ヨハネの黙示録 |
(最新見直し2013.2.6日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「ヨハネの黙示録」を転載しておく。新約聖書の最後に登場する預言書のヨハネの黙示録は、ローマ帝国のドミティアヌス帝の治世末期の紀元96年頃(ネロ帝の治世末期である68年頃とも云われる)、迫害を逃れてエーゲ海の孤島パトモス島に避難していたヨハネによって書かれた。ヨハネは或る日、神の啓示を受け、未来の出来事を目にする。それを書き留め、小アジア(現在のトルコ西部)にある7つのキリスト教信者の団体へ手紙を送ったという設定になっている。 啓示によると、天の玉座に神がいて、周囲を24人の長老と、ライオン、雄牛、人間、鷲(わし)にそれぞれ似ている4つの生き物が取り囲んでいた。神の手には巻物があり、7つの封印で封じられていたが、7つの角と7つの目をもつ小羊が一つひとつ封印を解いていく。小羊が封印を解くごとに禍が地上を襲う。小羊が第7の封印を解くと、世界が沈黙で包まれた後、7人の天使が現れて、一人ひとりにラッパが与えられた。天使が一人ずつラッパを吹くたびに禍が地上を襲う。第7の天使が最後のラッパが吹くと最後の審判が行われることが予告される。 さらに、7人の天使が7つの鉢に入れた神の怒りを地上に注ぎ、世界に終末が訪れる。救世主イエスが再臨し、神を信じ正しい行いをした人々は復活し、ともに地上を1000年間統治する。1000年後、悪魔が再び現れるが天から炎が降り注ぎ滅びる。これが本当の世界の終末となる。最後の審判で「命の書」に名前のない人は地獄に落とされ、名前のある人は天国に昇ることができる。最後に、救世主イエスの再臨はまもなくだと伝え、ヨハネの黙示録は終わる。この道中で、 戦乱や飢饉、大地震などのあらゆる禍、天使と悪魔の戦いや最後の審判の様子が記されている。 「黙示録」は異端の書として扱われてきた。ローマ・カトリック教会が正典として認めたのは2世紀中頃で、それ以後も「偽預言書」といわれ受け入れられなかった。 2012.3.23日 れんだいこ拝 |
【ヨハネの黙示録】 |
第1章(緒言) |
イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起こるべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そしてキリストが御使いをつかわして僕ヨハネに伝えられたものである。ヨハネは、神の言とイエス・キリストの証しと、即ち自分が見たすべてのことを証した。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちは幸いである。時が近づいているからである。 |
第2章(七つの教会へのメッセージ) |
「エペソにある教会の御使いに、こう書き送りなさい。右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が次のように言われる。『私は、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。又あなたが、悪い者たちを許しておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちを試してみて、にせ者であると見抜いたことも知っている。あなたは忍耐をし続け、私の名のために忍び通して、弱り果てることがなかった。しかし、あなたに対して背むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起こし、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、私はあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。しかし、こういうことはある。あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、私もそれを憎んでいる。耳のある者は御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は神のパラダイスにある命の木の実を食べることを許そう』。 |
第3章(七つの教会へのメッセージ続) |
サルデスにある教会の御使いに、こう書き送りなさい。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが次のように言われる。私はあなたのわざを知っている。即ち、あなたは、生きているというのは名だけで実は死んでいる。目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。私は、あなたがたのわざが、私の神のみまえに完全であるとは見ていない。だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起こして、それを守り通し、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、私は盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。 |
第4章(神の玉座、四つの生き物) |
その後、私が見ていると、見よ、開いた門が天にあった。そして、さきにラッパのような声で私に呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起こるべきことを見せてあげよう」と言った。すると、たちまち私は御霊に感じた。見よ、御座が天に設けられており、その御座にいますかたがあった。その座にいますかたは碧玉や赤めのうのように見え、又御座のまわりには緑玉のように見える虹が現れていた。又御座のまわりは二十四の座があって、二十四人の長老が白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶって、それらの座についていた。御座からは稲妻と諸々の声と雷鳴とが発していた。又七つのともし火が御座の前で燃えていた。これらは神の七つの霊である。 御座の前は水晶に似たガラスの海のようであった。御座のそば近くそのまわりには四つの生き物がいたが、その前にも後ろにも一面に目がついていた。第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人のような顔をしており、第四の生き物は飛ぶ鷲(わし)のようであった。この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。そして、昼も夜も絶え間なくこう叫びつづけていた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」。 これらの生き物が御座にいまし、且つ世々限りなく生きておられるかたに、栄光とほまれとに帰し、又感謝をささげている時、二十四人の長老は、御座にいますかたのみまえにひれ伏し、世々限りなく生きておられるかたを拝み、彼らの冠を御座の前に投げ出して言った。「我らの主なる神よ、あなたこそは栄光と誉れと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって万物は存在し、また造られたのであります」。 |
第5章(神の玉座の巻物、小羊) |
私は又、御座にいますかたの右の手に巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。又一人の強い御使いが大声で、「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は誰か」と呼ばわっているのを見た。しかし、天に地ちにも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は一人もいなかった。巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当たらないので、私は激しく泣いていた。すると長老の一人が私に言った。「泣くな。見よ、ユダ族の獅子、ダビデの若枝であるかたが勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。 |
第6章(子羊が七つの封印を開封した時の出来事、色違いの馬が次々と登場する) |
