遺族の情報公開訴訟考

 更新日/2023(平成31. 5.1栄和元/栄和5).2.10日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「遺族の情報公開訴訟考」を確認する。


【遺族/吉備素子の情報公開訴訟】
 群馬県上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」に墜落し乗客乗員520人が犠牲になった1985年18時56分の日航ジャンボ機墜落事故は、日航からの事故原因の説明がないまま、運輸省(当時)事故調査委員会の1987年の事故調査報告書で《ボーイング社の修理ミスが原因で後部圧力隔壁が破壊、急減圧が発生し垂直尾翼が吹き飛ばされたことが原因》とされ、以後の調査は打ち切られていた。

 報告書に対して、遺族からの訴訟が何度も準備されたが、刑事事件として告訴しても不起訴処分に終わったり、損害賠償請求は計32件もあったものの、すべて「和解」となり、真相究明にはほど遠い決着に甘んじていた。そんななか、元日航客室乗務員の青山透子さんが2010年に出版した書籍(現タイトル『日航123便墜落 疑惑のはじまり 天空の星たちへ』河出書房新社)が口火を切り、事故当時の状況や報告書記載の事故原因など多くの矛盾や疑問にスポットライトが当てられた。 「真相を究明するためには、日航が保管しているボイスレコーダー、フライトレコーダーの音声を開示するしかない」。齢80を迎える吉備さんが立ち上がった。

 集団訴訟の一員だった30年以上前の記憶を辿る吉備さんだが「印鑑を押した記憶はない」とハッキリ言い「書面を見たこともない」という。 では、日航側が何を論拠にしているのかというと、当時、遺族と日航でかわされた正式書類は裁判証拠としてなにひとつ提出されていない。 少なくとも吉備さんが「墜落原因に納得し和解する」などと押印した証拠はない。かわりに1991年当時「日航機事故訴訟、最大の原告団和解」などと報じた新聞記事のみが提出され、裁判所もこれを採用して判決の理由としたのだ。 一方、8月の口頭弁論で原告は、本誌『女性自身』2022年8月16日号《シリーズ人間》で掲載した吉備さんのインタビューを裁判証拠として提出しており、同記事中には報告書の内容に反する証言が続々発見されたことや、報告書が結論した事故原因への吉備さんの疑問の数々を7ページにわたり詳述しているが、判決には一切、採用されなかった。 「米軍のパイロットの証言や、上野小学校の児童の文集などがみつかり、報告書の矛盾は数多く出ていました。だから『ボイスレコーダーなどを開示して真実を知りたい』と訴えていたのに、判決は『報告書に書いてあるから必要ない』と逆戻り。 どうにもならないもどかしさ、悔しさ、腹立たしさでいっぱいです……」 。

 2018.2月、乗客だった夫の雅男さん(当時45歳)を亡くした遺族の大阪府箕面市の吉備素子さんが、「事故当時の状況が記録されたデータは死に至る直前の夫個人に関わる情報で、遺族は知る権利がある。事故直前にどのような状況にいたかを知りたい」として日本航空に機体のボイスレコーダー(音声記録装置)とフライトレコーダー(飛行記録装置)の生データの開示を求めたが、日航は公的な調査目的以外の使用は禁止されているとして応じなかった。2021.3.26日、日航に対する民事訴訟を東京地裁に提訴した。

【東京地裁(加本牧子裁判長)判決】
 2022.10.13日午前11時、東京地裁(加本牧子裁判長)は、「主文。原告の請求をいずれも棄却する」の判決を下した。判断理由に関して概要次のように述べている。

