事件対応の変調考1

 更新日/2017(平成29).8.9日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「米国原子力潜水艦グリーンビルによるえひめ丸衝突事件の事件対応の変調考1」をものしておく。

 2017(平成29).8.9日 れんだいこ拝


 February,11th,2001.「船乗りの発言/実習船衝突事故に思う」。
 日本時間、2月10日午前8時45分頃、ハワイ・オアフ島沖で愛媛県の宇和島水産高等学校の実習船「えひめ丸」(499トン:35名乗組み)とアメリカ海軍の原子力潜水艦である「グリーンビル」(6080トン:130人乗組み)が衝突した。TVやラジオのニュースで状況は知っているが、早急な救助活動をし、残る9名の行方不明者の早期発見を心から祈るばかりである。

 1965年から1975年までの10年間、商船で飯を食ってきた元船乗り、元海の男として、この衝突事故については考させられることが多い。

 結果的には、非常に不幸な事故であったと思う。そして、海員魂(シーメンズシップ)が問われる事故でもあったと思うのである。アメリカの潜水艦が「えひめ丸」と衝突した後に、潜水艦側が「えひめ丸」の乗組員の救助活動をせず、傍観していたとの報道を聞いたからである。目の前で衝突されて沈没して行く船と海上で救助を求めている日本人船員を救助しようとしなっかった米潜水艦は何をしていたのであろうか? 軍事的な行動であったとしても人が目の前で溺れているのを見ていただけとは言語道断、海で働くもの同士としては船員の風上にも置けないと避難されても仕方がないと思うのである。

 先日、JRの新大久保駅で線路に落ちた人を助けることで、自分の命を失ったという事故が報道された。自分の命を顧みず、人を救助することに専念した韓国の留学生の方と横浜のカメラマンの方の勇気ある行動は賞賛に値する。それに比べ、今回の衝突事故においては潜水艦側の行動がいかにも人命軽視に感じられ、海員魂はどこにいったのであろうかと考えてしまった次第である。日本もアメリカも英国流の船員制度を承継している。そうであれば、人命の安全や救助に関する教育は海軍であっても海員教育機関であっても十分になされているはずである。

 1912年4月14日、大西洋上でイギリスの「豪華客船 タイタニック号」(46,329トン)が氷山と衝突した後に沈没し、1513名の犠牲者を出したのであるが、それ以来、人命の救助が最優先されなければならないということで海上安全条約(正式名称:1914年の海上における人命の安全のための国際条約)が締結されたのであった。私が船舶通信士として乗船したのも、常に遭難船はいないか、緊急事態のある船舶はいないか、安全に問題があって航行に支障をきたしている船舶はいないかと24時間、遭難周波数である中波帯の500kHzや電話の中短波帯2182kHzおよびVHFの16chを傍受していたのもそのためなのであった。もし、遭難船があった場合は船長に報告して、救助の要請をしたものであった。

 アメリカの原子力潜水艦側としては母港の近くでもあるし、日常的に航行している海域で、自分の庭だと思っているために浮上するに当たっても手順の軽視、油断があったのではないかのかと想像しているところである。そのために、目の前で起きた日本の実習船との衝突事故が信じられない情景に映ったのであろう。何が起こったのかも実感できなかったのではないのだろうか。あり得ない事故が目の前で起きたのであるから無理も無いが、軍事秘密も絡んで傍観するしかなかったのかもしれない。

 たとえ、そうであったとしてもシーメンズシップがあれば潜水艦に搭載してあるゴムボートを使用してでも、人道的な立場から即座に救助活動に移るべきであったと思うのである。そうでなければ「えひめ丸」と衝突後、事故現場に引き返す必要はなかったのである。海軍の軍人であっても、商船の船員であっても、漁船や実習船の船員であっても、同じ海で生活する海の男として、シーメンズシップを思えば本能的に無条件に救助を開始するべきではなかったのかと思うと、まことに残念でならないのである。傍観は絶対に許すことはできないのである。昔から「板子一枚下は地獄」といわれている船乗り生活は現在でも変らないのである。であればこそ、海の世界ではお互いに助け合うのが常識となっているのである。

 確かに日本は第二次世界大戦でアメリカに占領された敗戦国である。アメリカ側から見れば属国であることは否定できない。それにしても人命の救助に関しては別問題であろう。海上安全条約「正式名称:1974年の海上における人命の安全のための国際条約(SOLAS条約)」を批准している国同士であるから、何よりも優先して人命救助に当たるべきではなかったか、コーストガード(米国沿岸警備隊:日本では海上保安庁に該当)が来る前に救助活動をするべきであったと思うのである。(軍艦は別だというのであればどうしようもないが)。アメリカ政府が日本政府に時をおかずに謝ってきたことからしても当然のことなのである。えひめ丸の船長が本日の記者会見で語っていた「潜水艦側は縄梯子をおろしただけで何もしてくれなかった」との証言を聞いて耳を疑った次第である。潜水艦の艦長の常識を疑うばかりである。

 とうとう、アメリカ海軍の技量も落ちたものだと感じたのは私だけであろうか? 潜水艦長もアメリカ海軍ではエリートコースを歩んできたのであろう。それが災いしたのであれば追求することはできない。日本でも福岡県の判事や検事が不祥事を起こしているからである。エリート意識には勝てない。記者会見でのあの人を見下している態度を見れば明らかであろう。米国原子力潜水艦「グリーンビル号」の艦長も愛媛県の宇和島水産高等学校の「えひめ丸」を見下していたのであろうか? 

