吉田有希ちゃん殺人事件 |
更新日/2019(平成31→5.1栄和元).12.24日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「吉田有希ちゃん殺人事件」(「今市市女児誘拐殺害事件」)考をものしておく。 2004.3.19日 れんだいこ拝 |
【太田龍の儀式殺人考】 | ||
「★阿修羅♪ > 日本の事件18」のサラ氏の2006.2.7日付け投稿「吉田有希ちゃん殺害事件はやっぱり儀式殺人!」を転載しておく。
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【太田龍の儀式殺人考】 | |
「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK17」の救国の草莽の志士氏の2009.12.19日付け投稿「最近起きた女児殺害事件は、「失血死」で血が抜かれていた事、複数の加害者の足跡があったことから「ユダヤの儀式殺人」であろう」を転載しておく。
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【吉田有希ちゃん殺人事件考】 | |||||||||||||||||||||
2005.12.1日、栃木県旧・今市市(現・日光市)の市立大沢小学校一年生・吉田有希(7)ちゃんが下校途中に行方不明になり、翌2日に自宅から60キロも離れた茨城県常陸(ひたち)大宮市の山林で、全裸の遺体で発見された。
発見場所は、茨城県常陸大宮市三美の斎場「おおみや広域聖苑」の南東約450メートル地点の山林(ヒノキ林)内の斜面。遺棄現場周辺には当日早朝に人が居たので、死体遺棄はそれ以前の未明に行われたと推定されている。遺体は全裸で横向きに斜面に放置されていた。現場に着衣やランドセルの所持品はなかった。性的に悪戯された痕跡はなかったが、鋭利な刃物で左胸を十箇所前後(12回?)刺されている。心臓損傷で血液が噴出しての失血死と考えられる。その場合でも残留するはずの腹部の血液はほとんど流出し、身長120センチ、体重約19キロの約5%に当たる血液は、ほぼ全部と言っていいほどなくなっていた。付近にあったおびただしい血痕は動物のもので有希ちゃんのものではなかった。口などから流出して遺体に付着していた血液の量は少量。また傷口には繊維やゴミなどの付着物が全くなかった。殺害時には少なくとも上半身裸であったと考えられる。顔の頬に殴られたような跡が一箇所。口と両手首に粘着テープをされた形跡。女児の胃に残っていた給食の残留物から殺害は1日午後4時前後と見られる。 凶器は、ベティナイフ様の物。またはくり小刀。刺し傷の跡は、幅は1.5~2センチ。一番深い傷の深さは約10センチ。柄や剣止めなどの跡はなかったので、刃の長さは10センチ以上と推定される。つまり、神戸連続児童殺傷事件での堀川ひとみちゃん刺傷、下野新世ちゃん刺殺と同じ、士師記3章16節に則(のっと)って作られた刃渡り1ゴメド=約13cmの諸刃の剣が使われたと考えられる。 「エフドは刃渡り1ゴメド(口語訳では1キュピト)の諸刃(もろは)の剣を作り、それを右腰に帯びて上着で隠し、モアブの王エグロンのもとに貢物(みつぎもの)を納めにいった。(中略)エフドは貢物を納め終わると、貢物を運んで来た者を去らせ、自らはギルガルに近い偶像のあるところから引き返し、『王よ、内密の話がございます』と言った。王が『下がれ』と言うと、側にいた従臣(じゅうしん)たちは皆な席をはずした。エフドは近づいたが、そのとき王は屋上にしつらえた涼しい部屋に座り、ただ1人になっていた。エフドが、『あなたへの神のお告げを持ってきました』と言うと、王は席から立ち上がった。エフドは左手で右腰の剣を抜き、王の腹を刺した」(「士師記」3:16~21)。 以下は「吉田有希ちゃん殺害事件・遺体に県警幹部DNA」からの引用です。
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2016.2.29日午前、吉田有希ちゃん殺人事件で罪に問われている勝又拓哉(33歳)被告の裁判員裁判の初公判が始まった。裁判の冒頭、勝又被告は裁判冒頭の罪状認否で、「殺してません」と起訴内容を否認し、無罪を主張した。顔を真っ赤にして唇をふるわせ、手で涙をぬぐうようなしぐさを見せた。 11年前になるこの事件は2005年12月、栃木県旧今市市の小学1年生・吉田有希ちゃん(当時7)が下校途中に連れ去られ、翌日、茨城県の山林で遺体で見つかった事件で、事件から8年半が経過した2014年6月、勝又拓哉被告(33)が、有希ちゃんの胸を刃物で刺して殺害したとして逮捕され、その後、起訴された。勝又被告は、逮捕直後の取り調べでは関与を認めていたが、その後否認に転じ、弁護側は「虚偽の自白を強制された」と裁判で無罪を主張する方針。