以下、離陸から墜落するまでのJAL123便の飛行記録、交信記録ピット内の遣り取り、車内の様子を確認する。「コックピットのボイスレコーダ記録」が残されており、貴重な証言となった。判明するのは模様は次の通り。
1985年8月12日、ボーイング747SR100型(46?)機のJA8119号機は、日航の定期便として羽田~千歳503便、504便、羽田~福岡363便を経て、366便として福岡から17時12分に東京・羽田空港に到着している。18番スポットでその後の123便として大阪(伊丹)への飛行準備をしていた。出発予定時刻は18時00分。燃料3時間15分を搭載していた。機長・高濱雅己機長(49歳)、副機長・佐々木裕副機長(39歳)、機関士・福田博機関士(46歳)。旅客人数は大人497名、幼児12名の計509名。乗員・15名で計524名。
524人の乗客・乗員を乗せた123便が離陸する。離陸後、機首を180度(真南)に向け、1万3000フィート(3960m)までの上昇が許可された。その後2万4000フィート(7315m)への上昇が承認された。
6時18分過ぎ、右側に富士山と江ノ島が見える上空、高度1万1300フィート(3440メートル)に達している。この時点までは順調に飛行を続け水平飛行に移行している。この直後、第1の異変が発生している。「奇怪な飛行物体が飛行機に近づいて来た」。これを確認しておく。
ここで、第2の異変が発生している。「一度外したシートベルトが再着用を促されている」。これを確認しておく。
この時の副操縦士の声が「上ずって」いる。内容もかなり慌(あわ)ただしい。
ここで、第3の異変が発生している。「JAL123便の垂直尾翼に衝撃音が発生している」。これを確認しておく。
この衝撃音は衝突と理解すべきではなかろうか。この時の高度は2万3900フィート(7170メートル)。とすると、操縦クルーが、6時18分に右前方から奇怪な飛行物体が飛行機に近づいて来るのを視認し衝撃音を聞くまでの6分間に1万2600フィート(3780メートル)も上昇していることになる。JAL123便は、まるで何かから逃げるかのように猛烈な急上昇をしていたことになる。これは、JAL123便が6分間も謎の飛行物体に追い掛け回されていたことを意味するのではなかろうか。
この時の衝撃で垂直尾翼が大きく破損し、ほぼ5分の3以上を失った。ジャンボ機は不測の事態に備え、各操舵系を4系統のハイドロ制御(油圧による制御)に分けていたが、尾翼破損で4系統ライン全ての配管末端が破壊された。これにより、各操舵系のハイドロ制御油が破損箇所から徐々に抜け始め、ハイドロ制御だけで操作されている操縦系統が全て失われた。旅客機の操縦桿の動きは、操縦桿に繋がるケーブルが直接動翼を動かすのではなく、ハイドロ油圧を制御する機器に繋がっている。この機器と動翼はプッシュ・ロッド(操縦棒)で繋がり操縦桿からの動きは油圧を介して操縦棒を動かし動翼に伝えられている。このハイドロ制御機能が損傷した為に以降の飛行が困難を極めることになった。
著名な航空評論家の関川栄一郎氏は、テレビで「『無人標的機』が、ぶつかったのではないか」と発言している。しかし、関川氏のこの発言はその後報じられなかった。しかし、取り繕う暇のない初期報道にこそ事件の「真実」が潜んでいるのではあるまいか。
この時の衝撃が「爆発」のようなものであったことは、「日航機墜落事故で亡くなった人の遺書とメモ書き」でも裏付けられる。河口博次氏(52歳、兵庫県芦屋市。大阪商船三井船舶神戸支店長) が遺した手帳への走り書き219字には、「何か機内で 爆発したような形で煙が出て 降下しだした。どこえどうなるのか」と記されている。
ここで、第4の異変が発生している。「滅多に発信されないいわゆる「エマージェンシー・コール」(緊急通信)の国際緊急無線信号「スコーク77」を発信している。これを確認しておく。
「スコーク77」とは、「航空機を識別するためにトランスポンダ(中継器)に設定する4桁の数字をATCコードあるいはスコークと云い、0000~7777まで使い分け設定されている。7700だと緊急事態、7600は無線通信不能、7500はハイジャックされた時に使う。つまり、スコーク77とはトランスポンダに7700を設定したということを意味しており、音声で連絡しなくても自動的に当該飛行機が緊急事態に陥ったことを知らせる。機械(トランスポンダ)が自動的に状態を発信し続けてくれる」と云う機能である。飛行機がハイジャックされたり、他から攻撃されたようなときに発信する緊急信号であり、めったなことでは使わない。そういう「スコーク77」を発信した異常性を見て取る必要がある。123便がいきなり「スコーク77」の発信指示したと云うことは、よほど危険を感じるような事件が発生していた可能性が高い。以降、JAL123便は、墜落したと見られる午後6時56分26秒までの間に、東京航空管制28、横田基地8、日航羽田13、無線9の4交信している。なお、JAL123便は、所沢にある東京航空交通管制部(ACC)と最初に交信している。
ここで、第5の異変が発生している。
PRA(録音テープ)によるアナウンスが流されず直接アナウンスになっている。
この時、空自峯岡基地第44警戒群が123便をレーダーで確認している。
ここで、第6の異変が発生している。
「スコーク77」を発信した後、機長が自ら東京ACC(東京航空交通管制部)に対し「羽田への帰還」を求めていることになる。
この間、6時25分4秒に鳴り出した客室高度警報音(または離陸警報音)ブザーが6時47分28秒まで鳴り続ける。そこへさらに高度警報音が2秒間鳴る瞬間が何度かある。
ここで、第7の異変が発生している。東京ACCが123便に緊急事態宣言を再確認している。
「どういった緊急事態ですか。緊急事態の内容を、知らせてください」に対し応答がないのもオカシナことである。実際になかったのかも知れないが、原因が分からないなら分かりないなりに知らせることができるのに、それさえなかったと云うことは逆に公表できないことを知らせていた可能性がある。
123便から「操縦不可能」と伝えられ、羽田空港航務課に航空機救難調整本部(RCC)が置かれ、緊急着陸の準備が始まる。
ここで、第8の異変が発生している。JAL123便は横田基地への着陸に向けて高度を下げていったところが急遽、横田基地への着陸が阻止されることになった。池田昌昭氏は次のように推測している。
池田昌昭氏のこの推理は理解不能である。JAL123便は横田基地着陸を頑強に拒否して羽田帰還を要求していたのであり、ここを逆に描く意味と意図が分からん。
横田基地着陸を阻止されたJAL123便ピットは名古屋着陸を打診されている。ところが、ひたすら羽田に戻ることを訴えていることになる。
この段階で機体は焼津市上空を通過していた模様。6時31分08秒時点の高度24900ft、速度250kt。焼津市上空を通過したあたりから次第にダッチロール(機首の横揺れと左右の傾き)が激しくなり、右に60度、ついで左に50度も傾いた機長は「バンクそんなにとるな」と注意するが、このときはすでにパイロットの思い通りの操縦ができなかったと推察される。ダッチロールによる機体の揺れで、風切り音が笛の音のように不気味に聞こえてくる。フゴイド運動(機首の上下運動)も加わり、15度から20度も機首が上向き、今度は10度から15度も機首下げの状態を繰り返した。運行乗務員の思うように上昇、降下、旋回もできず、当初、東京航空交通管制部に要求した大島経由で羽田空港に引き返すこともできない状態になっていた。123便は右に大きく旋回し、北の富士山の方向へと飛行を続けていく。
ここで、第9の異変が発生している。
この時の機長の「おー、おおお」は何に対する反応なのだろうか。
操縦室では機体の操縦に次第に慣れ、左右のエンジンの操作がスムースになり、機体も安定し始めていく。
