日航機123便事件告発の目的

 更新日/2021(平成31.5.1栄和元/栄和3).2.5日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「諸氏の事件考」を確認しておく。

 2010.8.16日 れんだいこ拝


 2014-06-11by kanakin_kimi日航機123便事件・・・・・・・・告発の目的」。
 告発・日航機123便事件 番外編
 戦争終焉のマニュアル

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 戦争を作り出すメカニズムを事前に崩壊させる事
 「戦争の終焉」とは、戦争を作り出そうとする者の行動やその情報を素早く見抜き、それを把握して世界市民に公開する事によって「戦争を工作する意図をくじき、事後に戦争責任を裁判で問うため、損害賠償を負担させる事が出来る状態にする事である。そして、何よりも人身災害にいたる戦争を起こさせない、戦争を作り出すメカニズムを事前に崩壊させる事である」
 日航機123便事件・・・・・・・・告発の目的

 1985年8月12日に発生した日本航空123便乗員乗客あわせて524+1人(母胎児)に対する「墜落事故」と見せかけた「殺人及び殺人未遂事件」とこの事件に対する人命救助活動をしていた自衛隊員2人を殺した事件、その事実の証拠を保管した自衛官を真実を隠蔽するために「自殺」に見せかけた「殺人事件」などを I T 世界に設置されるであろう「世界市民裁判所」に告発する事にした。

 それは、近年[公的機関や政府などが民間人の無防備につけ込んで「事故」や「自殺」と見せかけた「謀略的殺人」を「無政府的に行使」している事例が増加している] 。それは、I T の進展によって、真相が速やかに知られるようになった事から事例の増大が認識されており、その反射として謀略の事例となる状態に対する抑止力が生じる一方で従来の報道機関や公的機関が権力構造に取り込まれて、情報を公開するべき仕事をしないために見えなくしている状態と見られる。それらの全てを顕現させた「85・8・12日航機123便事件」が発生したのである。従って、[この事件の真実を誰にでもわかるものに明らかにして、その犯罪責任を当時の総理大臣中曽根康弘らに取らせ、処罰することこそが「民間防衛」の実現とその証明である]事を認識させられたからである。
 真相解明の手法 

 出来るだけシンプルにする事であり、争点を絞り込む事だと考える。したがって、「安定飛行機能を喪失させた事件」が第一の「序の事件の問題」である。その「原因を明らかにせず、ねつ造した事件」が第二の「破の事件の問題」である。そして「真実を隠蔽するために工作した口封じ事件」が、第三の「急の事件の問題」である。

 この三つの事件が重層的にあり、上記の三つの問題に対応する三つの「真実の流れと虚構の流れの分かれ目となる分水嶺」があると考えた。通常の「事件」は「一定の狭い場所」に限られた狭い範囲での「隠蔽」「ねつ造」が行われるが、「航空機事件」の犯行現場が「多国籍が混在する」事にともなう広域な権力構造が支配する、重層的な「隠蔽」「ねつ造」が行われるためにそれに対応する多様重層的な事件が発生している。他方、国際権力(ロスチャイルドイルミナティ)が強引に介入して起きている事件であるのに自虐的に国内問題として処理するために訳の分からない問題となっているのである。
 謀略をみのがすな!

 1997年5月に発生した「A 少年事件」では、5月24日昼食直後に事件が発生しているのに、5月27日に校門門柱上に少年の切断された首が発見された事によって、あたかもそこから事件が発生したかのような「酒鬼薔薇錯覚」をさせることによって「冤罪」へ誘導していった手法と一緒なのである。どういうことかというと、「5月24日の昼食のカレーは、死亡によって消化されず、しかも冷凍によって保存された事で、龍野鑑定医の鑑定(5月24日昼食直後に死亡)が合理的に確定されている。」「したがって、死体は何者かによって冷凍車で搬出し動かされた。」のである。しかも、校門門柱上に切断した首を置くという「センセーションな酒鬼薔薇舞台」で「耳目を集め、狂気を集める演出」の「周辺事件」を行って、「核心事件である5月24日昼食直後の事件」を消去させた。
 告発・日航機123便事件 番外編 1

