怪人21面相事件との絡み考 |
更新日/2024(平成31. 5.1栄和元/栄和6).5.4日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「怪人21面相事件との絡み考」をものしておく。「かい人21面相が暴れ始めた日~日本初の劇場型犯罪/グリコ・森永事件/勃発」、「キツネ目の男 グリコ森永事件の最期の真実」その他参照。 |
【1984年、「怪人21面相事件」発生 その1、グリコ事件】 |
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「1985日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故事件」と123便に搭乗したグリコ森永事件の犯人たちの関係が取り沙汰されている。どう絡むのかは諸説あり、はっきりしない。確かなことは、この日奇しくも犯人側からの「終結宣言」が夕刊に出ていたことである。「くいものの会社いびるのもうやめや・・・」との犯行終結文が、わざわざ犯人側から出されている。その相手はハウス食品。そして、123便にハウス食品社長が搭乗し死亡している。なお、ハウス食品は一億円を強要された他に、「ハウスのあほどもにおとしだまやらなならん」と犯人達に激怒され、予告的な脅迫を受け続けていたと思われるところがある。 ここで、グリコ・森永事件(「警察庁広域重要指定114号事件」)を確認しておく。その前に中曽根政権との関係を確認しておく。 1982(昭和57).11.27日、中曽根康弘が自民党総裁・内閣総理大臣に就任。ロナルド・レーガン米大統領と親密な関係作りに成功していた。その中曽根政権全盛期の頃の1984.3.18日、「怪人21面相」によるグリコ事件が発生している。これより1年五ヶ月後の1985.8.12日の日航機事件まで、「怪人21面相」が中曽根政治を嘲笑し続けることになる。 3.18日21時35分頃、拳銃と空気銃を構えた3人組の男が兵庫県西宮市の江崎グリコ社長宅に侵入し、息子と入浴中の江崎勝久社長(当時42歳)を拉致し全裸のまま誘拐するという事件が発生した。江崎グリコ社長を拉致・監禁した犯人は、翌日の19日、大阪府高槻市の公衆電話に、身代金として現金10億円と金塊百キログラムを強要するカナタイプの脅迫状を置いたことを通告した。
3.21日14時35分頃、事件3日後、江崎社長が監禁されていた大阪府茨木市の安威川にある水防倉庫から抜け出し、新幹線の車両基地である大阪貨物ターミナル駅構内でに助けを求め保護された。事件が解決したかに見えたが、日本の犯罪史上例を見ない大事件となるグリコ・森永事件(警察庁指定広域重要114号事件)の幕開けに過ぎなかった。 3月22日、各社新聞が江崎社長の拉致・監禁事件を報じ、3人以上の複数の犯人による犯行であり、暴力団、総会屋グループ等が関係している可能性が強いと発表している。 |
【1984年、グリコ事件その後】 | |||
4.2日、4.23日、5.31日に脅迫状届き、警察とのスリリングな取りもの劇が演ぜられた。江崎グリコ本社、関連会社に対する放火事件が相次ぐ。この頃、犯人グループは、4.8日を指定日にした身代金受け渡し要求の脅迫状を、江崎邸に送りつけている。 4.5日、産経新聞朝刊スクープ「江崎社長宅に脅迫電話」記事。 4.7日、マスコミに1通目の手紙が犯人から届く。 4.8日、犯人グループは指定してきた現金取引現場には姿を現さず、捜査は空振りした。 4.9日早朝、大阪市北区梅田の産経新聞大阪本社で、郵便物を仕分けていた社員が1通の封筒に目を止めた。差出人の名前がない茶封筒で、封筒の表にタイプ打ちの文字で「江崎勝久」。封筒はすぐに本社2階の社会部に回った。社会部は、その日の朝刊1面で「グリコ社長誘拐 現金取引で緊迫の攻防」をスクープしていた。この日は、江崎社長が兵庫県西宮市の自宅から、22日ぶりに江崎グリコ本社(大阪市西淀川区)に出社する日でもあった。そこに突如出現した「江崎勝久」の茶封筒。封を切ると、白い用紙が出てきた。文面の書き出しに、こうタイプ打ちされていた。