 「両データに記録されているのは操縦室内の音声や機体の姿勢・高度などである」、「記録は吉備さんにとって秘匿性の高い情報ではない」、「遺族にはデータ開示を求める権利があるとする主張には理由がない(開示を認める法的な根拠がない)」、「個人に関する情報として保護の対象と解するのは困難」、「レコーダーに記録された内容に法律に基づく個人情報は含まれていない」、「原告が希望する事故原因の究明は、被告ではなく事故調査委員会に委ねられ、調査報告書にボイスレコーダーなどの記録が書かれ公表されている。また、1991年ごろまでのあいだに損害賠償請求権に関して和解している。よってボイスレコーダーなどの情報を提供する義務はない」云々と述べ、「開示請求権は認められない」、「遺族が事故の情報を知りたいと願うことは当然で、交通機関が運送契約に伴って乗客や遺族などに情報提供する義務を負う場合はある。しかし、今回のケースでは、事故調査報告書が提出された際にボイスレコーダーなどの内容も公表されている上、原告が日本航空に損害賠償を求めた裁判は和解が成立していて、日本航空に情報提供の義務があったとしてもすでに消滅している」として遺族の請求を棄却した。裁判はものの数分で閉廷した。

【遺族/吉備素子のコメント】
 判決後、吉備さんは次のコメントを公表した。直後の原告の記者会見では、股関節の持病で自宅静養している吉備さんに代わり、長女が声を詰まらせながら心情を代読した。
 「あの年の8月12日から、判決が出た今日まで37年間というもの、日本航空からただの一度も事故原因を説明されたことはありません」
 「判決を聞き、非常に残念です。私は事故原因について和解したつもりは一切ありません。日航は、自社の運航便の事件に説明責任はないのでしょうか。この判決は、私の37年間を否定するもの。許しがたい『不当判決』です」。
 「裁判では『1991年ごろ損害賠償請求で和解』とされていますが、私は当時、『働き盛りの夫を亡くした悲しみのうえ、女手ひとつでは親子の生活も窮する』という『慰謝料』としての説明を受け、手続きは当時の弁護士さんに最後はお任せしました。 『墜落原因は報告書のとおりで納得してください』と言われた記憶は一度もありません。もし言われていても、絶対に納得しませんから」 。
 「判決は主人に報告しました。仏壇の写真の主人は、『まだ弱い』と言っているようでした。 『体を治して、もうちょっと頑張れよ!』と発破をかけられた気がしました」 。
 「残念でならない。夫はなぜ死ななければいけなかったのか。日本航空は事故の原因について説明責任を果たしてほしい」
 「夫がなぜ恐怖の中で苦しみながら死ななければならなかったのか、その原因を明らかにしたい。最高裁まで頑張る」
 「日航や国の対応は辻褄が合わず、おかしな点ばかり。国も日航もなにか隠している。私は墜落原因にずっと疑問を持ち続けてきました。真実はまったく、明らかにされていないんです」 。
 「控訴します。最高裁まで闘う。どんなことがあっても、折れません。必ず事件の真相を明らかにしてみせます。全国のみなさんの応援が本当にありがたい限りです。 私は絶対に、くたばりません!」。

 吉備さんの代理人の三宅弘弁護士は記者会見で「損害賠償を求めた裁判で和解しているとして、情報開示を求める権利まで否定するのはおかしい」と述べ、控訴する考えを示した。会見で「こんな(新聞の)ペラ1枚でおしまいというのは、裁判所として荒っぽい。真相を追究して証拠を照らし、これから解決したい」と「控訴」の意向を示唆した。

 日本航空はコメントを出し、「37年前、大変悲惨な事故を起こしたことを深くおわびするとともに改めて亡くなられた皆さまのご冥福をお祈りします」とした上で、判決について「これまでの双方の主張・立証を十分にふまえ、審理いただいた結果と受け止めています」としています。

【遺族/吉備素子の情報公開訴訟その後の新証拠・証言】
 「阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK289」の「ますらお 日時 2023 年 2 月 23 日」「日航123便ボイスレコーダー等開示請求控訴審、自衛隊誤射説を提起(後) 高橋清隆の文書館」。
 元記事http://blog.livedoor.jp/donnjinngannbohnn/archives/2055164.html

