元日航客室乗務員/安部譲二の告発

 更新日/2019(平成31).3.8日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2015.08.11日 れんだいこ拝


元日航客室乗務員/安部譲二の告発
 元日航客室乗務員/
 「★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ45」の黄昏時のパルチザン兵士氏の2006 年 8 月 14 日付投稿「 「陰謀でもなく、日航機は撃墜されたとしか思えない」 日航ジャンボ機墜落事故(1985年)特別インタビュ―◎安部譲二」。
 ボ―イング社の修理ミスによる圧力隔壁の亀裂、急激な空気の流入による尾翼破損、操縦不能で墜落。これが最も知られている520人の命を奪った大事故の原因である。全てが公開されなかったボイスレコ―ダ―、二転三転した事故調査委員会の文言・・・・・・・。事故から21年、まだ謎は解けていない。

 作家・安部譲二氏は日航機の客室乗務員だったという時代がある。単発エンジン小型機の操縦免許も持っている。その安部氏は1985年、日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落した事故を、事故ではなく、事件だと確信している。著書、『日本怪死人列伝』(02年、扶桑社文庫)で安部氏は、<無残に撃墜されたのだ>と断言している。

 85年8月12日、羽田発大阪伊丹行きの日航機123便、ボ―イング747型機が墜落して520名という航空機単独の事故としては史上最大の被害者を出した。飛行機事故の歴史に残る大事故である。この事故には、当時から数多くの疑問が投げ掛けられていた。「墜落した日の夜中に日航のスチュワ―デスをしていたおばさんから電話があってね。日航のイチニイサン(123)便が〝行方不明〟で大騒ぎになっている、って言うんだ」。事故発生の時点で安部氏は首を傾げている。「だってね、あんな大きい飛行機がいなくなっちゃったって言う。85年でしょ。その頃は日本全国、軽飛行機ですら行方不明になるなんてことはあり得なかった」。安部氏によると、この時代には米軍のレ―ダ―サイトが張り巡らされ、自衛隊のレ―ダ―監視網も日本の全ての空域をカバ―していた。さらに空港の管制塔はエリアごとにすべてをフォロ―していたという。JAL123便を示す影が管制塔のレ―ダ―から消え、機体の消息を絶った、とされているのは18時56分。18時18分に羽田を離陸した約40分後である。18時24分に123便は緊急事態を告げる〝スコ―ク・セブンセブン〟というサインを送っている。このサインを送る直前、123便は操縦能力をほぼ完全に失い、関東上空を迷走したうえでのレ―ダ―からの消滅だった。「行方がつかめなくなった末にどこに墜ちたかわからない、(自衛隊、米軍の防空能力が)そんなことだったら戦争なんかできないでしょ」。機体の発見まで長い時間がかかったことは事実である。国民はやきもきして臨時ニュ―スを夜通し流すテレビを観続けた。埼玉県と群馬県の県境にある御巣鷹山の山腹で123便の残骸が発見されたのは翌日の9時である。消息を絶ってから13時間が過ぎていた。たしかにこれでは、例えば国籍不明機が侵入してきても、いったん機影を失えば半日間は発見できない可能性がある、というのに等しい。