①本事件では、離陸した18時12分から18時24分35秒にどーんという音が記録されているがその間の「12分間余の音声記録が消去」されている事、ー 第一の問題。
②「墜落事故」で処理するために、羽田飛行場に十分着陸できる条件があったのに、着陸させなかった事。横田基地への緊急着陸も十分出来る条件があったのに、それをさせなかった事。ー 第二の問題。
③クルーの死にものぐるいの激闘で、「ソフトランディング」を成功させた事。ー 第三の問題。
④「ソフトランディングの成功によって大量の生命が救出された」はずであった事。ー 第四の問題。
⑤「ソフトランディングを無効にしようとして」ミサイルを撃ち込んだ、戦闘機が3〜4機いた事、それはどこから現れたのか。C-130輸送機に収納でき、そこから発進できるのか。ー 第五の問題。
⑥「3〜4発のミサイルの攻撃にも最後迄闘い、ソフトランディングを成功させたクルーはコックピットごと爆殺され、多数の乗客もその時に爆殺されていた可能性がある事。ー 第六の問題。
⑦しかし、それでもソフトランディングの成功によって「多数の乗客は生きていた。」一説では200人以上の生存者がいたようだ。という事。ー 第七の問題。
⑧それにもかかわらず、現場の破壊状況は、生存者への殺戮状況は何を物語るのか、現場の検証証拠を提示させなければならない。ー 第八の問題。
 全ての証拠を公開しろ!
 JAL123便のソフトランディングを成功させた・クルー達に襲いかかるミサイル
 
 2014-06-121by kanakin_kimi日航機123便事件・・・・・・・・告発の目的」。
 謀略をみのがさない! ということは、理不尽を許さないということである。

 1997年5月に発生した「A 少年事件」では、5月24日昼食直後に事件が発生しているのに、5月27日に校門門柱上に少年の切断された首が発見された事によって、あたかもそこから事件が発生したかのような「酒鬼薔薇錯覚」をさせることによって「冤罪」へ誘導していった手法と一緒なのである。どういうことかというと、「5月24日の昼食のカレーは、死亡によって消化されず、しかも冷凍によって保存された事で、龍野鑑定医の鑑定(5月24日昼食直後に死亡)が合理的に確定されている。」「したがって、死体は何者かによって冷凍車で搬出し動かされた。」のである。しかも、校門門柱上に切断した首を置くという「センセーションな酒鬼薔薇舞台」で「耳目を集め、狂気を集める演出」の「周辺事件」を行って、「核心事件である5月24日昼食直後の事件」を消去させた。
 「謀略」は、人を支配するために行われている手法である。そこに必ず「理不尽」が発生する。
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 123便の乗客の一人に歌手の「坂本九」さんがいた。彼の奥さんが女優の柏木由紀子さんである。ご本人は気づいているかどうか知らないけれども、彼女にインタビューしている映像が「圧力隔壁が原因の事故」に誘導するアメリカの国家運輸安全委員会 US-NTSB-Seal.svgの造ったドラマに登場させられている。


英語版なので、映像で判断しているが、結局圧力隔壁の調査しかしていない。ここに登場しているのが
Ron Schleede Senior NTSB Investigator と John Purvis Head of Boeing Accident Investigator で、NTSB の ロンとボーイングのジョンなのである。この二人の調査員が事故直後に早々とやってきて日本の事故調査委員会を誘導していくのである。だから、これに残念ながら九ちゃんが利用された格好になっているわけで、このようにほんのちょっと出るだけなのだが謀略に利用するのである。
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告発・日航機123便事件 番外編 2

この事件の問題を整理すると、核心(主要)事件では、次の八つの問題が考えられた。これについて少し要点を述べると次のようになる。

①第一の問題は、離陸した18時12分から18時24分35秒にどーんという音が記録されているがその間の「12分間余の音声記録が消去」されている事。ボイスレコーダーやフライトレコーダーのスイッチが入っていないという事は考えられない。そして、羽田を出発した時からはもちろん、クルーが着座した時の確認でスイッチを入れるのではないだろうか。人為的に削除しない限り消去されるはずはない。乗客の小川さんが6分後頃に窓から撮影した写真に123便めがけて飛んでくる飛行物体が映り込んでいた。それと同時に、この時点の高度は3000メートル程度であり、この飛行物体が垂直尾翼を破壊したのは7000メートル近辺であるので、明らかに上昇速度を上げて振り切ろうとしている123便を追尾して命中させているのである。機長には、相模湾上空での自衛隊や米軍の訓練が行われている事を常識として知っている。だから、標識ミサイルが撃たれ、それを敵機と見立てて訓練をしているらしい。ところが今回の標識機は追尾能力を持っているミサイルであった。そのミサイルが垂直尾翼を直撃して5分の三以上を破壊して相模湾に落ちたのである。しかし、この事実を事故調は故意に無視している。それとともに、ボイスレコーダーの12分余を削除して、公開しないで、「圧力隔壁の破壊による事故」として処理しているのである。この「12分間余の音声記録」というのは、事故ではなく事件である事の証明であり、証拠である。それを消去しているのであるから、証拠隠滅の確信犯罪で、これが第一の核心事件である。