(前)からの続き
新証拠・証言が続々、真相究明に脅しや妨害も

 1987年に事故調査報告書が発表されて以降、出てきた新証拠には、先述のファントム2機の目撃や「異常外力の着力点」を記述した付録、酸素マスクが下がった状態で乗客がマスクを着けておらず、外に円筒形の飛行物体が見える写真の他、8月13日朝確認されたことになっている墜落地点が12日に上野村の故黒澤丈夫村長(当時)によって県や政府に連絡されていたこと、飛行機の左側お腹部分に4~5メートル大のオレンジ色の物体が貼り付いている、あるいは真っ赤な飛行機を見たとの情報、遺体に2度焼きした形跡があり、炭化し、ガソリンとタール臭がするとの遺族らの証言、4人以外にも生存者を見たとの消防団員らの証言、当時防衛庁が国産ミサイルを開発中で翌週、米軍と合同軍事演習を控えていた事実……などがある。これらを日本新聞協会に加盟するテレビ・新聞はまともに伝えない。
 『航空事故調査報告書付録』(JA8119に関する試験研究資料)にある「異常外力の着力点」を示す概要図)

 一方、公式発表以外の真相を究明する動きには、脅しや妨害が絶えない。『日航123便 墜落の新事実』青山透子(河出書房新社)によれば、吉備さんが「事故」直後、高木養根(やすもと)社長(当時)に面会した際、ずさんな遺体処理に抗議し「一緒に中曽根(康弘)首相の所に行って直訴しましょう」と言うと、「そしたら私は殺される」とぶるぶる震えたという。

 あるテレビプロデューサーや河村一男・群馬県警本部長(当時)から「事故原因を究明したら戦争になる」と警告されたとの証言がある。さらに吉備さんによれば、新聞や本に名前が出るたび、退職したはずの河村本部長から「監視してるぞ」と電話がかかって来る。監視のために大阪に再就職し、神戸に住まいを構えたとのこと。10年前後のことである。

 遺族同士が横のつながりを持てないよう、日航の「世話役」が悪口を吹き込んで分裂工作をしているとの話は絶えない。

 群馬県警は、この日航機「事故」関連の捜査資料をスチールロッカー24個分集めたまま、いまだに返却していない。そこには遺族から借り受けたものや、DNA鑑定の第一人者、押田茂實(おしだ・しげみ)日本大学名誉教授が現場で回した8ミリビデオも含まれている公算が高い。

 上野村立上野小学校の児童148人が墜落当時の様子を見たまま、聞いたままをつづった文集『小さな目は見た』が、22年に裁判が始まってから日航の安全啓発センターからも、上野村からも消えた。

 21年6月の1審第1回口頭弁論まで、原告はもう1人いた。123便の佐々木祐・副操縦士の実姉、市原和子さんである。同年8月5日、市原さんの親族から三宅弁護士の事務所に突然、訴訟を取り下げたい旨の電話があった。確認のため、本人から直接連絡が欲しいと告げるが、入居するE老人ホームに何度連絡しても、取り次いでもらえない。少し前、市原さんは親戚から「伯母の訴訟のせいで機長になれない。会社を辞めなければならない」とのおいの嘆きを聞かされていたという。結局、9月10日に「原告になってショックだった」との旨が書かれたはがきが届く。差し出し住所も書かれていない。実はE老人ホームの事務局長は、元日航の客室乗務員だった。しかも、市原さんのおいは5年ほど前からすでに機長になっていたことが分かった。吉備さんは「実は過去、幾つも同様のことが起きていた」と語る。

 青山さんは新著、『日航123便墜落事件 JAL裁判』(河出書房新社)で元日航パイロットと名乗る誹謗(ひぼう)中傷者をどう思うか聞くため、本人が提示している社員証や手紙を自著とともに、清水新一郎・副社長に送った。彼は123便「事件」時に点検整備の最高責任者として送検された父を持つため、きちんとした対応を期待した。しかし、手紙に書いた自分の携帯に非通知でワンコールあった直後から、盗聴が疑われるような異常事態となったという。相手が固定電話のときやJALのパイロットとの会話中、驚くほどの雑音が入る。弁護団に話すと、「恐らく内調(内閣調査室)が関係しているのだろう」と言われた。

 22年4月の1審第5回口頭弁論で被告と裁判所に証拠として郵送した吉備さんの陳述を収めたDVDが3日たっても届いていなかった。到着はともに1週間後で、証拠として採用されずに結審するところだった。そのため、三宅弁護士の強い交渉で、口頭弁論の再開を要求せざるを得なかった。

