飄(つむじ風)転載2

 (最新見直し2014.08.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 1985年8月12日、羽田発大坂(伊丹)行き日本航空インターナショナルのボーイング747型(ジャンボジェット、機体記号JA8119)機のJAL123便が墜落し、505人の乗客と15人の乗員合わせて524人(他、赤ちゃん1名)が死亡すると云う大惨事が発生している。問題はこの事故が事件の臭いがすることにある。この事件には不可解なことが有り過ぎる。幾人かの識者が既に言及しているが未だ真相は明らかにされていないと考える。これを仮に「1985日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故事件」と命名する。長年気になっていた事件であるが今漸く着手する。

 2010.8.16日 れんだいこ拝


 2012-12-10 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!82

 選挙戦は、予想通りの茶番劇が進行・・?!焦る橋下ツイッターの休筆宣言も白々しい!要するにその場限りの言いたい放題ウソ丸出しが 横行しているという次第・・・・。まともに注目していても、その価値すらも見いだせない狐と狸の化かし合いを演じている。既に決断はできているので取り合わないで居るのだ。それをここに書けば揚げ足を取られるので自重しているのだ。分かる人には分かるだろう。弁護士ともあろうに挑発して何になろう? 所詮、嘗ての『弁護士懲戒申し立て』の二の舞いを目論んで注目を集めようと画策したに違いない?!ところが、口先弁護士であることが先の事件で暴露されているので乗ってこないのだ。急に弱気になった。その辺りであろう。「現状では公職選挙違反」のツイッター言行録をメモしておこう。 

 いつもの言いたい放題、ウソつき弁護士の正体をこの際、晒しておこう。今回は、JAL123便墜落事故-真相を追う-神々の落涙(5)の転載であった。忘れるところだった。

 <http://jal123conspiracy.weebly.com/index.html より>

 核関連の疑惑は、遡ればこの事件に深層がある。脱原発は核廃絶につながる。原発は利権の総本山だが、核保有はその権力の秘めたる野望だ。消費税増税も権力の懐保証の切り札で、なんとしても担保しておかなければならない喫緊の課題なのである。社会保障なんかであるものか。TPPは国民国家(Nation State)破壊の一環。すべてはNWOへの道だ。核保有は、その中で利権力集団の温存のための抑止力である。そう考えれば辻褄が合うであろうに・・・・。要は次の流れを肝に認識しておくことだ。

 JAL123便墜落事故-真相を追う-神々の落涙(5) 2012-12-07 JAL123便墜落事故   

 
先月末に開設した、123便関連の英文サイト「Prayer of White Camellia(白椿の祈り)」に、この記事を書いている時点で30カ国以上からのアクセスをいただきました。今の時点では、たまたま目にされた方が多いのだろうと想像されますが、まずは27年前の昔、東洋の片隅で、2001年の9.11事件に比肩しうる巨大な共同謀議が謀られていたこと。そこまで及ばなくても、飛行機事故の背後に何か大きな隠し事があると世界の多くの方々に気がついていただきたいと強く願っております。123便関連の主力記事は、徐々に新サイトに移していく予定ですが、ブログの方でも書きかけのテーマは一応完結させたいと思っています。
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 ■奥三河トンネルの謎

 123便の墜落現場とされている御巣鷹の尾根、そこから西側に尾根を越えると、かつてこのブログでその不可解さを指摘した南相木ダムが現れ、そこからさらに下ると南相木村の集落へと続きます。その集落部とダムを繋ぐ舗装道路の途中に、「奥三河トンネル」という、トンネルの両出入口にシャッターが取り付けられている、ちょっと奇妙なトンネルがあります。このトンネルの奇妙さはこれだけでなくトンネル迂回路の舗装道を使っても、トンネルを使っても所要時間はほとんど変わらないこと。冬季など、時々トンネルだけシャッターが閉まって通れないことがあること(上記の事情から、ダムとの行き来に全く支障はないが)。そして、これはS氏が地元住民の方に聞いた話として、昔からトンネルはあったが、今あるトンネルは123便墜落後、自衛隊の工兵が爆破破壊し、新たに作り直したものだという証言もあります。これに加え、トンネル周辺の小山、中山があちこち削られ、「多目的広場」という訳のわからない広大な更地にされているのは現地にいけば違和感として誰でもすぐに気がつくはずです。


 図1:奥三河トンネルと、多目的広場
 トンネル西側入り口の経緯度(36.003753, 138.639248)。グーグルマップなどでご自身で確認してみてほしい。ただし、トンネルは表示されないので、図1では赤線で示した。

 「神々の落涙(4)」でも指摘しましたが、これらの「多目的広場」からは、福島の311原発事故以前に、ロシア製のRADEX放射線測定器で毎時0.3~0.4マイクロシーベルとの高い数値を測定しています。この辺に長時間滞在すると、私自身が嘔吐感など軽い急性放射線症に近い症状を覚えたことも、かつて報告させていただきました。これら「多目的広場」の土壌からは、S氏とともに、1~2cm程度に細かく粉砕された航空機体のものと思われる破片を採集しています。あまりに細かすぎて私たちの分析力では機種の同定はとてもかなわないのですが。結論を急げば、この奥三河トンネル周辺までが123便事件関連機材の墜落現場と考えられ、核兵器などを搭載した軍機などが墜落し放射能漏れを起こした、または核兵器そのものが実際に使用されたとする想定も可能です。そうであれば、放射能汚染された土壌を大量に運び出し、その跡地がダム湖に、ダム湖で誤魔化しきれない跡地が「多目的広場」として現在そこ在るように放置されたとみなすことが可能です。

 図2:御巣鷹事変は広範囲に発生したと予想される
 群馬、長野、埼玉の3県にまたがる戦闘となったのではないか。


 ■トンネルは語る

 最後に、奥三河トンネルの西側入り口を撮影した写真を以下に掲載します。これには、何か尋常ではないものがが映り込んでいるのに読者様は気が付かれるでしょうか? 普通なら困惑するところなのでしょうが、幸い私には信仰があります。そして、この写真に現れた現象を神からのメッセージと受け取ります。残念ながらその意味についてはっきりした事はよくわかりません。しかし、123便事件の調査を続けることに偉大な方からの大いなる後押しを感じることだけはできます。123便事件の真相解明は天意であると断言することは果たして不遜なことでしょうか?

