飄(つむじ風)転載10

 (最新見直し2014.08.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 1985年8月12日、羽田発大坂(伊丹)行き日本航空インターナショナルのボーイング747型(ジャンボジェット、機体記号JA8119)機のJAL123便が墜落し、505人の乗客と15人の乗員合わせて524人(他、赤ちゃん1名)が死亡すると云う大惨事が発生している。問題はこの事故が事件の臭いがすることにある。この事件には不可解なことが有り過ぎる。幾人かの識者が既に言及しているが未だ真相は明らかにされていないと考える。これを仮に「1985日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故事件」と命名する。長年気になっていた事件であるが今漸く着手する。

 2010.8.16日 れんだいこ拝


 2010-11-03、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!53

 本家ブログ『(新) 日本の黒い霧』が久しぶりに更新された!!さらに続いて公開されると予告!!期待したい。それまでの繋ぎかも知れないが......!さらなる警鐘を鳴らすことも必要を感ずる!!

 クーデターの危惧も無いとは云えない。不穏な闇の跳梁を感ずるのは、投稿者ばかりではないであろう。世情は狂っている。警察・検察・裁判所も含めて信頼に価するとは云えない。政治状況は正論が殆ど見られず、浮薄な政争に明け暮れている。

 <御巣鷹の墜落軍用機体>

 検察審査会に至っては、殆ど、犯罪だ。そこに、国体浄化と称して、クーデターが危惧される。軍事クーデターだ。まさか、この平和ボケした日本でと侮ってはいけない。既にサリン事件も現実化した。日航機123便事件は決して、無関係ではない。

 <御巣鷹の墜落軍用機体;風防>

 『拉致事件』は北朝鮮特許と思われているが、国内で既に1985年8月13日に起こっていることが可能性がある。少なくとも、非公然の虐殺事件も行われた可能性があるのだ。他岸の出来事ではないのである。

<以下引用>
2日午後11時頃、さいたま市西区宮前町で、住民から「畑で大きな音がして、煙が上がっている」と110番があった。(読売新聞) [記事全文] ・ <爆発音>畑に発射装置? 陸自大宮駐屯地近く - 毎日新聞(11月3日) ・ 陸上自衛隊大宮駐屯地の位置 - Yahoo ...
<引用ここまで>

 御巣鷹で、キノコ雲が発生したことは、事実である。強力な高熱現象があったことは否定出来ない。それは核爆発の傍証である。と言うことは、我々の承知していない軍事組織が存在することが当然危惧される。そして、それは我々の予想する以上に強力な軍事力を保持していると考えて間違いない。

 <御巣鷹の墜落軍用機体;尾翼>

  サリンなど、使われるまで誰も知らなかった。しかし、事実、使用されたではなかったか。特に松本サリン事件では、正真正銘のサリンである。そして、それはちゃちなオウムママゴト軍事組織ではなく、正規の軍事部隊(自衛隊)であったことが疑われている。勿論、表の自衛隊部隊ではなく、自衛隊に巣食う非公然部隊である。これは123便事件にも登場する。それが、今、何を考え、何を画策しているのか? 決して絵空事ではないのである。

 01ch 日航機墜落のニュース1 4
 http://www.youtube.com/watch?v=ZHB1Buqcqdk

 JAL123便墜落事故-真相を追う-平成22年11月のご連絡2010-11-02

 確信が抱けるまで新規の投稿はしばらく控える予定でした。しかし、時局が大きな節目を迎えているとの観測から、今月中旬(APEC会議の開催期間)以降に現在の政治状況と日航機事件の関連について、若干のご報告をさせていただきたくご連絡申し上げます。なお、ネット言論上における123氏による断片的で不完全な情報の投稿が、私の調査に協力していただいている関係者に多大なご迷惑をおかけしているような ので、本記事上にて123氏の自制と配慮を求めます。他者の言論活動を制止するようなことは、私の本意ではないことをご理解ください。加えて、氏の投稿で触れられている「・・上空に米軍機・・」の意味については、11月13日に開かれる国際軍事評論家 B氏の定期セミナーで発表の後、本ブログで正確な情報を公表したいと思います。当然ながら日航機事件と密接な関連を持つ内容となります。現代史に関心のある方は、1936年当時、1985年当時の日本と現在の社会的・政治的類似点をご考察してみてください。これから日本で起きようとしていることが歴史の教訓を通して見えてくるはずです。


 ※以下11/03追記(11/04転載追記)

 写真は、平成22年10月24日11:00に、都内江戸川上空に出現したAH-1Wの 6機編隊。同日開催の自衛隊観閲式に飛来した陸上自衛隊のAH-1Sは、同時刻には5機編隊で朝霞駐屯地上空を観閲飛行している。B氏によると「自衛隊にAH-1Wの配備はなく、また、自衛隊機は、通常、奇数機編隊を構成することが多い。」とのこと。
 A formation of six AH-1W helicopters seen above Edogawa river, Tokyo
at 11:00am on 24th October. Japanese Self-Defence Forces (JSDF) holds
no AH-1Ws and they ordinarily avoid making even-numbered formations.
I will present you readers the analysis of this happening soon
through this Shin-Nippon-no-Kuroi-Kiri ("Black Mist in Japan") blog.

 日航機事件調査協力者が撮影
 pictured by a member of JAL123 investigation team
 2010-10-31 、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!52

 前々回前回に引き続き、日航機123便生存者数疑惑の真相を追う。これまでの情報、新たな情報を整理して考察する!

 7人であるか、8人であるかは分からない。少なくとも、4人以上であることは確かだ。御巣鷹の日航機123便生存者の可能性である。当時の日経新聞にもはっきりと一面トップに出ているではないか。その検証は、必要だ。何故、そのニュースが消えたか?

2451_2

 「nikkei8-13.jpg」をダウンロードクリックすると、新聞を拡大)

 消えたのではなかろう!消したのだろう。記事を消したのは許そう。命を消すことは許せない。3人はその後どうなったのか? 徹底解明が求められる。情報の交錯なら、その事実を明らかにすべきだ。誤報なら、誤報の経緯を解明すべきである。それが蓉として為されていないのは大きな疑問である。はたして正確な調査・報道があったなら、こういう事にはならなかったであろう。隠されたものは、顕れるのである。しかし、調べれば調べるほど、到底、明らかに出来ない闇の事情が垣間見える。そう感ずるのは投稿者だけであろうか。しかし、真実は明かされる必要がある。その理由は簡単だ。まっとうな人間は、偽善に生きることを潔くしない。真理は真実にこそ宿る。真理こそ、人間の目的だからである。他にどんな理由があろうか。