 123便の残骸がまだ残る「御巣鷹の尾根」は、コロナに加え、登山道整備復旧工事の遅れを理由に、3年連続入山制限が掛けられている。日航関係者滞在中は同社に登録した遺族のみに発行される通行証が必要のため、一般人が入山できるのは、年間46日しかない。裁判期間中、一般人を来させないようにしたい意向がちらつく。

 週刊誌『女性自身』22年8月16日号は、吉備さんをインタビューした7ページにわたる良記事を掲載した。しかし、その2日後、同誌を発行する光文社はJALと国土交通省のコラボ企画「半島の魅力発信に取り組みます」を発表した。これについて青山さんは新著で、「日航機遺族の話はこれ以上やめてくれ、怖い人が来るから裁判の記事は書かないでくれ、その代わりにおいしい企画をあげるから」との意味と解している。さらに翌日、NHKは19年に台風災害に遭ったときの「御巣鷹の尾根」の映像を流し、ひどく崩れたままだから立ち入れないとのイメージを宣伝していたと指摘する。

 メディア記者も要注意だ。21年6月、同訴訟の代理人弁護士の事務所に共同通信前橋支局のある記者から吉備さんへの電話取材の依頼があった。熱心さを買い、吉備さんに取り次ぐと、全く知識がないことが分かった。15分間の約束を大幅に超えた上、「青山透子や弁護士にそそのかされて提訴したと思っているのか」と問うと、その通りだと言う。吉備さんの口から悪口が出るのを促し、録音して証拠として裁判所に提出するための裏付けが欲しかったのではないかと、青山さんは推察する。

 同便のボイスレコーダー音声をDVD付録にした本の著者で元赤旗の記者が突然、吉備さんに連絡してきた。電話番号も教えてないのに。戸惑いながら出ると、威圧的な言葉で「自分の本が正しい。変な本が出たが、そんなものを信じるな。なぜ控訴なんかするのか」といった言葉を投げ掛けてきたとのこと。青山さんは「自らの本とDVD付録を正当化して、控訴取り下げのための懐柔に加担したのだろう」と評する。一方、青山さんの新著は、母校の東大図書館に寄付したが消えたという。

 控訴審第1回口頭弁論の後、東京・有楽町の外国人記者クラブで記者会見を予定していたが、前日になって急きょ中止させてくれとの連絡が弁護団に来た。幹事社はイタリアのメディアとのこと。日航が手を回したのだろうか?

 これら不可解な現象は全て、原告の主張が真実であることの告白ではないか。情報がこれだけ出ていながら、司法とメディアの対応は変わっていない。この状況を覆せるかは、国民の意識にかかっている。


【遺族/吉備素子の情報公開訴訟控訴審】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK289 >」の「赤かぶ 日時 2023 年 4 月 04 日」「123便VR開示請求訴訟4.11PM4結審」。
123便VR開示請求訴訟4.11PM4結審
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2023/04/post-e0d9d0.html
2023年4月 3日 植草一秀の『知られざる真実』
 JAL123便ボイスレコーダー等開示請求事件の控訴審が4月11日に第2回口頭弁論期日を迎える。この日で結審になる見込み。訴訟は2021年3月26日に提起された。被告は日本航空株式会社。原告は123便墜落事故で亡くなられた吉備雅男さん(当時45歳)の遺族(妻)吉備素子さん。2021年6月の1審第1回口頭弁論までは、もう1名の原告がいた。123便の佐々木祐・副操縦士の実姉である市原和子さん。しかし、市原さんは21年8月に訴訟を取り下げた。市原さんが入居する老人施設の事務局長は元日航の客室乗務員。市原さんに連絡を取ろうとしても老人施設は電話を取りつがなかったとのこと。市原さんにさまざまな圧力が加えられた疑いがある。東京地方裁判所への訴訟提起は2021年3月26日。6回の口頭弁論期日が設定され、2022年10月13日に1審の判決が示された。判決は原告の請求を棄却した。東京高裁での2審は本年2月21日が第1回口頭弁論期日。被告の日本航空は裁判長から意見を求められ、「全て出し尽くしている。結審してもらいたい」と主張した。裁判官合議のため3分間の休憩が設けられ、4月11日にもう1期日入れて結審することが決定された。裁判に時間がかかる日本で、異例のスピード進行が続く。4月11日に、その第2回口頭弁論期日を迎える。開廷予定時刻は午後4時。傍聴券交付のための抽選は開廷20分前に行われる見込み。国家権力がこの訴訟を早急に終了させてしまおうとしているように見える。しかし、訴訟の対象は極めて重大な問題だ。原告である吉備素子さんは運行会社である日本航空対して123便のボイスレコーダーとフライトレコーダーの完全開示を求めている。吉備素子さんは2月21日の第1回口頭弁論期日に意見陳述し、「雅男は123便に客として乗り、バラバラになりました。私が見つけたのは、右手と背中の一部、足首のみ。38年たち、なぜ夫がこのようになったか疑問です。なぜ、日本航空は遺族に事故原因を全く説明しなかったのか」「事故調査報告書は修理ミスによる圧力隔壁の破壊が原因と「推定される」と記述したが、2013年に運輸安全委員会ホームページに提示された同報告書付録には垂直尾翼に11トンもの外力が作用したとする「異常外力の着力点」の記述があり、また、相模湾に垂直尾翼の残骸が存在すると見られることが明らかになった」と述べ、「公共交通機関として、遺族に誠実に事実を教えてほしい」と訴えた。

