航空自衛隊員の異常変死

 更新日/2017(平成29).9.29日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 


 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK92」の純一氏の2010.8.15日付け投稿「[日本航空123便墜落事故]  自殺した航空自衛隊員が所持していた 2枚の写真 (世界の真実の姿を求めて!)」を転載しておく。

 【「日航123便は自衛隊に撃墜された」と言ううわさがある。この「あり得ない」ようなうわさ、すでに後部圧力隔壁の破損と原因を結論付けられているが、果たして真相はそうなのか? 事故後25年を経過したにもかかわらず、なお因果関係を説明できない事象が絶えないのはなぜか。本稿はその手がかりの一端を提起したものである。】

 (以下、本文転載貼り付け)

 http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1095.html

 2010-08-14

 自殺した航空自衛隊員が所持していた2枚の写真

 日本航空123便墜落事故が発生して、2日前に25年が経過した。日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日18時56分に、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故。自衛隊員の自殺数は1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。(一省庁のなかで1年間で90人これだけの自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった。)

 最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった。そしてつづいて同年9月12日14日と航空自衛隊員が二人自殺する、(これを皮切りに謎の自殺数増加がはじまる)そのうちの一人(9月12日死亡)が友人に預けていた二枚の写真があるのだが、一枚は7月に自殺した同僚二人の写真(a)である。

 この時の状況だが二人は自殺をはかった直後に発見され、自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も、検視解剖もされなかった。だがこの写真の異様さに気づくだろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなにもない、しかもパラシュートコードを使ったというが、このコードは6mmほどで300kg近い耐力があり、首への食い込みは太いロープなどと違い血管も神経も切断する。それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送するまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人とも遺書は残していない)

 そしてもう一枚の写真(b)が暗い倉庫内(建造物にはモザイクをいれた)の写真。暗い倉庫でフラッシュ無しで撮影されたよう。これはなんなのか? 自殺した航空自衛隊員が、なぜこの2枚の写真を何の説明もなく他人に預けたのだろうか?

 日航123便の垂直尾翼はその70パーセントが見つかっていない。写真(b)の右はじ部分まくれあがってるような部分があるがそこにオレンジと黒の色が見えるが、123便に使用されている塗料は白黒赤だけであり、「オレンジ色」は一切使われていないという。折れ曲がりボロボロだが、これは失われた「70パーセント部分」ではないだろうか!?自衛隊は二種類の鮮やかな「オレンジ色」のミサイル照準訓練用の小型標的機を所有している。

 【写真(A),(B)】 http://blog-imgs-32.fc2.com/o/u/j/oujyujyu/08141.jpg

 http://plaza.rakuten.co.jp/topsecretx/diary/200802250000/

 【写真(日航マーク)】 http://blog-imgs-32.fc2.com/o/u/j/oujyujyu/08142.jpg

 【動画 : 日航ジャンボ123便 JAL123 墜落現場 】

 http://www.youtube.com/watch?v=Yu4WkvI5cL4&NR=1

 第4話 自衛隊員の自殺率の嘘

 1981年より自衛隊員の自殺数の調査が行われている、そして1982年から自殺数が急激に上がり1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。だが実は1981年に調査を開始した記録はなく、1986年に急に以前から調査していたかのように自殺数を公表しはじめた、一省庁のなかで年間これだけの自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった、しかもなぜわざわざ81年から調査しているなどと嘘をつかなければならないのだろうか?自殺率増加という一見マイナスイメージしか生まない情報操作はなにを意図したものであろうか?

 最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった、そしてつづいて同年9月12日14日と航空自衛隊員が二人自殺する、(これを皮切りに謎の自殺数増加がはじまる)そのうちの一人(12日死亡)が友人に預けていた二枚の写真があるのだが、一枚は7月に自殺した同僚二人の写真(a)である。(ぼかしをいれてある)この写真の二人だが、当時隊内では同性愛者の心中ではと茶化されておわったという、この時の状況だが二人は自殺をはかった直後に発見され、自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も、検視解剖もされなかった。だがこの写真の異様さに気づくだろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなにもない、しかもパラシュートコードを使ったというが、このコードは6mmほどで300kg近い耐力があり、首への食い込みは太いロープなどと違い血管も神経も切断する。それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送するまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人とも遺書は残していない)

 そしてもう一枚の写真(b)が暗い倉庫内(建造物にはモザイクをいれた)の写真だがこれはなんなのか?なぜこの2枚の写真を何の説明もなく他人に預けたのだろうか?

 http://plaza.rakuten.co.jp/topsecretx/diary/200802260000/

 前回の写真の正体を追及したい。

 下の「資料3」の赤い部分、日航123便の垂直尾翼はその70パーセントが見つかっていない。「資料1」の写真は暗い倉庫でフラッシュ無しで撮影されたようで、解像度が非常に悪かったのを最大まで解像度を上げ補色処理をしたものだが、何にみえるだろう?折れ曲がりボロボロだが、これは失われた「70パーセント部分」ではないだろうか!?相模湾上空で失い行方不明のはずの垂直尾翼の写真をなぜ自殺した自衛隊員がもっていたのか、もし自衛隊で回収したのであっても隠す必要はどこにもないはずである。ここで一つのある「うわさ」に行きつく、「日航123便は自衛隊に撃墜された」と言ううわさである。

 ありえない!なんのために自衛隊が民間機を撃墜しなければならないのか、そんな必要もメリットも何もない。荒唐無稽な話としか思えないだろう。よく自衛隊は民間機や客船、漁船などを敵にみたて、ぎりぎりまで接近しミサイルのレーダーロックの訓練を頻繁に行っているのは有名な話だが、ここでミサイルを誤射するなどは絶対あり得ない!別の可能性、自衛隊機と衝突したのであれば飛行中の破損はさらに甚大であるし機長たちも事故前にわかるはずである。

 「資料1」の右はじ部分まくれあがってるような部分があるがそこにオレンジと黒の色が見えるが、123便に使用されている塗料は白黒赤だけであり、「オレンジ色」は一切使われていないという。事故当時のニュース映像で日航側の事故調査員が金属片を回収しようとして証拠隠滅の容疑で自衛官に連行されたが、自衛官がなぜ連行なんかしてるのか関係者の間で疑問だった、その後この映像は一切流れることはなかった。このとき調査員の回収しようとした金属片も日航機には使用されていないはずの「オレンジ色」の破片だった…ここで一番下の写真を見ていただきたい、自衛隊の採用している二種類の鮮やかな「オレンジ色」のミサイル照準訓練用の小型標的機である…

01. 2010年8月15日 13:28:01: P3CoAHge82
日本航空123便墜落事故の関連情報が、以下にも掲載されている。ご参考まで

  http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/499.html

03. 2010年8月15日 15:07:45: 5ewtnZ4geY
訓練用の標的機との衝突が原因であると考えるのは、ちょっと無理な点があるとおもう。 仮にそれが原因であったとしても、それを隠蔽するために生存者を殺害したという推理もうなずけないし、それを陸上自衛隊員に命令して実行したと言うのは更に無理。 訓練用標的機が地上または空中から操縦されていたとしても、空対空ミサイルのような破壊力があるわけではないし、自動的に標的を追尾して命中破壊する能力があるはずが無い。 証拠とされるものが失われたはずの747機の垂直尾翼の破片に付着したオレンジ色のものがあり、それが訓練用の標的機と同じ色に見えるというだけだから、それが証拠だと決め付けられるものにならない。 もし仮に隠蔽された疑いがあるというのであれば、隠蔽した事実が航空自衛隊や海上自衛隊の訓練用標的機との衝突というのが、いささか無理筋ではないだろうか。 同じ様に無理な推理かも知れないが、命中して尾翼を破壊したものが米軍の発射(誤射?)した空対空ミサイルと言うのなら隠そうとしたという理由になる可能性はあるかもしれない。 空対空ミサイルには熱源探知追尾型とミサイル自身が追尾用のレーダーを使用するもの(アクテイブ・レーダー・ホーミング)があるが、この場合には命中した箇所から見れば熱源探知型ではなく、アクテイブ・レーダー・ホーミング型ということになる。 報道されたような原因、即ち過去の事故の修理のために機体後部の耐圧隔壁が破壊され、それが垂直尾翼を破壊したと言うのは明らかに無理な話である。 頑丈な垂直尾翼を破壊するほど圧力隔壁が吹き飛んでいたのなら、乗客が椅子ごと吸いだされてしまっただろう。 何かが隠され隠蔽されていたという推理は成り立つと思うので、いささか無理な仮説ではあるが、米軍機による空対空ミサイルの誤射の可能性の方が筋が良いと思う。 N.T
04. 2010年8月15日 23:18:03: l1NDyNLn5M
 例えば、その当時ガメリカと凌ぎを削っていたtronの開発者が123便に17名も搭乗していたとしたら、どういった政治介入が働いたのだろうか?

 また、墜落現場の近くに住む2人の若者が、墜落した機体を追って山中に入ったときは、すでに自衛隊が入っており、そのとき多くの生存者がいて、自衛隊員が任せてくれと言うので安心して帰ったと言う情報もある。しかし生存者は、一桁だった。

 NT氏は誤射と推察されているが、小生は狙ったものだと考える。

06. 2010年8月16日 04:49:14: P3CoAHge82
次のブログでは、自民党時代にはできなかった関係者による真相の暴露が行われている。必読に値するデータなので参考に供したい。

日本航空123便墜落事故の関連情報  [日航機墜落の真実を求めて] 