②第二の問題は、横田基地への緊急着陸も十分出来る条件があったのに、それをさせなかった事。羽田飛行場に十分着陸できる条件があったのに、着陸させなかった事。ー 
 「スコーク77」を発信した18時24分42秒と46秒から18時46分33秒「これはだめかもわからんな」と一人ごちたときまでの約22分間は、羽田飛行場に着陸を要求していた事に対する管制や東京ACC・東京AKCとのやり取りである。航跡はその事を如実に示してくれている。しかし、123便に対する残酷な対応は、「墜落事故」で処理するための免罪符を得るために、機長から「アンコントロールという言葉を引き出すためのみの対応」だったのである。担当者のそばに中曽根康弘総理大臣の指示を受けたものがいたであろうが、動議的確信犯罪ではないのか。これが第二の核心事件である。

③第三の問題は、クルーの死にものぐるいの激闘で、「ソフトランディング」を成功させた事。ー 
 「圧力隔壁の破壊による事故で、操縦不能に陥り御巣鷹山の峰に墜落激突したためにほぼ全員が死亡した」としている。そのために、クルーが激闘の末に「ソフトランディング」を成功させていた事実を無視しているのである。これは、事故としている原因が虚構であり、実は事件となる原因の真実を隠滅する確信犯罪の結果に従わせようとしているものである。これが第三の核心事件である。
④第四の問題は、「ソフトランディングの成功によって大量の生命が救出された」はずであった事。ー
 18時46分33秒の機長の「これはだめかもわからんな」の独り言のように云ったものは、いくら管制塔や東京ACC・東京AKCに羽田着陸や横田基地着陸を要求しても口先だけで期待できない事が腑に落ちて、あの言葉になったのである。従って、それ以降の機長の言葉は「管制・東京ACC・東京AKCに振り回されずにソフトランディングの成功のみに集中する覚悟をそれとなくクルーのみんなに伝えた」のである。そして、成功させたのである。ミサイルによる爆殺攻撃がなければ、それが明確に誰にもわかるものであった。
⑤第五の問題は、「ソフトランディングを無効にしようとして」ミサイルを撃ち込んだ戦闘機が3〜4機いた事、それはどこから現れたのか。C-130輸送機に収納でき、そこから発進できるのか。ー 
 これは、正しく現場検証が行われておれば明々白々の事実として公開されていたはずである。ところが「救命活動すらさせずに、翌朝迄現場に入らせないようにしていた事が明らかである。それどころか、自衛隊の二人が救命活動をしたという事で殺されているのである。これについて、わたしはスコーク77を発信を受信してスクランブルをかけた自衛隊の戦闘機2機のパイロットではないかと思っている。123便の護衛をしているつもりでいたら、123便がソフトランディングをするようだと察知して、旋回しているところへ米軍のステルス機が三機いつの間にか123便にミサイルを撃ち始めたので、反射的にそのステルス機に攻撃をかけ二機を撃ち落とし、こちらの二機も撃ち落とされた。二人は機体から脱出して助かったが、後から来た特殊部隊に殺されて木に吊るされたのだと判断している。したがって、現場検証がきちっと行われていなかったのか、行わせなかったのか、いずれにしろ全てを「事故」に収斂させるやり方に統一されていたから、ことごとく矛盾だらけなのである。ここに日米の戦闘機による交戦があった事実の痕跡はあるはずである。123便のエンジンではないエンジンが残されていた事など、いまだに機体の破片は残されていて隠しようがない事。小さな破片も集めて統合すれば十分証拠になる事。それを監視していまだに追跡して抹殺しようとしている役割を持たされているものがいる事実もまた証拠となるのである。一言でいえば「あるはずのものがなく、ないはずのものがある」という現場の「事故調の結論」との矛盾があるはずである。
 