 写真1:奥三河トンネルの西側入口と複数のオーブ。神からのメッセージとは何なのであろうか?
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 人に伝えてもあまり信用されることではないので、これまで敢えて触れることもありませんでしたが、調査活動の最中には、神の介在としか考えられない数々の奇跡に遭遇しています。しかし、それ以上に、人の心に潜む恐ろしい悪魔にも出会っています。私にとって123便事件の調査とは、世の中の真相を見つけ出すこと以上に、「人とは何か」という根源的な問いを投げかけるものとなりつつあります。

 ABRAHAM PATER VESTER EXULTAVIT UT VIDERET DIEM MEUM ET VIDIT ET GAVISUS EST
 あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。
 (ヨハネの福音書 弟8章56節) 遠つ御親の始まりの地より
 2012-12-04、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!81

 転載もと表題のごとく『松本清張張り』の物語である?!目くじら立てる程のことでもなかろう!事実は小説よりも奇なり・・・という諺もある!楽しむというか、小耳に挟んで損はしまい! あるコメント氏も、胡散臭さを指摘しておられたが、目くじら立てる必要はない。そう思う御仁は、そう思っていれば良いだけで、逆に、指摘するなら、自分で反証を提示する必要があろう。反証できないで他言から引用するのは、そのコメント氏の思考回路も胡散臭いと言うことの自白にすぎない。まあ、問題は好みと信頼の問題だ。私は転載もと作者に一定の信頼を感じている。これは情に基づく判断で論理性よりも深い。同じく123氏に対する判断も同じだ。間違いは人間であれば誰しも免れない。それは知って改めればよい。問題はその判断が何を指向しているかと言うことが重要だ。為にする判断でないか否かが情動で判断できるから重用するのである。さて、今回、全貌は示されないが追って期待することとしよう。短いが今回は小用があるので、これで終わる。

 認めたくない、首都東京の憂うべき現状(2)2012-12-02

 このブログに書いてることがデマ扱いされていることには慣れています。しかし、この「認めたくない・・」関連記事には、特に強い拒否感を示される方が多いようです。情報提供を基に、自身で検証できるものは、なるべく検証後に記事にするように心がけていますが、核関連に関しては時の要請も鑑みて、「未確認」と断った上で聞いた情報をそのまま掲載してきた経緯もありました。その点においては、私自身にも反省すべき点はあります。しかし、今回の東京地下原発については、数年前に情報を初めて耳にし、その後、複数の関係者に接し、またデータなどを調べるにつき、状況的には存在が間違いなかろうという結論に達しています。私も、日本国民ですから、国家護持において重要な機密事項であれば、敢えてネットなどで情報発信などするつもりはありません。この案件が表に出ていないのも、東京原発関係者に同じような志があったからだと理解しています。ただし、国体護持のための施設が、逆に国民の生命を危うくするものであるならば、看過することはとてもできません。「お国のために多少の犠牲は仕方ない」という理屈も、「核」という重大危険物質においては「多少」という概念が通用しないと考えます。

 ■地下原発はそもそも必然?

 都市伝説の類に、「国会議事堂の地下は要塞化されている」というのがあります。そんな話は初めから信じないという方は、もうこの先を読まれる必要はありませんし、今後もこのブログに訪れなくても結構です。こんな暗い話は目にせず、健やかに日々をお過ごされることを私も望みます。
さて、この都市伝説の真偽は別にして、仮にこの話が真実だと仮定すると、現実的に処理しなければならない点が幾つも考え付きます。まず一番肝心な質問としてQ:地下要塞化されている理由は?があげられるでしょう。一般的な答えとしては、「核戦争を含む有事に対応し、政府機能を維持するため」というのが、模範的な回答として異論がない所だと思います。続いて、もっと現実的な質問が生まれます。

 Q:地下要塞の機能仕様は?・そこに何人が何日留まることができるのか?・水、食料の確保はどれくらい必要か?・エネルギーはどう確保するのか?


 もうお分かりでしょう、この都市伝説が真実であり続けるためには、施設を維持するためのエネルギーが不可欠です。核戦争などが想定されている状況で、地上、ましてや福島などの地方から送電を期待しているなどという想定はあり得ません。化石燃料の大量ストックも物量的に限界があり、化石燃料による発電で長期の篭城には無理があると考えられます。すると、比較的燃料の嵩が少なく、小型化が可能な原子力発電の採用が有利となります。もちろん、放射性物質の管理リスクがありますが、そこは非常時を前提としていることから、不問になることでしょう。大体、公に運用されている原発ですら、安全基準上は様々な問題点が指摘されているのですから、秘密原発に高度な安全基準が適用されるとは端から期待できない相談です。


 以上、全て架空の話です。そして、以上のような理由が考えられるからこそ、
(1). 地下原発は夢物語だ、地下要塞はあり得ない!、(2). 地下要塞があるなら地下原発もあり得る!と意見が分かれるのだと思います。常識的には(1)でしょうし、大多数がそう思われるのが当然です。しかし、私は123便事件の調査を通して、この国の知られざる姿をまざまざと見てきました。その経験こそが(2)の選択もあり得るとする根拠の一つです。もちろん、それだけで読者様は納得されないでしょうから、本ブログでは多少なりとも傍証を示します。なお、今回の記事でそれを示すとした傍証ですが、住居や勤務先の近所にそんなものがあると知った方々の心中を考え、年明けまでは設置場所を含めそれを公表することはいたしません。いたずらに人心を乱すのは私の本意ではありませんから。読者様におかれましては、よいクリスマス、よい年の瀬をお過ごしくださいませ。
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 この記事を書いている最中。中央高速の笹子トンネルで大きな事故があったようです。全ての方が無事であることを神に祈ります。
 http://mainichi.jp/select/news/20121202k0000e040117000c.html


 AMEN AMEN DICO VOBIS QUIA PLORABITIS ET FLEBITIS VOS MUNDUS AUTEM GAUDEBIT VOS AUTEM CONTRISTABIMINI SED TRISTITIA VESTRA VERTETUR IN GAUDIUM
 はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。(ヨハネの福音書 第16章20節)
 遠つ御親の始まりの地より 
 2012-12-01 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!80

 何とも驚く話である?!東京都心の地下に原発??!次回からの続報を待とう・・・ただ、伏線は感じているから座視できない!久々の転載元更新である。ついうっかり見過ごしてしまった。いつものコメント氏に教えて頂いた。言わば、ある種の目覚まし時計である。有り難いことだ。さて、今回の『びっくり?』は目を疑うであろう。まさか、東京都心に原発があるなんて、幾ら何でも荒唐無稽な話以上に受け止められない人々は多いであろう? 三井化学大竹工場に眠る劣化ウランと言ったって何のことか分からない人は多い。しかし、これは事実である。彼の山口県の4月爆発事故の工場である。そう言った伏線は随所にある。そもそも、『日本航空123機墜落事故の真相』は、それを基点として展開していると観られる。知られざる軍産勢力の存在である。転載元の名前に違わぬ、松本清張張りの展開になってきた。続報が待たれる。そう考えると腑に落ちる出来事が余りにも多い。放射能瓦礫の全国拡散は、いったい何のためなのか? 『絆』論法では、合理的な説明は付かない。『絆』というのは、くびきのことであるから、一つの縛りである。良い意味も悪い意味もある。このために莫大な予算が使われている。そして、放射能が全国に無碍にばらまかれるのは、何の得策があるというのであろうか? 普通は封じ込めるのが自然な合理的手段であろうに・・・。ばらまく必要性があるのであろうか? それは何かを隠すためであろう。一つは放射能被害の全国均一化。それで、損害賠償原因特定をはぐらかすために行われているという観測がある。それだけであろうか? それにしてもあまりに姑息すぎる観測ではある。もっと深く陰湿な魂胆があるのであろうとは誰もが考えるところだ。仮に、核弾頭2000発が全国に格納されているのであれば、それは最も合理的な隠蔽手段だ。全てを福島放射能瓦礫に転嫁できるのである。闇は深い。

