吉田有希ちゃん殺人事件

 更新日/2019(平成31→5.1栄和元).12.24日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「吉田有希ちゃん殺人事件」(「今市市女児誘拐殺害事件」)考をものしておく。

 2004.3.19日 れんだいこ拝


【太田龍の儀式殺人考】
 「★阿修羅♪ > 日本の事件18」のサラ氏の2006.2.7日付け投稿「吉田有希ちゃん殺害事件はやっぱり儀式殺人!」を転載しておく。
 韋駄天掲示板で見つけたアイテム。楽天で販売していたとのこと。儀式に使うようであるが、あのヘキサグラムの傷跡と血を抜く儀式と関係するのではないだろうか?
 http://item.rakuten.co.jp/v-road/denix-4119/

 大田龍氏の時事寸評にても、取り上げられています。

 今市市女児誘拐殺害事件に、「秘密儀式殺人」のにおい。
 http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgi

 平成18年(2006年)2月6日(第1577回)

 平成十七年十二月一日、栃木県今市市で、小学校から下校時、女児が何者かに誘拐された。そしてそれから間もなく、十二月二日、茨城県常陸大宮市の山林で、この女児の死体が発見された。二ヶ月以上を経過して居るが。マスコミ上では、皆目、警察の捜査は進行して居ないようである。当「時事寸評」は、この事件について、発生当初から、西洋欧米(とりわけ米国式)スタイルの幼児誘拐秘密儀式殺人の「におい」のようなものを直感した。

 米国では、既に毎年、相当数の幼児、少年少女が突然消える事件が生じて居る。これは、米国内での秘密儀式殺人に関係して居るとの情報がある。米国(イルミナティサタニスト世界権力)の日本支配、日本占領が、時々刻々深化しつつある以上、米国内で生じて居るすべての現象が日本に波及することは必然であろう。

 鬼塚英昭著「二十世紀のファウスト」(平成十七年十二月刊、自費出版)は、「一九四九年」と言う年の性格、そしてそこに於ける、世界権力の一員としてのアヴェレル・ハリマンの言動を詳細にそして的確に記述して居る。ここではそれについての説明は省略する。一九四九年、ヨーロッパでは、ハリマン、ロスチャイルドを中核とする世界権力によって演出された何千と言う謀略的事件が発生した、と「二十世紀のファウスト」は述べる。

 日本の米国(イルミナティ)占領軍は、同じ年、日本で謀略的事件を起こした。一九四九年に生じたそれらの事件の主たるものは、(1)下山国鉄総裁変死事件。(2)松川事件。(3)三鷹事件。以上三件である。いずれも国鉄がらみである。今は全く忘れられてしまって居る多数の謀略事件が米占領軍によって演出されたであろう。

 しかし、「二十世紀のファウスト」は、一九四九年、ヨーロッパで彼等(イルミナティ)が仕掛けた謀略の事件は、日本とは比較にならないほど尨大であった、とする。欧米西洋には、イルミナティフリーメーソンの謀略と戦う人々の数とそしてその質は、日本の如く微々たるものではない。日本では、「微々たるもの」というよりも限りなくゼロに近い。西洋では、儀式殺人は太古の昔から今日まで連綿として続いて居る。旧約聖書にも、その事例がはっきりと明記されて居る。日本民族は、もはや、この問題について無知、無関心で居ることはできないのである。 (了)

 【参考文献】

 (1)ユースタス・マリンズ著「衝撃のユダヤ5000年の秘密」(日本文芸社、絶版)

 (2)ジョン・コールマン著、太田龍監訳「300人委員会」(KKベストセラーズ刊)

 (3)ユースタス・マリンズ著、太田龍監訳「カナンの呪い」(成甲書房、二〇〇四年)

 (4)Jewish Ritual Murder Revisited: The Hidden Cult - DVD By Mark Farrell
    http://www.honestmediatoday.com/JewishRitualMurder.htm


【太田龍の儀式殺人考】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK17」の救国の草莽の志士氏の2009.12.19日付け投稿「最近起きた女児殺害事件は、「失血死」で血が抜かれていた事、複数の加害者の足跡があったことから「ユダヤの儀式殺人」であろう」を転載しておく。
 新世紀人様 