一方、検察側は、取り調べの様子を録画した映像や、状況証拠を積み重ねて勝又被告の犯行を立証することにしている。検察側は、冒頭陳述で、「当時の自白について、信用性は高い」とした上で、「有希ちゃんの遺体には、猫の毛がついており、これが、勝又被告が当時飼っていた猫のものと矛盾しない」、「勝又被告の車が拉致の翌日、深夜から明け方にかけて、当時の被告の自宅方面から遺棄現場方面を往復していた」と主張した。また、勝又被告が取り調べで殺害への関与を認めた後に母親に対し、事件を起こしたことを謝罪する内容の手紙を出していたことも明らかにした。弁護側は、「勝又被告の自白の内容は、事件の客観的事実と矛盾する点が多く信用できない」とした上で、「捜査官に強制されたものだ」と主張した。また、猫の毛については、「矛盾しないだけで、同じ個体とまでは言えない」とし、「謝罪の手紙についても、殺害についての直接的な謝罪ではなく、ちぐはぐな内容を勝手に解釈しただけだ」と指摘した。この事件は凶器が見つかっていないなど、直接的な証拠となる物証などが乏しいため、勝又被告の自白の信用性などが裁判の大きな争点になる。 この日、吉田有希ちゃんの遺族がコメントを発表した。
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3.2日、勝又被告の母親が証人として出廷し、検察側の証人尋問が行われた。勝又被告が事件への関与を認めた後に、母親に対し、「自分が引き起こした事件でお母さんやみんなに迷惑をかけてしまい本当にごめんなさい」などと書いた手紙を出していたことを明らかにした。検察側は手紙の内容について、有希ちゃんを殺害したことへの謝罪だと主張していて、2日、証人として出廷した母親に対し、「今市事件についての謝罪だと思わなかったのか」などと質問した。しかし、母親は当時、勝又被告が商標法違反事件で逮捕されていたことをあげ、「息子は独断で偽ブランド品を購入し、逮捕された。それに対する謝罪だと思った」と証言した上で、「息子はやっていないと信じている」と話した。この話を聞いていた勝又被告は、法廷で涙を流した。3日は勝又被告本人への被告人質問が行われる。 | |
3.3日、被告人質問が行われ、勝又拓哉被告(33)は改めて無罪を主張するとともに、母親への謝罪の手紙について看守に書き直しを強要されたと涙ながらに話した。3日の被告人質問で勝又被告は、有希ちゃんを殺害したことがあるかと問われると「ありません」と話し、改めて無罪を主張した。また、自白調書について、「検事から『人を殺したことあるでしょ』と圧迫されて、パニックになった」、「訳も分からずサインした」などと話した。さらに、「自分が引き起こした事件で迷惑をかけてしまい本当にごめんなさい」と書いた母親への手紙について、「殺人の調書にサインしてごめん」という内容で書いたものを、看守に書き直しを強要されたと涙ながらに証言した。 | |
3.4日、 栃木県旧今市市の女児が殺害された事件の勝又拓哉被告の裁判員裁判の被告人質問が3日に引き続き行われ、勝又拓哉被告は逮捕後に犯行を認めたことについて、「警察官から、『自白すれば刑が軽くなる』と言われ、その方に気持ちが傾いた」と話した上で、「『自白しないでずるずるいくと死刑にされるかもしれない』とも言われた」と主張した。 |
2016.3.8日、「今市市女児誘拐殺害事件」の裁判員裁判で、解剖に当たった大学教授が弁護側の証人として出席し、被告の自白の内容と刺し傷には矛盾があると指摘した。教授は、8日、弁護側の証人として勝又被告が「立たせた状態で胸をナイフで複数回刺した」と供述したことについて、「傷の向きから被害者は寝ていた状態で刺されたと断言できる」と述べ、自白の内容と矛盾があると指摘した。また、殺害の場所や時間についても「殺害したと主張する現場に大量の血液の跡はなく、胃の内容物を考えると殺害時刻も違う」などと述べた。現場に血液がほとんど残っていないことについて、検察は反対尋問で「土の中に血液がしみ込んだ可能性はないか」と教授に質問し、教授は「現場の土に大量の血液がしみ込むことはありえない」と述べた。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160308/k10010436171000.html |
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「★阿修羅♪ > 日本の事件32」の戦争とはこういう物氏の018 年 8 月 03 日付投稿「今市事件 異常事態を物語る様々な風景 宇都宮地裁の奇妙な判決文に疑問をもった記者が追う「一審有罪」の問題点」。
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(私論.私見)