この「落ち着いた遣り取り」の会話からして、酸素マスクをつける緊急の必要性がなかったことを窺わせる。であれば、調査委員会の急減圧説が覆されることになる。これ以降、酸素マスクをかけることによる音声のこもり現象が起きているか注意深く聞き分けるが、以降一切マスクをかけた様子はない。この間にカンパニー(日航社用無線)呼出音が何度か鳴るが、誰もこれに応えていないことから、既にこの時点でかなりの余裕を失っていることが分かる。
この日航のカンパニーとのやり取りは、ピット内が相当混乱している様子を伝えている。
これが事故原因だとして発表されることになる。
ここで、第10の異変が発生している。
これはどういう意味だろうか。機長は事故直後より東京管制部に対して「羽田に戻りたい」と伝えている。何をいまさらの感なきにしも非ずである。池田氏は、並行して行われていた自衛隊機とのやりとりを社内無線に傍受させる意図でそうしたのではないかと推理している。
車輪は自重落下式で、今降ろすとバランスが崩れるので、非常用に使うオルタネーター(電動モーター)でゆっくり動かして車輪を出すことにした。それでも車輪を下ろすと、5箇所全ての車輪が同時に降りる訳ではなく、箇所によって時間がずれる。その為、スピードは減速出来たが、バランスが崩れ、勝手に右旋回をし、その場を一周することになった。
この頃、指揮・管制塔交信を行っていた高濱機長は佐々木副操縦士と共に操作を行った。そして福田機関士が電動で各部の操作及び計器確認を行った。機長は通信を機関士に任せ、副操縦士と共に操縦桿を握り始めた。機長は予想以上の重い機体の動きに驚いている。
JAL123便の航跡図によると、東京管制部が関東南A空域の航空機に対し、周波数の切り替えを要求した18時40分の時点で、JAL123便は機体を何とか真東に向けることに成功したように見える。操縦系統が効かないことに気付いたJAL123便の操縦クルーは、エンジンの出力を調節することによって、飛行方向を変えようとしていたと思われる。この操作の一環で左の第1エンジンの出力を大きくしたところ、機体は右へ旋回し18時39分から45分の間に進路を北東から約420度右旋回し、真東を向かせることができた。この航跡を見て東京管制部は、「操縦不能といっているが、羽田に帰る力は残っている」と考えた。
ここで、第11の異変が発生している。
周波数の切り替えの必要も、それに対する応答がないのも異常である。JAL123便は「通信に応ずる状況にはなかったのでは」と云われている、JAL123便は45分には東京管制部や横田基地と連絡をとっているので交信できたはずである。交信に応じなかったのは、この間、他機と交信中であったという説がある。その他機とは自衛隊の軍用機である。なぜ軍用機が出てくるのか。それは、「スコーク77」と関係する。「スコーク77」即ち「エマージェンシー・コール」(緊急通信)が発信されると、ICAO(国際民間航空機関)条約「付属文書2」に規定されている「民間航空機に対する要撃」によって、軍用機がスクランブル発進し、誘導指示を出すことができる。
池田昌昭氏によると、JAL123便の「スコーク77」によって、自衛隊浜松基地から2機の自衛隊機がスクランブル発進し、JAL123便に接近している。それは貴重情報としても、「横田基地へ着陸態勢を取ろうとしていたJAL123便を御巣鷹山方向に誘導した」と解説している。それは如何なものであろうか。18時37分~44分までの空白の7分間、JAL123便は自衛隊機と交信している可能性があり、事故後この部分はボイスレコーダから削除されているフシがあると池田氏はいっている。自衛隊が関連するところは、国家機密として削除することも不可能ではないと云う。これは貴重情報である。
この時間帯は関東南A空域を航行する飛行機が増えてラッシュアワーのピークを迎える。東京航空管制部はJAL123便の異常を確認した為、他機に対して周波数の切り替えを要求しJAL123便との通信に備えた、と解説されている。
この時間帯、機体は富士山を右に眺める位置に居た。とは言っても高度は18:38:06の時点で22400ft、速度260kt。ここからまっすぐ東に向かえば最短距離で羽田空港に着く。機長はそう考え、徐々に高度を下げていこうという計算があったと思われる。さかんに「あたま下げて」と口走る。しかし、期せずしてギア(車輪)が降りないことが発覚。この中の会話でオルタネートとは、油圧が効かない時に電力でギアやフラップを動かす事を指す。動作は遅い。因みに非常時モーターはエンジンについている。6時40分30秒から6時44分09秒まで、機体は山梨県大月市周辺上空を囲う様に迷走している。
ここで、第12の異変が発生している。「最大の謎」と云われる。
東京ACC管制部はこの間、東京都福生市にあるアメリカ極東空軍・横田米軍基地に協力要請している。これにより、米空軍は直ちに、横田基地の滑走路を空け、消防・救急を待機させると同時に、岩国海兵隊基地から通常輸送任務で横田基地に向かっていたC130H輸送機に123便のサーチ・アンド・レスキュー(捜索・救助)を命じている。
この時、横田基地から直接コンタクトがあったことが記録されている。しかし、元々在日米軍と交信するマニュアルがなく、以降も一切横田に応えていない。これは何を意味するのだろうか。嘉手納基地から横田基地へ向かう途中の在日米軍所属C-130輸送機が123便緊急事態発生の無線を傍受している。横田基地は合計13回にわたって「横田基地はスタンバイができている」ことを繰り返しJAL123便に呼びかけているが、JAL123便はなぜかこれに応答していない。
18時46分の時点でJAL123便は、明らかに横田基地に着陸体制にあった。JAL123便の動きを外部から見た場合、今まで北北東に向かっていた飛行機がぐるりと真東に機体を向けて高度を下げつつあったので、パイロットは機体をコントロールできると考えても不思議はない。この時点で横田基地に向かえば、最短距離ですぐに着陸できたと思われる。しかし、横田基地着陸は拒否された。
JAL123便は自衛隊機に御巣鷹山に誘導されたと考えられる。18時47分の時点でJAL123便は向きを大きく北西方向に変えて、墜落地点である御巣鷹山に向かっ降下していくことになる。自衛隊機がJAL123便の前方に出て、飛行進路を遮断するなど妨害し、埼玉・長野・群馬の県境の山岳地帯に向かうよう強引に左旋回飛行指示を出している可能性がある。これに対して、JAL123便の機長は、あくまで「ターンライト」を主張して抵抗している。しかし、結局、横田基地から北方向に向かわされ、御巣鷹山に入っていくことになる。
ここで、第13の異変が発生している。
この機長発言の意味が不明である。操縦系統のダメなのか、それとも着陸がダメなのかの二通りに考えられる。何らかの理由で「羽田着陸がダメ」だと云うことを悟らせられたと思える。
「日航機墜落事故で亡くなった人の遺書とメモ書き」の村上良平氏(43際、千葉県柏市。富士電機サービス課)は次のように記している。
ヘッドホンから「ああっ」という声が聞こえている。機内で何が起きているのかは、わからない。
ここまで、機体の高度約2万フィート(6千メートル)を維持してきていたが、1万フィート(3千メートル)、五千フィート(千五百メートル)、続いて9000フィートまで下がっていた。速度230kt。
奇跡の生還を果たしたアシスタントパーサーOさんの証言でも裏付けられている。
この時、機体は激しく上下に揺れたと思われる。乗員、乗客に相当の恐怖が走った事は言うまでもないだろう。ここから日航機123便は、ひたすら東京から離れていく。意地でも羽田に帰る事を目指した機長の想いとは逆の方向へ……。
ここで、第14の異変が発生している。
この会話のやり取りがのちに「不謹慎な部分」として指摘され、機長に対する批難の槍玉に挙げられることになる。人命のかかった危機的状況での「どーんと行こうや」の意味が不明である。機長は、恐らく失速を避けようとスロットル最大にしてコントロールしていたと思われ、副操縦士を元気づけようとして「あきらめるな!」の意味で言ったと解するべきであろう。この「どーんと行こうや」の言葉は永らく機長遺族を苦しめた言葉だ。しかしその解釈も甘い。事実は、生存率の高さから最も期待されている胴体着陸を目指して「思いきって行こうや」の意味の励ましの言葉であったと解するべきだろう。