 
事故調報告書は「圧力隔壁の破壊が原因と推定される」としたが、2013年に公表された資料には「11トンもの外力が作用したとする「異常外力の着力点」」の存在が明記された。事故当日、123便飛行ルート真下の相模湾で防衛庁護衛艦「まつゆき」による国産ミサイルの発射実験が行われ、そのミサイル等が123便に着弾して垂直尾翼を吹き飛ばしたとの可能性を多くの人々が指摘している。123便から生還された日航客室乗務員(当時)の落合由美さんは救出された直後に、「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました」と証言した。ところが、事故調査報告書は、「救出された4名以外の者は即死もしくはそれに近い状況であった」と記述。事故調報告書と落合さんのいずれかが虚偽を述べていることになる。

 4月10日午後5時から午後7時半の予定で開催する政策連合(オールジャパン平和と共生)主催「いま岸田内閣を問う!-院内緊急集会-」会場:参議院議員会館B107会議室
https://bit.ly/3ZVWmtW

 参加申し込みは下記アドレスへ(先着順受付)
 info@alljapan25.com
 院内緊急集会では123便ボイスレコーダー等開示請求事件についても弁護団の佐久間敬子弁護士より解説をいただく。翌日の123便訴訟控訴審第2回口頭弁論期日と合わせて、多くの市民の参集を呼びかけている。


【遺族/吉備素子の情報公開訴訟控訴審の争点】
 「★阿修羅♪ > 日本の事件32」の「ますらお 日時 2023 年 4 月 12 日」「日航123便訴訟で「慰謝料の部分だけ和解した」と原告 新証拠の扱いが争点(高橋清隆の文書館)」。
本記事http://blog.livedoor.jp/donnjinngannbohnn/archives/2056067.html
 乗客・乗員520人が死亡した1985年の日本航空123便墜落事故の遺族が同社に生のボイスレコーダーなどの開示を求めた控訴審の第2回口頭弁論が11日、東京高等裁判所808号法廷(土田昭彦裁判長)で開かれ、原告の吉備素子さん(80)が過去に日航らと交わした和解について「生活に困っている人がいると言われ、慰謝料の部分だけ和解した」と複雑な心中を明かした。2022年10月の東京地裁判決は1991年までに和解が成立しているとして棄却したが、三宅弘・主任弁護士は裁判の後、自衛隊の模擬ミサイルが当たったことを示唆する新証言が出てきたことを挙げ、「真実の一端が示せているのだから、従前の和解の範囲外」と主張した。控訴審はこれで結審し、6月1日に判決が言い渡される。 裁判の後、記者らの質問に答える三宅弁護士(2023.4.11筆者撮影)

