3-Cについても、 EA-6Bと編隊を供にしていたことから、P3-Cの電子作戦機版である EP3-C であった可能性が高いとのコメントをいただいています。EP3-Cの所属については、EA-6Bに随伴していたことからやはり、米海軍もしくは米国海兵隊 所属のものである可能性が高いであろうとのことです。その日以来、R氏宅上空での異変が続いて起こるようになります。

 (2) 10/15(金) ヘリコプターの編隊が江戸川上空に飛来

 図2:ヘリコプターの編隊構成と飛行経路

 図3:20分後に現れた編隊飛行

 写真2:CH-47 (Wikipedaより)

 解説:この日のお昼頃、大型輸送へりコプターCH-47と軍用ヘリコプター(特徴の判別が難しく、また写真撮影もなかったので機種の特定に至っていませ ん)が編隊飛行を組んで現れたとの報告を受けました。最初の遭遇は図2のようなフォーメーションをとっていましたが、驚いたことに、そのわずか20分後に フォーメーションを図3のように変更して、図2とは反対方向から現れました。しかも中央の2機は他のV字2編隊より大きく高度を下げ、その内後ろ側の CH-47はライトを点灯して、R氏宅の上空に現れたのです。B氏によると、ライトを点灯したCH-47がこの編隊の指揮官機であることは間違いなく、編 隊構成に明確なサイン(意思表示)が込められているとのことです。

 ここで、自衛隊機との見間違いではないかとの疑問に答えます。そもそも、同月24日には陸上自衛隊朝霞駐屯地では菅総理大臣や関係閣僚を招いての自衛隊観閲式が行われており、それに先立つ飛行訓練区域として東京都江 戸川区上空も指定されていました。同区の広報でもその旨の告示がなされていましたし、普通に考えれば自衛隊の訓練飛行です。しかし、自衛隊機の編隊と考え るとおかしな点がいくつかあげられます。

 ・江戸川区最東端の江戸川河川上空を通る必然性はない
 ・自衛隊機は通常、6機、4機などの偶数機編隊を構成することはない(ゲン担ぎ)
 ・観閲式では同様のフォーメーションを構成していない
 ・ほぼ最短時間でフォーメーションを再構成し同空域に再出現している
 ・再出現時に指揮官機がライトを点灯する必然的な理由がない

 もっとも、江戸川区上空では予告どおり自衛隊の訓練飛行も行われているようで、同月13日にはR氏宅よりも西側、江戸川区中央部の上空に現れた自衛隊機編隊の写真も撮られ、同区住民のブログにも掲載されています。

 写真3:江戸川区上空に現れた自衛隊機の編隊(他のブログから)

 そして、B氏が指摘するところのフォーメーションによるサイン(意思表示)を独自に解析したところ、このヘリコプター編隊が、R氏や私に宛てたメッセージ であることが確認できました。解析には、専門機関で陸軍式・海軍式の両軍事暗号を学んだB氏のアドバイスを大いに参考にしています。解析のプロセスについ ては、R氏および私自身の個人情報を含むものなので詳細は割愛しますが、少なくとも、私たち日航機事件調査チーム関係者の事をよく調べ上げていることだけ は理解できます。

 (3) 10/17(日) ヘリコプターの大編隊が江戸川上空に飛来

 図4:ヘリコプターの編隊構成と飛行経路

 写真4:機種不明機(他のブログより)

 写真5:AH-1Wと思われるヘリコプター(他のブログより)

 解説:15日のヘリ編隊の出現に驚いたR氏をさらに驚かせたのが、この大編隊です。残念ながら写真撮影などは行っていませんでしたが、こちらについても江戸川区民の方が撮影したものがありましたので、写真4、5に再掲載させていただきました。

 偶数機編隊を採用していることや、閲覧式のフォーメーションとは異なることから、こちらも自衛隊機である可能性は低そうです。それに加えて、写真4に写っ ているヘリコプターには自衛隊保有機にはない大きな特徴がみられます。R氏によると、この編隊の中には、テールローター(後部の回転翼)が機体のフィン (後部の垂直安定板)内に組み込まれた形状のものがあったと報告を受けましたが、写真4のヘリコプターはフィンの回りにテールローターの残像が移っていな いことから、その機体に相当することが認められます。自衛隊の保有するヘリコプターの中でこの形状を持つものは、OH-1のみが該当します。ところが、写 真に写った機体のフィン形状はOH-1のものとは違い、後縁が垂直に切り立っていることがはっきりとわかります。ネットなどで、同じフィン形状の軍用ヘリ がないか検索してみましたが、該当するものが見つかりません。この機体についてB氏に問い合わせたところ、次のような回答を得ました。