 女帝論では、失礼だったかも知れない反論を申し上げ、大変に御無礼申し上げました。今回の女児殺害事件の御指摘は、さすがに優れたご意見で、私も全く同様に考えてはおりましたが、雑事に紛れて投稿するのはこれまでは控えておりました。しかし、新世紀人様が真相を見抜いてご指摘された以上、小生の付言も必要であり投稿すべきかと愚考して投稿致します。

 ユダヤ教の経典タルムードは、真のユダヤ教徒が守り従うべき遵奉義務として、異教徒の子供の殺害と血を抜きそれを確か飲むことまでも信徒に義務付けていたと、うろ覚えながら記憶致しております。その儀式殺人の為に、毎年、米国では200万人もの異教徒の幼児・子供が誘拐されて「ユダヤ教徒」と思しき犯人によって殺害され血が抜かれて殺されています。有名な被害者の例では、戦前には始めて大西洋を無着陸で飛行機による横断を成功させた、「あれがパリの灯だ」で有名なリチャード・リンドバーグの子供が誘拐されてこのユダヤ教の「儀式殺人」の生贄に捧げられた話は有名です。リチャード・リンドバーグは、有名な反ユダヤ主義者であったが故に、意図的に見せしめにその子が「ユダヤ儀式殺人儀式」の生贄に奉げられたのです。

 どんな高位の人物にも、ユダヤ教徒には課される宗教上の義務なのですから、その極悪犯罪を覆い隠す為には、ユダヤは革命や戦争や恐慌による経済変動によって異教徒から収奪した金をふんだんに注ぎ込み、事件のもみ消しや証拠隠滅には有り余るユダヤ資金が使われていると聞く。
米国の独立革命と米国政府樹立に際して初代大統領のジョージ・ワシントンはじめ政府首脳は皆フリーメーソンだったようで、その衣服を着て儀式に参加していて、皆、エプロンのようなものを身に付けていたが、それはユダヤ教徒の儀式殺人儀式の際に、生贄の血を抜く時にほとばしり出る血が付かない為に着用しているものだとのことである。

 こうした儀式殺人は、これまではユダヤ教徒が少なく、仏教徒や神道が大半の日本国内では、行なわれてはいなかったようだが、今回このように公然とわざと堂々と見せしめのように行なわれた理由というのは、小泉エージェントの下でのユダヤの直接支配体制を強めて来た連中が、日本社会の不安を掻きたてて揺さぶりをかける為に、公然とユダヤの異教徒の「日本人児童の生贄の儀式殺人」に乗り出したと見るべきでしょう。ディズニーランドも、そもそも犠牲者の子供を集めて密かに誘拐する為の施設として、ユダヤ人のディズニーが生み出し作り出したとも言われていて、ディズニーランドに行く時には保護者は、子供達の手を決して離してはいけないとも言われているのは、このユダヤ教の生贄の儀式殺人の犠牲者にならないように戒めたものです。


【吉田有希ちゃん殺人事件考】
 2005.12.1日、栃木県旧・今市市(現・日光市)の市立大沢小学校一年生・吉田有希(7)ちゃんが下校途中に行方不明になり、翌2日に自宅から60キロも離れた茨城県常陸(ひたち)大宮市の山林で、全裸の遺体で発見された
■12月1日(木) 
14:15分頃 日光市(旧今市市)の大沢小1年だった吉田有希ちゃんが同級生の女児3人と一緒に歩いて下校。
14:50分頃 吉田有希ちゃんが小学校の西約1キロの今市市土沢の市道の木和田島の通学路の三差路で3人と別れた後、何者かに車で連れ去られ行方不明になる。
17:20分頃 勤務先から帰った母親が「娘がいない」と学校に連絡。
18:00分前 教職員らと探したが見つからず、母親が知人と大沢駅前駐在所に届ける。
18時以降 捜索開始するも不明。
■12月2(金)
未明  栃木県警が公開捜査に踏み切る。
14:00分頃 約23時間後、野鳥捕獲の下見に来た男性3人により、吉田有希ちゃんの遺体が茨城県常陸大宮市三美の山林(ヒノキ林)内の斜面で発見される。鋭利な刃物で胸を十数カ所刺されて殺害され、現場に着衣やランドセルの所持品はなかった。
栃木、茨城の両県警が殺人・死体遺棄事件として今市、大宮両署に合同捜査本部を設置 する。