4.9日、産経新聞記事朝刊1面「日曜日に緊迫の攻防」、「グリコ社長に1億円要求 誘拐犯グループ異常な脅迫 引き渡し8日指定 警察、大捜査網敷く」。 4月10日、大阪市内にあるグリコ本社敷地内にある工場とグリコ栄養食品関連先が放火される。 4.12日、怪人21面相が「警察庁広域重要指定114号事件」に指定された。怪人21面相はダイナマイト等を持っていることを脅迫状で知らせている。 4.22日、犯人からマスコミ(産経新聞と毎日新聞)宛に挑戦状と呼ばれるようになる手紙「けいさつの あほども え」(「第2挑戦状」)が届く。犯人はこの時初めて「かい人21面相」と名乗る。
4.24日、江崎グリコにかかってきた電話。女性の声で、「名神高速道路を 85キロで 吹田のサービスエリアへ走れ……自動販売機の上に手紙がある……」。 マスコミに「かい人21面相」は挑戦状を幾たびも送ることとなり、大阪弁丸出しの挑戦状がマスコミを通じて公表され、国民がテレビの中で展開する事件を注視する劇場型犯罪化していく。この事件から「劇場型犯罪」という言葉が使われだした。 5.10日、毎日新聞、読売新聞、サンケイ新聞、朝日新聞の4社に怪人21面相から3通目の手紙「まづしい けいさつ官たち え」 が届く。「グリコ製品にせいさんソーダを入れた」と告知しており、グリコの経営に大打撃を与える内容が書かれていた。これを受けて大手スーパーがグリコ製品の撤去を始めた。
後段の「グリコをたべて びょう院え いこう」、「グリコを たべて はか場え いこう 」は、1960年代「トリスを飲んでハワイへ行こう」のキャッチフレーズで一世を風靡したサントリーのトリスウイスキーをパロディ化したものではないかとの指摘がある。 |
【1984年、事件2、ダイエー事件】 | ||
5月16日、マスコミ宛ての4回目の手紙「ダイエーの 社長え」 が届く。
このときのダイエーの社長はカリスマの中内功氏である。当時、中内社長はチェーンストア協会で最も力を持っていた。その中内氏に、グリコ製品をスーパーで売ることをスーパー業界全体に働きかけろと要求している。
6.2日、寝屋川事件と呼ばれる出来事が発生する。この頃、怪人21面相は、たびたび江崎グリコを脅迫し現金3億円を要求していた。当日、怪人21面相が指定した場所に3億円を積んだ乗用車を配置し、警察が待っていた。するとある若い男が近づいてきて乗って行った。犯人が運転し堤防に向かったところ、捜査本部の仕掛けで車はエンストし、車中に潜んでいた捜査員に若い男は取り押さえられた。犯人逮捕と色めき歓喜したが、実はその若い男は犯人ではなく、犯人に脅され運転役をさせられていた。その若い男は、川の堤防で車を止め、彼女とデートをしていたが、突然そこへ男が銃身のような物を運転席に押し込んできて、そのカップルを脅し、彼女を別の車で連れ去り、若い彼氏の男に現金を積んでいる車のあるレストランの駐車場に連れて行き、「ファミレスで駐車している白のカローラバンの運転手から車を受け取り、先ほどの堤防まで走って来い」と指示し途中で車を降りた。言うことを聞かないと彼女の命はないと脅され、しかたなく彼氏は指示に従ったというのであった。 |
【1984年、事件3、丸大食品事件】 | |||
6.22日、怪人21面相がグリコ以外の会社にも脅迫を始める。大阪府高槻市の丸大食品(羽賀孝社長)に脅迫状が届く。内容は「グリコと同じ目にあいたくなかったら、5千万円用意しろ」というものだった。
6.26日、「怪人21面相」からマスコミに5回目の挑戦状「全国のファン の みなさん え」が届き、「江崎グリコゆるしたる」と江崎グリコへの脅迫収束宣言をする。