 私が商船の船員(船舶通信士)として乗船していた時代の海運界は、少なくても遭難船を見放すということは無かった。しかし、潜水艦が遭難船を見放すことはありえる。軍事秘密や自艦の位置を敵に知られないために行動し、いかに早く敵を殲滅、撃沈するかの訓練をし、人命の救助の訓練がおろそかにされているのであるから、当然の成り行きなのである。人を殺すことには慣れていても救助をする方法を知らなかったのであろう。グリーンビル号の艦長が傍観する態度を取らざるを得なかったとしても不思議ではない。

 海の男として、どうしての理解できないのは沈没した船の乗組員が救助を求めているのを知りながら、沿岸警備隊が来るまで何もしなかった艦長は別として、他の乗組員も同調していたことである。少なくとも浮き輪(救命ブイ)を投げる程度のことは出来たのではないのだろうか。それとも潜水艦は救助活動をしてはならないとの規則があったのであろうか、最新鋭の原子力潜水艦の軍事機密を守ることは重要であることはわかっているつもりであるが、疑問がのこる行動ではある。

 それにしても、日本政府の危機管理はお粗末である。首相はゴルフ、官房長官は遊説だったそうで、直ちに持ち場に戻らなかったとの報道がなされていた。それに、宇和島水産高校の関係者やえひめ丸の乗組員、実習生の父兄たちをなぜ政府専用機でハワイまで輸送しなかったのであろうか。渡航ビザの発給は当然であるが、民間の航空機を使って現地に運ぶのであれば、誠意がみられないと思うのである。政府専用機は首相等の外遊目的以外には使用できないのであろうか。外務省の外交支援室長が機密費を湯水のごとく流用していたのであれば、その一部の費用を使えば済むことではないのか?

 さらに言えば、今回、えひめ丸からの遭難信号を日本の海上保安庁がいち早くキャッチしたというが、その後の判断に誤りがなかったか、体制がうまく機能したかどうかに疑問がのこる。いかに電子・情報通信技術( I T )を駆使して正確に迅速に遭難情報を送・受信できたとしても、最後に情報を受け取るのは人間だし、その情報を判断するのも人間なのである。そして、遭難現場で救助活動をすることができるのも、やはり人間なのである。電子情報を利用したロボットが救助するのではない。遭難情報を的確に判断できる力量を持った人間を配置し、それに見合った危機管理体制の早急なる確立、見直しを図っていただきたい。

 オアフ島沖の「えひめ丸」の衝突海域には、日本の他の練習船や実習船が捜索に加わっていると言うのに、日本の航空自衛隊機の航空機や海上自衛隊、保安庁の艦船が現地に派遣されないというのも理解できない。確かにハワイまでは距離がありすぎるが、救助活動への協力体制だけでも整えておくべきだし、深海調査船や引き上げ船の準備をしておくのも無駄ではなかろう。それとも、日米共同作戦訓練以外は駄目だと言うのであろうか? アメリカの領海だからアメリカに任せておけば良いと言うのであろうか? インドの地震や台湾、トルコの大地震の時は災害派遣をしているではないか。それとも装備が完全なアメリカに任せて、連絡を待っているのが良いとでいうのであろうか? アメリカに要請をしていれば良いというのであろうか。

 ま、ここで嘆いていても始まらない。日本はいつでもそうであった。国は守るが、国民を守ってはくれないからである。今回の衝突事故もその例に漏れないのである。この事故以外にも「米兵が沖縄の女子高生のスカートをめくったワイセツ事件、沖縄米軍のヘイルストン沖縄地域調整官が稲嶺知事らを(ばかな弱虫)と中傷した事件、海兵隊員が飲食店街に放火した事件」が連続しておきている。それでも、日米地位協定があるために強く抗議できないでいる。米国防総省の言う「良き隣人政策」は名ばかりで、現場には浸透していないことがよくわかる。日米安保条約もあるが、冷戦構造が崩れた今、在日米軍の基地の縮小や海兵隊員の削減をアメリカ側に言うべき時ではないのだろうか。イエスとノーをはっきりと言っていかなければ両国の対等な時代は永遠にやってこない。アメリカに媚を売っている余裕はもうない。

 最後になるが、残る行方不明者の早期発見を祈ってやまない。そして、日本側の衝突事故関係者のご心労とご苦労は察しに余りがある。どうぞ気を落とさずに頑張っていただきたい。元船乗りとして、ハワイ近海で航行中の実習船、練習船および捜索に加わっておられる船舶の航行の安全と乗組員の健康を祈ってやまない。(了)