 「かつて、シコルスキー社製の高速ヘリが米国海兵隊に試験導入されたことがあるが、結局は採用されなかった。その機体のフィン形状および機体全体の特徴はこの写真のもの近かったことを覚えている。これは、おそらくその型番不明の機体なのではないだろうか。」

 写真6:自衛隊のOH-1。フィンの形状が写真4とは異なる (Wikipediaから)

 また、写真5の機影に近い自衛隊の軍用ヘリとして、AH-1F対戦車ヘリ(コブラ)が考えられますが、機首先頭部がゴツゴツと張り出していること、さら に、機体上部のエンジンマウントの後部に厚みが見られることから、同じ対戦車ヘリでも、特殊なレーダー装置を前方に装備し、なおかつ単発エンジンのAH- 1を双発に改良した米国海兵隊所有のAH-1W(シーコブラ)である可能性が高いとの見解を伺いました(写真6B)。

 写真6B:陸上自衛隊のAH-1F(左)と米国海兵隊のAH-1W(右)

 これらを総合すると、この大編隊は米国海兵隊のヘリコプター編隊であることが認められます。そうであるならば、この編隊構成には日航機事件調査チームに対 する明確なサインが込められていると考えられます。こちらについても現在解析を進め、ある程度まで意味をくみ取ることはできましたが、まだ断定できるレベ ルにはなく、ネット上での公表はひとまず控えさせていただきます。

 (4) 10/22 OV-22(オスプレー)が江戸川上空を旋回

 図5:オズプレーの飛行経路

 解説:B氏を最も驚かせたのがこの機体の出現です。R氏に目撃した機体の特徴を何度も確認しましたが、この特殊な形状の機体を見間違えるとは考えにくく、江戸川上空に現れたことは確定的です。

 オズプレーは2012年から普天間の海兵隊基地で導入が予定されている機材で、ヘリコプターと同じ垂直離陸能力と一般航空機と同様の飛行性能(高速移動と 長い航続距離)を併せ持つ特殊な飛行機です。「普天間」という単語から、この機体が現在の日米関係において極めて強い政治性を持つことは明白でしょう。日 本にはまだ配備されていないはずのこの機材が、何故、この時期、東京の空を飛ぶことになったのか?そしてそれがどうして日航機事件関係者の自宅上空を飛ば なければならなかったのか?その解釈にはもう少し時間をかけたほうがよさそうです。

 (5) 10/24 ヘリコプターの大編隊が江戸川上空に飛来

 図6:ヘリコプターの大編隊が再び江戸川上空に飛来

 図7:30分後、CH-47のみのヘリコプター編隊が江戸川上空に飛来

 図8:45分後、観閲式に参加した陸上自衛隊のへり編隊が飛来

 写真7:再び現れたシーコブラ(R氏撮影)

 写真8:米国海兵隊のTIGERヘリ(R氏撮影、Wikipedia)

 写真9:点灯するCH-47ヘリ(R氏撮影)

 写真10:図6中の CH-47 6機編隊。1機が離れて飛行している

 写真11:観閲式を終えた陸上自衛隊、木更津ヘリコプター師団のヘリ編隊(R氏撮影)

 解説:観閲式の当日、R氏の自宅上空は凄まじい状況になっていました。午前11時頃、38機もの大ヘリコプター編隊が江戸川上空に現れたのです(図6)。 11時といえば、朝霞駐屯地で観閲飛行が行われていた真っ最中です。出現時刻から推察すれば、明らかに陸上自衛隊の観閲飛行編隊とは異なるものです。その 30分後には、CH-47の8機編隊が交互にライトを点灯させながら縦列編隊で現れ(図7)、さらにその15分後(11時45分)には観閲飛行を終えた自 衛隊機の編隊が観閲飛行時と同じフォーメーションで西から接近し、R氏自宅上空でわざわざ南方向へと(江戸川沿いに)進路を方向転換して通り過ぎていった のです(図8)。

 写真7で示すように、11時の一団にはAH-1W(シーコブラ)、また、自衛隊に配備されていないヨーロッパ製のTIGERへリ(写真8)が含まれていました。TIGERヘリは米国海兵隊が保有している機材の一つです。