  http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/

08. 2010年8月16日 09:42:11: 5ewtnZ4geY
747には空中衝突防止用のレーダーによる警報装置が組み込まれている筈。 ファイアー・ビー(訓練用標的機)程度の小型ジェット機なら回避することは可能。 もし標的機との衝突が原因であれば、それを隠蔽するために捜索に当たった陸上自衛隊員を軽度の命令違反(待機命令違反)で射殺できる筈は無い。 日米が共同開発中の空対空ミサイルと言うのは、サイドワインダー式の熱線探追尾型ではなく、スタンド・オフ(撃ちっぱなしで最終誘導不要)型のアクテイブ・ホーミング・ミサイルのことを差しているのだろう。 85年当時の装備であればファイアー・ビーよりも高速の標的機は使われていなかったと思う。 もしファイアー・ビーが衝突できたのなら、意図しないかたちの事故でしかない。 仮にミサイルによる撃墜だったとしても、意図的に狙ったものとも思えない。 乗客の中にターゲットが存在したとしても、やり方が乱暴すぎる。 必死になって隠蔽したと言う話が事実なら、発射した戦闘機が米軍機であり、隠蔽をアメリカ側から要求されたと言うことでないと無理が生ずると思う。 ソ連による韓国機撃墜もあり、米軍機が民間機を撃墜したと言う事実は公表されるのを避けたいと考えた結果ではないか。 自衛隊を含め日本人でならそこまで冷酷な判断にはならないと思う。 ついでのことだが、747には機体尾部に補助ジェットエンジンがあるが、飛行中は作動していないので熱源探知式のミサイル(サイド・ワインダー)なら命中箇所がメイン・エンジンの方に行ってしまう。 アクテイブ・ホーミングのミサイルによるものと推測する理由である。 また空対空ミサイルの場合でも、訓練用として使われるものなら炸薬を減らしているか、全く無しのものもあるはずで、その場合には識別用にオレンジ色に塗られていることもある。 以上のことは全てが推測でしかないから、これが真実だとは言いきれるものではない。 ただし、事故発生当時の管制用レーダーの映像なり資料が残っていれば、事故機周辺の空中を飛行していた航空機の全てが確認できると思う。 事故機のブラック・ボックスの記録が公開されればもう少し正確な分析が可能になるだろう。 空対空ミサイルに追尾されれば、いかにベテラン・パイロットでも回避するのは困難だろう。 N.T
13. 2010年8月16日 18:41:41: CBYn1J5FM6
いや、だからステルス技術を含んだハイテク兵器の試験運用などをしていたところにJAL機が運悪く巻き込まれたんですよ。当然やったのは米軍で、自衛隊に後始末させたってことでしょ。自衛隊が標的機で・・・というのも嘘だと思う。自衛隊の任務は証拠隠滅が第1なので、人命救助が翌日になってしまったということなのだろう。
当時はまだソ連が健在で冷戦状態なわけで、ハイテク技術が漏れることと日本国民が反米になってしまうことをおそれての政治的判断といえる。
14. 2010年8月16日 22:16:15: JNt4FPkdeY
そのブラックボックス、何故公開されないのか?ボイスレコーダーも編集した音声のみ公開?これっておかしいだろう!無編集のボイスレコーダーとブラックボックスを即刻公開すべきだ!この声が、あまり、おこっていないのでは?(笑)唯、疑惑ばかり論じる方向に行っている、というか誘導されている?(笑)のでは?やはり、対米隷属からの卒業!(笑)政治主導の国造り~!(笑)全て、此処に帰着する?(笑)本日、安身さんの動画を拝見!日米地位協定?沖縄だけかと思ったが?そうでは、無かった。日本国憲法に記載されていない、事項があったのだ。正に寝耳に水。六法全書には、削除されているのでは?鳩山総理の辞任会見、真の日本独立を?今、やっと、分かった思い。恥じ入るばかり。(泣)という事は、沖縄の問題を解決する事が、強いては、日本国憲法に隠れている、日米不平等条約を破棄しなければ!なんて、思う次第。そして、岩上安身さん・山崎淑子さんに感謝!(拝)
15. 2010年8月17日 17:45:26: yDM8dUu8rc
もう随分昔の話だから記憶が不確かになっているが、ちょっと追加しておくことにする。 アクテイブ・レーダー・ホーミングの空対空ミサイルが最初に実用化されたのは70年代でF14トムキャット用のAIM54フェニックスである。 これは火器管制装置が大型のAWG9でしか使用できなかったからF14 専用だった。 小型化されたものがAMRAAMアムラームでヒューズが契約したのが82年、現在のAIM120の始まりと言うことになる。 実戦に使われたのは92年2月のイラク戦争でのMIG29撃墜が発戦果である。 日本が同じ能力のあるアクテイブ・レーダー・ホーミングの空対空ミサイルを開発したのはそれよりもずっと後のことで、三菱電機が製造して採用されたのがAAM4(99式空対空誘導弾)である。 つまり85年当時に赤外線・熱源探知式ではないアクテイブ・レーダー・ホーミングのミサイルを開発して装備していたのは米軍と言うことになる。 この辺が問題のJAL747機を撃墜したのは米軍である可能性が高いと言う根拠である。 勿論推論に過ぎないことだから、これ以上のことは関係者で無い限り判る筈はない。 試作開発中の新型ミサイルのテストを日本でやったかどうかは疑問。 訓練用の標的を使用してテスト中だった可能性もあるが、訓練空域はずっと南にあり、民間航空機の空路帯でミサイルを発射するのは乱暴すぎて推論としても無理なように思う。 しかし実際に事故は起きているし、その原因が公表されたようなものであることは疑わしい。 ブラックボックスが非公開であり、管制塔や米軍・自衛隊のレーダー記録も残ってはいないだろうし公開されるはずも無い。 以上ご参考までに書いておくことにする。 N.T

 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK92 」の純一 氏の2010 年 8 月 15 日付投稿「[日本航空123便墜落事故]  自殺した航空自衛隊員が所持していた 2枚の写真 (世界の真実の姿を求めて!)」。
 【「日航123便は自衛隊に撃墜された」と言ううわさがある。この「あり得ない」ようなうわさ、すでに後部圧力隔壁の破損と原因を結論付けられているが、果たして真相はそうなのか? 事故後25年を経過したにもかかわらず、なお因果関係を説明できない事象が絶えないのはなぜか。本稿はその手がかりの一端を提起したものである。】
(以下、本文転載貼り付け)

http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1095.html

2010-08-14

 自殺した航空自衛隊員が所持していた2枚の写真

 日本航空123便墜落事故が発生して、2日前に25年が経過した。

 日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日18時56分に、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故。 自衛隊員の自殺数は1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。(一省庁のなかで1年間で90人これだけの自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった。) 最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった。 そしてつづいて同年9月12日14日と航空自衛隊員が二人自殺する、(これを皮切りに謎の自殺数増加がはじまる) そのうちの一人(9月12日死亡)が友人に預けていた二枚の写真があるのだが、 一枚は7月に自殺した同僚二人の写真(a)である。

 この時の状況だが二人は自殺をはかった直後に発見され、自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も、検視解剖もされなかった。だがこの写真の異様さに気づくだろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなにもない、しかもパラシュートコードを使ったというが、このコードは6mmほどで300kg近い耐力があり、首への食い込みは太いロープなどと違い血管も神経も切断する。それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送するまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人とも遺書は残していない)

 そしてもう一枚の写真(b)が暗い倉庫内(建造物にはモザイクをいれた)の写真。
暗い倉庫でフラッシュ無しで撮影されたよう。これはなんなのか? 自殺した航空自衛隊員が、なぜこの2枚の写真を何の説明もなく他人に預けたのだろうか?
日航123便の垂直尾翼はその70パーセントが見つかっていない。 写真(b)の右はじ部分まくれあがってるような部分があるがそこにオレンジと黒の色が見えるが、123便に使用されている塗料は白黒赤だけであり、「オレンジ色」は一切使われていないという。 折れ曲がりボロボロだが、これは失われた「70パーセント部分」ではないだろうか!? 自衛隊は二種類の鮮やかな「オレンジ色」のミサイル照準訓練用の小型標的機を所有している。

 【写真(A),(B)】 http://blog-imgs-32.fc2.com/o/u/j/oujyujyu/08141.jpg
 
 http://plaza.rakuten.co.jp/topsecretx/diary/200802250000/

 【写真(日航マーク)】 http://blog-imgs-32.fc2.com/o/u/j/oujyujyu/08142.jpg

 【動画 : 日航ジャンボ123便 JAL123 墜落現場 】  

 http://www.youtube.com/watch?v=Yu4WkvI5cL4&NR=1

 第4話 自衛隊員の自殺率の嘘

 1981年より自衛隊員の自殺数の調査が行われている、そして1982年から自殺数が急激に上がり1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。だが実は1981年に調査を開始した記録はなく、1986年に急に以前から調査していたかのように自殺数を公表しはじめた、一省庁のなかで年間これだけの自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった、しかもなぜわざわざ81年から調査しているなどと嘘をつかなければならないのだろうか?自殺率増加という一見マイナスイメージしか生まない情報操作はなにを意図したものであろうか?

 最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった、そしてつづいて同年9月12日14日と航空自衛隊員が二人自殺する、(これを皮切りに謎の自殺数増加がはじまる) そのうちの一人(12日死亡)が友人に預けていた二枚の写真があるのだが、 一枚は7月に自殺した同僚二人の写真(a)である。

 (ぼかしをいれてある)この写真の二人だが、当時隊内では同性愛者の心中ではと茶化されておわったという、この時の状況だが二人は自殺をはかった直後に発見され、自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も、検視解剖もされなかった。 だがこの写真の異様さに気づくだろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなにもない、しかもパラシュートコードを使ったというが、このコードは6mmほどで300kg近い耐力があり、首への食い込みは太いロープなどと違い血管も神経も切断する。 それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送するまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人とも遺書は残していない)

 そしてもう一枚の写真(b)が暗い倉庫内(建造物にはモザイクをいれた)の写真だがこれはなんなのか?なぜこの2枚の写真を何の説明もなく他人に預けたのだろうか?

 http://plaza.rakuten.co.jp/topsecretx/diary/200802260000/

 前回の写真の正体を追及したい。 下の「資料3」の赤い部分、日航123便の垂直尾翼はその70パーセントが見つかっていない。 「資料1」の写真は暗い倉庫でフラッシュ無しで撮影されたようで、解像度が非常に悪かったのを最大まで解像度を上げ補色処理をしたものだが、何にみえるだろう? 折れ曲がりボロボロだが、これは失われた「70パーセント部分」ではないだろうか!?相模湾上空で失い行方不明のはずの垂直尾翼の写真をなぜ自殺した自衛隊員がもっていたのか、もし自衛隊で回収したのであっても隠す必要はどこにもないはずである。 ここで一つのある「うわさ」に行きつく、「日航123便は自衛隊に撃墜された」と言ううわさである。ありえない!なんのために自衛隊が民間機を撃墜しなければならないのか、そんな必要もメリットも何もない。荒唐無稽な話としか思えないだろう。よく自衛隊は民間機や客船、漁船などを敵にみたて、ぎりぎりまで接近しミサイルのレーダーロックの訓練を頻繁に行っているのは有名な話だが、ここでミサイルを誤射するなどは絶対あり得ない! 別の可能性、自衛隊機と衝突したのであれば飛行中の破損はさらに甚大であるし機長たちも事故前にわかるはずである。「資料1」の右はじ部分まくれあがってるような部分があるがそこにオレンジと黒の色が見えるが、123便に使用されている塗料は白黒赤だけであり、「オレンジ色」は一切使われていないという。事故当時のニュース映像で日航側の事故調査員が金属片を回収しようとして証拠隠滅の容疑で自衛官に連行されたが、自衛官がなぜ連行なんかしてるのか関係者の間で疑問だった、その後この映像は一切流れることはなかった。このとき調査員の回収しようとした金属片も日航機には使用されていないはずの「オレンジ色」の破片だった… ここで一番下の写真を見ていただきたい、自衛隊の採用している二種類の鮮やかな「オレンジ色」のミサイル照準訓練用の小型標的機である…

コメント
01. 2010年8月15日 13:28:01: P3CoAHge82
日本航空123便墜落事故の関連情報が、以下にも掲載されている。ご参考まで

  http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/499.html

03. 2010年8月15日 15:07:45: 5ewtnZ4geY
 訓練用の標的機との衝突が原因であると考えるのは、ちょっと無理な点があるとおもう。仮にそれが原因であったとしても、それを隠蔽するために生存者を殺害したという推理もうなずけないし、それを陸上自衛隊員に命令して実行したと言うのは更に無理。 訓練用標的機が地上または空中から操縦されていたとしても、空対空ミサイルのような破壊力があるわけではないし、自動的に標的を追尾して命中破壊する能力があるはずが無い。 証拠とされるものが失われたはずの747機の垂直尾翼の破片に付着したオレンジ色のものがあり、それが訓練用の標的機と同じ色に見えるというだけだから、それが証拠だと決め付けられるものにならない。 もし仮に隠蔽された疑いがあるというのであれば、隠蔽した事実が航空自衛隊や海上自衛隊の訓練用標的機との衝突というのが、いささか無理筋ではないだろうか。 同じ様に無理な推理かも知れないが、命中して尾翼を破壊したものが米軍の発射(誤射?)した空対空ミサイルと言うのなら隠そうとしたという理由になる可能性はあるかもしれない。 空対空ミサイルには熱源探知追尾型とミサイル自身が追尾用のレーダーを使用するもの(アクテイブ・レーダー・ホーミング)があるが、この場合には命中した箇所から見れば熱源探知型ではなく、アクテイブ・レーダー・ホーミング型ということになる。 報道されたような原因、即ち過去の事故の修理のために機体後部の耐圧隔壁が破壊され、それが垂直尾翼を破壊したと言うのは明らかに無理な話である。 頑丈な垂直尾翼を破壊するほど圧力隔壁が吹き飛んでいたのなら、乗客が椅子ごと吸いだされてしまっただろう。 何かが隠され隠蔽されていたという推理は成り立つと思うので、いささか無理な仮説ではあるが、米軍機による空対空ミサイルの誤射の可能性の方が筋が良いと思う。 N.T
06. 2010年8月16日 04:49:14: P3CoAHge82
 次のブログでは、自民党時代にはできなかった関係者による真相の暴露が行われている。必読に値するデータなので参考に供したい。
日本航空123便墜落事故の関連情報  [日航機墜落の真実を求めて] 