⑥第六の問題は、「3〜4発のミサイルの攻撃にも最後迄闘い、ソフトランディングを成功させたクルーはコックピットごと爆殺され、多数の乗客もその時に爆殺されていた可能性がある事。ー 
 垂直尾翼を飛ばされて、安定した飛行は奪われたもののそれを補う方法は十分心得ている。エンジンの吹かし加減左右のバランスでそれを補っていたからである。だから、スコーク77を発信しながらすかさず羽田への着陸を要求していたのである。それにもかかわらず、22分もの間横田への緊急着陸・羽田への着陸への自己防衛の言質だけは残して、持って回った言い方・やりかたで着陸させなかったのである。ここのやり取りを単純に受け止めてはならない。524人の命を背負っている機長達クルーの一分一秒を争う「管制・ACC・AKC」との激闘の軌跡である事を認識するべきだ。その中で、期待したくても期待しようがない事態を受け止めざるを得ないと判断したのが「これはだめかもわからんね」だったのである。機長が方針を「ソフトランディング」に切り替えた。そこですかさず彼らは機長から「アンコントロール(操縦不能)」の言葉を「事故で処理するための言質」としてとったのである。なんということだ。しかし、それぞれのセクションで対応したものに心があれば、もう黙ってはいられまい。機長達クルーの行った事はそれほどの偉業だったのである。浅はかにも、クルーの遺族に悪口雑言を浴びせたという事を聞いているが、天に唾するものだ。勇気があるなら中曽根康弘らに対してこそいう事だと思う。「ボイスレコーダーやフライトレコーダーの証拠隠滅とねつ造の痕跡は隠しようがない」緻密に航跡分析と統一的に照合していけば、それに関わった人々の想いすらも「長明効果」として浮かび上がってくるだろう。
 
⑦第七の問題。しかし、それでもソフトランディングの成功によって「多数の乗客は生きていた。」一説では200人以上の生存者がいたようだ。という事。ー 
 ソフトランディングが成功していたから、樹木がなぎ倒されてはいないのである。事故調が入手し得た証拠資料の全てを公開させれば、新たな情報とあわせて再検証が可能である。そのためにも再調査再検証を実現させる訴状の提出をしておくべきだろう。もはや公的機関のプロジェクトの可能性はないのであるから、訴訟による裁判官立ち会いの民間調査プロジェクトを立ち上げるべきである。国際裁判所 ITCCS を活用する事も可能ではないか。

⑧第八の問題。それにもかかわらず、現場の破壊状況、生存者への殺戮状況は何を物語るのかは明らかではないのか、現場の検証証拠を提示させなければならない。ー 
 C130 が一時間あまり旋回している間に、マイケル・アントヌーチ氏のいう「米軍の幻の救出劇」が不発になりそれと交代に「特殊部隊」が自衛隊から派遣された。というが、自衛隊はこれを知らないといっている。何が本当なのか明らかにする事が出来るだろう。わたしは、「幻の救出劇と特殊部隊は一体のもの」と考えている。米軍は、自衛隊の責任にしておけば中曽根康弘総理がなんとかするという事なのだろう。M氏が現場に到着したのが4時過ぎであったとすれば、そのとき既に現場で働いていた特殊部隊の労働工数と必要時間及び作業環境作りつまり火災などがあれば消火が必要だ。白い蒸気が上がっているのはそのためであろう。12日19時から13日4時迄9時間である。2時間は消火冷却時間として、C130がヘリを呼んで消火し、回収物をヘリに積み込んでという作業をするのである。救出劇と殺戮劇が別べつにあったというのであれば時間がなさ過ぎる。自衛隊が現場へ行くのを遅らせているのは、それらの作業をする時間を作るためだったのである。遅れた非難を受けた方がらくだと考えたのだろう。

