芥川龍之介のイエス論 |
(最新見直し2008.3.11日)
(れんだいこのショートメッセージ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
芥川龍之介の作品の中に西欧宗教の「切支丹もの、キリスト教、ユダヤ教に関するもの」がある。その他和洋問わずの「宗教的受難もの」がある。次のようにリストアップできる。「芥川龍之介とキリスト教 −切支丹物を中心に−」、「「日本近代文学の中のキリスト教―」、「芥川龍之介の切支丹小説―」」等々を参照する。
以下、これらの著作に表われた芥川のイエス、キリスト教、ユダヤ教に関する観点を検証する。 2008.3.17日 れんだいこ拝 |
【芥川のイエス、キリスト教に関する観点考】 | ||||||||||
れんだいこは、芥川のイエス観の解析に向かおうと思う。それは、芥川のイエス観が滅法イエスの何者であるかを鋭く嗅覚しているのでは無いかと思い始めたことによる。イエス観は、イエス没後の福音書から今日まで悠久の二千年を費やして様々なイエス像が語られている。しかし、イエスがキリストとして称えられたり、ユダヤ教的観点から批評されるばかりで、真正のイエス像に迫っていない恨みがある。この点で、芥川のイエス観は大いに参考になるように思われる。
それはそれとして、れんだいこは、イエス論の要諦は、イエスのユダヤ教パリサイ派との論争の質の高さにあると思っている。これに着目し、イエスの弁論の秀逸性を引き出すことこそイエス論の核心であると思っている。にも拘らず世上のイエス論はこの作業に向かわず、イエスの周縁事情に関心を向け事足れりとしてるように見える。それは、本来のイエス論からの脱落であり、悪意の場合にはすり替えではないかと思っている。 この点で、芥川のイエス論は、当初はイエスの周縁事跡の解説に向かうも次第にイエスの本質に迫って行った経緯を見せている。ここに芥川イエス論の秀逸性があると思う。これを確認したい。以上を前置きとして、芥川の観たイエス像を解析する事にする。 |
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「西方の人」。「1 この人を見よ」で、キリストの一生を概括している。興味深い箇所は次のような記述である。
「25、天に近い山の上の問答」で、次のように述べている。
芥川は「西方の人」で云い足りなかったのか、「続西方の人」で続編を記している。れんだいこは、「続西方の人」の方が、イエスに関する雑多な知識に振り回されず、本質的なイエス論にアプローチをしているように思える。全てを解説するのは却って煩雑なので、れんだいこが注目するところを確認批評しておく事にする。 「1 再びこの人を見よ」で次のように述べている。
「2 彼の伝記作者」で次のように述べている。
芥川はここで、「しかし荘厳にも劬《いたは》りの深いヨハネのクリストも斥《しりぞ》けることは出来ない」としながらも、ヨハネ伝福音書に違和感を表明している。れんだいこ研究に拠ってもヨハネ伝は異質であり、イエス教から転じてユダヤ教式キリスト教に転じさせた「功績?」を持つ。そのことを感知した芥川の感性が素晴らしいように思う。 「3 共産主義者」で次のように述べている。
芥川はここで、イエスの思想を共産主義的精神に通底していることを見て取っている。そのことを感知した芥川の感性が素晴らしいように思う。 「4 無抵抗主義者」で次のように述べている。
芥川はここで、イエスを無抵抗主義者であったと評している。れんだいこはそうは思わないが、芥川はそう観たということを確認しておく事にする。 「7 クリストの財布」で次のように述べている。
芥川はここでも、「我々はここにもクリストの中の共産主義者を見ることは困難ではない」と評している。 「9 クリストの確信」で次のように述べている。
芥川はここで、イエスを「あらゆるクリストたちのやうにいつも未来を夢みてゐた超阿呆の一人だつた」と判じている。芥川独特の言い回しであろう。 「21 文化的なクリスト」で次のように述べている。
芥川はここで、イエスの悪人正機説を窺っている。 芥川のイエス論は他にも言及されているように思うが、これを確認する手間隙が無い。そういう限定付きであるが、以上から云えることは、芥川がイエスの本質を共産主義的思想の持主にして名ジャーナリストであったという評価を下している事である。何気ない指摘であるが、イエスをそう評した芥川の慧眼を見て取るべきではなかろうか。念のため言い添えておくが、ここで云う共産主義とは現在の共産主義政党の在り姿とはとは何ら関係ない。 |
【芥川のユダヤ教、ユダヤ人に関する観点考】 | |||||||
芥川のユダヤ教、ユダヤ人に関する観点で見過ごせない指摘がある。以下、これを確認しておく。
芥川の真意は不明であるが、ここで芥川は、タバコを表象しつつ、それがバテレンがもたらした可能性に触れ、西欧文明と云う名のその実はユダヤ教パリサイ派的信仰の悪魔性とその浸透に触れている。この観点が素晴らしい。続いて、次のように述べている。
芥川は、こうタバコになぞらえて悪魔信仰の浸透経緯を記している。この後、南蛮の伊留満と牛小人のやり取りを記しながら、次のように述べている。
これによると、芥川は、南蛮の神と同時に南蛮の悪魔も叉同時に渡来したとしていることになる。この指摘は案外深刻なほど鋭いのではなかろうか。
流浪の民ユダヤ人の辿り着いた国々が分かる仕掛けになっている。続いて、「さまよえる猶太人」の出没した場所と時期を記して、アルメニアのセント・アルバンスの修道院、フランドル、ボヘミア、ハムブルグの教会、マドリッド、ウイン、リウベック、レヴェル、クラカウ、パリ、ナウムブルグ、ブラッセル、ライプツィッヒ、スタンフォド、ムウニッヒ、イギリス、デンマアク、スウエデンを挙げている。間接的にユダヤ人の集落を告げていることになる。 その後、18世紀になってユダヤ人が全ヨーロッパに割拠し始めたことを次のように記している。
日本への到来について次のように記している。
「さまよえる猶太人」が日本史上の戦国時代に到来し、戦国武将や貴族と誼を通じ、イエズス会のフランシスコザビエルと「さまよえる猶太人」と濃厚な関係を築いていた事まで記している事になる。芥川がどういう意図で「さまよえる猶太人」を記したのか分からないが、恐ろしいほど事態の本質を見抜いていることには変わりない。その感性は鋭過ぎると窺うべきではなかろうか。 |
(私論.私見)