  http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/

08. 2010年8月16日 09:42:11: 5ewtnZ4geY
 747には空中衝突防止用のレーダーによる警報装置が組み込まれている筈。ファイアー・ビー(訓練用標的機)程度の小型ジェット機なら回避することは可能。もし標的機との衝突が原因であれば、それを隠蔽するために捜索に当たった陸上自衛隊員を軽度の命令違反(待機命令違反)で射殺できる筈は無い。日米が共同開発中の空対空ミサイルと言うのは、サイドワインダー式の熱線探追尾型ではなく、スタンド・オフ(撃ちっぱなしで最終誘導不要)型のアクテイブ・ホーミング・ミサイルのことを差しているのだろう。85年当時の装備であればファイアー・ビーよりも高速の標的機は使われていなかったと思う。もしファイアー・ビーが衝突できたのなら、意図しないかたちの事故でしかない。仮にミサイルによる撃墜だったとしても、意図的に狙ったものとも思えない。乗客の中にターゲットが存在したとしても、やり方が乱暴すぎる。必死になって隠蔽したと言う話が事実なら、発射した戦闘機が米軍機であり、隠蔽をアメリカ側から要求されたと言うことでないと無理が生ずると思う。ソ連による韓国機撃墜もあり、米軍機が民間機を撃墜したと言う事実は公表されるのを避けたいと考えた結果ではないか。 自衛隊を含め日本人でならそこまで冷酷な判断にはならないと思う。ついでのことだが、747には機体尾部に補助ジェットエンジンがあるが、飛行中は作動していないので熱源探知式のミサイル(サイド・ワインダー)なら命中箇所がメイン・エンジンの方に行ってしまう。アクテイブ・ホーミングのミサイルによるものと推測する理由である。また空対空ミサイルの場合でも、訓練用として使われるものなら炸薬を減らしているか、全く無しのものもあるはずで、その場合には識別用にオレンジ色に塗られていることもある。以上のことは全てが推測でしかないから、これが真実だとは言いきれるものではない。ただし、事故発生当時の管制用レーダーの映像なり資料が残っていれば、事故機周辺の空中を飛行していた航空機の全てが確認できると思う。事故機のブラック・ボックスの記録が公開されればもう少し正確な分析が可能になるだろう。空対空ミサイルに追尾されれば、いかにベテラン・パイロットでも回避するのは困難だろう。 N.T
09. 2010年8月16日 10:35:21: zncuZCYHBI
 http://news.livedoor.com/article/detail/1333931/
 警察から不当解雇され係争中の大河原宗平氏に関する記事。当時、警察にも圧がかかっていたのか、面倒は避けたがるバ幹部主導の、”いつも通り”の単なる手抜きだったのか・・・
群馬県警の裏金問題を究明する~大河原宗平さんを支える会~ http://happytown.orahoo.com/keiseikyou/
14. 2010年8月16日 22:16:15: JNt4FPkdeY
 そのブラックボックス、何故公開されないのか?ボイスレコーダーも編集した音声のみ公開?これっておかしいだろう!無編集のボイスレコーダーとブラックボックスを即刻公開すべきだ!この声が、あまり、おこっていないのでは?(笑)唯、疑惑ばかり論じる方向に行っている、というか誘導されている?(笑)のでは?
15. 2010年8月17日 17:45:26: yDM8dUu8rc
 もう随分昔の話だから記憶が不確かになっているが、ちょっと追加しておくことにする。アクテイブ・レーダー・ホーミングの空対空ミサイルが最初に実用化されたのは70年代でF14トムキャット用のAIM54フェニックスである。これは火器管制装置が大型のAWG9でしか使用できなかったからF14 専用だった。小型化されたものがAMRAAMアムラームでヒューズが契約したのが82年、現在のAIM120の始まりと言うことになる。実戦に使われたのは92年2月のイラク戦争でのMIG29撃墜が発戦果である。日本が同じ能力のあるアクテイブ・レーダー・ホーミングの空対空ミサイルを開発したのはそれよりもずっと後のことで、三菱電機が製造して採用されたのがAAM4(99式空対空誘導弾)である。つまり85年当時に赤外線・熱源探知式ではないアクテイブ・レーダー・ホーミングのミサイルを開発して装備していたのは米軍と言うことになる。この辺が問題のJAL747機を撃墜したのは米軍である可能性が高いと言う根拠である。勿論推論に過ぎないことだから、これ以上のことは関係者で無い限り判る筈はない。試作開発中の新型ミサイルのテストを日本でやったかどうかは疑問。訓練用の標的を使用してテスト中だった可能性もあるが、訓練空域はずっと南にあり、民間航空機の空路帯でミサイルを発射するのは乱暴すぎて推論としても無理なように思う。しかし実際に事故は起きているし、その原因が公表されたようなものであることは疑わしい。ブラックボックスが非公開であり、管制塔や米軍・自衛隊のレーダー記録も残ってはいないだろうし公開されるはずも無い。以上ご参考までに書いておくことにする。 N.T
22. 2013年1月04日 19:45:15 : Njk77Vm7RA
 日航旅客機123便墜落事件
・・・自衛隊機による撃墜(誤射か故意かを問わずとにかく自衛隊機による撃墜)

 イージス艦あたご漁船衝突事件
 ・・・撃沈または激突で、さらに漁船の漁師2人は、衝突で漁船の上に乗り上げ真空状態になった船底に吸い込まれ、そのままスクリューの水流でスクリューへ吸い込まれ、おぼれながらも生きたままスクリューの高速回転する刃でズタズタに切り刻まれて殺害された。遺体というより肉片や遺品の回収は、さぞや熱心に乗組員総出で必死に行ったことだろう。
海上保安庁、マスコミ、漁協などの市民団体による詳しい査察、乗組員全員からの聞き取り調査、リアルタイムで詳細な報道さえ、満足にさせず事件当初から隠蔽に励み、イージス艦事件の直後から1ヶ月もの間ずっと、横須賀港に停泊させた船内に乗組員である自衛官を全員カンヅメ状態にし厳重な監視下に置き、隠蔽、証拠隠滅、口裏あわせ、口封じ、揉み消しに、徹底して取り組んでたわけだ。

 この記事本文でも取り上げられてる、自衛官の自殺というのは、100%自衛隊自身による殺害以外の何物でもない。自殺、病死、事故死をよそおった殺害・・・暗殺だ。警察における警察官の自殺が100%他殺で、警察自身によるものなのと同様。その証拠に、警視庁の警察施設に防犯カメラが設置された途端に、警視庁管内では警察官の自殺が激減じゃなくゼロになった。(ただし、今度は、防犯カメラの死角や防犯カメラのない場所、たとえば警察施設内ならトイレの個室内、あとは山林か公園などの警察施設外、での現職警察官や元警察官の”自殺”が出現するようになったが。) このことことからも自殺じゃなく他殺だったことがわかる。だいたい、思いつめて生きる気力をなくしたり、不満や怒りや恨みや憎しみに満ちて腹いせで、自殺しようとしてる人が、防犯カメラの有無を気にして自殺するかしないかを決定するわけがない。自殺する人にとっては防犯カメラの有無など、もはやどうでもいいことだ。ごう慢で気が強く生意気なことで知られる警察官が、これから自らの手で死のうというのに、防犯カメラみたいな些細なことを気にするわけがない。拳銃自殺など、防犯カメラ映像を見た誰かが連絡を取り、誰かが止めに来る間もないほど、一瞬で実行できることなのだから。 自衛官や警察官の少なくとも自殺に限っては、100%所属官庁自身による故意で悪意で自己保身まんまんの殺害以外の何物でもないということだ。こんな卑劣な輩どものことは絶対に絶対に永久に許しちゃならん。自国民のことですら腹ん中じゃ虫ケラとしか思わず、自分達の仲間のことでさえ利害を損なうとなると平気で殺害する自己保身ざんまいな卑劣な輩ども。逆にこいつら全員のことは暗殺か公開処刑にして、厳しく厳しく罰してしかるべき。

23. 2013年1月04日 21:01:59 : Njk77Vm7RA
 ただし、警察官の殺害を自衛隊が、自衛隊施設外での自衛官の殺害を警察が、行う程度の融通は十分に利く仲であり、警察と自衛隊が犯罪組織としては完全に一体化した仲であるということと、警察と自衛隊がそういう一体化された犯罪組織官庁の警察部門、軍事部門という、ただの部署違いの関係でしかないという実情も、ぜひ知っておくべき。
そしてさらに、自衛隊、警察、海保、公安調査庁、消防(警察と共に公安職として指定されてる東京消防庁を筆頭に日本全国の消防も、左記の官庁群とグルになって諜報活動を昔からやってる。)などの公安職官庁群にまたがる超巨大な組織内組織=官庁群内組織が存在し、官庁群をまたにかけて官庁内でも、世間でも、暗躍してることも知っておくべき。フランスやドイツはじめヨーロッパ、豪州、北米、南米などの政府や国会で、あとフランスに本拠地を置くICPO(国際刑事警察機構)などの国際機関で、公権力に浸透し公権力を乗っ取ろうと執拗にたくらむことで悪名高く、危険な有害セクトとして指定されてる、日本の巨大新興カルト仏教信者つながりの指令系統を主体に、それ以外の職員にも幅広く指令系統の枝葉を張り巡らし、さらには信者以外をも含めた民間勢をも取り込んだ指令系統で動く、組織内組織=官庁群内組織。
24. 2013年1月04日 21:47:24 : oPLlRicnAE
 日航ジャンボ123便 生存者は自衛隊員がアーミーナイフで殺害していた 愉快通快 http://www.asyura2.com/09/lunchbreak27/msg/669.html
25. 2013年1月05日 00:16:55 : h44dDgWxdI
 墜落原因が自衛隊標的機との接触で、それを隠匿するために墜落場所情報の撹乱と特殊部隊による現場封鎖が行われたまでは「有り得る」でしょう。しかし自衛隊員が生存者を殺害する必要性は見当たりません。F-4とF-15の識別ができないどころか最近乗った飛行機が777か767かにも興味がない素人が、仮にファイアビーを目撃して曖昧な証言をしても簡単に否定できるでしょう。エンジンを吹かすと機首が上がる性質を利用して山を乗り越えようと試みて、車に例えればアクセル全開で山に衝突したのですから遺体が悲惨な状態であったのは物理的に整合性があることです。あと2時間程度飛行可能な燃料を積んだ状態で600km/h以上の速度で衝突し、右主翼、後部胴体が分離、残りの本体部分が裏返しになる形で破壊されて衝突エネルギーを吸収したのが現実です。人間の持つ業が陰湿な形で現れるのはどんな組織でもあることで、そのことと科学的な事故原因の究明は分けて考えるべきではないでしょうか。個人的にはアメリカの砂漠で解体待ちの初期型のジャンボの実機を使って上空での隔壁破壊実験を行う以外に真実に近づく方法は無いと考えます。この事故を受けてB社は747の垂直尾翼の設計変更を行っていますので、それ以前に製造されたクラシックジャンボのフライアブルな実験機を入手可能なのはここ数年が最後のチャンスです。
 