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 日航機123便事件の安定飛行能力を失わせた、標識ミサイル打ち込み事件・着陸機能は持っていたのに横田基地羽田飛行場への着陸を許可しなかった事件・ソフトランディングに全てをかけたクルー達の激闘を妨害し、数発のミサイル攻撃で助かる可能性すらも断った。多数の乗客とクルーを爆殺した。ぎりぎりまでのクルー達の激闘のお陰でまだ多数の乗客の生存があったのに救助活動を差し止め、その間に特殊部隊を導入して、事件とわかるものの撤去、生存者の殺戮処理をさせた謀略事件だった
 これを自衛隊に責任転嫁していていいのか。自衛隊は日本人を守らないという証拠にしていいのか。
全ての証拠を公開しろ!
 此の「謀略事件123」(仮称)は、何を目的として実行されたのかよくわからない。謀略事件にはつきもので、ある一つの目的だけで「プラン」が進行するわけではないが、アメリカ式計画法は常に先々のプランが持ち込まれていて、ある情報が探知されるとそれに関係するプランが自動的にリンクするようになっている。しかし、その実態は「アメリカ合衆国」という国家でのシステムではない。ドル札を発行している「FRB」が民間企業だとは恐れ入った。日本銀行だって明治の発足当初からロスチャイルドに教わっているのだから全然無関係とは云えない。しかし、教えてもらったからと云って全く同じではない。ロスチャイルドイルミナティはとうに国家の枠をこえていて、世界支配の視点で宇宙を見ている連中なのである。1985年の段階でステルスF117をテストしている時ですら、既に反重力機関が使われていたのだから。「謀略事件123」は、下敷きに「オレンジプラン」があり、その延長として新たに加わったさまざまなプランがリンクしているのである。あの飛行機の乗客名簿から目的をのぞくとやはり「トロンシステムへの恫喝」という絵が見えてくる。あの段階での「Bトロン」という「OS」そのものよりも「トロンシステム」の素晴らしさを彼らも認識していたという事だろう。彼らは、みんなが賢くなる事を最も嫌悪している連中なのである。積極的にみんなが馬鹿になる事しか出来ない連中なのである。そういう連中は自分が馬鹿だという事を知る認識回路を持っていない。タルムード型といってもいいのだろう。気に入らないと殺して食ってしまう事を平気でやるのだ。それと同じで、気に入らないと潰してしまうのである。銅線が売れなくなるからとテスラのフリーエネルギーモーターの研究成果は潰すのである。トロン技術者も16人(17)が殺された。あれから29年目がやってくる。いま、MSdosの上で動いているOSがきしみ始めているような気がしている。それは、世界の言語が自動翻訳されるシステムになる時、よりリアルタイムなドキュメントが求められるとき、、少し賢くなってきたのかマレーシア航空機をエリア52に誘導したのか。なんのことはない、誰もが年をとり自分の命を長引かせたいと思っているのだ。サタニズムで若い人の血を飲んでも肉を食らってもその効果はもう限界なのだろう。
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 JAL123便のソフトランディングを成功させた・クルー達に、そして救出のために交戦した自衛隊員2名とその名誉を守って証拠を保管した何人もの自衛隊員達に感謝の冥福を祈る、国を挙げての感謝祭に出来るように
 自分たちで解明できる真相

 わたしは、一般市民ですから「日航機123便事件」について知るためには、警察が検証をして検証調書を造りますからそれを入手して事件の基礎情報を知る事から始めます。そのためには訴訟をして基礎資料を提出させなければなりません。ところが、この事件ではその基礎捜査が行われたのかどうかすらもわかりません。なかなか基礎情報にたどり着けないのです。ボイスレコーダーの一部を削除したり、垂直尾翼が相模湾に落下して回収されたはずのものが写真の公開もされていない。

 このことは、もう最初から警察権力をも圧殺する大きな権力が働いている事を示しているのです。ですから、この事件の全体像がはじめから「事故で処理する」という「巨大権力の強い意志」が働いており、その力に怯えて全てが動いている事。そして、それを知られないようにする「権力の発動」が行われている事を明らかにしている事件である事を承知した上で、「真相解明にのぞむ姿勢が必要だと認識させられています。」ということは、この事件は、政府自体が犯罪者側にあり、「無政府状態」にあるわけですから「基礎捜査を民間防衛として行う視点」に立たなければなし得ないということなのです。
 従って、第一に真相を解明する迄は終わらない民間防衛であること。第二に、そこから「民間防衛の基礎捜査」を行い「基礎捜査資料を自分たちで造る」事、なのです。全てはそこから始まります。