マスコミはこれを終結宣言として報道した。グリコは50億円の損失を出していたが、これによりグリコはスーパーの店舗に復活していく。しかし、怪人21面相は動いていた。 |
【1984年、事件3、丸大食品事件その後】 |
6.28日、丸大ハムから現金奪取を狙う怪人21面相からの電話があり、丸大社員になりすました私服刑事数人が指定通りJR東海道線高槻-京都駅間の電車に乗ると、鉄橋近くの目印の旗を見つけ次第、5000万円の入ったバッグを車窓から投げ込むよう指示があった。しかし、電車の速度が速く投げられなかった。この時のことかどうか不明であるが、車内に配置された私服刑事の1人が不審な「キツネ目の不審男」を発見している。刑事達は尾行班を設けキツネ目の男をマークする。但し、警察上層部は現場の刑事に逮捕権限を与えず、命令があるまで接触しないよう行動を制限していたため、それ以上のことはできなかった。結局、キツネ目の男は駅を下りると、改札口を出た後の雑踏に紛れ、刑事はキツネ目の男の姿を見失っている。この丸大食品脅迫事件は捜査当局により伏せられ、三社目に森永製菓が脅迫された事件を毎日新聞がスクープし連続脅迫が発覚社会に衝撃を与えた。当局は当初、便乗犯であり誤報だとの態度をとったが、その後犯人側の声明文で確認された。事件が「グリコ・丸大事件」ではなく「グリコ・森永事件」と呼ばれるのはこのためとみられる。 森永事件とは、また店頭の森永製菓の製品に毒物である青酸ソーダーが混入されたため世間が騒然となった事件を云う。これに関連して、食品メーカーの六社(江崎グリコ、丸大食品、森永製菓、ハウス食品工業、不二家、駿河屋)が次々と多額の金額を強要されるという前代未聞の企業脅迫事件が発生した。これをグリコ・森永事件と云う。犯人が「かい人21面相」と名乗ったことから、怪人21面相事件などとも呼ぶ。 |
【1984年、事件4、ハウス食品・ジャスコ・ニチイ事件】 |
7.11日、ハウス食品・ジャスコ・ニチイへ警告状が届く。 |
【1984年、事件5、森永製菓事件】 | ||||||||
9月以降、一気に大きく動き出す。9月12日、第三の標的として 森永製菓に1億円要求。ここから森永に危機的な事態が迫る。キツネ目の男らは、週刊読売が2週間前の誌面で投げかけていた質問に答える格好で、自ら丸大食品を標的とした事実を認めている。
9.23日、マスコミに6回目の手紙。 10.8日~13日、かい人21面相は社会を大きな衝撃を与える行動に出る。それと同時にマスコミに7回目の手紙「全国の おかあちゃん え」を送る。
ついにかい人21面相は、毒入りの森永の菓子を京阪神では国道171号線沿いの都市や愛知県などのコンビニやスーパーなどに無差別にばらまいた。その森永の菓子には、どく入り きけん 食べたら 死ぬで かい人21面相 と書かれたシールを貼っていた。そしてこの時、毒入り菓子を置くところを録ったビデオが公開された。後に「ビデオの男」と呼ばれるようになる。この時送られた挑戦状にある「しかた」というのは当時大阪府警の本部長の「志方氏」のことである。志方氏はのちにマイカルの社長になるが倒産に追い込まれたしまったのである。挑戦状で「大さか婦警」とか「兵ご犬警」という書き方は、今の2ちゃんねるで見られる「これを読め!」を「これを嫁」と書き換えるのと同じ感じがする。 7月、丸大食品取締役宅に現金を要求する脅迫状が届き、活劇を演じている。後に、犯人が、丸大食品のキャッチコピー「わんぱくでもいい たくましく育ってほしい」をもじった「わるでもええ かい人21面相になってくれたら」と言葉を使って丸大食品を脅迫したことが暴露された。この為、丸大食品への脅迫が世間に知られるようになった。 9.12日、「江崎社長拉致事件」から半年後のこの日、犯人より、大阪府大阪市の森永製菓関西販売本部(大阪市北区西天満)の郵便箱に大判の封筒が接投げ込まれ、稲生平八会長宛ての数千万円を要求する脅迫状が届く。脅迫状には「グリコと同じめにあいたくなければ、1億円出せ」、「要求に応じなければ、製品に青酸ソーダを入れて 店頭に置く」と書かれており、青酸ソーダ入りの菓子(「森永ミルクキャラメル」、「森永パツクンチョ」)、青酸ソーダの固形錠剤と一本のカセットテープが入っていた。模倣犯でない真犯人の証明として、江崎社長の肉声が録音されたカセットテープである。脅迫状には、グリコが犯人グループに6億円を支払ったと書かれていたが、真偽のほどは定かではない。