 ★すべて公開しない謎

 事故そのものが不測の事態だから、思いもつかぬことが重なって混乱したということは考えられるが、航空機事故という大事に、いったいこんなことがあり得るのか。ともあれ、安部さんは事故発生のその日から深い疑問を抱く。「その頃は、もう知っている人間は乗っていなかったけど、飛行機乗りってのは、(事故には)敏感なんですよ。まだプロペラの時代だけど、昔『木星号』という旅客機が墜ちた。大島の三原山に墜ちたんだけど、マスコミには相模湾に墜ちたとミスリ―ドして引きつけておいて、そのあいだに何かを回収した。ああ、またやってるなと」。木星号事件とは52年に起きた航空機の墜落事件である。乗客乗員37名全員が死んだが、当時、空路を管理していた米軍からもたらされる情報が交錯矛盾し、疑いをもたれた。松本清張がこの事件を題材に『52年日航機「撃墜」事件』という小説を著している。航空機事故で、事故原因の解明にきわめて重要な役割をもつのが操縦席の会話を録音したボイスレコ―ダ―だ。後年、テレビで123便のボイスレコ―ダ―が公開された。「聴きました。それでプライバシ―に関わることなので一部は公開しないという。あれは犯罪じゃないですか」。安部さんが言う通り、ボイスレコ―ダ―の全ては公開されていない。「520名が亡くなった事故だよね。コクピットで何を叫んでいようと、たとえ『お前のかあちゃんと寝た』と叫んでいようとも、公開しない理由にはならないでしょ」。テレビで公開されたのはダビングしたものだが、オリジナルは他の資料といっしょにすでに廃棄処分されている。航空事故調査委員会はこの事故をボ―イング社の修理ミスに起因するものと結論ずけたが、当時からこの結論に疑問を呈する声、真っ向から否定するものは多かった。事故調―――航空事故調査委員会が報告した事故原因を簡略化してまとめてみよう。

1、 該当の機体は事故の7年前に伊丹空港でしりもち事故を起こして客席と機体外壁を隔てる「圧力隔壁」が破損した。

2、「隔壁」の破損を米ボ―イング社で修理したが、修理ミスがあった。

3、以後の飛行による劣化で、事故当日、修理ミス部分から「隔壁」に亀裂が入った。

4、気圧差でその亀裂から客席の空気が吹き出し、圧力で尾翼を破損させた。

5、尾翼の破損で油圧系統がすべてダウンし、操縦の機能も失われた。

6、迷走の果てに墜落。

ということである。いったいそんなことで尾翼が吹き飛ぶのだろうかという疑問はあったが、事故調支持の学者は材料工学などを駆使して、「あり得る」とした。

 ★急減圧はなかった

 であるとしても、そこには強烈な空気の移動があったことが前提になる。繰り返し議論になっている客席の「急減圧有無論争」である。急減圧とは、どういう事態なのか、急減圧が起きたら、機内はどうなるのか。「僕は、急減圧を経験したことはありません。だけど急減圧に対する訓練ってのはね、乗務員が不時着水よりも時間をかけてやることなんです。だからパイロットは急減圧があったら、それこそ急減圧のキュを聞いたら(酸素マスクが)落ちてこなくても落ちても反射的に手を伸ばすものなんです。客室には客席分の酸素マスクのほかにバゲッジに10メ―トルごとに携帯用の酸素ボンベがあって、乗務員はとりあえず酸素を確保できるようになっているんです」。事故調は急減圧があったとしたうえで、パイロットが酸素マスクを装着しなかった理由については「不明」としている。だが安部さんによると、あの高度、メ―トルで推定6000から8000くらいで急減圧があった場合であれば酸素マスクをつけなくても操縦は可能だという。「エベレストの高さで酸素マスクをつけずに登ったって言う、それと同じでそれほどの高々度ではない」。しかし高度にかかわらず、エンジンの出力だけを操作して困難な飛行を数十分も続けることは超人的な技能なのだ。生存者のひとり、客室乗務員の落合由美さんの証言は、どう解釈しても急減圧はなかったことを証明している。落合さんは急減圧を感じなかったと事故後の調査で証言している。繰り返し急減圧の訓練を受けている乗務員の彼女が、実際にはあった急減圧をなかったと勘違いすることはあるのだろうか。「それはあり得ない」(安部氏)。酸素マスクを装着していた遺体はひとつもない。これらのことから、日航の従業員組合の組織、日航乗員組合連絡協議会は「急減圧はなかった」と結論したレポ―トを発表している。だが事故調は急減圧があったと報告をまとめ、運輸省に提出し了承されている。「事故調は急減圧はあったと言っているけど、どっちが正しいかと言うと100対0でこっち(日航乗員組合側)が正しい」。