 認めたくない、首都東京の憂うべき現状2012-11-29

 はじめに、最近更新が滞ってしまいご心配をおかけします。123便事件の情報が大量かつ複雑になってしまい、もはやブログという形式でこの難事件を紐解いていくことに限界を感じています。現在は、読者様の理解のため、また自分にとっての情報整理のため、一般的なWebページの新設に時間を割いています。半完成でありますが、そのプロトタイプとなる英文サイトを公開しました。英文サイトを先に作成したのは、最近になって外国籍の方に123便事件を説明する機会が増えてきたこともありますが、それ以前に、海外在住者にとって123便墜落の事実認識自体がほとんどないことに、情報の偏りを強く感じたことがあります。このブログを長く読まれてきた読者様には、123便事件が世界の主要国を巻き込み、今なお終止符が打たれていない重大事件(事変)であることは、すでにご理解されているかと思います。日本国内に留まらず、世界の識者にこの事件の真相を伝えるためにも、外国語によるサイト設立は必ず意味のあることであろうと認識しています。ネイティブスピーカーではないため、文法的な誤りや、用法の間違いなどあるとは思いますが、あまりに誤用が酷い場合などはご指摘いただければ幸いです。

 英文サイトはこちらになります↓↓
 "Prayer of White Camellia" The Truth of Japan Airlines Flight 123 Crash Case, Aug 12 1985, Japan

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 さて、本題に入ります。ブログの更新をさぼっている間に、何と、次の12月16日には衆議院選挙と東京都知事選挙の投票が実施される運びとなってしまいました。それも、石原都知事が"突然"の辞職表明に続き、野田総理による"突然の"衆議院解散宣言。これが、偶然であろうと誰が信じるでしょうか。悪い癖と指摘されるかもしれませんが、こうした現象が起きた時、「誰がどんな絵を描いているのだろう?」と勘ぐるのが、もはや私の習慣となっています。

 ■人気アニメに描かれた真実?-新宿原発-

 下の画像は、かつての人気アニメ「甲殻機動隊 S.A.C 2nd GIG」の第6話「潜在熱源 EXCAVATION」からのカットです。

 図1:後ろの柱に原子力マークが描かれている

 このストーリーでは、大戦前、東京新宿の大深度地下に秘密の原発が作られており、大戦後、プルトニウムを取り出すために、陸上自衛軍が極秘裏に現地を掘削していたという設定になっています。私は、最近になって初めてこのアニメシリーズを目にし、娯楽以上のものはまったく期待していなかったので、このストーリー設定にひっくり返るくらい驚きました。作者は事実を知っていたのか!? 今回は焦らしは無しで単刀直入に結論を伝えます。


 
東京地下原発は実在しています。 その場所がどこなのかも、もう分かっています。新宿ではありませんが、23区内です。そして、困ったことに、2000年から2001年にかけての頃に大規模な放射能漏れ事故を起こしています。予想される建設開始時期は1990年代中頃で、ちょうど地下鉄サリン事件があった頃に当たります。石原都政は1990年代後半に誕生し、2000年頃の放射能漏れ事故時の都知事でもありました。石原慎太郎氏は、まさに東京原発と共に歩んだ「核」に魅入られた人物です。氏の一連の核擁護発言から、おそらく東京原発の存在も、事故の発生も知らされており、それを隠蔽し後押しするために闇組織に上手に使われてきたのでしょう。しかし、福島の原子力発電所事故は石原氏にとっても大きな痛手だったと思われます。世間の脱原発、反原発の眼差しが強くなると共に民間人による放射線量測定によって東京の東部が酷く汚染されている実態(ホットスポット)が露になってしまったからです。福島による汚染は当然ですが、それ以前から東京東部、千葉東葛地域は重度に汚染されていたとみるべきです。核の代弁者、石原氏がなぜ「原発は些細な問題」と言いたいのか、放射能瓦礫をガンガン燃やしたいのか、なぜ都知事を辞めてでも、反核の流れを断ち切りたいのか、真実を踏まえるとその心中が手に取るように見えてきます。私の情報筋は、日本は既に2000発の核弾頭を有しており、ほぼ同数の大陸弾道弾も発射可能の状態であると伝えています。数の正確さについては不明ですが一定量が即時使用な状態で配備されているのは間違いないでしょう。その論拠は123便事件関連を含め、これまでの記事で述べてきた通りです。ならばこそ核兵器の性能維持のため、新鮮なプルトニウムを生産する工場(原子力発電所)がどうしても必要になるはずです。

 軍事という観点から見れば、発電所として公表されているプルト工場だけでは心配です。福島のように敵に攻撃されればそれで終わりですから。ですから一般に知られていない、秘密の地下原子炉のようなものを保持しようと考えるのが、むしろ常識的な発想です。東京の地下原発がその目的なのかどうかは分かりませんが、いずれにしろ兵器生産への転用は可能でしょう。そのような地下原子炉は他にも数基存在していると考えられます。実は、123便の墜落現場地下に作られた神流川発電所=地下軍事基地内にも原子炉が据えられているとの情報があります。確かに、現地の放射線値は311以前からかなり高かったのでその可能性はありますが、何より123便事件の時に拡散された核物質の影響も考えられるので、放射線量を以ってのみでは断定できません。恐ろしいのは、化学工場といい、民間・大学の研究所といい、日本のあちらこちらに原子炉が作られ、半減期の長い核物質が無防備に置かれていることです。本当に、日本もとい世界の人類は、もはや立ち戻ることのできない危険な領域に足を踏み入れてしまったのでないかと思われてなりません。これでは、核戦争を始める前に核によって殺されてしまう。いったい何の為、誰の為の核兵器なのか・・・

 写真1:ご存知、石原慎太郎氏
    日本潰すには鉄砲はいらぬ 石原みたいな劣等感の塊のような政治家がいればよい 核とそれに纏わる金と利権に漬け込めばあとは勝手に自滅 だって、核は国家にとって覚醒剤のようなものだから

 * * *

 今回の記事内容だけではただのお話でしかありません。東京地下原発の具体的な位置と、存在を裏付ける傍証についてついては、次の記事で詳説する予定です。核関連については、もはや書くのに気が進まないテーマではありますが、来たる都知事選、衆院選に合わせて、何か参考になればと思い、情報提供させていただきました。

 HAEC DICIT DOMINUS DEUS ECCE LEVO AD GENTES MANUM MEAM ET AD POPULOS EXALTABO SIGNUM MEUM ET ADFERENT FILIOS TUOS IN ULNIS ET FILIAS TUAS SUPER UMEROS PORTABUNT
 主なる神はこう言われる。見よ、わたしが国々に向かって手を上げ 諸国の民に向かって旗を揚げると 彼らはあなたの息子たちをふところに抱き あなたの娘たちを肩に背負って、連れて来る。(イザヤ書 49章22節) 遠つ御親の始りの地より 