 陸幕二部別室 住民至上主義 「国家は組織欲でしか動かない化け物である」
 (前鹿児島県阿久根市長で元自衛官 竹原信一氏のブログ)
 http://blog.livedoor.jp/jijihoutake/archives/51911913.html

 「死人に口なし」にされたのだ。

日本航空123便ジャンボジェット機墜落事故の真相、その他の未解決事件、改竄された歴史について考える。 http://blog.goo.ne.jp/adoi/arcv

57. 2013年1月07日 09:39:06 : Njk77Vm7RA
【「業転」と呼ばれる日本の先物取引業者によって、JAL123便撃墜事故とグリコ森永事件とが結びつきます。】
日航ジャンボ機・墜落事故から27年・・・GDPを上回る闇金の世界
http://alternativereport1.seesaa.net/article/286266911.html
日航ジャンボ機・墜落事故の真相と、洗脳されたままのロボット=日本人
http://alternativereport1.seesaa.net/article/286267437.html

【秘密暗殺部隊パイナップル・ブリゲイズは、在日米軍内ではなく自衛隊内に設置されています。】
米軍の日本人市民「殺害専用」部隊
http://alternativereport1.seesaa.net/article/254217317.html
毎年10万人の日本人市民が「行方不明」となっている、その理由
http://alternativereport1.seesaa.net/article/311428663.html

【パイナップル・ブリゲイズ以外に、自衛隊にはこんな秘密暗殺部隊もあります。】
陸幕二部別室    住民至上主義 「国家は組織欲でしか動かない化け物である」
http://blog.livedoor.jp/jijihoutake/archives/51911913.html

日航ジャンボ123便 。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak41/msg/499.html
日航ジャンボ123便 ソ連軍機ベア~標的機誤射~緘口令~事後処理の為の特殊部隊の編成~情報撹乱~ガス~火炎放射器~地獄~
http://www.asyura2.com/09/lunchbreak27/msg/1221.html
日航ジャンボ123便 生存者は自衛隊員がアーミーナイフで殺害していた
http://www.asyura2.com/09/lunchbreak27/msg/669.html

【JAL123便墜落事故のカテゴリです。まだ私も読んでいる途中で長いですが、非常に読み応えがあります。】
JAL123便墜落事故 - (新) 日本の黒い霧
http://blog.goo.ne.jp/adoi/c/b41409f3e320038c1e0c881565862d49

2・日航ジャンボ機123便は撃墜されたのか!?  -  陸奥ひとり旅のブログ
http://ameblo.jp/prosperity-ryouma7/
58. 2013年1月07日 12:55:00 : 70wQImzvlP

■1985年、プラザ合意(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)の背景と日航機事故

http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/0a90a4a1a164494d36e1aa4d06d7e6e8

プラザ合意前は「脱米国」という日独仏の基本スタンスがくっきりと見えていました。そして、そんな矢先に起こったのが次の大事件・大事故です。

(1)1985年7月 虹の戦士号爆破事件(フランス)
(2)1985年8月 ドイツスパイ事件(西ドイツ)
(3)1985年8月 日航機事故(日本)

63. 2013年1月07日 19:01:59 : oPLlRicnAE
> 日航ジャンボ機・墜落事故から27年・・・GDPを上回る闇金の世界
> http://alternativereport1.seesaa.net/article/286266911.html
71. 2013年7月23日 01:52:03 : 694mxfoER2
 実は、この事件があったとき、たまたま地上で機動隊などによる捜索指揮を担当する事になったのが群馬県警の大河原宗平警部補です。他の警察官が事件の速報を知って、5時が過ぎたのを理由に逃げ帰る中、独り残って墜落位置の推定や捜索指導をしたのでした。後に、彼は警察に蔓延する裏金作りを告発したことから警察組織にでっちあげ逮捕され懲戒免職を受けました。その後、竹原信一市長から阿久根市役所の総務課長に採用されました。公務員組織の腐敗、隠蔽体質はどこでも同じです。市長が替わった後、彼は閑職に追いやられた上に毎日、嫌がらせを受けています。
104. 2014年3月23日 13:49:56 : 4PYXx4QmCY
https://www.youtube.com/user/ALPAJapanOrg/videos

 これを見れば圧力隔壁の破壊説には疑問が残る。 その他、「墜落の夏」「隠された証言」・・・「墜落遺体」などを読んだら、さらにその原因説には疑惑が深まる。当時の日本政府は、墜落原因の決定的な物証になる垂直尾翼の全残骸回収を怠っている。 機内喫煙可の時代に空気漏れがあるのならタバコの煙が圧力隔壁に付着する。 事故調査委員会は情報公開法の施行される前に調査資料の殆どを処分した。(2週間後には結論が出ていた)→しかし何者かが破棄される前の資料を持ち出して、事故の検証をしていた藤田日出男氏に匿名で渡した。事故機に搭乗して生存していた現役(非番)の客室乗務員によると、トイレの中で今まで聞いた事のない音を聞いた。急激な減圧も気温の低下も酸欠状態にもならなかった。(検索すれば酸素マスクが降りた写真があるが、乗務員は普通に会話している) 事故調査委員会発表のヴォイスレコーダの口述筆記やユーチューブに上にある音声は圧力隔壁破壊説に沿うように編集された疑いがある。 などなど。

●特殊部隊は墜落現場で何をしたか(EJ第1063号)
http://intec-j.seesaa.net/article/53983815.html

113. 2014年8月11日 15:38:20 : mELn5CgTzU
これまで判読不能とされてきた会話の一部など「新事実」が判明したそうだ。
「ドーン、ドーン、ドーン」日航機墜落30年目に判明した爆発音 フジが特番(産経新聞)
http://www.asyura2.com/13/nihon31/msg/425.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 8 月 11 日 01:00:15: igsppGRN/E9PQ
114. 2014年8月12日 02:03:42 : FzaoKlqdxT
二人の航空自衛隊員(パイロット?)の1986年の自殺の写真が2人とも飛行服か作業服のようなものを来ているがこの当時の飛行服はオレンジであり作業服はグレーである。ちなみに制服は青です。また、2人揃って同じ高さで首を吊っているのも不自然?あきらかに誰かが作った合成写真のようだ。
117. 2014年8月12日 11:10:06 : EVC1iQ02zI
>>112

■TRONの坂村健博士おめでとうございます。

2006 / 10 /18
http://designist.net/blog/archives/2006/10/tron.html

10月16日には、わが国IT世界の頭脳でありエンジンとも呼べる、坂村健博士 (東京大学大学院情報学環教授) が史上最年少で名誉ある日本学士院賞をお受けになり、そのお祝いのパーティが麻布の国際文化会館で開かれました。

130. 2014年8月14日 18:17:27 : JAtsWYI22s
8月12日が来ると日航123便墜落事件が走馬灯のように蘇る
:元・日航エリート社員の故・佐宗氏の遺言

*故・佐宗氏は日航機事故の真相を講演で暴露した直後、不審死

*123便に最初に当たったのは軍事演習用のオレンジ色の無人標的機
*123便に異常が発生した時刻、相模湾海域で護衛艦『まつゆき』が引き渡し前の試験航行していた
*『まつゆき』の誘導ミサイルテストは123便を狙った。
*標的機に垂直尾翼を破壊された123便は、緊急着陸すべく横田基地に向かったが着陸直前に、拒否された・・・
以下ブログへ
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/34025298.html

佐宗邦皇氏が語る「真相」
https://www.youtube.com/watch?v=Y-rbgPbmmTo

123便に衝突したのはファイヤー・ビーとチャカ2
http://www.link-21.com/JAL123/022.html


(1) 事故の原因は内部的要因ではなく外部的要因によるもの

●事故報告書の後部圧力隔壁の破壊説は、落合由美さんの証言や、ボイスレコーダーのコックピット内の状況からも、機内の気圧は安定していて、圧力隔壁が損壊した時の急減圧は起きていない。

●垂直尾翼が落下したり全油圧系統が機能停止したの原因は、外部要因以外考えられない。


(2)事故当日の状況

●事故当日、事故現場の相模湾では、、相模湾内で護衛艦「まつゆき」が試験航行していた。すでに指摘されているように、誘導レーダーの実験演習が行われていて、123便の衝突したのは実証実験中の誘導ミサイルと考えることは自然である。

●ネット上での説は、無人標的機のファイア・ビーが犯人であるとしているが、ボイスレコーダーに衝撃音が2度あることから、無人標的機のファイア・ビーとそれを追尾していた誘導ミサイルのチャカ2が連続して123便に衝突したと考えるべきである。

●誘導ミサイルの実証実験は、無人標的機のファイア・ビーを飛ばして、誘導ミサイルのチャカ2が追尾する状況を検証していたと考えるのが自然であり、衝突したのを、 ファイア・ビーかチャカ2のどちらかという議論は意味がない。

●以下、無人標的機のファイア・ビーと、誘導ミサイルのチャカ2が123便に衝突したという説を論理展開していく。

(3) ファイア・ビーとチャカ2の衝突時の状況

●日本航空123便は、離陸から12分後の18時24分、相模湾上空を巡航高度の7,200mを南西方向に機首を向けて上昇していた。

●同時刻に、誘導ミサイルの実証実験をしていた護衛艦「まつゆき」から発射された。

●無人標的機のファイア・ビーとそれを追尾する模擬誘導ミサイルのチャカ2は、高度7000m付近を南東方向の縦に並んで水平飛行していた。

●南東に向けて水平飛行していた「ファイア・ビー」と「チャカ2 」は、南西に向けて上昇中の日本航空123便クロスするように衝突。

●先頭を飛んでいた「ファイア・ビー」は、123便の胴体の中央下部に、「ファイア・ビー」を追尾していた「チャカ2 」は、1一秒遅れて水平尾翼に衝突した。

●この時の衝撃音が、18時24分35秒と36秒の衝撃音。

日本航空123便は、胴体中央下部への衝突で油圧系統が損傷。さらに、車輪格納扉が落下もしくは開放され、機内は着陸警報が一秒間鳴り、同時に急減圧による白い霧が発生し酸素マスクが自動降下した。

一秒後に「チャカ2 」は、水平尾翼に衝突して垂直尾翼が落下。水平尾翼が、進行方向に対して機尾が九の字の跳ね返り、さらに右舷に傾いた。以降、123便は、直進の際に、機首が上を向きながら右へ傾くようになる。

123便は油圧系統の制御が不能となり、機体は上昇する傾向と右へ傾く傾向が生じる。
(4) デジタル飛行データとの照合

参考資料 第三章 事故調が主張する事故原因についての検討

デジタル飛行データでは、異常発生時に、上下方向の加速度が、一瞬、+0.75Gに下がり、次の瞬間には、横方向の加速度が加わったことを示したあと、機首が1秒間に4.5度機首を上げして、2秒後に元の位置に戻っている。最初の加速度が下がったのは胴体下部に衝突したファイア・ビーの影響で、一秒後に。横方向の加速度が加わったのは、チャカ2が垂直尾翼に衝突した証拠。一秒後に機首が上がったのは、チャカ2 の衝突で、水平尾翼を中心に加速度にブレーキがかかり、機首が上がったとと考えられる。