 ★修理ミスを認めた理由

 事故調を支持する側の学者は、すると急減圧はなかったが、ゆるやかな減圧はあったのだとした。しかし急減圧がなかったのなら、事故調が報告した隔壁の亀裂そのものが疑わしくなり、尾翼が急激な気圧で吹き飛んだという説が成り立たなくなるのである。つまり事故調の報告はまったくの虚妄ということになる。「ボ―イングが、ずいぶん早くにまず修理ミスから圧力壁の破壊と言いだしたんだよね」。どうしてボ―イング社が、修理ミスを早々に言い始めたのか。ボ―イング社がそうする必要がどこにあったのだろうか。「今、日本ではダグラスとかほかの社の飛行機はほとんど飛んでいないじゃないですか」。幹線を主にして、確かにボ―イング機がほとんどである。「当時の日本の航空会社のトップはボ―イングっていう名前にアレルギ―があったんですよ。ボ―イングのB29からB17にさんざん爆撃されたからね。聞くのもイヤな名前で、だからダグラスばかりだったんです。その隙をついて、ロッキ―ドとか売り込みにきて、ボ―イングは大苦戦だったんですよ」。戦後、日本の民間航空を再建したのは、旧陸海軍で航空に携わった者たちだった。こうして日航、日本政府に貸しをつくったボ―イング社が、のちに日航をはじめとして日本の民間航空機の市場を制したという。日航乗員組合連絡協議会の元日本航空のベテラン機長、藤田日出夫さんは、尾翼が壊れた原因として『新潮45』(00年8月号)で「フラッタ―説」を書いている。フラッタ―とは、分りやすく言えば細かい震動である。航空機の場合、旗がはためくように震える現象を指し、機体の破壊につながる。「藤田さんは、僕みたいな小説家と違って、専門家として冒険ができなかったんです。思うことはあったとしても、パイロットの立場としてはいえないことがあるんでしょう」。藤田氏は、ボ―イング機の構造的な欠陥によってフラッタ―が起こり、尾翼が破壊されたと、わずかな行数で遠慮がちに指摘している。「航空機の尾翼は、戦闘と、(衝突の)事故以外で壊れたことは、プロペラ時代も含めて、ライト兄弟以来、一回もないんですよ。それくらい尾翼というのは堅牢な中でも堅牢なものなんです」。では安部氏が主張する事故原因、尾翼破壊の原因とはなんなのか。それは、自衛隊の無人標的機が123便の尾翼に衝突して破壊したのだというのだ。事故当時、新造された護衛艦「まつゆき」が相模湾で試運転中だった。その「まつゆき」艦上からテストで無人標的機が発射され、123便の尾翼に衝突した、というのである。「ぶつけたんじゃなくて、ぶつかってしまったんでしょ。標的機はジェットエンジンで高速で飛ぶものだから、当てようとしてもなかなか当たらないものだそうです」。

 ★民間機相手の訓練

 この説を主張しているのは安部氏だけではない。「雫石のあとでしょ。あの時は自衛隊機が全日空機を相手に戦闘訓練を勝手にやってて、それで後ろから突込んじゃった」。雫石事故とは71年、全日空機のジェット機727型機に航空自衛隊のF86F戦闘機が衝突した事件である。この時、自衛隊は全日空にも管制にも訓練を報せていなかった。この時、ある疑いがもたれた。自衛隊機が民間機の全日空機を敵機に見立てて戦闘訓練をしていて誤って衝突したのではないかという疑惑である。乗客乗員162名が死亡。この時は航空幕僚長の辞任で収まっている。運輸省管轄の航空事故調査委員会はこの事故をきっかけに誕生している。日航機事故の当時は第二次中曽根内閣。中曽根康弘が内閣総理大臣、航空を含めた運輸行政を司る運輸大臣は山下徳夫、防衛庁長官は加藤紘一、内閣官房長官は藤波孝生だった。もし安部説が正しいとしたら、この日航機事故の情報はどこまで上がっていて、誰が処理に関する全ての決定権を持っていたかということだ。「それは中曽根でしょう」。安部氏は言う。自衛隊機が民間航空機を仮想の敵機として訓練することは今もあると安部氏は睨んでいる。「僕がいたときはしょっちゅうだった。米軍機だけだよ。やんないのは。ほかの国は日本を含めて予算がないから、民間機を相手に訓練するんだよ」。無人標的機が衝突したという話を最初に聞いたのは、いつ、どういう機会だったのか。「いつだったかな。日航の仲間からだったと思うけどね。彼らが自費で船を調達して、発見されなかった尾翼の部分を探しているって聞いた時かな。見つからなかったけどね。もうとっくに海上自衛隊が回収したんでしょう」。