9.18日、再び活劇が演じられている。 9.18日、子供(男児)の声で森永にかかってきた「レストランから1号線を南へ 1500メートル 行ったところにある…… りっきょうの階段の下の 空き缶の中……」。
10.7日から10.13日にかけて、大阪府、兵庫県、京都府、愛知県のスーパーから不審な森永製品が発見された。「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」と書かれた紙を貼った森永製品が置かれており、菓子の中に青酸ソーダが混入されていた。青酸入り菓子は13個発見された。この間の10.8日には阪急百貨店などにも森永製品を置かないよう要求する脅迫状が届いた。この脅迫状の中では「わしらに さからいおったから 森永つぶしたる」とまで宣言している。 10月7日の午後、「1984年10月7日12時〜18時・西宮東郵便局管内から投函」の脅迫状が27社に送り付けられた。ダイエーや西友などの食品流通業界以外にも、ハウス食品、明治製菓、山崎製パンなど食品メーカ—が含まれていた。
10月13日、マスコミへ宛ての8回目の手紙。「クイズ 青せんソーダで なん人 殺せる でしょうか」。NHKにビニール袋に入った工業用青酸ソーダが送られてくる。 |
【1984年、警察庁の新長官に鈴木貞敏就任】 | |
10.13日、「1984年10月13日12時〜18時・大阪南郵便局管内から投函」された挑戦状が送られ、警察庁の新長官に就任したばかりの鈴木貞敏をからかっていた。
10.15日、警察はあらたな犯人グループのひとりとみられる映像を公開した。巨人軍の野球帽の、短いパンチパーマの男であった。 |
【1984年、事件5、森永製菓事件その後】 | |||
10月31日、マスコミへ宛ての9回目の手紙「社長 え」(「1984年10月31日8時〜12時・京都府向日町から投函」)。
かい人21面相は森永に次のような手紙を送る。
ビデオの男に関係して事情聴取をしている事に触れる。かい人21面相は週末に動きをすると考え、警察が各スーパー店舗を警戒する連続週末警戒態勢がとられる。また、膨大なローラー捜査作戦が取られる。 11.6日、森永製菓は、警察と協力しながら、毎日新聞の「尋ね人欄」に次の広告を出した。
http://www.deeposaka.com/denno/denno4.html に掲載されている。 10.15日、NHK大阪放送局に青酸ソーダの錠剤を送りつけられた。新聞各社への挑戦状にはこの青酸ソーダで何人殺せるかというクイズを出し、「賞品」は青酸入り森永製品、「宛先」は「刑死ちょう そうむ部きかく課長」(原文ママ)と記されていた。また、犯人グループは読売新聞社に宛てた挑戦状で1955年に森永製菓の関連会社である森永乳業が引き起こした森永ヒ素ミルク中毒事件を例に挙げ、「森永 まえ ひそで どくのこわさ しっとるやないか」と森永製菓を挑発していた。同じ挑戦状で、明治製菓が当時売り上げ1位で、グリコの次は明治が狙われると誰もがそう思う、だから明治(を標的にするの)はやめたという旨も書かれている。 森永の製品が一挙にスーパーから撤去されて森永の10月の売り上げは6割ダウン。次月の生産は9割減の見込みと発表。会社の存続にまで影響が出始めた。森永は、工場直送の菓子類を卸に回さずに、社員が自ら街頭へ出て売った。 |
【1984年、事件4、ハウス食品事件その後】 | ||||||