(5) 遺族が公開した写真にファイヤー・ビーが映り込んでいる。

●事故現場から回収されたネガフィルムには、胴体下部に衝突したファイヤー・ビーが映り込んでいる。

●この写真は、右側最後部)ドア近くの乗客が所持していたもので、事故後遺族が公開した写真である。

●写真は数枚連続して映されていてることから衝撃音の直後に窓から外の様子を写したのだと推測される。

●上昇中の123便の左舷から水平に胴体下部に衝突したファイヤー・ビーは、角度を変えて、123便の右後方に飛んでいたとすると、この写真の説明がつく。

●おそらく、二度の衝撃音で機内が騒然となっているなかで、窓の外を見ていた乗客がファイヤー・ビーに気が付いたのだろう。そして、シャッターを押した。


(6) ボイスレコーダーとの照合

●当時の、123便のジャンボ機は、機長と副操縦士。そして航空機関士の3人体制で運行していた。

慣例で通常航空機の操縦席は、左席に機長席座り、副操縦士は右席に座る。

この日の123便は、副操縦士が機長昇格訓練のために、副操縦士が左席に操縦と交信を担当していて、機長が右席でモニター業務を行っていた。

以下、ボイスレコーダーの会話記録で、(CAP)は機長、(COP)は副操縦士、(F/E)は航空機関士、(PUR)はパーサー、(STW)はアシスタント・パーサーを含むスチュワーデス、(PRA)はプリレコーデッド・アナウンスを意味します。

 18時24分35秒 「ドーン」というような音
18時24分36秒 「ドーン」というような音
18時24分37秒 【客室高度警報音 又は 離陸警報音】
18時24分38秒  (CAP)まずい
18時24分39秒  (CAP)何かわかったぞ

●衝突音の後、機長は「まずい。何か(音の原因)が(何か)わかったぞ」と言っています。これは、右側に落下するファイヤー・ビーを視認したからで、ファイヤー・ビーが123便と衝突したことを理解したのでしょう。

 18時24分40秒
18時24分41秒
18時24分42秒 (CAP)スコーク77入れるぞ

●機長は、即、スコーク77を発信して自衛隊機の123便の位置を知らせます。

 18時24分43秒 (CAP)入れる入れよ。
18時24分44秒 (COP)はい

●機長の「入れる」とは、ATCトランスポンダにコード番号を入力するという意味。

続く「入れよ」とは、ATCトランスポンダの周波数で自衛隊機との音声による交信に入れと、副操縦士に指示をだしています。

この時、副操縦士が左に座っていて操縦と交信を担当していて、機長は右側でモニター業務をしている。

スコーク77の識別信号を自動発信するATCトランスポンダは、同じ周波数を使うことで、機長席のヘッドフォンを通じて軍用航空機と音声で交信できる。

機長は、識別コードの入力後、副操縦士のヘッドフォンに自衛隊機との交信が入ることを副操縦士に伝えている。

 18時24分45秒
18時24分46秒 (ここから自衛隊機との交信開始)
18時24分47秒 (COP) スコーク77
18時24分48秒 (COP)オレンジエア

●副操縦士が「スコーク77」「オレンジエア」と話しているのは自衛隊機に言っています。「スコーク77」は緊急事態宣言。「オレンジエア」は、ファイヤー・ビーが衝突したことを伝えています

 18時24分49秒
18時24分50秒
18時24分51秒 (F/E)ラジオ追送いたしますので
18時24分52秒

 18時24分53秒 (COP)はい
18時24分54秒
18時24分55秒 (COP)オレンジエア

●ここも、自衛隊機と副操縦士との会話。機長席に副操縦士が座っていたので自衛隊機との交信は副操縦士しかできなかったのでしょう。

 18時24分56秒
18時24分57秒 (COP) ハイドロプレッシャみませんか?
18時24分58秒
18時24分59秒 (CAP)何か爆発したろ?

●この爆発音で、油圧系統が駄目になったのだと推測されます。

 18時25分53秒 (CAP) バンクとんな そんなに 
18時25分54秒 (COP) はい
18時25分55秒 (CAP) バンクそんなにとんなってんのに
           
●この会話で、123便が右舷に傾くように飛行している状況がわかります。これは、2回目の衝撃で後部水平尾翼が、右舷方向に傾いたことを意味しています。

 18時26分31秒 (CAP) ディセント
18時26分32秒 (COP) はい
18時26分33秒 (F/E) ディセンドしたほうが
18時26分34秒    いいかもしれないですね
18時26分35秒 (COP) ディセンド
18時26分36秒
18時26分37秒
18時26分38秒
18時26分39秒
18時26分40秒 【高度警報音 2秒間】
18時26分41秒 (CAP) なんでこいつ・・・*ディセンド(緊急降下)失敗。

●この会話は、ディセント(緊急下降)しようとするも、コントロールできずに、むしろ、設定した巡航高度を超えていることを警告する高度警報音が鳴っている。
つまり、123便は上昇している。だから、機長の「 なんでこいつ」という会話となる。

●123便の水平尾翼は、2度目の衝突で、機尾が進行方向に対して反り返るように変形していて、上昇する傾向が出ていた。

 18時28分14秒 (F/E) 下がりましょう
18時28分48秒 (CAP) ライト ターン
18時28分49秒   ディセンド

●123便は、右旋回しながら高度を下げようとしています。機首が上に向く傾向があるので、出力をあげると失速することも機長は指示を出しています。

 18時29分05秒 (CAP) ストールするぞほんとうに
18時29分06秒 (COP) はい 気をつけてやります
18時29分07秒 (CAP) はいじゃないが
18時29分08秒 (COP) はい
18時29分09秒 (CAP) ディセンド

●しかし、高度は下がるどころか高度警報音がなります。

18時29分16秒 【高度警報音 2秒間】

18時37分04秒 (CAP) おりるぞ

●大月市上空で123便は右に旋回しながら高度を下げます。

18時37分31秒 (CAP) あたま下げろ (高度6800m)
18時38分04秒 (CAP) あたま下げろよ
18時38分05秒 (COP) はい
18時38分32秒 (F/E) ギヤダウンしたらどうですか?
18時38分45秒 (CAP) 出せない
18時38分46秒     ギヤ降りない
18時39分13秒 (F/E) オルタネートでゆっくりと
18時39分14秒     だしましょうか?
18時40分22秒 (F/E) ギヤダウンしました(高度6800m)
18時40分23秒 (COP) はい
18時41分00秒 (CAP) あったまさげろ  (高度6300m)
18時41分01秒    そんなのどうでもいい
18時41分07秒 (CAP) ストールするぞ
18時41分08秒 (COP) はい
18時43分23秒 (CAP) あたま下げろ
18時43分24秒
18時43分47秒 (CAP) おもたい
18時43分48秒    もっと もうすこし
18時43分49秒    あたま下げろ
18時43分50秒 (COP) はい
18時43分56秒 (CAP) 下がるぞ
18時44分05秒 (CAP) おもたい
18時44分22秒 (CAP) いっぱいやったか?
18時44分23秒 (COP) いっぱい かじ
18時44分24秒      いっぱいです
18時44分43秒 (CAP) あーおもたい 18時44分47秒 (F/E) フラップどうしましょうか?
18時44分48秒     下げましょうか?
18時44分49秒 (CAP) まだはやい
18時44分50秒 (F/E) まだはやいすか
18時44分51秒 (CAP) まだはやい
18時44分52秒 (COP) ギヤおりてますか?
18時44分53秒 (F/E) ギヤおりてます
18時44分54秒 (CAP) えっ
18時44分55秒 (COP) コントロールのほうが
18時45分18秒 (CAP) ここでホールド・・・ (高度4000m)

●これ以降は、123便は墜落ではなく不時着したという説で、ボイスレコーダーとの照合をします。

123便は墜落したのではなく不時着した
http://www.link-21.com/JAL123/023.html


(1) 墜落ではなく不時着だった

1985年8月の日航機123便墜落事故の真実は、墜落ではなく不時着したと考える方が合理的だ。なぜなら、航空機事故で、離陸時や着陸時の不時着による事故での生存者はいるが、墜落した状況で生存者がいた事例はないからだ。 日航機123便は、山腹を駆け上がるように着陸する胴体着陸を試みて、切望的な状況で多数の生存者が出た。(4人だけが救出)

(2) 斜面を利用しての胴体着陸だとする根拠

墜落直前に、「あたまあげろ」「パワー。パワー」と叫びながら録音は終わっています。 123便は墜落直前にエンジンを全開にして機首を上げていたのでしょう。斜面と機体が平行になるように。つまり、山の斜面を駆け上がるように胴体着陸を試みていたのです。墜落した状況は、

1 図1のAの地点で胴体の底が接触。
2 Bの地点で胴体の後方部分が接触し、尾根をU字に削り 3 C(写真2)の地点に3右翼を下に墜落。
4 右エンジンの爆発で胴体が折れて、
5 写真3の方向に胴体後方から斜面をずり上がり
6 機首部分は、写真1の方向に斜面を上にずり上がっていった。

おそらくBの地点で胴体が尾根と接触し、機体が右に傾きそのまま写真2に機体の腹から衝突したと考えられます。衝突で機長が「駄目だ」と言ったのは、それまで保っていた水平が、Bの地点接触で、機首が少し下がり右翼が下がったからだと思います。結果的には、右翼を下にして写真2の地点に墜落し、右エンジンが爆発し胴体が分離し、胴体後方部は尾翼側を上にして斜面写真3の方向にずり上がり、機首は写真1の方向に斜面をずり上がったと考えるべきです。


(3) 事故報告書の墜落時の状況では生存者は出ない

-18時56分23秒-
機体後部と右主翼が三国山の北北西1.4キロメートルの稜線 (標高1,530メートル・通称「一本から松」の地点。全体図Aの地点) にある数本の樹木と接触、第4エンジンが機体から脱落。機体は反動で浮上し、大きく機首を下げ右側に傾く。

23秒の衝撃音の直前には、機長の「もー、だめだ」という悲痛な叫び声が記録されている

-18時56分26秒-
右主翼が「一本から松」から西北西約520メートルの稜線(標高約1,610メートル・通称「U字溝」の地点。全体図Bの地点)をえぐり、垂直尾翼・水平尾翼が機体から脱落。

-18時56分28秒-
機体後部が離脱。

-18時56分30秒-
「U字溝」から更に北西約570メートルにある稜線に、右主翼と機首を下に向けほぼ倒立するような形で激突。機体はそのまま前のめりにひっくり返り裏返しになるような形で墜落した(全体図Cの地点)。

*この墜落状況で生存者がいたとは考えられない。


(4)ボイスレコーダーとの照合

大月市上空を旋回して、5分間で高度6800mから高度フィートから4100mに降下した123便は、46分9秒の『羽田にコンタクトしますか?』の交信あたりから、123便の進路は、突如として北西方へ進路を変更する。

進路変更した経緯は、ボイスレコーダーではわからないのだが、46分33秒に機長は、「これはだめかもわからんね」と発言している。

スコーク77を発信して以降、123便は自衛隊機の管理下にあり、機体が制御できない123便の横田基地への着陸も、羽田への帰還も、誘導している自衛隊機の指示であったと推測する。

46分33秒の「これはだめかもわからんね」の発言の真意は、自衛隊機から、秩父山中の山腹への不時着を指示されていたと考える。

水平尾翼が九の字に反り返った123便は、機首が上がる傾向にあり、これを利用すれなば、失速させ高度を下げて不時着直前にエンジン全開にすれば機体が斜面をずり上がるという作戦である。

123便は機首を北北西に変えて、さらに高度を下げていく。

18時47分00秒 (STW) 高度はだいぶおりてます。高度2700m

落合由美さんの証言で、窓に富士山が見えたという証言がありますが、この時に富士山よりも低く飛んでいたことの証明でしょう。

 18時47分39秒 (CAP) おい山だぞ (F/E) はいどうぞ
18時47分41秒 (CAP) ターンライト
18時47分43秒 (CAP) 山だ (COP) はい 18時47分44秒 (CAP) コントロールとれみぎ
18時47分45秒 ライトターン
18時47分52秒 (COP) ライトターンですね? 18時47分53秒 (CAP) 山にぶつかるぞ (COP) はい
18時47分55秒 (CAP) ライトターン