小羊がその七つの封印の一つを解いた時、私が見ていると、四つの生き物の一つが雷のような声で「来たれ」と呼ぶのを聞いた。そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上になお勝利を得ようとして出かけた。小羊が第二の封印を解いた時、第二の生き物が「来たれ」と言うのを私は聞いた。すると今度は赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、又大きな剣を与えられた。又第三の封印を解いた時、第三の生き物が「来たれ」と言うのを私は聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、はかりを手に持っていた。すると、私は四つの生き物の間から出てくると思われる声が、こう言うのを聞いた。「小麦一ますは一デナリ、大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」。 |
第7章(子羊が七つの封印を開封した時の出来事続) |
この後、私は四人の御使いが地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。又もう一人の御使が生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使に向かって大声で叫んで言った。「私たちの神の僕らの額に、私たちが印を押してしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。 私は印を押された者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印を押された者は十四万四千人であった。ユダの部族のうち一万二千人が印を押された。ルベンの部族のうち一万二千人、ガドの部族のうち一万二千人、アセルの部族のうち一万二千人、ナフタリの部族のうち一万二千人、マナセの部族のうち一万二千人、シメオンの部族のうち一万二千人、レビの部族のうち一万二千人、イサカルの部族のうち一万二千人、セブルンの部族のうち一万二千人、ヨセフの部族のうち一万二千人、ベニヤミンの部族のうち一万二千人が印を押された。 その後、私が見ていると、見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、大声で叫んで言った。「救は、御座にいます我らの神と小羊からきたる」。御使たちは皆な御座と長老たちと四つの生き物とのまわりに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を拝して言った。「ア―メン、賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、勢いが、世々限りなく、我らの神にあるようにア―メン」。 長老たちの一人が私に向かって言った。「この白い衣を身にまとっている人々は誰か。また、どこからきたのか」。私は彼に答えた、「私の主よ、それはあなたがご存じです」。すると彼は私に言った。「彼らは大きな艱難を通ってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。それだから彼らは神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。彼らは、もはや飢えることがなく渇くこともない。太陽も炎暑も彼らを侵すことがない。御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって命の水の泉に導いて下さるであろう。又神は彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。 |
第8章(七つのラッパ) |
小羊が第七の封印を解いたとき、半時間ばかり天に静けさがあった。それから私は、神のみまえに立っている七人の御使を見た。そして、七つのラッパが彼らに与えられた。又別の御使いが出てきて、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上に捧げる為のものであった。香の煙は、御使の手から、聖徒たちの祈と共に神のみまえに立ちのぼった。御使はその香炉をとり、これに祭壇の火を満たして地に投げつけた。すると多くの雷鳴と諸々の声と稲妻と地震とが起こった。 |
第9章(七つのラッパ続、第一の災い) |
第五の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると私は一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開く鍵(かぎ)が与えられた。そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で太陽も空気も暗くなった。その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が彼らに与えられた。彼らは、地の草やすべての青草を、又すべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと言い渡された。彼らは、人間を殺すことはしないで五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であった。その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても死は逃げて行くのである。 これらのいなごは、出陣の用意のととのえられた馬によく似ており、その頭には金の冠のようなものをつけ、その顔は人間の顔のようであり、又その髪の毛は女の髪のようであり、その歯は獅子の歯のようであった。又鉄の胸当てのようなものをつけており、その羽の音は、馬に引かれて戦場に急ぐ多くの戦車の響きのようであった。その上、さそりのような尾と針とを持っている。その尾には、五か月のあいだ人間をそこなう力がある。彼らは底知れぬ所の使いを王にいただたており、その名をヘブル語でアバドンと言い、ギリシャ語ではアポルオンと言う。 第一の災いは過ぎ去った。見よ、この後、なお二つの災いが来る。第六の御使がラッパを吹き鳴らした。すると一つの声が神のみまえにある金の祭壇の四つの角から出て、ラッパを持っている第六の御使いにこう呼びかけるのを私は聞いた。「大ユウフラテ川のほとりにつながれている四人の御使を解いてやれ」。すると、その時、その日、その月、その年に備えておかれた四人の御使いが、人間の三分の一を殺すために解き放された。騎兵隊の数は二億であった。私はその数を聞いた。そして、まぼろしの中で、それらの馬とそれに乗っている者たちとを見ると、乗っている者たちは、火の色と青玉色と硫黄の色の胸当てをつけていた。そして、それらの馬の頭は獅子の頭のようであって、その口から火と煙と硫黄とが出ていた。この三つの災害、即ち彼らの口から出て来る火と煙と硫黄とによって人間の三分の一は殺されてしまった。馬の力はその口と尾とにある。その尾はへびに似ていて、それに頭があり、その頭で人に害を加えるのである。 これらの災害で殺されずに残った人々は、自分の手で造ったものについて、悔い改めようとせず、また悪霊のたぐいや、金、銀、銅、石、木で造られ、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を礼拝してやめようともしなかった。又彼らは、その犯した殺人や、まじないや、不品行や、盗みを悔い改めようとしなかった。 |
第10章(巻物と七つの雷) |