6時48分03秒に高度6800ftまで下がっていた機体は51分03秒には9800フィートまで回復。但し、速度は200ktを下回り始める。
この交信の3分後、糸の切れたたこのように画面上を点滅しながら漂っていた機影が止まることになる。
ここで、第15の異変が発生している。
墜落が18時56分とみられるので、54分といえば最終段階になる。日本語で管制所と交信していた機長があえて「リクエスト・ポジション」と英語でいった理由が不明である。これについて、「リクエスト・ポジション」は、要撃された民間機が軍用機に対して使用する用語のひとつであり、池田氏はこの用語を使うことによって、誘導指示した自衛隊機の存在を何らかのかたちで知らせたかったのではないかと推理している。
この時点で、機長は機体の位置が分からなくなっていて、羽田の進入管制に確認させている。既に羽田空港が着陸受け入れ態勢に入っていた。進入管制が横田基地と調整して着陸許可を得ていることも伝えている。
しかし、時はもう遅かった……。答える余裕も必要もなかったのだと思われる。
1985年8月12日、ボーイング747SR100型(46?)機のJA8119号機は、日航の定期便として羽田~千歳503便、504便、羽田~福岡363便を経て、366便として福岡から17時12分に東京・羽田空港に到着している。18番スポットでその後の123便として大阪(伊丹)への飛行準備をしていた。出発予定時刻は18時00分。燃料3時間15分を搭載していた。機長・高濱雅己機長(49歳)、副機長・佐々木裕副機長(39歳)、機関士・福田博機関士(46歳)。旅客人数は大人497名、幼児12名の計509名。乗員・15名で計524名。
6時 |
03分 | 東京飛行場管制所が「15L滑走路へ」。123便から「了解」。 |
04分 | 日航123便がスポット18から移動を開始し、滑走路15に入った。この時刻が出発時間とみなされる。 |
11分 | 客室のスクリーンやTVの画像が救命胴衣等の説明が終わり、機体下部カメラによる滑走路の画像に切り替わる。乗務員が一斉に座席に座り離陸に備える。高濱機長が客室に挨拶放送。副機長が管制塔から離陸許可を貰う。 羽田管制塔「Japan Air 123 Clerd For Take Off Run Way 03」(羽田コントロールよりJAL123、03滑走路にて離陸を許可する)。123便「Japan Air 123 Roger.Cler Take Off」(JAL123、了解)。高濱機長が副機長に着陸許可を貰った旨の確認。エンジンの出力を徐々に出し、エンジン回転計が60パーセント付近になったところで一旦止め、全エンジンの計器が安定している事をクルー三人全員が確認。離陸推力ボタンを押し離陸開始。自動でエンジンの出力が上がり、ゆっくりと滑走を始め、徐々にスピードが離陸速度まで加速されていく。機関士が速度計を読み上げ副機長が呼応する。「V1!」(緊急停止可能速度)。「VR!」(離陸可能速度)。副機長が操縦桿を引き離陸した。 |
12分 | 東京ターミナル管制所が「浦賀へ誘導。高度13,000ftを維持せよ」。123便から「了解」。 |
524人の乗客・乗員を乗せた123便が離陸する。離陸後、機首を180度(真南)に向け、1万3000フィート(3960m)までの上昇が許可された。その後2万4000フィート(7315m)への上昇が承認された。
15分 | 東京飛行場管制所が「200度へ右旋回せよ」。123便から「了解」。 |
16分 | 東京ターミナル管制所が「2マイル左へ。上昇し高度24,000ftを維持せよ」。123便から「了解」。 |
17分 | 浦賀を通過。123便の管制が羽田空港管制塔から埼玉県所沢市にある東京航空交通管制部(東京ACC・エア・コントロール・センター)に引き継がれた。123便が大島の北を伊豆半島の下田市方面をめざして上昇していった。木更津沖、東京湾から房総半島西部をなめ、相模湾に出る。123便から「シーパーチ直行を希望」。ACCが「了解」。 |
18分 | ACCが「三原を経由しないシーパーチ直行を承認」(「Japan Air 123 Cler Direct Seaparch」、JL123、現在位置よりシーパーチ(非義務位置通報点)に直行する事を許可する)。123便便から「了解」(「Roger. Cler Direct. Seaparch」、了解、これよりシーパーチに直行する)。 |
6時18分過ぎ、右側に富士山と江ノ島が見える上空、高度1万1300フィート(3440メートル)に達している。この時点までは順調に飛行を続け水平飛行に移行している。この直後、第1の異変が発生している。「奇怪な飛行物体が飛行機に近づいて来た」。これを確認しておく。
18分 | 操縦クルーが、右前方から奇怪な飛行物体が飛行機に近づいて来るのを視認している。座席中央部分の最後部から5番目に座っていた小川哲氏(当時41歳)も、その飛行物体に気がつき、それをカメラに収めている。この写真は、JAL123便事件の謎を解く唯一の貴重な物的証拠として後世に遺ることになる。 |
20分 | 相模湾。大島の手前。社内無線で、123便便から「離陸は12分遅延」。 |
ここで、第2の異変が発生している。「一度外したシートベルトが再着用を促されている」。これを確認しておく。
23分 | 乗客にベルト着用を指示している。これは、既に一度解除されたベルト着用が再度義務づけられたことを意味する。これは何らかの異変が有ったものと思われる。ここで、「コックピットと客室とのやりとり」が記録されている。 |
24分 | 相模湾。大島を通過。スチュワーデス(松原幸子?)が、「(トイレにいき)たいという方がいらっしゃるのですが、よろしいでしょうか」とコックピットに許可を求めている。その時、副操縦士は次のように応答している。「気をつけて」。機関士「じゃぁ気をつけてお願いします。手早く、気をつけてください」。スチュワーデス「ハイありがとうございまぁす」。 |
この時の副操縦士の声が「上ずって」いる。内容もかなり慌(あわ)ただしい。
ここで、第3の異変が発生している。「JAL123便の垂直尾翼に衝撃音が発生している」。これを確認しておく。
24分35秒 | 離陸後12分、JAL123便が、伊豆大島の北を、下田市方面を目指して上昇中、これから水平飛行に移ろうとした途端の相模湾上で、ドーンという衝撃音。ボイスレコーダーを聞いてみると「ドドーンドンドン」と聞こえる。垂直尾翼に何ものかが衝突している爆撃音のように思われる。生存者(落合由美さん)は「パーン」という乾いた高めの音だったと証言している。何が起こったのか? 同37秒、「ビッビッビッビッ・・・・・・・」(客室内気圧低警報)」(1秒後停止)。客室高度警報音(または離陸警報音)が鳴る。同38秒、発言者不明の「まずい」。同39秒、機長「なんか爆発したぞ」。 |
この衝撃音は衝突と理解すべきではなかろうか。この時の高度は2万3900フィート(7170メートル)。とすると、操縦クルーが、6時18分に右前方から奇怪な飛行物体が飛行機に近づいて来るのを視認し衝撃音を聞くまでの6分間に1万2600フィート(3780メートル)も上昇していることになる。JAL123便は、まるで何かから逃げるかのように猛烈な急上昇をしていたことになる。これは、JAL123便が6分間も謎の飛行物体に追い掛け回されていたことを意味するのではなかろうか。