11.7日、森永製菓が、九割の減産に追い込まれる中、今度は、ハウス食品工業総務部長・和田博宅に脅迫状が届く。差出人は山口義明(同社取締役)、発見場所:大阪市阿倍野区にある和田氏宅の郵便受けに投げ込まれていたのを7日午前7時頃発見。この手紙には下記の浦上宛ての手紙と、固形青酸ソーダ、青酸ソーダ混入の「ハウスシチュー」が同封されていた。文中の「浦上」は裏紙郁夫(同社代表取締役社長)、「大つか」は大塚邦彦(同社副社長)を指していると思われる。浦上社長宛ての脅迫状は現金1億円を要求する内容で、現金受け渡し日は11.14日、場所は伏見のレストランというように指定されており、別の脅迫状には青酸ソーダ混入の「ハウスシチュー」と、江崎グリコの社長が誘拐されたときの音声テープが同封されていた。
同日、又しても活劇が演じられる。大津サービスエリアで現金輸送車の様子を伺う不審者が刑事に目撃される。不審者の人相は、丸大脅迫事件に目撃された「キツネ目の男」と一致。刑事は「キツネ目の男」を注意深く尾行したが、そのまま一般道路の方へ逃げられてしまう。 11.12日、マスコミへ宛ての10回目の手紙「全国の すいり ファンの みなさん え」。 「1984年11月13日18時〜24時、東京下谷郵便局管内から投函」文は次の通リ。
ここで警察は大きなミスをする。ハウス食品に送られてきた脅迫状の指示通り、車に1億円を積み、大津パーキングエリア内で金の受け渡しのため待機した。 このパーキングで不審な「キツネ目の男」が捜査員の数メートルのところまで接近していた。極秘で大津サービスエリアに張り込んでいた滋賀県警の捜査員(大野三佐雄・元滋賀県警捜査一課)が、例の〝F(キツネ目の男)〟らしい男がベンチに座り、ベンチの下に何かの紙(指示書?)を張り付けているところだった。元・滋賀県警捜査一課の田口肇(はじめ)も目撃したという。無線で、「犯人らしい男が、指示書と思われるものをベンチの下に貼っています。職質していいでっか?!」、「あかん! 我々、滋賀県警が出ていいのは、大阪府警から支援要請があったときのみだ!」、「……せやけど! 完全に犯人です!」、「あかん! あかんがな!」。捜査は大阪府警が単独でやる……この取り決めが、犯人たちを助けた。その後見失う。 そして、犯人側が指定した場所にあった指示書に「名古屋方面に向かい、白い旗が見えたら缶に入れた指示書を見よ」と書いてあった。ハウスの社員に変装した捜査員はスロースピードで車を名古屋方面に走らせる。一方、ほぼ同時刻に白い旗が取り付けられた名神高速道路の地点から50メートル手前で交差する県道(栗東)で不審な車をパトカー(捜査班ではなく通常の警邏であった)が発見した。ただ、この警官達はグリコ森永事件の捜査を行われていることを知らなかった。不審車を取り調べようとパトカーを降りた途端、不審車が急発進し逃走。パトカーは追跡したが見失ってしまった。その後、乗り捨ててあった不審車を発見。車内には警察傍受無線機が残されていた。 やがて、遊撃班が、大津サービスエリアに到着した。男女の捜査員が、覆面パトカーから降りる。そして、チューリップ帽子に、黒系のジャージにズボン姿の、サングラスの〝F(キツネ目の男)〟が電話ボックスにいるのを発見した。電話の受話器をもってはいるが、何も話してはいない。……! 驚き、次の瞬間、
捜査員(大阪府警捜査一課特殊班の〝遊撃班〟)松田大海(ひろみ)さんは、カップル役の女性捜査員(徳田みどり・婦警)に抱きついた。(NHKのドラマでは女優の田丸麻紀さんが演じた)「いた。〝F(キツネ目の男)〟や」耳元で囁くようにいう。「何処ですか?」、「……電話ボックス……見るな!」、「どないします? 職質しますか?」、「そうしたいが。まずは上にきいてみな。だが、これで二回目の現場や。もう、レポ役(連絡係)でもなんでもない。〝F〟は、犯人グループの一人で間違いない」、「なら、見張っときますから……本部に職質の許可をきいてきてください」、「わかった……もうこれが最後の逮捕へのチャンスかも知れへん」。