私は、もう一人の強い御使いが雲に包まれて天から降りてくるのを見た。その頭に、虹をいただき、その顔は太陽のようで、その足は火の柱のようであった。彼は開かれた小さな巻物を手に持っていた。そして、右足を海の上に、左足を地の上に踏みおろして、獅子が吠えるように大声で叫んだ。彼が叫ぶと七つの雷がおのおの声を発した。七つの雷が声を発した時、私はそれを書きとめようとした。すると天から声があって、「七つの雷の語ったことを封印せよ。それを書きとめるな」と言うのを聞いた。それから、海と地の上に立っているのを私が見たあの御使いは、天に向けて右手をあげ、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造り、世々限りなく生きておられるかたを指して誓った。「もう時がない。第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになった通り神の奥義は成就される」。 すると前に天から聞こえた声が又私に語って言った。「さあ行って、海と地との上に立っている御使の手で開かれている巻物を受け取りなさい」。そこで、私はそり御使のもとに行って、「その小さな巻物を下さい」と言った。すると彼は言った。「取って、それを食べてしまいなさい。あなたの腹には苦いが口には蜜のように甘い」。私は御使の手からその小さな巻物を受け取って食べてしまった。すると私の口には蜜のように甘かったが、それを食べたら腹が苦くなった。その時、「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて預言せねばならない」と言う声がした。 |
第11章(預言、第二の災い) |
それから、私はつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた。「さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい。聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられたところだから。彼らは四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。そして私は、私の二人の証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言をすることを許そう。彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、又二つの燭台である。もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない」。 |
第12章(大いなる印し、天上の戦い) |
又大いなる印しが天に現れた。一人の女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために泣き叫んでいた。又もう一つの印しが天に現れた。見よ、大きな赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落とした。龍は子を産もうとしている女の前にたち、生まれたなら、その子を食い尽くそうとかまえていた。女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに引き上げられた。女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように神の用意された場所があった。 さて、天では戦いが起こった。ミカエルとその御使いたちとが龍と戦ったのである。龍もその使いたちも応戦したが勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。この巨大な龍、即ち悪魔とかサタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは地に投げ落とされ、その使いたちも諸共に投げ落とされた。その時、私は、大きな声が天でこう言うのを聞いた。「今や、我らの神の救と力と国と神のキリストの権威とは現れた。我らの兄弟らを訴える者、夜昼我らの神のみまえで彼らを訴える者は投げ落とされた。兄弟たちは、小羊の血と彼らの証しの言葉とによって彼にうち勝ち、死に至るまでもその命を惜しまなかった。それゆえに天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし地と海よ、おまえたちは災いである。悪魔が自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。 龍は、自分が地上に投げ落とされたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きな鷲(わし)の二つの翼を与えられた。そしてそこで蛇からのがれて、一年、二年、又半年の間、養われることになっていた。蛇は女の後ろに水を川のように口から吐き出して、女をおし流そうとした。しかし、地は女を助けた。即ち地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。龍は女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、即ち神の戒めを守り、イエスの証しを持っている者たちに対して、戦いをいどむために出て行った。そして海の砂の上に立った。 |
第13章(獣、刻印) |
私は又一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。私の見たこの獣は豹(ひょう)に似ており、その足は熊のようで、その口は獅子の口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。その頭の一つが死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで全地の人々は驚き恐れて、その獣に従い、又龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った。「誰が、この獣に匹敵し得ようか。誰が、これと戦うことができようか」。この獣には、又大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた。そこで、彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、即ち天に住む者たちとを汚した。そして彼は聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに全ての部族、民族、国語、国民を支配する権威が与えられた。地に住む者で、ほふられた小羊の命の書に、その名を世の初めから記されていない者は皆な、この獣を拝むであろう。耳のある者は聞くがよい。とりこになるべき者はとりこになっていく。剣で殺す者は自らも剣で殺されねばならない。ここに聖徒たちの忍耐と信仰とがある。 私は又ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。そして先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。又地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。又大いなる印しを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。さらに、先の獣の前で行うのを許された印しで、地に住む人々を惑わし、且つ剣の傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、又その獣の像を拝まない者を皆な殺させた。 又小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者は皆な物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、又はその名の数字のことである。ここに知恵が必要である。思慮ある者は獣の数字を解くがよい。その数字とは人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。 |
第14章(御使い物語り) |
なお、私が見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っていた。又十四万四千人の人々が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。又私は、大水のとどろきのような激しい雷鳴のような声が天から出るのを聞いた。私の聞いたその声は、琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった。彼らは御座の前、四つの生き物と長老たちの前で新しい歌を歌った。この歌は、地からあがなわれた十四万四千人のほかは誰も学ぶことができなかった。彼らは女に触れたことのない者である。彼らは純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこえでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった。 |