 2006-03-10日、「えひめ丸事件5年―その隠された真実」。
 2001年(平成13年)2月10日(日本時間)、アメリカハワイ州のオアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船が急浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に一方的に衝突され、水深600mの海底に沈没した「えひめ丸」事件から五年。乗っていた35人のうち、教員5人、生徒4人の9人が死亡しました。この事件がその後話題に上らなくなったのは、問題がすべて解決したからではありません。軍法会議も、一切の裁判も開かれず、補償問題の解決を急いだ背景になにがあったのか。『えひめ丸事件』(新日本出版社/出版年:2006年1月刊)の著者ピーター・アーリンダー氏のことば「外国の基地を置く国は本当の意味で自由になれない」が重く響きます。

 米海軍・日本外務省・愛媛県が「早期」の幕引きを狙ったのは何だったのか。当時、事故の第一報を聞きながらゴルフをやめなかった森首相が世間を憤激させたことは記憶に新しい。被害者家族や国民の真相究明の要求が『反米』につながることを恐れた日本政府、えひめ丸の構造上の問題点を問われることを恐れた愛媛県、潜水艦に「招待客ツアー」を押しつけた「責任」が表面化することをおそれた米海軍上層部それぞれが、「早期」の幕引きを共通目標としました。

 えひめ丸には年一億円のマグロ水揚げノルマがあり、船体構造も教育や安全性より漁獲高優先となっていました(北 健一「えひめ丸事件から5年―“利益相反”に潜む影」(「赤旗」2006.3.7)。生徒たちが普段集まっている場所(「生徒食堂」)は船底にあって、生徒は階段を2階分駆け上って脱出しなければなりませんでした。原潜の衝突後、非常電源がまったく作動せず、乗員は真っ暗闇のなかで、避難を強いられたのです。

 えひめ丸の船主・愛媛県は自身の県弁護団を33被害家族の人身被害の弁護団としても受注させました。北健一氏は「県弁護団に被害家族を相乗りさせる流れは、事故2ヶ月後の米海軍、外務省、愛媛県副知事の秘密会談と、その直後の宇和島での米海軍・愛媛県・県弁護団の合同説明会を契機として作られた」と書いています。この相乗りは、被害者と加害者の弁護を同時に引き受けてはいけないという“利益相反”のルールを犯すものでした。県はこうして自己の責任を問われることなく、またえひめ丸の構造上の問題点が議論されることもなく、事件は終わってしまったのです。さらに、愛媛県の主導によって、米海軍相手にどんな補償交渉の道があるかを、米海軍の弁護士たちによって被害家族に説明させると言うことがおこなわれました。米海軍の利益を最大限に守る責務を負った米海軍の弁護士が、他方で、被害者に対し十分な補償を得るための方法を説明するという“利益相反”の立場におかれたのです。

 潜水艦グリーンビルのワドル艦長は海軍のキャリアを失いましたが、彼は軍法会議にかけられたわけではなく、太平洋艦隊司令官の「審問委員会」にかけられただけでした。海上の安全を十分確認もせずに緊急浮上をおこなうなどといった「見せ物」的な操縦と「招待客ツアー」とは関係なかったのかも問われることはありませんでした。

 在日米軍の起こした事件は、日米安保条約と地位協定にもとづき、防衛施設庁が処理に当ります。同庁の姿勢は、しばしば「米軍」べったりと揶揄されます。安保の適用外のハワイで起きた「えひめ丸」事件では、県弁護団が防衛施設庁の役割を果たしました。「日本の政治や弁護士倫理のあり方を含め、問題をあいまいにしたままでは犠牲者たちは浮かばれません」、「外国の基地を置く国は本当の意味で自由になれない」という言葉をもう一度かみしめたい。

 2006年2月3日、「「えひめ丸事件」とは何だったのか」。
 『えひめ丸事件』(新日本出版社)を読み終えました。というか、ずっと前に読み終えていたのですが、いろんな思いが僕の中で渦巻いて、なかなかブログに感想を書き込めないでいました。でも読んでいていちばん強く思ったのは、この本を読んで初めて、「えひめ丸事件」がどういう事件だったか分かった、ということです。この本がなかったら、「えひめ丸事件」の真相を知らないままだったのではないかと思えるほどです。米軍による事件・事故は、この間の横須賀の事件、八王子のひき逃げ事故など、いろいろありますが、しかし、えひめ丸事件は、訓練とはいえ米軍の正規の作戦行動中に引き起こされた事故だという点で、はるかに重大な意味を持っています。にもかかわらず、この事件に関して裁判で責任を問われた人物は1人もいない、ということは驚くべきことです。ワドル艦長は海軍のキャリアを失ったけれど、彼は軍法会議にかけられた訳ではなく、太平洋艦隊司令官の「審問委員会」にかけられただけでした。もし軍法会議がひらかれていたら、どうなったでしょうか?

