世田谷・宮沢一家殺人事件

 更新日/2022(平成31. 5.1栄和元/栄和4).8.18日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、世田谷・宮沢一家殺人事件を確認しておく。

 2014.11.12日 れんだいこ拝


 行政調査新聞社の2001年 4 月 21 日付け投稿「世田谷一家4人惨殺事件の真相」その他を参照する。
 世田谷一家4人惨殺事件の真相

 2000.12.30日、東京都世田谷区で会社員・宮沢一家4人が惨殺されるという事件が発生した。被害者は主人の宮沢みきお(44歳)、妻の泰子(当時41)、長女にいな(当時8)、長男礼(当時6)であった。「犯人は最初に長男の礼くん(6歳)を片手で締め殺し、次に3人を、まず喉を切り裂いて声を出せなくしてから殺している。ご主人の宮沢みきお氏には脳天に包丁を突き刺すという行動に出ている。顔などをメッタ切りしていることから怨恨説が出ている。見事に喉を切り裂いている。4枚の黒いハンカチが現場に残されている。血液型も指紋も採取されているが犯人像が絞られていない。

 犯人は、30日午後11時半頃に住宅に侵入、凶行に及び、31日未明に現場を後にしたとみられている。現場にはトレーナーや黒いハンカチ、凶器となった柳刃包丁、運動靴の足跡など犯人を特定できると思われる多くの遺留品が残されている。運動靴は英国スラセンジャー社製のもので、犯人が履いていた28センチのものは韓国で約400足しか生産されておらず、しかも韓国内でのみ販売されていたことが判明している。

 犯行直前には、佐賀バスジャック事件を起こした少年が書き込んだインターネットの掲示板に、犯行予告とも思われる書き込みがされていたことが判明している。この書き込みが犯人のものかどうかは不明だが、その内容は「幸せそうな家族を見るとあの大分一家殺傷事件のようにしてしまいたいと思う」、「最近では人間を切り裂いて内臓を見たいとも考える」、「決行日は12月31日午後11時59分だ」等といった、いかにも犯行予告と考えられるものだった。現場近くで不審な男を目撃した、といった400を越える情報が寄せられている。但し、この事件が「迷宮入り」するだろうと観測されている。犯人逮捕の条件を越えて、公判維持のための条件(犯人しか知りえない状況)までもを公開している警察当局は、すでに捜査に行き詰まって立ち往生状態にあると云う指摘がされている。

 一部事情通は今回の事件を「神戸の酒鬼薔薇以降続発する猟奇事件とはまったく異なった『公開処刑』ではないか」と見ている。
公開処刑とは何か。それは裏切り者に対する処刑の一つで、見せしめのための処刑である。今回の事件のキイポイントは、殺された宮沢みきおさんが生前に何をやっていたか、夫婦が共同作業として何をしていたかが問題なのだという。この夫婦は「能力開発セミナー」で知り合い、結婚し、その後ご主人は経営コンサルタント関係の会社を辞めて独立し、個人規模の仕事をしていたことになっている。では、どんな仕事をしていたのか? 奥さんと出会った能力開発セミナーの正体とは何で、いったい何の目的で設立されたものなのか。確証がないが状況証拠に頼ると、夫婦が知り合った能力開発セミナーは半島系のもので、宮沢みきおさんは北朝鮮系のスパイ活動を行っていた可能性があるという点だ。

 事件が起きる2週間前、警視庁公安部は朝鮮総連(在日朝鮮人総連合会)幹部が北朝鮮の対外工作機関から直接指示を受け、地下革命組織の建設を進めていたことを明らかにしている。警視庁公安部はこの件に関し、新宿の朝鮮総連元幹部、貿易商・康成輝(60歳)を詐欺罪で起訴。彼が日本においてキリスト教系の団体を設立し活動していたことや、食糧や義援金を北朝鮮に送っていた事実などを追及しはじめていた。康成輝はかなり以前からスパイと認定されていたものだったが、彼の逮捕によりとくに韓国内の北朝鮮諜報機関に打撃が与えられたことは間違いない。

 諜報(スパイ)の世界では、こうした事件があれば当然のように報復措置が取られる。では、この超巨大スパイ組織の親玉 逮捕という事実に対し、どのような対抗措置がとられたのか? もちろんそれは、わからない。少なくとも表面 には出ていない。だが、もし世田谷の一家4人惨殺事件の被害者、宮沢みきおさんが北朝鮮系の諜報員で、しかも仲間を裏切って康成輝情報を提供したとしたら……。犯人はすでに国外に逃亡していると考えられる。成城署もその事実を知っているから、あらゆる情報を公開し、犯人逮捕に至らないのは自分たちの能力不足なのではないことを力説しようとしている。インターネット上の犯行予告が彼らのものであったか否かは不明だが、この事件は間違いなく『公開処刑』だった。朝鮮半島の混乱した諜報活動の最中に警視庁が一方的に『かつての大物』を逮捕してしまった事件に対する『落とし前』と考えて良いだろう。 http://www.gyouseinews.com/storehouse/feb2001/001.html


 政調査新聞社の 2001 年 4 月 21 日付投稿「黒道が遣わした、プロの殺し屋」を転載する。
 世田谷一家四人殺害事件、衝撃の新情報入手!

 黒道が遣わした、プロの殺し屋

 事件発生から四カ月以上たった今になってなお、世田谷事件と北朝鮮スパイ康成輝逮捕(昨年12月)を結び付けた情報を流しているのは本紙だけである。それでもなお、本紙はこの情報に絶対の自信を持っている。そうしたなか、四月に入ってまたまた新たな遺留品が発表された。「世田谷一家殺害事件 ジャンパーからA型の汗 二階居間 犯人の遺留品か」(産経新聞四月二日朝刊)といったものだ。 

 世田谷一家殺害事件 ジャンパーからA型の汗 2階居間 犯人の遺留品か

 東京都世田谷区の会社員、宮沢みきおさん=当時(四四)=一家四人が殺害された事件で、現場の二階居間にあった黒いジャンパーのそで口から犯人と同じ血液型のA型の汗が検出されたことが一日、分かった。警視庁成城署捜査本部では犯人の遺留品の可能性もあるとみて調べている。調べによると、ジャンパーは全国展開するカジュアル服店のLサイズ商品で若者を中心に人気のあるブランド。二階の居間に黒いハンカチや毛糸の帽子、マフラーなどとともに落ちていた。捜査本部でジャンパーを調べたところ、そで口からA型の汗を検出。宮沢さん一家にA型の人間はおらず、現場の血痕から犯人はA型の男性と判明しており、ジャンパーも犯人が身に着けていた可能性がある。犯人は現場に返り血のついたトレーナーなどを残しており、ジャンパーは犯人が遺留したものか犯人がみきおさんのジャンパーを試着し脱ぎ捨てたものとみられる。捜査本部は、帽子などについても鑑定を進め、犯人の遺留品かどうか調べを進める方針。(産経新聞四月二日朝刊)

 また新聞各紙によると、捜査本部は「犯人は周辺の地理に知識があり、家族に何らかの恨みを持つ者」と犯人像を固め、百五十人態勢で犯人のあぶり出しに全力をあげているという。また情報提供は引き続いており、複数の人物が捜査対象になっているともいう。

 しかし、初めから幼い姉弟まで殺害の対象とし、全員の喉を掻き切り、四人それぞれに四枚の黒いハンカチを現場に残すなど、通常の殺人事件とはまったく異なった犯罪であることに、捜査本部は気がついていないのだろうか。

 すでに本誌が明らかにしたように、この殺害方法は中国を中心とする世界規模の秘密結社の手口である。この結社の上級メンバーに訊ねたところ、たしかに殺害方法は彼らの手口だという。ところが同時に、絶対に自分たちとは関係ないと断言する。いったいこれはどういうことなのか。調べを進めるうちに本紙は、非常に信頼性のある東アジアの闇世界の中心人物から以下の情報を得ることができた。

 「秘密結社には、青と紅のグループがある。またこの二つの流れとは異質の『ヘイタオ(黒道)』という存在もある。今回の事件の実行犯は黒道の男で、それも鍛え抜かれた殺しのプロだ。今回の世田谷の犯行は彼の初仕事だった。――最強の殺し屋として育成されたプロの最初の仕事。彼が抵抗にあって自分の掌を切ってしまったことは、プロらしからぬ 話だが、やはり初めての仕事での緊張があったのだろう。」

 「また彼は、事件の二日後には台北にいた。その後、香港経由で北京に入ったという。恐らくそこから故郷に戻ったと思われる」、「彼が殺害後、現場に長時間滞在したのは、パソコンを使ってアクセス先を調査することだと聞いている。どうやらそれ以外にも目的があったようだが、わからない。政治家との関係は無い。まったく無い。殺された男の表稼業というか、本業の業務として何らかの関係にあったのだとしたら話は別 だが。事件の共犯者……ではないが、協力者といった者たちもいた。このメンバーたちは、現在は知らないが、少なくとも事件後数日間は東京にいた」。
 
 犯人が一家四人を殺害後、家に残って宮沢さんのパソコンを使ってインターネットに接続していたことは警視庁の発表のとおりである。犯人は、宮沢さんのパソコンで、いったい何をしていたのか?
 