第15章(七人の御使と七つの災害) |
又私は、天に大いなる驚くべきほかの印しを見た。七人の御使いが、最後の七つの災害を携えていた。これらの災害で神の激しい怒りがその頂点に達するのである。又私は火のまじったガラスの海のようなものを見た。そして、このガラスの海のそばに、獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々が、神の立琴を手にして立っているのを見た。彼らは神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。「全能者にして主なる神よ。大いなる、又驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。主よ、あなたを恐れず、御名をほめたたえない者がありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、あらゆる国民は来て、あなたを伏し拝むでしょう。あなたの正しい裁きがあらわれるに至ったからであります」。 その後、私が見ていると、天にある証しの幕屋の聖所が開かれ、その聖所から、七つの災害を携えている七人の御使いが、汚れのない光り輝く亜麻布を身にまとい、金の帯を胸にしめて出てきた。そして、四つの生き物の一つが、世々限りなく生きておられる神の激しい怒りの満ちた七つの金の鉢を七人の御使に渡した。すると聖所は神の栄光とその力から立ちのぼる煙で満たされ、七人の御使いの七つの災害が終っていまうまでは誰も聖所に入ることができなかった。 |
第16章(七人の御使いと裁き) |
それから大きな声が聖所から出て、七人の御使いに向かい、「さあ行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に傾けよ」と言うのを聞いた。そして、第一の者が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々との体にひどい悪性のでき物ができた。第二の者が、その鉢を海に傾けた。すると海は死人の血のようになって、その中の生き物が皆な死んでしまった。第三の者がその鉢を川と水の源とに傾けた。すると皆な血になった。それから、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「今いまし、昔いませる聖なる者よ。このようにお定めになったあなたは正しいかたであります。聖徒と預言者との血を流した者たちに、血をお飲ませになりましたが、それは当然のことであります」。私はまた祭壇がこう言うのを聞いた。「全能者にして主なる神よ。然り、あなたの裁きは真実で且つ正しい裁きであります」。 第四の者が、その鉢を太陽に傾けた。すると太陽は火で人々を焼くことを許された。人々は激しい炎熱で焼かれたが、これらの災害を支配する神の御名を汚し、悔い改めに神に栄光を帰すことをしなかった。第五の者が、その鉢を獣の座に傾けた。すると獣の国は暗くなり、人々は苦痛のあまり舌をかみ、その苦痛とでき物とのゆえに天の神をのろった。そして自分の行いを悔い改めなかった。第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために枯れてしまった。 又見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。これらは印しを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは全能なる神の大いなる日に戦いをするためであった。(見よ、私は盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身につけている者は幸いである) 三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に王たちを召集した。第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると大きな声が聖所の中から、御座から出て「事は既に成った」と言った。すると稲妻と諸々の声と雷鳴とが起こり、又激しい地震があった。それは人間が地上に現われて以来かってなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。大いなる都は三つに裂かれ諸国民の町々は倒れた。神は大いなるバビロンを思い起こし、これに神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。島々は皆な逃げ去り山々は見えなくなった。また一タラントの重さほどの雹が天から人々の上に降ってきた。人々は、この雹の災害のゆえに神をのろった。その災害が非常に大きかったからである。 |
第17章(七人の御使いと裁き続) |
それから、七つの鉢を持つ七人の御使いの一人が来て私に語って言った。「さあ来なさい。多くの水の上に坐っている大淫婦に対する裁きを見せよう。地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。御使いは、私を御霊に感じたまま荒野へ連れて行った。私は、そこで一人の女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚す数々の名でおおわれ、又それに七つの頭と十の角とがあった。この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、その額には一つの名が記されていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。私は、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見た時、私は非常に驚き怪しんだ。 すると御使いは私に言った。「なぜそんなに驚くのか。この女の奥義と、女を乗せている七つの頭と十の角のある獣の奥義とを話してあげよう。あなたの見た獣は昔はいたが今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて遂には滅びに至るものである。地に住む者のうち、世の初めから命の書に名が記されていない者たちは、この獣が昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て驚き怪しむであろう。ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女の坐っている七つの山であり、又七人の王のことである。そのうちの五人はすでに倒れ、一人は今おり、もう一人はまだ来ていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。昔はいたが今はいないという獣は即ち第八のものであるが、又それは、かの七人の中の一人であって、遂には滅びに至るものである。あなたの見た十の角は十人の王のことであって、彼らはまだ国を受けてはいないが、獣と共に一時だけ王としての権威を受ける。彼らは心を一つにしている。そして自分たちの力と権威とを獣に与える。彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから彼らにうち勝つ。又小羊と共にいる召された選ばれた忠実な者たちも勝利を得る」。 御使いは又私に言った。「あなたの見た水、即ち淫婦の坐っている所はあらゆる民族、群衆、国民、国語である。あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽くすであろう。神は、御言が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨を行い、思いを一つにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。あなたの見た彼女は地の王たちを支配する大いなる都のことである」。 |