 扇子? そういえば扇形に光が広がった、という目撃が<以下引用> (123)2010-08-26 05:30:22

  実は妙なことを今頃思い出したのです。それは最近日航機事故を検証した分厚い本を本屋の新刊書の中から見つけて立ち読みしたことによります。(DVD付き)20年後の今頃その本のおかげで私の見たものが123便だったことを知ることになりました。私たち家族は恒例の北軽井沢キャンプから未割り当て区域であった福島のある村に向かう途中でした。もう何処の山間であったかは記憶にありません。しかし今思えば旅客機があんな低空で飛ぶような場所ではありませんでした。私 はその機体をわずか数十秒間見たに過ぎません。それは123便が最初頭上に来たとき異常に低い高度であったことと山の谷間にいたため視界が限られていたこ とによるのです。しかし、今思い出せば上空を私が見上げてその機体の姿を見たいと思ったその動機となる現象があったのです。それは異常な エンジン音だったのです。フオー、フューン、ゴオー、としょっちゅうエンジン音が変化していたのです。ジェット機のエンジンは普通車のエンジンのように回 転を上げたり下げたりを短時間で繰り返すような使い方ができないものなのです。そうした使い方をすれば異常燃焼を起こして生ガスが思わぬところで爆発する ことだってあり得るでしょう。パイロットはそうした極限状態を試しているように思えたのです。私たちの頭上を飛び越えていくその機体は異 常なエンジン音を除けば若干機首を上に向けすぎているようではあったが報道で言われているようなひどいダッチロールはなく比較的正常に飛んでいるように見 えたのです。主脚は出ていて着陸態勢のようにも見えます。比較的速度は遅くフラップも降りていました。かなり低空で私たちを中心に右旋回しその後は割に安定した姿勢で上昇していきました。フラップをおろしているためエレベーターで持ち上げられるように。そのままでかなりな高度を取り10キロほどの距離を進んだと思います。そ して上がりきるとかなり急な右旋回360度。そして今度は急激な降下をしながら来た方向と反対側の稜線の向こうに降りていった。その後しばらくまたあの変 化の激しいエンジン音。それがだんだん遠ざかりエンジン音がほとんど聞こえなくなった2.3秒後ぐらいだろうか最初のバシッという直近の落雷のような音。 そしてそのさらに3秒後にバリバリバリト言う雷鳴のような音。私は雷が落ちたようだねと言った。まさか墜落した音だとは思わなかった。そ の後また雷の音がするかと耳を澄ましていたがジェット戦闘機が複数飛び回る音が遠くで聞こえるだけ。旋回し遠ざかっていった。雷はその後鳴らなかった。こ れが私の記憶の飛行状態の全てです。今思えばあの日は晴れていたはずだった。夕方とはいえ落雷は平地であればあり得ない。私たちは山岳地にいたので晴れて いてもあり得ないことではなかったのでそう思いこんだのだと思う。それだけではありません。私はその機体の窓が見える高度で見たわけです が、機体の損傷がほとんど分かりませんでした。機体後部の隔壁のさらに後部部分も(ソフトクリームのコーンのような形の尾部部分)壊れていませんでした。 垂直尾翼が異常に小さいように見えたのが唯一の異常でした。家族に向かっておかしいなあの機体垂直尾翼が異常に小さいぞと言ったのです。私はその本を読むまでその機体と確かに日航ジャンボであったのですが墜落した機体と同じだとは思っていなかったのです。それは事故原因とされる隔壁破壊による機体後部の大幅な損傷をイメージしていたからに他なりません。報道された損壊状況とは著しく違うのです。私は今証言できるのです。あの日航機は隔壁破壊はなかったと。そして見事に垂直尾翼はほとんどなかったと。その機体を機長たちは見事に操縦していたと。それ もエンジンコントロールだけでである。そしてあの操縦を可能にしたのは水平尾翼の存在であった。ほとんど見た目の損傷はなかった。昇降舵も存在したと思 う。私は専門家並に航空力学を独学で勉強した人間であり、中二でラジコン機を最初から設計して自ら作り飛行させた人間である。ラジコン技術には天才少年とまでそのころ言われたのだ。私の航空機を見る目は全くの素人ではないのです。私はそうした専門的な目で機長たちの超人的な努力に並の敬意を越えた敬意を覚えざるを得ない。その努力会ってあの数名の生存者を可能ならしめたと思う。それに引き替え。アメリカ軍と日本政府の対応はとんでもなく。憎むべきものと言える。なんと墜落の二時間以前にアメリカ軍のヘリは現場に到着し生存者救出の ためワイヤーで降下する寸前であった。それを中止させ帰還命令を出していた事実が明らかとなった。(米軍パイロットの証言)そのことは生存者たちの証言で も明らかだが、その証言は無視されていた。日本側が墜落現場を特定し救出活動を開始したのはなんと12時間後のことであった。この遅さは異常である。なぜならばその救出をいち早く行おうとしていた米軍のパイロットたちは二機の自衛隊機を現場付近で確認していたからである。つまり自衛隊は事故の二時間後には墜落位置を知っていたという事実である。事故現場から目視で自衛隊機が確認できたと言うことは事故現場の煙を容易に自衛隊機から確認できたはずだと言うことが導き出せるのである。これはいったいどういうことなのか。。。。?隔壁破壊がなかったとすると、なぜボーイング社は隔壁の修理ミスを自ら言い出したのか。。。?シンドラー社ではないが自ら自分のミスを認める会社は欧米にはない。そういう感覚は持っていないのが欧米流である。わたしは今国家というものの恐ろしさを改めて痛感している。聖書がそれを獣として著す正確さをあらためて感じている。もしもっと真実を政府が語っていれば私はあれが日航機であったことを証言できたであろう。...残念である。今さら隔壁破壊は嘘だと言っても始まるまい。 以下はあるブログにあった証言である。私たちのいた北軽井沢と菅平はそれほど離れていない。「ドドーン」。物凄い大音響が菅平の奥、峰の原の山々にこだました。20年前、家族でペンションに休暇滞在中のときだった。夕闇が早い山の薄暗い午後7時前、「何だスゲー音だ!!」と子供達が口々に叫びながら、「落雷?」。晴れた空なのに? Pensionでの夕食後、TVのニュースに見入ったら、行方を追っていた自衛隊機が、御巣鷹山に炎上している形跡の場所を発見。それが墜落現場だった。峰の原から、東南東の方向へ直線距離で約80Km。時間的にもぴったしの轟音。いみじくも今も耳にこびりつく「ドドーン」は、墜落激突した時の音だった。 私の8月12日の誕生日に。520人の上に冥福と、ご遺族の上に、主の平安を祈りつつ。

  ところで私の記憶はだんだん鮮明になりつながってきました。私たちは子供のトイレか何かで車を止め車外に出ていました。その時尾根の向こう側からフオー、 ヒューン、グオーとジェット機にはあるまじきエンジン音が右に行き左に行き近づいてきました。かなり低空で私たちを中心に右旋回しその後は割に安定した姿 勢で上昇していきました。フラップをおろしているためエレベーターで持ち上げられるように。そして上がりきるとかなり急な右旋回。そして今度は急激な降下 をしながら来た方向と反対側の稜線の向こうに降りていった。その後しばらくまたあの変化の激しいエンジン音。それがだんだん遠ざかりエンジン音がほとんど 聞こえなくなった2.3秒後ぐらいだろうか最初のバシッと言う落雷のような強烈な音。そしてそのさらに3秒後にバリバリバリト言う雷鳴のような音。私は雷 が落ちたようだねと言った。まさか墜落した音だとは思わなかった。その後また雷の音がするかと耳を澄ましていたがジェット戦闘機が複数飛び回る音が遠くで 聞こえるだけ。雷はその後鳴らなかった。これが私の記憶のしている当時の状況全てです。この記憶を前提に、いろいろな疑問がわいてきます。まずは墜落したと思われる寸前の無音時間と最初の爆発音のような激しいバシッという音と、その後の機体の崩壊が進む時間を示すバリバリバリという長い衝撃音。そ の間3秒ほどの時間があった。その時間差はボイスレコーダーの記録と一致する。事故記録によれば最初に導体の真ん中を尾根に打ち付け分解した機体がその斜 面に機体が打ち付けられバラバラになったということになっている。私はこの3秒間とあのジェット戦闘機の高速で飛行するエンジン音は気になる。ジェット機 の速度である最初に接触したとされる尾根の頂上から下の斜面でバラバラになるまで3秒の時間は長すぎる。3秒あれば尾根二つ三つ飛び越えてしまう速度のは ずなのだ。最初のバシッという爆発音がどうしてもよけいなんです。そして私たちの耳に届いていたあの戦闘機のジェット音の正体は。最初に墜落現場に行った のは米軍のC130輸送機とされています。でも私の記憶では直後から戦闘機が一機以上いたはずだと申し上げられるのです。自衛隊の撃墜説まで出てくるのは こう言った事実が存在するからだと思います。墜落の瞬間は山の遙か向こうで見ていませんので何も言えません。ただ私の記憶と事実とは調べれば調べるほど撃 墜された事がより疑われる事実だったことが分かります。みなさんに申し上げておきます。近くで銃弾を肉眼で見ることは不可能です。でも速 度はマッハ1を超えます。本物のミサイルは映画と違ってマッハ2を越えます。それが意味することをさとってください。ただしまっすぐこちらに遠くから近づ いてくる場合は砲弾でも見えるのです。ペンタゴンに突入した旅客機を近くの高速道路があり車がたくさん走っていた時間にだれも目撃できていない事実はそれ がマッハを遙かに越えた飛行物だったことを意味しているのです。

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写真1:小川さんの写真に写りこんだオレンジ色の発光体

あの窓から写したものは墜落間近に撮られた写真であればそれが何であるかは理解できるでしょう。低空であることから最初の衝撃とは関係ない写真でしょう。
 しかも、墜落現場の遺体散乱状況は、誰が考えてもおかしな点が見受けられる。到底、物理学的な法則から墜落直後に散乱したとは、考えにくい。この点、planzさんが提起しているので、転載したい。
 日航123便事件の真相・・・遺体の飛散状況

 「墜落遺体」飯塚訓 を読んでいて、どうしても納得いかないことがある。現場の座席別の遺体の散乱状況図だ。素人目にもこれを見るとどうしても腑に落ちない。今更という内容だが、これが問題にならないのは絶対におかしい。

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 これは、かなり大まかだが現場に重ね合わせてみる。

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 逆さまの状態で墜落しているとの事なので最後部が衝突の勢いで折れて、すげの沢へ落ちるのは分かる。その中の乗客が中でまとまって亡くなっているのも当然。しかし、半分から前の乗客の飛び散り方はどう考えてもおかしい。進行方向から考えてすげの沢方向に広がるのが当然だ。地面に叩きつけられてからの飛散であるから風向きは関係ない。なぜすべてが西方向へ飛んでいるのか。東へはまったく飛んでいない。一つもだ。
そしてこれ。

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 よく知られた画像だが、誰がどう見ても東から西へすべてが飛ばされている。遺体の飛散状況と合致する。間違いなくとてつもない力が現場全体に加わっている。そして爆風による焦げも放射状に焼き付いている。その力は何か。ミサイル以外に考えられない。後部が折れたのも、むしろミサイルの機体中心部への命中が原因なのでは・・・
その辺の疑惑を提示していないのは気になるところだが「墜落遺体」は必読である。* もしかしたら、書けないだけで何かを伝えるための散乱図だったのか?古い本だが、疑惑とは別に現場の異常な光景は身震いがするほどだ。おそらく現場に居合わせたら発狂する可能性もあるだろう。なんにしても、こんな異常事態を誰も追究しないのは絶対におかし過ぎる。いつまで経っても忘れられる事ではない。納得がいかない!

