【志村けんの死亡経緯検証その1】 |
志村けんの死亡経緯を確認する。
2023.3.9日、日刊ゲンダイDIGITALの芸能ジャーナリストの本多圭/氏記事「志村と公私に渡り20年来の付き合いがあり、志村が亡くなる直前まで一緒に酒を飲み連絡を取り合っていたテレビ番組制作会社プロデューサーのS氏証言」(「志村けんさん「亡くなるまでの1カ月間」飲み仲間のテレビマン明かす」が出ている。捏造と思われる箇所が目につくが貴重証言もあり参照する。 |
2016.8.19日、肺炎で緊急入院。これに伴い、8.20日および21日に予定されていた公演『志村魂』の大阪・新歌舞伎座公演は中止することになった。その後、8.31日に退院。それまで「1日60本」(1日に2~3箱ぐらい)吸うヘビースモーカーだったが、この件にショックを受け以降タバコを止めている。
「(最初は)肺炎をそんな大きな病気だと思ってなかった。でも良く考えると65歳を過ぎると肺炎は死因の4位だとか大きな病気なんですね。ちょっと甘く見てました」。 |
肺気腫を患っていたこともあると云う。「肺気腫とは本来の肺構造が破壊されて空気がたまってしまい、うまく息を吐けなくなってしまう病気を指す。原因の多くは喫煙であり、たばこに含まれる成分によって正常な肺組織が破壊されることによって発症する。現在の医療をもってしても一度壊れた肺組織をもとに戻すことは困難」とのこと(医療関係者) |
2018.10月、肝硬変と診断。 |
2019.9月、体調不良を訴えて緊急入院。病状説明を事務所はせず。 |
2020.1.15日、志村の胃にポリープが見つかり、内視鏡による除去手術を受けた。「肝臓を含めた臓器の検査もするため1週間ほど入院した。「内視鏡で切ったので、それ自体はすぐに終わりました。ただ万全を期していろいろなところも診てもらったので、4日ほどは入院していました。術後は患部の炎症を避けるため、数日間は食事制限や禁酒をするよう言われていました。その“制限”もすでに解かれていて、普通に飲み食いもしています。体重も落ちていないようですし、仕事に影響はないと思いますよ」(前出・所属事務所担当者)。ただ、持病があるとはいえ元気だった。 |
2.20日、70歳の誕生日を迎えて古希パーティが都内の店で行われた。出席したはるなは「中山ひでさんが全部皆さん集めてくれて」とタレント・中山秀征が音頭をとって、恒例の誕生会が盛大に行われた。誕生会には、マツコ・デラックス、モト冬樹、DAIGO、ミッツ・マングローブ、島崎和歌子、MAX・LINA、佐々木健介、多岐川華子に加えて、はるな愛や懇意にしているグラビアアイドルなどかなりのタレントが参加した。仕事終わりに顔を出す業界関係者も多く100人以上が出席した。「(志村さんは)お酒もすごい召し上がるし、すごい(元気な)70歳でした」と証言されている。SNS上には、赤ら顔をした志村の楽しそうな写真がアップされた。ヨネスケも出席しており、「お元気なんてもんじゃないですよ。スナック、バーみたいなところでやったんですけど、(志村さんは)お酒も飲んで。『古希おめでとう!』、『病気だけは気をつけて』と(お祝いした)。だから、まさか、こういう形で、ね…」と驚きを隠せない様子で語った。2006、2007年の誕生パーティーには飯島愛(2008.12月逝去)が参加している。 |
「誕生日パーティで『お酒飲んでもいいんですか?』と聞いたら、『禁止されていたのが1カ月間だったから、もう大丈夫。まあ、その前から飲んでいたけどね!』と言って笑っていた。 |
2.25日、兄の知之、その息子の長男・憲之(44)らが麻布十番の店で古希を祝う会を催した。志村はお酒をたしなみ、「本人も喜んでました」。知之さんは報道陣に、その時の写真も提供している。プレゼントした紫のちゃんちゃんこに大黒帽を着用し、白い歯を見せて笑う志村。もう1枚は「古稀 70 志村けん様」とボトルに書かれたお酒と、陶器のお酒用のグラスを手に笑顔を見せる写真。楽しい宴だったという。これが親族との最後の顔見せとなった。入院後は、感染の恐れなどから一度も面会することができなかった。 |