 このような事態が放置されたままでは、いつでもこの種の事件は起こりうるものと考えなければならないでしょう。再発防止のためには、彼らのお為ごかしにいつまでもおつきあいしている時間はありません。「民間防衛基礎捜査の実行」こそが世界を突き動かしていく事でしょう。彼らが「捜査権」の有無をいう資格はないのです。むしろ自らが「無政府状態」を宣言し、「捜査権を放棄」したのですから。
 被害者遺族しかやれない真相解明

 わたしは、静岡県藤枝市前島3-8-36(kanakin_kimi@mac.com)在住の金澤忻二と申します。1980年から関わってきました「袴田事件」について、後もう一歩の詰めが残っていますが、とてもよい「再審決定」を出してくださったので、最後の詰めのわたし個人の仕事を準備しながら、1985年の角南記者との不思議な取材旅行に灯されていた「日航機123便事件」に比重を移して「真相解明のマニュアル」の研究をする事にしました。


 関係書籍を購入して、わたし流の整理の仕方をして真相解明の作業をしています。真実と虚構とを振り分けてくれる「分水嶺」を見いだしました。分水嶺を見いだす事が出来ると、真相解明の作業のテンポは速くなります。いまわたしが気になっている問題は、「墜落遺体」を書かれた「飯塚訓」氏のしごとの最後の詰めになろうかと想いますが、ソフトランディングした場所の遺体か、そこからだれかが移動した遺体か、発見された時の場所と、機体の座席位置その遺体が誰であるかという事、そしてその損壊状況がどのようなものかを「全体図を作成」する作業をお願いしたいのです。遺族だからこそ知り得ている情報があるのだと想います。その情報を持ち寄って全体図のそれができると、ソフトランディングを妨害してきたものそのものが浮かび上がってくるはずですし、ミサイルを発射したものが何かという事、その発射状況がわかってくるはずです。

 そして、520人を殺したのは誰かという事が浮き彫りにされるはずです。被害者自身に語らせる事というのは「殺された状態を示す事実のすべて」を生きているものが聞き耳を立てて聞き取り、刮目して読み取り、それを代弁する事なのだと思っている。被害者の無念の想いを、「文学的タブーの中に埋もれさせてはならない」と考えています。文学は、真実を押し隠してしまう。「abさんご」は「文学の終焉を突きつけた」のだと思っています。ですから、事故調の関係者の中にも警察関係の人の中にも管制関係の人の中にも自衛隊の人々の中にも「真実を伝えるために体を張っている人々がいるのです。」
 政府が国民を暗殺した事件それが日航機123便事件である 

 中曽根康弘が総理大臣になった時のシステムも今とほとんど変わりはない。だから同じことが起きないという保証は何もない。日本市民は自分たちの生活や命を自分たちで守るという決意をしなければならない。日本だけの問題ではなく世界市民にとっても同じ事である。今迄の仕組みにこだわっていたら、その仕組みによって殺されるからである。1985年8月12日におきた「日航機123便事件」がその見本である。この事件で、救済に向かった自衛官や警察官も殺されているのである。あれから今年の8月12日で29年目になる。


 今年の3月に「マレーシア航空機」が行方不明になっていまだにそのままである。これだって「事故」だといわれているが、「航空機ごとの技術者掠奪事件である」。

 また、カナダの原住民の子供達50000人以上が1960年代から今日に到る間にヴァティカンや英国王室などのサタニズムの儀式に生け贄にされ、レイプされ、殺され食われてきたそうである。それでもまだ、ヴァティカンも英国王室も反省するどころか権力に任せて握りつぶそうとしているのである。何故そんな事が大手を振って出来るのか、ロスチャイルド・イルミナティが親戚であり仲間であるからだ。カナダに対しても権力を作動させているが、オーストラリアに対しても原住民の聖地「エアーズロック」のすぐそばにいやもろともに広大な敷地を掠奪している。その「エリア52=パイン・ギャップ」に誘導し一生働かせるつもりなのだろう。