 もう追記する必要はないだろう。明らかに空中で散乱し、地上に落下したものだろう。そして、その際、飛行機の進行方向以外の外力によって、散乱したものであろうと考えられる。異常なのは、それだけではない。発見当初の撮影現場写真であるが、火災では考えられない発光現象が見られる。この事は前回記載の『落合証言』にも見られるように、『灰色っぽい、夕方の感じなのです。』と表現されている。

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 「1536.jpg」をダウンロード(クリックする拡大)

 こうなると、普通の説明では事足りない。別の物理現象を想定しなければなるまい。そこに中性子爆弾説が登場する。今だに感知される放射線測定値など、重要視する必要があるだろう。

 極めつきは、墜落情況の再調査が求められる。下載の画像を注視されたい。決して、飛行機は高速で激突したのではなかった可能性がある。表現するなら、ほぼ垂直状況で云ってみれば『ドスン』と地上に落下したのだ。周囲の立ち木との関係性はそれを物語っている。

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 とすれば、多数の生存者説も頷けないわけではない。その原因は蓉として知れないが、思考を柔軟にして考えれば、小説の話に戻るが、ウンモ星人云々の話が全く以て荒唐無稽と捨てきれなくなってくるのである。その事は、読者諸氏の自由な検証に委ねたい。何も投稿者の話に追随する必要はない。何事も盲信する必要性はないわけである。同時に、投稿者の見解は見解として、排斥される云われもない。排斥されたとしてどうって事もないが・・・・・。 すると、直近に面白い情報に接した。コメント氏に依るが、どうも御巣鷹でUFOの撮影に出くわしたようだ。UFO=未確認飛行物体であることは、間違いない。氏のブログに掲載されていたので、速攻、転載しておきたい。 だんだんと繋がる御巣鷹の怪。この繋がりは、そのまま日航機123便墜落事故(事件)の暴露に繋がっていく。しかし、それだけに事は収まらないのだ。今回、その件には触れないが、近代の巨大闇事件、そして、現今の国際政治状況の謎が含まれている。これは確信である。 何れ、踏み込んでみたい。

 ももはなブログさんより転載

 123便墜落の真相究明と御巣鷹上空の不思議な物体


 <前半省略>→全部見る

 御巣鷹の尾根から上空を撮影したのだが、その中に、ちょっと不思議なものを発見した。

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 解り辛いのでちょっと画像を暗くする

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 ①を拡大すると、このように上下左右対称形が現れた。 次に②を拡大
 
 
 

 
 
取りあえずいくつかピックUPしてみたが、拡大するともっと黒い点らしきものがわかる。最初は鳥かと思ったが、この尾根は標高1565メートル。そこから上空を撮影している。また、秋の雲と呼ばれる鱗雲(巻積雲)は、上空高く高度5 - 15km程度に浮かぶ。拡大する過程でデフォルメされるものなのかも知れないし、③や⑤、⑥は横や縦に動きがあるので、鳥の可能性も十分にある。けれど①には上下左右に影もなく、限りなく円形に近い形状と思われる。123氏が言うように、やはりここには常識では理解出来ないような事が存在するように思われる。

 昇魂の碑の真上にケムトレイル↓

2010-10-25、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!51

 前回に引き続き、日航機123便生存者数疑惑の真相を追う。想像通り、新たな情報の追加があった!!当然のことだ。国内拉致疑惑事件でもある可能性がある。問題は、北朝鮮拉致事件より深刻である!国内の得体の知れない闇機関が介在しているとしたら・・・・・!

 一体、このような驚愕の事実を誰も信じようとはすまい。信じるか信じないかではないのだ。事実が存在するかどうかである。そこから真実が見えてくる。

 <既載の写真>

 真実は、信ずる信じないの問題ではない。そこに在るかどうかである。不都合とかどうかは関係ない。不都合な者は、真実を避けたい理由がある。偽善があるからだ。

 <優しく抱き上げる隊員の心情が伝わる写真:とても遺体ではない。>

 その時、初めて真相が見えてくる。真相は大事だ。人間は真相に生きる者だからである。偽相(造語)に生きるものも在ろう。それは残念ながら、自由だ。しかし、与したくない。真相にしか、真理は輝かないからである。生きて屍になるつもりはない。さて、『謎の男の子』の写真は、相当に衝撃的なものだ。他のブログでも追随してきている。結構なことだ。勝手に転載する。

 <これは誰だ?成人男性!? 救出の写真だ!?>

 そして、その生存者は『謎の男の子』ばかりではない。それも各方面に囁かれていたことでもある。しかし、世間は証拠を求める。当然と言えば当然だが、信ずるか信じないかで云えば、そんな話ではない。事故直後、200人近くは生存したと云うことになっている。その傍証は在る。

 その傍証は、生存者の一人・落合由美さんの証言を仔細に読むと分かる人には分かる。それだけではない。驚くべき凄惨な情況が繰り広げられた形跡が在るが、長くなるので割愛する。既に、その一端には触れた事がある。つまり、簡単に言うと、殺されたのである。

 この点については、後編で深く追求するつもりでいる。出来ればの話であるが・・・・・。先ずは、それに洩れて、生存していた4人、さらに4人がいたという事実は、何としても真実を追究することが求められる。

 <長野県警レスキュー隊の写真>

 本稿は、洩れ伝わる情報を丹念に繋ぐ作業で公開している。余りにも断片的である。しかし、断片的であれ、繋ぎ合わせると真相が垣間見える。真実は隠しおおせるものではないのだ。真理は常に真実を照らし、顕すものだからである。その前に、恐れる必要もたじろぐ事も許されない。それが人間である。これは勘であるが、これからますます真実は広く顕れるであろう。確信している。

生存者の一人・落合由美さんの証言

    <前半省略>全部読む

 衝撃は一度感じただけです。いっぺんにいろんなことが起きた、という印象しか残っていません。回転したという感じはありません。投げだされたような感じです。衝撃のあとも安全姿勢をとっていなければいけないのですが、私はもう怖くて、顔をあげた。その途端、顔にいろんなものがぶつかってきました。固いもの、砂のようなものがいっぺんに、です。音はまったく記憶にありません。音も衝撃も何もかもが一度に起きたのです。衝撃が終わったあとは、わーっと埃が舞っているようでした。目の前は、もやーっとしているだけです。墜落だ、と思いました。大変な事故を起こしたんだな、と思ったのは、このときでした。すごく臭かった。機械の匂いです。油っぽいというより、機械室に入ったときに感じるような機械の匂いです。体は、ちょうど座席に座っているような姿勢です。左手と両脚は何か固いものにはさまれていて、動かせません。足裏は何かに触っていました。それほどの痛みはなく、もうぐったりしているという感じです。目には砂がいっぱい入っていて、とくに左の目が飛び出してしまったように、とても熱く感じました。失明するだろうな、と思っていました。これはあとで知らされたのですが、左右どちらかわかりませんが、コンタクト・レンズがどこかへ飛んでしまったのか、なくなっていました。すぐに目の前に何かあるんですが、ぼやーっとしか見えません。灰色っぽい、夕方の感じなのです。耳にも砂が入っていたので、周囲の物音もはっきりとは聞こえていなかったのではないかと 思います。呼吸は苦しいというよりも、ただ、はあはあ、とするだけです。死んでいく直前なのだ、とぼんやり思っていました。ぐったりして、そのとき考えたのは、早く楽になりたいな、ということです。死んだほうがましだな、思って、私は舌を強く噛みました。苦しみたくない、という一心でした。しかし、痛くて、強くは 噛めないのです。

 墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。次に気がついたときは、あたりはもう暗くなっていました。どのくらい時間がたったのか、わかりません。すぐ目の前に座席の背とかテーブルのような陰がぼ んやり見えます。私は座ったまま、いろんなものより一段低いところに埋まっているような状態でした。左の顔と頬のあたりに、たぶんとなりに座っていたKさんだと思いますが、寄りかかるように触っているのを感じました。すでに息はしていません。冷たくなっていました。シート・ベルトはしたままだったので、それがだんだんくいこんできて、苦しかった。右手を使って、ベルトをはずしました。動かせたのは右手でけです。頭の上の隙間は、右手が自由に出せる程度でしたから、そんなに小さくはなかったと思います。右手を顔の前に伸ばして、何か固いものがあったたので、どかそう と思って、押してみたのですが、動く気配もありません。それを避けて、さらに手を伸ばしたら、やはり椅子にならぶようにして、三人くらいの方の頭に触れました。パーマをかけた長めの髪でしたから、女性だったのでしょう。冷たくなっている感じでしたが、怖さは全然ありません。どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。あたりには荒い息遣いで「はあはあ」といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。

 それからまた、どれほどの時間が過ぎたのかわかりません。意識がときどき薄れたようになるのです。寒くはありません。体はむしろ熱く感じていました。私はときどき頭の上の隙間から右手を伸ばして、冷たい空気にあたりました。突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、男の子は言いました。学校へあがったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。しかし、さっき「おかあさーん」と言った男の子と同じ少年なのかどうか、判断はつきません。私はただぐったりしたまま、荒い息遣いや、どこからともなく聞こえてくる声を聞いているしかできませんでした。もう機械の匂いはしません。私自身が出血している感じもなかったし、血の匂いも感じませんでした。吐いたりもしませんでした。

 やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助け て」「だれか来て」と、声も出したと思います。ああ、帰って行く・・・・・。このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声は、もう聞こえてはいませんでした。