 殺された宮沢みきおさんはドメイン(mikio.com)を平成十年に取得している。最近まで有効だったgoogleのキャッシュから彼のページを再現すると、そこに現れるのは表紙となるトップページのみ。だが、トップページから先に進もうとすると、某政治家のページが現れるという「怪現象」も見られた。

 この「怪現象」については、バーチャル・ドメインを提供するプロバイダー側の設定ミスが考えられる。だが、宮沢さんのパソコンには、犯人の興味を引く何かがあったことは間違いない。
 
 こんな想像もある。宮沢さんはホームページを自らの手で更新しており、その際に使用していたFTPソフトには、常に接続するサイトが登録されているはずだ。だがFTPソフトは一般 的に、登録されているサイトのログイン名は表示されても、パスワードはセキュリティを考慮して、アスタリスク『*』で伏せられてしまう。だからウェブサーバーにログインするには、宮沢さんのパソコンからなら問題なくできるが、いざそのログインとパスワードを、何らかの必要性からメモしようとしたら、どうなるだろう。『登録されているパスワード』を読み出すのは、一般 に考えられている以上に苦労する。

 犯人が『ネットには接続できるぐらいのパソコンの知識はあるけれど、あまり詳しいことは知らない』人物だとしたら、どうであろう。そして彼がもし宮沢さんのFTPソフトに『登録してあるホスト』の『パスワード』を、何とかして知ろうとしたならば。

 結局、パスワードは『手に届くところにありながら、わからない』ということになるのだ。風呂に潜み、書類を片っ端からめくり用がないとなると浴槽に投げ込んでいた犯人は、いったい何を探していたのだろうか。
 
 いずれにせよ、殺害の手口その他の情報を総合して考えると、この事件が単に家族に対する怨恨に起因するものではないことは明白だ。「初めての仕事の緊張から手を怪我した」という話だったが、あるいはたくさんの遺留品を残したことも血を出したことも、そして指紋、掌紋を残したことも計算のうえの行動だったかもしれない。

 4月に入って、近所に住む19歳の少年が犯人として疑われたことがあったが、指紋が異なったことから犯人ではないことが判明した。――そう、犯人は明確に指紋、掌紋を残している。誤認逮捕はあり得ない。取り合えず誰かを犯人に仕立てて世間の目を誤魔化し、数年後に冤罪が発覚した時点で真犯人不明にする、などといった姑息な手段も取れない。

 「黒道」のプロの殺し屋。将来、最強の殺し屋となるとされる彼は、いったいどこの国に住み、今後どこで活躍するのだろうか。 http://www.gyouseinews.com/storehouse/apr2001/002.html


 HOME > 掲示板 > 日本の事件15 」の傍らで観る者 氏の日付投稿「世田谷の一家四人殺害事件は、英国の経営コンサルタント企業を装った諜報組織が関与の可能性あり」を転載しておく。
 世田谷の一家四人殺害事件から4年になり、新たに、近隣住民による情報提供の呼びかけも行われている。この事件は、残忍な殺害方法、閑静な住宅地の一見幸せそうな家族への攻撃として、事件当時、多くの関心を呼んだが、遺留品の多さにも拘わらず、犯人像の絞込みすら未だにできていないように伝えられている。

▼ 『新潮45』2002年2&3月号(238号&239号)の「一橋文也」のレポートから抜粋:

 被害者の宮澤みきおさんは、1987年に米国大手コンサルタント企業の日本支社に入り、シニアコンサルタントの肩書でCIブロジェクトを手掛けていた。1997年3月に同社を退職し、同年7月に同業他社に転職。一年後には、英国の大手経営コンサルタント企業の日本支社に移籍し、CI部門のリーダーに就任。

 みきおさんの妻・泰子さんの父親は在日の不動産ブローカーで、1983年9月に亡くなっている。みきおさんと泰子さんは、1986年12月、自己啓発セミナーで知り合って結婚。1988年に資生堂を退職した泰子さんは、翌年から目蒲線の奥沢駅前で姉と共に学習塾を開設。

 惨劇の現場となった上祖師谷の自宅は、1990年5月、宮澤さん夫婦が泰子さんの母親や姉夫婦と共同で約一億五千万で購入した中古住宅で、購入後、約二千七百万かけて、平屋から三階建てに増改築し、1990年12月から1階で泰子さんが学習塾を開いていた。

 宮澤さん宅と隣接する都立祖師谷公園の拡張整備計画が1991年から本格化したため、周囲にあった約二十軒の住宅は次々と移転した。都東部公園緑地事務所によれば、宮澤さんとは2000年3月時点で立ち退き交渉がまとまり、都は既に土地売却料と物件移転補償費の一部を支払っており、登記簿上も同月付で所有権を移転、2001年3月には、宮澤さん一家は都が用意した代替地に転居する予定だった。ところが、宮澤さん一家が転居する予定地は事件発生時点で、都との売買契約が成立しておらず、所有権移転も建築確認申請も行われていない。

 壁一つ隔てた隣家には、初め、康子さんの姉一家と康子さんの母の4人が住んでいた。康子さんの姉は、在日の夫の事業のため、一家で1992年から英国に移住していた。姉一家のうち、妻子は長男の中学入学のため2000年4月に帰国、単身赴任中の夫も事件直前の12月24日には帰国して、事件当夜は家族4人の全員が隣家にいた。

 一方、韓国の宗教団体(統一とは別)関係者が、韓国内でスカウトした青年をネバダ州(遺留品の「特殊な砂」の由来とされる)の武闘訓練施設で養成して実行犯に仕立て、宣教教会(日本福音キリスト教会連合の一員)系の在日の牧師(世田谷区在住)らが関与して、事件を実行した可能性がある。実行犯と目される男は、ソウルで一度はインタビューに成功したものの、二度目は、インタビューを目前にして、数人の男に囲まれるようにして大型のワゴン車に乗り、消息を絶った。


 また、現場と杉並の劇場周辺から採取された指紋が一致し、指紋照合について、警視庁の要求を韓国側が拒否したとの情報もある。さて、犯行動機は何だろうか?


▼ 『行政調査新聞』2001年2月&2002年3月号から抜粋:

 この事件の1ヶ月前にあった、日本在住20年の朝鮮総連元幹部の逮捕に、宮沢みきおさんが関与し、これに対する見せしめの一家惨殺であったとの見解を持っている。状況証拠に頼ると、夫婦が知り合った能力開発セミナーは半島系のもので、宮沢みきおさんは北朝鮮系のスパイ活動を行っていた可能性がある。

 日本全域に隠れ棲む北朝鮮工作員に対する司令塔的存在だったこの幹部は、国際キリストセンター事務総長として、バプティスト教会系のボランティア組織を通じて活動していた。彼の逮捕により、20年の歳月をかけて構築した半島と日本に広がる指令網を破壊された北朝鮮の情報工作活動は、根本から再構築の必要が生じた。半島系の牧師らが、キリスト教関連の団体を隠れ蓑に、スパイとして活躍し、裏では相互の利害対立から暗闘を繰り広げている。


▼ 推測の追加:

 事件の起きた2000年に宮澤みきおさんは、2002年の日韓ワールドカップに向けて、ワールドカップのマスコットをCI事業の一環として受注、作成したという。それと平行してみきおさんには、直近での転職話が持ち上がっていたという。ここからが、新たな推測になる。

 コンサルタント企業が売買するものは情報であり、それは諜報活動に連動している。英米のコンサルタント企業の中には、キリスト教関連の団体同様、諜報活動を本来の目的としているものがあると言われている。ちょうど、渋谷の地下道のアクセサリー売りのユダヤ人が、実は諜報活動を行っている場合があるように。

 事件当時、日韓ワールドカップ用のマスコット作りを隠れ蓑に、宮澤みきおさんもやはり諜報活動をメインに日韓で活動し、その活動で得た情報を土産に、高額の報酬目当ての転職話を進めていた可能性がある。宮澤みきおさんは、立ち退き後の新しい土地と家の取得に絡んで、まとまった金が必要になり、転職の誘いに乗ったのではないだろうか?

 この転職話が、当時在籍していた英国企業、および、そこに関連した半島系団体の不利益となり、見せしめ殺人が起きたのではないだろうか? 英国は世界有数の諜報活動のメッカであり、英国企業が絡んだ犯罪を突付くことは、『ルーシー・ブラックマン事件』の推移をみれば分かるように、日本の警察には難しいかも知れない。


 以上、近隣住民の一人として被害者の冥福を祈るとともに、類似事件の再発を防ぐため、および、真相究明がなされずにパニックに陥りがちな近隣住民のため、少しでも資する所あればと願っております。


 「世田谷一家殺人事件と切り裂きジャックの類似性を転載しておく。
 「世田谷一家殺人事件」と「切り裂きジャック」は殺害方法、死体損壊方法の点で非常に酷似している。私はこの殺害方法と死体損壊方法そのものに非常に意味があると思っている。しかし、この事を指摘する報道を見た事が無いのはどうしてか。それはこの殺害方法、死体損壊方法を「儀式」として行なっている「組織」が何らかの圧力をマスコミ報道に掛けているからだと思っている。その「組織」とは「フリーメーソン」である。以下に「切り裂きジャック」を「フリーメーソン」の儀式殺人とする研究書と、警察から伝えられる「世田谷一家殺人事件」の殺害方法、死体損壊方法を共に引用してみた。恐ろしいまでの類似性をそこに見つける事が出来る。

■[切り裂きジャック]

 「フリーメーソンは暴力、テロ、犯罪を称賛する。ただし、巧妙に実行されることが前提条件だ。ユーモアは何にもまして重要であり、多くの凶悪犯罪がユーモアのある仮面をつけて実行された。『切り裂き』という言葉はおそらく、犯行のスタイルを端的に示すために用いられたのだ。そこにあるのは、面自半分に残虐な犯罪を完遂しようという意図だ。もし、フリーメーソンの大権が危機にさらされるようなことになっても、力を誇示することで再興すればよい。暴力犯罪をもって、フリーメーソンのカがどれほど広範に及び、世界中に浸透しているかを示せばよいのだ」(ステファン・ナイト『切り裂きジャックー-最後の解決』、グラナダ・ブックス)

 ナイトの著書は、この伝説的な儀礼殺人の背後に潜むものを告発している。ここでは女たちがフリーメーソンの儀礼によって滲殺される様子も述べられているが、それはまさに、ウィリアム・ホガース作の不気味な版画「残酷なる報い」そのものである。この絵には、医者が儀礼殺人に及んでいる様子が興味本意に描かれている。

 ところで、切り裂きジャックの生け贅となった五人の女性のうち、四人までが、喉を左から右へ切り裂かれていた。これはフリーメーソンの徒弟参入儀礼で行われる「罰の印」に符合する。いくつかの事件では、儀牲者の腸が取り出されて切断され、哀れな儀牲者の左肩にかぶせるようにして置かれていた。フリーメーソンの儀礼では、三人の「ユダヤ」人、ユベラ、ユベロ、ユベラムが体を切り裂かれ、その内臓を左肩に投げつげられることになっている。

 さらに、フリーメーソンが生け贅を捧げる場所には重要な意味がある。切り裂き事件は、この場所の意味とも関係がある。キャサリン・エドウズの死体は、ロンドンのマイター広場に棄てられていた。広場の入り口にあるマイター酒場は、フリーメーソンのヨッバ・ロッジの集会所であった。フリーメーソンの神話研究によれば、切り裂かれた三人のユダヤ人が捕らえられたのがイスラエル西部の港町ヨッバ〔現在のヤッファ〕の海岸であったという。また、留め継ぎも曲尺も、石工〔フリーメーソンの語源〕が使う道具である。エドウズのエプロンは、血に染まって、ゴールストン通りにある建物の入り口で見つかった。血染めのエプロンが落ちていた場所の壁には、チョークで「ユダヤ人は何事に対しても咎められることはない」と書いてあった。

 この文は、ユダヤ人自体に言及したものではなく、前述の神話に登場する三人の徒弟志願者のことを指しているのである。彼らは儀礼的に殺されたが、彼ら自身も、儀礼的殺人を犯しているのだ。