だが、職質の許可は遂に、おりなかった。捜査員の捜査は、〝徹底追尾〟〝一網打尽〟……でしかない。そうこうしている間に、〝F(キツネ目の男)〟はまたも怪しい動きをする。逃げ出して、男性捜査員が追うが、〝F(キツネ目の男)〟は捜査員をまいて、夜の暗闇に消えた。逃げられた! こうして、二度と、〝F(キツネ目の男)〟は大阪府警捜査一課特殊班の前に、姿を現わすことはなかった。 だが、まだ犯人グループからの指示がある。大津サービスエリアから、草津パーキングエリアから数キロ程行ったフェンスに、白い布が括り付けてある。その下の空き缶の中に、次の指示書がある、という。フェンスを乗り越えようとする不審な男を発見!〟〝どうします? 逮捕しますか?〟〝あかん! 大阪さんの支援要請がきてからや〟〝せやけど。間違いなく犯人です〟「駄目や。このまま、移動するで。白い布もあるかも知れんが。そのまま直進や。これは滋賀県警のトップシークレットや! 誰にも知られたらあかんのや!」。のちに、晩年の元・大阪府警本部長・四方修さんは、NHKの証言で、「原則は一網打尽。徹底追尾……ということでした。いくら、怪しい男(〝F(キツネ目の男)〟)がいたからって。職質して任意同行したら、犯人グループにこちらの(警察の)手の内を見せるようなもんやし。指示書にしても、発見したときには、もうすでに別の場所に貼られているわけやし。〝指示書〟を貼ってるのを現行犯で捕まえたらあれやったけど…」、「しかし、滋賀県警の捜査一課の刑事さん(大野三佐雄さん)が貼っている犯人を目撃した、と……」。NHKの取材班が尋ねる。と、「え? それホンマ? それは……嘘やわあ。犯人が〝指示書〟を貼っているのを発見したのに、『大阪府警に悪いから…』とかいって逮捕しないわけないでしょ? 嘘いっちゃいけんですよ。それが事実なら、警察官の、刑事の、怠慢……って話でしょ?」。どこまで、四方修さんの証言は本当で、どこからが嘘なのか。
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11.22日、マスコミへ宛ての11回目の手紙「全国の すいり ファンの みなさん え 2」。雑誌で「金が目的なら私が払うから辞めたまえ」と文を書いた作家の川内康範へ手紙。「わしらも 月光仮面 見たで おもろかった」。 |
【1984年、事件5、森永製菓事件その後】 | ||||
11.29日、「1984年11月29日12時〜18時・枚方郵便局管内から投函」。
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12.7日 、12.15日、不二家の労務部長宅に脅迫状が届く。脅迫状にはテープと青酸ソーダが同封されていた。不二家に1億円を要求 。
文面は、マスコミが報道協定でハウス事件を1ヶ月間報道しなかったことを批判している。 |
【1985年、「怪人21面相事件」発生その後】 | ||||
1985.1.11日、不二家脅迫事件が初めて報道され、かい人21面相が不二家を脅迫していたことが明らかとなった。 1.14日、マスコミ宛ての15回目の手紙(「(1985年1月14日18時〜24時・岡山中央郵便局管内から投函)」)。
1.16日、マスコミ宛ての16回目の手紙。 1.25日、マスコミ宛ての17回目の手紙。フジテレビがある番組でかい人21面相に番組内のホットラインの電話に電話するように呼びかける。その電話の受付に若い女性が担当していた。それをかい人21面相は見ていたようで、「かい人21面相フアンクラブの みなさん え」で始まる文面が届けられた。
2.12日、東京、名古屋で青酸入りの菓子8個発見(~13日)。マスコミ宛ての18回目の手紙 2.19日、マスコミ宛ての19回目の手紙「国会ぎいんの みなさん え」。