 もちろんえひめ丸にぶつけた潜水艦グリーンビル、その艦長ワドル氏に決定的な責任があることは言うまでもありません。しかし、もし「招待客ツアー」がなければ計器の故障が見つかった時点で訓練は中止されていたかも知れず、また海上の安全を十分確認もせずに緊急浮上をおこなうなどといった「見せ物」的な操縦もおこなわれず、したがってえひめ丸が沈没することもなかったかも知れません。軍法会議がひらかれれば、ワドル艦長の弁護人はきっとそうした問題を追及したでしょう。そうなれば「招待客ツアー」を押しつけた軍上層部の「責任」が問われることになる――だから、米海軍当局は軍法会議を避けて、「審問」だけですませてしまったのです。

 それだけではありません。じつは、えひめ丸は衝突後わずか数分で沈没してしまったのです。ということは、高校生が学校教育の一環として安全に実習ができるような船だったのか? えひめ丸自体の安全・構造上の問題がなかったかどうかも問われてくるのです。実際、この本で紹介されているように、えひめ丸では、生徒たちが普段集まっている場所(「生徒食堂」)は船底にあって、生徒は階段を2階分駆け上って脱出しなければなりませんでした。ところが、同じ水産高校の実習船でも、東京の大島丸では「生徒食堂」は水面より上にあって、もし事故が起こってもすぐに逃げ出せるようになっているのです。また、大島丸が全部二層甲板であるのにたいし、えひめ丸は一層甲板でした。だから、現実的な話として、えひめ丸が大島丸と同じように生徒の安全を最優先にした構造になっていれば、潜水艦に衝突されても、もっと犠牲者は少なかったかも知れないのです。実際、犠牲となった人の中には、生徒たちが避難したかどうか確かめようと船底へ降りていくところを目撃されたのが最後だという先生もおられたそうです。もし被害者が米軍を相手に裁判を起こしていれば、当然、こうしたえひめ丸の安全構造上の問題も問われたはずです。グリーンビルがぶつけたのが原因であることは明らかですが、えひめ丸がもっと安全にできていれば、9人もの犠牲を出さずにすんだかもしれない――当然、それが裁判の争点になったはずだったし、そうなれば、米海軍だけでなく、生徒の安全を軽視した愛媛県当局の責任も問われることになったはずだったのです。

 ところが、愛媛県は、被害者や犠牲者の遺族に示談による補償交渉をすすめ、県の所有物であったえひめ丸の船体の損害賠償交渉を担当した弁護士・法律事務所に、被害者・犠牲者の補償交渉も担当させたのです。愛媛県が、みずからの責任を意図的に隠蔽したかどうかは分かりませんが(その可能性は大きいと著者たちは見ているようですが)、実際に、裁判は起こされず、愛媛県の責任は問われることなく、またえひめ丸の構造上の問題点が議論されることもなく、事件は終わってしまったのです。

 本書では、こうした問題が「利益相反」という法律にたずさわる人間が当然わきまえていなければらない基本的なモラルの問題として厳しく問われています。「利益相反」とは聞き慣れない言葉ですが、被害者と加害者の弁護を同時に引き受けてはいけないという当たり前のルールです。米海軍相手にどんな補償交渉の道があるかを、米海軍の弁護士たちによって被害者たちに説明させると言うことが、実際に愛媛県の主導によっておこなわれたのですが、その場に立ち会った米軍側の弁護士たちは、一方で米海軍の利益を最大限に守る責務を負っていながら、他方で、被害者に対し十分な保証を得るための方法を説明しなければならないという矛盾した立場におかれたのです。こういう矛盾した立場を「利益相反」といい、法律にたずさわる人間は、職業倫理として、そうした「利益相反」を犯してはならず、「利益相反」になりそうなときは、その旨を伝え、別の弁護士を立てるなど、「利益相反」にならないようにすることが厳格に求められているのです。被害者から船体の安全責任が問われる相手となったであろう県の弁護士・法律事務所が、被害者の補償交渉を担当するというのも、あってはならない「利益相反」なのです。

 本書の著者ピーター・アーリンダー氏は、たまたま事件当時日本にいたという偶然から、この「利益相反」の現実に直面し、これではえひめ丸の犠牲者たちの権利が守られないと強い憤りを感じたのです。それが、この本の出発点になっています。そこから、公開された資料から事件の真相にせまり、そうして、いかに事件の真相が隠蔽されてきたかを徹底的に追及したのが、この本です。

 いま、世界的に米軍の戦略的再編がおこなわれ、米軍は、これまで以上に太平洋地域に潜水艦部隊を配置するとしています。米軍と自衛隊の一体化もすすめられています。こんどは日本の近海で、第2、第3の「えひめ丸事件」が起こらないとも限りません。それだけに、事件5周年を前に、えひめ丸事件の「語られざる真実」を追った本書は、書かれるべくして書かれた貴重な一書だと強く感じました。1人でも多くの人に読まれることを切に願ってやみません。

 追記:
 それから、この本で著者たちは厳しい姿勢で事件の真相に迫ろうとしていますが、同時に、文章からは、事件の被害者や犠牲者の遺族にどこまでも寄り添っていこうとする、優しい気持ちが伝わてきます。

