天命の陳情」氏の事件考

 更新日/2017(平成29).8.19日


 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「識者の1985日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故事件考」を開陳しておく。

 2010.8.16日 れんだいこ拝


 「日航ジャンボ機 御巣鷹山墜落の真相」。
  事故原因の再調査を実現させましょう!

 本の梗概

 『天命の陳情』という本を、2002年3月にやっと世に送り出すことが出来ました。ジャンルはノンフィクションであり、1985年8月12日に発生した日航ジャンボ機(JAL123便)御巣鷹山墜落の事故原因に関するものです。あらすじは、当事故はグリコ・森永事件の犯人達によって引き起こされた可能性があると云うものであり、世間で今まで語られたような常識的な事故原因説を完全に覆したものと言えます。また、
その事故原因に関しては、99%の確率で人為的で意図的な航空機内部爆破にある(貨物室に搭載され仕掛けられていた爆発物を、搭乗していた不審者が、客席からの遠隔操作で爆発させた)との結論を導き出しています。

 空の安全・同様悲劇の再発防止のために、航空事故調査委員会(現・運輸安全委員会、以下、安全委という)による当事故原因の再調査を、一刻も早く実現させることこそが悲願ですが、私が、ここにホーム ページを開設した目的は、気付くのが遅く、この本には記述することが出来なかった重要な事項をインターネット上で紹介し説明したかったからであり、当事故原因の再調査を実現させるための陳情文章を、より充実したものにしたかったからでもあります。
 事故原因再調査の陳情経緯

 私は、当便機と同型ジャンボ機の機長として長らく乗務をしていた者で、空の安全、事故の再発防止と云う観点から、当事故原因に関する意見書を、事故発生の4ヶ月後を皮切りに、過去四回、安全委へ提出し、当事故原因の再調査を陳情し続けている者です。また
私は、安全委見解の事故原因を、真っ向から否定すると共に、当事故には人為的で意図的な航空機内部爆破事件としての可能性が、大いにあると云うことを安全委の他に警察等へも伝えています。

 この本は、安全委・警察等へ提出した意見書等の内容を、より解り易いように修正加筆をしてまとめたもので、安全委・警察への陳情書とも言えるものです。残念ながら、安全委からは二度に亘って、「その再調査はしない」との返事があり、その陳情の扱いに関しては、目下、放置された侭になっています。
 事故調査報告書の事故原因とは

 当機は当事故発生の7年前に大阪国際空港で尻もち着陸をした機体であり、その修理が米国のボーイング社によって行われていた機体でもありました。そのため、この点が大いに問題視され、ボーイング社による後部圧力隔壁(以下隔壁という)の修理にはミスがあったのではないかとの疑いがかけられていました。またボーイング社も、その修理にはミスがあったと云うことを、あっさりと認めていた機体でもありました。

 事故調査報告書の事故原因の内容を要約すると、
① 隔壁の修理ミス部に金属疲労による十数ミリの破損が生じていたが、機内の与圧空気が、このフライトで、ついに、その隔壁を破裂させた。
② 二~三平方メートルもの大きな破裂開口部から客室の与圧空気が、一気にマッハを超える勢いで噴出したため、その時生じた衝撃波と風圧によって、垂直尾翼を含め機体最後部が破壊された。
③最終の墜落原因については、「隔壁が損壊し、引き続いて垂直尾翼、機体最後部及び操縦系統に損壊が生じたための飛行性の低下と主操縦機能の喪失による事故である」と推定されています。

 なお、減圧の規模に関しては、「機内の与圧空気は一気に(数秒で)大気圧まで減圧された」と推定されていますが、このことは、客室高度が数秒間で当日の巡航高度であった24,000フィートへ急上昇をするような大規模な急減圧が発生したと云うことを意味していることになります。この点、はたして、そのような大規模な急減圧が発生していたのかが、事故原因を左右する問題点だと云うことになります。
 報告書の事故原因を崩壊させる確証について

 当機のCVR(操縦室音声録音装置)には、爆発音発生の2.5秒後にプーッ、プーッと云う約1秒間の警報音が録音されていますが、当事故調査上では、その音は離陸警報音であったか、それとも客室高度警報音であったかと云うことが事故原因を左右する分岐点となっています。この点、安全委は、その音は客室高度警報音であったと決め付けて、そのことを根拠・証拠として、与圧空気は一気に(数秒で)大気圧まで抜けるような大規模な急減圧が発生したとしておられます。また、事故原因にしても、そのような大規模な急減圧の発生と共に、隔壁の修理ミス部が破裂し、機体最後部が破壊されたと云うことになります。即ち、安全委見解と云うものは、減圧の規模にしても、事故原因にしても、その音は客室高度警報音であると云うことを前提として成立していると云うことです。従って、その前提を否定する確証が発見された場合は、安全委見解の減圧の規模は否定され、報告書の事故原因も必然的に崩壊することになります。このことから、事故原因は別にあると云うことにもなっていく訳です。この点、私は、その前提を否定する確証を発見しました。その確証とは、以下の二点です。
 確証Ⅰ 爆発音発生の数秒後には、PRA(録音テープ)によるアナウンスが流されていないこと。
 確証Ⅱ 爆発音発生の30秒後から、客室高度警報音が鳴り始めていること。
  この二点は事故原因を究明するために、わざわざ航空機への設置が義務付けられた当機のCVRに録音されていたものであり、安全委自身によって解読されていたものです。従って、この二点は誰も否定することが出来ない確証であり、CVRは、その物証だと云うことにもなります。安全委は、これらの確証が存在していることには、全く気付き得ず、また、これらが何を意味しているのかについても理解をしておられないと云うことになりますが、これらは、与圧空気は数秒では大気圧までは抜けておらず、そのような大規模な急減圧は、決して発生していないと云うことを、明白に立証していることなのです。これらの確証が発見されたことで、安全委の調査には、特に減圧の規模という点で、事実の認定に重大な誤りがあると断言が出来ますし、報告書の事故原因は必然的に崩壊しているとも断言が出来ます。この点について、より詳しく説明することと致しますが、その前に客室高度、客室高度警報音、離陸警報音、PRAについて説明をしておく必要がありますので、まず、これらの点について説明しておきます。
① 客室高度とは、機内と機外の圧力の差を海面からの高さに換算したものであり、飛行中の客室の高度のことです。ちなみに、爆発音が発生した時点の当機の客室高度は、当機種の与圧チャートから、約500フィートであったと云うことが判明しました。
② 客室高度警報音とは、急減圧の発生を報せるもので、上空で客室高度が10,000フィートへ上昇した時点で鳴る警報音のことです。
③ 離陸警報音とは、離陸するための要件が満たされていないことを報せるもので、離陸直前に地上で鳴る警報音のことです。
④ PRAとは、あらかじめ録音されたテープによるアナウンスのことであり、そのアナウンスは、機内で急減圧が発生した場合で、客室高度が10,000フィートに上昇した時点で、まず客室高度警報音が鳴り始め、その後、客室高度が14,000フィートに上昇した時点で、酸素マスクの自動落下があり、それに引き続き自動的に流されるものです。
 確証Ⅰの説明

 PRAによるアナウンスと云うものは、急減圧が発生し客室高度が14,000フィートに上昇した時点で、自動的に流されるものです。従って、与圧空気は一気に(数秒で)大気圧まで抜けたとの安全委見解であれば、爆発音発生の数秒後からは、当然PRAによるアナウンスが流され続けていなくてはなりません。しかし、そのアナウンスは、流されていません。この不可解な点について、以下に説明します。男性パーサーは、爆発音発生の10秒後である18時24分44秒に、早々と「酸素マスクを着けて下さい」とのアナウンスをしています。このことから、この時点では大規模な急減圧が発生していたと思われがちです。しかし、それは間違いだと思われますので、まず、この点について説明します。

 男性パーサーが、そのアナウンスを、早々とした理由は、耳詰まりがして客室内が白濁し、酸素マスクが落下したため、大規模な急減圧が発生したと早合点・勘違いをしてそのアナウンスをしたと思われます。即ち、男性パーサーに大規模な急減圧が発生したとの早合点と勘違いが生じていたため、早々と「酸素マスクを着けて下さい」とのアナウンスをしてしまったと云うことであり、この時点では、大規模な急減圧は発生していないのではないかと云うことです。


 なお、酸素マスクの落下については、次のように思います。
 爆発音発生の41秒後である18時25分15秒からPRAによるアナウンスが流されていることから、酸素マスクは一回で、全てのマスクが落下したのではなく、二回に分けて落下していると思われます。この点、一回目の酸素マスクの落下原因は、急減圧発生による正規な落下ではなく、爆発による衝撃または機の大動揺が起因していると思われます。また、その時点では、酸素マスクの全てが落下したのではなく、酸素マスクの一部だけが落下していると思います。その後、ある程度の間隔を開けて、二回目の酸素マスクの落下があっていると思います。また、それは減圧発生による正規なマスクの落下であったと思いますし、その時点で、全ての酸素マスクが落下しているとも思います。即ち、一回目の酸素マスクの落下原因は、急減圧発生による正規な落下ではなく、爆発による衝撃または機の大動揺が起因していると云うことです。一方、安全委は酸素マスクの落下に関しては、一回で全てのマスクが落下したと判断しておられるようで、「機内の与圧空気は、一気に(数秒で)大気圧まで抜けた」としておられますので、 客室高度は数秒で、当機の巡航高度であった24,000フィートへ急上昇をしたと云うことになります。