 2012-10-02、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!79

 何とも荒唐無稽と思われるだろうか? それともあり得る話と思われるだろうか? 陰謀史観として、葬り去ることは思うつぼである・・・陰謀は常にある、密かな謀は残念ながら、全ての常道だ!そして、今現在、戦争屋の謀が廻らされている・・・。 今というのは、言うまでもなく竹島・尖閣問題である。そして、東日本大震災に続く原発事変がある。仮定であるが、原発事故(事変)が大震災・津波だけによるものではないとしたら・・・・。いとも簡単に全電源が遮断する事がなかったとしたら・・・・。本来、丈夫で在るべき送電線の鉄塔が、いとも簡単に倒れることがなかったとしたら、フクシマの現在はなかった。又、福島原発第3号炉が小型核で爆破されていなかったら・・・・。4号炉の『ゾウの足』も発生しなかったであろう。仮定であるが、事実から推測する陰謀の数々が疑われる。それは何のために・・・? 目的はどこにあるのか? これなども荒唐無稽と思われるであろう。しかし、既に記事に書いてきた事ばかりである。それが考えようによっては妙に繋がってくるから面白い。大震災から続く政治状況は、異常を通り越して常軌を逸している。大震災も異常なら、その異常事態に乗じて増税が決定されるのはものすごく異常である。

 仁徳天皇の故事がある。

 仁徳天皇

 人家の(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいて租税を免除し、その間は倹約のために宮殿屋根さえ葺き替えなかった、と言う記紀の逸話(民のかまど)に見られるように、仁徳天皇の治世は仁政として知られ、「仁徳」の漢風諡号もこれに由来する。


 
ところが、陰謀が真実だとすると繋がってくるのだ。結論だけ書いておこう。増税も大震災も原発も『クロカモ』が関係している。そして、この度の竹島・尖閣もそうだ。くれぐれも書いておきたいが、この『クロカモ』は単純な図式ではなさそうである。ワンワールド派にも双頭の策が用いられている。そして、この連携は国内ばかりではない。中国、朝鮮、台湾までも繋がっている。いや、もっとかも知れない。そして、我々が考える範疇の外にあって何かを狙っていることは確かだ。その何かとは? 国家の安寧でも国民の福祉等ではない。その双璧にあるものだ。国家の安寧を揺るがし、国民の福祉を省みず、彼らの貪欲を満たす何かだ。少なくとも、2600年の歴史を持つ、皇統の陰に隠れて、日本を陰から支配している。

 ※2012.10.01 追記が有ります

 竹島や尖閣諸島を巡る最近の報道を見て、人を殺す戦(いくさ)を望む勢力がこの国に台頭してきていることを大いに憂います。本ブログを定期的にチェックさ れるような方なら、こんな稚拙なプロパガンダに騙されはしないと思いますが、123便事件同様、報道されているストーリーが現実の世界だと信じている大多数の人々は、これからも欺かされ続けるのでしょう。123便事件を調べ続け、また、現在の狂ってしまった政治状況を見るにつけ、つくづく、日本の国体が骨抜きにされていることを実感します。私には、小手先の政治運動や情報開示ではもはやどうにもならず、フリーフォールのように、落ちるところまで落ちなければ大元に立ち返ることは不可能のようにすら思えます。現状に不満を言っても仕方ありません。私も、今の日本が抱える原罪を背負った一人であることを十分に自覚しています。ですから、日本と命運を共にして落ちたとしても、その道は自分で選んだのだと理解するようにしています。落ちるところまで落ちて、そして、そこからどれくらい這い上がれるのか、国と国民の平安を神々に祈りつつも、自分の能力と運命に賭けて善良と思える道を前進するしか選択肢はありません。

 * * *

 前回の記事から少し間が空きました。今回は、ちょっと趣向を変えて、ある人物から聞いた先の太平洋戦争に関するお話について、私の記憶に残っている限りこ こで紹介したいと思います。当然ながら、遠い過去を語ったことなので、記憶違いや誇張なども入っているでしょう。また、私自身の理解不足なども含まれると 思います。ですから、あくまでも、「そんなことを言う人がいた」くらいの感覚で受け取っていただければと思います。

 ■華麗な経歴の持ち主

 その方とは知人の紹介で知り合いました。お会いした当時、本人いわく、誰でも知っている日本企業の会長職を務め、現役から一歩退いている立場だとのこと。その企業の創業者の庶子として生まれ、徳川御三家のある一家に嫡男として養子に入ったとのこと。英語堪能、武道、ピアノ演奏にも秀で、陸軍大学を出てから陸軍の情報部に配属されたとのこと。もちろん、かなり後世代の私がこの経歴を聞いても、すぐにはピンとはこないのですが、いわゆる旧華族に属する人物で、日本の実権力を握るグループの一員であることは理解できます。政府・財界に親類縁者は多数。それだけではただのお話ですが、目の前で現役の総理大臣に気軽に電話を掛けたこともあり、ただの誇張だけではないことも確認しています。以下、この方のことをT氏と呼ぶことにします。現在の代議士の多くが、元議員の2世、3世であると政治の世襲化が問題になっていますが、T氏のお話によると、吉田茂、鳩山一郎、岸信介などの古い政治家達、もしくはその奥方の多くがT氏の親族であり、必然ながら、最近になって総理大臣を務めた多くの代議士が、T氏の近縁・遠縁に当たることになります。日本を代表する企業群の実質オーナーだったこともあり、血縁だけでなく、資金面でも有力政治家と関係が深かったことは想像に難くありません。

 写真1:現在では当たり前の世襲総理たち。血を遡るとT氏の家系にも行き当たる。これぞ日本流民主主義か?

 高齢で財界の重鎮であるT氏の前では、電話の向こう側にいる日本国総理大臣もひよっこ扱いだったのも当然でしょう。これはこれで凄い話なのですが、投票で 広く才能を求め結集させるはずの民主主義が、人材発掘の根幹部分で、一部の血族、財閥に牛耳られている光景を目の当たりにした瞬間でした。彼らに悪気があるかどうかは別として、事実としてそうなっていることは、理解しておく必要があります。T氏の人脈は、自民党、民主党内部に広がっていますが、T氏にとっては、政党の主義主張などは全く意に介していなかったように見受けられました。当たり前でしょう、どちらに転んでも自分の意向は確実に権力中枢に伝わるのですから。

 ■二・二六事件はやらせだったのか?

 このブログのタイトルを見ればわかるように、私は松本清張先生のノンフィクション作品を高く評価しています。「日本の黒い霧」も秀作なのですが、私が最も 敬愛する作品は「昭和史発掘」の中の「二・ニ六事件」の章です。もちろん、昭和初期のあの有名なクーデーター事件を取り扱ったものです。

 写真2:文藝春秋社「昭和史発掘」文庫版表紙 松本作品に出会ってなければこのブログもなかった?