 ★撃墜された日航機

 安部さんは123便が山に向かって北上したことにも、疑惑を抱いている。「機長は大阪行きなら、もし伊丹空港での着陸がなんかの事情で不能になったら、すぐ代わりにどこに着陸するか考えるものです。123便は相模湾上空でなんだかわからないけどアネ―ブル・コントロ―ル(操縦不能)になった。あの場合、海に不時着することを考えるのが普通なんですよ」。操縦席では尾翼が壊れていることはまったく分かっていない。「分かっていてもいなくても、操縦不能なんだから」。123便が海に向かわないで陸地に向かった理由は何だったのか。「僕はね、最終的には撃墜するためだと思いますよ。本ではそこまで書けませんでしたけど。123便の操縦士は横田か福生に降りようとしていたと思うんですよ」。123便は海ではなく、山の方に故意に誘導されたと安部さんは主張する。では123便はいつ、どこで撃墜されたのか。御巣鷹山近くの複数の住人が、123便が炎をあげて墜ちてきた、光るものが飛んできたと証言している。例えば123便が機体を安定させようとエンジンを操作し、最大のパワ―でジェットエンジンを噴出したとして、その排気を炎と見間違えることはあるのだろうか。エンジンからの排気、または金属の機体が折りからの夕日を反映したということも考えられはする。検証をせずに123便に炎があったと断じることは危険である。が、そういう目撃談があることは事実である。「自衛隊の浜松基地から2機の戦闘機(F14)が発進してるんですよ。どの時点で撃墜するためのミサイルをぶっ放したか、僕は分かりません」。

 ★NHKが故意に誤報した

 自衛隊が、ダッチロ―ルで飛行している123便をなぜ撃墜する必要があったのか。「あの機体が横田でも福生でも羽田でも、もしあのまま着陸してしまったら、内閣、吹っ飛びますよ」。安部さんはNHKが墜落地点を故意に誤報したとしている。NHKは翌日の朝まで墜落地点を長野県北相木村と報じた。これは報道陣をはじめとした人間たちを故意に違った地点に導くためだったとしている。御巣鷹山は群馬県上野村にある。上野村の当時の村長は黒沢丈夫氏だった。のちに御巣鷹山に慰霊施設をつくり、登山道を整備した名物村長である。海軍兵学校を出た黒沢村長は戦争中は零戦のパイロットでミッドウェイ海戦にも出撃した勇士である。その黒沢村長が飛行機乗りの経験者として村民の証言などから墜落地点を御巣鷹山だといちはやく推理している。のちにある座談会で、事故対策室や日航、自衛隊が墜落地点をなかなか特定できなかったことに疑問を呈している。安部氏は言う。「(NHKを使って)積極的にミスリ―ドしたことは間違いありません。それは、無人標的機の残骸と、最後に123便にとどめを刺したミサイルの残骸とそれに傷つけられた機体を回収するためです。シコルスキ―(自衛隊の大型ヘリコプタ―)を持っていってすぐ、生存者よりもなによりも早くそれを回収するため行ったんです。なにかオレンジ色の大きなものを釣り上げている写真を新聞社か週刊誌は持っていたはずですよ」。オレンジ色の部品は123便にはない。無人標的機の塗装色である。当時、日航の大株主は日本政府である。35%の株を持っていた。「日航ってお役所でしょう。僕の経験では、日航は政府にまるで頭があがらんでしょ。だって運輸省の下部組織みたいなものだったんだから」。安部氏は日航機事故をもう一度書きたいと言う。「全日空にも日航にもエライさんに知っているのがいるんだけど、みな日航機事故のことをいうと黙るんだよね」。日本のマスコミは本当のことを言わないし書かない、調べようともしない。「だから、本当のことを言い続ける僕の仕事がなくなることはない。日航機の事故は必ず書く。これはライフワ―クだと公言しているんです」。