 以下は、個人的なこと。

 本書の翻訳・共著者とは、かつての職場の先輩。アメリカ人と結婚して退職したあと、どうしているのかなと思っていたところ、たまたまある日、NHKのお昼のニュースで、グリーンビルのワドル元艦長が来日して愛媛水産高校の慰霊碑に花輪をささげたというニュースを見たら、ワドル元艦長の隣に彼女が立っているのが映っていて、びっくりしました。そんなことがあったので、今回の本を手にしたとき、真っ先に読んだのは、実を言うと、ワドル艦長の来日を実現するためにどんなに苦労したかを紹介した部分でした。彼女が翻訳・共著者という形で、こんな素晴らしい、そして貴重な本を世に送り出してくれたことを僕は本当に感謝したいと思います。本当にご苦労さまでした。そして、ありがとうございます。

 【『えひめ丸事件』関係で書いたもの】
 『えひめ丸事件』 東京新聞「こちら特報部」で大きく取り上げられました!不覚にも

 【関連ブログ】

 「えひめ丸事件」でブログを検索してみると、意外と(というと失礼なのですが)たくさん取り上げられていることを発見し、ちょっと心強く思いました。「忘れちゃいけない」という気持ち、それを大切にしたいですね。

masatyのてんぱり日記:事件の風化
弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」
Cross Road Blues:海の悲劇を忘れることなかれ。
えひめ丸|はみだし講師ラテン系!
ジャアイアンの一人暮らし日記:あれから5年
えひめ丸事件から満5周年 angrydiary
どんぶり勘定:あれから5年
荒野のpengin | えひめ丸

【書誌情報】書名:えひめ丸事件――語られざる真実を追う/著者:ピーター・アーリンダー/翻訳・共著:薄井雅子/出版社:新日本出版社/出版年:2006年1月刊/定価:本体2200円+税/ISBN4-406-03236-3


 かけはし2001.7.2より「えひめ丸事件の真相究明を」。
 六月八日、日本弁護士会館で「えひめ丸事件の真相を究明しよう―米原潜『グリーンビル』の責任追及を―」緊急集会が集会実行委の主催で開かれ二百五十人が参加した。二月九日、ハワイ沖アメリカ領海内で、宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が米原潜「グリーンビル」に衝突され沈没させられ、九人が行方不明のままである。その真相の究明と責任を明らかにさせようとする集会であった。

 最初に、長年にわたり米軍犯罪について追及してきた石川巌さん(元朝日新聞東京社会部編集委員)が米軍犯罪の本質を米軍の体質・構造から明らかにした。「今回の事件の背景には、アメリカ海軍は予算不足で攻撃型原潜を九十三隻から五十五隻に減らすことになっている。そのため海軍は『六十八隻に増やしてくれ、われわれの潜水艦を救え』という運動をやっている。その中心がワドル艦長の上官の潜水艦隊司令官コネツギ少将などだ。だから、民間人を潜水艦に乗せてキャンペーンをやっていた。さらに、兵隊が三年ぐらいでやめてしまうので、再任率をあげるために、兵隊にきつい訓練をさせなくなっていた。通常四分くらい潜望鏡で確認しなければならないところを数十秒確認しただけだった」、「軍隊の体質として、公務中の事故に対する処分は軽くしようとしている。いちいちそれを処罰していたら戦争をやる人間がいなくなってしまう。イタリアのゴンドラ墜落事件やイラクのヘリ死亡事件などパイロットは無罪となった。また、大きな兵器を操っていればいるほど、民衆を虫けらのように感じてしまう。ワドルは空母を相手に訓練した時、オーソドックスでない動きをして空母を怖がらせやったと言っている。今回の事件はこうした米軍・あるいは軍隊の持っている非人間的本質から起こされたものだ。イタリアでは三年間かけて国会に調査委員会を設けて事件の解明にあたった。日本でも調査委員会を設ける必要がある」と、石川さんは提起した。

 続いて行われたパネルディスカッションでは、木村晋介さん(えひめ丸被害者弁護団幹事長)が進行係を行い、パネリストとして、浅井基文さん(明治学院大学教授)、早乙女勝元さん(作家)、米田佳代子さん(えひめ丸の被害者を励ます会事務局長)、鈴木尭博さん(なだしお事件弁護団)が提起した。浅井さんは「事件を押しつぶそうとするのはゆがんだ日米関係にある。それに対して改革を言う小泉は何も言わない。事件を風化させないために広く世論に訴えよう」と提起し、早乙女さんは「イタリアでゴンドラのケーブルを切り、たくさんの犠牲者を出した米軍機は岩国・厚木の在日米軍基地にいたことがある。そしてグリーンビルも佐世保や沖縄にひん繁に寄港していた。平和的生存権が脅かされている」と厳しく米軍のあり方を批判した。鈴木さんは「なだしお裁判で最大の問題は組織ぐるみで証拠を隠滅したことだ。検察は論告で虚偽の供述を五回したと自衛隊の体質を批判せざるを得なかった。海難審判では下級審ではなだしおの責任を認めたが上級審では認めなかった。しかし運動の広がりの中で最後には責任を認めさせた」となだしお裁判の経験を明らかにし、ねばり強い運動を作ろうと提起した。励ます会の米田さんは「宇和島市は小さい街だから、事実を知りたいだけなのに、権力と闘おうとしていると誹謗中傷される。アメリカ海軍はこれまで多くの民間船との衝突事件を起こしてきた。運が悪かった、単なる事故としてほしくない。ぜひ力を貸してほしい」と訴えた。

