事件経緯2

 更新日/2016.12.17日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 
 2016.12.17日 れんだいこ拝


 2016.12.17日、TBS系JNN島根女子大学生遺棄事件、交通事故死の男を書類送検へ」その他参照。
 2009年10.26日、今から7年前、島根県立大学の1年生だった平岡都さん(みやこ、当時19歳)が島根県浜田市内のアルバイト先のショッピングセンターを出た後、行方不明となり、直後に殺害されたとみられる。この日の夜、ショッピングセンター付近で「白いセダン」車が2回目撃されている。11月6日、広島県北広島町の臥竜山(がりゅうざん)の山頂付近で切断された頭部が見つかった。その後、11.7日、左大腿骨の一部、11.8日、両手足のない胴体部分、11.9日、左足首、11.19日、爪が相次いで発見された。司法解剖の結果、平岡さんの顔に複数の殴打痕、左頬には足で踏まれた跡が付いていた。首には指の圧迫痕があり、胴体に死後切りつけられた傷や焚き火などにより焼けた形跡もあった。胴体部分の胸は刃物によってえぐり取られ、腹部は内臓の大部分が取り出されていた。あまりの残忍さに、警察の捜査でも「被害者は人間以外の動物に食いちぎられたのではないか」という意見が出たほどである。栃木の今市で起きた事件や 世田谷一家の事件と共通する猟奇的で身の毛のよだつ事件だった。死因は特定できなかった。11.30日、被害者の黒いスニーカー(左足用)靴が被害者の住んでいた学生寮から直線で約300m(10月末捜索済みの)場所の側溝から発見される。

 島根・広島両県警の合同捜査本部は、平岡さんの遺体が見つかった2日後の11月8日、山口県内の高速道路・中国自動車道で交通事故で死亡した当時30代の会社員の男・矢野富栄(よしはる当時33歳)容疑者(平岡さんが住む島根県浜田市に隣接する同県益田市に居住)が事件に関わった疑いが強いとみて調べていることが、捜査関係者への取材でわかった。当時、次のように報道されている。
 ●中国道で乗用車炎上、2人死亡

 8日午後3時7分頃、山口県美祢市伊佐町奥万倉の中国自動車道下り線を走行中のドライバーから、「ボンネットから白煙を上げ、ガードレールにぶつかりながら走っている車を見た」と110番があった。現場付近は片側2車線のカーブの多い緩やかな右カーブ下り坂。県警高速隊が駆け付けたところ、路側帯で炎上した車を発見し、 運転席から男性の焼死体を、助手席側の車の外で女性の焼死体を見つけた。 発表によると、目撃情報から女性は助手席に乗っており、車体番号から、 車の所有者は山口県下関市の男性とみられる。県警が2人の身元の確認を急いでいる。 下り線の現場手前の左右のガードレールには、乗用車が衝突したとみられる複数の跡があったことから、何らかの原因で乗用車が自損事故を起こし、路側帯に停車して燃えたとみて調べている。この事故で、同自動車道下り線の美祢インターチェンジ(IC)と美祢西IC間が約4時間20分通行止めになった。


 山口県美祢市の中国自動車道下り線で車が炎上した事故で、死亡した2人は DNA型鑑定の結果、同県下関市神田町の会社員、矢野富栄さん(33)と母親の貴美子さん(58)と判明した。県警高速隊が10日、明らかにした。高速隊によると、2人はいずれも焼死。事故は8日午後3時すぎ、車がガードレール 3カ所に衝突して炎上した。ブレーキ痕やスリップ痕はなかった。矢野さんは運転席で、 貴美子さんは車外で見つかった。

 今年行方不明後の平岡さんを撮影した画像のデータが見つかっている。10.28日、矢野容疑者の関係先にあったUSBメモリーを、11.22日、デジタルカメラデジカメを押収した。矢野容疑者が住んでいた同市の自宅風呂場や平岡さんの遺体や文化包丁、矢野容疑者の足などの画像をメモリーに19枚、デジカメに38枚の合計57枚確認した。デジカメの日付設定はされていない。その画像が小出しに明らかになっており、報道時には何枚か写真の画像が出たが全て大きくモザイクがかけられている。容疑者の住まいからは血痕は見つかっていない。平岡さんと通話やメールをやりとりした記録はなく、2人の交友関係は確認されなかった。

 男は生前、周囲に「大変なことをした」(とんでもないことをした)などと漏らしていたとも云う。男は平岡さんの知人ではなく、捜査線上に浮かんだことがあった。合同捜査本部は、男の関与を強く疑う有力な物証を得て、この男が平岡さんがアルバイト先を出て以降、いずれかの場所で平岡さんを殺害し、遺体をバラバラに切断した後、遺棄したとみて慎重に調べを進めている。容疑が固まり次第、男を容疑者死亡のまま書類送検する方針とのこと。

 遺棄現場付近では、女子学生の遺体に付着していたNTT電話帳配布用のポリ袋の一部が見つかっていた。中国地方で配られたNTT電話帳の配布用と判明している。山口県下関市にある男の実家付近では今年夏ごろ、島根県警の捜査員2人が聞き込みに来たといい、近所の男性によると、捜査員は近隣で「大学生の殺人のことで話を聞きたい。電話帳を入れる袋はあるか」と質問していたという。