別冊宝島1324  
昭和・平成日本「怪死」事件史 〝疑惑の死〟から見える日本の「闇」と「タブ―」

取材・文◎桃井 四六  撮影◎金子 靖

コメント
5. 金太マカオに着く[211] i@CRvoN9g0qDSYLJkoWCrQ 2017年8月22日 15:00:31 : 7Mao2VQWW2 : E5G9pNPmu9I[276]
 123便を2機の戦闘機が追っていくのを、下から学校の子供たちが目撃しているそうな。子供はそういうのを興味深く見ているものだ。その戦闘機は単に見守って様子を伝えていただけと思うが少なくともそれでいてどこに墜落したか分からなかったという自衛隊の主張はおかしい。九州で墜落した自衛隊機もおかしい。サリンのこともあるし自衛隊の裏側はとてもブラックと思える。
6. 2017年8月26日 00:54:44 : PNBLhrbjtc : AbJ7jQdFmPk[1]
 陰謀論の存在自体つい最近知ったんだが、もう少し周知させてもいいのではないかと思う。知ってる人の数が少なければ、再調査を始めようと国に訴える機運も高まらないだろう。確かな証拠や元自衛隊員の証言等、推測ではなく現在の陰謀論仮説を立証できるものが必要だ。不確かな証拠ばかりで慰安婦のようにならないように。個人的には、自衛隊の標的機と追跡ミサイルが衝突したというのが、一番筋が通っていて、政府の翌朝までの行動もうまく説明できていると思うが。それにしても、これが本当だったら今の自民党政権や日本政府は倒れてしまうだろう。
7. 2017年8月26日 23:56:49 : Sl4DzQAFBY : muRBgcQHrAM[4]
最初に現場美到着して1人も救助できなかった救難ヘリV-107のパイロットや、当時の航空自衛隊中部航空方面隊司令官がインタビューに答えてたな。この方々に(存命ならば)もう一度インタビューしてくれないだろうか。そして、以前と同じ質問をして欲しい。 当時の在日米軍最高幹部(匿名)「自己の当日、中利早い段階で日本の自衛隊が我々の援助を断った」。

 松永貞昭
 「(UH1が)救助を断わられたというのは私も聞いていないしね」。
 「だいたいそのUH1ヘリが現場に向かったというのも聞いていない」。

36. 皆慈悲心健康平和幸福[1] ikaOnJTfkFOMko1Olb2YYY1LlZ8 2018年8月13日 15:44:31 : npB4DdPcuM : J8n9KsuRUAA[1] 報告
 プラザ合意、日航123便撃墜事件から、2011年311核燃料棒揮発型食品核汚染化学兵器製造原子炉stuxnet等犯罪道具を用いた全電源喪失テロ犯罪およびヒラリークリントンによる他の原子炉に対する全電源喪失テロ犯罪を恫喝に用いたTPP条約参加強要による、主権を多国籍災難犯罪企業主権に明け渡し強要等、日本繁栄シナリオで太らせた家畜状態民族から、パパブッシュ等通貨発行権奪取罪閥通貨発行権奪取秘密結社等隷属指導者等の恫喝外交内政干渉による露骨な財力収奪および、日本社会破壊衰退シナリオ強制等 恫喝外交方針2016年1月まで。

”2016年2月から対日外交方針が変わった”と言う噂はある。

 古代一向殺生国起源の災難犯罪金権腐敗堕落教唆思想の奴隷通貨発行権奪取奴隷状態罪閥、通貨発行権奪取奴隷状態秘密結社等の金権腐敗堕落指導者の歴史的逮捕劇が始まるらしい。
https://youtu.be/80s5xuvzCtg?t=3m44s