 その、膨大な資料の蒐集と緻密な分析には今でも学ぶことの多い作品ですが、T氏と出会った頃にちょうど同作品を読み込んでいたので、昭和11年の2月26日、T氏がまだ10代前後の少年だった時、当時東京都内に住んでいたT氏が何を見聞きしたのかを尋ねました。「前夜から雪が降り始めて、夜に軍靴の音が鳴り響いていた。学校へは車で送ってもらうのだが、その日は休校になったことを覚えている」。家の中に居たため、外で何が起こったのかを目撃されてはいなかったのですが、それでも、そんなわずかな天候の描写と聞こえてくる音の様子で、当日、都心で起きていたことが生々しく想起されます。私にとっては、T氏のこのリアルな証言だけで十分に満足だったのですが、それに続いてT氏は奇妙なことを語り始めました。それが余りにも衝撃的だったので、その時のやりとりをよく覚えています。記憶を辿ってそれを下記に示します。若干不正確であることはご容赦くださ い。
-------------------ここから---------------------
T氏  「私は陸軍に入隊してから、栗原さん(当時中尉:叛乱首謀者の一人)に会いましたよ」。
日月土  「えっ、どういうことですか?栗原中尉は事件後すぐに処刑されたはずですが??」(註:T氏が入隊するのは事件から数年後)
T氏  「世間ではそういうことになってますね。でも、私はこの目でお姿を見て、会話もしています。それを信じる信じないはあなたにお任せします。なお私は歴史というものを一切信じていません」。
日月土  「中尉とどんなことをお話されたのですか?」。
T氏  「栗原さんは、よく歌を歌いながら兵舎の中をこうやって歩いていましたね(歌と身振りの真似)。事件に関わった他の青年将校の方々がどの部隊に配属されたのかも聞いています」。
日月土  「なぜ、将校たちは処刑されなかったのでしょうか?」。
T氏  「理由はわかりませんが、やはり、お国のために立ち上がった方々ですから、殺すに忍びなかったのだと、私は理解しています」。
日月土  「戦後、陸軍が解体されて彼らはどうなったのでしょう?」。
T氏  「それは私にもわかりません」。

写真3:栗原安秀中尉
T氏はニ・ニ六事件よりだいぶ後に兵舎内で直接お会いしたことがあると言う。栗原中尉は処刑されていなかった!
-------------------ここまで---------------------


 この会話を終えたとき、松本清張先生の作品を愛読していた一読者として、どれほどショックだったかはお分かりいただけるでしょうか? あれだけの労作の結末、「首謀者の処刑」という歴史的事実の結末が、実は捏造されたお伽話だったというのですから。当時、123便事件の真実についてすらまだ何も知らない自分は、この証言に激しく打ちのめされたのです。あの松本清張先生ですら騙されていたのか!?

 ■文藝春秋社は何かを隠してる?

 T氏のお話が事実だとすると、松本先生のされたお仕事がだたの徒労であったということになりかねません。あるいは、松本先生自身がその疑いを持ちつつ、結論を出せぬまま、「処刑」を歴史的事実として渋々綴ったのかもしれません。T氏のお話に納得しきれない私は、「昭和史発掘」の出版元、文藝春秋社にメールで、T氏の語った内容が「ニ・ニ六事件」の資料に中に僅かでも含まれているか質問を出しました。かなり突飛な内容なのでメールへの返事は最初からあまり期待していませんでした。案の状、今でもその返事は私の元へ届いていません。しかし、メールを出してから数日後、私の身辺で異変がありました。空き巣に入られたのです。帰宅して窓ガラスが破られていることに気がつきました。アパートの1階部分で、道路沿いの端部屋から2番目の部屋。確かに入られても不思議はないのですが、何故、入りやすい端の部屋ではなく奥の自分の部屋だったのか? もっと不思議なのが何も捕られていないことでした。真新しいノートパソコンが机の上に置いてあり、預金通帳が見えるところにあるにも拘わらず何も取られた気配がありません。これには調書を取りに来た警官の方も首を捻ってました。その後、いろいろ調べて、結局、何も取られた物はないという結論になりました。被害は壊された窓の修理代程度のものです。当時の私は、陰謀論的な話に多少の興味はあっても、社会の裏側や闇組織とかいったものに具体的なイメージはなかったので、不思議な空き巣事件ということで勝手に納得していました。文藝春秋社へのメールと何か関係があると疑うこともありませんでした。ひょっとしたらメールでの質問と関係があるのではないかと思うようになったのは123便事件を調べるようになってからです。123便関連で関わりを深めた国際軍事評論家のB氏に、ニ・ニ六事件の青年将校が実は処刑されず生かされていた件について尋ねると、「私もそう聞いてます」と実にあっさりとT氏のお話を裏打ちしてくださったのです。青年将校の処刑については、やはり何か隠し事があるようです。ここで、疑問に思うのが、戦後60年以上たった今、青年将校が生かされていた事実が仮に世に出ても「愛国者への温情措置」とすれば、さほど抵抗なく新事実 として受け止められると思うのですが、上述の空き巣事件が、重大事実を知った者への嫌がらせ、もしくは警告だとすれば、どうして、その事実をひた隠しにしようとするのか今一つ釈然としません。これについての論考は後述しますが、少なくとも文藝春秋社へのメールと空き巣事件には何か関連がありそうだということ。だとすれば、文藝春秋社は何を隠しているのかと疑問の度合いが必然的にエスカレートしてきます。

 ■ニ・ニ六事件と戦時体制 - 2つの疑問

 T氏の証言「ニ・ニ六事件の叛乱将校は処刑されていなかった」が事実であると仮定し、また、私の遭遇した「文藝春秋社へのメール後に起きた不可解な空き巣事件」が事実隠蔽工作の一端であったと仮定した場合、そこから新たな疑問が幾つか派生してきます。それを箇条書きにすると以下のようになります。(1) 何故、青年将校達は処刑されなかったのか?、(2) 何故、半世紀以上昔の事実が隠蔽され続けなければならないのか?。他にも細かい疑問は色々と出てきますが重要なのは上記2点になるかと思います。(1)の回答としては、T氏自身が「愛国者達への計らいだったのでは」という推測を述べられていますが、政府の重鎮が暗殺され、陸軍内の青年将校達のシンパ、いわゆる皇道派の高官達が事件後粛清されていることを鑑みれば(これ も本当かどうか分からない)、「温情」の一言で処刑を免れたとはとても考えにくいものがあります。なおかつ、証言によると、彼らは、事件後に陸軍内の実権を握った統制派の下で職務の継続と行動の自由を与えられていたようなので、これが特別計らいの温情措置であったとは常識的には考えにくいものがあります。この疑問に対する最も簡潔な回答として、以下が考えられます。ニ・ニ六事件は、初めから事件後の効果を狙った、皇道派・統制派の両派閥間で巧妙に仕組まれた茶番であった。事件後の効果、あるいはその茶番を企図する一番の目的は、他でもなく"戦争突入"であり、海軍出身で戦争回避派、また天皇機関説を支持する岡田啓介首相 (当時)、およびその片腕である高橋是清大蔵大臣が暗殺の対象になったのも、シナリオの流れから俯瞰すれば当然の事であると考えられます(岡田首相は難を逃れたが、急速に求心力を失う)。

 写真4:二・ニ六事件で殺害された政府要人(岡田総理は難を逃れる)
 左から 岡田啓介(内閣総理大臣)、高橋是清(大蔵大臣)、斎藤實(内大臣)、渡辺錠太郎(陸軍教育総監)。