 安全委が、このような大規模な急減圧が発生したと想定された理由は、耳詰まりがして、客室内が白濁し、酸素マスクの一部が落下した他に、爆発音発生の2.5秒後にプーッ、プーッと云う警報音が約一秒間、CVRに録音されていたためであろうと思います。しかし、この点に関しては、安全委にもパーサーと同様な、早合点・勘違いが生じていると思われますので、この点についても説明しておきます。まず、爆発音発生の2.5秒後に鳴ったプーッ、プーッと云う約一秒間の警報音が鳴った理由と、その警報音が、どうして約一秒間だけ鳴って消えてしまったのか、その理由についても説明しますが、私は作動油圧系統が破壊されたため、その油圧損失と機体に生じた衝撃または大動揺が、タイミング的に一瞬、重なっていると思います。そのため、ボディ ギヤー(胴体脚)のティルト角(7度19分の傾斜角)がグランド モードに一瞬変化し、離陸警報音を鳴らすための要件が満たされ、このプーッ、プーッと云う警報音がその一瞬(約一秒間)だけ鳴り、その後、鳴り止んでしまったと思われます。この点、私は、このプーッ、プーッと云う音は、上空であったにも拘わらず、離陸警報音として鳴ったものであり、客室高度警報音として鳴ったものではなかったと云うことに気付いたと云うことですが、安全委は、このことに全く気付き得ず、減圧の規模に関しては、男性パーサーと同様に、大規模な急減圧が発生したと早合点・勘違いをしておられると云うことです。即ち、この両者の早合点・勘違いと云うものが、結果的に大変な調査ミスに繋がっていったと思われると云うことでもあります。安全委は爆発音発生の2.5秒後に鳴った約1秒間の警報音については、それは客室高度警報音であったとしておられるようですが、それが客室高度警報音であったか、それとも離陸警報音であったかについて、もう少し説明することと致します。

 客室高度警報音と離陸警報音には、どちらにも全く同じ音が使用されており、その音はプーッ、プーッ、プーッという断続的な音です。即ち、そのプーッ、プーッ、プーッと云う断続的な音は、一つで二種類の警報音の役目をしているものと云うことです。そのため、この音が鳴った場合は、どちらの警報音として鳴ったかの識別が難しいと云うことになる訳ですが、この点をはっきりさせるため、この音が上空で鳴った場合は、それは客室高度警報音であることを意味し、地上で鳴った場合は、それは離陸警報音であることを意味するようになっているものです。その仕組みは脚のティルト角(傾斜角)と言われるものが関係していることでもあります。急減圧発生時、その減圧の規模を論じる場合は、客室高度警報音が何時鳴ったかがキーポイントとなりますが、幸いにも、当機CVRの音声の一部を、インターネット上で聞くことが出来ます。そこには、このプーッ、プーッと云う断続的な音が爆発音発生の2.5秒後に約一秒間だけ録音されています。その他に爆発音発生の30秒後からも、この音が鳴り始めていることが、安全委によって解読されています。従って、どの時点で鳴り始めた音が、急減圧の発生を報せる客室高度警報音であったかと云うことが問題になる訳です。この点、安全委は爆発音発生の2.5秒後に鳴った一秒間程の警報音を客室高度警報音であったと決め付けておられます。安全委が、そのように決め付けられた理由は、離陸警報音と云うものは上空では鳴らないものと学習をしておられたからだとも思われますが、そこには大変に気付きにくい落とし穴がありましたので、その落とし穴についても説明しておきます。このプーッ、プーッ、プーッと云う音は、本来なら上空では客室高度警報音として鳴るものであり、離陸警報音としては鳴らないものです。そのため、上空で、この音が鳴った場合は、それは急減圧の発生を報せる客室高度警報音が鳴ったものと早合点をされ易いところがあります。その他に、このプーッ、プーッ、プーッと云う音は作動油圧損失時には、上空であっても、離陸警報音として鳴る可能性があると言われている代物であり、この音が、上空で、しかも作動油圧損失状態で鳴った場合は、それは、どちらの警報音として鳴ったものかの判別が、益々曖昧となる訳です。この点が落とし穴と言えるところです。

 安全委は、この落とし穴があることには全く気付き得ないまま、爆発音発生の2.5秒後に鳴った約一秒間の警報音を急減圧の発生を報せる客室高度警報音であったと決め付けて、そのことを根拠・証拠として、与圧空気は数秒で大気圧まで抜けるような大規模な急減圧が発生したとの結論を導き出しておられる訳です。しかし、それは安全委の早合点であり、大変な勘違いだと思われます。この点、その約一秒間の警報音が鳴った理由は、爆発物の爆発で、作動油圧系統が破壊され、作動油圧が失われた他に、その爆発で機体に衝撃と大動揺が走り、脚のティルト角がフライト モードからグランド モードに一瞬変化したためだと思います。即ち、私は爆発音発生の2.5秒後に鳴った約一秒間の警報音は客室高度警報音ではなく、上空であったにも関わらず離陸警報音として鳴ったものであったと云うことに気付いたと云うことです。この点、安全委見解は、減圧の規模にしても、事故原因にしても、この約一秒間の警報音は客室高度警報音であったとして、そのことを前提として成立しているものですが、その前提は否定されることになります。従って、「与圧空気が一気にマッハを超える勢いで噴出するような大規模な急減圧が発生した」との安全委見解は完全に否定され、報告書の事故原因も必然的に崩壊すると云うことでもあります。なお、客室高度警報音の消え方についてですが、ホーン カット アウト スイッチで消した場合は、その警報音はプツッと瞬時にして、完全に消音されてしまいます。しかし、インターネット上で流されている、この一秒間の警報音の消え方には、自然と消える感じの不思議な余韻が残っています。即ち、警報音の消え方に違いがあると云うことであり、インターネット上の警報音の消え方は、客室高度警報音をホーン カット アウト スイッチで消した時の消え方ではないと云うことです。私は、このことからも、爆発音発生の2.5秒後に鳴った一秒程の警報音は、離陸警報音として鳴ったものであり、客室高度警報音ではなかったと思います。また、このプーッ、プーッと云う警報音が、どうして約一秒間だけ鳴り、消えてしまったのかについてですが、安全委はコクピット クルーがホーン カット アウト スイッチと言われるもので約一秒後に消したためだとしておられます。しかし、それはあまりにも無謀な推測だと思います。何故なら、一秒程では何の警報音であるのかさえも分からないし、警報音と云うものは、その警報の内容が分かり、うるさいと感じた時、消されるものであるからです。即ち、コクピット クルーがホーン カット アウト スイッチで1秒程で消したのではなく、機体に生じた衝撃または大動揺が一瞬であったため、約一秒程で自然と消えてしまったと云うことです。私は、この客室高度警報音をコクピット クルーが一秒程で消したとの安全委の無謀な推定が、結果として、大規模な急減圧が発生したとの見解に繋がり、引いては隔壁の修理ミスが起因したとの安全委見解に繋がっていったと思います。 なお、このプーッ、プーッと云う音は、その後も何回か繰り返し鳴っていますが、その理由は、フゴイド運動でボディ ギヤーのティルト角がグランド モードになった時、自動的に離陸警報音として鳴り始め、フライト モードになった時鳴り止んだためだと思います。これらのことが、爆発音発生の2.5秒後に鳴った約一秒間の警報音は、客室高度警報音ではなかったと云うことが判明した理由であり、大規模な急減圧が発生したとする安全委見解が否定され、崩壊する所以でもあります。結論として、安全委見解には減圧の規模と云う点で重大な調査ミスが生じていると云うことであり、爆発音発生の数秒後に、PRAによるアナウンスが流されていないと云うことは、その時点では、客室高度は当日の巡航高度である24,000フィートはおろか14,000フィートへも、未だ上昇していないと云うことを明白に立証していたと云うことです。従って、一気に(数秒で)大気圧まで減圧されるような大規模な急減圧が発生したとする安全委見解は成立せず、報告書の事故原因の全体も必然的に崩壊し、事故原因は別にあると云うことにもなります。     
 確証Ⅱの説明

 急減圧には大規模な急減圧もあれば、小規模な急減圧もあります。また減圧の規模と云うものは、目に見えないものであり、その証拠を示すことは難しいことです。しかし、当事故の場合は、幸いにも、その規模を客室高度の上昇率に換算して数値で示すことが出来ます。爆発音発生の2.5秒後に鳴った約1秒程の警報音は客室高度警報音ではなかったと云うことであれば、どの音が客室高度警報音であったかと云うことになりますが、それは18時25分04秒に鳴った警報音こそが客室高度警報音だと思います。その理由は、その時点では、PRAによるアナウンスが流されており、客室高度が14,000フィート以上に上昇していることが、ちゃんと立証されているからです。客室高度警報音は、上空で急減圧が発生し、客室高度が10,000フィートに上昇した時点で鳴り始めるものです。従って、18時25分04秒の時刻と云うものは、爆発音発生の30秒後に、客室高度が、やっと10,000フィートへ上昇したことを意味していることになります。このことから、客室高度の上昇率に換算した爆発音発生後の30秒間の、実際の減圧の規模も、平均の数値として示すことが出来ることになります。また、その規模は、当機種の与圧チャートを基にして、平均で毎分19,000フィートであったと云うことが判明しました。しかし、安全委は、この時刻に注目されなかったため、これらのことに全く気付いておられないと云うことになります。

 一方、安全委は、生存者・落合さんの証言(減圧は起こったことは起こったけれど、ものすごい急減圧という感じではなかった)及び日乗連等からの「急減圧はなかった・・・」との意見があったにも関わらず、それを無視し、コクピットクルーが客室高度警報音を消音スイッチと言われるもので、一秒後に消したとして、爆発音発生の数秒後には、客室高度が巡航高度である24,000フィートへ急上昇をしたと、頑なに主張しておられたことになります。この点、安全委は、減圧の規模に関しては、毎分300,000フィートであったと想定しておられるようでもあります。なお、私は、隔壁には2~3平方メートルもの大きな開口は生じていないと思います。また、与圧空気は大気圧までは抜けてはいないとも思います。この点、開口は、より小さく、当機は、飛行中いくらかの与圧がなされ続けていたとも思われ、そのことが乗員の酸素マスク無着用の飛行を可能にしたとも思われます。結論として、私は、客室高度警報音が正規に鳴り始めた時刻は、爆発音発生の30秒後の18時25分04秒であったと云うことに気付いたと云うことであり、実際の減圧の規模も判明したと云うことです。また、その時刻と云うものが、安全委見解のような大規模な急減圧は、決して発生していないとの確証となっていたと云うことでもあります。


 以上を総合して、安全委の調査には、発音発生の2.5秒後に鳴った一秒間の警報音を、離陸警報音ではなく、急減圧の発生を報せる客室高度警報音であると勘違いをしたと云う調査ミスと 客室高度警報音が正規に鳴り始めた時刻(18時25分04秒)を見落としたと云う二つの調査ミスが重なっていると云うことになります。この点は、事故原因究明の鍵となるところであり、事故原因を左右する分岐点であったとも思います。従って、この二点の調査ミスと云うものは、安全委自身に、自己の調査には重大な調査ミスがあると云うことを、早急に気付いてもらうためにも、大いに指摘し、もっと公にする必要があると思います。安全委見解と云うものは、減圧の規模にしても、事故原因にしても、爆発音発生の2.5秒後に鳴った約一秒程の警報音は客室高度警報音であると云うことを前提として成立しているのですが、その前提が否定されるため、事故原因そのものが崩壊するのです。この点、安全委にも、上記二つの確証の意味については、はっきりと理解をして頂きたいところでもあります。
 追記