 Secret Societies and Psychological Warfare
 「フリーメーソンの操心術」 著:マイケル・A・ホフマン2世 青弓社
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 ■[世田谷一家殺人事件]

 「犯人は最初に長男の礼くん(6歳)を片手で締め殺し、次に3人を、まず喉を切り裂いて声を出せなくしてから殺している。ご主人の宮沢みきお氏には脳天に包丁を突き刺すという行動に出ている。顔などをメッタ切りしていることから、怨恨説、あるいは物盗りが闇の中で目茶苦茶に包丁を振り回したなどという説が出ているが、あれほど見事に喉を切り裂いている犯人が、うろたえて滅多切りしたとは思えない。また、現場に残された4枚の黒いハンカチは何を意味するのか。初めから4人を殺害目標としていたからであり、偶発的な強盗殺人でないことは明らかだ。血液型も指紋も採取されているのに、犯人像が絞られていない」。
 http://www.gyouseinews.com/storehouse/feb2001/001.html

 ★コメント:
 「世田谷」の方は、詳細な殺害現場の状況が警察から発表になっていない。伝えられる所によると、「死体から腸が引きずり出されていた」と聞く。さらにこの両者の類似性が高いことを示す情報である。

 世田谷一家4人惨殺事件の真相
 フリーメーソン儀式殺人 「Jack the Ripper The Final Solution」

 tacodayoのブログフリーメイソンって、人殺しの常習犯だよ「Youは何しに」神回に大絶賛、フリーメイソン日本総本部に初潜入。からの引用です。
  8才と6才の子供を含む一家4人が殺害された世田谷一家殺害事件。以下は「世田谷一家殺人事件~韓国元軍人犯行説編」からの引用です。

 ――2階に上がる奥の階段下に、普段着姿の父親がうつ伏せに倒れていた。愛用の縁なしメガネは鼻にかけたままだったが、後頭部には、折れた柳葉包丁の刃先が突き刺さっていた。父親は全身メッタ刺しの状態で、直接の死因は包丁で胸部を深々と刺され、心臓横の大動脈を損傷したことによる失血死だった。――(中略)特に母親については「顔は原形をとどめないほど切り刻まれ」ていたという。(中略)――犯人は何度も何度も執拗に母親の顔を包丁で切りつけた。しかも刃を寝かせて、顔面の起伏に合わせて強く押しつけ、力を入れながらゆっくりと~中略~既に傷が付いている箇所では、さらに傷口に深く刃先を押し入れ、力を加えながら刃をひねる。即ち、じっくりと時間をかけて、しかも何度も繰り返して、顔面を抉っているのである。――(中略)
 ◆一橋文哉が導いた犯人

 一橋氏の説を掻い摘んで触れると、被害者宅は隣接していた都立祖師谷公園の拡張整備計画に伴い、住居の移転を余儀なくされていた。被害者宅は、不動産会社及び宅地開発業者らから土地の売却を持ち掛けられていたという事実があったという。東京都と被害者宅との仲介に入って、利ザヤを得ようとしていた業者が多く、その中でも熱心に動いていた暴力団系の地上げ業者であったという。更に、その地上げ業者は仲介役を持っていた。その仲介役をしていたのが、宗教団体のボランティア活動や、6歳の長男の教育問題で被害者夫妻と交流のあった《元宗教団体幹部(タコ注:サイエントロジー)》の或る人物であったという。そして、その元宗教団体幹部を敬愛する若者グループの中の一人に、一橋氏が実行犯とする元韓国陸軍軍人の「李仁恩」(仮名)という人物が存在する。その李仁恩こそが、実行犯であると導いている。(中略)
一橋氏に限らず、軍隊経験者が実行犯であるとする説はあるのですが、特に、ここでは黒いハンカチの使用方法に触れられている。黒いハンカチが2枚持ち込まれており、一枚は三角に折って自らの鼻と口を塞ぐ覆面とし、残りの一枚のハンカチは中央に切れ込みを入れあり、そこに刃先を通して袋状にし、血まみれになるであろう現場を想定してハンカチを滑り止めとして使用していたとされる。実は、細かく眺めていくと、軍隊経験者か、それに見合う特殊な訓練を受けていた者の犯行を印象づけるものが多い。(中略)クリミナル・グループ説では、つまり、アジア系留学生らの犯行であったとする中での韓国人犯人説であったのに対し、こちらの一橋氏の説は韓国元軍人犯行説とでも言うべきものになるのでしょうか。偶々、韓国人で一致していますが、内容そのものは異なっている。では、全く異なるののかというと、そうでもなくて、一橋氏にしても基本的に一家を殲滅してしまう残虐を残虐とも感じない事件の構図が似ている福岡一家四人殺人事件に触れ、且つ又、インターネット闇サイトで犯罪者を募ったりする新型犯罪にも触れている。

 齊藤寅氏、一橋文哉氏ともに日本側から韓国警察に対して、指紋照合などを依頼した経緯について触れられおり、そこで該当する指紋は無かったという何か釈然としない日本側の警察発表、その公式見解によって、外国人犯行説のようなものが暗に否定されたり、さほどの見識もないまま下らない陰謀論として見下されてしまっているような…。で、これら凡その輪郭については、別冊宝島編集部編『9大未解決事件の真犯人!』(宝島SUGOI文庫)や、『別冊ナックルズvol.7 ニッポンタブー事件簿』(ミリオン出版)とも矛盾していないんですよね。その『ニッポンタブー事件簿』の中の中村透氏が取材と文を担当した記事『解決不可能な「世田谷一家4人殺害事件」の闇』でも、終盤にその箇所が登場している。元公安幹部への取材で、未解決事件になるのは三つの要素が絡んでいるという話を聞き出しており、それは外交、政治家、宗教だという。ナックルズらしい陰謀論にもなってしまいますが、解決が不可能になっている要因は、そういう事情の部分にあるのではないかとしている。
 以下は「世田谷区一家殺害 犯人特定か」からの引用です。

 東京都世田谷区の一家4人が00年12月30日に殺害された事件で、18日発売の月刊誌「新潮45」(新潮社)が、ソウル在住の韓国人男性(33)の指紋と事件現場に残された実行犯の指紋が合致したとの記事を掲載する。犯人の指紋という決定的証拠がありながら事件の捜査は難航。2年以上が経過し、事件の風化が指摘される中、報道をもとに捜査が急展開する可能性もある。男性は、同誌が事件に関与しているとみて追い続けてきた人物。韓国内で入手されたこの男性の指紋と、世田谷の指紋とを警察の鑑識OBに照合してもらった結果、「同一の可能性が高いと言って差し支えない」と判断されたという。男性は、事件の10日前に来日し、事件翌日に台湾に出国している。同誌によると、実行犯が現場に残したヒップバッグから検出された特殊な化学物質が使用されていた工場で働いていた経験があるなど、実行犯と数々の共通点がある。01年11月に韓国国内で同誌のインタビューを受けた後、男性は姿を消したという。02年秋に台北市内で地元経済人や宗教関係者、政治家と会っていたとの目撃情報があるが、行方は分かっていない。

 (以下、管理人が2014/12/13追加した)

★阿修羅♪ 世田谷一家殺害事件 google検索

世田谷一家惨殺事件の恐るべき「真実」 一橋文哉(ジャーナリスト)
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1206.html
参考:一橋文哉この人は大本営の意図を取材の形で記事にする人

ヤフー掲示板に「世田谷一家殺人事件の犯人か?」の投稿が定期的にUP。
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/493.html

「世田谷一家殺人事件」と「切り裂きジャック」の類似性
http://www.asyura2.com/sora/bd15/msg/170.html

世田谷一家殺害事件の真相(おそらくこれが正解)
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/547.html
投稿者 チベットよわー 日時 2010 年 7 月 26 日

世田谷一家殺害事件の噂
http://www.asyura2.com/0601/nihon19/msg/657.html
投稿者 へなちょこ 日時 2006 年 5 月 25 日

ついに割り出された実行犯は「31歳の韓国人」だった!
http://www.asyura.com/2003/nihon3/msg/177.html
投稿者 愛 日時 2002 年 12 月 27 日 16:49:26:

黒道が遣わした、プロの殺し屋
投稿者 行政調査新聞社 日時 2001 年 4 月 21 日
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/57.html

海老蔵事件関東連合と世田谷一家殺人を結ぶ点と線
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/210.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2010 年 12 月 26 日
綾瀬コンクリート事件と世田谷一家殺人事件について
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/290.html
投稿者 大田市子 日時 2014 年 7 月 05 日

行政調査新聞の記事
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1184.html
投稿者 オリハル 日時 2003 年 12 月 24 日

「サイエントロジー」と世田谷一家殺害事件(カマヤンの虚業日記)
http://www.asyura2.com/0601/cult3/msg/643.html
投稿者 片瀬テルミドール夏希 日時 2007 年 1 月 15 日

世田谷一家惨殺続報!
http://www.asyura2.com/sora/bd12/msg/616.html
投稿者 爆裂5号 日時 2001 年 2 月 26 日 04:08:37:

世田谷の一家四人殺害事件は、英国の経営コンサルタント企業を装った諜報組織が関与の可能性あり。
http://www.asyura2.com/0411/nihon15/msg/801.html
投稿者 傍らで観る者 日時 2004 年 12 月 25 日

世田谷一家殺害事件で担当警部補が報告書を虚偽作成 朝日新聞他
http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/836.html
投稿者 外野 日時 2006 年 5 月 13 日  


 HOME > 掲示板 > 日本の事件15 」の傍らで観る者氏の2004 年 12 月 25 日付投稿「世田谷の一家四人殺害事件は、英国の経営コンサルタント企業を装った諜報組織が関与の可能性あり」。 
 世田谷の一家四人殺害事件から4年になり、新たに、近隣住民による情報提供の呼びかけも行われている。この事件は、残忍な殺害方法、閑静な住宅地の一見幸せそうな家族への攻撃として、事件当時、多くの関心を呼んだが、遺留品の多さにも拘わらず、犯人像の絞込みすら未だにできていないように伝えられている。

 ▼ 『新潮45』2002年2&3月号(238号&239号)の「一橋文也」のレポートから抜粋:

 被害者の宮澤みきおさんは、1987年に米国大手コンサルタント企業の日本支社に入り、シニアコンサルタントの肩書でCIブロジェクトを手掛けていた。1997年3月に同社を退職し、同年7月に同業他社に転職。一年後には、英国の大手経営コンサルタント企業の日本支社に移籍し、CI部門のリーダーに就任。みきおさんの妻・泰子さんの父親は在日の不動産ブローカーで、1983年9月に亡くなっている。みきおさんと泰子さんは、1986年12月、自己啓発セミナーで知り合って結婚。1988年に資生堂を退職した泰子さんは、翌年から目蒲線の奥沢駅前で姉と共に学習塾を開設。