 そして日本の中の米軍基地でも同じようなことが起きている。そのひとつが「日航機123便事件」なのだとわたしは思っている。沖縄をはじめ、日本列島の中で何が起きているのか国民が・市民が知らされていない。もはや、間接民主主義といわれてきた政党政治は終焉しており、その事実を・事態を認識され、転換させなければならない。そして、日本市民一人ひとりが直接すべてにわたる決定権を持つ、直接民主主義に仕組みを変えていかなければならない。そうしなければ、政府によって国民が暗殺されるような事件が再び起きるのである。民間防衛とはそのような無政府状態に対応する市民自身の市民による市民のための布石である。
ホロコースト・日航機123便事件を告発する 2
 民間防衛の基礎捜査
 群馬県警察本部が「123便墜落」の報を受け、救難体制を整えていた。と本部長河村一男氏は「123便、
捜索の真相」に書いている。土地勘のあるM氏らがバイクを走らせ、現地に到着したのが午前4時前後頃といっている。そのとき、既に自衛隊員らが50人程いてヘリコブターに荷物を上げている。所と遭遇したという。しかし後に、自衛隊はその時刻には行っていないとの公式発言がある。結局、現地には公式上自衛隊も警
察機動隊も8月12日19時から翌日13日7時34分まで行っていない。という事になっている。そこでこの問
題は、他の人にお願いするとして、群馬県警が現地にはいって、救助活動とともに、現場検証を行ったとし
ている資料が河村一男氏の「日航機墜落123便、捜索の真相(1)」「日航機遺体収容123便、事故処理の
真相(2)」に掲載されているのでそれを使って検証しようと思う。なお、これらの資料について遺族の方々に
正していただくとありがたい。 


座席別遺体散乱状況図

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/e5/0546690ab418b194f4
b52b180bd10730.jpg


 表題の資料は、(2)の96ページに「図1、座席別遺体散乱状況図」がある。これを基礎資料として、
B4を二枚つなぎ合わせた大きさに拡大コピーする。それに蛍光カラーペンで色分け塗色する。機内座席別の区分がされているので、前部から後部までの乗員15人を緑色・次の1階48人と2階16人を黄色・
次の81人を青色・127人をピンク色・89人をそのまま半黒・144人をそのまま黒色・生存者4人を橙色に塗色する。そうすると、この座席別遺体散乱状況図の全体を眺めるとすげの沢に黒色のほとんどが固まるように分布しており、中心部に生存者4人が位置している。最後部の乗員2人が見えるのでほぼ最後部の乗員2人と乗客144人のうち142人がほぼ座席位置のままソフトランディングで着地したと考えられる。左回りに旋回下降して着地寸前にプルアップでフワッと浮いた最初に、後部より二番目の半黒89人と乗務員3人の位置にミサイルが撃ち込まれた。これにより乗員2人と半黒89人のほとんどが爆殺離断分散させられている。続いて、左旋回の慣性を保ちながら110メートル離れた北西斜面に機体胴部が爆破によりちぎれて主翼片面を落としながら地面をはい滑る形で南斜面へと進んでいく。その過程で、北西斜面で西から二発目のミサイルが、北から三発目のミサイルが撃ち込まれた。そして、南斜面から四発目のミサイルがコックピットに撃ち込まれた証拠であり、いずれも遠心力を凌駕する爆発力で吹き飛ばされているものと推察できる。座席別遺体の散乱状況と遺体の損壊状況がそれを証明しているのである。これは、乗客・乗員が自分の体で真実を伝えているのである。あだやおろそかにしてはならない。遺体の真実の声を徹底的に聞き取る事である。そして、遺体の損壊状況が示す中に「二度焼き」の状況があれば、ソフトランディング墜落とミサイル攻撃による「墜落破壊と爆発破壊」があって、なおかつその後に「高熱で破壊する隠滅工作」があった事を示しているのである。

 したがって、座席別遺体散乱状況図から123便は「左旋回下降している事」と「ソフトランディングを成功させている事」および、その瞬間しゅんかんに「ミサイル攻撃があった事」を如実に示している。そこから、123便の墜落地点への航跡がどのようなものかも明らかになる。また同時に、最後迄執拗に追跡しミサイル攻撃を加えた戦闘機とその攻撃からの救助のために自衛隊機2機がこの瞬間で交戦した痕跡が戦闘機の撃墜された跡として残骸が散乱しているはずで、それが第一現場の一本から松・第二現場・第三現場のU字溝・第五現場の水平尾翼としているものなどである。このことから、墜落点としている場所の状況が「激突」を示すものであれば、戦闘機の激突の可能性をも考えるべきである。ともかく、その墜落地点を「日航機123便が墜落激突した地点」だとしている判断はもはや破綻しているのである。