 体は熱く、また右手を伸ばして冷たい風にあたりながら、真暗ななかで、私はぼんやり考えていました。私がこのまま死んだら主人はかわいそうだな、など と。父のことも考えました。母親が三年前に亡くなっているのですが、そのあとで私が死んだら、とても不幸だ、と。母は私がスチュワーデスになったとき、 「もしものことがあったときは、スチュワーデスは一番最後に逃げることになっているんでしょ。そんなこと、あなたに勤まるの?」と、いくらかあきれた口調で言っていたものです。それからまた、どうして墜落したんだろう、ということも考えました。時間がもう一度もどってくれないかなあ、そうすれば今度は失敗 しないで、もっとうまくできるのに。いろんなことが次々と頭に浮かびました。涙は出ません。全然流しませんでした。墜落のあのすごい感じは、もうだれにもさせたくないな。そんなことも考えていました。そして、また意識が薄れていきました。

 気がつくと、あたりはあかるかった。物音は何も聞こえません。まったく静かになっていました。生きているのは私だけかな、と思いました。でも、声を出してみたんです。「がんばりましょう」という言葉が自然と出てきました。返事はありません。「はあはあ」いう荒い息遣いも、もう聞こえませんでした。あとで吉崎さん母子や川上慶子ちゃんが助かったと聞きましたが、このときにはその気配を感じませんでした。たぶん、それから私は眠ったのだと思います。

 風をすごく感じたのです。木の屑やワラのようなものが、バーッと飛んできて、顔にあたるのを感じました。はっと気がついたら、ヘリコプターの音がすぐそばで聞こえる。何も見えません。でも、あかるい光が目の前にあふれていました。朝の光ではなくて、もっとあかるい光です。すぐ近くで「手を振ってくれ」だったか「手をあげてくれ」という声が聞こえたのです。だれかを救出している声なのか、呼びかけている声なのか、わかりません。私は右手を伸ばして、振りました。「もういい、もういい」「すぐ行くから」と言われました。そのすぐあとで、私は意識を失ったようです。朦朧としながら、ああ、助かったな、助かったんだ、とぼんやり考えていました。どうやって埋まったなかから救出されたのか、どうやって運ばれたのか、まったく覚えていません。体の痛みも、空腹も感じませんでした。ただ、喉が渇いたのを覚えています。カラカラでした。お水が飲みたい、お水が飲みたい、と言っていたというのです が、私は記憶していないのです。応急処置をしてくれた前橋の日赤病院の婦長さんが、あとで「あのときは打ちどころがわるかったらりするといけないから、あ げられなかったのよ」といわれましたが、水を飲みたいと言ったことはまったく覚えていないのです。

 目を開けたら、病院でした。お医者さんから「ここはどこだか、わかりますか」と聞かれて、奇妙な返事をしました。「はい、二、三回きたことがありま す」って。そんな馬鹿な、と自分では思っているのですが、わかっていながら、そんなふうに答えていました。頭がおかしいんです。でも、電話番号は正確に答えていました。「ここは群馬県だよ」とお医者さんは言いました。どうして群馬県にいるんだろう、と思いました。それで、あ、あのとき飛行機が落ちて、そこ からきっと群馬県が近いんだな、とだんだん考えるようになりました。

 家族がきていると教えられたとき、えーっ、と思いました。飛行機がおちたことはわかっているのですが、どうしてここまで家族がきているのだろうと、不思議で仕方ありませんでした。現実感がなかなかとりもどせないのです。たぶん、このときだったと思いますが、「何人助かったんですか」と聞きました。お医者さんが「四人だよ。全部女の人ばかり」と教えてくさいました。それ しか助からなかったんですか、と思いながら、「へえーっ」と言いました。大変な事故を起こしてしまったんだと、また感じました。

 天井しか見えませんでした。酸素マスクをして、じっと天井を見ながら、一緒に千歳からもどってきて、同じ飛行機に乗った松本さんはどうなったのだろう、 と考えました。私もほんとうはもう助からなくて、死んでいくところなんだ、などとも考えていました。百幾針も縫ったのに、痛みは感じません。麻酔をしてい たせいだと思いますが、でも、あとで看護婦さんに聞くと、「痛い、痛い」と言っていたようです。救出された日の午後3時過ぎ、夫と父と叔父が病室に入ってきました。私は「四人しか・・・・・」と口にしたのですが、夫はすぐに「しゃべらなくていいから」といいました。(吉岡忍著「墜落の夏」新潮社より)

 落合由美さんは日本航空のアシスタントパーサー。当日は非番で123便に乗り合せていました。         
 
日航123便の機内の様子 写真提供・遺族の小川領一さん 
 JAL123便 御巣鷹の尾根の『小さいジェットエンジン』
 http://www.youtube.com/user/123ja8119osutaka#p/u/7/U0ICeKHZTx0
 日航機墜落事故翌日の朝日新聞夕刊トップ記事は「生存者8人」
 朝日新聞8月13日の夕刊最終版4版一面トップの見出しは「生存者8人」

 JAL日航ジャンボ123便の事故生存者は4人。落合由美さん、川上慶子さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さんの親子の4人。しかしそれ以外に4人の生存者がいたらしいが、4人の生存者がいたとされる証拠はなかった。日航機墜落事故現場にいた7~8歳くらいの男の子、元気でいた女の子、中学生くらいの男の子、20代の男。しかし、事故があったその日以降、発見された4人の情報は途絶した。10月21日に阿修羅に掲載された写真(JAL日航ジャンボ123便 生存者の男の子)は大きな波紋を広げる。阿修羅に掲載された男の子の写真は他に生存者がいたという明らかな証拠となる。して写真の男の子の名前が分かればその証拠は不動のものとなる。

 その20代の男か?
 http://blogs.yahoo.co.jp/mvbzx0147/archive/2009/10/11
 M氏[11]:ボクが見た負傷者の中に、指先が1本ちぎれただけの男の人がいました。
 「この程度なら死ぬことはないな」と思い、救助活動(隊員への声かけ)を後回しにしたのをはっきりと覚えています。あの人がどうなったのか、ボクにも分かりません。

 http://planz.blog62.fc2.com/blog-entry-175.html

 123氏のコメント抜粋

 サソウ様の証言につきまして。 (123)
 2009-08-11 02:59:58
 殺された元日航サソウ様ですが、他に以下の情報を喫茶店でお会いしてうかが っております。

・生存者の4人のほかにもう一人生存者がいて、ピンピンしていたため捕らえられ、007便のマクドナルト上院議員 のように監禁されている。

 日航ジャンボ123便にオレンジ色の核ミサイルが刺さっていた証言をしていたサソウ様が死去 (123)
 2009-08-11 02:51:12
 日航ジャンボにオレンジ色の物体が刺さっていた証言をしていたサソウ様が死去しました。というか殺されました。
当時日航の方で、社内情報のリークをされておられました。

 何で美谷島様がテレビで鳴いていたのでしょうか (123)
 2009-09-24 16:33:56
 ご遺族と接触されてみればよいのではないでしょうか。ご遺族は当然、理解しております。国の隠蔽部隊に取り囲まれ、発言できない環境にあります。先日、美谷島様がNHKニュースに出ていましたが、泣き崩れていました。この意味をよく考えていただきたいと切に願います。健君9歳自体、助かっていたかもしれません。

 今日の朝日新聞に美谷島さんの記事が出ています。 (123)
 2009-10-17 11:19:34
 天下の朝日新聞が123 便の美谷島さんの写真まで入った記事を出している、という意味は、世界権力の上野
(の;転載者注)ほうでは123便の真実をそろそろ公表しましょうね、という意図になります。中曽根・KY晋ちゃん、の団体等の実行部隊が必死に抵抗しているようです。困った人たちです。

 見えてくるのは通貨の暴力性 (123)
 2009-11-11 16:12:52
 いずれにせよ、123便事件で最終的に見えてくるのは通貨の暴力性です。通貨が起こした事件と言えます。

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女の子の生存者

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  2010-10-21、

暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!50

ちょっと信じられない写真である!!
噂にはあったが、
5人目、6人目の生存者が居た可能性がある!!
さて、どう考えるか?!


 日航機123機墜落事故8(事件)には、数多くの疑問があるが、それはこれまでの記事に提示されてきた。勿論、これは投稿者によってではない。数多くの真相解明追求者によってである。

 なかでも、通称123さんの指摘は鋭い。まるで神ががかりの様だ。


 全てを盲信しているわけでは、決してないが、無視出来ない数多くの提言がある。そして、その全てを充分に理解出来ない、投稿者でもある。


 しかし、今回のは捨て置けない。初めて観た写真である。それをそのまま転載する。


【転載開始】日航ジャンボ123便 生存者の男の子(自分で顔を隠す元気)が自衛隊員により死体置場に運ばれていく様子を記者が見逃さず撮影
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak43/msg/329.html
投稿者 愉快通快 日時 2010 年 10 月 21 日 04:28:17:
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1985年8月12日の日航ジャンボ123便である。
http://www.youtube.com/user/123ja8119osutaka?feature=mhum#p/u/6/SS5LdOlWXRw
↑1985年8月13日午前11時ごろの写真である。

自分で顔を隠す余力のある生存者の男の子が、自衛隊員によって運び出されている。
4人の生存者が出たスゲの沢付近にて撮影された写真である。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/2385.jpg  【転載終了】


 件の男の子は誰か? 生死は如何? どう見ても無意識状態ではない。左手は生きている手だ。運ばれて、そしてどうなったのか? 氏名は誰だ?