 図を比較すればわかるように、図6の編隊は偶数機体数を基調とした編成、図8は奇数機体数を基調とした編成をとっています。このことだけでも、後者は自衛 隊機、前者はおそらくそれ以外の部隊であることが見て取れます。そして、写真7、8などの状況証拠から図6の部隊は米国海兵隊のヘリ編隊である可能性が極 めて高いと言えます。なお、図7の縦列編隊については、その編隊構成から観閲式に関与するものではなく、また、ライトを交互に点灯する恣意的な行動から、 やはり、米国海兵隊が何らかのサインを示すために出現したと考えられます。サインに関する情報としては、図6・写真10の最後尾の1機だけ離れて飛んでいるCH-47編隊の編成にも、極めて大きな意味が隠されています。これらの サインの意味については、軍事プロトコール(儀礼)に精通しているB氏の解説を次の記事でご紹介します。また、米国海兵隊、米国海軍、そして木更津ヘリ師 団がとった今回の行動における政治的意味合い、我々日航機事件調査チームとの関係などについても詳細な論考を加えたいと思います。

 * * *

 先月、私たちの周りで起きた以上の出来事は、異常な光景にさんざん慣らされていた私たちさえ目を疑うものでした。けして自意識過剰になっているつもりでは ありませんが、これを冷静に受け止めれば、これまでこのブログで発表してきた日航機事件の真相解明記事が、全て正しいとは言わないまでも、日米両軍事機関 からある程度認められた証ではないかと解釈しています。それと同時に、日本の置かれた現在の不安定な状況が、隠された戦争である「日航機事件(事変)」に対し軍事関係者を再び注目させているのだと思われます。これまでの取材妨害行為も含め、軍事関係者ははっきりと行動で反応を示しています。しかし、私が求めるのは、統治機関である日米両政府、そして大なり小な り日航機事件に関与していたと思われる、ロシア、中国、その他外国政府による日本国民、そして123便に乗り合わせていた外国民への真相の開示です。それ なくしては、関係機関からどんな恣意行動があろうとも、この真相究明活動に終止符を打つことはないでしょう。

 HIC SAPIENTIA EST QUI HABET INTELLECTUM CONPUTET NUMERUM BESTIAE NUMERUS ENIM HOMINIS EST ET NUMERUS EIUS EST SESCENTI SEXAGINTA SEX
 ここに、知恵が必要である。思慮ある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。

 2010-11-14、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!54

 必ず、日夜悪夢の苛まれる人々が存在する!!残念ながら、悪夢なら他人の介する余地がない。はたして??それが自衛隊員に多いと言うことは国の責任ではないのか......?!123便が無関係とは言えない!!。

 下記の記事は、全く、日航機123便事故(事件)とは、無関係に掲載されていたブログ記事である。しかし、記載の画像は、過日、拙ブログ『暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!48』にも掲載したものである。

 <日航機123便墜落現場の黒い機体の残骸?!>

 言うまでもない。先の掲載の理由は、転載画像の物体の所以についてであった。紛れもなく、赤いツルマークの当時の日航機特有のおそらく、ジャンボ機の尾翼の一部である。事故機のものか確認する術はないが、よく見ると、ミサイルの一部と思しきオレンジの物体が突き刺さっている。123さんがよく現場で拾ってくる物体と極似している。 それと自衛隊員の自殺とどう関連してくるのか?!転載情報は、その写真は自殺した自衛官の一人が友人に託したものであると書いている。この転載もとブログも2008年に書き始められて、短期で中断している。しかし、サーバー上には残されて、今も公開されているが、これに限らず、その記事は、ブログ名に相応しく、秘密の内容がずらりちりばめられている。寄ってブログを確認されたい。

 自衛隊員の自殺率の嘘  

 1981年より自衛隊員の自殺数の調査が行われている、そして1982年から自殺数が急激に上がり1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。だが実は1981年に調査を開始した記録はなく、1986年に急に以前から調査していたかのように自殺数を公表しはじめた、一省庁のなかで年間これだけの 自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった、しかもなぜわざわざ81年から調査しているなどと嘘をつかなければならないのだろう か?自殺率増加という一見マイナスイメージしか生まない情報操作はなにを意図したものであろうか?最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった、そしてつづいて同年9月12日14日と航空自衛隊員が二人自殺する、(これを皮切りに謎の自殺数増加がはじまる)そのうちの一人(12日死亡)が友人に預けていた二枚の写真があるのだが、一枚は7月に自殺した同僚二人の写真(a)である。(ぼかしをいれてある)この写真の二人だが、当時隊内では同性愛者の心中ではと茶化されておわったという、この時の状況だが二人は自殺をはかった直後に発見され、自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も、検視解剖もされなかった。だがこの写真の異様さに気づくだろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなにもない、しかもパラシュートコードを使ったというが、このコードは6mmほどで300kg近い耐力があり、首への食い込みは太いロープなどと違い血管も神経も切断する。それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送するまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人とも遺書は残していない)そしてもう一枚の写真(b)が暗い倉庫内(建造物にはモザイクをいれた)の写真だがこれはなんなのか?なぜこの2枚の写真を何の説明もなく他人に預けたのだろうか?
 今回書きたいことは、自衛官の自殺者が異常に多いという事実である。過日もイラン派遣自衛官の自殺について言及したことがあった。もう随分昔のことになった。 いつ頃からだろう。最近も変わってはいない模様である。