この時の衝撃で垂直尾翼が大きく破損し、ほぼ5分の3以上を失った。ジャンボ機は不測の事態に備え、各操舵系を4系統のハイドロ制御(油圧による制御)に分けていたが、尾翼破損で4系統ライン全ての配管末端が破壊された。これにより、各操舵系のハイドロ制御油が破損箇所から徐々に抜け始め、ハイドロ制御だけで操作されている操縦系統が全て失われた。旅客機の操縦桿の動きは、操縦桿に繋がるケーブルが直接動翼を動かすのではなく、ハイドロ油圧を制御する機器に繋がっている。この機器と動翼はプッシュ・ロッド(操縦棒)で繋がり操縦桿からの動きは油圧を介して操縦棒を動かし動翼に伝えられている。このハイドロ制御機能が損傷した為に以降の飛行が困難を極めることになった。
著名な航空評論家の関川栄一郎氏は、テレビで「『無人標的機』が、ぶつかったのではないか」と発言している。しかし、関川氏のこの発言はその後報じられなかった。しかし、取り繕う暇のない初期報道にこそ事件の「真実」が潜んでいるのではあるまいか。
この時の衝撃が「爆発」のようなものであったことは、「日航機墜落事故で亡くなった人の遺書とメモ書き」でも裏付けられる。河口博次氏(52歳、兵庫県芦屋市。大阪商船三井船舶神戸支店長) が遺した手帳への走り書き219字には、「何か機内で 爆発したような形で煙が出て 降下しだした。どこえどうなるのか」と記されている。
24分40秒 | 埼玉県所沢市の東京ACC管制室の関東南A空域のレーダー画面にEMG(緊急事態)の赤い文字が点滅し、ピーピーと金属音を帯びた警報が鳴った。管制室は騒然となり、直ちに日本航空123便への対応をとる体制にかかる。 |
ここで、第4の異変が発生している。「滅多に発信されないいわゆる「エマージェンシー・コール」(緊急通信)の国際緊急無線信号「スコーク77」を発信している。これを確認しておく。
24分42秒 | 衝突から7秒後、機長が、東京ACC管制部(東京航空交通管制部)に、いわゆる「エマージェンシー・コール」(EMG、緊急遭難通信)の国際緊急無線信号「スコーク77」を発信している。 |
同43秒 | 副操縦士「ギアドア」。機長「ギア見て、ギア」。同44秒、航空機関士「えっ」。機長「ギア見て、ギア」。副操縦士発言は「ギアドア」ではなく、「エルロン」と云っている可能性がある。エルロンとは主翼の補助翼のこと。破損箇所を模索してるものと見られるが、機長はそれに対しギア(車輪)のチェックを指示している。同47秒、「ブーッ」。 |
同59秒 | 機長が「何か爆発したよ」と発言している。繰り返していることになる。 |
「スコーク77」とは、「航空機を識別するためにトランスポンダ(中継器)に設定する4桁の数字をATCコードあるいはスコークと云い、0000~7777まで使い分け設定されている。7700だと緊急事態、7600は無線通信不能、7500はハイジャックされた時に使う。つまり、スコーク77とはトランスポンダに7700を設定したということを意味しており、音声で連絡しなくても自動的に当該飛行機が緊急事態に陥ったことを知らせる。機械(トランスポンダ)が自動的に状態を発信し続けてくれる」と云う機能である。飛行機がハイジャックされたり、他から攻撃されたようなときに発信する緊急信号であり、めったなことでは使わない。そういう「スコーク77」を発信した異常性を見て取る必要がある。123便がいきなり「スコーク77」の発信指示したと云うことは、よほど危険を感じるような事件が発生していた可能性が高い。以降、JAL123便は、墜落したと見られる午後6時56分26秒までの間に、東京航空管制28、横田基地8、日航羽田13、無線9の4交信している。なお、JAL123便は、所沢にある東京航空交通管制部(ACC)と最初に交信している。
ここで、第5の異変が発生している。
同44秒 | 爆発音発生の10秒後、男性パーサーによる「酸素マスクを着けて下さい」とのアナウンスが流されている。 |
PRA(録音テープ)によるアナウンスが流されず直接アナウンスになっている。
25分04秒 | 爆発音発生の30秒後、管制室内に客室高度警報音(または離陸警報音)ブザーが鳴り出し、鳴り続けることになる。レーダー画面の日航123便の機影に、緊急事態(エマージェンシー)を示す「EMG」の文字が点滅し始めた。 首都防空監視を勤めるレーダーサイトの航空自衛隊・第44警戒隊レーダー(千葉県峯岡山基地)が123便の緊急信号を受理、監視が始まった。 |
同15秒 | プリレコーデッドアナウンス(PRA、自動放送)が流れ始める。内容は「ベルトを締めて下さい。タバコは消して下さい。只今緊急降下中」。ここからパーサーによる機内放送が始まる。「酸素マスクを着けて下さい。ベルトをして下さい」。 |
この時、空自峯岡基地第44警戒群が123便をレーダーで確認している。
同16―17秒 | 機長「ライトターン、ライトターン」。高濱機長は、羽田空港に戻ることを選択し、佐々木副機長に右旋回を指示し、東京ACC管制部へ許可を申請した。 |
ここで、第6の異変が発生している。
同21―34秒 | 機長「Ah,Tokyo,Japan Air 123,request from immediate..trouble request return back to Haneda descend and maintain 220 over.」(「アー、東京管制部、こちら日航123便、緊急トラブル発生。羽田への帰還を求める。2万2千フィート(高度約6700メートル)に降下したい、どうぞ」。東京ACC管制部「22000フィートまで降下ですね。了解」(「Roger,Apprived As You Request」)。普段ならトラブルの中身を伝えてくるはずだが何も伝えていない。機長「大島へのレーダー誘導をお願いします」(「Rader Vecter To Oshima Please」)。東京ACC管制部「了解しました。右旋回しますか、それとも左旋回?」(「Roger, You want right or left turn?」)。機長「右旋回に移っています。どうぞ」(「Going to Right Turn,Over」)。東京ACC管制部「右旋回して、磁方位90度(真東)、大島レーダー誘導します」(「Right,Right Heading090 Radar Vecter To Oshima,」、了解、(伊豆)大島へレーダー誘導するので、右、磁石方位090(九十度)で飛行してください)。機長「090」(090了解)。 |
「スコーク77」を発信した後、機長が自ら東京ACC(東京航空交通管制部)に対し「羽田への帰還」を求めていることになる。
同55秒 | 機体は角度を強めて右旋回を始めた。機長「おい、バンク(角度)そんなとるなよ、そんなに」。副機長「はい」。だが、なお角度が増す。機長「バンクそんな取んなって云ってんだよ!このバカッ!」。「(角度)何度あんの!」。 |
この間、6時25分4秒に鳴り出した客室高度警報音(または離陸警報音)ブザーが6時47分28秒まで鳴り続ける。そこへさらに高度警報音が2秒間鳴る瞬間が何度かある。
26分03秒 | 機関士「ハイドロ・プレッシャー(油圧)が落っこちてます、ハイドロが」。制御油圧メーターの針が全てゼロを指していた。 機長はおもむろに佐々木副機長に話しかける。機長「今、マニュアル(手動操縦)だからな、マニュアル」。副機長「はい」。機長「(角度)戻せっ!」。副機長「戻らない」。機長「ハイドロ全部だめ?」。副機長「はい」。 |
26分41秒 | 機長が「なんでこいつ鳴るんや」と愚痴っている。 |
ここで、第7の異変が発生している。東京ACCが123便に緊急事態宣言を再確認している。
27分02秒 | 東京ACC管制部「123便、確認しますが緊急事態を宣言しますね」(「Japan Air 123 Confirm You Are Declate Emargency That`s Right?」)。機長「その通りです」(「That`s Affirmative」)。東京ACC管制部「123便、了解。どういった緊急事態ですか。緊急事態の内容を、知らせてください」(「123 Roger And Request Your Nature Of Emargency」、123便、了解。どのような緊急事態ですか?)。これに対し、応答がなかった。 |