この時に123便は不時着すう斜面を探しながらダッチロールしていたと思われます。そして、最初の不時着へのトライと中止。

 18時47分58秒 [警報音 48分26秒まで鳴動継続]
18時49分59秒 (CAP) マックパワー 不時着中止
18時48分00秒 (COP) マックパワー
18時48分02秒 (F/E) がんばれー
18時48分03秒 (CAP) あーふたりでやらなくていい

客室高度警報音 又は 離陸警報音というのは、対地接近警報装置の初期段階ではないだろうか。機長は、山腹への胴体着陸にトライしたが、瞬時に中止してエンジンの出力を上げて再浮上した。機内では、緊急着陸がアナウンスされて乗員、乗客は衝撃体制をとっている。

 18時48分04秒
18時48分05秒 (CAP) レフトターンだ
18時48分06秒
18時48分07秒
18時48分08秒 (CAP) レフトターン (COP) はい
18時48分10秒 (CAP) レフトターン
18時48分11秒 (STW) こんどは予告しない着陸する・・・ 
         18時48分12秒 (CAP) レフトターン
18時48分16秒 (CAP) パワーちょっとしぼって
18時48分19秒 (CAP) あーみぎみぎ
18時48分20秒    あったま下げろ
18時48分35秒 (CAP) あったま下げろ

そして、機長は2回目のど山腹への胴体着陸を決意する。

 18時48分37秒 (CAP) よし
18時48分 40秒 (CAP) やまいくぞ (COP) はい

しかし、再度再浮上。このときに123便は激しくダッチロールしたと思われます。

 18時48分51秒 (COP) ふかしましょうか
18時48分52秒 (CAP) パワーパワー
18時48分54秒 (CAP) ハー (荒い呼吸音)
18時48分55秒     ハー
18時48分56秒     ハー
18時48分57秒     ハー
18時48分58秒     ハー
18時48分59秒 (CAP) パワー
18時49分00秒 (CAP) ハー (荒い呼吸音) 18時49分01秒     ハー
18時49分02秒    ハー
18時49分03秒    ハー

航空機関士が再浮上を提案。機長が同意して高度3000まで浮上するも、機首が上がりすぎたためにストール(失速)

 18時49分11秒 (F/E) ふかしましょう
18時49分12秒     ふかしましょう
18時49分13秒 (CAP) ライトターン
18時49分39秒 (CAP) あーだめだ・・・
18時49分40秒
18時49分41秒 (CAP) ストール
18時49分42秒 (CAP) マックパワー マックパワー
18時49分43秒      マックパワー
18時49分44秒
18時49分45秒 (CAP) ストール
18時49分46秒 [失速警報音 1秒間] (CAP) はいこうどおちた

このあと、機首が上げ下げするフゴイド運動が出るが18時53分にフラップを出して機体を安定させた。

このあと、機首が上げ下げするフゴイド運動が出るが18時53分にフラップを出して機体を安定させた。この混乱の中で、現在位置を見失い、位置を確認。

 18時54分55秒 (F/E) はい了解
 18時54分56秒 (F/E) 熊谷から25
 18時54分57秒     マイルウエスト
 18時54分58秒    だそうです

そして、再度、胴体着陸を試みる。

 18時55分01秒 (CAP) フラップおりるね?
18時55分03秒 (COP) はいフラップ
18時55分15秒 (CAP) あたま上げろ (COP)なっております
18時55分27秒 (CAP) あたま上げろ
18時55分42秒 (COP) パワー
18時55分43秒 (CAP) フラップとめな
18時55分45秒 (? ) あーっ
18時55分47秒 (CAP) パワー  (CAP) フラップ
18時55分48秒 みんなでくっついちゃだめだ(手動操作)
18時55分49秒 (COP) フラップアップフラップアップ
18時55分50秒 フラップアップフラップアップ
18時55分51秒 (CAP) フラップアップ (COP) はい
18時55分56秒 (CAP) パワー
18時55分57秒 (CAP) パワー
18時55分58秒 (CAP) フラップ
18時55分59秒 (F/E) あげてます
18時56分04秒 (CAP) あたま上げろ
18時56分05秒
18時56分06秒
18時56分07秒 (CAP) あたま上げろ
18時56分08秒
18時56分09秒
18時56分10秒 (CAP) パワー
18時56分11秒
18時56分12秒 【火災警報音 1秒間】
18時56分13秒
18時56分14秒 【GPWS=地上接近警報】 (GPWS) SINK RATE
18時56分15秒
18時56分16秒 (GPWS) WHOOPWHOOP
18時56分17秒 (GPWS) PULL UP
18時56分18秒 (GPWS) WHOOPWHOOP
18時56分19秒 (GPWS) PULL UP
18時56分20秒 (GPWS) WHOOPWHOOP 18時56分21秒 (GPWS) PULL UP (CAP) ・・・
18時56分22秒 (GPWS) WHOOPWHOOP
18時56分23秒 (GPWS) PULL UP 【衝撃音】胴体下部で尾根をU字に削る
18時56分24秒 (GPWS) WHOOPWHOOP
18時56分25秒 (GPWS) PULL UP
18時56分26秒         【衝撃音】墜落
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スコーク77と自衛隊機の誘導
http://www.link-21.com/JAL123/024.html

●スコークとは、航空機から発信される信号を、地上の中継器を介して、他の航空機がその信号を受けるシステムです。 基本的に軍用航空機に使われるシステムで、飛んでいる航空機は、発信されるこの信号をレーダーで視認することで友軍機の位置情報を得ます。 民間航空機には、このシステムの発信装置の搭載が義務付けられていて、軍用航空機は、民間航空機の位置を機内の二次レーダーで視認することができます。送信する信号は4桁のコードで分類されていて、ハイジャック、通信機故障、緊急事態などの場合は、信号は自動で送信が継続されます。

●また、同じ周波数を使って音声による交信もできます。

識別コードの種類は以下のとおり

1200 VFR(有視界飛行方式)により高度10,000 ft未満を飛行するとき
1400 VFRにより高度10,000 ft以上を飛行するとき
2000 コードについての指示を受けていない航空機がIFR(計器飛行方式)でレーダー管制空域外からレーダー管制空域へ入る場合の二次レーダーへの返信用。

3333 整備用
4444 整備用
5555 整備用

7500 ハイジャック
7600 通信機故障(NORDO=NO RADIOとも呼ばれる)
7700 緊急事態

7777(欧米)軍用機用コード。スクランブル発進した戦闘機が使用する。

スコークに対して、民間航空機は、航空交通管制から発信されるパルス信号を、航空機に搭載した中継器で受けることで、二次レーダーに反映させています。

これはモードCともいい、スコークをモードAとして使い分けています。モードCは主に、高度などを監視するシステムです。

モードA 航空機が発信した電波を地上の中継器を経由して他の航空機や施設がで受信
モードC 地上で発信した電波を航空機に搭載した中継器を経由して、地上で受信

スコークで緊急事態を宣言しても、民間の航空交通管制の二次レーダには反映されません。

民間の航空交通管制の二次レーダに航空機の緊急事態の表示が出るのは、航空交通管制が宣言を受けて手動で表示させます。

従って、民間航空機がハイジャックされてスコーク75を発信すると、近くの軍用機のレーダーに緊急事態の識別コードが反映されますが、民間の航空交通管制の二次レーダには反映されません。同じように、民間航空機がスコーク77を発信した場合も、民間の航空交通管制の二次レーダには反映されません。

●また、スコーク77は、民間機が何かに要撃の対象とされた場合の緊急コールで、発信した民間航空機は、、自衛隊機の指示・誘導に従うよう定められています。

スクランブルをかけた自衛隊機が使用する言葉は次の4つです。

1.当方に従え
2.着陸のため降下せよ
3.この飛行場に着陸せよ
4.そのまま飛行してよい

これに対して、要撃された民間機が使用できる言葉は、次の6つです。

1.了解、指示に従う
2.指示に従うことはできない
3.指示を繰り返してください
4.自機の現在位置がわからない ←リクエストポジション
5.○○に着陸したい
6.降下したいスコーク77の緊急事態のコードは、民間航空機が

●123便は、衝突音のあと7秒後にスコーク77の識別コードを送信しています。

●しかし、東京管制が123便の緊急事態の宣言を受けたのは、衝撃音の2分29秒後。東京管制の二次レーダーに123便が緊急事態であることを示す信号がついたのはここからです。また、そのあとに、東京管制はどのような緊急事態か123便に聞いていますが、123便は応答していません。

●これは、スコーク77の発信で、自衛隊機の指揮下に入っているために、答えられなかったのです。

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生存者は多数いたのに救助しなかった?
http://www.link-21.com/JAL123/005.html

生存者は多数いたのに救助しなかった?(その2)
http://www.link-21.com/JAL123/006.html

●米軍の救難ヘリUH-1が現場を去った21時30分、墜落現場の御巣鷹山方向から信号弾が上がったとの証言があり、これを合図に、上野村三つ岐に待機していたその自衛隊員が徒歩で現場に向かったといいます。落合さんは、この自衛官たちを記憶していません。

翌日の4時30分に航空自衛隊救難隊のヘリが、続く5時10分の陸上自衛隊ヘリが墜落現場を確認。5時37分の長野県警ヘリによる墜落現場の確認。

これらのヘリからは現場での自衛隊員の活動の報告はありません。上野村三つ岐から出発した部隊の現場到着は早くて12日の23時だとすると、翌日の4時には撤収していたと思われますが、もちろん救助の記録はありません。

13日の8時30分にやっとヘリから救助隊員がロープで降下。地上からの救助隊と合流し、11時に落合さんを含めて4名(ともに女性)の生存者を救出されるのです。

整理すると、

① 墜落時間からして12日の21時ごろ、墜落後に現場に入った自衛官(達)が、状況の第一報を司令部に伝達。
② 21時20分 米軍の救難ヘリUH-1到着後すぐに帰還。
③ 21時30分 墜落現場から信号弾確認

●つまり、米軍の救難ヘリUH-1を帰したのも、墜落現場から信号弾を上げたのも、この自衛官(達)らが行ったと考えられます。とすると、若い女の人が「早く来て」と呼びかけたのも、男の子が「ようし、ぼくはがんばるぞ」と答えたのも、この自衛官(達)となります。

事故ではなく犯罪を隠蔽する陰謀 (その1?)
http://www.link-21.com/JAL123/007.html

●JAL123便の陰謀説は、北陸大学(私立)職員の池田昌昭氏の説が中心となっているようです。

○JAL123便の垂直尾翼を破壊したのはミサイルだ。
○JAL123便は、自衛隊機からの空対空ミサイルで撃墜された。
○墜落後に、墜落現場に入った自衛隊員は、ミサイルの残骸を回収していた。

●池田昌昭氏は、「JAL123便事件は完全犯罪だった」とこれを事件と断定して、事故を分析し、仕組まれた事件、つまり、陰謀であると断定しています。

●しかし、私は、垂直尾翼を失ったJAL123便は、自衛隊機の指揮下、乗員と乗客を助けるために、山腹への胴体着陸を試みていたと事故を分析しています。

●横田基地への着陸を断念したのは機体を制御出来ない状況、滑走路外での墜落による二次被害を防ぐためで、JAL123便の機長も同意していたと考えます。

●そして、山腹への着陸を決行。そして、多数の乗客が生存していた。

●この後の不可解な捜索活動は、「死人にくちなし」と事故の隠蔽を図ったのは事実であり、それが垂直尾翼の破壊と関連するという分析は私もそう思います。

●しかし、墜落直前に自衛隊機のミサイルで撃ち落されたとか、事故直後からミサイルの残骸を回収していたとか、自衛隊を悪魔のように書き立てる陰謀論には非常に違和感を感じます。