 発見場所は、茨城県常陸大宮市三美の斎場「おおみや広域聖苑」の南東約450メートル地点の山林(ヒノキ林)内の斜面。遺棄現場周辺には当日早朝に人が居たので、死体遺棄はそれ以前の未明に行われたと推定されている。遺体は全裸で横向きに斜面に放置されていた。現場に着衣やランドセルの所持品はなかった。性的に悪戯された痕跡はなかったが、鋭利な刃物で左胸を十箇所前後(12回?)刺されている。心臓損傷で血液が噴出しての失血死と考えられる。その場合でも残留するはずの腹部の血液はほとんど流出し、身長120センチ、体重約19キロの約5%に当たる血液は、ほぼ全部と言っていいほどなくなっていた。付近にあったおびただしい血痕は動物のもので有希ちゃんのものではなかった。口などから流出して遺体に付着していた血液の量は少量。また傷口には繊維やゴミなどの付着物が全くなかった。殺害時には少なくとも上半身裸であったと考えられる。顔の頬に殴られたような跡が一箇所。口と両手首に粘着テープをされた形跡。女児の胃に残っていた給食の残留物から殺害は1日午後4時前後と見られる。

 
凶器は、ベティナイフ様の物。またはくり小刀。刺し傷の跡は、幅は1.5~2センチ。一番深い傷の深さは約10センチ。柄や剣止めなどの跡はなかったので、刃の長さは10センチ以上と推定される。つまり、神戸連続児童殺傷事件での堀川ひとみちゃん刺傷、下野新世ちゃん刺殺と同じ、士師記3章16節に則(のっと)って作られた刃渡り1ゴメド=約13cmの諸刃の剣が使われたと考えられる。

 「エフドは刃渡り1ゴメド(口語訳では1キュピト)の諸刃(もろは)の剣を作り、それを右腰に帯びて上着で隠し、モアブの王エグロンのもとに貢物(みつぎもの)を納めにいった。(中略)エフドは貢物を納め終わると、貢物を運んで来た者を去らせ、自らはギルガルに近い偶像のあるところから引き返し、『王よ、内密の話がございます』と言った。王が『下がれ』と言うと、側にいた従臣(じゅうしん)たちは皆な席をはずした。エフドは近づいたが、そのとき王は屋上にしつらえた涼しい部屋に座り、ただ1人になっていた。エフドが、『あなたへの神のお告げを持ってきました』と言うと、王は席から立ち上がった。エフドは左手で右腰の剣を抜き、王の腹を刺した」(「士師記」3:16~21)。 

 以下は「田有希ちゃん殺害事件・遺体に県警幹部DNA」からの引用です。
 「(前略)性的な悪戯が目的ではなく、おぞましい儀式を行うかのように有希ちゃんの身体を傷つけている。得体の知れない犯人なんだ」。こう語るのは、吉田有希ちゃん殺害事件の捜査関係者。「今回の事件の最大の特徴はその刺し方にある。刺し傷は全部で十二ヶ所あったが、それが幾何学模様のようになっていた。捜査員は『こんな残酷な遺体は初めて見た』と言っていた」、「幾何学的に傷をつけるのは極めて稀です。普通殺すときは殺すことに専念するものですから、(中略)衝動的な犯行とは考えられず、性的な暴行もないという事であれば、人を殺すという行為自体が目的であったと言えるでしょう」。