フライトレコーダの解析による航跡の推定図

 表題の資料は、(2)の257ページの「フライトレコーダの解析による航跡の推定図」である。墜落地点への航跡を「第一現場の一本から松・第二現場・第三現場のU字溝・第四現場の墜落地点というルートを某大学教授がフライトレコーダの解析から導き出した右旋回の航跡と合体させて、逆行的構成をした推定図」である。
 ところが、これは「123便単独の墜落激突事故」に結論づけるためだけの、「関係者が奮闘努力した検証結果のひとつである座席別遺体散乱状況図そのものが示す事実とも矛盾する」ものであった。
 これらを見ると、高村一男氏が知ってかしらずか、事実認定上の「内部分裂による破綻」を起こしているのである。あるいは、これは「座席別遺体散乱状況図」を提出する事にこだわった人々が示した「長明効果」なのかもしれない。

 ホロコーストは凍思させる
 「ユダヤ人大虐殺」というホロコーストが、ロスチャイルド・イルミナティによる「ドイツ民族凍思」の手法であった。「南京大虐殺や慰安婦問題、強制連行問題」もまたロスチャイルド・イルミナティによる「日本民族凍思」の手法である。それとおなじで、「ホロコースト・日航機123便事件」もまた「日本民族凍思」の手法に陥らせられていたのであろう。残虐な光景は、人を凍らせてしまう。そして真実を見極める事すらも凍らせてしまうのである。それをわたしは「凍思」ということにした。

 「長明効果」とは、抵抗の証

 真実を述べる事が許されない組織、真実を記述する事が出来ない立場や事態において、真実を書き残そうとした人々が歴史上に多く見られる。それらはその時点においては命がけの事もあったであろう。
 「方丈記」を書いた「鴨長明」の名前を使わせてもらった。「方丈記」を文学作品としてみていない。森羅万象のできごとの本質を見極めようとし、本質を伝えようとしている長明をそこに見たのである。下級官吏のやるせない想いの中に何ごとか真実を見いだし伝えたいとしているその効果を後の人に見いだしてもらいたいという期待が込められている。そう考えて、さまざまな手法をこらして「真実の証明効果」の「記」であるものを「長明効果」と名付けたのである。「告発・袴田事件」でも書いたが、「告発・日航機123便事件」でも書いていくうちに、それらしいものに遭遇している。そのひとつが、「座席別遺体散乱状況図」である。

 小田周二「524人の命乞い 日航123便乗客乗員怪死の謎」( 文芸社、2017年)。

 家族が犠牲になったご遺族の小田周二氏が事故後の30年間をかけて執念の調査により書き上げた渾身の魂の著作です。 中曽根康弘元首相は、 この事件は墓場まで持っていく」 と述べ、その通り何一つ語らぬまま墓場まで持っていった。肝心なことは次のことである。
  1、この日のクルーは何事かが起こることを知らされており、特別に選抜されていた。
 2、ほぼ予定通り離陸した。
 3、離陸**分後、日航123便は尾翼を吹き飛ばされた。墜落しなかった。
 4、羽田空港に戻ろうとしたが許可されなかった。
 5、何度も横田基地に誘導されたが機長が拒否している。
 6、日航機の背後には複数の自衛隊機が追跡していた。
 7、群馬県の御巣鷹山上空に差し掛かった時、中曽根首相がミサイルでの撃墜命令を出した。
 8、乗客を守ろうと執念を燃やした機長らは日航機を御巣鷹山の尾根に胴体着陸させた。
 9、墜落した時、数十名の生存者がいた。
 10、ほとんど無傷で歩き回る小学生男子がいてテレビにも映し出された。→しかし翌日には黒焦げの炭化した死体で発見された。 
 11、墜落して救助に向かおうとした自衛隊員が別の自衛隊員により射殺されている。

 12、特別に非日本人により結成された偽の自衛隊を装った特殊部隊が先回りして徹底的に証拠隠滅を行い多くの生存者を殺害した。 →日本人による本当の自衛隊なら生存者を殺害することは 絶対にしない。  13、制止を振り切り地元の自警団が墜落現場に向かい奇跡的に 生存者4名を発見した。→もし自警団が制止に従いあと数時間駆け付けるのが遅れていたなら、この生存者4名も証拠隠滅のために 非日本人による自衛隊を装った特殊部隊により殺害 されていた可能性が高い。 →良心に従った地元の自警団の大ファインプレーだった。





(私論.私見)