 自衛官の自殺、後絶たず・他省庁公務員の2倍
 [日経新聞 2008/04/16 夕刊]

 防衛省が自衛官の自殺に頭を悩ませている。年間の自殺者数が他省庁公務員と比べ約2倍で高止まりするなか、3月には漁船と衝突したイージス艦「あ たご」の乗組員が手首を切り、病院に運ばれたことが発覚。同省は4月から全24万人の自衛官に対し、カウンセラーが常駐する「相談窓口」の番号の携帯電話 への登録を指導するなど、隊員の“心のケア”に苦慮している。

 防衛省、ケアに苦慮 ストレス増も原因?

 「なぜ(自殺が)止まらないのか、正直よく分からない」。防衛省の担当者は困惑顔で話す。年間60-70人前後で推移してきた自衛艦の自殺者数は、2004年度に94人と初めて90人を突破、05、06年度も93人と高止まりしたままだ。人事院のまとめによると、一般職公務員10万人あたりの自殺者数(05年度)は17.7人。これに対し自衛艦は同38.7人と約2倍で、民間の27.8人を大きく上回る。06年度の自殺理由の内訳では、最も多いのが借金問題などの「借財」で23人(約24%)。次いで「家庭」が11人(同11%)、「職務」が4人(同 4%)と続く。基地などに張り付いて厳しい訓練が続く反動に加え、「イラクへの海外派遣やテロ関連警備の強化もストレス増になっている」(自衛隊関係者) との見方もある。 一方、自殺者の約6割が分類されいてるのが「その他・不明」。隊内のいじめを背景に挙げる意見もあるが、同省は「いじめが(自殺の)引き金になったとは断定できない」として、いじめによる自殺者は把握していないとの立場だ。同省は03年度に自殺対策の専門チームを省内に設けるなど、対策を本格化。今年度は外部委託を含めた専門カウンセラーの採用増に、前年度の約3割増の 7800万円を予算計上した。カウンセラーによる24時間体制の「電話相談窓口」の番号を携帯電話に登録するよう、4月から周知するなど、自衛艦の精神面 のケアにより一層の注意を払っている。しかし自殺者は後を絶たないのが実情だ。公務員の自殺問題に詳しい森崎美奈子・帝京平成大大学院教授(産業精神保健)は「(自衛隊は)軍事組織という特性上、どうしても閉塞(へいそく)性を帯 び、内部の人間関係に問題を抱えやすいのでは」と指摘。「相談体制拡充はもちろん、今や民間では当たり前だが、隊内の管理職らが部下の精神面のケアに注意 を払う体制づくりが必要」と話している。

 別に自衛官を貶める意図はない。少なくとも投稿者には、実の甥っ子が3名も航空自衛隊に勤務している。奇しくもではあるが・・・・。国を守る武士(もののふ)として誇りも抱いている。尊敬もし、頼りともしている。男児の天職として、勇ましいし、憧れは皆と同じである。しかし、日航機123便事故(事件)では、忌まわしい自衛官の存在を否定出来ない。これは憂うべき事ではないか? 大半は使命に忠実に、果敢である人士が多いことは疑いはないが、そうではない闇の存在が見え隠れする。

 <彼らは何者?! 救出、遺体収容を尻目に眺める人々、公安ゼロ? それとも・・・!>

  そもそも、この事件に注目を抱いたのは、初発の『暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!』掲載記事のMさんの証言である。そこには恐るべき事が告白されている。それが原点であるが、さらに一層闇は深くなった。

 <何故か、現場検証に立ち会う元ロッキード関係の航空事故調査官?!>

 しかし、少しずつではあるが、見えてくるものもある。あの123便空白の交信記録7分間の途絶が、こんなところで再表現されるとは・・・・? 『暴かれるか、日航機123機墜落事故?!』ではなくて、次第に風化していくかに見えて、その怨念が自ら姿を現しつつあるかも知れない。これはまぎれもなく、現今の国際情勢並びに日本を取り巻く諸情勢に連動している予感がする。これがこれからの本シリーズのテーマとなるだろう。今ははっきりとは表現出来ないが、やがて、それらが繋がってくることを予感出来る。これは衝動的な勘である。今は、まだ書けない!





(私論.私見)