 ニ・ニ六事件発生の原因は、東北地方を中心とした地方庶民の困窮と生活苦、それに対する政府の無策に憤った志高き青年達の暴走という風に一般的には説明されていますが、果たしてそんなご立派なものであったのかどうか。あるいは、叛乱した彼ら自身は純粋な理想を抱いていたとしても、その情熱を上手に弄ばれ てしまったのかもしれません。日本を戦時体制に移行させることにより、軍部は国内の政治経済に強い影響力、そして実際的な権限を得ることになります。これは軍部にとって大きなメリットです。そのために目障りな和平派の弱体化を図ること、それと同時に、皇道派などコントロールが難しい極右勢力の勢いを一定程度削ぎ落とすことが必要になります。ニ・二六事件は、戦時体制を作り上げるための最後の仕上げとして企図された茶番。そう考えると、事件後に政府が弱体化し、東条英機を初めとする統制派が幅を利かすようになり、同事件の翌年1937年に盧溝橋事件が勃発。泥沼の日中戦争へと突入し、更には太平洋戦争へと繋がる急展開に、欧米諸国に追い詰められただけでない、別の説明を与えることができます。以下はニ・ニ六事件前後の簡略年表です。これを眺めると、政府要人への殺害行為を契機に戦時体制へ強く牽引されていく日本の体制が見て取れます。また、1938年の国家総動員法の制定は、事実上、米国との開戦準備であり、日本の軍事政府に和平案など念頭になく、戦争を遂行することが初めからの規定路線であったことが伺い知れるのです。

1931年 5月15日 五・一五事件 犬養毅首相、他殺害
 同年 9月18日 満州事変
1932年 1月28日 第一次上海事変
 同年 3月 1日 満州国建国宣言
1933年       国際連盟脱退
1934年12月    ワシントン海軍軍縮条約破棄
1936年 2月26日 二・二六事件 高橋是清大蔵大臣、他殺害
1937年 7月 7日 盧溝橋事件(日中戦争勃発)
1937年 8月13日 第二次上海事変
1938年       国家総動員法制定
1941年12月 8日 日米開戦(太平洋戦争勃発)

 ここで、戦争突入によって最大の利益を得るグループを忘れてはなりません。ロックフェラーやロスチャイルドなどのユダヤ系国際財閥、日本国内だけを注視すれば、三菱、三井、住友などに代表される大財閥とその系列企業、そして、その経営者でもある旧華族・士族に属する人々が必ずそこに存在するのです。ニ・ ニ六事件の勃発を財閥系企業はかなり正確に予測していたと言われますが、それが、企業内の情報部の諜報活動によってと考えるのは、ちょっと人が良すぎる 発想かもしれません。彼ら自身が直接事件を計画実行した方が、はるかに効率良く自分たちの利益となる戦時体制へと日本社会を導くことができるはずなのです。これは、もはや推測の域を出ませんが、日米開戦前に、その資産をアメリカ国債にシフトしていた日本の企業経営者連中は、いったいどうして米国の勝利を予測できたのか、疑い始めたら本当にキリがありません。私は、外国勢力を含む日本の軍産複合体は、ニ・ニ六事件の時に初めてその牙を日本国、日本国民全体に向けたのではないかと考えています。あたかも、日航機123便事件の背後に見え隠れする、クロカモさん(日本の闇組織)たちのように。いや、その時既にク ロカモは存在していたのかもしれません。このように論を進めると、疑問(2)については、次の様なの答が一つ考えられます。「日本の軍産複合体は二・ニ六事件の頃から存在し、日本を戦争へと駆り立てた。その勢力は現在でも存続し、同事件の真実を過去のものと切り離すことはできない。日本の秘密結社たる彼らは、その存在を悟られないことが最大のテーゼであり、『処刑はなかった』という真実から、自分たち計画者の存在が類推されてしまうことは努めて避けなければならない」。もちろん、この推論が正しいかどうかなど、今の私には検証のやり様がありません。しかし、123便調査の経験を通して、ニ・ニ六事件にも123便事件と同じ超国家的な巨大隠蔽の臭いを感じ取ってしまうのです。

----------2012.10.01 追記(ここから)------------
 後から気がついたのですが、もしも、「処刑の回避」が陛下に伝わっていないのなら逆賊征討の勅令が無視されたことになります。これが陛下のご意思なら敢えて隠蔽する必要はなく、すると当時の陸軍そのものが勅令に逆らった可能性は高いと言えます。現在までも隠し通す理由はその点にもあるのではないでしょうか。陸海対立の観点から見れば穏健派の岡田首相を要する海軍閥がその被害者のように見えますが、第二次上海事変は海軍側が起こした事変であり、後に日中戦争は泥沼化し太平洋戦争への大きな布石となっていることは見逃せません。陸海対立を煽り日本を大戦へと導いた勢力は海軍内にも存在していると見るべきです。米内光政、山本五十六など駐在武官経験者と海外資本家とのつながりは他書でも夙に指摘されてるところであります。そこに、金の力に操られる哀れな軍人の姿を見るのは私だけでしょうか? どちらにせよ、一番気の毒な方は偽の愛国者に翻弄され続けた昭和の大君だったと思わずにいられません。そして、何ともお労しいのは、日航機123便事件で再び同じお悲しみに御胸を痛められたのではないかと思われることです。
----------2012.10.01 追記(ここまで)------------
 * * *

 日産自動車がミサイル開発子会社を所有しているのは知られていますが、トヨタ自動車が軍事用戦闘ロボット(米軍向)を既にタイで生産していることはほとんど知られていません。昨年のタイ洪水の時、トヨタの工場内部の映像がほとんど出なかったことに気がつきましたか? 日本では全く報道されませんが、私が滞在していたフィリピンでは、堂々とニュースメディアで取り上げられていました。フィリピンの方々は無邪気に「日本の技術力は凄い」と褒めてくださるのですが私の心中は複雑です。日本は再び危険な道を歩もうとしているのではないのか。

 写真5:2005年開催の愛・地球博(別名トヨタ博)で公開された歩行ロボット
 華やかな舞台の裏で、軍関係者に向けて軍事ロボットの売込みが行われていたという。二足歩行技術はホンダから買ったらしい。どうやら、自動車産業界は次の"大イベント"を切望しているようだ。

 今月、松下経産大臣自殺の一報がありました。女性問題に悩んだ上と言われてますが、国会議員5期目で、70代の高齢現職大臣が、そんなことを苦にして自殺などするはずがないでしょう。そんな脆弱メンタリティーでは、おそらく代議士当選すらおぼつかないはずです。日本国民はそこまで頭が弱いと思われているのでしょうか? 自殺か他殺の結論はここで問うまでもなく、気にするべきは、政府の要職者が殺された時、その後に何が続くかという予測です。図らずも、今回のテーマはその解答を導くための絶好の過去事例となってしまいました。誰が日本をどこに導こうとしているのか、読者様には、事象の細部ではなく、ぜひ大局を読み取って いただきたいと願います。なお、T氏からは、「広島に原爆を投下したのはエノラ・ゲイ号ではない」など他にも驚くような証言を聞かされています。もう歴史の教科書を読むのが馬鹿らしくなるほどです。これらについては、機会をみてまたご紹介したいと思います。