●いや、その違和感が、それまで全く関心のなかったこの事件に関わるきっかけとなりました。

●共有するべき重要な事実は、JAL123便は自衛隊機の指揮下、懸命な操舵をして、その結果が多数の乗客が生存できたという事実です。ここをきちんと理解してから、その後の事故の隠蔽を批判しないといけません。そうでないと、池田昌昭氏の目論みどうりに、事故が事件となり、真相の闇はさらに深く闇に沈んでいきます。

●JAL123便の墜落事故は、事故であり事件ではありません。墜落後の救助が、不作為による無責任という官僚らの顕著な犯罪行動の典型です。まず、彼らの不作為という犯罪を立証して、責任の所在を明らかにするべきです。

●陰謀 求める結果を求めて策を計略すること。

●隠蔽 結果から生まれる責任を回避するために、事実。もしくは事象を覆い隠すこと。

●事故 思いがけず生じた悪い出来事

●「事故」の「結果」を「隠蔽」する作業は「陰謀」とは言わない。

●求める結果を導くために事象を「隠蔽」し、事象を捏造することを「陰謀」という。

●垂直尾翼を破損させたのは、事故当日の海上自衛隊の演習中の事故であるのは間違いがないでしょう。しかし、それは、事故でありミスです。JAL123便は自衛隊機の献身的な援護を受けていました。事故の隠蔽をしたのは自衛隊幹部であり★中曽根内閣など政治家らです。

●彼らの無責任を成立させるために、事故は隠蔽されたのです。無責任を成立するために不作為による「死人にくちなし」を図られたのです。動機は単純です。

●繰り替えしますが、JAL123便の墜落事故は事件ではなく事故です。その後の救助活動が不作為という犯罪であり、それを立証するのが無くなられた遺族や自衛官への供養となります。そして、日本人は、その犯罪の動機を解明することが求められています。

●犯罪を陰謀にすり替えるのは犯罪者の陰謀です。

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8・12連絡会 運輸安全委員会への質問内容
http://www.link-21.com/JAL123/025.html

2010年12月6日

御巣鷹山の事故の疑問

1、急減圧について

●否定する部分については「その理由を明らかにできなかった」とある。

① 急減圧このことに対して、生存していた4人の方たちからの立証は全く得ら れていない。

② 逆にスチュワーデスの落合由美さんからは、「ドーンとした後、白い煙が出 たがすぐに消えた」とあり、隔壁破壊による急減圧状態であれば客室内にもの すごい突風が流れ、気温が急激に氷点下何十度と寒くなるが、落合さんは、そ の様な現象はないと証言している。

③ 日航一二三便の操縦室では、当然異常事態であれば酸素マスクをして操縦し ます。そうでなければ体に急減圧による異変が起きて安全な操縦が出来ないか ら。しかし、酸素マスクを付けていない。事故報告書は「運航乗務員は最後ま で酸素マスクを着用しなかったものと推定されるが、その理由を明らかにでき なかった」としている。

④ 運航乗務員は異常事態発生後緊急降下に入ることなく、20,000 フィート以上 の高度で激しいフゴイド運動、ダッチロール運動を行いながら18 分間飛行した、 この間運航乗務員が緊急降下の意向を示しているのに緊急降下をしなかったが、 その理由を明らかにできなかった。と報告書にある。

⑤ 警報音について
18時24分37秒にCVR に記録されているといわれる「警報音」はDFDR の記 録だけでは離陸警報か客室減圧警報かは判定がつかない。事故調の推定通りに、 この1秒の警報音が客室の減圧のものであったとするとなぜ1秒間だけで停止 したのか。その後約27 秒間停止再び25 分04秒から鳴りだしたのはなぜ?事 故報告書では、「その理由を明らかにすることはできなかった」としている。
● 客室減圧警報ではなく、車輪の異常による、離陸警報音ではなかったのか?

⑥ ボーイング社から五名、アメリカの国家安全運輸委員会から二名、連邦航空 局から二名と連邦航空局の日本駐在官一名の計十名の調査団が来日し、八月十 四日に御巣鷹山に入った。その後、ボーイング社は、墜落から二十六日後の九 月六日にニューヨークタイムズ紙上で、「ボーイング七四七型機の設計自体に は問題はない。事故機は、修理ミスが原因で墜落した」と発表しました。
●日本 の事故調査委員会は、このアメリカの主張に大きく引きずられる形で、事故原 因を「修理ミスによる隔壁破壊説」の決着になったといえないか。

り少し離れた ところにロープで降下しようとしたが、日本の自衛隊が行くからと横田基地よ り中止命令が出された」と。

●しかし、日本の自衛隊の幹部はテレビの取材に対 して、十二日夜に墜落現場に降下するのは自殺行為だと云った。また、当日の 最初の現場降下は、十三日午前七時四十五分とある。日の出の数時間後です。 何故もっと早く救助できなかったのかと思う。
●遺体を検死した医師たちも、もっと救助が迅速ならばもっと助かっていただろ うと語っている。

●また、地元の消防隊や猟友会、地元住民は、墜落現場はスゲノ沢だと言っているのに機動隊や自衛隊、警察等は、「現場は御座山だ、小倉山だ」と言って、案内を頼んだ地元の人の言うことを聞かずに、関係のない方向に案内させられたとも聞いた。

●また、四人以外にも生存者がいたのなら夜中でも十分救出に行けたという地元の人の談話もある。墜落地点の確認に時間を要した理由を伺いたい。

4、死因の詳細な記述と生存の可能性についての記述がない

●墜落の次の日の十三日に四人の生存者が助けられたが、特に生存者の内の川上 慶子さんは、「朝迄お父さんと妹の咲子さんは生きていて言葉を交わしていた」 と証言している。しかし、その証言は事故報告書にはない。

●座席前部、中部は全員即死またはほぼ即死に近い状態とある。また、後部座席 は致命的な傷害を受けたものと考えられると報告書にあるが、その生存の可能 性についての記述がない。どうしてですか。

5、事故報告書に対し、前橋検察庁の検事正は、日米間の政治的決着を示唆す る発言をしているが、そのことについてどう考えているか教えてください。

6、各方面から疑問とされている事故調が行った急減圧の実験を公開で行って 欲しいと思います。

135. 2015年2月25日 17:15:41 : iptGRPmHsc

日本航空123便墜落事故を検証する
http://www.link-21.com/JAL123/

   日航123便航空機事故は国際刑事裁判の案件である

1 123便の事故は、誘導ミサイルの実証実験で飛んでいた無人標的機とそれを追尾していた模擬ミサイルが衝突したことで、航空機の制御が不能になったのが原因。

2 123便は、自衛隊の誘導と指示で山腹への胴体着陸を敢行した。従って墜落ではなく不時着である。これは、スコーク77を、そのシステムから意味までを正確に理解することで証明される。

3 機体は大破したが、520名の乗員・乗客の中で、多数の生存者がいたが、救出されたのは4人だけで、あきらかに他殺とわかる死体もあり、殺人事件であることが明白。

4 救出が遅れたのは政府の意図的な指示によるもので、救出までの空白は、事故の証拠隠滅であるのは明白。生存者の殺害も証拠隠滅の一環。

5 123便事故の犯罪は、生存者の証言と、元米軍パイロットの証言、そして、2000年に公開されたボイスレコーダーで十分に証明できる。

6 証拠隠滅を指示したのは、第2次中曽根第1次改造内閣の首相である中曽根康弘、指示を実行したのは、防衛庁長官加藤紘一、米国との証拠隠滅の口裏わせをしたのは、外務大臣の安倍晋太郎。彼らがこの国際刑事裁判の被告だ。

7 日本政府は、2015年、米国の公文書が公開されるのに合わせて、この事故の真相が明らかにならないように、被告本人や遺族ら関係者は、秘密特定保護法を制定した。この、法案施行前に事件の解明と国際刑事裁判の訴追手続きをしなければならない。

2013年12月18日 改稿

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  事故ではなく犯罪の隠蔽である
  http://www.link-21.com/JAL123/021.html

日航123便航空機事故は国際刑事裁判の案件である。

日本航空123便は、墜落したのではなく、山腹への胴体着陸という不時着である。

過去の航空機事故で、離陸直後や着陸時の事故では生存者がいるが、飛行中からの墜落では生存者は一人もいない。生存者がいたということは123便は不時着したのだ。

日本航空123便は4名の生存者が出て、生存者の証言では、事故直後には他にも多数の生存者がいたという。

8月12日の18時56分26秒に123便は群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根に不時着。救護隊が遭難現場を発見したのは、翌13日の4時で救出が始ったが8時すぎ。

1995年8月、当時123便を捜索したロッキードC-130輸送機に搭乗していた元在日アメリカ軍中尉が、同機が、事故現場を特定していたこと、米軍座間基地から飛び立った救難ヘリが現場に到着していたこと、そして、日本政府が、この救難作業を断ったことを証言する。

この元在日アメリカ軍中尉の証言は、生存者の一人の落合由美さんの手記とも符合する。

日本航空123便の航空機事故は事故原因の矛盾点に目が行きがちだが、生存者がいたという事実からこの事故を分析するべきであろう。

政府は、意図的に生存者を救護しなかった。そして、それを隠蔽するために、後部圧力隔壁の損壊を事故原因とするストーリーを考え、そのストーリーに合うように嘘や詭弁を並べ、物証を改竄するなど、犯人は権力は使って事件を隠蔽している。

政府の指示で生存者を見殺しにしたという事実は、国際人道法に対する重大な違反であり国際犯罪だ。しかし、官僚国家の日本で、政府が犯した犯罪を政府が明らかにするはずがない。この事件は、国際刑事裁判所に訴追する案件である。

●被告は、遭難場所を救助隊へ連絡せずに救助を放棄した、当時の日本政府の首相である★中曽根康弘。現場に入り生存者の救助放棄と殺害、そして証拠物件を持ち帰るなど組織的犯罪を自衛隊に指示をし防衛庁長官の★加藤紘一。そして、米軍の救助活動を拒否し、ねつ造した事故原因を、米国側と口裏合わせとして証拠隠滅を図った外務大臣の★安倍晋太郎の三人だ。

生存者の手記、1995年の元在日アメリカ軍中尉の証言、2000年に漏洩のかたちで公開された123便のボイスレコーダー。そして、ボイスレコーダーの改竄の事実と、ノイズ除去で明らかになった改竄した会話内容。そして、亡くなられた乗客が映した機内から見えた飛行体の写真。

これら公開された物証だけで事故原因を特定し、123便が不時着するまでの経緯を明らかにするこてとは可能だ。

公開された物証を一本の糸で結ぶときに、この事件の真相が見える。いや、結ぶことができたときに、この事件は、国際人道法上、重大違反を犯している政治犯罪であることがわかるであろう。

●日本政府は、2015年、この事件に関する外交文書が一般公開されるのに合わせて、この事故の真相が明らかにならないように、被告本人や遺族ら関係者(田布施村閨閥)は秘密特定保護法を制定した。この法案の施行前に、事件の解明と国際刑事裁判の訴追手続きをしなければならない。

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  123便墜落事件と特別秘密保護法案
  http://www.link-21.com/JAL123/008.html

●特定秘密保護法の目的は、政治犯罪を隠匿することで政治家の無責任を合法化する法案である。この法案の原案は前政権の民主党内で策定された。

●2009年9月政権交代を果たした民主党は、非核三原則を謳ってノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作が、米国に対して、日本国内に核の持ち込みを許可していた密約の案件を引き継いだ。

●岡田克也を中心とした調査メンバーは、密約文書が、佐藤栄作の自宅から発見されたという事実にも関わらず、明文化した日米密約文書はないとしながら、日米合意のもとで核が持ち込まれていたことを認めた。