 最終報告書には、爆発音発生の41秒後である18時25分15秒からPRAによるアナウンスが流されていることが記されているが、そこには「ベルトを締めてください」との文言が記載されている。この点について安全委関係者と思われる人物から、それは2順目のアナウンスではないかとの指摘があった。この指摘は、隔壁の修理ミス部が与圧の力のみの作用で破裂して、大規模な急減圧が発生したと云うことを主張すると共に、ボーイング社が隔壁の修理ミスを認めていたことを、これ幸いに、事故原因としては、隔壁の修理ミスが起因したと云う結論を導き出そうとしているのであるが、私は、その時点でのアナウンスの出だしの文言は、「ベルトを締めてください・・・」ではなく、「ただいま緊急降下中・・・」であろうと思う。また、それは2順目のアナウンスではなく、初回のアナウンスだとも思う。この点については、隔壁の修理ミスが起因したとの結論を導き出したいための安全委によるトリック・捏造と云うことが大いに考えられる。即ち、パーサーによるPA(客室放送)には優先権があることに目を付けて、あたかも2順目のアナウンスであるかのように、時間的にも逆算し、アナウンスの出だしの文言を「ベルトを締めてください」と捏造し、最終報告書に記載した可能性があると云うことである。従って、この点については、日航が保存しておられるCVRには、はたして、どちらの文言が出だしの文言として録音されているかの再調査が必要だと云うことを、ここに付記しておく。ちなみに、第一次中間報告では「ただいま緊急降下中・・・」との文言が最初の言葉として記されている。

 その他に、1985年9月14日の中間報告を境に、安全委の委員長及び委員の半数が、任期で交替しておられるが、この交替も、このトリック・捏造をし易くしたと思われる。また、DFDR(フライト レコーダー)、CVRは門外不出とされているが、それらが不出とされている理由は、このトリック・捏造がなされていることが発覚する恐れがあるからだとも思われる。なお、安全委見解のような大規模な急減圧が生じていたか否かについては、DFDRで客室内の差圧の変化を調査するだけで、すぐに判明することであり、その調査をすることが先決だと云うことも、ここに付記しておきます。
 再調査陳情の要点

 (1)乗務員の奇異な会話について

 CVR上には、爆発音が発生する22秒前から、機内では通常は交わされない奇異な会話が録音されています。その奇異な会話とは、客室乗務員(スチュワーデス)とコクピット クルー間で交わされた約7秒間の会話のことであり、特に、その会話の中にある「スイッチを押している方がいらっしゃるんですが、よろしいでしょうか?」との客室乗務員が発した文言のことです。この奇異な会話の音声に関しては、上ずる声とのことで、周波数的に相当な緊張が走っていると云うことが安全委自身の調査によって解明されていました。また操縦室内は爆発音発生前に、既に緊迫し、乗務員は何らかの異常を感知していたようだと云うことも、その調査で解明されていました。しかし、何故に爆発音発生前に、乗務員の精神緊張度が高ぶり始めていたのかについては解明することが出来なかったとされ、この点に関する究明は放置された侭になっていたものです。この文言を含めた約7秒間の奇異な会話の一言一句を深く考察すると、当便機には挙動不審者が搭乗していたと云うことが大いに考えられます。また爆弾等の爆発物が受託手荷物として後方貨物室のバルク カーゴ ルームに搭載され、その爆発物を爆発させるため、その挙動不審者が客席で遠隔操作装置のスイッチを操作していたと云うことが考えられます。

 安全委は、この会話の内容・意味に関しては、トイレの用足し、乗客の要望等に関係したものとして処理しておられるようですが、私には、この会話の内容はそのようなものとは、とても思えません。また、スイッチとは電気・電子機器のスイッチのことだと思いますし、「よろしいでしょうか」の文言の意味については、次のように思います。当便では、或る乗客がトランシーバーか、遠隔操作(リモコン)装置のような電気・電子機器のスイッチを客席で操作しているように思われますし、或るスチュワーデスが、その場面を目撃しているようにも思われます。そのため、そのようなもののスイッチを客席で操作する行為は飛行計器等に悪影響とはならないか、その行為に対しては、何の対応もせずに、だまっていてもよろしいでしょうかとの意味で、その判断・指示を、そのスチュワーデスが機長へ仰いだのではないかと推察します。これらの点については、本で時系列的に詳しく説明していますが、スチュワーデスが目撃したものはトランシーバーではなく、結果的には遠隔操作装置であったと云うことになります。

 なお、この奇異な会話の文言は、聴聞会及び最終報告書では「たいとおっしゃる方がいらっしゃるんですが、よろしいでしょうか?」との文言に訂正されています。しかし、その訂正には安全委による捏造と云うことが大いに考えられます。また最近、出所不明のCVRの音声がインターネット上で流されていますが、その音声も手直しされたものが流されていると思われますので、これらの点についても説明しておきます。

 私は当事故発生の四ヶ月後に、爆発音発生前の乗務員による約7秒間の会話は、通常は交わされないものであり、非常に奇異な会話であると云うことを安全委へ伝えています。また、スイッチとは遠隔操作装置のスイッチのことではないかと云うことを伝え、この部分の音声の一言一句を緻密に再調査をして頂きたいと云うことを安全委へ伝えています。その他に、この文言の音声が録音されていることで、当事故には人為的で意図的な航空機内部爆破の可能性と云うものが大いに考えられると云うことも伝えています。即ち、安全委は私からの意見書の提出で、事故原因として当事故には航空機内部爆破の可能性があると云うことについては、その時点で、既に予備知識として察知しておられたと云うことです。そのため「スイッチを押している方がいらっしゃるんですが、よろしいでしょうか?」との文言をその侭にしておけば、スイッチとは何のスイッチのことかと云うことになり、人為的で意図的な航空機内部爆破の可能性と云うものが、後々までも問題として残ることになります。安全委は、この点を非常に心配されたと思われます。そのため、この部分の文言をトイレの用足し、乗客の要望等が関係した通常の会話のように装うことを考えられたと思われます。以上の理由で、「スイッチを押している方がいらっしゃるんですが、よろしいでしょうか?」との文言に解読されていたものが「たいとおっしゃる方がいらっしゃるんですが、よろしいでしょうか?」との文言に捏造され、訂正された可能性が大いにあると云うことです。

 また、最近インターネット上で流されている出所不明のCVRの、その部分の音声には、確かに何の緊張感も無く、CAの言葉も明瞭に録音されています。しかし、明瞭であればあるほどに、安全委が、その部分の音声を聞き違えられるとは思えないと云うことになります。即ち、インターネット上で流されている出所不明のCVRの音声が、緊張感も無く、明瞭に録音されていることで、かえって、その部分の音声は手直しされていると云うことが考えられると云うことです。この点、私はJALが保存しておられる実物のCVRには「スイッチを押している方がいらっしゃるんですが、よろしいでしょうか?」との文言が録音されているように思います。結論として、爆発音発生前の乗務員による奇異な会話の音声の文言に関しては、出所不明のインターネット上の、CVRの音声ではなく、JALが保存しておられる実物のCVRで、そのCVRには、どちらの文言の音声が録音されているのかを、緻密に再調査する必要があると云うことです。
 (2)煙の発生について

 
生存者は爆発音発生時の状況については、「耳を押さえたくなるような、すごく響く音がした」、「ドーンとものすごい音がして、目が覚めた。煙が出た・・・」、「前と後ろから白い煙のようなものが出てきて、口の中がしびれた ・・・」と証言しておられます。また乗客の河口博次さんが機内でメモされた遺書には「何か機内で爆発したような形で煙が出て・・・」とあります。また東伊豆、河津町のタクシー運転士・近持さん(当時58歳)、渡辺さん(当時51歳)は、伊豆急線河津駅前のベンチで休憩中に、この瞬間を目撃したとのことで、「海側の北東上空で、雷のようなボーンという音がした。見上げると、ジャンボ機は機体後部から灰色の煙を出して、駅の上まで水平飛行した・・・。煙はバスが急坂を上がるとき出す排ガスの色・・・。その煙は十メートルほど尾を引いていたが、すぐ薄くなった・・・」と証言しておられます。この点、目撃者は煙の色については、わざわざ、種々の表現で詳しく説明しておられますので、霧ではなく、煙そのものであり、その排出であったことを強調しておられたと思います。しかし安全委は、機内に煙そのものが発生したと云うことには、全く気付き得ず、急減圧の発生により、霧だけが機内に発生し、その霧が機外に排出されたとしておられるようです。

 
安全委見解の隔壁破裂では、霧の発生はあっても、機内で煙が発生することは、全く考えられません。この点、安全委は、急減圧発生時は霧が発生するとの航空関係者が持つ知識が逆効果となり、機内では霧だけが発生し、煙は発生していないと早合点・勘違いをしておられると思われます。そのため近持さんの「煙が発生していた」との、折角の強調・主張も聞き入れてもらえず、打ち消されてしまったと思われます。また世間にも、この安全委見解が植え付けられてしまい、「煙の発生」が、勝手に「霧の発生」に摩り替えられ、今も機内では霧だけが発生したと誤解された侭になっているように思います。私は、この摩り替えが、事故原因究明上で大変な調査ミスに繋がっていったと思います。即ち、安全委が機内では煙が発生していると云うことに気付いていたなら、全く違った事故原因となっていたであろうと云うことです。

 機内で「霧が発生した」との確たる証言・証拠は、何処にも見当たりませんし、減圧の規模からしても、霧が発生したため白濁したと云うよりも、爆発物が爆発し、その時発生した煙等が拡散されたため客室内が白濁したと思われます。その他に、それらが機内に一瞬拡散された後、機外に排出されたと云うことが考えられ、生存者は作動油の霧状液、硝煙等を吸い込んだため口の中が一瞬しびれたと云うことも考えられます。私は、この「煙の発生」に関する証言は、事故原因を左右することであり、大変に貴重で重要な証言であったと思います。この点に関しては、安全委は非常に調査不足、考察不足であり残念でなりません。