 行方不明実習生寺田祐介君の母親寺田眞澄さんが作った詩の朗読の後、父親の寺田亮介さん、母親の眞澄さんからの訴えがあった。行方不明者の古谷機関長の弟さんも参加した。亮介さんは「事故後、まったく情報が入ってこない。責任者がだれなのか明らかにしない。米海軍も外務省も口先だけだ。事故の真相究明を求める者は国とか県に逆らっているような雰囲気が作られている。ワドル艦長は自分に責任はあるが部下がやったことだと言う。自分が悪いことをやったと思っていない。ワドル艦長は刑事責任を問われることなく、恩給をもらい名誉除隊だ。冗談じゃない。私にはこの事故を風化させることなく一生訴える使命がある。日本中に行って訴えたい」と語った。眞澄さんは「時間が経てば癒されるというが息子を亡くした悲しみ、苦しみ、怒りはいまも消えることはない。あの事故を許すことはできない。九人の命の重さをどう思っているのか。息子は地球環境や世界の平和を願っていた。日本の水産高校の実習船がいまもハワイ沖に出ている。これではいけない。大勢の人に思いを伝えたい。ちっぽけな人間だけれど、ご支援をよろしくお願いしたい」と心境を語った。励ます会の向井康雄会長(愛媛大学名誉教授)の報告の後、弁護団長・豊田誠さんが「被害者の会は、七日に小泉首相や各党首あてに米軍の資料の提出と公開を求める要請書を提出した。衆参両院議長に対して、国会に調査のための特別委員会設置を要請した。外務省は渡航費を支払うと約束しているのに、まだ立て替えた費用を払ってくれていない。被害者は無視されている。県は公害裁判で加害企業の代理人をやった弁護士を船体補償交渉のためたて、その弁護団を被害者家族の補償にも選任させ示談をすすめている。寺田さんら被害者の会は新たに私たちを選任し、新しい弁護団を結成して闘っていくことになった。今後、アメリカの世論に訴えるなど、日米の世論を盛り上げていきたい」と今後の方針を提起した。以下の四項目の集会アピールが採択された。「私たちは、アメリカ政府に対して、以下のことを強く求めます。①アメリカ政府は、事件の真相、特に民間人の関与や救助の遅延の問題等について、改めて徹底的に解明し、事故に関するすべての情報を被害者に公表すること。②アメリカ政府は、事故の再発防止を具体的に提示すること。③アメリカ政府は、精神的疾患についてのケアを含め、被害者に正当な補償をすること。④日本政府は、上記三項目の要求実現のため、あらゆる外交的努力を惜しまないこと」。最後に、運動の全国的発展をめざすことが全体で確認された。(M)
 かけはし2001.9.17よりえひめ丸事件の真相究明を
 九月六日、東京高輪区民センターホールで「えひめ丸事件~真実を知ってください~7・20宇和島集会報告会」が、「えひめ丸被害者を励ます会in東京」の主催で開かれた。
 二月九日、ハワイ沖で宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」はアメリカの原子力潜水艦「グリーンビル」により衝突・沈没させられた。えひめ丸に乗船していた生徒、教師、乗組員九人がいまだに行方不明である。事故の一時間前、グリーンビルはえひめ丸を発見しながら、なぜ衝突を避けられなかったのか? ワルド艦長はなぜ「無罪」なのか? 船体引き上げ作業が続けられているいま、集会は事件の真相に迫るために開かれた。最初に七月二十日に開かれた宇和島現地集会の様子が七人の参加者によって再現された。グリーンビルはジェットコースターのように上昇下降を繰り返し、高速でジグザグ旋回を行いながら、えひめ丸に近づいていった。グリーンビルには艦長と五メートル程しか離れていない所にソナー担当がいて、えひめ丸をキャッチしていた。刻々と迫る危機、衝突の寸前に絶叫がおきないはずがない。査問会議ではこうした重要な点をごまかし隠している、と厳しく指摘した。