「わしらの せいで 法りつ できる そおや」は、食品に毒物を入れてばら撒くものに対する刑事罰の法律を作ったことを批評していると思われる。 2.27日、マスコミ宛ての20回目の手紙「松崎 え」。 (「1985年2月27日19時半ごろ、茨木署下穂積派出所の入り口ドア下で 発見」)
森永に対する脅迫を止めると伝えてくる。NHKkの テレビ みたで 高木 ええ 男 や ないか 「高木」とは事件による危機対応に指揮を執っていた森永のの高木貞雄副社長のことである。 3.6日 、老舗の「駿河屋」に5000万円要求。 3.17日、マスコミ宛ての21回目の手紙。この前後、キツネ目の男は、マスコミに6通の挑戦状を出しているが、これまでのように脅 迫している企業名を明かし、騒ぎを大きくしようとしたものではない。いずれも面白おかしく警察を小バカにし、揶揄嘲笑する内容だった。 |
3.17日、大阪城の天守閣に置いた次の挑戦状を最後に、水面下に深く潜ってしまい、二度と警察の前には姿を現さなくなった。
3月以降、犯人グループからの恐喝がハウス食品等に頻回に行われた。(これらはマスコミに報道されていない) 4.3日、マスコミ宛ての22回目の手紙。この後、しばらくかい人21面相全く動きを止める。 |
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8.7日、ハウス食品事件で不審車両を取り逃がした滋賀県警前本部長の山本昌二が本部長公舎で焼身自殺 。山本昌二は「責任はすべて私にある。取り逃したパトカーの警察官に責任はない」と公言して1985年2月に辞意を示したがすぐには認められず、同年8月7日に辞任挨拶の記者会見後、「肩身の狭い思いをさせて済まない」と兄に電話し、遺書3通をのこして自宅で灯油をかぶり焼身自殺した。遺書は公表されていないが失態を苦にしたものと解釈されている。本部長は高校卒業後巡査からの叩き上げで、当時ノンキャリア組で本部長まで上り詰めたのは全国でもわずか4人だけという人物であった。 |
8.11日8時〜12時、「摂津郵便局管内より投函」。
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ハウス食品工業の浦上郁夫社長が、この終結宣言とどう関係するのか分からないが、大阪行きの日航123便に搭乗し、死亡することになる。「怪人21面相の犯行終結宣言を受けて、創業者で先代の社長である父の墓前に脅迫事件終息を報告するために日航123便に乗り、帰らぬ人となった」は表向きの話だろう。 |
【1985年その日、「怪人21面相事件」止む】 | |
「はなよりも みのお(箕面)のさとの もみじがり みのひとつだに とれぬけいさつ…や」。 | |
8月12日、マスコミ宛ての32回目の手紙「国会ぎいんの みなさん え」。
8.12日、かい人21面相は犯行終結宣言「くいもんの 会社 いびるの もお やめや…悪党人生 おもろいで」を送る。その5日前の8.7日、自身の退職の日に焼身自殺した滋賀県警本部長・山本氏の自殺に言及し、現場たたきあげの山本氏には責任はなく高学歴のキャリアの志方大阪府警本部長の方が責任があると批判している。香典代わりの犯行終結宣言としていた。終息宣言の後、完全に犯人の動きがなくなった。 この間、「かい人21面相」を名乗る犯人グループから計144通もの挑戦状や脅迫状がマスコミなどに届いている。警察当局は6都府県警で延べ約130万1000人の捜査員を投入。約600点もの遺留品捜査を行う一方、捜査員が目撃した「キツネ目の男」や青酸菓子ばらまきで防犯カメラがとらえた「ビデオの男」などを公開したが、平成12(2000)年2月までに計28件の事件すべてが時効となった。 8月12日午前、「くいもののかいしゃいびるのもうやめや」との犯行終結宣言のニュース速報。当時、テレビも新聞もまさに「かい人21面相」一色だった。「劇場型犯罪」という言葉が使われるようになったのもこの事件からである。 |
(私論.私見)