 なお、当事故原因に関しては、自衛隊、米軍等の関与説まで飛び出しており、ミサイルを含め何らかの飛行物体が、当機の尾部に命中・衝突したとする説が、世間には根強くあります。しかし、もしそうであれば、その時生じる煙は、空中の一点に、ポッカリと浮かんで見えるであろうし、煙の尾を引くと云うことは考えられません。この点、近持・渡辺証言からすると、機内で発生した煙が、機外へ煙の尾を引いて排出されていたと云うことになります。従って、この「煙の尾を引いていた」との証言があることで、何らかの飛行物体が、当機の尾部に命中・衝突したとする説は成立せず、自衛隊、米軍等の関与説は否定されると云うことになります。

 結論として、目撃者証言からすると、当事故では機外でではなく、機内で煙等が発生し、それらが客室に拡散された後、尾部の破壊部から機外に排出されたと思われると云うことです。この点、安全委は機内で煙等が発生したことを見落としておられると云うことですが、耳を押さえたくなるような甲高い音と煙を、同時に発生させる現象としては、機内で爆弾等の爆発物が爆発して煙等を発生させた以外のことは、何も考えられないと云うことでもあります。
 (3)爆発音の音響解析図

 1985年9月15日の各社新聞で公表された爆発音の音響解析図の波形を考察すると、隔壁の破裂に先立って、何かの爆発物が機内で爆発したと云うことを、大いに示唆するところがあります。また安全委が言われる衝撃波の発生は、隔壁の破裂で生じたのではなく、爆弾等の爆発で生じていると云うことが考えられます。これらのことから、隔壁の破裂は与圧の力だけの作用によるのではなく、爆弾等が爆発したため、その時の爆風によって、隔壁が破壊されたと云うことが、十分に考え出され、隔壁破裂で生じた衝撃波と風圧が、垂直尾翼を含め機体最後部を破壊したとする安全見解そのものが、否定される可能性が大いにあります。下図は、その音響解析図ですが、安全委は下図の①の音響を隔壁の破裂音であるとしておられます。しかし私は、そうではなく、②の音響こそが隔壁の破裂音だと思います。その理由は②の頭部に三本の毛羽立ちが確認できるからです。また①の音響は爆弾等の爆発音ではないかと考えますので、これらの点について、以下に説明します。

 隔壁にはティア ストラップ(環状の補強索)と言われるものが、四本も円形状に付設されており、隔壁は、与圧の力だけの作用では、一挙に破裂しないように補強されています。従って、隔壁の破裂音と云うものは、①のような鋭く尖った波形とはなりにくいと思いますし、その音は②のような右上がりの上昇勾配をした波形となり、波形は毛羽立つのが当然だと思います。即ち、②の頭部に三本の毛羽立ちが確認できることから、②の音響こそが隔壁の破裂音ではないのかと云うことです。このことはタイミング的にも言えます。安全委は、①の音響を隔壁の破裂音であり、主音であるとしておられますが、そうではなく、①の音響は爆弾等の爆発音であり、その音響こそが主音であったと思われます。この点、安全委はボーイング社が隔壁の修理ミスを、早々と認めていたため、無理に事故原因をそこに結び付けようとして、①の音響が隔壁破裂音であり、主音であるとしておられるように思われます。

 また、③④等の音響は、何の破裂音であるのかについては、隔壁後方にあるAPU防火壁、垂直尾翼を含めた機体最後部等の破裂音ではないかと思われます。なお、ティア ストラップの図解については、本の参考資料で紹介しています。結論として、安全委は①と②の音響に関しては、大変な勘違いをしておられるのではないかと云うことです。また隔壁は与圧の力だけの作用で破裂したのではなく、爆弾等の爆発物が隔壁よりも前方で爆発したため、その時の爆風が与圧の力に加算され、隔壁に付設されているティア ストラップさえも切断し、隔壁を破壊したと云うことが大いに考えられると云うことです。
 (4)爆発物の爆発場所

 当事故では爆発音発生の11分後である18時35分34秒に、乗員により「R5ドアがブロークンしました」との報告が地上局へなされています。この報告の内容と意味の解明は、非常に難しかったと思われますが、事故調は、その内容・意味については「R5ドアが破壊されたことについての意味ではなく、R5ドア近辺の、一部乗客の酸素マスクからの、酸素の出方の不具合のことであろう」と解釈しておられます。しかし私には、そのようには思えません。その理由は、この報告の他に「口の中がしびれた・・・」、「R5ドア近くの乗客が携帯用酸素ボンベのマスクを着けてもらっていた」、墜落現場では「油の匂いがした」等の生存者による証言があるからです。
これらの証言があることから、隔壁より前方にあるバルク カーゴ ルーム(後方貨物室の後方)で、何かの爆発物が爆発したため、R5ドア前方近辺の床部に、何らかの異変・損壊が生じているように思います。また、バルク カーゴ ルームの天井裏で作動油圧系統のチューブが破壊されたため、作動油が霧状液となって噴出したと云うことが考えられます。その他に、その時の爆風で、作動油の霧状液及び煙等が客室に、一瞬拡散されたと云うことが考えられますし、そのため客室内が白濁したと云うことも十分考えられます。その他に、R5ドア前方(座席56J)の乗客が、足元からの爆風で重傷を負っていると云うことも考え出されます。即ち、「R5ドアがブロークンしました」との報告がなされていることで、当事故では、仕掛けられていた爆発物が預託手荷物として預けられ、バルク カーゴ ルームに搭載され、その爆発物が、客席からの遠隔操作で爆発したと云うことが、大いに考えられると云うことでもあります。

 私は、「R5ドアがブロークンしました」との報告の内容は、機内で爆発があり、R5ドア近辺に何らかの異変・損壊が生じているようだと云うことを簡略的に地上局へ伝えようとしたものではないかと思います。なお、バルク カーゴ ルームはコンテナーによる搭載をするところではなく、駆け込み乗客の預託手荷物がばら積みされるところですが、そこで発生した煙、作動油の霧状液等が客室へ、どのように拡散されたのかについては、本で説明しています。またバルク カーゴ ルームの位置・側面図については、本の304ページで紹介しています。結論として、当事故では、バルク カーゴ ルームに搭載されていた爆発物が、客席からの遠隔操作で爆発した可能性があると云うことです。また「R5ドアがブロークンしました」との地上局への報告の解釈に関しては、安全委には重大な解釈ミスがあるのではないかと云うことでもあります
 (5)生存者の証言

 
生存者・川上さんは墜落後、「気がつくと、真っ暗で、油くさい匂いがした」と証言しておられます。また落合さんは、墜落後の状況を「すごく臭かった。機械の匂いです。油っぽいというより、機械室に入ったときに感じるような機械の匂いです」と証言しておられます。私は、この点については、本で説明していますが、その匂いは燃料、エンジン オイル、APU オイル等の匂いではなく、作動油の匂いだと思います。また、これらの証言があることから、作動油圧系統が破壊された場所は隔壁より前方であるバルク カーゴ ルームの天井裏であったと云うことが大いに考え出されます。このことから、作動油圧系統は「隔壁の後方にあるアフト トルク ボックスで破壊された」と云う安全委見解が、真っ向から否定される可能性がありますので、この点について説明しておきます。当事故ではバルク カーゴ ルームに搭載されていた爆発物が客席からの遠隔操作で爆発していると思われます。そのため、その時の爆風で、作動油圧系統がバルク カーゴ ルームの天井裏で破壊され、作動油が霧状液となり噴出したと思われます。その後、その霧状液が床に落下し、床で再度液体化し、液体化した作動油が後方貨物室の床に溜まった侭、飛行を続けていたと云うことが考えられます。このことから墜落現場の後部胴体の客室では機械室の匂いがしたと思われると云うことです。以上のことは、作動油圧系統は「隔壁の後方にあるアフト トルク ボックスで破壊された」との安全委見解を、真っ向から否定することであり、報告書の事故原因が崩壊することでもあります。何故なら、報告書の事故原因は作動油圧系統が破壊された場所は隔壁の後方でなければ成立しないからです。私は、この「油くさい匂いがした」「機械室の匂いがした」との証言は、作動油圧系統が破壊された場所を特定するための、非常に重要で貴重な証言であると思います。また作動油圧系統は隔壁より前方で破壊されたと云うことを特定するための墜落現場に於ける貴重な物的証拠にもなると考えます。


 なお、作動油は全系統では、ドラム缶にして、3.6本分の量がありますが、作動油圧系統が隔壁の後方にあるアフト トルク ボックスで破壊された場合、墜落現場の後部胴体の客室で、すごく臭い機械室の匂いがするかについては大いに疑問です。何故なら、その場合は、作動油の霧状液の全てが飛行中に胴体後部の破壊口から空中へ飛散し放出されてしまうと思われるからであり、それらは隔壁より前方へは来ないと思われるからです。結論として、生存者によるこれらの証言があることで、作動油圧系統は「隔壁の後方にあるアフト トルク ボックスで破壊された」と云う安全委見解は、真っ向から否定されると云うことであり、事故原因そのものが成立しないと云うことです。以上の五点に関しては、遅れながら、証言者等への事情聴取による再確認と再調査が必要不可欠だと考えます。
 他の事件との関連

 (1)グリコ・森永事件との関連について


 この事件は、当事故発生の一年五ヶ月前である1984年3月12日夜、江崎グリコの江崎社長が入浴中に拉致・監禁され、金額十億円と金塊百キロク゛ラムを強要された事件でした。また店頭の森永製菓の製品に、毒物である青酸ソーダーが混入されたため、世間が騒然となった他に、食品メーカーの六社(江崎グリコ、丸大食品、森永製菓、ハウス食品工業、不二家、駿河屋)が次々と、多額の金額を強要された前代未聞の大脅迫事件でした。この事件との関連性については、私が、たまたま知人から、次のような情報を得たことで気付き得たことです。その情報とは、「グリコ・森永事件の捜査を担当された大阪府警の或る捜査官が、全国に指名手配されていたグリコ・森永事件でのキツネ目をしたモンタージュ写真の人物は、JAL123便機の事故で死亡したようだと見ておられたと云うことが、或る雑誌に載っていた」と云うものでした。私が、この情報に驚き、グリコ・森永事件の内容を調べる内に、本の第七章で説明しているような関連性があると云うことに気付いたため、群馬県警、大阪府警等の警察関係者へも、その関連性を伝え、この点についての調査・捜査を要請した次第です。私は、この事件との関連については、確証と言えるものがなく、論拠が稀薄であるため、この本では一つの可能性と云うことに留めていますが、その関連性については、最近、インターネット上でも問題視されており、とても一笑出来ないものがあります。

