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佐宗邦皇(さそう くにお)の生涯履歴 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和元).10.19日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「佐宗邦皇(さそう くにお)の生涯履歴」を確認しておく。 2015.06.01日 れんだいこ拝 |
【佐宗 邦皇(さそう くにお)の生涯履歴】 |
1950(昭和25)年、東京・神田生まれ。先祖をさかのげると、何と聖徳太子に行きつくという。先祖はその 後長い歴史を経て、江戸に住みつき約十一代、その意味では佐宗氏は生粋の江戸っ子である。 千代田区の番町小学校、麹町中学校、日比谷高校。昭和四四年、東大に入ろうとしたが東大紛争があり、入試が中止、再開後、受験し、翌年一発で合格。東京大学法学部。法学部の学生にもかかわらず、文学部の万葉集の権威稲岡先生の講義を受けることに。GHQの刷り込み教育を離れ、特攻隊で敵艦に休当たりして死んで行った「もののふ」の精神に共鳴をするようになる。つまり佐宗青年はこの時、日本のパワーエリートの支配するエスタブリフンュメントヘの仲間入りを拒否したのである。卒業。当時だれもが認めるエリートコース中のエリートコースを歩んだ。どちらかと言うと文系で、日本史を中心とした社会科、国語が好きだった、特筆すべきは番町小学校時代、岸信介首相の孫と友人であったせいか、話題がいつも政治分野になり、必然的に政治に関心を持つようになった。中学では一年の時、交通事故、腸閉塞、急性肺炎といった不運に見舞われ、大変な思いをしたが、その逆境をバネにして政治家や官僚を目指し、一所懸命勉強に励んだ。その成果もあって、二年、三年の成績はいつもトップクラスであった。 1975年、日本航空(株)(JAL)に入社後、国際業務室、経営企画室、客室乗員部、日本航空文化事業センター出版部(出向)、JALホテルズ営業部(出向)、地球環境委員会事務局等歴任。JALの地球環境部門に入り、CO2をどう抑制したらいいのかという使命感でモンゴルにJALの森をつくろうと努力した。全日本航空労働組合本社ビル支部委員長時代には、日本航空本社移転問題(本社天王州移転)が持ち上がり、経営悪化を懸念して組合委員長として批判し、止めさせようとした異色のエピソードをもつ。 その後、全日本航空労働組合本社ビル支部委員長になり、同盟運動をもって左翼組合を抑えこむ重責を荷う。この時、日本航空本社移転問題(本社天王州移転)が持ち上がり、経営悪化を懸念して組合委員長として批判し、止めさせようとした異色のエピソードをもつ。また、会社では、JALの地球環境部門に入り、C02をどう抑制したらいいのかという使命感でモンゴルにJALの森をつくろうと努力した。が植林地の管理に問題があり、社内での実現の困難と企業社会の限界を感じ、外に飛びだし、自ら環境問題に取り組むことを決意。二〇〇一年二月、会社の早期優遇退職を利用して退社。自ら、本格的な地球緑化関係の環境NGO屋上緑化普及協議会とNPO法人地球緑化推進機構を立ち上げながら、JALに環境問題への対応を働きかける。 2001年早期依願退職。翌年6月、環境NGO「屋上緑化普及協議会」(現NPO法人地球緑化推進機構)を設立。代表として地球規模の森林再生と緑化に努めてきた。歴史研究者の顔も持ち、テレビ東京の歴史番組に出演。雑誌『ムー』(学研)8月8日号では「蘇我王朝の復活」と題し、日本史の真相について寄稿している。 その年の九月にアメリカで9.11事件が発生。「何かおかしいぞ」と思い、事件の真相の深層をさぐることに。アメリカ軍が改造した空中給油機がツインタワービルに突入したり、一機目のワールドトレードセンターのビルに飛行機が突っ込むのを、どうしてCNNが好角度で最初から撮影していたのか。加えて、ユダヤ系の約4000人とも言われる金融会社の社員が当日出動していなかったのか、など。次々と疑問が脳裏に。(これはアメリカのネオコンによる自作自演であろう)極めつけは、アメリカがアフガン、イラク戦争を行ない、小泉元首相によって日本もそれに追随参戦.経済も、市場原理主義、株主資本主義が隆盛を極め、このままでは日本が本当に壊れてしまうと危機感を抱く。 日本航空在職中の1978年頃から、新自由クラブ結成に集まった政治青年達を集め、 「新自由主義研究会」を組織。1980年から「新自由主義研究会」を発展させ「ワールドフォーラム」と改称し、各界のリーダーを輩出する教育・実践の場として、代表幹事に就任。毎月各方面からその分野の第一人者を招き、国際政治経済・外交問題・環境・歴史文化・健康医療・重大事件等の真相究明などの講演会を約30年の長きに渡り開催して来た。倒れたのは、8月8日の月例会で話している最中。救急搬送されたまま、帰らぬ人となった。2009年8月9日午前11時、脳出血のため東京都足立区の病院で逝去された。享年59歳。 |
【ワールドフォーラム代表・佐宗邦皇変死事件】 | |
2009.8.8日、日本航空123便の御巣鷹山に墜落した事件(1985年8月12日)の真相を追っていたワールドフォーラム代表・佐宗邦皇氏は、ビデオの月例会(高橋五郎の講演会との説もある)で話している最中、ペットボトル「おーい!お茶500ml」を一口飲んだ、そのわずか30秒~1分程で突然体を回転させて倒れ、救急車で王子病院に運ばれ、翌日死去した。すかさずそのペットボトルを回収すべく駆け寄った何者かの間で、緊迫した状況があったようである。お茶のボトルがどうなったかについては誰も分からない。この事件にも、解明しなければならないことが山とある。風化させてもイケないし、闇に葬ってもイケナイ。 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK265」のフランクリン氏の 2019 年 9 月 27日付投稿「台風による豪雨で深層崩壊の大被害と天皇の生前退位が示す安倍政権の暴政が招いた無責任政治への天の怒り」が次のように記している。
◇ 佐宗邦皇氏が死去 --> こちら その月例会のビデオです。 ・・・ 「御巣鷹山の真相について」佐宗邦皇代表WF200908例会 ・・・ http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2010/08/post_1819.html |
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【佐宗邦皇葬儀】 |
ワールド・フォーラムの佐宗邦皇代表が突然の脳出血により亡くなつた。8.12日午前、、葬儀・告別式が日台東区東淵寺で無事執り行われた。喪主・妻・佐宗多鶴子、長男は佐宗邦威(くにたけ)。PCメール: sasokunitake@gmail.com |
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(私論.私見)