 本事件は迷宮入りしており、警察庁は平岡さんが行方不明になってから4カ月後の2010年2月26日、従来の規定を2カ月前倒しして、解決に結びつく有力情報の提供者に最高300万円を支払う「捜査特別報奨金制度」(公的懸賞金)の制度を適用、広く情報提供を呼びかけていた。死体損壊・遺棄容疑は2012年に公訴時効(3年)を迎えており、捜査本部は時効のない殺人事件として捜査を続けていた。(12/17日00:08)

 2016.12.20日、島根・広島両県警合同捜査本部は、殺人と死体損壊、死体遺棄の疑いで、島根県益田市に当時居住し、遺体発見2日後に交通事故死した会社員、矢野富栄(よしはる)容疑者(当時33歳)を容疑者死亡のまま書類送検した。矢野容疑者の遺品のデジタルカメラやUSBから、自宅風呂場や平岡さんの遺体のほか、首を圧迫した痕跡、包丁を写したものも確認された。目撃情報などが乏しく捜査は難航したが、発生から7年を経て終結させたことになる。


 2016.12.20日午前11時、島根・広島両県警の合同捜査本部が置かれた島根県警浜田署で記者会見が開かれ、島根県警の杉原知行捜査1課長は「動機や目的、現場が不明で、足元から捜査をしてきた。その後、捜査範囲を広げるのに7年かかった」と話した。捜査幹部は長期にわたった捜査を振り返りながら、苦渋の表情を浮かべ次のように述べた。「積み上げたものに一切無駄なものはないと思っている」、「容疑者を特定できたことは良かったが、どこで連れ去り、どこで殺害したのか、真相は闇のままだ。やりきれない」。

 「産経ニュース更新」の「【島根女子大生殺害】「(7年経過は)慎重に捜査したから」「捜査内容は吟味はするが、公開しない」 島根県警捜査一課長」は次の通り。
 -山口県で交通事故死していることが捜査線上に浮上しなかったことにつながっているのでは

 答えられない。

 -被害者と面識はあったのか

 捜査した中では、面識はなかったと判断している。

 -殺人容疑での書類送検に踏み切ったのはなぜか

 押収した画像の中に、被害者の頸部を圧迫し殺害した、と死因を特定できるものが残されていた。

 -画像の中に矢野の犯行と断定できるものがあったのか

 矢野が当時住んでいた居宅の背景と一致する画像があった。また、画像の一部に矢野本人の足の指が写っていた。

 -矢野が首を絞めている画像があったのか

 本人が首を絞めている画像はない。手で締めた痕跡が残る画像があった。

 -動機は何か

 見立ては当然あるが、供述もとれていない。推測で話すことはできない。

 -真相解明が不十分な部分があると思うが

 書類送検という一つの節目を迎えている。未解明の部分があれば、今後も捜査を続ける。

 -未解明の部分とはどこか

 被疑者の供述がとれなかったこと。犯行時期と場所、殺害現場も分からない。

 -画像データのみで矢野の犯行だと判断したのか

 大きな決め手になったのが画像データのみ。他の要因は捜査内容に関わってくるので申し上げられない。

 -今回の捜査の手順について、反省点や見直す点などはないか

 捜査内容について、吟味するが、その内容は警察関係者間で共有するもので、公開するものではない。


 事件への関与が疑われている男の実家は山口県下関市内にあり、近所の人たちによると、家族は4人だったという。男は2009年11月に父親の墓参りの帰りに、山口県内の高速道路で同乗していた母親と事故死したという。実家は米穀店を営んでいたが、数年前に弟が美容院を開店した。現在は店には「一身上の都合で閉店することになりました」との張り紙があった。

 事件への関与が疑われる男と北九州市内の高校で同級生だったという男性会社員は「真面目な感じの生徒で、積極的に女子生徒と関わるタイプではなかった。何があったのか分からないが、ただ驚いている」と語った。男性によると、高校時代の男は特進クラスに所属。柔道の経験者だったようで、授業で1人だけ黒帯だった。防衛大に合格したが、男性が進路を尋ねると「行かない」と話して推薦で九州の国立大に進学したという。

 「産経ニュース更新」の「【島根女子大生殺害】進学高卒業の容疑者「誠実で優秀、まさか」驚く元勤務先社長」。

 平成21年11月に遺体が発見された島根県立大生殺害事件で、容疑者死亡のまま殺人容疑などで書類送検された矢野富栄容疑者=当時(33)=は同年春から、実家がある山口県下関市の住宅設備会社で働いていた。社長は「誠実で優秀だった。まさか事件に関与した疑いがあるなんて」と驚きを隠さなかった。

 関係者によると、矢野容疑者は下関市で小中学校時代を過ごし、北九州市門司区の私立の進学高を経て福岡県の国立大夜間部に進学したが、中退した。その後は実家近くのコンビニやラーメン屋などでアルバイトをして生活していたという。

 住宅設備会社の採用募集面接で「これからの時代は太陽光発電だ」と夢を語った。正式な社員採用のための「修業」の意味合いもあり、会社が借り上げた島根県益田市の一軒家に移り住み、太陽光パネルの営業を始めた。社長によると、勤務態度は真面目で、1件数百万円の高価な製品を数カ月間で6件受注するなど成績優秀だった。


















(私論.私見)