「どういった緊急事態ですか。緊急事態の内容を、知らせてください」に対し応答がないのもオカシナことである。実際になかったのかも知れないが、原因が分からないなら分かりないなりに知らせることができるのに、それさえなかったと云うことは逆に公表できないことを知らせていた可能性がある。
28分00秒 | 機体は駿河湾上空に差し掛かった。機長は「なんで騒いでんの?」と発言する。これは客室の様子を指していると思われる。この頃、機長「気合いを入れろ」。副操縦士「はい」と右旋回のコントロールをしている最中、航空機関士が「おこってるかどうか聞いてみます」と客室乗務員との連絡を始めている。 この直後に、機長「ライトターン!ディセント!(左旋回・降下)」。副機長「はい!」。機長「気合を入れろ!」。機長「ストール(失速)するぞ、本当に」。副操縦士「はい、気をつけてやります」。機長「はいじゃないわ!」というやりとりが行われる。 |
同30秒 | 東京ACC管制部「JAL123便、レーダー誘導のため磁方位90度(東)で飛行せよ、大島レー ダー誘導です」(「Japan Air 123 Fly Heading 090 Radar Vector To Oshima」)。「しかし、現在アンコントロール(操縦不能)」(「But! Now Uncontrol!」)。東京ACC管制部「Uncontrol Roger Understand」(操縦不能了解しました)。この後、地上との交信が時々途絶え途絶えになる。 |
123便から「操縦不可能」と伝えられ、羽田空港航務課に航空機救難調整本部(RCC)が置かれ、緊急着陸の準備が始まる。
6時28分36秒時点の高度は22100ft、速度280kt。この時、JAL123便は駿河湾上空で静岡の焼津付近に達しており、なお西に向っていた。JAL123便は、垂直尾翼の大半が破壊されたことで、そこを通っていた4本のハイドロプレッシャー(油圧系統)が全壊し、全くの操縦不能に陥った。この事態を人間にたとえるなら、突然、大動脈が切断され、大量出血した状態である。ダッチロール(航空機が激しく横揺れしながら首を振り、8の字を描くように飛行する状態)とフゴイド運動(航空機が急角度での上昇と下降を繰り返す状態)に悩まされている。いわゆるダッチロールである。
管制官は、JAL123便に連絡を取り、名古屋に着陸できるかと聞いている。しかし、JAL123便の機長は、あくまで羽田着陸を主張したと云う。そこで、大島通過の報告をしてきた米輸送機C-130が横田基地への着陸を求めてきているのにスタンバイの指示を出し、JAL123便の航路を最優先に確保しようとした。
ちょうどその時JAL123便は、垂直尾翼を飛ばされながら、操縦を何とかコントロールして、左右のエンジンの出力調整だけで、ダッチロールとフゴイドをかなり減衰させることに成功していた。羽田に戻る体制を確立しようとしていた。垂直尾翼の3分の2を欠いているにも拘わらず機体を平衡に戻すのはかなりの難事であるがクリアしつつあった。驚くべき操縦技術である。
30分 | 静岡県焼津市上空。東京ACC管制部「Your position 72 Miles to Nagoya, Can you land to Nagoya?」(「現在貴機は名古屋空港から72マイルの位置です。(約115キロ)名古屋に着陸しますか?」)。機長「Ar--,Negative—Request
Back To Haneda」(「あ~、違います。羽田に帰ることを要求する」)。東京ACC管制部「All Right」(了解)。 この時点で、乗客が遺書を書いている。尾翼の破損後、機内は間もなく深刻な事態に陥っていたことが察せられる。社名入り封筒に乗客の大阪・箕面市の谷口正勝さんが「まち子 子供よろしく」と機内に備えてある紙袋に遺書を書いている。その他にも横浜市の吉村一男さん、神奈川県・藤沢市の河口博次さんも遺書を書いている。 |
30分頃 | 米空軍C―130H輸送機が123便のEMGを傍受している。 |
30分頃 |
自衛隊機のF-4EJ戦闘機2機が、JAL123便の「スコーク77」の発信を探知してスクランブル発進した。2~3分後にJAL123便を発見している。その時、JAL123便は、焼津市上空で右方向に向かい、羽田もしくは横田基地に戻ろうとしていた。F-4EJ戦闘機はJAL123便の後ろから垂直尾翼の状況を肉眼で観察し、次に前に出て、ダッチロール(機体左右の揺れ)とフゴイド(機体前後の揺れ)を減衰させる方法を指導している。JAL123便は横田基地への着陸に向けて高度を下げていった。2機のF-4EJ戦闘機は、このことを要撃管制官に報告している。
|
ここで、第8の異変が発生している。JAL123便は横田基地への着陸に向けて高度を下げていったところが急遽、横田基地への着陸が阻止されることになった。池田昌昭氏は次のように推測している。
「JAL123便を追尾したF-4EJ戦闘機の航空基地指令への報告の中に、欠けた垂直尾翼にオレンジ色の塗料の跡があった。これは、巡航ミサイルの衝突痕跡を示している。この報告を受けた航空基地指令は愕然とし、直ちに上級指令者(航空幕僚)に報告された。航空幕僚はそれをさらに上級の自衛隊を指揮命令する立場の者に報告して指示を仰いでいるはずである。その結果どうなったか。彼らは、もしJAL123便が横田基地着陸に失敗したときの被害の大きさを想定し、それを理由にF-4EJ戦闘機に対して『JAL123便の横田基地着陸を阻止せよ』との指令を発する」。 |
池田昌昭氏のこの推理は理解不能である。JAL123便は横田基地着陸を頑強に拒否して羽田帰還を要求していたのであり、ここを逆に描く意味と意図が分からん。
同28秒 | 爆発音発生の5分54秒後、断続的に3回程、火災警報音が鳴っており、その音がCVRに録音されていることが事故調によって解読されている。同35秒、航空機関士が客室の酸素マスクが落ちてきている事を確認する。同55秒、機長に「オキシジェンマスクがドロップしてるから」と客室が騒がしい理由を報告している。 |
31分02秒 | 123便が日航オペレーションセンターに緊急連絡。「降下できますか」。「今、降下しています」。「名古屋に降りますか」。「いや、羽田に戻りたい」。 |
横田基地着陸を阻止されたJAL123便ピットは名古屋着陸を打診されている。ところが、ひたすら羽田に戻ることを訴えていることになる。
31分26秒 | 尋常ならざる事態と判断した東京ACC管制部は機長に「Ar~了解しました。え~、ここから日本語で話していただいて結構ですから」と語りかけ、機長「あ~、はいはい」。以降、管制とはすべて日本語で交信している。普段、航空法により、交信は国際語である英語となるが、緊急時は母国語の交信でも可能となっている。 |
この段階で機体は焼津市上空を通過していた模様。6時31分08秒時点の高度24900ft、速度250kt。焼津市上空を通過したあたりから次第にダッチロール(機首の横揺れと左右の傾き)が激しくなり、右に60度、ついで左に50度も傾いた機長は「バンクそんなにとるな」と注意するが、このときはすでにパイロットの思い通りの操縦ができなかったと推察される。ダッチロールによる機体の揺れで、風切り音が笛の音のように不気味に聞こえてくる。フゴイド運動(機首の上下運動)も加わり、15度から20度も機首が上向き、今度は10度から15度も機首下げの状態を繰り返した。運行乗務員の思うように上昇、降下、旋回もできず、当初、東京航空交通管制部に要求した大島経由で羽田空港に引き返すこともできない状態になっていた。123便は右に大きく旋回し、北の富士山の方向へと飛行を続けていく。
ここで、第9の異変が発生している。
同36秒 | 火災警報音1秒間。コクピットの機内電話が鳴った。最後部エリアからだった。副操縦士「どこが?」。機関士「後ろの方ですか?・・・・・・・え~と、何が壊れているんですか?」。ここで火災より破損箇所についての確認が始まる。 |