 身はいかに なるともいくさ とめにけり
 ただたふれいく 民を思ひて
 昭和20年 昭和天皇

 遠つ祖霊の始まりの地より 

 2012-09-01 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!78

 日露(旧ソ連)中朝米入り乱れての123便??!誰が真に受けようか?!ところが、物的証拠は数多くある!表の権力構造では全く理解できない、裏!!第78弾。米国が一枚岩ではないように日露中朝も同じく一枚岩ではない。飯山さんが書いておられるが、日本は国体と政体が乖離している・・・。成る程、それもこの事件によく現れている。日本ばかりではないのである。米国も中国も・・・、ロシアのことはよく分からないが、旧ソ連においては、まさしくそうであったであろう。北朝鮮と韓国はよく分からない国である。まあ、表も乖離している典型であろうが、最近の動向を見れば精神も分離している。乖離と書けば、解離性精神・・・・とか想起するから控えておこう。親日なのは韓国か? それとも北朝鮮か? よく分からなくなってくる。反日抗議デモは、何故かいつも中国の南から起こる。韓国もそうだ。北朝鮮は元々仮想敵国だから、それ以前の問題かも知れないが、考えれば不思議な現象である。米国は確かに分離している。日航機123便の対応を見ても、救助に尽力したのは米国側で、当の日本は何故か手を拱くばかりでなく、寧ろ見殺し乃至は積極的に殲滅作戦が暗に実行された伏がある。これはどうしたことであろうか? 誰もが調べると突き当たる問題だ。福島原子力発電所事変を見てもその傾向がある。放射能対応は間違いなく棄民政策であるし、放射能全国拡散などを見ると、一体、国体をなんと考えているかと、その精神構造に疑いを抱かざるを得ない。つまり、やっぱり一番乖離しているのは日本のようである。どちらが本物であるかと言うことであるが、客観的に判断はできない。ならば主観的にならざるを得ないだろう。私はかく判断する。ウソが多い方が偽物である。隠し立てをする方が偽物である。本物はありのままを是とする。ウソ偽りの人生という、生き方もあろう。それは存外自由である。それで楽しければ良いではないかと考え方もあろう。そして、その方が寧ろ処世上は都合が良いかも知れない。うまくやり仰せることが多いかも知れない。だが単純にウソで固める人生など勿体ない。人生は長いようで瞬間である。その暇はない筈だ。少なくともその記憶は他の誰でもない自分自身の魂の記憶となろう。この瞬間の人生をうまく生き仰せても、やがては一人になると考えたら、それこそ永遠の魂の記憶に苛まれることになるのは自分自身だからである。真実に生きると言うことは、自らにウソのない人生を選び取る以外にはあるまい。もっとも、ウソを平気で吐く人間は今生が全てだと思っている場合が多い。馬耳東風とはこう言うことを言うのである。

 JAL123便墜落事故-真相を追う-折れなかった垂直尾翼(4)2012-08-31

 北方領土、竹島問題、そして尖閣諸島と、最近になって突然降って沸いたように領土問題が騒が しくなっています。長く本ブログにお付き合いいただいた読者様なら、これら日本の隣国であるロシア、韓国、中国が、日航機123便事件に密接な関係を持つ 国々であることにすでに気がついておられることでしょう。

 ・ロシア > 御巣鷹事変の紛争直接当事国-物証による確認
 ・韓国  > 在韓米軍、在日米軍朝鮮人部隊による事件処理関与疑惑
 ・中国  > 旧帝国陸軍(関東軍)と北京情報部との戦時コネクション

 これらの国々は、旧帝国陸軍参謀、伊藤忠商事元会長である故瀬島龍三氏を通して一つに繋がることに改めて気がつかされます。瀬島龍三氏は中曽根康弘当時首 相のブレーンとして、123便事件以後も日航人事に大きな影響力を及ぼした人物です。その瀬島氏は、韓国の情報機関であるKCIA、在日・部落運動組織、 その政治工作部隊である国際勝共連合を影で操っていたと言われてます。これら朝鮮系組織とグリコ・森永事件の繋がり、そしてグリコ・森永事件と123便事 件との更なる繋がりを考察すれば、やはり瀬島氏の関与抜きに123便事件を語ることはできません。

 その意味で、現在の丹羽駐中国大使が、伊藤忠出身の民間大使であるということは大変興味深いです。瀬島氏が作り上げた 中国・朝鮮半島コネクションは現在でも健在であり、シベリア抑留中、あるいはそれ以前から築いたとされるロシアコネクションも含め、日本の極東外交におい て今以って大きな影響力を保っているように見えます。

 写真1:故瀬島龍三氏(左)と丹羽宇一郎駐中国大使(右)
    123便事件だけでなく、戦後日本の暗部に伊藤忠商事が深く関与
    していたことは、いずれ明らかにされるであろう

 これら三国の中でも、中国・朝鮮の軍事技術が日本の産業技術に深く依存している可能性については、本ブログでも度々触れたかと思います。中国の核ミサイル しかり、北朝鮮のテポドンしかり、核兵器製造技術を含む日本の産業技術がなければ達成し得なかったと言えるかもしれません。

 このように、社会の闇で日本と深く繋がるこれらの国々が、領土問題で派手に争そうことに、何か胡散臭い策略を感じるのは私だけでしょうか?このような時、 最初に考えられるのが、日本国民(当事国国民)の目を何かから逸らそうとしていることです。では、その「何か」とは何なのか?私が最も危惧しているのは、 国(日本の闇組織=クロカモ)は、福島第一原発による関東・東北地方での健康被害が、数ヶ月以内に顕在化することをすでに想定しており、その予防線とし て、国民感情を操作誘導する目的で、茶番の領土問題を関係各国共同で打ち上げたとするものです。

 事実はいずれ分かってくるとは思いますが、御用マスコミの扇動に乗じることなく、私たちは事の推移を冷徹に見守るべきだと思います。

 ■海上保安庁も事件隠蔽に加わっていた

 前置きがちょっと長くなりました。下記の写真2は、改めて123便事件関連資料を整理していた時に見つけた新聞記事です。まずは、ご覧ください。

写真2:横浜港に陸揚げされた垂直尾翼を報じる記事
    「海上保安庁職員たちによって陸揚げされた日航機の垂直尾翼
     部分 = 13日午後10時45分、横浜市中区の新港ふ頭で」

<記事全文>
1985年8月14日(123便事件発生から2日後) 朝日新聞 朝刊

「尾翼の一部が横浜港着」
 事故機の垂直尾翼の一部は、第三管区海上保安本部の巡視艇「あきづき」で横浜港に運ばれ、十三日午後四十五分、同港新港ふ頭4号岸壁に引き揚げられた。甲板に置かれていた垂直尾翼の一部を、十二、三人がかりでかかえ上げ、船から下ろした。細長い台形をしており、日航のマークであるつるの羽の先端が一部見えた。両端の白い金属板がめくれ上がり内部の骨組みが露出しており、衝撃のすさまじさを物語っていた。しかし、物がぶつかったような跡はなかった。同岸壁に待機していた運輸省の航空事故調査委員会の、門田利周・次席調査官と、樫原福二郎調査官が、検分を始めた。日航職員も見入った。門田調査官は「回収されたものは垂直安定版にほぼ間違いない。この安定板は事故機の物である可能性が高い」と述べた。また、安定板の底の部分についていた製造番号は、「65B03286-1」と確認され、「747」とも記されていた。垂直翼の一部は巡視船「みうら」の甲板に移され、同夜はそのまま同船に保管された。