 もしも遺族で、知っている者がいたら、分かるだろう。投稿者だったら、自分の息子なら分かる。例え、何年経ってでも分かる。分からないなら、隠されたと言うほかない。


 それにしても、数々の疑問。そして、その疑問を裏付けるかのような、物証。それを繋げるのは、超人的な推理力を必要とする。しかし、疑問を検証せずして、無視することは出来まい。


 無視しているのは、隠しているのと同義であろう。


「小さい」ジェットエンジン。(ジャンボの半分か3分の1程度) 「死んだ」男の子。(死体扱いとなったが本当に死体か)
http://www.youtube.com/user/123ja8119osutaka?feature=mhum#p/u/6/SS5LdOlWXRw

 2010-10-08、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!49

 面白いブログ記事が載った。お馴染みベンジャミン・フルフォードさんだ!!御巣鷹にF117が墜落しているなんて、WTCに核(純粋水爆)が使われたという真相以上に、おとぎ話の様に世間では知られていない真相(深層)である。

 やっぱり、デル・バンコマフィア一派とその他の一派の熾烈な相克があるようだ。デル・バンコマフィアというのは分かり易く云えば、ナチスの元締めでもある。ナチスは今も連綿と生き続けていると見られる。

 <多分、日本上空のF117>

 <現在のウィキペディア写真>

 日本もアメリカも表面は民主主義国家であるが、その深層を支配しているのは、それではない。有り体に言えば、デル・バンコマフィア一派がその深層に於いて支配しているのである。つまり、金融を支配しているのはその一派である。軍部を浸食しているのは、その一派である。その廻りに表の政体によって組織された国家がある。そう見る方が正しい。アメリカと言えば、あの底抜けに明るいお人好しの社交性に富んだ国民性を想像するが、それは表層である。そのアメリカが、日航機123便事故(事件)の発生をいち早く察知し、救援の手を差し伸べたわけであるが、拒絶したのは日本国政府である。そして、多くの生存者を見殺しにした。見殺しにしたばかりでなく、殺戮したとの説がある。これは概ね正しいであろう。と言うことは、この事件を引き起こしたのはアメリカではなく、日本であるとの観測が成り立つ。その日本のいかなる部署がそれに関与したかと云うことが問題になる。そして、何故?が謎である。それは先に送るとしても、日本の闇の軍部の存在が否定出来ない。その戦いの末に、F117が墜落した。しかも2機纏めて墜落した。こういう観測がある。そして、その物的証拠が採集されている。数少ない実戦に依る撃墜事件がこの日本の空で発生したのである。御巣鷹の空で発生したのである。ベンジャミン・フルフォードさんがどういう経緯でその確証情報を収集しているかは定かではないが、その深層が明らかにされる時機が到来したという予感がする。どうもアメリカはその開示を求めている風に見える。勿論、ここで云うアメリカというのは、デル・バンコ一派のアメリカではない。空想の域を出ないが、デル・バンコ一派がアメリカを支配しているというのは間違いないであろう。我々が、米国追従というのは、このデル・バンコ一派に支配されたアメリカのことである。それはブッシュ親子で代表されるように、NWO(ニューワールドオーダー)を提唱するアメリカである。あの9.11自作自演テロを起こし、アフガン・イラクに戦争を仕掛けたアメリカである。そして、それは今、イランを視野に、極東を視野に戦争を画策している。究極的には世界第三次大戦を希求している。最終的には世界の人口を5億人とも10億人とも云われる削減計画を持っている。そして、ケムトレイルを撒き散らし、ウィルスを拡散し、パンデミック演出をしたが、失敗した。

 <ほぼ垂直に落下した123便>

 ケムトレイルは単なるウィルス拡散が目的ではない。それは単なる一つの活用に過ぎない。ほんとうの狙いは、大気に電磁波感応を目的としているものと思われる。それにより、電磁波兵器の運用と、それこそ、偽アセンション計画を推進するためのスクリーン作りに勤しんで居るものと推測される。ホログラムがそのショー計画であろう。 いずれにしても、一般に知られているより壮大な兵器が隠匿されており、その一部が御巣鷹で炸裂した。そうでなければF117が御巣鷹に墜落することなどあり得ない。その炸裂実行犯は日本の闇の軍部という筋書きになる。当然、アメリカはその事を重視する。9.11WTC爆破もその延長線上にある。果たして、その威力に於いて、どちらが強力であったかは想像の域を出ないが、いずれも電磁波兵器に分類されるであろう。電磁波兵器であるから、次空間に影響を与えるのである。ハチソン効果が見受けられるのも、その証左であろう。

 <機内で炭化したとしか考えられない犠牲者の遺体>

 まるでおとぎ話であるが、それを現実のこととして捉える人々も存在するのである。それはこの『お知らせ』がその片鱗を窺わせる。

 <救援へりの犠牲者か?!>

 アメリカの場合、強力な金融資本家達のグループが陰の政府を形作り、実効支配しているのである。日本の場合は少し異なると想われる。日本を陰で操っているのは、強力な官僚支配に巣食っていると見られる。直接の関連性は見つからないが、狂気じみた小沢一郎叩きと全く無関係とは思えない。話はちょっと横道に逸れるが、デル・バンコ一派というのは、出口王仁三郎の云う悪神、盤古大神に通じている様で面白い。『霊界物語』に出てくるお馴染みの悪神であるが、これが拝金主義、物質主義のいわゆる体主霊従の祟り神である。これが一時期日本を支配するとあるが、現在の日本を表して余りある。まあ、これは余談である。

10/07/2010、お知らせ

ベンジャミン・フルフォードのサポーターの方からのご依頼がありましたので、ブログにて告知させて頂きました。『25 年前のJAL123便の御巣鷹山墜落の際に、同時にアメリカのステルス型戦闘機であるF117も撃墜されているという疑惑に関して、確信めいた情報をお持ちの方は、情報のご提供を頂けないでしょうか?情報のご提供は、下記フォームからご投稿下さい。皆様から頂いた情報は、今後の調査の参考にさせて頂きま す。』

【情報のご提供期限:2010年10月14日】

ご投稿フォーム:http://form1.fc2.com/form/?id=595081

 2010-09-28、元パイロットが語る、SR-71ブラックバード操縦のスリル!!

 SR-71ブラックバード、即ち、F-19である。世界最速最高々度偵察機の元パイロットの実録談。これは面白い!!

 既に退役していると聞くが、いつでも再起動できる状況とも言われている。いずれにしても、殆ど20世紀の怪物飛行機には違いない。その実像は余り知られていない。しかし、日航機123便関連で、123氏から教えて頂いた。これは、どうこう、あれこれの理屈は要らないから読んでほしい。とにかく面白い。米国空軍が、勿論、軍産複合体がそれを作った訳ではあるが、それを見ると驚くべき開発執念というか、ある意味、世界に冠たる軍事技術の粋がそこに見受けられる。そして、通算4000発の地対空ミサイルをくぐり抜けてきたという内部告白は、一見静かな国際情勢の中で、実戦が4000回実在したことも意味している。仮に偵察行動とその迎撃事件であったにせよ、実弾の飛び交うHot Warである。こういう事は殆どニュースにもならないし公表されることもない。偵察と言うのは隠密行動である。偵察する方もされる方も認めたくない行動だからである。冷戦と言うこともあろうが、その部分では冷戦でなく実戦である。それが4000回は繰り広げられたと云うことだ。その中で、日航機123便事件もその中の単なる一つであったに違いない。誰も知らないのは当然である。そして、驚くべき事にその無敵の怪物飛行機が御巣鷹の尾根に墜落したのである。他にも多数の事故はあるが、この件は空軍記録にあるのみで公開資料には伏されている。これは更に驚くべき事である。これは事実であろうと確信する。御巣鷹参拝に米軍人が訪れるのはその所以であろう。とにかく臨場感溢れる、『元パイロットが語る、SR-71ブラックバード操縦のスリル』を愉しんで頂きたい。これも人類のゲームと考えれば腹は立たない。

 元パイロットが語る、SR-71ブラックバード操縦のスリル

 SR-71ブラックバード。チタン合金の機体、Pratt&Whitney社のJ58-P4エンジン、発祥の話をいくら並べたところで実録に勝るものはないでしょう。今回ご紹介するのは、極めて危険な任務でブラックバードを操縦したパイロット自らが語る回顧録です。-JD---