 惨劇の現場となった上祖師谷の自宅は、1990年5月、宮澤さん夫婦が泰子さんの母親や姉夫婦と共同で約一億五千万で購入した中古住宅で、購入後、約二千七百万かけて、平屋から三階建てに増改築し、1990年12月から1階で泰子さんが学習塾を開いていた。

 宮澤さん宅と隣接する都立祖師谷公園の拡張整備計画が1991年から本格化したため、周囲にあった約二十軒の住宅は次々と移転した。都東部公園緑地事務所によれば、宮澤さんとは2000年3月時点で立ち退き交渉がまとまり、都は既に土地売却料と物件移転補償費の一部を支払っており、登記簿上も同月付で所有権を移転、2001年3月には、宮澤さん一家は都が用意した代替地に転居する予定だった。
 ところが、宮澤さん一家が転居する予定地は事件発生時点で、都との売買契約が成立しておらず、所有権移転も建築確認申請も行われていない。
壁一つ隔てた隣家には、初め、康子さんの姉一家と康子さんの母の4人が住んでいた。康子さんの姉は、在日の夫の事業のため、一家で1992年から英国に移住していた。姉一家のうち、妻子は長男の中学入学のため2000年4月に帰国、単身赴任中の夫も事件直前の12月24日には帰国して、事件当夜は家族4人の全員が隣家にいた。

 一方、韓国の宗教団体(統一とは別)関係者が、韓国内でスカウトした青年をネバダ州(遺留品の「特殊な砂」の由来とされる)の武闘訓練施設で養成して実行犯に仕立て、宣教教会(日本福音キリスト教会連合の一員)系の在日の牧師(世田谷区在住)らが関与して、事件を実行した可能性がある。

 実行犯と目される男は、ソウルで一度はインタビューに成功したものの、二度目は、インタビューを目前にして、数人の男に囲まれるようにして大型のワゴン車に乗り、消息を絶った。


 また、現場と杉並の劇場周辺から採取された指紋が一致し、指紋照合について、警視庁の要求を韓国側が拒否したとの情報もある。

 さて、犯行動機は何だろうか?


 ▼ 『行政調査新聞』2001年2月&2002年3月号から抜粋:

 この事件の1ヶ月前にあった、日本在住20年の朝鮮総連元幹部の逮捕に、宮沢みきおさんが関与し、これに対する見せしめの一家惨殺であったとの見解を持っている。

 状況証拠に頼ると、夫婦が知り合った能力開発セミナーは半島系のもので、宮沢みきおさんは北朝鮮系のスパイ活動を行っていた可能性がある。

 日本全域に隠れ棲む北朝鮮工作員に対する司令塔的存在だったこの幹部は、国際キリストセンター事務総長として、バプティスト教会系のボランティア組織を通じて活動していた。彼の逮捕により、20年の歳月をかけて構築した半島と日本に広がる指令網を破壊された北朝鮮の情報工作活動は、根本から再構築の必要が生じた。

 半島系の牧師らが、キリスト教関連の団体を隠れ蓑に、スパイとして活躍し、裏では相互の利害対立から暗闘を繰り広げている。


 ▼ 推測の追加:

 事件の起きた2000年に宮澤みきおさんは、2002年の日韓ワールドカップに向けて、ワールドカップのマスコットをCI事業の一環として受注、作成したという。それと平行してみきおさんには、直近での転職話が持ち上がっていたという。

 ここからが、新たな推測になる。

 コンサルタント企業が売買するものは情報であり、それは諜報活動に連動している。英米のコンサルタント企業の中には、キリスト教関連の団体同様、諜報活動を本来の目的としているものがあると言われている。ちょうど、渋谷の地下道のアクセサリー売りのユダヤ人が、実は諜報活動を行っている場合があるように。

 事件当時、日韓ワールドカップ用のマスコット作りを隠れ蓑に、宮澤みきおさんもやはり諜報活動をメインに日韓で活動し、その活動で得た情報を土産に、高額の報酬目当ての転職話を進めていた可能性がある。宮澤みきおさんは、立ち退き後の新しい土地と家の取得に絡んで、まとまった金が必要になり、転職の誘いに乗ったのではないだろうか? この転職話が、当時在籍していた英国企業、および、そこに関連した半島系団体の不利益となり、見せしめ殺人が起きたのではないだろうか?英国は世界有数の諜報活動のメッカであり、英国企業が絡んだ犯罪を突付くことは、『ルーシー・ブラックマン事件』の推移をみれば分かるように、日本の警察には難しいかも知れない。


 以上、近隣住民の一人として被害者の冥福を祈るとともに、類似事件の再発を防ぐため、および、真相究明がなされずにパニックに陥りがちな近隣住民のため、少しでも資する所あればと願っております。

関連記事(管理人が2014/12/31追加した)

世田谷一家惨殺事件の恐るべき「真実」 一橋文哉(ジャーナリスト)
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1206.html

世田谷一家殺害事件の真相(おそらくこれが正解)
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/547.html

http://www.asyura.com/2003/nihon3/msg/177.html
ついに割り出された実行犯は「31歳の韓国人」だった!
投稿者 愛 日時 2002 年 12 月 27 日 16:49:26:

世田谷一家4人惨殺事件の真相
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/56.html
投稿者 行政調査新聞社 日時 2001 年 4 月 21 日 03:39:58

綾瀬コンクリート事件と世田谷一家殺人事件について
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/290.html
投稿者 大田市子 日時 2014 年 7 月 05 日

黒道が遣わした、プロの殺し屋
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/57.html

海老蔵事件関東連合と世田谷一家殺人を結ぶ点と線
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/210.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2010 年 12 月 26 日

世田谷一家殺害事件で担当警部補が報告書を虚偽作成 朝日新聞他
http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/836.html
投稿者 外野 日時 2006 年 5 月 13 日

行政調査新聞の記事
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1184.html
投稿者 オリハル 日時 2003 年 12 月 24 日

世田谷一家殺人事件を苫米地英人がプロファイリング【実話ナックルズ2月号】
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/115.html
投稿者 釜井@オリジナル 日時 2004 年 1 月 07 日

世田谷一家殺害・杉並親子殺しに“奇妙な共通点” [ゲンダイ]
http://www.asyura2.com/07/nihon22/msg/236.html
投稿者 white 日時 2007 年 2 月 11 日


 「阿修羅HOME > 掲示板 > 日本の事件10」の「珍米小泉 日時 2003 年 12 月 26 日
世田谷一家惨殺事件の恐るべき「真実」 一橋文哉(ジャーナリスト)」。

(回答先: 殺害後10時間に及ぶ異常行動の跡 世田谷事件から3年(朝日新聞)---
-遺伝子配列はわかってるそうだが
 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 12 月 26 日)

新潮45:2002年3月号(239号)

世田谷一家惨殺事件の恐るべき「真実」
一橋文哉(ジャーナリスト)
本紙取材班

第3回 "黒幕"から漏れた奇怪な「動機」
宮澤さん一家の周辺に見え隠れし、事件の鍵を握ると見られる人物に取材班は直撃した
……。いよいよ事件の核心に迫る!

▲【第五章 対決】

 二〇〇二年一月中旬のある日の夕方、東京都杉並区の住宅街の一角に建つ瀟洒なマ
ンションの前で、我々取材班は一人の男が現れるのを待っていた。
待ち人は、世田谷一家
惨殺事件に関わりがあるのではないか、と見られている「カネダのおっちゃん」こと、金田秀
道(四十六歳)である。
世田谷一家惨殺事件は二〇〇〇年十二月三十日夜、世田谷区上
祖師谷三丁目の会社員、宮澤みきおさん(四十四歳)宅で、みきおさんと妻の泰子さん(四
十一歳)、長女で小学二年のにいなちゃん(八歳)、長男で保育園児の礼君(六歳)が殺害さ
れた事件だ。
現場には犯人の指紋や凶器など大量の物証が残され、犯人自身も右手を負
傷しており、早期解決が期待された。
しかし、残忍な殺害方法や乱雑な物色痕、犯行後に
パソコンを操作して十一時間近くも現場に留まっていたことなど、犯人の"不可解な行動"が
解明できず、事件は発生から一年二か月近く経った今も、犯人逮捕に至っていない。
そんな
奇怪な事件に、金田がどう関わっているというのか……。
張り込みを始めてから約二時間
経った午後七時過ぎ。一台の紺色セダンがマンションの前に横付けされた。
後部座席から
降りてきたのは、身長約一七〇センチで細身、白髪混じりの中年男性だった。男はメタルフ
レームの眼鏡をかけ、グレーの背広上下と黒っぽいコートを着ていた。
「金田秀道さんです
ね」。
中年男性に向かって、そう問いかけたところ、意外にもあっさりと、「金田ですが……」
 と認めた。こちらから名乗って、「少し、お話を伺いたいのですが」と切り出すと、金田は苦
笑いを浮かべながら、こう言った。
「とうとう来ましたか。世田谷の件で、いつかは私の前に
現れると思っていました。どうぞ、何なりとお尋ね下さい」。
金田はそのままマンションの中に
入るのかと思いきや、車を帰した後、我々を歩いて十分余離れたJR荻窪駅の駅ビル内にあ
る飲食店へと導いた。
その駅ビルは、隣接する西友系のショッピングセンターとともに、犯人
が現場に残した柳刃包丁やトレーナー、ヒップバッグなどを販売した可能性のある店舗が入
っており、捜査本部が犯人の生活圏内ではないかと重視している場所だ。
金田は席に着くや
否や、取材趣旨を明らかにしようとする私を制し、こう言い放つだ。
「確かに、宮澤さん一家を
存じ上げてはおりますが、顔見知りといった程度で、詳しいことは何も……。もちろん、私は
事件とは全く関係ありませんよ」
金田は、自分の周辺が次々と取材を受け、やがて追及の
手が自分に伸びてくることを知っていた。
それゆえ、質問攻めに遭う覚悟を決めて、取材に対
する準備を十分に整えていたのであろう。その表情はいかにも、自信満々といった感じを受
けた。
こうした取材は、相手に余裕を持たれては、まず成果は見込めない。そこで、最初から
思い切って、揺さぶりをかけてみた。
「いきなりで恐縮ですが、金田さんは韓国・京畿道出身
の金さんですよね」
金田は一瞬、たじろいだ様子を見せたが、やがて気を取り直すように、
こう答えた。
「そう、私の本当の名は金秀道です」