 このグリコ・森永事件では、当機墜落の当日に合わせたかのように1985年8月12日に、「くいものの会社いびるのもうやめや・・・」との犯行終結文が、わざわざ犯人側から出されています。また、1985年8月14日の読売新聞によると、脅迫されたハウス食品の浦上社長は、この事件の犯行終結がなされることを知り、前社長の墓前に、その報告をするため、当便に搭乗しておられたとのことです。また、社長は怪人二十一面相と名乗る人物からの脅迫で、たびたび東京、大阪間を往復しておられたとの情報もあります。これらのことから、社長は犯人達と接触しておられたと云うことが考えられます。また社長は、たまたま当便に搭乗し当事故に遭遇されたと云うよりも、グリコ・森永事件の犯人達によって意図的に殺害されたと云うことが考え出されます。この点、社長が犯行終結がなされることや8月12日に犯行終結文が出されることを、前もって知っておられたか否かが、その謎を解く鍵となっていますが、もし、社長は犯行終結がなされることを、8月12日以前に、前もって知っておられたとの証言が、社長のご家族や側近筋等から、今、得られるのであれば、社長は犯人達及び犯行終結に関する、何らかの情報を前もって掴んでおられたと云うことになります。また犯人達は、社長が当便に搭乗されることを、前もって知っていたと云うことも考えられ、実行犯達の一味も、当便に搭乗していたと云うことも考えられます。即ち、社長は犯人達にとっては、厄介な邪魔者となっていたため、一味と共に道連れにされ、航空事故に遭遇したかのように装い、意図的に殺害された可能性があると云うことです。この点については、社長のご家族も、未だ気付いておられないことだと思いますが、この点の謎を解くためには、当時、社長は犯人達と接触しておられたとの証言が、社長のご家族や側近筋等から、今、得られるか否かが鍵となっていると云うことになります。なお、ハウス食品は一億円を強要された他に、「ハウスのあほどもにおとしだまやらなならん」と、犯人達に激怒され、予告的な脅迫を受け続けていたと思われるところがあります。

 その他に、参考文献である『墜落遺体』の225ページには、123便機墜落事故では、遺体確認時、「こんなに、はっきりしている遺体でありながら、どうして身元の確認がされないのであろうかと、誰もが不思議に思う離断遺体があった」と記されています。また、その遺体は合同荼毘に付され、未だに無縁仏として、御巣鷹山の麓にある慰霊の園の納骨堂に納骨されているようですが、あの墜落事故で、遺体の引き取り手がないと云うことは、よほどの事情があってのことだと思います。私は当事故ではグリコ・森永事件の実行犯達が2~3人死亡しているように思いますし、その無縁仏はグリコ・森永事件でのキツネ目の男性ではなかったかとも思います !?

 当事件では、JAL123便機の墜落の日を境にして、送り続けられていた35通の脅迫状と63通におよぶ警察への挑戦状による通告も、ぴたりと止み、何事もなかったかのように完全に沈静化しています。この急速な沈静化も、大変に不可解なことです。また、この大脅迫事件は、十五年近くの年月をかけ、延べ百三十万一千人の捜査員を動員したにも拘わらず、一人の犯人も逮捕することが出来ず時効となっています。当事件での、犯人達の目当てについてですが、一橋文哉著『闇に消えた怪人』のP145には、株式の或る仕手集団は、この事件で少なくとも百億円程の儲けがあったように記されています。このことから、当事件の目当ては株式の株価操作をすることにあったのではないかと思われます。当機の爆破を立案した首謀者は、誰であったのかについてですが、2006年8月31日号の週刊新潮には、大阪のS組の元暴力団員で、韓国国籍であった総会屋の内妻が、当事故で亡くなったと記されています。また、その総会屋は、態のいい恐喝とやらで日航を脅し、法外な額の補償金(5億円)を得た他に、旅行代理店設立に当たっての便宜や、業界の常識からかけ離れた手数料の上積み、最後は旅行代理店の未払い分、4億2000万円もチャラ・・・等の優遇を受けたとのことです。その他に、その総会屋は当事故発生の2ヵ月後の慰霊祭でひと暴れした他に、日航の役員室を訪れ、役員を殴打したとのことです。私には、その総会屋こそが、日航機内部爆破を立案した首謀者ではなかったかと思われてなりません。この点、『闇に消えた怪人』のP219には、コリアン・コネクションと云うことで、或る組系列の事件師のメンバーの多くは、一度はグリコ・森永事件の容疑者として、リストアップされていると記されています。また、1984年3月22日の各社新聞及び『闇に消えた怪人』には、江崎社長の拉致・監禁は三人以上の複数の犯人によってなされ、しかも暴力団、総会屋グループ等が関与しているとも記されています。また、1984年10月12日の各社新聞によると、江崎グリコへ金品を要求した時の録音テープによる声は30歳代の女性であったとのことですが、その女性は、その総会屋の内妻であった可能性が大いにあります。その根拠は、事故調査の最中にあった安全委へ、その総会屋が怒鳴り込みをかけているからです。どうして、その総会屋は安全委へ怒鳴り込みをかける必要があったのでしょうか?

 この点、ボーイング社は、早々と隔壁の修理ミスを認めていたのであり、その修理ミスこそが事故原因であるとして、それ以外の原因調査をする必要はないとのプレッシャーを安全委へかけたとも考えられます。その総会屋は、この時点では、当機の残骸の中から爆弾、リモコン装置等の部品が発見されることや硝煙反応等が検知されることを心配していたのかもしれません。また、30歳代の女性が、あのような大それた恐喝を、電話で堂々とすると云うことは通常は考えられませんが、その総会屋の内妻と云うことであれば、それも納得できます。なお、その総会屋は事故の17年後に、57歳で死亡したとのことですが、当事故発生の2年後には二番目の内妻をめとり、一番目の内妻については、「あいつは死んでも、俺孝行をしてくれた」と言っていたそうです。その総会屋は、自分の内妻が、グリコ森永事件の犯人の一味として逮捕されることもなく、死んでくれたことを、殊のほか喜んでいたのかもしれません。当事件では、捜査が進み森永製菓の製品に青酸ソーダを混入した思われる人物の防犯用ビデオ写真と、江崎グリコへ金品を要求した時の録音テープの女性の音声が公開され、その上、キツネ目をした男性のモンタージュ写真が全国に掲示されました。この時点では、犯人側には、その内の誰かが、まもなく、あるいはいずれ逮捕されるとの懸念が強くあったと思われます。江崎社長を拉致・監禁した犯人の内の、二人は特徴を掴まれており、高知弁の男性と赤ら顔で顔にニキビがある男性であったとのことですが、この特徴を掴まれていた二人と、モンタージュ写真の人物及び録音テープの女性は、特に身動きが取れずにいたと思われます。捜査は、このように進展していたにも関わらず、犯人の一人さえも逮捕することが出来ず、時効を迎えてしまいましたが、実行犯達は当便で死亡していたため、その逮捕が出来なかったと云うことであれば、それも納得できます。なお、グリコ・森永事件の犯人達が、何故に自爆をしなければならなかったのか、その事情等については、本の第七章で説明しています。
 (2)「日航機を爆破した」との怪電話について

 「日航機を爆破した」との怪電話が、防衛庁と日航にかかってきたとのことで、そのことを当事故発生の翌日(1985年8月13日)に、産経新聞と山陰中央新報が報じていたと云うことをインターネットは伝えていました。その情報の詳細は、1985年8月12日午後7時48分頃、防衛庁に電話がかかり、中年の男の声で過激派と名乗り、「国防会議議長は中曽根総理だな。総理に伝えてもらいたい。日航機を撃墜した」と一方的にしゃべって電話を切った。また同日、午後8時3分頃、日本航空東京支店にも電話がかかり、過激派と名乗り、中年の男の声で、「われわれのちからで爆破した」と云うものでした。私は早速、産経新聞社から、その記事のコピーを取り寄せましたので、その全文を、ここに紹介しておきます。
 過激派「爆破」と電話 日航へ犯行ほのめかす

 日航ジャンボ機墜落事故に関連して十二日夜、過激派を名乗る団体から「犯行」をほのめかす電話があった。午後八時四分、日航の予約センターに男の声で電話がかかり「我々は日航機を爆破した」といって切った。また、この直前の午後七時四十八分にも、東京・千代田区の国防会議事務局に男の声で「局長はいるか」と電話がかかった。対応に出た職員が「いない」と答えると、「国防会議の最高は中曽根か。日航機を爆破した」と同じ団体名を名乗った。政府筋は、この“犯行”について「そういう情報はある」と認めた。


 
以上が、その全文ですが、この怪電話がかかっていたことに関しては、テレビを始め大手の新聞が報じていなかったため、気付いた人も少なかったと思われます。この電話は捜査上は、単なるいたずら電話として処理されてしまったと思われますが、私には、この怪電話はいたずら電話であったとは、とても思えません。また、この電話は、次の五点で犯行声明そのものではなかったかと思います。
 ①この電話では「我々」という言葉を使い、複数人による仕業であることを伝え、しかも過激派という団体名まで伝えていること。いたずら電話であれば、個人による仕業ということが、まず考えられます。しかし、この電話では「我々」という文言を使い、複数人による仕業であることを伝えています。また、どうして反体制的な過激派という団体名を伝える必要があったのであろうか?
 