2.28日、志村は元気に“活動”を再開していた。誕生日パーティ翌週のこの日、お昼過ぎに志村はロールス・ロイスで麻布十番へと向かう。携帯電話ショップに立ち寄った後に入っていったのは、行きつけの“高級スパ”だった。事務所関係者によると、「毎晩のように飲んでいたが、基本的に通院するような持病もなく体調は良かった」と話している。 |
3.5日、日本テレビで「天才!志村どうぶつ園」収録。3.26日、共演したお笑いコンビ・ハリセンボンの近藤春菜が、その際の志村の様子について、「本当にいつも通り、元気な感じ。これを朝知って、本当にびっくりして心配」、「日ごろのお疲れを取るという意味で、ゆっくりお大事にされて、早く戻ってきてほしいなと思う」とコメントしている。 |
3.6日、NHKの連続テレビ小説「エール」収録。 |
3.6日、麻布十番にある行きつけの飲食店で、若い女性と一緒の二人きりで焼酎を飲む姿が目撃されている。「3月6日、志村さんはアダルトビデオ制作会社の社長の接待で、銀座8丁目の高級クラブ『B』に飲みに行っています。志村さんはもともと六本木のクラブやキャバクラに通っていたが、六本木のクラブで親しくなったホステスのAさんが、前年(2019年)に銀座8丁目のクラブに移籍したことから銀座のクラブにも顔を出すようになったという」、「3月6日の当日、志村さんはAさんが勤務していた『L』には来ませんでしたが、Aさんがたまたま志村さんの車を見かけ、志村さんにメールしたところ、『Bにいる』という返信が来たそうです」(Sさん)。 |
3.9日、「9日は六本木のバカラバーで朝方4時まで千鳥の大悟(42)と渡辺直美(35)、それにハライチの澤部佑(36)の3人と飲んでいたといいます。2月20日が志村さんの70歳の誕生日でしたが、当日お祝いできなかったので、その日、大悟らと一緒に飲んでいたようです」。
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3.10日、テレビ朝日のバラエティ番組「あいつ今何してる?」の25日放送分に志村が出演し、豪快な笑いを見せるなど元気な様子を見せ、かつて結婚を前提に交際していた13歳年下の元アイドル歌手の存在を初告白した。これが最後の番組収録となった(放送は3.25日)。お相手はザ・ドリフターズ時代に出会った13歳年下のアイドル歌手・大滝裕子さん。久保田早紀や松田聖子も出場した大会でミス・セブンティーンに選ばれる美貌と、持ち前の明るさでザ・ドリフターズの前座を務めるなど活躍していた。「相手の親にもあいさつした方がいいって(話になった)」などと語った。結婚前提に付き合っていたが、いつしか破局。志村は当時のことを「何が原因で別れたか定かではない」と話した。 |
志村が亡くなる10日ほど前、東京・入谷のちゃんこ鍋店「玉勝」(たまかつ、店長/高橋正一79歳)に、「入院中の志村さんから『玉勝の主人が元気か確かめてきてくれ』と言われて来たんです」と告げた二人組が来店している。
志村の下積み時代、約40年前にドリフターズで初めてもらった給料袋を握りしめてのれんをくぐったのがこの店だった。以来、月2回のペースで通い、昨年TBS系「人生最高レストラン」でも同店を紹介。「うちは野菜が多いですが、志村さんは別注でニラを山盛りにして食べて『体調がよくなった気がする』と言って帰っていました」。食べる時はいつも無言。ドリフのメンバーに教えることなく、誰にも気を使わずいられる場所。志村は「ほっとする。落ち着いて食事できるよ」と話していた。5年ほど前、高橋さんが「いつも(仕事)楽しいでしょう」と声をかけると「全然そんなことないですよ。収録が終わって家に帰ると『大丈夫だろうか、ミスしていないだろうか』と心配で眠れないくらいです」と普段語らない胸の内を吐露したこともあった。志村の代表的なネタの一つ「ひとみばあさん」は先代おかみである高橋さんの母がモデルだったという。「ある番組で明かしていたみたいで私も聞いて驚きました。無言で食べながらも他人の髪形など周囲を観察していたんですね」と懐かしんでいた云々(浦本将樹)。