第18章(バビロンの崩壊) |
この後、私は、もう一人の御使いが、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。彼は力強い声で叫んで言った。「倒れた。大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、又、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。 私は又もう一つの声が天からでるのを聞いた。「私の民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。彼女の罪は積もり積もって天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。彼女がした通りに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜいれた杯の中に、その倍の量を入れてやれ。彼女が自ら高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味わわせてやれ。彼女は心の中で、『私は女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。それゆえ、様々の災害が、死と悲しみとききんとが一日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう。彼女を裁く主なる神は力強いかたなのである。彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみ、彼女の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう。『ああ災いだ。大いなる都、不落の都、バビロンはわざわいだ。おまえに対する裁きは一瞬にしてきた』。 又地の商人たちも彼女のために泣き悲しむ。もはや彼らの商品を買う者が一人もないからである。その商品は金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、各種の香木、各種の象牙細工、高価な木材、銅、鉄、大理石などの器、肉桂、香料、香、におい油、乳香、ぶどう酒、オリブ油、麦粉、麦、牛、羊、馬、車、奴隷、そして人身などである。おまえの心の喜びであったくだものはなくなり、あらゆる派出な華やかな物はおまえから消え去った。それらのものはもはや見られない。これらの品々を売って、彼女から富を得た商人は、彼女の苦しみに恐れをいだいて遠くに立ち、泣き悲しんで言う。『ああ災いだ。麻布と紫布と緋布をまとい、金や宝石や真珠で身を飾っていた大いなる都は災いだ。これほどの富が一瞬にして無に帰してしまうとは』。又すべての船長、航海者、水夫、すべて海で働いている人たちは、遠くに立ち、彼女が焼かれる火の煙を見て、叫んで言う。『これほどの大いなる都は、どこにあろう』。彼らは頭にちりをかぶり、泣き悲しんで叫ぶ。『ああ災いだ。この大いなる都は災いだ。そのおごりによって、海に船を持つすべての人が富を得ていたのに、この都も一瞬にして無に帰してしまった』。天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都について大いに喜べ。神は、あなたがたのために、この都を裁かれたのである」。 すると、一人の力強い御使が大きなひきうすのような石を持ちあげ、それを海に投げ込んで言った。「大いなる都バビロンは、このように激しく打ち倒され、そして、まったく姿を消してしまう。又おまえの中では、立琴をひく者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを吹き鳴らす者の楽の音は全く聞かれず、あらゆる仕事の職人たちも全く姿を消し、又ひきうすの音も全く聞かれない。又おまえの中では、明かりも灯されず、花婿、花嫁の声も聞かれない。というのは、おまえの商人たちは地上で勢力を張る者となり、すべての国民はおまえのまじないでだまされ、又預言者や聖徒の血、さらに地上で殺されたすべての者の血がこの都で流されたからである」。 |
第19章(神の裁き、白い馬) |
この後、私は天の大群衆が大声で唱えるような声を聞いた。「ハレルヤ。救と栄光と力とは我々の神のものであり、その裁きは真実で正しい。神は姦淫で地を汚した大淫婦を裁き、神の僕たちの血の報復を彼女になさったのである」。再び声があって、「ハレルヤ。彼女が焼かれる火の煙は世々限りなく立ちのぼる」と言った。すると二十四人の長老と四つの生き物とがひれ伏し、御座にいます神を拝して言った。「ア―メン、ハレルヤ」。その時、御座から声が出て言った。「すべての神の僕たちよ、神を恐れる者たちよ。小さき者も大いなる者も、共に我らの神を賛美せよ」。 私は又大群衆の声、多くの水の音、又激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った。「ハレルヤ。全能者にして主なる我らの神は王なる支配者であられる。私たちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて花嫁はその用意をしたからである。彼女は光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は聖徒たちの正しい行いである」。 それから御使いは私に言った。「書き記せ。小羊の婚宴に招かれたものは幸いである」。又私に言った。「これらは神の真実の言葉である」。そこで、私は彼の足元にひれ伏して彼を拝そうとした。すると彼は言った。「そのようなことをしてはいけない。私はあなたと同じ僕仲間であり、又イエスの証し人であるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。イエスの証しは即ち預言の霊である」。 又私が見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によって裁き、又戦うかたである。その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。又彼以外には誰も知らない名がその身に記されていた。彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。そして天の軍勢が純白で汚れのない麻布の衣をきて、白い馬に乗り彼に従った。その口からは諸国民を打つために鋭い剣が出ていた。彼は鉄のつえをもって諸国民を治め、又全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。その着物にも、そのももにも「王の王、主の主」という名が記されていた。 又見ていると、一人の御使が太陽の中に立っていた。彼は中空を飛んでいるすべての鳥に向かって大声で叫んだ。「さあ神の大宴会に集まってこい。そして、王たちの肉、将軍の肉、勇者の肉、馬の肉、馬に乗っている者の肉、又すべての自由人と奴隷との肉、小さき者と大いなる者との肉をくらえ」。なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して戦いをいどんだ。 しかし、獣は捕らえられ、又この獣の前で印しを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕らえられた。そして、この両者とも、生きながら硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。それ以外の者たちは馬に乗っておられるかたの口から出る剣で切り殺され、その肉をすべての鳥が飽きるまで食べた。 |
第20章(悪魔でありサタンの捕縛、キリストの復活) |