 ②いたずら電話であれば、まず日航へ電話されると思われるが、最初に防衛庁へ電話されていること。どうして、防衛庁へ最初に電話をする必要があったのであろうか? そこには何かの理由があったと思われます。

 ③わざわざ過激派と名乗って、「国防会議の最高は中曽根か」「国防会議議長は中曽根か、総理に伝えてもらいたい」と伝えていること。この電話の内容からすると、まさに過激派の犯行であることを主張し、そのことを首相に伝える必要があったと思われます。


 ④過激派としては安保闘争、成田闘争関係者が考えられるが、それらの闘争と関係があった防衛庁と日航に、意図的に電話されていると思われること。防衛庁は安保闘争と大いに関係しています。また、日航は当時は、半官半民経営の特殊法人の会社であり、成田空港の開設・開港で最も恩恵を受ける航空会社でした。防衛庁と日航に電話がかけられた理由は、これらのことが関係しているように思われます。

 ⑤「爆破するぞ」の予告の電話ではなく、「爆破した」と電話していること。「爆破するぞ」であれば、いやがらせ、いたずら電話と云うことも考えられます。しかし、「爆破した」と伝えていることから、その人物は、当機が爆破されることを、前もって知っていたと思われます。この点、一回目の電話は、NHKが当事故のニュース速報を流した22分後の19時48分に防衛庁へかかり、二回目は、その16分後の20時04分に日航にかかっています。それは当機が何処に墜落したのか、また、どうなったかも、未だ分からない時点のことです。即ち、その人物は、当機が内部爆破されることを、前もって知っており、当機の末路を地上で注視していた可能性が大いにあると云うことです。

 以上のような次第で、私は、この怪電話は犯行声明そのものでなかったかと思います。また、この点に関しては、次のようにも思います。
 1960年代から続いた安保闘争(日米安全保障条約の改定に反対)の過激派は、1966年代から続いた成田闘争(成田空港用地の強制買収に反対)を支援していましたが、怪電話をした過激派としては、その過激派の残党が考えられます。また航空機内部爆破に関しては、その過激派の誰かが当便に搭乗し、直接、当機を爆破したと言うよりも、過激派は手製の爆弾をグリコ・森永事件の犯人達に融通・供与をしたに過ぎず、グリコ・森永事件の犯人達が、それを当機の機内で使用したのではないかと思われます。即ち、当事故は、単なる事故ではなく、時の行政のあり方に反対していた過激派の残党が、それらの闘争に行き詰まったため、グリコ・森永事件に加担して、グリコ・森永事件の犯人達に手製の爆弾を供与し、機を爆破させると云う手法で、政府へ一撃を加えた大事件ではなかったかと云うことです。私が、このように考える所以は、一橋文哉著『闇に消えた怪人』の96ページに、「グリコ・森永事件には爆弾製造が可能なグループが存在し、そのグループがグリコ・森永事件に関与していたようだ」と云うことが記されているからです。またグリコ・森永事件では、怪人二十一面相と名乗る人物がダイナマイト等を持っていることを、わざわざ脅迫状で知らせているからでもあります。私は当墜落事故に、この過激派が関与していたか否かの謎を解く鍵は、この怪電話がいたずら電話であったか、それとも犯行声明であったかの解明にかかっていると思います。この点、もし、この電話が犯行声明であったと云うことが判明すれば、JAL123便機の墜落事故は、単なる事故ではなく、まさに人為的で意図的な航空機内部爆破の大事件であったと云うことになります。また「我々は日航機を爆破した」との怪電話は、そのことに直結する重要な証拠・根拠と云うことにもなります。この点、警察内部にも事故発生当初は、過激派関与説の疑いも少なからずあったように思われるところはあります。しかし、ボーイング社による隔壁の修理ミスと云うものが急浮上したため、その疑いも一遍に薄れ、その過激派関与説に関する調査・捜査と云うものが全く放置されてしまったと思われます。


 私は、当事故は成田闘争とグリコ・森永事件が複雑に絡む大事件であったと思いますが、もし、この怪電話に関しては、何の調査・捜査もしていないと云うことであれば、それは警察の怠慢であり、大失態だと云うことになります。また、この怪電話をした人物は、今も生存していると云うことも考えられますが、この侭で何の再調査・再捜査もせず放置してよいものか大いに疑問です。この点、グリコ・森永事件は、既に時効を迎えているようですが、航空事故原因の再調査には時効はありませんので、この怪電話に関しては、遅れながらも、航空事故原因の再調査と云う名目で、犯行声明であったか否かの再考察・再捜査が必要不可欠だと考えます。次に、グリコ・森永事件の実行犯達が自爆・自殺行為に走った理由と内容についてですが、その理由は、警察に逮捕されるくらいなら死んだ方がましとの考えで、その逮捕を免れるためであったと思います。また、その内容は、航空機事故に遭遇したかのように装ったものだと思います。即ち、窮地に立たされていた実行犯達にしてみれば、民間機と空は最高の死に場所であり、航空機事故に遭遇したかのように装えば、体裁の良い最高の死に方が出来るとの考えで、死ぬことを納得の上で、当便機に搭乗していたと云うことになります。

 この自爆行為と航空機内部爆破を立案した人物は誰であったかについてですが、それはグリコ・森永事件との関連についての項で説明した総会屋ではなかったかと思われます。即ち、その総会屋の指示と手配で、身動きが取れずにいたグリコ・森永事件の犯人達は、当便機に搭乗させられ、航空機内部爆破(手製の爆弾を気付かれないように手荷物として預け、それを客席からの遠隔操作で爆発させる)と云う手法で、自爆させられたのではないかと云うことです。私は、当墜落事故には、成田闘争の過激派とグリコ・森永事件の実行犯が複雑に絡み、大変な謎が潜んでいるように思います。また当事故原因を語る場合は、この「我々は日航機を爆破した」との怪電話の件は抜きにすることは出来ない重大事であると思います。その他に、この本には安全委見解が否定される事項を、種々記していますが、この本の内容は、今までの常識を覆したものであり、私見に対しては、「とんでもない! 妄想だ! まさか、そのようなことはあるまい! とても信じられない! 」と、一笑に付す人が多いと思います。しかし事実は小説よりも奇として、空の安全のため、私見を真摯に検討して頂きたいと願う次第です。なお、この怪電話の件は、私が、このような怪電話がかかっていたと云うことに気づくのが遅かったため、安全委・警察等へは、未だ伝えていないことであり、この本『天命の陳情』にも記述していないことです。
 火災警報音の発生について

 爆発音発生の5分54秒後である18時30分28秒を初めとして、何回か火災警報音が鳴っており、その音がCVRに録音されていることが安全委によって解読されています。しかし、残念ながら、この件は注目されることもなく、見逃されてしまったと思われます。この火災警報音は、けたたましいベルの音であり、ビルやホテルの火災警報音と同じ音ですが、この警報音の受感部は、当機ではエンジン、APU、脚収納庫、前方貨物室及び後方貨物室にあります。しかし安全委見解の隔壁破裂説では、これらの箇所で火災が発生するとは全く考えられません。この点についての私見を、ここに記しておきますが、私は後方貨物室の後方に付設されたバルク カーゴ ルームで爆弾等の爆発物が爆発していると思います。そのため火災らしきものが一時的に発生し、後方貨物室の火災警報装置が作動しているように思います。また、火災は発生したものの、その火災は減圧により酸素不足となったため、幸いにも自然鎮火をしていると思われます。安全委見解の隔壁破裂説では、火災警報音が鳴るとは全く考えられず、報告書の事故原因説とは全く結びつかないのですが、バルク カーゴ ルームで爆発物が爆発したため火災警報装置が作動しと云うことであれば、それも納得できます。私は、この火災警報音の件は見逃すことが出来ない重大事であると思うし、事故原因解明のためには、この火災警報音が何処で、どうして鳴ったのかの再調査が必要不可欠だと思います。結論として、安全委は、この火災警報音が鳴ったことには全く注目をせず、この件に関しては、何の調査も・考察もしておられませんが、この件は事故原因を真っ向から崩壊させる可能性があるのであり、このことも重大な事実の発見であろうと思います。なお、この件も気付くのが遅かったため、安全委等へは伝えていないことです。
 新しい事実の発見について

 事故原因の再調査を陳情するために必要となる、新しい事実の発見及び事実の認定、解析の誤りの発見として、次の三点を、ここに敢えて取り上げることにします。
1 機内で煙が発生していること。
2 火災警報音が作動していること。
3 「日航機を爆破した」との電話がかかっていること。
 私が、この三点を、ここに取り上げる理由は、これらは安全委が、全く気付き得なかったもので、最終報告書にも全く触れられていない事項であるからです。
 至難の技

 この123便機の事故・事件に関しては、「一件落着しているのだから、そっとしておいたらどうだ」との考えの人が多いと思われます。そういう中で、事故原因の再調査を実現させ、一旦提出された事故調査報告書の内容を、修正・変更させると云うことは至難の技だと思われます。しかし私は、この本の内容と世論のバック アップをもってすれば、安全委は、重い腰を上げざるを得ず、「そっとしておいてくれ!」との考えをも打破し、その再調査の実現が可能になると考えます。関係乗員組合を含め、誰も、報告書の事故原因を否定し、崩壊させるだけの明白な確証を提示することが出来なかったために、今日のような状況になってしまったと思われますが、CVR上に、前述の二つの確証が発見されたことで、安全委見解には、減圧の規模という点で、事実の認定に重大な誤りがあると断言が出来ます。また、報告書の事故原因は、完全に崩壊しているとも断言が出来ます。従って、この確証をもってすれば、再調査の実現が可能になると思いますし、その再調査は実現されるべきであると考えます。なお、減圧の規模と云う点で、事実の認定に重大な誤りがあると云うことを、安全委自身に、早急に気づいてもらう方法としては、JALが門外不出にしておられるDFDR(デジタル式飛行データー記録装置)で、爆発音発生直後の約1分間程の、機内と機外の差圧の変化を、安全委が調査されるだけでよいのです。たった、それだけの調査で、減圧の規模が分かるのであり、自己の調査には大変な調査ミスが生じていると云うことを、安全委自身が納得されるはずだと云うことを、ここに特記しておきます。また、その差圧の調査なくしては、急減圧の発生を論じることも出来ないことであり、当事故原因の調査をしたとも、終了したとも、とても言えないと云うことも、ここに付記しておきます。
 我が国の法律

 参考文献である『航空事故調査』によると、我が国では、航空事故の再調査に関しては、新たな事実が発見され、あるいは事実の認定または解析に誤りが発見された場合については、法律は何ら規定していないとあります。即ち、事故調査報告書の事故原因はおかしい、デタラメだといくら叫んでみても、安全委には法的に抜け道があるのであり、再調査を実現させると云うことは困難だと云うことになります。しかし、その文献には、不服の申し立て又は抗告訴訟の提起はなし得ないとしても、陳情という形であれば、再調査の陳情が出来るとありますので、再調査を実現させる方法としては、国内法的には、安全委への陳情という手段が辛うじてあると云うことになります。この点、国際法的には、国際民間航空条約付属書13の第5章13項により、事故調査終了後であっても、新しい重大な事実が発見された場合は、調査機関に調査再開の義務を課しているとのことです。
 人為的で意図的な航空機内部爆破の内容について