2006年 1月 大沢小PTAと地域住民が協力し、登下校時に児童見守りを行う「大沢ひまわり隊」が発足
8月 栃木、茨城両県の任意団体「吉田有希さん被害の殺人・死体遺棄事件の捜査に協力する会」が容疑者逮捕に結びつく情報提供に200万円の懸賞金を設定
11月 大沢小でスクールバス試験運行開始
2007年 7月 有希ちゃんが同級生と別れた日光市木和田島の三差路に「子ども緊急通報装置」を設置
8月 警察庁が「捜査特別報奨金」制度に基づき300万円の懸賞金を設定
2008年 2月 合同捜査本部が毎月第一木曜日を「今市事件情報収集強化日」に指定
11月 県警捜査1課に今市事件の専従捜査員を配置
2009年 3月 県警捜査1課に「今市事件特捜係」を設置
2013年 5月 栃木、茨城両県警が17度目の合同捜査会議を茨城県警大宮署で開催
8月 「捜査特別報奨金」が6度目の更新
10月 情報収集強化のため、県警が全職員約3800人に事件の携帯手配書を配布
12月1日 発生から丸8年を迎える。栃木、茨城両県警の捜査員約200人態勢を維持
2014年 6月3日 殺人容疑で勝又拓哉容疑者逮捕
24日 宇都宮地検が宇都宮地裁に殺人罪で起訴
8月5日 宇都宮地裁で公判前整理手続きが始まる
9.10
警察庁が、栃木・小1女児殺害事件で勝又拓哉被告(32歳)逮捕、起訴の有力な情報提供に対して2人に総額300万円の公的懸賞金を支払ったと発表した。遺族らも私的な懸賞金を200万円懸けており、2人には計500万円が支払われた。
2015年 12月1日 発生から丸10年を迎える
2016年 1月29日 宇都宮地裁で区分審理
2月9日 宇都宮地裁で部分判決
2月29日 宇都宮地裁で裁判員裁判初公判
3月22日 宇都宮地裁で裁判員裁判、論告求刑と最終弁論
3月31日 宇都宮地裁で裁判員裁判、判決(予定)

 2016.2.29日午前、吉田有希ちゃん殺人事件で罪に問われている勝又拓哉(33歳)被告の裁判員裁判の初公判が始まった。裁判の冒頭、勝又被告は裁判冒頭の罪状認否で、「殺してません」と起訴内容を否認し、無罪を主張した。顔を真っ赤にして唇をふるわせ、手で涙をぬぐうようなしぐさを見せた。

 11年前になるこの事件は2005年12月、栃木県旧今市市の小学1年生・吉田有希ちゃん(当時7)が下校途中に連れ去られ、翌日、茨城県の山林で遺体で見つかった事件で、事件から8年半が経過した2014年6月、勝又拓哉被告(33)が、有希ちゃんの胸を刃物で刺して殺害したとして逮捕され、その後、起訴された。勝又被告は、逮捕直後の取り調べでは関与を認めていたが、その後否認に転じ、弁護側は「虚偽の自白を強制された」と裁判で無罪を主張する方針。一方、検察側は、取り調べの様子を録画した映像や、状況証拠を積み重ねて勝又被告の犯行を立証することにしている。検察側は、冒頭陳述で、「当時の自白について、信用性は高い」とした上で、「有希ちゃんの遺体には、猫の毛がついており、これが、勝又被告が当時飼っていた猫のものと矛盾しない」、「勝又被告の車が拉致の翌日、深夜から明け方にかけて、当時の被告の自宅方面から遺棄現場方面を往復していた」と主張した。また、勝又被告が取り調べで殺害への関与を認めた後に母親に対し、事件を起こしたことを謝罪する内容の手紙を出していたことも明らかにした。弁護側は、「勝又被告の自白の内容は、事件の客観的事実と矛盾する点が多く信用できない」とした上で、「捜査官に強制されたものだ」と主張した。また、猫の毛については、「矛盾しないだけで、同じ個体とまでは言えない」とし、「謝罪の手紙についても、殺害についての直接的な謝罪ではなく、ちぐはぐな内容を勝手に解釈しただけだ」と指摘した。この事件は凶器が見つかっていないなど、直接的な証拠となる物証などが乏しいため、勝又被告の自白の信用性などが裁判の大きな争点になる。