又私が見ていると、一人の御使いが、底知れぬ所の鍵と大きな鎖とを手にもって天から降りてきた。彼は、悪魔でありサタンである龍、即ちかの年を経たへびを捕らえて千年の間つなぎおき、そして底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終わるまで諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。 又見ていると、数多くの座があり、その上に人々が坐っていた。そして彼らに裁きの権が与えられていた。又イエスの証しをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、又獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえってキリストと共に千年の間、支配した。(それ以外の死人は、千年の期間が終わるまで生きかえらなかった) これが第一の復活である。 この第一の復活にあずかる者は幸いな者であり又聖なる者である。この人たちに対しては第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。千年の期間が終わると、サタンはその獄から解放される。そして出て行き、地の四方にいる諸国民、即ちゴク、マゴクを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は海の砂のように多い。彼らは地上の広いところに上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。すると天から火が下ってきて、彼らを焼き尽くした。そして彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。 又見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。又死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。数々の書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これは命の書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることに従って裁かれた。海はその中にいる死人を出し、そして各々そのしわざに応じて裁きを受けた。それから死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。この命の書に名が記されていない者は皆な火の池に投げ込まれた。 |
第21章(新しいエルサレム、花嫁、都) |
私は又新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。又聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下ってくるのを見た。又御座から大きな声が叫ぶのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや死もなく悲しみも叫びも痛みもない。先のものが既に過ぎ去ったからである」。すると、御座にいますかたが言われた。「見よ、私はすべてのものを新たにする」。又言われた。「書き記せ。これらの言葉は、信ずべきであり誠である」。 そして私に仰せられた。「事はすでになった。私はアルパでありオメガである。初めであり終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。私は彼の神となり、彼は私の子となる。しかし臆病な者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。 最後の七つの災害が満ちている七つの鉢をもった七人の御使の一人が来て私に語って言った。「さあ来なさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。この御使は、私を御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖徒エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下ってくるのを見せてくれた。その都の輝きは、高価な宝石のようであり透明な壁玉のようであった。それには大きな高い城壁があって、十二の門があり、それらの門には、十二の御使いがおり、イスラエルの子らの十二の部族の名が、それに書いてあった。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。又都の城壁には十二の土台があり、それには小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。私に語っていた者は、都とその門と城壁とを測るために金の測りざおを持っていた。 都は方形であって、その長さと幅は同じである。彼がその測りざおで都を測ると一万二千丁であった。長さと幅と高さとは、いずれも同じである。又城壁を測ると百四十四キュピトであった。これは人間の、即ち御使の尺度によるのである。城壁は壁玉で築かれ、都はすきとおったガラスのような純金で造られていた。都の城壁の土台は様々な宝石で飾られていた。第一の土台は壁玉、第二はサファイヤ、第三はめのう、第四は緑玉、第五は縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉石、第十はひすい、第十一は青玉、第十には紫水晶であった。十二の門は十二の真珠であり、門はそれぞれ真珠で造られ、都の大通りには透き通ったガラスのような純金であった。 私は、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。都は日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都の明かりだからである。諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは自分たちの栄光をそこに携えて来る。都の門は終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。人々は諸国民の栄光と誉れとをそこに携えて来る。しかし汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決して入れない。入れる者は小羊の命の書に名を記されている者だけである。 |
第22章(命の木、全体の結び) |
御使いは又水晶のように輝いている命の水の川を私に見せてくれた。この川は、神と小羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れている。川の両側には命の木があって、十二種の実を結び、その実は毎月実り、その木の葉は諸国民をいやす。のろわれるべきものは、もはや何一つない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には御名が記されている。夜はもはやない。明かりも太陽の光もいらない。主なる神が彼らを照し、そして彼らは世々限りなく支配する。 彼は又私に言った。「これらの言葉は信ずべきであり誠である。預言者たちの魂の神なる主は、すぐにも起こるべきことをその僕たちに示そうとして御使をつかわされたのである。見よ、私はすぐに来る。この書の預言の言葉を守るものは幸いである」。 これらのことを見聞きした者は、このヨハネである。私が見聞きした時、それらのことを示してくれた御使の足もとにひれ伏して拝そうとすると、彼は言った。「そのようなことをしてはいけない。私は、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書の言葉を守る者たちと同じ仲間である。ただ神だけを拝しなさい」。 又私に言った。「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。「見よ、私はすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。私はアルパでありオメガである。最初の者であり最後の者である。初めであり終わりである。命の木にあずかる特権を与えられ、また門を通って都に入るために自分の着物を洗う者たちは幸いである。犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、又偽りを好み且つこれを行う者は皆な外に出されている。私イエスは、使いをつかわして諸教会のために、これらのことをあなたがたに証しした。私はダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。御霊も花嫁も共に言った、「来たりませ」。また聞く者も「来たりませ」と言いなさい。渇いている者はここに来るがよい。命の水が欲しい者は価なしにそれを受けるがよい。 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して私は警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。又もし、この書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれている命の木と聖なる都から取り除かれる。これらのことを証しするかたが仰せになる。「然り。私はすぐに来る」。ア―メン、主イエスよ、来たりませ。主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。 |