 私は、尻もち着陸も隔壁の修理ミスも、直接的には事故原因には関係せず、当事故原因は99%の確率で、搭乗中の挙動不審者による、人為的で意図的な航空機内部爆破にあると思います。また、その内容及び犯人像については、次のように推測します。

 安保闘争と成田闘争の過激派の残党が、それらの闘争に行き詰まり、政府へ一撃を加えるため、手製の爆弾をグリコ・森永事件の犯人達に、融通・供与をすると云う手法で、旅客機を爆破することを企てた。爆弾はグリコ・森永事件の実行犯達に手渡され、預託手荷物として当機の機内(バルク カーゴ ルーム)に搭載された。搭載された爆弾を、グリコ・森永事件の実行犯達が、客席からの遠隔操作で、意図的に爆発させた。この航空機内部爆破を立案した人物は誰であったかについては、安全委へ怒鳴り込みをかけ、日航をも恐喝し、法外な額の補償金等をくすめた総会屋ではなかったかと思われます。また、この総会屋は、元暴力団員であり、グリコ・森永事件を引き起こした首謀者の一人ではないかとも思われます。グリコ・森永事件では警察による捜査が進み、犯人逮捕の危機が迫ったため、この首謀者が、その時点で、特に身動きが取れずにいた実行犯達を当便機に搭乗させ、あたかも航空機事故に遭遇したかのように装い、自爆させたのではないかと思われます。結論として、当事故は単なる事故ではなく、その過激派の残党とグリコ・森永事件の犯人達とが関与したもので、彼らが共謀して引き起こした、人為的で意図的な航空機内部爆破事件ではなかったかと云うことです。なお、その爆弾は手製のものであり、軍で使われるような威力のあるものではなかったと思われます。
 日航とボーイング社は被害者

 
CVR上に、安全委見解の減圧の規模を、真っ向から否定する確証が発見されていることで、報告書の事故原因は完全に崩壊していると断言が出来ます。このことから、報告書の事故原因は全く見当違いのものと思いますし、日航とボーイング社は加害者ではなく、実は被害者であるとも思います。私は2006年8月に羽田空港にある日航の安全啓発センター(当該機の残骸、CVR、DFDR等を保存中)を訪ねましたが、そこでは何故か、肝心なCVRの音声は聞かせてはもらえないとのことでした。この点、非常に残念なことです。また、そこでの係員はボーイング社による隔壁の修理ミスこそが、事故原因であると力説しておられました。この点、日航には、自社の責任の非を軽減したいとの思いがあるように感じました。しかし私は、日航は、むしろ被害者であると思いますので、日航には、そのような思い・考えから一日も早く脱却して頂きたく思います。そして、堂々とCVR上の確証を安全委へ提示して、空の安全のために、当事者として、当事故原因の再調査を、安全委へ陳情して頂きたく思います。

 なお、
当事故調査上では、運輸省の航空機検査官を始めとして、数名の方が責任を感じて自殺をしておられます。しかし、そのご遺族は何の補償も得られない侭、今も尚、世間に顔向けも出来ず、肩身の狭い思いをしておられるように思われます。即ち、当事故調査上では冤罪が発生している可能性が、極めて高いと云うことですが、この点、はたして、この侭放置してよいのでしょうか。私は、法治国家として、警察と安全委による再捜査と再調査は必要不可欠だと考えます。
 隔壁のめくれについて

 隔壁の破裂についてですが、当事故調査では、ミカンの皮を剥いたように後方へ、めくれて破壊された隔壁が墜落現場で発見されたため、特に米国のNTSB(国家運輸安全委員会)が、この隔壁のめくれに注目をしていました。また、そのめくれは墜落時に生じたのではなく、上空で機内の与圧空気の作用によって生じたと日米双方の安全委によって判断され、結論付けられていたところがあります。また、この双方の安全委による判断・結論を否定し、それに反論できる証拠が何も得られなかったため、ボーイング社は窮地に立たされていたと思われます。即ち、隔壁が後方へ、めくれて破裂していたため、ジャンボ機の隔壁は与圧空気の力だけの作用で、簡単に破裂する欠陥があるとの疑いをもたれ、ジャンボ機は、飛行停止を含め、最悪、旅客機としての耐空証明を取り消される可能性が、当時、大いにあったと云うことです。ボーイング社は、この点を非常に恐れ、隔壁の修理ミスを認めざるを得なかったと思われます。私は、このめくれが生じた理由については、バルク カーゴ ルームで爆発物が爆発したためであり、その時の爆風が起因していると思いますが、ボーイング社は、そのことに全く気づき得なかったと思われます。また隔壁の修理ミスを認めることは、当該機固有の事故として処理することが出来るのであり、むしろ、それを認める方が得策だと考えたと思われます。以上の理由で、ボーイング社は隔壁の修理ミスを、すんなりと認めたと思われます。当事故の民事裁判においては、「隔壁主犯による三者(ボーイング社、日航、運輸省の航空機検査官)競合の過失」と云うことで、遺族側との和解が成立しています。この点、事故調査というよりも三者傷み分け的な調整がなされているように思われます。しかし航空事故調査の目的は、事故の再発を防止することにあるのであり、その調査においては、調整は禁物のはずです。また、その調査はあくまでも公正中立で、しかも厳正であるべきだと思います。

 アイソトープの積載と救助活動の遅れについて

 
当機には医療用アイソトープ(放射性物質)が92個積載されていたため、当墜落事故では放射能汚染による二次災害と云うものが大いに懸念されたと思われます。私は、このことが救助活動の開始を大いに遅らせたと思います。この点、科学技術庁により、翌朝の04時50分に、「そのアイソトープは人体に支障なし」との発表がなされるまで、墜落から約9時間が経過しています。また、この情報が現地に通報されるには時間を要し、すでに山中に入った各隊にはさらに数時間を要したとのことです。また現場近くに入山した自衛隊松本連隊の14名は、アイソトープ情報のため、現場を見ながら約2時間待機したとのことです。反面、その頃には県警の指示の遅さにしびれを切らした地元の消防団員の一部が、墜落現場へ向かい出したとのことでもあります。世間には救助活動の開始がもっと早ければ、もっと多くの生存者を救出できたはずとの非難の声が、今も多数あります。また、この救助活動の開始に遅れがあったため、自衛隊・米軍等の行動に疑問が生じて、事故原因に関して自衛隊、米軍等の関与説まで飛び出している状況です。

 この点、墜落現場での安全確認が出来ていない科学技術庁が、「そのアイソトープは人体に支障なし」と発表したことは、相当な英断であったと思います。結果的には、この英断が、幸いにも四人の生存者の救出に繋がっているようにも思いますが、今後も事故現場で何の調査もせず、このような英断がなされて良いものかについては大いに疑問です。当事故は、アイソトープと云う危険物を積載した民間機が墜落した場合、放射能汚染と云う二次災害が懸念されるのであり、人命救助の開始に関しては、どうしても遅れが生じると云う点に関して、どのように対処すべきかを問題として提起した事故であったとも言えます。

 硝煙反応検査について

 内部爆破説を論じる場合は、どうしても硝煙反応の件を抜きにすることは出来ませんので、この件についても言及しておきます。硝煙反応については、相模湾から回収された垂直尾翼の破片からは、警察による検査の結果、その反応はなしと、早々と新聞で報じられました。また、最終報告書には、残骸中、垂直尾翼や後部客室、胴体後部には硝煙反応なしとあります。私は、この点については、大いに疑問であり、バルク カーゴ ルームで硝煙反応が検出されるべきであったと思っております。また最終報告書への硝煙反応なしとの記載は、爆破説を意図的に消滅させたいために、わざわざ、その報告書に追記されたのではないかと思っております。即ち、安全委は報告書で虚偽の報告をしておられる可能性があると云うことであり、ボーイング社が早々と隔壁の修理ミスを認めていたため、爆破事件としてではなく、単なる事故として処理をしてしまわれた可能性が、大いにあると云うことでもあります。なお、硝煙反応の件については、本・天命の陳情で詳しく説明していますので、25ページ、118ページ、123ページ、162ページ(第三章)等を、是非ご精読下さい。
 民間機がもつ盲点について

 私は、旅客機がもつ盲点と云うことで、民間機は航空機事故に遭遇したかのように装われ易いと云うことを安全委へ伝えると共に、体裁の良い最高の死に場所、最高の死に方との考えで、民間機は自殺を考える者にとっては、格好のものと云うことを伝えています。また、当事故にはリモコン装置による航空機内部爆破事件としての可能性が大いにあると云うことを伝え、その盲点が持つ脅威・危険性に対する対応・対策がなされることを嘆願しています。その行為が自殺行為であるのかどうかを見抜くと云うことは、非常に難しいことですが、当事故原因の再調査をすると云うことは、当機が意図的に内部爆破された可能性があると云うことを見抜くと共に、旅客機がもつ盲点及びリモコン装置による危険性と云うものを、航空関係者に真に気づかせ得る千載一遇のチャンスであると思います。この点、気づき得なければ、何の対応・対策も生まれて来ないのであり、まず気づくことが必要だと思います。この種自殺行為の発生件数は少ないように思われがちですが、過去の事例からしても、ハイジャックの発生件数よりもはるかに多く、その脅威はハイジャックの比ではないのです。この侭では、民間機には、このような盲点があると云うことには、気づき得ないばかりか、この点に関しては、何の対応・対策もなされず、何の教訓も得られないと云うことになってしまいます。航空機事故に遭遇したかのように装う自殺行為とリモコン装置による航空機爆破と云うものは、今後も、益々増える可能性が大です。これらの点が当事故原因の再調査が切望される所以です。
 私見に対する事故調の対応