 1986年4月、ベルリンのディスコ爆破テロで米兵が死亡。これを受け、レーガン大統領はリビアの軍人ムアンマル・カダフィのテロリストキャンプ爆撃命令を下した。 僕に与えられた任務は、リビア上空を飛んで米軍F-111が加えた被害状況を写真に記録すること。カダフィは領土境界線「line of death(死のライン)」をシドラ湾に張り、そのラインから侵入してくる者は容赦なく撃ち落とすと宣言していた。そして、4月15日朝、僕はそのラインを時速2125マイル(3420km)で越えた。 操縦していたのは「SR-71」偵察機、世界最速のジェットだ。後席には本機のRSO(偵察システム士官)であるウォルター・ワトソン少佐が同乗した。リビア領空に入り、荒涼たる砂漠の景色を眼下に眺めながら最終ターンが迫ってきたその時、ウォルターが言った。ミサイル発射シグナルだ―。 直ちにスピードを上げる。兵器(おそらく最大時速マッハ5の地対空ミサイルSA-2とSA-4の可能性が濃い)がこちらの高度に達するまでにかかる時間を頭の中で計算しながら。試算ではロケット推進ミサイルに追いつかれる前にターンを切って予定通りのコースでいけそうだ。偵察機のパフォーマンスにふたりの命を預けた。ジリジリと長い数秒が過ぎ、ターンを切って地中海方角に向け全速力あげる。「少し緩めた方がいいんじゃないか」とウォルターに言われて初めて、自分がまだ フルスロットルで直進していることに気づいた。見ると1.6秒で1マイル進む速度で進んでいる。我々の制限速度マッハ3.2を軽く超えちまってる。あんな超速飛行は後にも先にもあの時だけだ。シチリアの真南でスロットルを引いてアイドルにしたが、それでも勢い余ってジブラルタル要塞で待機していた空中給油機の先まで飛んでしまった。 --

 昨年12月、我々はライト兄弟初飛行100周年を盛大に祝った。この100年の間にはボーイング707、F-86ジェット戦闘機(セイバー)、P- 51マスタングなど重要な飛行機が沢山作られ、この空を飛んできた。しかし、冷戦勝利に重大な貢献を果たした史上最速の航空機と言えばSR-71、愛称ブラックバードの右に並ぶものはない。この仲間内で「sled(そり)」と呼んでいる機体の操縦桿を握った空軍パイロットは史上93人しかいない。妙な話、その機体を僕は一度、棄てたことがある。玩具だけどね。僕がSR-71に初めて遭遇したのは10歳の時、独レベル(Revell)社のプラ モデルセットに入ってる黒い成型プラスティックのだった。長い機体パーツは意外と組み立てが厄介で、出来上がったものはそれほど脅威を感じさせない風貌だった。接着剤が継ぎ目からはみ出て黒プラスティックが変色してしまってる。自分が集めてた戦闘機のコレクションに並べるとなんとも無様でポイしてしまったのだ。それから29年後。僕はビール空軍基地格納庫で正真正銘のSR-71を眼の前に感無量で立ち尽くしていた。世界最速ジェットの任務に志願し、我が国で最も名高いこの機体の最初の実地説明会を受けていたのだ。それまで13年、空軍戦闘パイロットを務めたが、これだけ 存在感のある機体には一度もお目にかかったことがない。それは全長107フィート(32.6m)の大きな機体でありながら、無様とは縁遠いものだった。皮肉なことに昔組み立てたプラモみたいに、この飛行機からもポタポタ何かが漏れていた。継ぎ目から燃料がしみ出し、格納庫の床に雫を垂らしているのだ。マッハ3で飛ぶと、飛行機はひどい高温に晒され、翼の前縁は華氏1100度(摂氏593度)に達し、機体の幅が数インチ広がる可能性もある。そのためパッカリ亀裂が開くのを防ぐため、飛行機の接合部には伸縮目地が組み込まれている。また、境界部にはゴム糊のような シーラント(封止剤)が塗ってあるのだが、亜音速(音速以下)ではここから燃料が漏れるというわけだ。 

起源
 SR-71生みの親はケリー・ジョンソンという高名なロッキード社デザイナーである。あのP-38、F-104スターファイター、そしてU-2を作 り出した人だ。1960年ゲーリー・パワーズが操縦するU-2が旧ソビエトに撃墜されたのを受け、時のジョンソン大統領は、U2偵察機より3マイル (4.8km)高い高度を5倍のスピードで飛び、尚且つ地上車のナンバープレートまで撮影可能な飛行機の開発に着手した。だが問題は熱で、時速2000マイル(3219km)で飛ぶとなると、機体表面には異常な高熱が生じてしまう。そこでロッキードのエンジニアたちは SR-71の90%以上をチタン合金で組みあげ、計40機を1機1機手作りできる専用の工具・製造工程を作成。さらには高度8万5000フィート (25.9km)以上で使える特殊な耐熱燃料、オイル、油圧フルード(油圧駆動液)まで開発しなければならなかった。

 1962年、初のブラックバード飛行に成功。1966年、僕が高校を卒業したのと同じ日に、空軍はSR-71を実地任務で飛ばし始めた。このプログラムに僕が参加したのは1983年のことだ。優秀な履歴と司令官からの推薦を携えて、1週間がかりの面接をクリアし、続く4年間パートナーを組むウォルターに引き合わされた。彼は僕の後方4フィート(1.2m)に乗って、カメラ、ラジオ、電子ジャミング機器を担当する。捕まったらあんたがスパイ、こっちはただのお抱え運転手~と冗談を言ったら、黙って舳先を前に向けて飛べと言われた。1年の訓練後、カリフォルニアのビール空軍基地を飛び立ち、沖縄の嘉手納空軍基地、英ミルデンホール空軍基地に配属された。訓練ミッションの時は、 州都サクラメント近郊(ビール)を発ち、ネバダで給油し、モンタナで加速し、コロラドで高マッハまでスピードを上げ、ニューメキシコ上空で右に旋回、ロサンゼルス盆地を高速で翔け抜け、西海岸をダーッと北上しシアトルで右に旋回してビールに戻るというのがお決まりのコースだった。これで飛行時間はトータ ルで、2時間40分。

 ある日アリゾナ上空で、全航空機を飛び交う無線通信を上空からモニタリングしていたら、こんなことがあった。まず最初にセスナのパイロットが航空交通管制官(ATC)に対地速度をチェックするよう頼んだ。「90ノットです」とATCが答える。すかさずツイン・ボナンザ(双発レシプロビジネス機)が同じリク エストを出す。「対地で120」という答え。するとなんと驚いたことに、海軍F-18戦闘機までもが対地速度チェックしてくれと無線に割り込んできたのだ。彼の狙いは手に取るように分かった。無論、対地速度計なんてコックピットに備え付けのがあるので、それを見れば済む話だ。要するに彼は自分より小さ い虫けら潰して喜んでる下々のみなさんに本物の高速がどんなものか見せてやろうとしている...。「Dusty 52、対地は620です」、ATCは答えた。こうなりゃこっちもやらないわけにはいかない。後ろの席でウォルターがマイクのボタンを押す音が聞こえた。カチッ。ウォルターはなんともシレっとした声で上空8万1000フィートからの対地速度を確認するよう頼んだ。ギョッとしたのは管制塔だ。どう見たって管制圏外ではないか。管制官は冷静なプロの声でこう答えた。「Aspen 20、対地1982ノットです」。それっきり無線の声はシンと静まり、結局その周波数の交信は海岸に着くまで1件もなかった。

永遠の感動

 ブラックバードは常に我々に新しい顔を見せる。1機1機に固有のパーソナリティーが備わっているのだ。だから自分たちが乗ってるのが国宝級のものだと知るのに時間はかからなかった。離陸に向け、護岸から地上走行していると、みんなの注目の的だ。飛行場のフェンス付近には車がどっと集まってきた。みんなSR-71の威容を自分の目と耳で感じたいのだ。このプログラムに参加して、この飛行機を愛さない人など、いるもんか。信頼を得るごとに彼女(SR-71)はゆっくりと自分の秘密を打ち明けてくれた。それは月のない晩だった。いつも通り訓練任務で太平洋上空を飛びながら、ふと「コックピットの中の照明を落としたら高度8万4000フィートから見る空の眺めはどんな風だろう?」と知りたくなった僕は、直線コースで帰路を急ぐ途中、照明を全部ゆっくり落としてみたことがある。ギラギラした光を消すと夜空が顔を現す...数秒でまた電気をつけてしまった。こんなことしてるのがジェットに知れたら、なんか罰が当たるんじゃないかと怖くなったのだ。しかし臆する気持ちは、夜空を見たい欲望には勝てない。僕は照明をまたおもむろに暗くした。するとなんと窓の外に明るい光が見えるではないか。夜目に慣れると、その眩いものの正体は、きらきら空を渡る天の川だった。いつもは闇の空間が存在するだけの空に、今はきらめく星々の塊が所狭しと広がっている。その空のカンバスを数秒置きに流れ星が縫っていく。瞬きながら。それはまるで、音のない花火のディスプレイだった。こんなことしてる場合じゃないぞ、計器に目を戻さなくちゃな...それは分かっていたので、しぶしぶ機内に注意を戻した。そしたら驚いたことに、照明は切ったままなのにコックピットの計器が全部見えるのだ。星の光に照らされて。鏡の中には、僕の金色の宇宙服が空の輝きに白熱灯のように照らされて不気味に光っていた。最後にもう一度だけ窓の外を盗み見る。こんな超スピードでも天空を前にするとまるで静止画だ。もっと偉大な力の輝きに囲まれる我々は、なんと小さいんだろう。そう思った瞬間、僕は機内でやるどんな任務よりも遥かに意味あるものの一部になった気がした。ウォルト(相棒)の無線の鋭い声でハッと我に返り、やりかけのタスクに意識が戻る。僕は高度を下げる準備体制に入った。SR-71は運用費の嵩む飛行機だ。一番コストがかかるのはタンカー・サポート。1990年、空軍は予算削減の必要に迫られ、SR-71を退役させた。ブラックバードは侵略飛行で延べ4000発のミサイルから逃げ、敵の弾を浴びても掠り傷ひとつ負わなかった。最後のフライトでブラックバードは、スミソニアン国立航空宇宙博物館目指して、ロサンゼルスからワシントンまでの距離を64分、平均時速2145マイル(3452km)の高速で飛び、4つのスピード新記録を更新した。SR-71は大統領6人の目として働き、四半世紀もの間、アメリカを衛った。他の国ではあまり知られてない顔だが、北ベトナム、赤の中国(共産 党)、北朝鮮、中東、アフリカ、キューバ、ニカラグア、イラン、イラク、フォークランド諸島の上空を飛び、週1の頻度で旧ソビエトの全潜水艦と全移動ミサイル基地、全兵士の動きに目を光らせた。これが冷戦勝利の鍵を握る要因となった。僕はそんな飛行機を約500時間飛ばせたことを誇りに思う。彼女(SR-71)のことは知り尽くしていた。彼女は他のどんな飛行機にも決して妥協しない。後ろにソニックブームを轟かせながら敵の裏庭を誇らしげに翔け抜けていく、誰はばかることなく。すべての敵ミサイル、ミグ戦闘機を一機残らず振り切って、我々をいつも無事祖国まで連れ帰ってくれた。有人飛行開始から100年、これほどの名機はほかにない。