同37秒 | 機長「おー、おおお」。 |
この時の機長の「おー、おおお」は何に対する反応なのだろうか。
32分11秒 | 航空機関士が機長へ報告した。「あのですね。荷物入れてある、荷物のですね、一番後ろです。荷物の収納スペースのところがおっこってますね。これは降りた方がいいと思います」。事故発生時、客室後部の天井の内張りがラバトリー(トイレ)を中心に一部剥がれ落ちたという。尾部胴体に破損があった事の根拠はこれだ。 |
操縦室では機体の操縦に次第に慣れ、左右のエンジンの操作がスムースになり、機体も安定し始めていく。
33分 | コクピットに客室後部からの第二報が入る。機関士「R5(右側五番目の扉)のマスクがストップですから。緊急降下したほうがいいと思いますね」。機長「はい」。 |
この頃、乗員同士の会話では酸素マスクをつけるかどうかのやりとりがなされている。機関士「マスク、我々もかけますか?」(コクピット内のマスクは操縦の妨害にならないよう自分で装着する)。機長「あぁ」。副機長「かけたほうがいいです」。機長「・・・・・・」。機関士「オキシジェン(酸素)マスク、出来れば吸ったほうがいいと思いますけど」。機長「あぁ・・・・・・」。 |
33分38秒 | 日本航空の社内無線は、JAL123便を次のように呼び出している。これは、ボイスレコーダの分析でわかった。「JAPAN AIR 123 JAPAN AIR TOKYO How do you read ?」。「JAL123便、聞こえますか」という意味である。~34分52秒までやり取りが続いている。 |
33分46秒 | 航空機関士「マスク我々もかけますか?」。同48秒、機長「はい」。同49秒、副操縦士「かけたほうがいいです」。 |
この「落ち着いた遣り取り」の会話からして、酸素マスクをつける緊急の必要性がなかったことを窺わせる。であれば、調査委員会の急減圧説が覆されることになる。これ以降、酸素マスクをかけることによる音声のこもり現象が起きているか注意深く聞き分けるが、以降一切マスクをかけた様子はない。この間にカンパニー(日航社用無線)呼出音が何度か鳴るが、誰もこれに応えていないことから、既にこの時点でかなりの余裕を失っていることが分かる。
34分55秒 | 羽田空港の日本航空内に123便対策本部が設けられ、123便へ社用無線連絡が始まり123便にコールして来た。航空機関士「ジャパンエアどこですか?」。 |
同59秒 | 機長「どこからだ?」。 |
6時35分00秒 | 副操縦士「大阪です」。 |
同01秒 | 機長「ジャパンエア呼んでくれ」。 |
同02秒 | 航空機関士「ジャパンエア大阪ですか?」。 |
同04秒 | 副操縦士「ジャパンエア東京、ジャパンエア東京」。 |
同06秒 | 機長「ジャパンエアどこだ?」。 |
同08秒 | 航空機関士「ジャパンエア東京」。 |
同20秒 | カンパニー「ジャパンエア123、ジャパンエア東京、26分に大島の30マイルウエストで、エマージェンシーコールを東京ACC(東京管制区管制所)が傍受したということですが」(女性従業員)と話し出した。 |
この日航のカンパニーとのやり取りは、ピット内が相当混乱している様子を伝えている。
35分34秒 | 爆発音発生の11分後、航空機関士がカンパニーへ次の報告をしている。「ええっとですね、今、あのー、アールファイブ(R5=右側5番目)のドアーが、あのー、ブロークン(破損)しました。え~、それで~、え~、今、ディセント(降下)しております、え~」。 この連絡を受けた日航側が、「R5ドアが脱落し、機体後部のどこかが損傷したのでは?」という憶測をたてた。 |
これが事故原因だとして発表されることになる。
35分53秒 | カンパニー「キャプテンのインテンションとしては、リターン・トゥー・東京でしょうか?」。機関士「はい、なんですか?」。カンパニー「羽田に戻って来られますか?」。航空機関士「えーっと、ちょっと待って下さい。今エマージェンシー・ディセント(緊急降下)してますので、えー、もう少ししたら、あーコンタクトしますのでえ~。このままモニター(監視)しておいてください」。カンパニー「了解しました」。 |
ここで、第10の異変が発生している。
36分00秒 | 日本航空の社内無線は「羽田に戻ってこれますか」と聞いている。機長は社内無線に対しては次のようにいっている。「ふたたびコンタクトしますので、このままモニターしておいてください」。 |
これはどういう意味だろうか。機長は事故直後より東京管制部に対して「羽田に戻りたい」と伝えている。何をいまさらの感なきにしも非ずである。池田氏は、並行して行われていた自衛隊機とのやりとりを社内無線に傍受させる意図でそうしたのではないかと推理している。
37分11秒 | 機長「あー、あああー」。 |
同31秒 | 機長「あたま(機首)下げろ」。副機長「はい」。 |
同38秒 | 機長「あたま下げろ」。同39秒、副操縦士「はい」。 |
38分04秒 | 機長「あたま下げろよ」。同05秒、副操縦士「はい」。同17秒、機長「あたま下げろ」。同18秒、副操縦士「はい」。 |
同29秒 | 機長「両手でやれ、両手で」。片手でスラスト・レバー(エンジン制御レバー)を握っていた副操縦士を叱咤する。同30秒、副操縦士「はい」。 |
同32秒 | 航空機関士「ギアダウンしたらどうでしょうか、ギアダウン」。これは、車輪を出して、空気抵抗を増やし、スピードを落とす手段である。同34秒、副操縦士「ギアダウンでしょうか?」。同45秒、機長「出せない、ギア降りない」。(中略) |
39分13秒 | 航空機関士「オルタネートでゆっくりと出しましょうか」。同18秒、機長「はい、ゆっくり出して」。 |
車輪は自重落下式で、今降ろすとバランスが崩れるので、非常用に使うオルタネーター(電動モーター)でゆっくり動かして車輪を出すことにした。それでも車輪を下ろすと、5箇所全ての車輪が同時に降りる訳ではなく、箇所によって時間がずれる。その為、スピードは減速出来たが、バランスが崩れ、勝手に右旋回をし、その場を一周することになった。
40分 | この頃、山梨県大月市上空に来ていた。一応、機首を東京方向に向けることに成功していた。 |
この頃、指揮・管制塔交信を行っていた高濱機長は佐々木副操縦士と共に操作を行った。そして福田機関士が電動で各部の操作及び計器確認を行った。機長は通信を機関士に任せ、副操縦士と共に操縦桿を握り始めた。機長は予想以上の重い機体の動きに驚いている。
JAL123便の航跡図によると、東京管制部が関東南A空域の航空機に対し、周波数の切り替えを要求した18時40分の時点で、JAL123便は機体を何とか真東に向けることに成功したように見える。操縦系統が効かないことに気付いたJAL123便の操縦クルーは、エンジンの出力を調節することによって、飛行方向を変えようとしていたと思われる。この操作の一環で左の第1エンジンの出力を大きくしたところ、機体は右へ旋回し18時39分から45分の間に進路を北東から約420度右旋回し、真東を向かせることができた。この航跡を見て東京管制部は、「操縦不能といっているが、羽田に帰る力は残っている」と考えた。
40分22秒 | 航空機関士がギアダウンを確認。 |
40分頃 | 東京ACC管制部が横田基地へ緊急着陸準備を連絡する。嘉手納基地から横田基地へ向かう途中の在日米軍所属C-130輸送機が123便緊急事態発生の無線を傍受している。 |
ここで、第11の異変が発生している。
40分45秒 | 東京ACC管制部がJAL123便に「予備用周波数134.0に切り替えられますか」と何回か問い合わせたが、応答がなかった。37分~44分までの7分間、JAL123便と管制部(東京、羽田、横田など)との交信回数はほとんどない。謎の7分間の空白が生まれている。 |