 写真に写る人物の身長から推測すると、この垂直尾翼破片は1.5m×5.0m以上はあろうかというたいへん大きな物です。また、12、3人で持ち上げたと いうことですから、重量は軽くても2~300kg程度はあったと推測されます。外板を支える骨組まで付いていたということですから、いくら軽量に作られて いる航空機材料とは言え、それなりの重量であったことでしょう。鶴のマークの断片、写真2に写る物体の形状から判断すると、この物体は垂直尾翼の左側前縁部であると考えられます。写真3から分かるように、ボーイング 747の垂直尾翼と鶴のマークの位置関係、それらの実寸などから、この推測でほぼ正しいことが確認できます。破れた外板から反対側が透かし見えていないこ とから、右側前縁部を含む垂直尾翼前縁上部が丸ごともぎ取られたことを示しているように見えます。

 写真3:回収部分の機体推測位置

 事件翌日の夜に横浜港に陸揚げされたということですから、かなり早い回収だったということになります。すると、回収は13日の日中、日本中が大騒ぎになっている最中に行われたことになります。公式発表では墜落場所が確認されたのが13日の早朝であり、同日日中は事故の発生した明確な場所も、事故原因もまだ はっきりとわからないはずの時間ですから、海上保安庁の巡視艇はたまたま相模湾の巡視行動中に、海上で123便の尾翼破片を見つけたのか、何か特別な情報を得て現場に急行したということになります? 残念ながら、この記事には「あきづき」の海上行動の経緯が一切書かれておりらず、その辺は推測でしか語れません。この早すぎる部品回収の他、これまでに浮上した垂直尾翼海上破壊説の疑問点を列記してみます。(1) 圧力隔壁破壊、急減圧はなかった、(2) 日航鶴のマークは陸上でも複数目撃されている、(3) 海上自衛隊の不自然な回収部品の陸揚げ地選択、(4) 金属部品は、通常海上で浮遊するはずがないのに、海上で回収されている。そして、この記事から伺える新たな疑問点として次の項目を加えたいと思います。(5) 海上保安庁の早すぎる部品回収、(6) どう考えても、垂直尾翼前縁部が海上で浮いてるはずがない。(7) 鶴マークを含む最重要証拠なのに事故調査報告書で検証されていない。

 (1)については、「折れなかった垂直尾翼-番外編」 でも簡単に指摘しましたが、多くの専門家、書籍等でもその不合理性に疑問の声が投げかけられており、生存者4名の証言とも全く噛み合いません。本来ならば、この1点を洗うだけでも十分に事件の隠蔽を覆せるはずなのですが、客観的知見を提供するはずの学識経験者がこぞって体制側に着いており、この事件の根本をなす疑問は20数年間無視され続けたままです。(2)と(7)は「鶴マーク」で関連があります。鶴マークのペイントを含む垂直尾翼の一部が本当に海上に落ちていたのならば、その周辺部を含む垂直尾翼の大部分が相模湾上空の異変で破壊されたという事故調査委員会の報告は正しいことになります。しかし、「見えざる人々神の鉄槌(1)」 で掲載した証言のように、墜落現場近くで複数の目撃者が「鶴マーク」を目撃しているのです。123便の陸上での目撃証言は初期の報道で多く取り上げられていますが、「飛び方がおかしい」というものはあっても、「尾翼がなかった」、「機体の一部が壊れていた」という証言は全くないのです。一つ一つの証言には不正確さが残るとは思いますが、何十もの目撃証言が尾翼について語っていない不自然さをどう説明すればよいのでしょうか? 尾翼は折れていなかったのです。(4)と(6)については、「折れなかった垂直尾翼(3)」と内容が重なるので詳細は省略します。とにかく、物事を隠すにしろ、やり口があまりにも杜撰です。海上保安庁が回収したとされる部品は、その形状、その大きさ、重量から見て、海上を何時間も浮いていたとは到底思えません。(7)に関連しますが、事実だったら超が付くほどの重要証拠であっただろう当該部品が、事故調査報告書で何故か十分に検証された形跡がないこと、この記事そのものの扱いが極端に小さいこと(*1)、その後、この部品に関する追跡記事がないこと(*2)など、不明瞭な点が多すぎます。ここからは推測になりますが、海上で異常が発生したとする国民印象操作シナリオが事件直後に急遽作成され、それに基づいて、誰にでも分かりやすく印象的な鶴マークの刻まれた部品が海上で回収されたという事実を急いで捏造したのでしょう。但し、それがちょっと急ぎ過ぎでした。また、隠す側でも、まともな基礎 科学知識があればこんな嘘はすぐにばれることに気が付き、その後に「鶴マーク」の目撃証言が幾つか出た頃から大きく取り扱うのを止めたのだと考えられます。この場合、鶴マークの強調は彼らのシナリオをかえって危うくするものだと気が付いたのでしょう。では、この鶴マークの部品はどこからやってきたのか?一番考えられるのは、123便の墜落現場から陸上自衛隊のヘリを使って巡視艇まで空輸したことです。

 *1 小さな扱い:事件直後は犠牲者の安否が優先で、大きく取り上げる余地がなかったとも言える。必ずしも悪意があったとは考えられず、逆に、このおかしな状況に気がついて欲しいという、記者の必至の訴えだったのかもしれない。*2 追跡記事がない:私の調査範囲でという意味。追跡情報があれば教えていただきたい。

 * * *

 今回の記事で、ご注意を頂きたいのは、海上での証拠捏造に加担したのが海上自衛隊でなく海上保安庁である点です。同庁は現在は国土交通省の管轄ですが当時は運輸省の配下でした。事故調査委員会の出鱈目など、これまでの経緯を踏まえれば不思議はありませんが、運輸省は海上保安庁という自前の実働部隊を投入してまで日航機事件の隠蔽にやっきになっていたことが伺えます。同時に、事故調査報告書に部品回収で登場した海上自衛隊がこの時関与しなかったことに、同事件の取り扱いに対する海上自衛隊内の激しい抵抗を感じます。私は、報告書に記載された、すぐにインチキだと分かる海上浮遊部品の項目、また上記(3)にある海上自衛隊が見せた不自然な陸揚げ行動については彼らの声に出せない抵抗であったとも見ています。現在起きている領土問題において、海上保安庁は日本の守りの要です。現職員の多くは本件と直接関係ないことは分かっていますが、彼らの一部、また旧運輸省上官の一部が123便犠牲者の血で汚れた人物であることは疑いようがありません。前から唱えているように、私は罪を責めるつもりはありません。しかし、事実を隠し続けることは新たな罪を作るのと同じことです。どうか真実を私たちに話してください。私は、あなた方も救ってあげたいと本気で考えているのです。

 QUAE DIXIT NEMO DOMINE DIXIT AUTEM IESUS NEC EGO TE CONDEMNABO VADE ET AMPLIUS IAM NOLI PECCARE
 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」。
(ヨハネの福音書 第8章11節) 遠い祖霊の始まりの地より 





(私論.私見)