 同訴訟は、①憲法13条に基づく人格権(プライバシー権)と個人情報保護法第28条1項に基づく個人情報開示請求権②同社国内旅客運送約款に基づく安全配慮義務に伴う信義則上の情報提供義務履行請求権に基づき、ボイスレコーダーとフライトレコーダーの開示を求めるもの。裁判官3人の合議体を採っているが、構成が変わっていた。結審をめぐり、異論が起きたことを示唆する。原告側は吉備さんのほか6人の代理人弁護士、被告側は3人の代理人弁護士が出廷した。約40人が傍聴した。

 吉備さんは「38年間、どうしてこうなった(事故が起きた)か、そればかり考えてきた」と振り返った。日航の発表に疑問が重なり、高木養根(やすもと)社長(当時)や旧運輸省、群馬県警の河村一男本部長(当時)、上野村の故黒澤丈夫村長(当時)に面会したが明快な答えは示されず、集団提訴に加わったものの、修理ミスによる後部圧力隔壁の破壊が原因と説明され、和解が勧告された。当時の決断について、「慰謝料を出すので和解しろと言われ、瞬時に嫌だと思った。そのような説明では納得できないから。しかし、弁護士から『生活に困っている人がいるから』と言われ、その部分だけ和解したつもり」と当時の心境を明かした。

 同事故については、被害者遺族に対する分断工作が続いてきた。一審の第1回口頭弁論までいたもう1人の原告、市原和子さん(佐々木祐・副操縦士の実姉)は第2回期日の直前に突然訴訟を取り下げ、連絡が取れなくなっている。 吉備さんは「他の遺族は傷つけられるので、闘うのを怖がっている。それで私は、遺族会を抜けた。これ以上、他の人を誘うことはできない。副操縦士の姉も傷ついたのでしょう。市原さんを気の毒に思う」と苦しい胸中を吐露。「だから1人で頑張った。よろしくお願いします」と裁判長に公正な判断を求めた。裁判長から意見を求められた被告代理人は、「反論書で十分」と述べるだけ。被告側は証拠書類として、遺族との和解を報じた新聞記事しか提出していない。判決期日を決めるための休憩を含め、約14分で閉廷した。

 今回の訴訟の最大の争点は、和解の効力を裁判所がどう判断するかだ。和解条項には、「原告らは本件事故に関し、今後、いかなる事情が生じても、被告(ボーイング社)および利害関係人(日航)に対し、一切の異議を述べず、また何らの請求をしないものとする」との記述がある。しかし、原告側は新証言・証拠を積み上げた。「真っ赤な飛行機」を見たと記す上野村の中学生の作文集や非番の自衛隊員による「ファントム2機」目撃の手記を載せた群馬県警発行『上毛警友』、相模湾に垂直尾翼の残骸があったとの報道など。中でも控訴審での最大の武器は、13年に運輸安全委員会ホームページで提示された同事故調査報告書の付録。そこには、垂直尾翼に11トンもの外力が作用したとする「異常外力の着力点」の記述があった。当時、防衛庁は国産ミサイルを開発中で、相模湾で護衛艦が試運転していた。テスト用の爆薬なしの模擬ミサイルが誤って発射された可能性が指摘されている。

 裁判後、記者に和解の効力について問われた三宅弁護士は、「被告は和解が成立しているから無効だと主張するが、吉備さんは『お金のところだけ和解した』と言っている。この問題は審理されていない」とくぎを刺した。遺族との和解の経緯についても、「被告はロッキード社だったところに最後にJALが出てきて和解しているから、信義則に反する」と指摘。新証言・証拠を挙げて「真実の一端が示せているのだから、従前の和解の範囲外」と主張し、開示を命じるのが当然であるとの見解を示した。

【遺族/吉備素子の情報公開訴訟控訴審判決】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK290 」の「赤かぶ 日時 2023 年 6 月 04 日」「結論ありきの123便事件控訴棄却(植草一秀の『知られざる真実』)」。
 結論ありきの123便事件控訴棄却
 http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2023/06/post-bbb3f7.html
 2023年6月 3日 植草一秀の『知られざる真実』
 6月1日午後1時半、東京高裁において、JAL123便ボイスレコーダー等開示請求事件の判決が示された。結果は予想されたものであったが原告の控訴は棄却された。開廷から5秒で判決公判は終了した。政治権力に阿る裁判官では正当な司法判断を示すことはできない。