周波数の切り替えの必要も、それに対する応答がないのも異常である。JAL123便は「通信に応ずる状況にはなかったのでは」と云われている、JAL123便は45分には東京管制部や横田基地と連絡をとっているので交信できたはずである。交信に応じなかったのは、この間、他機と交信中であったという説がある。その他機とは自衛隊の軍用機である。なぜ軍用機が出てくるのか。それは、「スコーク77」と関係する。「スコーク77」即ち「エマージェンシー・コール」(緊急通信)が発信されると、ICAO(国際民間航空機関)条約「付属文書2」に規定されている「民間航空機に対する要撃」によって、軍用機がスクランブル発進し、誘導指示を出すことができる。
池田昌昭氏によると、JAL123便の「スコーク77」によって、自衛隊浜松基地から2機の自衛隊機がスクランブル発進し、JAL123便に接近している。それは貴重情報としても、「横田基地へ着陸態勢を取ろうとしていたJAL123便を御巣鷹山方向に誘導した」と解説している。それは如何なものであろうか。18時37分~44分までの空白の7分間、JAL123便は自衛隊機と交信している可能性があり、事故後この部分はボイスレコーダから削除されているフシがあると池田氏はいっている。自衛隊が関連するところは、国家機密として削除することも不可能ではないと云う。これは貴重情報である。
41分55秒 | 東京ACC管制部は、返答がないので已むなく逆に現在東京ACCで管制している関東南A空域を飛行中の全ての航空機の周波数を変えるよう指示している。「All Station, All Station,Except Japan Air 123 And Contact Tokyo Control Change freqency 134.0 and keep silent until further advised」(全飛行中の航空機、日本航空123便を除く全飛行中の航空機は、周波数134.0で東京管制局と交信せよ。なお別途指示があるまで、沈黙を維持されたし)。 |
この時間帯は関東南A空域を航行する飛行機が増えてラッシュアワーのピークを迎える。東京航空管制部はJAL123便の異常を確認した為、他機に対して周波数の切り替えを要求しJAL123便との通信に備えた、と解説されている。
42分 | この頃、機内で、スチュワーデスがアナウンスを流している。最後まで希望を捨てずに、不時着のさいの注意事項を落ち着いて切々と訴えている。「もうすぐ・・赤ちゃん連れの方は座席の背に頭をささえて・・ください。赤ちゃんはしっかり抱いてあげてください。ベルトはしていますか。テーブルは戻してありますか。確認してください。着陸のさいは、あの・・、予告なしで着陸する場合が・・。地上との交信はちゃんとつながっております・・・」。別のスチュワーデスは、木の葉のように揺れる機内で次のようなメモを書いている。「おちついてください。ベルトをはずし身のまわりを用意してください。荷物はもたない。指示にしたがってください。PAX(乗客)への第一声。各DOORの使用可否。機外の火災C、KCREW間C、K。座席ベルトを外した頃、ハイヒール、荷物はもたないで、前の二列、ジャンプして ・・・・・・・以下略」。不時着したさいの脱出方法をアナウンスする注意事項をまとめたものと思われる。 |
43分47秒 | 機首を下げるコントロールの中で、機長が「重たい。もっと、もう少し。あたま下げろ」と指示しており、舵が重たい感覚を訴えている。 |
この時間帯、機体は富士山を右に眺める位置に居た。とは言っても高度は18:38:06の時点で22400ft、速度260kt。ここからまっすぐ東に向かえば最短距離で羽田空港に着く。機長はそう考え、徐々に高度を下げていこうという計算があったと思われる。さかんに「あたま下げて」と口走る。しかし、期せずしてギア(車輪)が降りないことが発覚。この中の会話でオルタネートとは、油圧が効かない時に電力でギアやフラップを動かす事を指す。動作は遅い。因みに非常時モーターはエンジンについている。6時40分30秒から6時44分09秒まで、機体は山梨県大月市周辺上空を囲う様に迷走している。
ここで、第12の異変が発生している。「最大の謎」と云われる。
45分 | 機長が改めて東京ACC管制部に交信している。「JAL123、アンコントロール!(操縦不能)」。 |
45分37秒 | 在日米軍横田基地が日航機123便に直接話しかけて来る。内容は「Japan Air 1-2-3 Japan Air 1-2-3 Yokota Approach On Guard, If You Hear Me,Contact Yokota 121.5」(JAL123便、JAL123便、こちら横田アプローチ。聞こえたら周波数121.5で応答せよ)。 |
東京ACC管制部はこの間、東京都福生市にあるアメリカ極東空軍・横田米軍基地に協力要請している。これにより、米空軍は直ちに、横田基地の滑走路を空け、消防・救急を待機させると同時に、岩国海兵隊基地から通常輸送任務で横田基地に向かっていたC130H輸送機に123便のサーチ・アンド・レスキュー(捜索・救助)を命じている。
この時、横田基地から直接コンタクトがあったことが記録されている。しかし、元々在日米軍と交信するマニュアルがなく、以降も一切横田に応えていない。これは何を意味するのだろうか。嘉手納基地から横田基地へ向かう途中の在日米軍所属C-130輸送機が123便緊急事態発生の無線を傍受している。横田基地は合計13回にわたって「横田基地はスタンバイができている」ことを繰り返しJAL123便に呼びかけているが、JAL123便はなぜかこれに応答していない。
18時46分の時点でJAL123便は、明らかに横田基地に着陸体制にあった。JAL123便の動きを外部から見た場合、今まで北北東に向かっていた飛行機がぐるりと真東に機体を向けて高度を下げつつあったので、パイロットは機体をコントロールできると考えても不思議はない。この時点で横田基地に向かえば、最短距離ですぐに着陸できたと思われる。しかし、横田基地着陸は拒否された。
JAL123便は自衛隊機に御巣鷹山に誘導されたと考えられる。18時47分の時点でJAL123便は向きを大きく北西方向に変えて、墜落地点である御巣鷹山に向かっ降下していくことになる。自衛隊機がJAL123便の前方に出て、飛行進路を遮断するなど妨害し、埼玉・長野・群馬の県境の山岳地帯に向かうよう強引に左旋回飛行指示を出している可能性がある。これに対して、JAL123便の機長は、あくまで「ターンライト」を主張して抵抗している。しかし、結局、横田基地から北方向に向かわされ、御巣鷹山に入っていくことになる。
ここで、第13の異変が発生している。
46分 | 神奈川県相模原市郊外上空。佐々木副機長「え~。今、相模湖まで来ています」。高濱機長は一呼吸置いて、機長「これはダメかもわからんね」。 |
この機長発言の意味が不明である。操縦系統のダメなのか、それとも着陸がダメなのかの二通りに考えられる。何らかの理由で「羽田着陸がダメ」だと云うことを悟らせられたと思える。
「日航機墜落事故で亡くなった人の遺書とメモ書き」の村上良平氏(43際、千葉県柏市。富士電機サービス課)は次のように記している。
「機体が大きく左右にゆれている。18・30 急に降下中。水平ヒコーしている。日本航空18・00大阪行事故 死ぬかもしれない 村上良平。みんな元気でくらして下さい。さようなら 須美子 みき 恭子 賢太郎。18・45 機体は水平で安定して 酸素が少ない気分が悪るい 機内よりがんばろうの声がする。機体がどうなったかのかわからない。18・46 着陸が心配だ。スチュワーデスは冷せいだ」。 |
47分17秒 | もうすぐ東京上空。機長は東京ACCに誘導依頼を行う。機長「Ah—Request Rader Vecter To Haneda Ah--Kisarazu」(あ~、羽田!木更津へのレーダー誘導をお願いする!)。東京ACC管制部「Roger(ここから日本語)了解、しました~。ランウェイ22(22番滑走路。C滑走路の意味)なので、ヘデイング090(磁石方位九十度)をキープ(維持)してください」。機長「ラージャ」。 |