れんだいこのカンテラ時評№1101 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 2月 6日 |
ヨハネの黙示録考その1、れんだいこの読後感 2013(平成25)年2月頃、初めてヨハネ黙示録を読んだ。先のブログ「キリスト教の親ネオシオニズム性考」の影響だろうが、いつか確認しようとしていて転載していたのを読む機会を得た。そのサイト元のアドレスを開けると「Object not found!」となる。意味を変えない範囲でれんだいこ文法に即して編集替えする。訳文の正確さが気になるが今は原文、英文と照らし合わせる余裕がない。この訳文が正しいものとして以下論評しておく。今検索すると「ヨハネの黙示録」、「まんが黙示録入門」、「ヨハネの黙示録」等が次々と出てくる。結構関心が持たれていることが分かる。 ヨハネ黙示録の最初の読後感は、こんなもんが何でイエスの御言葉であるものかと云う思いだった。ヨハネ黙示録とあるので№4福音書の著者であるヨハネの手に成るものと思われる。既に指摘したが、ヨハネ福音書は福音書中で最もイエス教とかけ離れており、イエス及びその御教えの伝と云うよりはユダヤ教パリサイ派の教義を濃厚に認めている。そういうヨハネ福音書、ヨハネ黙示録を有り難そうに拝戴するキリスト教とはそも何者ぞと云うことになる。これが最初の感想である。 次の感想はヨハネ黙示録の内容についての疑義である。ヨハネ福音書がイエス及びその御教えの伝と云うよりはユダヤ教パリサイ派の教義を濃厚に認めていることは既に言及したが、ヨハネ黙示録となると更に度が激しくなる。もはやユダヤ教パリサイ派の得意とする秘密結社の読誦文に近いと云う思いがする。世に胸糞が悪くなると云う言葉がある。ヨハネ黙示録は全文がそういう類のものである。 悪魔、サタンと闘うキリスト像を語るが、そのキリストの闘い方そのものが悪魔的サタン的である。そういうものは決してイエスの教義ではない。後のフリーメーソン養成のための呪文のようなものであると考えられる。実際、フリーメーソン、イルミナティー等の秘密結社はこのヨハネ黙示録の諸啓示に似せて儀式を行っているのではなかろうかとさえ思える。この推測が事実ならヨハネ黙示録の罪は大きい。そんなものを後生大事に崇める世のキリスト教の無知蒙昧に怒りを覚える。 次の感想は、ヨハネ黙示録から判明することであるが、キリスト教とはどうやらユダヤ教に激しく反発したイエス教とユダヤ教内部のキリスト信仰とが合体したものではなかろうかと云う思いである。ヨハネ黙示録はユダヤ教内部のキリスト信仰をパリサイ派的に記したものであり、その際にイエスの御教えをご都合主義的に取り入れて誤魔化しているところに特徴がある。もっと云えば、イエスの御教えを部分的に取り入れてはいるもののユダヤ教内部のキリスト信仰そのものである。従って、ユダヤ教内部のキリスト信仰を知ることはできても、本来確立されるべきイエス教とは全く別の信仰である。そういう問題のあるヨハネ黙示録を教義に取り入れているキリスト教の責任問題に及ぶが、キリスト教とは元々そのようなものであると考えれば辻褄は合う。こう確認すべきであろう。 このようになぜ断言できるのか。それは、れんだいこが、イエスの御言葉を的確に知る故である。これについては、「イエスの教義考、山上の垂訓考」に纏めている。既成の「山上の垂訓」は福音書のそれと雖もかなり歪められているので手直しする必要がある。本来のイエスの御言葉はこのようなものだったのではなかろうかと推理して書き直している。まだ不十分なデキのものであるが他のテキストよりはましだろう。これとヨハネ黙示録の内容を比べて見るが良い。ヨハネ黙示録がイエスが最も嫌ったパリサイ派の言辞、論理、論法をイエスの言葉として記していることが分かろう。 |
れんだいこのカンテラ時評№1102 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 2月 7日 |
ヨハネの黙示録考その2、総合解説 「ウィキペディアヨハネの黙示録」その他で「ヨハネの黙示録」の概要を確認する。 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2) それによると、「ヨハネの黙示録」は古典ギリシア語で「: 'Aπōκάλυψις Ιωάννης」、ラテン語で「Apocalypsis Johannis」と記される。タイトルの「黙示」とはギリシャ語の「アポカリュプス(古典ギリシア語 'Aπōκάλυψις)」の訳であり、原義は「覆いを取る」ことから転じて「隠されていたものが明らかにされる」という意味である。英語では「revelation」、訳語としては「啓示」が相応しい。 新約聖書の中で唯一預言書的性格を持つ書である。単に「黙示録」あるいは「ヨハネによる黙示録」、「神学者聖イオアンの黙示録」(日本ハリストス正教会)、「使徒聖ヨハネ黙示録」(天主公教会)、「イエス・キリストの黙示」(プロテスタント福音派)、「ヨハネが受けたキリストの啓示」(現代訳聖書)と称されている。 ヨハネの黙示録は、キリスト教内で、その解釈と正典への受け入れをめぐって多くの論議を呼びおこしてきた書物である。著者はヨハネ福音書の著者である使徒ヨハネであると考えられているが、文体上の違いに着目し、仮にヨハネであったとしても福音書のヨハネとは「違うヨハネ」の筆であることを指摘する議論がある。そういうこともありヨハネ黙示録はペトロ黙示録と共に「真性に疑問のある書物」であると評されている。ヨハネ黙示録が「異端の書」、「偽預言書」として扱われてきたことには然るべき理由があると云うことになる。 今日のキリスト教会では正典と認められ新約聖書の一番最後に登場している。但し、ローマ・カトリック教会が正典として認めたのは2世紀中頃である。中世末期、正教会でも正典に加えられはしたものの聖書の中で唯一奉神礼で朗読されることのない異筋の書となっている。 ヨハネ黙示録冒頭で、迫害を逃れてエーゲ海の孤島パトモス島に避難していたヨハネによって書かれたと記されている。或る日のこと、ヨハネは神の啓示を受け、未来の光景や出来事を目にする。それを書き留め、小アジア(現在のトルコ西部)にある7つの主要なキリスト教会へ手紙を送ったという設定になっている。 ヨハネ黙示録の成立時期はローマ帝国のドミティアヌス帝時代(紀元81~96年)の紀元95年前後であると考えられてきたが、聖書学者の中にはネロ帝時代(紀元54~68年)の68-9年頃と考える者もいる。 啓示のあらましは次の通りである(「ヨハネの黙示録とは」その他を参照する)。 (http://2012doomsday.web.fc2.com/yohane.html) 天の玉座に神がいて、周囲を24人の長老と、ライオン、雄牛、人間、鷲(わし)にそれぞれ似ている4つの生き物が取り囲んでいた。神の手には巻物があり7つの封印で封じられていた。7つの角と7つの目をもつ小羊が一つひとつ封印を解いていく。小羊が封印を解くごとに禍が地上を襲う。小羊が第7の封印を解くと、世界が沈黙で包まれた後、7人の天使が現れて、一人一人にラッパが与えられた。天使が一人ずつラッパを吹くたびに禍が地上を襲う。第7の天使が最後のラッパが吹くと最後の審判が行われることが予告される。 7人の天使が7つの鉢に入れた神の怒りを地上に注ぎ世界に第一次終末が訪れる。救世主イエスが再臨し千年王国が実現する。神を信じ正しい行いをした人々が復活する。千年後、悪魔が再び現れ最初の王国が滅びる。これが第二次終末となる。メシアとの最後の決戦が演ぜられ、最後の審判で「命の書」に名前のない人は地獄に落とされ、名前のある人は天国に昇ることができる云々。救世主イエスの再臨が預言されたところで黙示録が終わる。 この道中で、 戦乱や飢饉、大地震などのあらゆる禍、天使と悪魔の戦いや最後の審判の様子が記されている。この間、象徴的な表現が多用されており、数字や生き物(獣)がいくつも登場し、「ハルマゲドン」の様子が描かれている。バビロンは淫乱な女性の姿で表象されている。 以上が「ヨハネの黙示録」の概要である。本来はイエス教とは何の関係もない、むしろイエス教義的には排斥すべき奇書でしかないが、奇書故に類が類を呼ぶの例え通り奇人が殊に愛読する。読書は勝手であるので、これを制限する必要はないが、イエスの御言葉をヨハネの筆を借りて綴った預言書と云う受け取り方だけは吹聴しないでもらいたいと思う。百歩譲って仮に値打ちがあるとしても、イエス系のものではなくパリサイ派系のものであると知る必要があろう。これを一言添えておく。 |