▲七つの共通点を持つ男

 この金田とのやり取りを記す前に、彼と事件との関わりを述べておこう。それにはまず、金
田が長い問、生活の面倒を見てきたというソウル在住の韓国人男性、李仁恩(三十二歳)に
ついて触れなければなるまい。
李については本誌一、二月号で詳述したので、ここでは簡単
に説明する。
一言で表現すれば、宮澤さん一家を惨殺した犯人と「数多くの共通点を持った
人物」ということになるだろう。
主な共通点とは、次の七点である。

①犯人が履いていた二七・五、二八センチのテニスシューズ「スラセンジャー」が韓国限定
販売品だったのをはじめ、ヒップバッグや帽子など犯人の遺留品には韓国製品が多い。李
はソウル在住で、自分の活動圏内にあるスーパーなどで、これらの製品を簡単に入手でき
る。

②現場に残されたジャンパーのポケットから、李の実家がある韓国・京畿道の水原市周辺
のものに酷似した土砂粒が検出された。

⑧宮澤さん宅で発見された止血帯のラテックスゴムの破片、「ブレイデッド・タスラン・ブーツ」
の皮革片、さらに鑑定の結果、犯人が玄関ドアの開錠に活用したと見られるスイス製アーミ
ーナイフは軍隊の装備品と判明。韓国陸軍に入隊経験のある李が所持、使用していた可能
性が高い。

④宮澤さん宅から微粉末が検出された「ベンゼドリン」の錠剤は、服用後に意識が高揚し、
興奮・錯乱状態になる"麻薬"のような薬。犯人が服用後に凶行に及んだと見られるが、李は
こうした薬物の常習者だった疑いが出ている。

⑤ヒップバッグ内に付着していた特殊フィルム片とチタン酸バリウムの微粉末が、両方とも
使用されている印刷加工職場で、李は事件前に働いていたことがある。

⑥李は犯人の遺留品と同じようなトレーナーを着ていたという証言があるうえ、悪友たちに
自分を「キッド」(海賊「キャプテン・キッド」の意味)と呼ばせ、犯人がハンカチに振りかけてい
た香水「ドラッカー・ノワール」(黒い海賊船の意味)を愛用していたとの情報がある。

⑦李が事件前の十二月上旬に観劇に訪れた杉並区内の演劇スタジオ周辺から、犯人の
指紋が検出された。

 だが、李のような韓国の不良グループのリーダーが、日本の平凡なサラリーマン家庭であ
る宮澤家と関係があったとは考えにくい。
また、今のところ、李と宮澤家の間に直接的な繋
がりは浮かんでいない。
そこでクローズアップされるのが、宮澤さん一家と何らかの接点を
持つ主犯の存在である。
宮澤夫妻に恨みを抱くなど、何らかの動機を持つ者が直接、手を
下したのではなく、例えば李のような第三者に殺害を依頼し、実行させた、というわけだ。

の場合、実行犯は前述した遺留品などから、軍隊経験のあるプロの殺し屋ではないか、と
の見方が浮上している。
ただ、プロの殺し屋と言うと、どうしても「ゴルゴ13」のように"冷静沈
着で凄腕"というイメージを抱きがちだが、この事件の場合は、麻薬や興奮剤を体内に吸収
して、残虐な殺戮を行う"殺人兵士"と考えた方がいいだろう。

▲米国で殺し屋を養成?

「あなたは、李さんをとても可愛がっていたようですが……」。「李君はかわいそうな人問でね
。私が彼と知り合った時は、心身ともに相当傷ついた状態でした。動作は鈍いし、言っている
ことは分からない。でも、目だけはギラついていたことを覚えています」。
「季さんは生まれつ
き頭が少し弱い、と聞いています。彼の話では『そのことで小さい頃から周りの人間に馬鹿
にされ、苛められてきたので、友達や先生はもとより、親でさえ信用できない。でも、カネダの
おっちゃんだけは違う』ということでした。李さんとは、強い信頼関係を築いておられるのです
ね」。
「いや。私はただ、寝る場所と温かい食事、そして、李君が少しでも心と身体の健康を
取り戻すのに役に立でば、と武道を習わせただけです。彼はもともと純情な子で、自分の気
持ちがストレートに出てしまうところがあります。それで心配していたんですが、自分の力で
どんどん元気になりました。私は彼を見守っていただけです」。
「武道というのは空手でしょう
か」。
「いや、最初は護身術のようなものを習っていましたが、最終的にはテコンドーを習得
していたみたいです」
「李さん自身は『韓国やアメリカの学校みたいな施設で、もっと高度な
格闘技を習った』ような話をしていましたが」。
「それは知りません。何しろ、鍛練の中身につ
いては、本人の希望と各スクールの教官に任せてありましたから」。
「拳銃やライフルの実弾
射撃訓練などもしていたようですね」。
「さあ、どうですかねえ。心と身体の健康回復という趣
旨から言えば、それはないんじゃないでしょうか」。
「ナイフやロープの使い方など、特殊部隊
の軍事訓練みたいなこともやっていたという話もありますが……」。
「それは、私の与り知らな
い話です。ただ、李君は軍隊経験がありますから、米国時代に自分でそういう訓練を志願し
たのかも知れません」。
「米国時代とは……」。「確か一年ほど、米国のテキサス州にある訓
練センターに修業に行っていたと思います」。
「それは、ネバダ州ではありませんか。李さん
の話では、あなたの紹介で、ネバダ州ラス・ベガス市周辺のあなたに関連がある施設に滞在
し、"物騒な訓練"を受けていたことがあるそうなんですが」。
「それは何かの間違い、いや、
李君が勘違いしたのでしょう」
「これは重要なことですよ。"物騒な訓練"はともかく、テキサス
州ではなく、ネバダ州ではないんですか」。
「そう言われると、どうも自信がないんですが……」

 私がそれほどまでネバダ州にこだわる理由は、本誌前号で書いた通り、犯人が身につけて
いたヒップバッグから黄色い砂粒が採取され、ネバダ州の砂漠の砂である可能性が高まって
いるからだ。李が同州に滞在したことがあるとすれば、とても"単なる偶然"と片づけるわけに
はいかないだろう。
「質問を変えましょう。李さんが入ったのは傭兵学校ですか」「さあ、詳し
くは聞いていませんが、李君は韓国陸軍時代に嫌な思いをしたとかで、戦闘行為は嫌いでし
たから、そういう施設ではないと思いますが……」。
「それは、先程の『軍隊経験があるから特
殊部隊の訓練を志願したのかも知れない』という考え方と矛盾しています。李さんは軍隊経
験を活かそうとしていたのか、それとも嫌悪していたのか。いったい、どっちなのですか」。
「さ
あ。それは本人に聴いて下さい」。
「多額の資金を提供している割りには、その使途や投資効
果に関しては、あまり興味がないようですね」。
「私の行為は投資ではなく、あくまで援助です
。それに、私は李君を信じていますし、彼自身が選んだ道ですから」。
「固い絆ってやつです
か。しかし、出身地の韓国はともかく、わざわざ米国まで格闘技の訓練に行かせるなんて、
単なる健康回復のためとは思えません。彼に何か別の期待を抱くというか、別の目的があっ
たのではありませんか」。
「別の目的とは?」。「例えば、殺し屋の養成とか……」。「ワッハッハ
。それはスパイ小説か何かの読み過ぎではありませんか」。
金田はそう言いながら、馬鹿げ
た話だと言わんばかりの顔つきを見せた。
「でも、李さんはあなたのことを『命の恩人』と崇め
、我々の取材に対しても、『おっちゃんのためなら、何でもする』と断言しました。あなたの指
示いかんでは、殺し屋にだって十分なれますよ」。
「李君が私を慕ってくれていることは知って
います。だからこそ、そんな"可愛い我が子"に危ないことをさせられると思いますか」。
「それ
なら、生活の面倒や仕事の斡旋だけではなく、大金を投じて米国まで格闘技訓練に派遣す
るなど、李さんに肩入れしている理由は何ですか」。
「別に李君だけを優遇しているわけでは
ありません。ほかにも将来有望な若者を何人も支援していますよ。本人たちが望むものなら
スポーツ、芸術などあらゆる分野に対しても援助を惜しみません」

▲「安」は消えた

 ところで、本誌一、二月号で述べてきたように、この事件には実行犯の背後に"黒幕"とも
言うべき主犯など、共犯者がいることは間違いない。
宮澤さん宅で採取された血痕をDNA鑑
定した結果、実行犯は一人の男であることが確認されており、共犯者は家の外で監視・サポ
ート役を務めていた可能性が高い。
実際、実行犯が侵入時にブーツを抱えていたとは思えな
いし、最初からラテックスゴムの止血帯を持参していたのであれば、絆創膏やタオルで止血
する必要はないから、いずれも後から差し入れられた、と考える方が説得力がある。
その場
合の差し入れ口は浴室にある縦五〇センチ、横一メートルの小窓だ。
実行犯はこの小窓を
開けて、公園にいた共犯者と連絡を取り合い、その指示を受けて書類の選別を行ったり、止
血帯などの補給を受けていた、との見方が強まっている。だからこそ、小窓の桟付近に両手
をついたと見られる指紋がくっきりと残っていたのだ。
もっとも、主犯が必ずしも、現場周辺を
訪れていたかどうかは定かではない。ほかにも、主犯と実行犯を繋ぐ仲介者や助手のような
役割を果たす人間がいた、とも考えられる。
現に、宮澤さん宅周辺で事件前に目撃されてい
る不審な人物に関する証言を総合してみると、人相や身体的特徴が李と酷似している若い
男、金田と似ている中年男のほかに、もっと年配の男、眼鏡をかけた若い男など、少なくとも
あと二人はいたことが分かっており、宮澤さん宅や宮澤夫妻の行動を交代で監視していたよ
うである。
また、宮澤さん宅と高さ一・八メートルの金網フェンスを隔てた北側にある祖師谷公
園内には、実行犯のものとは違う足跡が多数残っていた。
こうした面々は、金田が言う「支援
してきた将来有望な若者たち」ではないのか。
実は、我々が張り込んでいたマンションの五階
にある部屋は、金田の自宅ではない。李が来日時に時々泊まっていたという知人宅で、「安
藤」と名乗る男性が賃貸契約を結んでいたものであった。
同じマンションの住人らの証言によ
ると、「安藤」は自宅に訪ねてきた友人らから「安」と呼ばれていたといい、その「安」の人相
や身体的な特徴が何と、前述した"眼鏡をかけた若い男"とそっくりなのである。
この"眼鏡を
かけた若い男"は事件当日の正午前、小田急線の成城学園前駅近くの洋菓子店を訪れた
みきおさんを監視していたほか、夕方に京王線千歳烏山駅近くの写真店などで買い物をし
た淡いワイン色のコート姿の泰子さんをじっと見ていたとの目撃証言もあり、見張り役として
重要な役割を果たしていた、と見られている。
それだけに、金田は「安」を我々に会わせたく
ないと考え、荻窪駅前に導いたのではないか、と後になって気づいた。
張り込み開始前に、
「安」の部屋を訪ねると、室内に人がいる気配があるのに不在を装って、誰も応対しなかった
しかし、その部屋に電話をかけると、「安藤」と名乗る男が出たのだ。そこに金田が現れた
のだから、その夜マンションで金田と待ち合わせる予定だったのかも知れない。
因みに、その
部屋は我々が訪ねた一週間ほど後に突然、賃貸契約が解除され、数人の若い男たちが荷
物だけを運び出して行ったという。
また、その後の取材で、「安」が約二年前から埼玉県内に
も、「安田」名義でマンションを借りていることが分かったが、そこにも立ち寄った形跡はなく、
「安」は現在、行方不明となっている。
「金田さんがそんなに多くの若者たちを援助している
理由は、何ですか」
「特に、理由も目的もありません。幸い仕事が順調で、資金的にも時問
的にもゆとりがありましたので、未来を背負って立つ若者たちを応援しようと考えただけです」
「普通、そう考える人はいても、なかなか実行できるものではありません。何か強い信念と
か人生哲学、あるいは信仰といったものをお持ちなんですか」
「信仰心や人生哲学は、自
分なりに持っているつもりです。でも、(若者の支援は)そういうこととは違って、あくまで社会
奉仕というか、ボランティア精神でやっています」
「それにしては、若者たちのあなたへの信
頼度が非常に高いような気がします。李さんなどは、あなたにすっかり心酔している、との印
象を受けましたが」
「……」。