 この日、吉田有希ちゃんの遺族がコメントを発表した。
 「去年、有希の母親が病に倒れ亡くなりましたが、母は『真実が知りたい』と誰よりも裁判の開始を心待ちにしていました。そうした意思をあわせてこの裁判に臨んでいく覚悟です」。
 3.2日、勝又被告の母親が証人として出廷し、検察側の証人尋問が行われた。勝又被告が事件への関与を認めた後に、母親に対し、「自分が引き起こした事件でお母さんやみんなに迷惑をかけてしまい本当にごめんなさい」などと書いた手紙を出していたことを明らかにした。検察側は手紙の内容について、有希ちゃんを殺害したことへの謝罪だと主張していて、2日、証人として出廷した母親に対し、「今市事件についての謝罪だと思わなかったのか」などと質問した。しかし、母親は当時、勝又被告が商標法違反事件で逮捕されていたことをあげ、「息子は独断で偽ブランド品を購入し、逮捕された。それに対する謝罪だと思った」と証言した上で、「息子はやっていないと信じている」と話した。この話を聞いていた勝又被告は、法廷で涙を流した。3日は勝又被告本人への被告人質問が行われる。
 3.3日、被告人質問が行われ、勝又拓哉被告(33)は改めて無罪を主張するとともに、母親への謝罪の手紙について看守に書き直しを強要されたと涙ながらに話した。3日の被告人質問で勝又被告は、有希ちゃんを殺害したことがあるかと問われると「ありません」と話し、改めて無罪を主張した。また、自白調書について、「検事から『人を殺したことあるでしょ』と圧迫されて、パニックになった」、「訳も分からずサインした」などと話した。さらに、「自分が引き起こした事件で迷惑をかけてしまい本当にごめんなさい」と書いた母親への手紙について、「殺人の調書にサインしてごめん」という内容で書いたものを、看守に書き直しを強要されたと涙ながらに証言した。
 3.4日、 栃木県旧今市市の女児が殺害された事件の勝又拓哉被告の裁判員裁判の被告人質問が3日に引き続き行われ、勝又拓哉被告は逮捕後に犯行を認めたことについて、「警察官から、『自白すれば刑が軽くなる』と言われ、その方に気持ちが傾いた」と話した上で、「『自白しないでずるずるいくと死刑にされるかもしれない』とも言われた」と主張した。

 2016.3.8日、「今市市女児誘拐殺害事件」の裁判員裁判で、解剖に当たった大学教授が弁護側の証人として出席し、被告の自白の内容と刺し傷には矛盾があると指摘した。教授は、8日、弁護側の証人として勝又被告が「立たせた状態で胸をナイフで複数回刺した」と供述したことについて、「傷の向きから被害者は寝ていた状態で刺されたと断言できる」と述べ、自白の内容と矛盾があると指摘した。また、殺害の場所や時間についても「殺害したと主張する現場に大量の血液の跡はなく、胃の内容物を考えると殺害時刻も違う」などと述べた。現場に血液がほとんど残っていないことについて、検察は反対尋問で「土の中に血液がしみ込んだ可能性はないか」と教授に質問し、教授は「現場の土に大量の血液がしみ込むことはありえない」と述べた。

 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160308/k10010436171000.html

 「★阿修羅♪ > 日本の事件32」の戦争とはこういう物氏の018 年 8 月 03 日付投稿「今市事件 異常事態を物語る様々な風景 宇都宮地裁の奇妙な判決文に疑問をもった記者が追う「一審有罪」の問題点」。
 先日。東京裁判以来とされる「大量処刑」が問題となったこの国の司法。素人裁判導入、死刑存続の先進国、など異常とも見える動きの中、この裁判となった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(ここから)
今市事件 異常事態を物語る様々な風景 宇都宮地裁の奇妙な判決文に疑問をもった記者が追う「一審有罪」の問題点
http://webronza.asahi.com/national/articles/2018073000004.html
梶山天 朝日新聞日光支局長 2018年08月01日

*(画像略)宇都宮地裁で判決を聞く勝又拓哉被告=2016年4月8日、絵と構成・小柳景義

 「今市事件 法廷にたちこめる『霧』の正体」に続き、今市事件の法廷にたちこめる「霧」について論じたい。

 栃木県今市市(現日光市に)の小学1年の女児(当時7歳)を2005年12月に殺害したとして、同県鹿沼市、無職の勝又拓哉被告(36)に、自白と取り調べの一部だけの録音録画の映像だけで有罪を言い渡した裁判員裁判だった宇都宮地裁(判決は2016年4月8日)。法廷には他にも異常事態だったことを如実に物語る風景があった。