 次に、グリーンビルに衝突の全面的な責任はあるが、えひめ丸の運航や構造状の問題により、被害を大きくしたと宇和島水産高校の教師たちが問題を明らかにしている。それによると、実習でマグロを捕り、それを実習費用の一部にしていた。えひめ丸は一億円の水揚げがある。二十人の船員のうち九人が臨時雇いで、マグロの水揚げを歩合制によっているために、マグロ捕りに拍車がかけられていた。こうしたやり方は東京都では美濃部都知事の一九六七年に廃止された。えひめ丸の魚倉はどの実習船よりも大きい。生徒食堂が船倉に置かれているため、事故が起きた場合には、甲板まで上がるのに時間がかかった。こうした問題点は行方不明になっている教師からたびたび指摘され、改善要求が出されていたが、県教委はいっさいこうした要求に応えなかった。続いて、えひめ丸被害者弁護団幹事長の木村晋介弁護士は米軍との補償交渉について、次のように報告した。「七月十八日の第一回の交渉で、米軍は『一〇〇%責任はこちらにあるのだから、早くカネの交渉に入りたい』と主張したが、弁護団はそれは絶対にさけたい。真相の究明なくして、補償交渉には入らないのが方針だ。八月三十一日までに三十点の資料提出を求めた。第二回の交渉が九月六日にあり、米軍からは情報公開法によって、開示するもの八点が送られてきた。それは衝突直後のビデオやマニュアル通りに浮上してきたらどうなっていたかをコンピューターグラフィックで再現したものである」、「そのCGによると、潜望境を海面に出し八秒間で一回まわす。その時は波しか見えない。それから高い所にあげる。その時、えひめ丸が白い点として見える。それから三分間ゆっくり回りを見る。その時、くっきりとえひめ丸が映っている。どうしてえひめ丸が発見できなかったと言えるのか。ますます『なぞ』になる。ワルド艦長はウソを言っているのではないか。追加の資料を要求したい。ワルド艦長の過失の程度はきわめて重い。故意に近い。追加の資料を要求していきたい」。

 最後に息子が行方不明になっている寺田真澄さんからの「息子を奪った米潜水艦グリーンビルを絶対に許せない」という手紙が紹介された。衝突の真相を明らかにさせ、米軍の責任を追及しよう。遺族の納得のいく補償をさせよう。日本政府の米政府の責任をあいまいにする外交をやめよ。(滝)

 海上交通システム研究会幹事◆寺田政信 「えひめ丸」事故、もうひとつの視点」。
 「えひめ丸」の事故は、アメリカ海軍のミスにより若者を含む9名が行方不明になった痛ましい事故である。日本側の新聞記事、インターネットの情報は、行方不明者に同情を寄せるなどの心情的なものが多いのはやむを得ないが、衝突事故を起こしたアメリカの政治システムや事故の後の救助活動、「えひめ丸」船体引き揚げに関する日本人とアメリカ人の価値観の違いなどに言及したものは少ない。

 USCGの敏速な救助活動

 事故が起こってから、USCG(アメリカ沿岸警備隊)のホームページには、救助活動の状況が淡々と掲載されていた。USCGと米海軍共同の敏速な救助活動によって、少なくとも衝突事故で海上に放り出された「えひめ丸」乗組員全員が重傷者もなく救助された。行方不明者9名は「えひめ丸」船内に閉じこめられたと判断せざるを得ないであろう。USCGと米海軍のこのような敏速な救助活動はそれなりに評価できると考えられる。

 以前、ヨットマンでもある神戸商船大学の松木名誉教授から、アメリカ沿岸でヨットが遭難したとき、直ちに救助にきてくれたUSCGに謝意を表すると、「TAX PAYER(納税者)への当然の奉仕義務さ」といって立ち去っていく、と聞いた記憶がある。

 ところで、救助活動で二つの事柄が話題になった。

 一つは衝突事故を起こした潜水艦の乗組員が救助活動に参加せず傍観していたという話題である。これは、基本的には、救助設備を有しない潜水艦側で下手に救助活動するより信頼できる救助活動専門のUSCGに任せた方が効率的で救助もスムーズにいくと判断したものと思われる。潜水艦の仲間である海軍がUSCGに協力して救助活動をしていたのも傍観の理由かもしれない。日本人の心情からは衝突事故当事者が傍観していたのはけしからんと思うのもやむを得ないかもしれないが、この場合は、上記のような現場での判断がなされたものと思われる。したがって、感情的に批判するのは必ずしも当を得たものとはいいがたい。衝突事故が沖合で発生し、USCGの救助活動が遅れる場合であれば、当然、潜水艦が救助活動を行うべきであろう。

 もう一つは、USCGが救助活動を終了したいと言い出した際の話題である。これも限られた事故海域で10日以上も捜索して行方不明者が発見できなかったので、これ以上捜索しても発見できないだろうとの合理的判断によるものと推察される。しかし行方不明者の親族、宇和島水産高校からは捜索延長の願いが出され、これは受け入れられ捜索が延長された。捜索延長を受け入れたUSCGと米海軍は日本的な心情を汲み取ってくれた点で評価できると思う。

 このように、ハワイの現地ではそれなりの対応をしてくれてはいたが、他方でアメリカのメディアは「えひめ丸」が漁業練習船であったにもかかわらず単に"Fishing Boat"と英訳し、あたかも日本漁船がパールハーバーの近くで年少の船員を使ってトロール操業をしていたかのごとき印象を一般市民にあたえていたのは残念である。

 民間人(=納税者)への間違った奉仕義務が招いた衝突事故

 行政官が納税者に奉仕活動をするアメリカの民主的なシステムは素晴らしいと思われるが、間違った方向で実施されたのが今回の衝突事故の背景にあるのではないかというのがもうひとつの視点である。