▲金田は宗教団体の幹部だった

 何を尋ねても冷静さを失わず、にこやかに応対する金田に対して、何とか突破口を開くた
め、私はここで、敢えて強い口調で質問する方法に切り換えた。
「金田さん。あなたはいった
い、何者なんだ」
「何者って……。ごく普通の人問です。あなた方こそ、何が言いたいのです
か。私が彼らを洗脳しているとでも-…」。
「そうだ。あなたが今、自ら口にしたような行為があ
ったのではないか」。
「そんなこと、するわけないでしょう」。「それならなぜ、洗脳などという普
通はあまり使わない言葉を口にしたのか」。
「あなた方が雑誌にそう書いていたからですよ」
「雑誌をお読みなら、金田さんもよくご存じだと思いますが、李さんも取材に対し、『あなた
から神の教えを受けた』と答えている」。
「それは彼と人間の生き方や未来などについて語り
合った時に、キリスト教や仏教の訓話を引き合いに出したことを指しているのでしょう。別に
彼らを洗脳したり、強制したわけではありません」。
「でも、あなたは新興宗教団体(団体名は
会話では実名、以下同じ)に属しているじゃありませんか」。
「……」。「隠さなければならない
事情があるのなら、無理に認めろとは言いませんが、あなたはその団体のメンバーどころか
、堂々たる幹部じゃないですか」。
「そのことは事実として認めましょう。でも、それと李君らの
こととは関係ありませんよ」。
「何に対して、どう関係ないと言われるのか」。「それは……。う
まく言えません。変に誤解されると困るので、ノーコメントにしておきます」。
「冗談じゃない。
大事なところですよ。どんな誤解をすると言うのですか」
「……」。「若者たちも団体のメンバ
ーですね」。
「必ずしも、そうとは限りません」。「李さんはどうですか」。「彼は信者ではありま
せん」。
「おかしいですね。自分で正しいと信じている教えを、あなたが大切に思っている"迷
える若者たち"には話さなかったのですか」。
「そりゃ話はしましたが、無理強いはしません。
何と言いましても、信仰は個人の自由ですから」。
「でも、李さんたちはあなたに心酔していま
す。普通なら、崇拝する人に勧められれば、喜んで同じ仲間に入りますけどねえ」。
「今の若
者は、そうとぱかりは言えないのではないですか」。
「逆です。今の若者は自分を力強く引っ
張ってくれる存在を求めている。その人の宗教や哲学に強いシンパシィーを感じなければ、
少々援助を受けたぐらいでは心酔どころか信頼さえしませんよ」。
「そう言われましても……。
ところで、私の信仰や人生哲学について熱心にお尋ねですが、それが世田谷の事件に、何
か関係でもあるのでしょうか」
「いや、直接的に関係があるかどうかは分かりません」。「と
言うと、少しは関係がある……」。
「まあ、それについては追々お尋ねしますが、その前に念
のため、失礼を顧みずに幾つか、あなたの属する団体について質問させていただきます」。
「何でしょうか」。「宮澤さん夫妻と、あなたが属する団体とは全く関係ありませんか。別に信
者と言うんじゃなくて、例えばイベントや集まりに参加したことがあるとか……」。
「すべてを把
握しているわけではありませんが、私の知る限りでは関係ないと思います。なぜ、そんなこと
をお聞きになるのですか」。
「宮澤さん夫妻は、ある自己啓発セミナーで知り合い、八六年十
二月に結婚したんですが……」。
「そのことは詳しく存じませんが、ウチとは関係ないと聞い
ています」。
「ところが、そういうセミナーやイベントに参加した人々は、一度は離れても、また
似たようなものに参加するようになると聞いたことがある。それに、宗教団体に限らず、主催
者側はそうした人々を嗅ぎ分ける能力を持っていて、同じ人物がいろいろな団体から勧誘さ
れるケースが結構あるようです。神様の思し召しだったり、先祖の因縁だったり、勧誘の言葉
はさまざまなようですが……」
「……」。「宮澤さん夫妻も、ある宗教団体の信者から連日、
しつこく勧誘され、困っていたとの話を聞いていますが……」
「それはウチではありません。
第一、どんな団体にせよ、勧誘を拒まれるたびに殺していたんでは、世の中、あちこちで大
量殺人が起きてしまいますよ」。
「そりゃ、そうだ。でも、それはただ勧誘を断ったというだけの
場合でしょう」。
「泰子さんから相談を受け」、「金田が宮澤さん一家の周辺に顔を覗かせた
のは、泰子さんが参加していた"ある福祉活動"の場であった。
泰子さんと親しい友人によれ
ば、長男の礼君は言葉の発達が遅く、泰子さんに連れられて、近くの児童精神科病院にカ
ウンセリングに通っていたという。
「宮澤さん夫妻は当初、そのことを周囲に隠していましたが
、やがて泰子さんは礼君を連れて、言語治療などに関する活動に参加するようになりました。
医師や各種相談員らに積極的に相談を持ちかけたり、同じような子供を持つ親やボランティ
アのメンバーとも交流を持ち始めたそうです」(前出の泰子さんの親友)
そうした活動の一つ
に、ボランティアとして参加していたのが金田であった。
「あなたは宗教団体の幹部として、そ
うした活動を行っていたのか」。
「違います。私は個人として各種ボランティア活動に参加して
います。宮澤さんと知り合ったのも、そんな個人的な活動の一つです」。
「ボランティア活動も
いろいろな分野があるが、あなたはなぜ、言語治療や障害者福祉の活動に加わったのか」。
「先程言ったように、将来を担って立つ若者たちを応援しようと活動していましたら、心身の障
害や傷に苦しむ若者が大勢いることを知りました。そこで、何か私でもお役に立てることはな
いかと考えまして……」。

 金田へのインタビューはいよいよ、佳境に入って行くが、それまでにかなり時間が経ってい
たため、場所を新宿区内のホテルに移して続けることになった。
最初は「多忙」や「既に時刻
が遅い」などの理由で渋っていた金田だったが、
「今、ここで自分にかけられた疑惑を自ら晴
らさなければ、お互いに悔いが残るのではないか」との説得が功を奏し、夜十二時を回らな
いという条件付きで承諾したのだ。
何しろ、金田は常に冷静で、こちらの質問をのらりくらりと
かわして来る。残り時間が少ないだけに、私は単刀直入に聴かざるを得なくなった。
「活動の
場などで、泰子さんとは何か、話をしましたか」。
「宮澤さんには『頑張って下さい』と声をかけ
たり、雑談ぐらいはしたかも知れませんが、それ以上はありません。ああいう場ではボランテ
ィアは結構、忙しいものですから」。
「福祉活動の会場で泰子さんと親しそうに話し込んでい
た、との目撃証言がありますが」。
「それはたまたま、宮澤さんから声をかけられ、礼君につ
いて相談を持ちかけられた時ではないでしょうか。そんな長い
間じゃなかった、と思いますけ
ど」。
「そうした活動の前から、宮澤さん一家をご存じだったのではありませんか」。「いえ。そ
の時が初めてです」。
「それなら、その後、活動の場以外で宮澤さんと個別に会ったことは?」。
「活動を通じてなら何回かお会いしたように思いますが、それ以外は……」「ない、と言い切
れますか」。
「……また誰か目撃していましたか」。「気になりますか」。「いえ、そういうわけで
は。ただ、細かい記憶がハッキリしないもので」。

 
この事件の特徴は一家全員が亡くなっているため、被害者の普段の生活ぶりなど捜査に
不可欠な情報が得られないことにある。そうした情報不足が、犯人像や犯行目的を絞りにく
くさせ、捜査が難航する要因となっているのは間違いない。
そうした中で、捜査本部が注目
している事実がある。
みきおさんの帰宅時刻が、事件の約四か月前の二〇〇〇年夏頃か
ら時々、遅くなっていたことである。特に事件の一か月前からは頻繁に、午後十時過ぎから
十二時近くに帰宅していた。
普通のサラリーマンなら別段、気になる帰宅時刻ではないのだ
が、捜査員がみきおさんの勤務先に聞き込み捜査をしたところ、元同僚たちは「宮澤さんは
よほどのことがない限り、残業はしないし、仲間との飲み会にも参加せず、午後五時半から
六時頃には退社していた」と、口を揃えて証言したのである。
事件当時、みきおさんの勤務
先は千代田区にあったから、世円谷区内の自宅までは一時間もかからない。そうなると、み
きおさんは"アフター5"の三~五時間、何をしていたのか、ということになる。