47分17秒 | 東京ACC管制部「現在コントロールできますか」。機長「アンコントローラブルです」。東京ACC管制部「了解」。「Japan Air 123 Contact Tokyo Control,Ar—Tokyo Approach 119.7」(「JAL123、こちら東京ACC,(無線)周波数119・7でコンタクト(交信)せよ」)。機長「119.7 Roger」(119・7 了解!)。 |
ヘッドホンから「ああっ」という声が聞こえている。機内で何が起きているのかは、わからない。
同39秒 | 機長「おい山だぞ」。 |
同43秒 | 機長「山だ」。副操縦士「はい」。 |
同44秒 | 機長「コントロールとれ、右。ライトターン」。同52秒、副操縦士「ライトターンですね?」。 |
同53秒 | 機長「山にぶつかるぞ」。副操縦士「はい」。 |
ここまで、機体の高度約2万フィート(6千メートル)を維持してきていたが、1万フィート(3千メートル)、五千フィート(千五百メートル)、続いて9000フィートまで下がっていた。速度230kt。
客室アナウンスが次のように告げている。「お客様へ・・・・・・ 高度はだいぶ降りてます。もうすぐ酸素は要らなくなります」。「赤ちゃん連れの方は……背に……頭を……座席の背に頭を支えて……にして下さい。赤ちゃんはしっかり抱いて下さい。ベルトはしていますか? テーブルは戻してありますか? 確認して下さい」。「着陸の際は、あの~・・・・・・予告無しで着陸する場合が・・・・・・。地上との交信は繋がっておりますので・・・・・・」。 |
奇跡の生還を果たしたアシスタントパーサーOさんの証言でも裏付けられている。
47分58秒 | 6時47分28秒に鳴り止んだ客室高度警報音(または離陸警報音)が再び鳴り出し、最後まで続く。その途端、機長「マックパワー」。副操縦士「マックパワー」。航空機関士「がんばれー!」。機長「あー、二人でやらなくていい。レフトターンだ」とコクピットに緊張が走る。パワーコントロールとは、エンジン推力で機体挙動をコントロールすることである。この間も横田基地が何度も話しかけている。 |
48分40秒 | 機長「山いくぞ」。副操縦士「はい」。同45秒、機長「でない」。同51秒、副操縦士「ふかしましょうか?」。同52秒、機長「パワー、パワー」。同54秒から49分03秒までの間、かなり荒い機長の呼吸音が続く。 |
49分11秒 | 航空機関士「ふかしましょう、ふかしましょう」。同13秒、機長「ライトターン」。同39秒、機長「あーだめだ、終わりだ」。同41秒、機長「ストール(失速)、マックパワー、マックパワー」。同45秒、機長「ストール」。同46秒、失速警報音が1秒間鳴る。航空機関士「はい高度落ちた」。 |
この時、機体は激しく上下に揺れたと思われる。乗員、乗客に相当の恐怖が走った事は言うまでもないだろう。ここから日航機123便は、ひたすら東京から離れていく。意地でも羽田に帰る事を目指した機長の想いとは逆の方向へ……。
ここで、第14の異変が発生している。
50分09秒 | 機長「どーんと行こうや」。同27秒、機長「がんばれ」。 副操縦士「はい」。 |
この会話のやり取りがのちに「不謹慎な部分」として指摘され、機長に対する批難の槍玉に挙げられることになる。人命のかかった危機的状況での「どーんと行こうや」の意味が不明である。機長は、恐らく失速を避けようとスロットル最大にしてコントロールしていたと思われ、副操縦士を元気づけようとして「あきらめるな!」の意味で言ったと解するべきであろう。この「どーんと行こうや」の言葉は永らく機長遺族を苦しめた言葉だ。しかしその解釈も甘い。事実は、生存率の高さから最も期待されている胴体着陸を目指して「思いきって行こうや」の意味の励ましの言葉であったと解するべきだろう。
6時48分03秒に高度6800ftまで下がっていた機体は51分03秒には9800フィートまで回復。但し、速度は200ktを下回り始める。
53分28秒 | 「えーアンコントロール。ジャパンエア123、アンコントロール」。「了解しました」。 |
この交信の3分後、糸の切れたたこのように画面上を点滅しながら漂っていた機影が止まることになる。
ここで、第15の異変が発生している。
54分20秒 | JAL123便の機長は、「リクエスト・ポジション」を発信している。「自機の位置がわからない」という意味である。これに対して、羽田の東京進入管制所は次のように答えている。「45マイル羽田の北西、熊谷から25マイル西の地点です」。 |
墜落が18時56分とみられるので、54分といえば最終段階になる。日本語で管制所と交信していた機長があえて「リクエスト・ポジション」と英語でいった理由が不明である。これについて、「リクエスト・ポジション」は、要撃された民間機が軍用機に対して使用する用語のひとつであり、池田氏はこの用語を使うことによって、誘導指示した自衛隊機の存在を何らかのかたちで知らせたかったのではないかと推理している。
54分38秒 | 航空機関士「ノースウェストオブハネダ、えー、あー、えー何マイルですか?」。 |
同42秒 | 東京進入管制「はい、そのとおりです。こちらのレーダーでは55マイルノースウェスト。熊谷から、あー、25マイルウェストの地点です。どうぞ」。同55秒、航空機関士「はい了解。熊谷から25マイルウェストだそうです」。 |
55分01秒 | 機長「フラップ降りるね……口答えするな」。同03秒、副操縦士「はい、フラップ、じゅう」。 |
同06秒 | 東京進入管制「日本語で申し上げます。こちらのほうは、あー、アプローチいつでもレディになっております。なお、横田と調整して横田ランディング・アベイラブルになっております」。 |
この時点で、機長は機体の位置が分からなくなっていて、羽田の進入管制に確認させている。既に羽田空港が着陸受け入れ態勢に入っていた。進入管制が横田基地と調整して着陸許可を得ていることも伝えている。
進入管制が「インテンションを聞かせて下さい」と問いかけている。123便は応えていない。 |
しかし、時はもう遅かった……。答える余裕も必要もなかったのだと思われる。
55分27秒 | 機長「あたま(機首)上げろ」。同34秒、副操縦士「ずっと前から支えてます」。同36秒、機内アナウンス「……からの交信はちゃんと繋がっております」。同42秒、副操縦士「パワー」。同43秒、機長「フラップ止めな」。同47秒、機長「パワー、フラップ、みんなでくっついてちゃだめだ」。同49秒、副操縦士「フラップアップ、フラップアップ……」。同51秒、機長「フラップアップ」。副操縦士「はい」。同56秒、機長「パワー、パワー、フラップ」。同59秒、副操縦士「あげてます」。 |
この遣り取りが最期の交信肉声となる。
56分04秒 | 機長「あたま上げろ」。同07秒、機長「あたま上げろ」。同10秒、機長「パワー」。 |
同12秒 | 火災警報音1秒間。カンパニー呼出音1秒間。同14秒、対地警報システムGPWSの地上接近警報「シンク・レイト」。同16秒、GPWS「ウープ・ウープ・プルアップ」。同18秒、GPWS「ウープ・ウープ・プルアップ」。同20秒、GPWS「ウープ・ウープ・プルアップ」。 |
同21秒 | 機長「ああだめだぁ……」。同22秒、GPWS「ウープ・ウープ・プルアップ」。 |
同23秒 | 樹木(松)に最初の衝突。同24秒、GPWS「ウープ・ウープ・プルアップ」。 |
同26秒 | 猛烈な衝撃音。 |
同28秒 | CVR録音終了。 |
ここまでのピット内のクル―、パーサー、スチュワーデスの乗務員一丸の奮闘に謝辞すべきではなかろうか。同時に乗客の御冥福を祈りたい。この事件に関わって亡くなった多くの方々の無念は未だ晴らされてはいない。
2010.8.21日 れんだいこ拝