〇「被告は犯人になり得ないとご遺体が語っている」

 今市事件の捜査本部の嘱託を受け、女児の司法解剖を行った筑波大学医学部の本田克也教授(法医学)が証人として出廷したときのことだ。解剖医は、普通なら身内とも言える検察側の証人だが、この裁判では違った。弁護側証人として出廷した本田教授は、解剖所見と被告の供述が合わないと被告の犯行を否定したのだ。
約1万体の司法解剖をしてきた大ベテランの本田教授は言う。「被告は犯人にはなり得ないと、女児のご遺体が語っている。被告の供述とされているものは、解剖所見が示す事実に合致している事実がまったくなく、含まれていない。被告の供述は被告が犯人であることと、まったく矛盾する」

 これまでの解剖経験では、「被告がすべて本当のことを語るとは限らないが、その中身には真犯人として矛盾しない言葉が必ずあった。だが、今回はそれが何もない」と本田教授。この事件では、茨城県警幹部の案内で、遺体が発見された場所を自分の目で確かめたのを皮切りに計4回、現場に足を運んでいる。被告の供述内容が納得できなかったからだ。

 最大の理由は、遺体の死後硬直がすでに進んでいたことと、足の裏が土ひとつ付かずにきれいだったという警察からの情報にある。

〇供述と合わない遺体の形ときれいな足の裏

 現場で殺害したという供述が正しいとすると、死後硬直は急斜面に従った形に固まっていなければならない。ところが実際には、車の後部座席に寝かせていたとすれば符合する形に固まっていた。また足裏が汚れていないことは、現場に裸足で立たせたという供述と矛盾する。
くわえて、2005年12月2日午前2時ごろ、山林に裸で立たせ、肩を片手でつかんで、胸部の狭い部分のみ、十数秒間というわずかな時間、ほぼ水平方向にナイフで連続して刺したという当初の「訴因」は、実際にやってみれば、明らかに不可能であるから、ただちに崩れる。 ナイフを刺して、直ちに引き抜こうとしても、抵抗があるためかなりの時間がかかる。また、被害者を立たせたまま保持することは時事上不可能で、1、2回刺すと崩れ落ちてしまう。「10回刺して失血死させた」とする訴因そのものが崩壊していることを、女児の体は訴えていた。

*(画像)遺体が遺棄された山林の斜面=2016年4月15日、茨城県常陸大宮市

〇わいせつ行為を示す痕跡は残されていない

 そもそも検察が明らかにした殺害目的は、わいせつ行為を行い、顔を見られたので発覚を恐れたというものだった。しかし、女児の身体所見にはわいせつ行為を示す痕跡は一切残されていなかった。しかも心臓をめがけて10回も刺すという行為は、正常な人間の行為とは思えない。
もうひとつ気になるのが、「致命傷である胸の刺創(しそう)に怖がって逃げようとした動きがみられない」と本田教授が私につぶやいた言葉だ。意外と顔見知りだったりして、と考えずにはいられない。

 それはさておき、検察が描いたシナリオは明らかに崩れた。

〇写真と供述調書を見ただけの証言を鵜呑み

 にもかかわらず、一審の宇都宮地裁で、被告は有罪となった。なぜか。

 本田教授が弁護側証人として法廷に立ったのには伏線があった。司法解剖が終わると、捜査側は死因や凶器など、遺体所見から犯人割り出しにつながる解剖所見をいち早く知りたがる。そのため解剖医は正式な解剖書を出す前に、ある程度のものを捜査側に提供する。しかし、この事件では、発生から2014年6月3日に勝又被告が殺人容疑で逮捕されるまで、捜査側からの接触などはなかったと記憶しているという。

 私の手元にある文書がある。本田教授宛てに送られてきたFAXの文書だ。

 日付は2014年6月10日午後0時20分。「イマイチソウサホンブ 本田先生に確認させていただきこと 宇都宮地検 三席検事 岡山賢吾」という頭書きで始まるA4判のペーパーには、横書きで十数問の質問が記されていた。解剖の鑑定書に対する質問である。

 その中に、「右側頸部の4個の線状の表皮剝奪は、スタンガンによるものとして矛盾はありますか」という質問があった。ここで使われている「スタンガン」という言葉は、本田教授が解剖結果を記した鑑定書にはなかった。被告の逮捕を機に、検察や警察が接触を求め、自白内容とのすり合わせをしようとしたとみられる。