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12日か13日、綺麗な女性と二人で談笑しながら、ほろ酔い加減で寄り添いながら六本木方向に歩いて行く姿が目撃されている。 |
志村のガールズバー通いが有名。不摂生と多忙な日々が続いていた。志村の感染経路について所属事務所は「現在も不明のまま」と説明しており、全容は分かっていない。志村は夜遊び好きとしても知られるが、そこから感染を引き起こした可能性もある。ドリフターズ時代から住んでいる東京・麻布十番をホームグラウンドに、後輩芸人らと西麻布や銀座ではしご酒を楽しみ、飲み会の最後にはクラブやガールズバーなど女性が接待する飲食店に繰り出すのが定番だ。関係者は「どこで感染したのか分からないのは本当に怖い。もし夜の街なら、至る所に危険がある」と話している。 |
3.15日、「めまいにより自宅の階段から転倒。志村さんの主治医がいるクリニックで検査したが、その時は脳にも肺にも異常はなかったという」。 |
(私論.私見) |
「めまいにより自宅の階段から転倒」は捏造証言の可能性がある。 |
3.16日、発症前日のこの日、志村は冠番組「志村でナイト」をリニューアルする新番組の収録で東京・台場のフジテレビを訪れている。しかし、到着直後から明らかに体調不良の様子で、正面玄関の車寄せから地22階のタレントクロークに直行し、彼の楽屋にすぐ入つたものの、“気持ちが悪い”と言い出した。「自宅で足をくじき、痛みが引かなかったため」との伝もある。志村の楽屋は広い和室で、普段はそこでディレクターらと打ち合わせなどを行う。しかしこの日、スタッフは中に入れず、廊下に立って所属事務所のマネージャーと話し合いを続けた。異様な光景だった。収録は急きょ中止になった。志村は控室で30分ほど過ごし、局側のスタッフとは会わずに引き揚げた。同局関係者は「付き人のような男性に肩を借りて歩いていた」と明かしている。フジのスタジオスタッフが次のように証言している。
「スタジオでは照明から何から全てセットが済んでいたのですが、収録は中止に。結局、志村さんは車イスで社を出て行きました」。 |
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3.17日、けん怠感などの症状が出て自宅で静養を続けた(発症日)。 |
「17日には行きつけの麻布十番のバーで飲んでいましたが、『調子が悪い』と言って焼酎のソーダ割を2杯だけ飲んで帰りました」。 |
(私論.私見) |
これが本当とすれば貴重証言である。逆に捏造証言の可能性もある。 |
3.18日、自宅療養中に連絡を取り合った知人が次のように証言している。
「「18日、志村さんにLINEを送りました。すると、『もうすぐ映画の撮影が始まるんです』という返事が返ってきたんです。発熱する前日のことです。2月に会ったときも志村さんは『今年は役者をやるんだ。映画も決まった』と照れくさそうに笑顔で話していたので、すごく映画の撮影を楽しみにしていたのだと思います」。 |
「翌19日にもLINEを送ったのですが、珍しく返事がありませんでした。集中して台本を読んでいるのかなと思っていたのですが、新型コロナウイルスに感染していたなんて……」。 |
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