リビア海岸へのアプローチ
 リビア沖にみるみる接近する。...と、ウォルトがまた聞いてきた。「なあ、時間内に目的の速度・高度までいけると思う?」―これで3度目だ。 YES、と答える。心配な気持ちはよく分かる。彼はデータを扱う人間だ。それがエンジニアの仕事だし、そんな彼で僕も喜ばしい。でも、僕は両手を操縦桿とスロットルに置いているのだ。サラブレッドの鼓動は手にとるように分かる。彼女は持ち前のパワーと完成度で走っていた。僕は彼女に語り掛けもする。するとこのジェットは百戦錬磨の武人のように目標エリアを感じ取り、自ら準備を整えるかのようだった。2日ぶりに吸入扉を完全に閉じる。あらゆる振動がピタッと止む。耳が轟音に慣れてるせいか、ジェットの音がやけに静かに聞こえる。それにつれマッハ数がやや上がる。ジェットは自信たっぷりの滑らかな安定した姿勢で飛んだ。このスピードに入ると、よくこうなるんだよね。残り5マイル(8km)のところで目標の高度と速度に達した。ターゲット領域に入る。このジェットにまさかこんなバイタリティーが眠っているとは知らなかったのだろう。ウォルトが言った。「すげー」。左手でスロットル2つを前に倒しながら心の中で思った。―エンジニアの学校で教えないことが、この世の中にはまだ沢山あるんだよ。 左の窓の外にリビアが見えた。まるで巨大な砂箱だ。なんの変哲もない茶色の大地が地平線まで広がっている。動きらしい動きを示すものは一切ない。...と、ウォルトが言った。電子信号がビンビン入ってるぜ、友好的類いのものじゃない。機体のパフォーマンスは今や完璧だ。これだけ調子が上がる のはもう何週間も見てない。彼女には自分がどこにいるかわかっているみたいだ。リビア領空深く侵入していくにつれ、彼女は高マッハで飛びたがった。ベンガ ジの街にソーニックブームの足跡を残しながら、僕は身じろぎもせず座っていた。両手はスロットルとピッチコントロールに動かさず固定し、両目はゲージに釘付けだ。 ただひとつマッハ計だけが動いている。100分の1の目盛りが着々と上がっていく。その安定したリズムは、復活してペースをあげる長距離ランナーのようだ。このジェット機は、まさにこういうパフォーマンスのため作られたもの。吸入扉閉めたぐらいでショーをあきらめる彼女ではなかった。機関車40基のパワーで、我々は静かなアフリカの空を突っ切り、さらに南方の殺風景な風景をまたいでいった。
ミサイル発射
 ウォルトは引き続き、DEFパネルに出る数々の反応から新しい動きを逐次伝えてきた。ミサイル追跡シグナルが入った―。不毛地帯の敵地に1マイル進むたび、2秒置きに、ジワジワと不快感が襲ってくる。やれやれ、DEFパネルが前の席についてなくて良かった。今そんなもの見えたらライトの点滅も見えることだし、集中の妨げになるだけだろう。コックピットは「静か」だ。ジェットは喉をゴロゴロ鳴らし、自分の中に眠る強さに今初めて気づいたかのように、それを愉しみながら、ゆっくりと速度を上げていく。 スパイク(可動エンジン衝角)は艦尾いっぱい。ナセル(エンジン室)に26インチ(66cm)も食い込んでいる。全吸入扉を完全に閉じてマッハ 3.24。J-58エンジンはもはやラムジェットに近い状態で秒あたり10万立方フィートの空気をがぶ飲みしている。轟音を上げる高速機となった我々は、 敵の裏庭に分け入っていく。このまま眼下のミサイル・レーダーをスピードで振り切れますように...。祈るような気持ちだった。もうすぐターンだ。いいぞ。旋回すれば、発射後のミサイルはこの機体に命中が難しくなる。 ォルトがせがむので、スピードを押し上げる。が、ジェットは1拍も脈が乱れない。上下動もなし。カメラを支える土台は岩のように磐石だ。 ウォルトがミサイル発射のシグナルを受信した。次の言葉を待たずに、左手は本能的にスロットルをさらに前に倒していた。両目は温度計から離さない。このジェットは人が止めてやらないと、自分が壊れてしまうところまで喜んでスピードを上げるのがわかっていたから。温度は比較的低かった。これまで遭遇した高温を考えると、これには一瞬驚いたが、よく考えてみると驚くことでもない。マッハ3.31の時は、さすがのウォルトもしばし無言だった。手袋をはめた指で、機体のピッチを制御する自動操縦パネルのちっちゃなシルバーのつまみを動かす。スイスの時計職人、外科医、「dinosaurs」(飛 ばすだけじゃなく飛行機を「感じる」ことができる昔のパイロット)のように神経を研ぎ澄まして、16分の1インチと8分の1インチの間に合わせる。これは、僕が望む毎分500フィート(152.4m)の上昇が確保できるポジションだ。ジェットは6分の1度、鼻先を上げ、これから加速につれ、僕が彼女を上に押し上げるつもりなことを理解した。マッハは加速する一方だが、飛行ルートのこのパートではスロットル緩める気には全くなれなかった。

 ミサイル発射のシグナルがまたきた。―ウォルトの鋭い声がコックピットの静寂を破った。その重苦しい声の調子から、他のシグナルよりもっと確率の高 い脅威と見てるのが読み取れた。数秒後、「押し上げろ」と言うので、両方のスロットルを止まるところまで思いっきり押した。続く数秒間は全力疾走だ。彼女が飛びたいだけ飛ばしてやった。最終ターンに接近。このスピードであのターンまで行けたら、どんなミサイルだって振り切れる、それはふたりとも分かっていた。だがターンはまだ先だ。僕はウォルトが、もしかして旋回して軌道をひとまず外れろと言ってくるんじゃないかと頭で考えてみた。が、一言も交わさなくても、ウォルターも同じ考えでいるのは気配で分かった。やはりここはプログラム通りの軌道を維持した方がいい―。不安を振り切るため窓の外を見た。自分めがけて飛んでくるミサイルを肉眼で捉えることができるかも...と思いながら。まったくこんな時だってのに人の心には突拍子もない考えが去来するものだ。僕の脳裏には北ベトナム飛行任務中に攻撃を受けた元SR-71パイロットたちの言葉が蘇っていた。コックピットから何度か 誤爆ミサイルの爆発を見た彼らは、こう言ってたっけ。「それは爆発と言うよりまるで爆縮だった」。爆発ミサイルからジェットが逃げる際のスピードがあまりに速いため、そう見えるのだ。外は果てしなく広がる鉄のようなブルースカイと、遥か眼下に赤茶けた大地の大判が1枚見えるだけ。コックピットから目を離したのは時間にして数秒だったが、最後に計器の目盛りをチェックしてからもう何分も経ったような錯覚を覚えた。機内に注意を戻し、まずマイル計を見る。ターン開始まで残りあと何 マイルだろう? 次にマッハ計。3.45を超えている...自己最高記録更新だ。まだマッハは伸びている。飛行は信じられないほど滑らかだ。僕は、ジェットとの間の信頼を確かめ合った気がした。我々が必要とあれば、彼女はなんの躊躇いもなくそのスピードを出す。空気吸入口も全く問題ない。生きるも死ぬも結局このジェットにかかっている。彼女にはそれが分かっているみたいだった。外気の冷たい気温で、彼女の中にあるスピリットが目を覚ます。それは高みを追求する男たちが何年もの歳月をかけ、丹精込めて彼女の中に築いてきたものだ。スパイクと吸入扉をこれ以上なくきつくしめ、ミサイルがこちらの高度に追いつく時間と戦った

愛しのブラックバード

 このジェットはレースとなると負け知らずだ。高度8万フィート(24.4km)に達たので速度はマッハ3.5に緩んだ。我々はまるで空飛ぶ弾丸だ。ただし弾丸より速い弾丸である。ターンに辿り着いて鼻先をこの国(もう充分見た)の反対側に向けたところで、やっと少し緊張がほぐれた。キーーンとトリポリを通過し、スピードをさらに上げ、敵をもうひと殴りするかのように、Sled(愛称)はさよならのソーニックブームを撒き散らした。そして数秒後。我々の眼前には地中海のブルーが果てしなく広がっているだけになった。僕はまだ左手を前いっぱいに倒してアフターバーナーを最大に上げ、ロケットみたいな飛行を続けていた。TDIには我々が経験したこともないマッハ数が出ている。ここまで来ると、さすがに怖い。DEFパネルが静かになった、とウォルトが言うので、そろそろスピード落としていい頃だろうと判断、スロットルをバーナーの最小域に落とした。が、ジェットは速度を落としたがらない。普通はこれだけ大きくスロットルを動かせば、マッハ数にすぐ反映されるのだが、高マッハのまましばらく飛んだ。まるで自分が好きで堪らないという風に。誇り高きSledは、我々が危険から遠く離れてようやく、速度を落とした

 I loved that jet.