▲深夜帰宅が続いた真の理由

 捜査本部が、みきおさんが遅く帰宅した日の退社後の足取りを調べたところ、その大半は
解明できた。
みきおさんが水面下で、別の会社から引き抜きの誘いを受けており、近々移籍
する話が進んでいたことは、前号で述べた。みきおさんの帰宅時刻の遅れは、そのヘッドハ
ンターと接触したり、引き抜き先の外資系の経営コンサルタント会社の説明会や会議に度々
出席していたからであった。
また、みきおさんが時々、勤務先には内緒でデザイン作成など
のアルバイトをしていたことも分かった。
ところが、どうしても行く先が解明できないものが
十日分ほど残された。少なくとも、そのうちの三日は、誰かと都内の飲食店で会い、長時問
にわたって話し合いをしていた形跡があった。
それらの日に限って、帰宅は深夜に及び、
必ず自宅で夕食を取るという宮澤家の長年の習慣が破られたという。
前号で、二つの"注目
すべき事実"を提起した。
第一点は、捜査本部が泰子さんの携帯電話の通話記録を調べた
ところ、受信記録の中に、掛けてきた人物がすぐに特定できない"使い捨ての携帯電話"から
のものが十数本もあったことである。
泰子さんは事件前、親族に「変なイタズラ電話があって
、困っている」と漏らしており、宮澤さん一家が何らかのトラブルに巻き込まれていた可能性
を示している。
第二点は、殺人現場となった宮澤さん宅は都立祖師谷公園の拡張整備計画
のため移転が決まっており、一家は既に土地売却料と物件移転補償費の一部を受け取り、
二〇〇一年三月には、都が用意した代替地に転居する予定だった。
ところが、一家の転居
予定地は事件発生時点で、都との売買契約が成立しておらず、所有権移転も建築確認申請
も行われでいなかったのである。
宮澤さん夫妻は二〇〇〇年春頃から何度も予定地を下見
し、泰子さんは近所の住民に「引っ越し先は、にいなの小学校のすぐそぱなの。通学も楽だ
し、学習塾の立地条件としても申し分ないわ」と、いかにも楽しみな様子で話していたという。
さらに、転居まで時間的な猶予もないことから、ほかの物件を検討していたとは考えにくい。
 そうなると、宮澤さん夫妻に代替地を買う資金がなくなっていた、という可能性も出てくるわ
けだ。
さらに、これも前号で明らかにした事実であるが、事件の約四か月前から、都内などの
複数の信用調査事務所に、泰子さんの母親の旧姓と同じ「アオキ」の名で、宮澤家の住所
や家族構成などの調査依頼があったことが分かっている。
殺人犯が殺害相手の住所を信用
調査事務所で調べるとは思えないが、事件との関連が気になるところである。
これらのこと
から、みきおさんと正体不明の人物との"深夜の密会"は、トラブル絡みのものだった可能性
が高い。

「金田さん。あなたが事件前、都内の飲食店で宮澤みきおさんと会っていた、という話がある
んですが」
「えっ」。我々が突然、この情報をぶつけると、金田は思わず絶句した。「それも
一回じゃない。いったい、宮澤さんと何があったんですか」。
「何が……って、何もありません
よ」。
「それならなぜ、長時問も話し込んでいたんですか」。この時点で、我々は都内の飲食
店でみきおさんと会っていた人物を金田と特定できていたわけではなかった。だが、断定口
調の質問に動揺した金田は、まんまと引っかかった。
「いや、礼君のことで宮澤さんから相談
を受けまして、アドバイスというか、いろいろな話をさせていただいたことがあります」。
「あな
たは『個別に会ったことはない』と言ったが、嘘だったんですね」
「……」。「本当のことを話し
て下さい」。
「いや、記憶が曖昧でしたし、『奥さん(泰子さん)と会ったか』と聞かれたと思った
ものですから」。
「あなたのような立派な方が、そんないい加減なことを言ってはいけません」
「別に隠していたわけではありません。本当に忘れていただけなんです」。

 ここで、私は前述した二つの"注目すべき事実"を説明し、金田との関連を質した。当然の
ように彼は、
「私とは全く関係ないことです」ときっぱりと否定した。「あなたの属する団体とは
、トラブルはありませんでしたか」
「そんな話は聞いていません」。「実は、李さんにソウル郊
外の自宅で話を聴いた翌朝、もう一度詳しく取材しようとアパートを訪ねたら、彼は大型のワ
ゴン車で引っ越しする寸前でした。声をかけようと近寄ると、数人の男たちが無言のまま立ち
塞がり、李さんを囲むようにして車に乗り込み、猛スピードで走り去ったんです。その車のナ
ンバーを調べたら、あなたが属する団体の関連組織が所有する車でしたよ」
「ほう、そんな
ことがありましたか」。
「あなたは『李君は宗教団体の信者ではない』と言われたが、あの様
子では信者仲間にしか見えませんが……」
「これはあくまで私の想像ですが、それが事実
だとしたら、信者である彼の友人たちが個人的に引っ越しの手伝いをしたのではないでしょう
か」。
「団体の若い信者たちは無口で、不気味な人が多いんですね」。「口下手な若者が多
いだけです」。
「それなら、先程のマンションはどうですか。李さんが来日した際に宿泊する杉
並区や渋谷区などの友人宅は、賃借人の名義こそ個人になっていますが、取材すると、あ
なたの属する団体の関連施設ではありませんか」。
私はそう言うと、李が語った友人宅の所
在地を示し、金田に迫った。
「関連施設のすべてを把握しているわけではありませんから、こ
の場でハッキリしたことは言えません。でも、彼が宿泊先に選んだ友人たちに、たまたま信者
が多かっただけではないですか」。
「そうして惚けるなら、宮澤さん一家が惨殺された当日、
李さんが滞在していた世田谷区の知人宅はどうか。本当の借り主はいったい、話なんですか
」。
「さあ、それも詳しいことは分かりません。先の件と併せて、後でよく調べてからお答えしま
しよう」。
「冗談は止めてほしい。あなたは、我々が取材に来ることを予見していた、と言われ
た。今、お聴きしたことは、既に雑誌に書いであることです。知らないでは通りませんよ」
「…
…」。
「世田谷区の李さんの知人宅には日頃、団体の信者らが頻繁に出入りしており、明ら
かに団体の関連施設です。その施設は、宮澤さん宅に近いというだけじゃない。犯人の逃走
経路と見られるルートの延長線上にあるんです。どう答えるつもりですか」。
「今は、調べて答
えるとしか……」。「そんな曖昧な答えでは、あなた自身の疑惑を晴らすことはできませんよ。
それでもいいんですか」。
思わず声を荒らげて回答を迫ったが、金田は視線を逸らしたまま、
一言も発しなくなった。そして、しばらくすると日付が変わり、インタビューは時間切れとなった

 金田が「調べてから答える」と約束したはずの回答は、ついに届かなかった。我々は姿を
消した李や安の行方を追うとともに、団体の内部事情を探った。
金田をよく知る元信者らの
証言によれば、彼は団体内でかなりの実績を上げ、上層部の評価は決して低くはなかった。
が、独断専行のきらいがあり、信者間の評判は芳しくなかったという。
また、事業拡大の失敗
に不況が重なって、ここ数年は団体上層部への上納金を確保するのに苦しんでいた、との
情報もあった。
これらの情報を総合すると、金田は現在、団体内部で微妙な立場にあり、
自分に関する悪い噂が表面化することに神経を尖らせていた様子が窺える。
それゆえ、
我々の取材に対し、金田は嫌々ながらも応じざるを得なかった、と思われる。

▲カネ目当ての犯行か

 ところで、この事件には七つの謎がある、と書いた。そのうち、本連載を通じて既に、実行
犯の侵入及び逃走経路、犯行に粗暴さと冷静さが共存する理由、ハンカチにだけ香水が振
りかけてあった事情という四つの謎を解明。韓国当局が指紋の照合を拒否した背景も薄々
ながら分かった。
しかし、①犯人は室内を激しく物色してまで、何を探していたのか②宮澤さ
ん一家の中でなぜ、礼君だけが刃物でメッタ刺しにされなかったのか……の二つの謎だけ
が解明できずに残されている。
ところが、これまでの取材結果を突き詰めていくと、次のよう
な驚樗すべきストーリーが浮かび上がってくる。
主犯はどうしても多額の資金を確保する必
要に迫られ、宮澤さん夫妻が都から手にする土地売却料や物件移転補償費など、一億数
千万円にも上る現金を狙って、一家に近づいた。
巧みに家族に取り入り、現金を騙し取ろう
として、一部は詐取したものの途中で失敗。逆に、夫妻に疑われ、脅迫や嫌がらせに転じた
が、うまく行かず、警察に告訴されそうになるなど、ピンチに立たされた。そのため、凶行を決
意した。
だが、主犯一人では実行は難しい。かと言って、ことが殺人だけに、迂闊に他人に
は頼めない。
そこで、固い絆で結ばれた少人数の人間を実行犯として選び、犯行に及んだ
のである。
小さな子供を含め一家を皆殺しにしたのは、主犯と顔見知りか、主犯のことが
家族で話題になっていて、犯行が発覚する恐れがあったためだ。
室内を執拗に物色したの
は、宮澤さんを騙そうとした偽造書類か、宮澤家に宛てた脅迫状、あるいは自分について
書かれたメモがないかと心配になって探したからである。
さらに実行犯が長時間にわたり、
宮澤さんのパソコンを操作したのも、宮澤さんが主犯のことを書き残したり、誰かにメール
送信していないかを調べるためだったと考えると辻棲が合う。
一方、礼君は殺害された時、
ベッドで眠っていた可能性が高い。仮に[目覚めていても、子供部屋から出た形跡はなく、
犯行を目撃したわけではない。
就学前の、まして言葉の発達が遅い子なら、証言能力も低
いから、犯人がわざわざ殺す必要などないはずだ。
なぜ、礼君は殺害され、そして、彼の殺
害方法だけが異なっていたのか。
実行犯は、一人だけ残される礼君を不憫に思い、殺害し
たのではないか。
実行犯が幼少の頃からコンプレックスを抱き、苛められた経験を持つ李の
ような人問なら、家族と離れて、たった一人で寝かされていた礼君の姿に、何らかのシンパ
シィーを感じ、不憫に思ったとしても不思議ではあるまい。

▲事件が密かに動き出した

長年、韓国の暗黒街に身を置き、私に李の存在を示唆してくれた知人から、最近、こんな
情報が届いた。
少なくとも、この三年間に台湾や米国などで発生した五件の殺人事件の
周辺に、李と思われる男の影が見え隠れしており、殺害方法や侵入手口などもよく似ている
、というのだ。
一方、日本の警察幹部からは「捜査本部が密かに、世田谷一家惨殺事件と
似た手口の未解決事件について調べている」との情報も出てきた。
そう言えば、警察当局は
最近、一部メディアに情報を流し、韓国人犯行説を必死に打ち消そうとしている。捜査関係
者の□も一斉に重くなっており、こういう時は得てして、捜査が密かに進展しているものだ。