 建造から5年しか経っていない最新鋭原子力潜水艦に民間人を乗せ、しかも緊急浮上の体験をさせるというのはアメリカでしか考えられないシステムであるが、これが民間人(=納税者)への情報開示の一つであるとすれば、安全確認の体験をじっくり教育することこそが最も大事なイベントであるべきである。民間人もそれを要求すべきだったが、どうも緊急浮上のスリルを味わせるのが乗船体験のメインイベントになっていたのではなかろうか。海軍の民間人乗船体験のマニュアルにも、潜水艦の性能を知ってもらうことに力点が置かれていたのではなかろうか。せっかくの素晴らしいシステムも民間人(=納税者)の側にある安全で日常的な航行とは異なる体験の(潜在的)欲求に迎合した体験乗船ではまったく意味がないばかりか、むしろ事故をもたらす有害なシステムになってしまったことを、アメリカ軍関係者も、一般市民も理解してもらいたいものである。ワドル元艦長も、海軍上層部からの指示、狭い艦内で慣れない民間人を指導する乗組員、帰港時間を気にしながらの体験乗船、そんな混乱のなかで、最も大事な安全確認を通り一遍の報告でパスさせてしまったことを悔いているものと思われる。どのような理由があっても、衝突事故の責任の免除にはなりえないからである。

 家族への謝罪の中での一生重荷を背負っていくという発言は、この責任を十分感じていたものと思われる。

 民間人(=納税者)も情報開示やデモンストレーションを要求することはいいとしても、安全を最優先に行使することを今回の衝突事故の反省としてほしいものである。

 今回の「えひめ丸」の事故はアメリカのシステムが悪く働いた悲しい事故であると総括できる。 

 「えひめ丸」船体引き揚げ問題

 この問題で、日米の文化、感性の違いが大きく浮き彫りになった。

 「えひめ丸」事故関係者は、船に眠っているであろう行方不明者の身元確認と亡くなっているであろう亡骸の収容が目的であって、船体そのものの引き揚げは問題ではなかったはずである。ところが、身元確認がなされるまで亡骸と呼ぶことがはばかられ、遺体収容の要求が、船体引き揚げ要求のかたちで強く主張された。これに対して、何千万ドルもかかる船体引き揚げにアメリカ側から反論がでてきた。こうした経緯のなかでは、日本人のもつ亡骸への想い、こだわりを十分説明できなかったのは残念である。

 戦後半世紀経ったいまでも戦友の遺骨収集団が出かけるほど、日本人の亡骸への想いは強い。一方、アメリカでは、海で亡くなり、海底に眠っている霊には特別の尊厳が与えられるので亡骸を回収することにはこだわらぬ文化がある。こうした文化的思考の違いによる誤解は解けぬまま、アメリカはもっぱら、物理的な船体引き揚げ論に終始した。それでも船体引き揚げに前向きな結論を出したのは評価してよいのではなかろうか。

 冒頭にも述べたように、この衝突事故はアメリカ海軍のミスによるもので、アメリカ側には弁解の余地のないものではあるが、事故の背景にある、アメリカの政治システム、救援活動の実体、亡骸への日米の想いのギャップなど考察することが、事故再発防止のためにも、価値観の違う民族が自己主張しつつ相手を理解し共生していくためにも、大切だと思う。このことが、いまだ海底に眠る若者を含む犠牲者への哀悼の意になると確信する。(了)

 ※ 海上交通システム研究会=1988年7月浦賀沖で発生した潜水艦と釣り船の衝突事故を契機に海上交通問題に関心をもつ種々の分野の専門家が集まって発足。現在は、海上交通問題をはじめ港湾設備、海上環境問題へもテーマを拡張、さまざまな視点から問題を提起し、これら諸問題の改善に貢献することを目的として活動を続けている。


 2017.2.9日、米ハワイ沖で2001年、愛媛県立宇和島水産高の実習船えひめ丸が米原子力潜水艦に衝突され、9人が死亡した事故から16年となった9日(日本時間10日)、現場海域に近い米ハワイ・ホノルルのカカアコ海浜公園にある慰霊碑で追悼式典が開かれた。事故は01年2月9日(日本時間10日)に発生。実習生4人、教員2人、船員3人が亡くなった。亡くなった実習生らの後輩に当たる宇和島水産高の生徒4人も初めて参加。愛媛県の中村時広知事や事故当時の知事だった加戸守行氏も出席。式典に合わせ、宇和島水産高を含む愛媛県の全高校の生徒が、海の安全や慰霊碑の維持管理に関わる現地ボランティアへの感謝の気持ちを込めて千羽鶴計2万羽を準備した。

 また、愛媛県立宇和島水産高でも10日、犠牲者を悼み海の安全を祈る「追想の日」式典が開かれた。十七回忌に当たる式典には、在校生や学校関係者らが参加。えひめ丸から引き揚げられた鐘を発生時刻に合わせて打ち鳴らし、全員で黙とうした。






(私論.私見)