 その後、数人の警察官が大学に来たが、本田教授は「遺体はウソをつかない」との信念のもと、解剖所見がすべて、とだけ口にした。

 「もしかしたら、私の鑑定書を没にして、他の学者に頼むのでは……」。鑑定書はボツにはならなかったが、女児の解剖をしていない別の法医学者らが検察側証人として出廷し、「被告の供述との間に矛盾はない」と、写真と供述調書などを見ただけにすぎない証言をした。一審の宇都宮地裁は、それを鵜呑(うの)みにしてしまった。後日、控訴審において、「矛盾はない」とした訴因を否定して、変更することになるとは、このとき、法廷にいた人はみな、想像もつかなかっただろう。

〇奇妙な判決文にこみ上げた怒り

 「今市事件 法廷にたちこめる『霧』の正体」の冒頭で書いたように、私は奇妙な一審の判決文を読んで「今市事件」に首を突っ込むことになった。その後、もう一度時間をかけて目を通したが、読み終えた瞬間、怒りがこみ上げてきたの覚えている。

 「こんな警察、検察って日本にあるのか。一人の女児が無残にも殺害されているというのに、捜査を捨てている。犯人特定に一番迫らるDNA型鑑定を科捜研職員がコンタミ(汚染)したとしてあきらめている。何度でも検査はできるはずなのにどうして?裁判所もなぜ、再鑑定させないんだ?」

 判決文の二度読みがなかったら、昨年8月29日付朝日新聞第1社会面の「『別人のDNA』審理請求へ 一審で証拠提出されず」の報道はなかっただろう。記事は、捜査側による証拠隠しの実態を報じ、反響は大きかった。

〇証拠が隠され、審議されずに有罪に

*(画像)筆者が入手した捜査報告書http://img.chess443.net/S2010/upload/2018073000004_1.jpg

 私が入手した、栃木県警捜査1課の警部補が刑事部長にあてた2014年5月27日付の2枚の「捜査報告書」には、被害者女児の身体から採取した粘着テープや微物などの試料を、神奈川歯科大大学院の山田良広教授に精度の高いミトコンドリアDNA型鑑定を嘱託したところ、勝又被告のDNAが検出されなかったという山田教授から口頭で回答を得たという内容が書かれ、山田教授への鑑定嘱託書も1枚添付されていた。実は、一審ではこの外部に嘱託した鑑定も審理されていなかった。

 山田教授が鑑定した試料は、女児の頭部にあった粘着テープだけでなく、女児の遺体のいたる所にあったガーゼ片や脱脂綿、ろ紙、採証テープなどで採取した微物、口腔内容物など約60点にのぼる。昨年1月、私が神奈川歯科大に山田教授を訪ねると、偶然にも研究室には今市事件の鑑定を行ったことを裏付ける栃木県警の感謝状が飾られていた。

 山田教授への取材の結果、被害者女児や被告、粘着テープに自分たちの細胞を汚染させた科捜研職員らとは別の第三者のDNAが、複数検出されていたことが確認できた。問題は、証拠にならないとされて隠され、それが審理されることなく、一審の裁判官や裁判員が有罪の判断をしてしまったことだ。

〇鑑定書から浮かぶ二つの注目点

 その後私は、一審判決後に新たに再編成された弁護団からDNA型鑑定の意見書を頼まれた押田茂實・日本大名誉教授と弁護団に接触した。弁護団の説明によると、2014年9月に検察側から開示された8通ある鑑定書のうちの3通だった。控訴審に向けてあらためて残りの鑑定書の証拠開示を求めた結果、今年1月までに栃木、茨城の警察官約70人の異動識別の鑑定書など、すべてを小出しにしてきたという。

 一審で検察側は、栃木県警の科捜研が行った鑑定結果を証拠として提出。被告の型は検出されず、別人の型が検出されたが、検察側は鑑定した技官の細胞が混入したと説明した。押田名誉教授は「弁護団が最初に入手した3通の鑑定書だけでは、(科捜研の鑑定結果と同じく)汚染の恐れが払拭(ふっしょく)されない。最後の8通を出すのに今年1月までかかったのは、検察が表にしたくない重大な結果だったからだ。重大な証拠隠しだ」と説明する。

 8通の鑑定書によると、栃木、茨城両県警の捜査員計11人のDNAと、被害者のDNAが検出されたが、注目される点が二つある。 ・・・(下略)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(ここまで)







(私論.私見)