39. 2018年10月02日 14:33:57 : hbSeDrOglw : T0dTvas0b30[1] 報告
 最初から撃墜の意図があった とは思わない。やっぱり無人標的機が不幸にも衝突してしまったんでしょう。でも衝突からほんの短い時間内に『この便を落とそう』と判断した点に驚愕する。そんな決断をしたのは誰なのか?本当に中曽根ほか一部の首脳だけでそんな決断をしたのか疑問。

 謀略を仕掛けた側の誤算は、機長が航空自衛隊出身だったこと、上野村村長が元海軍ゼロ戦パイロットだったこと。ボイスレコーダーも明らかに編集されているし、原本は廃棄された なんてそんな馬鹿なことあるか。 検死に当たった担当医が『異常な焼け方 まるで二度焼きしたかのよう』と発言している。現場に漂うタールとガソリン臭。燃料のケロシン(灯油由来)とは明らかに異なる とも。通常の焼死体では歯の裏側まで炭になることはないけど、123便では完全に炭化した焼死体が多かったとのこと。なのにその焼死体の近くの樹木は焼けていなかったことも知られている。

 そして極めつけはやっぱり墜落地点の偽情報リーク、と現場発見時刻。多くの村民が目撃しているし役場も政府に連絡している というのに。

 NHKは先頭に立って現場発見を遅らせようと画策したが、ミスも犯したね。『ただいま現場から入った情報によりますと 救助に向かった自衛隊員が何者かに銃撃され死傷者が出ている模様・・』 と流してしまった。 真実解明はもう不可能だけど、なぜこんな情報が漏れたのか・・・。

 思わず9.11発生時の 『第七ビルが倒壊した模様です』とフライングしてしまったリポーターを思い出したよ。第七ビルは確かに崩壊したけど一報は崩壊の二十数分前に流れてしまったんだよね。9.11を仕組んだ勢力もこれには慌てたんだろうね。そのレポーターが口走った直後映像が途切れたんだから。

40. 2019年8月13日 09:25:48 : lTuuNsEdVU : VEdscXFxQ1FVelE=[1] 報告
 日航ジャンボ機123事故の目的は、天皇家家が万世一系であるべきとする自衛隊シンパのオレンジ色演習ミサイルによるジャンボ機墜落事故を名目に立入禁止にし、その立入禁止にした本来の高天原の場所の遺跡を掘り出して、世に堂々と見せられる日が来るまで現皇室が大切に隠し持つ阿波風土記の、その現皇室のルーツである阿波徳島へと本来の高天原の遺跡を移す事にあった。その為に台湾客家による数百人の生きたまま惨殺と火炎放射器による証拠隠滅は何程でもなかった。現皇室は大国主命(大旗主)の八桙神社に忍びで参拝する大国主命末裔忌部族の国津神出雲族であり、本来の天津神天孫族を弑逆し徹底的に証拠を隠滅し、夥しい日本人の先祖達を日本各地で踝まで血の海にして、その欺瞞と悪行の上に、日本国民達や世界に大事にされ、日本国民の税金で遊んで暮らし我が世を謳歌している真実に光が当てられてしまう日が来てしまう事を回避する為に、日本国民数百人など、今までそうして来たように、如何ほどでもないのである。世界中でも国民数百人が殺されながら、王族だからといって断罪されないのは、日本だけである。
41. 2019年8月13日 09:30:52 : lTuuNsEdVU : VEdscXFxQ1FVelE=[2] 報告
123便墜落事件から34年でも封印の巨大な闇  植草一秀の『知られざる真実』
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-be8323.html

 いまから34年前の1985年8月12日、日航ジャンボ機123便が群馬県の高天原山(たかまがはらやま)の尾根に墜落した。御巣鷹山に墜落と言われたが、事実は違う。高天原山の尾根である。この尾根は高天原山の尾根であるが、御巣鷹の尾根と命名されることになった。「高天原山」の名称が隠され「御巣鷹山」の名称が用いられたことに何らかの意図があると考えられる。





(私論.私見)