 私が二回目の意見書を安全委へ提出した際、当時の委員長は私見に対する担当委員を特別に指名され、その方(S氏)が私見を真剣に検討しておられますので、安全委はCVR上に、報告書の事故原因の全体を、真っ向から否定する二つの大変な確証が発見されていることを知っておられると云うことになります。その担当委員・S氏からは、委員長の返事を伝えるとのことで電話がありましたが、それは「再調査はしない」と云う簡略的な表現での電話連絡でした。この点、安全委の本音は、「再調査はしない」と言うよりも、「再調査はとても出来ない。大変なことになる、そっとしておいてくれ!」と言うことだろうと思います。しかし、「そっとしておいてくれ!」との考えで、再調査・再捜査もせず、当事故原因の真相究明を放置してよいものでしょうか。もし、そう云うことにでもなれば、それは昭和から平成年代へかけての、日本の行政と司法の歴史に残る一大汚点であり、大変な怠慢であろうとも思います。当事故調査上では大変な冤罪が発生している可能性が大いにあるのであり、法治国家としても、そのような怠慢は断じて許されません。この点、安全委には全世界の空の安全、事故の再発防止のための再調査という大義を決して忘れず、一刻も早く、その再調査を開始して頂きたい。
 本の出版経緯

 私は、本の出版により私見を公表することは、真似をされる可能性があるため本意ではなく、安全委による内密で慎重な、しかも自発的な再調査を期待していました。しかし残念ながら、安全委からは二度に亘り「再調査はしない」との返事がありました。この点、安全委には、「そっとしておいてくれ!」との考えが非常に強いと感じた訳ですが、私は、この「そっとしておいてくれ!」との考えに対しては、どうしても、知らぬ振りをすることが出来ませんでした。また、空の安全及び同様事故・事件の再発防止のためには、どうしても安全委による当事故原因の再調査が必要であると考え、この「そっとしておいてくれ!」との考えを打破し、再調査を実現させるためには、私見を公表すると共に、文章として残し、どうしても世のご支援を賜る必要があると痛感した次第です。そのため仕方なく、この本に託して、つたない文で、私見を公表した次第です。読者には、安全委の調査ミスと言えるところを、はっきりと理解をして頂きたい!その上で、私見と安全委見解とは、どちらが正しいのか、また、この侭、再調査もせず、知らぬ振りをしてもよいものか、その審判をして頂きたい!この本及びこのHPを、そのための資料として頂ければ幸いです。
 陳情・要請の現状

 
私は、この陳情・要請は、当事故原因には、これらの大変な謎・疑いがあることに、たまたま私だけが気づかされたための、私だけに課された天命!として受け止めています。そのため他の事件との関連性についても、暴力団絡みではありますが身命を顧みず言及しています。また、そのことを安全委、群馬県警、行政の長、有識者、報道機関及び米国のNTSB、ボーイング社等へも伝え、当事故原因の再調査の陳情及び、その陳情に対するご支援の要請をしてきました。この点、米国の事故調であるNTSBの委員長からは返書があり、「犯罪が絡む刑事事件としての可能性があるのであれば、その旨を日本の然るべき法的執行機関に知らせたらどうか」とのお勧めを受けました。そのため、私見を警察等へ知らせた次第です。しかし私一人の力では、それらの陳情・要請も思うに任せず、目下、孤立無援の状態でどうにもならなくなっています。現状の侭では、歳月の流れと共に人も去り、証拠品等も処分され、全てが風化し、当事故原因の真相究明は迷宮入りすると思われます。私はそのことを憂います。なお、NTSBからの返書については、その写しを本の302ページに掲載しています。

 お願い!


 当事故では火災警報音が作動し、「日航機を爆破した」との怪電話がかかっており、「何か機内で爆発したような形で煙が出て・・・」との遺書もあります。また、「雷のような音がして見上げると、機体後部から灰色の煙を出して・・・」との目撃者証言もあり、爆発音の音響解析図もあります。また、爆発音発生20秒前の乗務員の精神緊張度は上ずる声であった訳ですが、これらは全て航空機内部爆破事件と直結する大変な状況証拠であるのです。安全委は、どうして、これらの重要な状況証拠を無視されたのであろうか。また、生存者・落合さんの証言は「減圧は起こったことは起こったけれども、ものすごい急減圧と云う感じではなかった。エレベーターに乗った時、感じるような耳詰まりがした」と云うものでした。また聴聞会では日乗連から「急減圧はなかった・・・」との意見も出されていました。それにも関わらず安全委は、それらを無視し「与圧空気は一気に(数秒で)大気圧まで抜けるような大規模な急減圧が発生した」と一方的に想定された訳ですが、そのような大規模な急減圧は発生していないと云うのが、昨今のインターネット上の通説となっています。また、事故原因に関しては、救助活動の開始に遅れがあったためか、今も自衛隊、米軍等の関与説が根強くありますが、隔壁は後方へめくれて破裂していたのであり、また、「煙は十メートルほど尾を引いていたが、すぐ薄くなった・・・」との証言があるのであり、何らかの飛行物体が当機に命中・衝突したとする説は成立しないのです。その他に垂直尾翼外板の剥離説、方向舵の脱落説やフラッター説、APUの爆発説等も飛び交っています。しかし、そこには安全委見解を崩壊させるだけの確証は発見されていないのであり、「事故原因はおかしい!」と、いくら叫んでも、安全委が再調査をされるとはとても思えず、事故原因の真相究明そのものが迷宮入りになってしまう思われます。この点、報告書の事故原因を否定する確証を一刻も早く発見する必要があると思いますが、私は、既に、その確証と言えるものを多数発見していると云うことになります。

 私が主張する確証の発見で、安全委の調査には減圧の規模と云う点で、事実の認定に重大な誤りがあると断言が出来ます。また事故原因は完全に崩壊しているとも断言が出来ます。従って、安全委による当事故原因の再調査は不可避であろうと思います。

 残念ながら、当事故には、単なる事故と云うよりも、人為的で意図的な航空機内部爆破の可能性が大いにあり、無差別の大量殺人事件としての可能性が大いにあります。即ち、日航とボーイング社は加害者ではなく、実は被害者である可能性があると云うことです。そのため、被害者側への補償は誰がするのかと云う問題が派生することになります。この点で、再調査を安全委へ陳情することに関しては、ご遺族には賛否両論があろうとは思います。しかし、事故原因に関しては、ご遺族の思いと云うものも、今も尚、「真実が知りたい!」と云うのが本音であろうと思います。また、このような陳情は、本来なら、被害者であるご遺族こそが、先頭に立ってなされるべきことであろうとも思います。この点、遺族会(航空安全国際ラリー会)は、「航空惨事の教訓は、将来の安全向上に役立てねばならない」としておられ、何度か安全委へ事故原因の再調査の陳情をしておられます。しかし、その陳情も聞き入れてもらえず、今に至っています。なお、私は補償と云う点に関しては、ご遺族の心情を察し、あまり言及しないことにしています。

 当事故原因の再調査を実際に実現させるためには、報告書の事故原因を完全に否定する確証と事故原因に関する新しい事実の発見等を安全委へ提示して、事故原因の再調査を陳情する必要があります。その陳情のあり方についてですが、安全委は、私からの四回に及ぶ意見書の提出で、報告書の事故原因を崩壊させる大変な確証が発見されたと云うことは、既に承知しておられる訳ですが、再調査の実施に関しては放置された侭であり、私一人の力ではどうにもならなくなっています。また私見は、今まで語られたような事故原因説を完全に覆したものであり、常識的には、とても考えられないことでもあります。そのため、私一人が街頭で署名運動をしたところで、とても信じてもらえず、十分な数の署名が得られるとも思えません。この点、勝手なお願いとはなりますが、当事故原因に疑問をお持ちの皆様が、私が主張する確証の発見をもって、直接、安全委へ再調査の陳情をして下さることが再調査実現への近道であり、最善策であろうと考えます。皆様からの陳情が安全委へ殺到すれば、安全委も重い腰を上げざるを得ず、文明の力であるインターネットの偉力が、至難の技であった当事故原因の再調査を実現させたと云うことになるのかもしれません。この方法は苦肉の策であり、再調査実現へ向けての具体策と云うことになりますが、「義を見てせざるは勇なきなり!」との諺があります。この点、真の勇者の出現を切望致します。

 被害者であるご遺族を含めて、当事故原因に疑問をお持ちの方々には、是非、この本『天命の陳情』及び、このHPをご精読の上、私見についての検討をお願いすると共に、陳情の趣旨をご理解頂き、当事故原因の再調査を実現させるためのご支援(このHPの内容をプリント アウトし、その文面を安全委へ提示して、皆様が直接、当事故原因の再調査を安全委へ陳情して下さること)を宜しくお願い致します。
 再調査陳情の宛先は、〒100-8918 東京都千代田区霞が関2-1-2 中央合同庁舎第2号館15階 運輸安全委員会です。

 なお、航空事故原因の調査には時効はありません。訳も分からず、大変な恐怖に晒され続け、三十二分間の迷走飛行の末、御巣鷹山の尾根で実際に亡くなられた五百二十名もの方々及び濡れ衣を着せられたため自殺をされたであろう方々の、真実の世界からの叫びと云うものは何であろうか? それは今も尚、「事故原因はおかしい!真相を究明し、同様悲劇の再発を防止せよ!」であろうと思います。私は、この叫びを聴き、この叫びに応えることは、今に生きている者の務めであろうと思います。
 重ねてお願い申します。航空事故原因の再調査を実現させるためには、安全委への陳情という方法しかありません。また、その陳情のためには、事故調査報告書の事故原因を真っ向から否定し崩壊させる新しい確証の発見と、その提示が必要不可欠です。

 当機のCVR(操縦室音声録音装置)上には、最終報告書の事故原因を、真っ向から否定し崩壊させる二つの確証が発見されています。今後も、この確証と新しく発見された事実「①機内で煙が発生していること ②火災警報音が作動していること ③生存者の証言(油くさい匂いがした。機械室の匂いがした)③日航機を爆破したとの電話がかかっていること」等を運輸安全委員会へ提示して、当事故原因再調査の陳情を続けましょう。そして、その再調査を一刻も早く実現させましょう。空の安全と同様悲劇の再発防止のために!


 この陳情活動の輪を広げるために、お知り合いの方への、このホーム ページの紹介と、その検索案内(検索キーワードは日航ジャンボ機御巣鷹山墜落の真相、URLはhttp://www.geocities.jp/tenmeinochinjyo/)を宜しくお願い致します。
 2013年7月16日更新  著者                 
             天命の陳情 日航機御巣鷹山墜落事故 JAL123便事故

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(私論.私見)