【ヨハネの黙示録考その3、各章解析】 |
以下、部分解析に入る。文章個々の分析はせず大まかな構図を確認する。必要な範囲で逐次コメントしておく。 第1章(緒言)。この黙示は、神がキリストに与え、キリストが御使をつかわしてヨハネに伝えたイエス・キリストの黙示であると云う。ここを鵜呑みにすると一言一句が疎かにできず厳密な理解が要求されることになる。但し、あくまでヨハネを名乗る者の霊示と受け取ると、批判的な解析の対象となる。何事も初手が肝腎である。次に、御霊の命令により、ヨハネ黙示録をエペソ、スミルナ、ペルガモ、テラテア、サルビス、ヒラデルヒア、ラオデキヤにある七つの教会に送ることになった顛末が明かされている。神定義として「全能者にして主なる神」とあり、その神言として「私はアルパでありオメガである」なる神言が記されている。第2章(七つの教会へのメッセージ)。七つの教会の各教会への書が次々と記されている。第3章(七つの教会へのメッセージ続)。第2章に引き続き各教会への書が次々と記されている。その内容はイエスの御教えならば絶対にこうは語らないであろう類の霊言であるので割愛する。 第4章(神の玉座、四つの生き物)。神の玉座の様子が語られている。御座の周りに二十四の座、二十四人の長老がいて、七つのともし火が御座の前で燃えている云々。御座のそばには獅子、雄牛、人面獣、鷲(わし)の四つの生き物がいる。いずれも「前にも後ろにも一面に目がついていた」、「六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた」と云う。「目と翼」が特筆されていることに気づく。第5章(神の玉座の巻物、小羊)。御座主の右の手に巻物があり封印されている。七つの角と七つの目を持つ小羊が四獣と長老たちの間に立ち、御座主の右の手から巻物を受ける。第6章(子羊が七つの封印を開封した時の出来事、色違いの馬が次々と登場する)。小羊がそれぞれの巻物の封印を解いた時の光景が記されている。その内容はイエスの御教えならば絶対にこうは語らないであろう類の霊言であるので割愛する。第7章(子羊が七つの封印を開封した時の出来事続)。第6章に続いて小羊がそれぞれの巻物の封印を解いた時の光景が記されている。その内容はイエスの御教えならば絶対にこうは語らないであろう類の霊言であるので割愛する。 第8章(七つのラッパ)。小羊が第七の封印を解いた時、神の御前に七人の御使いが現われラッパが与えられる。御使いが香炉を地に投げつけたところ雷鳴と諸々の声と稲妻と地震とが起こる。7人の御使いが順次ラッパを吹き鳴らす毎に変事が起り、その時の様子が記されている。その内容はイエスの御教えならば絶対にこうは語らないであろう類の霊言であるので割愛する。第9章(七つのラッパ続、第一の災い)。第8章に続いて御使いがラッパを吹き鳴らした時の変事が記されている。第10章(巻物と七つの雷)。第9章に続いて御使いがラッパを吹き鳴らした時の変事が記されている。第11章(預言、第二の災い)。第七の御使がラッパを吹き鳴らすと、「この世の国は我らの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう」との霊言が降臨する。天にある神の聖所が開き聖所の中に契約の箱が見えた云々。 第12章(大いなる印し、天上の戦い)。印しが天に現れ、天上で戦いが起こる。ミカエルとその御使いたちが悪魔でありサタンであり全世界を惑わす年を経たへびである龍と戦い、龍が滅ぼされる。「今や我らの神の救と力と国と神のキリストの権威とは現れた」。次に龍と女の闘いが始まる。第13章(獣、刻印)。龍が海から上って来た獣を使って世界を支配する。獣は人々の右の手あるいは額に刻印を押し、刻印のない者は物を買うことも売ることもできないようにされた。「獣の名は数字であり、その数字は人間をさすものであり、その数字は六百六十六である」。 第14章(御使い物語り)。小羊がシオンの山に立ち、十四万四千人の人々が小羊に従う。彼らは神と小羊に捧げられる初穂として人間の中からあがなわれた者であった云々。御使いが次々とやって来て大声で叫ぶ。その内容はイエスの御教えならば絶対にこうは語らないであろう類の霊言であるので割愛する。第15章(七人の御使と七つの災害)。最後の時が来る。七人の御使いが最後の七つの災害を携えていた。彼らは神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌い、全能者にして主なる神を称えた。天にある証しの幕屋の聖所が開かれ、四つの生き物の一つが御使いたちに神の激しい怒りの満ちた七つの金の鉢を渡す。 第16章(七人の御使いと裁き)。七人の御使いが命ぜられるままに神の激しい怒りの七つの鉢を地に投げつける。これにより凶事が起る。これが第一次終末となる。その内容はイエスの御教えならば絶対にこうは語らないであろう類の霊言であるので割愛する。第17章(七人の御使いと裁き続)。大淫婦に対する裁き。第18章(バビロンの崩壊)。バビロン滅亡の様子が語られる。 第20章(悪魔でありサタンの捕縛、キリストの復活)。悪魔でありサタンであり年を経た蛇である龍が捕縛される。キリストが復活し、千年王国の時代がやって来る。これが第一の復活である。千年後、サタンが獄から解放される。悪魔が再び現れ都を包囲し、再び戦乱の事態を迎える。天から火が下ってきて、サタン派を焼き尽す。悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれる。これが第二次週末となる。人が「命の書」に従って裁かれる。第21章(新しいエルサレム、花嫁、都)。聖なる都の新しいエルサレムが出現する。その都の輝きは、高価な宝石のようであり透明な壁玉のようであった云々。第22章(命の木、全体の結び)。救世主イエスの再臨が預言されたところで黙示録が終わる。 「ア―メン。主イエスよ来たりませ。主イエスの恵みが一同の者と共にあるように」で結ばれている。 気づくことは、「全能者にして主なる神」なる絶対神を想定し、その統治下でキリスト神軍と悪魔軍の絶対抗争が発生し、悪魔軍支配による終末が訪れ、これを滅亡させて千年王国が建国され、その王国が悪魔軍再支配により再終末が訪れ、それを更に滅亡させて神聖王国が再復活すると云う戯画的ならせん的闘争史観が書き列ねられている。その間の叙述につき寓意的な文句が散りばめられており、その解釈を廻って研究が盛んなようであるが、むしろ透けて見えてくるのは案外と薄っぺらな二項対立的救済思想ではあるまいか。繰り返すがこういうものはイエスの教義では断じてない。紛うことなきパリサイ派の理論である。そのパリサイ派の理論を公認教義に取り込んでいるキリスト教の危うさを思うべきだろう。ヨハネ黙示録をキリスト教教義に編入せしめたパリサイ派の狡知こそ詮索されるべきだろう。 2013.2.4日 れんだいこ拝 |
【ヨハネの黙示録考その4、妙言解析】 |
以下、妙言解析に入る。逐次コメントしておく。 2013.2.4日 れんだいこ拝 |
「市川和男のブログ」の2010年06月13日付けブログ「シュタイナーの「黙示録」観」の一節を転載する。
これがヨハネ黙示録マニアの受け取り方のようである。れんだいこ理解と真っ向から齟齬している。これをどう窺うべきだろうか。 2013.2.8日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)