●この日本人だけに通用する玉虫色の決着に米国側は理解できない。民主党政権の外交は失墜。民主党政権は、外交の信頼を担保する法案の策定を始めた。これが秘密保全法である。

●2010年8月、日航機123便墜落事故の再調査を前原誠司を中心に行われる。これは2009年12月に、前原誠司を後援する京セラの稲森が日航の再建の責任者となったことと関係する。

●稲森は、日航機123便墜落事故に政治犯罪が隠されいることに気が付き、前原誠司がこの事件に関心を持ち、遺族側の要求を受けたというのが真相である。

●結果、前原誠司は、2011年7月に123便事故解説書を公開して、事故原因は後部圧力壁の損傷という結果を再主張する。

●後部圧力隔壁の損傷は、生存者の証言で有り得ない話であるにも、前原誠司らは、従来の主張を繰り返した。

●これは、密約文書が発見されたにも関わらず、明文化された密約文書は存在しないという、岡田克也の調査報告と同じで、論理の破綻は、誰の目にもあきらかである。

●にも関わらず、嘘というかデタラメを押し通した。何を守ろうとしたのか、いや、誰を守ろうとしたのか、それとも、脅されたのか。2011年12月には、野田佳彦が秘密保全法を策定。つまり、この時点で、民主党政権が覗いた戦後の政治犯罪の蓋を閉じる法案の基本が策定されたのである。

●佐藤栄作の密約は事実確認がされていて、この問題を政治犯罪とするかしないかは日本国民次第であるが、日航機123便の事故は、その凄惨さと冷酷な犯罪が世に出れば、国内外で自民党と政府の信用は失墜するのは必定と考えたのだろうか。

●とにかく、野田佳彦の民主党は、戦後の2つの政治犯罪というパンドラの箱を一旦は開けときながら、自分たちの手で再度封印した。

●野田佳彦らの見返りはなんだったのだろうか。とにもかくにも、政権交代が起きても、前政権の政治犯罪を追求させないルールをシステム化する秘密保全法を策定。そして、政権に返り咲いた★安倍普三の政府は、秘密保全法を特定秘密保法として法案を提出し成立させた。

●政権交代がおきても、過去の政治犯罪への調査をさせない。知り得た情報の漏洩をさせない。そして、秘密文書として非公開期限を60年とすること。

●このように特定秘密保護法案が策定された経緯を知れば、この法案の弱点がわかる。そう、日本航空123便墜落事故の事故原因である。事故原因が後部圧力壁ではないことは、世界の航空関係者が知っている。事故の生存者の証言でも機内の圧力は下がっていないのだ。

●しかし、重要なポイントは、★中曽根政権がこの事故を死人に口無しとばかりに、人命救助をしないばかりか生存者を殺害したことである。これを問題とさせないために、事故原因の究明に遺族や関係者の目を向けさていることに気がつかなかればならない。

●日航機123便墜落事故は、航空機事故というよりも、証拠隠滅のための殺戮という事件であり、国際刑事裁判が審査する事案であるのだ。

●日本側が主張する後部圧力壁の損壊を事故原因とするために、当時の中曽根政権は、外交ルートを通して、ボーイング社と後部圧力隔壁を事故原因とする口裏合わせを要請しているはずだ。この外交文書が、米国の公文書の公開で明らかになれば、国際刑事裁判所も動かざるをえなくなるだろう。

●日航123便墜落事故の政治犯罪の首謀者である中曽根康弘は存命中である。かれは、この事件の真相を墓場まで持っていくと公言している。この法案を成立をほくそ笑んでいるのは中曽根康弘なのだ。

●このように考えていくと、日航123便墜落事故の事故原因の嘘の証拠となる外交文書が見つければ、この法案の経緯も知られるであろうし、廃案にする道も開かれるはずだ。

●しかし、法案成立した現在、日航123便墜落事故を調査をした者は逮捕されてしまう。この政治犯罪を証明するのは、特定秘密保護法が適用されない日本国外の日本国籍以外の人たちに託すしかない。

この質問に対する回答が、2011年7月の事故報告書の解説書です。

日本航空123 便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての 解説
http://www.mlit.go.jp/jtsb/kaisetsu/nikkou123-kaisetsu.pdf_

(動画)
日航機墜落事故 米軍幻の救出劇 (米軍パイロットの証言)
https://www.youtube.com/watch?v=65krBx_Bblg&feature=youtu.be
152. 2015年8月09日 13:05:01 : 1H0TxbSaQo
"日航機墜落30回目の夏生存者が今明かす“32分間の闘い..." この動画に関連付けられていた YouTube アカウントは、著作権侵害に関する第三者通報が複数寄せられたため削除されました。
https://www.youtube.com/watch?v=gxIz8HxXNTE
153. 2015年8月09日 13:06:46 : 1H0TxbSaQo
こっちは無事

『日航機墜落30回目の夏生存者が今明かす32分間の闘い』
https://www.youtube.com/watch?v=SXhQ0JiRZKY

157. 2015年8月11日 14:36:55 : qpd25J8Ajs
圧力隔壁では無い事は確かだ(ボーイングが嘘ついてる)、米軍機自衛隊ヘリが現場確認してるのにすぐ救助に行かなかった(何か理由がある)、当時の自衛官テレビに出て尾行しなかったのは悔しい言ってた(垂直尾翼ないのを見ているはずだ)
他の自衛官残念仕方ないだけ(何か隠している)、中曽根は真実を知っている(中曽根にゲロさせるしかない)、自衛隊機か米軍機が誤って垂直尾翼を撃ったのだ(責任問題が発生するのを恐れて隠した)真実が判明しないと亡くなった人は浮かばれない。自衛隊員が首をつったのは真実を隠しきれないと自覚したからだろう。
158. 2015年8月12日 00:44:32 : Kpm80XkSQc

●JAL123 真相 核弾頭 520 でググってみました・・・

https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=JAL123+%E7%9C%9F%E7%9B%B8%E3%80
%80%E6%A0%B8%E5%BC%BE%E9%A0%AD%E3%80%80520+

http://rapt-neo.com/?p=28186

●(新) 日本の黒い霧
JAL123便墜落事故-真相を追う-123便事件と川内原発(特別編)
2015/08/11

http://blog.goo.ne.jp/adoi

159. 2015年8月12日 00:53:03 : Kpm80XkSQc
●島津論文 でググってみました・・・
https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E8%
AB%96%E6%96%87

●4号機の謎-安倍の核弾頭密輸話、オウム、イスラエルの工作
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-3002.html

160. 2015年8月12日 02:36:21 : J9SxEDIcNo
捜索に当たっていた自衛隊のヘリが別の場所を指定したために現場が特定されて捜索隊が到着したのは14時間後。警察の視認では墜落場所が正確に観測されていたものの自衛隊のヘリの報告の方が優先されて捜索隊が墜落場所とは別の場所に向かったためにこのようなタイムロスが生じたと言われています。先日、NHKでこのタイムロス問題を取り上げていた時に間違った情報を上げた自衛官にもインタビューしていたのですが他人事のようになぜ間違ったんでしょうねと薄ら笑いすら浮かべたいたのが不気味でした。この初動の遅れをどうしてその後問題視されることもなくどうして間違った位置情報を自衛隊ヘリが報告したのかの調査がまったく行われていないのも不思議な話で今後同じような事故が起こった時にタイムロスが生じないように場所の誤認が起こった原因を調査するのが普通じゃないでしょうか。意図的に墜落現場を詐称し本当の墜落現場で見つかってはマズいものを15時間のタイムロスの間に回収していたとしたならば自衛隊のその後の放置プレーや誤報告をした自衛隊の隊員の他人事のような話にも辻褄があうような気がします
165. 2015年8月12日 21:45:37 : MeWjLWjTpI
▼日航機墜落事故でのNHKニュース速報の記録映像を探しています。自衛隊員が射殺されたというニュースと、 その速報が誤報だったというニュースが20時以降に3回放送されています。A:何年か前にYouTubeにあった。今は削除されてる。ただし、昔あった動画は射殺速報を伝えたアナウンサーが、「銃撃戦による射殺は誤報でした」と謝罪してる動画だったぞ。誤報の発信源は長野県警。これは、アナウンサーがその一報を伝えた時に、「長野県警の発表によると…」という言葉から始まってたから間違いない。A:当時、リアルタイムで見ました。自衛隊が銃撃戦を...。当時、リアルタイムで見ました。自衛隊が銃撃戦を...。みたいな感じで、いったい何があったんだ?ってドキドキしながら見ていました。この墜落事故には、何か裏があるな!って当時から思っていました。それから15年くらい経って、出て来る出て来る、ミサイル誤射説、色んな証拠..。ネットのチカラって凄いね。実は当時、自分はNHKをビデオ録画していて、そのニュース速報の録画テープを1992年頃まで持っていましたが、親が部屋の掃除を勝手にした際、行方不明になってしまいました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1471869434
▼救助隊にはわざと遅く現場に着くよう、或いは違う場所に行くように、NHKにはわざとウソの墜落地点を報道するように命令が出ていた!(元日航客室乗務員:青山透子氏ブログ)
https://twitter.com/bilderberg54/status/631444097383821312
170. 2015年8月13日 14:29:33 : RLcvjzv8rc
2015.08.11 櫻井ジャーナル:
「日航123便が群馬県に墜落した10年後、米軍の準機関紙に掲載された記事が日本政府に与えた影響」がある。
178. けろりん 2015年8月14日 05:59:03 : xfW5FN1G6ouU2 : duq0kWvUpk
すでに殺されてしまった、元・日航職員「 佐宗(さそう)氏 」。
20年前の情報だが、トータルに網羅されていて、観ておく方が良い。
https://www.youtube.com/watch?v=Xk5oLfYjg9k
『【全編】故佐宗邦皇代表「歴史的重大事件の裏に隠された驚くべき真相」』
202. 2016年8月14日 15:43:31 : 6IIz0sGDuQ : 3tiPUQmNaGY[39]
事故後日本航空が保有するジャンボ機の垂直尾翼を点検すると、いろんな不具合が発見された、特に事故機は飛行中に後部トイレのドアが閉まらない或いは金属の異音がした、垂直尾翼の振れが基準以上だったことがある、また事故機のの垂直尾翼方向舵(上下2枚)には擦れたあとがある、それから当時は喫煙可だったので空気が漏れてたらタバコのヤニが圧力隔壁に付着する、事故機に搭乗していて助かったベテランキャビン・アテンダントの証言では急減圧はなかったと証言している。、

少なくとも事故調が結論付けた圧力隔壁の破壊の風圧による垂直尾翼の破壊は説は間違いで、その部分の60%が脱落した理由は他にあると考えた方が自然だ。(日本の司法当局は脱落した部品をすべて回収していない)藤田氏は垂直尾翼がフラッターをおこし、方向舵が激しく振動し結果的に上部の方向舵を支える6個のヒンジ(蝶つがい)が壊れてジャンボ機の飛行速度時速800㎞の風圧により剥離したのではないかと推論している。

※「隠された証言」藤田日出男を読むとあくまでも推論だがおもしろい、元パイロットであり、情報公開法施行前に事故調は書類を廃棄したが、その一部が著者のところに持ち込まれそれを元に分析しているので興味深く読んだ。

事故機は短距離を多くの乗客を乗せて往復するために、国際便より機体に負担はかかっていたし、尻もち事故を起こして機体自体が金属疲労を他の機体より大きかったことも原因の一つではないかと思ったりしている。事故調の資料も廃棄されたようだし、原因を徹底的に究明しないから都市伝説が生まれるのだろう。

「あんなの人間の遺体やない!」日航機事故で娘3人を失った夫妻の怒り
西村匡史著『悲しみを抱きしめて』第1章より(後編)

西村 匡史
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44748






(私論.私見)