―Brian Shul少佐が書いた手に汗握るSR-71ブラックバード操縦体験実録『Sled Driver』は2年前に絶版となりましたが、少佐はじめSR-71伝説のパイロットたちのサイン入り限定3500部が現在入手可能です。お申し込みはこちら。残りわずかです、お早めに!詳しいお話と写真は「vfp62.com」でご覧になれます。フロリダ州セシル・フィールド空軍基地(NZC)のVFP-62(第62軽写真偵察飛行隊)に所属した士官および下士官兵の功績を今に伝えるサイトです。Brian Shul(原文/satomi)

 2010-09-27、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!48

 何とも奇想天外な雲行きになってきた!!誰もが容易に想像出来ない展開だ!だから、小説としか云いようがない。しかし、『事実は小説よりも奇なり』と言うこともある!!

 本家『(新) 日本の黒い霧』が、すっかり休眠してしまった。困った訳でないが、お鉢が回ってきた感じだ。任が重いが、それなりに書き続けるしかない。これは小説である。日航機123便は、撃墜された。これは議論の余地がない。誰が、どうして、何のためにそうしたのかが疑問であろう。又、如何にしてそれは為されたのか? そして、そのためにどうなったのか? これから何を意味するのか? 説明が必要だ。しかし、これは小説である。ソースは123氏に依る。そして拙い投稿者の理解力を越えている。また、そこを補うべき空想力も補いたり得る者ではない。だから小説である。123氏には特別の叡智が発露されているとしか云えない。普通の好奇心を越えている。到底理解不能なことも意見の相違もある。意見の相違は兎も角としても、理解不能ではあるが、それぞれに根拠を伴っている。それには相当の説得力があるから、無視する事もできない。そして、確かに当事者と名指しされた相手からは、無視するか、時には即座に否定反応が見受けられる。多くは揶揄で終始され、時には人格否定の攻撃に遭う。これなど、逆に123さんの発言の重みを裏付ける証左と云える。判断はいろいろあろうから自由である。しかし、何であれ、聞くこと、読むことは必要だ。そして確認してみれば、自ずと分かる人は分かる。詳しくは、当ブログのコメント欄にも多数の資料共に、情報を寄せて頂いているので直接に検証して頂きたい。とても一人では全部を確認できない。まず、何故日航機123便は撃墜されなければならなかったのか? これは一言では言い表せない。撃墜されたという事実は間違いないだろう。何故、一言で片づけられないかと言うことは、複雑に絡み合った事情にある。まず、撃墜に至るには、布石が考えられる。突発事件としてはあまりに不自然な流れが見受けられる。それはどうして起こったかは今だに謎である。数多くの事情を数多くのブログ等で述べられている。それぞれに理由のあることであろう。そして、いちいち頷けるものがある。しかし、その一つではない。全てを肯定すれば全てが謎となる。どうも事件以前から、対立要因があり、企図があり、進行したきらいがある。日米構造対立が根底にある。そして、それに対する日本の闇の軍部が策動したことも否定できない。それに国際間の支援が連動し、一種の国際紛争が発生したと云うことになる。素直に読み解くとそうなる。それだけではない。その背後には、それこそ通常人ではおよそ想像すらできない、世界支配勢力の葛藤があったことになるから、この辺りでもう既にお手上げ状態になるだろう。世界支配勢力の大本は、123氏の云うデル・バンコマフィアと云うわけだ。確かに、おそらく、これが世界の混乱の元凶、支配勢力の大本締めと言うことは間違いがない。それは他の金融マフィアの姿を見せぬ大本締めであるとの狙いは共通する。その大本締めと米国を中心とするデービット・ロックフェラーマフィアとの戦いが日本で行われたのである。勿論、勝ったのはデル・バンコマフィアだ。結果として、日本はデービット・ロックフェラーマフィアの報復を受けることになった。何とも壮大な叙事詩ではないか。デル・バンコマフィアに荷担したのは日本の闇の軍部である。従って、実際に撃墜されたのは、その手先として動いた自衛隊のミサイルであった。その中に電磁中性子爆弾があった。ところが、それだけには収まらない。登場するのはデル・バンコマフィアを更に手繰るウンモ星人なる宇宙人の存在がある。しかも、その宇宙人にはかつて、日本の古代兵器である技術移転が為されていたというのだ。その超古代兵器は今に日本には温存されていて、密かに出番を待っていると云うことになる。こうなると小説も、単なる小説からSF(サイエンスフィクション)の上を行く。揶揄しているのではない。実際、そう言う情況であるのだ。これらを鳥瞰してみるに、電磁砲は既に完成しているし、デル・バンコマフィアは実在する。電磁中性子爆弾あるいは純粋水爆はおそらく間違いなく現存し、9.11でも使用された。そして、それによる強力電磁波によるテレポーションも観測されている。WTCとハチソン効果も確認されている。 それを遡ること1985年に於いて、御巣鷹で電磁中性子爆弾が炸裂したとするならば、普通には考えられない事態が進行したはずだ。時空間の裂け目、つまり、タイムトンネルもあながち絵空事ではない。こう考えることができる。単純に宇宙は電磁波の固まりである。究極、肉体も物質も煎じ詰めると電磁波である。それが超強力電磁波を受けると、簡単に変換されしまう。そう考えることができる。テレポーションも次元移動もそう言うことで理解できる。事実、テスラはそう言う実験をしている。ハチソン効果はその典型である。

 911建物の不可解な移動 Uncanny movement of a building between two 911 WTC footages
http://www.youtube.com/watch?v=13Ejqd3OIXM&feature=player_embedded

 もう消されたが、レールガンについて記事を書いたことがある。さて、問題なのは、そうして起こった事件の顛末について、数々の非道と無慈悲な所業はきっちりと糾弾されなければならない。そして、その所業は誰が何のために行ったのか、追求されてしかるべきである。その存在も暴かれて当然であろう。それらについては、又次の回に!!

 2010-08-30、暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!47

 日航機123便墜落事故(→撃墜事件)は、単なる航空機事故、そして、その隠蔽事件に
止まらず、一大スペクタクルである可能性......?!

 これも荒唐無稽と揶揄されることを覚悟で書かせて頂こう。一つの小説と心得れば、腹も立たないであろう。しかし、『事実は小説よりも奇なり』と言うことが、多々あることを承知している賢者は幸いである。詳しくは、拙ブログの123関係ブログのコメント欄を詳細に検討して頂ける、自ずから見えてくるものがある。しかし、それでは煩わしい方も多いと想われるので、小説を書く次第である。

 《参考》ちょうど1年前のことだった。御巣鷹の尾根、昇魂の碑前の広場で休憩していた時の事である。体格の良い制服の軍人さんが、ぐしゃぐしゃに泣いた状態で登ってきた。米国の軍人さんだ。通訳の人らを従えている。御巣鷹登山で一番印象に残っているひとコマだ。あの状況は、眼に焼き付いて忘れる事ができない。友軍、友人への愛にあふれた、心ある姿がそこにあった。昇魂の碑で深々と祈りを捧げていた。確かに、昇魂の碑は、「昇魂の碑」とだけ書いてある。10mほど上に登ると、別途、JAL123便JA8119号機遭難の黒い石碑がある。「昇魂の碑」とは、御巣鷹に散った、全ての飛行機の人たちの慰霊碑。日航ジャンボ123便も軍機も含めた慰霊塔なのだ。《参考終わり》

 本家の『(新)日本の黒い霧』は、いろいろ事情があって公開が間延びしている。もっぱら、その関心はコメント欄に集約している。中々、核心には言及するのが躊躇われているようだ。犯罪でもそうだが、容疑者が全面自供するには、最後の壁が厚い。いろいろ逡巡する想いが去来するのであろう。ここでは、まどろっこしいから、小説風に断言するのである。当然、現時点の間違いもあろう。それは後に修正する。しかし、大要はそう狂いはないだろう。あくまでも小説の粗筋の事である。念のため。この事件、表層では日米ソ(北朝鮮・中国)の一大秘密戦闘があったようだ。そして、その結果、核(核以上のもの:デュートロン(AFN/正式名称:American Forces Network-米軍放送公称名))が使用された。そして、結果的に多数の関係各国の航空機が破壊・墜落している。しかし、深層では日本の闇に隠された軍部の恐るべき新兵器の発動であった。そして、その更に深層では、宇宙人(ウンモ星人)の荷担が在ったというのである。その宇宙人は、元はと言えば、地球の超古代技術の移転を受けた再移転技術を行使した。





(私論.私見)