 東京高裁が控訴を棄却した最大の根拠は和解の存在。1991年3月26日、ボーイング社を被告とする損害賠償請求訴訟事件の和解が成立した。123便墜落事件発生から5年半が経過した時点での和解成立。損害賠償の請求対象はボーイング社だった。政府事故調は123便墜落の原因を圧力隔壁損傷にあるとした。当該123便はしりもち事故を起こしており、その際の圧力隔壁補修が不十分であったために圧力隔壁が損傷。このことによって123便の垂直尾翼が破壊・喪失され、123便が操縦不能に陥ったとした。損害賠償請求訴訟事件はこの事実認識に基づきボーイング社に損害賠償を求めたもの。遺族のなかには123便墜落で一家の稼ぎ頭を失い、生活に困難を来す人も多かった。このことからボーイング社、JALの対応に不信感を強く抱く者も和解への同意を強く迫られたという経緯がある。今回の情報開示請求事件の原告になられた吉備素子さんもその一人。損賠賠償の部分に同意したのは事実だが、事故原因の解明を求める権利を放棄した覚えはないとする。123便墜落以来、「なぜ、どうして」という思いが離れたことはなかった吉備さんは語る。群馬県に設置された遺体安置所に長期間滞在し、遺体の確認を続けた。そのなかでJAL社長の不可解な言動を目にして不信と疑念の感情を持ち続けて現在に至る。その過程で青山透子氏の著作に出会い、事故原因が政府事故調発表のものとはまったく異なる可能性が高いことを知る。愛する夫を失った遺族として、本当の事故原因を知りたいと思うのは当然のこと。ボイスレコーダーを完全なかたちで検証できれば事故原因の真相は判明するはずだ。そのために訴訟を提起した。ところが、東京高裁の土田昭彦裁判長は和解条項の条文に飛びついて深い思慮もなく原告の請求を退けたと見られる。1991年に成立した和解は日本航空を被告とするものではなかった。ボーイング社に対する損害賠償請求事件である。ところが、裁判所が勧めた和解の最終期日にJALが加わった。和解の条項のなかに「原告らと被告及び利害関係人との間には、本件に関し、本件和解条項に定めるもののほか何らの債権債務が存在しないことを確認する。」(第5項)「原告らは、今後本件事故に関し、いかなる事情が生じても、被告及び利害関係人両社はもとより両社の役職員、代理人、関係会社、下請業者及び納入業者に対し、国の内外を問わず、国内法または外国法を理由として、裁判上又は裁判外において一切の異議を述べず、また、何らの請求をしないものとする。」(第4項)が置かれた。裁判所はこの和解条項に飛びついて原告の訴えを退けている。

 原告が訴えている請求の根拠としての憲法上の権利(人格権・幸福追求権の1つとしてのプライバシー権、この発展形としての自己情報コントロール権)について深い考察もなく、和解条項を前面に押し立てて原告の請求を棄却した。しかし、1991年の和解条項自体が奇怪そのものである。和解はこの事件について疑惑が表面化することを、あらかじめ認識していたと思われるもの。航空機または運航の側の過失あるいは瑕疵によって521名もの尊い人命が失われた。事故を引き起こした有責の当事者が損害賠償の債務を負うのは当然のこと。ところが、和解条項の条文は有責の当事者であるボーイング社ならびに和解の最終段階で和解に潜り込んだ日本航空が、これ以上ない高飛車な位置に立って記述されている。当時の原告代理人がこのような和解条項を容認したことも極めて不可解だ。原告側の代理人も事件の真相を封殺する勢力に所属していたことが疑われる。この和解条項を根拠とすれば原告の訴えを退けることは正当化されてしまう側面があるだろう。しかし、これを是とするわけにはいかない。原告は憲法上の権利として情報開示を求めたが、併せて日本空に対して信義則上の情報開示義務を主張している。この点に関するJAL=日本航空の対応はあまりにも不誠実。企業の社会的責任が叫ばれる現代経済社会において日本酷空の対応は糾弾されるべきものだ。







(私論.私見)