これまで解決の糸口さえ見えなかった事件が何やら、動き出している気配が窺われる。さら
に、韓国で取材を続けているスタッフの一人から「李や金田の出身地である京畿道に、泰子
さんのことを知る人問がいた。さらに取材を進めるが、泰子さんと金田、もしかすると李さえも
、昔から知り合いだったのではないか」という衝撃的な報告も届いている。
事件の謎を解く鍵
は、韓国・京畿道にあるのかも知れない。
また、李が宮澤さん一家が殺害された翌日に出発
した台湾での足取りも、少しずつ判明してきた。
私も急遽、韓国や台湾に飛ぶことにした。
それらの取材報告は、しばらくお待ちいただきたい。

*文中一部仮名

(いちはしふみや)

http://www.aliceinwonderland.com/library/japanese_files/setagaya_murdercase
/shincho45_mar2002.txt

関連記事(管理人が2014/12/31追加した)

世田谷一家殺害事件の真相(おそらくこれが正解)
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/547.html

世田谷の一家四人殺害事件は、英国の経営コンサルタント企業を装った諜報組織が関与の可能性あり。
http://www.asyura2.com/0411/nihon15/msg/801.html

http://www.asyura.com/2003/nihon3/msg/177.html
ついに割り出された実行犯は「31歳の韓国人」だった!
投稿者 愛 日時 2002 年 12 月 27 日 16:49:26:

世田谷一家4人惨殺事件の真相
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/56.html
投稿者 行政調査新聞社 日時 2001 年 4 月 21 日 03:39:58

綾瀬コンクリート事件と世田谷一家殺人事件について
http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/290.html
投稿者 大田市子 日時 2014 年 7 月 05 日

黒道が遣わした、プロの殺し屋
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/57.html

海老蔵事件関東連合と世田谷一家殺人を結ぶ点と線
http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/210.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2010 年 12 月 26 日

世田谷一家殺害事件で担当警部補が報告書を虚偽作成 朝日新聞他
http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/836.html
投稿者 外野 日時 2006 年 5 月 13 日

行政調査新聞の記事
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1184.html
投稿者 オリハル 日時 2003 年 12 月 24 日

世田谷一家殺人事件を苫米地英人がプロファイリング【実話ナックルズ2月号】
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/115.html
投稿者 釜井@オリジナル 日時 2004 年 1 月 07 日

世田谷一家殺害・杉並親子殺しに“奇妙な共通点” [ゲンダイ]
http://www.asyura2.com/07/nihon22/msg/236.html
投稿者 white 日時 2007 年 2 月 11 日

コメント
 
 ちなみに、二階堂ドットコムには次のような投稿がある。

 ひょんなことからこのサイトに出会いました。5-6年前に起こった、世田谷一家殺人事件
覚えていますでしょ
うか。現在も捜査続行中などと報道されていますが、あれは現場の刑
事がポーズでやっているだけです。
警視庁上層部は既に犯人を知っています。あの殺人
は創価学会が絡んでいるため、自民党・公明党の大物
議員が警視庁に猛烈な圧力をか
けていたそうです。警視庁幹部と懇意にしているある社長の娘から聞いたの
で間違いない
と思います。知人に迷惑がかかるので私からはこれ以上の情報提供は出来ませんが、
もし興味
がありましたら調べてみてはいかがでしょうか。 
http://blog.goo.ne.jp/c-flows/e/73144e58375306c549d89e750cc5c018

4. 2015年12月30日 12:35:52 : B6EzFFg46s : q7MPwSLB1do[3]
ジェイク氏以外のソース全削除↓


【デジタル紙の爆弾】 後藤忠政元組長の移植手術のヤミを暴露した、ジェイク氏が今度は「後藤マネーの海外逃
避計画」を指摘
http://www.asyura2.com/09/senkyo62/msg/689.html
投稿者 passenger 日時 2009 年 5 月 08 日 01:23:13: eZ/Nw96TErl1Y Tweet

*******************

Yahooニュース

世田谷一家殺人事件~実行犯は今、次なる「超大物」ターゲットを狙っている 独自取材でたどり着いた驚愕の
事実

現代ビジネス 12月30日(水)11時1分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151230-00047082-gendaibiz-soci&p=4

ついに登場した大物元組長の名前

(略)

「ボス(後藤元組長)は今、カンボジアで養鶏場や農園を営む“カタギ”。おかげで商売は流行っており、懐かしい顔
を見ながら昔話をしたい人が多く、ボスの元は千客万来です」(元後藤組幹部)
 そんな中に山口組の井上邦雄・山健組組長や、九州で派手な抗争事件の末に、全国各地に一大勢力を築いた
九州誠道会の後身・浪川睦会の浪川政浩会長の姿もあった。

(次ページへ)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151230-00047082-gendaibiz-soci&p=5 全文

新たな標的は……


 この二人の名を聞けば、今年8月末の山口組分裂問題が浮かぶ。司忍(本名・篠田建市)六代目組長の出身母
体・弘道会中心の執行部へのカネと権力の集中に反発し、山健組など老舗13団体約3000人の組員が離脱。
新たに神戸山口組を設立し、組長に井上組長が就任、浪川会長は有力支援者の一人だ。
 山口組結成100周年、司組長就任10年の節目の年に、同じ山菱の代紋を掲げる組織がヤクザ界に二つ存在
するという前代未聞、驚愕の事態が生じている。「実は、分裂の原点は08年のクーデター未遂事件にあるん
や」。大阪府警幹部は、そう明かす。それは、前出の後藤組長処分に異を唱え、執行部のカネと人事問題を
批判してクーデターを起こそうとしたとされる直系組長十三人が、高山若頭に処分されたり引退に追い込まれた
事件である。後藤元組長は首都圏の縄張りと利権の多くを弘道会系組織に奪われただけに、分裂問題の“陰
の主役”と見る捜査関係者は多い。
● 実際、公安当局は引退後の後藤元組長の動向をマークしている。カンボジアで後藤元組長を監視する公安
関係者は言う。 「後藤元組長の下には日本を追われた暴力団幹部や企業舎弟、半グレなどが出入り、闇社会
の国際ネットワークの拠点になっている。華僑人脈を通じ中国人ヒットマンの派遣も担っているんだ」。李はバン
コクを拠点に活動していた時期があり、知人の暴力団関係者を通じて後藤元組長と知り合ったと見られてい
る。「外国人暗殺者を調達するには今や、カンボジアは欠かせない拠点だ。別件で派遣要請した時、李の名前
が出てきたことがあったな」。『餃子の王将』社長射殺事件で名前が浮上した関西の暗殺請負派遣業者は、そう
明かす。 「今回の来日はカンボジアが出発点やし、李に指示を出して日本に送り込んだんは後藤元組長周辺
と見て、間違いないやろう」。そう語るのは瀬戸。こうも言う。「そうなると、李の標的は司組長の可能性が非常に
高くなったと言えるし、李の病死もおそらくカムフラージュに違いないわ」。司組長を狙うなら、名古屋市の弘道会
本部付近に潜伏場所がありそうだが、闇社会の情報網を駆使しても見つからない。出てくる目撃情報は東京周
辺が多く、「標的を司組長から府中刑務所にいる高山若頭に変えた」との情報まで飛び出している。武蔵野市
のマンションに、李らしい男が潜んでいるという瀬戸からの情報を元に12月7日未明、そこを訪ねた。部屋は留
守らしく応答がなく、管理人を訪ねるとこう証言した。「部屋には初老の男が一人いて、時々帰ってきていた。
たまに複数の男の人が出入りしていたが、静かで生活感がなかったです」。この時、李の姿は確認できなかった
が、彼の生存は確信した。怪しげな墓の情報が何よりの証拠と言っていいのかも知れない。李は生きている。
そして、21世紀になって再び、彼は大きな事件を起こそうとしている。----------
一橋文哉(いちはし ふみや)
東京都生まれ。全国紙・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。本名など身元に関する個人情報はすべて非公
開。95年「ドキュメント『かい人21面相』の正 体」(雑誌ジャーナリズム賞受賞)でデビュー。グリコ・森永事件、三億
円強奪事件、宮﨑勤事件、オウム真理教事件など殺人・未解決事件や、闇社会がからん だ経済犯罪をテーマ
にしたノンフィクション作品を次々と発表している。
.
一橋文哉
**********************

NAVERまとめ

カンボジアで伯爵になった元ヤクザ組長 後藤忠政元組長とはどんな男なのか?

更新日: 2014年12月05日akiratetsuoさん

http://matome.naver.jp/odai/2141305199024973301?&page=1
http://matome.naver.jp/odai/2141305199024973301?&page=2


8. 2022年10月18日 14:03:17 : VTH59AY6XQ : WWk1VDA0bXVWVGM=[2960]  報告
この事件は、被害者側にドン深闇が広がっており信用ならない。警察発表で犯人捜しをするより被害者側を
調べただけで全容が見えてくるというのだ。被害者は非常に有能な人物であり、東大農学部を出たが、
アニメ制作やデザインの分野に進みアメリカ、そしてイギリスのデザイン会社に勤め、部門のリーダーになった
という。そして英語が非常に堪能だったという。彼が純粋にデザーナーの仕事で米英に行っていたのかは??
であろう。というのは被害者一家は統一教会の信者であり、統一教会は、なにか良からぬ活動をするときの隠れ
蓑とするものだからだ。彼は統一教会というお面を付けて、パチンコの売上を北朝鮮に送金したり、政治資金の
ルートを確保したり活動していたという。しかし統一教会を脱会しようとしたため、知り過ぎている一家は教会(及
びその背後の黒幕)にとって危険な存在となってしまったのだろう。そして彼は、朝鮮総連元幹部や北朝鮮工作
員の牧師を警察にタレ込んだと言われ、そうであれば、正義に目覚めた彼の裏切り行為は、見せしめのために
も残虐な方法で消す必要があったのだろう。こっちの説の方が、自宅の立ち退き料目当ての殺人より説得力が
ある。また、妻の実家は在日の不動産ブローカーだという。公園の拡張計画が本格化する前年に引っ越してき
ており、平屋を3階建てにリフォームしていることから、公園の拡張計画を統一教会などを介してキャッチし
立ち退き料目当てで引っ越してきた可能性がある。であれば統一教会との間で立ち退き料をめぐって対立し
脱会しようとした可能性もあるだろう。




(私論.私見)